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政界地獄耳 共産党大会にサプライズ小沢(日刊スポーツ)
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/233.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 16 日 10:20:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


政界地獄耳 共産党大会にサプライズ小沢
http://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/1765905.html
2017年1月16日9時50分 日刊スポーツ


 ★今年結党95年を迎える共産党は15日、3年ぶりとなる党大会を熱海市内で開いた。大会には野党共闘で協力し合う民進党代表代行・安住淳、自由党代表・小沢一郎、社民党党首・吉田忠智、沖縄の風・糸数慶子が結党以来初めて来賓として出席。メディア取材も「例年の3倍の人数」(党広報)という盛況ぶりだ。

 ★来賓としてあいさつに立った安住は冒頭、「緊張している」と発言すると、会場からは「しっかりやれ」と声がかかるなど、民進と共産との関係はいまだぎくしゃくしがちだが、党員は温かく受け入れた様子。帰りにぶら下がりに応じた安住は「熱気があった。今日は個人として来たわけではない。安倍1強を倒すにはある程度乗り越えないと」と答えた。自由党は参院会長・森裕子の出席が予定されていたが小沢がサプライズ出席した。小沢はあいさつで、昨夏の参院選の選挙協力の効果を評価する一方「私から見れば敗北」とし、最後には「ご指導鞭撻(べんたつ)の程お願い申し上げる」と頭を下げ、拍手も一段と大きかった。

 ★党委員長・志位和夫は「安倍内閣は高支持率だが、安倍政権に代わる強力な選択肢がないからだ。受け皿がないからこそ勝利の方程式がある」と野党共闘の意義を強調。野党共闘についても「綱領、理念、政策が違うから一緒にできないというが、当面の課題が一致すれば相違点を相手に押し付けず力を合わせればいい。国民的大義で合意点を図るべき。日米安保など独自の立場は持ち込まない。多様な政治的立場は野合ではない。安倍政権こそ多様性ゼロだ。野党と市民の協力は強みになる」と自信を見せた。また共産党の将来像について「党が目指す社会は将来の見通しだ。人間の自由を掲げている。ファシズムのような全体主義ではなく、日本の将来は国民が決めること」と党の綱領などを変更することへの言及を避けあいまいさを残した。ボールは改めて民進党に投げられた。(K)※敬称略


共産党大会 志位委員長が野党結束を呼び掛け(17/01/16)


第27回党大会/4野党の来賓あいさつ

2017/01/15 に公開
民進党代表代行・安住淳さん
自由党代表・小沢一郎さん
社民党党首・吉田忠智さん


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2017年1月16日 10:25:59 : Kqd47bzyKU : UshF2FYtWuk[1]
なんだ、拍手したの、まだ、おいら一人かよ。

野党共闘頑張れ!
悪の権化ファシスト・アヘを
地獄へ追い落とせ!


[32初期非表示理由]:担当:言葉使い

2. 2017年1月16日 10:45:30 : Etr0hB1CuE : rljAPJZkN9M[6]
民進よ、野党共闘しないと勝てないの判ってるだろ?

クズがトップの連合なんかに気兼ねするこたあない。連合末端員はちゃんと野党に投票してくれるよ。大企業のバカ共にどっちが正しいか見せる時だよ。


3. 2017年1月16日 11:23:39 : FdhLf2bMGF : U@iy05EI_tQ[1]
野党共闘の政権樹立を目指さずに選挙協力だけ得て党議席のみ増やしたいと自己中の民進党の姿が透けて見えます。
民進党が自己中から抜け出るために、党首を山尾さんに変え、新体制で出直して欲しいと願う気持ちは国民の共通の思いでしょう。

4. 2017年1月16日 11:24:33 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[1393]
河上満栄氏
「日本共産党第27回大会のご盛会を心よりお慶び申し上げます。私たちが先頭に立って来たる総選挙では野党と市民の共闘を進化させ、政権交代を実現しましょう。」
https://twitter.com/kawakamimitsue/status/820814507157008384

小沢総理が理想ですが、蓮舫総理、志位総理、福島総理でも構いません。


5. 安倍を辞めさせる会[609] iMCUe4LwjquC34KzgrmC6Ynv 2017年1月16日 12:00:24 : FAt0kYWxVo : ylcjRTfmBXc[569]
内閣支持率なんて検証がし様がない。そんなものを恐れる必要はない。支持する層は積極的に支持しているものは皆無だ。

6. 未来のTOW[18] lqKXiILMVE9X 2017年1月16日 15:01:33 : OzuXgIfLc2 : xNWDYtRtYR4[6]
いやー歴史は変わったねえ。
あの、共産党が民進党や社民党と手をつなぐとは。
日本社会党時代の人たちが見たらなんというだろうか。原水禁と原水協の合併も近いのかな。

「日本共産党」という名前はご立派だが、共産党って革命政党なんじゃ?
民進党や自由党のような「資本主義の犬」たちと手を取り合うのは、共産党という名前的にどうなのだろう。

そんなんじゃ、「プロレタリア独裁」なんてできないような。いや、もうあきらめてるのかもしれない。
「私有財産制の否定」はどうなのか。まだ生き残ってるのかな?「自由党」と手を組んだ時点で放棄しているのか。

こんなんで、共産党と呼べるのかねえ。社会民主党その2に名前変えたほうがいいんじゃないだろうか。
はっきり言わせれば、「日和見主義」「ブルジョアの味方」と言われても仕方がないんじゃあないか。これ、共産党という名前は間違ってるよ。


7. 新共産主義クラブ[2952] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月16日 15:22:07 : WUl0YGksrg : _uJUp2kRNKY[35]
 
 共産主義とは、生産手段の所有の有無による経済格差をなくすことを目指す思想のこと。
 
 人々が、労働賃金の他に、株式配当を平等に受け取れるようにすることが、現代流の共産主義の再定義になると私は思う。
 
 「ベーシックインカム」というよりも、「ベーシックキャピタルの所有による、配当の平等な分配」という表現の方が近いだろう。
 

8. 2017年1月16日 15:28:31 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[3]
6さんへ

いや、政権がほしいだけに変わったのさ。
今更、マルクス主義などは通用しないことなどずっと前に気が付いている。

それでも今のところ、それを外すと全国組織が乱れてしまう。
だから己らの権力維持(生活維持)のために共産党でいたいのだ。

政権をとっても結局は90%は自民党と同じことをする。
だから野党統一でも何でもありなのは本心と言える。

民進党もそうだが、そんあ自分勝手な理由で政権を目指しているのさ。
国民だけが踊らされているのさ。


9. 2017年1月16日 15:36:08 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[4]
うそー!

> 共産主義とは、生産手段の所有の有無による経済格差をなくすことを目指す思想のこと。
 
※ 生産手段の所有の有無による経済格差をなくすことを
  
  これ!具体的に説明できる!

> 人々が、労働賃金の他に、株式配当を平等に受け取れるようにすることが、現代流の共産主義の再定義になると私は思う。

※ 平等の基準は誰が決めるの!
  株式配当というが、すべての企業が配当を出せる!
  赤字企業のばあい、損失も配分するの!
  その前に、国民を平等にする場合、国民はすべての企業の株主でなくてはなら  ない。
  つまるところすべての企業は国有企業でなくてはならない。
  旧ソ連でも中国でも、そんなことが実現したか!

言葉の遊びは子供相手にでもすることである。
否、子供相手でも間違ったことを言ってはいけない。


10. 2017年1月16日 15:53:34 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[5]
共産主義社会とは、すべての生産活動を国(行政)がやり私企業を認めないことだろう。

原始共産主義社会の国とは、家族、親族の集合体であったり、小規模な部族単位であった。

よく言われていて、大きな勘違いであるが、共産主義社会ではすべて平等であると言うはなし。

このようなことはマルキストとして活動した連中のうたい文句。
共産主義社会の概念に、平等と言うものは含まれない。

ただし、生産を国有化することによって国家(行政)は国民全員に対する雇用の責任がある。

それが共産主義の良いところ。
雇用とは収入を得ることであり、金額に差があっても最低生活は保障されるということ。

ただ、それだけのことであるが、悲しいかな、人間の本性は、特定の人間は、欲が深く、自分だけは思いっきり稼ぎたいと思う。
それを思う人間が必ずしも富を得ることができないとしても、その活力の総体が社会を進展させる原動力となってきた。

それと共産主義の最大の欠点は、統治機構が一本化するために生じる権力抗争がし烈になり、人間性が破壊されることである。

それとともに最低生活を保障され安心した人々の欲望が、どこに向かうかも大問題。
おそらく一般の国民の人間性も現在のそれとは違ったものになってくる。

さて、みなさん、共産主義社会を望まれるか、格差の問題を意識しながらも資本主義社会を望まれるか!

それが問題でしょう。



11. 新共産主義クラブ[2953] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月16日 16:10:19 : wzq6XqS3Ss : bU1u5QftYks[7]
>>9さん
 
 たとえば、ある企業の生産関数 Y が、Aを定数とし、生産要素は、労働 L と資本 K の 2 種類であるとして、
 
  Y = A * L ^ α * K ^ β
 
 のように、コブ・ダグラス型で表わされるとしましょう。
 
 企業が労働に支払う費用は, wを賃金として w * L , 企業が資本の持ち主に支払う費用は、r を資本利子率として r * K になります。
 
 労働 L と 資本 K が一定のもとで、利潤 Pを最大化しようとするので、
 
  P(w,r) = Y(L,K) - w * L - r * K
 
 を最大化する問題と同値になります。
 
 生産関数は一次同次であるとすると、α+β=1となり、
 
 このとき、企業が労働に支払う費用は、αY、
 
 企業が資本の持ち主に支払う費用は、( 1 - α ) Y
 
 になります。
 
 おおざっぱに言えば、資本主義社会では、労働者たちには、αY の分が、分けられて分配され、
 
 資本の所有者である株主たちには、( 1 - α ) Y の分が、分けられて分配されます。
 
 株式を所有していないプロレタリアの労働者たちには ( 1 - α ) Y の分を、受けとれませんが、
 
 おおざっぱにいうと、
 
 すべての労働者たちが、資本利子 ( 1 - α ) Y の分を平等に受け取れるようにするのが、
 
 共産主義社会だといえるでしょう。
 
 
■ 生産関数
 
 生産関数(せいさんかんすう、production function)とは、生産物の最大可能な産出量を生産要素の投入量に対応して表す関数である。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%94%A3%E9%96%A2%E6%95%B0
 

12. 2017年1月16日 16:24:10 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[230]

小沢さん綾瀬コンクリ殺人共産党(山形マット殺人の弁護士も関係先に担っていることも判明♪)と組むんですか

そうですか

・・・


13. 2017年1月16日 16:49:17 : DvgQwAGBv6 : LkOQbWA2meA[288]
>>1.さん
>なんだ、拍手したの、まだ、おいら一人かよ。

だってー!
政権に不利な投稿に拍手しようとすると、黄色いイガイガが出てなかなか拍手が出来ない細工が施してあるんだもん。

ようやっと拍手出来たー!
良かった〜。
でももう100人近いよ。
それにしちゃすごい勢いで伸びてるよ。
今日の10時20分の投稿なのにね。



14. 2017年1月16日 17:00:29 : yiebz9HOMU : Fcq63OEUA3U[2]
安倍政権 本当の支持率です。
http://i.imgur.com/4bgGB3a.jpg
 
http://pbs.twimg.com/media/Cwc-1f0UsAAziyJ.jpg
  

15. 新共産主義クラブ[2954] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月16日 17:03:04 : XEWZpvnaDY : IAkF8m2dw6g[2]
>>10さん
 
>ただ、それだけのことであるが、悲しいかな、人間の本性は、特定の人間は、欲が深く、自分だけは思いっきり稼ぎたいと思う。
>それを思う人間が必ずしも富を得ることができないとしても、その活力の総体が社会を進展させる原動力となってきた。
 
 
 工業社会においては、社会を進展させる原動力は、技術的なイノベーションだと思うのですが、資本主義社会では、経営者の報酬にくらべて技術的なイノベーションの担い手である技術者の報酬が低いように思います。
 
 実際、たとえば、青色発光ダイオードの発明者の中村修二氏や、フラッシュメモリの発明者の舛岡富士雄氏らは、発明の正当な対価を求めて、元の勤務先の企業に対する訴訟を起こしています。
 
 しかし、逆に言うと、彼らの在職中の労働賃金でも、技術的なイノベーションを起こすだけの十分な報酬であったとも、言えるかもしれません。
 
 日本の企業の場合、社会を進展させる原動力となる技術的なイノベーションの担い手は、必ずしも莫大な賃金報酬ではなく、研究開発部門の管理職としての高い地位などで待遇することが多く、それを不服とした中村修二氏や舛岡富士雄氏などは例外的なケースのようにもみえます。
 
 資本主義社会では経営者の労働が実態以上に高く評価されていて、経営者が資本の所有者に転化していく一方で、必ずしも市場原理主義な労働市場でなくても、社会を進展させる実質的な技術的イノベーションの担い手が存在し得るということではないでしょうか。
 

16. 2017年1月16日 17:05:53 : DvgQwAGBv6 : LkOQbWA2meA[289]
>>6. 未来のTOW
>「日本共産党」という名前はご立派だが、共産党って革命政党なんじゃ?

「革命」?そりゃぁ結構だね〜!

是非「革命」で今の戦争推進原発推進の自民党を木っ端みじんに蹴散らして、自民党の屍の上を「革命」の嵐が吹き荒れてほしいもんだよ。
今の日本国民はあまりにもおとなし過ぎだよ。

だから自民党政府は、なんでも強行採決で勝手に決めるし、どんな失敗をしても責任は誰もとらないし、国民の血税はバシバシ外国にばらまくし、軍事研究費予算は勝手に今年度の18倍に増額するし、アメリカからは破格の高額な値段でオスプレーを24基も購入するし、水陸両用戦車も買ったよな〜。
沖縄に住民の反対を押し切って高江地区の周りにヘリパットは勝手に6カ所も
強行して造るし、もう自民党は隠すどころか今では独裁政権丸出しだ。

革命!起きないかな〜・・・・・フランスみたいに!


17. 2017年1月16日 17:14:42 : N8LMo53zlc : USIZksSBY7A[10]

多様性とは政治用語でliberal(自由主義)またはneo-liberal(新自由主義)いうことだ

Freeに当たる自由は、政治用語で「自由」と定義されない

多様性を求める瞬間、commune共産=の定義である官民共同生産とは

指導層である官を制御する方法が不在になるということだ

これ以上、日本で官僚を強化する必要はない

反官とは、市場からの官の退去を意味し、官は、民より、告発されたものを法に則って処罰すれば良いだけで、市場を経営しようとすることは許されないとするものが、democracy民主の定義だ

自民党の従官体制も党名に反して酷いものだが、共産党の党名を無視した自由民主政治を好しと発信する姿勢には、呆れる他はない

自由民主体制を正しいと定義するなら、共産党の解党と、自由民主党と名乗っての再出発が必要だろう


18. 新共産主義クラブ[2955] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月16日 17:25:46 : WUuwqKDGv6 : FRDVMiNWH0g[12]
>>10さん
>共産主義社会とは、すべての生産活動を国(行政)がやり私企業を認めないことだろう。
 
 
 企業の国有化は、必ずしも共産主義社会の本質ではありません。
 
 エンゲルスは、国有化では不十分だと、むしろ否定的です。
 
 
■ Frederick Engels (フリードリヒ・エンゲルス)
Socialism: Utopian and Scientific (『空想から科学へ』)
III[Historical Materialism]
 
But, the transformation ― either into joint-stock companies and trusts, or into State-ownership ― does not do away
with the capitalistic nature of the productive forces. In the joint-stock companies and trusts, this is obvious. And
the modern State, again, is only the organization that bourgeois society takes on in order to support the external
conditions of the capitalist mode of production against the encroachments as well of the workers as of individual
capitalists. The modern state, no matter what its form, is essentially a capitalist machine ― the state of the
capitalists, the ideal personification of the total national capital. The more it proceeds to the taking over of
productive forces, the more does it actually become the national capitalist, the more citizens does it exploit. The
workers remain wage-workers ― proletarians. The capitalist relation is not done away with. It is, rather, brought to a
head. But, brought to a head, it topples over. State-ownership of the productive forces is not the solution of the
conflict, but concealed within it are the technical conditions that form the elements of that solution.
 
https://www.marxists.org/archive/marx/works/1880/soc-utop/ch03.htm

19. 2017年1月16日 17:44:30 : N8LMo53zlc : USIZksSBY7A[11]

マルクスが提唱した反多様性主義=反自由主義(反資本主義)のことをcommunism共産主義と呼ぶので

多様性を求める瞬間、それは共産主義ではない

commune全てが官であり生産者でもある(全員公務員)という考え方は、その媒体(全員同一目的=全体主義)を1つの国家形態と定義することにより、枢軸的な小規模組織または国家を大量に産むことになる

その目的を異にするコミュニティが、混在することを許さない(多様性を否定)するものが共産主義だからだ

枢軸は全体主義を形容する表現だが、この枢軸・全体主義のコミュニティが多数団体混在することを好しとする考え方を多極主義と呼ぶ

多極主義とは、国家を形成していても国家内に国家(社会)を産む考え方がそうで、例えば行政の縦割りなどという表現も、国家内に国家社会があるという1つの定義だ

概ね、共産主義・多極主義・枢軸体制・国家内国家体制=国家社会主義、これらは同一の概念で、この独立独歩のコミュニティが便宜上同盟関係にある状態を枢軸同盟と呼ぶ

ドイツと日本の同盟関係を枢軸同盟と呼ぶのは、ドイツと日本の同盟関係と、共産党党大会での野党連立とは、コンセプトとして同じだからだ


20. 2017年1月16日 17:53:14 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[6]
新共産主義クラブさんよ

