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記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の10)・「卑弥呼とアマテラスの相違点」
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/340.html
投稿者 どう思われますか 日時 2018 年 1 月 22 日 10:09:10: Qy4l4lPG05pBg gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ
 

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「卑弥呼とアマテラスの相違点」に、ご興味をお持ちでしょうか。古代史ファンの中には、アマテラスを卑弥呼に重ね合わせる人がいますが、全然、違うと思います。


A アマテラスは神霊であって、人間ではない。

 アマテラスというのは、古事記では、イザナギが禊を行った際に海の中から生んでいます。

 他方の日本書記では、イザナギが禊の際に単独で生んだ説と、イザナギとイザナミの両者が神生みの際に生んだ2説が有ります。

 (物語的には、イザナギは呉系倭人の性格を具有していると考えますので、アマテラスは呉王朝の血統という設定ではないか、と想像します)。

 いずれにしても、人間ではなく、神霊に違いは有りません。

 同じように、スサノオも、アメノホヒも ニギハヤヒも神霊であって、全部、人間では無いのです。彼らを人間に当てはめても、必ずしも一致しません。


B (反対に)、卑弥呼は人間であって、神霊ではない。

 卑弥呼は、「倭人伝」に登場する女王ですから、間違いなく人間です。(ただし、肉体が人間という意味です)。

 それから、大国主も事代主も人間です。大国主はアメノホヒが憑依した人間であって、肉体が大国主であって精神がアメノホヒ、という言い方が出来ると思います。

 事代主は少し複雑かも知れません。ニギハヤヒの神霊が憑依して、結果的に、事代主=ニギハヤヒ=神武天皇の図式が成り立つかも知れませんが、あくまでも想像です。

 (複数の人格を持った「多重人格」の人間が事代主、という言い方が出来るかも知れません)。


C 記紀神話は、現界(つまり人間世界)の話と、霊界(ある意味において精神世界)の話がミックスされています。

 ですから、記紀神話を読むときには、考えながら読まなければならず、机上の平面図では解けないと思います。

 ★ 何回も同じことを言いますが、『天上に上れば神霊になり、地上に降れば人間になります。肉体は精神(神霊)の乗り物に過ぎません。

 (物質や科学を主体とする西洋的な唯物論で考えるか、精神や宗教を主体とする東洋的な唯心論で考えるかの違いだと云えるかも知れません)。


D (余談ですが)、ギリシア神話では、人間と神とが親しく交流していた。

 (余談になりますが)、ギリシア神話では、初めに、神々と人間が親しく交流していた「黄金の時代」がありました。次には、人間が神々に対して傲慢になった「白銀の時代」が続きました。

 3番目には、神々が天上に帰還してしまって、人間が絶対の「青銅の時代」を経てから、4番目には、人間の「鉄の時代」が今日まで継続している、と言われています。

 (ちなみに、今の「鉄の時代」で終わりであり、次の5番目の時代は無いそうです)。


E (元に戻って)、卑弥呼には子供が無かったが、アマテラスには「八柱の御子神」がいた。

 「倭人伝」の記録では、卑弥呼には子供がおらず、死後には、男王が立ったが国が乱れたので、「宗女」のトヨが立って女王になった、と有ります。

 つまり、卑弥呼が、247年か248年に隠れたが、熊本県の菊池彦と戦争中であったので、慣例を無視して、「戦時体制」ということで男王が立った。

 ところが、ブーイングの嵐で、結局は、宗女(本家筋の娘のことで姪と考えられるところの)トヨが女王になって、衆目の了解を得た、と解釈できそうです。

 ですから、卑弥呼に子供がいなかったことは明白です。

 これに対して、アマテラスには、スサノオとの間に「八柱の御子神」を設けています。

 だから、卑弥呼とアマテラスは、別の存在だと言えます。


F ところが、アマテラスには子供がいなかった、かも知れない。

 Aで言いましたように、アマテラスは神霊であって人間では有りませんから、人間のような子供が居たか、居なかったかは分かりません。

 (話は脱線しますが)、スサノオが出雲で退治した「ヤマタノオロチ」は、実は、治水事業のことであって、出雲を流れる斐伊川のことであり、多くの支流があって、古代にはよく氾濫したから、たとえ話として「オロチ退治」の話があるのだ、との説が有ります。

