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(仏)ル・モンド紙 / 「神道と日本政治」
http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/775.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 09 日 14:00:06: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

(仏)ル・モンド紙 / 「神道と日本政治」
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/c1615ce6f61a0d7665fcfbb364cac98a
2017年01月09日 のんきに介護


山崎 雅弘
‏@mas__yamazaki さんのツイート。p

――この「ル・モンド」紙の記事は、日本の大手メディアとは対照的に、問題の核心に鋭く踏み込んでいる。「国家神道とは『伝統のでっちあげ』であった。国家神道は民間信仰としての神道と大きく異なっている」「それでも国家神道は、アイデンティティを〔16:47 - 2017年1月8日 〕—―

――(続き)形成するイデオロギーの源になり、天皇を中軸にした大衆の結束を強固にし、やがて1930年代の国粋主義につながっていく国家権力に、国民を従属させたのである」「超党派の政治グループである『神道政治連盟国会議員懇談会』には、与党自民党と野党民進党の304人の議員が参加している。こ〔16:49 - 2017年1月8日 〕—―

――(続き)の組織の会長は安倍晋三であり、安倍内閣の大半の大臣も会員である」「準宗教的右派の中心には、日本会議が存在している。1997年にふたつの団体が合併してできたこの組織には、様々な分野の人物が参加している」こんな自国の政治状況に関する重要な事実を、多くの国民は知らされていない。〔16:52 - 2017年1月8日 〕―—

〔資料〕として紹介したのは、

有料とあって、

元記事の途中までだ。

小見出しを列挙すると、

次の通りだ。

・日本では常に曖昧な「宗教と政治」の関係

・一神教と異なる「立ち居振る舞い」の宗教

・「伝統のでっちあげ」国家神道の影響力

・「日本原理主義」思想の主張とは

重要なのは、

「「伝統のでっちあげ」国家神道の影響力」

という項目での解説かな。

ここで、

国家神道に関する

次に見るようなとても踏み込んだ説明がなされている。

――太古の時代に遡る天皇の神話的統治。そのバックボーンとして、神道は国家アイデンティティを形づくる宗教になった。

そして、2つの神社が神聖な場所とされた。

1つは伊勢神宮という政治(天皇制)と宗教の融合の中心地であり、もう1つが、国に殉じた戦没者と神格化された天皇を祀る靖国神社である。

しかし、実際には明治時代以前において、天皇が神格化されたことはなかった。フランス国立東洋言語文化大学名誉教授、フランソワ・マセは、月刊誌「シアンス・ユメーヌ(人文科学)」でこう語っている。

「(明治時代まで)天皇は神ではなかった。天皇が他界したときの儀式は、仏教にのっとっておこなわれていた」

「日本の神髄から発生したとされる神道は、他の宗教(仏教やキリスト教)より上位に置かれたのである」

つまり、国家神道とは「伝統のでっちあげ」であった。国家神道は民間信仰としての神道と大きく異なっている。

それでも国家神道は、アイデンティティを形成するイデオロギーの源になり、天皇を中軸にした大衆の結束を強固にし、やがて1930年代の国粋主義につながっていく国家権力に、国民を従属させたのである。—―

外国の新聞紙で

ここまで深く分析できていることに

とても驚いた。

ただ、もう一歩踏み込んだ説明が

出来ていないな

と思った。

それは、神道と国家神道の決定的な違いだ。

その違い、要点を言えば、

次の通りだ。

すなわち、前者が多神教なのに対し、

後者が一神教なこと。

唯一神を信じる宗教であるにかかわらず、

国家神道は、

習俗と喧伝され、

なぜに教義が表立って説かれないかの説明が欠如している。

その教義がないという

空虚を補完するものがある。

それが教育勅語である。

これがつまりは、

準教義として教義の役割を果たしているものの実態だ。

そこに光が当たると、

でっち上げられた国家神道という伝統の

正体が

余すところなく眼前する。

国家神道とは何か――。

蓋を開けてみればなんてことはない。

徳川幕府が

恐れたキリスト教の剽窃だということがよくわかる

(拙稿「「復古神道」とは何か。創始者・平田篤胤は、何を参考にしたか」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/3f594df9f02f6e0f9c1eaaefa8b1b0fc)。

この辺りは、

日本人相手でも詳らかにされていないところだ。

山崎 雅弘氏は、日本会議につき、

「『この組織には、様々な分野の人物が参加している』

こんな自国の政治状況に関する重要な事実を、多くの国民は知らされていない」

とコメントされている。

しかし、そんな表層的な組織に関することでなく、

教義に関する秘密で、

重要度は百倍、千倍違うだろう。

あるいは、万倍、違うと言ってもいいだろう。

それが隠すような扱いを受けている…

ということ、

我々は、もっと真剣に

受け止めるべきではないかと思う。


〔資料〕

「神社の政治利用から初詣ラッシュまで 「ル・モンド」紙がみた“神道のいま”」

    COURRIER Japon/Le Monde (France) ル・モンド(2017.1.3)

☆ 記事URL:http://courrier.jp/news/archives/71942/

しばしば国際的な争点ともなる靖国神社と異なり、あまり議論されることのない伊勢神宮。だが、目と鼻の先の伊勢志摩でG7サミットが開催されたことからもわかる通り、政治的な存在感は高い。仏高級紙は、この伊勢神宮を切り口に、「神道と日本政治」について深い議論を展開している。

日本では常に曖昧な「宗教と政治」の関係

白い小石を敷き詰めた地面に建てられた柱の上に、明るい色の木造の建造物が建っている。とんがった屋根は茅葺きで、棟木は金色の鰹木で飾られている。

ここ伊勢神宮内宮は、訪れた人が戸惑うほどの簡素さに満ちているが、日本で最も崇められている場所だ。日本の神話で、皇室の祖神とされる天照大神が祀られているからである。

安倍晋三首相が、2016年5月のG7サミットで各国首脳を迎えるのに、この神道の聖地を選んだのには下心があったはずだ。

しかし、先進国首脳会議を伊勢神宮の目と鼻の先で開催し、各国首脳を神宮参拝に誘ったことは、現代日本における宗教と政治権力の曖昧な関係を表している。

つまり、日本の政治制度は立憲君主制だが、君主の天皇は神話の時代から続くとされる家系に属し、私人として、宮中で神道の儀式を担う存在なのである。

天皇の地位も曖昧だ。天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(日本国憲法第1条)であると同時に、神道という日本人のアイデンティティを形成するかのような信仰の、重要な祭式執行者でもある。

今上天皇は、2016年8月8日のビデオ・メッセージで、生前退位の意向を明らかにした。それを実現するための皇室典範の改正をめぐっても、この「曖昧さ」はひとつの論点となるはずである。

一方、安倍首相は、伊勢神宮に特別な感情を抱いているようだ。新年の参拝にこだわっているようで、2013年には、1929年以来首相として初めて、20年に一度内宮を造り替える「式年遷宮」に、8人の閣僚とともに参列している。

「戦後レジームからの脱却」を自らの歴史的使命とする首相は、平和憲法を修正し、日本軍が犯した残虐な行為を、否定しないまでも最小限に見せることで、日本の神話的拠り所を取り戻そうとしているのだ。

伊勢神宮は、1948年に極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)でA級戦犯とされた14名が合祀されている靖国神社ほど、論争の対象になっていない。

