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グローバル資本主義が抱えるたった一つの限界とは その日暮らしの人類学 妬みに効くキルケゴール テスラ完全自動運転を全車種
http://www.asyura2.com/16/hasan114/msg/586.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 10 月 20 日 21:50:29: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 


【第14回】 2016年10月20日 岡本裕一朗
グローバル資本主義が抱えるたった一つの限界とは
世界の哲学者はいま何を考えているのか――21世紀において進行するIT革命、バイオテクノロジーの進展、宗教への回帰などに現代の哲学者がいかに応答しているのかを解説する、哲学者・岡本裕一朗氏による新連載です。9/9発売からたちまち重版出来(累計3万部突破)の新刊『いま世界の哲学者が考えていること』よりそのエッセンスを紹介していきます。第14回は世界を席巻したかのように思えるグローバル資本主義が抱えている、あるパラドックスについて概観します。

グローバル資本主義の本質的限界
フランシス・フクヤマはかつてマルクス主義にもとづいて建設された国家の崩壊を想定して、「歴史の終わり」を説きました。社会主義は資本主義によって乗り越えられ、今日にいたるまでグローバル資本主義はその隆盛を誇っているようにも思えます。しかし、ここであらためてグローバリゼーションに立ち戻ってみましょう。というのも、グローバリゼーションには、きわめて深刻な「パラドックス」が潜んでいて、その理解なくして未来世界を展望できないからです。
トルコ出身の経済学者で、現在はプリンストン高等研究所の教授であるダニ・ロドリックが、2011年に『グローバリゼーション・パラドクス』を出版し、グローバリゼーションにどう対処すべきか、議論を展開しています。彼によると、次の三つの道(「トリレンマ」)が可能であり、私たちはこの中から選択しなくてはならないのです。
国民民主主義とグローバル市場の間の緊張に、どう折り合いをつけるのか。われわれは三つの選択肢を持っている。国際的な取引費用を最小化する代わりに民主主義を制限して、グローバル経済が時々生み出す経済的・社会的な損害には無視を決め込むことができる。あるいは、グローバリゼーションを制限して、民主主義的な正統性の確立を願ってもいい。あるいは、国家主権を犠牲にしてグローバル民主主義に向かうこともできる。これらが、世界経済を再構築するための選択肢だ。
選択肢は、世界経済の政治的トリレンマの原理を示している。ハイパーグローバリゼーション、民主主義、そして国民的自己決定の三つを、同時に満たすことはできない。三つのうち二つしか実現できないのである。
つまり、(1)「もしハイパーグローバリゼーションと民主主義を望むなら、国民国家はあきらめなければならない」。あるいは、(2)「もし国民国家を維持しつつハイパーグローバリゼーションも望むなら、民主主義のことは忘れなければならない」。そして、(3)「もし民主主義と国民国家の結合を望むなら、グローバリゼーションの深化にはさよならだ」。
グローバリゼーションのトリレンマとは?
ロドリックは、こうした三つの選択肢を、次のような図として示しています。
拡大画像表示
http://diamond.jp/mwimgs/6/4/-/img_64d4e0d61724e945b07fc406be3f7fe517160.jpg

問題は、この三つの選択肢(トリレンマ)のうち、どれが望ましい選択なのか、ということです。
(1)はグローバルな連邦主義をめざし、国家主権を大きく削減するものです。
(2)はネオリベラリズム(新自由主義)が推し進めている政策ですが、これが可能なのは「民主主義を寄せつけない場合だけ」とされます。
これに対して、(3)はハイパーグローバリゼーションを犠牲にする政策ですが、民主政治の中心的な場として国民国家を残すわけです。
では、ロドリックは、どの選択肢を採用するのでしょうか。結論的に言えば、彼は(3)を採用し、その政策を「賢いグローバリゼーション」と呼んでいます。
私の選択を言わせてもらうと、民主主義と国家主権をハイパーグローバリゼーションよりも優先すべきだと思う。民主主義は各国の社会のあり方を守るための権利をもっており、グローバリゼーションの実現のためにこの権利を放棄しなければならないのであれば、後者を諦めるべきなのだ。
この原則は、グローバリゼーションの終わりを意味するものだと思うかもしれない。決してそうではない。(中略)われわれは最大限のグローバリゼーションではなく、賢いグローバリゼーションを必要としている。
たしかに、(1)のグローバルな連邦主義は不可能に見えますし、国家の多様性を無視する点で望ましくないでしょう。また、(2)のネオリベラリズム的政策は、世界的な金融危機や格差拡大など、グローバリゼーションに暗い影を落としています。しかし、そうだとしても、(3)「賢いグローバリゼーション」はいかにして可能なのか、あらためて検討する必要がありそうです。
http://diamond.jp/articles/-/105089 