そのような演説は昔の全学連相手にでもすれば聞いてくれるだろうさ。

人間の社会、ありようは、そんな方程式でつかめるものではない。

また、イノベーション云々などは寝言に過ぎない。

大体において、富の再配分という認識自体が方法論として間違っているというか、現状の市場主義のシステムでは通用しない発想である。

まず、マルクスありきではなく、白紙から検証されることである。


21. 新共産主義クラブ[2956] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月16日 17:55:16 : WUuwqKDGv6 : FRDVMiNWH0g[13]
>>10さん
>それと共産主義の最大の欠点は、統治機構が一本化するために生じる権力抗争がし烈になり、人間性が破壊されることである。
 
 
 ソ連では、生産に関しては、中央計画局による計画経済や、一国一工場の体制が採用されました。
 
 それが、労働者と管理者への過酷なノルマを生み、政治家同士の熾烈な権力抗争にもつながったのでしょう。
 
 わたしは、市場競争、市場経済の否定が共産主義の本質ではなくて、7や11で述べたように、資本の平等な所有による資本利子の平等な分配こそが、共産主義の本質だと思っています。
 
 そして、資本利子の平等な分配以上に大切なことは、資本の平等な所有によって、すべての人が株主として企業の経営へ参加する平等な権利を得ることだと考えています。
 
 何らかの形で、すべての人が平等に、それぞれの企業の経営者として関与する権利を得るのが、共産主義の本質ではないでしょうか。
 
 単なる国有化では、すべての人が企業への経営に関与する権利が与えられるわけではありません。
 

22. 2017年1月16日 18:00:53 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[7]
新共産主義クラブさんよ

マルクスでもエンゲルスでも誰でもよい。

人々が求める共産主義という概念を自分で考えられることである。

民主主義も個人主義もよいが、市場主義経済につかれて、生きるための競争に疲れて

そういうことでなく全体責任で共生できできないかという思いが、共産主義への根本の思いであろう。

そういう思いは多くの人にあるのである。
特に底辺で四苦八苦している人は労働者でなくても企業家にも多いはず。

共産主義運動は、そこのところを付け狙ってきたのだ。

でもね、
はやり、これをなんとかしたいものではある。

マルクスはだめだが。


23. 2017年1月16日 18:03:58 : N8LMo53zlc : USIZksSBY7A[12]

一方、科学的社会主義とは、共産主義とは異なる属性のものを指す

社会主義(赤旗)の概念から、軍事同盟を除くと、実は何も残らないわけであるが、日本では誤って定義されている科学的社会主義とは、世界標準においては(ただの社会主義)のことだ

socialism社会主義と世界では呼ばれるように、socialとはエリート、マルクスの使用用語に照らせばブルジョワジーのことで、socialism社会主義自体の用語の意味は、ブルジョワジー主義=多様性主義=資本主義(または旧自由主義)のことである

だから日本で社会主義という概念と、フランス(世界の政治用語の定義はフランスに倣う)の社会主義の概念は全く異なる

第3インターナショナル(コミンテルン)は、マルクス主義(第1インターナショナル)ではない

第3インターナショナルは、多極的・枢軸的な共産主義活動に対して、ソビエトという軍事グロバリズムが、共産主義活動を講演するという世界観を有していて、この状態を科学的社会主義と呼ぶ

つまり、共産主義者は、共産主義国家を形成しない

当事国において、共産党という反政府野党として活動し、その後援をソビエトが行うということだ

第3インターナショナルとは、そういう意味

第1インターナショナルは、戦役に供する労働者団を各国が供出して、世界防衛軍を設立しよう、各国の軍隊の保有を制限しようということなので、全然共産主義ではなく、国際主義=社会主義の亜種だ

何故マルクスが共産党宣言を発したかというと、自由資本=ブルジョワジーを排除するためには、第1段階として、資本に敗れたカトリック国家ではなく、官民共同生産体制の全体主義軍事国家が、国際市場を壊滅させないと、自由資本を倒すことは不可能と定義したからだ

誰かが上に方で言ってたが、マルクスもエンゲルスも、この共産党宣言によって建国される帝政共産主義国家が、最終目的地点ではないので、この軍事共産国家が自由資本を制御するなら、その第2段階として第1インターナショナルが設立されるとつながる


24. 2017年1月16日 18:04:57 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[8]
> わたしは、市場競争、市場経済の否定が共産主義の本質ではなくて、7や11で述べたように、資本の平等な所有による資本利子の平等な分配こそが、共産主義の本質だと思っています。

平等、平等と言って、実際に何が可能か。

煩悩の塊、人間社会においてだよ。

その人間性を極度に制約したのが旧共産主義国家ではないか。

その彼らの失敗と認めたとしても、それに代わる方法があって言われているのか。

そうではなく、只、言葉をもてあそんでおられるだけであろう。


25. 2017年1月16日 18:11:15 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[9]
新共産主義クラブさんとは別にマルクス主義に詳しい方がおられるようだ。

第一インターナショナルと、第三インターナショナルを区別してマルクスを肯定されているようであるが、

その違いが何であれ
第一インターナショナル自体が、マルクス主義の単なるシミュレーション。
結局は成り立たなかったではありませんか。

旧ソ連が第三インターナショナル方式を採用しても結果は同じ様なことになったはず。

どだい、一つの理論で人間社会を抱合することなどできないのです。
もっと、別の角度から共産主義を見てほしいもの。

マルクス主義だけが共産主義ではありません。


26. 2017年1月16日 18:14:17 : N8LMo53zlc : USIZksSBY7A[13]

要するに、日本共産党の精神はマルクス主義ではないのだ

コミンテルンの精神が日本共産党の方針=科学的社会主義とは、海外の軍事グロバリズムが、日本の反政府勢力を後援するから、政府に抵抗し続けるという目的の上にしか結党目的が存在していない

だから、共産党綱領は、目指すべき理想の国家像を記載していない

アメリカが悪いんだ

アメリカに牛耳られた日本のエリートが悪いんだ

これらと戦うんだ

その力はソビエトが与えてくれる

ここから何も進歩していないので、自分が統治者として、どのような社会を理想とするとも書いてないし、そもそも、民主主義にしないことが前提なので、自分が統治者になった時、今度は自分が選挙で否認されるかもしれないという定義がない

民主ということは、党運営者も選挙権を有する全ての人々に選挙されるということだ

しかし、自分たちは優秀だから、愚か者どもが優秀な自分たちを選挙で更迭するという概念を有していない

そういうものは衆愚政治だとか、大衆迎合だとかと言って否定し、優秀なエリートが指導すべきだとの考え方を有している

これが、旧日本陸軍の考え方だ=共産党こそがナチスであり、ナチスと同盟関係に堕ちる者である


27. 2017年1月16日 18:17:26 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[10]
マルクス主義というのは、新薬を臨床検査なしにいきなり投与したようなもの。

副作用が強すぎて、現代社会ではお蔵入りの新薬に過ぎなかった。


現在市場主義経済は瀕死の状況であるから、副作用を承知で、一か八か、この劇薬を使ってみるかね。


28. 2017年1月16日 18:28:44 : N8LMo53zlc : USIZksSBY7A[14]

>>25
マルクスの共産党宣言に基づき

この世に生まれた国家が3つある

第1の帝政共産主義国家は、エンゲルスの回顧録に、ろくでなしの裏切り者と記載された=その成功には共産党宣言が一役買っていたと反証される評価を受けた皇帝の国家だ

皇帝の名前は(ルイ・ボナパルト)ナポレオン3世のことで、帝政フランスこそが共産党宣言を実現させ、自由資本を軍事国家の力によって制御した姿だった

ナポレオン3世がエンゲルスに裏切り者と罵られるのは、第1インターナショナルの設立大会に、ナポレオン3世の送り込んだ労働者団を率いたミハエル:バクーニンとジュゼッペ:マッティーニが開会宣言に異議を唱え、第1インターナショナルを紛糾させ、果ては崩壊させたからだ

第2の帝政共産主義国家は、エンゲルスの回顧録に(約束を守った英傑)と評される=その成功にはマルクスとエンゲルスとの密約があったと反証される鉄血宰相により建国された国家

オットー:フォン:ビスマルク宰相を有する帝政ドイツ

そして、第3の帝政共産主義国家こそ、帝政ドイツに国家の範を求め、全てにおいて帝政ドイツを凌駕しきった帝政共産主義国家の完成形

大日本帝国である

大日本帝国こそ、共産党宣言を体現させた、国家から全ての個別資本を撤廃し、経済の全てを官僚と一体となった官民共同体が制御するという、マルクスの第1段階の目的を完遂させた官民共同生産(共産)国家の最終姿と言えよう


29. 新共産主義クラブ[2957] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月16日 18:37:06 : icpQmTOWa2 : WcKD1vpIpCE[12]
>>24さん
 
 昔のソ連と今の日本は、対極の社会ではありません。
 
 見方によっては、今の日本も、かつてのソ連も、ともに社会主義の国です。
 
 昔のソ連の中央計画局に対応するものが、今の日本では、日銀とGPIFになっています。
 
 昨年8月初旬時点で日経平均株価を構成する225銘柄のうち、75%で日銀が大株主上位10位以内に入っており、2017年末には日銀が筆頭株主となるのは55銘柄まで増加する見通しです。
 
 ユニクロの持ち株会社のファーストリテイリングは、今年中に日銀が浮動株の60%を所有する国有企業になりますが、その理由は、創業者の柳井正氏が、安倍首相と同郷の山口県出身者だからでしょう。
 
 これは不平等といえるのではないでしょうか?
 
 単に国有化されるだけでは、平等な社会にはなりません。
 
 また、株式の運用にはリスクを伴いますので、国民全員が、NISAなどを利用して株主になることも現実的ではないでしょう。
 
 当面、現実的に可能な日本の共産主義化は、日銀が保有する株式を運用する金融機関を複数存在させて競争させて、日銀の総裁を含め、それぞれの金融機関の長を、選挙によって国民が民主的に選べるようにすることではないでしょうか?
 
 
■あの東条英機もやらなかったことを・・・ 
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 05 日
 
金融緩和の一環として年6兆円のペースで上場投資信託(ETF)を買う日銀が今年、株式市場のゆがみを拡大させる恐れが強まっている。
 
 ETFは複数の株を集めてつくる金融商品で、これを日銀が多く買うことにより、日銀が実質的な大株主になる企業が増加。

 このペースで買い続ければ、今年末には日銀の保有率が10%を超える企業が13社に達することが、専門家の試算で分かった。

 ニッセイ基礎研究所の試算では、今年末に日銀の株の保有率が10%を超える企業は、昨年末の3倍超の社にまで増える見通し。

 ユニクロを経営するファーストリテイリングでは、日銀の保有率が今年末に14・4%に到達。会長兼社長の柳井正氏(21・67%)に次ぐ第二位の大株主に浮上する。
 
http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/599.html


30. 新共産主義クラブ[2958] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月16日 18:40:37 : vC9FdJk4Tg : 9fL5xjUuelc[5]
>>20さん
>人間の社会、ありようは、そんな方程式でつかめるものではない。
 
 
 マルクス経済学者が、よくそう言いますね。
 
 一方、新しい古典派の経済学者は、数式をよく使いますね。
 

31. 2017年1月16日 18:43:42 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[11]
26さん、
私と一部似たような発想とおもうが、

>だから、共産党綱領は、目指すべき理想の国家像を記載していない

これは記載してないのではなく神棚に上げてしまっているのです。
日本共産党がマルクス主義を依然として外してないことはよく言われています。
ただ表現上の工夫をして曖昧にしています。

また日本共産党でも現代社会においてマルクス主義を実践できるなどとは思ってないでしょう。
それなのになぜ、マルクス主義を捨てないかと言えば、日本共産党からマルクス主義を抜けば何も残らないからです。

経済の事は中国と同じように市場主義経済を採用するでしょうが、今は言えません。
自民党との対立軸がなくなるからです。
また組織的にも全国にまたがる共産党の組織をつなぎとめるためにもできません。

日本共産党の実態は単なる政治屋組織と言うか、創価学会のようにマルクス主義を御本尊として集まった宗教団体のようなもので、その幹部の有り様も決して民主的ではありません。

マスクス主義の仮面を被った不敵な連中ですが、その組織と、人的能力は馬鹿にはできません。
出来れば日本共産党が御本尊に過ぎないマルクス主義などと決別し、自由主義経済を認め、その上で労働者の立場となって自由主義経済の修正を図るような政党になってくれることを望んでいます。

ですが、まだ御本尊が大事な様では、それは望めませんね。
仮に野党統一がなって、連立政権にでも入れば、共産党は、どのように動くのでしょう。
マスクスを出していてはニッチもサッチもならず、そうかと言って付け足しの心で自由主義に関与しても、民進党などと変わり映えはしないはずです。
第二民進党のような共産党は御免こうむります。



32. 2017年1月16日 18:48:18 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[12]
>一方、新しい古典派の経済学者は、数式をよく使いますね。

経済学者などは、おおむね持論を確認するため、現状を追認するために数式を出しているだけで、もともといやしい発想なのです。

ただ、その数式を後生第二にしているのが、行政の経済担当者なのです。
こいつらの、頭をブチ割ってやらねば子国民が求める経済の改革はできないでしょうね。


33. 2017年1月16日 18:53:54 : N8LMo53zlc : USIZksSBY7A[15]

健全な精神を有していた(悪く言えば幼く、賢くなかった)時代の明治の日本は

官民共同生産として理想の国家だった

しかし、マルクス主義では、この共産党宣言により建国される第1段階=帝政共産主義国家とは、道半ばの形態である

マルクス主義では、最終的には国家は不要だ

世界の労働者兵を統帥する、超国家機関が、生みの親である国家さえも滅ぼして、学会として世界防衛軍を組織する

国家を有さない、エリートによる超国家会議により、超国家支配圏=大東亜共栄圏が設立を目指される

大東亜共栄圏を目指した日本陸軍参謀本部は、国際労働者兵を日本より供出させるため、満州100万戸移住計画を実行に移す

日本は疲弊し、国民の生活は地に堕ちても、大東亜共栄圏建設への成果物供出要求は止まらない

大東亜共栄圏建設を目指す日本陸軍参謀本部は、自ずと、仮想敵国をイギリス(及びオランダ、フランス3国)へと向けるようになる

これが、皇室さえも使役できる目下の具という、不届きな精神を有する日本陸軍参謀本部の性質だ

志位和夫共産党委員長の家系は、代々、この日本陸軍参謀本部付けの高級官僚の家柄だ

また、東京大学とは陸軍第一高等学校

陸軍研究棟とは現在の理研で、ウラン型原爆の研究を為していた

広島の原爆被害は、投下ではなく地上爆発と、いまではよく知られている

当時アメリカには黒鉛炉しかなく、プルトニウムの生成はできてもウラン型原爆の製造は不可能だった

大東亜共栄圏建設への道=神に成ろうとした日本陸軍参謀本部と、それを産む東京大学とは、果たして、民に、その主権を任せられるものなのか?


34. 2017年1月16日 18:58:37 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[13]
28.さん

私に(25)にレスいただいたようであるが、
歴史に詳しいことは認めるが

そんなこじつけは本旨に意味がないのでは。

関連つけなら、私の家系も桓武天皇にさかのぼれるらしい。
地元の好きな人がある苗字の事を、延々としれべられた。
実際は、お寺の過去帳などで調べられる江戸時代後期までのようですが。

何せ平凡な家系ですので。
それでも私は天皇家と関係があるらしい???


35. 2017年1月16日 19:57:09 : N8LMo53zlc : USIZksSBY7A[16]

敬称略

>>34
大いに関係ある

世襲(閨閥)とは、エリートの2大区分の1つだからだ

概ね、野党連合が自民党を批判する場合、この世襲を批判する場合が多い

エリートのもう1つの区分は学閥

この閨閥と学閥を引きちぎった結果が、資本(株式)の労働者と利用者による所持であり、これが新自由主義の定義だ

閨閥と学閥が資本(株式)を独占する、または株主よりも強力な経営への諮問機関を形成する=天下りによる市場支配

こういったものが民主化の敵な訳だ

よく官民共同体の民主化という言葉が使われるが、あれは民営化の定義を非官としているだけで、特定の官民共同体が管理する以上、共産体制であって民営化(平民主権)とは言えない

政治家、及び官僚の出自は何よりも大切であり、絶対に公開される必要がある


36. 2017年1月16日 20:15:46 : ZinNXKm4zE : 5dRrhYTfnM8[12]
写真を見ると、安住は全くやる気がないな。独裁政権に口元チェックされれば密告されること間違いなし。

安住の本音がよくわかる。


37. 2017年1月16日 20:56:55 : xYtn1xpL1s : k6o9Fyz31ME[1]
> 共産主義とは、生産手段の所有の有無による経済格差をなくすことを目指す思想のこと。

資本主義社会では資本の所有者と労働者の乖離によって労働者の剰余利益が資本家に搾取される、という記述を見たことがある。

今の日本では、GPIFがポートフォリオ変更により多くの株式を所有し、また、日本銀行が年間6兆円を超える株式を購入している。
このまま日銀が緩和政策を継続すれば、年金機構と日銀が保有する株式は増え続ける。
日銀がETFではなく株式現物を購入し続ければ、国民が株式を保有していることと似たような構図になる。

アベノミクスで株価を維持あるいは上昇させようとすればするほど共産主義に近づいているような印象もある。

日銀が株式を購入し続けて、上場株式を全て購入すれば日本は共産主義国家のようになるのではないか。

本来、自由な株式市場に国家あるいはその関係機関が介入し続けることで、逆に共産主義のようになるというのは、お笑いアベノミクスって印象。

間接的にではあるが、国民が全ての株式を保有すれば共産主義の完成でしょう。


38. 2017年1月16日 21:43:00 : dShd6gEw2I : 3WHGXQQhrnE[1]

いやいや

冗談抜きに、TPPが有るからアベノミクスは新自由主義っぽく見えるだけで

TPPを除くと、消費税のような性質の累進性のない額面上の平等な税金や、増税で一旦官僚が成果物をかき集め、官僚の裁量で再配分という手法は正しく共産経済の在り方だよねえ

特区という考え方も、普遍な労働法を適用するのではなく、当該特区では、官僚の許可さえあれば法律の概念さえ自由というのも、官僚主導国家ならではの政策なので

アベノミクスの成功と呼ばれた時期には、日銀の発行国債買い取りという、事実上のQEが成されたことから、市場に資金が溢れて、流通資金に対し物価(株のある意味"物")が価値が上がって株高となった

それを好景気と間違った解釈によって成功と呼ばれ、消費税の8%によって流通資金の間引きが行われ、成功と見えた効果が失われて停滞と感じられた

続いて、発行国債を日銀が買い取らなかった後期には、流通資金の国債購入へ再配分が成されたことから、見た目には失敗に見える

単純に、中国や韓国との関係悪化で、中国や韓国に流出していた製造が国内に帰って来た分がプラスで、消費税の3%増がマイナスで行って来いってだけなんだよな

中国や韓国のように、日本に取って付き合ってプラスの無い、世界中にマイナスしか振りまかない国は、なるべく距離を置けばいいので、そこは支持できるんだが、なんと言っても憲法違反の消費税増税が問題だ

消費税の廃止ができねば、流通資金の間引きが行われ、死金を生んでしまう=こういう官僚が資金の流れを握って離さないから、ソビエトは崩壊したわけだしね


39. 2017年1月16日 22:11:21 : R6fHhyXfgk : 0R3iyGMrTwE[1]
山本太郎総理大臣

40. 2017年1月16日 22:19:42 : 10h3BhpPc2 : DkZmCHWka3Y[50]

共産党支持者を自認する22Aがこのスレに出没しなけれど・・・
ちょっとオカシインジャないの

一主婦もスポンも野党共闘に反対なんだ(笑
お前たちの正体スピン工作は阿修羅ではバレバレですよ

スポンよ野田菅蓮舫を礼賛するだけでは何万年たっても社会は変革出来ないぞ!
オマエの野田持ち上げコメントは矛盾の塊なんだよ!