2001〜06年まで首相を務めたご都合主義者の小泉純一郎は、右派の、神道やその関連団体の支持を得るために靖国神社を定期的に参拝した。

安倍首相もしばしば靖国を訪れ、かつて日本の領土拡張主義の犠牲になった韓国や中国の怒りをかっている。

こういった首相の参拝はまた、米国の東アジアにおけるもうひとつの同盟国である韓国と日本の関係を悪化させるために、米国も苛立たせている。

オーストラリア国立大学名誉教授の歴史学者、ガヴァン・マコーマックの意見では、安倍首相は、1945年の敗戦で失われたとされる日本の誇りを取り戻すために、「靖国神社の代わりに伊勢神宮を利用しよう」としているのだ。

戦前は軍部の管理下にあった靖国神社と違い、伊勢神宮はさほどきな臭くない。天皇家を軸とする国家アイデンティティを形成するため、神道に中心的役割を担わせたい安倍首相にとって、伊勢神宮のほうが都合がいいのだろう。

京都の国際日本文化研究センターの歴史学者、ジョン・ブリーンは、安倍首相のことを「戦後の歴代首相のなかで、最も神道にこだわる首相」だと言う。

一方、ここ数十年のあいだに、政治資金の規制や財政赤字の拡大によって、企業や農協、職業団体が構成する議員後援会の力は弱くなった。議員は現在、宗教団体やそれに近い組織の力を借りて、票や資金を集めている。

これらの組織の影響力が拡大しているという事実も、現行憲法が定める政教分離の原則の曖昧さを示しているのである。

実際には、政界で影響力を保持する宗教は、神道だけではない。与党の一員である公明党は、強大な仏教系組織、創価学会を母体としている。他の仏教系宗派も政界に影響力を持っていて、その結果として税金を優遇されたりしている。

しかし神道は、日本の存在理由にかかわる「神話」の中心に位置するだけに、影響力が大きいといえる。それは単なる宗教というよりも、古代に遡る“日本的なもの”の神髄を反映しているとされるのである。

一神教と異なる「立ち居振る舞い」の宗教

神道を定義するのは難しい。

神道とは「神々の道」を意味し、「仏へ至る道」とでも呼べる仏教と異なる。それは、仏教が日本に伝わる以前から存在していた土着的信仰や儀礼の集合とされる。

シャーマニズムの影響を受けていて、「人を超えた存在」である無数の神々が存在すると考える。自然の力を動かし、岩や樹木、泉に宿る神々を畏敬するのである。

神々はまた、先祖や英雄といった人間になって現れることもある。

神道はアニミズムの色合いが濃い多神教だ。神が人間に真理を伝達するようなことはなく、預言者もいなければ聖典も存在しない。それは「生命を前にした立ち居振る舞い」である。人間と自然との調和を奨励し、日本的精神の核をなし、行動や態度を形成するものなのだ。

他方、伊勢神宮より南に位置する熊野には、明治時代の政治権力によってつくられた神道、つまり皇室に結びついた荘厳な神道とはかけ離れた、別の神道が息づいている。

熊野には、針葉樹の深い森林で覆われた小さな山々が連なり、谷底には、対照的に淡い霞がかかったような竹林があり、急流が音を立てて流れ、棚田が連なっている。

1979〜96年にかけて、パリの特別高等教育機関「コレージュ・ド・フランス」で、日本文明の講義を担当していたベルナール・フランク教授は、まさしくこう書いていた。

「熊野の息吹とは、人目につかず、暗く、それでいて庶民的な日本であり、その儀式的な表現は密教的な日本である」

熊野を歩くと、それぞれの祭主神を祀った小さな神社が、時に仏教の寺院と隣り合わせに存在する。神社に入って手水舎の水の音を聞いていると、寺院から漂ってくる香の匂いも同時に感じることがある。

このような神道と仏教の共存、つまり「神仏習合」の歴史は、約1000年のあいだ続いた。外来の仏教は、その地の土着的信仰に敵対することなく、むしろ適合し、土着の神と仏の融和を構成していったのだ。

「伝統のでっちあげ」国家神道の影響力

しかし、19世紀後半、明治時代の改革者たちは神仏習合に終止符を打ち、神道を国家の宗教とした。この中心に据えられたのが、天皇の系譜だったのである。

太古の時代に遡る天皇の神話的統治。そのバックボーンとして、神道は国家アイデンティティを形づくる宗教になった。

そして、2つの神社が神聖な場所とされた。

1つは伊勢神宮という政治(天皇制)と宗教の融合の中心地であり、もう1つが、国に殉じた戦没者と神格化された天皇を祀る靖国神社である。

しかし、実際には明治時代以前において、天皇が神格化されたことはなかった。フランス国立東洋言語文化大学名誉教授、フランソワ・マセは、月刊誌「シアンス・ユメーヌ(人文科学)」でこう語っている。

「(明治時代まで)天皇は神ではなかった。天皇が他界したときの儀式は、仏教にのっとっておこなわれていた」

「日本の神髄から発生したとされる神道は、他の宗教(仏教やキリスト教)より上位に置かれたのである」

つまり、国家神道とは「伝統のでっちあげ」であった。国家神道は民間信仰としての神道と大きく異なっている。

それでも国家神道は、アイデンティティを形成するイデオロギーの源になり、天皇を中軸にした大衆の結束を強固にし、やがて1930年代の国粋主義につながっていく国家権力に、国民を従属させたのである。

1945年の敗戦後、米軍の占領下に置かれた日本で、国家神道は解体された。
しかし、当時導入された政教分離は、宗教学者で東京大学名誉教授の島薗進の言葉を借りれば、「不充分」であった。

天皇制を維持することで、国の管理が容易になると考えた米国は、戦争における天皇の責任を免除し、その地位を守ったのである。島薗進教授はこう話す。

「(イデオロギー的に中枢となる機関は解体されたが)天皇家の信仰対象としての神道は、民衆の生活に大きな影響を与え続け、活発な政治運動によって支えられています。(文章化されていないが、現実には)政治と宗教は明確に分離されていません。解体とはほど遠く、国家神道は今日でも、国家統合の隠れた原理として機能し続けているのです」

「日本原理主義」思想の主張とは

「永遠の日本」を謳う国家神秘主義運動は、日本の多様性や国内に存在する対立を覆い隠す効果もある。

運動の責任者たちは、安倍首相と並んで人前に登場することもある。昨今増加したロビイングのお膳立てをし、国家アイデンティティとしての神道への回帰を奨励しているのだ。

そのような運動の一例が、日本全国で8万の神社を統括する神社本庁の世俗的団体、「神道政治連盟」だ。日本の宗教的国家主義の専門家で、ニュージーランドのオークランド大学で教鞭をとるマーク・マリンズは、「日本の精神的価値」の重要性を主張する神道政治連盟は、「戦前に戻ろうと考えている」と指摘する。

超党派の政治グループである「神道政治連盟国会議員懇談会」には、与党自民党と野党民進党の304人の議員が参加している。この組織の会長は安倍晋三であり、安倍内閣の大半の大臣も会員である。

一方、準宗教的右派の中心には、日本会議が存在している。1997年にふたつの団体が合併してできたこの組織には、さまざまな分野の人物が参加している。日本全国、すべての都道府県に活動拠点があり、メンバーは3万8000人だという日本会議は、「日本原理主義」とでも呼べる思想の先端にあり、憲法改正のための活動を組織している。

2016年7月の参議院選挙の結果、与党が憲法改正の発議に必要な、衆参両院の3分の2以上という議員数を獲得しているなか、日本会議の影響力は、今後より大きくなる可能性がある。

保守派の強力なロビー団体に関する著書を執筆中のフランス人研究者、ティエリー・ギュトマンによると、日本会議のイデオロギーは、さほど統一されてはいないものの、4つの主張を基本にしている。



 