 

オトナの教養 週末の一冊
“Living for today”、世界にはこんな生き方もある
『「その日暮らし」の人類学』 小川さやか准教授インタビュー
2016/10/20
本多カツヒロ (ライター)
 日本では、数カ月後や数年後といった未来のために、計画的に今日を生きるという価値観が一般的には良いとされている。しかし、世界を見渡せば、そうではない価値観で生きている人たちもいる。「Living for today」という生き方を実践しているタンザニアの零細商人や、インフォーマルな経済とはどんな状況なのだろうか。『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』(光文社新書)を上梓した立命館大学大学院先端総合学術研究科の小川さやか准教授に、「タンザニアでの路上商売」や「中国とアフリカのインフォーマル経済」などについて話を聞いた。
――小川先生のアフリカでの路上商売体験が印象に残りました。

『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』(小川さやか 著、光文社)
小川:2011年に出版した『都市を生きぬくための狡知』(世界思想社)の話でしょうか。私が大学院生のときに在籍していた京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科では、当時、農耕民や狩猟採集民、牧畜民などの生業研究が盛んでした。私は都市で調査をしたかったので、アフリカ都市経済の主たる生業である零細商売について参与観察をしました。タンザニアの都市部では、路上商売や零細製造業、日雇い労働などを渡り歩く人たちが社会経済の主流派で、都市人口の約66%がこうしたインフォーマルセクターの仕事を第一の所得源としています。私は最初の調査の10カ月間のほとんどを古着の行商をし、2回目に渡航した際にも行商をしていたら、調査助手から「いつまで行商をするんだ」と言われてしまいました(笑)。 
――チャレンジャーですね。日本人の行商人や露天商は珍しいんじゃないですか?
小川:そうですね。「どこから来たの?」「ここで何をしているの?」「飲みに行こう!」などと声を掛けられることもしょっちゅうでした。
 でもそれが売上に繋がるかといえば、お客さんの懐具合によるので、よく売れた日でも1日に30枚くらい、全く売れない日もありました。
――小川先生の調査助手であるブクワさんは建築業やサービス業、零細製造業、商業を、妻のハディジャさんも仕立て屋など様々な業種を渡り歩いていて、まさにタンザニア都市部の主流派といったところです。1日に全く売れなかったり、30枚売れたりという収入で、彼ら家族は食べていけるものなのでしょうか?
小川:食べてはいけます。ただしお金がない時に、助けてくれる関係があればですが。
 また食べてはいけますが、収入が著しく不安定だと子供の学費や病気や事故に遭った時の治療費などをコツコツと貯めることができません。稼ぎが少ないから貯まらないわけではなく、零細自営業者たちは売上の多い日と少ない日の落差が激しいことが貯蓄を難しくしている原因だと思います。タンザニアでも民間企業に務めている会社員は、給与そのものは零細自営業とさして変わらなくても、月に1度決まった額がもらえるので貯蓄のある人も多いです。
 ブクワとハディジャのように多業種を即応的な技能で渡り歩く生き方はインフォーマルセクターの研究では広く指摘されてきました。それは「1つの仕事で失敗しても、何かで食いつなぐ」という生計多様化戦略です。
――小川先生は1枚も売れない日はどうやって過ごしていたんですか?
小川:最初は日本人的な価値観で暮らすので暇をしていることに罪悪感を覚えるのです。だからお客さんが来ない時は、問題のある古着の修繕加工をしたり、シャツの裏に付いているボタンを切り離して「ボタン売り」を始めたりと、とにかく少しでも儲けるための内職をしていました。
 しかし、あくせくする私を横目で見ながら、彼らはトランプやおしゃべりをしている。私がもっとお客さんが多いところへ移動して少しでも売ろうよと言っても、「そういうところは競争が激しいから、今日はここでいいよ」と返答されます。また、私は調査をしていたこともあり、売り上げを記録してどこの場所でどんな商品が売れるかを分析しては、あそこに行ったのは失敗だった、あれを仕入れたのは失敗だったと後悔したり、これで大丈夫なのかといちいち不安になったりするのですが、彼らは「ムベレ・クワ・ムベレ(前へ前へ)」といって過ぎたことを過度に後悔したり、先のことを心配しても仕方がないと笑います。
 ただ、彼らは決して怠け者ではなく、「今だ!」という機会には素早く動くし、その結果、「キター!!」となったら猛烈に働くので、動く必要のないときに動かないだけなのです。
――そもそもなんですが、タンザニアはどういう国なのでしょうか?
