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「結婚」は昨今の経済状況下では損か得か 無礼な振る舞いを見過ごすとチームの能力は下がる 能力の低い人ほど自分を過大評価す
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投稿者 軽毛 日時 2017 年 4 月 12 日 13:51:03: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

2017年4月12日 山崎 元 :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員
「結婚」は昨今の経済状況下では“損”か“得”か


過去5年で男女ともに
生涯離婚率が3%以上上昇

 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、2015年で「生涯未婚率」の対象になる日本人は、男性が23.37%、女性が14.06%にのぼったという。同推計は国勢調査を分析して行われるとのことだが、5年前と比較すると、男性で3.37%、女性で3.45%増加しているとのことだ。

 はじめに断っておくが、筆者は、他人について結婚するかしないかについて、どちらが望ましいという価値観を持っているわけではない。無理にでも(たとえば日本社会のために)結婚せよという気持ちもないし、独身がいいと勧めるつもりもない。性別、年齢、国籍に関係なく、自分の結婚くらい自分で好きに決めたらいい。

 さて、生涯未婚率とは、満50歳までに一度も結婚しない人の比率だ。近年、男女共に寿命が延びて、高齢でも元気なので、「50歳まで未婚」を「生涯未婚」と同一視していいのかについては、少々疑問があり、対象者から抗議の声(?)が上がるかもしれないが、特に50歳以降は女性が妊娠・出産するケースがごく少ないので、人口動態を考える上では、この辺を区切りにしておくことに、一応の意味がありそうだ。

 それにしても、生涯未婚率の上昇ペースは速い。ここ5年で3%以上増えたとは、社会の変化としていかにも急激だ。

「ここ5年で3%以上増えた」と言うと、つい昨今の経済状況に関連付けて説明したくなる。近年の勤労者所得の伸び悩みなどを見ると、結婚適齢期の世代の経済的困窮が結婚を妨げているようにも思えるが、それは、必ずしも適切ではない。過去のデータを見ると、男性では1970年代から一貫して、女性も1980年代後半からずっと「生涯未婚率」は上昇を続けている。

 もっとも、女性の生涯未婚率の上昇カーブが男性並みの傾きになるのは、2000年代前半からなので、勤労者所得の伸び悩みが、未婚率の上昇につながった可能性はあるだろう。

 女性側から見て「私を養ってくれる甲斐性のある男になかなか出会えない」という状況は進んでいるはずなので、女性側には強い経済要因があるかもしれないし、か弱き男性側にも女性側の心理を忖度することが遠慮につながっている可能性がある。なお、筆者は、女性が男性の経済的甲斐性にこだわることには賛成しないが、こだわる女性がいるのは事実だろう。

結婚したいと思う男性が
適齢期男性の5%以上余っている

 国立社会保障・人口問題研究所が昨年9月に公表した出生動向基本調査によると、「いずれは結婚したい」と考える18歳?34歳の未婚者の割合は、男性85.7%、女性89.3%であるという。これらの調査対象は、生涯未婚率の計測対象になっている世代と世代が異なるが、「結婚したい」と思っていても、結婚に至っていない男女が少なからずいることは、事実のようだ。

 ケインズ以後の経済学では失業を自発的失業と非自発的失業に分ける考え方があるが、結婚を希望していながら独身にとどまる人を、「非自発的独身」と名付けることができようか。

 データの扱い方として乱暴だが、先の生涯未婚率の数字と、結婚したいという回答の比率を合計してから100%を引いて非自発的独身の多寡を推定すると、男性が+9.07、女性が+3.36%と、男性の方でより結婚希望の未達成者が多い(実際の非自発的独身率は離婚経験者が入るので、もっと大きな数字になるだろう)。単純に「需給」の問題として解釈すると、結婚したいと思う男性が適齢期男性人口の5%以上余っていると想像できる。

 一つの可能性としては、何度も結婚する、結婚市場において積極的でかつ競争力の強い男性が、複数の女性との結婚経験を持っている結果、こうした状況になっているのかもしれない。

結婚は出来高がほとんどない
株式に投資するような意思決定

 結婚を希望する割には現実に結婚する事が少ない(結婚適齢期の)男性の側から見ると、「結婚」には経済的なメリットが必ずしも多くない。「結婚」という形に自分を落とし込んだ場合に、失う自由が多い割に、得るメリットが少ないと感じる男性が多いのではないか。もちろん、女性の側から見ても、「結婚」で制約される自由は小さくない。

