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「けんちゃんのアサガオの種」各地で花を咲かせる 交通安全の願い託して(東京新聞)
http://www.asyura2.com/17/nihon32/msg/242.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2021 年 4 月 15 日 14:26:08: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

2021年4月15日 12時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/98237

 東京都足立区で5年前に交通事故で亡くなった小学1年生の高田謙真けんしん君=当時(7つ)=が育てていたアサガオの種が、交通事故防止の願いを乗せて各地に広がっている。最愛の息子を失った母親の香さん(46)が命の大切さを語る講演の際、参加者に配っている。えくぼがチャームポイントだった謙真君。アサガオはそんな彼のように明るい花を咲かせる。香さんは「けんちゃんのアサガオが交通安全のシンボルになってほしい」と願う。(井上真典)

 謙真君は7歳年上の姉と2人きょうだいだった。2016年2月15日午後、下校途中に自宅から200メートル離れた区道交差点で事故に遭った。青信号の横断歩道を渡っていた際、右折してきた2トントラックにはねられ、搬送先の病院で亡くなった。運転手の前方不注意が原因だった。

 香さんは学校から連絡を受け、病院に駆け付けた。集中治療室(ICU)に入った息子は香さんと会えないまま、7時間後に息を引き取った。

 「もし学校に迎えに行っていればと考えてしまい、後悔で頭がおかしくなりそうだった」と香さんは振り返る。自宅に引きこもり、人に見られないよう、夜に買い物に行った。

 「雨が降ると、外で見つけた虫を心配したり、友達同士がけんかしていると、仲裁に入ったりする優しい子でした」

 息子との思い出と向き合っていたある日。玄関の鏡餅を片付ける際、鏡餅を供える台の穴に数十粒のアサガオの種が入っているのに気付いた。謙真君がいたずらで庭のアサガオの種を入れていたのを思い出した。警視庁の犯罪被害者支援の担当者に話すと「謙真君が残してくれたんですね」と言われた。

 香さんは同年春、息子が通っていた区立綾瀬小学校を訪ね、「アサガオを育ててくれませんか」と頼んだ。すると同級生が体育館の壁沿いに置いたプランターで育ててくれた。昨年度からは仮校舎の壁沿いで育てており、毎年収穫した種を香さんに渡してくれる。

 事故から2年後の18年、香さんは公益社団法人被害者支援都民センター(新宿区)から中高生らに講演してほしいと依頼され、引き受けた。最初は事故を思い出すだけで涙が止まらなかったが、話すうちに心が整理されていったという。

 「いくら後悔しても、けんちゃんはもう戻らない。誰もが被害者にも加害者にもなることをしっかり伝えたい」との思いで40回以上の講演に臨み、希望者にアサガオの種を配った。

 種はもらった人から友人らに広がり、千葉や宮城、沖縄県の人からも「子どもと交通安全の話をしながら楽しく育てています」とのメッセージが届く。香さんは「講演を機に多くの人に出会い、元気をもらった。けんちゃんが空から見ていて、人の縁を結んでくれてるんだと思う」と話す。

 春の全国交通安全運動が始まった6日、香さんは警視庁のイベントに参加し、通行人にけんちゃんの種を配った。「色鮮やかなアサガオを見て、気持ちに余裕を持って運転してほしい」

◆事故は登校時より下校時に集中

 小学生の重大交通事故は登校時間帯(午前6〜9時台)よりも下校時間帯(午後2〜5時台)に目立ち、低学年の児童の方が高学年よりも多く事故に遭っている。

 警察庁によると、2016年〜20年の交通事故による小学生の死者・重傷者は4687人(低学年2686人、高学年2001人)。歩行中と自転車同乗中の事故の死者・重傷者は登校時間帯の434人に比べ、下校時間帯は2876人で6・6倍多い。

 警視庁の担当者は「朝は班で登校したり、見守りの人も通学路に多いが、下校時間は学年ごとにまちまち。遊びに行く児童の気も緩みやすい」と話す。

 東京都内では昨年、青信号で横断歩道を渡っている時に車にはねられ、死亡した小学生が計2人いた。うち1人は登校中だった。

 担当者は「青だから安全ではない。保護者は児童に右左を必ず見てから渡ることを徹底して教えてほしい」と呼び掛ける。

【関連記事】交通事故で死亡した中学生に届け 後輩ら再発防止を願い合唱
       https://www.tokyo-np.co.jp/article/71144  

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コメント
1. 蒲田の富士山[618] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年4月15日 14:29:18 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[46] 報告
警視庁のPRでは、ございません。
2. 蒲田の富士山[629] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年4月26日 17:34:48 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[57] 報告
江ノ電に小3はねられる 意識不明、ゴミ出しで外出(東京新聞・共同)

2021年4月26日 12時56分 (共同通信)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/100587

 26日午前7時50分ごろ、神奈川県鎌倉市稲村ガ崎1丁目の江ノ島電鉄線路内で、近くに住む小学3年佐藤温さん(8)が電車にはねられた。佐藤さんは病院に搬送され、意識不明。

 県警鎌倉署などによると、現場は稲村ケ崎―極楽寺間で、線路沿いに柵はなく、佐藤さんは自宅からゴミ出しに出たという。運転士は佐藤さんが線路内に急に入って来たため、急ブレーキをかけたが、間に合わなかった。乗客乗員約250人にけがはなかった。

 事故直前、電車は時速約35キロで走行していたとみられ、署は詳しい原因を調べている。

3. 蒲田の富士山[630] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年4月27日 06:52:27 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[58] 報告
推測するに、ゴミの収集車が来る時間だった。(ないしは、もう来ていた)
玄関前に小さい踏切があるというのは、都電などでも時々見られた光景だったと思うが、玄関を出る時の左右の見通しは悪いのだろう。
小さい警報機を玄関に向けて設置するのが、よいのではないだろうか。(音は鳴らなくても良いと思うが)
もちろん、事業者と鎌倉市と藤沢市の出資によって。
 
ご回復をお祈りいたします。
4. 蒲田の富士山[631] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年4月27日 07:46:07 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[59] 報告
池袋暴走事故遺族の松永さん「僕は度胸がない」 妻の指輪と臨む被告人質問(東京新聞)

2021年4月27日 06時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/100418

 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走した事故で妻と娘を亡くした松永拓也さん(34)は何度も記者会見に出て、自分の思いをはっきりと訴えてきた。だが、今年3月、記者と2人きりの取材では「僕は、度胸がないんです」と苦笑いした。勇気が必要な時は、妻真菜さん=当時(31)=の婚約指輪と結婚指輪を胸に忍ばせる。27日から始まる刑事裁判の被告人質問でも、指輪とともに法廷に臨む。(福岡範行)

◆度胸のなさはプロポーズでも

 会見以外の場で話す時、松永さんはよく照れたような、穏やかな笑顔を見せる。わずかに肩をすぼめるような姿勢も多い。人前に出るのが得意な、度胸のある性格では、たぶんない。

 度胸のなさは、14年5月4日、真菜さんへのプロポーズでも表れたという。真菜さんを東京湾のディナークルーズに誘い、船の甲板でバラの花束を渡しながら伝えようと計画した。

 しかし、いざ出航してみると、甲板には人、人、人。「想定外だったんですよ。ドラマみたいに静かな甲板でやる予定が、わいわいしていて言いづらくて」。タイミングをつかめぬまま、2時間ほどのクルーズの終わりが迫る。その時の写真には満面の笑みの真菜さんと、緊張で表情が固まった松永さんが写っていた。

◆慌てて伝えた結果は

 船が港に着き、甲板から乗客の姿が消え、下船を促すアナウンスが流れた。松永さんは慌てて真菜さんを「着いちゃったけど、ちょっと聞いて」と引き留め、伝えた。

 「本当に頼りない男だけど、あなたを幸せにしたいっていう気持ちは誰にも負けません。結婚してくれませんか」

 真菜さんは突然の出来事に混乱した様子だったという。返事をもらう前に「とりあえず下りよう」と船を下り、誰もいなくなった港でもう一度プロポーズした。「『信じられない』って泣いて喜んでくれました」

◆指輪はサプライズじゃなくても

 婚約指輪は、真菜さんの指のサイズを聞き、後日、1人で「ちょっと背伸びして」、東京・表参道の店に行った。リングの形を松永さん自身で選びたかった。おおよそのサイズで事前に買うことは考えなかったのかと尋ねると、照れ笑いを浮かべた。「器用さがないんです、僕は。真菜からしたらサプライズ感がなくて、微妙だったかもしれない」

 婚約指輪は、ダイヤの台座がリボン形になったかわいらしいデザインに。結婚指輪は同じ店に2人で行って買った。少しねじれたデザインのリングに、2人の名前と結婚記念日を刻んだ。真菜さんは2つのリングを並べてはめて「合わせると、かわいい」と気にいってくれた。

◆刻まれた幸せな日々の証し

 長女の莉子ちゃん=事故当時(3)=が生まれると、真菜さんは毎日、育児日記を付け、食事もおやつも手作りした。真菜さんの結婚指輪には無数の水仕事の跡が残っている。食卓で手料理を食べる時、莉子ちゃんの希望で、よく3人一緒に手をつないだ。手を離すタイミングは、莉子ちゃんの「せーの」という掛け声だった。

 そんな、ささやかな幸せが詰まった日常は交通事故で一変した。松永さんとのテレビ電話の20分ほど後、真菜さんと莉子ちゃんは車にはねられ、亡くなった。

◆「こんな理不尽、起きちゃだめだ」

 事故から5日後、葬儀場から出てきた松永さんは、背が丸まり、顔は青く、憔悴しょうすいしていた。事故直後には、2人を失った絶望から自死も考えたという。「2人の命を無駄にしない」と、交通事故の再発防止活動をしながら生き続けることを決めた今も、午前4時まで寝られない日もある。

 それでも、活動は止めず、「本当は怖い」という人前に立ち続ける。「だって理不尽じゃないですか。たった0・1秒、0・2秒で、命はなくなるし、残された人は一生引きずる。こんな理不尽なこと起きちゃだめだと思うんですよ。だから(交通事故は)なくさないといけない」。

◆指輪が消した不安

 真菜さんの2つの指輪は、事故後にひもに通し、ネックレスにした。記者会見では首から提げる。自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長飯塚幸三被告(89)の刑事裁判でも毎回、お守りにして身に付けている。

 「憎しみにとらわれたら、2人が心配する」と考え続けてきた。飯塚被告と間近で対面することになる20年10月の初公判前は、「怒りでわれを失ってしまうんじゃないか」と不安だった。だから、服の上から指輪に手を当て、真菜さんと莉子ちゃんに向けて「大丈夫だよ。心配しないでね」と語りかけた。お守りが効いたのか、飯塚被告を見ても、心は乱れなかった。

