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仲正昌樹、山崎行太郎を査定する
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投稿者 中川隆 日時 2017 年 7 月 28 日 06:19:19: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


仲正昌樹、山崎行太郎を査定する


「STAP細胞問題」と“学者になれない人たち”
仲正昌樹[第16回]2014年12月31日


 年末の十二月十九日に、理化学研究所の検証実験チームが、小保方晴子氏らの論文の手順ではSTAP細胞を再現することができなかったとの報告を発表し、同時に小保方氏が辞表を提出していたことも明らかにした。一週間後の二十六日には、理研の調査委員会が、STAP細胞問題に関してES細胞の混入の可能性が高いという調査報告結果を発表した。ほとんどのメディアでは、これで、STAP細胞問題は事実上決着した、という論調になったが、中には、強引に小保方氏を擁護しようとするものもあった。その最たるものが、二十七日に共同通信が配信した、「【STAP問題】厳しい目、寛容さを失う社会を象徴か」という記事である。あまりにも見当な外れな擁護論だということで、ネットでも大きな話題になった。

 この記事は、教育評論家の尾木直樹氏、作家の雨宮処凛氏、文芸評論家(?)の山崎行太郎氏の三人のコメントを合わせたものになっている。いかにもSTAP細胞問題と縁のなさそうな人選である。バラエティ番組のコメンテーターのような位置付けなのかもしれないが、記事にはそうした説明はなく、「識者」として紹介されている。まともな読み手は、「どうして、生命科学者や医療関係者、技術者、科学哲学者など、もっと専門的な人に聞かないのか?」、とのっけから疑問に思ってしまう。長い教師経験があり、現在大学で教えている尾木氏は、科学の倫理を揺るがす大問題だったが、調査委員会の報告によって一応の結論が得られてよかった、という常識的なコメントをしているが、あとの二人のコメントがかなり的外れになっている。


 雨宮氏は、小保方氏に対するバッシングについて、「若い女性で成功した。報われない人が多い今の日本の社会で、一番たたきがいがある存在」と述べている。また、組織としての理研にも責任はあるはずなのに、「全ての責任を1人の人間に丸投げしている。楽な方法なのだろうが、あまりにもえげつない」、と述べている。これがどうズレているかは、既に多くの人が指摘していることであり、言わずもがなだが、一応確認しておこう。小保方氏が叩かれたのは、「成功した」からではなく、いろいろ疑惑が指摘されたにもかかわらず、自らの主張を裏付ける具体的な証拠を示さないまま、説得力のない言い訳を続けたからである。

ねつ造疑惑が大きくクローズアップされた今年春の時点で、論文に書かれていないレシピがあるとか、特許の問題があるなどと言ってぐずぐずせず、実験ノートや出来上がったSTAP細胞をさっさと公開し、TVカメラの前で公開再現実験をしたいと申し出れば、問題は一挙に解決したはずである。そうしないから、疑惑が疑惑を呼び、小保方叩きが続いたのである。特許の問題があるから公開できるはずがない、などと言って擁護し続けていた人達がいたが、今となっては、特許の話など全く意味がなかったことは明らかだろう。

 女性だから叩かれた、というのも当たっていないように思われる。実際、佐村河内氏のゴーストライター問題や、元兵庫県議の号泣・カラ出張問題では、本人が烈しく叩かれている。小渕優子前経産大臣等のケースのように、女性としての活躍が期待された人が、不祥事で叩かれたケースもあるが、それを「女性だから叩かれた」と言って擁護するのが妥当だろうか、また、そういう擁護をしたフェミニストはいただろうか。

小保方氏の場合、最先端の科学の問題であるので、専門家にとっても真偽を判断しにくい点が多かったことに加え、先に述べたように、彼女がなかなか具体的な証拠を示さず、理研もなかなか本格的な調査に乗り出さなかったため、話が長引いた点が他のケースとは異なるが、これは小保方氏が、「若い女性」だということと直接関係ないだろう。この間、何の根拠もなく、「小保方氏を失うことは日本にとっての大きな損失だ」、などと言って、彼女を擁護し続けた人達がいたわけだが、これは、彼女が「若い女性」だったので、おじさん達のシンパシーを得やすかったからだ、という見方をすることもできよう。