「結婚している方が、安定感があって信用されやすい」という世間体や、税金(配偶者所得控除)、あるいはサラリーマンの場合なら国民年金の第3号被保険者になることができる妻の年金面での有利さも総合的に勘案して、結婚を目指す人が多少はいるかもしれないが、これらの「お金のメリット」は、それほど大きなものではない。

 つまり、純粋に男女二人が「自発的に」恋愛関係にあるというだけなら、それだけで二人の関係を結婚の形にまとめる必然性はない。恋愛が続く限り、好きなだけ仲良くしていればいいだけのことだ。

 だが、その恋愛がいつまで続くのかは、両当事者にとってよく分からない。

 そこで、一方が他方を、将来にわたって「確保」したいと考えた場合に、そこで「自分は、将来、相手を変えるつもりはありません」という意味の手形を振り出して「結婚」というカードを切るのが、いわゆる「プロポーズ」だ。その最大のコストは、将来にわたる自分の「独身としての自由」だ。

 お互いが純粋な恋愛関係にあり、将来にわたってお互いの愛情を信じているなら、本来、「結婚」という形態に大きな意味はない。しかも、将来、「離婚」する場合には相当のエネルギーが必要だ。「結婚」は、出来高がほとんどない株式に投資するような意思決定である。

子どもの養育、共働き…
経済的なプラスとマイナス

 お互いの恋愛感情を重視する恋愛至上主義的な価値観だけでは、「結婚」に至る積極的な理由は説明しにくい。

 結婚が必要と思える重要な理由の一つとして、子どもを養育するに当たって結婚している方が好都合だからということはあるだろう。

 様々な理由によって、片方の親だけが子どもを育てている家庭はあるが、男性でも女性でも、自分の子どもを持ちたいと思った場合に、子どもにとって両親が結婚している状況が望ましいと考えて結婚を選ぶケースはあるだろう(筆者が結婚した理由はこれに近い)。

 一方、子どもを育てる経済的なコストは、高騰を続ける一人当たりの教育費に加えて、出産・幼少時の母親の離職期間のコストなども含めて考えると、平均並みかそれ以下の所得の勤労世帯にとって非常に大きい。

 子どもを育て上げる経済的負担を選びたくない(あるいは負担に自信がない)ことが理由で、「子どもを持たないなら、結婚を選ぶ理由はない」と考える、少子化を憂う社会にとっては残念だが、本人にとしては合理的で冷静な独身者も、生涯未婚者の中には少なくあるまい。

 加えて、一方が他方を経済的に「養う」のは大変だと考えて、独身を選ぶ人もいるだろう。

 これらの、直接的あるいは間接的に「経済的に余裕がないことが理由で結婚を選ばない人たち」をどこまで「自発的独身」と考えていいのかは判断に迷う。ただし、経済的に余裕のある所得・資産の持ち主であっても、配偶者や子どもを養うことの負担(金銭的負担だけでなく家事・育児の労働負担もある)を嫌う、自発的独身者もいることだろう。

 一方、「共稼ぎ」を前提とすると、結婚することの経済的なプラス・マイナスは、大きくプラスに転換する。

 2人で暮らすとしても、生活コストは2倍にはならない。貧困率の計算をする際に、世帯人数の平方根で世帯の所得を割り算することを参考にするなら、1.4倍強ということになる。2人であっても、規模の経済効果が働くということだ。加えて言うなら、共稼ぎには、病気や失業のリスクに備える「保険」の機能もある。

 生活に規模の経済が働くことについては、生活の実感としても、「そうだ」と思う。外食や気晴らしのための無駄遣いが減って、「共稼ぎではなくても、一人暮らしよりも苦しくならなかった」という経験をお持ちの既婚者は少なくないのではないか。

 読者の中に、経済的な自信がないから結婚に踏み切れないという方がるなら、「大丈夫。結婚してしまえば、案外何とかなる」と申し上げたいところだ。

 しかし、共稼ぎでも、共稼ぎではなくても、有力な反論がある。

「同棲でもいいではないですか」と言われた場合には、返す言葉がない。「同棲」は、生活における規模の経済と、将来の自由との両取りができる都合のいい形態だ。

結婚は非合理なもの
恋愛のバブルである

 配偶者控除や国民年金の第3号被保険者のような、社会的公平性の点で問題を含む既婚者のメリットを除くと、経済的なロジックでは、「是非、結婚した方がいい」という積極的な理由が見いだせない。特に、「子どもは持たなくてもいい」と思う人が増える場合には、ますますその状況が顕在化するのではないか。

