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「シン・ゴジラ」がリアルに描いた政治家と官僚 『シン・ゴジラ』とオメガ計画と八岐大蛇と
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 9 月 06 日 00:12:14: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

「シン・ゴジラ」がリアルに描いた政治家と官僚

「シン・ゴジラ」、私はこう読む

2016年9月6日(火)
清谷 信一

日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。
※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。
 庵野秀明総監督の映画「シン・ゴジラ」が、大ヒットしている。怪獣映画といえば、普通は男性客が多いが、劇場には若い女性も多かったことに驚いた。筆者の周りでも、過去にゴジラシリーズはおろか、怪獣映画自体をみたことがないという若い女性が結構「シン・ゴジラ」をみている。

 初代ゴジラは水爆実験によって生まれたモンスターだった。当時は敗戦からさほど時間が経過しておらず、米ソ冷戦下で核兵器開発競争が行われていた。核戦争の危機が肌で感じられる時代だった。また水爆実験によって日本の漁船が被爆する事件もあり、核がホットな話題だった。

 対して、「シン・ゴジラ」のゴジラは海底に廃棄された原発の廃棄物によって生まれている。近代兵器でもかなわないゴジラは、大震災、大津波、原発事故が重なった東日本大震災を彷彿させる。つまり初代コジラが核兵器の申し子であるのに対して、「シン・ゴジラ」のゴジラは原子力発電、換言すれば東日本大震災の申し子といえるだろう。これは、先の大震災を経験した我々日本人にとって大変リアリティのある設定ではないだろうか。

本物の官僚が登場した

 「シン・ゴジラ」は怪獣映画というよりも、パニック映画であり、政治サスペンス映画であるといったほうがいいだろう。主人公はゴジラに立ち向かう人間たちだ。


矢口蘭堂・内閣官房副長官の下、一癖も二癖もある中堅官僚が集まった(©2016 TOHO CO.,LTD.)
 本作品は官僚や政治家の描き方が極めてリアルだった。主人公で内閣官房副長官の矢口蘭堂が、一癖も二癖もある中堅官僚(主として課長や課長補佐)を集めて対策本部をつくる。中央官庁を実際に動かしているのは課長や課長補佐クラスだ。

 課長というと、あまり偉くないイメージを受けるかもしれないが、中央官庁の課長のステイタスは大手企業の経営者に匹敵する。だから普通の映画やドラマでは、眼光鋭く高級スーツをパリッと着こなした、いかにもエリート風の人物として登場することが多い。だが筆者はそのような人物を現場で見たことがない。

 現実には、課長クラスでも普段はサンダル履きで、「市役所の課長さん?」というようなタイプが多い。シン・ゴジラに登場する官僚は、防衛省だけではなく、さまざまな官庁に出入りしている筆者からみて、実際にいそうなタイプの人物ばかりだった(筆者のネタ元にはこういうタイプの官僚が多い)。ドラマなどの「いかにも」居そうなタイプではなく、現実の官僚に近い雰囲気の役者を集めたことがリアリティを高めている。

 登場する女性官僚もよくある妖艶な権力志向の美女ではなかった。本作品で人気を独占している環境省の尾頭ヒロミ課長補佐(市川実日子さんが演じた)のような、化粧っけがなく、野暮ったいスーツを着た女性を現実の省庁内でよく見かける。

 また「シン・ゴジラ」に登場する官僚たちは若い女性を含めて、いかにも映画的な、きっちりとドーランを塗るメイクをしていないように見えた。このためアップのシーンでは、尾頭ヒロミを含めてシミやそばかすなどが目立った。このためまるでドキュメンタリー映画のように見えて、これもこの映画のリアルさを増している。庵野総監督やスタッフが極めて精緻に取材をした結果が活かされているのだろう。

真の官僚は出世できない

 劇中でも言及があったが、この対策本部に集められたような“はみ出し官僚”はあまり出世できない。能力があって現状に疑問を持ったり、改革を提案したりする官僚は一般的に変人扱いされるからだ。勉強しない、“社内政治”のバランス感覚がある人間が出世する。

