★阿修羅♪ > 経世済民120 > 767.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
株式市場に氾濫する、いかがわしい「物語」 その中毒性の餌食にならないために…(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/17/hasan120/msg/767.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 08 日 11:09:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


株式市場に氾濫する、いかがわしい「物語」 その中毒性の餌食にならないために…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51371
2017.04.08 寺田 悠馬 株式会社CTB代表取締役 現代ビジネス


物語の中毒性

今月は、株の投資に失敗した話をしたい。

ある企業の株価が、これから大幅に上がるかもしれない――。筆者がそう思い始めたのは、同社の主要製造拠点の一つ、東南アジアの工場を訪問していた時だ。

当時株式投資の仕事に従事していた筆者は、同工場を定期的に訪れては、工場長に話を聞いていた。入り口で支給される安全ヘルメットをスーツ姿のまま頭にかぶり、革靴の上から除菌用の紙スリッパを履いた滑稽な出で立ちで、生産ラインが並ぶフロアに踏み入れるたびに、居心地の悪さに襲われる。

辺りを見渡せば、安全ヘルメットとごく自然に調和する、作業服と白いスニーカーに身を包んだ人ばかりである。彼らの仕事を、あくまで安全な距離から傍観し、恣意的な投資判断を一方的に下すという、いささか暴力的な筆者の訪問目的を、服装の違いは厚かましくも露呈させていた。

製造業と、それに資本を供給する金融産業の自然な接点とはいえ、他者の聖域に文字通り土足で上がる筆者の醜態を、工場長はしかし、いつも寛大に許容してくれた。だがその日に限って、工場長は、安全ヘルメットの下から苛立ちの表情を隠せずにいる。

話を聞くうちに判明したのは、場違いな服装の訪問者に構っている暇など少しもないほど、工場の稼働率が急上昇していたことだ。

何らかの理由で、同社の製品に対する需要が高まっている――。

帰国後、筆者は同製品を扱う小売りや競合他社の状況も調べてみた。そして、今後同製品の出荷台数が増加すること、株式市場はその増加を未だ予想していないこと、出荷台数が増加すれば同社の株価が上昇することを、それぞれ予測した。

筆者はつまり、そこで一編の「物語」を捏造したと言える。「市場の予想に反して、当該企業の主力製品の出荷台数は、飛躍的に増加する」。そんな他愛もないあらすじの、一編の「物語」だ。



資本市場には、つねに数多の「物語」が氾濫している。

「米国の住宅価格は緩やかな上昇を続ける」
「中国産の鉄鋼製品の品質が上がり、日本の製鉄所は価格競争に破れる」
「煙草の小売価格が上昇しても、先進国の喫煙率は下がらない」


登場人物や場面の数が異なる様々な「物語」が、国境や産業セクターを超越して、また多くの場合互いに矛盾を孕みながら、何層にも厚塗りされた場所が資本市場だと言える。

筆者は調査と分析を重ねて、そんな「物語」の一つを構築し、そのあらすじに沿って投資して、そして失敗したのだ。

かかる失敗の原因を、筆者は差し当たり「物語の中毒性」と呼びたい。

不健全な執着が失敗を生む

東南アジアの工場で捏造した一編の「物語」に、いつの間に中毒になっていたのか、今となってはわからない。だがこの銘柄の株価が、少なくとも当初、大幅な上昇を遂げたことは決して無縁ではないだろう。

自らが保有する株が上昇する時の興奮を、投資経験をもつ人なら、誰しも一度は味わったことがあるはずだ。その瞬間には、金銭的な利益だけでなく、自分の判断が正しかったという確信に対する、代え難い快感が伴う。構築した「物語」の正当性が圧倒的な自己肯定をもたらし、エンドルフィン(脳内麻薬)が分泌するのだ。

だが右肩上がりのグラフの美しさに執着した筆者は、大切なことを見落としていた。確かに「物語」のあらすじ通り、製品の出荷台数は増加したが、その増加率は限定的であり、目下の株価上昇率を正当化するには不十分だった。つまり、出荷台数の増加以外に、何か別の要因が株価の動向に作用している。この可能性を、筆者は見落としていた。

