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≪激ヤバ≫アパホテルの部屋に「南京大虐殺を否定する本」があることをバラされ大炎上!中国のSNSで6800万回再生(2日)
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/294.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 17 日 16:05:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

【激ヤバ】アパホテルの部屋に「南京大虐殺を否定する本」があることをバラされ大炎上!中国のSNSで6800万回再生(2日)
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/26027
2017/01/17 健康になるためのブログ





アパホテル」中国のSNSで“炎上” 「南京大虐殺を否定するCEOの著書が客室に」 告発動画「微博」で6800万再生
日本のホテルチェーン・アパホテルが、中国のSNS「微博」で炎上状態になっている。「アパホテルCEOが執筆した、南京大虐殺を否定する内容を含む書籍が全客室に置かれている。中国人はこの事実を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」と、米国人の学生が「微博」に動画を投稿して告発。この動画が2日で6800万再生を超え、中国ネットユーザーの批判を浴びている。

動画は、米ニューヨークに住む米国人女子大学生Katさんと中国人男子大学生Sidさんのコンビ「KatAndSid」が15日夕方に投稿したもの。2人は1月、東京に旅行に行った際、アパホテルに宿泊し、部屋にあった書籍を読んでショックを受けたという。

 書籍は、アパグループ代表の元谷外志雄さんが「藤誠志」のペンネームで執筆した「理論近現代史学II」(英題は「THEORETICAL MODERN HISTORY II」)で、「南京大虐殺はねつ造だ」などと主張している。



RIGHT-WING NATIONALIST HOTELS IN JAPAN 每个人都应该知道的事实


以下ネットの反応。
















公式サイトはつながらないし、アパホテルに泊まったことがないので、どんな感じで本が置かれているのかわかりません。棚に並べてあったりするんでしょうか?泊まるのは怖いですが、部屋に行ってみたいです。

会社が政治的な意見を発することは個人的には賛成なのですが、国際問題に発展しそうな馬鹿げた行ないは控えるべきでしょう。これからアパホテルはネトウヨ御用達ホテルになるわけですね。







 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 新共産主義クラブ[2964] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2017年1月17日 16:29:20 : Yx2nVFQqaw : r02VM1EdNV8[11]
 
 アパホテルで本を置いているもなにも、民進党の松原仁が、
 
 「南京事件については、30万人の殺害など、当時起こった国際法規違反の行為をはるかに超えた、あり得ない形の残虐行為が捏造された写真等を用いて喧伝されている。」
 
 と書いて、アパグループ主催の『真の近現代史観 懸賞論文』の第6回 最優秀藤誠志賞を受賞している。
 
 もう、忘れられていそうだが、このアパ日本再興財団主催『真の近現代史観 懸賞論文』の第1回 最優秀藤誠志賞受賞者は、田母神俊雄氏(当時は現職の自衛隊航空幕僚長)だった。
 
 
■ 近現代史研究支援 アパ日本再興財団主催『真の近現代史観 懸賞論文』

 
 アパグループ主催 第6回 最優秀藤誠志賞 
 
 『我らが日本!「三つの敗戦」から脱却して力強い国家を」』
 
 衆議院議員
 元国務大臣(国家公安委員会委員長・内閣府特命担当大臣)
 松原仁
 
 4. 第三の敗戦:情報戦における敗北
 
 ここで私は、日本はさらに第三の情報戦における敗北を喫していることを指摘したい。
 
 情報戦における敗北により、国際社会において日本が極めて悪い国であるという印象を世界に与え、そして日本に対しては日本国民は常に自虐的に振る舞わなければいけないという精神構造を押し付けるものとなった。
 
 わが国の第三の敗戦は、戦争中から用意周到に仕組まれ、そして今日になってももまだ現在進行形で続いている。
 
 例えば、南京事件(いわゆる南京大虐殺)、日本海呼称問題、慰安婦問題といった事案を例として挙げることが出来る。
 
 南京事件については、30万人の殺害など、当時起こった国際法規違反の行為をはるかに超えた、あり得ない形の残虐行為が捏造された写真等を用いて喧伝されている。
 
 また、韓国内のみで用いられるに過ぎない「東海」という語があたかも日本海を指す国際的に正当な呼称として、国連などの場で広く提案されるに至っている。
 
 慰安婦問題については、存在しない朝鮮人女性に対する軍の強制連行などが韓国により宣伝されている。
 
 ここで問題となるのは、国際社会が何を事実として認識しているかである。
 
 先日ある国の外交官と会食をした。話が南京事件や慰安婦問題に移ったときに、その外交官は「恐らくそうした事実はなかったと認識している」と語った。彼が更に語った以下のことは、非常に示唆に富んでいる。
 
 現実がどうであるかが問われるのでなく、どのような現実が伝えられるかが問題である。
 
 事実に対しては、様々な見方がある。とりわけ国際社会における事実の認定は、双方で合致しないのは常識である。そこでどのような事実を認定させるかということで、情報の戦いが始まる。
 
 日本人は、黙っていても事実は事実として認識されると思っているかもしれないが、国際社会はそれほどナイーブ(単純)なものではない。事実が事実と認識されるためには、多くの汗をかかなければいけない。
 
 その努力を怠っていれば、当然事実ではないことが国際社会に認定される。
 
http://ronbun.apa.co.jp/announce/index.html#06
 
 


2. 中川隆[6123] koaQ7Jey 2017年1月17日 16:38:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6569]
日本人はこういうのが大好きだからね:


