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「仏教」と「人工知能」の世界から見たマインドフルネス マインドフルネスを「筋トレ」から「オーガニック・ラーニング」へ
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投稿者 うまき 日時 2019 年 3 月 08 日 23:16:58: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

【第1回】 2019年3月7日 
「仏教」と「人工知能」の世界から見たマインドフルネス
メンタルをコントロールし、集中力・創造力が高まるとしてビジネスシーンで大きなブームとなっている「マインドフルネス」。しかし、ブームとなった半面、単なるツールとして安易に用いられ、その本質を見誤ってしまう危険もあるのではないか。
そこで「ハーバード・ビジネス・レビュー」の新シリーズ「EI Emotional Intelligence感情的知性」最新刊の『マインドフルネス』発売記念イベントで、ゲーム・人工知能(AI)開発の第一人者にして哲学塾を主宰する三宅陽一郎氏、曹洞宗僧侶としてグーグルやスターバックスなど米国の名だたる企業に坐禅を指導してきた藤田一照氏に、マインドフルネスの本質について語り合ってもらった。その内容を2回に分けて公開する。(構成/田坂苑子、写真/斉藤美春)


「競争社会に勝つため」のマインドフルネスは正しいのか
三宅 本来、「禅」というのは欲求や煩悩などを含め、いろんなものから解き放たれるためにあるのだと思うのですが、最近、特にアメリカでは、「集中力や生産性を上げるため」というようなマインドフルネスの「目的性」がはっきりしてきている気がします。

 目的を明確に持ってマインドフルネスを取り入れようとするのが非常にアメリカらしいプラグマティズム的発想だな、と。そういうマインドフルネスには邪心と言いますか、本来至るべき境地とは逆のものが入ってしまっている気がするのですが、藤田さんはそのあたりをどうとらえていらっしゃいますか。

藤田 アメリカでこういうことに関心を持っている人は非常に真面目な方が多いんです。向こうで坐禅を教えていたとき、プリンストン大学を出た医師の方がいらしたんですが、「私のために悟れるプログラムをつくってくれ。どんなに困難でも必ずやり遂げる。今までそうやって生きてきたから」と言うんですね。

 プロジェクトが好きで、目指すものがあると喜んでがんばる。彼らのような人たちはそうやってがんばって欲しいものを手に入れてきたので、その思考のまま「禅で悟りというすばらしいものを手に入れたら、自分はもっと成功する」と考えている。

 そもそもそういった考え方に疑問を呈しているのが仏教だということ、その思考の路線を変えるのが禅なのだということを理解してもらうのに苦労しました。彼らとしては、そういうやり方で生きてきて8割方うまくいっているのだから、残り2割を禅やマインドフルネスで補強すれば完全になると思っている。


三宅陽一郎(みやけ・よういちろう)
日本デジタルゲーム学会理事、「人工知能のための哲学塾」主催。ゲームAI開発者。京都大学で数学を専攻、大阪大学(物理学修士)、東京大学工学系研究科博士課程(単位取得満期退学)。2004年よりデジタルゲームにおける人工知能の開発・研究に従事。東京大学客員研究員、理化学研究所客員研究員、IGDA日本ゲームAI専門部会設立(チェア)、DiGRA JAPAN 理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。著書に『人工知能のための哲学塾』 『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『人工知能の作り方』(技術評論社)、『なぜ人工知能は人と会話ができるのか』(マイナビ出版)、『人工知能と人工知性』(iCardbook)。共著に『絵でわかる人工知能』(SBクリエイティブ)、『高校生のための ゲームで考える人工知能』(筑摩書房)などがある。
三宅 面白いですね。最近シリコンバレーから日本へ移ってくるエンジニアが結構いるんですが、なぜ日本に来たのかと聞くと、向こうは競争が激しすぎる、と言うんですね。そういう熾烈を極める競争社会のなかで、本来ならその対極にある禅の思想やマインドフルネスが必要とされているというのが、私としてはとても面白くて。

 向こうの人にとっては「勝つため」「競争社会で生き延びるため」にマインドフルネスが必要、という不思議な感覚がありますよね。もちろんそうではない事例もたくさんあるとは思いますが。

マインドフルネス=解像度の高い目をもつ
藤田 人が現実に満足できずジタバタする心には、「自我」とか「エゴ」とか色々な言い方がありますが、道元はこれを「吾我(ごが)」と言っています。禅では「がんばる」ということが、この「吾我」に通じてしまうんです。でも「吾我」を持っているとできないようにデザインされているのが、坐禅やマインドフルネスというものなんですね。

