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記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の24)・「スサノオは朝鮮に降臨した」
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/388.html
投稿者 どう思われますか 日時 2018 年 4 月 30 日 10:08:30: Qy4l4lPG05pBg gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ
 

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「スサノオは朝鮮に降臨した」に、ご興味をお持ちでしょうか。『スサノオは出雲に降臨したのではなかったのか』という反論も有るでしょうが、『まあ、記紀神話のことですから』ということで、考えてみたいと思います。


A 古事記と日本書紀では、記述が異なっているが、どうなっているのか。

 古事記によりますと、スサノオは、高天原のアマテラスに別れを告げた後で、出雲に降臨したようで、朝鮮の記述は見えないようです。

 日本書紀では、情報が錯綜しており、「神代上・第八段・本文−1」では、高天原から出雲に降臨しています。

  同じく、日本書紀の、「神代上・第八段・一書−2」では、高天原から安芸の国に降臨しています。

  同じく、日本書紀の、「神代上・第八段・一書−4」では、高天原から、息子の五十猛を連れて、新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)に行った後で、出雲に辿り着きました。

  同じく、日本書紀の、「神代上・第八段・一書−5」では、高天原から、(どこかに)降臨した後で、(朝鮮の)熊成(クマナリ)の峯に居て、やがて根の国に行きました。

 先代旧事本紀では、高天原のアマテラスに別れを告げた後で、息子の五十猛を連れて、新羅国の曾尸茂梨(ソシモリ)に降臨しましたが、『こんな国には居たくない』ということで、出雲と伯耆の間の「鳥髪の峯」に辿り着きました。

 ということで、スサノオが、高天原から何処に降臨したかは、まったくの不明です。


 ★ スサノオは、人間ではなく「神霊」であり幽霊ですから、人間活動を行うときには、人間の誰かに憑依することになりますが、憑依するのは一人だけの人間とは限りません。次々に入れ替わることが有ります。また時代を超えて何度でも出現します。

 (たとえると、VRゲーム(バーチャル・リアリティ・ゲーム)で、人間型ロボットを操作する「意識」が、スサノオの神霊という言い方が出来るかも知れません。

   その意味において、人間型ロボットは単なる「レンタカー」みたいなものですが、(スサノオは、ゲームのオーナーの一人ですから)乗り捨ての使い捨てOKであり、誰も文句を言えません)。

  また、神霊は、物質的な人間をリサーチする能力を持っていますが、逆に、人間は、非物質の霊魂をリサーチする能力を持っていませんから、「記紀神話編纂委員会」がスサノオの降臨地を完全に特定出来なくても、仕方が有りません。

  (これをパソコン・ゲームで説明しますと、私たちゲーム参加者の活動は、全てがパソコン内部に構築された電子・電流の往来で行われますが、その全ては「フィルター」で捕捉されて100%丸裸で監視されますが、スサノオなどのパソコン・オーナーは、ゲームの外にあって、私たちのゲームの進行を監督し、必要によりゲームにアクセスして、強制的な軌道修正をしている、という考え方が出来るかも知れません)。


B スサノオが、新羅に降臨したのは、事実だ。

 記紀神話の記述を見ますと、スサノオが新羅に降臨したのは、事実だろうと思われます。

 なぜならば、事実で無いなら、わざわざ『新羅に降臨した』とは書かないと思います。事実だから書いたと云うことです。


C なぜ、スサノオの新羅降臨を消し去らなかったのか。

 ここで、一つの疑問が生じます。『なぜ新羅降臨の事実を消さなかったのか』。『新羅降臨は不必要ではないのか』。『神国日本にとって朝鮮の記述はマイナスではないのか』。

 そのため、大海人天皇は、古事記の中で「新羅降臨」を消しています。(古事記「序文」には、大海人天皇が稗田阿礼に誦み習わせたと有ります)。

 ところが、日本書紀では、スサノオの新羅降臨を完全に消し去らずに、「一書」の中に残しています。

 すると、記紀神話編集委員会は、『なぜ、消さなかったのか』、あるいは『なぜ、消せなかった』のかという疑問が発生します。

 察するに、スサノオ系列の豪族たちには、スサノオの新羅降臨の伝承が残されていたし、先代旧事本紀でも記述されているように、記紀神話の編纂当時の多くの豪族氏族たちが、常識として知っていたと考えられます。

  だから、完全に消し去ることが出来ず、一書に残さざるを得なかったと想像します。


D 新羅国も、曾尸茂梨(ソシモリ)も熊成(クマナリ)の峯も、何処か分からない。

 スサノオが新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)だとか熊成(クマナリ)の峯に居た伝承が残されましたが、その場所は特定できません。

  曾尸茂梨も熊成も分かりませんし、新羅そのものも範囲は特定できません。

 新羅の範囲も、300年代前半の新羅建国当時であれば、範囲は「旧辰韓」に限られますが、記紀神話の720年当時の「統一新羅」では、ピョンヤン辺りから南部を領土としています。