860 :名無しさん :02/07/04 01:33 ID:03UDq1eg

死んだ人の事を悪く言いたくなかったけど言わせてもらう。
漏れの近所の銭湯で番台やってた爺さん(もう亡くなった)。

漏れが小さい頃よく戦争当時の話を銭湯の番台で自慢げに語ってたバカ。

『チャンコロ(中国人)の妊婦を木に縄で縛って銃剣で刺したら「ボムッ」って鈍い音出して破裂してよー。

ホント面白かったぞー。だから毎日チャンコロの妊婦探して見つけては、それやって遊んでたんだ。あの頃がなつかしいなあ(ニヤニヤ』


上の話が嘘だと思うなら,まずこれを否定してね:


小平義雄連続殺人事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kodaira.htm

小平義雄は戦地より帰って以来、性的に突如放縦になった。

放縦なだけでは留まらず海軍被服廠の軍属であった戦争最後の年に、同じ職場の女子工員を強姦した上殺害している。以後、終戦直後の混乱の中で女性を食料をエサに誘いだし、次々と6人も、犯しては殺していった。

小平が女性を犯して殺す、その味を覚えたのは、中国の前線だった。

予審調書の中で小平は言っている。

「大怙では強姦のちょつとすごいのをやりました。…父親を縛り上げて戸棚の中入れ…
クーニャン(娘)を出せと言って出させました。

…強盗強姦は日本軍隊には付き物ですよ。
銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で突き刺して子供を出したりしました。 私も5,6人はやっています」


取り調べと裁判の段階で明らかになったことがあるんですね。それは、彼の戦争体験のことだったんです。

「済南事件」:南京大虐殺の先駆けですね。住民の殺戮です。その時にもの凄く多くの中国人の女性が日本兵によって強姦されて殺された。この小平という人物は、その時の兵隊だったんです。

「連続強姦殺人魔」と言われた人の犯罪を重ねる下地が「戦時強姦」で培われていた、っていうことです。そのことが日本が戦争で負けた後に一気に吹き出してきた事件なんですね。


南京にいた日本兵たちの人間墜落と性的異常行為は限界がありませんでした。ちょうど退屈凌ぎに殺人コンテストが考案された様に、兵士たちはセックスの十分な供給に飽きると様々な気晴らしの強姦ゲームを創造しました。

おそらく日本兵が気晴らしにした最も残忍な作法の中に、女性の膣の突き刺し刑があります。

南京の通りには足を広げ、開口部に木の棒や小枝や雑草を突き刺されて倒れている女性の死体がありました。南京女性の拷問に使用され、耐え難い苦痛を与えたこの方法は考えただけでも精神が麻痺してしまうぐらい痛ましいものがあります。若い女性を強姦した日本兵は彼女にビールボトルを突き刺して射殺し、別の所ではゴルフクラブを突き刺された強姦犠牲者が発見されました。

また12月22日にTongjmenの門近郊で強姦された理髪店の妻は膣にかんしゃく玉を突っ込まれて、爆破して殺害されました。

そして犠牲者は女性だけに限られた訳ではありませんでした。中国人男性はよく男色の相手にされたり、笑う日本兵たちの前で恥ずかしい性芝居を演じるように強制されました。ある男性は雪上に転がる女性死体との性行為を強いられ、それに拒絶して殺害されました。また日本兵は禁欲主義を誓っていた男性に性交際を強制して喜ぶこともしました。男性に変装して南京の門を通過しようとした中国人女性が股の間を掴みながら一人一人チェックしている日本近衛兵に真実の性を暴かれてしまい、集団暴行を受けている時に、たまたま現場近くにいた仏教僧は危険を冒して止めに入り、不幸にさらされました。日本兵たちは彼に強姦したばかりのその女性との性交際を強制し、それを拒んだ僧侶はその場で去勢されて出血多量のために死に陥れられました。

さらに最も卑劣な性的拷問手段の中には家族に対する退廃があります。

日本兵は中国人男性に対して、父親は娘を、兄弟は姉妹を、息子は母親を強姦させる近親相姦を強制して、加虐的な喜びを味わいました。

中国軍大隊の司令官だったGuo Qiは、街が陥落して息詰まっていた3カ月の間に、少なくとも4、5回は日本兵が母親を犯すように息子へ強制して、拒んだ者はその場で殺されているのを見たり、聞いたりしました。

この報告書は、ある中国人男性が母親を強姦することを拒んでサーベルで突き殺され、直後にその母親も自殺したことについて報告したドイツ人外交官の証言で実証されています。

家族の中には、この様な行為を強いられるぐらいなら率直に死に応じる者もいました。ある一家は揚子江を横断しようとしたところで二人の日本兵に止められ、点検を求められました。ボード上で若い女性や少女たちを見つけた日本兵たちは両親や夫の目の前で女性の強姦を始め、これでも十分にひどい行為にかかわらず、兵士たちが次に要求したことは一家をさらに困惑させました。彼らはこの一家の年老いた男性にも同様に女性たちを強姦させようとしました。一家は従うよりも川へ身を投げて溺れ死ぬことを決意しました。


