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創価学会 池田大作と暴力団
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投稿者 新・ジャーナリズム 日時 2021 年 2 月 26 日 01:04:04: dyYA8MTtuUD4Y kFaBRYNXg4OBW4Npg4qDWYOA
 


○池田大作と暴力団… <=3>…西岡研介他……2012(H/24)/8─宝島社

オウム真理教事件が起こリ,宗教法人法の改正で国会が揺れた1990年代半ば──
永田町であるテープの存在が囁かれた。
山口組の直参、後藤組の後藤忠政組長(2008年引退)と、
池田大作名誉会長の腹心≠ニして学会の裹仕事を担ってきた藤井直雄・都議会公明党
顧問(当時は都議)の密会テープである
このテープが永田町に流出。藤井顧問は後藤組長に対し、当時、自民党の組織広報本部
長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井静香議員の口封じなどを依頼したという。
果たしてその真相は?本書では盗聴実行犯≠ニ初めて接触し、生々しい証言の獲得に成功。
「パンドラの箱」からは、驚くべき事実が飛び出してきた!

◆後藤―藤井会談はこうして盗聴≠ウれた
 話を冒頭の後藤─藤井会談に戻そう。
先述の通り、後藤はいきなり、藤井をこう問い詰めたという。
「なんでウチを飛ばして、中野の会長を通じて、五代目の親分に話を持ってったんだ?」
 果たして藤井は中野会長を通じ、渡辺組長に一体、どんな依頼をしたというのか……。
 これについては後に明らかにするが、「あんたんちのために、ウチの若いも
んが一体、何人捕まったと思つてんだ?」と後藤からさらに責められた藤井は、その後も苦しい
言い訳に終始したという。当然のことながら後藤は簡単には納得せず、同じようなやりとりが
二度、三度と繰り返されたが、最後は後藤も矛を収め、会談は45〜50分ほ
どで終わったという。
ところが、この会談の模様は何者かによって密かに撮影され、数ヵ月後にはその内容≠ェ永
田町に流出。さらにはこの後藤と藤井との「密会ビデオ」の存在はその後、何度かメディアでも
報じられたため、ご記憶の読者もおられるだろう。
 この「密会ビデオ」についても後に詳しく述べるが、実は後藤─藤井会談は、ビデオで撮影さ
れただけでなく、録音、つまりは盗聴されていたのである。
 後藤─藤井会談から17年……。私はようやく、それを実際に盗聴した人物を特定した。さらに
その人物の所在を割り出し、接触を試みたところ、「匿名ならば……」と取材に応じてくれること
になつたのだ。
 この人物を仮にA氏としておこう。
49年、九州出身のA氏は現在、62歳。大学卒業後、不動産業や福祉関係の仕事に就き、今もさま
ざまな事業を展開する実業家だ。待ち合わせ場所となったJR博多駅に近いホテルに現れたA氏は、
極めて物腰の柔らかい紳士で、私も実際に話を聞くまでは、彼が後藤
─藤井会談盗聴の実行犯≠セとは正直、信じられなかったほどだ。