いや正確には、その可能性について、見て見ぬ振りをしていたと言わざるを得ない。決められたあらすじを忠実になぞるかのような身振りを見せる「物語」を否定して、禁欲的な態度で事実検証に徹する規律を、筆者はその時欠いていたのだ。



だが「物語」への不健全な執着が、投資を失敗へと導く。

株価の上昇がひと段落した後も、なお「物語」の盤石性を過信した筆者は、株を売る決断を先送りにし続けた。実際、製品の出荷台数は増え続けさえした。だが同時に、企業にとって不利益な法改正の可能性が、当時報道され始めたのも事実である。

そして決算発表の日、筆者はついに失敗を認めざるを得なくなる。俄かに報道されていた法改正が間接的に作用し、利益は伸び悩み、株価は急降下した。結果、筆者は当初の上昇時に得た利益以上の損失を被った。皮肉なことに、東南アジアの工場で生産される主力製品だけは、なおも出荷台数を伸ばしたことが決算書から読み取れたのだ。

この投資は、計上した損失金額の大小以前に、筆者が捏造した「物語」のあらすじが、一貫して株価の動向と無縁であった事実において、圧倒的な失敗と言える。当初の株価上昇も、またその後の下落も、筆者の「物語」とは無縁の場所で演じ続けられた。

一方で、「物語」の直線的な軌道から乖離した場所で、より重要な情報が浮上していたわけだが、「物語」に固執する筆者は、それらを例外的なエラーとして視界から排除していた。

投資のために構築した「物語」にもかかわらず、その完全性を維持すること自体がいつしか目的と化し、筆者はすっかり中毒者の身振りで、「物語」を手放すことを拒んでいたのだ。

自尊心と「物語」の狭間で

出荷台数の増加を予測する他愛もない「物語」は、なぜ中毒性を孕んだのか?

そもそも煩雑な情報が大量に流通し、恒常的な目眩を誘発する資本市場において、一本の筋が通った「物語」の発見は事件に相当する。それは高揚感を伴い、また荒波の渦中に流木を見つけたような安心感をも与えてくれる。「物語」は希少であり、それだけに、一度見つけてしまうと手放すには勇気がいる。

だがそれ以上に、「物語」は、これを捏造する作者の自尊心ともつれ合うことで、中毒性を孕んでいく。つまり、東南アジアの工場で構築した「物語」が、「企業の製品出荷台数が増加する」という他人事だけであれば、筆者はそれほど固執せずに済んだはずだ。新しい情報が浮上した時点で、「法改定によって企業の収益が悪化する」という別の「物語」に、涼しい顔で乗り換えることができただろう。

こうした身振りに転じられなかったのは、問題の「物語」に、もう一つ別の、筆者自身にまつわるあらすじが含まれていたからだ。つまり、「出荷台数の飛躍的な増加は、ほかのすべての市場参加者を差し置いて、自分こそが、独自の調査と分析に基づいて解明できた」という傲慢な伏線がそこに隠蔽されていた。

「市場の予想に反して・・・」という序文に始まる「物語」は、かくして筆者の自尊心と結合し、そこに癒着関係が発生したために、筆者はこれを容易に手放せない中毒者と化したのだ。



こうした自意識は、しかし「物語」の捏造に欠かせないエネルギーでもある。

言うまでもなく、株式投資の利益とは、現在の株価と将来の株価の差額でしかない。そして現在の株価は、数多の聡明な市場参加者の総意として形成されたものなのだから、投資という行為は、生来的に、この総意に抗って異議を申し立てる「物語」の構築に他ならない。

すでに何層にも「物語」が厚塗りされた資本市場において、なおも「市場の予想に反して・・・」と厚顔無恥な序文を大胆に打ち上げ、独自の「物語」を構築する欲望に従って、投資は行われる。この欲望は傲慢なものに違いないが、少し見方を変えれば、呆れるほど楽天的で、遊び心と若さにさえ満ちていると言える。そしてこの欲望が、資本市場の動力であることは間違いないのだ。