日本兵に捕らえられた女性たちは強姦された直後に殺され、生きる望みはほとんどありませんでした。

女性たちは様々な方法を用いて強姦から逃れようとしました。中には、すすを顔に擦り付けて老いて見せたり、病気にかかっているように見せたり、頭髪を剃って男性を偽ったりして変装する女性たちもいました。(ある利口な若い女性は金陵大学の安全地帯までの道のりを老婆に変装し、杖を持って足をひきずりながら、背中に借りた6才の子供を負ぶって歩いてきました。)また4日前に死んだ子供を生んだと日本兵に告げて病気を装ったり、中国人捕虜の助言を受けて指を喉に突っ込んで何回か嘔吐して見せた女性もいました。(彼女を捕らえた日本兵は慌てて建物から追い出しました。)中には人混みの中を屈んで進み、壁を敏捷によじ登って日本兵からの追撃を逃れた女性や、三階の日本兵を妨害して、庭の中国人男性が支える竹棒を滑り落ちて、辛うじて暴行から逃れた少女もいました。

しかし、あがいた女性は一度、捕らえられると、日本兵に抵抗しようとした見せしめのために拷問にかけられました。日本兵に挑んだ者たちは、よく目玉をえぐり抜かれていたり、鼻や耳や胸を削がれている状態で後に発見されました。


金子安次
「昼間のうちにいい女に目をつけておいて、夜襲いに行く兵士もいた。頑強に拒んだ女性には膣に棒を押し込み、子宮を切り裂き、油をつけた綿を押し込み燃やしたこともしばしばあった。」

 金子さんの話によると、民間人に対する殺戮と性的虐待は日常的に行われていて、これに加担しなかった日本兵は、少なくとも金子さんの知る限り、ほとんどいないという。

子供は、慣例のごとく両親の目の前で殺された。


子供の前で母親を犯す。赤ん坊を火にくべる。または子供の前で親を焼き殺す。

生きたまま生体実験を行う。 慰安と称して女性の膣にガソリンを含んだ布を押し込み、火をつける。


日本兵が南京の居住民に与えた数々の拷問は人間の理解できる範囲を越えています。下記の例はそのほんの一部分です。

(生き埋め殺人)日本兵は機能的に埋葬活動を実施することで大量虐殺の効率化を図りました。中国人捕虜たちはそれぞれグループに分けられ、まず第一グループが自分自身の墓穴を掘らせられ、第二グループが第一グループを埋め、続いて第三グループが第二グループを埋めて行くという具合に強いられました。犠牲者たちの中には胸や首から下部分を埋められて、刀で徐々に切り刻まれたり、馬や戦車で下敷きにされたりして、さらに大きな苦しみを受けた者たちもいました。

(切断)日本兵は犠牲者たちのはらわたを抜き出したり、斬首したり、手足を切断しただけでなく、さらにひどい種類の残酷な拷問を行ないました。

街の至る所で捕虜たちが板に釘付けにされて戦車にひき殺されたり、木や電柱にくくりつけられて肉体を切り刻まれたり、銃剣の練習台にされて虐殺される光景があり、明らかな事実の中には、100人以上の男性が銃殺される前に目玉をえぐり出されたり、耳や鼻を削ぎ落とされたということがありました。また200名を越える中国兵や市民の集団が裸で柱や学校の戸に縛られ、zhuiziという特別の針で口や喉や目を含む何百カ所という肉体部分を突き刺されることもありました。

(火による殺害)日本兵は犠牲者たちを集めて一気に焼き殺しました。江口の日本兵は中国人捕虜を10人単位でまとめて縛り、ガソリンをかけて火が点けられている窪地へ落とし込みました。太平路でも大量な数に上る店員が火刑を宣告され、ロープでまとめて縛られて炎の中へ投げ込まれました。さらに中国人暴徒たちを建物の最上階や屋根上に集めて、階段を破壊し、炎を下に灯すという余興の火刑ゲームも考案されました。多数の者が窓や屋根上から飛び降りて自殺を図りました。


また犠牲者たちを燃料でずぶぬれにして射撃し、炎上するのを観望するという娯楽も実施されました。ひどい事件の中には日本兵が何百人に上る男性や女性や子供たちをガソリンでびしょ塗れな広場の中に入れ、マシンガンで火を点火することもありました。

(氷による殺害)南京大虐殺中、 何千人に上る人々が故意に凍死させられました。何百人に上る中国人捕虜たちが凍結している池の辺まで行かされ、裸になって氷を壊し、水の中へ魚を捕まえに飛び込む様に命令され、水の中に入ると彼らの肉体は日本兵の銃弾に穴を空けられる浮いた的と化しました。また避難民集団を縛って浅瀬の池へ投げ入れ、そして手榴弾で爆破して「血と肉体の爆発雨」を引き起こすこともありました。

(狂犬による殺害)残虐非道な拷問方法の中には、犠牲者たちの腰部分まで土の中に埋めてジャーマンシェパード犬にかみ殺されるところを観望するというものもあります。日本兵が犠牲者を裸にして、肉体の敏感な部分をジャーマンシェパード犬に噛みつかせる指図をしているところを見物人が見ていました。犬たちは腹を噛み開き、腸を離れた場所へ引きずり出していたそうです。

これらの出来事は日本兵が犠牲者たちの拷問に用いたほんの一部です。日本兵は犠牲者をACID(麻薬)浸けにしたり、赤ん坊を銃剣で突き殺したり、人々の舌をフックに掛けて吊るすといった残虐な行為を公然と行ないました。

日本軍はまったく人間性を喪失してしまい、少しもはぱかることなく女性を強姦・輪姦した。幼女からろうぱまで、はなはだしきにいたっては妊婦さえも免れることはできなかった。

数多くの女性は暴行されたのちまたむざんにも殺害された。日本軍が南京を占領して1か月の間に、2万回以上もの強姦事件が発生した。その時、南京にいた外国の人たちが日本軍のことを「きん獣の群れ」といったのである。

”輪姦の後、殺害された女性”とキャプションのあるこの写真では腹を割かれ、内臓がとび出している。少し開き加減の足。左足の先のほうにはズボンと覚しきものがからまりついている。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz306.html


[32初期非表示理由]:担当:言葉使い

3. 2017年1月17日 16:41:03 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[52]
南京はウソだね。

4. ダイビング[213] g1@DQ4Nyg5ODTw 2017年1月17日 17:10:57 : GLUiH1o95U : z_48yBWfvSI[218]

アパホテルさん

良かったね!