 A氏は「よく (後藤─藤井井会談を盗聴したのが)私だと分かりましたね」と苦笑いしながらも
席に着き、彼が会談を盗聴するに至った経緯、さらにはその様子や内容を、記憶を辿りりながら
話してくれた。八氏が語る。
「そもそも、なぜ私にそんな(盗聴の)技術があるのかつて思われたでしよう?実は私は高校時代
から全共闘運動にのめり込み、大学に入ってからは『中核派』に入つたんです。それから?28歳
になるまで(中核派の)活動家として生きてきたんですが、その間ずつと、
『革マル派』や『革労協』など、(中核派と)対立するセクトの動向を調べる
『調査部隊』に所属し、そこで盗聴や尾行の技術を身につけたんです。
 盗聴,尾行のお株は今ではすつかり革マル派に奪われちやったけど(笑)、当時は技術的に中核派
のほうが上だったんですよ。
 28歳で運動から足を洗い、アパレル関連の会社を経て、不動産を仲介する会社に就職したんです
が、そこでさまざまな物件を手掛けるうちに、『大中圭四郎』という人物と知り合うんです」
 大中は5年、福岡県朝倉郡生まれの63歳。九州大学理工学部を卒業後、日本電気(NEC)に勤務した
が、高校時代の同級生に誘われ、旧田中派の重鎮、二階堂進・元自民党副総裁の秘書に就いた。
 そして二階堂の人脈を利用し、九州の最大企業「九州電力」に食い込み、「玄海原発」建設の際に
は、周辺漁協の買収工作に暗躍したという。
 しかし、2000年には建設関係のトラブルから、何者かに刃物で切りつけられ負傷。また九電最大
のグループ企業である「九電工」の現地法人社員が、自社製品を採用してもらおうと、フイリピン
国家捜査局の長官らに高額のゴルフ用品を贈ったとされ、全国で
初めて外国公務員への利益供与(不正競争防止法違反)で立件された事件(07年)にも関与していたと
いう。さらには乱脈経営や使途不明金事件で揺れた地元の学校法人「福原学園」にも関係してい
た、いわくつきの人物だ。A氏が続ける。
「大中さんと本格的に付き合うようになったのは、私が不動産業者として独立した38歳ぐらいのこ
ろでした。私が盗聴≠ニいう特殊な技術を持つていることを知った大中さんは、それを利用し始
めたのです。
以降、大中さんの依頼で約15年にわたって、九経連(九州経済連合会)の会長や専務理事、大物政
治家の秘書や学校法人の理事長ら財界、政界関係者の電話などの盗聴を行ないました。
私も不動産関係の仕事で、大中さんには散々、儲けさせてもらったので、彼からの依頼を断わっ
たことはありませんでした。それらの盗聴で得た情報を大中さんが何に、どう使ったのかについて
は私のあずかり知らぬところですが、彼のやり方は决して、盗聴した相手に、いきなりテープを聞
かせて脅す─などという荒っぽいものではありません。
 テープをいつたん文字に落として加工したメモや、テープをもとに書かせた
情報紙の記事などを相手に見せ、『こんなものが出回つてるんですが……』と驚かせ、『私が何
とかしますから』と言つて自分の要求を呑ませる─という手法でした。つまりはマッチポンプで
すね(笑)。
 後藤─藤井会談の盗聴も、大中さんからの指示でした。確か、指示を受けてから実行するまでほ
んの数日しかなかったと記憶しています」