だから株式投資家は、「物語」を捏造する傲慢な欲望をあくまで肯定しつつ、同時に、「物語」は所詮虚構であるという禁欲的な態度を維持して、自尊心と「物語」の癒着に抗い続けなければならない。投資という行為のこうした不可能性を百も承知の上で、なおも確信犯的に、「物語」の構築と破壊の反復を演じ続けなければならない。これを怠って運動が硬直すると、「物語の中毒性」の餌食となってしまうからだ。

不健全な共犯関係の末に

現在は株式市場を離れ、別の仕事に就く筆者に、現役の投資家として活躍する諸先輩を差し置いて、金融の「専門家」を装う意図などいささかもない。それでも今月、株の投資に失敗した話をする欲求に身を委ねるのは、かかる失敗の原因となった「物語の中毒性」が、今なお不安の種として、筆者にしつこく纏わり付いているからだ。

この連載では、現代美術プロスポーツ留学支援教育など異なる分野の事象を例に、社会に流通する様々な「物語」と、その暴力性について検証してきた。

「第二次世界大戦と冷戦の勝者たるアメリカは、資本主義と民主主義という秩序を世界にもたらし、その中心として君臨する」
「これからの時代、海外の大学に学部留学しなければ成功できない」


こうしたいかがわしい「物語」の数々が、その作者、観客、あるいはその両方の欲望を満たす形で、社会に厚塗りされている。

これら「物語」の氾濫は、資本市場におけるそれと同様に、ひとまずは肯定されなければならないだろう。我々は、大量に流通する煩雑な情報と貪欲に戯れて、理解できないものを理解し、無秩序を少しでも秩序に変換しようとして、「物語」を捏造していく。こうした身振りは、社会の動力となるものに間違いない。

だが捏造された「物語」が、その作者の自尊心と結合すると、そこにはたちまち不健全な共犯関係が生まれる。奔放な好奇心に任せて、新しい情報と無邪気に戯れていたはずの作者は、いつしか既存の「物語」の維持だけに固執し、やがて「物語」のあらすじから乖離する情報を、エラーとして視界から排除するようになる。

「物語」はかくして、安全・安心でありながら、貧しい要塞と化して、作者をその獄中に閉じ込めてしまうのだ。

そんな「物語の中毒性」に抗わねばと焦燥するたびに、今でも東南アジアの工場を思い出す。「物語」を必死に構築しては、すぐさま破壊する反復運動を、涼しい顔で繰り返す術を筆者は未だ知らない。

寺田悠馬 (てらだ・ゆうま)
1982年東京生まれ。株式会社CTB代表取締役。ゴールドマン・サックス証券株式会社、国外ヘッジファンド、株式会社コルク取締役副社長を経て現職。コロンビア大学卒。著書に『東京ユートピア 日本人の孤独な楽園』(2012年)がある。Twitter: @yumaterada

             
「金融業界の門をくぐって以来、日本と海外を往来するなかで再発見した日本社会は、7年前にニューヨークで想像した以上に素晴らしい高品質な場所であった」---世界を駆ける若き日本人から眠れる母国に贈るメッセージ。



 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2017年4月08日 14:33:25 : jXbiWWJBCA : zikAgAsyVVk[609]

>日本社会は、7年前にニューヨークで想像した以上に素晴らしい高品質な場所

中毒性の、いかがわしい「物語」の好例


2. 2017年4月08日 14:59:15 : Aq7FRm7SXc : 6l4hCxMsuTk[36]
自分で創造しない人生を選択をして他力本願の世界に身をゆだねる投資家は誰しも自分の行う投資を自分の物語として夢見ている。

3. 2017年4月08日 22:04:45 : h5CJ21mnts : GvPAgvPx8Io[5]
株屋が工場を訪問しても邪魔者、当たり前だ。
製造に携わっている気持ちもわからず場違いな服装で見当はずれの質問に会話。

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 経世済民120掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
経世済民120掲示板  
次へ