 つまり、生涯未婚率の上昇は、合理的なのだろうし、今後も続くのではないかと予想される。

 こう考えると、むしろ「結婚」の方が非合理的で、それは恋愛がこうじた一種の「バブル」の結果だと考える方が実態に合っているのかもしれない。結婚は恋愛のバブルだ。そして、恋愛感情がバブルの水準で永続することはなく、やがて、「生活の現実」がやって来る、というのが、多くの夫婦がたどる道筋だ。

 一方、社会的には、急激な少子化は不都合だと考えられており、この観点からは未婚率の上昇が望ましくない。さりとて、独身であることや、同棲という形態が経済合理的であることとの調和をどう考えたらいいのだろうか。

 一つの方向性としては、結婚を奨励するのではなく、同棲・事実婚あるいは両親が共に独身であっても、子どもを生み育てることが心配なくできるような社会設計が望ましいのかもしれない。

 もちろん、両親が共に自分の子どもの養育に責任を持つように仕向ける制度は重要だが、配偶者控除や国民年金の第3号被保険者のような、結婚を奨励する制度を廃止する代わりに、大学まで含めた教育費の全面無償化(少なくとも国公立については)をはじめとする手厚い育児支援を行い、結婚と子どもを持つこととを切り離すような施策がいいのかもしれない。

 生涯未婚率の上昇は今後も続くだろう。社会としては、これを阻止するよりも、この状況に適応した仕組みを考えていくことが重要なのではないだろうか。

 なお、筆者は、「結婚は恋愛のバブルである」と書いたが、同時に、バブルのない人生はつまらないと思っていることを付記しておく。

(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 山崎 元)
http://diamond.jp/articles/-/124486


 


 

 
無礼な振る舞いを見過ごすとチームのパフォーマンスは低下する

クリスティーン・ポラス:ジョージタウン大学マクドナースクール・オブ・ビジネスの准教授
2017年4月12日
チームの業績低下や機能不全の一因に、「無礼な振る舞い」の影響がある。職場での無礼を専門に研究する筆者が、礼節ある環境をつくる要諦を示す。


 礼を失した振る舞いは、チームに亀裂を生み、協力関係を破壊し、メンバーの心理的安全を損ね、チームの有効性を妨げるおそれがある。軽蔑的で品位を傷つける発言や、侮辱、中傷その他の無礼な行為は、自信と信頼を失わせ、助け合いの精神をむしばむ可能性がある。こうした影響は、「無礼な行為の直接的なターゲットでない人たち」に対してさえも及ぶのだ。

 最近のある研究では、非礼な振る舞いが医療現場で協力関係とパフォーマンスを低下させると報告している(英語論文)。

 実験では、イスラエルにある4つの新生児集中治療室で働く24の医療チームが、治療の質を向上させるための研修会に招かれて、参加した。チームは研修の一環として、腸の重篤な疾患によって状態が急に悪化した未熟児に処置を施す必要があった(単なるシミュレーションであり、新生児の健康に危険はない)。スタッフは、状態を特定・診断して、心肺蘇生法などの適切な治療を施さなければならない。

 チームには、米国から来ている専門家が遠隔で(ビデオを通じて)見守っており、時折コメントやアドバイスをする、と説明した。実はその「専門家」とは、この実験をしている研究者らの1人だ。

 半数のチームは専門家から、シミュレーションによる研修と実習の重要性に関する偏りのないメッセージを受け取った。その際、チームの医療行為の質については言及されない。残る半数のチームは、(自分たちではなく過去の)イスラエルの研修参加者らのパフォーマンス、およびイスラエルの医療の質が、いかに「お粗末」かについて、侮辱的なメッセージを受けた(例:他国に比べ感心できない、イスラエルに滞在中は病気にかかりたくないものだ、等)。

 研究者らは医療シミュレーションを録画し、客観的な立場の人に評価してもらった。すると、事前に無礼なメッセージを受け取ったチームはそうでないチームに比べ、診断および処置のすべてのパフォーマンス指標において低い能力を示し、新生児の生存の可能性を著しく低下させていた。

 その理由は主として、無礼な対応に直面したチームは、情報の共有を進んで行わず、メンバー間で助けを求めるのをやめてしまったからである。

 この状況は、私の研究でも頻繁に見られる。心理的安全――チームの環境が信頼と敬意に満ち、安心してリスクを取れる場所であるという感覚――に欠ける人は、往々にして無意識のうちに心を閉ざしてしまう。そしてそうなると、フィードバックを求めたり受け容れたりすることが少なくなる。

