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中国人は女性を拷問するのが大好き
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/263.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 9 月 16 日 08:05:21: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: これを聞けば中国がよく分かります _ 宮脇淳子 「真実の中国史」講義  投稿者 中川隆 日時 2018 年 4 月 16 日 23:02:09)


台湾のアイドル白暁燕


1997年4月14日、私立醒吾高級中学 2年に在学中の暁燕は日系を嫌悪する外省人系のマフィアにとって、格好の標的となり通学途中に誘拐された。

犯人グループは、直後から輪姦・暴行を加えるとともに、左手小指を切断した。
さらに、母冰冰の元に暁燕の半裸の写真と、彼女の切断された小指を送りつけ、500万アメリカ合衆国ドルの身代金を要求した。

冰冰はなんとか身代金全額は揃えたが、行政院長連戦の差し金で警察からマスコミに情報が漏れ、中華日報と大成報が報道したため、引き渡し現場に記者が殺到する事態となり、犯人グループは身代金受け取りを断念する。

現金が渡れば家に帰れると信じていた暁燕は、戻ってきたグループの一味から身代金受け渡しの失敗を聞いて泣き叫んだが、激昂した犯人グループは、腹いせにさらに凄惨な輪姦・集団暴行を加えて暁燕を惨殺し、遺体の手足を角材で縛ったうえ、重しをつけて台北近郊のドブ川に遺棄した。

4月25日に犯人グループのアジトを急襲し4人が逮捕されたが、3人の主犯格(林春生・高天民・陳進興)を捕り逃がしてしまった。

4月28日、暁燕の原形を止めぬほどにボロボロになった無残な全裸の遺体が発見された。
発見者は、最初はブタの死骸と思ったという。

直接の死因は窒息だったが、

暴行による打撲で肝臓が破裂しており、

その内出血で腹腔は大きく膨張し、

肋骨もほとんど折れており、

両手両足の爪も全て剥がされていた。


顔も髪の毛はまばらにされ、

両目はえぐり取られ、

舌は引き伸ばされ、

両耳の鼓膜は爆竹で破られ、

前歯は上下三本しか残っていなかった。


報告書に「処女膜断裂」とあるように激しい強姦の痕跡も歴然としており、あまつさえ


膣と肛門に鉄パイプが2本突き刺され、

子宮内には釘が48本も打たれていた。


長年にわたり多くの死体を検分した検視係官が「これほど凄惨な遺体を目にしたことはない」と衝撃をうけるほどだった。

さらに、遺体発見時の写真を一部のメディアが掲載したため、マスコミへの批判が高まり、白母娘の住んでいた家の付近に、周辺の住民が「記者有罪」と書いた抗議の垂れ幕を下げた。暁燕の葬儀では、顔にかつらと生前の顔を模した面を着けて納棺された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9A%81%E7%87%95
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/3730785.html

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2013年09月23日 中国の残虐文化


8月の終わり頃に中国で起きた6歳の男児が両目をくりぬかれた事件は、本当に凄惨なものだった。
自宅近くで遊んでいた男児が、何者かによって山に連れて行かれ、両目をくりぬかれて放置されていた。

当初、角膜が削り取られた眼球が現場近くに落ちていたため、角膜目的の傷害事件だというデマニュースが中国を駆け巡ったが、事件発生から6日後、被害男児の伯母が井戸に身を投げて自殺し、事件が急展開する。

数日経って地元警察が、自殺した伯母が事件の容疑者であると公表した。自宅に男児の血痕の付いた上着があり、事件の少し前に精神的に不安定になっていたという。

容疑者が死んでしまったため、事件の真相は闇の中であるが、犯人が伯母にせよ誰かにせよ、中国の特異性を表すような事件に思える。
中国人は、驚くほど残虐なのだ。

中国福建省のマフィアである蛇頭に関する事件ルポを読むと、ヤツらが敵や裏切った仲間を拷問する場面が出てくるのだが、その中にスプーンで目玉をえぐり出すというものがあった。そのほかにも、よくある耳をそぎ落とす行為や、顔の皮を剥ぐというのもあった。

想像するだけで気持ち悪い。

映画での知識しかないが、日本のヤクザが誰かを痛めつけようとしても、目玉をえぐり出すとか、顔の皮を剥ぐとかはしないだろう。
大昔から、殺し殺されの易姓革命を繰り返してきた中国では、敵を徹底的に痛めつける方法に熟知しており、その残虐な方法は今にも引き継がれている。

世界でもっとも古い外科手術のひとつは、古代中国で行われたそうな。ただ、医療目的ではない。膝の皿を抜くという拷問が目的である。
せっかくの手法も、中国では拷問にしか活かせなかった。

キチガイが突発的に起こした猟奇的な事件であれば、子供の目をくりぬくかも知れないと思うかも知れないが、幾らキチガイであっても、それまでの生活や経験の中で学んだ方法しかとれない。だから、普通の日本人は、どれだけ頭がおかしくなっても、子供を痛めつけるために目玉を切り取ってやろうという発想自体が思い浮かばないだろう。

かつて、アイリス・チャンが世紀のデマ本「レイプ・オブ・ナンキン」で、日本人が中国人を虐殺したあと人肉餃子を作って食べたと記していた。
それを真に受けた中国人がいて、「大変だ」と騒いだバカな日本人がいた。
だが、多くの日本人はその発想に驚いたからだ。日本には食人文化などなく、誰かを殺して食べようと思う考えは中国のものである。いかにも中国人が思いつきそうなでっち上げなのだ。

死産だった赤ん坊や生後数か月で死んだ赤ん坊を粉末にして、人肉カプセルとして売り出す国が中国だ。そして、それを買うのは中国人と、未だに文化的な属国根性がはびこる韓国人である。

文化大革命で大勢の人を殺された中国では、死人は畑や田んぼに埋めて肥料にされていた。こういう感覚も日本にはない。死者を敬うとかいう考えが全くなく、汪兆銘のように墓が爆破され、死体を掘り起こされて鞭打たれてることもある。

そういう中国を見ると、つくづく日本とは文化的に異なり、考え方が全く違うことが思い知らされる。

しかも、中国人の考えというのは、他国にいても全く変わらない。郷に入れば郷に従えという考え方が全くない。だから、他国でも平然とマナー違反を繰り返し、事件を起こせば残虐で凄惨なものとなる。

そういう連中にはお引き取り願いたいものだが、中国は中国人の世界への流出をどんどん進めているように見える。

日本だって例外ではない。日本の強盗はあまり人を殺さないのに、中国の強盗は簡単に人を殺す。しかも、一家皆殺しにする。

本当に恐ろしい。中国人による残虐な事件の輸出が続けば、必ず自国内でも自然発生するに違いない。

そのような文化の輸出は遠慮願いたいが、止められないのが現実である。
http://sakicchoman.blog.jp/archives/2062070.html


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2014.06.27 Friday中国政府が「恥」と隠す女性拉致・電極拷問事件
http://cooljapan2.jugem.jp/?eid=1890

http://tocana.jp/2014/05/post_4103_entry.html
http://tocana.jp/2014/05/post_4103_entry_2.html
http://tocana.jp/2014/05/post_4103_entry_3.html

上海でカラオケ店が消滅の危機!? 背景に、中国政府が「恥」と隠す女性拉致・電極拷問事件!!

2014.05.10

 私は、ルドルフ・グライナーです。日本と世界を研究するドイツ人です。私は、日本と世界の違いやドイツと日本の違いを研究しています。

 現在、私は中国の西部で仕事をしていますが、さすがに田舎なので、何もありません。何か派手なことをしてしまうと目立ってしまいますし、また、女性と遊ぶことも本来は法律で禁止されてるので…。

 そこで、月に1〜2回、ホテルの視察などを含めて上海や香港に遊びに行きます。

 しかし、近頃は上海でもあまり遊べなくなりました。なぜなら、最近、上海では、性風俗がかなり厳重に取り締まりを受けているからです。中でも、最も厳しいのが、いわゆる「カラオケ」店です。

「この取り締まりは、中国政府や上海市の政府が『上海市の恥』だとして絶対に公式発表しないある2つの事件がきっかけとなっているんです。この事件のせいで上海は中国で最も性風俗に厳しいエリアとなりました」(中国人情報提供者)

 そのうちの1つは、上海のマフィアが主役です。


■女性を拉致するマフィア

 十数年前までは、中国は経済的に発展途上国でした。そのため、貧しい人々が少なくなかった。当時は上海であってもドイツの10分の1の平均給与でしたから、田舎から都市部に出てきた女性たちの中には、生活を支えるために、自らすすんで風俗に身を置く者が多かったのです。つまるところ、カラオケ店をはじめとする風俗店は、女性を集めることが、非常に簡単であったということになります。しかし、中国が経済発展を成し遂げ、女性が徐々に欧米化、資本主義化するようになると、女性の売春に対する感覚が変わってきてしまったのです。「売春をしなくても、十分なお金が手に入る」ならば、わざわざ売春などしないということです。

 これは、非常に大きな変化でした。それでも、胡錦濤主席の時代までは、田舎の女性が、上海や香港などの都会に出てきて、生活のために夜のアルバイトをし、田舎に暮らす親に仕送りをする人も多かったのですが、最近は田舎も開発が進み、不動産投資などを中心に人々も裕福になってきて、わざわざ売春するよりも、一般企業のアルバイトや、欧米や日本の企業でアルバイトをする道を選ぶ人が多くなったのです。

 つまり、カラオケ店での募集に女性が来なくなってしまったのです。

 このことに困った、カラオケ店経営者の上海のマフィアは、「女性を拉致」するようになったのです。

■壮絶! 監禁現場


「約1年前、上海で、中国の公安警察が女性の拉致現場を急襲したんです。実は、民主化デモが起きたときに、その首謀者のいる雑居ビルに入ったんです。そこに押し入ったところ、その一室に女性が監禁されていたんです」(先の情報提供者)

