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「引きこもり国家」日本の悪法はバブル期の外圧で葬られた 残業改革に失敗する人 走れば脳は強く 幸せへの投資
http://www.asyura2.com/16/hasan117/msg/610.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 1 月 10 日 00:14:40: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

「平成元年」驚きの回顧録
2017年1月9日 和泉虎太郎 [ノンフィクションライター]

「引きこもり国家」日本の悪法はバブル期の外圧で葬られた

バブル崩壊まで、日本は真の国際化が進まないままだった。経済力の大きさで国際社会での存在感を増してなお、日本でしか通用しないおバカなローカルルールで運営されていた。しかしバブル期を境に、こうした閉鎖性が崩壊せざるを得ないような出来事が次々と起きていく。(ノンフィクションライター?和泉虎太郎)

アメリカに目の敵にされた
大規模小売店舗法

?江戸時代の日本は、諸外国との交流を拒絶した「引きこもり国家」だった。他の国の文化や制度を知る機会がないなかで、独自の社会構造、精神性を育んでいき、それはいまに続く日本人らしさの一部となっている。


デパートは18時で閉店、ヤミ米騒動...バブル期までの日本は、驚きの「ローカルルール」で運営されており、この時期を境に外圧によって大きく法制度も変貌を遂げていく?Photo:Fujifotos/AFLO
?しかし、開国と同時にグローバリゼーションの波にさらされたのではなく、バブル崩壊まで、日本は海外からの干渉を受けないままであった。

?敗戦国であるがゆえに、いわばハンデをもらって競争を勝ち抜き、高度成長を成し遂げたのだ。その過程では日本独特のルールができあがっていた。国際社会のリーダーには似つかわしくない平和ぼけ日本のおバカなローカルルールは崩壊の運命にはあったが、そのきっかけとなったのがバブルであった。

?1989年4月28日、アメリカ通商代表部(USTR、大統領直属の通商交渉機関)は、89年度の外国貿易障壁報告書(National Trade Estimate Report on Foreign Trade Barriers、NTEレポートと呼ばれる)を発表した。世界で一番偉いアメリカ様として、世界中の国の参入障壁にいちゃもんを付けるのであるが、なかでも思いっきり敵としてやり玉に上げられているのが日本である。

?背景には、アメリカの「双子の赤字」問題があった。80年代を通して、アメリカは財政赤字と経常収支赤字に直面し、その解決が国家的課題となっていた。要するに貿易でも儲けられない、国内経済は不況で税収は増えないというダブルパンチに苦しんでいた。「誰か悪者がいるんじゃないか――そうだ、赤字の原因を作っている日本がいけない!」という論理だ。

?それまでも鉄鋼、繊維、自動車など、個別に両国間で調整が図られてきたのだが、アメリカは「ひとつひとつ潰してもキリがない。どうやら国の仕組み自体が怪しい。目に見えないところでアメリカ製品を締め出しているんじゃないか」と考えた。

「日本は閉鎖的」
アメリカが名指しした34項目

?そして、報告書で指摘した状況に改善が見られなければ報復措置を取る(根拠となる法律がスーパー301条であり、後の新聞記事にこの名が頻繁に登場する)と、迫ってきたのである。同報告書で「日本市場は閉鎖的だ」と断言。その具体的な34項目がリストアップされている。曰く

「自動販売機を自由に設置さしてくんないからアメリカ製のタバコが売りにくい」
「政府発注の建設や電気通信は役人の腹ひとつ。公平に入札が行われていない」
「コンピュータのOSとして日本製のトロンを支援するって、マジかよ」
「日本の銀行は買収がやりにくくっていけない」
「特許の審査がトロすぎる」
「航空宇宙産業を政府が支援していいのかよ」

?などなど、「どの口で言う」といった部分もあるが、日本にとっても、国際社会との競争を続けるためには、いずれは解決せねばならない問題への指摘も含まれている。

?日本からも世界のアメリカ様へ「恐れながら」と、反論はした。

「企業の役員は報酬を取り過ぎじゃんか」
「いまどきメートル法使わないなんて、面倒くさくってしょうがないぞ」
「あんたの国の労働者は数学とか理科とか知らなさすぎる」

?などだが、間違いなく日本は押されまくっていた。

?特に問題とされたのは「大規模小売店舗法(大店法)の出店規制」「自動車部品の系列取引」「コメの輸入制限」であり、アメリカにも流れ込んでいた投機的な資金の源となっている地価高騰などだ。

?こうした問題を解決するために、二国間協議が89年から92年にかけて十数回開催されている。そのいくつかは、その後の日本を大きく変えるきっかけになっている。それが大規模店舗法だ。

大規模店に理不尽な
規制をかけていた

?百貨店やスーパーなど規模の大きな小売店舗は、中小の商店を守る目的で施行された大店法による各種の規制を受けており、営業時間についても地元商業関係者の了解を得る必要があった(その決定を下す場を商調協、商業活動調整協議会という)。大規模店舗の出店に強力な規制をかけていた同法が2000年に廃止されるまでは、こんなことが起きていた。

?京都商工会議所は7月24日、市内の六百貨店(大丸、高島屋、近鉄<京都・西京都>、阪急、藤井大丸)の営業時間を1時間延長する申請通りの答申を出している。この答申が出たことで、初めて百貨店は他都市並みに全館午後7時まで営業できるようになった。

?ということは、京都ではそれまで、百貨店が6時に閉店していたわけで、仕事を持っていたら平日の買い物はまず不可能。しかも、営業時間を決めていたのは地元の経済団体という他人様だ。それでも流通業として経営が成り立っていた良い時代とも言えるが、感覚的には民間の商業施設というよりは役所に近い。法律でそうせざるを得なかったのである。

?ちなみに、現在はどうかというと、近鉄(2店舗)と阪急は閉店、大丸、高島屋、藤井大丸と、後から出店したJR京都伊勢丹は揃って20時まで。営業時間は規制しなくても落ち着くところに落ち着くものである。

?こんなコトも発覚している。1989年12月3日の日本経済新聞が報じたところによると、ビックカメラとカメラのさくらやが渋谷の出店に際して、地元の時計宝飾品販売店の組合との間で、新製品の販売価格を2割引き以内に納めるという取り決めを口頭でかわしたという。それが大店法が求める地元商店街との合意の条件であった。

?間が抜けたことに、独禁法に抵触しかねない微妙な口約束を組合の広報紙に書いたのみならず、「他の組合も渋谷方式を」と宣伝しているのだから脇が甘い。

?コトの発覚後、店も組合も自主判断であることを強弁したことで、独占禁止法違反には問われなかったようだが、それよりも、一流通業者である大規模店舗の営業時間や出店計画(それを背景にした価格決定)の決定権限を第三者が持っているという部分への違和感である。