 これは自衛隊も同じだ。他国の将校であれば当然のように読んでいるプロ用の軍事雑誌(日本のマニアが読む“専門誌”とは異なる)など読んでいると、「マニア」とか「おたく」と呼ばれる。このため話していて、愕然とするくらい軍事情報に疎い幹部(将校)が少なくない。

 自衛隊ではやる気があり、現状の改革を訴える人間ほど組織から疎まれ、いびり出されたりする。このため、現役を退いた後に本音を語ってくれる将官がいる。果たして有事の際にこれで大丈夫なのかと心配になる。かつて防衛庁の天皇と呼ばれた故海原治氏は実戦を想定していない自衛隊のあり方を批判していた。30年以上経った現在でもその実態はほとんど変わっていない。

矢口は最大のフィクション

 官僚ではないが、若手政治家の矢口蘭堂・内閣官房副長官(長谷川博己さんが演じた)も自己の意見を総理大臣や閣僚に進言して、赤坂秀樹・首相補佐官(竹野内豊さんが演じた)にたしなめられていた。対ゴジラ作戦が成功したのは、能力はあるが、出世にこだわらない個性の強い官僚を、矢口が組織化したからだろう。これはまさに有事の指揮官の資質である。

 矢口は首相に直言をするなど、あまり政治家らしくない政治家だ。世襲議員であることが劇中で述べられていたが、恐らく庵野監督は自民党の小泉進次郎氏をイメージしたのではないだろうか。この政治家・矢口がおそらく本作品の最大のフィクションだろう。ここまで洞察力があり、信念に基づいて行動でき、いざとなれば腹を切る覚悟がある政治家が本当にいるとは思えない。

 劇中、政治家が閣議や他の会議で、後ろに控えている官僚から渡されるメモをただ読むばかりのシーンが描かれている。これもまた事実だ。他の映画やドラマのように、政治家同士が断固意見を述べ合う会議はフィクションに過ぎない。

 防衛省の記者会見でも大臣や幕僚長の後ろに内局官僚や制服組が何人も分厚い資料をもって控えている。質問があると、大臣にペーパーを渡す。大臣が自分の言葉で語ることはほとんどないといってよい。

 筆者はこれまで防衛省の記者会見に参加してきた。だが、大臣や幕僚長が嫌がるような質問(他国では当然するような内容)をするためか、記者会見に参加する意思を表明すると、前日に広報から「明日どんな質問をします?」と電話がかかってくる。これは他の民主国家ではありえない話だ。本来このような慣れ合いに付き合いたくはなかったが、それに答えておかないと、大臣はまともな回答ができない。外国のメディアからみれば極めて奇異に映るところだ。基本的に記者クラブが独占している当局との慣れ合いのような記者会見では、シビアなやり取りはほとんどみられない。

 東日本大震災当時、筆者は永田町の先生方が被災地の実情をあまりにも知らないことに驚いた。彼らは官僚から「ご説明」と呼ばれるレクチャーを受ける。防衛省の官僚や自衛隊の制服組の「全て順調に言っております」という大本営発表的な「ご説明」を鵜呑みしていた。法律や医療の政策ならば、在野にそれぞれの専門家が多くおり、様々なセカンドオピニオンが政治の世界に入ってくる。だが防衛は機密が多いこともあり、メディアの不勉強と無関心もあって、有用なセカンドオピニオンが極めて少ない。

 このため筆者は現場の部隊や市ヶ谷(注:防衛省を指す)の中堅幕僚に会い、現場で何が起こっているかを調査し、与野党を問わず政治家につないだ。だが、全般的に反応は芳しくなかった。特に防衛省の中にいる政治家たちは完全に防衛省発の情報しか信じないようにみえた。

 震災当時に危機感をもって動いて上に具申していた当時の中堅幕僚の多くは、上層部には反抗的と映ったらしく、大震災直後の夏の人事異動で市ヶ谷から飛ばされていった。意欲があり本当に国を憂いている人間は疎まれる。自衛隊でも有能で勉強熱心で、現状を変えようという情熱を持った人間は、自ら辞めていくか、組織から追い出される。筆者は少なからずそのような実例を見てきた。それが自衛隊の現実だ。