◆盗聴現場は東京・神谷町のオフィスビル
 そして大中の指示を受けてA氏が向かった先が、冒頭で記したホテルオークラにほど近い、白い
レンガ造りのオフィスビルの2階だつた。
「後藤─藤井会談の盗聴の依頼者は、この事務所の主だったBさんでした。Bさんは当時、政官財
だけでなく、ヤクザや右翼に幅広い人脈を持ち、大型経済事件では必ずといっていいほど、その
名前が取り沙汰されるフィクサーとして知られていました。
 大中さんとも昵懇の間柄で、私も以前、大中さんの紹介で面識があつたので、Bさんから依頼さ
れた仕事≠ネら私の存在が明らかになることもないだろうと安心して引き受けたんです。
 大中さんの事務所は当時、神谷町(虎ノ門)にあったのですが、Bさんの事務所はそこから徒歩数
分のところにありました。事務所に着くと、Bさんから『明日、ここである会談があるので、その
会話を録音して欲しい』と頼まれたんです」
 そして决行日当日─。会談が行なわれる2時間前にB氏の事務所に入つたA氏は早速、盗聴の準
備に取り掛かつたという。
「本来ならば、こういうケースは電話用の盗聴器を仕込み、有線で行なうのが確実なんですが、盗
聴器から録音機までのびるコードをきれいに隠すには、それなりの技術と時間が必要なんです。
 けれども、あの時は依頼が急だったため、またBさんからは『助手を使うな』と言われていたの
で、有線を使つての盗聴は諦め、盗聴発信機を仕掛け、無線で飛ばすことにしたんです。
 そのころには、すでに大企業などでは盗聴に対する警戒心が強まつており、クリー二ングを行な
う会社も出始めていたことから、できれば(発見される)リスクの高い無線は使いたくなかったんで
すが、(有線での盗聴を)準備する時間がなかったため、致し方ありませんでした。
 Bさんの事務所は玄関を入ると、左手前が『事務室』、奥が『応接室』、右手前が『会議室』、奥が
『社長室』という構造でした。会談は右手奥の社長室で行なわれることになつていました。社長室に
は、Bさんのデスクの前に、革張りのソファーが二つ、テーブルをはさ挟んで置かれていたのです
が、入口から奥のほうのソファーに、藤井さんを座らせる手はずになつていました。
そこで私は藤井さんが座る側のソファーの座席の真下と、背もたれの裏の二ヵ所に発信機を仕掛け、
社長室の隣の会議室に、受信機と録音機を設置。
 社長室から電波を飛ばし、それを隣の会議室に置いた受信機でキャッチし、録音することにした
のです。
念のため発信機は100メートルくらい電波を飛ばせるものを使ったのですが、Bさんの事務所の近
くにはアメリカ大使館もあったので、アメ大は間違いなく傍受していたでしようね。
 会談が始まる1時間前には盗聴の備が終わり、約束の時間の汾分前に後藤さんがやつてきて、B
さんから『今日、録音してもらうAさんだ』と紹介されました。後藤さんは丁シャツに薄手のジャン
パ—姿でした。
 後藤さんに挨拶した後、私は会議室に入ってスタンバイし、Bさんと後藤
さんは社長室で雑談しながら藤井さんの到着を待っていました。社長室の中から会議室に入る扉は
締め切り、廊下から会議室に入る扉にも鍵をかけて、会議室には誰も入れないようにしました。
しばらくすると、事務所の入口が開き、誰かが廊下を歩く音が聞こえたので、録音機を回し始めた
のです。
 藤井さんでした。『やあ、やあ』と言いながら社長室に入り、Bさんや後藤さんと雑談していたの
ですが、しばらく経ってからBさんが席を外し、後藤─藤井会談が始まつたのです」