 これに従いますと、アマテラスの子供というのは、大和王権の成立前に存在した主要な豪族を言うのだ、との説が有ります。

 たとえば、オシホミミは、ニニギを祖とする「九州三代」のことであり、また、九州に勢力を誇った豪族群のことです。

 また、アメノホヒは出雲族の祖であるし、他の兄弟たちも琵琶湖方面に入植して勢力を持った者とか、和歌山方面に入植した者とか色々です。

 また、「宗像三女神」とは海人族のシンボルであり、福岡県の安曇氏の祖神のことであり、鹿児島の隼人族のことであり、出雲の三穂津姫の出雲水軍のことかも知れません。

 (何で、鹿児島が「宗像三女神」と関係があるのか、との疑問も有るでしょうが、これについては、別の記事で書こうと思います)。


G (話は脱線しますが)、「宗像三女神」と三穂津姫の相関性。

 三穂津姫は、出雲の美保に坐す神で、大国主の妃であり、事代主の母神です。

 先代旧事本紀では、大己貴神が、(宗像三女神の)辺津宮の多岐津姫(別名に高津姫・神屋楯姫)を娶り、事代主と高照姫を生んだと有ります。

  (ここで、神屋楯姫が事代主の母親というのは通説です。別の表現では、『神の矢(男根)が(ホトに)立った姫』という言い方も出来るかも知れません)。

 また、日本書記の神代(下)の第9段の一書には、高皇産霊尊の娘の三穂津姫を、大物主に与えたと有ります。

 すると、高皇産霊尊の娘で宗像三女神の多岐津姫は、三穂津姫・神屋楯姫という別名を持ち、大物主の別名を持つ大国主と結婚して、事代主と高照姫を生んだことになりそうです。

 (高照姫は、「アシスキ・高彦・ネ」の妹という設定がポピュラーですが、「アシスキ・高彦・ネ」は「アメノ・若彦」との二役という設定のようです)。

 また、「宗像三女神」は、アマテラスの子供ではなく、あるいは、スサノオの子供でもなく、高皇産霊尊の娘ということになりそうです。あるいは、アマテラスと高皇産霊尊との子供ということかも知れません。


H (訳が分からなくなったので、次に行って)、弟がいた話。

 卑弥呼には弟がいましたし、アマテラスにも月夜見という弟がいました。

 しかしながら、古代には子沢山であって、1人の女は5人も6人も子供を産みました。ただ、多くは乳幼児か幼年中に隠れてしまいました。

 ですから、姉と弟の組み合わせや、兄と妹の組み合わせは、別に不思議では有りません。

 また、古代は女系相続であり、娘が家を引き継ぎ、家の祭祀も執り行いました。男は軍事面や政治面を受け持ちました。

 従いまして、弟がいたから、『卑弥呼はアマテラスだ』、とは言い切れません。


I 結論としては、分かりません。

 アマテラスは、(呉系倭人の守護神であるところの)イザナギが生んだから、呉系倭人だと想像されます。

 対する、卑弥呼は、越系倭人の説が有ります。(その6の9)・「邪馬台国の滅亡」−D邪馬台国は血統が違った説、を参照のこと)。

 そうすると、アマテラスと卑弥呼は、違うということになります。

 ところが、神霊を主体として肉体を従とした場合に、肉体は神霊の乗り物に過ぎないから、アマテラスが、越系倭人の卑弥呼に憑依したと仮定するならば、それは、アマテラスである、といえるかもしれません。

 肉体(血統)を採用するか、神霊(精神)を採用するかで、その「系統図」は全く異なってしまいますから、分からないというより仕方ありません。


J 霊界と現界の相関性。

 霊界(高天原)の移写が現界になり、霊界の出来事が現界に反映されます。

 ただ、必ずしも相似形ではなく、変形したり、時間差が起きたり、時には、逆転したりすることも有ります。

 そうしますと、絶対に、『アマテラスと卑弥呼は違う』とは断言できません。この辺が記紀神話の難しいところだと思います。

 (ですから、最初に断っていますように、『オカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事』を目的としています)。


K 最後に、記紀神話は、桓武天皇の王朝が作った(再編した)。

 記紀神話は、大海人天皇の勅命で編纂されて、完成したのは、(686年に大海人天皇が御隠れになった後の)712年に古事記が完成し、720年に日本書記が完成しています。

 従いまして、記紀神話は、大海人天皇のファミリーに都合の良い内容になっていたと思います。

 ところが、673年から769年までの凡そ百年間にわたる大海人天皇ファミリーの天下が終わって、770年からは、天智天皇のファミリーに変ってしまいました。(光仁天皇の即位)。

 振り返ってみると、672年に、天智天皇の子供の大友天皇(弘文天皇)と大海人天皇は、壬申の乱で皇位争奪戦を戦った過去が有ります。

 光仁天皇もそうですが、次の桓武天皇は、大海人天皇ファミリーの天下の中で、天智天皇ファミリーという過去を背負って、日陰の中で生きて来たらしいです。

 ですから、781年に、桓武天皇が即位すると、『大海人天皇ファミリーを全面否定せよ、記紀神話も見直せ』と厳命したらしいそうです。

 (これは、歴代の天皇に申し送りされ、藤原政権にも命じたらしいです)。

 その後、日本書記に続く「完結偏」として、901年に、「三代実録」が完成して、いわゆる「六国史」が完成しました。

 この過程で、大海人天皇ファミリーに都合の良い内容はバッサリと訂正されて、中立寄りか、もしくは天智天皇のファミリー寄りの内容に修正されたと言われています(通説です)。

 また、記紀神話の修正に対して文句を言ったら、ボコボコにされるので、誰も文句を言えなかったと思います。日本版の「焚書坑儒」が誰の脳裏にも浮かんだことでしょう。

 (もちろん、総監督をした藤原氏にとっても、藤原氏に都合の良い内容になっている、と言われているそうです)。


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