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川崎栄子さん「北送船は朝鮮総連による最も極悪な行為」:各政党、各メディアは「過去」にフタをし、現実から逃走
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/522.html
投稿者 手紙 日時 2016 年 3 月 27 日 19:05:11: ycTIENrc3gkSo juiOhg
 

件名:川崎栄子さん「北送船は朝鮮総連による最も極悪な行為」
媒体:朝鮮日報
日時:20160326
出所:http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/03/25/2016032501784.html
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川崎栄子さん「北送船は朝鮮総連による最も極悪な行為」

【特集】骨と皮だけの朝鮮総連(上)
「鉛筆で書いた手紙は『来るな』という意味」
日本の家族と暗号を決めておくケースも


 在日朝鮮人の川崎栄子さん(73)は17歳だった1960年、日本の新潟港から北朝鮮の清津に向かう北送船に乗船した。1959年から84年まで在日韓国・朝鮮人9万3440人がこの北送船で北朝鮮に渡った。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)について詳しいキム・チャンジョンさん(79)は「朝鮮総連による最も極悪な行為は、同胞に対して北朝鮮のことを『地上の楽園』などとうその宣伝をして北朝鮮に送ったこと。それから彼らを『人質』として同胞に送金させたことだ」と指摘する。

 川崎さんは「地上の楽園に行くと思っていたが、船を降りる前からそれがうそだったと分かった。清津港は寒かった。数千人が歓迎にやって来ていたが、その中に靴下をはいている人はいなかった」と語る。当時は韓国よりも北朝鮮の方が豊かな時代だった。同胞社会でも在日本大韓民国居留民団(民団、現在の在日本大韓民国民団)よりも朝鮮総連の方をより信頼していた。朝鮮総連と日本の赤十字社が協同でこの北送事業を推進した。日本メディアも左右に関係なくいずれも北送事業を好意的に報じた。朝日新聞は「帰還希望者が増加しているのは『完全就業・生活保障』が実現している北朝鮮の魅力がその理由」と報じ、また産経新聞は「1000人近い帰還者を暖かい部屋に収容する母国の経済力に(北送された人たちは)安心した」などと報じた。

 北朝鮮に到着した後、川崎さんは両親に「来てはいけない」ということをどうやって伝えるか悩んだ。他の人たちは出発前、あらかじめ「鉛筆で手紙を書けば来るなという意味、ペンで書けば来いという意味」という暗号を事前に決めておいたという。川崎さんはそのようなことは考えていなかった。朝鮮総連を信じていたからだ。手紙には遠回しに書いたが、家族はその内容を何とか悟り、北朝鮮には来なかったという。

 その後、数十年にわたり川崎さんのように北朝鮮に渡った同胞たちは、日本に住む家族と乱数表のような手紙のやりとりをしていた。北朝鮮から「30歳になったケイコに会いたい」という手紙がくれば、ケイコなどいない家族はその意味を考え「ケイコ=時計」と解釈し、時計を30個送るケースもあった。

 川崎さんは2003年に脱北に成功した。43年にわたり北朝鮮で生活しながら「口がなければ人間らしい生活ができる」「自殺してはいけない」という二つの点を常に忘れなかった。自殺した場合、その人は体制に不満を持っていたと見なされ、残った家族には厳しい仕打ちが待っていたからだ。北朝鮮では思想犯は主に深夜2−3時に逮捕されるという。深夜にどこかの家の前にトラックが止まれば、その日からその家の家族は誰もいなくなる。毎晩自分たちが逮捕されないか恐れながら、そのまま夜が明けると「今日は大丈夫だった」と思ってほっとし、やっと眠りにつけるという。

