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正論・チャンネル桜関係者の嘘 _ 南京大虐殺は無かった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/418.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 06 日 17:30:53: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: メモ帳 _ 従軍慰安婦・南京大虐殺 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 04 日 09:07:39)

正論・チャンネル桜関係者の嘘

日本軍の南京入城時に撮られた映画が証明している様に、南京大虐殺は無かった

それは有名なヤラセ映画
日本側のパフォーマンス撮影については、1月9日のマッカラムの日記にも指摘がある。

 難民キャンプの入口に新聞記者が数人やってきて、ケーキ、りんごを配り、わずかな硬貨を難民に手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入して一〇名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった。
(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p266)

また、この映画を元に虐殺はなかったとする者もいるが、この映画の撮影者は何を見たのか。


【白井茂 証言】

虐殺の現場は二度見た。一度はサクがあったように思う。

はるか離れているところで、銃殺していた。数は憶えていない。揚子江でない川のところで、

機関銃で撃っているところも見た。

私なら抵抗すると思ったが、彼等は従順に死を待っていたようだ。

川にとび込んで、向うに泳ぎついた者もいた。二百人ぐらいいたと思う。場所は憶えていない。


【藤井慎一 証言】

小さな川の傍の門の中で捕虜らしき者を撃っているのを見た。白井氏と一緒だった。いくつかの死体に石油をまき、火をつけた。

中に生きている兵隊がいて“早く射て”と胸を指さし、“蒋介石万歳”といったので、大変驚いたのを憶えている。

それ以外にも、銀行の裏で百人以上が殺されているのを見た。胸のあたりを銃剣で突いていたように思う。虐殺の噂はきいたように思うが、見たのはこの時だけである。

「人民網日本語版」2014年1月8日

日本軍文書:南京大虐殺で南京の人口が80万人近く減少

 吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中国侵略に関する文書が見つかった。同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地区の人口は113万人から34万5000人へと78万5000人減少していた。人民日報海外版が伝えた。

 同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊の大木繁司令官が関東軍司令部に報告した2件の「南京憲兵管轄区内の治安回復状況に関する報告」。報告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100万人で、2月28日までに33万5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13万人で、後に1万人が帰還した。

 1937年12月13日、中国侵略日本軍は南京を占領した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど残虐な手段で、中国の市民と軍の捕虜30万人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の数字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認を企てる者が常にいる。

 今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、関東軍が中国東北部を統治していた1931年から1945年までの様々な事項が記録されている。現時点で中国侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本国内にすらないものだ。

 1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を数日間かけて焼却したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現場で発見された。  

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コメント
1. 中川隆[-12964] koaQ7Jey 2020年3月07日 11:46:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[573] 報告
南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
【永久保存版】南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言
https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k&feature=emb_title

南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm

【右派も左派も必見の動画】

南京大虐殺に関する動画は、戦後中国政府が作ったプロパガンダ映像が混じっていることが多いが、これは「1938年」(虐殺直後)に公開された当時のもの。

日本と同盟していたドイツ高官が「総統閣下にも見て欲しい」と公式に送った第一級の資料映像。

しかも生存者の証言が細部まで一致している。女性や子どもも無差別に殺害しており、便衣兵云々の言い訳は通用しない。

また「日本軍がやった」と外国人医師を含め誰もが詳細に語っており、「国民党軍の成りすまし」論がどれほど被害者を馬鹿にしたものか分かる。


番組前半の映像はショッキングだが、それ以上に番組後半の、家族を失った証言者の話「今は日本人と友だちになりたいと思っている」が心に残る。この言葉に対して謙虚でありたい。

※MBSナウ・スペシャル『フィルムは見ていた 検証・南京大虐殺』より(1991年10月放送)※ギャラクシー賞・選奨を受賞

★他の第一級資料動画

●CGで再現した南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8

●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●当時の一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』(2015) http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) http://urx3.nu/ouPU (7分)

−−−−−

南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、­すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよと­いう厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分­(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した­捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくあ­る質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→­ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・便衣兵(ゲリラ)だから処刑していい。→略式でも裁判は必要だし、そもそも南京城内に便衣兵はいなかった(後述)。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京­戦に投入された部隊(歩兵第66連隊等)は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江­の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「な­かった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であ­り説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録­されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

・捕虜の暴動が起きたので仕方なく殺した→この話は戦後に現場指揮官の1人が戦犯指定を逃れるためにでっち上げたものと2018年に判明。暴動説はデマが確定。

〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処­理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生­し幕府山事件が起きた)。本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判­決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰­の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用­しない。

-------------------------------

〔補足・通州事件〕

拡散希望【通州事件…ネット右翼が知らない3つの事実】

(1)通州事件は、日本人104名と朝鮮人108名、計212人が殺害された。朝鮮人の死者の方が多いが、当時の朝鮮は日韓併合下にあったため「邦人200人以上」としている。