◆被告人質問の意味

 ただ、公判を重ねるごとに裁判に参加する苦しさは増した。「車の不具合」があったという被告側の無罪の主張と、検察が示していく証拠との矛盾を感じ、被告への「なぜ」という思いを募らせた。

 その疑問への答えは、27日から始まる飯塚被告への被告人質問で掘り下げられる。事故が起きた原因に迫れる可能性もある。運転手として事故直前に何を考え、どう動いたつもりだったのかを語れるのは、飯塚被告だけだ。

◆「次、起きないように」に生かすために

 松永さんは、飯塚被告が実刑になるかどうかだけでなく、裁判所が事故原因をどう認定するのかにも注目している。「例えば踏み間違いだとしたら、間違えないためにはどんな技術が必要か議論されてほしいし、もし仮に、車の不具合とジャッジされたら、その対策をとっていく。それが非常に大事だと思っています」

 27日の被告人質問は検察と弁護人が行う。松永さんは後日の公判で自ら質問に立つ。きっと緊張する。指輪を通じて、2人に力をもらうつもりだ。

 決意は揺るがない。一気に、やや早口で吐き出した言葉に熱がこもった。「死亡事故は日々、起きているんですよ。それが起きなければ、被害者も加害者も、遺族も加害者家族も生まれないんですよ。次、起きないようにを考えないと、永久に繰り返されるんです」


ーーーーーー


池袋暴走事故 起訴状などによると、飯塚被告は2019年4月19日正午すぎ、豊島区東池袋4の都道で、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けて時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた近くの松永真菜さんと長女莉子ちゃんをはねて死亡させたほか、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせたとされる。

【関連記事】池袋暴走事故初公判で飯塚被告が無罪主張「車に何らかの異常が発生」
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/60519

5. 蒲田の富士山[634] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年4月27日 21:30:17 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[62] 報告
池袋暴走事故 飯塚被告「アクセルペダルが床に張り付いて見えた」【被告人質問・詳報】(東京新聞)

2021年4月27日 19時06分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/100570

 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、松永真菜まなさん=当時(31)=と長女莉子りこちゃん=同(3)=が死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長飯塚幸三被告(89)の公判が27日午後1時半から東京地裁であり、被告人質問が行われた。これまで無罪主張をしてきた飯塚被告が、質問に何を語ったのか。法廷での質疑を詳報する。

 池袋暴走事故 起訴状などによると、飯塚幸三被告は2019年4月19日正午すぎ、豊島区東池袋4の都道で、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けて時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた近くの松永真菜さん=当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3)=をはねて死亡させたほか、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせたとされる。

13:30 昼食にレストラン

 飯塚被告が車いすに乗り、法廷に現れた。グレーのスーツとネクタイを締め、前を向いた。事故で妻と娘を亡くした遺族の松永拓也さん(34)は検察官側の前列に座っている。

 飯塚被告は、弁護人に車いすを押されて、証言台に移った。裁判官から「これから被告人質問を始めます」といわれると「はい」としっかりした声で答えた。

 最初に弁護側の被告人質問から始まった。自動車の運転歴について質問されると、「53年以上たったと存じます」。2001年に自転車との接触事故で略式処分をされたことや、この10年は交通違反をしていないことを説明した。

 普段は車いすを使っていないが、「昨年の秋ぐらいからふらつきが大きくなり、歩行器を使ってなんとか歩ける」と説明。裁判所の勧めもあり、この日は車いすを利用したという。

 事故当日は、午後零時半にレストランを予約していたといい、12時過ぎに自宅を出たという。「急がないで十分間に合います」と説明した。毎回運転の際には「ブレーキペダルを踏んで、正常に機能しているかをチェックしている」といい、この日もチェックしていたという。

13:45 「思ったより早いスピードで…」

 飯塚被告は、普段の運転操作や、事故現場手前の東池袋交差点での状況を説明した。飯塚被告は普段、アクセルとブレーキを右足で踏み分けているのか問われ「その通りです。(事故当日の4月19日も)同じです」と説明。カーブでは「ブレーキペダルを踏んで減速し、カーブに沿ってハンドルを切って、曲がり終わったところでアクセルペダルを踏んで加速します」と述べた。

 事故現場近くの東池袋交差点に差しかかる際は、右足で断続的にブレーキを踏んだと説明。交差点を左に曲がっている最中の右足の位置を問われ、「ブレーキペダルの上においていました。普通、カーブで曲がるときは、いつでも止まれるようにブレーキペダルの上に足を置いていましたので、その時もそのようにしました」と答えた。

 左折中の車の時速は「40キロか50キロあったと思います」と述べた。普段との速さの違いを問われると、少しだけ大きめな声で「速いんです。思ったより速いスピードで曲がってしまいました」と述べた。

 ドライブレコーダーには左折中、「おう」という飯塚被告の声が録音されていた。飯塚被告は「覚えていません」と答えた上で、声が出た理由について「思ったよりスピードが出てしまい、アクセルを踏んでいないのに、不思議に思ったためだろうと思います」と話した。

14:00 7秒の沈黙…「エンジンが異常に高速回転」

 飯塚被告は図面を使いながら、東池袋交差点を左折する準備をした地点や走行ルートを説明。その様子を被害者遺族の松永拓也さんは机上で両手を組みじっと見ていた。

 弁護側に「なぜ左車線に変更したのか」と問われると「いつも左車線を走っていたので」。「カーブを曲がりきったところで車に何か起きましたか」と問われると7秒ほど沈黙。「エンジンが異常に高速回転しました」と回答した。「アクセルペダルを踏んだことは」と問われると「ありません」ときっぱりと述べた。

 「警告音が鳴ったことはありますか」と聞かれると「覚えていません」。当時の速度については50キロ〜60キロくらいだと説明。「アクセルペダルを踏んでいないのにエンジンが高回転になり速度も加速した」と述べた。

 意図しない加速が起きたときの気持ちを聞かれると「車が制御できないのかと思って非常に恐ろしく感じました。パニック状態になったと思います」と答えた。

 さらに速度が加速してどう行動したかを尋ねられると「右足でブレーキを踏みました。減速せずにますます加速しました」と話した。交差点を過ぎた後にどうしたかを聞かれると「アクセルペダルを踏んでいないのになぜ加速したのか分からなかったのでアクセルペダルを調べようと思いました。視線を落としてアクセルペダルを見ました」

 「座ったままで見ることができましたか」の問いに「できました。床に張り付いて見えました」。アクセルペダルを確認した時間については「一瞬です」と述べた。

 松永さんは飯塚被告と弁護人のやりとりをノートにメモを取りながら聞いていた。

14:15 思わざる加速に

 「パニックが続いた」という飯塚被告は、前方を見ると、「交差点には赤信号と乳母車を押しているご婦人が右から左へ渡っていた」といい、ブレーキペダルを目いっぱいに踏み込んだ。しかし、「減速しませんでした。非常に抵抗感のある感触でした」。飯塚被告は当時の状況を「踏み続けている間に、すっと抜けるような感じ。抵抗感が急になくなったように感じました」と説明した。

 事故状況をとらえたドライブレコーダーには、「どうしたんだろ」と記録されていることを弁護人から問われると、「はっきりと覚えていない。思わざる加速になってしまい、非常に驚いて発したんだと思う」と答えた。

 ここで、弁護側から事故現場の地図が示され、法廷に設置されたモニターに映し出された。加速が始まった時点や車線変更をした地点を指で指示した後、赤いペンを持ち、しっかりした文字で「加速が始まった地点」などと書き込んだ。

 松永さんは手元に配られた地図を見て、しっかりと指で確認するなど証言の内容を聞きこんだ。

14:30 4点で記憶と違い

 飯塚被告は、自分の記憶とドライブレコーダーの食い違い4点について説明した。食い違いは@カーブを曲がりきってから左車線に入ったと思っていたが、カーブの途中で車線変更していた。A前方に自転車がいたと思っていたが、バイクだった。B1つ目の事故現場の交差点では、何かに接触したような気がしたものの衝突は避けられたと思っていたが、被害者と衝突していた。C2つ目の事故現場の交差点で、乳母車の女性が右から左に渡っていたと思っていたが、松永さん母娘が自転車で右から左に渡っていた。

 事故直後の様子では、自力で動くことができたか問われ、「できました」と答えた後、慌てて「できませんでした」と言い直した。胸や左足を痛めて救急隊に助け出された後、歩道で待機中に家族に電話したことや、入院中の検査でパーキンソン病ではないと確定したことも述べた。

 退院後は、脅迫状が届いたり、街頭宣伝で非難されたことも述べ「外に出るのが怖くなりました」と話した。

 被害の大きさを知ったのは、事故当日の夜だったといい、ひときわ小さな声で「松永さまの奥さまとお嬢さま2人がなくなられたと聞いて、大変なショックを受けました。ご冥福を祈る気持ちでいっぱいでした。最愛の奥さま、かわいいお嬢さまをなくされたご主人さまはもとより、ご親族のみなさまのご心痛やお悲しみを思って、いたたまれない気がいたしました」と当時の気持ちを説明。けが人の多さにも心を痛めたとも述べた。

 今の気持ちを問われると、けが人の状況を聞くたびに「大変、心がつらい思いをいたしました」と述べ、松永さん母娘については「今もってご冥福をお祈りする気持ちでいっぱい」とした。その後、11秒ほど沈黙し「裁判の間、私は自分の記憶に基づいて正直にお話ししたつもりでありますが、結果がどうあろうと、この悲惨な事故のことは重く受け止めてまいりたいと思います」と語った。

14:40 「事実と違い…1つ、2つではない」

 検察側の質問に変わった。検察官は冒頭、どんなときに車に乗っていたのかを質問。飯塚被告は学会などに行く際に乗ったことを説明した。その後、レストランに行く機会もあったのか再質問があり「え」と言った後に7秒ほど沈黙した後、「ま、時々です。はい」と小さめの声で答えた。

 「意図せず起こした事故で、自分のしたことを説明するのは、難しくないか」と質問すると、飯塚被告は8秒ほど沈黙した後に「はっきり覚えていることもありますので無理とは思いません」と小さいながらもはっきりとした口調で話した。

 検察官は、飯塚被告の記憶に基づく証言とドライブレコーダーの記録に食い違いが多いと指摘。飯塚被告は、亡くなった松永さん親子について「乳母車を押していた」と述べたが、実際は二人とも自転車に乗っていた。カーブの途中で左、右、左と3回車線変更をしたことを覚えているかと問われると「(記憶は)ありません」と話した。