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コメント
 
1. 中川隆[5967] koaQ7Jey 2017年1月09日 14:24:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6410]
こいつ、ド素人だろ


>「(明治時代まで)天皇は神ではなかった。天皇が他界したときの儀式は、仏教にのっとっておこなわれていた」


そもそも仏教では葬式なんかやらないんだよ

日本の仏式葬式は本来は古老がやっていた古神道の葬式を引き継いだものだ

>「(明治時代まで)天皇は神ではなかった。

また嘘言ってる


大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも
柿本人麻呂

>2つの神社が神聖な場所とされた。国に殉じた戦没者と神格化された天皇を祀る靖国神社である。


靖国神社は神道じゃないよ
道教系のカルトだ
そもそも神道では戦没者は祀らない


しかし、日本の事を何もしらないアホが聞きかじった事を纏めて日本文化を理解した気になってるというのが一番問題なんだな


2. 2017年1月09日 14:24:22 : erIysYTutg : EXde80EXExY[4]
靖国神社は日本の侵略戦争を美化する招魂社という施設を設置した大陸由来の宗教。
神社本庁なるタガをはめ日本由来の万神の穏やかな豊穣を願う信仰を戦争を崇め、戦死者を神の如く祭り上げ、国民を戦地に送り出す第二次世界対戦以前の酷い体制を作り上げるために亡霊を呼び起こす邪教である。
平和を愛する天皇陛下が決して参拝為さらない場所が靖国神社である事は誰もが知っている。

3. 中川隆[5968] koaQ7Jey 2017年1月09日 14:32:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6411]
>しかし、実際には明治時代以前において、天皇が神格化されたことはなかった。

これは悪質なデマ

天皇は最初から神だったんだよ:

天皇霊について二三の事(メモ)


 天皇霊とはあまり聞いたことのない言葉かもしれないが、民俗学の創始において折口信夫博士が唱えた興味深い説の一つである。藤原氏の隆盛と他氏の没落の元となったことなのでここに置くこととした。


天皇霊とは、狭義にいえば天皇家の祖霊である。

祖霊はイエの祖先の御霊の集合体で、どのイエにも個々人にも存在し、さして特別なものではないが、天皇家の祖霊は大大和のうちでも最も力の強い祖霊であるとみなされ、とくに「天皇霊」と呼んだ。

天皇霊は天皇に即位するものに宿る。返していえば、天皇になるにはその霊を宿さねばならない。そしてそれを宿す儀式が即位後の秋に行なわれる「大嘗祭」 なのである。


 この大嘗祭の内容は秘中の秘で明らかにはされていない。しかし、ある程度のことは漏れ伝わってい て、それによれば天皇は殿中で三つの儀式を行なうとされる。


 一、「霊水沐浴」。白い帷子(天羽衣)をきて水風呂に浸かり、浴槽の中で着ている物を脱ぎ去る。

 二、「神人共食」。その年、悠紀田と主基田から取れた米を神と共に食する。

 三、「御衾秘儀」。衣に包まり眠る。


 この三つである。

 直接的に見ると、霊水沐浴は禊であり、天羽衣を脱ぎ去るのは地獄の「脱衣婆」が衣を剥ぎ取るのと 同じで、この世の穢れをすべて衣に移してしまい綺麗な体になることが目的である。

天羽衣の名は「日御子」のイメージからそう呼んだのであろうか、天皇が異人であることを強調している。

そして神人共食をすることでその「ケ」、つまり自然の力をその体内に取り込む。

また、御衾秘儀で神と共に添い寝することで「神婚」をするのである。

 異見として、これを「誕生の模倣」と見る向きもある。

つまり霊水に浸かり天羽衣を脱ぐことにより「羊水と胞衣からの離脱」を、「神人共食」で「歯固め」を、衣に包まることで「おくるみ或いはむつき」をあら わしているというのだ。

確かに「御衾秘儀」は『古事記』の「天孫降臨」に見られる「真床覆衾」(ニニギの 命があまりにも幼かったので天から降ろすときに包んだオクルミのこと)に比定されるのは揺るがないところだと思われる。多面的に見た場合そういう意味合いも含まれているのは否定はできないが、まずは 単純に見るべきであろう。

 最後の三、は古代中国にも見られる風習であると白川静先生が述べられているのを読んだことがあるし、古代バビロニアにも神降ろしの巫女との「神婚」による王位継承がなされたことをご指摘いただいてもいるので、おそらくこの御衾秘儀は相手のあって行われたものである可能性もある。

ではこの相手は誰か。

思うに「伊勢斎王」なのではないだろうか。

伊勢斎王は天皇の即位のたびに新しくなる。仕事は といえば伊勢神宮に天皇の代わりに年三度の奉幣をするだけである。だがこの斎王にはもっと重要な 仕事、「神降ろし」をするための、天皇霊の依り代であったのではないか。

柳田國男先生は

「神を降ろす には巫女とこの言葉を伝える司祭が必要であった。」

と述べられている。これは天皇と斎王の関係をよくよくあらわしている。

斎王は天皇霊をその身に降ろし、天皇はその口から発する言葉に従い政(まつり ごと=祀り事)を行なう。『魏志倭人伝』に描かれた卑弥呼とその弟の関係にそっくりではないか。(斎 宮と天皇の「神婚」は近親姦というタブーを神を介することで神聖化している。)

折口信夫先生によれば 「神婚」は神降ろしの巫女との添い寝と、先帝(の骸)との添い寝が考えられるとおっしゃっておられる。

エロスとタナトスが交錯する儀式。

いずれにしても、いつまでそのようなことをやっていたかは知る由もな く、その後はもっと形ばかりになり、先帝の御衣を身にまとうばかりとなったのだろう。

 これにより分かることは、天皇には二度の即位儀礼があるということである。

はじめは「即位礼」。そして「大嘗祭」。

即位礼は中国の皇帝の即位式を真似たもので、いわば対外的に見せる「昼の儀」であ る。

一方、大嘗祭は夜に秘して行なわれる「夜の儀」で、天皇を天皇足らしめる為の儀式はこちらなの である。


 ではこの天皇霊はどのように創造されたのか。

おそらく大化の改新以後、天智天皇から聖武天皇の 在位中に、祭祀を司っていた中臣氏により成形されたと推定される。それまで一大王家の祖霊であった 神を様々な工程を経る事で、日本全体を覆うまでの巨大な霊体に仕立てるのだから並の作業ではなか ったはずだ。それは取りも直さず「天皇霊=国家神」の創造であり、その先には「現人神」という危うい 一面も内包して誕生した思想であった。

 大化の改新以前でも天皇家(正しくは「大王家」であるが)の祖霊は特別な扱いを受けてきたが、けして国家の神ではなかった。そして天皇家の祖霊を祀る御諸山、いわゆる三輪山での祭祀は他氏と同じように族長たる天皇自らが司っていたのである。

そう、実は伊勢神宮が天皇家の祖霊を祀る地になったのは、そのかなり後になってからのことで、それまでは御諸山が天皇の祖霊の坐ます地(今でもお盆 には死者が山から帰ると言い伝えられる地域もある)であった。

この「天皇家の祖霊」を「国家神」とし、 御諸山から伊勢へと遷したのは、思金命を祖とする中臣氏であった。

古来より、中臣氏は忌部氏と共に 祭祀を職掌としいたが、両氏が祭祀してきたのは「国の霊(いまだアミニズムが抜け切らない自然と一体になっている神)」で、けして天皇家個人の祖霊ではなかったはずである。ところが、いつしか「天皇家の祖霊」は「国家の神」となり、両氏はこれを祭祀するようになっていたのである。

中臣鎌子が中大兄皇子の側近となり名を藤原鎌足に改めた頃から、不十分であった「大王」から「天皇」への移行を完全なも のにするため、様々な試みがなされている。「天皇家の祖霊」を「国家の神」と成すべく、中臣(藤原)氏 が奔走したのもその一端であったと見られる。

 まず、今までの歴史を再編することからこの作業は始まった。

天皇家の始祖を「日の光の神=アマテルの神」とし(これは元々そう云われていたのかもしれない)、これを天上の最高神にした。

と同時に『アマテラスオオミカミ』と改められた神の名は、天皇家の祖霊に付けられた名前でもあった。

この神を、三輪山から伊勢へと移したのもこの頃である。

なぜ伊勢か?

