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「外国人歓迎」と言いつつ鎖国続ける嘘つき日本 精神を病む社員が急増、長時間労働を無くすには 「揺らぎ」が組織に与える刺激
http://www.asyura2.com/16/senkyo217/msg/465.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 12 月 13 日 01:16:25: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

「外国人歓迎」と言いつつ鎖国続ける嘘つき日本

河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学

いまだ変わらない「仕方ないから外国人で」的差別意識
2016年12月13日(火)
河合 薫

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/120900082/1-g1.jpg

「強制退去処分取り消し請求」を東京高裁で棄却されたウォン・ウティナン君(写真:ロイター/アフロ)
「今後については、いまこの状況で考えられません。甲府に帰って少し気持ちを落ち着かせて考えたい。日本にいたいです」

 言葉少ない少年の会見は、なんだか無性にせつなかった。ウォン・ウティナン君、16歳。先日、東京高裁から「強制退去処分取り消し請求」を棄却された、甲府で生まれ育ったタイ国籍の高校2年生だ。

 ウティナン君の母親は、1995年9月に来日。タイ人ブローカーに「日本で飲食店の仕事を紹介する」と言われて来たものの、実際には全く違う仕事を強要され、やがて不法滞在に。ウティナン君は、母親の来日後に日本で生まれた。

 2013年夏、母親とともに東京入国管理局に出頭。「日本で暮らし続けたい」と在留特別許可を申請する。しかしながら、2014年に強制退去処分を受け、母親とともに提訴するも今年6月の一審で東京地裁は訴えを退けた。母親は控訴せずに帰国し、ウティナン君だけが控訴していたのだ。

 ウティナン君は幼い時、家の中で隠れるように過ごす日々を送り、小学校に通えなかったそうだ。それでもどうしても「学校に通いたい」と、甲府市の在日外国人人権団体オアシスに相談。で、オアシスが教育委員会と交渉し、2013年4月に甲府市の中学2年に編入した。

 ウティナン君は日本から出たことがなく、タイ語の読み書きはできないという。オアシスの山崎俊二事務局長は「親が不法滞在でも、子は生まれた場所で暮らす権利がある。行ったこともない国にいきなり住めと言うのは乱暴で、人道的措置が必要だ」と訴える。

 一方、東京高裁は、ウティナン君は中学に編入するまではタイ人のコミュニティーで暮らし、タイ語での意思疎通ができることなどから「退去強制で著しい不利益を受けるおそれがあるとは認めがたい」と判断した。

 この判決には賛否両論ある。が、個人的にはもっと柔軟に対応して欲しかった。もっと子どもの人権に配慮してもいいのではないか、と。

 母親が不法就労だったとしても、「日本で生まれたこと自体が悪いみたいで、悔しい」なんて悲しいことを言わせてしまうこの国って、何なんだ?(ウティナン君は関係者にこう漏らしていたという)

 これまでにも親の不法滞在が理由で、強制帰国させられた子どもたちはいた。数年前にTBSの報道番組で特集されたことがあったが、そのとき画面に映し出された子どもたちもみな、ウティナン君と同じ悲しみに暮れたまなざしをしていたのを覚えている。

 そもそもこれは「子ども」の問題ではない。不法滞在した「母親」だけの問題でもない。日本の「外国人労働者の受け入れ方」と同根の問題である。

 外国人労働者が技能実習生という名の下、低賃金、重労働の仕事につき、非人間的扱いを受けていることは周知の事実だ。厚生労働省も2014年だけで、実習実施機関に3918件の監督指導を実施。そのうちの76%で労働基準法関係法令違反があり、最低賃金のおよそ半分である時給約310円での業務従事や、月120時間の残業、さらには安全措置が講じられていない就労があったこともわかっている。

試験「ふりがな」問題で感じたこと

 奇しくもこの11月、介護現場での外国人就業の拡大につながる改正入管難民法が参院で可決、成立した。来年には、入管難民法の在留資格に「介護」が追加され、外国人技能実習制度に基づく介護分野での実習生受け入れが可能になる。

 コレって、本当に大丈夫なのだろうか?

