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再び医療費急増も、厚労省は危機感なし?42兆円緊急事態 入院中年男性が不機嫌な理由 社長も終活は楽でない 失われたトイレ
http://www.asyura2.com/16/senkyo213/msg/313.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 9 月 23 日 00:22:33: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

business.nikkeibp

再び医療費急増も、厚労省は危機感なし?

磯山友幸の「政策ウラ読み」

約42兆円、3.8%増加の「緊急事態」
2016年9月23日(金)
磯山 友幸
2015年度の医療費、またしても過去最高を更新

 2015年度の医療費(概算)がまたしても過去最高を更新した。厚生労働省が9月13日に発表した概算医療費の年度集計によると、2015年度は前の年度に比べて約1.5兆円増えて41.5兆円となった。労災や全額自己負担で支払われた医療費は含まれておらず、これらを含んだ総額である「国民医療費」(来年10月頃発表)は42兆円を超える見通しだ。概算医療費が過去最高を更新したのは13年連続である。

(厚生労働省Web内  「平成27年度 医療費の動向」リリース ダウンロードページ)
 2015年度の特徴は医療費の伸び率が3.8%と2014年度の1.8%から大きく高まったこと。医療費の伸びに歯止めがかかるどころか、逆に伸びが大きくなった。伸び率の推移を見ると2011年度3.1%→2012年度1.7%→2013年度2.2%→2014年度1.8%と推移してきており、2015年度の3.8%増は過去3年の趨勢に比べて明らかに増加ピッチが高まった。

 伸び率が高くなった最大の要因は75歳以上の高齢者の医療費が4.6%という高い伸びになったため。前年度は2.3%の伸びだったが、4年ぶりに4%台に乗せた。


2015年度の医療費(概算)がまたしても過去最高を更新した。このままでは、医療保険の制度自体が崩壊してしまう。
高齢者の人数も増加、1人あたりの医療費も増加

 もちろん高齢者の割合が増えていることも背景にはあるが、高齢者1人あたりの医療費が伸び続けていることも大きい。75歳以上の1人当たり医療費は94万8000円と前年度に比べて1万7000円、率にして1.8%増えた。75歳未満の1人当たり医療費は22万円だから高齢者は4.3倍の医療費を使っており、しかも毎年その額が増えていることになる。高齢者医療費の増加をどう抑制していくかは、医療費全体の伸びを抑えるうえで、極めて重要になっているわけだ。

 もうひとつ医療費の増加抑制を考えるうえで大きなポイントがある。医薬品の調剤費である。実は、2015年の医療費の中でも伸び率が際立って大きかったのが調剤費で、9.4%も増えた。厚労省によると、高額の薬剤を使用するケースが増えたことが調剤費の大幅な増加につながったという。

 調剤費は2011年度に7.9%増えた後、2012年度1.3%増→2013年度5.9%増→2014年度2.3%増→2015年度9.4%増と隔年ごとに大きく増えている。高齢者の医療費と調剤費の伸びをどう抑えるかが増え続ける医療費の伸びを止めるためには必須ということになる。

「医療費適正化計画」では、平均入院日数短縮に注力

 もちろん厚労省も増え続ける医療費を問題視していないわけではない。2008年度を初年度とする5年間の「医療費適正化計画」を設定、2013年度からは第2期が始まっている。

 第1期で力を入れたのは平均入院日数の短縮だった。高齢者が長期入院することが高齢者医療費の増加につながっていると考えたわけだ。平均在院日数のデータのとり方にはいくつかあるが、計画当初の平均在院日数を32.2日とし、これを1期が終わる2012年度に29.8日にするとした。ここ数年、入院した経験のある人ならば、医師が1日でも早く退院させようとしていたことを感じた人もいるだろう。実績は29.7日と目標を達成したとしている。第2期は平均在院日数の目標を28.6日としている。

 入院日数は短くなっているのだが、入院でかかった医療費は減っていない。概算医療費のデータでも入院日数はマイナスになっているのだが、入院医療費自体は増え続けている。2015年度は1.9%増加した。入院日数を減らしたことで医療費が抑制されていると考えることもできる。実際2015年度の入院医療費は1.9%増だったが、入院外は3.3%増えていた。一方で、入院日数をいくら減らしても医療費はマイナスにならないと言うことも可能だ。

 医療費適正化計画では全国の都道府県に対して医療費の見通しを示すように求めている。将来どれぐらい医療費がかかるのかを見極めたうえで対策を取ろうというわけだ。

 第1期では2008年度を34.5兆円としたうえで、適正化で対策を取る前の2012年度の見通しを39.5兆円と置き、適正化対策後の目標として38.6兆円という見通しを立てた。適正化によって0.9兆円の効果があるという計画だったが、これ自体は役人の机上の計算と言うこともできる。見通しを高くしておけば、実績を達成させるのは容易になる。