 実験してみること、ミスについて話し合うこと、潜在的または実際の問題について口を開くことなども、ためらいがちになることがわかる。威嚇的な人がその場にいなくても、ネガティブなムードの中で働き、ベストを尽くすことができないのだ。

 ひとたび非礼が生じると、ネガティブな思考が人々の頭の中に容易に浸透して留まり、ネガティブな行為を引き起こす。私が行った実験では、人は無礼な振る舞いに接すると、他人を助ける傾向が3倍低くなり、共有しようという意欲が半分以上減ることがわかった。これは理にかなっている。誰かが無礼や不快な振る舞いをすると、悪感情が広がってその振る舞いが増幅し、攻撃性や機能不全につながることがあるからだ。

 たとえば、誰かを軽はずみにけなしたり、能力を人前で問題視したりといった、比較的小さなことであっても、その人の心に爪痕を残し、そのパフォーマンスや心身の健康を次第に悪化させる。イェール大学の心理学者、アダム・ベアとデイビッド・ランドが開発した数学的モデルが示すように、日頃、嫌な人たちに囲まれている人は、身勝手さを本能的に身につけ、行動に慎重さを欠くようになる(英語論文)。このような人たちは、立ち止まって考えようとしないので、協力すれば報われる場合でさえ身勝手に行動してしまう(英語記事)。

 ちょっとした礼節をわきまえることは、大きな効果がある。人々の心理的安全を高め、チームのパフォーマンスを向上させるのだ。私が実施したある実験では、人は提案を丁重な態度で示された場合のほうが、不作法な(話をぶしつけに遮られてばかりいる)場合よりも、心理的安全を感じる割合が35%高かった。

 他の研究でも、心理的安全がチームの全般的なパフォーマンスを向上させることが示されている。グーグルは、チームの有効性について、社内で活動中の180以上のチームを対象に調査した。その結果、より重要なのは「チームが誰で構成されているか」よりも、「チームのメンバーがどのようにコミュニケーションを取り、仕事を組み立て、貢献を評価しているか」であったという(英語サイト)。

 そして、心理的安全が高いチームにいる人のほうが、仲間のアイデアを活用する傾向が高く、退職率も低かった。また彼らは、グーグルにより大きな収益をもたらし、幹部から「有能」との評価を受ける傾向が2倍高かった。

 チームの雰囲気を決めるのはリーダーである。職能横断的な製品チームに関する研究によれば、リーダーがメンバーに公平さを持って接した場合、メンバー個々人とチーム両方の生産性がより高かった(英語論文)。また、職務要件の範囲を超えて尽力する傾向も高いことがわかっている。

 すべてはトップから始まる。リーダーが礼節を守ることで、従業員のパフォーマンスと創造性が向上し(英語論文)、ミスの早期発見と自発的な行動が可能となり、精神的な消耗が小さくなる(英語論文)。

 礼節がチームの有効性に寄与するのは、従業員に安心感と幸福感を与え、気を楽にさせるという部分が大きい。2万人以上の従業員を対象とした私の調査では、リーダーに敬意を表されていると感じている人はそうでない人に比べ、仕事への集中と優先順位付けができている割合は92%高く、意欲は55%高かった(英語記事)。

 礼節のある風土をつくることで、従業員が互いに敬意を持って接するようになり、いっそうの協働が促進される。グーグルのキャスリン・デカスと同僚らによる最近の研究からは、チームの風土が組織市民行動(組織への自発的で無償の貢献行動)にいかに影響を及ぼすかが示されている(英語サイト)。部下にもっと効果的な協働とさらなる貢献を望むなら、チームの風土、リーダーによる率先垂範、そしてチームの規範についてよく考えてみるべきだ。

 ここで重要なのは、礼節はただ強制すればよいわけではないという点だ。従業員と継続的に対話し、礼節をわきまえるとは何を意味するのかをきちんと定義しよう。対話のプロセスに彼らを引き込むことで、礼儀正しい振る舞いへの相互責任を負うことについて、より多くの支持を得て実現を後押しできる。

 礼節について従業員と話し合うことは、どんな組織にとっても有益だ。カリフォルニア州アーバインの法律事務所、ブライアン・ケイブのマネージングパートナーであるスチュワート・プライスと私は、集団の規範を定義するためのエクササイズを主導した。