 外国人技能実習制度は世界の人身売買の実態をまとめた米国の報告書や、国連の人権に関する報告書、さらには国際労働機関(ILO)の報告書でも、
「外国人がパスポートを取り上げられたり高額な保証金を徴収されたりするなど、強制労働に悪用されるケースが後を絶たない」
「人身売買される奴隷の状態になっている」
「人権の保護の構造的な問題は改善されていない」
などと批判されている。

 日本の介護職員不足解消の特効薬になると関係者は胸を張るけど、母国を離れて遠い日本にやってくる“外国人労働者”の人権を、日本はきちんと守ることができるのだろうか。

 前置きが長くなった。今回は「外国人労働者の人権」について、アレコレ考えてみる。

 まずはこちらの表をご覧ください。これは経済連携協定(EPA)に基づく、外国人看護師候補者の看護師国家試験の合否結果である。第1回の合格者数は、なんとゼロ。82名ものインドネシア人の看護師たちが挑戦して、誰1人受からなかったのである。その翌年もわずか3人で、2012年に、合格率はやっと1割を超え11.3%(合格者47名)となった。


(出所:厚生労働省)
 EPAに基づく外国人の看護師・介護福祉士候補者の受け入れが始まったのは2008年。これは外国人の就労が認められていない分野において、二国間の協定に基づき公的な枠組みで特例的に行うもので、日本での受け入れ施設で就労しながら国家試験の合格を目指した研修に従事する。協定で認められる滞在の間(原則として看護3年間、介護4年間)に国家資格を取得できれば、看護師・介護福祉士として滞在・就労が可能だ(在留期間の更新回数に制限無し)。まずはインドネシアからスタートし、その後、フィリピン・ベトナムを含めた3カ国に広がった。

 ただ、先に紹介した表でもわかるように、受け入れはなかなか進まず、合格率の低さはメディアでも大きく取り上げられた。小宮山厚労大臣(当時)が2012年、翌年の国家試験からは候補者向けの特例措置として、試験におけるすべての漢字に振り仮名をつけ、試験時間も延長する方針を示したほどだった(その後、ともに実施)。

 看護師の仕事は人の命に関わる仕事だし、日本人でも看護師の国家資格が必要なので、外国の候補者においても国家資格が必須であることはわかる。が、母国語が日本語ではない人たちが受ける国家試験に、漢字に振り仮名も付けていなかったとは、どういうことなのだろう?

 外国人を日本社会で受け入れるのであれば、振り仮名は当たり前だし、試験時間延長なんてもんも当たり前の話ではないか。

 そもそも、日本には、外国人看護師を受け入れようという気持ちはさらさらない。申し訳ないけど、私にはそうとしか思えなかった。

「日本語」の次には「外国籍」という越え難い壁

 同様に、介護福祉士に関しても大きな問題がある。

 最初の試験が行われた2012年、私が受け持っていた社会人向けの講座に外国人介護士研修生と同じ施設で働く女性がいた。

「EPAで日本にくる人たちは、母国では相当のエリートです。日本語も日常会話は困らない人がほとんどで、彼らは介護の研修を受けながら、日本語の勉強と国家試験の勉強をしなければならないんです。国家試験には、日本人の自分でさえ読めない漢字も使われているし、介護施設で長年働いていてもわからない問題も多い」

 彼女がこう嘆いていたのだ。

 EPA1期生の介護福祉士国家試験合格率は、36.3%。日本人を含めたこの年の全体の合格率が64.6%なので、およそ半分の合格率だった。しかも、当時、彼らは一発で合格しなければ母国に強制帰国させられてしまうルールだった(現在は2回まで受験が可能。また、2015年データによれば、インドネシア人の初回受験合格率は64.6%で、フィリピン人は同50.0%)。

 彼らの母国では、大家族制度が残っていることもあり、介護施設はほとんどなく、日本に比べれば介護職のニーズはゼロに等しい。

 つまり、日本で必死に学んだ介護の知識を生かす場が、母国にはなかなかない。エリートとされる彼女たちが夫や子どもと離れ、異国の地で血のにじむような苦労をして3・4年間もかけてせっかく学んだ知識が、受験失敗により無駄になってしまう可能性もある。

 どうしてこれほど、「壁」が高くなってしまうのか。そう考えながら、今から数年前にテレビで流れた、外国人留学生を対象にした企業合同説明会の様子を思い出した。

 そのときに抱いた私の違和感はこのコラムでも書いたが(「楽天・三木谷会長の英語にツッコむ日本人の本末転倒」)、日本人は「日本人が話す英語」にも厳しければ、日本で働く「外国人の日本語」にもかなり厳しい。その厳しさといったら、不可解極まりないほどである。

 異国の地から言葉も文化も違うこの日本という国に来て、いろいろと苦労するであろう「外国人」に、日本人でも一部読めないような「日本語」まで短期間での習得を求め、「日本語のアクセントが気になる」と採用をためらう日本人って、いったいナニ?