 女性たちは、みな粗末な服を着て、後手で拘束されていたそうです。そして、首輪をつけられ、その首輪にはまるで囚人のように番号がつけられていたそうです。

 さらに別室には、「独房」と彼らが呼ぶ部屋が存在したそうです。この部屋は、このビルから逃げようとした女性たちが「懲罰」を受ける場所でした。独房の中の女性たちは全裸で、天井から吊られていたそうです。中には電極がつながれていた女性や、局部に性具をつけられた女性なども存在したといいます。

「地下室には、拷問によって死んでしまった女性たちの遺体が、高く積まれていたそうです。遺体は、ほぼ完全なものだったそうですが、その後の解剖で、数えきれないほどの性行為をさせられていることが発覚しています。拷問以外にも、麻薬などの薬物の過剰摂取による心臓麻痺で亡くなった者もいたそうですよ」

 ここで、生きて保護された女性は、20名ほど。遺体は7名分だったそうです。保護された女性たちは、みな上海を後にして、故郷に帰りました。

 拉致をしていたマフィアは逮捕されましたが、それでも、上海における行方不明事件は後を絶たないそうです。特に、地方から上海に来た若くて美しい女性がターゲットです。

「この事件は、人民解放軍がスパイとして育てていた女性まで雑居ビルに入れられていたそうなんです。それでとうとう、軍の出動を仰ぐことになったという噂もあるんですよ。実際に、一時、軍服を着た小隊が、カラオケ店を検挙していました」

 軍のトップである習近平主席は、その状態を非常に重要視し、マフィアの資金源であり、拉致事件の元凶であるカラオケ店をすべて検挙して、マフィアの撲滅に力を入れているというのです。

 ちなみに、上海以外の都市では性風俗が厳しくなったということもなく、まだまだ、以前の状態と変わりません。

 もちろん、風俗営業の禁止や華美な装飾の禁止、または官官接待の禁止は、習近平主席の直接の命令ですから、そこまで大々的には営業していませんが、中央政府の役人が来ない限り、そこまで厳しくすることはありません。

 それでも、高級白酒が売れなくなり、酒屋が廃業したり、高級料理店が営業困難になったりというような状態で、かなりの打撃です。中国の高官だけでなく、習近平主席の反日政策が、もう一つの彼ら高級料理店の資金源である「日本人観光客」も減らしてしまったので、高級料理店が立ち行かなくなってしまっているのです。

 今回のカラオケ店、風俗店の検挙に関して、2つの事件があると言いましたが、そのうちの1つがこの「女性拉致事件」です。このような重大事件が中国では隠蔽されてしまう…これが中国の闇の部分なのかもしれません。もう1つの事件も、後日また。
(文=ルドルフ・グライナー)

http://tocana.jp/2014/05/post_4119_entry.html
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【中国】強姦の多い料理店、上海「しゃぶシャブ鍋」!! 道徳心が消えるアノ店で、私は一体…

2014.05.13

 私は、ルドルフ・グライナーです。日本と世界を研究するドイツ人です。私は、日本と世界の違いやドイツと日本の違いを研究しています。前回、中国で性風俗が突然厳しくなった2つの理由のうちの1つ、「カラオケ店の拷問事件」について書きましたが、今回は残りの1つについて書きます。

 私は仕事でたまに上海に遊びにゆくことがあります。上海には様々な店がありますが、歓楽街の中心は女性関係のお店です。やはり男性にとって、きれいに着飾った女性は、心のオアシス。特に、上海の洗練された女性は格別です。


■しゃぶしゃぶ食べませんか?

 そして、上海に遊びに行っていたある時、私の馴染みの男が「しゃぶしゃぶ食べませんか」と、声をかけてくれました。その男は、マフィアの人でしたが、特に害になるわけでもなく、遊び友達でした。

 私は3階建てのビルの一室に案内されました。目の前には、金庫のドア。その扉を開けると、中に和室がありました。真ん中にテーブルがあり、その上ではすでに鍋が湯気を上げています。中は、むっとした熱気がありました。この時、8名分の席がありました。

 しばらく待っていると、その男とマフィアのボスと思われる人が女性をたくさん連れてきました。しゃぶしゃぶが日本食だからか、女性たちは露出の多い和服のようなものを着ていました。

「いつも、ありがとう。今日は楽しんでください」

 …と、ボスらしい人が私に言いました。鍋を見ると何かつぼみが入っています。

「これは薬味です」

 男が説明します。しかし、どう考えてもおかしいのです。湯気の中にいるとだんだんと目が回ってくるのです。何だかおかしい。けれども、この時はすでに頭の中がしびれて何も考えられなくなっていました。

■下着を身に着けぬ女性たち

 すると次に、黒いチャイナドレスの女性が肉と野菜が運んできました。その女性は、上品にヒザをつくと、鍋の用意をし始めました。その時です。ボスらしき男が、女性のチャイナドレスをめくり上げました。そして驚いたことに、女性は下着をつけていなかったのです!

 ボスの男は、笑いながら女性の秘所に手を伸ばしました。女性は、抵抗するでもなく、少し声を出しながら、テーブルの上に食材を置いていきました。凄い光景です。

「彼女が下着がないということは、隣にいるこの娘たちも?」

 私は聞きました。

「もちろん」

 男は、近くの女性のスカートの裾を掴むと、思い切りまくり上げました。もちろん、裸です。

 そこに、先ほどの黒のチャイナドレスの女性がゴマダレとポン酢を持ってきて、肉をつまんで鍋の中に入れて「しゃぶしゃぶ」した後、ゴマダレにつけて男性3人の前に置いたのです。しかし、何かが変です。

「このゴマダレに入っている白い粉はなんですか」

 私は聞きました。

「ええっ」

マフィアのボスは驚いたように声を上げます。


■しゃぶしゃぶ鍋の全貌、失われる道徳心

「何も聞いていないのですか。これは、麻薬です。鍋の中のこれもケシの実。日本では麻薬のことを『しゃぶ』といいます。だから鍋の中の『しゃぶ』とゴマダレの『しゃぶ』で『しゃぶしゃぶ』なんですよ。『しゃぶ』で肉を食う、そして『しゃぶ』で美しい肉(女性)を食う。そんな高級な遊びです。さあさあ」

 なんと、麻薬鍋に麻薬のタレ、そのうえ、酒に女性。確かにこの世とは思えない快楽の世界でしたが、しかし、このようなことが上海では許されているのか…。私は驚きを隠せませんでしたし、この時はさすがに背筋がゾッとしました。

 しかし、すでにかなり麻薬鍋の蒸気を吸ってしまい、私もかなり狂ってしまっています。また、女性たちも蒸気に酔ってきたのか、自ら服を脱ぎ始め、そして、私たちの服を脱がせにかかります。気の早い女性は、ビール瓶を秘所に突っ込んで自慰に耽っているのです。

 私も、意を決してそのまま楽しむことにしました。自分の中の道徳心が全くなくなってしまったのです。

 翌朝。

 私も、いやそこにいる人全員が全裸でした。鍋もひっくり返っていましたし、女性もおかしな状態になっていました。頭が痛く、強い吐き気がして、身体をおこすことができません。そして、異常に喉が渇きます。砂漠の中で何日間も彷徨っていたかのような倦怠感と、疲れと、そして体中の痛みです。

■摘発された「しゃぶしゃぶ接待」

 後日、このマフィアのボスは逮捕され、数日で銃殺刑になりました。「誘拐」「強姦」「麻薬」の罪、そして、上海市の官僚を「しゃぶしゃぶ接待」し、汚職に加担した罪によるものでした。この「しゃぶしゃぶ接待」では、官僚を接待するために、官僚が好意を寄せている女性を誘拐し、その中で麻薬漬けにして接待させていたという話です。その女性の親戚が、企業家だったことから事件が発覚し、上海の官僚を巻き込む事件になったのです。

 この事件が大きく影響し、国務院は、上海の風俗を集中的に取り締まるようになったと、噂されています。

 それにしても、あの女性たちは今、どうしているのでしょうか…。私の馴染みの男の行方は分かりません。
(文=ルドルフ・グライナー)
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2014.06.27 Friday中国の人身売買洞窟カフェ .
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【中国】人身売買洞窟カフェで、幼女レイプが横行!?  一人っ子政策のヤバ過ぎる闇!!

2014.04.30


 私は、ルドルフ・グライナーです。日本と世界を研究するドイツ人です。私は、日本と世界の違いやドイツと日本の違いを研究しています。今回は私自身が実際に体験した「中国人身売買」の話を紹介します。

 先日、成都に仕事で出張したときに、地元の中国人とホテルのバーで仲良くなりました。その中国人は「もっと面白いところへ行かないか」と言いました。もちろん「OK」と言って出かけました。“何かあった時のために”お金は決められた金額以上は持たず、そのほかの重要な物も置いていきました。


 男と話しながら歩いていると、ちょうど裏通りに一軒の中華料理屋がありました。その中華料理屋の厨房を抜けて裏に出ると、ちょうど、数件の家で囲まれた中庭のような場所に出ます。そして、その奥の、だれも住んでいないであろう小屋(たぶん、以前は物置小屋として使われていたであろう建物)の中に入ると、その端に大きな石でできた扉があり、中に入ると、地下へとつながっている階段があったのです。

「大丈夫ですか」

私は、聞きました。

「大丈夫です。もちろん、危害は加えません。でも、非合法なことなので、内緒ですよ」

…と、言うのです。


■地下室に広がる闇のクラブ

 中に入ると、ヨーロッパの「SMクラブ」と「奴隷市場」をミックスしたような場所がありました。少し広い洞窟カフェのようになっていて、テーブルが4〜5卓、そこに椅子が並べられていました。さらにその奥には舞台があり、複数の女性が、体の形や凹凸がわかるような白い布一枚をまとった姿で、首輪につながれて立っていました。

 客は、まず席に着くと、その舞台の上に行き、自分の好みのホステスを選び、首輪をはずし、その女性を連れてテーブルに着きます。中には、中東の女性ではないかと思われるエキゾチックな女性もいれば、まだ7〜8歳と思われる幼女もいます。みな、一様に「この不安から解放してほしい」という目で見るのです。