おめでとう!


5. 2017年1月17日 17:10:59 : XQ1mjvIPMo : eWEHzvd873A[24]
残虐行為の証言には、当然だが嘘が多い。プロパガンダだからな。西南戦争の時でさえ国内で残虐行為のプロパガンダが流布していたくらいだ。
しかし、戦場にはそんな暇ないんだ。
歩兵には関係無いからガソリンを手に入れるのも難しい。

だが嘘が混ざっているからといって、戦争犯罪が無かったことの証明にはならない。大体、無ければかえっておかしい。南京事件については数の問題こそあれ、残虐行為、戦争犯罪が行われたことは疑いない。
否定は不可能だ。


6. やもめーる[-515] guKC4ILfgVuC6Q 2017年1月17日 17:12:58 : pdOVYlf4hQ : mD9VlejumVY[-12]
>>3
南京が嘘なら広島長崎の原爆犠牲者はもっと水増しで捏造だな。(笑)
文句あっか!?この被害者妄想のエセウヨセンズリ猿がぁ!!(笑)

[32初期非表示理由]:担当:アラシコメントが多いので全部処理
7. 中川隆[6123] koaQ7Jey 2017年1月17日 17:15:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6569]
>>5
個人の犯罪ではなく昭和天皇の命令で仕方なくやった事だからね

8. 2017年1月17日 17:19:10 : XQ1mjvIPMo : eWEHzvd873A[25]
そうそう、30万人殺せるのは、そしてそれを実行したのはアメリカ兵だけだぜ。
膨大なB29を使って空からナパーム・ガソリンを撒いて放火、原爆による都市攻撃。
それだけの物量があってはじめて可能な殺戮数だ。
強姦についても占領下の事件をひもとけば類例が出てくる。

38小銃と銃剣では無理だ。
どうもアメリカ兵が組織的にやった残虐行為を、なぜか日本兵がやったように喧伝されているように見えんか。

そういえば奴らは、自分がやっている悪事を、他人がやっていると宣伝する癖があるよな。
先に相手を非難しておけば、非難している者は容疑者から外れることができるからだ。
屁をしたらまっ先に誰が屁をしたのかを問い詰めればいい。
そうすればまさか最初に非難の声を上げた者が犯人とは、誰も思わないから。


9. 2017年1月17日 17:30:38 : y49MT1FVgL : wXWQc8Bc0hg[33]
袴田吉彦の不倫の件に関連し
タレント達が アパは良いとか くだらんテレビをしていました
バイキング、ワイドナショー 両方 フジ系列
なんのこたあない 日本会議メンバーだから
アパ礼賛だったんだな
電通ダマスゴミの 嘘暴き が 早い 流石のネット社会ですね〜

10. 2017年1月17日 17:40:40 : rrhrFN6JLd : C6EI10g_Gy4[1971]
下品なおばはんは田母神ともお友達だし。自衛隊機にも搭乗させてもらってた気がする。

11. 2017年1月17日 17:41:35 : qz7CagTxqU : hMEXaKpJJMo[5]
単純に捕虜を収監する能力がなくて皆殺し
ゲリラ掃討で「軍服を着てないから便衣兵」と
市民を巻き込んで掃討した杜撰さの産物

12. どうでもいい中国人[10] gseCpILFguCCooKikoaNkZBs 2017年1月17日 18:16:20 : 7yh6vHmtpU : TaVLgcEsO3E[2]
アパホテルに脱帽。
とても優秀な経営者がいますね。


13. 2017年1月17日 18:23:12 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[241]

しっかし沸点低いなシナ畜生

というヒトモドキ共産というのは 笑

http://image.news.livedoor.com/newsimage/2/7/27f62_226_d10f99c3fb09b7eb571dbd78f0240d19.jpg
http://s.eximg.jp/exnews/feed/Recordchina/201209170080001view.jpg
http://blog-imgs-18-origin.fc2.com/s/h/i/shiratorijun/20050412053819.jpg
http://4log.up.n.seesaa.net/4log/image/E5A4A9E79A87E9999BE4B88BE381A8E697A5E381AEE4B8B8E381AEE58699E79C9FE38292E78783E38284E38199.jpg?d=a1