41. 2017年1月16日 22:27:15 : cNUulx7zas : Wt9Z56dVo4Y[9]
私も民進は山尾しおり議員を代表にすべきと思います。
蓮舫はだめな気がする・トップの器ではない。
山尾代表・幹事長安住でいいのでは。

42. 2017年1月16日 22:29:08 : 10h3BhpPc2 : DkZmCHWka3Y[51]

スポンよこの共産党大会になぜ他の野党の様に党首ではなく雑魚の安住なんだ
共産党に失礼ではないのか

それとも二重国籍の党首蓮舫では何か都合が悪い事があるのんですか?


43. 2017年1月16日 23:50:18 : tXuObNBaAQ : Yy1KJo9al4Q[10]
とにかく自公政権を交代させるために出来ることは何でもやる!
目覚めよ!日本人!
自分達の税金を詐欺師達の勝手にさせておいて後で泣き言は通用しません。
オレオレ詐欺に引っ掛かっているのとオ・ナ・ジ・です。

44. 一主婦[2128] iOqO5ZV3 2017年1月17日 01:31:19 : 1Kw9HRFHJI : 8nTxYn3v8SQ[39]
>>40. DkZmCHWka3Yさま


>共産党支持者を自認する22Aがこのスレに出没しなけれど・・・
ちょっとオカシインジャないの
一主婦もスポンもLKXRYf922A 野党共闘に反対なんだ(笑
お前たちの正体スピン工作は阿修羅ではバレバレですよ
スポンよ野田菅蓮舫を礼賛するだけでは何万年たっても社会は変革出来ないぞ!
オマエの野田持ち上げコメントは矛盾の塊なんだよ!


↑ あらっ!こちらのスレットでも、私と共産党支持者のLKXRYf922A さんのことをとても気に掛けてくださっているのですね。私達二人で、政治の井戸端会議を普通にしているだけなのに、貴方にとってそんなに私達は気になりますか?それは困りましたわ。「私達がスピン工作員?」それ、何のこと?こちらのスレットでも書き込まないと「オカシインジャないの」っておっしゃられても、それは、私とLKXRYf922Aさんの都合もありますのでね。全スレットに書き込めるほどの時間的暇もないのです。どうぞ悪しからず。でも、↓のURLのスレットでは、共産党大会の話題を二人でしていますから、そんなに私達の話がお聞きになりたいのでしたら、どうぞ↓のURLをお読み下さい。


http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/901.html のスレットです。

http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/901.html#c42 LKXRYf922Aさんのコメント

http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/901.html#c43 私のコメント 

http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/901.html#c44 LKXRYf922Aさんのコメント 

http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/901.html#c45 LKXRYf922Aさんのコメント 

http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/901.html#c46 私のコメント 


↑で、共産党大会と野党共闘の話もしていますから、どうぞ、上をお読みくださいませ〜 ついでに、そのスレットでは他にも、二人で特別会計などの話をしています。そんなに私達のこと、お気になされるのなら、どうぞこちらも合わせてお読みください。このスレットでは、二人とも気を入れて議論モドキをしていますから。

>>2 >>25 >>35 >>36 私のコメント
>>6 >>11 >>16 >>20 >>29 >>30 >>40 >>41 LKXRYf922Aさんのコメント 

以上


45. 2017年1月17日 02:52:47 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[358]
満州軍のような感じですね。
解放を夢見たかつての自由民権の流れを組む人達から成る
大和民族はここにはいません。

徐々に昔の人を排除してきた現在の
日本野党は

大和朝廷族が指導する、
満州族軍の性格が大変強く表れているように思います。
人々の外見は、米軍と雄々しく戦った
かつての大和民族ではありません。

むしろ
中国大陸で略奪を指示した
陸軍上層部と同系の気がします。
外見は、意外に正直なものです。

古代から近代に至る刑罰をみても、共通する部分が
とても多いのです。


46. 2017年1月17日 03:32:53 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[14]
>小沢総理が理想ですが、蓮舫総理、志位総理、福島総理でも構いません。

ワッハッハ

それなら

安倍総理でも、二階総理でも、小池総理でもよいではないか。

どうせ神輿に担ぐだけの様だ。

それで何をするのだ。


47. 2017年1月17日 03:44:27 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[15]
まあ、いろいろな意見が飛び交っているが、

結局小沢は何のために共産党大会に交じっているのか。
民進党も望まない野党統一という物売りに来ている構図だな。

奴は物が売りたいために、人が集まるところなら、どこでも出向くのさ。

本当にねえ

何のために行ったのやら!


48. 2017年1月17日 04:02:02 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[16]
自由党と選挙協力すると言っても、共産党には何の得もないのさ。

岩手4区で小沢のために共産党候補を下ろす代わりに沖縄選挙区で玉城候補に出馬をあきらめさせるくらいで、大した問題にはならない。

というよりも小選挙区で当選した現職が二人の党というのは、どちらかが下りるということになる。

小沢の活動を玉城は受け入れているのだろうか。

自党内で、そんなことをしてまで、政権交代のための野党協力などこじつけではないのかね!


49. 2017年1月17日 04:06:13 : WUyEaj9wq6 : GA5HSeDdn0k[17]
もう一つの考え方があるよ。

小沢は玉城を当選させるために自分が下りることを想定して動いている。

この場合、政権交代ないし新しい政権の政策の旗手としての小沢は意味がなくなる。

それでも小沢総理待望論かね。
騙されているのじゃない!


50. 不眠症[557] lXOWsI_H 2017年1月17日 07:01:19 : mBqEoVAF7k : YuLD0e5f9D4[560]

 党財政破綻寸前で 小沢に 泣きつく 共産等

『自衛隊は 殺人組織』発言の 藤野バカ等 

 学生運動 労働組合 出身者に多い 極左教条主義候補を 降ろすのが先では?

 有権者の大多数を占める 保守穏健派を 敵視する 風の前の塵 政党でいい?

  


51. 2017年1月17日 07:43:54 : FI2oSNpqnU : 8bqYQSF7Onk[1]
日本人はルールという言葉を知らない。
まぁ、総マフィア国家と言っていいかな。
日本中枢だけだったゾンビに襲われた
日本人がゾンビ化している。

日本人は自由気ままで暮らしやすい社会と思っているだろうが、
電車で沈黙、親戚友人以外は敵かあかの他人、日本人同士常に戦って
いたりする。障害者や浮浪者を笑い、ミスを揚げ足とり、
自分だけがよければ何も動かない。暴力、いじめが蔓延。

海外の小学生あたりから理解しうるであろう異常な社会は、
ゾンビと化した日本人にぴったりだ。


52. 2017年1月17日 08:50:43 : WbjIPXC2bw : T1RRdtRo7f4[2]

儒教がマフィアだろ?

徒弟制度マフィアだ

これを殲滅せねばならない


53. 2017年1月17日 09:01:20 : yhqgtQH9sI : mPRqr01Fkuw[3]

サプライズ小沢一郎の名前が出てくるだけで、チビセコウが機密費で雇ったなりすましネトウヨが占領‼↓↓

〉8・9・10・20・22・24・25・27・31・32・34・46・47・48・49
のGA5HSeDdnOk

〉17・19・23・26・28・33・35・46
のUSIZksSBY7A

あと、新共産主義クラブ


〉40,42さんへ
この人たちが22Aとスポンだと思われますが...?



54. 2017年1月17日 10:09:44 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1065]
>>44 一主婦さん  まいどです。

その人は、その人と比べたらスポン氏がまともな人に見えるぐらい、変な人なので、私は相手にしないことにしている。
前にもこんな人が現れたね。IDは違うが、もしかすると同一人物かもしれない。


共産主義や日本共産党について論じるのなら、せめてはマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」と日本共産党の綱領ぐらいは読んでからやってほしいね。
断片的な知識に自分の妄想をたっぷりと混ぜた議論にはうんざりする。

マルクス・エンゲルス「共産党宣言」
http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/gakushuu_bunken/sengen_mokuji.html
日本共産党綱領
http://www.jcp.or.jp/web_download/2016_koryo_pnf.pdf


共産主義国家がどうのこうの、言っている人がいるので、国家について、エンゲルスの「空想から科学へ」から引用する
しかし、国家は、最後に実際に全社会の代表者になることによって、自分自身をよけいなものにする。
抑圧しておかなければならない社会階級がもはやなくなってしまえば、そして、階級支配が除去され、これまでの生産の無政府状態にもとづく個体生存競争が除去されるとともに、これらのものから生ずる衝突や乱暴もまた除去されてしまえば、特別な抑圧権力である国家を必要とした抑圧しなければならないものはもはやなにもなくなる。
国家が現実に全社会の代表者として行動する最初の行為――社会の名において生産手段を掌握すること――は、同時に国家が国家としておこなう最後の自主的な行為である。
社会的諸関係への国家権力の干渉は、一つの分野から他の分野へとつぎつぎによけいなものになってゆき、やがてひとりでにねむりこんでしまう。
人間に対する統治にかわって、物の管理と生産過程の指導とが現われる。国家は、「廃止される」のではない。それは死滅するのである。
(引用終わり)

「空想から科学へ」は以下でみることができるが、一部文字化けがある
http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/gakushuu_bunken/kuuka_mokuji.html

さて、新共産主義クラブはこのぐらいの文献は読んでいるであろうが、それにしても資本と賃労働の存在を前提として共産主義社会を論じる、などと変なことをしている。
たぶん本人もこれがマルクスの考えとは一致しないことは承知の上でやっているのだろうが。
単に今の社会で、すべての企業を国有化しても、それでは社会主義とは言えない、と彼が言っているのはその通り。
しかし、「空想から科学へ」から引用するのなら、日本語訳でやってほしいね。英語では読む気がしない。

エンゲルス「空想から科学へ」から一部引用
しかし、株式会社やトラストへの転化も国有への転化も、まだ生産力の資本としての性質を廃棄するものではない。株式会社やトラストではこのことは明白である。
そして、近代国家もまた、資本主義的生産様式の一般的な外的諸条件を、労働者や個々の資本家の侵害からまもるために、ブルジョア社会が自分のためにつくりだした組織でしかない。
近代国家は、その形態がどうであろうと、本質的に資本主義的な機関であり、資本家の国家であり、観念的な総資本家である
近代国家が生産力を自分の所有に移せば移すほど、それはますます現実の総資本家になるのであり、ますます国民を搾取するのである。
労働者はあいかわらず賃金労働者であり、プロレタリアである。資本関係は廃棄されないで、むしろ極端にまでおしすすめられる。
しかし、その極端に達すると、資本関係はひっくりかえる。生産力の国有は、衝突の解決ではないが、しかしそれはそれ自身のなかに解決の形式上の手段、その手がかりを宿している。
<引用者注:新共産主義クラブが引用したのはここまで。以下にその続きも引用する>
 この解決は、現代の生産力の社会的な性質が実際に承認されるということのうちにしかありえない。
したがって、生産様式、取得様式、交換様式を生産手段の社会的な性格と調和させるということのうちにしかありえない。
そしてこういうことが起こりうるのは、ただ、社会の手によるよりほかには管理できないまでに成長した生産力を、社会が公然と直接に掌握することによってだけである。
それとともに、今日では生産者自身に反抗し、生産・交換様式を周期的につきやぶり、ただ盲目的に作用する自然法則として、暴力的に破壊的に自分を貫くだけの生産手段と生産物の社会的な性格は、生産者たちによって十分意識的に有効にはたらかされるようになり、撹乱や周期的な崩壊の原因から一変して、生産そのものの最も強力な槓杆になるのである。
(引用終わり)


55. jk[773] goqCiw 2017年1月17日 10:41:03 : tceVB0iwr6 : FXeuvvWT7ac[212]
野党共闘の原点は、総選挙の国民投票行動が与野党が均衡してる事にある。

野党の総票数を如何に議員増に結び就け、政権奪還につなげるのかが問われている問題。

キッツンジャ-に「今、世界で一番危険な政治家は安倍総理」と名指しされた安倍総理。フィリピンにミサイル共与を呼び掛ける安倍総理。それを裏付けるような安倍総理の言動。集団手自衛権の解釈による憲法の会見と言い本当に戦争をしたいかのように見える総理。

こんな立憲主義を平気で無視するような暴走政権は一日も早く阻止しよう。そのためにも野党共闘を実現しよう。安倍政権を阻止するには、野党共闘しかないと自分は思っている。今は各野党の損得を考えてる場合ではないと思うのだが・・・・


56. 2017年1月17日 10:49:34 : uFhGmzI4Q2 : iNkZdo_A6Qc[232]
 一番重要なのは今年行われる都議会選挙が何より重要で選挙の当選した議員と所属する党や会派の数により日本の国政選挙を占う指標の一つです。
 東京都都議員の選挙区は中選挙区ですので特に一人区と二人区には野党共闘で候補者をかなり絞り込ませて選挙に強い人に選出して有権者にわかりやすく与党会派対野党会派にさせて選挙にしないといけない。
 東京都都議会の野党会派と野党は共闘で直ちに選挙区の特に一人区と二人区を重点的に選挙準備して機動すべきだ。選挙開始から直ぐに当選結果がわかるのは一人区と二人区でマスコミなどの世論調査の第一報で選挙のカギを握ります。

57. 2017年1月17日 11:09:40 : 8g94hCeZzI : Hr5voZ3A_X4[1]

野党共闘が共通政策とできるものとは、「捏造の韓国慰安婦賠償を認めること」「在日参政権の容認」なんと悍ましい、この2政策しかない

この2つが間違いなく施行される

野党共闘が成ったなら、日本人は、事実無根の韓国慰安婦賠償を請求され、在日を代議士として認めるしかなくなるということだ

もはや日本人は日本に住めない

一方、日本人の暮らしに対する政策の一致点は無い

「無い」のだ!

此奴らは、ただの売国奴でしかない


58. 2017年1月17日 11:35:32 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1068]
>>56
楽観視は禁物。
都議会選挙は野党共闘を進めたい人にとっては非常に厳しいものになる。
今は小池知事の人気が非常に高く、小池新党ができたら台風の目になる。これに対し、民進党は公明党とともにすり寄る姿勢を見せている。与党会派対野党会派という構図にならず、もう野党共闘はあったものではない。社民党と自由党は現在の都議会には議席を持たない。17議席の共産党だけが現在は存在感を見せていて、共産党都議団は頑張っているのだが、豊洲の例のようにいくら頑張ってもそれが小池知事の手柄にされてしまうという問題がある。
野党が小池人気に埋没せず存在感を示し続けることが大事なのだが、それは現時点では非常に厳しい状態だ。


59. 2017年1月17日 12:09:02 : yhqgtQH9sI : mPRqr01Fkuw[5]

〉58さんの仰る通り。

小池百合子(小池劇場)の猿芝居や、最悪の安倍政権が存在するのも→ダマスゴミが捏造世論調査、真実を報道しない、不正選挙etcで政府広報機関になりさがっている為。
特に犬HKは公共機関としての存在価値ナシ!

野党共闘を良識ある市民、国民が支えていきましょう!!


60. 2017年1月17日 12:27:28 : YPNeegoKJ2 : vNWZ8d6L5Qs[129]
>政界地獄耳 共産党大会にサプライズ小沢(日刊スポーツ)

サプライズが実を結ぶといいですね!