 日本と同じように少子高齢化で、介護や看護の人材が不足しているドイツでは、同じ国家試験でも外国人には口頭で試験で行っている。ただでさえ日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字を使う世界でも有数の難しい言語だ。

 生っ粋の日本人よりよほど丁寧で、しっかりした日本語を話す外国人に対しては「日本人じゃない」というだけで評価のハードルを上げる。まずは言葉でふるいにかけ、さらには、本人にはどうしようもない国籍という条件で仲間入りを拒む。これが、一面から見た「日本人」のリアルなのだ。

依然として続く「見えない鎖国」

「現場の介護労働では、高度な日本語能力は必ずしも必要ないと思います。風呂、食事などの単語がわかるだけでそこそこいけるし、介護される人が何かで困っている様子を感じるハートさえあれば、日本人スタッフにつないでくれればいいだけの話です。外国人が、わざわざ不慣れな日本語で、高齢者から詳細なヒアリングをする必要は全くないと思います」

 こう話すのは介護現場で働いている、大学院時代の私の後輩である。

 彼が所属する法人では、創始者の「ダイバーシティ雇用を大切にしたい」との考えから積極的に外国籍の方を受け入れていて、40名ほどの外国人の人たちが働いている。しかし、EPAや実習生の受け入れといった制度は使っていない。介護福祉士の資格取得支援のシステムは取り入れてはいるが、その目的は資格取得そのものにはない。

 資格以上に大切なのが、「この職場で大切にすべきことは何か?」といった法人の理念だ。そこで理念を記したスタッフブックなどは4カ国語で対応し、外国籍の方をサポートする選任のスタッフもいるそうだ。

「外国人の方と一緒に働いていて痛感するのは、彼らの普段の生活面でのサポ—トの重要性です。政府は日本人と同一賃金を保証すべしと言いますが、問題はお金だけでありません。

 外国人の夫を持つ私の知人が、日本人の夫を持つ場合と比べて保育園の費用が高く提示され、区役所と交渉してようやく同一の条件になった事例がありました。その知人が『見えない鎖国が日本にはある』と言っていました。

 日本人であれば容易にクリアできる問題が、外国人というだけで大きな壁になることが日本には多い。ただ単に『なんか困ったことがあったら、相談にきてね』というだけではダメ。どんなに母国で優秀な職員でも、日本にはネットワークがない。なので『きっとここは困るだろう』とか、『ここには支援が必要になるだろう』と、先回りしてサポートする必要があるんです。

 それは彼らとひとりの人間として向き合い、彼らに共感することです。それができなければどんなに賃金を同一のものとしても『見えない鎖国』はなくなりません」

 見えない鎖国――。なんという重たい言葉なのだろう。

 彼は日本と同じ世界有数の長寿国であるオーストラリアの介護の現場も視察し、“マルチ・カルチャリズム”が人々の間に浸透していることを肌で感じたとも教えてくれた。

 マルチ・カルチャリズム(=多文化主義)とは、人種・民族それぞれの多様な文化、歴史を尊重して、マイノリティーがそれぞれのアイデンティティーを保持しつつ、共存していくことの意義を主張する考え方または政策である。オーストラリアの介護現場のことは、先日、朝日新聞でも報じられていた(「豪州、介護も多文化主義 食事は洋・アジア系の2種/診察時に各言語で無料通訳」)。

 海外からの移民を受け入れ、全人口の約3割が外国生まれのオーストラリアでは、200以上の言語が使われている。介護制度に関する政府のWebサイトは18の言語で翻訳されていて、診察などでも各言語の通訳サービスが無料で受けられるそうだ。

「日本人が嫌がるから外国人で」という発想の安直さ

 豪州における60歳以上の日本人は、現在、約2700人。これまで日本人向けの介護サービスはなかった。が、今年6月に民間企業が政府の認可を受け、新たなサービスをスタート。若いときには英語が堪能だった人でも、認知症になって日本語しか話せなくなった人もいるため、日本の介護資格を持つスタッフや介護職員が利用者の自宅を訪問し、日本語を使って、日本食を提供するサービスを行っているそうだ。