◆山口組五代目に何を依頼したのか?
 では、肝心の会談の内容は一体、どのようなものだったのか。入氏が記憶を辿る。
「二人の会話を一言一句覚えているわけではありませんが、いくつかのセリフは記憶しています。
Bさんが社長室を出た後、後藤さんと藤井さんとの間には、しばらく沈黙があつたのですが、最初
に口を開いたのは後藤さんでした。
後藤さんはいきなり、藤井さんをこう問い詰めたのです。
『なんでウチを飛ばして、中野の会長を通じて、五代目の親分に話を持ってつたんだ?』
 おそらく藤井さんが、後藤さんの頭越しに、中野会を通じて山口組の五代目組長に何かお願い事
をしたんでしょう。それに後藤さんは腹を立てている様子でした」
 では、藤井は中野会を通じ、渡辺組長にどんな「お願い事」をしたのか。
旧後藤組関係者が明かす。
「学会はそれまで散々、後藤の親分に頼み事をしていたにもかかわらず、用済みとなったら、(後藤
組との関係を)切りにかかってきた。けれども、学会のほうから一方的に手を切れば、10年前の事件
の二の舞になると考えたんだろう」
旧後藤組関係者の言う「10年前の事件」とは、先にも述べた富士宮市での反対運動や百条委員会
潰しで、学会が後藤組を利用した挙句、その後知らぬふりを决め込んだため85年、創価学会文化会
館が後藤組系幹部らによつて銃された事件のことだ。関係者が続ける。「そこで学会は、山口組の
トップである五代目の親分に後藤組を抑え込んでもらおうと、藤井が中野会を通じて山口組の本家
に、『後藤を何とかしてください』と泣きついたわけだ。それ相応の手土産≠持って、な。
 その後、五代目から後藤の親分はこう言われたそうだ。『なあ、後藤よ。(創価)学会はもういいに
しょうよ』つて。つまりは『これ以上、学会には触るな』ということだ。
 だが、こんな大それたことを藤井が、自分の一存で决められるはずがなく、その裏には当然、池田
大作の指示があったはずだ。この池田の汚いやり口は後藤の親分も腸が煮えくり返っていたそうだ」
 ヤクザを散々、利用しておいて用済みとなれば切り捨てる─どうやらこれは池田大作=創価学会
の抜き難い体質≠フようだ。このような経緯があったからか、後藤自身も前揭の著書『憚りなが
ら』の中で、池田を名指しでこう罵倒している。
〈一番の悪はやっぱり裏で、山崎だの、Xだのに汚れ仕事≠ウせといて、表では善意で満ち溢れ
た教祖サマ面してる、池田大作だろうな〉
 再びA氏の述懐に戻ろう。
「後藤さんから突然、そう問い詰められた藤井さんは必死で言い訳していましたが、これがもう、
とにかく大声で(笑)。発信機を二つ仕掛けていたため、私は会談中、二つのイヤホンを両耳に入れ
て聞いていたのですが、思わず外したくなるほどでした。
 ただ、そんな大声で話しているにもかかわらず、藤井さんの話にはまったく内容がない。その釈
明はまさに『言語明瞭、意味不明瞭』といった感じでした。
 後藤さんは始め、藤井さんの言い訳を黙って聞いていましたが、しばらく経つてから今度はこう
言つたんです。
『藤井先生よ、あんたんち(学会)のために、ウチの若いもんが一体、何人捕まったと思つてんだ?』
 これに対しても藤井さんは大声で釈明するものの、他人の私が聞いてても、まったく言い訳にな
ってないという感じでした。
 会談の中身といつても、後藤さんはこの発言を二度、三度繰り返しただけで、あとは藤井さんが
ずっと大声で釈明しているという感じでしたね。
 しかし、最終的には二人の間で『今後とも(創価)学会絡みの案件は後藤組を通す』ということで
話がつき、一応は丸く収まった様子でした。会談中の藤井さんの発言は終始、意味不明だつたので
よく覚えていないのですが、別れ際のセリフだけはよく覚えていま
す。後藤さんが席を立つ間際、藤井さんは後藤さんにこう言つたんです。『また、ビュフエの絵を贈
ります』と」
 ベルナール・ビュフェは、第二次世界大戦後の具象派を代表するフランス人画家で、繊細であり
ながら力強い線描を持つ作品で知られている。A氏が続ける。
「私も絵が好きなもので『ほー』っと思ったんです。ビュフェの作品はさほど(値段が)高くないん
ですが、当時から人気がありましたから。それに藤井さんの口ぶりを聞いていると、彼が後藤さん
に絵を贈るのは一度や二度ではないような印象を受けました。
 会談が終わり、後藤さんと入れ替わりにBさんが入ってくると、藤井さんは疲れきつた様子で
『ふぅ〜』と大きなため息を漏らしてました(笑)。その時、Bさんが藤井さんにかけた言葉は、
今でも鮮明に覚えてます。Bさんは藤井さんにこう言ったんです。
『藤井先生、ヤクザってのはねぇ、猜疑心が強いんですよ。そうでなけりゃ、早死にするんです
よ』って。
 なるほど、そうか.……と妙に納得したものです(笑)。
それを受けて、藤井さんは苦り切った様子でこう漏らしてました。
『う……ん。それにしてもしっこいな……』と。
 会談は45〜50分ほどで終わりました。両面120分のカセットテープをオートリバースで準備して
いたのですが、片面60分のテープがまだ余つていましたから。無線機の調子も、受信機の感度もよ
く、録音状態も完ぺきでした。
 ただそのテープがその後、どう使われたかについては知りません。私は依頼された仕事≠こ
なしただけなんでね……」
 だが、後藤と藤井の関係はその後、决してA氏が言うように「丸く収まった」わけではなかった。
それについては後に触れるが、盗聴から数ヵ月後、事態はA氏が想像もつかなかった形で展開して
いく。

https://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/cf55a9c570c0c285cfee8ab21512fd26

https://soka-news.jp/boryokudan.html

https://21cult.web.fc2.com/bou.htm

https://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/e/7ebace19745832c7ba19eb2b53323e69

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52525967.html
 

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