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7回目の終了です(その卒業論文の3)・仏教の陰謀論・『十牛図だと、悟りだ・解脱だ、それがどうした、何なのだ』
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/844.html
投稿者 どう思われますか 日時 2021 年 1 月 25 日 10:09:19: Qy4l4lPG05pBg gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ
 


★ 人間はアバター(化身)であり、地底人・神霊・ヒトの移写が、地上世界の地上人(人間)です。

★ (遠い未来の)「真実の人間」が、「VRゲーム」を作り、その内側に「人間世界」を作ったのです。

★ (VRの)地上世界の科学・物理法則は、真実の世界の科学と異なって、変動し不正確です。

★ 2013年頃から「位置が変換」し、あと20年くらいで消滅して、「新しいゲーム」がスタートします。

★ 今の個人主義的な「私」は消滅し、新しい世界では「全体の中での私」という概念に変わります。



@ ところで、『仏教の陰謀論・『十牛図だと、悟りだ・解脱だ、それがどうした、何なのだ』に、ご興味をお持ちでしょうか。

 今回は、人々が憧(あこが)れ、求めて止まない、(「十牛図」を用いた)『悟りの境地』について、論じてみたいと思います。

 あまり書き過ぎると、仏教界が『神輿をかついで強訴に押しかけて来る』ので、内容はエー加減です。


A 初めに、十牛図とは、何か。

 『知っている人は知っているが、知らない人は知らない』という程度の、大したことの無い「絵」です。

  知らない人は、「十牛図」と入力して、ググって下さい。


◆ 十牛図は、「悟りに至るプロセス」を表現しているそうだ。

(ネットによれば)、当初の「十牛図」は、第1図から第8図までしか無く、第9図・第10図は後に付け加えたものですが、十牛図を、仏教の開祖の「お釈迦さま」に当てはめて考える人も多いそうです。

    (ネットの解説によれば)、
 第1図から第8図までは、若者が「悟り」を得る旅に出て、苦心の末に「悟った」ところで、ハッピーエンド、めでたし、めでたし、と言うところです。

 (第8図は「真っ白け」で何も書かれていませんが、これが「悟り」であり「空」と言う事だそうです)。

 第9図・第10図は、悟りを得た後の「その後」と言う事で、第9図には(神仙思想の)大自然が、第10図には『若者に「道」(タオ)を教える老人』が描かれているという、解説が有りました。


◆ (トンでも説によれば)、「十牛図」のルーツは「ミトラ教」だそうだ。

 (トンでも説によれば)、ミトラ教には「聖牛の供儀」と言うのが有り、それが「十牛図」のルーツだとか、タロットカードもミトラ教がルーツの説が有りますが、
 起源前1,700年以前に発祥したミトラ教は、その後に、プラトン哲学や、マニ教・密教・弥勒教・明教に繋がったり、「ミトラ」がマイトレーヤーとか、弥勒と呼ばれた説も有るそうです。


B (私が思うに)、大事なのは「その後」の人生だ。

 釈迦にしても、ヤージュニャヴァルキャにしても、龍樹(ナーガールジュナ)・老子・荘子・誰にしても、悟った後に『どのように生きるか』が、一番大事なことではないかと思います。

 悟ったからといって、何も変わりませんし、超能力が得られるわけでも有りませんし、サイフの中の金が増えるわけでも有りません。

 相変わらずの「地獄のような毎日」が有りますし、腹も減るし、金が無いとパンも買えません。金を得るためには「下げたくない頭」を下げてサラリーマンを勤めなければ成りません。


C 手っ取り早く悟る方法は、『VRゲームの世界観』を瞑想することだ。(ホントですよ)。

 「お釈迦さま」の時代にはコンピューター技術が無かったから、「五官の作用」に頼って思考するだけでしたが、
     もしも、
 「お釈迦さま」に、VR(仮想現実)や、AR(拡張現実)の知識が有って、「クラウド」・「センシング」・「量子コンピューター」などの最先端科学を熟知していたなら、

 『色即是空、空、空、食う、腹減ったー、アー、食いテー、食いテー、ギャーテー、ギャーテー』

などとの叫び声は上げなかっただろうが、「学」(科学知識)が無いと言う事は実に悲しい事であり、本当に『お釈迦さまは哀れな一生だった』と思います。


◆ 若い人は、「悟りの道」よりも、明日を信じて「希望の道」を歩め。

 (私が思うに)、若い人が「悟りの道」を志すのは好ましい事では無い。悟るとは、「ニルバーナ」で『命の炎を吹き消す』事であり、希望の明かりを消してしまう事でも有るのです。
     だから、
 若い人は希望に燃え、未来を信じ、情熱的に、様々な体験を通じて、新しい「知的思考」を身に付けるべきです。それが、この世に生まれてきた意味でも有るのです。(この事を早く悟るべきです)。

 この世は「VRゲーム」だから、死んだら誰でも「反転」して「あの世」に行きますが、その時に『もっと色々な事にチャレンジしておくべきだった』と後悔する事に成るのです。

 年を取ったら誰でも、厭世気分に沈んで、「あの世」のことを想像するものですから、そのときに「悟りの道」を目指しても遅くは有りません。(その事を早く悟ってください)。
 

◆ 悟っても、別に、それほどの意味は無い。

 (上の段にも書きましたが)、仮に、悟ったとしても、別にどういうことも無く、『悟るとは、こんな事だったんか、アホくさ、貴重な人生を無駄にした』と深い溜め息をつくのが「関の山」です。
     それに、
 悟ったところで、腹も減るし、金が無ければ生きていけないし(金が無ければ人を騙したりドロボーに落ちるし)、超能力者になる訳でも無いし、カスミを食べて生きていける訳でも有りません。


D 最後に、(私たちは)この世で『現実は甘くない』ということを学んでいるのだ。

 現実は甘くないのです、厳しいのです。『人の人情は紙よりも薄く、氷よりも冷たい』のです。
     だからこそ、
 助け合わねば成らないのです。(冒頭に書いたように)、『★今の個人主義的な「私」は消滅し、新しい世界では「全体の中での私」という概念に変わります』と言う事です。

 悟りを得て『あらゆる全てが「空」である』ことを知ったとして、『だから何なんだ』と言う事です。

 人間が、この世に生まれた意味は『何を学ぶか』であり、それを次の人生に『どのように活かすか』、『どのように社会に貢献するか』と言う事です。

 (たとえ、この世で活かせなくても、次の人生に活かせば良いと、私は思います)。


◆ 人間は、『泣きながら生まれて、泣きながら死んでいく』。

 お釈迦様は、托鉢で得た食料で食中毒に当たって苦しみ、まさに「大往生」だった、そうです。

 キリスト様も、多くの弟子たちから「大先生」と呼ばれて尊敬されましたが、最後は、「非業の死」を遂げたそうです。

 ★(私が知る限り)、生きてこの世を去ることが出来たのは、預言者の「エリヤ」だけです。(旧約聖書・列王記下・2章・「エリヤの昇天と後継者エリシャ」の段を参照)。
 

E★ 毎回における、お断り。

 私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。


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