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記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の50)・「仲哀天皇は、戦死した」
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/494.html
投稿者 どう思われますか 日時 2018 年 10 月 29 日 10:01:44: Qy4l4lPG05pBg gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ
 

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「仲哀天皇は、戦死した」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 仲哀天皇については、詳しいことが、分りませんが、「仲哀」という名前は、いかにも哀れです。


A 仲哀天皇のプロフィール。

ア) 仲哀天皇の出生の謎。

 (古事記によれば)仲哀天皇の母親は、垂仁天皇の娘の「布多遅能伊理毘売(フタヂノ・イリヒメ)」(日本書紀には「両道入姫」)です。

 ★ 「両道入姫」の名前は変です。「二つの道に入る姫」とは、夫を変えた可能性が考えられます。それから、「入る」も変です。奈良の外から入ってきた可能性も考えられます。(あるいは夫を変えて2つの夫婦の道に入る意味か)。

 (その6の48)・「景行天皇と倭武天皇の兄弟対決」のDで述べたように、時系列な考察では、仲哀天皇の父親のヤマトタケルや景行天皇は、垂仁天皇と兄弟の関係だったと考えるのが、自然なのです。
  すると、
 両道入姫は、10代崇神天皇の娘だったが、垂仁天皇の妃になり、やがて、ヤマトタケルの后に納まったとも、考えられるのです。


イ) 仲哀天皇の妻子について。

 初めの后は、景行天皇の孫娘の大中比売で、香坂王・忍熊王の2人を生んでいます。
 後の后の息長帯比売(神功皇后)は、兄の品夜和気・弟の品陀和気の2人を生んでいます。
  (実は、兄の品夜和気が本当の応神天皇で、弟の品陀和気は仁徳天皇と、推理しています)。

 ここで、初めの皇后の大中比売の出自が、全くのデタラメなのです。
 つまり、(古事記によると)、大中比売は景行天皇の孫娘に成りますが、大中比売の祖母で景行天皇の妃になった迦具漏比売は、ヤマトタケルの曾孫に当たるのです。
  つまり、
(景行天皇の子供の)ヤマトタケル→子供の若建王→須売伊呂大中日子王→迦具漏比売(景行天皇の妃)→大江王→大中比売(仲哀天皇の皇后)の系図になります。

 ★ 記紀神話編集委員会は『こんなものを後世に残すのかいな、あほらしいなあ』と思いながら記紀神話を作り、読んだ人々も『よくもまあ、こんなデタラメが書けるものだ、気が知れんわ』と馬鹿にしながら読み、後世の人々は『うーむ、こっ、これは』と絶句したことでしょう。

 要するに、『本当のことが書けない、書けないほど醜い。だから誤魔化すが、直ぐに嘘だとバレルように大胆に大嘘を書いた』のかも、知れませんが、どうなんでしょうか。

 また、うかつに批判すると、「朝敵」・「国賊」・「非国民」・「不敬罪」の「連座制」が待っています。


ウ) 仲哀天皇の皇位争奪戦。

 景行天皇の皇子の「若足彦」が、成務天皇に即位しました。(古事記によると)、后が1人、子供が1人居ました。(ところが、日本書紀には見えないようです)。
  これらから、
 成務天皇というのは、「稚足彦」の名前のごとく、若くして崩御したことが、推測されます。

 次の皇位は、乱戦模様になったと思います。景行天皇には21人の子供が居たから有力な皇子も居たと思いますが、風はヤマトタケル陣営に吹きました。豪族会議が「景行天皇ファミリー」を見捨てたようです。

 ヤマトタケルのファミリーも一本化できた訳では有りません。同じヤマトタケルの子供のカマミワケ王が、仲哀天皇の即位にクレームを付けて討伐されたことが、日本書紀に見えます(仲哀天皇・即位元年の蒲見別王)。

 結局、ヤマトタケルの支持基盤だった吉備氏や、ヤマトタケルの東国遠征に随行した大伴氏や、息長帯比売を皇后に排出した息長氏らの支持を得て、仲哀天皇が王権を獲得したことが、読み取れそうです。


エ) 古墳から見た、権力基盤。

 墓というのは、今も昔も、自分の土地に作ります。(あまり他人の土地に墓は作りません)。

 仲哀天皇の御陵は、大阪府藤井寺市方面に有ります。近くにはヤマトタケルの御陵も有りますし、応神天皇の御陵も有ります。

 ところが、(応神天皇の母親で仲哀天皇の皇后の)神功皇后の御陵は、奈良市の西部に有りますから、ここに出身母体が有ったことが想像されます。

 仲哀天皇の御陵の有る藤井寺市や羽曳野市の方面は、大和川に近く、武内街道も通り、奈良盆地に入る基点でも有り、聖徳太子のころには蘇我氏の領地が有ったと言われています。
 それより昔のことは、よく分りませんが、仲哀天皇・ヤマトタケルの領地、あるいは出身母体である母親の領地が有ったと考えられます。