 我々は従業員に、「どのような人になりたいか」を尋ねた。そして、互いに責任を負ってもよいと彼らが考える規則、つまり「自分の組織にふさわしい規範」を挙げるよう求めた。すると1時間強で、従業員は10箇条の規範を考え出して合意した。同社はこれらを採用し「礼節規定」としてまとめ、ロビーの目立つ場所に掲示している。プライスの証言によれば、この礼節規定は、同社がオレンジ郡で「最も働きがいのある職場」の第1位となったことに直接貢献したという。

 規範を形成するだけでは十分でない。従業員がそれらを理解し尊重するよう、訓練する必要がある。私が実施した調査で、無礼に振る舞ってしまう理由を尋ねたところ、自分の組織が傾聴やフィードバックといった必要な基本的スキルを提供していないから、と回答した人は25%超に上った(英語論文)。

 礼節に関するメッセージを組織ですでに打ち出しているのに、従業員の振る舞いが好ましくない場合には、「そのための備えを提供しただろうか」と自問してみよう。礼節ある振る舞いを誰もが承知しているものと、決めつけてはならない。基本的なスキルを学んでいない人も多いのだ。

 大手企業のなかには、礼節の研修を公式に提供しているところもある。マイクロソフト社内で人気の「プレシジョン・クエスチョニング」(精密な問いかけ)の講座が教えているのは、自分自身のアイデアに疑問を投げかけること、健全で建設的な批判をする方法、緊迫した状況でも感情を押し殺さずにうまく制御しながら行動する方法だ。

 ロサンゼルスのある病院では、気難しい医師たちに「礼儀作法教室」への参加を義務づけ、不遜な態度を改善させて訴訟の可能性を抑えるよう努めている。教室では、職場の雰囲気をつくるのは医師であり、それは実習生にも影響すると教えている。

 リーダーがチームの礼節度に注意を払えば、そこには報いがある。協力関係とパフォーマンスが向上するのだ。メンバーの振る舞いが望ましくない場合には、必要に応じて規範を修正するか、研修を提供してみるとよい。


HBR.ORG原文:How Rudeness Stops People from Working Together January 20, 2017

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クリスティーン・ポラス(Christine Porath)
ジョージタウン大学マクドナー・スクール・オブ・ビジネス准教授。
http://www.dhbr.net/articles/-/4793


 
20160119

本読書人の雑誌『本』
なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか 気鋭の脳科学者が「ココロの盲点」を明かす
池谷 裕二東京大学薬学部教授
脳研究者プロフィール

〔photo〕iStock
文/池谷裕二(東京大学薬学部教授)

「自分は平均以上」と勘違い

先日電車に乗っていたら、隣に中学生くらいの女の子が座っていました。かわいい子だったので、手元のスマートフォンを操作している振りをしながら、横目でチラチラと見ていました。

すると、あろうことか、彼女は席を立ってしまいました。

ジロジロ見過ぎてしまったことを反省しましたが、しかし、どうやら私の視線が気になって席を立ったわけではないようです。理由はすぐに明らかになりました。「どうぞ」と目の前のお年寄りに席を譲ったのです。

深く恥じ入りました。

気が利く、気が利かないとはなんでしょうか。

彼女は気が利く人です。一方、私は気が利かない人です。これは明らかです。でも、ここで問いたいのです(決して言い訳のためではなく)ーー気が利かない人は、その時、自分を「なんと気が利かない人間だ」と残念に感じているでしょうか。

きっと感じていないでしょう。なぜなら、そもそもそのお年寄りが困っているという事実に気づいていないからです。気づいていてわざと席を譲らなかったら、それは気が利かないとは言いません。単に意地悪なだけです。

つまり、人は「自分がいかに気の利かない人間か」を知ることができないのです。ところが、他人が気が利かないことはすぐに気づき、指摘したり憤慨したりすることができますーー私がこんなに気を利かせているのに君はけしからん!