 理研の上層部の責任が問われるべきだというのはその通りだが、研究不正があったことを先ず明らかにしなければ、上層部の責任を問うこともできない。「これで終わりにしてはいけない」というのなら分かるが、少なくとも雨宮氏の記事内のコメントは、そう言っているようには見えない。

 一番問題になのは、記事の見出しにもなっている山崎のコメントである――すぐ後に述べる理由から、私は、この人間は敬称不要の汚物だと判断している。該当箇所をそのまま引用しておこう。

文芸評論家の山崎行太郎(やまざき・こうたろう)さんは「まだ誰もやっていない成果を追い求めるのが科学者。断罪するようなことは絶対に良くない」と小保方氏を擁護。一連の騒動が、寛容さを失っていく社会の風潮を象徴しているように見えてならないと振り返った。/「正解しか許されない場所から、果たして世紀の大発見が生まれるだろうか」。今後多くの研究者が萎縮し、科学研究の現場に悪影響をもたらすかもしれないと危ぶんだ。

 これを本気で言っているとしたら、山崎だけでなく、これをわざわざ引用して記事の見出しにした共同通信の記者やデスクも、議論の文脈をフォローする能力が中学生以下だと言わざるをえない。ツイッターで多くの人が指摘している――私は通常は、自分の考えに近いように見える意見でも、ツイッター上の多数意見はあまり信用しないことにしているが、この件に関してはほぼ同意できる――ように、小保方氏が断罪されたのは、間違ったからではなく、ねつ造したから、もしくは、ねつ造したとの疑いに対して誠実に答えていないからである。手元にある証拠資料を全て示したうえで専門家たちの判断を仰ぎ、その結果間違っていると判明したのだとしたら、それほど叩かれなかったろう。誠実に実験をやって失敗した人、本当に勘違いしたまま論文を書いて発表した人であれば、誰も叩かないだろう。

 小保方氏が関わっていたような研究には、大量の国の予算が投入される。国の予算は無尽蔵ではないので、小保方氏に数十億規模の予算がつくとすれば、その分、誰かが割を食う。科学技術振興関係の予算の枠内でやりくりするだろうから、潰れる研究室やチームがあるかもしれない。職を失ったり、得られる見込みだった職を得られない若手の研究者が多く出るだろう。その中には、小保方氏より若く、ちゃんと博士号を取得した女性もいるだろう。他人の運命も左右するのだから、いい加減な研究計画であることは許されない。ねつ造などもってのほかである。山崎や共同の記者は、そうした人達のことは考えないで、小保方氏にだけ優しい目を向けろ、というだろうか。自分が共感したい人間にだけ共感したつもりになって、その犠牲になっているかもしれない人のことをすっかり忘れるのは、社会的正義を語る資格のない幼稚な人間である。

 そもそも、山崎に「寛容」を語る資格があるのか。彼はこれまで(理研の広報が最初に出した情報の印象のみに基づいて)小保方氏を天才であると盲信してしまい、STAP細胞の存在や小保方氏の研究者としての資質に関して否定的な意見を述べるこの分野の専門家たちを、何の根拠もないまま、偽学者呼ばわりしていたのではなかったか――このことも、ツイッター上で正しく指摘されている。その人たちが偽学者で、小保方氏だけが科学のパラダイムを変えられる天才だと、生物学者でない山崎にどうして分かるのか。一万歩くらい譲って、STAP細胞批判をしている学者や科学評論家たちの方が間違っているとしても、その人たちを糾弾するようツイッター上で呼びかける行為は、不寛容ではないのか。山崎の言動は支離滅裂だ。

 このひどい記事に関するツイッター上の批判コメントの多くには同意できるが、納得できないのは、雨宮氏や山崎が文系知識人の代表であるかのように見なし、「文系は黙っていろ!」と断じるものである。ツイッターでこの手のことを言う人が、まともな理系研究者とは思えないが、いずれにしても、本気で言っているとしたら、山崎と同じレベルのバカである。