 検察官が「事故当時の記憶に関して、事実と違う点がある。それも一つや二つではないですよね」と問うと「はい」と弱々しく答えた。

 弁護側の質問で「アクセルペダルを確認したときに床に張り付いて見えた」と話したことについて、飯塚被告が「右足はブレーキペダルの上にあったのでそれをわざわざ上げてアクセルペダルを見た」と説明。検察官に「右足は持ち上げただけ?」と聞かれると「はい」と答えた。

 検察官が「警察の検証によれば、もう一つ動きをしないと見えないのではありませんか」と指摘すると、飯塚被告は「覚えていません」。さらに「その足を少し左に寄せないと見えなかったのではないですか」と問われると「ああ、まあ、そうかもしれません」と話した。

14:45 車使わぬ生活「考えなかった」

 検察側は、飯塚被告が運転中にアクセルペダルを見たという主張をさらに追及した。

 飯塚被告は、警察の調べで、アクセルペダルの実物を見せられ、「ペダルを踏んでいた状態とそうでない状態があまり違わなかった」と説明したが、「アクセルペダルが見えた記憶は事実です。自然に見える位置に視線を投げたと思う」と自分の記憶の正確さを訴えた。

 アクセルとブレーキを踏み間違えたのではないか。この点について、飯塚被告も「踏み間違いをしていないとはいえない」と警察に答えていたことを検察側から聞かれると、「私としては踏み間違えた記憶は一切ありません」と強調した。

 飯塚被告は、高齢になっても「認知機能は全く問題なく、運動能力は運転については問題ないと思った」と主張。

 検察側から80歳を超えたあたりから、車に傷をつけたり、バンパーの修理交換をすることあったと問われると、「車の使用頻度が上がってきた」と理由を答えた。

 検察側から、歩くためにつえを使うことや、つえの本数が1本から2本に増えていたことを指摘されると、「運動能力の低下は実感していない。2本にしたら、そのほうが歩けたからであります」と返した。

 車を使わない生活は「考えなかった」といい、タクシーは「時間に間に合わないことが往々にあった」として使い勝手が悪いと答えた。

 さらに、自らの運転能力の低下が周りに及ぼすリスクについて、どんなことを考えていたのかを問われ、「年相応で能力が低下するのは客観的に見れば分かりますので、分かったときには注意しなきゃいけないと思います。しかし、そうでなければ、一般的なことは言えないと思います」と答えた。車が便利だから免許返納を先延ばししていたように聞こえると畳み掛けられ、少し沈黙した後に「先延ばしをしていたという意識はありません」と述べた。

15:17 記憶整理して質問にと説明

 弁護側が再質問。事故後まもなく会った弁護士と何度も打合せをし、記憶を整理した上で被告人質問に臨んでいることを確認され「その通りです」と答えた。検察側の質問で、足の踏み出しが難しいことを証言したことについても、弁護側が再質問。踏み出しが悪いと感じる状況を尋ね、飯塚被告は「長い間たっていたときにちょっと悪くなったんです。例えば、横断歩道で赤信号で、青になるのを待っている状況」と説明。座った状態での問題は「全く感じません」とした。 

15:20 閉廷

 この日の被告人質問が終わった。飯塚被告は車いすに乗ったまま、下を向きながら弁護側の席に戻った。裁判官が6月21日の次回公判の内容を確認した。遺族の松永拓也さんらが、事故の状況や事故についてどう考えているのか、事故後の対応などを尋ねる。

 閉廷すると、飯塚被告は裁判官に促され、弁護士に車いすを押されて、最初に法廷を後にした。

16:00 遺族が会見「事実と違うこと1つや2つではない」

 妻と娘を亡くした松永拓也さん(34)らの会見が東京・霞が関の司法記者クラブで始まった。松永さんは、飯塚被告がドライブレコーダーとは食い違う主張を続けたことを指摘して、「事実と違うことは1つや2つではない。聞いていて悔しかったし、私には理解できない」と述べた。「きょうは感情的になってしまう」と何度も口にし、泣きかける場面や眉間にしわを寄せる場面も多く、「(無罪を主張するなら)簡単にご冥福をお祈りするとか言ってほしくない。いらないです。そんな軽い言葉は」といら立った。

【関連記事】池袋暴走事故遺族の松永さん「僕は度胸がない」 妻の指輪と臨む被告人質問
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/100418
【関連記事】池袋暴走事故遺族 松永さん「事故後、一番絶望した」 被告人質問・記者会見詳報
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/100835
【関連記事】「マナりこ」に事故防止誓う 遺族の松永さん
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/17162

6. 蒲田の富士山[638] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年4月30日 21:20:01 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[66] 報告
コメント2と3の関連コメです。
佐藤様、ご家族様、勝手にお名前を転載してしまったことを、まずお詫びいたします。
共同通信が配信した記事を、そのまま、ここに転載してしまいました。
東京新聞の実際の紙面の記事では、お名前は伏されていました。
危険な踏切について、を思い浮かべてしまったため、考慮不足のまま、ついそのままの引用になってしまった次第です。
以下は、踏切についての記事がありましたので、追加をいたします。

以下引用−−−
 
勝手に「踏切」1万7000カ所 往来日常化、事故恐れも(東京新聞・共同)

2021年4月30日 17時17分 (共同通信)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/101421?rct=national

 踏切がないのに、日常的に住民らが線路を横切って通行する「勝手踏切」が全国に少なくとも1万7066カ所あることが30日、1月時点の国土交通省の調査で分かった。無断で線路に立ち入るのは違法だが、生活通路の役割を果たしている実態もある。事故を防ぐため、鉄道事業者は柵を設けるなど解消に取り組んでおり、費用と住民の理解が課題だ。

 正式な踏切は、道路と交差した線路に遮断機や警報機を取り付けたり、警告表示を出したりしている。国交省は、全国の鉄道事業者を通じて「踏切として認めていないが、線路横断の形跡がある箇所」を調査。最多は愛媛の1031カ所で長野、新潟が続いた。

7. 蒲田の富士山[754] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年6月21日 07:53:50 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[182] 報告
被告人質問に臨む池袋暴走事故の遺族、松永さん 怒りを抑え続けた理由と不本意な決意(東京新聞)

2021年6月21日 06時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/111728

 東京・池袋で2019年、母子が暴走した車にはねられ死亡した事故で、遺族の松永拓也さん(34)は21日午後、東京地裁での刑事裁判で被害者参加制度を使い、被告人に直接質問する。松永さんは初めて「心を鬼にする」と決意している。4月の前回公判で無罪主張の被告人の言葉に憤りを抑えられなかったからだが、犠牲になった妻子の心情を思うと本当はしたくない決意だった。(福岡範行)
【2〜3ページ目に一問一答】

【関連記事】21日午後1時30分からの法廷の様子の速報
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/110916

◆被告人の証言に「絶望」

 前回公判では、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長飯塚幸三被告(90)が検察官や弁護士の質問に答えた。飯塚被告は事故の状況を「右足でブレーキを踏んだが、ますます加速した」と説明。足元を一瞬見たとし「アクセルペダルが床に張り付いて見えた」と述べた。

 これに対し、松永さんはドライブレコーダーなど物証との矛盾を感じ「罪に、命に向き合ってほしいという遺族の思いすら叶っていない」と思った。飯塚被告の姿勢は今後も変わらないのではないか、とも感じ「絶望してしまった」。直後の記者会見では「アクセルペダルの目視は(時速)80キロで走っていたら1秒もない」と説明を疑問視。飯塚被告の追悼の言葉も「軽い言葉はいらない」と拒絶した。

 帰宅すると、妻真菜さん=事故当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3つ)=の仏壇に手を合わせ「裁判の時だけは心を鬼にする」と報告した。怒りをあらわにしても2人が喜ぶとは思わないと考え、裁判中でも冷静であろうとしてきた。その姿勢を変えた瞬間だった。

◆怒りにとらわれたくはなかった

 2人ならどう考えるかは事故直後から、松永さんの生き方の指針だった。生前は2人に「愛している」と伝え続け、怒る姿は見せなかった。だから事故後も、飯塚被告への怒りや憎しみにとらわれたくなかった。

 昨年10月の初公判では、胸に忍ばせた真菜さんの指輪に手を当てて「大丈夫だよ。心配しないでね」と念じ、心を落ち着かせた。その後も、飯塚被告の証言に落胆しないよう「彼には何も期待しない」と自分に言い聞かせ続けた。

 でも、前回は感情があふれた。「怒りが湧くのは人として当然。そんな自分を許そうと思った。それが僕にとって『鬼になる』ということなのかな」

◆妻と子へ「心配しないでね」

 質問で恨みをぶつけるつもりはない。「人をジャッジできる(裁ける)のは裁判官しかいない。僕はルールの上で戦いきろうと」。2人に見せたことのない感情が出るかもしれないが、裁判を事故防止につなげたいという思いは揺るがないし、裁判以外は「2人が愛してくれた」穏やかな自分に戻るつもりだ。

 公判は今後も真菜さんの指輪とともに臨む。2人にかける言葉も同じ。「大丈夫だよ。心配しないでね」


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池袋乗用車暴走事故 起訴状などによると、飯塚幸三被告は2019年4月19日正午すぎ、東京都豊島区東池袋4の都道で、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けて時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた近くの松永真菜さん=当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3つ)=をはねて死亡させたほか、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせたとされる。

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◆取材での主なやり取り

記者 刑事裁判になぜ、どんな思いで臨んでいるのかをあらためて教えてください。

松永さん そうですね。正直、むなしいんですよね。どんな結果であろうと、私たちにとっては、何も変わらない。命は帰らないですから。日常は戻らないし。何で参加するのか分からなくなるんですけど、その度に3つのことを念頭に裁判に参加しています。

 1つ目は、僕たち遺族がやれることはやったと言えるようにしたいということ。2つ目は、2人が死亡し、9人がけがという大事故が軽い罪で終わるという前例を作ってはいけないということ。3つ目は、何で事故が起きてしまったのかが裁判で真実が明らかになると思うんです。真実が明らかになって、次にこういうことが起きないためにはどうすればいいのかという議論につながってほしい。

 むなしさは、いつも感じます。前回の(飯塚被告への被告人質問があった)裁判で、また強まってしまったんですけど、でもやっぱり(裁判に参加する)意義はあると思うんで。

記者 前回の公判の後、心境はどう変わりましたか。

松永さん 前回の裁判は、初公判以来2回目ですよね、被告人がしゃべったのは。被告人質問の内容を見て、この人は(事故から)2年経っても「自分は絶対に間違えてない」っていう考えを変えられなかった。これだけ物証がそろっていて、反論が自分の記憶しかないのに「自分は絶対間違えていないんだ」っていう。おそらくこれからも変わらないんじゃないかっていうふうに思ってしまった。だから、ちょっと絶望してしまったんです。