 私は、その中の1人の女性を選びました。その女性は、必死に私にまとわりついてきて「ありがとう」を繰り返します。この時は、私は何の意味かわかりませんでしたが、後にその意味がわかることになります。

 そうしているうちに、店員と思われる男性が突然舞台の上に現れ、売れ残った女性に「お前のサービスが悪いから選ばれなかった」として、いきなり拷問を始めたのです。

 テーブルの客たちは狂喜し「この女性にはどういうペナルティを与えるようか?」という話で盛り上がります。そして、客たちはさまざまな拷問内容を舞台に向かって叫び、それを実行させます。一番目の女性は、白い布を取られ、逆さに吊られていましたし、次の幼女は、いきなり局部に薬を塗られ、そのまま男たちに犯されたのです。

 私は、あまり楽しむでもなく、しかし、目を離すこともできず、硬直するばかりでした。そんな中でも、私の選んだ女性は、私にさまざまな奉仕をしてくれています。異様な光景です。

「なぜこんなことをするのか、あの女性たちはなんなのか?」

 私は私を連れてきた男性に尋ねました。


■そして、悪びれた様子もなく男は語った

「この辺は、一人っ子政策なのに、子どもを何人も作ってしまって、生活もろくにできない家族が多い。その家族は、罰金が払えないからって子どもを我々に売ってくるんだ。このクラブに来るお客は、外国人や、中国人でも役人のトップの方ばかりだから、親も安心なんだよ」

 しかし、それでは彼女たちがかわいそうではないのか? 私は聞きました。すると男性はこう答えます。

「そんなに気を遣う必要はない。そもそも、彼女たちは、黒孩子(ヘイハイツ=一人っ子政策に反して生まれたため、戸籍を持っていない子ども)なので法律的には人間扱いされていないのだから、そのまま外に出ても生活ができるかどうかわからない。でもここにいれば、運が良ければ、外国人が身を引き受けてくれて、優雅な生活ができる。こんなにいいチャンスをあげたのだから、ありがたいと思ってもらわないと困る」

「周囲の人は、人がいなくなって不思議に思わないのでしょうか?」

「中国は人が多いから、いなくなっても、不思議がる人は少ない。それに、彼女たちはもともと戸籍がないんだから、中国では公式にはいなくなったということにはならない。犬や猫がいなくなったのと同じ。例えば、彼女たちは食べられても殺されても、人がいなくなったということにはならないんだ。だから、彼女たちを売っても、物を売っているのと同じなんだ」

 まさに、中国はいまだに人身売買をしている国なのでした。ところでもうひとつ、気になることがあったので、聞いてみました。

「男性はどうなるのでしょうか?」

「男性は、何もしないでも生活できる。軍に入ってもいいし、外国でマフィアにも入れる。女性だって、都会に出てマフィアのボスにかわいがられれば同じ結果だよ」

 高額な罰金は支払えない親をターゲットに展開しているという、インターネットを通じた養子縁組ビジネスも横行しているという中国。そのインターネットビジネスにも参加できない貧困層がこうした闇の人身売買組織に子どもを売り払っているのであろうか。さらに、一人っ子政策の影響で女性比率が減少。貧しい国から女性をさらうなどの犯罪も起きているという。今年に入り、一人っ子政策の緩和が開始されたが、この政策が作った闇は想像以上に深いのではないでしょうか?

  今日も、あの店はやっているのかもしれません。
(文=ルドルフ・グライナー)
http://cooljapan2.jugem.jp/?eid=1891

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2014.06.27 Friday昆明テロ事件の裏に、中国軍の性的女性拷問 .
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【中国】昆明テロ事件の裏に、軍の“あまりにもひどい”性的女性拷問があった!?

2014.04.16

 私は、ルドルフ・グライナーです。日本と世界を研究するドイツ人です。私は、日本と世界の違いやドイツと日本の違いを研究しています。

 私は最近、中国の西の方、昆明(こんめい)市の近くの開発事業をしています。昆明といえば、3月初めに新疆ウイグル自治区(新疆)独立勢力による無差別殺傷テロ事件が起きた場所です。事件は、数10名の黒い覆面テロリストが、刀を振り回し、無差別に昆明駅周辺の人々を切り殺したというものでした。この事件で29人が死亡し、143人が負傷しました。昆明駅の近くは警備が強化され、武装警官が多数います。そして、私のような外国人を見る目が、少し変わりました。

 ところで、「なぜ昆明だったのか」ということが一つの疑問になっています。中国西部の中心都市は「成都」であり、昆明は田舎の街です。

 これには様々な説がありますが、昆明にまつわる、あるトンデモない「都市伝説」があります。都市伝説なので、本当かどうかはわかりません。ただ、昆明で一緒に仕事をしている中国人たちは、まるで本当のことのように話していることは、事実です。


■残虐・昆明都市伝説

 たしかに昆明は田舎の町ですが、軍事や警察からすると、大きな意味を持つ場所です。なぜなら、昆明はチベット、四川、ミャンマー、インドへと続く交易路であり、密接している場所。当然「軍の支配」が大きくなります。2001年に、そのイメージを払拭するために「花の博覧会」を行いましたが、それも効果薄で、現在も行政の中心は「成都」、軍事の司令部は「昆明」となっています。

 さて、昆明には少数民族やチベットの女性たち、さらに戦争犯罪人やテロの首謀者などの多くが、警察や軍の施設に拘留されています。

 実は、この軍の拘留施設から、夜になると女性の悲鳴と兵士の猥声が聞こえるというのです。

「都市伝説」によると、昆明の都市において、“法律を大きく違反しない”程度であれば、行政は軍に対して文句を言わないそうなのです。そのため、テロリストは、容赦なく拷問され、自白するまでいたぶられるというのです。さらに、抵抗が激しい場合や脱走などが試みられた場合は、死刑に近い処罰が下されることもあるというのですです。

 中でも、女性に対する拷問が“あまりにもひどい”というのです。

■昆明都市伝説

 女性の拘留者を、まず裸にします。これは、発展途上国の処刑や拷問ではよくある話で、私にとってはそんなに珍しいことではありません。そして、その裸の拘留者を「三角形の木馬」に乗せるというのです。その三角形の先端は、金属でできていて、その先端が股間に刺さって徐々に切れてゆくといいます。

 木馬そのものは、西洋の子供のもちゃのように、ゆりかごみたいに揺れるようになっているということです。上に乗せられた人は、、ただでさえ股間が切れてしまうのに、その木馬が揺れて身体が前後に動くことで、より苦痛を味わうことになるといいます。

 これを女性がされているのです。

 そして、なかなか口を割らないと、足に重りをつけて、より痛い思いをさせます。木馬の上で、裸の女性が悲鳴を上げ流苦悶の表情を浮かべる「ショー」を中国の軍人は皆で楽しんでいるというのです。そして、女性が苦痛で気を失うと、電流を流したり、あるいは水をかけたりして、女性を起こし、そしてまた拷問を続けるというのです。

 股間や局所が裂傷になった女性は、何度目かの気絶で木馬から降ろされ、傷口から血を流している状態で、興奮した中国人兵士たちが順番にその女性を犯すというのです。

 女性は、ただでさえ苦痛なのに、そこに男性器を入れられて、傷が広げられ、さらにこすられ、痛みと苦痛で最後には精神を病んでしまうのだそうです。それでも中国人兵士たちは、その女性を犯し続け、そして、最後には殺してしまう。そして、完全に正気を失ったものだけを、釈放するということを繰り返してるというのです。

 あくまでも「都市伝説」ですが、この拷問された女性が、運よく命からがら自分たちの基地に戻った…。その女性の姿を見て、復讐心に駆られたテロリストたちが、皆でテロを行ったというのが、伝説の全貌です。また、「股が裂けた女性の死体を目撃した」「軍の施設に行ったら女性の悲鳴が聞こえた」「軍のごみを拾っていたら、股間が鮮血で汚れた服ばかりであった」など、その噂は絶えることを知りません。

■西欧にもあった、拷問器具「ユダのゆりかご」

 似たような拷問は、中世のヨーロッパで「ユダのゆりかご」として存在しました。特に魔女狩りの裁判などでこの方法が行われ、または、悪霊がとりついた女性の処刑などにも使われたといいます。

 この「ユダのゆりかご」という方法は、「ユダ」と名前がついているものの、ユダヤ教とは全く関係がなく、中世ヨーロッパで「道義的に良くないけれども、快楽としてたのしいもの」または「神の教えに背いていても、ほしいもの」を「ユダ」と名付けていた…という説明が一番的を得ているでしょうか。

 ちなみに近代でいうと、ドイツをあらわす「ダッチ」という言葉が、中世の「ユダ」という言葉の代わりに使われましたね(※現在ではオランダを示す)。特に、性的な道具などを示す場合、中世では「ユダ」、近代では「ダッチ」という言葉が使われたようです。

 話は戻りますが、「ユダのゆりかご」は、性差的な拷問の道具として使われていました。特に中世の記録では、大観衆の前や貴族の見世物として美しい女性が「ユダのゆりかご」にかけられるということでしたから、その苦痛と恥辱はひどいものだったのではないでしょうか。


■中国言論統制が招いた“過激な”都市伝説

 さて、話はそれましたが、日本人が中国においてこのような拷問を受けることはないし、日本人がテロリストに加わることもないでしょう。しかし、問題は「都市伝説」という存在です。中国は、情報がある程度制限されてしまっているために、噂に尾ひれがついて、この「都市伝説」のように、すぐに広まってしまう。そして、それが「見てきた話」のような「真実」として流れてしまうのです。

 まさに「反日」「反ナチス」「反ドイツ」の中国教育などはまさにそのものになっているといえるでしょう。実はドイツは第一次世界大戦までチンタオ周辺を占領しており、その周辺では、現在の日本以上にドイツが中国人に嫌われているのです。

 旅行者や、あなたが赴任した会社も、いつ中国でそのような「都市伝説」が作られるかわからないのです。
(文=ルドルフ・グライナー)
http://cooljapan2.jugem.jp/?eid=1889