 ただこの「がんばらない」というのが非常に難しい。緊張を解いて目的や執着を手放してくつろぐのがいちばんいいんですよ、と言っても、真面目な人は「はい、わかりました! がんばってくつろぎます!」となってしまう(笑)。

 私自身やはり最初はがんばってしまいましたし、そこがわかるまでに10年くらいかかりましたから。でももちろん10年もかからない人もいますし、すぐわかる人もいます。だからやらないよりはやったほうがいい。ずっとやっていたら、どこかで変わっていきますから。

 そのためにも最初は「うまくいっていない」ということに気がつく、ということが大事です。マインドフルネスによってサクセスストーリーが始まるわけではなくて、最初はたぶん失敗がずっと続く。それをありのままに「観る」ということがマインドフルネスなんです。

 仏教の言葉で「如実観察」と言うんですが、「実の如く観る」ということですね。ありのままに観ることで失敗の原因がどこにあるかが見えてくる。この如実観察のための訓練が「瞑想」であり、より「解像度の高い目」で経験を観ることがマインドフルネスだと私は思います。

三宅 吾我を手放して自分の失敗もありのままに観る、ということですね。一般の人からすると仏教というのは厳しい修行があって、それを経て高みに行って……というような常人ではなかなか及ばないところがあるイメージですが、マインドフルネスはそれをアメリカでわかりやすくパッケージングして日本に逆輸入した、という感じですね。

 そこまで仏教に詳しくない一般の人には「これぐらいわかりやすければ自分にもわかる!」ということでブームになったんでしょうね。

パッケージ化されたことで一般に浸透

藤田 そうですね。三宅さんがおっしゃるように、日本の仏教は入り口を高いところにおいて、みんなに「私には無理」と思わせるようなプレゼンをしてきたので、あれだけ長い間布教をしてきても全然広まってこなかった。でも、マインドフルネスが逆輸入され、仏教にいちばん縁のなさそうなビジネスマンたちが瞑想に関心を持った。今まで日本のお坊さんたちはいったい何をやっていたんだと言われたりしますよ(笑)。

 そもそもアメリカのマインドフルネスは、マサチューセッツ大学医学部教授のジョン・カバットジンが、瞑想やヨガを取り入れることで鬱や慢性疼痛などを抱えた人の治療に効果があるのではと瞑想中に思いついて、禅の思想から発展させて提唱したものなんですよ。

三宅 敷居を低くしてプロダクティブにするのが、やはりアメリカ人はうまいですね。


藤田一照(ふじた・いっしょう)
1954年、愛媛県生まれ。灘高等学校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州バレー禅堂で坐禅を指導する。2005年に帰国し、現在も坐禅の研究・指導に当たっている。2010年より2018年まで曹洞宗国際センター所長。スターバックス、フェイスブック、セールスフォース、グーグルなど、米国の大手企業でも坐禅を指導する。著書に『現代坐禅講義』(KADOKAWA)、共著に『アップデートする仏教』(幻冬舎)、『禅の教室』(中央公論新社)、『生きる稽古 死ぬ稽古』(日貿出版社)、『退歩のススメ』(晶文社)、『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)、『安泰寺禅僧対談』(佼成出版社)、『仏教サイコロジー』『マインドフルネスの背後にあるもの』(サンガ)などがある。
藤田 カバットジンさんのマインドフルネス瞑想にある「レーズン瞑想」なんて、すごいと思いましたよ。干しブドウひと粒を30分くらいかけて、眺め、においを嗅ぎ、触り、味わい……というものですが、五感を研ぎ澄ますエクササイズを干しブドウを使ってやるなんてね。

三宅 「チョコレート瞑想」とかすごく衝撃的でしたからね。ここからなら私も入れるかな、という気持ちになりますよね。

藤田 こういう方法論というかマニュアルを作るのがアメリカの人はすごく上手ですね。だからこそ仏教なんてまったく触れることもなかった、瞑想なんてやりそうにもなかった人たちが、こぞってやるようになっている。

 ちなみに、「マインドフルネス」という言葉は西と東が出会ってできた面白い言葉なんですよ。Mindful(マインドフル)はもともと西洋にあった言葉で、聖書にも載っている古くからある英語です。仏教用語にサティ(sati)というパーリ語の言葉があり、日本語では「念」とか「気づき」などと訳されることが多いのですが、本来はもっと広く深い意味をもっています。