おそらく現実の自分は、自分に対して抱いている自己像よりも、気が利かない人間であることは間違いないでしょう。

これは気が利く気が利かないだけの話ではありません。日常生活全般において、似た状況は少なくありません。結局のところ人は実際のレベルよりも自分を高く評価することになります。

たとえば、日常的に車を運転する生活を送っている人に訊いた調査結果があります。

「あなたは平均よりも運転がうまい方ですか?」。この質問のポイントは「平均より」という点です。抜群に優れている必要はありません。あくまでも平均に比べたら「まあマシな方かどうか」という判断です。

このアンケートの結果は驚くべきもので、なんと70%の人が「私は平均以上です」と答えるのです。70%という値は平均値の概念にそぐいません。つまり、多くの人が「自分は平均以上にデキる」と勘違いしていることがわかります。

ただし注意してください。このデータは、正しく自己評価できている人がいないと主張しているわけではありません。

では、どのような人が正しく自己評価でき、またどのような人が自己評価を誤る傾向があるでしょうか。そんな研究をしているのが、コーネル大学のダニング博士とクルーガー博士です。

NEXT ?? 能力の低い人ほど自分を過大評価

脳のクセを知らないと損をする

たとえば博士らは、ジョークを楽しむ能力について調査しました。

ユーモアは洗練された知識と機知がないと理解できません。65名の大学生を対象に、30個のジョークを読ませ、どれほど面白かったかを評価してもらいました。この点数でユーモアの理解度がわかります。これと同時に「あなたのユーモアの理解度は同年代の中でどのくらいに位置していると思いますか」と訊きました。

調査の結果、ユーモア理解度の順位の低い人ほど自己評価の高い傾向があることがわかりました。

成績下位25%以内の人は、平均して「上位40%程度にいる」と自分を過大評価したのです。一方、成績上位25%以内の人は「上位30%程度にいる」と過小評価していました。

つまり実際の能力の個人差は、人々がイメージする差よりも、はるかに大きいということになります。なお、この現象はユーモアだけでなく、論理的思考力や一般学力試験にまで、普遍的に見られます。

博士らは、この現象を次のように説明しています。1.能力の低い人は自分のレベルを正しく評価できない。2.能力の低い人は他人のスキルも正しく評価できない。3.だから、能力の低い人は自分を過大評価する。

もちろんこの結果だけでは「能力が低いから自分を客観視できない」のか「自分を客観視できないから能力が低い」のかはわかりません。しかし、この研究は心理学では広く認知され、博士らの名前にちなんで「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれるようになりました。

この効果の面白いところは、ダニング=クルーガー効果について初めて知った人の多くが「たしかに自分を勘違いしている人はいますね。身近な人の顔が具体的に思い浮かびますよ」と笑顔で答えてくれることです。つまり多くの人は「まさに自分が該当する」かもしれない可能性に思い至らず、自分を棚に上げて、他人に例を探し始めるのです。

これこそが冒頭で説明した「気が利かない人は自分の気の利かなさに気づいていない」ことに相当します。これもまたダニング=クルーガー効果の亜型で、とくに「バイアスの盲点」と呼ばれます。

いずれにしても、ここで見逃せないポイントは、脳が無意識のうちに判断をミスしてしまうという点です。決して「わざと」でなく、あくまでも自動的で反射的な思考として「そう思ってしまう」わけです。

つまり、脳には特定の「思考癖」があるというわけです。

そうした脳のクセは「認知バイアス」と呼ばれます。認知バイアスは曲者で、しばしば奇妙で、ときに理不尽でさえあります。こうした心理のクセに気づいていないと、ふとしたところで判断を誤ったり、損したりしかねません。だとしたら、これをよく理解しておくことは、日常をよりよく生きることにつながります。

人間は心の多面体です。だから認知バイアスにはたくさんの項目があります。いくつか紹介しましょう。

NEXT ?? 認知バイアスで収入を増やす方法

どうすれば収入を増やせるか

まず「おとり効果」から。たとえば、カレー店を経営しているとします。店のメニューは、

普通カレー ¥1000
特製カレー ¥1500

の二つです。すると客の多くは安価な普通カレーを注文するかもしれません。

そこで認知バイアスを利用して、特製カレーの注文を増やし、増収を図ることができます。どんな対処法が考えられるでしょうか。最もシンプルな方法は選択肢を一つ増やすことです。

普通カレー ¥1000
特製カレー ¥1500
極上カレー ¥3000

この選択肢から選ぶ場合、特製カレーへの選好が心理的に高まることが知られています。高額な極上カレーをオプション(おとり選択肢)に加えることで、相対的に特製カレーを安く感じさせることができるわけです。これが「おとり効果」と呼ばれる理由です。