 

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コメント
1. 中川隆[-13618] koaQ7Jey 2018年9月16日 16:15:36 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18592] 報告

終生、呂后、則天武后や西太后を演じ続けた名女優 江青女史


江青 - YouTube 動画
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江青 1914.3.−−1991.5.14

 悪女、妻、女優、野心家、愛人、グレタ・ガルボ信奉者、イプセン愛読者、共産主義唱導者−−江青の異名だ。

 江青の一生は「復讐と野望」に彩られている。

まず、幼いころの貧困と搾取への復讐。 江青は、女優を目指すが、「スターダムに乗れるところだったのに、国民党の宣伝映画に出ることを強要されたので断念した」のだった。

「これを画策したのが、四人組の悪党ども。そのために、あらぬ中傷を書き立てられた」と江青は復讐心に燃えた。

 江青の生涯には何人もの男が登場するが、毛沢東の存在は大きい。彼との間には、李納という娘をもうけた。

 一九三七年、日中戦争が激しくなり、戦火は上海にまでおよんできた。その上海を江青は脱出し、西安にたどり着いて、さらに洛河に沿って北上して延安を目指した。そこには、共産党の首都があった。

「ずっと歩き通しでした。一文なしで、何度か危ない目に遭ったけれどなんとか生き長らえたわ」
 
江青は細い足がむくんでいるのが気になった。若い共産党員たちが全員出て彼女を歓迎した。ほっそりとした若くて美しい女優だ。上海からきた売り出し中の新進女優に男たちの眼が輝いた。

 江青は男好きのする顔に、もって生まれた性的魅力がある。上眼使いに話して男に媚を売る方法も身につけていた。
 
そんな女性が中国共産党の最高指導者、美男で権力もある人気絶大な毛沢東と出会った。

「もの静かで、知的な美人」が好みという毛沢東にぴったりとあっていたのが当時の江青だ。女好きな彼が見逃すはずはなかった。

「彼は美男で、大学教授みたいだった」

 講演する毛沢東に積極的にアプローチして、疑問点があれば押しかけて行って質問をする彼女の行動力が二人を急速に近づけた。 ときに江青二十三歳。毛沢東は四十五歳。二十二歳の年齢差は、まったく問題とならず、二人は熱愛した。 当時毛沢東には賀子貞という妻がいたが、夫妻の間は冷えきっていた。江青と毛が愛人関係になるのに時間はかからなかった。

 毛沢東の愛人になった江青は、やがて正妻になることを望んだ。 問題は党の承諾である。江青は男性遍歴が多いうえ、結婚する相手が自殺未遂までしてスキャンダルを起こしている。その女性を正式な毛沢東夫人として認めるわけにはいかない。それに当時、女優の地位は著しく低かった。評判のよくない映画女優、江青が認められないのは当然だろう)。

 この二人の間を取りもったのは、周恩来と江青の同郷である康生だ。 毛沢東夫人とは呼ばず、江青同志と呼ぶこと。江青は党の職務には関わらず、毛沢東の身辺の面倒だけを見る。しぶしぶながら、江青はこの条件をのんで結婚した。

「私はファーストレディよ、こんな屈辱的な条件を絶対に許すものですか」

 当時は毛沢東を愛していたが、このお返しはいつかすると決めた。 賀夫人と別れる前に、毛沢東には数人の女性がいた。 江青は後年、毛沢東との関係を述懐している。

「セックスは、最初は重要な要素になるけれど、その後は男に権力があるかどうかが大切なの」

 江青の本名は李青雲(李雲鶴という別名あり)一九一五年三月、中国山東省の諸城生まれ(一九一二年、一四年説もある)。その町の中流家庭に生まれたが、両親が離婚したため、貧乏な少女時代を送っている。(父が死亡したとも)貧しい大工の家庭だったともいわれる。  最初、親類のもとに引きとられたが、母は住みこみの職を見つけて最低の生活をなんとか維持してきたのだった(母が身を売っていたという噂もある)。

「いつも腹をすかしていたし、汚い身なりなので、苛められてばかりいたけれど、泣きはしなかった」

 そんな江青は、やがて済南の小学校を出ると、山東省立の演劇学校に入った。授業料も食費も無料で、多少だが、手当てもくれるというのが何より嬉しかった。当時の世相は不安定で、辛亥革命で清王朝が倒れ、中華民国として生まれ変わったばかりだった。
 一九二九年に、江青は巡回劇団に加わる。三三年には、青島で入党。一九一五年生れ説をとると、当時まだ十八歳だ。

 女優グレタ・ガルボに心酔していて、映画好きな江青は女優になる決心で上海に出る。諸城という小さな田舎町から大都会に出るのは勇気がいった。女優になって有名になるという女心と、共産党員として忠実であろうとする彼女の葛藤が始まったのもこのころだ。 青島で最初の結婚をし、上海では唐納(監督であり、著名な批評家でもあった)と再婚した。

 一九三〇年代の上海は東洋のパリと呼ばれた国際都市。この魔都上海は、あらゆる人間の欲望がうずまく場所で、彼女は生きた。  彼女は、貧しいが野心をもった女性で、いい役を得るために上海の映画会社に足しげくかよった。

監督で共産党幹部の張健の情婦だったとか、手段を選ばない「淫乱な女」とも噂された。(当時江青は、藍ぴん=青い林檎と名乗っていた)。

 江青が二人の子どもを残して唐納を捨てると、彼は自殺すると脅した。新聞はその話を煽情的に取りあげ、藍ぴんに罪をかぶせ、悪意のある醜聞を書きたてた。

 そして毛沢東と出会うのは、先に述べた一九三七年のことだ。  一九三九年、毛沢東と結婚した後、江青は平凡で従順な主婦となった。それが党の指導者たちが取り決めた結婚の条件だった。  一九四九年、共産党は国民党を打ち破り、ついに中華人民共和国を成立させた。毛沢東の時代になるが、それに比べて江青との愛は急速に冷めていく。

 毛沢東は新しい女を見つけた。

それを黙認する代わりに、江青は四人組を組織して、政治の表舞台に出始めた。

まるで、嫉妬に狂った女が片端から「恨みつらみ」を何かにぶつけるように、ヒステリックで残酷な行動に出た。

 文化大革命(一九六七年)の主役として、ふたたび政界に浮上したのである。 京劇に現代的なレパ−トリ−を演じさせようとした。そのレパ−トリ−は、いつも共産革命の讃美をテ−マにしていた。


 紅青は粛清の陣頭に立ち、旧幹部の吊るしあげをした。

 過去を知る邪魔者は無差別に殺した。その数は、「十人や二十人ではないだろう」といわれる。

すさまじいばかりの殺戮を断行した。これには年老いた毛沢東には手がつけられなかった。

 しかし、一九七六年に毛沢東が死ぬと江青は四人組とともに捕らえられ、投獄された。四人組の裁判はテレビで公開されたが、三人の男たちが、憔悴しきっているのに対して、江青だけは怒鳴り散らしながら自己を正当化し、最期まで闘い続けたのだった。

http://www.ainoue.com/ai/71-80/75.html

“四人組”のメンバーは、江青、張春橋、姚文元、王洪文である。このうち最重要人物は江青であり、他の三人は江青夫人の指図で動く形で政治局委員にまで昇格した印象が強い。つまり“四人組”といっても実は、江青プラスその他なのである。


迫害狂−−江青


毛沢東個人崇拝の高まるなかで、毛沢東夫人の地位は単に虎の威を借りる狸にとどまるものではなく、神格化された毛沢東から出される最高指示、最新指示の伝達者として否応なしに重要なものとならざるをえなかった。江青はまた元女優として、この政治的舞台で自らの役者としての武器を最大限に利用して、文革を推進して行ったのである。
江青を中心とするグループは当初は「海瑞罷官」批判、“三家村”批判、周揚批判などから知られるように、文革理論のスポークスマン的役割を果たしたが、陶鋳批判前後から文革が高度に政治的な奪権闘争に発展するに及んで、打倒すべきブラックリストを紅衛兵組織に指示して、紅衛兵運動の一部を操り人形のごとく操作するようになった。

こうして一見大衆運動的偽装のもとに、実は中央文革小組──首都紅衛兵第三司令部(略称三司)という秘密のホットラインが運動を操作するというカラクリができたのであった。 “四人組”裁判の起訴状公表に合わせて書かれた『解放軍報』(八〇年一二月九日)のルポは「迫害狂──江青」と題して主な迫害ケースを紹介している。たとえば六八年七月二一日、康生(中央文革小組顧問)が絶対秘密の手紙(原文=絶密信)を江青に届けた。

その手紙は、第八回党大会で選ばれた中央委員のブラックリストであった。

それによると、中央委員一九四名のうち、すでに死去した者、病弱な者三一名を除いて、九六名すなわち六割弱が×をつけられていた。罪状は「叛徒、特務、外国と結託した分子」などであった。

このリストに基づいて、一方では実権派たたきを拡大し、他方では第九回党大会の中央委員リストを作成したのであった。

毛沢東夫人としての強力な権限


かつて魯迅は「暴君のもとでの臣民」と題したエッセイを書いて、

暴君は「残酷さをもって娯楽となす。他人の苦悩を賞翫し、〔自らの〕慰安とする」

と書いたことがある。江青はまさに魯迅の書いたような暴君であり、六七年七月一八日、中南海で劉少奇、王光美を闘争にかけ、六九年一〇月一七日に劉少奇を開封に護送したのは、江青の直接操縦するグループであったという。

江青はまた劉少奇冤罪事件をデッチ上げるために、解放前に王光美の学んでいた輔仁大学教授であった楊承祚、同大学の代理秘書長であった張重一などを迫害して死に至らしめ、さらに劉少奇が華北局書記であった当時の連絡部長王世英を死なせている。これらの事件について、