小川:日本ではキリマンジャロコーヒーや世界遺産のセレンゲティ国立公園やンゴロンゴロ保全地域、あるいはマサイ族のイメージがあるかもしれませんね。農業国で、主要な換金作物にコーヒーや綿花などがあります。
――日本とは食べ物がかなり違う印象があります。
小川:アフリカで調査をしていると話すとよく聞かれるのですが、トマトと塩と油の味つけで普通においしいです。それに食生活は慣れです。例えば、セネーネというバッタ(腹の部分)を唐揚げにしたものがあり、たくさん捕れる時期になるとバーにも売りに来ます。これが小エビの唐揚げのようでおいしいんです。
 そこでセネーネが好きなら、小エビの唐揚げも好きに違いないと思ったので、素揚げしたエビのスナック菓子を土産に持っていったことがあるんです。それをみた子供たちは泣き出してしまいました。海岸部は違いますが、内陸部の人びとにとっては、地上の虫よりも、海の中にいる「虫」のようなエビを食べる日本人のほうが衝撃的なわけです(笑)。
――そういった食文化も全く違うアフリカで遭遇した驚きの出来事はありますか?
小川:初めて訪れた頃は、いわゆる賄賂の慣行に慣れませんでした。例えば、路上商人は道路交通法などに違反しているので警察に取り締まられることがありますが、すぐに賄賂の交渉が始まります。2002年当時のレートで2ドルくらい払うと見なかったことにしてもらえます。そこで警官に抵抗して連行されてしまうと、留置所から出してもらうためにもっと多くの賄賂が必要でしたが。
 ただ、2015年10月の選挙でマグリフ大統領が就任してからは、緊縮経済を始め、それまで役人たちが視察と称していた旅行も一切禁止になりましたし、大統領自身も近隣諸国以外には外遊しなくなりました。こうした緊縮経済と共に賄賂に対する取り締りも強化され、現在では賄賂を手渡した方も厳しく罰せられるようになりました。
――アフリカには中国人がたくさん移住していると聞きますが、タンザニアにも多いのでしょうか?
小川:タンザニアの首座都市ダルエスサラームにカリアコーという商業地区があります。そこでは急速なチャイナタウン化が進展しているとよく現地の報道でも取り上げられます。中国人の移住自体は古く中華レストランは昔からありましたが、2000年代半ば頃から中国製品を扱うショップが急増しています。
ーーアフリカでは携帯電話がものすごい勢いで広がっていると聞きます。実態としてはどうでしょうか?
小川:すごいですよ。2014年の統計によると、タンザニアだけで3303万8500台の携帯電話が普及しています。この数字について、よく間違いではないかと指摘されるのですが、タンザニア政府は携帯のSIMカードの登録数で数えているのです。タンザニアの人たちの中には1人が2〜3台の携帯を所有している人もいるし、1つの携帯電話にSIMカードが4つ入るものもあるので、複数の通信会社に利用登録しています。利用料はプリペイド式が主ですから、複数の通信会社を利用しても問題はないので。
 また、携帯電話の普及は「エム・ペサ」という送金システムに後押しされた部分もあります。それでまでアフリカでは多くの人々が銀行サービスにアクセス出来ませんでしたが、このサービスの登場により近くのエム・ペサ代理店で現金を電子マネーに代え、エム・ペサ口座にチャージし、相手方の携帯電話番号へ電子マネーを送ることで、お金を安全かつ安価にやり取り出来る手段を手に入れました。最近では、携帯口座の運用に応じてマイクロファイナンスから融資を受けることのできるサービスも登場しています。
――なるほど。その4枚もSIMカードが入る携帯電話というのは正規品ではないですよね?
小川:中国企業の中には複数のSIMカード挿入口のある正規品も出しています。ただ、もちろんコピー携帯もあります。大抵はタンザニアの商人が売れ筋の携帯電話のサンプルを持って中国に渡航してコピー製品を生産してもらうんです。こうした中国とアフリカなどの間には近年インフォーマルな交易が急速に発展し、タンザニアでは2000年頃から中国へ買い付けに行く商人が急増しています。
――中国のどの辺りでそういった製品は作られているのでしょうか?
小川:深セン市には秋葉原の何倍もの規模の巨大な電化製品のモールがあります。アフリカ人の主たる買い付け先である広州市にはアフリカ人が多く集まることからチョコレート城と呼ばれる場所もあるのです。
 また、浙江省の義烏市には、イオンモールの何倍もの巨大な卸売店街があり、各フロアには、傘や玩具、化粧小物やアクセサリー、文具や日用雑貨など様々な種類の卸売店が立ち並び、アフリカや中近東からの商人だけでなく、日本人も仕入れに訪れています。このビルには各国の言語に対応した通訳をそろえた代理店もあり、彼らと仕入れツアーを組むことで中国語が堪能でなくても交渉したり仕入れたり出来ます。
――アフリカに中国人が多いだけでなく、中国までアフリカの商人が買い付けに行っているんですね。でもコピーの携帯電話が取締の対象になることはないんですか?