疑問はあるが、太陽神を日の昇る地、どこよりも早く日が拝せる地に祀るのは自然な考えであろう(鹿島神宮も香取神宮も海が近く、東が開けてい る。)。

元々伊勢は磯部氏の所領であったが、天皇家に献納され(というより壬申の乱で取り上げられた)、条件がよいとして遷宮の地と白羽の矢が立ったらしい。わざわざ遷宮させたのは、天皇家の神か ら国家の神へと変貌させるため、旧来染み付いた「祖霊」の記憶から切り離す意図があったのだろう。

三輪山は「大王家の祖霊を祀った地」の記憶を払拭するかのように、大国主命の和霊「大物主命」を祀り、のちに大田々根子(大三輪君)の一族にこれを祀らせている。寺山修二が「書き換えられない過去 はない」といったというが、まさに天皇家として新たな一歩を踏み出すためにすべての過去は都合の良いよう書き換えられた。

この功が認められてか、すでに奈良後期に中臣氏は朝廷で祭祀をつかさどる神祇官で重きをなし、平安初頭には神祇の官位を独占しいたため、他氏の介入は皆無となっていた。

これを憂いた斎部広成は『古語拾遺』を著し、史書の誤謬を指摘し、古来からの職掌の重要性を説き、 中臣氏の専横の非を論じたが、その後も改善は見られなかった。(少々脱線をする。この祭祀を司った 中臣氏と忌部氏、あるいは軍事を司った大伴氏と物部氏(衰退ののちに佐伯氏)など特定の職掌には必ず専らとする家が二つある。これは天皇が新たに即位するたびに斎王が入れ替わるように、各職掌の家も入れ替わったため「二家」あるのではないか。

時代が下るとその制度自体も明確さを失い、上記のようなことが起こったのである。膳部を任されていた安曇氏と高橋氏の争いも『高橋氏文』の上奏にまで発展している。)

「天皇霊」は稲の霊である。このような見解もある。なぜ「大嘗祭」に天皇霊を降ろすのか、という疑問に 対し、かなり傾いた答えではあるが、納得できる点も多く存在する。

 天皇はまず「神人共食」をし、その身に天皇霊を降ろす。

そうすると、本朝でもっとも強い「ケ」の塊で ある天皇霊は、天皇の身の中に充満する。「ケ」をたくさんに取り込んだ天皇はこれを小分けにし、「幣帛」にこめて、これを各地に配布する(奉幣)ことにより、ケが枯れていた各地に天皇霊が撒かれれ、国 はまた再生するのである。(民俗学講義になってしまうが、ここでいう「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」は今一般 化されている「日常・非日常」の考え方とは違っている。

「ケ」は一種のエネルギーであり、生活をしてい るとだんだんに減ってくる。これが涸れて無くなると「ケ・ガレ」の状態となる。この状態を元に戻すため、 「ハレ」を作り、「ケ」を集め取り込むのである。)つまり天皇霊がケガレを回復してくれるのである。

 戦後まもなく、昭和天皇が各地を巡幸したことがあった。この行為は荒野となった日本の国土を「反閇」して清め、天皇霊を撒くことで「ケ」で満たそうとしたのだとみられている。
http://www8.plala.or.jp/furan/page064.html


4. 2017年1月09日 14:39:57 : vIuLgFFEmw : j@n72fbMflQ[174]
 国家神道とは、幕末期に武士階級に流行した「カルト宗教」・・・民衆の間には、天理教や金光教等の新興宗教が生まれたのと同種のモノ。

 この「カルト宗教」は、幕末期のの「水戸学」に始まり、それが長州に飛び火したもの・・・クーデターにより生まれた、明治の薩長藩閥政権には、統治の正当性が無いため、「天皇」を神格化する、この「水戸学」を利用した。

 明治維新は、革命では無く、単なるクーデターによる政権交代・・・江戸期の「士農工商」の代わりに「官尊民卑」の身分制度が作られ、天皇を頂点とし、その官僚を神官とする「身分制度」は、律令制度の昔に返ったと言える・・・明治維新は、西欧の近代化とは似ても似つかない「カルト国家」を作ったという事。


5. 中川隆[5970] koaQ7Jey 2017年1月09日 15:05:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6413]
>>4
国家神道は記紀を纏め始めた天武天皇の時代まで遡るよ

自然神道は縄文人・弥生人の宗教

国家神道は古代朝鮮の宗教を翻案したもの:

天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]

「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。

高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。

 「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」

という言葉があります。

 高千穂伝承には[史料2]

「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」

「日向の槵日の高千穂の峰」

「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。

いずれもクシという字があります。

朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。

それだけではなく

「日向の襲の高千穂の添山峰」。

それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。
わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。

朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。
韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。

『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。
高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。

天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html

天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、昭和天皇に質問したそうだ。
天皇は、オフレコならばと前置きして答えられた。


Q:天皇家の先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
知らない方が良いこともあるのだ と答えたという研究者の話が伝わっています。


6. 2017年1月09日 15:23:39 : vIuLgFFEmw : j@n72fbMflQ[175]
 >>1. 中川隆
 >こいつ、ド素人だろ
 >>。ヨ。ハ明治時代まで)天皇は神ではなかった。天皇が他界したときの儀式は、仏教にのっとっておこなわれていた」

 >そもそも仏教では葬式なんかやらないんだよ
 >日本の仏式葬式は本来は古老がやっていた古神道の葬式を引き継いだものだ

 アホなこと書いてるんじゃないよ、今現在も、日本の仏教は葬式をやっている・・・釈迦が、来生の存在を否定していることは事実かも知れないが・・・その後、仏教は変質し、葬式をやるようになったことは歴史的事実、それが、古神道を引き継いだものとしても、古神道の葬儀として行っていたわけでは無く、仏教の葬儀として行っていた・・・そして、天皇の葬儀も、その、変質した仏教に基づいて葬式をやっていた・・・これが史実であり、事実・・・「そもそも論」に基づく「原理主義」で、その後の歴史を全否定する事は出来ない。


 >>。ヨ。ハ明治時代まで)天皇は神ではなかった。

 > また嘘言ってる
 > 大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも
 > 柿本人麻呂

 柿本人麻呂が、どんな歌を残していようと、天皇が「神」に等しい権力者であったのは、天武・天智の奈良朝時代と、古事記や日本書紀の中の物語の世界だけにすぎない・・・大体、藤原氏以来、天皇家は利用され、祭り上げられてきただけで、誰ひとり「神」だなどと思ってもいない・・・「神」だなどと思っていたら、此処まで、政争に利用されるはずが無かろう・・・常識で考えろ・・・頭、大丈夫か?