「人面獣心の江青」は「冷酷残忍」であった。

随意に他人をして死に至らしめることを無上の権力の象徴であると彼女はみなしていたと告発されている。


このルポに代表されるように、“四人組”裁判当時の江青非難は、彼女を「迫害狂」だとし、彼女の性格が「冷酷残忍」だから、こうした悲劇がもたらされたのであるかのごとく説明している。何が彼女をそうさせたのか。

彼女が生来、迫害狂なのかどうか、冷酷残忍なのかどうかは調べる手立てがない。しかし、おそらく問題はそこにはない。毛沢東夫人であるというそれだけの理由で、彼女は中央文革小組の副組長になることができたこと、この中央文革小組がまもなく政治局の機能に代替するほどの強力な権限をもつに至ったこと、がポイントであろう。そしてこれはまさに文化大革命を発動したためなのであり、おそらくほとんどの責任は毛沢東にあるといえよう。


文革のテロリズムと先祖返り現象


もう一つは中国の権力者がほとんど無限に近い権力をもつことである。

私的なリンチは別として、正式に投獄し、裁判にかけるとすれば、その処理は司法当局に委ねられなければならない。しかし、中国共産党の支配のもとでは、「共産党の指導」「プロレタリア独裁」の名において、共産党が直接的に裁判に介入する。共産党の指導にしても、プロレタリア独裁にしても、革命の過程での一時的措置として、やむをえず採られたものであるはずだが、こうした革命時の非常手段がほとんど抵抗なしに受容されたことに中国社会のしたたかな古さを痛感させられる。

革命的暴力が許されるという雰囲気が文革を包む中国の「小気候」であったわけである。

明朝の宦官独裁の時代には、東廠や錦衣衛といったテロ組織が体制を批判する者を手当たりしだいに殺害した。文革はこうした政治の先祖返り現象でもあるとする見方もある(『沈思』二巻、三三四頁)。

ただし、スターリンの粛清が秘密警察を用いた国家テロであったのに対して、文革は大衆独裁はいう大衆によるテロであった事実に注目する必要があろう。ここでは中国共産党の誇る大衆運動は大衆操作に堕落したのであった。


林彪派と江青派


“四人組”は林彪グループの目から、見ると単なるモノカキにすぎなかった。林彪派の「五七一工程紀要」は、自らのグループに対して銃をもつ者(原文=槍杆子)を自称し、江青らをペンを持つ者(原文=筆杆子)と表現していた。江青グループがモノカキの理論家中心であったことは確かである。そして、これはまさに文化大革命の初期、中期においては重要な役割を果たした。しかし毛沢東の支えを失ったときに一挙に瓦解せざるをえなかった。彼らは毛沢東の文革理念を論文にまとめる側近グループ、あえていえば皇帝毛沢東の宦官としての役割を果たしたのであった。

では銃をもつ宦官たる林彪グループとペンをもつ宦官江青グループの関係はどうであったのか。

張雲生の『毛家湾紀実──林彪秘書回憶録』(邦訳『林彪秘書回想録』)は、興味津々の事実に溢れている。林彪の妻葉群はしばしば釣魚台一一号楼の江青宅を訪れ、密談しているが、林彪自身は江青に対して、かなりの警戒心を抱いていた。六七年二月には毛家湾で林彪と江青が激論していことを林彪秘書が証言している。

葉群は江青との連絡を密にするだけではなく、中央文革小組顧問陳伯達宅もしばしば訪れている。七〇年秋の九期二中全会で、陳伯達は林彪グループの尖兵の形で処分されるが、イデオローグの陳伯達と林彪グループを結合させたのは、葉群なのであった。
葉群は延安時代に教わったとの理由で、釣魚台一五号楼の陳伯達宅を訪れたが、寝室に押し掛け、ベッドで密談したことまで秘書に広言している。これが理由で陳伯達夫妻が別居する騒ぎになった。

武漢事件(六七年七月)で王力、関鋒、戚本禹らが隔離処分された後、中央文革小組内で孤立し始めた陳伯達は林彪の助けを借り、林彪もまた理論家陳伯達の力を必要としていた。そこで葉群は空軍機を飛ばして上海蟹を運ばせ、陳伯達に届けてごきげんをとり結んだりしている。

権力者たちのプライバシー


林彪は康生(中央文革小組顧問)を当初は警戒していたが、六八年初夏あたりから、林彪と康生の関係が改善された。これを陳伯達が嫉妬するようになったと林彪秘書が書いている。葉群自身は陳伯達に親しみをもち、「先生」と尊敬していたが、康生に対しては親しみよりは畏敬していた。陳伯達は康生の関係は必ずしもよくなかったが、葉群は極力バランスをとってつきあおうとしていた。

第九回党大会以後、毛家湾と釣魚台との関係はますます複雑微妙になった。互いに騙し合いこそすれ、譲り合うことはなくなった。政治的傾向としてはどちらかというと釣魚台に不利だったが、彼らは他の人々の近寄ることのできない特殊な条件(毛沢東夫人としての立場)をもっていると自負していた。毛家湾と釣魚台との緊張関係は九期二中全会(七〇年八月二三日〜九月六日)のころには白熱したものとなった。このバカ騒ぎの内幕はすでに世に知られたものよりもはるかに複雑である、と秘書が書いている。

なお、、葉群が秘書の張雲生に肉体関係を迫ったいきさつも、生々しく描かれている。葉群と総参謀長黄永勝とのアイマイな関係については、七〇年秋に二人が交わした愛の電話を葉群の長男林立果が盗聴録音したというエピソードも伝えられている(『在歴史的档案里──文革十年風雲録』)。

中国権力者たちの私生活にも、奇々怪々なプライバシーがあったことがよく分かるが、私がもっと興味を抱くのは、失脚後にこれらのプライバシーが容赦なく暴露されることである。逆に権力を握った者たちは、その権力を用いて、歴史を改竄することはもちろん、真実を知る者の口を封じるために、殺害することさえ行っている(江青は上海時代の友人を迫害致死に至らしめた)。

これが文化大革命のもう一つの側面であった。


周恩来、ケ小平 批判へ


概していえば、文の宦官と武の宦官との関係は、実権派の勢力が強かった初期段階では相互扶助であった。林彪は江青に「部隊文芸工作座談会紀要」のとりまとめを委託し、江青は中央軍事委員会文革小組の顧問となり、のちには解放軍文化工作の顧問も務めた。六七年一一月に第九回党大会についての意見を集めた際に、林彪が毛沢東の「親密な戦友」であり、「後継者」であると大会決議に書き込むよう強調したのは、江青であった。彼らはこうして林彪グループを支持し、その見返りを期待していた。しかし、第九回党大会以後は「権力の再配分」の矛盾が熾烈となった。九期二中全会で陳伯達が失脚し、葉群らが批判されたのは両者の権力闘争が爆発したことを示している。

ところで、林彪事件によって林彪グループが壊滅した後、江青らライバルは周恩来を中心とする実務派になる。

江青らは「批林批孔」運動を通じて、現代の孔子すなわち周恩来批判に努めた。

一九七四年一月二四日および二五日、軍隊系統の「批林批孔」動員大会と党中央、国務院直属機関の「批林批孔」動員大会が開かれた。これは“四人組”裁判の前後に江青が毛沢東の意思に背いて開いたものとする解釈も行われたが、この会議の前後の毛沢東発言を点検した金春明は、毛沢東が周恩来の政治局工作、葉剣英の軍事委員会工作に不満を抱いていたことは明らかであり、矛先は彼らに向けられていたと書いている(金春明『論析』二〇〇〜二〇二頁)。

事柄は「ケ小平 批判、右傾巻き返しへの反撃」闘争も同じであり、毛沢東はケ小平 を得難い人材と評したわずか一〇カ月後に、悔い改めない実権派として再び批判している。しかも、これは明確な批判であり、江青への暖かい忠告とは異なると解している。つまり文化大革命の正しさを確信する毛沢東からすると、ケ小平の反文革的な整頓は許しがたいものであり、これを批判する江青らの活動を文革路線の堅持の観点から支持したわけである。

この意味では、まさに“四人組”グループは最初から最後まで毛沢東の手足であったと見てよいのである。つまり“四人組”ではなく、実態は毛沢東を含めた“五人組”なのであった。

その事実を率直に広言できなかったのは、むろん中国共産党にとっての毛沢東の占める位置の大きさのためにほかならない。

もっとも、一〇年にわたる江青グループのすべての行動を毛沢東が支持していたということではない。たとえば江青は一九三〇年代の自らの醜聞をもみ消すために、趙丹ら関係者を少なからず死地に追いやったが、これは醜聞が実権派の手を通じて毛沢東の耳に入ることを恐れたものであろう。

http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc5/wenge126.htm

 『江青』と言う人は、今では『中国四大悪女』の一人と言われている人でもありますので、如何しても、その悪行を書き連ねる事になります。 結果的に言えば『江青』は1976年の逮捕後1981年の『最高人民法院特別法廷』で『クーデター計画』や『幹部及び大衆の迫害』等の四つの罪で『死刑判決』を受け、その後減刑されるも1991年首吊り自殺をしたのです。

 それにしても、その行状を視てみると、『女って此れほど陰湿』なのかと思わされる物が多いのです。

 その伝聞によりますと、彼女は当初は図書館で副司書をしながら演劇を勉強していた『女優志願者』であったと言うのです。つまり、器量もそれなりのものであったようで1931年に最初の結婚をしたと言うのですが約2ヶ月で離婚、その後学生運動家と知り合い同棲,これが契機で1933年『共産党入党』、しかし同年、その運動家逮捕されるに及び『上海』移住、その後『女優』を始め1994年に映画監督と結婚するも2ヵ月後には他の男性の元へ走り、『上海芸能界』から去り、当時『中国共産党』の本拠地であった『延安』に逃げる形になったと言うのです。

何でも、この時から『江青』と名乗るようになったと言います。 この事が、彼女にとって大きな転機にもなって来た様なのです。

この時『江青』25歳、ここで20歳も年上の『毛沢東』と知り合う事となるのです。 しかし、『毛沢東』は当時三番目にはなりますが妻がいる身であったのです。 『毛沢東』は前妻と離婚し、『江青』との結婚を決意するに至ったと言うのですが、共産党の指導的立場にあった『毛沢東』には、『不倫』を噂される結婚は似合わないとして党の反対を受けた様なのです。

