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フェルッチョ・ブゾーニ 名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/333.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 6 月 18 日 12:38:58: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: アルフレッド・コルトー 名演集 投稿者 中川隆 日時 2017 年 8 月 04 日 06:42:51)


フェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni, 1866年4月1日 エンポリ - 1924年7月27日 ベルリン)


Busoni 録音集 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Busoni+plays

Liszt Hungarian Rhapsody No 13 Busoni Rec 1922 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lGEDeH-1UL8

Ferruccio Busoni - Liszt Hungarian Rhapsody No. 13 (1922, 80 rpm) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aK_RIiGaILE

BUSONI PLAYS Liszt - Hungarian Rhapsody - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IYHt3k38hNQ

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フェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni, 1866年4月1日 エンポリ - 1924年7月27日 ベルリン)は、イタリア出身でドイツを中心に世界中で活躍した作曲家・編曲家・ピアニスト・指揮者・教育者。

本名はダンテ・ミケランジェロ・ベンヴェヌート・フェッルッチョ・ブゾーニ (Dante Michelangelo Benvenuto Ferruccio Busoni) 。

作曲家として新古典主義音楽を提唱しただけでなく、電子音楽や微分音による作曲など、未来的な音楽像を提唱した。


イタリアに生まれ、少年時代をほとんどトリエステに過ごす。

母親アンナ・ヴァイス=ブゾーニはトリエステ出身のプロのピアニストで、祖父ジュゼッペ・ヴァイスを通じてユダヤ人の血を引いている[1]。

イタリア人の父親フェルディナンド・ブゾーニはプロのクラリネット奏者をつとめるかたわら、画業もこなし、ブゾーニの少年時代に両親はしばしば演奏旅行を行なった。

ブゾーニは神童で、7歳で両親の公開演奏会においてデビューした。数年後にはウィーンで自作のいくつかを演奏し、フランツ・リストのピアノ演奏にも接した。

ウィーンでは、リストやヨハネス・ブラームス、アントン・ルビンシテインにも面会している。リストは、ブゾーニの演奏の真価について消極的な返事を出したらしいが[2]、一方のブゾーニは、「リストのピアノ曲は、ピアノ芸術のアルファにしてオメガである」と最大限の賛辞[3]を捧げており、リストのピアノ曲の校訂・編曲も手懸けている。

13歳で《24の前奏曲》Op.37を完成、そのほか大量にピアノ作品を作曲したが「少年期の作品はあまり意味がない」とブゾーニはこの時期の作品の完成度に否定的であった。その後、彼の周囲に作曲とピアノで並ぶものはいなくなり、アントン・ルビンシテイン国際音楽コンクール(英語版)の作曲部門とピアノ部門の両部門に挑戦し、作曲部門は優勝(《ピアノと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック》Op.31a)、ピアノ部門は第二位という結果を得て若手のホープに躍り出た。

ドイツ人としての活動

ブゾーニは短期間グラーツで学んだ後、1886年にライプツィヒに赴き、その後いくつかの教職に就く。まず1888年にヘルシンキで教鞭を執り、同地で後の夫人イェルダ・ショーストランド (Gerda Sjöstrand) に出会っている。1890年にはモスクワ、翌年から1894年までアメリカ合衆国でも教鞭を執った。アメリカではヴィルトゥオーゾのピアニストとして演奏旅行もこなしており、有名なバッハの《シャコンヌ》の編曲も、この頃に手懸けたようである。

1894年にベルリンに居を構え、同地でピアニストや指揮者として一連の演奏会を行い、とりわけ同時代の音楽の普及につとめた。ウィーン国立音楽院やヴァイマル、バーゼルでは、数々のマスタークラスで教鞭を執り、クラウディオ・アラウやエゴン・ペトリらの門弟を育てた。

《ピアノ協奏曲》は完成できなかったオペラ「アラジン」(Aladdin)から派生した作品であったが、この協奏曲完成後はロマン主義からの脱却と新古典主義への偏愛を見せるようになる。このころから「ピアノ演奏法」の著作に取り掛かる。