小川:じつは今年2月にタンザニア通信規制局がコピー携帯の通信をシャットダウンすると発表し大騒ぎになりました。タンザニアの人たちも自分たちが使っている携帯電話のなかにコピー製品があることは知っていますから。6月17日にシャットダウンは本当に実行されました。当初マスコミはタンザニア国内の30〜40%がコピー製品だと推計し、当日は大混乱に陥って全土でデモが発生するのではないかと報じられていたんです。しかし、ふたを開けてみると、シャットダウンの対象は数%のみでした。
 タンザニア通信規制局が15年に「中央機器識別登録」という新システムを導入したのですが、このシステムは「国際携帯識別番号」(IMEI:International Mobile Equipment Identifier)のデータベースを構築するもので、プロバイダーがIMEIと照合すると、コピーや偽物携帯電話の通信を停止することが出来るのです。
 そのシャットダウンされた携帯電話の一部は、修理業者が回収しました。もちろん、携帯電話に使われているレアメタルをリサイクルするという目的もありますが、分解して後々の修理用のパーツとして保管しておくためです。
――タンザニア政府がコピー製品を急に取締りを始めたのはどうしてなんでしょうか?
小川:報道では中国企業がタンザニア政府に対し取締りを強化するよう迫っているからだといわれています。いまタンザニアでは、中国のブランド携帯が急速に普及しています。ファーウェイやテクノ、アイテルといったタンザニアで人気の中国ブランドは、保証期間を設けたり、無料で修理を行うといったサービスを提供し、かつサムソンなど既存のブランドと比べてリーズナブルな値段で販売しています。
――でも、コピー携帯自体も中国製なんですよね?
小川:殆どそうです。中国のブランド企業からすると、コピー携帯の販売業者は商売敵でもあるし、中国ブランドのイメージを下げるものでもあります。そのため中国の企業が、中国からコピー携帯を仕入れ、タンザニアで販売しているタンザニア人や中国人を取り締まっているんですね。
――面白い構図ですね。コピー携帯は中国以外のルートからも流入しているのでしょうか?
小川:ケニアの卸売市場へ買い付けに行くと「君はクオリティが欲しいか? それとも値段を取るか?」と聞かれるそうです。そこで「値段」と答えるとコピー製品を売られると聞いたことがあります。そのコピー製品の部品というのは、元々中国からスペア部品として入ってきて、それをケニアで1台の携帯電話に組み立てているそうです。
――携帯電話の他にも服などコピー製品は多く出回っているんですか?
小川:アディダスなどのスポーツブランドが多いですが、日本で流行しているブランドの商標コピー製品もたくさん流通しています。今はテレビやインターネットが普及し、欧米のミュージックビデオを誰でも見ることが出来ますから、タンザニアの人びとのファッションもグローバルな流行と連動していますし、ファストファッションブランドを多く生産している中国製品は、似たようなデザインが多いため、そこからも流行を知ることが出来ます。
 ただ、タンザニア国内では局所的な流行が起こることも多いですよ。2014年ぐらいの時には中国製の巨大な造花の髪飾りをつけたりするのが女の子たちの間で流行っていました。頭から色とりどりの花が咲いているようにみえるくらい巨大なのですが、くっきりした顔立ちの彼女たちにはよく似合っていました。
――もちろんタンザニアの人達にとって携帯や洋服ブランドの正規品が高額だという事情もあるとは思いますが、他にも彼らがコピー製品を購入する理由はあるのでしょうか?
小川:たしかにコピー製品について聞くと、みな口をそろえて「すぐ壊れる」「品質が悪い」と散々な悪口を言い、中には「コピー製品なんて世界からなくなればいい」と憤る人もいますが、いざ買い物へ行って正規品とコピー製品が並んでいるとコピー製品を買うことも多いのです。
 その理由はさまざまありますが、一つには先にも話したように地道にお金を貯めれば正規品を買えますが、収入は不安定だし、3カ月先に職がないかもしれないという暮らしをしている人びとには、今あるお金で買えることのほうが大事なのです。