14. 2017年1月17日 18:43:30 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[338]
第一次安倍内閣の頃に、安倍晋三と耐震偽装アパホテルの関係が話題になりましたね。
当時は「アパ壷三」と言われていました。
▼アパグループと安倍晋三の証拠写真
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-210.html
安倍晋三 手抜き杭工事にも関与か?
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-68.html
▼週刊ポストが取り上げていた「アパ壷三」の疑惑
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-160.html
▼安倍首相に耐震偽装疑惑会社との癒着疑惑発覚!
「安倍」と「アパ」グループと「安晋会」の親密な関係を示す証拠
http://society5.2ch.net/test/read.cgi/giin/1161421654/l50
▼安晋会
安晋会は、内閣総理大臣、安倍晋三の後援会。
会員
元谷外志雄 - アパグループ代表、小松基地(第6航空団)友の会会長。同社の広報誌には、みずからCMにも登場する、妻であるアパホテル社長の元谷芙美子らと安倍がワインを飲む写真が掲載されている。
前田利幸 - 前田興産代表取締役社長
澤田秀雄 - エイチ・エス証券株式会社代表取締役社長
小嶋進 - ヒューザー代表取締役社長。耐震偽装事件を引き起こした[1][2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%99%8B%E4%BC%9A
▼[安倍晋三]安晋会と耐震偽装関係、イーホームズ藤田東吾による告発
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061025/1161716882

15. 2017年1月17日 19:00:36 : zEKLnmi5Uo : F@tgmZUd0l8[-186]
ネトウヨ御用達ホテル>糞川隆のようなネトウヨはニートだから金持ってないし

アパホテルには泊まれないよ。中国人でこの糞ホテルももってるくせいに
もう倒産だね。馬鹿が!

アホでくずで能無しのネトウヨなんぞ持ち上げても害にしかならんわ。

[32初期非表示理由]:担当:言葉使いで処理が大量にあるので全部処理

16. どうでもいい中国人[11] gseCpILFguCCooKikoaNkZBs 2017年1月17日 19:02:15 : CbB8hI8WaM : E8DxCIvhsPM[2]
>>8
38小銃と銃剣では無理だ。

ルワンダ虐殺、50―100万の人が殺された。武器は中国製ナタ。
ヤホー、どちらが優秀かな?アフリカ土人と中国製ゴミか、練度高い帝国軍人と名高い日本製品か?

子孫に蔑まれたな。死んだあなた達の先祖たちは怒るぞ ٩(๑´3`๑)۶


17. 2017年1月17日 19:28:31 : pzLfRrTbvQ : 5NPCoS59O4g[2]
肯定するのも自由だし、否定するのも自由。
おまえら、読書の自由を制限するなよ。

18. 2017年1月17日 19:46:38 : hiMJeiC8rA : E4aHfSbRQIU[101]
ホテルにあるGideon's Bibleなんかは進化論とかを否定していますが。
もちろん中華人民共和国民が信仰すべき唯物論も否定されている。



19. 真相の道[2050] kF6RioLMk7k 2017年1月17日 20:09:01 : T8iD3fD606 : kQK1OSr0eCg[965]

殺害された人数が30万人というのが非論理的と言ってるだけでしょ。

現に30万人説は証拠資料がなく、中国によるデマとされています。


「30万人説は資料的根拠が乏しく、日本側の学者からは支持されていない」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E8%AB%96%E4%BA%89


つまり、何の問題もありません。
   
     
  


20. 2017年1月17日 20:30:43 : r6MbJ0xT76 : IxkYd34cZ@I[44]
実際は国土も狭くしかも原発だらけ、また米国の属国の日本なのにばかでかい核保有国の中国と張り合う奴の気がしれない、恐らく戦前の竹槍精神と同じなんだろう。あへ政権になってかなり中国を馬鹿にしたり挑発している、いつまでも許容するとは思えんが。

21. 中川隆[6131] koaQ7Jey 2017年1月17日 20:38:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6577]
>>19
>現に30万人説は証拠資料がなく、中国によるデマとされています。


おまい何も知らないでデマ拡散してるだろ

南京大虐殺直後に行われた欧米人の現地調査の結果が30万人殺害なんだよ:


30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。 電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。

2002/12/21 09:31 【共同通信】



22. 中川隆[6132] koaQ7Jey 2017年1月17日 20:43:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6578]
南京大学歴史学部博士課程指導教官で、南京大虐殺研究所副所長の張生教授を取材した際、昨年、米国立公文書館で南京大虐殺に関する資料を収集していたときに、極めて価値のある最高機密文書を発見したことを話してくれた。

日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。 (実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュース)

電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。
少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」

というものだ。張生教授は

「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」

と指摘。さらに「米国や欧州などでも、第三者による史料の発見が相次いでいます。個人的な判断や細部の描写はやや異なるものの、南京大虐殺が一つの歴史事実であることは広く認められているのです」と強調した。
「北京週報日本語版」より2007年12月15日

ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。
この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に

「南京は暮れの一三日に陥落した。
わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3


当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」

と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)

http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html


23. 2017年1月17日 21:03:54 : Fe1rvoVmcE : q9L_YL4vSIc[24]
ここがキチってるというのは昔から有名だったので、外国に大々的に
バレた、っていうのが今回の騒動ね。

ネトウヨになるような大衆的思考の人間は「ブレない」とかいうのが
好きだから、叩かれれば叩かれるほど頑なになる、今後もこの本を
置き続けるということで、いっそう支持するつもりのようだからねぇ。

他の外国人だってこういう宿ではいつ差別されるかもしれないし、
日本人だって平民層なんだから見下されているよ。


24. 2017年1月17日 21:04:40 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[242]

>6. やもめーる[-515] guKC4ILfgVuC6Q 2017年1月17日 17:12:58 : pdOVYlf4hQ : mD9VlejumVY[-12]
>>3
>南京が嘘なら広島長崎の原爆犠牲者はもっと水増しで捏造だな。(笑)