 なんというやさしい制度なんだろう。もちろんこれらの制度は、多文化主義の歴史を持つオーストラリアだからこそできることかもしれない。

 でも、働く人も、そこで暮らす人も、サービスする人も、サービスされる人も、その国のメンバーとして共存できる社会を目指そうとする取り組みは素晴らしいし、そこで暮らす“人”に、「共存したい」という気持ちなくして機能するものではない。

 それに日本人であれ、外国人であれ、「労働」するためだけに人は存在するわけじゃない。どんな人にも生活があり、大切な家族がいる。母親であり、父親であり、子どもでもある。

 そんな当たり前が、「外国人」という接頭語が付けられた途端、忘れさられる現実が日本にはある。外国人労働者となった途端、「モノ」のように扱われてしまうのだ。

 EPAを利用して日本に来る外国人は、どんなに優秀であっても、国家試験に受からなければ、母国に帰らなくてはならない。また、仮に合格しても、家族と離ればなれの生活を強いられる。それは家族愛の強い東南アジアの方たちにとって、とてつもなくしんどいこと。家族が大切なのは世界共通でも、東南アジアの方たちのそれは、私たちの想像をはるかに超える。

 家族を日本に呼ぶことは、制度的には可能だ。だが、日本に来た家族が日本で働くことは原則として許されていない。「家族滞在」の在留資格を有する場合、就労の内容、就労場所等について個別に審査を受けた上で資格外活動の許可を得れば週28時間以内の労働は可能だが、現実にはバイトレベルの仕事しかできない。

 おそらくこういったことも原因のひとつなのだろう。血の滲むような努力をして介護福祉士の国家試験に合格しても、4人に1人が、その後は母国に帰国しているのだ。

 日本は世界で活躍するグローバル人材を育てることには積極的だ。なのに、日本にくる外国人、とりわけアジア諸国の人にはかなり冷たい。外国人を受け入れる体制を作り、外国人に寄り添うマインドを持つこともグローバル化だと思うが、違うのだろうか?

 日本人は、外国人が「お客様」のときには、日本人独特の気づかいでもてなし親切にする。ところが、その外国人が「労働者」となった途端、とんでもなく冷たくなる。

 人材が足りない現場は、大抵の場合、日本人が嫌がるほど過酷な現場である。

 「だったら外国人を!」――。その考え方自体が極めて傲慢。“鎖国”の背景に見え隠れする差別意識そのもの。私にはそうとしか思えないのである。

 コンビニに行くとスーさんがチョウさんにレジを教え、ヌネさんが必死で商品を並べ、餃子居酒屋ではカルメン君がオーダーをとり、マニエルさんがお皿をひたすら回収……とあっちこっちでアジア系の外国人が働いているわけだが、そんな彼らに、

「違うよ! セ・ブ・ン・ス・タ・ー!」
と横柄な物言いをするビジネスマンや、

「チッ。まともに計算もできないのかよ?」
と、釣り銭をむしり取るようにつかんで去っていく人がいる。

 目に見えない鎖国。この言葉を今一度、繰り返しておこう。

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このコラムについて

河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/120900082


精神を病む社員が急増、長時間労働を無くすには

働き方の未来

「男中心社会」の働き方はもうもたない
2016年12月12日(月)
磯山 友幸

過労自殺事件の背景には、伝統的な日本企業の「働き方」の問題がある。
長時間労働から「逃げ場」を失う

 入社1年目の電通の女性社員が過労自殺した事件は社会に大きなショックを与えた。過去にも同様の例があったとして電通という会社の「体質」を問題視する声も上がった一方で、伝統的な日本企業の「働き方」が問題の根底にあるという指摘も根強い。恒常的な長時間労働から「逃げ場」を失う社員の姿は、決して電通だけの問題ではない。

 「人手不足」が深刻化している。求職者1人に対して何件の求人があるかを示す「有効求人倍率」は10月に1.4倍を記録、バブル期の1991年8月以来、25年2カ月ぶりの高水準となった。全都道府県で1.0倍を超え、東京都では2倍を突破した。人が欲しくても採れない状況になっているのだ。

