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記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の26)・「高天原は、朝鮮に有った」
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/396.html
投稿者 どう思われますか 日時 2018 年 5 月 14 日 09:58:05: Qy4l4lPG05pBg gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ
 

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「高天原は、朝鮮に有った」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 実は、高天原は朝鮮に有ったという『何ともはや』な、お話です。また、何箇所も高天原が有った可能性も考えてみたいと、思います。


A 高天原とは、何か。

 狭義では、高天原とは、アマテラスが君臨する世界を云うのかも、知れません。

 広義では、高天原とは、アマテラスに限らず、無数の神霊界を指す言葉だとも、考えられます。

 ★ 『神霊界なんか有るもんか』、という罰当たりな「お花畑」の世界観では、高天原とは、「数千年後の未来」のコンピューターの中に有る無数のシリコンチップの中で、その中の一個のチップの中にだけ存在する世界だ、という考え方が出来るかも知れません。

    (★ 「数千年後の未来」と言うのは、今という「次元」から見ての数千年後であり、数千年後の未来から見た「今という次元」は、VRゲーム「第7次太陽系次元」の中にだけ存在する世界、という言い方が出来るかも知れません)。

   また、時間も空間も無く、過去も未来も無く、ただ今現在の電子の往交しか存在しない「刹那(せつな・瞬間)」という考え方が、出来るかも知れません。

   また、別の表現をすれば、高天原とは、コントロール・パネルの中にある「第7次太陽系次元」という基幹ソフトの中の、コントロール・センターと繋がっている司令塔であり、13階層に繋がるらしいエレベーターの一つであり、上下の双方向の流れを制御する「コントロール・バルブ」・「ディストリビューター」を制御し、・・・


B (話は変わって)、高天原という神霊界の移写が、現界という世界観。

 オカルトの世界では、神界・霊界・現界の3界が有るそうで、神界の移写が霊界になり、霊界の移写が現界になっていて、現界が私たちの住む人間世界らしい、そうですが、どうなんでしょうか。


C 記紀神話での、高天原の記述。

 記紀神話の世界観では、広義では、アマテラスに限らず、「造化三神」から始まって「神代七夜」・「伊邪那岐・伊邪那美」・「三貴子」と、ニギハヤヒ・ニニギの天孫降臨、はては雄略天皇時代の「葛城の一言主」も含め、人間世界と平行して、延々と続く世界のようです。

  狭義では、明確な定義は無く、アマテラスを中心とする世界観のように、感じられます。


D スサノオが、高天原から朝鮮に降臨したという、記紀神話上の根拠。

 日本書紀・神代上・第八段・一書の4、『スサノオが、高天原から、息子の五十猛(イタケル)を連れて、新羅国に降臨し、曾尸茂梨(ソシモリ)に行った後で、出雲に辿り着いた。』

 日本書紀・神代上・第八段・一書の5、『スサノオが、高天原から降臨した後で、(朝鮮の)熊成(クマナリ)の峯に居て、やがて根の国に行った。』

 先代旧事本紀、『スサノオが、高天原から、息子の五十猛を連れて、新羅国の曾尸茂梨(ソシモリ)に降臨したが、出雲と伯耆の間の「鳥髪の峯」に辿り着いた。』


E 高天原の、朝鮮での位置を絞り込む。(あくまでも、根拠の乏しい可能性)。

ア) スサノオが、アマテラスに乱暴したという、記紀神話での痕跡。

 「日本書紀・神代上・第七段・一書・三の1」に、

   『一書曰、是後、日~之田有三處焉、號曰天安田・天平田・天邑幷田、此皆良田、雖經霖旱無所損傷。其素戔嗚尊之田、亦有三處、號曰天樴田・天川依田・天口鋭田、此皆磽地、雨則流之、旱則焦之。故、素戔嗚尊、妬害姉田、春則廢渠槽及埋溝・・・』

  (簡略の翻訳)、
   『ある文に、日~(アマテラス)の田が3箇所有って、どれも肥沃で、平らで、大きな良い田ばかりだった。長雨が有っても、日照りが有っても、損害が無かった。
   (一方で)、スサノオの田も3箇所有ったが、切り株の多い、やせた田であり、川のそばに有り、水流の速い田であり、雨が降ると濁流・急流となって田が流され、日照りには干上がった。
   それで、スサノオは姉(アマテラス)を憎んで、姉の田に乱暴を働いた。・・・』

  ★ ここで注意。アマテラスの田も、スサノオの田も、「天の何々」の名称が付いているので、人間世界の話ではなく、高天原での話であり、私たちの日本や朝鮮に比定するのは、初めから無理が有りますが、強引に当てはめたいと思います。


イ) 上記の(ア)の場所の比定地を想像する。

 上記(ア)で、「アマテラスに良田が有り、スサノオに悪田が有り、スサノオが良田のアマテラスを侵攻した場所」を考えます。

 まず、スサノオは、朝鮮半島を南北に走る「太白山脈」の東側に居た「濊族」と考えられます。つまり、太白山脈の東側は平野が狭く、川も急峻な感じがします。
    (グーグルの航空写真を参照)。

 すると、必然的に、高天原には、2箇所が候補地に上がります。
  第1は、太白山脈の西側の、肥沃な大地が有った「馬韓」が考えられます。
  第2は、朝鮮半島南岸東部の、「洛東江」の流域が考えられます。