61. 2017年1月17日 13:31:19 : QLuBWvOt4A : Jo98Dsu0FyY[1]
共産党が単独で政権を取るなどということは共産党自身も思っていないし、ほとんどの人が考え付かないことでしょう。ここで共産主義の弊害をうんぬんすることは意味がないことは、自民党でも気づいていることでしょう。
連立政権はヨーロッパの大陸では当たり前のことで、そこで政党どうしが議論するから民主主義は発展しています。日本でも「野合」などという言葉に騙されずに、共産党と民進党の相乗効果を期待しても良いのではないでしょうか。

62. 2017年1月17日 13:36:18 : hPqYvWPEl2 : K3R_5QX6vkE[1]

 22Aが出てくると、小沢自由党と共産党は決して相容れることはできないと重ねて理解できるだろう。

 22Aなどのように旧時代からの共産党支持者と云うのは、志位が演説したような多様性を共産党に見出していない。

 多様性とは「物事にこだわらない」ということなので、政治的思想としてはリベラルとなる。

 リベラルとは自由主義ということで、小沢自由党とはリベラルパーティであるから、共産党が死んで、自由党に呑まれるなら、この志位の宣言は当たっている。

 しかし共産党が若しも解散して、自由党に呑まれたなら、付いていく支持者は10%もおるまい。

 それでは小沢一郎としては、むしろ迷惑な話で、この話は無かったとした方が好い。

 話には、成る話と成らない話がある。

 この共闘は、同一日同一時間に北極と南極に同時に到達するというくらい難しい。

 もちろん、それは国民のために共通の政策・両党のポリシーが同時に成り立つという観点を探すから難しいだけだ。

 票だけ取って、次の選挙まで議員報酬をゲットすることが目的なら、これほど体の良い有権者を謀る方法は他にあるまい。


63. 2017年1月17日 15:45:04 : YPNeegoKJ2 : vNWZ8d6L5Qs[132]
共産党大会に野田なら、もっとサプライズだ!

64. 2017年1月17日 16:30:21 : 8FvsKNrfJw : p9PnnbSZQUg[1]
>共産主義や日本共産党について論じるのなら、せめてはマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」と日本共産党の綱領ぐらいは読んでからやってほしいね。

そんなもの読んでたら、あんたのようになる。

読むなら資本論を読め。

マルクスの経済論が、如何に空想(こじつけ)か解る。

その資本論の中の、新しい経済論(マルクス経済論)が本質であり、そのたは装飾品に過ぎないのだ。

多くの人は、その装飾品に惑わされているのである


65. 2017年1月17日 16:41:04 : 8FvsKNrfJw : p9PnnbSZQUg[2]
(エンゲルス「空想から科学へ」から一部引用)

しかし、株式会社やトラストへの転化も国有への転化も、まだ生産力の資本としての性質を廃棄するものではない。株式会社やトラストではこのことは明白である。
そして、近代国家もまた、資本主義的生産様式の一般的な外的諸条件を、労働者や個々の資本家の侵害からまもるために、ブルジョア社会が自分のためにつくりだした組織でしかない。
近代国家は、その形態がどうであろうと、本質的に資本主義的な機関であり、資本家の国家であり、観念的な総資本家である
近代国家が生産力を自分の所有に移せば移すほど、それはますます現実の総資本家になるのであり、ますます国民を搾取するのである。
労働者はあいかわらず賃金労働者であり、プロレタリアである。資本関係は廃棄されないで、むしろ極端にまでおしすすめられる。
しかし、その極端に達すると、資本関係はひっくりかえる。生産力の国有は、衝突の解決ではないが、しかしそれはそれ自身のなかに解決の形式上の手段、その手がかりを宿している。

(引用終わり)

この文章自体が空想ではないか。
マルクス、エンゲルスの言う共産主義は資本主義(現代では新自由主義)の後に表れると思うか。

グローバル化で疲弊した現状を思うとき、それが出現するか否か、もう我々自身で予想できるであろう。

資本主義経済のシステムを改修しなければならないことは解るが、少なくとも、それが資本論のような世界では決してないのである。

そこのところをゴチャマゼニするべきではない。


66. 2017年1月17日 17:17:03 : EZbI89hhvQ : NS0ZVF3Pp1s[1]

 共産党宣言を読んで、日本共産党綱領と符合すると感じるわけがないだろうwwwwwww

 バカかこいつわ!?

 共産党宣言は、労働者が結集してブルジョワジーに抵抗するため、結社化することを求めている

 ブルジョワジーとは国家経営者ではない

 市場経営者だ

 日本でもそうだが、ブルジョワジーの定義はカトリックに任命された司祭の家柄によって、地方(または都市)にあって禅譲でその地位を保全される修道院の兵団任務受託者の集合体(カトリック王家)ではなく、主として(運び屋)と呼ばれる、王家と王家の間を物品輸送に携わる運送会社と、その代金を巨額な金銭ではなく証文や宝石によって債務交換に携わる両替屋、そして、議会の世界に於いては、前項の王家に指名された議員が、議長席から見て右側に議員席が有るため「右翼=国家派・公務員派」と呼ばれるのに対し、議長席から見て左側に議員席が有るため「左翼=市場側一派・領民に仕事と引き換えに役務を命ずる経営者一派」を指してブルジョワジーと呼称する

 なんのことはない。西洋ではギルド/日本では座とか市がブルジョワジーの定義だ

 だからブルジョワジー、マルクスの記載定義で「資本」、日本の世界史で当て嵌まる形容詞としての定義とは「自由主義者」「共和制信奉者」これがブルジョワジー=資本の定義だ

 つまり「資本」とは左翼のことだ

 カトリック王家は、ブルジョワジーと戦って敗れたというよりも、戦役としては、ブルジョワジーに担がれているプロテスタント国王連合と戦い、徐々にカトリック王家としての戦争継続能力を失っていった

 カトリック王家は、主としてヴァレンシュタインという傭兵隊長にその兵員補充を頼るようになり、カトリック王家自身も神聖帝国黎明期に於いて中核的な存在であった「バイエルン」「シュレーゼン」「フランクフルトアンマイン」から、ハプスブルグ家に皇帝家が移動するのに伴って指揮命令権が分裂したこと、カトリック法王家自体がメディチ一派の法王輩出の掌握から、ドイツ騎士団の集団プロテスタント転向を許してしまうなど、カトリック陣営として3派に分裂してしまったことが、プロテスタント陣営の勝利を許してしまう背景として存在する

 特に、法王家を裏で牛耳るフランス王家(現スペイン王家)と、ハプスブルク皇帝家(当時のスペイン王家/オーストリア皇帝家)との戦役は、カトリック陣営の戦力を大きく疲弊させた

 またカトリック法王家は、東方正教会や禁制にしたテンプル騎士団をもユダヤ(裏切り者)と定義して此れと敵対したため、ユダヤ人の定義がカトリック陣営とその他の陣営でバラバラにユダヤと呼ばれたため、今を以て、ユダヤ人の呼称に当たる定義が複数混在する原因を招いている

 何れにせよ、カトリック側はプロテスタント陣営に敗北し、プロテスタント国王家は市場に国家の経営権を握られている

 この市場(左翼=自由主義者)より、国家の方が強いんだ!国家に住む国民は全て国家の公務員だ!国家の公務員は団結し、市場経営者を追い出すんだ!=これが共産党宣言だ

 こうして国家という境界線内に住む民族を問わない労働階級は、民族の違いを超えて国民として団結を求め、当時、民主主義という定義が無かったので、国家の象徴として多くに国民に慕われる国王家を探した
 
 共産党宣言によって崩壊したフランス市場に、フランスという民族を超えた国家を委ねられる王家として、ナポレオン:ボナパルトこそフランス国王家に相応しいという論理が展開され、この官民共同生産(共産)帝国には、ナポレオン3世が皇帝として迎えられるのだ

 共産党宣言とは、カトリック王家の様に、王・貴族・兵・課税民・奴隷移民という階級が無い

 共産党宣言とは、王(または指導者)と国民全員が兵士であり、国民全員が労働者でもあり、国民全員が公務員(官民の区別がない=共産)なんだ

 共産党宣言とは、公務員同士に身分の差は無く、そして、商売人(ブルジョワジー)は公務員より下なんだ!こいつらは外国人だ!商売したかったら関税払え!これからは国家がブルジョワジーから搾取するんだ!

 こういう意味だ
 
 


67. 2017年1月17日 17:33:24 : EZbI89hhvQ : NS0ZVF3Pp1s[2]

 一方、日本共産党綱領が敵と定めているもの

 これは何の間違いも無く国家経営者だ

 団結する者も労働者という呼称は使われず「市民」という呼称が使われる

 また日本共産党綱領には「市民」とは別に「国民」という階級が登場する

 団結し、日本国家経営者と戦おう、背後のアメリカ合衆国と戦おうと鼓舞する者の定義は、この「市民」である

 しかし、本当に国家経営者やアメリカと戦う者の名称は「市民」ではない

 日本共産党綱領によると「国民を結集し此れに抵抗する」と書かれている

 つまり、実際に血を流すものは「市民」ではなく「日本国民」なのだ

 この「指揮命令を為すもの市民」「徴兵され日本国経営者アメリカ合衆国と戦わされる日本国民」この、全く異なる2属性の「民」という呼称を被せられた日本人について、「市民」には「日本」と冠が被せられていない

 しかし、徴収され戦わされる「国民」には「日本」と冠が被せられている

 すなわち日本共産党綱領とは『日本人とは限らない「市民」という支配階級』が『日本人と限定される「国民」と呼称される被支配階級を徴収し、国家経営者やアメリカと戦う』こう明記されているのだ

 これがどういうことか?

 何故、日本共産党は捏造された韓国慰安婦問題を有ると騙るのか?

 何故、日本共産党は在日韓国人に参政権を与えようとするのか?

 その答えが、「日本の」と冠を被せられない「市民」の正体である


68. 2017年1月17日 17:34:52 : 8FvsKNrfJw : p9PnnbSZQUg[3]
先のコメントで、共産主義(マルクス主義)を理解するなら資本論を読むべきだと言いました。

その資本論でも、大方は資本主義経済論の分析であり、この分析の領域は卓越したものであり、真正面から資本主義の展開、欠陥を指摘したものとしては唯一と言ってよいものでしょう。
共産主義を支持する多くの人は、この分野のマルクスの分析に心酔しています。
しかしながら、それはあくまでも批評であり、対案ではありません。

資本論の中の本当のマルクス経済論は、余剰価値論であります。
余剰価値と言ってもそれはマルクスの独創ではなく、言葉は異なるが、資本主義の理論でもあります。

マルクスは富の分配と言う側面から、企業を公有(国有化)することによって公平性、平等性を作り出すと言っています。
しかしながら、具体的に剰余価値を決定するとなると、とても多くの問題が出てきますが、それには触れてはいません。

また現代の商品の多様さ、流通の多様さは、簡単には一律の基準でそれを求めることは不可能でしょう。
商品の生産力も飛躍的に伸び、需要と供給の関係も単純ではありません。

さらには、資本主義社会でも剰余価値をして国家が吸収する部分を法人税として取り上げ国家財政に使っています。個人の所得税も、そのようなものです。
累進課税を徹底すれば、マルクスが言うように企業の公有化をしなくても集められるのです。

マルクスが言う剰余価値論と現代の資本主義経済の有り様は基本的には変わらないのです。
ただし、手法が私企業に任せるか公有企業にするかの、大きな違いがあります。
市場主義経済の欠点もありますが、企業のすべてを公有化することへの欠点には触れていません。

このことこそ、実際に共産主義の体制をとった多くの国の破たんを招きました。
経済論以前の人間論、哲学論において欠陥があったのです。
唯物論的思考が華やかですが、肝炎論、唯物論は、どちらが正しいか、否かの設定はできません。
唯物論思考のマルクスがなしたマルクス主義経済学、要するに剰余価値論が正しいとはならないのです。

資本論の内容は、その程度であるのに、マルクスが言ったことのうち資本主義の批評の部分が必要以上に評価され、これが各種の政治勢力と結びつき権力抗争となっています。
まあ、その気持ちは解るが、資本主義のシステムへの改革として、マルクス主義は参考にはしても、それで解決できるものではないことは自覚しなければなりません。

マルクス主義、現在の共産主義を簡単に言えばこのようなものなのですが、ここでも言われているように、マルクス主義の亡霊のようなものに取りつかれている人が多くいます。

現在の日本共産党などは、亡霊に基づく政党であり、政権を取れば我々をどこへ導くか解ったものではありません。
みなさんの共産党観もそんなものでしょう。


69. 2017年1月17日 17:36:29 : EZbI89hhvQ : NS0ZVF3Pp1s[3]

 こいつらはマルクス主義者ではない

 コミンテルンだ


70. 2017年1月17日 17:43:39 : 8FvsKNrfJw : p9PnnbSZQUg[4]
階級とか、搾取とか言う言葉を使って論じるのは江戸時代の武士道で現代社会を論じているようなもの。

もう、そんなかび臭い意見は御免こうむる。


71. 2017年1月17日 17:50:51 : EZbI89hhvQ : NS0ZVF3Pp1s[4]

 >>階級とか、搾取とか言う言葉を使って論じるのは江戸時代の武士道で現代社会を論じているようなもの。
もう、そんなかび臭い意見は御免こうむる。

 >>先のコメントで、共産主義(マルクス主義)を理解するなら資本論を読むべきだと言いました。

 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 バカが出たか?

 階級とか、搾取とか言う言葉を使って論じられている書物こそ資本論だ
 
 階級とか、搾取とか言う言葉を使って論じられている書物をベースに話を勧めよと言いながら

 階級とか、搾取とか言う言葉を使って論じられている内容を吟味するとカビ臭いのか?

 支離滅裂も極まったな売国奴めが


72. 天橋立の愚痴人間[177] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月17日 18:03:51 : 8FvsKNrfJw : p9PnnbSZQUg[5]
マルクス主義者と言う場合、

マルクス経済論(剰余価値説)の実現を指標とした人間の事であるべきであるが、ほとんどの場合、マルクスが言った資本主義批判に同調する人間の事を言う様である。

要するに中身は空っぽなのである。

マルクスが資本主義批判を言ったように、マルクス経済学(剰余価値説)批判も山ほどできることを自覚されるべきである。



73. 天橋立の愚痴人間[178] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月17日 18:16:09 : 8FvsKNrfJw : p9PnnbSZQUg[6]
71氏

ならば聞こう。

レーニン・スターリンがやった共産主義に対して、純粋なマルクス経済論を基盤にした国家像(経済論)を展開されてみよ。

現代労働者は、何を基準に給料を支給されるのだ。
単なる時間給で計算するのか。

国会議員も時間給で計算するのか。
仮に時間給であっても
労働者間の差異は作るのか、
作るるとすれば、その基準はどうするか。

発明、発見に対する評価はどうするか。
具体的には何もできないであろう。

強引にやることは、国家の独裁ではないか。
そういう手法がとられる社会の有り様を、公平、平等として受け入れられるのか。

少なくとも、一般労働者への剰余価値配分の基準でも示されよ。

小沢と同じようにマルクスは総論だけを言っているのだ。
実際には実現不可能なことを示しているだけ。

>階級とか、搾取とか言う言葉を使って論じられている書物こそ資本論だ

資本論を読んで、このことが解らないとは、あんたは資本論など読んでいないであろう。

恰好付けをするならまだしも、
それを超えて人を中傷するではない。


74. 天橋立の愚痴人間[179] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月17日 18:28:27 : 8FvsKNrfJw : p9PnnbSZQUg[7]
マルクス主義を標榜する人は数々いるが、剰余価値説の内容を具体的に説いてマスクス主義を主張する人はほとんどいない。

具体的と言うのは、総論として言うのではない。
実際の我々の経済活動(労働者の給料の有り様)を数字で解明することである。

日本の労働者の平均年収は450万と言う。
GDPから換算して、マルクスならば、どのような結果がでるのだ。
ワーキングプアーと言われている人の年収は、もともと、どれくらいを保証できるのか。

そういうことを示すことができて、初めてマルクス経済学を取り入れられるのではないか。

マルクスを称賛する人はいても、このような具体的事例を示している人間はいない。
マルクスが本当に有益ならば、その一旦くらい言えよう。


75. 未来のTOW[19] lqKXiILMVE9X 2017年1月17日 18:46:01 : i4xauyCsQw : H@OQqbQ7xfg[112]

共産党という名前であるにも関わらず、マルクスやエンゲルス、レーニンの考え方を否定する支持者が多いのは恐れ入った。
もはや、マルクス・レーニン主義(日本では科学的社会主義と呼ばれる)について、否定的な考えが主流なのだろうか。

しかし、社会主義や共産主義といった概念を作り出したのは、マルクス、エンゲルス、レーニンであることは間違いないのだから、
共産党と名乗る以上、その人たちを無視することはできないだろう。
そもそも、日本共産党自体が、コミンテルン日本支部を目指して発足し、そのあと正式に認められたのだから。

日本共産党の歴史を見れば、時代が新しくなるごとに、より穏健的な(日和見主義的な)活動となっているのは否定できないだろう。
武装闘争路線の放棄(レーニン式革命論の放棄)、中ソ批判(プロレタリア国際主義の否定)、
プロレタリアート独裁条項の削除(一党独裁制の否定)、天皇制の容認(封建制度の放置)などなど、かつての主張を次々に転換してきている。

正直これは、社会主義でも共産主義でもない。
そもそも、憲法29条には私有財産権の保障が書かれている。なぜ、「護憲」の立場を崩さないのかイマイチ不明だ。生産手段の公有を害するものだろう。

日本共産党も、世論の動向をみてより現実的に(新左翼に言わせれば、右翼的)になってきている。
だが、それにも限度があるだろう。共産党である以上、越えられない一線というものはないのか。
もはや、日本「共産党」と名乗ることは、不可能だ。共産主義でもないし社会主義でもない。見た目ばかり整えようとして、中身が失われてはいないか?