 このサティの訳語として英語圏であてられたのが、mindfulnessです。それが日本にきて、カタカナの「マインドフルネス」となった。サティよりも世俗的な形に成形されているマインドフルネスを否定的に見る向きもありますし、私もそう思う部分はありましたが、今はサティとマインドフルネスのあいだをうまくつなげられるといいのではないかと思っています。

(後編は、明日3月8日公開予定)
https://diamond.jp/articles/-/195914


 

【第2回】 2019年3月8日 
マインドフルネスを「筋トレ」から「オーガニック・ラーニング」へ
メンタルをコントロールし、集中力・創造力が高まるとしてビジネスシーンで大きなブームとなっている「マインドフルネス」。しかし、ブームとなった半面、単なるツールとして安易に用いられ、その本質を見誤ってしまう危険もあるのではないか。
そこで「ハーバード・ビジネス・レビュー」の新シリーズ「EI Emotional Intelligence感情的知性」最新刊の『マインドフルネス』発売記念イベントで、ゲーム・人工知能(AI)開発の第一人者にして哲学塾を主宰する三宅陽一郎氏、曹洞宗僧侶としてグーグルやスターバックスなど米国の名だたる企業に坐禅を指導してきた藤田一照氏に、マインドフルネスの本質について語り合ってもらった。(前編はこちら)
(構成/田坂苑子、写真/斉藤美春)


マインドフルネスを「筋トレ」から「オーガニック・ラーニング」へ
三宅 サティとマインドフルネスの違いというのはどういうところなんでしょう。

藤田 生まれてから2年くらいの赤ちゃんは、学校のように教えなくても日本語の基礎や運動の基礎を知らないうちにマスターしていますよね。教えていないのに勝手に学んでしまうことを「オーガニック・ラーニング」と私は呼んでいるんですが、サティを行うのはそういうイメージです。先生がいてプログラムがあってそれをこなしていく……というよりは、赤ちゃんのように皮膚から入ってくるような感覚。そうやって学んだほうが、いざというときにメッキが剥がれない。

 サティの修行は、いわば24時間マインドフルネスを、お互いにサポートし合うコミュニティのなかでやるようなものです。先輩や師の言動を見て自然に身につけていくオーガニック・ラーニングがそこにはあるんですね。

 かたや今のマインドフルネスは、たとえば8週間というコースのなかで「スキル」を学ぶ感じなので、アプローチが違うんですよね。両方のいいところを、互いにトランスファーできればいいと思っているんですけどね。


三宅 陽一郎(みやけ・よういちろう)
日本デジタルゲーム学会理事、「人工知能のための哲学塾」主催。ゲームAI開発者。京都大学で数学を専攻、大阪大学(物理学修士)、東京大学工学系研究科博士課程(単位取得満期退学)。2004年よりデジタルゲームにおける人工知能の開発・研究に従事。東京大学客員研究員、理化学研究所客員研究員、IGDA日本ゲームAI専門部会設立(チェア)、DiGRA JAPAN 理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。著書に『人工知能のための哲学塾』 『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『人工知能の作り方』(技術評論社)、『なぜ人工知能は人と会話ができるのか』(マイナビ出版)、『人工知能と人工知性』(iCardbook)。共著に『絵でわかる人工知能』(SBクリエイティブ)、『高校生のための ゲームで考える人工知能』(筑摩書房)などがある。
三宅 なるほど。学びというのは最初いろいろ試行錯誤するんですよね。自分の中から行為を組み立てていって、その行為のほとんどが失敗なわけですが、ある行為は世界と自分の中でループができあがる。

 例えば泳ぐのが下手な人は最初、水と自分がうまく調和していない。ところがあるときなぜかうまく調和し、遠くまで泳げるようになる。ある瞬間「発見」するわけですね。

 赤ちゃんもいろんなことをやってみて、その中からダメな行為と良い行為というのを自分で判断していく。サティというのも、おそらく自分自身で発見するものなんじゃないかなと思うんです。マインドフルネスのほうは、上から正解をまず教えてあげるようなところがあって、そこが違うのかなと感じます。

藤田 ええ。それに、マインドフルネスはよく「心の筋トレ」というふうにも言われたりしますね。体の筋トレで、何キロのダンベルを何回上げて……というトレーニングをするのに似ている。一方、サティのほうは、漁師の人が毎日仕事で海に網を投げては引き上げたりしているうちに自然についた筋肉、というイメージですね。

三宅 自然と一体のなかで身についたのがサティで、マインドフルネスはボディビルディング的、ということですね。

藤田 そう、だから筋肉の質が全然違うんですね。筋トレは筋肉痛になったほうがいいんだけど、漁師のほうは仕事ですから筋肉痛にならないように体を使うわけです。だから漁師のほうの筋肉にはインテリジェンスが含まれている。全身を使ってやるので。