 党幹部であった『朱徳(1886〜1976)』や『周恩来(1898〜1976)』にとっては『毛沢東』のイメージダウンを招きかねないと言う危機感から、『江青』との結婚に反対の意見が続出し、最終的には『江青』を政治の表舞台には立たせない約束をさせられたと言うのです。 果たして、見直してみれば、これらの事が後に『江青』の報復となって現われて来たのかも知れません。 何れにせよこの様な事が起きたと言う事は『毛沢東』の存在が絶対的なものではなかった事を意味してると思いますが、『毛沢東の絶対的な支配』へと志向したものが『文化大革命』でもあったようです。 

ともあれ『江青』と『毛沢東』は『日中戦争』の真っ只中の1939年に正式に結婚したと言うのです。 『国共内戦』を経て、『文化大革命』の実行へと、その挙に出て来たと思われるのです。 

つまり、大筋では『毛沢東』がその目的を示し、具体的には『江青』が手を下したと言えそうなのです。『江青』をして『文革の女帝』と呼ぶ謂れがそこにあった様なのです。 1991年5月14日『江青』は自殺に及んで


『毛主席 あなたの生徒 あなたの妻が 今・・・・会いに行きます』
と書き残したそうです。

http://shuho-terakoya.blog.so-net.ne.jp/2010-11-24

 江青は王世英という人物を糾弾している時、重病になった王に

「もっと審査しなさい。死んだって構やしない」

とか

「もっと厳しく闘争にかけ〜場合によっては死ぬかもしれないが〜閻魔さまの別れの酒でも飲ませてあげるさ!」

と言い放ったという。 本書には四人組一派による自供捏造の「テクニック」?が描かれている。いや、テクニックと呼べるようなものかどうか。

「アメリカ特務機関の住所は東四六条の何号だ?」

と聞く。知らないのだから当然答えられない。

「では、一から順番に数を数えよ」

仕方なく、「一、二、三・・・」と読み上げていく。そして「・・二十八」

「やはり知ってたのか!」

と突然周りの人間が取り押さえ、「東四六条の二十八号である」と自供したことになるというのだ。実にグロテスクな茶番劇。


 康生は、こうした尋問に長けていたそうである。「かもしれない」、「類推する」といった用語をつなぎ合わせ、仮定に仮定を掛け合わせれば、どのような状況もでっち上げることができる。 たしか宋代の岳飛も、秦檜に「莫須有」(謀反の可能性があったかもしれない)だけで謀反の罪が確定されてしまったのだが、思わずそれを想起した。

 江青には、1934年に国民党政府に逮捕され、「これまで共産党に参加したことはなく、これからも決して参加しない」という声明を出して、はじめて保釈された。 江青は自分の触れられたくない過去を知っている30年代の同棲相手であった鄭君里を捕らえ死に追いやった。まさに死人に口なしである。

 孫維世(周恩来の養女)も殺した。これは『毛沢東最後の女』の書評(04年2月の「書評」)の中で少し紹介してある。

ロシア語通訳として毛沢東専用列車に同席していた孫を毛沢東が乱暴した。
養父周も泣き寝入りせざるを得なかった。しかし江青は毛でなく孫の方を逆恨みし、文革で権力を握った後あらゆる酷刑を与えて虐殺したとあり、いくら何でもそこまで・・・と思ったが、事実だったようである。

 もっとも本書ではそうした男女関係ではなく、孫が江青と同じ反日劇に出演したのだが、孫の方が人気を博してしまい恨みをかったとか、孫に演技上のアドバイスをしてやるから会いに来いと言ったのに孫が行かなかったとか、養父である周恩来や兄の孫央(彼は打倒の対象である朱徳の秘書だった)に対する敵意などが迫害の理由として挙げられている。

 その他にも、『賽金花』という芝居の主役をさらわれた王瑩という俳優を意趣返しで逮捕し、王瑩は恨みをのんでこの世を去った。

 他にもセーターを受け取らなかったためスター女優の趙燕侠は大部屋入りとなり、白叔湘という女優は、ドーランの使い方で江青と意見が違ったため、「反革命の現行犯」という汚名をきせられるなど、実にくだらない理由で多くの人が手ひどい復讐を受けている。

 根っからの「武闘派」である毛は、1927年に「革命は暴動である」と宣言したが、自らの奪権闘争でもある文革において原点回帰をした。文革が血腥い臭いに包まれたのは毛のこの言葉と決して無縁ではない。 王洪文は「文攻武衛」というスローガンを打ち出した。文革で攻め取ったものを武力で防衛するということだ。「暴力」がますます加速する。

 これも文革におけるグロテスクなユーモアの一つと思うが、頭上開花、面部掛彩といった言葉がある。中国人はなぜこのような巧みなネーミングをするのだろうか。煎じ詰めれば、脳天が砕ける、顔面が血に染まるという、反対派へのリンチの名称なのだが。

 中巻でも触れたが、奪権が失敗し逃亡を決めた林彪と葉群は時間稼ぎのため江青を利用した。9・13事件の前日、林彪はわざわざ西瓜を江青に届けさせている。 江青は、周囲に、林彪副主席から手土産をもらえるほど親密であることを自慢したが、事件が明らかになるや、これまで私は林彪から迫害を受けていたと鉄面皮にも言い募ったとのことである。

 江青は自らを呂后にも則天武后にもなぞらえた。

 江青ワンピース、太后靴というものがあるそうだ。「黄袍」は皇帝しか着用を許されない。江青はそれを意識していたのだろう。また、68年9月に呂后の所持品と目される玉璽が出土した。江青は目の色を変え、急いで北京に取り寄せたとのことである。それがあれば、女帝に即位できると考えたのであろうか。

 毛は「江青は野心を抱いている」とか「私が死んだら江青は騒ぎを起こすだろう」と語っていたそうだ。 その予言のとおり、76年9月8日には、周りの制止を無視して、江青は重態の毛の身体を動かして、病状の悪化を招いた。遺言状の所在を探ったようだ。自分の名前が出ていれば大々的に騒ぎ立てただろうし、もし都合の悪い内容であれば握りつぶそうとしたのであろう。

 翌9日の午前0時10分に毛沢東は死去した。時間の問題であったのだろうが、タイミング的には江青が殺したようなものであり、しかも、死の直後に張玉鳳(「毛沢東最後の女」とも呼ばれる、毛の秘書)に毛に関連する文書を提出するよう強要した。意図は同じであろう。

江青は、「党主席に就任したくてうずうずしており」、周囲の者に「このリンゴは、私が女帝に即位した時のお祝い用に取っておきましょう」というような発言をしたそうだ。

 しかしながら、毛から後事を託された華国峰は、葉剣英ら古参幹部と図って76年10月5日に四人組逮捕を決定し、翌6日には一網打尽にした。 ところで、華国峰は四人組逮捕に関しては果断であったが、それ以外の点では結局ケ小平の敵ではなかったようだ。

 華は自分の権力を守るために「二つのすべて」という手法を取った。これは過去の毛主席の決定、指示をすべて厳守するというもので、その解釈権を握ることで自らの権力を維持しようとするものだが、これでは林彪の毛個人崇拝と変わらないのである。 76年6月に華は、毛に報告したいことがあったが、身の周りの世話をしている張玉鳳が起きてくれず、2時間あまり待ったが、結局そのまま退出したというエピソードがあるそうだが、実に象徴的だ。いわゆる「押しが弱い」タイプだったのだろうか。

 本書には、権力が世襲されなかった点以外は毛は「皇帝」そのものだったと書かれている。嫡男というか「皇太子」がいれば、世襲されていたかもしれないと私は思うのだが。

http://homepage3.nifty.com/alacarte/hitokoto-05-03.htm


 『周恩来』の養女『孫維世(1922〜1968)』


文化大革命時代には、女優としての名声の高さと毛沢東との男女関係から江青の嫉妬を買い、迫害を受けた。

孫維世は養父である周恩来が署名した逮捕状を以って、北京公安局の留置場に送られ、1968年10月4日に獄中で死亡した。

遺体は一対の手枷と足枷のみ身に付けた全裸の状態であった。

江青は刑事犯たちに孫維世の衣服を剥ぎ取らせて輪姦させ、輪姦に参加した受刑者は減刑を受けたと言う。

また、遺体の頭頂部には一本の長い釘が打ち込まれていたのが見つかった。

これらの状況から検死を要求した周恩来に対し、「遺体はすぐに火葬する」という回答のみがなされた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E7%B6%AD%E4%B8%96

 『孫維世』は1946年当時『延安四大美女』の一人とも言われる『女優』であり、人気も格別なものであったと言う事なのです。 女優としての略歴もしっかりした物であった事から1935年以来『周恩来』の信頼も受け、16歳で中国共産党に入党していた事から彼の養女ともなった様なのである。 美人な上に幹部の信頼も厚かったことから、『毛沢東』の1949年の『訪ソ』の際には『毛沢東』の通訳を務めたと言うことである。

 彼女を知る人の話では、『彼女の美しさは尋常の物ではなかった』らしく、彼女にプロポーズした幹部は『林彪』を始め多くいたそうである。 『毛沢東』もこの『訪ソ』の際、彼女と関係を持ったのではないかといわれているそうである。