76. 天橋立の愚痴人間[180] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月17日 19:08:27 : 8FvsKNrfJw : p9PnnbSZQUg[8]
面倒くさいので、資本論の原文の極一部を紹介する。
マルクスが言う労働価値、剰余価値の概念を説明する内容であり、下記のような文章が連綿と続く。


商品の要素は二つ。使用価値と
価値(価値の実体と価値の大きさ)である。

 (1)資本主義的生産を行う社会では、その富は、商品の巨大な蓄積のようなものとして現われる。その最小単位は一商品ということになる。従って、我々の資本主義的生産様式の考察は、一商品の分析を以て始めねばならぬ。

 (2)一商品は、とにもかくにも我々の面前に存在して、その特質をもって、人間の様々な欲求を満足させて呉れる。 その欲求が、例え胃からであろうと、幻想からであろうとかまわない。
 ただこの商品要素の考察という段階においては、一商品が、直接的に生存のための欲求にであれ、間接的に生産に用いるための欲求にであれ、どのようにこれらの欲求を満足させるかについては、特に知る必要はない。  

 (3)鉄や紙などの有用物を、その質と数量という視点から見て行くことにしょう。 これらのものは、 様々な特質の集合体であり、様々な用途に使える。 これらの用途の発見は 歴史的な所産である。
 また、これらの有用物の数量を計る標準的な方法も、社会的に確立されてきたものである。様々な計量方法があり、計られる物の性状の違いによるものもあれば、習慣的に用いられてきた方法もある。

 (4)ある物の有用性が、その物の使用価値である。物の有用性は空中に浮かんでいるものではなく、あくまでもその商品の物質的な特質の内に限られ、その商品の外に存在してはいない。 つまりは、一商品、鉄とかトウモロコシとかダイヤモンドとかは、一現物であり、使用価値であり、有用物なのである。
 この一商品の使用価値という特質は、その有用さの質のために必要とされた労働の量からは独立している。 我々が使用価値を論じる場合は、常に、その数量の確認が大切である。1ダースの時計とか1ヤードのリネンとか1トンの鉄とかのように。  しかしながら、商品群の各使用価値の諸々については、それしか知識を要さない商品学に任せておけばいい。
 使用価値は、使用や消費においてのみ、実現する。また、富の実体となる。それがいかなる社会的な富であろうともである。現資本主義社会においては、その富がさらに加えて、交換価値の保管物であるということが、我々の資本主義的生産様式の考察への手がかりなのである。     

  (5)交換価値は、ちょっと見た限りでは、数量的な関係に見える。あるものの有用さと他のものの有用さの比例的な関係に見える。しかもその関係は時や場所によって常に変化する関係に見える。このため、交換価値は偶然的で全く相対的なものであるように見える。しかしながら、一方では、商品とは切り離せない固有の価値にも見える。この相対性と固有という関係には言葉の矛盾を感じるだろう。これらの内容をもう少し細かく考えて行くことにしょう。

  (6 )与えられた一商品、例えば、1クオーターの小麦は、x量の靴墨、y量の絹、z量の黄金 等々と交換される。これらの商品はそれぞれ全く違う特質を有しているにも関わらず、交換される。小麦という一つの交換価値は、従って、様々な交換価値を持つことになる。
 しかし、交換した結果から見れば、x量の靴墨、y量の絹、z量の黄金 等々の交換価値は、1クオーターの小麦の交換価値ということになるので、さらに、x量の靴墨、y量の絹、z量の黄金 等々それぞれの商品は、相互に交換価値があり、交換することができることになる。
 これらの事を踏まえれば、第一に、様々な量の商品達の交換価値は同一の何かを表しているということになる。第二に、交換価値とは、一般的に、商品に含まれ、識別できる何んらかのものの、一つの表現形式・現象形式だということになる。  
(中略)

第三章 貨幣、または 商品の流通
第一節
価値の尺度

(18 ) 価格は、商品に実現された労働の貨幣名である。だから、商品の等価を、その価格を構成する貨幣総数で表すことは、同語反復である。ちょうど、一般的に、一商品の相対的価値の表現が、二つの商品の等価と云うみたいなものである。しかし、商品の価値の大きさを示す価格が、貨幣との交換比率を説明しているとはいえ、交換比率の説明が、商品価値の大きさの説明に必要であるわけではない。二つのそれぞれ同量の社会的必要労働で表されるもの、1クオーターの小麦と2ポンド(約1/2オンスの金)を考えてみよう。2ポンドは、その小麦の価値の大きさを貨幣で表したものである。またはその価格である。今、状況が、この価格を3ポンドに上昇させることを許したとしよう、または、1ポンドに引き下げるよう強いられたとしよう、そうなれば、1ポンドと3ポンドとは、小麦の価値の大きさを表すには、小さ過ぎたり、大き過ぎたりするかも知れないが、それにも係わらず、それらがその価格である。まず第一に、それが、それによってその価値が現われる形式、すなわち貨幣だからである。第二に、貨幣によるその交換比率の説明だからである。もし、生産の条件、別の言葉で云えば、労働の生産力が一定に留まるとするならば、同量の社会的労働時間が、価格が変わる以前・以後とも、1クオーターの小麦の再生産に支出されねばならない。この状況は、小麦生産者の意志にも、他の商品の所有者の意志にも依存しない。

(19 ) 価値の大きさは、社会的生産関係を表す。ある品物とそれを作るために必要となる社会的総労働時間の割合との間に必要的に存在する諸関連を表す。価値の大きさが価格に変換されるやいなや、上記の必要な関係が、一商品と他の商品、すなわち貨幣商品である、との間の交換比率として、多少偶然的ではあるが、姿を現わす。しかし、この交換比率は、商品価値の実際の大きさと、それとは別に、状況にもよるが、その価値から逸脱した金の量をも表す。だから、価格と価値の大きさとの間にある量的な不適合の可能性、また前者と後者の乖離は、価格形式自身の起因的特質なのである。これは欠陥ではない、いやそれどころか、ある生産様式によく適合している価格形式なのである。その生産様式に起因する慣例が、互いを釣り合わせるが、明らかに、無法・違法な、ただ一つの手段としての役割を、それらに賦課している。

(以上)

資本論の内容は、こんなものですが、おそらく読まれる人は退屈この上ないでしょう。
問題は、こうした説明をいくらしても、人間の経済活動の全容などは把握できないことです。
把握できないことを切り捨ててなっているのが資本論。
そこのところの致命的な欠陥をマルクス主義者はみようとしません。

これが問題であり、書かれていることを読んでいるだけではだめでしょう。
ところがマルクスの経済論を実際に施行するためには、国家などの中央権力が必要です。
要するに、人間の生活のうち経済の分野のために国家を想定しなければならなくなるのです。
経済のシステム=国家の体制となるのです。

現代社会も経済が政治を牛耳るようになっていて、これが大きな問題ですが、マルクス主義は、どっぷりと国家=経済となるのです。

唯物史観というものは、論理的には有効でも、それを実施に移す場合、上意下達の独裁国家の様相を帯びることになります。
かつての共産主義国家の有り様を見れば明らかでしょう。


77. 2017年1月17日 20:54:10 : xFsfHwqoDI : Si2vTTJ0Jnk[1]

 >>73

 なんだあんた?

 >>ならば聞こう。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 僕の「何処の発言」に対して「ならば」になるのか?

 主語のない質問には答えられん
  
 だが、中身は置いといて、結論として示すことが可能なものは有るので、其れを示しておこう

 >>純粋なマルクス経済論を基盤にした国家像(経済論)を展開されてみよ。

 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 これも、「A:マルクスが如何に主張しているのか?」「B:僕が如何に考えているのか?」これが明示されていないので、普通の者なら答えられず、罵声を返すだろう。

 あんたは阿修羅の有名人だから、其れに免じて、この答えようのない要求に1度だけ答えよう

 A:について
 マルクスは、経営資本の取得分と労働者に対する配当について、問題点は提起しているものの、労働者が此れを運営化として自己の運行下に収める定義に於いて、具体的な指標を示していない

 マルクスの論理/主張は、
 「現在担当者が悪い」
 「現在担当者を抹殺すれば今より良くなる」
 「それでも未だ悪い部分は残っている」
 「また此れを抹殺する」
 「こうして、その地位に就くものを順次抹殺して往けば、最後に誰も経営する者が居なくなる」
 「この経営者が居なくなった社会こそ無政府における理想の社会だ」
 こう定義しているだけなので、現在経営者(資本)を抹殺した場合、その後に就く者が、絶対に抹殺された者(資本)より民主的であり公平であるという、まったく何処にも担保する前提事実がないにも拘らず、(そうなる)という仮定に基づき論理展開されているので、はっきり言って検証に値しない

 B:について
 前項Aの理由により、
 @誰が、どの様に行い、
 Aどの時点で成果を計測し、
 B何者が此れを審議し、
 C誤りを訂正することで、次の試みの糧とする
 
 @をP
 AをD
 BをC
 CをAとする

 この論理に則ってPDCAをサイクルとして啓示できるもののみが検証に値する

 マルクスの理論は、共産経済の指標とするのは、後の「一般理論」に比べると大きく落ちる

 資本論とは宗教書だ

 数字をもてあそんでいるだけで経済書ではない

 経済書ではないものに、経済書としての評価はできない


78. 2017年1月17日 21:56:41 : Dh0SPOQ3mI : NtffnpD2JE0[1]
>77

マルクスという言葉を使っているが

結局は何も知っていない。


79. 天橋立の愚痴人間[181] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月17日 22:23:51 : Dh0SPOQ3mI : NtffnpD2JE0[2]
>資本論の内容は、こんなものですが、おそらく読まれる人は退屈この上ないでしょう。
問題は、こうした説明をいくらしても、人間の経済活動の全容などは把握できないことです。
把握できないことを切り捨ててなっているのが資本論。
そこのところの致命的な欠陥をマルクス主義者はみようとしません。


簡単なたとえで言えば

労働価値ないし余剰価値という概念で労働者に価値(富でも金でもよい)を配分するばあい、
単なる労働時間に比例して与えるのか
出来高に対して与えるのか。

人間は権利として平等を言えても能力は平等ではない。
そのようなものを、どのように基準化するのか。
仮に、一人一人の能力を調査し、Aクラス、Bクラス、Cクラスなどと順位を決めても、その人の能力自身も変化するもの。
要するに出来高算定より方法はないだろう。

出来高算定といても、ある商品の生産においてはできるとしても、知的職業の分野ではどうする。
もちろん資本主義のシステムでも能力給と言って、それは取り入れられてはいるが、現代の社会では、完全に能力給制度にはなってはいない。

また能力給制度が完全に施行されることがどれほどよいのか。
一見、不合理ではあるが、能力以外の要素も勘案して年功序列による報酬をしている面もある。

また、経済活動、社会活動において完全に能力主義に陥れば、人間自身が逃げ場を失う。
完全に国家が決めた自分の能力で全人生を左右されることになる。
それに対して現状では
あいつは運がよいので出世できたとか、
コネを使って出世したとか、
偶然による満足が得られ、反対に言えば、自分が困窮しているのか、学歴のせいとか運がなかったとして、自らを納得させることができる。

これが完全に個人の能力の評価で決まるならば、強者は良いとしても弱者はたまらなく悲嘆に陥る以外にない。
そういう絶望感を国家により押し付けられるくらいなら、たとえ不合理ではあっても自由競争の結果とされる方が、精神的に救われる。

マルクスは、こうした人間の心理的な要素を無視しているのである。
一部ではあっても、人間社会からこの偶然性を取り上げれば大変な閉塞社会ができるであろう。

少々の金銭的格差の問題よりも、深刻な問題であろう。

マルクス主義社会こそ、人間の差別社会であるのだ。
マルクス主義によると公平、平等な社会が作れると勘違いしている人が多すぎる。


80. 天橋立の愚痴人間[182] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月17日 22:38:32 : Dh0SPOQ3mI : NtffnpD2JE0[3]
私は若いころに資本論を読んだが、資本論の内容について、これを批判的に見ていればマルクスが切り捨てた内容に対して疑惑が募り、半分くらいを読んだところで止めてしまった。
それ以上読まずとも結論が見えていた。

マスクスが言う資本主義批判の部分には賛同し感心もするが、マルクスの経済論の部分はトンでもない虚構と映った。

それにも拘わらず、資本論の解説書も多く、そのマルクスの虚構の部分には触れず、マルクスが言ったことのみを検証している学者氏が多いことにあきれた。

同時に共産主義革命を言いながら、その実、マルクスの資本主義批判の部分だけを崇拝し、マルクス経済論の本質までみようとしない多くの若者の存在に危惧を感じたものである。

そんなことで革命を起こされてはたまらない。
旧共産主義国家の有り様が、それを証明しているのである。

結局は民主主義を理由に崩壊した。
マルクスは人間性の探求をおろそかにしていたのである。


81. 天橋立の愚痴人間[183] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月17日 22:49:19 : Dh0SPOQ3mI : NtffnpD2JE0[4]
マルクスとレーニン・スターリン主義とか違うという方が多いが、マルクス経済論を実践するためには、中央集権化が必然である。

マルクスは具体的な言葉で中央集権の実態を国家とはしてないようであるが、それが地方行政でも全世界でも理屈は同じである。

ソ連という国家での、レーニン・スターリンがやったことは、あくまでもマルクス経済論の実践であり、やり方の差異を言っても始まらない。

要するにマルクス主義を実践したのは旧共産主義国であり、ソ連、チェコスロバキア、カンボジア、中国など詳細に見てばやり方は違っても、本質は変わらない。

強力な中央集権が必要であったこと。
マルクス主義に疑問をもつ人間を排除する必要があったこと。
権力の一元化により権力争い、不正が充満したこと。
国民が民主主義を待望したこと。


82. 2017年1月17日 23:23:31 : 8g94hCeZzI : Hr5voZ3A_X4[5]

マルクス経済論に中央集権化の必要性など書かれていない

むしろマルクスは、価格とは経費の集合体と捉えているので、マルクスの考え方だと、大量購入は安くなるのが当然で、同製品であっても遠方に届ければ高額になるのが当たり前という、徹底した逆進性の提供方法をベースとして自己理論を展開している

中央集権とは、累進性のインフラ提供が成される目的として優れている概念なので、マルクスの論理だと賃金の高額化だけを謳って、資本の取り分とは生産の効率化による分配であるとの定義にたどり着けていない

資本が、大量生産による収益を確保し得るから、遠方や単品製造への経費過剰となる個別の赤字販売を行っても、資本として目的とする収益を上げられるため、消費者は、国内どこへ住んでいようとも、直接製造原価の購入価格に対する安定を得ることができる

マルクスは給料を貰うことだけを考え、貰う給料は生活費として支出するので、物価の安定という、消費者が求める生活の安定(実質賃金に近い概念)から目を逸らし、給与の確保のみを労働者に提起する形になっている

本当に生活者を直撃するのは、生産コストが価格に跳ね返り、累進的な緩衝を失うことだ

そこで生産者の労働コストを中心に製造を捕まえ、キャパへの投資という資本の役割を軽視しているため、資本を不要と断じている

この辺りは、マルクス経済論とは、後年の共産主義各国の複数カ年計画に比べると随分と弱いと言わざるを得ない

第2インターナショナルの保護主義丸出しの計画経済の方が、まだ数段優れていると言える

第2インターナショナルとは、スイス:バーゼルの資本を中核にしているので、経営者としての経歴は付け焼き刃の市場運営とか、こなしたこともないマルクスに比べれば、随分と計画的で、良し悪しの評価は譲るとして、市場が成り立つ背景は揃えられている

ヒトラー政権に象徴される、徹底した保護主義を担保する、政府先行投資と、高額な購買価格になっても提供者の生活をお互いに守ろうという、地区を商店街化し、商店街ごとに生活圏を構築していって、巨大資本の介入とかによるスーパーマーケットによる個人商店への圧迫を許さない社会形成が第2インターナショナルの真骨頂だ


83. 2017年1月17日 23:36:52 : Dh0SPOQ3mI : NtffnpD2JE0[7]
ありゃ!
まだこんなこと言ってくるのか。

>マルクス経済論に中央集権化の必要性など書かれていない

言っているだろう。
資本論を読んでの上の意見かを。

労働価値を決めるのはどこのどいつだ。
資本主義では企業の幹部がやるだろう。

マルクスの資本論では、私企業は想定してないだろう。
その評価は地方行政単位でも言ってないだろう。
人間の経済活動をコントロールするとすれば、それを納得させる強力な決定機関が必要となる。

それが中央政権化であり、実際に、そのようにしてきたであろう。
マルクス主義は共産主義国で初めて実践された。
あんたが言うマスクス主義は机上の空論であろう。

机上の空論であれば

>マルクス経済論に中央集権化の必要性など書かれていない

これでもよいさ。
実際に、そのようなことまで書いてないしさ。
書いてないことと、実態の問題を使い分けるなよ。

小沢信者と同じように
あんたはマスクス信者か!


84. 2017年1月17日 23:42:51 : Dh0SPOQ3mI : NtffnpD2JE0[8]
第一ね

第一インターナショナルと
第二インターナショナルの比較など愚にもつかない。

マルクス経済論は欠陥商品であったことを認めればよいのだ。


85. 2017年1月18日 00:01:01 : D5ib13GltA : vaXB7s8PpiA[61]
長いわけのわからないコメント書いてるのは全部チビセコウが機密費で雇ったなりすましネトウヨ。うじゃうじゃ涌いてきてる

ここへ賛同者を寄り付かせなくするつもりだろうが、

賛同者は表題だけ読んで共感し、下のゴミコメントはすべて無視しています。


86. 2017年1月18日 00:25:27 : Dh0SPOQ3mI : NtffnpD2JE0[10]

結局は陰謀論に落ち着くか!

