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今から25年前と36年前、西側支配層の戦略にとって都合の良い出来事が引き起こされた12月8日(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/16/kokusai16/msg/650.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 12 月 10 日 11:20:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

今から25年前と36年前、西側支配層の戦略にとって都合の良い出来事が引き起こされた12月8日
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201612090000/
2016.12.10 03:09:32 櫻井ジャーナル


 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した時、日本ではすでに12月8日になっていた。その12月8日にも歴史に残る出来事が引き起こされている。例えば、そのひとつが1980年12月8日のジョン・レノン殺害であり、もうひとつが1991年12月8日にベロベーシの森で開かれたロシア、ウクライナ、ベラルーシの首脳による秘密会談。いずれも西側支配層にとっては願ってもないことだった。

 1975年から活動を休止していたジョン・レノンは80年10月にシングル曲「スターティング・オーバー」、また11月には「ダブル・ファンタジー」というアルバムを発表して本格的に音楽活動を再開させたるが、それは政治的な活動の再開でもあった。

 ジェラルド・フォードが大統領だった1974年8月から77年1月にかけてアメリカ政府内でデタント(緊張緩和)派が粛清され、ネオコンが台頭、好戦的な流れになっていた。そうした中、1979年12月にNATO理事会はパーシング2ミサイル572基の配備を決定している。

 理事会が開かれる5カ月前、エルサレムではイスラエルとアメリカの情報関係者が「国際テロリズム」に関する会議を開いている。この当時、すでにアメリカのズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンでソ連をターゲットにした秘密工作を開始、その手先としてサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団を中心とする武装集団が編成されていた。そうした工作の結果、ソ連軍は1979年12月にアフガニスタンへ侵攻してくる。

 エルサレムでの会議にはアーノウド・ド・ボルクグラーブ、クレア・スターリングのような「ジャーナリスト」も参加、会議後にソ連を悪魔化して描くプロパガンダを始めた。スターリングが手を組んだひとり、ポール・ヘンツェはCIAの「元幹部」で、ブレジンスキーと親しいことで知られている。

 スターリングと組んでもうひとりがマイケル・リディーン。CIAやイタリアの情報機関と関係が深いのだが、イスラエル政府のために働いていると言われている。1976年にはJINSA(国家安全保障問題ユダヤ研究所)を創設している。ドナルド・トランプが安全保障担当の補佐官に選んだマイケル・フリンと今年7月に『戦いの場』という本を出している。

 バラク・オバマ政権はブレジンスキーの手口を真似してサラフ主義者やムスリム同胞団を中心とする武装集団(アル・カイダ系やダーイッシュ)を使ってきたが、その危険性を2012年夏の段階で政府に警告していたフリンだが、何らかの事情でリディーンが結びついてしまった。これはトランプ政権が抱える懸念材料のひとつだ。

 反ソ連キャンペーンが始まり、パーシング2の配備が決まった翌年、戦争に反対する姿勢を明確にしていたジョン・レノンは射殺された。引き金を引いたのは福音主義(キリスト教原理主義)の信者でトッド・ラングレンのファンだというマーク・チャップマン。

 イギリスの弁護士でジャーナリストとしても活動していたフェント・ブレスラーによると、チャップマンは1975年6月にレバノンを訪れて1カ月近くを過ごし、帰国してからベトナム難民定住促進キャンプで働きはじめ、そこで知り合った男の紹介で警備会社へ入っている。レノンを射殺する際に使われた殺傷能力の高い「ハロー・ポイント弾」を後にチャップマンへ渡したのはその男だ。1977年1月にチャップマンはアーカンソー州からハワイへ移動、キャッスル病院で働いている。その後、彼は世界一周旅行に出発、日系女性と結婚、警備会社へ就職した。

 1980年に入ってチャップマンはホノルルの銃砲店で38口径リボルバーを購入、12月にアトランタで弾丸を受け取り、ハワイへ戻る。その直後、3日間シカゴで過ごし、6日にニューヨークへ移動、8日を迎えた。(ファントン・ブレスラー著、島田三蔵訳『誰がジョン・レノンを殺したのか?』音楽之友社、1990年)

 その11年後の12月8日、アメリカ支配層の操り人形だったロシア大統領のボリス・エリツィンは同国のゲンナジー・ブルブリス国務大臣、そしてウクライナのレオニード・クラフチュク大統領とビトルド・フォキン首相、ベラルーシのソビエト最高会議で議長を務めていたスタニスラフ・シュシケビッチとバツァスラフ・ケビッチ首相と秘密会談を開いている。会議を主導したのはロシアのブルブリスだと言われているが、その背後に西側の支配層がいたことは間違いないだろう。会議はベラルーシにあるベロベーシの森で開催され、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めた。

 その背景には1991年7月にロンドンで開かれたG7の首脳会談があると見られている。そこでゴルバチョフは西側資本にとって都合の良いショック療法的、つまり新自由主義経済的な政策を強要された。いわゆる「ピノチェト・オプション」だが、この要求にゴルバチョフは難色を示す。そこで西側はゴルバチョフからエリツィンに切り替えたわけだ。そして12月21日、カザフスタンのアルマアタでソ連の消滅とCIS(独立国家共同体)の設立が正式に決まった。

 そこから旧ソ連圏は西側支配層の食い物になり、そうした勢力の手先になった人びとも巨万の富を手に入れた。現在、安倍晋三政権の周辺には日本をアメリカの支配層へ引き渡し、自分たちは私腹を肥やそうとしている。日本をエリツィン時代のロシアと同じようにしようとしているわけだが、日本にウラジミル・プーチンやその仲間たちのような勢力が出てくる保証はない。

 

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