 まして、武家政権が続き、江戸期まで来れば、一般庶民の間では、天皇など、その存在さえ、誰も知らなかったのが事実。

 天皇を「神」として、天武・天智の「律令制度」と共に復活させたのは、明治時代に成ってから・・・その下、江戸末期の「宗教カルト」=「水戸学」の影響にすぎない・・・そして、戦後は元通りの「人間」に返った。

 柿本人麻呂や大伴家持が、如何に「天皇」を「神」とあがめる歌を歌っていようと、それは古代における、彼等の政治体制の内だけの事・・・そもそも、時の政治体制の正当化の為に造られた「古事記」や「日本書紀」を根拠にしただけで、天皇を「神」だなどと、とても、近代人だとは思えない脳ミソ・・・笑止千万・・・ホントに、頭、大丈夫か?


7. 2017年1月09日 15:23:45 : dXBIgipojU : 2F@nF6RLfZw[2]
中川隆[5967] koaQ7Jey 2017年1月09日 14:24:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6410]

▲△▽▼

こいつ、ド素人だろ中川隆?❔❔❔。自民党清和会・極悪部落民世耕◆チームセコーのいつもの卑劣な手なの...たくさんの投稿お疲れさま...◇凶悪犯罪者の顔もある...貧相顔の官房長官・菅義偉君◆も支払いますから....朝鮮人の中川隆も安心

[32初期非表示理由]:担当:言葉使い
8. 2017年1月09日 15:39:00 : vIuLgFFEmw : j@n72fbMflQ[176]
 >>5. 中川隆
 >>4
 >国家神道は記紀を纏め始めた天武天皇の時代まで遡るよ

 また、アホな事を書いてる・・・記紀の時代の「神道」と、明治の
の「国家神道」は別物、これは、少し勉強すればわかるはず・・・勿論、記紀の時代の「神道」と、それ以前の古代の「神道」も違う・・・良く勉強してください。

 後、無駄に長い文章も書かないように・・・頭が悪いと、文章が長くなるらしい・・?


9. 中川隆[5971] koaQ7Jey 2017年1月09日 15:52:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6414]
>>6
>今現在も、日本の仏教は葬式をやっている


通夜は神道の儀式なんだよ:

通夜祭は死者に対して生前と同様に奉仕する儀式で、古来の「もがり」の名残りとなります。斎主一拝、献饌、斎主祭祀奏上、伶人の誄歌(るいか)奉奏、玉串奉奠、撤饌、斎主一拝などが行われます。

また遷霊祭では、葬儀の前の夜、死者の霊を霊璽(仏式の礼拝にあたる)に移し、仮祖霊舎に安置します。これにより、死者の遺体は霊が離れた亡骸となります。


10. 2017年1月09日 15:54:16 : 2o3JEMY4ho : IG7ewOcYqrY[16]
明治以前は天皇が神格化されたことはなかった。これはそのとおりです。徳川時代は調停に実質的な権力はなく祭事、元号の制定などを行っていただけです。これは鎌倉幕府以来ずっとそうです。織田信長の時代が続いていたら朝廷は廃止されていたでしょう。

天皇を神に祭り上げ戦争遂行に利用したのは明治政府に加えて旧日本軍部でしょう。


11. 中川隆[5972] koaQ7Jey 2017年1月09日 15:59:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6415]
>>8
>記紀の時代の「神道」と、明治の
の「国家神道」は別物、これは、少し勉強すればわかるはず・・


全然わかってないな

「国家神道」というのはアマテラスオオミカミが出て来る神道の事

天皇はアマテラスオオミカミの子孫だから神なんだよ

本来の神道はアニミズム的な祖霊信仰

「国家神道」は記紀の時代から始まったんだよ


12. 中川隆[5973] koaQ7Jey 2017年1月09日 16:02:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6416]
「国家神道」の神典は古事記・日本書紀だけだから

「国家神道」= 古事記・日本書紀

なんだよ


13. 2017年1月09日 16:15:35 : WqC0BPeCCc : ymfxqX7o6jQ[1]
これは良い記事良い投稿だ

14. 2017年1月09日 16:21:15 : tBBsfBNzxU : sqa7E_HyS7w[2]
デマ川隆

15. 新共産主義クラブ[2881] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月09日 16:32:17 : 4ZLvLJ9Sxs : RH7x6Juh4HY[15]
 
 古事記(和銅5年(712年)編纂)や日本書紀(養老4年(720年)編纂)に編纂されたときには、既に日本は中国を真似た律令国家になっており、政治的に律令を制定する際の規範となる道徳・倫理は仏教という宗教を規範としていたのではないだろうか。
 
 一方で、神道は、それぞれの豪族の氏神として存続したたものの、加羅・百済系の天皇家の氏神である伊勢神宮が全国の中心ではなく、国譲りの神話の通り、既に奈良時代においては、新羅系の出雲大社が、全国の氏神の代表的な存在になっていたのではないだろうか。
 
 政治と関連する国家としての公的な宗教は仏教であり、天皇家を含む、それぞれの地域の豪族たちの私的な祖先信仰や地域の自然信仰が神道であったのではないか。
 
 奈良時代においては、既に政教分離がされており、国家は公的には仏教の考え方に基づき、私的な祖先信仰や地域の自然信仰が神道であったのではないだろうか。
 
 その意味で、古事記や日本書紀が編纂された奈良時代には、国家神道は未だ存在していなかったのではないか。
 

16. 中川隆[5974] koaQ7Jey 2017年1月09日 16:48:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6417]
>>15
そもそも神社の建物が作られる様になったのが奈良時代以降ですからね

それ以前はイワクラとか しめ縄位しか無かったので

日本の宗教を

自然神道、神道、国家神道

と三つに分けると

天津神崇拝、天皇崇拝は 神道、国家神道の時代だけですね

それ以前の自然神道はアニミズム・トーテミズムだから宗教としては扱わないという考え方でしょうか


天津神崇拝と国家神道は本質的には同じ宗教で、どちらも古事記・日本書紀だけが正典

つまり天津神崇拝を原理主義的にしたのを国家神道と命名したというだけでしょう


17. 中川隆[5975] koaQ7Jey 2017年1月09日 17:13:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6418]
因みに、天武天皇の Wikipediai には

天武天皇 - Wikipedia

道教に関心を寄せ、神道を整備して国家神道を確立し、仏教を保護して国家仏教を推進した。

その他日本土着の伝統文化の形成に力があった。

天皇を称号とし、日本を国号とした最初の天皇とも言われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87


と書かれている

梅原猛さんも天武天皇が国家神道を確立したと何処かに書いていた記憶がある


18. 罵愚[4548] lGyL8A 2017年1月09日 17:39:59 : Gf4cFsAzNU : Pr5nnNC9xcI[96]
 国家神道が一神教だって?? 靖国神社のみ柱は何万人だぜ…

19. 中川隆[5976] koaQ7Jey 2017年1月09日 19:31:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6419]
>>17 の続き

ここにも書かれているけど、天武天皇が現人神の概念や国家神道を作ったというので間違いない


天武天皇

日本書紀の天武紀を見ますと、第四〇代天武天皇(在位六七三〜六八六年)の和風の諡は、「天淳中原瀛真人」(あまのぬなかはらおきのまひと)といいます。「天淳中原」は沼の中の原ということで、天武天皇が水沼を開拓して飛鳥浄御原宮の都づくりをしたことに由来しています。瀛州は東海に浮かぶ神山の一つです。

八色の姓の最上位は真人であり、真人は仙人の上位階級になるので、天皇も道教の最高神に近い存在であることを示しています。

ここに天武天皇の宗教観に道教の要素がみられるのです。

「天皇は神にしませば」と詠まれるときの神は、神仙思想の神のことを指し、仙人の上位にいる存在であったのです。

天武天皇は天文遁甲を重視していたことがわかります。この道教への関心は天武天皇だけではなく、母の斉明天皇に顕著にみえます。天武天皇の没後以後は、日本の道教と神道と分かちがたく融合し、独立には存在していないといいます。ただし、影響をどこまで大きく評価するかは見方が分かれるところです。(『日本の古代』6、鎌田元一稿、五三頁)。