 川崎さんは「朝鮮総連と戦うこと」を目的に日本行きを選んだ。川崎さんは国連で自らの経験を語り、今も朝鮮総連に反対する講演やデモなどを続けている。

東京=チェ・インジュン特派員

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//memo

今も現実に、専制と隷従に苦しむ日本人妻やその子供たちがいる。彼ら彼女らはその境遇のつらさ、泣きたさを、誰に相談し、誰に打ち明けるのか。

各政党、各メディアは、みずからの所業に"卑しき沈黙"という繰り返しを踏襲し、そのふてぶてしい体質を変化させずに、来ない時効を待っている。しかし、いつか鏡は割れる。その時、逃れてきた多くの民から、正味の"返済"を、迫られる。


*在日朝鮮人の帰還事業
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%B8%B0%E9%82%84%E4%BA%8B%E6%A5%AD

:「在日朝鮮人帰国協力会」結成の際は日本側の呼びかけ人になったのは日朝協会で主導的な役割を担っていた社会党議員、共産党議員だけでなく、小泉純也、鳩山一郎など自民党議員も加わっており党派の枠を超えて推進された。1959年に岸信介内閣で帰国事業は政府公認となった。社会党系・共産党系の関係者が帰国事業に取り組んだ背景には、北朝鮮の社会主義を宣伝することで、日本における政治的影響力の拡大を狙った所が大きい[13]。:


*北朝鮮帰国事業の罪
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/kikokuzigyou_notumi.htm

:また、「日本出身者」という埋由で、労働党への入党は難しかった。70年代までは、庶民にとって党員への近道である人民軍への入隊も拒否された。信用ならない連中だから、というわけだろう。もっとも元日本共産党員は別扱いだったようだ。党員証を持っていれぱ、自動的に労働党員になれた。だが、元日本共産党員であることが、のちにかえって災いを招く結果となった。粛清時に、"宗派分子"の汚名を着せる格好の口実とされたからだ。:

*JOG(271) 「地上の楽園」北朝鮮への帰還 - Biglobe
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog271.html

:また社会党や共産党も帰国運動を積極的に支援した。共産党の機関誌アカハタは「この運動を支持し、協力することは日本人民の義務であり、人道上の立場から速やかに解決すべき問題である」(58年11月29日)とぶちあげた。大江健三郎は、帰国者のテレビドラマを見て涙を流し、「自分には帰るべき朝鮮がない」と嘆いた。[a]このように金日成の指示のもと、総連を中心に、社会党・共産党、マスコミ、進歩的文化人が一体となって、9万3千人以上もの人々を帰国船に乗せたのだった。:


 

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コメント
 
1. 2016年3月27日 19:37:52 : yQgFodNt1w : P0Z5u2uduOw[1]
帰国事業は保守党含めて日本国家の一大事業。
まあ、戦後処理の一つですし、ある意味厄介払いともいえる。

今から言えば失敗だが、当時の判断としてはどうかねえ。
北朝鮮がその後どうなるかもわからなかったし。


2. 2016年3月27日 21:14:17 : 1cz9P1E6DQ : a4CWEf3uhtE[40]
大江健三郎は、北鮮送還のものがたりを見て、
「ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、」
と書いている。

大江健三郎は今も「北送船は朝鮮総連による最も極悪な行為」とは思っていないのだろう。
大江健三郎は今も「不戦の憲法を守り通す態度を貫くなら、北朝鮮との間に信頼を作り出す大きな条件となる」と嘘を吐き続けている。

大江健三郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E#.E5.8C.97.E6.9C.9D.E9.AE.AE.E9.96.A2.E9.80.A3.E3.81.AE.E7.99.BA.E8.A8.80
北朝鮮関連の発言[編集]
1961年、「わがテレビ体験」(『群像』)において以下のように述べている。「結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。 そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。 それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった」[13]。
1965年、「二十歳の日本人」において以下のように述べている。「北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。 ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。 逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。 ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。 北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない」[14]。
2009年6月2日、九条の会の講演において、核保有国と非核保有国との間に信頼関係がなければ、核廃絶は始まらない。私たちが不戦の憲法を守り通す態度を貫くなら、北朝鮮との間に信頼を作り出す大きな条件となるのではないかという旨の発言を行った[15]。


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