残業をしないと仕事は終わらない

 仕事が増える中で、今働いている既存の社員への荷重は確実に高まっている。毎日残業をしないと仕事が終わらないという人の数が確実に増えているのだ。

 もともと日本の「正社員」は「残業が当たり前」という慣行の中で成立してきた。会社に命じられれば、残業も出張も転勤も拒絶するのはなかなか難しい。忙しさの中で追いつめられていく社員は少なくない。自ら命を絶たないまでも、過労によって倒れたり、病死する例が後を絶たないのだ。

 厚生労働省が6月に公表した「過労死等の労災補償状況」によると、2015年度の「脳・心臓疾患」による労災申請件数は795件。前年度に比べて32件増えた。業種では運輸業、建設業といった人手不足が深刻な分野が上位に来ている。

過労の末、精神を病む人が急増

 請求のうち死亡した例は283件におよぶ。いわゆる「過労死」だ。労災認定された過労死の数は2012年度272件、2013年度290件、2014年度245件と高水準が続いている。目立って増えているわけではないのではないか、という疑問を持つ向きがあるかもしれない。だが、もう1つの気になる統計がある。

 同じ厚労省の統計で、「精神障害の労災補償」をみると、請求件数が大きく増えているのだ。2012年度に1257件だったものが、2013年度には1409件、2014年度には1456件となり、2015年度にはついに1500件を突破、1515件となった。うち1306件が労災認定されているが、そのうち205件が自殺である。過労の末、精神を病んでしまう人が劇的に増えており、手を打たなければ過労自殺が急増する可能性が出てきているのだ。

目の前の仕事は投げ出せない

 労災申請件数をみると、精神を病んだケースが多いのは、福祉や介護の業界。これに医療、運輸、情報通信業と続く。人手不足から長時間労働が避けられなくなっている業種が目立つ。介護などは人手が足りないからといってサービスを打ち切ることは難しい。結局、現場で働いている社員にしわ寄せが来るわけだ。

 過労死したり精神を病む前に会社を辞めればよいではないか、という人がいるかもしれないが、責任感が強い人ほど目の前の仕事を投げ出すことができず、長時間労働から逃げられずにいるのだ。

「働かされている」と、ストレスが強くなる

 1カ月平均の残業時間と申請件数には明らかな相関関係がある。100時間を超えると精神を病んでしまう人が急増し、自殺者も増えるのだ。2015年度に過労自殺で労災申請した93人のうち、55人が平均残業時間100時間以上となっている。

 一方で、平均残業時間40時間未満でも精神を病む人は少なくない。とくに女性の申請が目立つ。もともと、女性の方が残業を嫌う人たちが多く、いわば不本意な残業を強いられるとストレスが大きくなるのだろう。

 長時間労働の場合、社員が自らの意思で働いている場合と、不本意に「働かされている」場合のストレスの大きさはまったく違う。男性の方が日本の伝統的な「働き方」に染まっており、受け入れている傾向が強い一方で、女性はそうした日本型の「働き方」の中で大きなストレスを受けていると見てよさそうだ。

「男中心社会」からの脱却が必要だ

 安倍晋三内閣は「働き方改革」を政策の柱に掲げている。「働き方改革実現会議」を設置して、長時間労働の是正に取り組もうとしている。もともと安倍首相は「女性活躍促進」に熱心に取り組んできた。しかも、それまでの男女共同参画などが社会政策として打ち出される傾向が強かったものを、経済政策として打ち出し、アベノミクスの一環として位置付けた。

 第2次安倍内閣の成立以降、雇用者数は増加を続けているが、人口が減少する中で増えた働き手の多くは「女性」だった。当初はパートなどの非正規雇用での増加が目立ったが、このところの人手不足で正規雇用の増加も続いている。つまり、女性が正社員として働くケースが増えているのだ。そうした中で、今までのような「男中心社会」の働き方はもたなくなるのは確実だ。

企業は正社員の雇用へシフトする

 「働き方改革実現会議」は12月20日に年内最後の会合を開く予定だが、そこでは「同一労働同一賃金」の指針が示されることになっている。非正規雇用と正規雇用の間の不合理な賃金格差を禁止することで、非正規雇用で働く人たちの待遇を改善していくというのが政府の狙いだ。

 だが、結果として正規と非正規の賃金格差が小さくなった場合、企業は残業や人事異動がやりやすい正社員の雇用へとシフトしていくに違いない。安倍内閣が進めてきた最低賃金の引き上げや人手不足によって、パートやアルバイトの時給が大幅に上がっており、むしろ正社員として人材を確保したいという経営者が増えている。つまり、今後は「正社員」の働き方が大きな問題になっていくと考えられる。