 これで本当に危機に対応できるのか。政治家たちは官僚からの誤った情報を元に対処していたことになる。原子炉への対処など、東日本大震災への対応の迷走ぶりの一部が報道で伝えられ、明らかになっている。だが隠蔽されて「なかったこと」になっているものも少なくない。

 ただし、当時の民主党政権に近い人物から、筆者が繋いだ情報で菅直人総理の暴走に随分歯止めがかかったとの話を最近聞いた。全く無駄だったではなかったらしい。

ジャーナリストは政治家や官僚の情報源

 劇中で矢口の部下である志村祐介・内閣官房副官房秘書(高良健吾さんが演じた)がジャーナリストと接触するシーンがある。専門分野を持つジャーナリストは独自の情報ルートを持っているし、役所の垣根を越えて動けるので、役人が得られない情報を探し出したりすることが少なくない。このためジャーナリストと交流することで情報を得ようとする官僚が少なくない。

 また自分に都合のいい情報をメディアに載せたいためにリークする人間もいる。筆者が某財団で政策提言を書いた時のことだ。その際、経産省から内閣情報調査室に出向していたある官僚から、自分の都合の良いように書き換えるよう要求されたことがある。当然断った。

 メディアの多くは自衛隊がいかに活躍したかを大々的に報道した。むろん、現場の部隊、隊員たちは奮闘していた。その影で、多くの問題はほとんど報道されず、国民に情報は伝わっていない。現場の兵隊(士クラス)の充足率が極端に低い。無線が通じない。遺体袋やNBCスーツ(核・生物・化学防護服)がほとんどなかった。鳴り物入りで導入された無人ヘリは全く飛ばなかった。(この件に関しては筆者の過去の記事を参照)。

 『放射能防護服や通信機器が足りない』
 『災害現場で活躍する自衛隊の課題』

矢口のような政治家を望む

 大震災の折に、主流派上におもねって、上司の顔色だけをみるヒラメ官僚の「大丈夫です」を鵜呑みにせず、官僚の言いなりになることなく、能力のある官僚たちを組織化できる政治家がいたら随分と対処は変わっていたのではないだろうか。

 シン・ゴジラでは「幸運」にも政府首脳が全滅したので、矢口らのチームは比較的自由に動けた。だが、現実の世界ではそうはいかないだろう。ゴジラにしても、原発事故を伴った東日本大震災にしても、人智を超えた災難であり、平時のエリートたちは腰を抜かすことしかできなかった。果たして、次に我が国を襲う災害や戦争に臨んで、政府や自衛隊はその責務を果たせるか。大変に疑問だ。果たして国難に際して矢口のような政治家が現れるのだろうか。

 無論、シン・ゴジラはエンターテインメント映画であり、楽しめればそれでいい。筆者も大いに楽しんだ。だが、映画をきっかけに現在の政治や行政のあり方を考えてもいいのではないだろうか。

清谷信一(きよたに・しんいち)
軍事ジャーナリスト、作家。
1962年生まれ、東海大学工学部卒。2003〜08年まで英国の軍事専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』日本特派員を務める。香港を拠点とするカナダの民間軍事研究機関Kanwa Information Center上級アドバイザー、日本ペンクラブ会員。
著書:『軍事を知らずして平和を語るな 』(石破 茂氏との共著 KKベストセラーズ)、『弱者のための喧嘩術』(幻冬舎アウトロー文庫)、『国防の死角』(PHP)、『防衛破綻──「ガラパゴス化」する自衛隊装備』(中公新書ラクレ)など。


このコラムについて

「シン・ゴジラ」、私はこう読む
「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」。大ヒットとなった映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督)は、現実の日本に、ゴジラという虚構をぶつけることで、日本人、特に組織の中で生きる人間に対して、自らの弱さ、強さ、そして「仕事」を、強烈に意識させる作品になった。オトナとしてこの社会の中で生きている日本人たちに、それぞれの立場からの、シン・ゴジラへの読み解きを寄せてもらった。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/083000015/083100002/



『シン・ゴジラ』とオメガ計画と八岐大蛇と

山根一眞の「よろず反射鏡」

「大人の妄想」が止まらない(後編)
2016年9月6日(火)
山根 一眞

日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。
(前編はこちら)