 実際は2008年度の実績が34.1兆円、2012年度の実績は38.4兆円だった。表面上の数字は目標を達成したことになる。

 ちなみに第2期は厚労省としての数値を出していないが、都道府県の見通しを機械的に足し上げたものとして2017年度の適正化後の数値は45.6兆円になるとしている。かなり甘い数字を見通しとして置いており、これでは医療費抑制のターゲットにはならないだろう。

安倍内閣は医療費圧縮に本腰を入れていないようにみえる

 調剤費については、後発医薬品(ジェネリック)の使用率の引き上げや、重複投与の抑制、7剤以上の大量投与の抑制などを掲げている。もっとも、調剤費を将来いくらにまで圧縮するかという目標は設定されていない。

 医療費の伸び率が再び高まっているのは「緊急事態」のはずだが、厚労省の動きをみていても危機感が乏しい。もちろん、診療報酬や薬価基準の改定では厳しい見直しが行われている。2014年度の改訂では診療報酬は0.1%引き上げられたものの、薬価基準は1.36%のマイナスとなった。また2016年度の改定でも医療費ベースで薬価基準は1.22%のマイナスとなった。ところが、調剤費の伸びをみると、薬価改定年度は伸びがいったん小さくなるものの、翌年度は再び大きく伸びる傾向が鮮明になっている。イタチごっこになっているのだ。

 安倍晋三内閣も医療費の圧縮には本腰を入れていないようにみえる。第1次安倍内閣の時のトラウマがあるためだと思われる。医療費を含む社会保障費の抑制方針は小泉純一郎政権後半から最大の課題になっていたが、この方針は第1次安倍内閣にも引き継がれた。2007年夏の2008年度予算編成では7500億円の自然増が見込まれた社会保障費を5300億円増に抑える予算が組まれた。2200億円の抑制である。翌2008年夏の予算編成(2009年度予算)でも激論の末、8700億円の自然増を6500億円増に抑える予算が組まれた。

野党の「医療崩壊」キャンペーンが、自民政権を倒した?

 これに対して当時の民主党など野党は「医療崩壊」キャンペーンを展開した。自民党政権が2200億円を「削減」したために、救急医療や小児科などが立ち行かなくなったとしたのである。

 ことの真偽はともかく、自民党内にはこの時の2200億円圧縮が自民党の政権陥落の一因になったとみる意見が今も根強く残る。つまり、医療費の伸びを本気で抑えようとすると、高齢者医療費の抑制などを掲げた場合、再び「弱者切り捨て」「高齢者医療崩壊」といった批判を受けることになると心配しているのだ。

 だが、一方で、このまま医療費が増え続ければ、国家財政ばかりでなく、企業などの健康保険組合の財政も破綻しかねない。医療費が増え続ける中で、健保組合が財政を立て直そうとすれば、健康保険料を引き上げざるをえなくなり、結局は働く人たちの懐を直撃することになる。

 そうでなくても厚生年金の保険料は毎年引き上げが続いており、働く世代の可処分所得は減り続けている。圧倒的におカネがかかっている75歳以上の高齢者の医療費を減らせとは言わないまでも、1人当たり医療費の増加を止めることは不可欠だろう。

 75歳以上の医療費が増えている要因を細かく分析し、その伸びをどうやって止めるかを真剣に考える必要がある。早く出血を止めないと医療保険の制度自体が崩壊してしまう。


このコラムについて

磯山友幸の「政策ウラ読み」
重要な政策を担う政治家や政策人に登場いただき、政策の焦点やポイントに切り込みます。政局にばかり目が行きがちな政治ニュース、日々の動きに振り回されがちな経済ニュースの真ん中で抜け落ちている「政治経済」の本質に迫ります。(隔週掲載)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/092100031


 
入院した中年男性がおしなべて不機嫌な理由

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明

2016年9月23日(金)
小田嶋 隆

 入院している。

 昨年の3月、自転車走行中の転倒で、左膝の関節の内部を骨折し、4月のはじめに関節の修復手術をした(編注:その写真入りレポートはこちら→「骨折したオダジマが泣いた、親友の電話」)。この時、左膝に、チタン合金製のプレートと、それを固定する9本のボルト(ネジですね)を入れた。

 で、このたび、術後約1年半を経て骨折部が完治したので、金属板とボルトを除去する手術を受けるべく、前後10日ほどの日程で再入院している次第だ。

 手術は昨日(この原稿を書いている前日の9月20日)の朝、無事終了した。現在は、切開・縫合部に軽い痛みはあるものの、順調に回復しつつある。

 今回は、しばらくぶりに病院暮らしをしていることでもあるので、世間を騒がせている生臭い事件とは距離を置いて、ベッドに寝ながら考えたことなどを書いてみようかと思っている。

 病院での日常は、病気や障害との戦いなのかというと、案外そうばかりのものでもない。とくに長期入院患者の場合、日々の暮らしは、症状と和解し、加齢と折り合いをつけ、不自由さに慣れる過程としての、ソフトランディングの意味合いが大きい。