総労働時間に上限を設ける

 「働き方改革実現会議」では、総労働時間に上限を設けることが議論されている。現在でも週40時間以内、1日8時間以内という「法定労働時間」が存在するが、現実には「36(さぶろく)協定」によって骨抜きになっている。労働基準法36条に「労使協定」を結んで所管官庁に届けた場合は、労働時間を延長したり休日出勤させることができる、としているのだ。

 長時間労働が「当たり前」になっているのは、この「36協定」が原因だとして、これを廃止すべきだという声もある。また、別途、総労働時間としての「枠」を設置する方が好ましいという指摘もある。

現場と経営層の労働ルールは異なる

 一方で、ICT(情報通信技術)の発達などで、「働き方」自体が多様になっているため、何をもって「勤務時間」とするかが難しくなっているのも事実。とくにソフトウェア開発などでは、時間で労働を管理すること自体に無理があるという指摘もある。労働基準法自体、旧来型の工場での作業を「労働」の基本形として捉えており、今の働き方と法律が乖離しているという指摘もある。

 運輸や小売りなど「現場」がある職種の労働時間に上限を設けるのは必要だとする一方、経営幹部などマネジメント層を労働時間で縛るのはおかしいという声も。「欧米の経営層はむしろ日本人よりもモーレツに働いている」というのもあながち嘘ではない。

 本来ならば、現場の労働時間を厳しく管理する一方で、経営層には別の労働ルールを設ける「ホワイトカラー・エグゼンプション」を同時に議論すべきなのだが、現在の安倍内閣では棚上げしたままだ。野党から「残業代ゼロ法案」とレッテルを貼られて攻撃されたことがトラウマになっているのだ。

日本型「正社員」という、特殊な働き方を見直せ

 日本では正社員として採用されると、誰でも役員や社長になれるという一種の幻想の中で働くことになる。現場の現業職と経営層が明確に分離している欧米とは根本的に異なる。そこを分離しないまま議論していると、長時間労働の是正という「建前」と、それでは会社が回らないという「現実」に大きな乖離を残したままになってしまう。「働き方改革」では、日本型の「正社員」という欧米からみると特殊な働き方を根本的に見直す必要が出てくる。


このコラムについて

働き方の未来
人口減少社会の中で、新しい働き方の模索が続いている。政官民の識者やジャーナリストが、2035年を見据えた「働き方改革」を提言する。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/120900029/?


 


「揺らぎ」が組織に与える刺激−雲と積み木の話

中鉢良治の「人在りて、想い有り」

2016年12月13日(火)
中鉢 良治

筆者のオフィスから見える筑波山
 雲が季節ごとに特徴があることはご存じだろう。春霞、入道雲、鰯雲や筋雲はもちろんのこと、一年を経て見る空に再び同じ特徴を持つ雲が現れ、そこに巡る季節を感じることがある。つくばにある私のオフィスからは、筑波山がよく見え、その頂にかかる雲を眺めるのも楽しみである。雲を注意深く眺めていると、それぞれの特徴がより具体的に見えてくる。例えばモクモクとした入道雲の一モクのサイズ、あるいは筋雲の隣り合う二筋の間隔など、そこには安定したパターンが存在する。

 雲の正体が莫大な数の水の分子の集まりであることを考えると、それらが安定したパターンを形成して、季節ごとに特徴を持った様々な雲として現れるのは、随分と不思議な現象である。一つひとつの水分子は、ただ周りの分子と激しく衝突を繰り返しながら動き回るのみである。水分子を取り巻く環境の気温や湿度、風向きなどは、それぞれの分子からすれば非常に大まかな外部条件で、しかもその条件はどう変化するのかわからないランダムなものである。それにも関わらず、膨大な数の水分子はあたかも誰かにデザインされたかのように、安定したパターンと特異的な形状を作りだすのである。

「散逸構造の理論」を雲に当てはめる

 これも自然現象の一つと割り切ってしまえば簡単ではあるが、その不思議さの背景を科学的に理解しようとする人がいた。特異な構造形成が行われるための一般的な条件をロシア人化学者のイリヤ・プリゴジンが「散逸構造の理論」としてまとめている。