 『江青』にすれば、総ての恨みが迸り出たのかも知れない、1968年『江青』は『周恩来』の署名の入った逮捕状をもって、彼女の元へ乗り込み彼女を逮捕したと言うのです。

 『孫維世』は10月4日死亡したとされていると言うのですが、その時の彼女の死体は全裸の状態であったというのです。 『江青』はその時、刑務所の刑事犯に彼女の衣服を剥ぎ取らせ『輪姦』をさせたと言うのです。 『輪姦』に参加した刑事犯を減刑する措置もとったという事なのです。
 
http://shuho-terakoya.blog.so-net.ne.jp/2010-11-24

 江青は孫維世(周恩来の養女)も殺した。

ロシア語通訳として毛沢東専用列車に同席していた孫を毛沢東が乱暴した。養父周も泣き寝入りせざるを得なかった。しかし江青は毛でなく孫の方を逆恨みし、文革で権力を握った後あらゆる酷刑を与えて虐殺したとあり、いくら何でもそこまで・・・と思ったが、事実だったようである。

http://homepage3.nifty.com/alacarte/hitokoto-05-03.htm


1949年、ソ連に向かう中共代表団付きのロシア語通訳が、周恩来の養女である彼女であった。

 毛沢東は「自分専用の書斎兼寝室の車両で美しい孫維世からロシア語を教わ」る毎日であったが、

「ある晩のこと〜『主席』はしっかりと握った手を放そうとしなかった。

〜次の日の朝、目覚めた孫維世はここがどこで、何がおこったのかをようやく理解した。

『偉大な人物』は大きな鼾をかいて寝ていた」。


「娘のことで周恩来はひどく心が痛んだが、慰め、我慢し、泣き寝入りするしかなかった」。


 よくドラマで夫の浮気現場に踏み込んだ妻が、夫ではなく愛人に対して「この泥棒猫!」なんて言ってつかみかかるシーンがあるが、江青も、毛ではなく、彼女を深く憎悪した。

 文革で権力を握った江青は存分に恨みをはらした。

「北京のある監獄に一人で監禁された彼女は、あらゆる酷刑をうけた。
〜素っ裸にされた彼女の身体は傷だらけで、一糸まとわぬ姿のままこの世を去った」。

 何か、呂后や西太后の凶行を連想させる。
http://homepage3.nifty.com/alacarte/hitokoto-04-02.htm

2. 中川隆[-13600] koaQ7Jey 2018年9月17日 14:23:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18604] 報告

◇【日本マスコミの特定秘密】中国役人による性奴隷・殺人事件

 2011年に、自宅アパートの地下室から掘った牢獄(dungeon)に誘拐した女性6人を性奴隷(sex slaves)として監禁、うち2人を殺害した高級役人の死刑が執行された模様。
 当時、当局が隠ぺいを図ったが隠しきれなく、マスコミが報道しない日本を除く全世界が注目。中国当局は何とか矮小化して報道していました。


■「性奴隷」6人監禁男の死刑を執行、中国 AFP BBNEWS 2014年01月22日 11:34 発信地:北京/中国

http://www.afpbb.com/articles/-/3006982?pid=0


【1月22日 AFP】中国当局は21日、女性6人を長期間にわたって監禁し、うち2人を殺害したとして死刑判決を受けていた李浩(Li Hao)死刑囚(36)の死刑を執行した。同国中部、河南(Henan)省洛陽(Luoyang)の中級人民法院(地裁)の関係者がAFPの取材に対し、21日に死刑が執行されたことを認めたほか、国内メディアも報じている。


 国営新華社(Xinhua)通信によると李元死刑囚は2009年、自身が所有する住宅の地下室に「地下牢」を作り、そこに女性6人をおよそ2か月から1年9か月にわたって監禁して繰り返し強姦した。

 李元死刑囚は女性たちにわいせつな行為をさせてインターネットで公開する動画を撮影したり、女性たちに売春を強要したりもした。女性の1人が逃げ出して警察に通報したことから事件が発覚。李元死刑囚は2011年9月に逮捕され、「殺人と強姦、不法監禁、組織売春、営利目的のわいせつ物製作」の罪で死刑判決を受けた。

■女性3人に別の女性2人の殺害を命じる


 また、李元死刑囚は妻に夜間に警備員として働いていると嘘をつき、月の半分はこの部屋で寝泊まりしていたという。


 女性たちが監禁されていた部屋につながる廊下などには、逃げ出すことができないよう鉄のドアが7つも取り付けられていた。


 中国共産党の機関紙・人民日報(People's Daily)の電子版によると、女性たちの年齢は16〜23歳で、5人は売春婦だった。客を装った李元死刑囚にだまされ、地下牢に連れて来られたという。20歳の時に監禁された女性1人は妊娠した。


 李元死刑囚はさらに、女性たちのうち3人に別の女性2人の殺害を命じていた。1人は首を絞められ、もう1人は繰り返し殴られて死亡したとされる。2人の殺害に加担した女は、救出後に懲役3年の有罪判決が下され、残る2人は保護観察処分を受けた。(c)AFP

-----

これだけじゃよく解らないので記事引っ張りだして補足入れます。


◇女性6人を拉致、監禁、調教、性奴隷、殺害

 事件は2011年9月3日、男が監禁していた女性の一人、小春(当時23歳)を売春させる為に外へ連れ出した所、小春が隙をみて逃走して警察に通報、事が発覚。
 供述から監禁されている場所(自宅のあるアパートの地下室から更に自分で掘った地下牢)を突き止め、16歳の少女含む女性3人を救出、更に女性2人の遺体を発見した。

▲Four sex slaves detained in probe (China Daily) Updated: 2011-09-24 08:20
http://www.chinadaily.com.cn/china/2011-09/24/content_13784353.htm


 以下、報道記事から一部抜粋。


---抜粋はじめ---

 その民家に地下室があるとは外から全く分からない。地下室へはまず地上に空いた直径わずか60センチほどの竪穴から地下4メートルの深さまで降りる。降りると左に一人が腹ばいになってようやく通れるほどの横穴があり、這って進む先は2つの小部屋に分かれていた。そして20平米ほどの小部屋の中に3人の女性がいた。人の気配に、女性らは「お兄ちゃん!帰って来たの!」と叫んだ。しかし入ってきたのが警察官だと分かると大声で泣き出した。女性らは監禁した男を”お兄ちゃん”とか”旦那”と呼んでいた。


  監禁されていた女性たちは元はKTVの小姐(ホステス)で、来店した男に指名されついてきたら地下室に閉じ込められてしまったのだ。長い者は2年、短くても3ヶ月間、地下の穴倉に閉じ込められたままだった。女性たちが逃げ出す力をつけないために、食事は2日に1回だけだった。

  しかし捜査員が驚いたのは、女性たちが男に心身共に絶対服従していたことだ。密室の中に閉じ込められて男に調教されたため女性たちはお互いをライバル視し、毎晩誰が”お兄ちゃん”と寝るか争っていたという。

  1年ほど前のある日、2人の女性が男を巡り嫉妬しあい殴り合いの喧嘩となった。男は片方に加担して相手を殴り殺させた。その後、見せしめとして一方も殴り殺してしまった。そして地下室の片隅に穴を掘り遺体を埋めてしまった。

  男は経済的に苦しくなると監禁女性の中から大人しい女性を選んで外に出し売春させて稼がせていた。今月初めに、23歳の女性が売春させられるために外に連れ出された。女性は男の隙をみて逃げ出し、警察に駆け込んで事件が発覚した。女性が逃亡したのに気づいて男も逃げ出そうとしたが、洛陽を出る前に捕えられた。

  男は34歳の消防士、李浩で10歳年下の妻と子供も一人いる。地下室のある民家は自宅ではなく4年ほど前に安く手に入れた。そこに自分で穴を掘り地下室を作った。夫が奴隷部屋を持っていることなど妻はまったく知らなかったという。妻には夜勤と称してほとんど毎晩KTVに遊びに行っていた。また監禁女性と奴隷部屋で過ごす日は、妻には大きな屋敷の警備のアルバイトがあるから帰れないと伝え、半月も帰らないこともあったと言う。

---抜粋ここまで---

 引用元は↓こちら


http://www2.explore.ne.jp/news/articles/17593.html?r=bj
河南省・地下の奴隷部屋に女性監禁・・4人救出し2遺体発見:エクスプロアWhat's New in 北京 via kwout

 2011年当時、警察発表によるこの男の身分が二転三転しました。最終的に元消防士、河南省洛陽技術監督局執法大隊に勤務で落ち着きました。


http://www2.explore.ne.jp/news/articles/17601.html?r=sh
洛陽奴隷部屋監禁事件続報〜公安局長の謝罪会見と犯行の動機:エクスプロアWhat's New in 上海 via kwout

> 公安局長は「今一度警察を信じてください」と異例のコメントを出している。取材した記者が「国家機密に触れた」と脅されたり、犯人の男が一度は公務員と報道されたり不可解なことが多い。


 この「国家機密に触れた」と脅された記者は「南方報業伝媒集団」(中国国有メディア企業、広東省)の「南方都市報」所属のJi Xuguang記者で有り、身の危険をネットで訴え続けていました。同時に、中国国民による「人肉捜査」(人物特定)により、李浩(イ、ハオ)死刑囚が高級役人である情報が出回っていました。
 まあ、当局による圧力があった事は容易に分かります。

 英紙デイリーメールも当時から報じています。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-2041051/In-dungeon-Pictures-underground-rooms-sex-slaves-held-TWO-years-raped-kidnapped-karaoke-bars.html
In the dungeon: Pictures of underground rooms where sex slaves were held for TWO years and raped after being kidnapped from karaoke bars | Mail Online via kwout

 上記デイリーメール紙から付け加えます。

http://i.dailymail.co.uk/i/pix/2011/09/24/article-2041051-0E0CA91200000578-430_966x682.jpg


 自身が住んでいるアパートの地下室へ降りる階段に鉄格子の扉を取り付け、その地下室から女性を監禁していた地下牢に降りれる構造。地下牢には、娯楽としてパソコンが置いてあり、ネット接続は出来ないが、ゲームやDVDが供給されていたという。

 また、供述では監禁した女性との性行為の動画を販売して数千元の収入を得ていたとの事。そのほかに女性を外に連れ出し売春させていたという。

 裁判は2回上告、北京の最高人民法院にて死刑確定しています。男の身分に関して真相を闇に葬った形かと。

 因みに、CNNでも報道されていましたから、米国内でもよく知られている事件です。
http://ameblo.jp/19kodo/entry-11758128816.html