 そして、こういう状況に、男はうまく適応できない。

 前回の入院の時も思ったのだが、年配者の多い同僚患者を見ていると、病院の日常に適応して入院生活を楽しんでいるように見えるおばあさんたちに比べて、男性のご老人は、おしなべて不機嫌な様子をしているのだ。

 互いに病状を気遣い、朝に晩に声を掛け合いながら、機嫌良く病院の明け暮れをやり過ごしているおばあさんたちに比べると、爺さんたちは、どうかすると自分で自分の症状を悪化させているようにさえ見える。

 どうして、こういうことになるのか。
 それを、今回は考察してみたい。

 無論、個人差はある。
 私は「男は」とか「女性は」とかいった大きな主語を使って性差決定論を振り回そうとしているのではない。ジェンダー差別の話題を持ち出すつもりもない。あくまでも、私の目から見た男女の老化の違いについて、個人的な感慨を述べてみたいということだ。

 手術が行われた9月20日は、ちょうど敬老の日で、夕食には、病院食の調理を手伝っているご近所の女子大の実習生さんの手になる鶴亀のモチーフをあしらった手書きのカードが添えられていた。

 私は、術後のぼんやりするアタマで

「おお、オレは敬老対象に算入される男になったのだなあ」

 と、しばし感慨にひたったわけなのだが、残念なことに、その日の夕食は、麻酔の副作用の吐き気がひどくて、ほとんど食べられなかった。

 いま現在の自分が、果たして老人であるのかどうか、はっきりしたところはわからない。答えは、文脈や本人の気の持ちようで変わるものなのだろうし、多くの人が、答え以前に、その問い自体を忌避していることを思えば、回答は、結局のところ、死の直前まで留保されるのかもしれない。

 大切なのは、本人が自分を老人だと考えるかどうかではない。現実的には、むしろ、自分を老人として扱う世間に対してどのように対処するのかという、その振る舞い方が、当人の生活をより大きく左右することになる。

 このことは、「老人」を「病人」に変えてもほとんど同じように適用できる。「下っ端」でも「貧乏人」でも同様だ。

 私がここ数年来様々な場所で感じているのは、その「意に添わぬ立場に置かれた」時に、多くの男がまるで機能しない人間になってしまうという、そのことだ。

 この問題は、第一義的には、「礼儀」ないしは「対人コミュニケーション」の不具合として立ち現れる。

 入院4日目の朝、私は自分のツイッターに

《人間の中味はともかく、こと対人マナーに限って言うなら、男の態度はトシを取れば取るだけ悪化する。失礼な若いヤツには滅多に会わないが、失礼なおっさんは珍しくない。爺さんになると失礼な人間の方が多数派になる。女性は年齢では変わらない印象がある。まあ、個人の感想だが。》

《年配の女性と年配の男性を比べると、救いようの無い人間は後者の集合により多く含まれている。
 一応、個人の感想と言っておく。》

 というツイートを書き込んだ。

 念のために申し添えれば、これは、私が病院内で遭遇した特定の患者やその家族を想定して書いたコメントではない。この2年ほどの間に、杖を突いて歩く駅のプラットホームや、通院先の病院のロビーや、手すりに頼って一段ずつ下りる神社の階段で、すれ違ったり肩をぶつけたり声をかけてくれたりした様々な人々の印象を総合した言葉だと思ってほしい。

 要するに

女性は年代を問わずおおむね親切に接してくれる
男性の場合は、年齢が若いほど気遣いが行き届いている
おっさん、爺さんには、横柄、尊大、偏屈、無愛想な個体が数多く含まれている
 ということだ。
 人混みで肩がぶつかったような場合、ほとんどの日本人は

「あ、ごめんなさい」
「すみません」

 と、反射的に謝罪の言葉を述べる。これは、どちらが悪いとか、どの人間がコースを外れてぶつかったとか、そういう問題ではない。人の多い場所で誰かとカラダの一部が接触してしまった場合に、咄嗟に謝罪の言葉を口に出せるかどうかという社会性の問題だ。

 私の個人的な経験から言えば、こういう時に、黙ってにらみつけて来るのは、ほぼ高齢の男性に限られる。

 加齢がもたらす変化なのか、世代的な特徴なのかはわからない。が、ともあれ、50歳以上のおっさんから70歳を超えた爺さんを含むシルバーグレーな集合の中には、かなりの確率で、人とぶつかった時に気軽に謝れない人間が含まれているということだ。

 病院内でも、ナースさんに対して横柄なものの言い方を繰り返していたり、見舞客に延々と愚痴をこぼしていたり、嫁さんに威張り散らしていたりする患者は、やはり高齢男性に多い。

 女性や若い男性で、手に負えないタイプの患者はあまり見たことがない。
 高齢の男性患者の中には、目の前にいる人間に命令することを、自分に与えられた天然の権利だと思いこんでいるタイプの暴君が、時々混じっている。
 不可思議なことだ。