天武天皇などの名称は漢風の諱で八世紀の後半ころにつけられました。この「真人」とは道教でいう勝れた道士とか覚者の呼称です。陶弘景は神・真人・仙人の三階級を説き、それぞれは七または三に分け、これらのランクに対応して天宮を説きます。最高の宮殿は玉清宮で、中央にあるのは元始天尊(虚皇道君)です。

また、真人とは現人神のことで、悟りを開いた神仙のことです。


紀元六世紀に老子の「元始天尊」が説かれますと、この新しい最高神である「元始天尊」に移行します。つまり、日本の天皇に道教の影響が伝わっていたということです。「天淳中原瀛真人」の「瀛」というのは司馬遷の『史記』始皇本紀に、仙人がすむ東方海中の三神山の一つです。三神山は蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)のことで、瀛州にすむ真人という諱が送られているのです。


天武天皇と天照太神は強い結びつきがあります。神道の振興は外来文化の浸透に対抗する、日本の民族意識を高揚させるためであったといいます。結論的には、天武天皇は日本古来の豪族の信仰を重視し、地方的な祭祀の一部を国家の祭祀に引き上げたのが天照太神といえます。

しかし、各地豪族の祭祀をそのまま容認することではなく、天皇家が祖神とした天照大神の下位に、各地の神を位置づけ体系化することにありました。つまり、天皇権力の強化の指標でもあったのです。

この条件のもとに各地の神社・祭祀は保護されますが、引き換えに国家の管理に服すことを余儀なくされたのです。

こういう情勢のなかに古代の国家神道が形成されました。
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index205.htm


20. 2017年1月09日 20:38:09 : 4BEw1pJ3kg : fr3b_SGFWFY[55]
なかがわたかし君 あらあら お薬キレてるのに はしゃいでうん○漏らして走り回るとクチャイ、クチャイ。もうやめなさい、ほうら、ユルフンだからすきまから子供じみた○○見えちゃってますよ。

特に19
引用元のブログって、いろんなの継ぎ足した好き放題、勝手放題じゃない?

もともと、今の考え方で昔々の言葉を直接読んじゃ駄目なことぐらいなかがわたかし君も知ってるでしょうにぃ。

「あきつかみ」は「形代」に憑く姿。祭礼者は「形代」で普段は神でなくて紙(=普通の人)って、基本じゃないよぉ。新嘗祭大嘗祭もそうでしょ?どうして神自身がさらに神憑りするんだよぉ?なかがわたかし君の自分の優秀な頭で考えればすぐわかることジャン。

古代の天皇家と道教のかかわりを言うのなら、こんな表面的な字面合わせに付き合ってないで、ちゃんときょんしー連れてきてね、なかがわたかし君。あたしは奈良朝以前の道教や景教回教の影響ってすんごく興味深く思ってて、詳しい人に教えてもらいたいんだからぁ。なかがわたかし君。

後講釈とか由来因縁話とか、エンタ見世物をなかがわたかし君のような秀才はやらないでよね。

ほらほら、もう寝る時間だよ。お薬飲んで、しずかーに眠りなさい、ずーっと。


21. 中川隆[5978] koaQ7Jey 2017年1月09日 20:43:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6421]
祓いの神道は道教からの借り物なんだよ

それも天武天皇の時代以前には遡らない

本来の神道は祖霊信仰だけだからね


22. 中川隆[5979] koaQ7Jey 2017年1月09日 20:46:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6422]
東漢氏の遺産・「祓いの神道」

梅原猛は、その著「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)の中で、「祓いの神道」は初めて天武天皇によって開始されたが、それは東漢氏の遺産によるものだと言っている。詳しくは「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)を読んでほしいが、その要点のみここに紹介しておこう。梅原猛は、次のように述べている。すなわち、

『 平城遷都とともに、まさに、飛鳥の時代は完全に終焉を遂げるのである。後に、東漢氏の中にただ一氏、坂上氏が栄えたが、それは、武人・坂上田村麻呂を出現せしめたことによってである。東漢氏は、文化的指導力を失って、武人として生き残ったのである。(岩井國臣の注:梅原猛は丹波康頼に眼がいっていないのは残念である。阿知王の子孫は、坂上氏と丹波氏がずっと歴史を通じて文化的指導力を発揮したのである。丹波氏のこと、医心方のことを忘れてはならない。)』

『 こうして、飛鳥はと遠くなったが、私は、不比等、というより藤原氏は、東漢氏から実に重要なものを受け継いでいると思う。それは、「祓いの神道」である。われわれはふつう日本の神道というと、祓いのことを考えるが、祓いは、けっして昔から日本の神道の中心的行事ではなかった。』

『「大宝令」の施行とともに、この祓いの行事は、もっとも重要な国家の神事の一つになったのである。この定例の祓いの神事に、東漢氏は西漢氏とともに重要な役割を演じるのである。』

『 まず、東西の漢氏によって祓いが行われ、次に文武百官を集めて、中臣氏によって祓いが行われるのである。この東西漢氏の祓いと、中臣氏の祓いの言葉が、「延喜式」の祝詞(のりと)に残されているが、東西漢氏の祓詞(はらえごと)は漢語であり、中臣氏の祓詞(はらえごと)は和語である。東西漢氏の祓詞(はらえごと)次のようである。「謹請、皇天上帝、三極大君、日月星辰、八方諸神、司令司籍、左東王父、右西王母、五方五帝、四時四気、捧以禄人、請除、禍災捧以金刀、請延帝祚、呪曰、東至扶桑、西至虞淵、南至炎光、北至弱水、千城百闕、精治万歳、万歳万歳」』

『 これは、明らかに道教の神事であろう。東西漢氏は、これを漢語で読み、人形(ひとがた)を捧げて、天皇の身のけがれを除き、金刀を捧げて、天皇の齢(よわい)の長久を祈る訳である。祓いの儀式の一つの目的は、明らかに、天皇の長久を祈るためである。しかし、それに尽きないところに、祓いの神道の政治的性格がある。中臣の祓いは、文武百官を集めて行われるところに、その意味がある。親王以下文武百官を侍らせて、祓いがなされ、神の言葉が告げられる。皇孫が天降りましましてから多くの罪が出たが、この罪を、この六月の晦(つごもり)、あるいは十二月の晦(つごもり)を期して、水に流してやる。それゆえに、購(あがな)いを出せ。これを私は、国家による司法権の確認の神事であると思う。』

『 このように不比等は、東漢氏の伝える道教の儀式を、律令の精神によって改造して、「中臣の大祓の祝詞」なるものを作成し、そして、それに基づいた記紀神話を創造したと思われるが、この祓いに刑罰を含ませる事は、おそらく天武帝から学んだのであろう。』・・・と。
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-db00.html


23. 2017年1月09日 21:09:00 : 4BEw1pJ3kg : fr3b_SGFWFY[56]
なかがわたかし君、ねえねえ、まだ寝つけないんだったら、教えてほしいんだけど、そんな梅原先生の引用じゃなくてね。
梅原先生は聖徳太子像に釘打つ人だからさ。

持統天皇だけど、わかるよね天武天皇の皇后、記録の残ってる中では日本で二番目の火葬なんだけど、これは仏教なの?神道なの?道教なの?