うわぁ・・・


25. 2017年1月17日 21:07:33 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[243]

だからさ、

南京事件があったと思ってる奴らだけがシナ畜生に個人的に賠償すれば良いだけの話

文句ないだろ 爆

他人煽って搾取するから叩いてるわけなので


26. 2017年1月17日 21:09:32 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[244]

アパ「南京大虐殺否定本は撤去しない。文句がある奴は本のどこが間違ってるか具体的に指摘しろ」

客室設置の書籍について
弊社ホテル客室に設置している『本当の日本の歴史 理論近現代史』等について、南京大虐殺を否定するものだとして批判的に取り上げる動画がインターネット上にアップされたことをきっかけに、昨日からご意見やお問い合わせをいただいていますので、ここで弊社の見解を述べさせていただきます。

ご指摘のあった書籍は、本当の日本の歴史を広く知っていただくことを目的として、弊社グループ代表の元谷外志雄が「藤誠志」のペンネームで月刊誌『Apple Town』に連載している社会時評エッセイを1年分まとめたものに、まえがきとして解説を付して制作したもので、日本語の他に、英語訳も付いています。

本書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたものです。

したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます。なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。

https://www.apa.co.jp/newsrelease/8325


27. 2017年1月17日 21:37:26 : kS1ltpsMlw : h9iZO4v1h@U[1]
1.2.3.4.5コメ以下、中川隆、真相の道

次々と右翼蛆虫が便壺から大量に湧き出してきたな。勢ぞろいか。


28. 2017年1月17日 21:56:20 : cNUulx7zas : Wt9Z56dVo4Y[12]
右翼きもい。女社長きもい。
アパホテルおかしい。
日本人の恥。
早くつぶれてほしい。
ありえない。

29. 2017年1月17日 22:16:51 : hy55y1MCkU : h4GysCZjF7o[136]
南京は捏造で無かった、というのが事実だ。

骨も無い。

毛沢東は1000万人単位で中国人民を殺した。

天安門でも若者をたくさん拉致処刑した。

これは事実。


30. 2017年1月17日 22:47:19 : QXHISkom9M : NnXdBicGUSs[7]
報道というのが一般人でも出来る時代になったために起きた珍事だな。
財力や権力に驕るもの、どうせ瑣末な事とタカをくくっているものは足元を掬われる。

31. 2017年1月18日 00:14:04 : Qk0z0gVGLY : lQZkNLxHm_4[768]
もう観光客来ないんだからネトウヨが泊まるしかないな。
観光客より売り上げあがるんじゃないの(適当)

32. 2017年1月18日 04:40:38 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[561]

南京虐殺がなかったなどと主張する日本人がいるとは信じがたい。

事実は事実だ。これをなかったと強弁しようとしている日本の右翼保守は事実を無視しようとしているに過ぎない。簡単なことだ。事実について話そう。

旧陸軍士官の親睦団体である偕行社の親睦雑誌「階行」紙上に、1984年4月から1985年2月まで連載された畝本正巳編「証言による南京戦史」は、階行社会員の証言資料提供による南京虐殺の否定を目的として始められながら皮肉にも結局その存在を確認することとなったことで有名だ。その経緯はこうだ。

畝本正巳は陸士第46期、戦後防衛大学校教授で、「東京裁判という報復的政治的裁判を発端として、一部日本人の告発記・研究発表により『二十万〜三十万虐殺』『野蛮・非人間的な日本軍の蛮行』という誤った南京大虐殺説が定着しつつある」現状に危機感を持ってこの「証言による南京戦史」連載を開始、南京攻略戦に参加した将校からの証言を募集した(『階行」1983年11月号)。ところが、始まってみるとそのような意図とは反対に「虐殺をやった」「見た」という証言や記録が多々出てきてしまい、連載終了後の編集部加登川幸太郎執筆責任による「その総括的考察」においては、南京虐殺の存在を認めざるを得なくなった。

加登川の「その総括的考察」は、中支方面軍司令部の下克上的な指導も含めて、捕虜の処理の適正を欠いた根本の責任は軍上層部にあるが、しかし、前線部隊にも軍紀・風紀の乱れがあり、椋奪・暴行などの不法行為が多発したとの事実を認め、その傍証として、それらの非行を戒るために出された異例な陸軍参謀総長閑院宮載仁親王の軍紀・風紀引き締めの訓示と、それをうけて中支方面軍参謀長塚田少将からだされた「軍紀風紀に関する件」と題した依命通牒(以下に詳説)を紹介した。また、「南京事件はその当時、すでに軍によって大きな問題として扱われていたようである」と指摘して、その傍証として、西義章中佐、本間雅晴参謀本部第二部長を南京に現地調査に派遣してその事実を確認した上で上記参謀総長訓示を出したこと(以下に詳説)を挙げている。さらに「長嘆息のほかはない」として「こうした事情は当時は、もちろん、世人の目にも耳にも伏せられていた。それを今日、この戦史の結びとすることにはまことに残念であるが、すでに公にされた資料に基づく真実であって如何ともしがたい」と述べている。(『階行」1985年3月号)