 また、彼らにとって行きなれた商店で良いものを選んだ結果がコピー製品だったというだけで、決して正規品の代換えとして購入したものではないんです。
――インフォーマル経済は今後どうなっていくのでしょうか?
小川:インフォーマル経済は、アフリカや中南米、東南アジアと広範囲におよび、従事している人口から見ても規模は大きい。日本をはじめ、先進国の人びとは、「文化」については相対主義的な見方をしながら、経済のしくみについては「進化論」的に考えがちです。
 私たちの経済こそが発展の最終形態でインフォーマル経済はその前段階にある、アフリカや中南米などの国々も発展していけば、インフォーマル経済は自然に消滅するという見方をしがちなのです。しかし、それは違うと思います。先進諸国でも主流派の経済システムから否応なく零れ落ちたり、または主流派の経済に積極的に見切りをつけた人々がインフォーマル経済に従事することもあります。インフォーマル経済は、「異なる」経済の仕組みであり、「遅れた」経済ではありません。たとえば、私たちの国では一般的に会社をつくり、それを大きくすることが当たり前のように考えられがちですが、それだけが合理的だったりするわけではないし、生き方として経済活動をみれば、効率性だけが重要なわけでもありません。実際に、露店でコピー携帯を売っている人が、現地の中小企業で働く人より貧しいかといえば、そうとは限らないのです。コピー商品の製造や販売にしても「なぜ違法なことをするのか」という見方に立っていたら、インフォーマル経済のダイナミズムは永遠にわからないと思います。
ーー先生ご自身は、タンザニアと日本を行き来する中で、日本に戻ると違和感を覚えることはありますか?
小川:タンザニアで暮らして驚いたことは、人間の日々との営みって同じだということです。私の場合は、都市で同世代の人びとと暮らしてきたせいもありますが、日常的に話したり悩んだりすることはごくごく普通のことです。
 ただ、タンザニアは日本に比べると人間関係が非常に流動的で、もっとネットワーク的で風通しがいいように思います。
――というのは?
小川:まず余裕がある人からない人へサービスや物がなんとなく回っていき、自然なセーフティネットのようなものが出来上がっているんです。そうした人間関係からドロップアウトしない限りは生きていけるし、仮に他の人間関係に移ったとしてもまたそこでそうしたセーフティネットが機能しているから生きていける。
 しかもそうした関係を「みんなで助け合いましょう」という雰囲気でやっていないので鬱陶しくない。助けられる人も「自分ばかり助けられている」とならず、その場その場で回っている。
 日常の社会ネットワークのなかに負い目を感じないで助け合う仕組みがあるのだと思います。彼らのようにその日暮らしで未来を考えないことが幸せかどうかはまた別問題ですが、そうであっても生きていける仕組みとはなんなのかを追求することには意義を感じています。
――彼らの生き方を通して日本でも取り入れられそうなことはありますか?
小川:生活環境も価値観も違うので難しいですが、例えば生計多様化戦略はこれから日本の社会でも重要になるかもしれません。「1つの仕事で失敗しても何かで食いつなぐ」ような「その日暮し」な生き方は、いろいろな意味で設計合理主義に基づく未来優位な考え方を再考するキッカケになると思います。
 例えば、私たち研究者の世界では博士号を取得したくさんの業績さえ出せば、研究者として就職できるという状況ではないことが指摘されて久しいです。しかし一度決めた道で一直線に努力することを美徳として、寄り道も回り道も他への転戦もしてはならないかのような社会の価値観と制度的な制約はいまだに根強いです。様々な機会に身を開きつつ、いまできることで暮らしを成り立たせつつ、しかしいつでもどの道にも戻れる世界のほうが、ずっと風通しがいいと感じます。また最近、御社の「副業解禁」という記事を拝見しましたが、副業を通じて本業に新しいアイデアをもたらすという内容がとても興味ぶかかったです。「前へ前へ」という生き方が切り開く世界については、これからも考えていきたいです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7993 