?現在の感覚から見ても「どうかしている」という日本の商慣行、アメリカがやり玉に上げたくなる気持ちはよくわかる。というか、明らかに日本の法律は間違っていた。

ヤミ米、食管法…
歪んだ農政の抱える闇

?89年12月にひと騒動が報じられているのが、秋田県大潟村のヤミ米問題である。
?
?12月中旬、食糧庁は大潟村の自由米(ヤミ米とも呼ばれた)販売を始める市民団体から事情聴取、注意を喚起している。実はこの年の秋口から、食糧庁と全国農協中央会はヤミ米追放に躍起となり、食糧管理法に基づく農家への立ち入り調査、刑事告発もちらつかせるだけなく、流通ルートを止めようとヤマト運輸にまで圧力をかけた。

?今となっては分からない単語がぽんぽん出てくる。

「食糧庁」とは主にコメに関する行政事務を扱う農水省の外局で、2003年に廃止された。「食糧管理法」とは、1942年、戦時下において主食であるコメやムギなどの安定供給を目的として創設された食糧管理制度(略して食管制度)の根拠法。この法の定めによって、コメは農協を通じて最終的には政府が公定価格で農家から買い取り、卸売り業者に払い下げられていた。

?この買い取り価格が生産者米価、払い下げ価格が消費者米価と呼ばれ、それぞれ自民党農林族と政府との交渉で決められていた。特に生産者米価は農家の「売上高」に直接影響するだけに、農家と農協の関心は極めて高く、それが故に利益代表者でもある自民党農林族との繋がりも極めて強固だった。いまではTPPでミソを付けたが、かつて地方で自民党が強かったというのは、この米価決定における相互依存から生まれたものだ。

?さらに、払い下げよりも高い買い取り価格を自民党が強硬に求めたというから、農家も自民党も強欲極まりない。国の食管会計は逆ざや状態が長らく続いた。高く買って、安く売る、赤字は税金で補填。戦後の日本はコメに歪められていたのである。

政府に反旗を翻した
秋田県大潟村

?さて、次の言葉は「ヤミ米」である。当時、コメには政府価格米と自主流通米と自由米(ヤミ米)が存在した。自主流通米とは1969年にスタートした制度で、農協が価格を自由に決めて、直接、卸売業者に販売できるというもの。よりよいコメを、より高く売りたいという農業者側の求めで生まれたものだが、農協が介在する流通部分は政府価格米と同じ。政府自民党のコントロールが利く農協がさじ加減できるという意味で、管理された中での自由であり市場原理であった。

?自由米がヤミと呼ばれる理由は、そうした管理から外れて、農家が直接消費者にコメを販売するからである。これはコメ農家と農協と政府と自民党で形成された強固な秩序に対する反乱でもある。

「大潟村」という村名もよく分からないだろう。この村は、かつて秋田県にあった日本で2番目に広い湖・八郎潟を埋め立てて1964年に生まれた新しい村だ。食糧増産が国家的課題だった終戦直後に、大規模農業を本格的に行うモデル農村として計画された。ところが間の悪いことに、完成して間もない1970年、国の農政は減反にカジを切る。

?そんなバカなと、大潟村は敢然として反旗を翻す。大潟村で収穫されたブランド米、あきたこまちを食糧庁・農協の指導に従わずに、市民団体を通じてどんどん出荷し始めたのだ。これが大潟村のヤミ米騒動である。

?当然のことながら、こうしたいびつな制度は国の負担を増し、自由な市場形成を妨げる。そして世界のアメリカ様から、非関税障壁としてやり玉に挙げられることになる。

?そもそも戦時下の食糧安定という制度が、戦後50年が経とうとするところで必要であるはずもなく、1995年に食管制度は廃止となった。
http://diamond.jp/articles/-/113533


 

 
残業ゼロがすべてを解決する
【第20回】 2017年1月9日 小山 昇
残業改革に成功する人、失敗する人

電通過労自殺事件で強制捜査が入ったいま、中小企業も大企業もお役所も「残業ゼロ」に無関心ではいられない。
小池都知事が「夜8時には完全退庁を目指す」、日本電産の永守社長が「2020年までに社員の残業をゼロにする」など、行政も企業も「残業ゼロ」への動きが急加速中!
株式会社武蔵野は、数十年前、「超ブラック企業」だった。それが日本で初めて日本経営品質賞を2度受賞後、残業改革で「超ホワイト企業」に変身した。
たった2年強で平均残業時間「56.9%減」、1.5億円もの人件費を削減しながら「過去最高益」を更新。しかも、2015年度新卒採用の25人は、いまだ誰も辞めていない。
人を大切にしながら、社員の生産性を劇的に上げ、残業を一気に減らし、過去最高益を更新。なぜ、そんな魔法のようなことが可能なのか?
『残業ゼロがすべてを解決する』の著者・小山昇社長に、「残業改革に成功する人、失敗する人」について語ってもらおう。

基本給の金額を上げる(ベースアップ)


小山昇(Noboru Koyama)
株式会社武蔵野代表取締役社長。1948年山梨県生まれ。日本で初めて「日本経営品質賞」を2回受賞(2000年度、2010年度)。2004年からスタートした、3日で108万円の現場研修(=1日36万円の「かばん持ち」)が年々話題となり、現在、70人・1年待ちの人気プログラムとなっている。『1日36万円のかばん持ち』 『【決定版】朝一番の掃除で、あなたの会社が儲かる!』 『朝30分の掃除から儲かる会社に変わる』 『強い会社の教科書』 (以上、ダイヤモンド社)などベスト&ロングセラー多数。
【ホームページ】http://www.m-keiei.jp/

?わが社は、残業削減によって利益が出たので、社員の基本給を「ベースアップ」しました。
「春闘で基本給を一律5000円上げた」といった企業もありますが、これはベースアップではなく「ベア」です。「ベースアップ」と「ベア」は違います。

「ベア」とは、基本給を全員、一律の金額で上げること。
「ベースアップ」とは、基本給の賃金テーブルで基本となる金額を変えることです。

?ベアは、職責が高い人も低い人も同じ金額しか上がりませんが、ベースアップをすれば賃金テーブルが変わるので、職責が高くなるほど、基本給の支給額が上がります。

人件費を減らして
利益を増やす発想はダメ

?多くの社長は、「どうしたら、お金を払わずに働かせることができるか」を考えます。
?でも、私は違います。
?たくさん給料を払ってでも、「生産性の高い仕事をさせる」ことを考えています。