この経緯をうけて、階行社の南京戦史編集委員会からは、『南京戦史』(階行社1989年)、『南京戦史資料集』(階行社1989年)、『南京戦史資料集II』が出ている。『南京戦史資料集』と『南京戦史資料集II』には『南京戦史」を執筆するために収集した資料およびその後収集された資料(防衛庁(当時)防衛研究所に所蔵されていたものを中心に)が収録されている。すなわち、松井石根中支方面軍司令官以下、参謀、師団長さらに下士官、兵にいたるまでの陣中日誌や、軍中央、中支方面軍、上海派遣軍、第10軍の作戦命令や、軍、師団、各部隊の通牒、訓示、作戦経過概要、戦時旬報、戦闘詳報、陣中日記など、戦争終結直後の政府と軍による組織的文書焼却隠滅を免れた多くの記録文書である。

南京戦に関連して、日本軍の公式記録と司令官・参謀・師団長クラスの日記がこれほどまとまって資料集に収録されたのは画期的で、これによって、南京事件を上海から南京への進撃と攻略そして占領といった具体的な歴史展開に即して分析することが可能となった。各部隊の戦闘詳報、陣中日誌、指揮官の陣中日記には、各部隊が処断・処分(即ち殺害)した捕虜や投降兵、敗残兵の数が記録されていて殺害者数を推定する基本資料となっている。ただし、これらは南京戦参加全部隊の約三分の一の分に過ぎず、残りの三分の二は戦争終結時に焼却隠滅されて依然行方不明だ。

それでは、その偕行社南京戦史編集委員会によって資料集に採集された「生き残った」一次資料をも踏まえて、南京虐殺の事実を見て行こう。

南京虐殺については、発生直後から報告され、政府、軍部の上層部はそれを認識していた。具体的には発生と同時に南京の日本領事館から外務省に報告が送られ、それらは陸軍省、海軍省へ送付されている。

当時外務省東亜局長であった石射猪太郎は、戦後1947年東京裁判において、弁護側証人(弁護側に注目)として以下の証言をしている。

「(1937年)12月13日頃、わが軍が南京に入場する、そのあとをおってわが南京総領事代理(福井敦氏)も上海から南京に復帰した。同総領事代理から本省への最初の現地報告はわが軍のアトロシテーズ(残虐行為)に関するものであった。この電信報告は遅滞なく東亜局から陸軍省軍務局長宛に送付された。当時、外務大臣はこの報告に驚きかつ心配して、私に対し早く何とかせねばならぬとお話があったので、私は電信写はすでに陸軍省に送付されていること、陸海外三省事務当局連絡会議の席上、私から軍当局に警告すべきことを大臣にお答えした。
その直後、連絡会議が私の事務室で行われ(中略)、その席上、私は陸軍軍務局第一課長にたいし右アトロシテーズ問題を提起し、いやしくも聖戦と称し皇軍と称する戦争においてこれは余りにもヒドイ、早速厳重処置することを切実に申し入れた。同課長もまったく同感で、右申し入れを受け入れた。
その後いくばくもなくして在南京総領事代理から書面報告が本性へ到着した。それは南京在住の第三国人で組織された国際安全委員会が作成した我軍アトロシテーズの詳報であって、英文でタイプされてあり、それをわが南京総領事館で受付け、本性に輸送してきたものである。私は逐一これに目を通し、その概要を直ちに大臣に報告した。そして大臣の意を受けて、私は次の連絡会議の席上、陸軍軍務局第一課長にその報告を提示し、重ねて厳重措置方要望したが、軍はもはやすでに現地軍に云ってやったとの話であった」。(桐富雄『日中戦争 南京大虐殺事件資料集 第1巻』青木書店 1985年)

このうち、「軍はもはやすでに現地軍に云ってやった」ことの中には、参謀総長閑院宮載仁親王から中支那方面軍に1938年1月4日付けで下達された訓示を、中支那方面軍参謀長塚田攻少将から各部隊に向けて下達した「軍紀風紀に関する通牒」があり、それは以下の通りである。

「軍紀風紀において忌まわしき事態の発生近時ようやく繁を見、これを信ぜざらんと欲するもなお疑わざるべからざるものあり、惟うに一人の失態は全隊の真価を左右し一隊の過誤もついに全軍の聖業を傷つくるに至らん。(中略)軍紀を厳正にし戦友相戒めてよく越軌粗暴を防ぎ、各人みずから矯めて全軍放縦を戒むべし」。(『続・現代史資料(6)軍事警察』)

さらに陸軍上層部の南京虐殺認識について傍証を続ければ、

当時陸軍軍事課長であった田中新一大佐は、詳細な『支那事変記録』を記していて、その中で、1938年1月12日の陸軍省局長会報において、中国戦線から帰国した陸軍省人事局長阿南惟幾少将が中支那方面軍の軍紀について次のように報告したと述べている。

「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず、現に厳重に取り締まりに努力しあるも部下の掌握不十分、未教育補充兵等に問題なお絶えず」。(『支那事変記録 其の四』防衛研究所図書館蔵)

また、当時陸軍省兵務局防諜班長であった宇都宮直賢少佐はその回想録において、陸軍中央の南京虐殺対応について以下の通り記している。

「南京の暴行残虐事件についても私は帰京後に聞いた。(中略)私は参謀本部の本間(雅晴)第二部長、渡(左近)支那課長、米(アメリカ)班の西(義章)班長以下に会ってこれらの事件の対策について諮問におよばずながら応えいろいろ進言した。
米班長で大本営参謀の西中佐(31期陸代同期)が実地調査のため直ちに南京へ急行することとなり、広田大佐と協同して事件の究明と解決に努力した。次いで杉山陸相の要請で、本間第二部長も急遽南京に向かい事情調査を実施することとなった。
南京の暴行虐殺事件のニュースについては、日本側はこれを発表することを禁止したが、全世界に知れわたって轟々たる非難の的となったことはまことに遺憾千万だった」。(『黄河・揚子江・珠江 − 中国勤務の思い出』 非売品 1980年)