悶絶の代謝地図と解かれない謎と

 シン・ゴジラ攻撃のヒントを得る代謝マップらしきものを見て、「おお!」と身をのり出した。40年くらい前に初めて見て大感動した細胞の代謝マップを思い起こさせたからだった(分厚い大判サイズの代謝地図帳をどこかの研究所で見て後でやっと入手した)。

 そのマップとは、大腸菌がどのようにエネルギー源(栄養)を取り入れて酵素などの働きで生命維持に欠かせない物質を作っているかについての気絶するような生化学反応の経路を、立体的に描いたとんでもなく複雑で美しい図なのだ。生命体で行われている化学反応がこれほど複雑であること、それを解き明かしてきた研究者の努力に敬服したのだ。


代謝マップの一例。これは医薬品メーカー、ロシュ社が1965年に初版を出して以降、改訂を続けてきた「大腸菌の生化学代謝地図」。(出典:Biochemical Pathways、編纂者・Gerhard Michal博士)。
 生命科学の進歩を受けて更新し続けている最新マップも次々に公開されており、日本では京都大学のKEGG(京都大学生命システム情報統合データベース)が知られている。

 『シン・ゴジラ』に出てくる代謝地図らしきものはその「生化学代謝地図」とはまったく違うが、その複雑さや美しさのイメージはとても似ているので、参考にしたのかもしれない。『シン・ゴジラ』で使われた小道具のそのマップを詳しく見たいなと思うが、映画では、そのマップに動物である(であろう)ゴジラの体内で、原子力をエネルギー源として利用している仕組み、代謝系が描かれている、という「設定」のようだ。

 しかし映画では、動物学者がその一番肝心な部分の、「嘘」なりの「謎解き」を最後までしてくれなかった。

 ゴジラはありえない動物(生命体?)ゆえ、映画という虚構表現では原子力がエネルギー源であってももちろんOKだが、虚構は虚構なりに「虚の説明」があった方がよかった。いや、製作チームも同じことを考え、虚構なりの説明を組み立てていたのではないかと思うが、上映時間の制限から編集時にそのシーンをカットした可能性もある。

「熱」ではなく「電子」に

 映画を観て帰宅後、そこが一番知りたかった「嘘話」なので、私なりにその空隙を埋めてみようと思い立った。

 まず、原子力でエネルギーを得るとは、どういうことか?

 簡単に言えば、核燃料に核分裂を起こすと、とてつもない熱が出る。その熱で蒸気を作る。原子力発電所では、その蒸気でタービンを回し、タービンに直結した発電機を回して電力を得る。

 核融合炉の開発も始まっているが、「核反応→熱→蒸気→発電機→電力」というエネルギー変換は同じだ。


柏崎刈羽原子力発電所の展示室で撮影。左・原子力プラントの全体図、右・原子炉の展示模型。シン・ゴジラが体内にこんなエネルギー発生装置を持っていた、というのは虚構として説明がつかないだろう。(写真・山根一眞・2009年)
 原子力潜水艦では、原子炉で発生した熱で作り出した蒸気力で直接スクリューを回し推進力にしたり、蒸気力で発電機を回しバッテリーを充電、それによってモーターを動かしスクリューを回転させている。

 原子力をエネルギー源とする方法は、今の科学技術ではこのように「熱利用」が基本だ。

 しかし、シン・ゴジラが、そんな核反応による高熱発生機構を体内に持っているというのは「嘘」とはいえ無理がある。シン・ゴジラは、その核反応による熱を冷ますためにある程度の運動の後に海中に入らなければならないという設定のようだが、とすればシン・ゴジラは体内に原子力プラントと同じ設備を内蔵していることになってしまう。このあたりは辛い設定だ。

 では、シン・ゴジラが動物であるという前提で、核をエネルギー源とする代謝系は、どうすれば実現可能だろうか。あれこれ考えたのだが、あの巨大な「代謝マップ」がちらついていいアイデアが出ず、眠れなくなった(人迷惑な映画だこと)。

 ひとつの可能性として思い浮かんだのは、生命体は電子を巧み利用している点だった。

 神経系が情報伝達に電気信号を使っていることは知られているが、ニューロン(脳細胞)のON、OFFの接点であるシナプスでは、電気信号を化学物質に変換し、化学物質を向かいあう接点に飛ばし、受けとった接点側がその化学物質を電気信号に変えて、次の経路に情報を伝えている。