 雨宮氏は作家だが、大学で研究者になるための教育は受けていない。作家の仕事と文系の研究は全く別物である――それを理解していない、自称“理系”が結構いる。山崎は一応慶応の文学研究科の哲学専攻課程を修了した文学修士で、いくつかの専門学校や大学で非常勤講師をさせてもらっているが、六十代の後半になる現在まで大学の専任教員になったことはない。学術的な業績はほとんどない。哲学や国文学・比較文学の領域で、彼を研究者として認めている学者は――彼の友人らしい日大芸術学部の教員を除いて――恐らくいないだろう。

無論、大学教授で、どこかの専門的な学会の重鎮で、大学の紀要に専門的な論文を書いている人だけが、「学者」だと言いたいわけではない。大学や学会に属していなくても、「学者」として認められている人はいるが、そういう人には、専門的な研究者でもその学術的価値を認めざるを得ない業績がある。そういう業績があれば、たびたび参照される――文系のほとんどの分野では、理系のようにインパクト・ファクターを絶対視する傾向はないが、影響力が大きく、よく引用される論文を書いた人はそれなりにリスペクトされる。山崎にそんなすごい論文があるはずもない。山崎が自分でちゃんとした論文を書いている人間であれば、小保方氏の学位論文のコピペ問題をどうでもいい問題として軽視できるはずがない。山崎を文系の学者扱いする理由などない。

 また、彼は「文芸評論家」を称しているが、作家や文芸評論家になるのに免許のようなものはいらないし、そういう資格を認定する民間の団体もないので、誰でも勝手に名乗れる。実際ネット上には自称「文芸批評(評論)家」「美術批評(評論)家」「サブカル批評(評論)家」がたくさんいる――「○○評論家」より、「△△批評家」の方が何となく“文系的な高級感”がありそうだが、基本的に自称なので、あまり意味はない。

文学研究や文芸批評に少しでも関わったことがある人なら誰でも知っていることだが、文芸批評家を名乗っている人のほとんどは、文芸批評だけで食っていけない。『文学界』『群像』『新潮』などに執筆している批評家でも例外ではない−−言うまでもないが、山崎はそういう所から声がかかるような高級な批評家ではない。雑誌に載せた文章や出版した本の印税だけで確実に生活が成り立つのは、小林秀雄とか吉本隆明のクラスであろう。そのため、多くの文芸批評家は、大学で文学や芸術、哲学を教えている専任教員の兼業である。江藤淳や柄谷行人も大学の教員であった。文学や美学では、専門的な論文と評論の間の境界線が微妙であるというところもあって、まだ常勤教員のポストを得られていない若手が「批評家」を名乗っていることがしばしばある。小林秀雄級の著名人でもなく、大学常勤教員などの本業を持っていない批評家は、それだけでは食っていけないので、何かアルバイトをして食いつないでいるか、誰かに養ってもらっているか、実家に余裕があるかのいずれかである。

 なかなか目が出なくても、こつこつとまじめな批評を書いて、いろんなところに投稿している批評家は立派だが、山崎はそんな殊勝な人間ではない。「政治ブログ『毒蛇山荘日記』」なる、タイトルからして下品なブログで、世間で話題になっている保守系の論客や政治家、タレントなどを妄想まじりで口汚くののしり、その悪口に共鳴する彼と同じくらいバカで世間から認められたがっている連中から、先生と持ち上げられていい気になっているだけである。山崎のブログやツイッターを見れば、彼がどれほどひどい中傷罵倒をしているか一目瞭然だ。

 私も被害を受けたことがある。彼のブログに、元マスコミ関係者を自称する、望月至高=俳愚人というバカが、「仲正は統一教会ですよ。ロクな者ではありません。こんな奴の本など読むことありません」、という失礼なコメントをしていたので、抗議したところ、山崎が何を勘違いしたか、「そうか。統一教会である正体がばれて、焦っているんだな。これは面白い」、と言って、ネット上の私に関するネガティヴ情報を集めてきて、「これが金沢大学教授の正体!」というタイトルをつけて拡散し始めた。