新音楽への道

第一次世界大戦中は、まずボローニャに避難して音楽院を監督し、それからチューリッヒに移った。交戦中の国々で演奏することをその間、拒否し続けた。チューリッヒ時代の弟子に、後に米国における電子音楽の先駆者の一人となるオットー・ルーニングがいる。1920年にベルリンに帰り、作曲のマスタークラスを主催した。有名になった作曲家の弟子にクルト・ヴァイルやエドガー・ヴァレーズ、シュテファン・ヴォルペらがいる。

ブゾーニは腎臓病のために亡くなり、ベルリンで埋葬された。

死後

ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から盛んに作品の出版が行われていたにもかかわらず、没後は多くの作品が品切れになり、瞬く間に忘れられた。特に少年期には契約した出版社が多く、作品全曲の収集はきわめて難しかったが、ラリー・シツキー(英語版)が可能な限りのピアノ作品全曲の収集に成功、著書も出版された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%96%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%8B

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ドイツ製ヴィンテージ・オーディオ販売 クラング・クンスト KLANG-KUNST
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/479.html


KLANG-KUNST オーディオの歴史 オルゴールとロールピアノ
https://www.klang.jp/index.php?ci=10143


ポリフォン社の大型オルゴール
https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10218_801.jpg


 ベルリナーが発明した「グラモフォン」やエジソンが発明した「フォノグラフ」が、まだ玩具レベルで音楽鑑賞用には不十分な性能しかなかった19世紀末から20世紀初頭にかけて、「オルゴールの時代」がレコードの本格化よりも一足早く訪れ、主に欧米で大流行した。写真はドイツで1889年に創業したポリフォン社(POLYPHON)の大型オルゴールである。写真の中央に見える大きな金属製のディスクを交換することで好みの曲を再生できるので、音楽の楽しみ方としてはCDやアナログディスクで曲を選ぶオーディオに近いスタイルといえる。

 ディスク式のオルゴールは、櫛歯と呼ばれる金属製の音源を、楽譜を移したディスクの孔で間接的に弾いて音を出す。櫛歯の振動は共鳴箱として巧みに作られた木製ケースで増幅され、黄金色の音の洪水ともいえるほど豊かさになる。機会があったら、ぜひ大型のオルゴールを聴いていただきたい。きっと、最新の高級オーディオ装置でさえ及ばないほどの美音に驚かされるだろう。

 それほどいい音のオルゴールだが、オルゴール以外の音色を出すことは原理的に無理がある。また、オルゴールはジングル・ベルが苦手といわれるように、同じ音の連打があまり早くできないので、編曲もアルペジオを多用した同じようなパターンになりがちだ。このため、たくさんオルゴールを聴く音楽好きは、しばらくすると飽きてしまうという致命的な問題が生じた。20世紀になって蓄音機が改良され、レコードビジネスが本格化してレコードの選択の幅が広がると、オルゴールは急速に衰退してしまった。どんな音色も、人の声さえも出せる蓄音機の魅力には勝てなかったのである。

 ポリフォン社のオルゴール事業も衰退したが、同社は第一次世界大戦中にグラモフォンのドイツ支社を傘下に収めた。グラモフォンの本社がイギリスにあったため、敵国資本としてポリフォン社に売却されたのだ。ドイツのグラモフォン社、すなわち「ドイツグラモフォン」は、その後クラッシック音楽の録音を中心に大いに活躍したのだが、その母体がオルゴール会社であったことはあまり知られていない。


ウェルテ・ミニヨンのロールピアノを録音したCD (TELDEC 8.43931)
https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10218_802.jpg


 オルゴールのほかにもうひとつ、素晴らしい音楽再生装置が同時代に開発された。それはロールピアノと呼ばれる自動演奏機能付きピアノである。なかでも、1904年ごろから活躍したドイツの「ウェルテ・ミニヨン社(WELTE-MIGNON)」の装置は、ペダル操作も含め、ピアニストの演奏を驚くほど忠実に再現できるという高度なものだ。その仕組みを簡単に解説しよう。

 まず、ピアニストの打鍵とペダル操作を、各キーやベダルに連結された黒鉛の棒で高速に巻き取られていく長いロール紙に記録する。ロール紙に記録された黒鉛の線は、キーを押す力が強ければ濃く、弱ければ薄い。また、キーやペダルを押している時間が長ければ線も長い。このように記録されたピアニストの微妙なタッチを、職人が再生用のロール紙に移すのだが、そのとき、穴の大きさでタッチの強さを、穴の長さで時間の長さを再現する。このロール紙をハーモニカのように空気吸引孔が並んだ読み取り装置を通過させることで、ピアニストの演奏どおりにキーを押したりペダルを踏んだりする動力を空気の流れとして得る。