おとり効果については、米マサチューセッツ工科大学のアリエリー博士らの面白い実験があります。経営学専攻の学生に英経済誌『エコノミスト』を定期購読してもらいました。

ウェブのみ購読  $59
冊子&ウェブ購読 $125

という選択肢では、冊子とウェブの同時購入を選んだ学生は32%だったのですが、選択肢を増やし、

ウェブのみ購読  $59
冊子のみ購読   $125
冊子&ウェブ購読 $125

としたら84%の学生が冊子とウェブの同時購入を選びました。冊子の値段を「冊子&ウェブ」と同一に設定することで、見かけ上のお得感を狙っているわけです。

実際、この効果は絶大で、おとり選択肢を一つ増やしただけで、40%以上の収入増となりました。

選択肢が多すぎると逆効果

ただし、やみくもに選択肢を増やせばよいというわけではありません。なぜなら「選択肢過多効果」と呼ばれる認知バイアスがあるからです。コロンビア大学のアイエンガー博士らのデータを紹介しましょう。

NEXT ?? 脳は「苦労」が好き?

博士らは、ジャムの試食販売ブースで、6種のジャムを売る場合と、全24種を売る場合を比較しました。

立ち止まる人は24種のブースのほうが多かったのですが、実際に商品を買ってもらえる率は反対に6種のジャム売り場のほうが高くなりました。結果として、6種陳列のブースのほうが、7倍もの売り上げをあげたのです。

アイエンガー博士らはこの結果を「同時に処理できる情報には限界があり、許容量を超えると購買意欲そのものが低下する」と説明しています。

客のことを考えると「つい気を利かせて」たくさんの選択肢を用意してあげたくなりますが、選択肢が多いことは逆効果にもなるというわけです。言われてみれば、メニューが豊富なラーメン屋よりも、「うちは塩ラーメン一本だよ」と言ってもらったほうが、スカっと気持ち良いし、信頼できる気がします。

つづいては「コントラフリーローディング効果」について。これも選択肢過多効果に似て、直感に反する認知バイアスの一つです。

たとえば、こんな実験例があります。ある団体に所属するときに、希望すれば誰でも入会できる場合と、厳しい試練を経て仲間入りできる場合を設けます。すると、たとえ根拠のない無駄な儀式であっても何らかの入団基準があったほうが、入会後に、その団体への帰属感や愛着が強くなるのです。

脳は労せずに手に入れた(フリーローディング)ものよりも、何らかの対価を払って入手したものを好みます。これがコントラフリーローディング効果です。この効果が見られるのは人間だけではありません。私が研究室で飼育しているネズミを見てもよくわかります。

私は仕事柄、連日ネズミの行動を観察しています。通常、餌は皿に入れられていて、好きなときに食べられる状態にしてあります。もちろんネズミは十分に賢いので、レバーを押すと餌が出てくる仕掛けに変えても、すぐに学習し、上手にレバーを押して、餌を食べるようになります。

そこで、こんな実験をしてみましょう。2種の方法で、同時に与えてみるのです。一つは皿に入った餌、もう一つはレバーを押して出る餌。どちらの餌も同じものです。さて、ネズミはどちらの餌を選ぶでしょうか。

試せばすぐにわかります。レバーを押す率が高いのです。苦労せずに得られる皿の餌よりも、労働をして得る餌のほうが、価値が高いのです。

コントラフリーローディング効果は、多くの動物たち、たとえばイヌやサルはもちろん、トリやサカナに至るまで、動物界にほぼ共通してみられる現象です。

ちなみに、同じ実験を就学前の幼児に対して行うと、ほぼ100%の確率でレバーを押すことがわかります。成長とともにレバーを押す確率は減っていき、大学生になると五分五分の選択率となりますが、やはり、完全に利益だけを追求することはありません。

こうした脳の本質的なクセを知ると、労働の価値について考えさせられます。贅沢三昧で悠々自適な生活は、誰もが憧れます。しかし仮にそんな夢のような生活が手に入ったとして、本当に幸せでしょうか。

定年で突然仕事を奪われた手持ち無沙汰さからストレスを溜めこんでしまう「定年症候群」が近年しばしば話題にのぼりますが、働いて得た給料と、労働せずにもらえる年金では、おなじ1円でも価値が異なるというわけです。

NEXT ?? 社会的地位が高い人はモラル低い

ちなみに、これまで調べられたなかで、コントラフリーローディング効果が生じない動物が、一種だけ知られています。飼いネコです。ネコは徹底的な現実主義です。レバー押しに精を出すことはありません。

社会的地位が高い人ほどモラルは低い?