小沢信者の性向として言われていること。
議論に窮すれば陰謀論に逃げると。


87. 2017年1月18日 01:27:19 : pW8jgUQFhc : PFoH2EZ3OM4[1]

>85さん

ですよね。
電車の中で、酔っ払いたちがいきなり口論を始めたような違和感を拭いきれませんね。
ハタ迷惑というか、場違いなのがわからないのでしょうかね。
当人たちは、口角泡を飛ばして議論に耽った若い頃を懐かしみながら、彼らなりに楽しんでいるのでしょうが、やるのなら別のスレ立ててやるか、あるいは、もっと小声でやり合ってほしいですね。
  
  
🌀熱帯性無気力症候群(9401108)



88. 2017年1月18日 04:45:00 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[360]
インターナショナルだなどといっても
中国共産党とうまくやれない理由を

どなたか教えていただれば嬉しいのですが。

日本共産党とは「共産党」とは言っていますが、
実は血族主義的・民族主義的政党ではないのでしょうか。
外見的に、上層は、中国北方民族系に独占されているように
思います。自由民権と共に動けた時代の日本共産党では
とっくになくなってしまっているのです、。

背景がスターリン時代の大資本が後ろ盾のコミンテルンなのですから
よくうなずける話です。


1300年余前、百済が滅びたときの都の名前を

四比、泗〜 「シイ」 といいます。

538年、熊津から泗沘へ遷都
泗沘時代(538–660年)参考: wikipedia

日本では古くは「椎(シイ)」などと転記も。

宮崎県 南郷村百済王伝説: (西日本新聞


89. 2017年1月18日 09:08:16 : 8g94hCeZzI : Hr5voZ3A_X4[6]

どうやら愚痴祖父は、マルクス経済論がソビエトにおいて実践されたと信じているらしい

愚かを通り越して哀れみさえ感じる

マルクス経済論とは価格を構成する要件として(物品価値)(労働コスト)(利潤)を科目別に分離し、(労働コスト)を圧縮することで(利潤)が捻出され、これが資本による労働への搾取と解釈すべきであるとの考証方法を提示しているだけで、世界・社会における需要と供給の相関を考証材料としていない

経済政策とは、需要が常に一定で、供給も常に一定の場合、マルクス経済論だと(利潤)を持ち去る資本が無ければ、労働も消費も健全と言えることは、もしかしたらあるかも知れない

しかし実態は、変動する需要に対し、応答する供給と、供給に関し、その物品価値として(機能と設備投資)による緩衝がもたらす効果の計測が思い描かれていない

資本とは、マルクスの算式に不在の(未知の部分に関する投資)を可能にするもので、投資される原資を構成する媒体が(利潤)である

此れを市場が管掌すれば(利潤)、行政が管掌すれば(税金)であって、その決裁者を(選挙で選出)すれば民主/エリートがエリートを指名する方式であれば、市場においては資本(一家資本とか組合資本)、行政主導の場合は専制政治ということになる

マルクスは、言うことは良かったのだが、いざ実践段階に入った時、経済論ではなく第1インターナショナルという、経費を他国に依存し、供出労働兵も他国に依存し、自ら経費を捻出することなく、国際貢献を旨とする労働者団によって編成される軍隊の管理者となると宣言した

マルクスは、経済論で失脚したのではなく、民主的な、平等な、こう言う謳い文句でその地位を構成しながら、自らは特別であり、自分だけは平民の選挙によって選出される存在ではなく、常に、神として愚かな労働者を指導する地位につき続けるのだという姿勢を露見させてしまい、その支持を失った

そういうことでしかない=ここが、この野党共闘における小沢一郎にも、志位和夫にも共通する、少数のエリートが多数を支配し、代表を選挙させないという必ず支持を失う方向性と等しいと指摘しているのだ


90. 2017年1月18日 09:48:36 : YH9QTrQwhQ : vLbTUuW1gtw[1]
本文>「蓮舫はだめな気がする・トップの器ではない。山尾代表・幹事長安住でいいのでは」


 百花斉放、議論灼出、思想や理念めぐり百論出るのは悪いことではない、大歓迎だ。じゃけん、仮に今現在の永田町に、Dr.満留久須が降臨とすりゃあ、何を考えどう行動するか、野党共闘の1点だけに注目するよ。資本主義批判(資本論)や革命論議(共産党宣言・ 空想から科学への社会主義の発展等々)、あるいは哲学論議(ヘーゲル哲学。弁証法・唯物論)等々いろいろあるだろうが、それはさておき、満留久須博士は眼前の政権奪取の可能性、つまり野党共闘に最大に注目するだろうな。野党・市民・ママ・労働者・農民等が協力し連帯することで、選挙により政権を取れる状況が起きている、満留久須博士は自らの全人生かけて、野党共闘の先頭に立ち、その可能性向け全力尽くすよ。そして口から出るのは、黒いネコでも白いネコでも、鼠を捕るネコはいいネコだ、つう言葉だろう。つまり、小沢・志位・吉田忠・糸数始め、共闘に結集しつつある市民・ママ・非正規・派遣等は、みんな現代の満留久須ちゅうことじゃよ。共闘の手応え十分、夜明けは近いつうことだよ。満留久須は、理論はどうであれ、立ち上がった国民大衆のエネルギーを、何より重視するよ。じゃけん、大河の流れにはそれを止めんとする逆流の渦が、必ず起きる。野田レン呆の民進内の保守反動コンビなど、その典型だろう。連合や自公との裏取引で、日夜共闘を内部からどう破壊するか、頭を絞っちょるようだ。こうした動きは当然だ。現代の満留久須は、こうした現局面を正しく読み取る力量を、問われている。その力量こそ、正に、百花斉放、議論灼出の阿修羅コメで論議中の、マルクス主義ちゅことだ。


91. 天橋立の愚痴人間[184] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月18日 11:26:11 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[1]
>どうやら愚痴祖父は、マルクス経済論がソビエトにおいて実践されたと信じているらしい
>愚かを通り越して哀れみさえ感じる


論語読みの論語知らず、と言うことを知っているか。
純粋マルクス経済論など実践不可能であるのだ。
資本論の内容など、その程度と解らねばならない。

旧ソ連は、資本主義経済に代わるシステムとしてマルクス主義に目をつけて革命後の国づくりに取り入れた。

ところが実際はマルクスの理論通り行くはずはない。
ソビエトの結果は見ての通り、マルクス主義を施行しようとしても、理論通り実現できなかったのだ。
それは東欧諸国、中国、ベトナム、カンボジアでも同じことが起きた。
多くの国がマルクス経済論を取り入れようとして出来なかったのだ。

それはマルクス経済論が出鱈目であったからだが、唯一マルクス主義を実践しようとした国が、かつての共産主義国であった。
であるのに、
そんなマルクス経済論を、特別なものと信奉するならば、日本でも、阿修羅でもあんた自身、マルクス主義社会を主張することだ。

そんな覚悟、見識もなしに、マルクス経済論に触れるな。
論語読みの論語知らず、と繰り返しておこう。
言葉だけを弄ぶではない。



92. 2017年1月18日 11:36:47 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[2]
>87氏

社民党はともかく、自由党の小沢が安易に共産党へすり寄ることを非難しているのだ。

共産党には、ある意味私も期待はしているが、条件付きである。
その条件も付きつけることなく共産党との共闘を否定している民進党の方がまだ筋が通っている。

共産党と連携する前に、共産党の本質について語っている。
そんな議論の内容を

>電車の中で、酔っ払いたちがいきなり口論を始めたような違和感を拭いきれませんね。
>ハタ迷惑というか、場違いなのがわからないのでしょうかね。

このようにしか捉えられないのは、ひとえにあんたの能力の問題ではないのか。


93. 2017年1月18日 12:14:35 : YH9QTrQwhQ : vLbTUuW1gtw[2]
91天橋>「実際はマルクスの理論通り行くはずはない。ソビエトの結果は見ての通り、マルクス主義を施行しようとしても、理論通り実現できなかったのだ。それは東欧諸国、中国、ベトナム、カンボジアでも同じことが起きた。多くの国がマルクス経済論を取り入れようとして出来なかったのだ。それはマルクス経済論が出鱈目であったからだ」

 真のマルクス理論を、この世で実現しようとした国は、未だどこにもないよ。ソ連つう国は、マルクス理論とは180度異なる似非マルクス主義の国じゃったし、まあ、労働者の権利とか年間約3週間の休息の家への権利とかは、初期のレーニン時代の成果だろうが、スターリン以後は180度どころか、もっとかけ離れたね。東欧諸国つうんは、そのソ連のコピーだし、カンボジア・ポルポト時代つうんは、話になんねんねえよ。中国は、経済体制は社会主義でなく資本主義だから、比較になんねえよ。ベトナムのドイモイ路線は、独自のことをやろうとしてるが、これをもってマルクス云々とかは言えないだろう。しいてマルクス理論に比較的近いのはキューバかな。とにかく、キューバつう国は暮らし安い・生きやすいと、誰もが言ううな。日本みてえに、鉄道にボンボン飛び込む人がいる国と違って、自殺なんか皆無のようだ。キューバつう国は、バスやタクシーは無いと言われるが、必要がねえんだよ、通りで手を挙げれば、通る車がみんな止まって乗せてくれるかんな。教育・医療等は一切無料等々、ゼニなんかあんましいらねえ国なんだ。けど、キューバがマルクス近けえかと言われれば、違うだろうな。
 マルクス理論つうんは、資本主義が究極に発展した、その先の話なんだよ。究極
に発展したその先では、更に生産力を高めようとするとき、生産手段は必然的に公有化されるだろう、そうしないとそれ以上の高められない、この辺がマルクス経済理論かな。中国なんか現在、資本主義導入で汲々しちょるアンベエじゃよ。たった一人しか私を理解しなかった、その一人が誤解してた、つうんは大哲学者の言葉じゃが、マルクス理論を、その真髄を理解するのは、通俗的な理解は避けるべきだ。


94. 2017年1月18日 12:27:36 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[4]
>マルクス理論つうんは、資本主義が究極に発展した、その先の話なんだよ。究極

マルクス経済論を知って言っているのかね。

幸せな奴だ!

キリスト教じゃあるまいし、
150年も前にマルクスが書いたものを、将来の救世主とでもあがめているのか。

それでも頭をもっているつもりか。
あんたのような奴は、宗教板でも言って喋るのだな。

政治、経済カテは無理なようだ。


95. 2017年1月18日 13:09:50 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1074]
>>93
>真のマルクス理論を、この世で実現しようとした国は、未だどこにもないよ。
それはその通りだろうね。もっとも、マルクスは「資本論」で資本主義社会の分析と批判を行い、その没落を予言したわけだが、その後にできる共産主義社会がどんなものか、詳しく記述しているわけではない。おそらく、目の前に存在しないものについての詳しい予測をしても完全に当てることはできないし、意味がない、と思っていたのだろう。

だからロシア革命後、レーニンたちは、既存の教科書がない状態で試行錯誤をしなければならなかった。当時はまだ第一次世界大戦中であったこともあり、戦時共産制と呼ばれた、強制的な徴発を含む過酷な政策がとられた。だがこれでは人民の不満が高まり、うまくいかないことに気づいたレーニンたちは、次にネップと呼ばれた、市場経済を一部容認する政策に変える。
この方向で進めればよかったのだが、スターリンの時代になって、強制的な農業集団化などの誤った政策がとられ、その過程で人民に対する抑圧が行われたのだ。

今の中国は、中国の歴史上、初めて資本主義の国になった、と言えるのではないだろうか。経済格差の拡大など、資本主義のひずみも抱えている。しかし昔と比べたら、絶対的貧困者は圧倒的に少なくなった、と言われているし、しばらく生暖かく見守るのがいいだろう。(最近、覇権主義・大国主義的な動きが出ていることはこれとは別問題として批判し寝ければいけない)

ベトナムとキューバについて、私は詳しく知らないが、市場経済を通じて社会主義を目指す、という方針ではないだろうか。

カンボジアのポルポト政権は、社会主義・共産主義の典型とみる向きもあるのだが、実は社会主義・共産主義を目指した国の中では極めてユニークな政策を実施した。それは極端な重農政策であり、多くの国民を農村へと強制移住させ、その過程で大量虐殺があった。こんな重農政策は、社会主義・共産主義を目指した国では、文化大革命期の中国ぐらいにしか見られない。ほかの国は工業化のほうに力を入れた。
こんな政策を実行した背景には、あるいはアメリカによる爆撃で、農業が壊滅的打撃を受けた、という事情があったのかもしれない。

社会主義といえば計画経済であって市場経済とは対極のもの、というのが多くの人の理解であろう。確かにエンゲルスの「空想から科学へ」を見るとそう解釈できる記述はある。しかし、完全な計画経済が成功したことはない。どうしても需要予測はうまくいかない。旧ソ連では全然売れない商品がある一方で、買い物客の長い行列ができることもある。これについては市場経済と計画経済をうまく調和させることが必要なのであろう。
しかし、今すぐに、そんなことが争点になっているわけではない。今はやはり貧困と格差を拡大する新自由主義に対する反対を突き付けて、99%のための政治を要求すべきだろう。
そのために志位さんと小沢さんが手を握ってもおかしくない。

なお、AIが普及すれば、これは資本主義では手におえず、社会主義・共産主義が要請されるのではないかという気がしているが、ここでは省略する。


96. 天橋立の愚痴人間[187] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月18日 14:44:16 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[7]
>なお、AIが普及すれば、これは資本主義では手におえず、社会主義・共産主義が要請されるのではないかという気がしているが、ここでは省略する。


ここが要点なのに省略されるとは!

生産手段の飛躍的な発達と、経済のグローバル化、企業の集約化は、生活のための商品の生産、流通の場から労働者を締め出しています。

結果、失業者の増大、まともな収入を得られないワーキングプアーを大量に発生させています。
将来、少子化によって人口が減っても、それは同時に商品の生産も減るということでもあり、さらなる生産技術の発達を思えば、構造的な問題である。

景気、不景気の問題でも、格差の問題でもない。
要するに市場主義経済では抱合しきれない多くの人ができるということ。
これに対処するには、もはや市場主義経済のシステムを放置していることではできない。

国家が介入して人々の生活手段の確保が必要になってくる。
ケインズが主張したような富の再配分を言った概念ではできない。
要するに市場主義経済の領域に公有企業による計画経済の分野を追加することである。

真剣で考えれば、市場主義を存続させながら計画経済を導入することは可能である。
そういう意味での経済の大改革は必要不可欠となろう。
だが、それは決してマルクス主義が言う、システムではない。
発想が全然違うのである。


97. 新共産主義クラブ[2967] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月18日 14:47:07 : q7G3pgCdvA : g7ksY1HyRDM[14]
>>68さん
>先のコメントで、共産主義(マルクス主義)を理解するなら資本論を読むべきだと言いました。
>マルクスは富の分配と言う側面から、企業を公有(国有化)することによって公平性、平等性を作り出すと言っています。
 
 
 マルクスの資本論の中で、「富の分配と言う側面から、企業を公有(国有化)することによって公平性、平等性を作り出す」と、どこに書かれていますか?
 
 あなたは、本当にマルクスの「資本論」を読んでから、マルクスの「資本論」にもとづいて、一連の発言をなさっていますか?
 
 マルクスは、信用制度によって個人が所有する私企業から株式会社へ変化することも、生産の社会化を進めたものとして、一定の評価を与えています。
 
 マルクスは「資本論」の中では、株式会社の先にある生産の組織として、”co-operative enterprises”,
さらに、”associated producers”などの言葉を用いています。
 
 これらの用語のニュアンスは、日本語では、「協同組合」や、「アソシエーション的生産者」が近いと思います。
 
 
■ 松尾匡 【アソシエーション論の歴史】
 
 19世紀にはアソシエーション論は広く見られた:
 
 19世紀には、オーエン、フーリエ、プルードン、シュティルナーなど、多くの社会主義者の目指す理想像は、民衆が協同組合的に連合して民主的に生産する世の中だった。
 
 また、ミル、ワルラス、マーシャルといった、一般には資本主義擁護派の巨頭のようにみなされている論者達も、実は資本主義は永続せずやがては協同組合的社会に変わっていくものだと考えていた。
 
 このように、19世紀には、アソシエーション論は体制側にも反体制側にも広く見られた議論だったのである。 
 そしてマルクスもまたその例外ではなかった。彼は、未来社会を指すのに「社会主義」とか「共産主義」とかいう言葉はあまり使ってなく、圧倒的多くの部分では、「協同組合的社会」とか「自由な諸個人のアソシエーション」などと呼んでいた。その中身は、集権的国有指令経済などでは全くなく、自立した諸個人の自由で対等な連合にほかならない。
 
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_aso.html
 
 
■ Karl Marx, Capital Vol. III Part V
Division of Profit into Interest and Profit of Enterprise. Interest-Bearing Capital
 
Chapter 27. The Role of Credit in Capitalist Production 
 
 The general remarks, which the credit system so far elicited from us, were the following:
 
I. Its necessary development to effect the equalisation of the rate of profit, or the movements of this equalisation, upon which the entire capitalist production rests.
 
II. Reduction of the costs of circulation.
 
III. Formation of stock companies. Thereby:
 
1) An enormous expansion of the scale of production and of enterprises, that was impossible for
individual capitals. At the same time, enterprises that were formerly government enterprises,
become public.
 
2) The capital, which in itself rests on a social mode of production and presupposes a social
concentration of means of production and labour-power, is here directly endowed with the form of
social capital (capital of directly associated individuals) as distinct from private capital, and
its undertakings assume the form of social undertakings as distinct from private undertakings. It
is the abolition of capital as private property within the framework of capitalist production
itself.
 
3) Transformation of the actually functioning capitalist into a mere manager, administrator of
other people's capital, and of the owner of capital into a mere owner, a mere money-capitalist.

This result of the ultimate development of capitalist production is a necessary transitional phase
towards the reconversion of capital into the property of producers, although no longer as the
private property of the individual producers, but rather as the property of associated producers,
as outright social property. On the other hand, the stock company is a transition toward the
conversion of all functions in the reproduction process which still remain linked with capitalist
property, into mere functions of associated producers, into social functions.
 