 もっとも、私自身、万全の社会性を備えているわけではない。

 たとえば、滅多に顔を合わせることのない親族が集まる法事の席に派遣されたり、ものほしげだったり横柄だったり軽佻だったり過剰適応だったりする業界人が何百人も集まる受賞パーティーだとか賀詞交歓会だとかの会場に放り込まれると、私は、無愛想なオヤジとして立ち尽くす以外の対処法をまったく発揮できなくなる。

 こんなことではいけないと内心ではわかっていても、隣の席に座った人に明るく話しかけるとか、不自由そうに歩いているご老人に手を差し伸べるとかいった、年齢の行った社会人として当然身につけているべき所作を、なにひとつ発揮できないまま、毎度毎度不機嫌になって行く自分を制御できないまま終局を迎えることになっている。

 私自身がこんなふうなのは、おそらく、きちんとした社会生活を経験していないからだ。
 新卒で就職した会社を1年もたたずに辞めて、以来、ぶらぶらしたり働いたりを繰り返したあげくに、フリーランスの世界で糊口をしのぐようになった経歴が、現在の私を作っているのだと思う。

 ちょっと脱線します。
 いま「ここう」と入力したら、「孤高」「虎口」「股肱」「糊口」という変換候補が次々と現れて、脳内が回り灯籠になりました。これだからワープロは油断がなりません。

 話を元に戻します。
 要するに、私の「社会人経験」の乏しさが、私をして、社会性の欠落したおっさんならしめたということだ。これについては一言も無い。黙ってうつむくのみだ。

 ただ、病院の爺さんたちや、駅の雑踏を歩くおっさんたちが、21世紀の人間としてのマナーを欠いている問題に関しては、別の文脈に属する話として、別の分析を持ってこないといけない。

 というのも、彼らに一般的な意味で言う「社会性」が欠けているとは思えないからだ。

 日本のおっさんは、職場に置けばきちんと機能する。その意味では、規格外の不良品ではない。事実、彼らの社会である「会社」では、彼は、立派な社会人として通用している。

 ただ、病院は、企業社会とは別の原理で動いている。だから、そこでは、職場のプロトコルが通用しない。となると、おっさんは、何もできない。

 おそらく、病院に放り込まれた爺さんや、駅の雑踏を一人歩く通行人になりかわったおっさんが、まともな態度をとれないのは、彼らが本来あるべき「役割」の外に放逐されている独行者だからなのだ。

 こんなことが起こるのは、一般の企業社会(「ホモ・ソーシャル」という言葉を使っても良い)における「社会性」と、病院や雑踏や家庭やショッピングモールのような職場の外の社会で要請される「社会性」が、かけ離れているからだと、私は考えている。

 企業人ないしは組織の人間としての社会性は、平場の世間では通用しないどころか、邪魔になる。
 だからこそ、街場のおっさんは、歩く凶器と化すのだ。

 オフィス内での上司への気遣いや、同僚との交流や、部下とのやりとりということであれば、彼らは十分にそれらをこなすことができる。得意先との付き合いも、出入りの業者への対応も、アルバイト君への威圧と甘言も、そつなく使い分けられているはずだ。

 というのも、肩書を与えられ、立場を持たされ、ある枠組みの中の特定の役職に就いている限り、あらゆる外部への対処は、あらかじめプログラミングされたプロシージャ(手順)だからだ。

 自分と相手との関係を勘案し、その立場の上下や損得から算出した関係式を関数として記憶しておけば、どんな場合でも、「態度」は、自動的に算出される。

 口のききようも、アタマを下げる角度も、ユーモアの出し入れも、すべては方程式に当てはめることで解答の出るルーチンとして処理可能だ。

 だからこそ、あるタイプのおっさんたちのユーモアは、目下の誰かを揶揄嘲弄する文脈でしか発動されないのであり、別のタイプのおっさんの大笑いは、もっぱら上司が繰り出したジョークに反応するリアクションのアルゴリズムとして仕様書に書き込まれているのだ。

 彼らは、会社の駒として語り、動き、笑い、あくまでも特定の組織のひとつの定められた役割として考え、感じ、笑い、働き、徹夜し、訓示を垂れている。

 とすれば、役職を剥がされ、立場を喪失し、外骨格としての会社の威儀を離れ、一人の番号付きの入院患者になりかわった時に、そのおっさんなり爺さんなりが、どうふるまって良いのやらわからず、ただただ不機嫌に黙り込むのは、これは、理の当然というのか、人間性の必然ではないか。

 シンデレラがガラスの靴を脱いだ時みたいに、おっさんの魔法は、背広を脱ぐだけで、あとかたもなく解けてしまう。

 そう思って振り返ってみれば、部下が話を聞いてくれていたのも、得意先の若いヤツが人懐っこい笑顔で話しかけてくるのも、生身のおっさん自身に対してではなかったのかもしれない。若い連中のリスペクトが、おっさんの肩書や立場、つまりは背広への義理立てに過ぎなかったのだとしたら、その背広を脱がされて、入院患者用の業者レンタルの浴衣を着せられたオヤジほどみじめな存在はない。なんとなれば、彼は彼がそれまでそうであったすべてのものの抜け殻だからだ。