記者 前回の被告人質問の前にも「被告人に期待はしない」とおっしゃっていた。しかし、心のどこかで期待が残っていて、絶望した。どういう期待が残っていて、捨てきれなかったのは、なぜですか。

松永さん 前提として「期待しないように」っていうのは、自分自身に言い聞かせてる感じで、期待しても自分が苦しくなるのは分かりきっていることなんで。ただ、やっぱり、僕自身が強くなれなかったのか分からないですけど、前回の裁判で、その思いを超えてしまった。「(罪に)向き合っていないな」とはずっと思っていましたけど、あそこまでとは思ってなかったんで。

 僕たち遺族って、そんなに多くのことを望んでいないと思うんですよ。罪を償ってほしい。ちゃんと罪と向き合って、命と向き合ってほしいっていう思いがあるわけじゃないですか。それすら叶っていない気がしてしまう。ドライブレコーダーの映像との記憶の乖離かいりがあったとしても、(重要な点だけは)間違えていないっていう主張だと思うんです。現実と向き合ってないと言われても仕方がないと思います。

 ずっと、そういう(怒りや憎しみの)心にとらわれたくないと思っていたんです。今でも思っていますけど、それを許してくれないというか。本当はなりたくないんですけど、相手が私たちの心情をないがしろにする以上、私もそうならざるをえない。裁判のときだけは鬼になろうと。それ以外のときは穏やかな、2人(真菜さんと莉子ちゃん)が愛してくれた僕のままでいようと。裁判ではルールの上で、しっかりと守りながら、戦いきろうと。僕は争いごととか嫌いなんで、本当は嫌なんですけど。

記者 被告人に対しては厳しく向き合うことは、これまでもしてきたのではないですか。

松永さん 2人にそういう(怒りにとらわれた)ところを見せたくないというところはポイントだったんです。ただ、裁判のときだけは、自分の感情も大事にしようというか。怒りの感情が湧くっていうのも人として当然。そういうふうになってしまう自分も許してあげようという感じです。

記者 無理に抑え込まない、と。

松永さん そんな感じです。それが僕にとって鬼になるっていう意味だったのかな。

記者 今回、心を鬼にしようとすることについて、真菜さんや莉子ちゃんに報告しましたか。

松永さん 前回の裁判の後、控え室に戻ったときに、絶望と怒りが同時にわき起こってくるような。だいぶ取り乱したんです。帰ってから仏壇に手を合わせて、ちょっと心が落ち着いたんですよ。そのときにちょっと話をして。「本当はね、そういう心になりたくないけど、裁判のときだけは戦うから」と。僕は、それで2人が喜ぶとか満足するとか、あんま思えないんですよね。だけど、やれることはやりたいんで。「裁判のときだけは心を鬼にする」という話をして、「でも普段はそうじゃないからね」っていう話をしました。

 亡くなってしまっているんで、なんて言っているかなんてわからないし、2人ならどう言うかなぐらいしか想像できないんですけど、生前は、僕の挑戦したいことを尊重してくれたので、応援してくれているんじゃないかな、と勝手に思ってます。

 怒りとか憎しみの感情を決して否定してるわけじゃないんですよ。それによってね、生きる力になっている人がいるのも事実だと思うんで。ただ、僕はそれとらわれてしまうと、僕ではないような感じになってしまうんで。

記者 真菜さんの結婚指輪、婚約指輪は、次の公判もつけていきますか。

松永さん もちろん。

記者 初公判のとき、指輪に手をあてながら「大丈夫だよ」と2人に伝えたが、次回の公判で2人に声を掛けるなら、「大丈夫だよ」になるのか、それとも違う言葉になるのでしょうか。

松永さん たぶん「大丈夫だよ」じゃないですかね。僕が、頼りない男だからいつも心配かけていたと思うんで。2人も「1人で残してしまった」と思っていると思うんですよ。だから、心配はしてほしくない。生きていくと決めた以上は、2人に「心配しないで」とずっと伝え続けていくだろうと思います。

記者 戦う覚悟を決意されて、2人が見たことがない松永さんを見せることになるかもしれないけど、心配しないで見ていてほしいという気持ちは変わらない。

松永さん おっしゃる通りです。そういう点で、多分心配していると思うんで。

記者 世の中の人に裁判で注目してほしい点や、裁判を通じて考えてもらいたいことは。

松永さん 裁判の行方に注目いただくのは、非常にありがたいこと。これは大前提なんですけれども、それと同時に、なんでこういうことが起きてしまったのかが、(裁判を通じて)必ず明らかになります。だとしたら、どうすればこういうことが起きなかったのかということを社会全体で考えなくてはいけないのではないか。

 これから起きる事故を防ぐことっていうのは、僕は国民全員が当事者だと思うんです。高齢化社会は社会問題で、誰しもが逃れられない。誰しもが老いる。誰しもが交通社会に生きている。だからこそ、今回の事故、裁判が、絶対にもう起こしちゃいけないっていう議論に繋がってほしい。

 その議論が国民の間で起きて、その声が国や自治体に届く。メーカーの方も、もっと改良してくれるかもしれない。そういうふうに、いい方向にいってほしい。2人の命は戻らないけど、この日本社会が良くなるための、きちんと成長するための糧かてにしたい。それは2人の命が生き続けることになるし。それを世の中の人と一緒に僕も考えたい。

 考えなきゃいけない問題点って、いろいろあると思っているんで。免許更新制度もそうだし、地方の足。車に頼らないでも生きていけるような生活基盤を作ってあげなくては、免許返納ってできないですよ。他にも、車の技術も向上すれば防げる事故は防げる。一個だけじゃやっぱり無理で、複合的な対策を打っていくことが大事なのかなと思います。

8. 蒲田の富士山[755] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年6月22日 00:06:42 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[183] 報告
クリスマスの写真なんてない…池袋暴走事故遺族の松永さんが憤る飯塚被告の「記憶」(東京新聞)

2021年6月21日 18時56分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/111912

 池袋暴走事故遺族の松永拓也さん(34)は21日、東京地裁で開かれた刑事裁判で、45分近く、声を荒げることなく、はっきりとした口調で被告人に直接、質問した。「被告人の口から真実を述べてほしい」という思いを胸に、高齢の飯塚幸三被告(90)にも聞き取りやすいよう、ゆっくりと正確に質問するように努めた。しかし、終わって感じたのは、むなしさだった。公判後の記者会見で明かした被告人質問の裏側とは。(福岡範行)

【関連記事】池袋乗用車暴走事故 飯塚被告「車の不具合、再起動で元に戻った」(詳報・被告人質問)
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/110916
【関連記事】池袋暴走事故 トヨタ「車両に異常認められず」 飯塚被告「不具合」の主張に反論
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/111940


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池袋乗用車暴走事故 起訴状などによると、飯塚幸三被告は2019年4月19日正午すぎ、東京都豊島区東池袋4の都道で、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けて時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた近くの松永真菜さん=当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3つ)=をはねて死亡させたほか、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせたとされる。

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 「私は加害者を心から軽蔑しました」。松永さんは会見で、そう切り出し、飯塚被告に対する憤りをあらわにした。理由があった。飯塚被告は松永さんの質問に対して、証拠と矛盾する証言をしていた。

 松永さんは証拠として、事故で犠牲になった真菜さんや莉子ちゃんの写真を提出していた。この日の公判で、飯塚被告に「証拠の中の写真は見ましたか」と尋ねた。飯塚被告は「はい。拝見しました」と答え、記憶をたどって「クリスマスの写真があったような気がします」と話した。しかし、記者会見で松永さんは「そんな写真はないんですよ」と語気を強めた。

 松永さんが問いたかったのは、飯塚被告が、亡くなった2人の命や遺族の無念に向き合っているかどうかだ。最初の質問は「2人の名前を言えますか」だった。

【関連記事】質問詳報・2人の名前や写真について尋ねた場面
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/110916/1

 弁護士と質問を準備する途中、名前が言えない可能性もあると予想していた。そこで、悲しみや怒りにおそわれたら、続く質問ができなくなるかもしれない。最悪の答えも想定しながら、弁護士相手に様々なパターンのやり取りを練習した。そして迎えた今日、飯塚被告から返ってきたのは「悪い方のパターン」だった。真菜さんの漢字は正しく答えたものの、莉子ちゃんの漢字は「難しい字なので、書いてみることができないと思います」。松永さんは会見で「難しいですかね。自分で奪った命の名前が難しいですかね」といら立った。

 それでも被告人質問では声を荒げずに、冷静な態度のまま終えた。その直後、放心状態になった。ドライブレコーダーなどと食い違いがあっても、事故の原因に関わる自分の記憶を「間違っていない」と言い続ける飯塚被告に姿勢に脱力感を覚え、その後のやり取りをメモすることすらできなかった。「1行もメモを取らなかったのは初めてです」

 松永さんに続いて質問に立った真菜さんの父親、上原義教さん(63)は、「立派な仕事をされ、立派に生きてこられた」と飯塚被告の人生を尊重する発言もした。上原さんは会見で「過ちは誰にでもあるという話もさせてもらった。少しは響くかなと思ったんですけど」と意図を明かした上で、「私がバカでした」と続けた。

 上原さんが事故後の2年間の生活について尋ねたとき、飯塚被告は自身のリハビリ生活のつらさから語り始めた。

【関連記事】質問詳報・上原さんが質問した場面
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/110916/3

 記者会見で「真実に近づけたと思うか」と問われた松永さんは「近づけていないと思う」と断言した。それでも、事故原因を断定する言い回しは避け、「あとは裁判所に委ねたい」と語った。会見の最後は、世の中の人たちに交通事故防止を呼び掛けるメッセージで締めくくった。「一番大事なのは、こういうことが二度と起きないこと。救いがない。だから起きちゃだめなんです」

9. 蒲田の富士山[806] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年7月15日 11:15:22 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[234] 報告
飯塚被告は「クリスマスの写真」と言ったけど…松永さんが提出した本当の4枚 池袋暴走事故(東京新聞)

2021年7月15日 06時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/116504

 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、松永真菜まなさん=当時(31)=と長女莉子りこちゃん=当時(3)=が死亡した事故の刑事裁判は15日、東京地裁で検察側の求刑や弁護側の最終弁論がある。遺族の松永拓也さん(34)も意見陳述で被告人への心情を語る。拓也さんは6月の前回公判で直接、被告人に質問していたときには声を荒げず、公判後の記者会見で「私は加害者を心から軽蔑しました」と吐き出した。今回は被告人の前で思いを打ち明ける。(福岡範行)

◆「拝見しました」と明言も

 前回公判で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた飯塚幸三被告(90)は、松永さん家族の写真について、記憶違いの証言をしていた。拓也さんから、捜査段階で証拠として提出していた家族写真を見たか問われた飯塚被告は「はい。拝見しました」と明言。写真の説明を促されると、記憶をたどりながら「クリスマスの写真があったような気がします」などと答えた。しかし、そうした写真は、証拠提出した中にはなかった。