IV.
The credit system is not only the principal basis for the gradual transformation of capitalist
private enterprises into capitalist stock companies, but equally offers the means for the gradual
extension of co-operative enterprises on a more or less national scale. The capitalist stock
companies, as much as the co-operative factories, should be considered as transitional forms from
the capitalist mode of production to the associated one, with the only distinction that the
antagonism is resolved negatively in the one and positively in the other.
https://www.marxists.org/archive/marx/works/1894-c3/ch27.htm

98. 2017年1月18日 16:05:39 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[8]
新共産主義クラブ氏

あんたも、どこを向いて議論に及んでいるのか。

富の配分と言う言葉は、確かにマルクスは言ってない。

代わりに労働価値をどのように想定し、それをどのように配分するかの理論が資本論、そのものであろうが。

その要旨が解っていれば、このような内容に飛びつくのじゃない。

>あなたは、本当にマルクスの「資本論」を読んでから、マルクスの「資本論」にもとづいて、一連の発言をなさっていますか?

もちろん、読んだ上でマルクスを非難しているのだ。
 
>マルクスは、信用制度によって個人が所有する私企業から株式会社へ変化することも、生産の社会化を進めたものとして、一定の評価を与えています。

具体的には旧ソ連におけるコルフォーズの事を言うのであろうが、コルフォーズが発展的にできたのではなく、ソフォーズでは生産性が低すぎたためにやったこと。

基本的に剰余価値説に基づいた経済が実質的に確立(機能)できないのに、その先の事を言っても、それは机上の空論の上のさらなる机上の空論。

言葉ばかりを追い求め、自分で斟酌しないから、私の言葉に飛びつくのだ。
本旨を理解すべきではないか。

資本論に基づいた経済社会が成り立つものか、あのような仕分けで実際にすべての労働者に給料を払えるものか考えてみればよい。


仮にできても中央集権による強権が前提であり、それは民主主義的な手法ではない。
また如何に強権を使っても、旧ソ連以下、挑戦した国はことごとく失敗した。

それなのに、
下記のような内容まで、いいおよび評価するとは。

>マルクスは、信用制度によって個人が所有する私企業から株式会社へ変化することも、生産の社会化を進めたものとして、一定の評価を与えています。

第一、一定の評価とは、何のことを言う。
そのような中途半端な概念が経済の世界で通用するとでも思っているのか。
まあ、実際にはマルクス主義の実験もそこまでは至らなかったようであるが。
当然ともいえる。


99. 2017年1月18日 16:16:33 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[9]
現在の北朝鮮も含めて、共産主義とは言いながら、結局は経済の面では資本主義の様式に頼らざるを得なかったのが共産主義国の実態である。

まさにマルクス経済学の敗北である。
マルクス経済論などは机上の空論で、とても実践できなかったのが実態。

そのことを、マルクス主義に純真でなかったから失敗したなどと、後になって勝手に決めつける無責任、愚かな評論は止められたし。

信者というものは宗教の分野で使うものだが、政治においても共産主義国においては、それも当てはまる。

共産主義国では原則宗教は認められない。
そのこころは、共産主義国ではマルクスを信じなければならない。
一つの国に教祖は1人でなければならないのだ。

共産主義者にとって、マルクスはキリストのようなものであり、現代風に言えば創価学会の池田会長のような存在である。

このことは、このスレッドのコメントでも解るであろう。
彼らは決してマルクスを否定することはできないのである。
旧共産主義国が失敗してもマルクスだけは守ろうとする。


100. 2017年1月18日 16:24:23 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[10]
>このように、19世紀には、アソシエーション論は体制側にも反体制側にも広く見られた議論だったのである。 
 そしてマルクスもまたその例外ではなかった。彼は、未来社会を指すのに「社会主義」とか「共産主義」とかいう言葉はあまり使ってなく、圧倒的多くの部分では、「協同組合的社会」とか「自由な諸個人のアソシエーション」などと呼んでいた。その中身は、集権的国有指令経済などでは全くなく、自立した諸個人の自由で対等な連合にほかならない。


ご丁寧に、夢物語を語っている。
でも、その通り。

人類も後500年もたてば、国と言うものはなくなり世界国家が成立する。
そこでは生産は、ほとんどロボットが起きない人々は生活費ないし生活のための物資を国から支給されて生きている。

SF映画を見れば、半世紀も前から、そういう状況が描かれているのだ。
マルクスとは関係なしに。


101. 2017年1月18日 16:41:18 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[11]
旧共産主義国家は、マルクス経済論を体現した国家を造ろうとした。

けれども、どこの国においても、それは機能せず、経済的低迷を続けた。
結果、徐々に元の資本主義経済のルールも取り入れざるを得なかった。

そんなことを長らく続けた結果、西欧諸国とは経済の面で多大な差を生むことになった。
経済の手法としては明らかにまずい手法であった。
また、共産主義を守るために行った極度の中央集権制は人々の自由を束縛してきた。

こういうことが連なってベルリンの壁の崩壊と言う事態になり、どこの共産主義国家の指導者も国民を抑えることができなかった。
北朝鮮のみは封建領主のような非情な信念で国民を奴隷化してませ国体を維持しているが。

要するにマルクス経済学に基づいた国作りは70年も経ってぁら、
「万国の労働者よ御免なさい」で終わることになった。

これがマルクス主義の明白な結末である。
オーム真理教と同じように、まだ教祖をしたう信者がいるようであるが。
それは宗教の自由のした、認めよう。


102. 新共産主義クラブ[2969] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月18日 17:04:32 : v6LYoKqvEc : IU9JuRWP7mo[44]
>>98さん
>代わりに労働価値をどのように想定し、それをどのように配分するかの理論が資本論、そのものであろうが。 
 たとえば、コメント11(>>11)で、賃金 w と、生産関数 Y との間に
 
  w = ∂Y/∂L
 
 のような関係が成り立っているとするのが、労働価値説だと思います。
 
 マルクスは、「資本論」の中で、そう書いてはいませんがね。
 
 わたしの考えでは、マルクスの労働価値説は、新古典派の限界効用理論に吸収されて取り入れられていると考えています。
 
 わたしの考えでは、労働だけが価値の基準ではなく、土地や機械などの生産手段を含めて、すべての生産要素を、価値の基準とすることができると考えています。
 
 労働価値説というよりも、生産要素価値説といった方が良いかもしれません。
 
 また、生産物も価値の基準とすることができます。
 
 生産物が、労働の価値を測る基準にも成り得ると考えています。
 
 以上の考え方は、大部分のマルクス経済学者は否定するでしょうが。
 
 サミュエルソンの『経済分析の基礎』には、確か、バヴェルク(?)が、上記のような労働価値説の解釈をしたと書かれているように記憶しています。(そのバヴェルク(?)の論文は読んでいませんが。)
 
 
■ 労働価値説
 
 限界革命
 
詳細は「限界効用理論」を参照

1870年代にウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、カール・メンガー、レオン・ワルラスの3人の経済学者が、ほぼ同時に、かつ独立に限界効用理論に基づく経済学の体系を樹立し、新古典派経済学の創始者となった。労働価値説は彼らの学説にとって、労働力を生産過程における唯一の希少な資源と仮定する特殊モデルと整理され、以後、マルクス経済学と価値の本質をめぐる論説に決着がつかないまま今日に至っている。
 
そして、イアン・スティードマンをはじめとするネオ・リカーディアンによる労働価値説不要論が有名になった1970年代後半以降は、労働価値説を放棄するマルクス経済学者も出てきている(オスカル・ランゲOn the ecomic theory of socialism,1936)。マルクス経済学者はこの流れを「資本家による労働者の搾取」を容認する表皮的経済学と批判している。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E4%BE%A1%E5%80%A4%E8%AA%AC
 


103. 新共産主義クラブ[2970] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月18日 17:16:02 : v6LYoKqvEc : IU9JuRWP7mo[45]
 
 マルクスの「資本論」は理学書であって、工学書ではないと思います。
 
 いわば、人間という動物の生態学の一部に関する分析を著した書だと思います。
 
 したがって、「資本論」には、人間がどのような群れをつくるべきか、などという工学的なことはほとんど書かれていません。
 
 はっきりいって、マルクスは、サイエンティストであって、エンジニアではないと思います。
 
 ダーウィンの進化論を読んで、「ダーウィンは、人間はどう進化するべきかについて書いていない!」などとクレームをつけるのはやめましょう。
 
 ダーウィンは、人間を進化させるためのエンジニアではなかったのですから。
 

104. 新共産主義クラブ[2971] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月18日 17:27:06 : v6LYoKqvEc : IU9JuRWP7mo[46]
>>101さん
>旧共産主義国家は、マルクス経済論を体現した国家を造ろうとした。
 
 
 103に書いたように、それは間違いだと思います。
 
 マルクスが、どんな社会を作るべきかという構想について、具体的には、ほとんど何も著していないのですから。
 
 私は、ソ連は、明治維新後の日本と、プロイセンが統一したドイツ帝国を参考にして、『開発独裁』をモチーフに建設された国家ではないかと思っています。
 
 ソ連の指導者が、マルクスのネームバリューを利用したのは事実ですが。
 

105. 天橋立の愚痴人間[188] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年1月18日 17:56:56 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[12]
新共産主義クラブさん
以下はウィキペディアの文章であるが、あなた御高説で書き直されたら!

(マルクス・レーニン主義)

マルクス・レーニン主義(マルクス・レーニンしゅぎ)は、マルクス主義の一つの潮流であり、ボリシェヴィズム、ロシア・マルクス主義の中心でもある。レーニンの死後、ヨシフ・スターリンによって提唱され、定式化された、ロシア革命の指導理念としてボリシェヴィキの指導者ウラジーミル・レーニンが案出したもの、またそれを一般化・普遍化した思想である。スターリン主義の同義語である。

(共産主義)

共産主義(きょうさんしゅぎ、英: Communism、露: Коммунизм)とは、政治や経済分野での思想や理論、運動、体制のひとつ、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす[1][2][3][4][5]。その理念、共有化の範囲や形態、あるいは共産主義社会実現のための方法論などには古くから多数の議論があり、このため「共産主義」の定義は多数存在している[6]。

共産主義の源流とされる思想の歴史は古く、プラトンの国家論、キリスト教共産主義などの宗教における財産の共有、空想的社会主義と呼ばれる潮流における財産の共有、フランス革命でのジャコバン派、一部のアナキズムによる無政府共産主義などがある。19世紀後半にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが共産主義思想を体系化し、市民革命で確立した私有財産制を制限し、共有化する財産の種類を資本に限定した、資本家による搾取のない平等な社会をめざす「マルクス主義(科学的社会主義)」が共産主義思想の有力な潮流となった[9]。また十月革命の成功によるソビエト連邦の成立により、ウラジーミル・レーニンによる革命的な党の組織論などをマルクス主義に総合した「レーニン主義」が影響力を高め、後に「マルクス・レーニン主義」として定式化された。更にレフ・トロツキーによるマルクス主義の概念である「トロツキズム」、毛沢東による当時の中国の状況に適合させたマルクス主義の解釈である「毛沢東主義」など、マルクス主義は革命の起こった国の指導者の考えや国情により多数の思想や理論、運動、体制となり世界へ広まっていった[10] 。ソ連崩壊以降は「正統派マルクス主義」の影響力は世界的に大きく低下したが、マルクス主義または非マルクス主義の、各種の共産主義の思想や運動が存在し続けている。


106. 新共産主義クラブ[2972] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月18日 18:20:26 : v6LYoKqvEc : IU9JuRWP7mo[47]
>>105さん
>以下はウィキペディアの文章であるが、あなた御高説で書き直されたら!
 
 そのうちにね。
 
 今、Wikipedia に書いても、すぐに誰かに書き直されそうな気もしますし。
 

107. 2017年1月18日 18:25:58 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[13]
上紀の様にマルクス主義(マルクス経済論)を取り入れて共産主義国家を造ろうとした試みはすべて失敗に終わった。

レーニン、スターリン、毛沢東、チャウセスクにしてもかなりの辣腕を振るってでもである。
新共産主義クラブさんは彼らが力不足であったと言われるか。
そう言うよりも、マルクス主義に、もともと、そういう限界があったと考えるべきではないか。

だから私は資本論を欠陥商品だと言っている。
実際に資本論の内容を読まれたら、それで国の経済のシステムを構築できるなどと誰も思わない。
そういう未完成のところを、それぞれの共産主義国の指導者が補完しようとして出来なかった。
あまりにも資本論の内容が未熟であったためである。
マルクス主義者たちは、己の理論を敷いて科学的と言っているが、それは非科学的なものであった事への弁明に過ぎない。

日本共産党も同じで、我こそ科学的共産主義を目指すとうそぶいている。
別の角度から言えば、北朝鮮が一番マルクス主義に忠実であったともいえる。
そうしてキューバは一番の劣等生。
カストロ個人の人格性や国が小さいこともあるが、キューバが一番成功した共産主義国の様である。

それならば、マルクス主義とは、どのようなものになるのか。
このこと自身、マルクス主義の否定に他ならない。



108. 2017年1月18日 18:35:13 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[14]
新共産主義クラブさん

小沢や民進党に拘っていては政治改革などできないように、

マルクスに拘っていては、それこそ、あなたのHNのように、新共産主義は成り立たないでしょう。

私は、新共産主義という言葉には期待しているのですよ。
マルクス抜きの、きっと良いものができるでしょうね。

共産主義の考えは、古くプラトンからあるのです。
マルクスの専売特許ではありません。


109. 2017年1月18日 18:39:18 : DVth4JCccA : a@3Aw7qO8uU[15]
資本論を読み、マルクスのどこが問題であったかを認識できるものが、また別の共産主義思想に近いものであるでしょうね。
せっかくの見識、大事にしていただきたい。

110. 2017年1月18日 19:04:09 : x3mqng7D2E : VoeaQS82GEw[1]

>>104
その通りだろう

ドイツ帝国建国に先駆けて、普仏戦争で勝利するプロイセンとか、それを範に取った大日本帝国が試行した経済体制構築政策とソビエト国策企業の在り方は近い

複数の有力財閥が官僚を送り込み、有力財閥の合議によって国家の舵取りが行われ、官僚を輩出した有力財閥は、官僚の送り出し機関であるけれども、私的に国家を配下に収めるのではなく、あくまで官僚を上位に立てて、財閥は国家に従うという体をとっている

黎明期のレーニンの時代には、後のスターリン時代のように、民族ごとの自主独立を応援するというスタンスはソビエトにはなく、あくまで(多国籍労働者)と(資本家と提携する国家)という対立軸を主たる構図にしていて、日本共産党綱領の(日本の政治家と、日本の政治家を支配するアメリカ)を敵として団結するというところは似ている所がある

第3インターナショナル(コミンテルン)は、ポーランドを労働者革命から傘下に取り込もうとし、労働者を後援するとして戦線に介入したが、ポーランド労働者は、民族の自決と独立の方に重きを置き、ポーランド労働者兵としてポーランド政府側と使用者/労働者の関係であっても結束してコミンテルンを撃退してしまった

敗れたコミンテルンは、狙いを定めた国家を掌中に収めるには、使用者/労働者の区分で労働者の側を煽って参戦しても効果は低いと判断し、「民族の自決と独立」を煽り、国家主義に陥らせてしまえば、国家の尊厳とか損得とかで当該国を簡単に戦役に陥れられるので、狙った国を敗戦に導くことで弱体化させ、送り込んだスパイによって此れを乗っ取ることができるという戦略に転換する

世に有名な、メンシェビッキの(革命的祖国敗北主義)である

これにより、日本共産党/民主青年同盟も、コミンテルン/キム日本支部として95年前に、そのスタートを飾ることになる

それを他国に仕掛けるからには、ソビエト自身も、共産党宣言により帝政共産主義国家化したプロイセンや大日本帝国と同様に、ソビエトという共栄圏を構成する民族集団の自決と独立を全面に出した方が都合が良かったため、プロイセンや大日本帝国同様、ユダヤ人(偽ユダヤ)として官僚を輩出し、官僚がソビエトを経営するという方針に大転換したため、この3国は国策企業の構成がよく似ている

もともとプロイセン/大日本帝国の精神的建国主柱である国粋主義=共産党宣言は、国粋主義を煽って資本と国家の分離を目指す考え方だったため、ソビエトも、建国主である国際シオニスト会議の後援を必要としなくなってしまった

そのタイミングで第2インターナショナルのメンバーで、国際シオニスト会議によりソビエトの指導者であったレーニンは亡くなるわけだが、何故、このタイミングで亡くなったのかは、個々の思料に任せよう

何れにせよ、国際シオニスト会議の紐付きから逃れることになったソビエトは、国際シオニスト会議の抹殺リストに乗ってしまい、国際シオニスト会議により、裏切り者である第3インターナショナルを葬り去る目的であったことから(第3帝国)と(第3)の語呂を振られる国家が、その建国を企てられることになる

国際シオニスト会議とは
National
Associate
Zionist
internationalと書き、そのイニシャルはNAZIである


111. 2017年1月18日 19:07:29 : bqduWIUem2 : 49Ac4f2CnXI[1]

>>92さん

各党が自党の綱領や基本理念を一旦棚上げし、各党横断的な共通政策を策定しよう、そして共通政策を旗印に政権獲得をめざし、共通政策に基づいて政権運営を進めていこうとしているのが今の状況です。
戦う相手は同じであり、そしてその相手を倒さなければ国が壊れようとしているときに、右も左もないということです。
成功すれば連合政権の雛形として歴史に残る偉業となるでしょう。それほどの難事業でもあるわけです。

国難回避のため、各党は立党精神の違いを超えて現実政策面で互いに手を結ぼうとしています。
そのようなときに、「右と左は手をつなぐべきでない」とあなたがおっしゃるのはあなたの自由ですが、その主張の根拠として古典的文献の解釈論をここで長々と持ち出すのは‘場違い’だと率直な感想を述べたわけですが、もうこのスレも自由広場になった感があり立ち寄り甲斐もなくなってきたので、そろそろ私は引き上げようと思います。お先に失礼。
  
  
🌀熱帯性無気力症候群(9402109)


112. 2017年1月18日 23:28:12 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1076]
>>111 熱帯性無気力症候群さん

引き上げる前に、これでも読んでよ。
古典的文献なんだけど。

マルクス・エンゲルス「共産党宣言」(1848年発行)より一部引用。
http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/gakushuu_bunken/sengen_mokuji.html