 つまり、電気エネルギーと化学エネルギーは相互に変換されている。


ニューロンとシナプスの構造と機能図。(出典:https://commons.wikimedia.org
 そこで、シン・ゴジラは、その電気と化学物質の相互変換能力を著しく増大させているという前提をまず考える。

 続いて核分裂か核融合だが、その反応では熱がエネルギーとして出るが、何からの信じがたい、つまり大嘘の設定として、シン・ゴジラは核分裂や核融合で発するとてつもないエネルギーを、「熱」ではなく直接「電気エネルギー」として取り出すことが可能な機能を持つようになった、とする。あり得ないことだが、それらしい嘘かな、と。

 「シン・ゴジラは、核エネルギーを直接電気に変換し、その電気を利用して突然変異で作り出したとてつもない生体化学物質で不死身の体を実現しているようです」と、科学者がまことしやかに説明したら面白かったのでは。

人類文明の光明と次なる戦いと

 シン・ゴジラはその核燃料を海底に投棄処分された核廃棄物から得たということのようだが、果たしてエネルギーを使い尽くしたカスである核廃棄物をエネルギー源とすることは可能だろうか、という課題もある。

 原子力発電所の核燃料は「ウランペレット」と呼ばれる指先に載るほどの小さく焼き固めた粒が最小単位。それを縦に並べて燃料棒としているが、その使用済み燃料が大量に海底に投棄されたわけではないだろう(使用済み燃料は再処理によって新たな燃料にできるので)。


これと同じサイズ・形の原子炉の燃料、ウランペレット1個が一般家庭8〜9ヶ月分(2500kWh)のエネルギーを産み出す。燃料棒にはこれを約350個詰めて密封。柏崎刈羽発電所6号機ではその燃料棒を正方形に束ねた燃料集合体872本が原子炉に入っている(出力135.6万kW=発電量は日本第4位の黒四ダムの発電量の4倍)。(写真と手・山根一眞)
 そこで、次なる「嘘」としては、シン・ゴジラは核廃棄物を大量に摂取し、ごく微量に残っていた核物質を消化吸収し濃縮、新たな核燃料を作る原子燃料サイクルを行う代謝系をも持っている、としてはどうか。

 つまり、シン・ゴジラの体内には、六ヶ所村の原子燃料サイクル施設の超ミニサイズ機能がある、のだ、と。(うーん、まったくあり得ない嘘だが観客をまま納得させることは可能かな?)。


六ヶ所村の原子燃料サイクル施設。原子炉の燃料であるウラン235からエネルギーを取り出し終えた後にまだ残っているウラン238と、一部が変化したプルトニウムを再処理し、再度原子炉の原料とするのが目的。(写真:AP/アフロ)
 ということが明らかにされたあと、頭のよさそうな官僚が、

 「ということは、シン・ゴジラのそのメカニズムがわかれば、原子力のまったく新しい利用技術が得られるということじゃないですか。これは人類文明の光明です。あ、攻撃時間が迫っている、ダメだ!攻撃を中止!!」

 と叫ぶが、時すでに遅し、シン・ゴジラは総攻撃によって粉砕されてしまった……(という結末もあり得た?)。

 幸い、映画『シン・ゴジラ』でのシン・ゴジラは、凍結した状態で東京駅に直立したままで終わっているので、『続・シン・ゴジラ』ではその技術を得て次世代のエネルギーを独占しようと某国が攻撃を仕掛けてくる戦いになる……、なんて、ね。

「オメガ計画」と『春と修羅』と

 『シン・ゴジラ』には、さりげなく何かを伝えようとしている意味不明のシーンがところどころにちりばめられており、それがこの映画の話題作りに貢献しているのは「監督、お上手ね」だ。

 ちなみに、件の博士は放射能を解消する研究をしていたという話が「空想設定」として出てくるが、あれはよろしくなかった。それは空想でも虚構でもなく「分離核変換」(かつては「消滅処理」と呼んだが)という技術として確立しているからだ。日本はそれを「オメガ計画」(OMEGA=Option Making of Extra Gain from Actinides and fission products)として具体的なプラントの計画図も描かれ実現に向けて取り組んだこともあったが、予算がつかず計画は「消滅」してしまった。