  第1の「馬韓」の可能性の場合には、新羅方面に居た濊族が、高句麗の南下による圧迫を逃れるために、太白山脈を西に越えて馬韓に進入した。
     (第1次アマテラスの岩戸隠れ)。
  やがて、馬韓の残党勢力か、高句麗の南下か、高句麗から分離して百済を建国した扶余族の一派によるかは分かりませんが、濊族を撃破した。
     (第2次アマテラスの岩戸開き)。
  撃破された濊族は、南方の洛東江の河口部に下り、「狗邪韓国」を滅ぼして、「金官加羅」を建国した可能性が、考えられます。
     (スサノオの追放の結果)。

  第2の「洛東江」の可能性の場合には、新羅方面に居た濊族が、高句麗の南下による圧迫を逃れるために、南方の洛東江河口部に入り、「狗邪韓国」を滅ぼして、「金官加羅」を建国した可能性が、考えられます。
 
    (この場合は、狗邪韓国への侵入が「第1次アマテラスの岩戸隠れ」で、(何者かによる圧迫を逃れるために)金官加羅から日本の北九州や出雲への軸足の移動が「第2次アマテラスの岩戸開き」と「スサノオの追放の結果」になります。

  いずれにしても、最終的に、洛東江の河口部に入ったということになります。


ウ) なぜ、記紀神話の記述が残されたのか。

 ここで、上記の(ア)の「日本書紀・神代上・第七段・一書・三の1」は、残す必要の無い記述であるのに、なぜ、残したのかという「疑問」が考えられます。

  (もちろん、『これは朝鮮の記述ではなく、日本国内での記述だ』という反論も有るでしょう。
  ところが、日本には、「アマテラスの良田、スサノオの悪田、スサノオが良田のアマテラスを侵攻した場所」の候補地が見当たらないのです。
  記紀神話時代の候補地は、北九州か出雲しか考えられませんが、両方とも要件を満たせません。
   (もし有ったとしても、規模が余りにも小さすぎるので、記紀神話のスケールに合致しない)。

   また、スサノオが新羅に降臨したという記述は、架空の創作ではなく、『そういう事実が有った』からであり、新羅を軸に検討するなら、高天原は朝鮮のことだという結論に達します。

 (元に戻って)、日本書紀に「一書」として残したのは、記紀神話の編纂当時には、日本人が朝鮮から渡ってきたということが、常識として広く知られていたから、消す必要が無かった。
 あるいは、豪族たちにも朝鮮から渡ってきた記憶が伝承されていたのではないかと、想像します。


 ★ 「百済新撰」という文献が記紀神話編纂当時には存在していた。「舊本」(古い本)には百済についての記述が色々と記されていた。(日本書紀・雄略天皇・即位二年秋七月の条、その他)。
   その他にも、「百済記」(日本書紀・雄略天皇・廿年冬の条、その他)。「日本舊記」(日本書紀・雄略天皇・即位廿一年の条、その他)。「百済本記」(日本書紀・継体天皇・即位三年春二月の条、その他)などの記述が見られる。

   つまり、「百済新撰」・「百済記」・「百済本記」・「日本舊記」などは、今は現存していないようですが、私たちの知らない古代の記録が、その当時には数多く残され、多くの人が知っていたのではないかと、想像します。

 
F アマテラスの復活と、スサノオの追放。

 (記紀神話の記述によると)、アマテラスは、スサノオに責められて岩戸に隠れましたが、その後、復活して岩戸から飛び出し、スサノオをボコボコにして、高天原から叩き出しました。

 これを「朝鮮版・高天原」に当てはめますと、上記Eの(イ)の比定地が考えられます。

 第1は、「馬韓」の可能性であり、上述したとおりです。

 第2は、洛東江の「金官加羅」の可能性ですが、仮に、スサノオが金官加羅を奪ったが、その後に、アマテラスにボコボコにされたと云うなら、誰が行ったかということになります。

  可能性としては、(馬韓ではなく狗邪韓国に居たところの)アマテラスの呉系倭人の残存勢力の復活戦か、弁韓諸国の連合軍によるものか、「三国志」当時には滅亡していた馬韓王の一族による「お家の再興作戦」によるものかは分かりませんが、何者かによって、金官加羅が奪われたことになります。

   ★ (話は飛躍しますが)、本来、北九州に有った倭人の拠点が、奈良に移動し、北九州が「もぬけの殻」になったのは、何かの圧迫が有ったからだと、考えざるを得ません。
   (つまり、金官加羅と北九州の拠点を、290−300年頃かに、主力のニギハヤヒ天皇神武の本隊が、奈良に首都機能を移動したということであり、別働隊の(崇神天皇神武を後世に輩出したところの)ニニギが南九州に落ち延びたということです)。
   (その意味において、大国主が出雲に残留して、日本海を東征する外敵に備えた。忍骨ミコトが北九州や遠賀川を死守して、山に骨を埋めて鎮守した)。

  いずれにしても、その後の金官加羅は、日本の支配下に入り、「任那日本府」が置かれることになり、欽明天皇の前の532年に、金官加羅が新羅に滅び、欽明天皇時代の562年に、任那日本府が新羅に滅ぶまで、日本の支配下に有ったことが、日本書紀などに残されています。


(浦上八国の乱など)
 (真偽不明の創作かも知れませんが)、『弁韓諸国の連合軍が、加羅(金官加羅のことか)を攻めたが、加羅が新羅に救援を求めたために、浦上八国の乱は失敗した。』ような記録が残されています。

 このように、古代の弁韓諸国は、「安羅と加羅の違い」、「呉系倭人と越系倭人の違い」、「我(わたし)派と、吾(あたし)派の言葉の違い」、「馬韓の遺民・北九州のアマテラス系列と、対抗する濊族・金官加羅・倭王権のスサノオ系列との確執」などの、複雑な力関係が有ったかも知れませんが、詳しいことは全く分かりません。


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