念のために言っておくと、私が十八歳から二十九歳まだ統一教会の信者であり、教会を辞めたのと前後して大学院に入って、研究者を目指すようになったのは、私自身がいろんなところで言っており、本にもしている。山崎が集めてきたネガティヴ情報も全て、私自身の発言か、どこかのバカなサヨク・ウヨクがそれを曲解して作文したものである。何の情報価値もない。私が怒ったのは、望月があたかも私が現役信者であるかのように誤認させる言い方をし、読んでもいない私の本を、そのことと結び付けてくさしたからである。そういう悪質なコメントをどうにかしてほしいと申し入れただけなのに、山崎にとっては、『諸君!』のような総合雑誌に文章を掲載し、本を何冊も出している、金沢大学の偉そうな教授を叩くいい機会だったわけである。「大学教授」という存在に嫉妬しているとしか思えない。

そうやって力んだ割には、彼による“正体暴露”は、先ほど述べたように、私自身の証言に由来するネット情報の寄せ集めである。それで私を追い詰めているつもりになってしまう、山崎や彼を持ち上げている連中は、とてつもなく頭が悪い。ただ、狂人たちの吐き出す汚物のようなコメントの集積だと分かっていても、ネット上で私を呪詛する台詞が広がっていくのは何とも気持悪い。この手の被害に遭っている人は、少なくないはずだ。
 それなのに、山崎の中傷罵倒記事やツブヤキがネット上で注目を集めることがしばしばある。山崎は注目されるために、わざと乱暴なコメントをしているふしがある。それがマスコミの眼にとまることがあるようだ。

恐らく、何かの事件に関してネット検索している内に、「山崎行太郎」という名前がヒットするのだろうが、検索でヒットしたからといって、すぐに取材を申し込む記者は、どうかしている。彼の過去の言動について更なる検索で調べれば、コメントを頼んではいけない人物だとすぐに分かるはずだが、最近の記者やデスクにはその程度のネット・リテラシーもないのか。というより、識者のコメントを求める時には、いろんなところに聞いて回って、最も適任な人を選び出すべく努力するのが記者だろう。忙しいのかもしれないが、たまたまネット検索で上位に出てきた人物に、適当な肩書さえついていれば、すぐに取材を申し込むというのでは、ド素人である。

朝日や共同のような大手マスコミの記者が、そういう素人のようなことをやり続ければ、山崎のようなまねをする輩が益々増えるだろう。共同の記事が出る前日、山崎はツイッターで、共同の記者から取材依頼があったので、クーンの科学論や自らの著書『小林秀雄とベルクソン』内容を一時間にわたって力説した、と自慢げにツブヤいている。注目されたくてしかたない、子供っぱいバカ老人なのである。

 山崎はあまりにも典型的な例であるが、この連載でも何回か取り上げたように、なかなか職につけない文系のオーバードクターや食っていけない自称批評家には、他の文系学者や批評家をディスって、注目を集めようとする輩がかなりいる。私自身が最近被害を受けた例として、昨年の八月に自称学部生の逆切れによる、仲正糾弾キャンペーンがあった――これについては、『極北』の過去ログ参照。

この時には、●●評論家を名乗るアホがたくさんたかってきたが、その中で少し目立った奴に、アニメ評論家・文芸評論家を名乗り、やたらとフランス系の文学者の名前を出し、自分の発言に箔をつけたがる籠原スナヲという奴がいた。こいつは、問題の発端になった私の著書『カール・シュミット入門講義』を全然読んでもいないし、私の著作や論文もほとんど知らないくせに、「これは学部生さんの方が正しい。仲正氏に非がある」、と分かっているかのように決めつけるコメントをしていた。むかつく奴である。断言調で書くと、小林秀雄とか蓮實重彦のようで、カッコいいとでも思っているのだろうか。こいつのツイッターの過去ログを見ると、何か論争とか喧嘩があるたびに、知ったかぶりの決めつけコメントをして回っているようである。
 もっと最近では、埼玉県在住の院生であるという「虎の尾」というアホが、私と評論家の宇野常寛氏に関して、「仲正昌樹とか宇野常寛の左翼批判を見ると『ああ、この人達は左翼 からひどい目にあったんだね、かわいそうに』と思ってしまう。だって、批判というか、あの人たちの憎悪でしょう」、と精神分析もどきを試みている。私や宇野氏が左翼にいじめられたトラウマのせいで冷静でない左翼批判をしている、と言いたいのだろうが、どこのどういう文章を指しているのだろうか。うろ覚えの印象だけで言っているのは明らかだ。私の著作の中に割としつこく左翼を批判しているものが確かにあるが、そういうのはごく一部である。最近は、左翼よりもむしろ、こいつのようなバカなネット民に対する批判をこのコラムなどで書くことの方が多い。