「短時間でたくさん給料を払ってくれる会社」と「給料は少ないのにたくさん働かされる会社」では、間違いなく、前者のほうが従業員の定着率は上がります。
?多くの会社は、「人件費を減らす」ために残業問題に取り組んでいます。
?でも、「人件費を減らして、会社の利益を増やす」ことを目的にしてはいけません。

?わが社は、「労働時間を減らしながら、生産性を上げる」「社員の可処分所得を増やす(減らさない)」「社員教育に投資してスキルアップを図る」「社員の健康を守る」など、職場環境をよくするために残業削減に取り組んでいます。

?その結果、残業が減って売上等がアップしている。

?多くの社長は、「安い給料で、能力が高い人を雇おう」とします。
?一方で多くの社員は、「自分の能力以上に、高い給料をもらおう」とします。

?武蔵野は、「社員の実力どおりの給料」を支払っています。年齢や職責にかかわらず、がんばればがんばるほど収入が増える仕組みは、わが社の給料体系の大きな特徴です。

?成果が出なければ基本給の昇給は少なくなり、成果が出れば、昇給額が倍の金額を受け取ることができます。

?ある年、賞与を一番多くもらった人と、一番少なかった人とでは格差が「72倍」でした。チャンスは平等に与え、そして成績によって差をつける。これが本当の公平です。

?人事評価の詳しい仕組みについては、拙著『儲ける社長の人事評価ルールのつくり方』(KADOKAWA)をご参照ください。

小山昇(Noboru Koyama)
株式会社武蔵野代表取締役社長。1948年山梨県生まれ。日本で初めて「日本経営品質賞」を2回受賞(2000年度、2010年度)。2004年からスタートした、3日で108万円の現場研修(=1日36万円の「かばん持ち」)が年々話題となり、現在、70人・1年待ちの人気プログラムとなっている。『1日36万円のかばん持ち』 『【決定版】朝一番の掃除で、あなたの会社が儲かる!』 『朝30分の掃除から儲かる会社に変わる』 『強い会社の教科書』 (以上、ダイヤモンド社)などベスト&ロングセラー多数。
【ホームページ】http://www.m-keiei.jp/

http://diamond.jp/articles/-/109810


 

要約の達人 from flier
【第27回】 2017年1月9日 flier
「走る」ことでなぜ脳が活性化されるのか『走れば脳は強くなる』

毎日、運動をしているか?
要約者レビュー

?運動習慣をいかに生活に組み込むか――便利になりすぎた現代社会において、運動はもはや国民的課題とすらいえる。実際、健康維持のために運動習慣が必要だと認識している人は多いだろう。


『走れば脳は強くなる』
重森健太
192ページ
クロスメディア・パブリッシング
1280円(税別)
?だが、本書『走れば脳は強くなる』はさらにそこから運動の必要性を掘り下げる。特に、脳への刺激と活性化という観点から、走ることの有用性について突きつめているのが興味深い。本書によれば、走ることによって、記憶力や集中力、発想力など、仕事で成果をあげるために欠かせない能力が鍛えられるという。忙しいからといって、長時間デスクに向かっているよりも、外に出て短時間でも走るほうが、かえって効率的だというのが著者の提言だ。読みすすめていくうちに、「すぐにでも走りたい!」と思ってくるに違いない。そういう意味で、モチベーションを向上させるという意味でも、役に立つ一冊なのは間違いない。

?とはいえ、いきなりランニングやジョギングとなると、大変そうだというイメージもあるかもしれない。しかしご安心あれ。本書は、負荷のかかりかたを適切にコントロールするためのプログラムの組み方をしっかりと紹介している。それにしたがえば、負担がかかりすぎたり、逆に負荷が軽すぎて効果が出なかったりということも避けられるはずだ。

?無理なく効果的に走る方法を知り、体と脳機能を向上させるための第一歩を、本書とともに踏み出してみてはいかがだろうか。 (竹内)

本書の要点

・有酸素運動、とりわけ走ることには、脳に刺激を与え、活性化させるという利点がある。
・走り方に工夫を加えることで、記憶力や集中力、発想力といった、ビジネスにおいても重要な力をさらに鍛えることができる。
・走ることのメリットを充分に享受するには、適切な運動強度、運動する頻度、距離などの設定が大切である。
・走ることを生活習慣としてライフスタイルに組み込み、それを続けていくためには達成感を感じて自信をもつことや、周囲のサポートを得ることがポイントとなる。

要約本文

◆脳を退化させないために
◇現代人の生活には要注意

?現代の私たちの生活スタイルは、脳の活性化という意味ではあまりいいものだとは言えない。乗り物やエレベーター、エスカレーターを使った移動にくわえ、職場でも家でも座り姿勢でパソコンやスマートフォンに向かう毎日。このように体を使わずに過ごしていると、脳に刺激がいかず、少しずつ退化していってしまう。

?脳を活性化させるためには、運動は必要不可欠だ。なかでも、有酸素運動には脳の老化を遅らせるはたらきや、記憶力・集中力を高めるはたらきがあることが近年の研究からわかった。一方、脳の活性化というと、いわゆる「脳トレ」といったゲームやパズルを思い浮かべる人も多いかもしれない。だが、これらに取り組んでも単純にそのゲームの技能が高まるだけで、脳への刺激になるとは言いがたい。

◇走ることはよいことずくめ

?人は体を動かすと、脳が刺激されてそのはたらきも活性化される。特に、走ることで記憶を司る「海馬」と、集中力や思考力、感情といった重要な司令を出す「前頭葉」が活性化する。これらはまさに、仕事のパフォーマンスを上げるために直結する重要な能力である。

?走ることで脳の刺激となる理由は、筋肉を動かすことで血行がよくなり、多くの酸素が脳に運ばれ、脳細胞が増えるからだ。足には多くの筋肉があるため、「走る」ことが脳の活性化に特に有効だという。実際、有酸素運動を続けたことで海馬の容量が大きくなったという研究や、有酸素運動が脳のなかで新しい神経細胞を生み出すという研究もある。

?さらに、走ることはストレスへの抵抗力も生みだす。これは、走ると「セロトニン」というホルモンが分泌されてポジティブな気分になったり、「ガンマアミノ酸(GABA)」が分泌されることで、不安感が解消されたりするためだ。適度な運動を日常的に行うことで、うつ症状が改善されたという研究報告もある。

【必読ポイント!】

◆脳を鍛える走り方
◇最適なスピードを知る

?走ることで脳を活性化させたいと思っても、適当なスピードで走っていたら大きな効果は得られない。ポイントは運動強度、つまり「走っているときに体にどれくらいの負荷がかかっているか」ということにある。