 もう少し噛み砕いた言い方をするなら、上下関係と利害関係と取引関係と支配・被支配関係で出来上がった垂直的、ピラミッド的な企業社会の中で身につけたおっさんの社会性は、病院や、町内会や、マンションの管理組合や、駅の雑踏や、コンサートの打ち上げのような場所で期待される、水平的で親和的な社会性とは相容れないということだ。

 とすると、職を剥がれたおっさんは、どうやって長い老後を生きて行ったら良いのだろうか。

 2001年の11月、ある女性誌が、当時都知事だった石原慎太郎氏による、次のような談話を掲載した。

「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは“ババア”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」(こちら)

 この発言は、当時、問題視されて、ちょっとした騒動になったのだが、いま見れば、まあ、「スベッたジョーク」以上のものではない。いまさら、元知事の不見識を詰ろうとは思わない。

 ただ、この発言から15年の時日の経過を勘案して鑑みるに、石原慎太郎元都知事は、人類にとって有害なのがむしろ「ジジイ」であったことを、自ら証明してしまっていると思う。

 われわれが想定する、「魅力的な中高年男性」のロールモデルは、「ナイスミドル」「モテ爺」「ちょい悪オヤジ」でもなんでも良いが、結局のところ、「権力を持っている年寄り」「カネを持っているオヤジ」というどうにも月並みな想定から一歩も外に出ることができずにいる。

 女性の場合、権力やカネがなくても、魅力的なご老人というのは、あれこれ想像できるし、実際そういう女性は世に溢れている。

 引き比べて、カネや権力や肩書を取っ払った生身の人間として、真に魅力のある爺さんは、びっくりするほど少ない。

 思うにこれは、個々の爺さんやおっさんたちの責任に帰するべき問題ではない。
 われわれが暮らしているこの日本の社会に、あらまほしき爺さんのロールモデルが用意されていないからこんなに悲惨な事態がもたらされているのだと、そういうふうに考えるべきだ。

 別の言い方をすれば、この問題は、
「どうして日本のおっさんはダメなのか」
 という問いとしてではなく、
「どうして日本の社会は男をダメにしてしまうのか」
 という問題として考えた方が建設的だということだ。

 より的を絞った言い方をするなら、
「日本の職業社会は、どうしてその成員を単能の部品として仕上げずにはおかないのか」
 という話にしても良い。

 実際、同年輩の男たちを遠くから眺めていてつくづく思うのは、若い頃はそれなりに面白かった連中が、トシを取るにつれて、順次つまらないおっさんに着地していることだ。

 単に、役職に馴れて横柄になったとか、偉くなって気難しくなっているというだけのお話ではない。

 50歳を過ぎた男のうちのおよそ半分は、自分の職場以外の世界を想像することさえしない、おそろしく視野の狭い人間になり果ててしまう。

「お前がさっきからしゃべってる話って、同じ業界の人間には面白いのかもしれないけど、オレには全然意味がわかんないんだけど」

 と口をはさみたくなる話を、私はこの10年でいくつ聞いたことだろう。
 とはいえ

「せめて業界外の人間に分かるように話せよ」

 と、アドバイスしたところで、おそらく、彼にはもはやそうする能力は残っていない。なぜなら、業界を外部の影響から守り、外部との通路を閉ざすことが、彼の主たる人生だったからだ。

 残酷なことを書いてしまった。
 今回ここに書いたことは、「個人の感想」に過ぎない。
 つまらないおっさんにならずにいる男が、たくさんいることもよくわかっている。
 だから、できれば、腹を立てないでもらいたい。

 私の知る限り、救いようのないおっさんの一番の特徴は、「他人の話を聞かない」ところにある。
 とすれば、ここまで読んだ読者は、少なくともダメなおっさんではない。
 めでたしめでたし。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

そういえば、私も入院している間は
思いの外楽しかったなあ…。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。おかげさまで各書店様にて大きく扱っていただいております。日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

このコラムについて

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/092100063/


 
社長だって終活は楽じゃない

サラリーマン終活

東京理科大学の本山和夫理事長に聞く
2016年9月23日(金)
河野 祥平
 日経ビジネス9月19日号の特集「サラリーマン終活 定年後30年時代の備え方」では、多くのビジネスパーソンが直面するセカンドライフの難しさや準備の重要性を掘り下げた。ただ、これは「サラリーマン」に限った話ではない。企業のトップを務めた社長も引退すれば「ただの人」。早くから身の振り方を考えなければならないという点では変わらない。

 その点で、多くの示唆に富んでいるのがアサヒ飲料の社長を退任後、母校である東京理科大学の理事長に転じた本山和夫さんだ。自分の新たな居場所をどうやって見つけ、どのように経験を生かしているのか、本山さんに「元社長の二毛作」の条件を聞いた。