【関連記事】クリスマスの写真なんてない…松永さんが会見で語った被告人質問の裏側
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/111912

 実際は、莉子ちゃんが生まれたときの写真や、ひと月ごとに誕生祝いをした成長記録、家族3人でお出かけしたときの写真などだ。拓也さんは亡くなった2人が懸命に生きていたことを飯塚被告に知ってほしくて、2019年11月ごろ、15種類の写真を用意し、それぞれに説明書きを添えた。検察に証拠として出したいと相談し、15種類の中から写真を選び直した上で提出した。

◆「おっさんみたい」な仕草かわいくて

 そのうちの4枚が春の花見、夏祭り、紅葉狩り、冬の温泉だ。

 「春には桜を見に行き、夏には海やお祭り、秋には紅葉を見に行き、冬は温泉に行きました。家の風呂がとても狭いこともあり、莉子は広い温泉が大好きでした。金銭的にそこまで余裕があるわけではありませんでしたが、莉子の喜ぶ顔が見たくて、何回も温泉に連れて行きました。もっと3人でいろいろなところに行き、いろいろな体験をし、ずっと3人で生きていきたかったです」とコメントを添えて証拠提出した。

 遠出は、松永さん家族の楽しみだった。初めての遠出は、莉子ちゃんが6カ月だったころに行った千葉県銚子市の犬吠埼。近くの公園でのピクニックも含めれば、週末ごとに3人でお出かけしていた。

 温泉では、真菜さんにのんびりしてもらおうと、拓也さんが莉子ちゃんをお風呂に入れた。自宅のお風呂が狭く、174センチの拓也さんが体育座りをしないと入れないほどだからか、莉子ちゃんは広々とした温泉が好きだった。「莉子が(温泉の)湯船につかると『ふ〜〜っ』って言うんですよ。おっさんみたいで、またかわいくて。それが見たくて、僕、しょっちゅう連れて行ってたんですよ」。そんな思い出を語る拓也さんは、無邪気な笑顔だった。

◆「被告人質問よりつらい」けれど…

 今回の公判の意見陳述では、2人との思い出も語ることになる。拓也さんは、裁判官と飯塚被告に内容をしっかり伝えるために冷静であろうと努めるつもりだが、2人がいない法廷の場で幸せだったころの話をすれば、悲しみが襲ってくる可能性は高い。拓也さんにとっては「被告人質問よりもつらい」という。

 ただ、意見陳述に立つことについて「むなしいし、しんどいけど、一片の後悔もない。今後、生きていく上で絶対に後悔しない」と力を込める。2人の命を無駄にしないために、交通事故防止の活動でも裁判でも、できることは全部やると決めている。


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池袋乗用車暴走事故 起訴状などによると、飯塚幸三被告は2019年4月19日正午すぎ、東京都豊島区東池袋4の都道で、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けて時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた近くの松永真菜さん=当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3つ)=をはねて死亡させたほか、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせたとされる。
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◆刑事裁判の状況

検察側 「ブレーキやアクセルペダルの異常は確認されなかった」などと指摘し、誤ってアクセルを踏み続けたことが事故につながったと主張。

被告人・弁護側 「車のシステムに何らかの異常が発生し、暴走した」などして、無罪を主張。

【関連記事】池袋暴走事故初公判 飯塚被告「心からおわび」でも無罪を主張「車の異常」
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/60635

4月の1度目の被告人質問 弁護人や検察官が飯塚幸三被告に質問をした。弁護側の質問では、飯塚被告が事故時の状況を説明。「アクセルペダルを踏んでいないのに加速した」と主張し、アクセルペダルを目で見たとして「床に張り付いて見えました」と述べた。検察側は「事故当時の記憶に関して、事実と違う点がある」と追及。アクセルペダルを見たという状況も細かく尋ね、「もう一つ動きをしないと見えないのではありませんか」と迫った。

【関連記事】1度目の被告人質問・詳報
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/100570

6月の2度目の被告人質問 松永拓也さんら遺族や被害者の代理人が飯塚被告に質問した。松永さんは最初に、真菜さんや莉子ちゃんの名前を言えるかを尋ねたが、飯塚被告は莉子ちゃんの名前の漢字を答えられなかった。事故後の調査で車の異常が確認されていない点を追及されると、飯塚被告は「再起動すると元に戻って正常に機能することがある」などと主張した。無罪主張を続けている点については「心苦しいと思っていますが、私の記憶では踏み間違いはなかった。過失はない」と語った。

【関連記事】2度目の被告人質問・詳報
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/110916

10. 蒲田の富士山[807] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年7月15日 16:41:25 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[235] 報告
<LIVE>池袋暴走事故 遺族の松永さん「最大限の刑罰を」 飯塚被告に求刑へ(東京新聞)

2021年7月15日 16時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/1
https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/2
https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/3
https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/4

 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女莉子(りこ)ちゃん=当時(3)=が死亡した事故の刑事裁判は15日、東京地裁で検察側の求刑や弁護側の最終弁論がある。自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた飯塚幸三被告(90)は「車のシステムに何らかの異常が発生した」と無罪を主張しているが、検察側はどんな求刑を行い、飯塚被告は最後に何を語るのか。裁判の様子を速報する。


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池袋乗用車暴走事故 起訴状などによると、飯塚幸三被告は2019年4月19日正午すぎ、東京都豊島区東池袋4の都道で、ブレーキと間違えてアクセルを踏み続けて時速約96キロまで加速し、赤信号を無視して交差点に進入。横断歩道を自転車で渡っていた近くの松永真菜さん=当時(31)=と長女莉子ちゃん=当時(3つ)=をはねて死亡させたほか、通行人ら男女9人に重軽傷を負わせたとされる。
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【関連記事】飯塚被告は「クリスマスの写真」と言ったけど…松永さんが提出した本当の4枚
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/116504

◆13:25 飯塚被告、入廷し一礼

 飯塚幸三被告は車いすで入廷し、裁判官に向かって頭を下げた。検察側の席に座った遺族の松永拓也さん(34)は目を伏せ、その後、しばらく目を閉じた。飯塚被告の入廷が終わると、裁判長の判断で予定より数分早く開廷した。


◆13:30 真菜さんの父上原さん「どれほど大きな存在だったか」

 遺族らの心情の意見陳述が始まった。最初に松永真菜さんの父で沖縄県在住の上原義教さん(63)が証言台に立ち、事前に用意した紙を手に「私は松永真菜の父です」と読み始めた。声は少し震える場面もあったが、静かな口調で読み進めた。

 上原さんは「大事な2人をまさか事故で失うなんて」と述べ、「どれほど大きな存在だったか述べたい」と真菜さん、莉子ちゃんの生前の様子を語り始めた。

 真菜さんは5人姉弟の三女で、上原さん夫妻と7人家族。恥ずかしがり屋で、初対面の人の前では母親の後ろに隠れてしまったという。10代のころから家庭のことを手伝い、年下の四女や長男の面倒をよくみていて「家族思いの子でした」。家計を考えてか、専門学校を卒業後に歯科衛生士として勤務。「控えめで、人を悪く言うことはなく、友だちが多かった」という。上原さんは「私は真菜を悪く言う人をみたことはありません」と語った。

◆かき氷、楽しみにしてたのに…

 真菜さんが21歳だった2009年5月、25歳だった上原さんの次女が白血病で亡くなり、上原さんは「想像を絶するつらさ」を味わった。その後、真菜さんの結婚については「そばにいてほしかった。本土は遠いというイメージでした」として当初は反対する気持ちだったことも明かした。しかし、松永拓也さんと会い「優しい人だとよく分かりました」と賛成したという。

 真菜さんが莉子ちゃんの出産後、上原さんの妻がくも膜下出血で急に亡くなった。上原さんを心配した真菜さんはスマートフォンを上原さんに渡した。上原さんは「おかげで毎日のように莉子とテレビ電話をし、成長を見ることができました。莉子は私にもよく懐いてくれ、『じいじ』と呼んでくれました」と振り返った。事故直前、真菜さんには家族で沖縄に移住する計画があり、パティシエをしている上原さんの4女とカフェを営むことを夢見ていたという。

 最後に2人と話したのは、事故の数日前。テレビ電話でだった。5月に実家の沖縄に2人で来る予定で、莉子ちゃんは、セパレート式の水着を画面越しに見せてくれた。「かき氷を食べたい。かき氷器ある」と尋ねられた上原さんは、しばらく使ってなかったかき氷器を表に出し、莉子ちゃんに見せた。「とても楽しみにしていました。話をしたのはそれが最後になりました」。

◆私自身がおかしくなったようで

 事故当日、松永さんから午後4時ごろに電話を受け、すぐに上京の準備をした。その最中に亡くなったことが再び電話で伝えられた。「直接確認するまでとても信じられない」。その日のうちに東京に行ったが、二人に会えたのは翌日だった。「遺体を見られませんでした。私自身がおかしくなったようで、夢を見ているような感覚になりました」。

 松永さんと2人で泣きながら「痛かったね」「ごめんね、じいじが代わってあげられなくて」と語りかけながら一夜を明かしたという。

 上原さんは事故後、東京での署名活動のために上京した。まだ、気持ちの整理がついていなかったが、「ちょっとでも手伝えたら」と思い、参加した。東京は怖い場所だと思っていたが、多くの人が署名し、2人のことで泣いたり、語り合っている姿をみて、「こんなにも思っている人がいて、真菜もそんなに悪いところに住んでいたわけじゃないんだ」と思えたという。

 その後、地元の沖縄でも署名活動を行った。飯塚被告はうつむいたまま聞いていた。

◆「いったい誰が裁かれているのか」

 裁判が始まり、上原さんは裁判のたびに上京した。でも気持ちは晴れない。「誰が悪いのか分かっているのに。加害者に寄り添って見えました」と当時の心境を打ち明け、「いったい誰が裁かれているのか。私たちが裁かれているような気がしました」と振り返った。

 上原さんは自動車整備士をしていたことがあるといい、「車のことがわかるだけにより腹立たしい」と思った。被告人質問の後に、飯塚被告に対して「あの人に何も言ってもだめなのか」「私たちのことをこれっぽっちも考えてくれない。車のせいにしている」と感じた。

 「事故後、真菜の顔の傷をみて、本当に苦しかったです。あんな2人を見たのに、まだ信じられません。また戻ってきそうな気がしてならない」と涙ぐんだ。

 「毎日のように電話していたのに、突然亡くなったことに、今でも受け入れることができません。玄関を空けると、真菜の声が聞こえてきたような気がすることがあります。神様がいるなら、こんなことがあるのでしょうか。真菜と莉子を返してほしい」。娘たちとカフェを開く夢があったといい、「遺族としても夢を奪われた」と訴えた。