 


【第21回】 2016年10月20日 原田まりる [作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター]
「妬み」の心によく効く、キルケゴールの教え

職場での不条理な場面や挫折において励みとなる“生きる意味”を追求した「実存主義哲学者」たちの教え。実存主義哲学を唱えた代表的な哲学者は日本人にも馴染み深いニーチェ他、ショーペンハウアー、キルケゴール、ハイデガー、ヤスパース、サルトルなど。実存主義哲学を代表する哲学の巨人たちが説いた教えと、いま一度向き合ってみてはいかがだろうか。
情熱が欠けると「妬み」が湧いてくる?
 実存主義哲学者のキルケゴールの言葉で「情熱をもって生きないと、自分の世界は妬みに支配されてしまう」というものがある。
 自分よりも仕事や人生設計が上手くいっている人たちに対し、妬みをもってしまうことはごくごく自然なことである。
 しかし、なぜこのような妬ましい気持ちが生まれるのか?
 キルケゴールは妬ましい気持ちが生まれてしまう原因のひとつに「情熱不足」を挙げている。
 つまり、仕事や人生の時間に対し夢中になれない状態=情熱が不足している状態において、人は妬ましくなるものであるというのだ。
 逆説的に考えれば「これが自分の生きがいだ!」と心から情熱を燃やせる対象があれば他人のことを妬ましく思う暇が無いということとも言い換えられる。
 他人が羨ましくて仕方がない、という心境に陥ってしまった場合我々が心がけるべきは「妬ましく思う自分を責める」ことではなく、「情熱を燃やせる対象」をみつけることなのだ。
精神が老いているほど昔話をしたくなる?
 またキルケゴールは「青年は希望に幻影を持ち、老人は思い出に幻影を持つ」とも提唱している。
 まだ気持ちが若い青年期は将来の可能性、未来の展望など「希望」のヴィジョンを膨らませ頭に描くが、精神が老いてくると「あの時はこうだったなあ……」と希望ではなく過去の思い出や昔であった出来事ばかりを頭に描きはじめてしまうものだ。
 体の衰えは受け入れていかなければいけないものであるが、精神性においては自ら若く保とうとすることが出来る。
 過去の出来事ばかりを振り返るようになったら、年老いたことを悔やむのではなく「希望」を描くことも重要となる。
放蕩を経験し「生きる意味」を見つめたキルケゴールの教え
 キルケゴールはデンマークの哲学者である。
 もともと裕福な家に生まれるが、家庭環境と父親との確執があり、絶望しながら放蕩の時期を過ごした哲学者でもある。
 生真面目で順当な人生ではなかったものの「自分にとって正しいことはなにか?」を熱心に追求し、自分が正しいと思う価値観を最後まで貫いた哲学者である。
 万人に共通する「幸せの答え」がない現代において、自分にとっての幸せの形と向き合い、生涯貫いたキルケゴールの教えには人生の指針となりえる、胸を刺す言葉がたくさんつまっている。