  このため、曾尸茂梨や熊成の比定地は、春川・漢城・扶余・光州・慶州・釜山・その他の各地に広がっているようです。


E 大海人天皇は、なぜ、古事記の中で「新羅降臨」を消したのか。

ア) 大海人天皇は、アマテラス・ファンだったから、スサノオが嫌いだった。

 大海人天皇は、幼い頃に、海人族の乳母に育てられたと云います。

  乳母は、凡海(オオシアマ)氏の娘であり、凡海氏は安曇氏と同族で、海部氏と同族で、尾張氏と同族らしいです。
  (安曇氏は綿津身の子孫で、尾張氏はニギハヤヒの子孫のはずなので、辻褄が合わないのですが、系図に乱れが有ったのかも知れません)。

 (乳母ではなく、凡海の娘が実母だったかも知れませんが)、とにかく、幼い頃から、海人族の素晴らしさ・立派さを叩き込まれ、海人族の守護神であるアマテラスが神々の中の大神であり、唯一絶対神だと洗脳されていたのかも知れません。

  また、壬申の乱では、勝利の女神が微笑んだので、本来なら勝てない戦いを勝利して、玉座までゲットしましたから、感謝感激であり、アマテラス信仰の度合いを深めたものと、思います。

  (まあ、軍事的には、大海人天皇が一目散に吉野に走って逃げてから、天智天皇の崩御の時を秒読みして、伊勢や尾張や美濃に手を回し、海人族も見方に引き込んでおり、挙兵計画は万全だったと云うことだろうと思いますから、大海人天皇の作戦勝ちでしょう)。


イ) スサノオ系列の豪族が生き残っていたから、消せなかった。

 ダイレクトに出雲系列・スサノオ系列なのは、
   「出雲宿禰」や「出雲臣」などが居ますが、スサノオの子供のアメノホヒの子孫になります。
   菅原道真の祖先の「土師氏」なども、スサノオの子供のアメノホヒの子孫になります。
   「賀茂氏」も、カムムスヒの子孫で出雲系列だと思います。
   「大神(オオミワ)朝臣」は、大田田根子の系統で、大国主(アメノホヒ)の子孫になります。
   「宗形君」は、大国主の子孫の、海人族になります。

 ここで、スサノオ系列が、少数勢力で過去に滅亡した勢力なら消せるのですが、存続しており、分家の枝葉筋を含めると巨大勢力になります。
  また、ニギハヤヒ系列も、(ニギハヤヒが「事代主」に憑依していますので)、間接的にスサノオ系列になります。

 さらに、宗形君の娘が大海人天皇の妃の「尼子娘」であり、壬申の乱で大活躍した高市皇子を生んでいます。また、壬申の乱では出雲系列・スサノオ系列が、大海人天皇に味方していますから、スサノオ系列を抹殺できなかったと想像します。


ウ) 悪夢の朝鮮には、触れたくなかった。

 大海人天皇にとっても、先代の天智天皇にとっても、朝鮮事情は悪夢だったと思います。

 つまり、663年に「白村江」で日本軍が大敗してしまい、唐・新羅の連合軍の日本遠征を恐れた天智天皇は、九州や西国に城を築かせたり、日本全国から「防人(サキモリ)」を対馬や北九州に配置したりして、眠れぬ夜を過ごしたと云います。

 ところが、運良く、神の御加護が有りまして、唐が、日本遠征の前に、高句麗を片付けることにしたので、668年の高句麗の滅亡まで、日本は助かりました。

 さらなる神の御加護が有りまして、唐と連合を組んだ新羅が、百済や高句麗の亡民と連携して、唐に反旗を翻して唐との戦争に突入し、これで、唐の日本遠征は無くなりました。

  (★ 665年に唐の使節の劉徳高が2千名で来日したり、671年に唐の郭務宗が3千名で来日したのを捉えて、『日本が滅亡した』と言う人が有りますが、これは、唐が高句麗や新羅を攻めるので援軍を出せとの脅迫的要求に来たものであり、日本を攻撃するために来たのでは有りません。

  この時期、唐・新羅・高句麗の3国が、日本の軍事的支援を求めるために、頻繁に来日しています(日本書紀等を参照のこと)。

 まあ、大海人天皇としては、「悪夢だった朝鮮」のことは思い出したく無かったし、推古天皇以降の皇位争奪戦の血で血を洗う「骨肉の相克」は書きたく無かったので、「古事記」としては、区切りの良い推古天皇で完結させたのかも知れません。


F 結局、スサノオは新羅から来た。

 スサノオが新羅(最終的には金官加羅)から来たことに間違いないし、子供の五十猛(イタケル)・ツマツ姫・オオヤツ姫などが新羅から渡来して紀伊の国に定住したのも事実だろうと思います。


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