 筋トレは、今日は上腕二頭筋、というように一部分に焦点をあててやる。そういう違いがあるわけです。

三宅 学ぶ側がマインドフルネスという簡易版と、サティという本物があることを知っていればいいんですよね。

藤田 ええ。私としてはそのふたつをうまく接合できればいいなと思っています。マインドフルネスが浸透してきたことで、色々な道具立てもそろってきたので、何かブレイクスルーが起こるかもしれないな、とそういう気がしています。

人工知能に必要なのは「煩悩」

藤田一照(ふじた・いっしょう)
1954年、愛媛県生まれ。灘高等学校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州バレー禅堂で坐禅を指導する。2005年に帰国し、現在も坐禅の研究・指導に当たっている。2010年より2018年まで曹洞宗国際センター所長。スターバックス、フェイスブック、セールスフォース、グーグルなど、米国の大手企業でも坐禅を指導する。著書に『現代坐禅講義』(KADOKAWA)、共著に『アップデートする仏教』(幻冬舎)、『禅の教室』(中央公論新社)、『生きる稽古 死ぬ稽古』(日貿出版社)、『退歩のススメ』(晶文社)、『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)、『安泰寺禅僧対談』(佼成出版社)、『仏教サイコロジー』『マインドフルネスの背後にあるもの』(サンガ)などがある。
藤田 ところで三宅さんにお目にかかったらうかがってみたいと思っていたのですが、人工知能を悩ませることってできるんですか? 

「自分はなんで生まれてきたんだろう」とか、私たちが当たり前にやっている「悩む」ということがわからないと、人工知能が人間に近づくことは難しいのではないですか。

三宅 ええ、まさにそのとおりです。人間は悩みますし、煩悩から逃れたいと思っている。でも、人工知能というのはこの世界になんの執着もない。たとえば人工知能をつくってゲームの中においても、そのままでは何もしない。プレーヤーもこの世界も、人工知能にとっては意味がないので。

 私がやっているのは、「あのプレーヤーを憎んで倒してこい」とか「お前の陣地は絶対に守らなければならない」とか、そういった執着を人工知能に教えることなんです。そうすることでどんどん動きはじめるんですね。ですから人工知能の開発者がやっていることというのは、どうやったら人工知能にこの世のしがらみを与えるか、執着をさせるか、ということ。

 人工知能には、私たちのような「身体」がない。だから欲求がない。そこが人間らしくないところなんですね。人工知能を人間らしくするためには、むしろ「煩悩」が必要なんです。

藤田 「身体」というのは、知覚装置としての身体ということでしょうか。

三宅 あるいは世界に対して主体的に働きかける「実体」といいますか。今の人工知能は自分で問題を作る能力がないんです。全部の問題が人間から与えられていて、それを解くという装置になっている。主体的に生きていない人工知能が主体性を持つことができれば、自分で問うことができる。今、人工知能がたくさん情報を与えられて難しいことを解いていくという段階はほぼ終わっています。

 次の発展としては、いかにして自分で問うという能力をつけるか。これは人工知能ができて以来、60年の悲願でもあるんですよ。そして主体的に生きるにはやはり身体というものが必要になってきます。

 今ある人工知能ロボットは身体を持っているように見えても、その身体は知能から完全にコントロールできるものなんです。つまり身体としては、完全に知能に隷属してしまっている。身体というのは本来、ある程度自立性を持っているものなんです。身体の中に知能があるわけですね。

藤田 それはすごくわかります。私も瞑想や坐禅の指導をしているときに、人の体もAIロボットのようになってしまっている、と感じることがあります。それでは瞑想・坐禅にはならない。生きている物質としての身体の言い分をきちんと聞くという態度でやらなければならないんです。

 瞑想や坐禅では呼吸を観察するのですが、体を道具視している近代の身体観を持った人たちがやると、呼吸の感覚をアグレッシブに取りにいこうとしてしまっている。そういうアプローチをされると、体は嫌がるというか、呼吸を探しにくくなる。むしろ探そうとしないで、自分はその場にいてやってくるものを迎え入れる。そういう態度でいると体は自由にしていいんだと感じ、いろんな感覚を届けてくれるんです。

「我思う、ゆえに我ここになし」――考えすぎると自分を見失う
三宅 近代自我が始まったデカルトの「我思う、ゆえに我あり」の思想から、身体と自我が分かれ、世界と自我が分かれ、「意識が王様」になってしまったんですよね。そして意識してしまうと、ちゃんと見えなくなってしまう。