原田まりる(はらだ・まりる)
作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター
1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある

http://diamond.jp/articles/-/105073

 

テスラ、完全自動運転可能なハードウエアを全車種に搭載へ

[サンフランシスコ 19日 ロイター] - 米電気自動車(EV)メーカー、テスラ・モーターズ(TSLA.O)は19日、「モデル3」を含む生産中のすべての車に完全自動運転向けの新ハードウエアを搭載する方針を示した。

同社は声明で、新ハードウエアを搭載した「モデルS」と「モデルX」が既に生産中であることを明らかにした。

イーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は記者向けの電話会見で、8台のカメラと12の最新センサー、処理能力を高めたレーダーを含む新ハードウエアの価格が8000ドルになると明らかにした。ただ、完全自動運転を可能にするソフトウエアはまだ試験段階にあると述べた。

同氏は、2017年末までにはロサンゼルスからニューヨークまでハンドルに「一度も触れることなく」完全運転する自動車が実現するとの見通しを示した。

旧車種については、オートパイロット(自動運転)ソフトを引き続き改良するが、新ハードウエアがなければ完全自動運転はできないと説明した。

また、新ハードウエア搭載車はオートパイロットで走る旧車種に比べて当初はステアリングとブレーキのアシスト機能が劣っているが、12月までに同じ水準にする計画だと語った。

*内容を追加しました。
http://jp.reuters.com/article/ev-tesla-idJPKCN12K03E
 

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コメント
 
1. 2016年10月25日 18:25:11 : Oozg29Kcag : Qiiwq5NaXgQ[260]
ヒラリー・クリントン関係の記事を漁っていて、つぎの記述に興味をひかれた。

> 金融コラムニストのマーティン・ウルフ氏は、TPPに対する自身のスタンスを改めたことをスローター氏以上に明確化し、「現在の自由貿易体制では、民主主義を犠牲にしてウォール街のエリートが手にする利益が増大している」と主張した。

ヒラリー・クリントン氏の暴露された非公開講演は、大統領選の公約と大きく食い違っている
2016年10月09日 ハフポスト日本版
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/09/hillary-clinton-paid-speeches_n_12412908.html

マーティン・ウルフというのは、フィナンシャル・タイムズ紙のチーフ・エコノミクス・コメンテイター、つまりFT紙の主筆とのこと。それがTPPについての考えを改めたというのだ。ウルフの記事を適当に拾い読みすると、ダニ・ロドリックのトリレンマの話が出てきた。その話を最近どこで読んだんだっけと思ったら、この記事だった。

Capitalism and democracy: the strain is showing
To maintain legitimacy, economic policy must seek to promote the interests of the many not the few
August 30, 2016 by Martin Wolf (Financial Times)
https://www.ft.com/content/e46e8c00-6b72-11e6-ae5b-a7cc5dd5a28c


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