 2002年にその研究の推進役だった研究者、向山武彦さん(当時・中性子科学研究センター長)と対談を行い拙著に掲載しているだけに、そういう技術が観客に「ありえない虚構だ」と思い込ませているのはよろしくないです。

 ゴジラが、「分離核変換」能力を持ったことにすれば、不法廃棄放射性廃棄物を餌にしたストーリーが、もっと面白くできたと思う。


高レベルの放射性廃棄物には放射能を20万年も出し続けるものがあるが、その廃棄物を燃料にし核分裂させれば、エネルギーを取り出しながら半減期を1〜10年に短縮できるというのが「OMEGA計画」。拙著『メタルカラー烈伝・温暖化クライシス』(2006年、小学館刊)に収載した対談で向山さんは、コストはかかるが、「この技術を導入しても原子力発電のコスト上昇は5%以内で済む」と語っている。写真左下は、ノーベル賞受賞者の小柴昌俊さん。(写真・山根一眞)
 何かを伝えようとしている意味不明のシーンで、もうひとつ気になったのが、博士が遺した宮澤賢治の詩集『春と修羅』だ。

 『春と修羅』は1922年(大正11年)、賢治の生存中に出版された唯一の作品だ。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 という「序」が私はとりわけ好きで暗記している。

 1967年10月の誕生日、20歳を迎えた日、私はぶしつけにも熱く傾倒していた宮澤賢治の生家(岩手県花巻市)をいきなり訪ねたのだが、御令弟の宮澤清六さんがあたたかく迎えて下さった。そして賢治の最期の日のことなど多くの賢治の人生を伺い、また、賢治のたくさんの生原稿を見せていただいた。その一つが、『春と修羅』だったのだ。また、清六さんにプレゼントされた清六さんのサイン入りの『賢治詩集』は、天皇皇后陛下から手渡しでプレゼントされた数冊の本とともに書棚に燦然と輝くお宝なのに、ゴジラ映画に『春と修羅』が出てきちゃったとは……。


1967年、花巻市の宮澤賢治の生家で『春と修羅』の生原稿の一部を手にとり写真に撮ることができた。48年前のことゆえ、性能の悪いフィルムカメラでの暗い室内での接写で画質はひどいが私にとっては貴重な一枚だ。(写真・山根一眞)
 このシン・ゴジラでの『春と修羅』の意味も書きたいが、賢治ファンは多く、議論を始めると炎上しちゃいそうなのでやめておくが、困った投げかけをしてくれましたねぇ。

八岐大蛇の教訓と止まらぬ妄想と

 最後に、話題にのぼっている大きな謎かけが、凍結されたシン・ゴジラの尾に人間のようなものが透けてみえているらしい、というシーンだ(スクリーンが大きすぎて私は気づかなかった)。

 「暴れまくる怪獣、その退治、そして尾に何かがある」というモチーフは、八岐大蛇(やまたのおろち)神話を思わせる。山陰地方に伝わるこの神話はスサノオノミコト(須佐之男命)が、暴れまくる頭と尾が8つある怪獣を倒す物語だが、その怪獣の「尾」から出て来たのが、後に三種の神器のひとつとなる「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」なのである。

 『日本書記』や『古事記』に記されたこの神話をたどって山陰地方を調べ歩いたことがあるが、専門家から、これは日本最初の公害事件だという意見を聞いた。大陸から渡来した帰化人がもたらしたとされる技術である鑪(たたら)製鉄では、大量の木炭を必要としたため森林は大量伐採によって荒廃した。それによって下流の農村はしばしば鉄砲水や洪水被害に悩まされた。下流の人々は、見上げる山に光る紅い光を頭が8つある大蛇の眼だと信じていたが、それは鑪製鉄の精錬の火だった。また、精錬によって出る鉱毒による水の汚染も下流の人々を苦しめた。