?運動と脳に関する研究結果から考察すると、「運動強度60〜80%のランニングを1日20〜30分×週3回×3か月」行うのが、脳に適度な刺激を与える走りかたの基準であると言える。運動強度や活動力を記録・測定できるツールを活用しながら、自分にとって最適なペースを見出してみてほしい。

◇脳を効率よく鍛える

?走ることで脳のはたらきを活性化させたいのであれば、基本となる運動強度を守ること以外にも、もう一工夫加えていきたい。

たとえば、新しいルートを見つけたり、道の途中にある建物を覚えたりしながら、自分のランニングルートマップを作ると、記憶力の向上に役立つ。また、走りながらすれ違う人の顔の特徴を観察し覚えるというトレーニングも効果的だろう。体を動かすと記憶力が上がるため、勉強は走ったあとにするのがお薦めだ。

?集中力を鍛えたいのであれば、走りながらひとりじゃんけんをするなど、2つのことを同時に行う「デュアルタスク・トレーニング」を行なうといい。そうすれば、前頭葉が活性化される。このトレーニングは、ランニングにかぎらず、ウォーキングや階段昇降と組み合わせやすいので、日常生活にも取り入れやすいだろう。

?一時的に発想力を高める走り方もある。駆け足や階段ダッシュなどの、運動強度90%の走りを3〜5分行ったり、時間があれば軽く散歩やジョギングをして体を動かしたりすると、じっと机に向かって動かずにいるよりも発想力が高まりやすい。

?また、日ごろのランニングの際に、「今日は看板に着目してみよう」などとテーマを決めて走ってみると、普段気にしていなかったものにも目が行くようになり、新たな発見もできるだろう。

?思考力を高めるには、走った後にストレッチなどの整理運動が欠かせない。クールダウンすることで、筋肉内の血液が脳にもめぐり、頭がすっきりするようになる。ほかにも、走っている最中に目に入る景色について、「なぜだろう?」と考えてみるのも、思考力を高めるために役立つはずだ。

?判断力を鍛えるためには、ここまで紹介してきた記憶力、集中力、発想力、思考力を鍛える走り方を実践することが近道となる。特に、情報収集しながら走るという癖は重要だ。状況判断力が磨かれると同時に、引き出しやネタが多くなる。

?また、マラソン大会に出るという目標をもつこともトレーニングとなる。判断力には「計画性」や「自信」が欠かせない。目標を立てて実行し、成功体験を味わうことで、自信が生まれ、判断力の強化につながるというわけだ。

◇走れないときにも工夫を

?数多くのメリットがあるランニングだが、忙しくてなかなかできないこともある。そういう場合は、「インターバル速歩」がおすすめだ。「大股でできるだけ速く歩く」のを3分間、「じゃんけんをしながら大股でゆっくり歩く」のを3分間、交互に行いながら、30分間ほど歩く。すると、前頭葉と海馬が同時に鍛えられる。

?負荷が軽いため、日常生活にも取り入れやすいお得なエクササイズだと言えるだろう。普段あまり運動をしない人や、体力がない人でも簡単に続けられるはずだ。

◆知って得する走り方のコツ
◇いつ走るか

?走ることの効果が大きいのは朝の時間帯だ。だが、昼や夜に走ることにも相応のメリットはある。自分の目的に照らし合わせて、走る時間帯を選択したい。

?朝のランニングには、脳の覚醒効果がある。そのため、1日のパフォーマンスがアップするだけでなく、その日の早いうちに基礎代謝が上がるため、ダイエット効果も期待できる。

?朝走れない場合でも、昼休みの後や午後の仕事の前に、20分ほど走ると脳に酸素が運ばれ頭がすっきりする。夜のランニングであれば、睡眠時間中に成長ホルモンが多く分泌されるため、筋肉アップが期待できるだろう。

?また、食前に走れば脂肪燃焼の効果が期待できるし、食後に走れば血中に栄養が満ちているので運動効率はよくなる。食前に走るか食後に走るかも、目的に合わせて選べばよい。ただし、食事の直後2時間は、走ることを避けた方がよい。

◇どのくらい走るか

?どのくらい運動すればよいのかという疑問に答える研究結果がある。ダイエットとして走るのであれば、1週間に約12.8km走れば充分だという。これを1日換算にすると、約2kmということになる。そうすれば、体重は維持できるというわけだ。今よりもっと減量したいのであれば、さらに走る距離を伸ばすなど、自分の目標に合わせて調整すればよい。

?ウォーキングの場合、1日1万歩が目安になる。座り仕事をしていると、なかなか達成するのが難しいかもしれないが、なるべく歩く機会を増やして1万歩をめざしたいものだ。目標の決め方については、距離だけでなく、運動強度も参考に入れたほうがいい。

?また、「カルボーネン法」と呼ばれる手法を用いれば、どのくらいの心拍数で運動すればよいかの目安がわかるので参考にしたい。これは目標心拍数=(最大心拍数―安静時心拍数)×運動強度+安静時心拍数で数値を割り出す、最もポピュラーな方法だ。

?計算するのが面倒な場合は、「ボルグスケール」を使うのが妥当だろう。これは、体にかかる運動負荷を、「きつさ」という主観で測定するもので、全身持久性の測定・評価や、有酸素運動時における効果的な強度設定の際に有用だと言われている。

◇どう走るか

?走る前後に欠かせないのが、怪我や疲労を防ぎ、運動効果を高めてくれるストレッチだ。ただ、走る前と後でまったく同じストレッチをしてしまうのはもったいない。

?走る前の場合、ストレッチと筋トレが同時にできる「PNF」という手法がお薦めである。ストレッチと筋トレを同時に行なうような動きをするので、通常の伸ばすストレッチをやるよりも、短時間で体をほぐすことができる。特に、寝起きの体をできるだけすぐに走れる状態に持っていくには大変有効なやり方だ。逆に、走った後はゆっくりと通常のストレッチで、筋肉を伸ばし疲れをためないようにしよう。

?また、脳機能を高めるという意味では、ひとりで走ったほうが効率がよいと言える。たしかに誰かと一緒に走れば楽しいかもしれないが、自分のペースを保ちにくくなってしまう。あくまでも、自分の強度やペースに合わせたランニングを心がけよう。

◇どうやって続けるか

?方法論がわかっても実行し、継続することができなければ効果は出ない。効果を期待したけれ、週3回のペースで走ることを継続したいものだ。

?そのためには、まず小さな目標から始めて、「達成できた」という成功体験を積み重ねることが重要である。くわえて、「モデリング」も効果的だ。モデリングとは、自分と似ていると思われる「モデル」となる人が、うまくいっているのを見聞きすることである。モデルを見つけたら、その人にランキングのコツを聞いてみるとよい。そうすることで、「自分にもできそうだ」と自信を持てるようになる。