背景も解説してね。
あたし昔聞いたんだけど、御諱うののささら(=持統天皇)、ペルシア文化風の水路付お庭を造ったって。

なかがわたかし君、教えてねぇ。
天武天皇の国家神道とかわけの分からない事言ってないでさ。
頼むよ。


24. 中川隆[5981] koaQ7Jey 2017年1月09日 21:31:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6424]
火葬は仏教に決まってるんだよ

金かかるから天皇クラスでないと火葬なんかできないけどね


25. 2017年1月09日 21:58:57 : 35EuUW7jDw : yWf3pgdtr88[18]
日本仏教はシナ化された仏教を受け継いだ、現在の各宗派は釈迦よりそれぞれの祖師、例

えば浄土真宗なら親鸞さんをもっともあがめている、歴史のながれ時間経過により

完全に日本化された、葬式仏教になっている。釈迦はもともとは 生きているひとに解

脱の法をといた。苦からのがれる法。

葬式とか祖霊をまつるとかは古代のシャ−マニズム」の時代からあったろう。


天皇は神ではない、神から日本国を代々収めていくように、神勅を賜った家系。

日本神話では天地開闢(世界の始まり)は

世界の最初に、高天原に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた[1]。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
続いて、二柱の神が生まれた

とある、これら天地開闢の神を伊勢神宮などでお祭りしている。


26. 2017年1月09日 22:06:28 : 35EuUW7jDw : yWf3pgdtr88[19]
天皇は神ではない、神から日本国を代々収めていくように、神勅を賜った家系

つまり、日本国をおさめるよう神から命令された、神の代理人 じゃないか?


27. 2017年1月09日 23:20:04 : 4BEw1pJ3kg : fr3b_SGFWFY[57]
>24
なかがわたかし君、忙しいのにおこたえありがとう。
じゃ、天武天皇は道教の影響を受けて日本の自然神道を国家神道に整えたんだけどその皇后は、天武天皇崩御後そのあとをついで持統天皇となり崩御後、仏教の風習にのっとって火葬されたってわけね。国家神道は葬式しないわけなんだぁ?

なかがわたかし君が引用した天武天皇に関するWikiには病気になって「『仏教の効験によって快癒を願ったが』、『効果はなく』、7月15日に政治を皇后と皇太子に委ねた。7月20日に元号を定めて朱鳥とした。その後も神仏に祈らせたが、9月11日に病死した。」って載ってたけどさ、国家神道は病気治してくれないんだ。

天武天皇のWiki、ちょっと程度低いね、ほかのに比べてさ。確かにむつかしさはあるんだけど。

ま、秀才なかがわたかし君のおこたえは「短答」だったけど、ありがとう!!
あたしますますファンになってしまったよ、ちょっとうん○くさいのは苦手だけどね。


28. 2017年1月09日 23:53:23 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[343]
伊勢神宮には元の形があっただけのこと。今の伊勢神宮の祭祀は変えられているのです。元の二柱の神を追い出し、名前は似ているが悪神一柱を替わりに中心に立て何食わぬ顔をして国民を騙しうそぶいている。そうして国は過った。当たり前のことです。

全世界を支配するためには、つくりものの新宗教が必要。
強制的な難民危機(労働・移民受け入れ政策)は、国境や歴史的民族文化、
国民文化をぼやかすために仕組まれている。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-d0a4.html

新宗教の元は明治期から乱立しだした。
(淵源はもっと古いでしょう。)
それらしき後ろ盾を得て、後盾は秘密にして
花開いた。
日本会議に名を連ねる明治以降の新宗教は
戦後の新・新宗教の親ともなっています。


29. 2017年1月09日 23:56:22 : 4BEw1pJ3kg : fr3b_SGFWFY[58]
>19
なかがわたかし君
もう一つ聞き忘れたよ。粘着でごめんね。

真人ね。

八色の姓って、天武天皇から臣下に与えた序列だよね。確かに真人が最上位。記録によると各地の公(きみ)に授けられている。
そして天武天皇の和風諡号中の真人、これ、八色の姓の中で考えると、とても変じゃない?これって、もし姓だとすると、天皇は姓を持たないとする大原則にも反するし誰の臣下なのかね?Wikiにはさりげなく和風諡号中の真人は姓の筆頭とか書いてあるけど、おかしいんじゃないのぉ?

秀才のなかがわたかし君、するっと引用してるけど
ここんとこあたしのようなアフォにもわかるように解説してくださいね。
お願いしま〜すぅ。そこはっきりしないと、天武天皇と道教の絡みの説明、むなしくなってしまいますぅ。そうなると国家神道の話しも、いつものように???になってしまって、あたしが耳をふさぎたくなるような「○カ川」とか「デマ川」とか言って罵ったり悪口いう人たちの方が正しいってことになってしまうでしょ?ほんとにそうかもしれないって疑ってしまう気持ち、嫌なんだけど、真人の解説きちんとしてくれないとぉ、あたし、泣きそう!!


30. 2017年1月10日 01:08:56 : n4eHd45SnU : GmqesGz8js4[30]

あの共産党まで天皇家を擁護する日本になりました、スゴ〜イですねニッポン。


31. 2017年1月10日 02:47:27 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[344]
日本共産党が天皇家を擁護するのは不思議ではありません、馬脚が・・・
ということなんです。
最初から超国家の国際共産主義であり、ナチズムと同根です。お財布と
根っこ(タルムード)の思想が同じですの。
そして、最終的に、救世主(=真のキリスト教。仏教、宇宙原理等を否定し)
粉砕することが目的なんです。

32. 2017年1月10日 03:07:29 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[345]
真人の筆頭格は海神系の息長氏です。別名(古代)和邇氏族。ここから諸流が
分かれています。現在の天皇家と関係が無いに等しいのです。

26さまの
<おさめるよう神から命令された、神の代理人 >

補足させていただいてよろしいでしょうか?
おさめるよう祭祀をしていた別系統の氏族から
受け継いだ(決して平和裡にではなく。神を祭る氏族に
ふさわしいとは到底言えない形で。)


大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも
柿本人麻呂

この方は、日本という国の人ではなく倭国の方で、
この場合の「おおきみ」(天皇)とは、
異なる王朝の天皇に捧げられた歌です。



33. 中川隆[5982] koaQ7Jey 2017年1月10日 07:41:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6425]
>>29
天武天皇の諡の「瀛真人」(おきのまひと)は瀛州という海中の神山に住む仙人の事

八色の姓とは関係ないよ


34. 2017年1月10日 08:01:43 : 0JFWqaUiq2 : i1dQ9OkWYyM[20]

・ ド素人中川隆が文庫本で得た、スクラップ型知識の発表会。

・ 関連性も無く、ひたすら知識量を誇る。
・ ボロアパートにひきこもってこんなことしているの

35. 2017年1月10日 09:14:03 : 4BEw1pJ3kg : fr3b_SGFWFY[59]
>33

なかがわたかし君、おこたえありがとう!!
これ、スッキリする直答で、あたし凄く嬉しい。。
Wikiの『天武天皇の国風諡号(和風諡号、わふうしごう)は、天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)という。「真人」が使われており、八色の姓の筆頭にあげられている。』は、おかしいってことだよね。なかがわたかし君の説明、最高だ!やっぱり秀才だったんだね。どうも天武天皇関係のWikiは変なところがあちこちある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%89%B2%E3%81%AE%E5%A7%93

ま、天武記では、天武天皇が病気になった後、仏教の効験を求め、神仏に祈ったが、、とあって道教神仙思想に救いを求めていないけど、それはそれで、あたし自分で調べてみる、ほんと、なかがわたかし君ありがと!でも、引用するものの中に変なとこ残したままだとあたしまた誤解して泣きそうになるから、ちゃんとしたのだけ選んでね! オ ネ ガ イ。