出雲地方を中心に八岐大蛇伝説は山陰各地に広く神楽として残っているが、その各地を調べたところ鑪製鉄の流れをくむ鉄つくり(ベンガラ=酸化鉄)も重なっていることに気づいた。(出典:訳・チェンバレン、画・小林永濯『日本昔噺第九号 八頭ノ大蛇(英語版)) 』1886年、長谷川武次郎刊)
 八岐大蛇とは工業化が産み出した「怪物=環境破壊=公害」であり、斃れた八岐大蛇の尾から大刀が出てきたのは、まさに鑪製鉄の象徴なのだという(今も優れた名刀には鑪製鉄による玉鋼が欠かせない)。これは一つの説ではあるが、実際に出雲地方の古代の鑪製鉄の遺跡を訪ねて、化石化した松の巨木の切株が多く残っていることを知り、この説はホントだろうなという思いを抱いた。

 八岐大蛇は工業化によってもたらされた巨大災害で、象徴がその代償として得た鉄鋼製品というストーリーをシン・ゴジラになぞらえると、尾に原子力災害をもたらした、いや、そのエネルギーを享受してきたものの象徴として「人」を描き込んだと、読み解くこともできる(庵野監督がそこまで考えていたとしたら、やはり天才でしょう、もっとも庵野監督はこの『シン・ゴジラ』で疲れ果てたのか、もうゴジラ映画は作らないと発言しているそうだが)。

 『シン・ゴジラ』が、子供向け映画としてではなく大人向けの映画として面白いのは、観客にこういう「みだらな妄想」を次から次へともたらしてくれるからなのだ、というのが私の感想です。

読者の皆様へ:あなたの「読み」を教えてください
 映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?

 その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。

 その挑発的な情報の怒涛をどう「読む」か――。日経ビジネスオンラインでは、人気連載陣のほか、財界、政界、学術界、文芸界など各界のキーマンの「読み」をお届けするキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を開始しました。

 このキャンペーンに、あなたも参加しませんか。記事にコメントを投稿いただくか、ツイッターでハッシュタグ「#シン・ゴジラ」を付けて@nikkeibusinessにメンションください。あなたの「読み」を教えていただくのでも、こんな取材をしてほしいというリクエストでも、公開された記事への質問やご意見でも構いません。お寄せいただいたツイートは、まとめて記事化させていただく可能性があります。

 119分間にぎっしり織り込まれた糸を、読者のみなさんと解きほぐしていけることを楽しみにしています。

(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)

このコラムについて

山根一眞の「よろず反射鏡」

世の中の「よろずごと」を眺めていると、なぜ、こんなに凄いこと、こんなに変なことが伝えられていないのか、と、気になることが多々あります。モノつくり、環境問題、地球温暖化、エネルギー、宇宙や深海などの先端科学や技術、モバイル通信、情報整理や仕事術、勉強法、さらに地域活性化や行政のあり方、興味深いイベント、巨大インフラのプロジェクト、注目の新ビジネス、経済活性化のヒント……。報じられることが少ない「大事なこと」「凄いこと」「興味深いこと」「ぜひ実現してほしいこと」「評価すべき市民活動」などジャンルにとわられず、私自身が反射鏡となって皆さんにお伝えします。また「問題点」を伝えるだけでなく、読者の皆さんが知恵を出す一助になればと、私なりの解決案やアイデアも提案します。身近な生き物の世界を通じて、企業にとって見過ごすことができなくなっている「生物多様性」のありようも報告するつもりです。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/276770/083000010
 

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コメント
 
1. 2016年9月06日 07:32:57 : X8aGpYZawc : mK@VEmF4Mnw[3]


     これだけの 話題の映画 15億円

     電通が作った アホアベマリオ 12億円


2. p4rhfeEDdk[131] gpCCU4KSgoiChoKFgmSCY4KEgos 2016年9月07日 13:14:50 : LNxdHmKVZY : 4FvRDhqin8E[74]
> その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。


シン・ゴジラの進行ルート。
映画の中で出てくるネットの書き込み。
かすかに聞こえる声だけの出演。
御用学者のキャスティング。
関東大震災の震源地でもあった相模湾から再上陸し、
東京の’ある場所’を目指して進行したのも興味深い。

公開初日まで、関係者にも詳細は未公開だったらしい。
それを踏まえて、
エンディングに流れる膨大なクレジットタイトルを見るのも面白い。


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