?さらに、周囲からの応援、いわゆる「ソーシャルサポート」があったほうが運動は続けやすい。ソーシャルサポートは(1)道具的サポート、(2)情報的サポート、(3)情緒的サポート、(4)評価的サポートの4つに分類される。習慣化のコツは、こういったソーシャルサポートをいかに力に変えるかである。周囲からの助けをうまく活用したい。

◆今日から実践するために
◇走ると寿命が伸びる

?走ることは健康や寿命の長さにもよい影響を与える。ある研究では、高齢になった時に歩く速度が遅い人は、歩く速度が速い人に比べ、寿命が短いという結果が出ている。また、適度な有酸素運動をさせることで、高血圧や糖尿病の発症率が低下したという研究や、スポーツをしている人のほうが免疫力は高いという報告もある。他にも、骨が強くなる、熱中症にかかりにくくなるなど、体へのメリットは数え切れない。

◇走ることをライフスタイルに組み込もう

?走ることには、脳にとっても体にとってもよいことが数多くある。それでもなかなか始めづらいという人には、ウォーキングからスタートすることをお薦めする。

?ウォーキングは足首や膝への負担が少ないため、運動に慣れていない人でも始めやすいのがメリットだ。ただし運動量も少ないため、もっと効果を得たいと思ったら、ウォーキングに慣れてから徐々にジョギング(1kmの距離を5分以上かけて走る)に移行しよう。ランニング(1kmの距離を5分以内で走る)までいくと、体への負荷が高くなるため、慣れていないと長続きしない可能性がある。自分のペースで上手にジョギングを続けることで、「走ること」をうまく自分のライフスタイルに取り入れ、より健やかな脳と体を手に入れてもらいたい。

一読のすすめ

?図解やイラストが効果的に用いられていることもあり、まさに走ることの入門書という一冊である。これから運動を始めたいという人にはもちろん、走ることを習慣にしている人にも、ぜひ一読をお薦めしたい。本書を読めば、走ることがどれほど意義深いことなのかを実感できるようになるはずだ。

評点(5点満点)?


※評点基準について
著者情報

重森 健太(しげもり けんた)

?関西福祉科学大学教授、博士(リハビリテーション科学)。1977年生まれ。理学療法士。聖隷クリストファー大学大学院博士課程修了。ヒトの運動機能を多方面から分析する研究、および脳科学の視点から認知症者の評価及びアプローチに関する研究に取り組む。聖隷クリストファー大学助教などを経て、2011年4月から現職。2014年関西福祉大学学長補佐、2015年同大学地域連携センター長を兼任。また、日本早期認知症学会代議員、NPO法人ハタラク支援協会理事長、NPO法人播磨認知症サポート顧問、重森脳トレーニング研究所所長などの役職でも活動している。主な活動として、エクササイズを用いた脳トレーニングの啓発活動や認知症の介護家族を対象とした「つどい場」、脳トレーニングアプリケーションソフトウェアの開発、社会復帰のためのハタラク支援活動などを展開している。前頭葉、海馬、頭頂葉に特化したエクササイズが人気。
http://diamond.jp/articles/-/113531


 
五輪を機に生まれた「幸せへの投資」事業とは?

ロンドン発 世界の鼓動・胎動

ロンドンに見る五輪レガシー〜幸せへの投資編(上)
2017年1月10日(火)
伏見 香名子
 2012年のロンドン大会を通じて五輪の「レガシー」について考えるシリーズ。「ボランティア編」と「地域開発編・巨大滑り台」の動画のバックには、「White Light(ホワイト・ライト)」という曲を使用している。これは、オリンピックにインスパイアされて書かれた曲だ。作曲したのはロンドン在住のアーティスト、ベン・ブリックスリー氏(30歳)。本名はベン・ブラウン氏だ。ブラウン氏は2012年ロンドン大会における文化プロジェクトに自作した「ホワイト・ライト」を提供するなどして貢献。英エリザベス女王やポール・マッカートニー氏から表彰された。こうした活動をきっかけに聖火リレーにも参加している。

 五輪にインスパイアされて生まれたもう一つの曲「Indelible Fire(忘れ得ぬ炎)」を演奏してもらった。(動画)

 ロンドン大会は人生を変え、また辛い時期を支えてくれたものでもあったとブラウン氏は語ってくれた。現在、五輪を契機に生まれた事業「スピリット・オブ・2012」というNPOに、ブラウン氏は勤務している。「幸せに投資」するというこの事業は、一体どんなものなのか。前編は、2012年当時、まだ学生だったブラウン氏に聞く。

まず、「Indelible Fire」という曲について教えてください。

ベン・ブラウン氏(以下ブラウン氏):Indelible という言葉には「足跡を残す」という意味もあります。ロンドン大会の締めくくりを飾るための文化イベント用に依頼された曲でした。いろいろな比喩はあるのですが「五輪の炎が消えても、その火花は人々をインスパイアし続ける。そして、その人たちがまた何かを成し遂げ、それがまた誰かをインスパイアしていく」というものです。Indelible Fire の中には、「世界は太陽の周りをめぐる/人生の光を紡ぐ」という歌詞があります。めぐりめぐる光の糸とでも言うのでしょうか。炎は世界各地で受け継がれ、人々をインスパイアし続けていく。この曲は大会の集大成として、イングランド北西部で演奏しました。

どんなことをイメージして書いた曲なのでしょうか?

ブラウン氏:光に関連する多くのことですね。消えゆく炎と、そこから派生していく火花たち、そこからさらなる光が生まれていく。歌詞には「瞳の中の炎/男の子と女の子の目/それが世界をつないでいく」というものがあります。それは、大会を見てインスパイアされる人たち、参加する人たち、そして、その人たちがもっと多くの人々をつないでいく姿をイメージしました。

 人生は困難なもので、一人ひとりが歩む道のりは楽なものではありません。しかし、私は「自分の中の光が、導きとなるように」と書きました。「炎を灯せ」という言葉も歌詞に入れました。炎は永遠に、あなたの中で燃え続ける、という意味を込めて。火花は自分の外側から受け取るものですが、内なる心に火を灯し、そして他の人たちをインスパイアしていくのです。

 曲の中盤では、大会中に実際に起きたことを基に書いています。「湖に命の火が灯り」というのは、北部イングランドであった花火のことで、湖がライトアップされていました。「夜空に浮かぶ虹」というのは、(北部の街)プレストン上空にかかった虹。「不死鳥が再び舞う」というのは、大会がまた他の国で開催され、消えない炎を起こすこと。五輪がさらに人々をインスパイアし続けることを意味します。

草の根の活動が認められて聖火ランナーに

ブラウンさんは、楽譜が読めないのですよね?