一言でいえば、共産主義者は、いたるところで、現存の社会ならびに政治状態に反対するすべての革命運動を支持する。
 すべてこれらの運動において、共産主義者は、所有の問題を、それがどの程度に発展した形態をとっていようとも、運動の根本問題として強調する。
 最後に、共産主義者は、いたるところで、すべての国の民主主義的政党との提携と協調とに努力する。
(引用終わり)
<上記で、漢字変換ミスと思われるところは訂正しました>


113. 2017年1月19日 01:17:09 : bqduWIUem2 : 49Ac4f2CnXI[4]

>>112 さん

私は、イデオロギー論争というのは、中世の宗教論争(日本の仏教界でも、欧州のキリスト教界でも)と同じで、経典解釈に名を借りた権力闘争の要素が強いのだという考えの持ち主です。どちらが正しいかではなく、どちらが議論を制したかで勝者が決り、他方は敗者となる(実際には光の当て方でどちらも正しかったりどちらも誤りであったりするのだが)。当然、勝つためにはそれぞれの陣営が権謀術数の限り(不正、反則を含め)を尽すこともあるでしょう。語義解釈や、言語圏によっては翻訳(それ自体が解釈を含まざるを得ない)の問題も出てきて、議論はますます複雑化、多様化していくのです。
それでも仏教など各宗教において、マルクス思想など各イデオロギーにおいて、あるいはさまざまな学問分野において、いろんな宗派、会派、学派が同時に存立し得るわけです。それぞれにヒエラルキーを形成しながら。かつ常に流動性を帯びながら。

突き詰めて考えれば、キリスト教徒の数だけキリスト教がある、と言っても過言ではないのです。2人の同じ宗派のキリスト教徒がいて、キリスト教とは何ぞや、をテーマに自分の考えを述べ合ったとき、どこかで必ず意見の食い違いが生じるはずです。しかし、この2人は紛れもなくキリスト教徒なのです。この意見の食い違いは、2人が別人格であることを証明しているに過ぎません。

歴史を耐え抜いてきた宗教の奥深さ、イデオロギーの深甚さ、と言ってもよいでしょう。
ただ、これらが権力闘争と結びついたとき、真に敬虔な信徒が淘汰される側に回ってしまうところに、これらの限界が内包されているように思われます。宗教もイデオロギーも、権力者による支配の方便に利用される宿命を背負っているということです。

私は、日本共産党が、日本共産主義(日本の共産主義ではない!)の定義を、現代の日本の状況に照らして、自らの言葉で編み出していってくれれば、日本人に受け入れられる日も近いのではないかと思います。イデオロギーを日本に移植するのではなく、日本の風土に合わせてイデオロギーを融合させていくのです。もちろん、資本論や共産党宣言や空想から科学へに書かれている内容と異なる政治世界がそこには広がるでしょうが、マルクスもエンゲルスもそれをきっと讃えてくれるのではないかと思うのです。「ああ、こういう世界を私たちは望んでいたのだよ」と。
  
  
🌀熱帯性無気力症候群(9403112)
 
  


114. 2017年1月19日 03:43:45 : oG8LqEHxYU : HJFGcyk49IA[1]

図らずも、>>111 >>112 >>113 の会話が、共産党宣言により何が生まれたかを語っている

「 右も左も関係ない」「国家が危ういのに、取り敢えず権力者を倒せ」と言って、1848年オランダにて共産党宣言は発布された

共産党宣言は、同年の2月革命・3月革命を引き起こす

ボルシェビッキの(革命的祖国防衛主義)と後に呼ばれる類いの反政府活動である

「反政府」が目的で、その革命軍はフランス政府を倒したが、「国家」のために政府を倒したものの「国家」を統治する具体的コンセプトが何もない

誰かが何かを提案しても、全ての人に納得できる方針など不在なので、フランス国家国民として「鶴の一声」を発する、フランス人が「この人の言うことだったら我慢できる」という精神的主柱が求められ、フランスにおいて、国家のために尽くすということにかけて、この一家以上に相応しい統治者は有り得ないだろうという一族が招聘される

ナポレオン:ボナパルトこそ、何が正しいか不透明な時代にあって、誰かが舵を取らねばならない(その舵取り)として、結果過ちになったとしても、(この人の指示ならば仕方がない)とフランス人万人が思うことのできる指導者だ→共産党(共産革命を起こした人々)の指導者に、絶対主義の帝政が迎えられる論理が生まれる

エンゲルスは、回顧録においてナポレオン3世のことを「裏切り者のろくでなし」とこき下ろしている

共産党が、ボナパルト家を共産党の指導者に迎えてやったのに、ナポレオン3世はマルクスとエンゲルスの目的であった第1インターナショナルを潰すよう、イルミナティの指導者層を国際労働者兵として第1インターナショナルに送り込んできたからだ

ボナパルティズムとは、ボナパルト家のような帝国主義皇帝政府が、共産党(国民皆兵制)と融合している状態を指し、日本でもナポレオン:ボナパルトは歴史上最上級の偉人として、賞賛・尊敬の対象となっている

マルクスとエンゲルスは、明確な統治プランを有さない革命行動(革命的祖国防衛主義)の成果として、反動的に絶対主義の政府が誕生することを十分予想していて、絶対主義で国民皆兵制という国家を誕生させずして、国際金融資本を壊滅させられないと確信していた

ナポレオン3世は、当初、国際金融資本イルミナティの野望を第1次イタリア独立戦争で打ち砕き、国際金融資本ローゼンバーグの野望をクリミア戦争で打ち砕き、国家に属さない多国籍資本と戦い勝利した

マルクスとエンゲルスは、第1インターナショナルをマルクスとエンゲルスが提唱しても、第1インターナショナルに労働者兵を供出してくる国家が不在であれば、計画を実行に移せないので、先ず国民皆兵制の枢軸国を複数建国し、その労働者兵を第1インターナショナルに取り込んで、労働者兵を供出した国家は、軍隊を持たない(防衛をマルクスとエンゲルスに外注)国家となし、いずれ当該国家は、国家であることさえ必要なくなるという過程を描いていた

共産党宣言とは、最終理想形として共産体制を目指したわけではなく、社会主義(赤旗)である第1インターナショナル結成の出汁として、共産国家を先行建国させておかないと、目的を達成できないから提唱されただけであり、あくまで目的は社会主義による世界政府・世界軍隊の設立と、用の済んだ国家の抹殺=無政府主義がその目的である

では、その出汁に使役されたナポレオン3世は、黙って取るものを取られて、フランスを滅ぼされることを受け入れるのか?

人は、騙された事に気付けば、騙した者を許さない

いつの間にか、ナポレオン3世はイルミナティとの関係を改善させていた

第1インターナショナルの開会に、ナポレオン3世は最大の労働者兵を送り込み、その指導者として労働者兵を率いた人こそ、イルミナティ第2代総帥ジュゼッペ:マッティーニであったのだ

マルクスとエンゲルスの野望は潰え、エンゲルスは回顧録に、ナポレオン3世のことを「裏切り者」と記す事になる


115. 2017年1月19日 07:32:28 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1077]
>>114
おいおい。
第一次世界大戦のことを言っているのであれば、ボルシェビキを率いたレーニンの主張は、「革命的祖国敗北主義」だよ。
(さらに、「帝国主義戦争を内乱へ」というスローガンもある。)

これを参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%A9%E5%91%BD%E7%9A%84%E7%A5%96%E5%9B%BD%E6%95%97%E5%8C%97%E4%B8%BB%E7%BE%A9
一部引用
革命的祖国敗北主義(かくめいてきそこくはいぼくしゅぎ)とは、ボリシェヴィキのウラジミール・レーニンがメンシェヴィキの「革命的祖国防衛主義」に対して主張した理論。言葉は似ているが、革命的敗北主義とは別の概念である。革命的敗戦主義ともいう。
(引用終わり)

>>113
私が>>112で引用したのは古典的文献であるが、この個所はイデオロギーといえるほどのものではない。革命の戦術につて語っている
「最後に、共産主義者は、いたるところで、すべての国の民主主義的政党との提携と協調とに努力する。」
という言葉は、今日でも通じるものであり、これならあなたも同意するのではないか、と思ったので引用したのだ。


116. 2017年1月19日 08:17:47 : FEHS49HYWg : o_aToghKayk[1]

 >>115
 君は理解してるんじゃないのか?

 その記載者が誤っている

 ボルシェビッキとは多数派(ここで指すのは労働者/団結する者)なので、多数派が敗戦しようと思って何某かの行為に及ぶ場合、『敗戦』を目指すわけがない

 「敗戦を目指して、みんな団結しよう!」←言うか?

 共産党と自由党の連立構想と同じで、団結しよう、選挙で勝とう=多数派(ボルシェビッキ)を目指そうとしているわけだから、その目的は『日本を守ろう=祖国を防衛しよう』という理念が、常にボルシェビッキの理念だ

 一方、メンシェビッキとは少数派

 エリートであるメンシェビッキ(政権交代の新政府を構成する者たち)は、他派閥の政権である別のメンシェビッキによる政権を倒すため、敵のメンシェビッキ政権について、如何様な形に関係なく倒れてほしい

 そこで、メンシェビッキAが、メンシェビッキBより政権を奪うためには、ボルシェビッキの支持を取り付ける必要が有るわけだが、メンシェビッキAは、メンシェビッキBより具体的かつ論理的な、ボルシェビッキの支持を得られる綱領・所信を有していない場合に選択される行動理念

 これが、メンシェビッキの革命的祖国敗北主義だ

 メンシェビッキAは、メンシェビッキBが失政(敗戦責任など)で失われた場合、ほど無抵抗に国家経営者に昇格するため、これ以上ない政権交代の口実を望む事を指して革命的祖国敗北主義と発する

 阿修羅でも、安倍政権の失政(外交上/内政上の敗戦)があると、小沢信者が手を叩いて大喜びするだろう?

 これが祖国敗北主義だ

 政権の失政は、大多数の日本国民(ボルシェビッキ)にとって不幸なことだ

 しかし、例として挙げたメンシェビッキAに該当する小沢信者は、メンシェビッキBに該当する安倍内閣が、失政(敗戦)する方が、本人の政権奪取が近くなるので、メンシェビッキは「祖国敗北主義」という、自分の正当性をボルシェビッキに理解してもらうのではなく、

 「メンシェビッキBが失政(敗北)したから、メンシェビキAしか選択肢がないんだよ」

 この様に称して、メンシェビッキAが労せず政権を狙う考え方=革命的祖国敗北主義=ボルシェビッキは不幸になるだけ

 と、いうわけさ


 


117. 2017年1月19日 08:33:45 : FEHS49HYWg : o_aToghKayk[2]
 
 大日本帝国関東軍参謀本部と、満州進出資本が、日本の主権者になりたい場合

 メンシェビッキ関東軍と、メンシェビッキ満州進出資本は、大日本帝国という国家が、絶対勝てない相手と戦争して敗北してくれた方が、日本を支配下に収めるためには近道だった

 そこで、皇室は英国と相互元帥受任関係にあり、英国と米国は同盟にあるというパワーバランスのうち、「ソビエトと結んで米英と日本を戦わせよう」、そうすると日本は負けるに違いない、そうなれば日本を支配するのは容易だ

 こう考える者がでてくるわけだよ

 しかし、関東軍参謀本部と満州進出資本が、関東軍参謀本部と名乗って日本の支配を続けるわけにはゆかない・・・そこで、

『 何 者 に 成 り す ま せ ば、日 本 の 支 配 が 可 能 に な る の か? 』

 これが考え出されるわけだ

 >>115
 君はWikiの検索を得意としているようだ

 志位和夫で検索してみるとよい

 大日本帝国関東軍参謀本部の家柄をご先祖様に持つ、在日朝鮮人に参政権を与えたい、慰安婦問題は捏造ではなく真実だ、南京大虐殺は有った、中華人民共和国と共生したい・・・

 何者に成りすまされたのか?、その何者かの正体が、透けて見えてくるというものよ


118. 2017年1月19日 09:00:33 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1079]
>>116
だったら「革命的祖国敗北主義」で検索してみるといい。
Wikiだけではなく、いっぱい見つかるよ。

いうまでもないが、ここで祖国と言っているのは、帝政ロシアのこと。まだ革命前だから。ソ連のことではない。
つまりボルシェビキにとって、祖国は敵なのだ。

スターリンに『ソ同盟の偉大な祖国防衛戦争』という著書があるが(昔はソ連のことをソ同盟と言った。)、この場合の祖国はもちろんソ連のことだ。



119. 2017年1月19日 12:43:32 : 3D5ENRmAiY : ipAKr7X_a04[2]

>>118
それなら、ますます以って記載者が間違っている

革命的祖国防衛主義とは、国家主義を煽り、他国を排斥し、攘夷活動を盛んにし、政府機関を売国奴だと罵って、祖国を防衛するには外国と戦えるよう、政府と外国を敵と見立てて国家転覆を図る=日本共産党綱領そのまんま=日本共産党綱領こそが革命的祖国防衛主義なのだ

メンシェビッキという定義は、コミンテルンが登場してくるまで存在しなかった定義(少なくとも政治用語として語られることのない)なので、ロシア革命前を指して用途となすなら、其れらの記載が指すメンシェビッキとは、ニコライ皇帝側を指す事になってしまい、ニコライ皇帝側が(革命的祖国防衛主義)となるというのか?

ニコライ皇帝側を「革命的」と使用するわけがないだろう

メンシェビッキとは、コミンテルンが各国に送り込んでいる各国のエリート指導者層=コミンテルンのスパイを指す

コミンテルンに内通しているメンシェビッキ自体は『革命的祖国敗北主義』により的にかけた諸国を乗っ取るのだが、その手順として、ボルシェビッキ(当事国の多数派)を『革命的祖国防衛主義』に扇動し、これにより戦争(敗戦)へ誘う

メンシェビッキ(コミンテルンのスパイ)自体はイデオロギーは祖国敗北主義で、メンシェビッキ(コミンテルンのスパイ)がボルシェビッキ(当事国の多数派)を騙す手法が祖国防衛主義を謳いペテンにかける、陥れられたボルシェビッキ(当事国の多数派)の選択するイデオロギーが祖国防衛主義だという事だ

間接的に、メンシェビッキ(コミンテルンのスパイ)が祖国防衛主義を操ってると言えるかも知れないが、メンシェビッキ(コミンテルンのスパイ)は、日本も、アメリカも弱体化を図っているように、潜入国の防衛を志してはいない



120. 2017年1月19日 12:55:04 : 3D5ENRmAiY : ipAKr7X_a04[3]

ソビエトにおいて、ボルシェビッキの定義は、レーニンやスターリンでさえ、ボルシェビッキの構成員に入るという定義しか存在しない

つまり、ソビエト国内には、メンシェビッキは存在を許されない

メンシェビッキ=エリート(メンシェビッキ/ボルシェビッキの相違が存在する国家)の中にしかおらず、其れがソビエトの敵国であるから、メンシェビッキの任務は、ソビエトの敵国が敗北せねばならなくなるわけだ

メンシェビッキとは、commune=特に親交のある少数派であるため、メンシェビッキ(祖国敗北主義)を務める者は、必ずcommunist=共産主義者である必要が生まれるのだ

communist=共産主義者に騙され、ボルシェビッキ(多数派)が祖国防衛主義に陥ると、かつての日本のように、戦争を選択してしまう


121. 2017年1月19日 13:05:08 : 3D5ENRmAiY : ipAKr7X_a04[4]

整理しておこう

A:メンシェビッキ(少数派エリート)=communist共産主義者は

1:革命的祖国敗北主義者である

2:しかし口では祖国防衛主義を唱える

B: ボルシェビッキ(多数派=一般国民)は

3:革命的祖国防衛主義に洗脳される場合がある

4:そうなると、革命的祖国敗北主義が完遂する


122. 2017年1月19日 13:17:54 : LKXRYf922A : cCBGkda1vHE[1080]
だめだ、日本語が通じない。もう撤退する。
それに、こういうIDがころころ変わる人には要注意であるし。

123. 2017年1月20日 00:59:46 : 4DFvjyxJlk : f_aAuPLIiCM[1]

ソビエトを語る場合

ソビエトを構成した人々が、ボルシェビッキ革命の時点で、ロシアを祖国と定義していたという概念は捨てた方がいい

レーニン自体が、ソビエトの指導者に就任するとき、ロシア人であると偽って就任していない

レーニンは、自身がハンガリー人であることを隠していないし、スターリンも自身がグルジア人であることを隠していないのだ

ソビエトとは、国際労働者兵を統率する結社であって、ロシアがソビエトという政府を構成したわけではなかったので、1920-21年のソビエトポーランド戦争の敗北まで、(革命を輸出する)という戦略に明け暮れ、祖国という概念がソビエトには不在だった

ボルシェビッキ革命とは、ロシアの労働者が、祖国ロシア主権者となり国家経営するために起こされたわけではなく、世界中全ての国家に対し、労働者階級は叛旗を翻してゲリラ活動を展開し、ソビエトがそのゲリラ活動を後援することを目的としているため、革命的祖国敗北主義がボルシェビッキ革命の精神だったなどは完全な後付けだ

おそらく戦後、そういう風説となったレベルだろう

ソビエト自体は、このように祖国という概念が希薄だったが、ソビエトポーランド戦争の敗戦により、コミンテルンが送り込まれた先の国家には、民族の自決と独立を謳い、国粋主義を煽って革命を推進するという方法が取られた

それに倣い、ソビエト自身も国粋主義的な体質に1921年以降、変質してゆくわけだ

後年の独ソ戦の辺りでは、レニングラード死守・スターリングラード死守とか、スラブ民族の自主独立を支援などという、民族をベースとした国粋主義表現が使われるようになって、労働者が使用者と、国家の枠を超えて世界中全ての局面で革命的対峙関係を作るという当初の目的は失われてゆく



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