 この「散逸構造の理論」を雲に当てはめるとどうなるだろう。自分は専門家ではないので、個人的な理解に過ぎないのだが、大体は次のような解釈ができるだろうと思っている。

 雲は地表から蒸発した莫大な数の水分子により形成される。水分子が空で凝縮、凝固し、雲が形成されると同時に、外縁部から多くの水分子が蒸発し、離脱していく。雲となる水分子と離脱する水分子の数が釣り合うとき、一定時間、そこに雲が形を成す。このとき、地表から蒸発したばかりの水分子は、大きなエネルギーを持ち、それぞれが自由な方向に運動している。この水分子が雲を形成する過程で、周囲の分子と激しく衝突を繰り返しながら、その場に留まることが許される状態に落ち着く。そしてその前から雲を形成していた水分子と一緒になって一定の構造と形状を維持することとなる。地表から蒸発した水分子のエネルギーが大きいほど、自由な動きをして複雑な雲を形成する。そしてその複雑な構造を維持するためには、「自由さ」を持つ水分子が次々と供給されなければならない。この供給が細る時、離脱する水分子の量が勝り、やがて雲は消滅する。

 「散逸構造の理論」をもう少し、別なもので考えてみたい。いま、いろいろな形をした積み木が散らばっていて、それらを大きな木箱の中にしまうとする。木箱の中に積み木がなるべく安定するようにしまいたいのだが、このとき皆さんはどうするだろう。一つひとつ丁寧に片づける人もいるだろうが、面倒くさい時は、とりあえず積み木を木箱の中に放り込んだ後、木箱を揺すってみるのではないだろうか。

 この揺することは木箱の中の積み木に動くエネルギーを与え、さまざまな配置をとる「自由さ」、すなわち可能性を作りだす。揺すり続けることで、積み木同士の衝突や木箱との摩擦が生じ、多くの可能性が生まれ、その中から安定となる一つの配置が選ばれる。従ってより安定的な配置を探すためには、なるべく多くの可能性を試すように木箱を揺する必要がある。最初は木箱を大きく揺すり、多くの可能性を試しつつ、だんだんと揺すり方を穏やかにしていくと、より安定した積み木の配置に到達できる。

 雲の例も積み木の例も、より複雑な構造やより安定した配置を作りだすためには、個別要素がその時の状態として、豊富な可能性を持っていることが重要になる。可能性は「自由さ」によってもたらされる。積み木の例では、木箱をいつも同じように揺すっていても、積み木は同じような配置にしか落ち着かず、より安定した配置を探すことはできない。規則性なくランダムに揺することがコツである。

 「自由さ」は秩序や構造と対極にある概念のようにも思えるが、「散逸構造」のメカニズムでは、むしろ自由な動きによる可能性の獲得とそれを散逸させ穏やかに消失させる二つの力の均衡点に現れる状態を「構造」として捉えるのである。雲が安定した形状を作り、積み木がうまい具合に片づけられた状態である。

コンピューターで揺らぎを作る

 最近、コンピューターの世界でも、この揺すること、即ち「揺らぎ」を応用する考え方が登場してきた。本来、コンピューターは、小さな部分の論理を矛盾無く積み重ねることによって全体へ到達する計算を得意とする。実際、私たちの身の回りにあるコンピューターはこのような機械であって、計算の過程で論理的に整合する状態のみが現れる。

 ところが、いま試みられている新しい方法では、意図的に「揺らぎ」を作りだすことで正解を探ろうとするのである。言ってみれば、積み木の整理と同じように、揺することをコンピューターの計算過程の中で行うのである。木箱の形がどのようなものかを探る時に、積み木を安定にするプロセスを考えることで正解を導こうという考え方である。このとき、論理的整合性の積み上げによる従来型の計算では解くことが困難な問題の幾つかを、この積み木型コンピューターを使って効果的に解くことができると言う。

 積み木型コンピューターの開発は産業技術総合研究所でも進められている。その道の専門家によれば、ここで使う「揺らぎ」は量子論的な不確定さにより作りだされ、積み木整理の場合などより、はるかに緻密で、かつ効率よく問題を解くことが期待できるのだそうだ。量子論的な不確定さとは、まさに「雲」をつかむような話だが、今後の発展に乞うご期待だ。