ブラウン氏:耳で作曲しています。リバプールのパフォーミング・アーツ研究所で音楽を学びましたが、楽譜は読めないのです。読めるようになりたいのですが(この曲を譜面にしてくれと言われても)できないのですよ、書けないのです。あれが譜面になっていて、目の前にあっても分からないと思います。

 ブラウン氏は6〜7歳の頃、ピアノを習い始めた。家には常に何かしら楽器があり、両親も音楽を志すことを勧めたと言う。大学生になったブラウンさんは、五輪開催に共鳴を受け「バルーン」という五輪の価値観について書いた曲を作曲し、友人らと共に大学で「バルーン・プロジェクト」を立ち上げた。歌や踊りなど、アートを通じて五輪の理念を、小・中学生や、若い人たちと共に共有しようというものだ。

 当初は2日で終わるはずだったが、次第に多くの人たちがコーラスなどで関わるようになり、3年にもおよぶ大プロジェクトに発展した。これがイングランド北西部の文化オリンピアード担当者の目に留まり、地域の五輪文化フィナーレのイベントの一部となるべく「忘れ得ぬ炎」の作曲を依頼された。

 この功績が認められて数々の賞を受賞するに到り、ブラウンさんは聖火ランナーにも抜擢された。
ブラウン氏:(聖火ランナーには)同僚に推薦されました。コミュニティに変化をもたらしている人を推薦するというキャンペーンがあって、ノミネートされたのです。幸運にも選んでいただき、走者となることができました。すごいことでした。

 当時運営していたプロジェクトが大きかったと思います。若い人たちを、アートを通じてインスパイアするもので、これからどう人生を輝かせるか。五輪の持つ価値観を反映し、モチベーションや献身性を養うといった試みに大勢の人たちが参加し、彼らを巻き込んでいたので、これが功を奏したのかなと思います。

聖火ランナーとしての経験はどんなものだったのでしょうか?

ブラウン氏: 二度とはない、一生に一度の体験ですね。数百人の人たちが応援してくれるという、ものすごい体験で象徴的なできごとでしたが、記憶がぼやけてしまっていてはっきり覚えていません。大勢の人たちが歓声をあげ、大きな誇りを感じたことを覚えています。自分のやっていることをこんな形で認めてもらうことはめったにないですし、英国の大会では、全国から様々なことを達成した人たちをノミネートするという状況だったので、とてもインスパイアされました。

 リレーでは、前の走者が自分のトーチに火を灯してくれます。この時「ものすごい瞬間だ」と感じました。人々の叫び声もすごかった。動悸も、そして走りも早すぎて、一瞬で終わってしまった気がします。とても誇りに感じた瞬間でした。できることならもう一度くらい走って、その感覚を記憶したいですね。

オリンピックが人々に「つながり」を生む

五輪はブラウンさんにとってどんなもので、また、一番印象に残っているのはどんなことでしょうか?

ブラウン氏:他に比べようのない、大きなイベントでした。スポーツの盛大なイベントであったことはもちろん、文化オリンピアードもありました。また、ものすごい数の国々と人々を一つにし、テレビ観戦だけでも、あんなに異なる文化を目のあたりにできるものは、他に考えられません。私自身、スポーツはしていませんでしたが、多くの人同様4年に一度、観戦したり、(ロンドン大会では)聖火リレーに参加もしました。オリンピックは、自分の成長とともにあったものでした。(印象に残っているのは)聖火、そして聖火台です。スピリチュアルで神秘的、そして、純粋な炎だと感じます。

五輪ではどんな「スピリット」が生まれたのだと思いますか?

ブラウン氏:皆がある目的を分かち合っていた、ということかもしれません。人々の間につながりができたことは、大きかったと思います。世間話をする理由とつながりができた、というか。ロンドンはがらりと様変わりしました。街中を、五輪の輪を見かけずに歩くことはできませんでしたし、ロンドンだけでなくマンチェスターやリバプール、国中が五輪で彩られていた。だから、人々には、互いに話をする理由ができたのです。

 例えば地下鉄で誰かが転んだり、酔っ払いが騒ぎを起こしたりすると、人々はそれを「分かち合う体験」として、そこに関わろうとするのです。ロンドンでは従来、他に誰も乗っていない地下鉄の車両で一人座っているところに、突然誰かが隣に座ってきたら「なんでここに座るんだ!」という意識でいたと思うのですが、この壁が壊され、つながりというものが生まれたのだと。こうしたことが、大きな大会ができる、とても特別なことだと思います。

大会開催は、どんな感覚を呼び起こしたのでしょうか?

ブラウン氏:多くの人たちをインスパイアしたのだと思います。スポーツを通じ、選手たちが成し遂げた偉業を見て、彼らにインスパイアされる。人々の心の炎を灯し「自分にも何かができる」と思わせる。スポーツでなくても良いのです。特にパラリンピックを見ていると、選手たちが壁をどんどん壊し、ものすごいことを達成している。そこに自分の人生を重ね合わせてみるのです。「僕にだって何かできるに違いない」と。

 スポーツでも良いのですが、人々が必ずしもアスリートとしてではなくとも、日々の生活においてインスパイアされました。私は特にそうです。英国チームの凱旋を見ているだけで、スポーツ参加者の増加につながります。測定するのは難しいことですが、例えばスポーツを見たり、音楽を奏でたり参加したりすることで、その人の中にある何かを触発し、そこから自分自身のための「何か」につながっていくのだと思います。オリンピックもパラリンピックも、変化を起こすそうした大きな力を持っていると思います。

レガシーとして続く「幸せへの投資」

 五輪に感化されたブラウンさんは、その後「スピリット・オブ・2012」という英国のNPO団体で、ブランド・コミュニケーションおよびプログラム・オフィサーとして働いている。「スピリット」は、2012年ロンドン大会の精神を社会に継続していく、という活動だ。「幸せに投資する」という旗印のもと、宝くじ収益の一部を慈善活動に配分する「Big Lottery Fund」からの資金を財源に、英国各地の慈善団体やプロジェクトを支援している。
ブラウン氏:2012年、聖火ランナーの経験が終わった後、大学を卒業し、2年ほど、子供たちにコーラスを教えるなど、音楽活動をしていました。とても楽しかった。その後、リバプールのイベントなどで演奏もし、そうした活動がとても好きで、フルタイムで音楽活動をしていました。

 現在は英国の「スピリット・オブ・2012」という団体で働いています。スポーツやアートを通じて「つながりを生む」「人々をつなぐ」ということが目的です。五輪の精神、2012年ロンドン大会の精神を受け継いでいこうと、様々なプロジェクトや組織を資金援助しています。(支援するプロジェクトは)スポーツ、アート、ボランティア、社会的活動と多岐にわたりますが、こうした活動を通じて人々の健全性・幸福感を増幅させようというものです。