 スタインウェイのグランドピアノとの組み合わせによるウェルテ・ミニヨンのロールピアノは、当たり前だが生のグランドピアノに等しい超高音質だ。どんなハイエンドのオーディオ装置よりも上に決まっている。写真のCD(独テルデック 8.43931)は、1969〜70年に旧東ドイツのスタジオで録音されたウェルテ・ミニヨンのロールピアノで、ブゾーニ(Feruttio Busoni)やシュターフェンハーゲン(Bernhard Stavenhagen)といった今世紀初頭に活躍した大ピアニストの歴史的演奏が聴ける。


大ピアニスト「フェルッチオ・ブゾーニ」(1866〜1924年)
https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10218_803.jpg


 ブゾーニはイタリアに生まれてベルリンを拠点に活躍した作曲家兼ピアニストで、カザルスがバッハの無伴奏チェロ組曲を再発見したように、バッハの鍵盤音楽に対して多大なる貢献をした。バッハのピアノ楽譜には「ブゾーニ編曲」とあるものが少なくない。ブゾーニは性能の悪い蓄音機のための録音を嫌がり、レコード録音の最中に妻へ送った手紙には、「このいまいましい録音機のご機嫌をとるため、強弱もペダルも制限しなければならず、思い切り弾けない」といった不満を書いている。ブゾーニは1922年ごろに英コロンビアで録音し、4枚のSPレコードが発売された。

 たった4枚を集めれば、この大ピアニストのコレクションは完結してしまう。すべて両面盤なので8面あるのだが、なぜか黒鍵のエチュードが2回録音されている。4枚のうち1枚は両面を使って「ハンガリー狂詩曲第13番」が録音されていて、B面には「狂詩曲」という曲名どおりの気違いじみた超絶技巧が吹き込まれているが、当時流行した「表現主義」の自由闊達さなのか、あるいは片面で4分程度しかない録音時間の不足に急き立てられてのヤケクソなのかは分からない。だが、最も少ないとされる両面ショパンの盤では間の取り方が舌を巻くほど絶妙だし、バッハの「平均律クラビーア」では荘厳さに圧倒される。ハ長調のプレリュードとフーガしかないのだが、ブゾーニが弾くとこの音数の少ない曲が不思議とシンフォニックに聴こえる。


ブゾーニが録音したハンガリー狂詩曲第13番(1922年録音)
https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10218_804.jpg

 では、そのブゾーニが渋々録音したオリジナルのコロンビア盤とロールピアノのCDを比較してみよう。古い80回転のコロンビア盤は、4枚とも濃い青のレーベルで、「ニュープロセス盤」とよばれる表面に良質なシェラックを用いたローノイズ盤だ。これをEMGの卓上型蓄音機で再生する。20世紀末にアナログレコードからCDになって音が悪くなったとオーディオ愛好家が嘆いたように、1930年ごろに機械式蓄音機から電気蓄音機に世代交代して音が悪くなったと嘆く熱心な愛好家に向けて、機械式蓄音機をハンドメイドで作り続けたのがイギリスのEMGだ。いっぽう、CDはプレーヤーこそSONY製の普及品だが、自作のAD1シングルアンプで増幅し、オイロダインというドイツの名スピーカーで再生する。

 録音が優れていることもあって、CDの再生音はすばらしい音質と迫力だ。「ラ・カンパネラ」と「リゴレットのパラフレーズ」というリストお得意の華麗な曲なのだが、早いパッセージで音が少し乱れ、全体に味気ない。このあたりはロールピアノの限界だろうか。対する古いコロンビア盤は、音が貧弱で常にスクラッチノイズを伴う。それでも、聴くにつれノイズは気にならなくなり、しだいに録音当時の薫香を豊かに感じるようになる。かなり独断的だが、古いコロンビア盤+蓄音機の勝利となった。


EMGの卓上型蓄音機(ゼンマイから回転計付きモーターに改造してある)
https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10218_805.jpg

https://www.klang.jp/index.php?ci=10143




 

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