本山和夫(もとやま・かずお)さん
1950年、東京都生まれ。1972年、東京理科大学理工学部を卒業、アサヒビール(現アサヒグループホールディングス)入社。物流システム本部長など物流やIT(情報通信)の要職を歴任し、2003年執行役員・戦略企画本部長、2010年副社長、2013年アサヒ飲料社長。2015年3月にアサヒ飲料社長を退任、同年9月から東京理科大学理事長。(写真:竹井 俊晴)
 本山さんは1972年に東京理科大を卒業後、アサヒビール(現アサヒグループホールディングス)に入社。物流システムや経営戦略の部門を経験し、2010年から同社副社長、2013年からアサヒ飲料社長と経営の中枢を担ってきた。2015年3月にアサヒ飲料社長を退任、半年後の同年9月に母校の理事長に就任した。

 「アサヒにいたころは毎日忙しかったから、退任後は断食で体を綺麗にした後、本を読んだり旅行をしたりしてのんびりしたいという気持ちもありましたよ。ただ、私は団塊の世代ですが、同世代の人間はなんだかんだ、がむしゃらに働いて、定年後は社会貢献したいという気持ちが強いでしょう。私の場合はそれが学校だったということですね」

10年かけて大学に足場

 定年後の人生で社会貢献をしたいと希望する人は少なからずいるが、特集で紹介したようにその道は簡単ではない。豊富な経験が「過信」となって新しい環境に溶け込むのを邪魔したり、柔軟性に欠けるがゆえにコミュニケーションをうまく取れなかったりと落とし穴は多い。本山さんはどのように準備をしていったのか。

 「最初に大学との関わりができたのは2005年。私はアサヒビールで執行役員に就いていましたが、大学側から評議員になってくれと要請があったのが最初です。それまでに接点が多くあったわけではないけれど、お世話になった母校を愛するという気持ちもありましたし。企業と大学とは経営の仕方に異なる部分もあるけれど、学校の価値を高めていこうという関係者の熱意も話を聞くうちに理解できた。そこで、本を読んだり教授陣や職員と話をしたりするなかで、大学の運営について勉強をしていったという経緯があります」

 「元々評議員になったころから、名ばかりの肩書きは嫌だという気持ちはありました。その後評議員を3期務め、2012年からは理事として実際の大学の運営に関わるようになるなかで、チャンスがあれば大学に貢献したいという気持ちが強くなっていったんですね。一方、会社での立場も上がっていったことで目が回るほど忙しくなった時期でもあり、十分な準備ができたかどうかは自信がありませんでしたが(笑)。実際、外部からではありましたが、10年間の準備期間の意義が大きかったと思います」

 ビジネスパーソンとしての終わりが見えてきた2015年1月。本山さんは大学側に、退任後は積極的に理事として関わりたいと自らの希望を伝える。大学側も要望を受け、本山さんを新しいプロジェクトのメンバーに加えるなど受け入れ態勢を組んでくれた。


本山さんは「時間をかけて大学のことを理解していった」と振り返る
 「3月末にアサヒ飲料の株主総会があって社長を退任し、翌日からすぐに常駐の理事として働き始めました。私は企業育ちで物流システム、業務プロセスの改善などに長年取り組んできましたから、大学でも業務改革に一定の貢献はできるかなという思いはあった。そうした立場で理事会に臨んでいたら、他の人たちから理事長にならないかと。自分としては理事長になりたいという気持ちが強くあったわけではないけれど、皆さんから推される形で今の立場についたということです」

企業と大学、経営の根は同じ

 少子化により大学の経営環境は厳しさを増しており、有数の理系大学としてブランド力の高い東京理科大でもそれは例外ではない。大手企業のトップとして組織を束ねてきた本山さんは、大学の価値を高めつつコスト意識を植え付けるなど経営面での改革に乗り出している。

 「大学は法人としてみれば企業と同じように、どのように価値を高めて良い組織にしていくかという課題は同じです。大学教授は教育と研究を担う部分では役割が少し違うかもしれませんが、大学の価値を高めていこうという目標では一致している。私としては、まず大学の経営を安定させてお金をきちんと回す。そこから教育研究費を捻出して良い成果を出してもらい、大学の価値向上につなげるのが重要だと考えています」

 「具体的には、企業では当たり前のことですが、PDCA(計画・実行・評価・改善)を回していくとか、売上高を上げて利益を確保していくだとか、そういうことですね。東京理科大は幸いにして学生も集まるし、収入はきちんとある。学生への教育環境も良い大学だと自負しています。ただ、経営環境が厳しさを増す中、持続性を何としても担保しなくてはならない。入学金や授業料の収入だけに頼るのではなく、外部資金の獲得や企業との結びつきで資金を獲得していくことが大事になります」

 現在、本山さんは理事長としてアサヒ時代に勝るとも劣らない忙しい日々を過ごしている。元社長という肩書があるからといって、自分の思い通りのセカンドライフを過ごせている人は必ずしも多くはないだろう。どのようにライフプランを設計し、実行していくか。問われているのはその人自身の人間力や熱意、計画性だ。


