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2万年前にシベリアにいた Q  と R と O は元々コーカソイド
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/693.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 6 月 11 日 18:03:53: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

2万年前にシベリアにいた Q  と R と O は元々コーカソイド

遺伝学では、ベーリンジアの孤立集団が19500年前頃以降に北アメリカ大陸の氷床を越えてアメリカ大陸へと南進していき(関連記事)、

17500〜14600年前頃にアメリカ大陸における南北両系統へと分岐していった(関連記事)、と推測されています。

CF遺跡では、人類が16560〜15280年前頃には存在しており、これはアメリカ大陸における最初の人類集団拡大の年代の範囲内となります。
北アメリカ大陸への人類最初の移住に関しては、ベーリンジア東部から無氷回廊を経由したとする説(クローヴィス最古説)と、
氷河のない太平洋沿岸を南下した、とする説(太平洋沿岸南下説)があります。本論文が示したように、
CF遺跡は無氷回廊が開く前に無氷回廊の南方に人類が存在したことを示す直接的証拠となります。
これは、無氷回廊説ではなく太平洋沿岸南下説の方と整合的です。

これは、遺伝学で示唆されている(関連記事)、北アメリカ大陸への人類最初の拡散後、
人類が無氷回廊を経由して再度拡散した可能性を排除するわけではありませんが、
そうした人類集団の移動はアメリカ大陸最初の人類の移住ではなかった、と本論文は指摘します。

CF遺跡の石器と北海道の石器との類似性については、アジア東部および北東部集団がアメリカ大陸先住民の主要な祖先集団となったことを改めて確認した、
と思います。この集団の文化的多様性や、CF遺跡の有茎尖頭器の起源地については、
シベリア北東部の上部旧石器(後期旧石器)的文化の研究がもっと進めば、より詳しく解明されるのではないか、
と期待されます。
https://sicambre.at.webry.info/201908/article_62.html


アメリカ大陸先住民のY染色体ハプログループはハプログループQが大半を占めている。
Q系統はケット人やセリクプ人などのシベリアの一部でも見られるが、ユーラシア大陸ではあまり見られない系統である。
Q系統は欧州の白人に多いR系統に最も近縁で、次いで漢民族、朝鮮民族、大和民族等の東アジアで最多を占めるO系統とも近縁な系統である。
北米東部ではかなりの頻度で欧州に多いY染色体-R、mtDNA-Xが観察される。紀元前にヨーロッパから北米に移住があったとする見方もあり[38]、
遺伝子から有史以前のある時期にヨーロッパから直接移住が存在した可能性がうかがえる[39]。

アラスカ、カナダ、アメリカ合衆国北部の部族は肌の色が赤黒く鼻筋が通り高く盛り上がっておりワシ鼻である人が多い。
また大航海時代以降は、ヨーロッパ人との混血、アフリカ黒人との混血が進んだ部族も多い。
純血の民族はメキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ペルー、ボリビアなどに多く存在する。
しかしブラジルやアルゼンチン、ウルグアイなどのスペイン人と激烈な戦いを繰り広げた地域では、純血な先住民はスペインによる侵略により、
大幅に数を減らしている。

旧形質分類では当初コーカソイドに含められていたが、赤色人種なる固有の人種に分類された後、モンゴロイドの系列に含められたが、
Y染色体の研究により彼らの男系先祖が白人に最も近いことが判明しこの手の議論は収束しつつある。
現在でも、コーカソイド的な顔を持つ部族の写真はメディアで控えられることが多い。


2万年前にシベリアにいた Q  と R と O は元々コーカソイドなんだよ
縄文人・アイヌは元々黒人ピグミー D の系統だ  

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コメント
1. 中川隆[-12422] koaQ7Jey 2020年6月14日 06:49:41 : DpuNCXvzKk : T3VxNEk4M1UzWnc=[1] 報告
3.日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子集団:Y-DNA「D」と「C」
  最初の縄文人はY-DNA「D1b」(旧「D2」)を多数とする、Y-DNA「C1a1」(旧C1a」との混成部隊である。

3-1.縄文系遺伝子集団:Y-DNA「D」

  Y-DNA「D」が100%の純系子孫のOnge族です。 Onge族やJarawa族は世界で最も黒い
(ネイティヴアフリカンより黒い)と言われているそうです。Y-DNA「D」が日本列島に 渡って来たのは、オーストラリアのアボリジニは5−6万年前頃には既に到達していたらしいので、日本列島にも恐らく遅くても 3−4年前頃には渡来していたと考えるのが妥当でしょう。その当時のY-DNA「D」集団は黒かったのか既に黄色くなっていたのかは 全く情報がありません。しかし確かなのは鯨面文身であったことでしょう。Y-DNA「D」が85%を占める子孫のアイヌが鯨面文身だったのは、 子孫として数万年にわたり正しく文化を残してきたことになります。 Jarawa族やOnge族は現代でもネグリートなので、当然縄文人も小柄なネグリートつまり、 「倭」人であったことは間違いないでしょう。

3-2.縄文系遺伝子集団:Y-DNA「C」

  Y-DNA「C」が100%の純系子孫のニューギニアのLani族です。
濃い褐色で彫深のソース系になります。Y-DNA「D」のJarawa族や Onge族同様ネグリートです。

恐らく古代遺伝子のY-DNA「D」、「E」、「C」、「F」は全てネグリートだったと思われます。

3-8.Y-DNA「C2a」の日本列島への上陸

  ところがサハリンから南下せずにシベリヤ大陸に留まり陸のハンターに転身したのが大陸性ハンターY-DNA「C2」(旧「C3」)です。
この集団はクジラの代わりにマンモスやナウマンゾウを狩猟する大型獣狩猟集団であったと思われます。

ところが不幸にもシベリア大陸の寒冷化によりマンモスもナウマン象も他の大型獣も少なくなり移住を決意したのでしょう。

一部はナウマン象を追って南下し対馬海峡を渡り本土に入りY-DNA「C2a」(旧C3a」)となり山の民の母体となったでしょう。

また一部はサハリンからナウマンゾウの南下を追って北海道、更に本土へ渡った集団もあったでしょう、

北の山の民の母体となったと推測できます。

  この山の民になった大陸性ハンターY-DNA「C2a」が縄文人の3つ目の母体と考えてよいでしょう。

つまり縄文人とは、核になる狩猟採集民のY-DNA「D1b」と海の民のY-DNA「C1a」及び山の民のY-DNA「C2a」の3種混成集団
と考えられる。

  このY-DNA「C2a」が一部日本人の持つ大陸性気質の源流と考えられる。
Y-DNA「C1a」は貝文土器など沿岸性縄文土器の製作者、Y-DNA「C2a」は火炎土器など呪術性土器の製作者ではないかと推測され、
いずれにせよ縄文土器は技術を持つY-DNA「C」集団の製作と推測され、Y-DNA「D」は素朴な狩猟採集民だったと推測できる。

  この山の民のY-DNA「C2a」が南下するときに、南下せずY-DNA「Q」と共に出シベリアしたのがY-DNA「C2b」(旧「C3b」)の一部であろう。

このY-DNA「Q」はヨーロッパでは後代のフン族として確定されている。

http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2  

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