 最終的には、ロンドン大会がしたように「人々を一つにする」ということが目的です。大勢の人たちが一つになって、スポーツやアートなど同様の目的を持ち、幸福感を増幅する。そして、人々の人生を改善していくのが狙いです。もちろんすべての国民とは言いませんが、オリンピックはイギリスという国を「浮上」させたと思います。

 例えば、通勤などの地下鉄車内で、見知らぬ人たち同士が会話を始めることが多く、こんなことはロンドンではそれまで絶対にありえませんでした。2012年、ロンドンで起きたことは、実態がつかめるものではないのですが、イギリス各地で起きた「あのこと」を、私たちの団体では再現しようと試みています。様々なイベントを通じて、変化のきっかけ作りをするなど、ともかく、人々を一つにする。一緒にやれば、気持ちも高揚する、というねらいがあります。

 また、活動の根幹に「障害に対するマイナスイメージを払拭する」という目的もあります。これは、パラリンピックがきっかけとなりました。このとき「スーパーヒューマン」という概念が生まれ、障害で「できないこと」ではなく、障害があるからこそ達成できることが注目されました。これが、私たちの原点となりました。

 この仕事では、常に自分の見識に挑戦しています。例えば、私の知識が及ばず、精神的な障害を持つ人が、実は舞台演出において素晴らしい振り付けができることをまったく予期していなかったこともあります。実際に目にするまでは、きっと不可能だろうと思ってしまうのですが、こうして、わたし自身の見識も変えてくれるのです。

支援先はどのような団体ですか?

ブラウン氏:わたし自身が受け持っているのは3つの団体で、一つは人々を、音楽を通じて一つにするというもの。異なる年齢層を一緒にして、世代間をつなぐ目的があります。これがプリマスでやっている事業「プリマス・ミュージック・ゾーン」です

 もう一つは「ビーコン・ヒル・アーツ」という映像会社で、学習障害や自閉症の人たちと一緒に活動しています。障害を持つ人々を、もっと映像産業で活用しようというもの。英国の映像産業で、こうした障害への見解を変えるという意味では、非常に大きなものです。

 例えば自閉症であれば、クリエイティブな能力が増幅されます。まわりの見方を変え、障害ではなく、彼らの才能を有効活用するのです。先日、これを「スーパーパワー」と称した人がいました。

 最後は「ザ・チェンジ・ファンデーション」ですが、障害のある人たちとともに、各地の学校などをまわって障害者スポーツを広め、障害に対する見解を変えるというものです。私の手掛けているプロジェクトは、障害関連のものが多いのです。

幸せとは「懸命に努力すること」

なぜこのNPOに参加しようと思ったのですか?

ブラウン氏:2つ理由があったと思います。このNPOは五輪の後に設立されました。「五輪のスピリットを受け継いでいこう」という設立の精神に強く惹かれました。絶対にこれをやりたい、と感じたのです。とても共感し、自分には貢献ができることがあると感じました。単なる「仕事」ではなく、意義があると感じました。

 言葉にするのは難しいのですが、「幸福感」は良い表現だと思います。私はこうしたプロジェクトに様々な形で8年ほど携わってきましたが、今の職場「スピリット・オブ・2012」は「幸福に投資する」ことが目的です。これこそが、一番重要なことだと思います。

 英国で「幸せ」というと、私もそうですが、多くの人たちが黄色い円の中に書かれたスマイルを思い浮かべると思います。「幸せ」とは雲のようにふわふわしていると思われがちですが、私自身は、ふわふわしたものではなく、困難の中をもがいて、その中で、ある決意を持ち、他の人たちからインスピレーションを得て、懸命に努力することだと思います。自分で達成するもの、そして、他者とつながることなのです。

五輪当時、ご自身はとても困難な時期を過ごしていたと聞きました。

ブラウン氏:2012年までの間、まだ大学生でしたが、学校で一生懸命プロジェクトをやっていて、資金を投じすぎてしまい、金銭的にとても大きな困難に直面しました。商業的なプロジェクトではなく、収入がありませんでした。純粋に、自分の信じていたプロジェクトを遂行していたのですが、3年やっていたら、多額のカード負債を抱えてしまいました。とても世間知らずだったのだと思います。

 例えば、イベントのためのコストですが、100人以上のボランティアが関わっていたので、参加者の交通費を自腹で支払ったりしていました。ところどころ資金ももらっていたのですが、ほとんど自分で賄っていました。だんだんに、ゆっくりとではあっても、それが山積していったのです。多額の負債を抱えてしまいました。とても辛かったです。

 おかしなことに、聖火ランナーとして走者となった日が、大学生活最後の日でした。同日、リバプールで大きなパフォーマンスの予定もありました。「ホワイト・ライト」という曲に乗って、ダンサーやシンガーたちが「人々をつなぐ」というテーマの下、みんな様々な色の衣装を着て、だんだん「白い光」を作るというものでした。

 これをプロデュースし、振り付けもしたのですが、地元サウスポートで聖火ランナーをやり、同日リバプールへ飛んで行って、老いも若きもこの「ホワイト・ライト」を演じる姿を見に行きました。その日がすべてのクライマックスで、大学生活も、バルーン・プロジェクトも、終わったのです。

 すごい、と思いつつ、金銭的な安定をまったく考えていなかったことに気づきました。家賃を払うこともできませんでした。でも、おかしなことに、突然このプロジェクトが色々な賞を取り、女王からも賞をいただきました。ポール・マッカートニーさんからも、国内の色々な賞も受賞した。聖火ランナーにもなれた。人々は皆、僕が金銭的な大成功を収めたと思っていたようですが、ある日、もうこれ以上できない、と、絶望してしまいました。とても困難な体験で、本当に、辛かった。そこで、ちょっと立ち止まりました。

五輪が救いに?

ブラウン氏:そうですね。五輪のおかげで今の自分があると思っています。五輪に通じる「決意」や「勇気」など、そうした価値観についての曲も書きました。当時は両親の離婚など、色々なことが起きましたが、様々なことにフォーカスしながら、その周りで創造力を養うことが、困難な中でも癒しにもなりました。今でもこのことが人生のよりどころだと感じています。今はとても良い気分でいますよ。

メディアもマイナス面ばかりに注目していた

社会によりつながりを感じ、より貢献したいと感じたのでしょうか?