3. 中川隆[-13445] koaQ7Jey 2018年11月06日 00:21:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20056] 報告
不都合なことは「知ろうとしない」日本人たち!
https://85280384.at.webry.info/201811/article_43.html

 中国人(漢族)がチベットやウイグルでどんなひどい残虐行為を繰り返しているか日本人は知ろうとしない。

 中国は様々な文化事業などを通じて、表面上は微笑みを絶やさず日本人を信用させ、長年かけて「洗脳」してきた。 陰で反米活動を扇動しながら、日本中に”親中国”日本人を誕生させた。

 中国シンパは、日本の中で対立をあおり、混乱を増幅させようとする。が、中国の尖閣への挑発や南シナ海の独占化、チベットやウイグルへの残虐行為、さらには中国国内の民主化活動をことごとく弾圧する中国共産党に対しては、「気が付かないふり」をする。

 驚くべきことだが、そこまで「洗脳」が浸透しているのである。

 以下はフェイスブックに掲載された投稿ルポである。

 人間の尊厳を「これでもか」といたぶり続ける中国共産党。領土を占領し、チベットからレアメタルなど資源を奪い去る中国共産党の残酷非道ぶり。余りの生々しさに目を覆いたくなる。

***********************************

 チベットでは女性は尼僧であっても繰り返し強姦され、特に尊敬されている僧は狙い打ち。尼僧との性交を強いられたり、売春婦をつれてきて僧に性交を強要。

 僧が拒否すると腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑されたという。神を畏れぬ獣と化した中国兵。

 大勢のチベット人が手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれた。熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺された。

 性暴力はひどいもので、尼僧でインドに亡命したケンサン・ペモさんは以下のように話した。

 捕まった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられた。顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ裸にされた。その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていた。大勢の見るなか、警官の一人が頭を、もう一人がお尻を棒で殴り続けた。

 やがて、あまりの痛さに恥ずかしさも忘れ、私は床に転げ回り、ついに気絶した。気が付くと水をかけられてびしょ濡れになった。

 再び拷問が始まった。電気棒を口や肛門、女性の性器に押し込んできた。私は悲鳴を上げて再び気絶した。 電気棒は家畜に用いる電気ショック棒で、1980年代から使われ。

 中国共産党の民族浄化作戦で、女性が子供を産めないようにするのが目的だ。

28年間獄中で過ごしたアマ・アデ女史
 私が逮捕されたのは26歳の時。300人ほどの女性が一緒に連行されましたが、その中から私を含めて4人が豚の世話をし、看守の服を洗濯する役を言いつけられた。

 しかし、実際には中国人看取の性欲処理係だった。私たちは舌を噛んで死ぬことまで考えた。でも残された年老いた両親のことを思い思い留まった。

 豚の世話係という立場上、盗んだ豚の餌を独房にいる活仏や高僧のところにこっそり持っていくことが出来た。私たちの行為がなかったら、彼らは一カ月と生きられなかった。

 中国はこれらを「亡命者の証言は虚偽」と主張していますが、複数の証言を符合させれば事実というのがわかるでしょうし、歴史的に見て中国人の手口です。

 日本のメディアはケンサン・ペモさんの証言の性的暴力のところは隠蔽して報道しました。朝日新聞と岩波書店の月刊誌「世界」です。このチベットの事実を女性の人権問題として声を上げようとすると妨害されるそうです。ニセ人権主義者が日本に大勢潜んでいるということでしょう。

4. 中川隆[-13445] koaQ7Jey 2018年11月06日 08:31:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20065] 報告

生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

中国の監禁施設で生きた法輪功学習者を対象に臓器摘出・売買をしているという2006年に告発された事件に関して、最近、目撃者の新たな証言が、国際的な人権擁護組織である「法輪功迫害追跡調査国際組織」(WOIPFG、米国本部)から発表された。

 証言は、同組織の調査員が中国遼寧省の元警察(匿名)を取材して得たもの。遼寧省公安庁に勤めていた2002年に、瀋陽市軍部病院で一人の女性法輪功学習者から生きたままで臓器を摘出したのを目撃したという内容である。証人の同意に基づき、同組織は最近、30分ほどの取材録音の一部を公開した。

証言によると、2002年、証人は遼寧省警察に務めており、法輪功学習者を捕まえ、拷問するなどの特別行為に関わっていた。ある30代の女性法輪功学習者は、一週間ほど凄まじい拷問を受け、そして無理やり食べ物を注ぎ入まれたりして、体が傷だらけになっていたという。

 同年4月9日、遼寧省警察庁のある部門から2人の軍医が派遣された。1人は中国解放軍瀋陽軍区総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医だった。警察庁はこの法輪功学習者をある場所(※1)に移し、二人は、この学習者が意識を完全に保っている状態で、麻酔を一切かけずに、彼女の心臓、腎臓などの臓器を摘出した。

 証人は当時、銃を手にして警備に当たっていたため、臓器狩りの全過程を目撃したという。

 証人の証言によると、彼が遼寧省錦州市警察局に勤めていた際、錦州市警察局長の王立軍は法輪功学習者を「殺し尽くさなければならない」と命令したという。証人はかつて何度も、法輪功学習者の拉致、凄まじい拷問に関わっていたと認めた。

 遼寧省は、法輪功学習者に対する迫害が最も深刻な地区の一つであり、法輪功情報サイト・明慧ネットが明らかにした情報だけでも、迫害を受けて死亡した法輪功学習者は406名に上っている。王立軍は現在、重慶市警察局長を務めており、当時遼寧省省長で、現在重慶市党書記の薄煕来の下で、マフィア組織取り締まりという名目で、法輪功学習者への迫害を強めている。(※2) 

 カナダの国際人権派弁護士デビッド・マタス氏とカナダ外務省前アジア大平洋州局長デビッド・キルガー氏は、法輪功学習者が「臓器狩り」の対象になっているとの告発を受け、2006年から独立調査を行い、調査報告書を発表している。同報告書によると、中国国内における2001年から2005年までの臓器移植件数のうち、4万1千5百件の臓器の出所が不明としている。2000年以降、中国では臓器移植件数が急激に伸びているが、これは法輪功学習者への弾圧が始まった時期とほぼ一致しているという。同報告書は、監禁された法輪功学習者たちの証言から、彼らが臓器売買の犠牲になっていることを主張している。

 法輪功とは、佛家と道家の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功で、「真・善・忍」という宇宙の特性に基づいて心性を修め、人間の身体を健康にするとともに根本から改善、向上させる修煉を行う功法であるといわれている。1992年より中国で公開され、その教えによる内面の向上や病気治療に顕著な効果があり、口伝えに急速に広まったことで、中国をはじめ全世界で1億人以上に学習者が増え、現在も増え続けている。日本では2004年、日本法輪大法学会が東京都においてNPO法人格を取得している。

 法輪功の人気と、その修煉者の数が激増していることに中国共産党が恐れ、1999年7月22日に中国共産党が法輪功およびその学習者に対して弾圧を始めた。2009年12月現在で中国共産党の迫害により死亡した人数が、正式的に確認され、裏付けが取れたものだけでも3336人いるという。

(※1) 臓器摘出を行った場所について、最初の証言では、証人は自分の身元が明らかになることを避けるために、言及しなかった。2回目の証言で、瀋陽軍区医院15階にある手術室内であったと明言した。実地調査の結果、瀋陽軍区総医院ビルの15階から17階が外科であることが判明した。

(※2)北京大学法学院刑法研究所の研究員、国際法医顔面鑑定協会の副主席を兼任しており、発表した論文も法医顔面鑑定分野のものである。しかし、該当する学歴がなかった。中国側が公開している王立軍の履歴には法医の経歴は全くなく、中国初の『麻酔後の臓器移植についての試験研究』など、臓器移植と関係を持った記述がある。

以下は今回発表された証言の取材録音の一部分

証人:手術ナイフで、彼女の胸のところを切り開いたらすぐ、血が噴き出してしまい、血が噴き出したのであって…

調査員:男性でしたか、それとも女性でしたか。

証人:女性、女性でした。

調査員:若い女性ですか。

証人:30代だったでしょう。


調査員:胸が切り開かれた時にも、彼女はなお「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいたのですか。

証人:叫んでいました。

調査員:彼女は当時どのように叫んでいたのですか。

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。

調査員:胸が切り開かれた時に、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだのですか。

証人:突然凄まじい声で、「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。彼女は大体、次のようなことを言いました。あなた達はわたし1人を殺すことができても、信仰のためにあなた達の迫害を受けている何億の人々をみな殺すことができますか?、と。この言葉を聞いて、その軍医は一瞬、躊躇し、目を私と私の上司の方にちらりと向けました。私の上司が頷いたので、彼は続けて血管を…まずは心臓、それから腎臓を摘出し出しました。心臓の血管を切断した際に、彼女は痙攣しはじめました。非常に恐かったです。うまくいかないと思いますが、彼女の声をちょっと真似てみます。それは引き裂かれたようもので、アー、アーと口をずっと大きく開いて、目も大きく見開いていました。まあ、私はこのような光景を語りたくありませんが…

 …

証人:当時、彼女は教員でした。先生、中学校の先生でした。彼女の息子は約12歳でした。彼女の旦那さんは、権力のない人で一般の労働者のようです。それまで、彼女が受けてきた侮辱のほうが、より酷かったと思います。

 われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。彼女は美人の方なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

調査員:この事は、あなたが勤務していた警察局で目撃したのですか。

証人:いや、当時は警察局内ではなく、私たちはある教育センターでやりました。それはあるホテルの裏にあり、10数の部屋を賃貸して使っていました。つまり、一軒の別荘の上の方でやったのです。

調査員:そこは、闇の監獄というようなところでしたね。

証人:まあ、そんなものでした。

調査員:そこに監禁されたのは、法輪功学習者だけでしたか。

証人:そうです。

調査員:つまり、判決を言い渡されない前からそこに入れられたというわけですね。

証人:いずれにしても、われわれは随時に場所を移動することができました。

 …

調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。

(翻訳編集・小林)
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

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