B 新羅の膨張と、仲哀天皇の九州出陣。

ア) 忌宮(イミノミヤ)神社の伝承。
 山口県下関市にある忌宮神社(旧国幣小社・式内社)の伝承に(簡略では)、
 『仲哀天皇の7年に、新羅国の塵輪(ジンリン)が、熊襲を扇動して豊浦宮を襲った。仲哀天皇が弓で射止めた。人々は歓喜した。』


イ) 垂仁天皇の頃から、新羅が膨張している。

 垂仁天皇時代に「天日矛」が来日している。(日本書紀・垂仁天皇3年の条)。
 崇神天皇の65年に、任那から「ソナカシチ」が朝貢に来日。(日本書紀・崇神天皇65年条)。
 崇神天皇時代に、敦賀に「ツヌガアラシト」が来日。(日本書紀・垂仁天皇2年・一書の条)。

 これらの記録から、新羅の膨張・南下政策によって、半島南東部に動揺が起こったことが読み取れます。また、平行して、日本に救済や援軍の派遣を求めたことが、推測されます。


C 仲哀天皇の戦死と、受け継いだ神功皇后の新羅遠征。

 仲哀天皇は、始めに、新羅に同調した北九州の豪族の討伐を行いましたが、戦死しました。

  (戦死した根拠は、上記Bのア)忌宮(イミノミヤ)神社の伝承と、日本書紀・仲哀天皇・即位九年の一書の、『・・・一云「天皇親伐熊襲、中賊矢而崩也。」・・・』つまり、天皇は自ら熊襲を討ったが、賊の矢に当たって、崩御しました)。

 後を受け継いだ神功皇后は、北九州の反乱軍を鎮圧した後に、新羅遠征を成功させました。


D 神功皇后の「三韓征伐」を、日本中の大豪族が支持した。

 日本書紀・仲哀天皇・即位九年の条には、武内宿禰・中臣烏賊津連・大三輪大友主君・物部膽咋連・大伴武以連らの名前が列記されていますし、日本書紀・神功皇后の段では、吉備臣・津守連・葛城襲津彦らが登場しますし、安曇氏を始めとして多くの海人族も、神功皇后の下に参集しています。


E ここから、日本の朝鮮出兵が始まった。

 もともと、朝鮮は、中国の漢王朝の体制に組み込まれて安定していました。2百年代には魏王朝に組み込まれましたが、2百年代の晩期から、中国の動乱の影響を受けて、朝鮮も動揺しました。
 3百年代の初頭から、中国の「五胡十六国」の大動乱により、朝鮮も、高句麗・新羅・百済・任那の四地域で乱闘が繰り返されました。

 新羅は、北から高句麗の圧迫を受けて、生き残るために、日本領の任那への侵食を繰り返し、日本の兄弟国の百済にも遠征を繰り返しました。

  そのため、難民が日本に流入したり、任那・百済から日本への救援要請を受ける中で、神功皇后時代から天智天皇の663年の「白村江」の敗戦まで、およそ3百年にわたって、朝鮮出兵を繰り返しました。

 しかしながら、結局は、中国の唐によって朝鮮が飲み込まれ、日本も朝鮮の足場を失ってしまいました。

 やがて、日本は、平安時代には遣唐使も廃止して、中国や朝鮮とは距離を置いて、独自の道を歩むことになりました。


F 神は、大陸に進出することを望まなかった。

 民族同胞を救済し、日本への帰化を促す目的のあった神功皇后の「三韓征伐」や「倭の五王時代」を除いて、神は、大陸に関与することを望まなかったと、思います。


 天智天皇以降に、日本が大陸に進出したことが2回有りました。

 1回目は、豊臣秀吉の朝鮮出兵ですが、その後、豊臣家は滅亡しました。

 2回目は、1910年(明治43年)の朝鮮の併合や、1931年(昭和6年)の満州事変などですが、その後、日本は敗戦により大半を失いました。


 ★ 本来なら、大東亜戦争の敗戦で日本は分断されて、戦勝国の植民地になって滅亡するところを、神の采配で助けられました。


 日本人は、地球の核質ですから、滅亡させることが出来ません。そしてまた、日本人は他の人類とは異なる人種です。

 そして、来次元の行き先は、他の民族とは異なるそうです。知りませんが。


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