本山さんのスケジュールは1週間びっしりと埋まっている
 「1週間は土日を入れて7日間予定が詰まっていることもザラですね(笑)。全国に東京理科大のOB組織の支部があるので、今年1年はそこを集中的に回ってご挨拶をしていることもあります。とはいえリフレッシュも大事なので、会議は週の前半に集中させてこなして、木・金あたりは半日ぐらいで家に帰って読書にあてるなど工夫もしています」

 「会社で役員になったから人生の成功者だとは全く思わないけれど、自分を育ててくれた場所、例えば私の場合は大学ですが、そこに対する恩返しをしたいという感覚は重要ではないかと考えています。社会で一定の地位についた人であれば、『ノブレス・オブリージュ』ではないけれど、そういう気持ちはより強く持つべきではないかな。そのために、会社で目が回るくらい忙しい時期でも、何を考えて何を準備するかが重要になってくると思います」


このコラムについて

サラリーマン終活
ビジネスパーソンが定年を迎えてから、残された時間は30年。人生二毛作はもはや願望ではなく必然。その成否を分けるのは、現役時代の準備だ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/092000071/092100002/


 
失われたトイレを求めて

遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」

立派なショールームで考える
2016年9月23日(金)
遙 洋子

ご相談

 満足できるトイレが見つかりません。どうしたらよいでしょうか。(遥 洋子)

遙から

 ブラジル・リオデジャネイロで開催されていたオリンピック、そしてパラリンピックが終わった。次は2020年。東京が世界から集まるたくさんの人々を迎えることになる。

 海外の人々が日本に来て驚くものの一つが「トイレ」だと聞く。

予約が取れない!?

 ホテルや飲食店でトイレに入る。個室のドアを開けると、自動で便座のフタが開く。驚きながら座った便座はほどよく温かい。すっきりした後にお尻マークのボタンを押すと洗浄開始。ほどよい温水が出て、水圧の調整も可能で、ノズルが微妙に動いて広範囲の洗浄も。便座から立ち上がれば自動で水が流れる。押すと音が出るだけのボタンに戸惑うが、トイレの音を聞かれないようにするためのものだと分かって、さらにびっくり…。

 昨年5月には内閣府の有識者会議「暮らしの質」向上検討会が「ジャパン・トイレ・チャレンジ」を提言している。曰く、日本が誇る高機能トイレを成長戦略の柱に据える。2020年に向け、公共施設への設置を推進する。観光資源としてデザイナーの起用も検討を。さらに世界への普及を目指す。

 かつて海外のスターたちが絶賛して話題となり、先頃は爆買いの対象となって話題に。

 トイレは「ニッポンブランド」を代表するアイテムらしい。

 先日、そんなトイレたちが居並ぶショールームに行こうと思い立った。自宅のトイレに不満を感じていたからだ。

 事前にホームページを見ると「ショールーム見学には予約を。予約がなくても見学はできますが、説明担当者はつきません」とある。

 不満点を相談したいので、ここは予約だ。希望した日は平日だったが「もう予約は一杯です」と断られた。「では3日後は?」と聞くと、「3日後も一杯です」と断られた。

 どうしたんだ。日本ではいつからこれほどトイレのニーズが高まったんだと訝しく思いつつ、「キャンセル待ちという方法がございます」というので、待つ覚悟で出向いた。

ちょうどキャンセルが!?

 広い入口にスタッフが5人ほどおり、見渡したところ、客は2組。

 「予約できず来たのですが」

 間髪入れず受付スタッフが言う。

 「ちょうどキャンセルが出ましたので、今からご覧いただけます。ではまずアンケートをお書きください」

 個人情報を含め、まず、指示された事項を書き込まねば見学できないシステムになっているらしい。

 説明係の女性に案内され、いざトイレのショールームへ。

 ん?

 不思議なことに、今流行りのタンク一体型ではなく、旧式のトイレタンンク分離型を勧められた。

 なぜ最新型ではなく旧式を私に勧めるのかを聞いた。

 「それは、アンケートに、現在ご使用のトイレのすべてが気に入らない、と、お書きでしたので。現在お客様はタンク一体型をご自宅でご使用ですので、それが気に入らなければ過去の分離型になるからです」

 この女性と、これから進めることになる、とても丁寧で、しかしなかなかに不毛な会話を予感し、肩が落ちた。

 「もちろん、現在のが気に入らないから新しいモノを選びに来たのです。が、何が気に入らないかの詳細も聞かず、いきなりお客様には旧式を、というのはいかがなものでしょう」

 そして、自宅トイレの気に入らない箇所を、改めて具体的に伝えた。

 水圧の低さ、水量の少なさ、水は勝手に流れるがフタは手動という中途半端な自動具合、そしてわかりにくく見づらいスイッチ、どうしても紙が切れないトイレホルダー、などなど。