(2)通州事件は日本軍の誤爆事件が先にあった。襲ってきた中国人部隊は元々親日派で、日本軍が育てた子飼いの部隊。誤爆事件で飼い犬に手を咬まれた。

(3)日本軍は通州からヘロインなど大量の麻薬を大陸に流していた(毒化政策)。その悪行が中国人から反発を買った。

−−−−−−−−−

〔補足2・便衣兵のせいというデマ〕

第一次上海戦では便衣兵(ゲリラ)の攻撃を受けたが、第二次上海戦では便衣兵からの攻撃はないに等しかった。特に南京城内では報告皆無。南京戦では「国際法を違反した便衣兵」は存在せず、虐殺を正当化する理由にはならない。仮に便衣兵がいたとして、日本が他国を武装して占領するから装備に劣る相手側が「祖国を守るため」にゲリラ戦を選んだのであり、加害者がそれを虐殺の理由にするのは酷い話。侵略していなければそもそも便衣兵になる必要もなかった(ここは非常に重要な部分)。

−−−−−−−−−

〔補足3・人口のデマ〕

否定派は「南京の人口が占領前に30万人で占領後40万人増えているのがいい証拠」という。これは簡単に説明できる。南京一帯で戦闘が行われているわけで、南京市の国際安全区になだれ込んでいる。

参考までに以下のやり取りも紹介。

KAZUYA氏「人口20万人の南京で、30万人殺したという。ファンタジー的だ」

記者「20万人というのは南京市の特定地域(国際安全区)の人口の推計で、市全体のものではない」

KAZUYA氏「知っています。耳を引くためにオーバーな言い方をしています」

−−−−−−−−−

〔補足4・犠牲者30万人に根拠はあるか〕

1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は市内の常住人口について統計資料を保存している。1935年に100万人の大台を突破し、虐殺9カ月前の1937年3月の調査では101万9667人で、戸数は20万810戸(南京の首都警察庁調べ)。この3月時点の100万人は、虐殺肯定派、否定派とも見解が一致している。その後、日本軍の連日の空襲で人口が減り始め、11月20日に国民政府が重慶への首都遷都を宣布、さらに日本軍の接近が伝えられたことで住民が激減、11月23日に南京市政府(馬超俊市長)は「現時点で人口は約50万」「ただし今後20万人の周辺難民の流入を予測」と国民政府軍事委員会に報告している。実際、膨大な数の農民が難民となって城内に避難した。南京守備部隊、常住人口、流動人口の合計が約60万人、そして虐殺後の人口が30万人強であることから、中国側が主張する犠牲者30万人は、「最大値としては」あり得る数字だ。

−−−−−−−−−

〔補足5・消えた遺体について〕

南京守備隊(5万人以上)の処刑は揚子江の河岸で行われ、遺体は大河に流されたことが日本軍の記録で明らかになっている。いったい何万人が揚子江に投げ込まれたのか不明ではあるが、墓がない大きな理由のひとつ。次が重要な点。日本側が考える南京事件は、期間が「1937年12月13日の南京陥落から17日の入城式まで」、場所は「南京城内で行われた掃討戦」としているケースが多いのに対し、中国側は期間が「南京戦から3カ月」、場所は「南京周辺の農村を含んだ広大な地域」であり、この時点で両者が主張する数字が合致するはずがない。中国が嘘をついているのではなく、単に期間と場所が異なるだけ。それゆえ、一般市民の墓は点在しており、ここを掘れば数万人の遺体があるといった場所がない。ちなみに埋葬隊記録では155,000体。これは焼き棄てられた死体や、揚子江に投げこまれた死体を計算に「入れていない」。

2. 中川隆[-12959] koaQ7Jey 2020年3月07日 13:36:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[578] 報告

南京大虐殺30万人は過大評価なのか?

南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NTpDR85cpZU

南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/

南京事件(南京大虐殺)の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm

【右派も左派も必見の動画】

南京大虐殺に関する動画は、戦後中国政府が作ったプロパガンダ映像が混じっていることが多いが、これは「1938年」(虐殺直後)に公開された当時のもの。

日本と同盟していたドイツ高官が「総統閣下にも見て欲しい」と公式に送った第一級の資料映像。

しかも生存者の証言が細部まで一致している。女性や子どもも無差別に殺害しており、便衣兵云々の言い訳は通用しない。

また「日本軍がやった」と外国人医師を含め誰もが詳細に語っており、「国民党軍の成りすまし」論がどれほど被害者を馬鹿にしたものか分かる。


番組前半の映像はショッキングだが、それ以上に番組後半の、家族を失った証言者の話「今は日本人と友だちになりたいと思っている」が心に残る。この言葉に対して謙虚でありたい。