念のために言っておくと、私は過去に何度かバカな左翼に嫌な目にあった経験があり、それをバカのサンプルとして使ったことがあるが、どういう意味でバカなのかその都度ちゃんと説明している。それがトラウマによる「憎悪」だと言いたいなら、どこがどう憎悪になっているのか、具体的に示すべきである。具体的に示せないのに、他人を病人扱いして、「かわいそうがる」のは、誹謗中傷に他ならない。こいつは数か月前にも、私の本など読んでいないにもかかわらず、「仲正は本を出せば出すほど劣化していく」、と勝手に決めつける書き込みをしていた。そうやって、私を誹謗中傷する一方で、東大の哲学教室の一之瀬正樹教授のような偉い人に対しては、「一之瀬正樹先生」と先生付けしている。こうした扱いの違いに、こいつの浅ましい根性が出ているように思われる。

 この手の“知識人になれない”連中が、ネットで、それなりに名前が知られている人を誹謗したがる理由は、大きく分けて二つ考えられる。一つは、自分の名前がネットで知れ渡ることを機に、自分の“論文”や“評論文”に目をとめてくれる、大物の学者や評論家、編集者など出てくるかもしれない、という淡い期待である。実験や観察によってデータを示さなければどうにもならない理系と違って、(文芸批評を含む)文系では、文章をどれだけ多く公刊できるかが重要なので、就職できない人達は、せめて発表の媒体だけでも確保したくなる――マイナーな雑誌や政治色の強すぎる雑誌への掲載でも、ゼロよりはましである。ツイッターと連動しているブログに、自分の文章をアップしたり、それが掲載されている雑誌――多くの場合、同人誌――をリンクしたりしている、オーバードクターや“批評家”は少なくない。

無論、ネットを利用して、自分の仕事を売り込むこと自体が悪いと言いたいわけではない。悪口を言ったり、ネット論争にくびを突っ込んで、目立とうとするのは、浅ましいし、ほとんどの場合、本人のキャリアにとってもプラスにならない、と言っているのである。たまに、山崎のように、大手のメディアの検索に引っかかって取材を受ける人間がいるので、勘違いする奴が後を絶たないわけだが、それは、例外的なケースである。それも、知識人としての自負心をすっかりなくし、狂いまくっているうちに、たまたまバラエティ芸人的な注目を集めただけのことである。ネットで騒いでいる連中は、山崎のようになりたいのだろうか。

 少し付け加えておくと、この手の所業を働く人間のごく一部に、現役の大学教員も含まれている。それは多くの場合、かつて様々なメディアでもてはやされ、学会や所属大学のエースと見なされていたのに、いつのまにか、あまり注目されなくなった人たちである。ものすごく注目されている状態でないと、精神が安定しないのだろう。オーバードクター的な精神状態に部分的に“退行”しているのかもしれない。

 もう一つの理由は、「妄想」である。自分がなかなか報われず、自分よりも能力が劣る(ように自分には見えている)人間が有名な雑誌への執筆の機会を与えられたり、いいポストを提供したりされたりするのを見て悶々としている内に、どこかにエコひいきとか権力闘争のネットワークのようなものがあるのではないか、と妄想したくなる。それで、そういうネットワークをしきっているように見えるボスとか、ブローカーのような輩を誹謗したくなる――田舎の大学の教員にすぎない私はブローカーの方だろう。私も多少のオーバードクター経験があるので、分からないでもない。ただ、そうした妄想を文章にして、公衆の眼につくように発表したら、狂人である。一度そういうことをやってしまうと、どんどん妄想が膨らんでいく。