 不満は大小あるのだが、まずは最新型から案内してもらった。

確かにすごいのですけれども…

 説明担当者は、おもてなし感をたたえた口調で商品を解説した。

 「このデザインと、大胆なフタの動き。これは男性に人気がございます…」

 ですから、と、私は話を止めた。

 「私はお洒落なトイレを選びに来たのではありません。フタの開閉に感動を求めに来たわけでもありません。私が今、抱えているストレスを軽減できるものを最新型に期待したのです。何が気に入らないのかもうお伝えしたわけですから、この商品のデザインの解説ではなく、この私にどんなお勧めの点があるのかを教えてくださいませんか?」

 女性は続けた。

 「こちらのタイプは、便座がとてもお掃除しやすくなっておりまして…」

 私も続けた。

 「私はお掃除に困りお掃除しやすいものを求めにきたわけではないのです。水圧、水量に関する解説はないのですか」

 「こちらは除菌作用がございまして…」

 「私は、それを求めてございません」

 「常に便座を温めるのではなく、フタが開くなり暖かくなる技術を…」

 「私は、そんなことを求めていません。作動スイッチパネルは? わかりやすいものですか」

 「スイッチは選べません。この最新型にはこのスイッチです」

 それは、私がすでに持っている、とても見づらく使い勝手の悪いスイッチと、とてもよく似ていた。

 「このスイッチはお洒落かもしれませんが、似たものを使っていてストレスがあります。もっとわかりやすいシンプルなスイッチパネルの便座はないですか」

 「ですとやはり、旧式のタンク分離型のものになります」

 見てみると、スイッチパネルにはたくさんの機能がつき、メーカーはサービスのつもりだろうが、私にはその半分は不必要なものだった。必要最低限。わかりやすい。そんなスイッチを探していた。

 結果として、私の求める商品はなかった。

なぜガラガラ!?

 多彩な機能を求める人もいるだろう。デザイン性の高いものを好む人もいるだろう。節水技術によってより水量を少なくしたものを選ぶ人もいるだろう。

 しかし、そうではない人もいる。

 そして、10数個ある商談テーブルにいる客は1組だった。どう見ても"一杯"ではない。

 電話をした時の「一杯です」は何だったのか。訪れてみれば、ガラガラの状態で「ちょうどキャンセルが出ました」という対応も何だろう。商品の説明が始まれば、ひたすら売りの機能のアピールが続くのも何と言うか…。

 ああ、何だろう、この気持ちの悪さは。

 至れり尽くせりの高機能、高いデザイン性、「ニッポンブランド」を背負うには必要な要素なのだろう。最先端でユニークで高価格に見合う高付加価値。それもいいだろう。

 立派なショールームも欠かせないのかもしれない。

 しかし、何かが欠けている。

 商品を並べる。アピールする。それと同時に、利用者のニーズを知る場でもあるはずだ。

そんなつもりはなくとも…

 今回の対応で言えば、利用者のニーズを知る方法は、何よりアンケートだ。最適な商品をお勧めするのに、アンケートの記入事項を参考にする。それはいい。しかし、アンケートですべてのニーズが明らかになるわけではあるまい。

 そもそもアンケートですべて分かるなら、ネットで回答を受け取り、それに基づいて最適な商品を勧めれば事足りる。

 あるいは、商品の機能を一方的にアピールするだけなら、サイトにズラリ、詳細な動画を用意するのと、どれほど差があろうか。

 目の前に、今後の参考になるであろう不満と、買おうという意欲を持った客がいる。売ることもアピールすることももちろん大事だが、いやここは、しっかり不満を聞いて、そこから次の種を見出し、育てることの方が大事なのではないか。

 開発の現場では、日々さらに機能を高めるため、あらゆるニーズに応えるための努力が重ねられているのだろう。世界に認められる、日本が誇る製品は、そうして生み出されているのだろうと思う。

 しかし、まことに勝手ながら、今回の極私的な体験から感じたのは、作り手売り手の都合だった。

 そんなつもりはないかもしれない。でも、しらずしらず、ということもあるかもしれない。

 立派なショールームを後にしながら、その場を表現する言葉として思い浮かんだのは、日本の美点として世界から脚光を浴びた言葉だ。

 もったいない。


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このコラムについて

遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」
 働く女性の台頭で悩む男性管理職は少なくない。どう対応すればいいか――。働く男女の読者の皆様を対象に、職場での悩みやトラブルに答えていきたいと思う。
 上司であれ客であれ、そこにいるのが人間である以上、なんらかの普遍性のある解決法があるはずだ。それを共に探ることで、新たな“仕事がスムーズにいくルール”を発展させていきたい。たくさんの皆さんの悩みをこちらでお待ちしています。
 前シリーズは「男の勘違い、女のすれ違い」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213874/092100033  

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コメント
 
1. 2016年9月23日 10:41:05 : fq2LET9Crc : Z1MVX8XlznI[91]
遥さんのコラムが考える点がありましたね。

今の企業は無駄なところに力を入れていると痛感します。
仕事のマニュアル化の弊害です。

お客の都合より自分たちの都合(売り上げ、利益)を優先して、チャンスを逃してる。


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