◆「あなたも人の子なら…」

 上原さんは「飯塚さん、あなたも人の子なら車のせいにせず、罪に向き合っていただきたい」と望んだ。「刑務所に入ってほしいです。反省するために。真菜と莉子は帰ってきません。せめて反省していただきたい」述べ、終えた。

 飯塚被告はうつむいたまま。上原さんは席に戻ると、ハンカチを顔に当てた。


◆14:00 真菜さんの姉「外出先で涙があふれ…」

 上原義教さんの長女(真菜さんの一番上の姉)の意見陳述を弁護士が代読した。

 ニュースで「2人が亡くなった」と聞いた。嘘であってほしいという気持ちでした。加害者への怒りが込み上げました。防ごうと思えば防げたのではないか。鉄の塊を運転するのだから、安全に運転する意識がないと事故を起こしてしまいます。絶対に許せない。

 事故からしばらく、心が壊れそうでした。私も子育てをしているので、一日中事故のことを考えるわけではありませんが、2人のことが思い出されて外出先で涙があふれることもありました。「なぜ真菜と莉子が亡くなったのか」とか「ひかれた衝撃はすごかっただろう」とか。真菜と画面越しにランチができなくなってさみしいです。

 父はもともと腎臓を悪くしていて、母が料理に気を使っていました。母が亡くなってから真菜がその役目を担っていました。父は事故の後、感情の浮き沈みが激しくなりました。(真菜さんの夫の)拓也君は私の想像を絶する絶望感を味わっただろうと思います。命を絶たないか心配していました。大切な二人を失っても生きなければならないことは、生き地獄だったことでしょう。裁判が終わって少し落ち着いたときに再び悲しみが襲ってくるのではないかと心配です。

◆事故に心から向き合って

 加害者にも家族がいると思います。事故によって2人の命以外にも多くの人が人生を狂わされたことを分かっているのでしょうか。父も言ったように人間は誰でも過ちを犯します。月命日は手を合わせているというのも形だけという感覚でしょう。何を言っても加害者の心には届かないと思います。刑務所に入らないと気付かないでしょう。高齢だから収監しないということになれば、心を突き刺されたような感じです。加害者には事故に心から向き合ってほしい。刑務所には行って罪を償ってほしい。

 飯塚被告は、長女の意見陳述をうつむいたまま聞いていた。


◆14:10 真菜さんの妹の意見陳述

 上原さんの4女(真菜さんの妹)の意見陳述を弁護士が代読した。

 真菜は優しい性格で、私のわがままを聞いてくれました。真菜が事故に遭った当時は妊娠9カ月でした。生んでからの方が辛かったです。夢で真菜が出てきていつもハグしてくれます。夢から覚めると私はいつも泣いています。ママになってから真菜と話がしたかったです。
 
 父は事故の後、話さなくなりました。何を考えているのか分からなくなりました。母はくも膜下出血という病気で亡くなりましたが、真菜と莉子は犯罪で亡くなりました。「なぜ世界で2人が選ばれたのか」と考えます。報道でタク(夫の松永拓也さん)を見て「そんなに頑張らなくてもいい」と思います。以前はもっとリラックスした笑顔を見せていました。父は眠れないようです。東京から帰った父に裁判のことを聞くと「あの態度はひどい」としか言いません。


◆14:20 真菜さんの弟「まなねえ、一番頼りに」 

 真菜さんの弟に当たる上原家の長男が証言台に立った。真菜さんを「まなねえ」と呼び、「一番頼りにしていました」として、進路相談をしたことなどを語った。

 家族の中で「一番おしゃれ」だったといい、外出時の服装をチェックしてもらうと、ダメだしされることはなく、いつも「いいんじゃない」と自信をつけさせてくれたという。

 莉子ちゃんは「なかなか懐いてくれなかった」と振り返ったが、長男のギターに合わせて宇多田ヒカルさんの「ぼくはくま」やディズニーの「リメンバー・ミー」を歌ってくれたエピソードを披露。事故の数カ月前に、莉子ちゃんが1人で長男の部屋に来てくれるようになっていたという。

 飯塚被告に対する思いは多くを語らなかったが、「事故の後、人の運転が気になるようになりました」とし、運転免許の更新制度の改善を訴えた。


◆14:25 松永拓也さんの母「無念伝えたくて」

 松永拓也さんの母が「真菜ちゃんと莉子の無念を伝えたくて」と証言台に立った。拓也さんが「沖縄の女性にひと目ぼれした」と話し、沖縄にいる真菜さんに毎日1時間ほど電話をする様子を見て、「感心したり、半ばあきれたりしていました

 その後、真菜さんの母親と沖縄の高校時代の同級生だったことが判明。拓也さんたちが結婚する際、真菜さんの母に「うちの拓也なんかでいいの?」と聞くと「たーくんは、真菜のために生まれてきたんだよ」と返され、嬉しく思ったという。莉子ちゃんが生まれた後には、真菜さん莉子ちゃんと3人で食事をすることがよくあったといい、真菜さんについて「一緒にいるだけで心穏やかにさせてくれる、女性として尊敬できる人でした」と振り返った。

 真菜さんたちが松永さんの親の住むビルに転居したきっかけについて、沖縄に移住する準備のためと証言。毎日のように交流し、莉子ちゃんは「ばあば、おなかすいた」が口癖だったという。

 こうした思い出話が続く中、検察側の席に座る拓也さんは、眉間にしわを寄せ、涙をこらえるような様子を見せた。

 松永さんの母は、事故の数カ月前、莉子ちゃんの七五三の写真を撮りに行ったときの話も披露。莉子ちゃんは「初めてのお化粧」をし、自分で赤い着物やブルーのドレスを選んで「お姫さま気分でとってもうれしそうでした」と話した。

 「その数カ月後に遺影になってしまうなんて、誰が想像できたでしょうか」

 松永さんの母は、事故の前に莉子ちゃんとおでかけした時の思い出を語り始めた。「ばあばとでかけよっか?」と2人で池袋のサンシャイン60へ出かけた。のどが渇いたころ、ちょうどマクドナルドがあったので、「マックいく?」と聞くと「うん、莉子はリンゴジュース飲みたい」とリクエスト。莉子ちゃんは、ジュースを一気に飲み干し、「おいしい」とにっこりほほ笑んだ。莉子ちゃんの「マックデビューの日」だった。

 その後、書店で、莉子ちゃんからおねだりされたノンタンの絵本2冊を購入し、おもちゃ店ではピンク色のバギーも買った。「おばあちゃんとしては大満足の一日でした」

 事故当日、ヘリコプターの騒がしい音がしていた。テレビでは、事故の様子が映っていた。息子の拓也さんから電話を受け、目の前の映像とリンクすると、夢か現実かわからなくなった。すぐに病院に向かったが、医師の言葉に「地獄に突き落とされた」。霊安室で2人と対面したが顔を見ることはできず、冷たくなった手を握ることしかできなかった。

 自宅に戻った真菜さんと莉子ちゃん。拓也さんは夜、静まり返った部屋で莉子ちゃんの手をつなぎながら、泣きながら絵本を読んでいた。

 事故から1年半、裁判が始まった。「公判では罪を認める言葉が出ると信じていた」が、実際は「わけのわからないこと」ばかりだった。

 飯塚被告に対して、「一瞬にして目の前からいなくなって、どれほどつらいか。私たち家族の思いを想像したことがありますか」と聞いた。事故で2人が乗っていた自転車が真っ二つで返ってきた。被告が言い間違いと認めないことについて、「むなしくて、人として謙虚であるべきです」と語った。

 実刑を求めるとして、「法廷では実にしっかりしている」。涙をすすりながら、向かった。


◆14:40 松永拓也さんの父の意見陳述 

 拓也さんの父が立った。事故のあった日、拓也さんから電話を受けた妻と一緒に病院に向かった。急いでタクシーに乗り、「無事でいてほしい」と願った。車内のラジオ2二人が心肺停止と伝えていた。祈る気持ちだったが、病院で担当医は「搬送された時点で死亡していた。おそらく即死でした」と伝えられた。声を上げて夫婦で泣いた。

 遅れて拓也さんが到着した。「お父さん2人は?」。自分の口で言うのはつらかったが「ダメだった」。3人で泣いた。

 真菜さんの顔に複数の傷があった。「穏やかな顔でしたが、無念さがにじみ出ていることを感じ、身の震えが止まりませんでした」と振り返った。
 
 真菜さんと初めて会ったのは2014年2月。息子から「会ってほしい人がいる」と言われ、妻と顔を合わせた。「沖縄の両親の愛情を受けて育ったことが伝わる、つつましく明るい笑顔の方でした。真菜さんを見初めた息子を見直した」

 松永さんはこの年の10月に沖縄に挨拶に行った。その後に結婚式を挙げ、莉子ちゃんが生まれた。「スクスクと育って可愛い、優しい子だった」。真菜さん、莉子ちゃん、松永さんの娘の孫たちと幼児番組を見ていた時、莉子ちゃんは、あぐら座りをしていた松永さんの足の間にスッと座り、その後松永さんの顔を見上げて「しまった」という顔をして立ち上がった。「テレビの前に座り直したのがほほ笑ましい光景でした」。

 松永さんは「息子たちの人生をめちゃくちゃにして、反省の影もない加害者を心底、憎みます。厳罰を望みます。署名活動や慰霊碑建設に協力してくださった皆さまに心より御礼申し上げます」と語った。


14時50分 松永拓也さんの意見陳述

 妻と娘を亡くした松永拓也さんが意見陳述に立った。

 冒頭まず「あの事故により一人残されてしまいました。どれほど二人を愛し幸せだったのかを伝えます。懸命に生きて輝いていた31歳の女性と、たった3年しか生きられなかった女の子のことを知ってもらいたいです」と切り出した。

「被告が無罪主張することで遺族が抱える苦悩を知ってほしい。最大限の刑罰を与えていただきたいです」と語った。

 拓也さんは真菜さんとの出会いを語り始めた。

「いつも真菜と呼んでいたのでこの場でも真菜と呼ばせていただきます」。真菜さんと出会ったのは、2013年、沖縄の母方の親族の集まりだった。「僕の一目ぼれでした。僕の話をずっと笑顔をで聞いてくれました」
 
 拓也さんは真菜さんと過ごした日々を「今でも色あせない大事な思い出」と語った。「人の悪口や愚痴を決して言わない人。心の底から尊敬していた」と話した。

 実は2度、交際を断られていたとも明かした。「真菜は姉を白血病で亡くしたと聞きました。沖縄を離れられないと話していました」。意を決して3度目の交際を申し込んだ時を振り返った。「真菜は『きょうは11月4日だよ』と言いました」。ここで拓也さんはきょう初めて涙で声を詰まらせた。「『いいよ≠フ日だよ』と、照れくさそうに受け入れてくれました」