36. 2017年1月10日 11:32:27 : SLti3Vm5xc : TNDqQTq1IMU[37]
 
>>6
>藤原氏以来、天皇家は利用され、祭り上げられてきただけで、誰ひとり「神」だなどと思ってもいない・・・「神」だなどと思っていたら、此処まで、政争に利用されるはずが無かろう


全くその通りで、人間に利用されるものは、人間の道具で人間の下にあるわけだから、神ではない

安倍は伊勢神宮参拝を政治的に利用しているが、本当に神と思っているならそんなことはできないだろう
神を自分の道具として自分の下に置く行為だからである

つまり安倍は神を拝んでいるのではなく、神を拝むパフォーマンスをしているに過ぎないのである

したがって、安倍の伊勢神宮参拝は、宗教の問題ではなく、宗教パフォーマンスの問題である
神道について詳しく論じるよりも、むしろ安倍の宗教パフォーマンス、宗教を政治的に利用する行為について(当然憲法違反だが)論じていくべきである
 


37. 2017年1月10日 16:31:30 : qbzIVVDG52 : 9xmuICjo2FE[41]
>天津神崇拝

宮崎(日向の国)に神武天皇行幸由来のアマツケ神社というのがあるんだが、江戸時代秋月藩主がお参りに来ていたときの古文書には、天津家とあるが、明治以降、甘漬け神社とわけのわからない漢字が当てられてるようになった。
日向の国のおもだった神社は、明治維新まで、物部氏の一族の末裔が祭っていたが、国に没収されて物部の塚まで破壊され、今では塚後となっている。

歴史は権力に書き換えられるんで、今となっては、古事記にこう書いてある日本書紀にはどうだ、或は中国の古書ではこうだといってもせんなきことに思われるが、古来から日本人が土地神に祈る事は、自然への畏怖と平和と安然ってことで括られるんじゃないかな。フランスの記者が調べて書いた事は、それなりに当たっているし、解釈に違いもあるけど、八百万ってことでOKにしちゃうのが、日本古来の神道の凄さではなかろうか。

知識ある人たちの書き込みは読むのが楽しいので、大歓迎ですが、ともかく、神道や天皇を出汁にして、歴史の浅い明治維新以降の国家神道を「国体」にしちゃおうって安倍政権や日本会議系列のあざとさは嫌いです。


38. 2017年1月13日 22:15:32 : efipo3SElI : 4RrvA4ymjtk[1]
>37さん

明治初めに、神仏分離・排仏棄釈が行われ、宗教一揆ような暴動が起きている。 また、
寺社領の領地没収の上知令も出て、暴動の収拾は政府にとって都合がいい面もあった。
(物部氏は、聖徳太子の時代に遡る崇仏戦争での排仏派で、崇仏派の聖徳太子・蘇我氏に
敗れた豪族とされる。 抗争がおきれば歴史を持ち出すから、仏教側の敵になりますわね)

で、天津神(アマテラス)と国津神(オオクニヌシ)の二系統があって、神祇省を主導したのが
国津神系の復古神道、平田篤胤門下。 (平田は、霊魂の存在を主張した) のちに排除
され、天津神をもとにした近代社格制度(伊勢神宮を頂点とする)となっていく。 招魂社は

平田篤胤(国学者、本居宣長没後門人)の影響を受けたと思われる。 系譜は、津和野藩主
亀井滋監(国学を重んじ神仏分離を行った)のもとで、福羽美静は神葬祭や霊祭式を定めた
とされる。 岡熊臣や大国隆正に師事した。 また、明治初期の神祇省を主導した。 

京都招魂社の始まりは、福羽美静らで執り行われた。 東京招魂社(靖国神社)は、大村
益次郎の建白、〈寛永寺(東叡山として、江戸城の鬼門を守る)が候補地とされたが、自ら
彰義隊を攻撃した場所で、亡魂の地として嫌った。 山主は歴代の天皇家〉、建築様式は

西洋風であったとされる。 靖国神社となって初代宮司が、長州の青山清。 長州の桜山
招魂場は、高杉晋作の建白とされ、青山清は招魂祭を行った。 

宇部に靖国神社の原点(宇部日報社)
http://ubenippo.co.jp/2010/07/post-1153.html

長州は吉田松陰の尊皇攘夷に代表される? 吉田松陰は神葬の葬儀を望んだ。 これは
国学の書物が、広く普及し明倫館を通して高杉らも読んだと云われ、平田神学も新宗教と
して、庶民から知識人まで多くの門人を抱えたとされるから、吉田松陰も読んだのかも。

一方で、平田神学は水戸藩には受け入れられなかった。 尊皇攘夷は、(後期)水戸学が
主導しており、吉田松陰は尊皇攘夷論の会沢正志斎に面会している。 尊皇を宗教にした
のが国学で、尊皇は江戸官学・朱子学。 朱子学の忠孝の大義名分論から、江戸初期の

儒者により尊皇思想が産み出されたといえる。 この時代は、神道宗派は存在し、幕府は
吉田神道を正統とした。 宗教政策は、寺社奉行とあるように、キリシタン禁制(島原の乱)
の強化として、寺院に国民を帰属させる寺請制(戸籍)を敷いた。 寺院統制は、国家仏教

から朝廷と関係が深い京都や奈良の寺院や朝廷を含めた禁中並公家諸法度を制定。 
統治を朱子学からとする身分制度(上下定分の理)や国史の本朝通鑑を林羅山が創った。
本朝通鑑は、資治通鑑と同様の国史として家光が命じた。 (黄門さま)の大日本史の編纂

から水戸学が始まった。 保科正之(初代会津藩主)は、朱子学以外を排斥した。 (家康の
孫たちが、朱子学から幕府公認の尊皇を広めたといえる) 歴史を古書に求めれば記紀で、
天皇史、征夷大将軍は令外官で、朱子学の大義名分の「忠」を突き詰めると天皇となる。
(忠義や忠誠が天皇に向かう思想が出ることは当然といえる) 慶喜も会津藩も尊皇だった。


記紀云々は、少し読めば面白いですよ(現代訳が読めます) 書籍で読むのとほぼ同じ
解釈説明は著者で違うと思いますが、〔古事記〕海幸彦山幸彦と神武天皇と母親。 
日本武尊は、景行天皇紀にあり、兄殺しで親も恐れた。 日本武尊の子の仲哀天皇紀は

天皇が神に背き殺される。 聖徳太子は、推古天皇紀に名前。 日本書紀は、日本武尊、
神功皇后、聖徳太子の事績の記述が多い。 記紀の現代訳 日本神話・神社まとめ↓
http://nihonsinwa.com/column/novel/1.html


日本会議、生長の家といわれる宗教系譜は、大本教(開祖・出口なお)と金光教、大本教
(聖師・出口王仁三郎)と谷口雅春、生長の家。 大本教にも、国常立尊(くにのとこたちの
かみ)〔日本書紀〕、国之常立神〔古事記〕がでてくる。 大本教が、弾圧を受け、予言も

外れたこともあり、谷口雅春は脱退した。 出版宗教とも呼ばれ、人生相談や病気治癒の
経験などの「生長の家」誌で信者を増やしたとされる。 民衆の救済とする大本教と同じ 
ような路線が、政府に同調し、戦後は戦前回帰。 生長の家の支援で玉置和郎が当選、
自民党の青嵐会に参加。 今は、青嵐会のメンバーの二世議員も多い。


朱子学の大義名分「忠」が尊皇となり、明治は「忠」を強制した。 そんな感じですね。



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