 自然界の現象や科学的な法則は、そのまま人や組織の問題に当てはまるものではないが、人間も自然界の構成要素だと考えると、同様の類推も可能だろう。雲の場合、エネルギーが大きく、自由な動きをする水分子が複雑な構造を作り出すと考えられる。人間の組織では、単一な性格を持つ集団は安定した組織を形成し、過去を忠実に踏襲できるが、オリジナリティー溢れる新しい発想や動きは生み出しにくい。過去の延長線上にあるような緩やかな外部の環境変化には対応できても、急激な変化に対してはむしろ脆弱である。強烈な個性を持ち、自由な発想をする人たちがいて、新しい技術やイノベーションが生まれる。こうした組織が結果的に強靭な性格を身に付けてくることを、人々は経験的に学んでいる。

ソニー盛田さんの「社員募集広告」

 ソニーの盛田昭夫さんは、早いうちからこのことに気付かれていた経営者の一人ではなかったか。1969年、盛田さんは社員募集の広告で“「出るクイ」を求む!”というキャッチコピーを使った。盛田さんは、エネルギーに満ちた人間が生み出す創造性と周囲への刺激に期待したのであろう。実際、社内には個性豊かな人(社内では「とがった人」と呼んでいた)がとても多かった。あちこちで激論が戦わされ、摩擦が生まれていたが、その一方で強烈なエネルギーを生み出しイノベーションの創出につながってきた。

 ただ、組織としては、このような「とがった人」ばかりでは、混乱しかねない。雲に安定した水分子があるように、企業にも集団としての動きを整える人間がいる。強い組織を作るということは、自由な発想をする人たちとそれをまとめていく力のある人たちの最適バランスを取っていくことである。それがマネジメントの役割で、盛田さんもこのことを熟知されていたように思う。

 組織をさらに発展させ、強固なものにしていくためには、雲のように新しい分子を取り込み、全体として安定した集合体をつくる一方、積み木のように外部から「揺らぎ」を与えられることで、集団としてのまとまりを高め、強靭さを獲得していく必要がある。

 産総研には、自由な発想をする研究者たちが多く、組織としてのエネルギーは十分にあると思っている。私の役割は、この才能とエネルギー溢れる研究者の異なる個性を生かし、集団の方向性を示し、組織として成果を発揮させることである。そのためには、内部で刺激を与える一方で、外から与えられる「揺らぎ」、すなわち刺激や働きかけを積極的に取り込むことも重要となる。企業や大学の方には、連携活動や共同研究、人材交流という形で私たちを大いに揺さぶってほしいと願っている。

 先日、このコラムでアメリカについて思うことを書いた。アメリカという国は、大きなエネルギーを持つ水分子のような人材を外から次々と取り込み、巨大な雲のように成長してきたように思う。そのアメリカはトランプ氏により、積み木箱のように揺すられようとしているのかも知れない。この「揺らぎ」が、アメリカにとって果たして吉とでるか。私を含め多くの人々が、この「揺らぎ」の後にアメリカがより強靭で他国と協調する国家になってほしいと願っている。

 私は最近、雲の流れや樹木が風に揺らいでいる様子をただぼんやり見ていても飽きることがなくなった。一見規則的な現象の中に、ひょっとしたら面白いことが起きるのではないかという期待があるからである。筑波山にかかる雲を見ていると、時には遠くの方から足早に近づいてくる雲を見つけることがある。そうすると、たちまち天気が変わる。こんなことを眺めているのもつくば勤務の楽しみである。


このコラムについて

中鉢良治の「人在りて、想い有り」
ソニーに技術者として入社し、その後、経営者として同社を率いた中鉢良治氏。大学院では博士号も取得し、研究者を志した時もあった。現在は、産業技術総合研究所理事長として、研究者と日々を共にし、国立研究機関の指揮を執る。その中鉢氏が、多様な経験を通して培ってきた日本の産業や社会に対する見方、一人の職業人としての人生への想いなどを様々な切り口で描き、日経ビジネスオンラインの読者にお届けする。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/041300009/120800017  

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コメント
 
1. 2016年12月13日 02:21:37 : m4658yx2Ag : wo@m6Re59c8[135]
>精神を病む社員が急増、長時間労働を無くすには

簡単なこと

正規雇用は扶養義務を課されている日本人だけに限定すれば良いだけの話

反対している奴らは売国奴だから血祭りにして処される覚悟があると思えばヨロシ

これで解決!


2. 2016年12月14日 20:56:33 : 2LiKY8ftgY : PTfAaIrqs6s[528]
プラス思考 躁と鬱への 一里塚

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