 14年5月にプロポーズすると、真菜さんは「うれしい」と泣きだした。「沖縄のご両親も真菜を遠い地域へ送り出す苦悩があったと思います」。翌年に籍を入れました。仕事から帰ると「お帰り」と出迎えてくれた。遠距離生活が長く、そんな日常を幸せでに感じた。拓也さんは腎臓が悪く、真菜さんは「私が直してあげる」と食事に気を使ってくれた。拓也さんの体調は目に見えて元気になり「真菜のおかげで精神面でも成長させられた」と語った。

 15年のある日、真菜さんが拓也さんに飛び付いてきて「子どもを授かった」と言った。「毎日お腹に話し掛けて、真菜も『ベビーちゃん早く会いたいね』と話していました。つわりがひどかったのですが協力して日々を過ごしました」

 莉子さんは誕生時、3170グラム。小さな命を抱き上げて真菜さんはは「かわいい」と涙を流した。「小さな手で私の手を握り返した、そのぬくもりに『神秘的だ』と思いました。命を懸けて莉子を生んだ真菜に感謝しました」

 莉子さんの名前は、良い香りで人を幸せにするジャスミンの花に由来している。花言葉は「愛らしさ」だ。「人から愛される人に育ってほしいという願いを込めました」

 莉子さんは「真菜に似た恥ずかしがり屋」だった。友だちとのおもちゃの取り合いになっても「貸して」と言われると貸し手あげる子だった。文字が読めないのに。家にある何十冊もの絵本を記憶していた。真菜さんが体調を崩すと、「お母さん、莉子をいっぱい抱っこしたから疲れた」のと心配していた。

 拓也さんが休みの日には、3人で春は花見、夏は海や祭、秋は紅葉、冬は温泉に出掛けた。

 ある日、真菜さんが遠慮気味に「3人で沖縄に移住したい。海のそばに小さくてもいいから家を買いたい」と言った。拓也さんは「真菜らしくすてきな夢だ」と思い、2020年には沖縄に移住しようと約束した。

 19年4月19日だった。昼休みにいつものように真菜さん、莉子さんにテレビ電話をした。2人は南池袋公園で遊んでいて、拓也さんは「気をつけて帰るんだよ」と伝えた。

11. 蒲田の富士山[808] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年7月16日 09:02:35 : ThU5Gy6dsg : UWU5VlZ1UlRBak0=[236] 報告
コメント10の続き(14時50分 松永拓也さんの意見陳述 の続き)
小タイトル<◆「見ない方がいい」> が挿入されているため、前2行は重複しています。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/4
https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/5
https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/6
https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868/7

◆「見ない方がいい」

 19年4月19日だった。昼休みにいつものように真菜さん、莉子さんにテレビ電話をした。2人は南池袋公園で遊んでいて、拓也さんは「気をつけて帰るんだよ」と伝えた。

 午後2時ごろ、拓也さんに警察から電話が入り、2人が事故に遭ったと知らされた。電車に飛び乗って病院に向かう途中、携帯電話に「30代と3歳くらいの女性が心配停止」とニュース速報が入った。震える手で「無事でいてくれマナりこ」とLINEを送ったが、既読にならなかった。

 病院に着くと、2人は即死だったと聞いた。真菜さんの顔は冷たく、莉子さんの顔は看護師から「見ない方がいい」と言われた。葬儀業者からは、莉子ちゃんの顔を修復するには「3日間離れ離れになる」と言われ、断腸の思いで断った。  

15:00 拓也さん「傷だらけのおでこに口づけをしました」

 松永拓也さんが、涙をこらえるような声のまま陳述を続けた。「2人の棺のふたを交互に開けて、ずっと語りかけました。真菜にはどれだけ愛しているのか、感謝しているのかを。莉子には、たくさんの幸せをくれたことに、ありがとうと」。

 鼻をすすりながら、ノンタンの絵本を何度も読み聞かせたことを語り、深夜に莉子ちゃんの顔を隠す布をめくろうとしたことも明かした。「少しめくっただけで分かりました。莉子の顔は完全に陥没していました。最後のお別れなのに、娘の顔さえ見えない無念さは計り知れないものでした」。葬儀中も、2人と別れることがつらく、何度も2人の棺を行き来し「傷だらけのおでこに口づけをしました」。

◆夢で真菜さんと会い…

 事故後、「交通事故で亡くなる命を1つでも減らせるのではないか、そうすれば2人の命を無駄にしなかったよといつか2人に言えるのではないか」と考え記者会見に臨んだと説明した。

 その数日後、夢で真菜さんと会い「1人にしてしまってごめんなさい。あなたに出会えて幸せだった」と告げられ、「莉子は、この世に顔を置いていきたくないと言って泣くので、困っている」と言われたという。拓也さんは「胸がえぐられるような思いでした。その後も、悲嘆と葛藤と苦悩の日々でした」と語った。

 公判での飯塚被告の主張についての思いを語り始めると、涙をこらえる様子はなくなり、声が少し大きくなった。無罪主張に対しては「常識的にも、技術的にも無理があると思います。弁護人は無罪主張は無理があると進言しなかったのでしょうか」と述べた。

 飯塚被告に対して憤っている理由については「数々の証拠を突きつけられてもなお、荒唐無稽な主張を続けるのに対し、憤りを覚えているのです」とした。

 拓也さんが最後に刑罰について言及した。「刑務所に行き、命や無念と向き合う時間を持つことが心からの償いになる」とし「被告人には重い実刑判決を望みます」と述べた。

【全文】松永拓也さんの意見陳述 真菜さん莉子ちゃんとの幸せと、飯塚被告への憤り
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/116876


◆15:30 検察官「アクセルペダル踏み続けた」

 一時休憩の後、車いすを押されて飯塚被告が法廷に戻り、再開した。検察の意見陳述が始まった。被告は、ブレーキを踏んだのに作動しなかったなど、車に異常が発生したとして無罪を主張している。

 検察側は、被告の車はトヨタの4ドアで、アクセルペダルを踏まないと加速しない点や、ブレーキペダルを踏み込めば、油圧式で物理的にブレーキがかかる点を指摘した。飯塚被告が新車で購入後、定期的に点検を行い、事故の直近の点検でもアクセルやブレーキに異常は見つかっていなかった、とした。

 飯塚被告は、検察官をまっすぐにみつめていた。

 検察官は「マンションから事故現場まで運転する間、アクセルペダルとブレーキペダルは正常に機能していた」「警視庁とメーカーが事故後に行った車両の機能検査でも異常の痕跡は認められなかった」と強調。鑑定を行った警視庁やメーカーの技術者らについても、事故の分析や画像解析の経験が豊富で、証言は信用性があるとした。

 検察官は、異常の痕跡がなく故障コードも存在しないことから、事故原因を「ブレーキペダルと間違えてアクセスペダルを踏み込み続けたことにある」と説明した。

 交差点左折時に時速60`だった速度が、車両が縁石にぶつかったときに69`、最終的に96`まで加速したことからも、ブレーキペダルが踏み込まれておらずアクセスペダルが最大限に踏まれていたと考えられる、とした。

◆「ブレーキランプ点灯せず」

 検察側の主張が続く。飯塚被告の車のそばを走行していた証人らの「ブレーキランプは点灯していなかった」という証言の信用性を強調し「ブレーキペダルが踏まれていなかった」と結論づけた。

 また、飯塚被告の車の同型車で行った再現実験の結果から、縁石に接触した後、アクセルペダルを全踏み込みしたままの場合、事故現場では時速100キロほどになり事故時の記録と同様だったと指摘。ブレーキペダルなどに踏み間違えたときにつきやすい痕跡があったことも挙げ、飯塚被告が故意にアクセルペダルを踏んだとは認められないことから、事故原因を「ブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み続けた」と指摘した。

◆誤認識「常識的に考えられない」

 車の電子制御が誤作動したとする弁護側の主張については、電子系統に異常を感知する複数の仕組みがあることを一つ一つ説明。ブレーキペダルを踏んだのに、アクセルが踏まれたと車が誤認識する可能性について、「誤認識が同時に継続的に生じるとは常識的に考えられない」とした。

 飯塚被告が事故現場手前の交差点を左折時に「断続的にブレーキを踏んだ」と供述していることについても、加速の状況から「断続的に踏んだのは、ブレーキペダルではなく、アクセルペダルであったと認められます」とした。

 「アクセルペダルを踏んでないのに、エンジンが高速回転した」「アクセルペダルが床に張り付いていた」など被告の主張について、検察側は「客観的な証拠と反している。不自然と言わざるを得ない」と指摘した。

【関連記事・初公判】飯塚被告「心からおわび」でも無罪を主張「車の異常」
          https://www.tokyo-np.co.jp/article/60635


◆16:00 検察「不都合な弁解に終始」

 うつむいていた飯塚被告に、突然、傍聴席から「寝てるんじゃないよ。居眠り」と大きな声が飛んだ。裁判官が「静かに」と制止した。

 検察側は「ブレーキとアクセルを踏み間違え、車を暴走させた。踏み間違いの過失はあまりにも初歩的で基本的な操作の誤りだ」と主張した。

 今回の事故を起こす前に、少なくとも5回は物損事故を起こしたことや、踏み間違え防止機能の付いた車の買い換えを検討していたことから、「能力の衰えを認識していたか、衰えつつも能力を過信していた」として、高齢であることの酌量はないと訴えた。

 飯塚被告が無罪を主張していることについて、「不都合な弁解に終始している。遺族や被害者に心からの謝罪がなく、さらに傷つけ、絶望を与えている」として、禁固7年を求刑した。

◆16:15 遺族側弁護人「執行猶予の余地なし」

 遺族側の弁護人は、飯塚被告が、加齢に伴う認知機能の衰えを自覚していながら漫然と運転を続けていた、と批判した。東池袋の交差点を左折する際の判断について「カーブを左折する際、正常であれば、先行車両が複数台いたら同時に追い越そうなどと思わない」「縁石に衝突する前に、避けようとハンドルを右に切ったが間に合わなかったのも、加齢のため交通環境の変化に適切に対応できなかった」とした。

 「アクセスペダルとブレーキペダルの踏み間違いはない」と飯塚被告は主張している。弁護人は「アクセスペダルとブレーキペダルでは圧力が全く違うのにそれに気付かないのは身体能力の衰えだ」と述べた。