 十年以上前、私がまだ雑誌『情況』の編集に熱心に協力していた頃、当時東北大の院生で、現在、東京経済大の教員になっている早尾貴紀という男が、東北大の院生用の掲示板で、『情況』の編集部人事に関する妄想を書き連ねていた。早尾は、東北大にいた熊野純彦氏(現、東大教授)の“弟子”で、(『情況』の創設に強く関与した廣松渉氏の弟子に当たる)熊野氏を通して、『情況』の編集委員に推薦してもらうという話があったが、『情況』の編集部内で、熊野派と仲正派の争いがあり、仲正の横車でその話がつぶれた、という。それを前提にして、「仲正のような反動がのさばっている編集部に入っても決していいことはないので、潰れてかえってよかったと思う」、と勝手に結論付けていた。これは完全に妄想である。『情況』に正式な編集委員などいなかったし、私を初め、協力していた研究者はすべて無償だった。たまに若手の院生には原稿料を払っていたこともあるらしいが、そんな微々たる額で食べていけるはずがない。仮に編集委員という制度を作るという話が出たとしても、無償になるはずなので、そのために東北大の院生をわざわざ東京に呼び寄せるなどということは考えられない。

また、熊野氏と私は比較的親しくしており、今まで喧嘩したことはない。当時『情況』に関わっていた大学教員のほとんどは、私より年長の左翼の人達であり、私が彼らを子分にできるはずはない。熊野氏も、『情況』からある程度距離を置こうとしていたので、やはり、派閥を作るなどということは考えられない。『情況』は数名の編集部員で作成している小雑誌である。執筆や編集で常時協力している学者・知識人はどんなに多く数えても、十数人程度であった。みんな本業があるので、派閥争いなどしているヒマはない。後で熊野氏に聞いてみたところ、早尾を編集委員として推すと約束した覚えなどないということであった。そもそも私は、件の東北大院生の掲示板を見るまで、早尾という名前は全く耳にしたことがなかった。因みに、この早尾の妄想の聞き手になっていたのは、現在、新潟大の教員でカント美学に関する著作のある宮崎祐助である。宮崎は自身は、早尾に同調して私を誹謗していたわけではなかったが、掲示板の書き込みを見る限り、諌めようともしていなかった。

 これはあまりにも荒唐無稽で、『情況』という雑誌に関わっている人ならすぐに妄想だと分かるレベルの、下手な創作だったので、さほど腹は立たなかったが、将来が不安な院生の「心の闇」から、どういう妄想が生まれて来るか垣間見ることができたような気がした。早尾のほどひどいのはなかなかお目にかかれないが、院生や非常勤講師をやっている若手の妄想話はしばしば耳に入って来る。当然職に就けない期間が長くなるほど、妄想はひどくなる。現役教員も、思ったように注目されない期間が長く続くと、いろいろと妄想を抱いて、創作を始めるようである。

 「『情況』編集委員」問題からかなり経ったので、早尾も少しは冷静になったかもしれないが、そういう妄想人間でも大学の教員になれるという話を聞いて、調子にのって、いろんな陰謀論をネット上で展開しようとするバカが出てきそうな気がしないでもない――余計な情報提供をしてしまったかもしれない。杜撰な陰謀論で注目を集めることによって、何らかの人脈を作るきっかいになると思うのであれば、やってみたらいい。ただし、全く根拠なしに、私を悪役とか道化役に仕立てる物語を創ったら、それ相応の報復はするつもりである―――あまりにもバカすぎたら、嗤ってしまうかもしれないが。
http://yamazakikoutarou.hateblo.jp/entry/2017/07/27/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%95%99%E6%8E%88%3D%E4%BB%B2%E6%AD%A3%E6%9F%90%E3%81%AB%E5%91%8A%E3%81%90%E3%80%82%E3%80%8C%E3%81%8A%E5%89%8D%E3%81%AF%E2%97%8B%E2%97%8B%E3%81%8B%E3%80%81
 

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