※MBSナウ・スペシャル『フィルムは見ていた 検証・南京大虐殺』より(1991年10月放送)※ギャラクシー賞・選奨を受賞

★他の第一級資料動画

●CGで再現した南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8

●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●当時の一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』(2015) http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) http://urx3.nu/ouPU (7分)

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南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、­すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよと­いう厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分­(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した­捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくあ­る質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→­ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・便衣兵(ゲリラ)だから処刑していい。→略式でも裁判は必要だし、そもそも南京城内に便衣兵はいなかった(後述)。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京­戦に投入された部隊(歩兵第66連隊等)は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江­の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「な­かった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であ­り説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録­されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

・捕虜の暴動が起きたので仕方なく殺した→この話は戦後に現場指揮官の1人が戦犯指定を逃れるためにでっち上げたものと2018年に判明。暴動説はデマが確定。

〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処­理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生­し幕府山事件が起きた)。本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判­決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰­の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用­しない。

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〔補足・通州事件〕

拡散希望【通州事件…ネット右翼が知らない3つの事実】

(1)通州事件は、日本人104名と朝鮮人108名、計212人が殺害された。朝鮮人の死者の方が多いが、当時の朝鮮は日韓併合下にあったため「邦人200人以上」としている。

(2)通州事件は日本軍の誤爆事件が先にあった。襲ってきた中国人部隊は元々親日派で、日本軍が育てた子飼いの部隊。誤爆事件で飼い犬に手を咬まれた。

(3)日本軍は通州からヘロインなど大量の麻薬を大陸に流していた(毒化政策)。その悪行が中国人から反発を買った。

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〔補足2・便衣兵のせいというデマ〕

第一次上海戦では便衣兵(ゲリラ)の攻撃を受けたが、第二次上海戦では便衣兵からの攻撃はないに等しかった。特に南京城内では報告皆無。南京戦では「国際法を違反した便衣兵」は存在せず、虐殺を正当化する理由にはならない。仮に便衣兵がいたとして、日本が他国を武装して占領するから装備に劣る相手側が「祖国を守るため」にゲリラ戦を選んだのであり、加害者がそれを虐殺の理由にするのは酷い話。侵略していなければそもそも便衣兵になる必要もなかった(ここは非常に重要な部分)。

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〔補足3・人口のデマ〕

否定派は「南京の人口が占領前に30万人で占領後40万人増えているのがいい証拠」という。これは簡単に説明できる。南京一帯で戦闘が行われているわけで、南京市の国際安全区になだれ込んでいる。

参考までに以下のやり取りも紹介。

KAZUYA氏「人口20万人の南京で、30万人殺したという。ファンタジー的だ」

記者「20万人というのは南京市の特定地域(国際安全区)の人口の推計で、市全体のものではない」

KAZUYA氏「知っています。耳を引くためにオーバーな言い方をしています」

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〔補足4・犠牲者30万人に根拠はあるか〕

1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は市内の常住人口について統計資料を保存している。1935年に100万人の大台を突破し、虐殺9カ月前の1937年3月の調査では101万9667人で、戸数は20万810戸(南京の首都警察庁調べ)。この3月時点の100万人は、虐殺肯定派、否定派とも見解が一致している。その後、日本軍の連日の空襲で人口が減り始め、11月20日に国民政府が重慶への首都遷都を宣布、さらに日本軍の接近が伝えられたことで住民が激減、11月23日に南京市政府(馬超俊市長)は「現時点で人口は約50万」「ただし今後20万人の周辺難民の流入を予測」と国民政府軍事委員会に報告している。実際、膨大な数の農民が難民となって城内に避難した。南京守備部隊、常住人口、流動人口の合計が約60万人、そして虐殺後の人口が30万人強であることから、中国側が主張する犠牲者30万人は、「最大値としては」あり得る数字だ。

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〔補足5・消えた遺体について〕

南京守備隊(5万人以上)の処刑は揚子江の河岸で行われ、遺体は大河に流されたことが日本軍の記録で明らかになっている。いったい何万人が揚子江に投げ込まれたのか不明ではあるが、墓がない大きな理由のひとつ。次が重要な点。日本側が考える南京事件は、期間が「1937年12月13日の南京陥落から17日の入城式まで」、場所は「南京城内で行われた掃討戦」としているケースが多いのに対し、中国側は期間が「南京戦から3カ月」、場所は「南京周辺の農村を含んだ広大な地域」であり、この時点で両者が主張する数字が合致するはずがない。中国が嘘をついているのではなく、単に期間と場所が異なるだけ。それゆえ、一般市民の墓は点在しており、ここを掘れば数万人の遺体があるといった場所がない。ちなみに埋葬隊記録では155,000体。これは焼き棄てられた死体や、揚子江に投げこまれた死体を計算に「入れていない」。

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