最後に「上流階級バイアス」を紹介しましょう。簡単にいえば「金持ちはマナーが悪い」という傾向です。

意外にも思いますが、これもまた認知バイアスの一つです。これを証明したのがカリフォルニア大学のピフ博士らです。原著論文には、これを支持する実験証拠を七つ発表しています。ここでは三つ選んで紹介しましょう。

まずピフ博士らは運転マナーについて調査しました。車のレベルが社会的ステータスを反映していることはよく知られています。博士らは、車のランクを高級車から大衆車まで五つに分類し、階級別に交通規則をどれほど守っているかをモニターしました。

すると、横断歩道で手を上げている歩行者を待たずに通過してしまう確率は普通車35%のところ、高級車は47%であることがわかりました。また、交差点で相手の車を待たずに割り込む率は普通車12%のところ、高級車は30%と2.5倍にもなったのです。

次にピフ博士らはボランティア参加者を集めた実験を行いました。たとえば、参加者に面接官になってもらいます。就職希望者とうまく交渉しながら採用者の給料を決定するのです。この際、重要な事実があります。志願者は長期的で安定した職を求めていますが、実は、今回の採用ポジションは近々廃止予定なのです。さて、面接官は志願者にこの不都合な真実を告げるでしょうか。

実験の結果、下流階層の人は素直に事実を告げて志願者と交渉する傾向が強かったのですが、社会的ステータスの高い人は事実を隠したがることがわかりました。「あとから状況が変わったことにすればよい」という作戦でしょうか、ともかく騙してでもいいから、自分に有利に交渉を進めるわけです。

ピフ博士らが最後に行った実験が、もっとも象徴的です。「自分は社会的地位が高い」と思って行動をしてもらう実験です。すると、下流階級の人でも貪欲さが増し、非道徳的な態度になります。つまり、モラルの低さは生まれつきではなく、その地位が作ったものだと言えそうです。

さらに面白いことは、「金欲があることは悪いことでない」と付け加えると、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」はどこへやらで、下流階級者の尊大ぶりは、実際の上流階級よりもひどいものになりました。

単に有頂天で「天狗になっている」のか、あるいは、普段受けている仕打ちへの腹癒せなのかはわかりませんが、醜悪な心理を、見事に浮き彫りにした実験結果だと言えます。

NEXT ?? 最大の未知は自分自身

人間が好きになる脳のトリセツ

いかがでしょうか。認知バイアスは、そうとわかっていても、つい落とし穴にはまり、なかなか修正することができないクセです。だからこそ認知バイアスなのです。

人は自分のクセに無自覚であるという事実に無自覚です。他人のクセには容易に気づくことができても、案外と、自分自身のクセに気づかないまま自信満々に生きているものです。最大の未知は自分自身です。

本当の自分の姿に気づかないまま一生を終えるなんてもったいないーー。せっかく人間に生まれてきたのですから、自分の認知バイアスについて知っておくのは、決して悪いことではありません。

こうした考えが、私も40代の後半に入り、ますます強くなってきました。これに押され、ついに認知バイアスについての初心者向け解説書『自分では気づかない、ココロの盲点 完全版』(講談社ブルーバックス)を上梓する運びになりました。この本は、心の盲点を知るための手引き、いわば「心の辞書」です。

「脳」はこんなにダマされている!池谷裕二『自分では気づかない、ココロの盲点 完全版』
ただし注意してください。脳に偏見があること自体は罪ではありません。クセは脳のデフォルトです。そして偏見はときに生きることを楽にしてくれます。

しかし、だからといって、その偏見は必ずしも礼賛されるとは限りません。もし全員が自分の「正しさ」を妄信したままコミュニケーションすると、不用意な摩擦が生じかねません。

傾向と対策ーー。脳のクセを知っていれば、余計な衝突を避ける予防策になります。それだけではありません。脳を知れば知るほど、自分に対しても他人に対しても優しくなります。そして、人間って案外とかわいいなと思えてくるはずです。

人間が好きになる脳のトリセツ。そんなふうに本書を役立ててもらえれば著者望外の喜びです。

「本」2016年2月号より

池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
1970年、静岡県藤枝市生まれ。薬学博士。現在、東京大学薬学部教授。脳研究者。海馬の研究を通じ、脳の健康や老化について探求をつづける。日本薬理学 会学術奨励賞、日本神経科学学会奨励賞、日本薬学会奨励賞、文部科学大臣表彰(若手科学者賞)、日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞などを受賞。主な 著書に『記憶力を強くする』『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』(ともに講談社ブルーバックス)、『海馬』『脳はこんなに悩ましい』(ともに共著、新潮文庫)、『脳には妙なクセがある』(扶桑社)などがある。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47416?page=6
 

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