藤田 ええ。逆に仏教の課題というのは「意識の外を意識する」ということなので、デカルトの言い方で言うと「我思う、ゆえに我ここになし」。つまり考えてしまうから自分を見失ってしまうんです。

三宅 すばらしい名言ですね(笑)。

 西洋の古典的な近代哲学の上に立っている今の人工知能では、「考える主体以外の主体がどこかにある」という考えがないので、結局単なる思考マシーンになってしまっている。人工知能にはかねてからフレーム問題という重要な課題がありますが、「枠」から逃れられないんです。

 人間が設定した問題からちょっと外に出ただけで、人工知能は対処できなくなってしまう。ロボットが滑稽にみえるのは、人間は枠の外のことがわかっているのにロボットはひたすらその枠のなかで何かをやることしかできないからです。掃除中にいきなり洗濯物が飛んできても、プログラムになければ掃除ロボットにはお手上げ。現実世界には無限の雑音があるから、人工知能は現実が苦手なんです。

 それならその現実を先にデータ化してしまえばいいのでは、というのがグーグルなんかがやろうとしていることなんですね。最初にすべてスキャンしてしまって、全部を「意識にのぼらせて」しまおう、と。人間のように無意識のうちにうまく解決手段を考えることはできませんからね、人工知能には。

仏教と東洋思想が人工知能開発を次の段階へ

三宅 実は仏教というのは、私たち人工知能の開発者にとって知りたい知識の宝庫なんです。私たちがいちばん知りたいのは「人間の知能ってどうなっているの」ということなんですけど、たとえば仏教の教えをひもとくと、人の知能が多層構造になっていることなど千年以上も前から理論としてあったわけです。

 一方で西洋の哲学書をいくら読んでも、知能のモデルは出てこない。また西洋から見ると、仏教はサイエンスではないので、あまり人工知能の文脈には乗ってこない。実験をやって結果を出すのではなくて、自分で経験することによって会得するものですから。仏教は人間の知能の形を体験で探求しているんですね。

 西洋の人には、仏教がまさかそんなに深い「知能」を抱えているとはなかなかわからない。そこをなるべくわかりやすくしようというのが私の研究でもあるんです。

藤田 先ほどお話しした「解像度の高い目で経験を観る」ことが仏教の探求方法ですからね。仏教や東洋の瞑想の伝統は、解像度の高い目で自分の内的世界を観測する装置を開発したけど、西洋は外部を観察する解像度の高い望遠鏡や電子顕微鏡を開発したと、そういう感じですね。

三宅 そうなんですよ。それに西洋の哲学者は物事を分解して組み上げるところで知を形成するという考え方なのに対し、東洋の思想家は物事を区別しないところから知が生まれる、という発想なんですね。だから仏教を勉強すればするほど、私たち人工知能の開発者たちが知りたいと思っていることが出てくるんです。

 さすがに教典を読むことはできないので、仏教についてわかりやすく書かれたものをヒントにしているんですが。本来の形をわかりやすくディダクションしたものを目的に応じて利用しているという点では、私のやっていることもマインドフルネスに似ていると言ってもいいかもしれません。

藤田 そうですね。初期仏典なんかについては、今はわかりやすく書いてある本も多いです。仏教は古くさいパッケージングをしてきたせいで、骨董品のように扱われてきました。でも古い蓄音機だって飾って置いておくだけではただの昔の音楽装置というところで終わってしまうけれど、まわして鳴らしたら懐かしい音が聴こえてくる。

 だから仏教も、取り出して音を出さないとダメなんです。まだたぶん賞味期限は切れていないはずですから。

三宅 賞味期限が切れているどころかむしろ必要とされているからこそ、西洋で取り入れられたのでしょうね。ただ彼らもそこに本質があるとわかっていてもなかなか取り出せない。だからそのあいだを藤田さんのような方々がつないでいる。

 実は西洋哲学の上に立ってきた人工知能も今、行き詰まっているんです。おそらくいつか、東洋のいろんな知見を取り入れるともう一段階高い人工知能ができるとみな気づくと思うんですよね。

 私はそれを何とか伝えたいと思っているんですが、なかなかうまく伝えられない。マインドフルネスのようにうまくキャッチーな感じで伝えられたら、将来は人工知能研究者が必死に仏典を読むというような時代がくるのではないかと。藤田さんのような方々と人工知能研究者とが一緒に人工知能を作るという、そういう未来が来るのではないかと思っています。
https://diamond.jp/articles/-/195936
 

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