 事故当時、被告は歩行時につえを使っていた。「歩く時はふらついたからつえをついていた。座って運転するには全く問題がない」として運転を続けたことについて、弁護人は「自分勝手な言い分だ」「唯我独尊の極み」などと指摘。「罪を認めず無反省の態度が遺族を一層苦しめている」と述べた。

 弁護人は、今回の事故で被告の主張が認められるならば、今後、高齢者の運転で踏み間違いや逆送による事故が起きた際に、被告と同様の主張が認められかねないと説明。「執行猶予の余地は全くない」した。飯塚被告はじっとうつむいて聞いていた。

16:30 弁護人「無罪を求めます」

 飯塚被告の弁護人に切り替わった。弁護人は「無罪を求めます」と話した。事故当時に飯塚被告がブレーキペダルを操作するべき状況にはなかったこと、また、アクセルペダルを踏み続けたという検察側が主張に対して、明らかな裏付けは存在しないこと、この2点について説明を始めた。

 駐車場などで踏み間違え事故が起きる原因について、上半身をひねる動作の影響で足が左右に動いてしまうメカニズムがあるとし、「本件は今、述べたような踏み間違え事故が起きるような状況とは違う」と主張。

 踏み間違えに気づくかどうかについても、「加速の開始から衝突まで10秒の時間があり、操作ミスを認識して対応する時間があったと言える。異常を認識しながらアクセルペダルを踏み続けること自体が不自然」とし、ブレーキとアクセルの踏み間違いを否定した。

◆「踏み間違い考えられない」

 さらに、ドライブレコーダーの映像をもとに、事故現場手前の交差点に入る直前まで「車間距離を保つ運転をしていた」とし、「踏み間違いが起きるとは考えられません」と主張。ブレーキランプが点灯していなかったかどうかについて「明らかにする証拠はありません」と言及した。

 その後も交差点内での車線変更について「急なハンドル操作をしていない。ブレーキを踏むような状況にあったとは言えません」と述べるなど、ブレーキと間違えてアクセルを踏んだとする検察側の主張を否定し続けた。また、車の記録装置に残っていた事故直前のアクセルの状況に関するデータに対しては「このような信号を受信したことを示すのに過ぎない」とし、電子系統の不具合が起きていた可能性を「排斥するものではない」とした。

◆16:45 飯塚被告の弁護人「ブレーキ操作した」

 飯塚被告の弁護人は、車にブレーキを踏んだ記録があるとして、飯塚被告は「ブレーキを操作していた」と主張した。また、足を上げてアクセルペダルを見たとの証言について、「被告は暴走の原因を知りたいと思った。右足をあげて元に戻すのに、1秒もあれば足ります」と述べた。真菜さんの父、上原さんは弁護人を厳しい視線で見つめていた。

 弁護人は、暴走した車のスピードの計測方法が統一されていないことや、計測に使った防犯カメラの画像が広角レンズで一定の誤差があることなどを指摘した。

 さらに、「電子的なエラーを再現できない故障は電化製品である。たまたま本件事故で異常が発生したことを否定しない」と訴えた。

 一方で、ドライブレコーダーの映像と飯塚被告の証言には「齟齬がある」と認めた。ただ、車が高速で走っていたので、「車外を正確に認識し、記憶できない。恐怖心やパニックに陥っていたことも加味する必要がある」として、食い違いがあっても不自然はないとした。

◆「苛烈な社会的制裁」

 そんな中でも足をあげてペダルを確認したことは「通常行わない動作だ」として、記憶は正確だと主張。「足を上げてペダルをみたと供述していた。公判の証言は信用できる」とした。

 弁護人は「本件事故について若干補足させてほしい」と話した。事故直後からマスコミやソーシャルメディアにより、「踏み間違いが事故の原因」と断定的に報じられ、私人の飯塚被告があたかも有罪のごとく扱われた状況などを説明。「氏名不詳者による数々の脅迫にも悩まされた。苛烈な社会的制裁と言える」と強調した。

◆17:05 飯塚被告「もっと早く止めていれば」

 飯塚被告は「最後に言いたいことは」と裁判官に聞かれ、証言台で車いすから立ち上がった。

 「まず被害者のお二方、そのご親族のお気持ちを先ほどからお話しいただきました」と述べ、松永さん、上原さんらの座る方を見た。「その気持ちを思うと心苦しい思いでいっぱいです。しかし、アクセルペダルとブレーキペダルを踏み間違えたという記憶は全くございませんので、裁判を通じてそのように話をさせていただきました。今も、そう思っております」ときっぱりと述べた。

 「結果論でありますけど、日常の活動に必要と思っていたが、もう少し早く運転を止めていればと反省しています」と続けた。

 「最後に、松永真菜さんと莉子さんが亡くなったことを本当に、本当に申し訳なく思っております。今後もお祈りさせてもらいたいと思っています」。松永拓也さんは目を閉じてその言葉を聞いていた。

 飯塚被告は「けがをされた被害者にも申し訳なく思っております。早く回復するよう祈っております」と話した。


◆判決は9月2日

 裁判長が判決は9月2日午後2時からと言い渡し、結審した。

12. 蒲田の富士山[891] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年9月02日 17:16:20 : ppIazu1xKw : RkNTU081dXc1ci4=[6] 報告
【LIVE】池袋暴走事故 飯塚幸三被告に禁錮5年の実刑判決 裁判長「過失は重大。深い反省の念ない」(東京新聞)
2021年9月2日 15時59分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/128430

 東京・池袋で2019年4月、乗用車が暴走し、松永真菜まなさん=当時(31)=と長女莉子りこちゃん=当時(3)=が死亡した事故の刑事裁判は2日午後2時から、東京地裁で判決が言い渡される。自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われ、禁錮7年を求刑された飯塚幸三被告(90)にどのような判決が出されるのか。判決の内容や法廷の様子を速報する。

11時20分 傍聴券求め563人、倍率25倍

 雨の中、地裁には傍聴の整理券を求める長い行列ができた。裁判所によると、整理券563枚を配布し、倍率は約25倍となった。
 飯塚幸三被告は、運転ミスはなく、車の不具合が原因として無罪を主張している。検察側は車に異常はなかったと主張し、飯塚被告がブレーキと間違え、アクセルを踏み続けて事故を起こしたとして、禁錮7年を求刑している。

13時15分 松永拓也さんら遺族が東京地裁へ

 松永真菜さんの夫の松永拓也さん(35)や、父の上原義教さん(64)が東京地裁に入った。拓也さんの手には、晴れ着姿の真菜さんと莉子ちゃんの遺影。拓也さんと上原さんは終始、伏し目がちで厳しい目つきのまま地裁の門をくぐった。

14時00分 飯塚被告に禁錮5年の実刑

 下津健司裁判長が飯塚幸三被告に禁錮5年の実刑判決を言い渡した。車いすのまま証言台に入った飯塚被告は、判決言い渡し前の氏名の確認に「はい」と大きく、はっきりとした口調で返事をした。実刑が言い渡された瞬間には、身じろぎする様子はなかった。飯塚被告の額の右端には茶色いあざがあり、ばんそうこうが貼られていた。

14時10分 踏み間違えと認定

 裁判長は、被告がブレーキと間違えてアクセルを踏み続けたことを認定した。「過失がある」と述べた。
 弁護側は、車の何らかの異常で暴走したため、ブレーキとアクセルを踏み間違えたわけではないと主張していた。飯塚被告はうつむき加減で、じっとした様子だった。
 松永拓也さんは時折、眉間に深いしわを寄せ、目をつぶり手を当てていた。
 警察の調べでは、被告の車が2人の自転車と衝突したときに、推定で平均速度で時速96キロに加速していたとしていた。弁護側は警察の調べに信用性がないと主張していたが、裁判所はドライブレコーダーの映像や防犯カメラ、現場での測量などから「特段の問題はない」と判断した。
 車が暴走していた際にブレーキランプが点灯していなかったという目撃者の証言を「信用できる」とし、車の記録にもブレーキペダルが踏まれた形跡がなく、アクセルが最大限まで踏まれていたことを示していたことなども指摘した。
 「ブレーキとアクセルを踏み間違える状況ではなかった」という弁護側の主張は「パニック状態に陥り、踏み間違えに気づかないまま踏み続けるのは十分ありうる」と退けた。

14時35分 車の不具合「通常は考えがたい」

 弁護側が事故原因だと主張した車の不具合については、暴走を抑止する車の機能を指摘。アクセルやブレーキ、車載コンピューターに関する多種多様な故障が偶然、同時に起きないと今回のような暴走には至らないことから、「通常は考えがたいと言うべき」と退けた。

14時45分 「苛烈な社会的制裁」も考慮

 禁錮5年とした量刑理由についての説明が始まった。「アクセルとブレーキを的確に操作することは、年齢にかかわらず等しく求められる最も基本的な注意義務の1つ。被告人の過失は重大」と指摘した。法廷で踏み間違えの記憶は全くないとの証言に「過失を否定する態度に終始している。深い反省の念を有しているとはいえない」と非難した。
 一方で、90歳と高齢で、体調も万全ではないと考えられることや、「誰しもが不測の事態に直面して狼狽してしまうことはあり得る」ことも考慮。事故後、脅迫状が届いたことなどを「苛烈な社会的制裁」と指摘し、「被告人に有利に考慮すべき事情の1つ」とした。

14時55分 裁判長「遺族に真摯に謝って」

 下津裁判長は判決を読み終えると、「被告人、いいですか」と声をかけた。飯塚被告は深く2回うなずいた。
 続いて、裁判長は「過失は明白。被害者遺族に真摯に謝っていただきたい。そこを認めて謝罪するところから実践していただきたい」とさとし、「控訴することでもできます」と手続きを紹介した。
 飯塚被告はうなずき、うつむいたまま弁護人に車いすを押されて法廷を後にした。真菜さんの父親の上原さんは被告の背中をじっと見詰め続けた。

【関連記事】禁錮5年の実刑判決で飯塚被告はどうなる? 禁錮刑確定でも「執行停止」の可能性も
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/128443

13. 蒲田の富士山[893] ipeTY4LMlXiObY5S 2021年9月03日 04:21:08 : ppIazu1xKw : RkNTU081dXc1ci4=[8] 報告
上の記事は、昨日の最終更新で、タイトルの【LIVE】が、【詳報】に変更されています。
URLは同じです。
【関連記事】が追加されていますので、追加します。

ーーー以下引用

【関連記事】飯塚幸三被告に「罪と向き合ってほしい」 遺族の松永拓也さんが判決を聞いて抱いた期待
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/128509

【関連記事】飯塚被告に禁錮5年判決、刑確定なら勲章剥奪 禁錮と懲役刑の違いは?
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/128481

【関連記事】飯塚被告に異例の説諭 裁判長「過失は明白。遺族に真摯に謝って」
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/128480

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