ブラウン氏:そうですね。とても「つながり」を感じました。自分が、自分以上の大きなものの一部であることを認識しました。社会の中で孤立し、社会に怒りを感じることは、簡単にできることです。でも、その中で、他者とのつながりを感じることや、参加することは大切です。私は当初、大会に直接関わりのないことから始めました。五輪の価値観にインスピレーションを感じ、そこからアートの創造を始めました。それが五輪公式プログラムの一部となり、そこで「つながり」を感じました。

 聖火リレーでも、つながりを感じました。いまでもそのつながりは感じています。数多くの国籍、いろいろな背景、宗教の人たちに出会いました。多様な人たちと出会うことが、つながりをより強く感じさせるのです。

東京では今、会場の建設問題など、山積する問題にうんざりした多くの人たちが「五輪なんてやらなくても良い」と感じています。あなたは、なぜ五輪に希望を持ち続けることができたのでしょうか?

ブラウン氏:姿勢として、プラスの側面に注目していたからだと思います。私は五輪の価値について考えるプロジェクトを立ち上げていました。ロンドン大会に関しては、例えば多額の資金投入や、交通網への混乱など、マイナスの側面が声高に叫ばれていて、マイナス面ばかりに注目する風潮がメディアにもありました。

 マイナスな気持ちでいても良いのですが、スポーツやアートによって、ものすごい数の人たちが一つになる大会です。プラスの側面も、数多くあるのです。不満を言えばきりがありませんが、良い側面もある。私は、自分が愛する音楽を通じてポジティブに関わっていました。このことで、幻滅に溺れずにいられたのだと思います。

 特にメディアに関していうと、一度ネガティブに焦点を当てたら、さらにネガティブ、ネガティブと続けていましたが、聖火リレーが始まったところから変化が起こり出しました。途端にみんなが支援に回り、マイナス思考だった人たちがプラスに転じたりするなど、とても興味深かったです。

東京大会に「コネクション」のバトンを引き継ぎたい

「幸福に投資する」ということを日本でやろうとすると、つい、懐疑的な意見が多く出てしまうのではと心配になってしまうのですが。

ブラウン氏:でも、幸せには意味があると思うし、究極的にはみんな、他者とつながり、幸福感を感じたいと思っているのではないでしょうか。健全な、満たされた人生を送るということ。このことは、私たちを分断するすべての壁を壊すと思います。誰もが幸せで、幸福感を感じたいと思っているでしょう?そのことこそが、とても重要なことなのです。

 イギリスでは幸せを測るという試みが行われていますが、とても大切なことだと思います。特に今の私の仕事では欠かせない部分です。幸せを測るのは難しいことです。朝の気分と夜の気分、今日と昨日のそれは全く違いますし。ともかく「健全である」ということは非常に大切です。

ロンドン大会から東京に、どんなバトンをつなぎたいと思っていますか?

ブラウン氏:「コネクション」、つながりだと思います。私は、今、人々に、よりつながっていると感じています。そして「自分を信じる」ということ。とても大きなことです。私自身、人生には多くの壁があることを感じました。

 五輪の炎は希望の炎です。希望を持つということはとても大切なことで、これを引き継ぎたい。希望自体、とてもパワフルなものです。希望を増幅すること、変化を起こすこと。五輪の価値観を思い起こしてほしいのです。聖火リレーが世界をめぐるのは、五輪の価値観を共有するためだと思います。炎は、やり抜くという決意や、他者を尊重する心です。そうしたものをぜひ引き継いでもらいたいのです。

 五輪が世界をめぐることにより、大きな力が備わります。それは、どのように受け入れられるかにもよるのです。政府や組織委員会として、また、一般観衆としてでも、聖火ランナーに誰かを推薦することでも良いので、とにかく参加する。

 五輪を何か遠くの、手のとどかないものにしておくことは、簡単だと思います。聖火リレーは、日本は国内だけでやるのか、海外もつなぐのかわかりませんが、私個人にとっては、とにかくポジティブさに光を灯すもの、人々の善意を輝かせるものだと感じました。

 大きな組織が関わり、巨額の資金が投じられる大会には、もちろん問題がつきものです。この負の側面に固執し続けるか、正の部分に目を向けるのか。五輪のバックストーリー、そもそもなぜ五輪が設立されたかの歴史を紐解くと、善意のもと、人々をつなぐために、スポーツだけでなく教育などのムーブメントを視野に作られたことがわかります。

 人々をつなぐ。チームワークを作る。お互いを尊重する。フェアプレイ。そうした価値観がスポーツを通じて見える。五輪のすべてが素晴らしいと言っているわけではありません。でも、これが自分たちの国で起こっていることなのだと、五輪を受け止め、世界への扉を開く(大会を開催する)ことに大きな誇りを感じても良いと思います。

 五輪の開会式はいまやテレビ最大のイベントで、それを超えるものは次の大会にしかできません。世界に披露できる。国を形づくるものは何かを問い、そこに参加する。参加することで、変化を起こすことができると思います。

 ブラウン氏との出会いは、NHKの番組出演者を探していたリサーチ中の、パソコン画面上である。聖火トーチを片手に微笑みながら走る様子のブラウン氏の画像を見て、直感でどうしても会ってみたいと感じた。実際に会ったブラウン氏は画像の表情そのままの、純粋で明るい、感性の豊かな青年だった。今回のインタビュー中も、辛い体験について話しながら、時折瞳いっぱいに涙をため、一つひとつの言葉を丁寧に語ってくれた。

 柔らかく、暖かい雰囲気を醸し出すブラウン氏だが、演奏は動画の通り、堂々としている。番組撮影の際、ブラウン氏宅を訪れた取材班全員が演奏に息をのみ、しばし、現場が静まり返った。「Indelible Fire」など、同氏がオリンピックにインスパイアされて作った曲は、Sound Cloud(サウンドクラウド)で聴くことが可能だ。

 2012年ロンドン大会が掲げた最大の目標は「インスパイア・ア・ジェネレーション(世代を感化する)」というものだった。ブラウン氏は現在30歳だが、次世代を担う若者たちが、オリンピックを契機に自分たちの手で社会を変えていこうと一念発起し、4年後の今も継続して活動している現状に、驚かされた。しかし、個人個人がこのような試みを数年に渡り実現していくには限界もあり、こうしたNPO団体の発足などがあってこそ、活動が広がり続ける土壌になるのだとも感じた。

 後編では、ブラウン氏が所属するNPO「スピリット・オブ・2012」のトップに「幸せへの投資」について、さらに聞く。

このコラムについて

ロンドン発 世界の鼓動・胎動
人種や宗教など、極めて多様性に富む都市、ロンドン。現地のフリーTVディレクター、伏見香名子氏が、ロンドンから世界の「鼓動」を聞き、これから生まれそうな「胎動」をキャッチする。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/100500021/010500007/  

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