ここにある本間雅晴参謀本部第二部長の調査結果を受けて、陸軍中央は松井石根中支那方面軍司令官の不作為による南京虐殺発生を確認、松井を処分する方針となったが、それはあくまでも内部処分の形(直接その責任を問わない)をとり、1938年2月14日松井を中支那方面軍司令官から解任して日本に召還した。

このようなことなかれ主義的処分には陸軍中央内部にも不満が残り、田中隆吉は1939年に1月に兵務局兵務課長となって以後憲兵隊の調査報告書の提供も受けて、松井石根ら中支那方面軍幹部を軍法会議にかけて裁くように提案したが、参謀総長らに拒否されたという。(『東京裁判資料 田中隆吉尋問調書』大月書店 1994年)

一方松井も、南京虐殺が国際的な非難をあびて自分の更迭につながるであろうことは認識していたと見えて、1938年2月7日に行われた慰霊祭(1973年12月18日の第一回とは別の2回目)において、全部隊長を集めて行った訓示でみずからの悲憤の心中を吐露している。それを目撃した上海派遣軍参謀課長飯沼守少将はその日記に以下の通り松井の言葉を記している。

「南京入場の時は誇らしき気持ちにて、その翌日の慰霊祭(1973年12月18日の第一回)またその気分なりしも、本日は悲しみの気持ちのみなり。それはこの50日間に幾多の忌まわしき事件を起こし、戦没将士の樹てたる功を半減するにいたりたればなり、何をもってこの英霊に見えんや」。(「飯沼守日記」『南京戦史資料集』偕行社 1989年)

さらに、この南京虐殺は南京に総司令部を置いた中支那派遣軍幹部の間では歴代一大不祥事として語り伝えられていたようで、昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁はその自叙伝において次のように述べている。

「1943年1月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして1年間在勤しました。その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました」。(『古代オリエント史と私』学生社 1984年)

以上、南京虐殺発生直後から政府、陸軍中央には報告が行われ、その存在は認識され、その抑制が指示され、将官を派遣した現地調査が行われ、それに基づいて松井石根中支那方面軍司令官の更迭が行われ、松井自身はそれを悔い、南京虐殺自体がその後の中支那派遣軍幹部の間で語り継がれたことが事実として確認される。

当時の日本政府および陸軍中央が「ある」ものとして調査、認識、対処、処分を行っていたものを、今になって「なかった」と強弁するのは、いったいいかなる精神によるものであろうか。歴史的事実を正しく客観的に認識できない知的障害があるのであろうか。自己の主張に都合の悪い事実は知らない、無視する、という道義的退廃があるのであろうか。

右翼保守のデマ本を読んで南京虐殺はなかったと信じ込まされてきたネトウヨは今からでも遅くはない。右翼保守のデマゴークが都合が悪くてその本に決して書かない事実を知ってもらいたい。世界はそれを知っているから、一部日本人の「南京虐殺はなかった」との主張に対して冷笑と軽蔑を返しているのだ。

ここまで書いて、どうせ「そのような不祥事が一部にあったとしても、その犠牲者数はわずかで虐殺と呼ぶには値しない」との右翼保守デマゴークの受け売りが出てくるだろうから、犠牲者数についても検討しておこう。

そもそも犠牲者数の算出は非常に困難だ。すでに発生から70年以上経過していること、日中戦争と国共内戦その後の毛沢東政権下の混乱により中国側の調査と記録が十分でないこと、日本政府および軍が戦争終結時に組織的かつ徹底的に公文書を焼却して証拠隠滅を行ったこと等によりすべては残された一次資料、証言等からの推測に止まる。

そんな中で、まず南京虐殺はなかったとの主張を行うものの内唯一歴史学者と呼べる秦郁彦の主張をみよう。秦は、その主著『南京事件 − 虐殺の構造』(中公新書 1986年)において、南京虐殺の犠牲者数を3万8千から4万2千人と推計し、これは「あくまで中間的な数字に過ぎない」、「新資料の出現で動くこともある」としている。

秦の計算は、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた戦時国際法には従わず、戦意を完全に失って逃げ回っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長として見られる要素もある」として虐殺とみなさず、また生存と逃走のため軍服を脱ぎ捨てて民間人の服装をした「敗残兵」がいるはずで、これらは「便衣兵」とみなせるとして、そのような「敗残兵」およびそのような「便衣兵」の容疑をかけられて殺された民間人をすべて虐殺から除くなどの操作を行って算出した数字で、とても妥当な計算であるとは言えないことは明らかだが、しかし、その秦をしてさえも、3万8千から4万2千人という不法殺害の犠牲者数を認めている。これだけでも立派な「南京大虐殺」だ。

それに対して、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた戦時国際法に正しく従って算定した推定として、笠原十九司の研究がある。笠原は「南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される」と結論づけているが、以下にその笠原十九司の推定を引用する。

「 現在公刊されている日本軍側の資料から、南京攻略戦に参加した各師団がどのくらい中国兵および中国兵とみなされた民間人を、捕虜・投降兵・敗残兵・「便衣兵」として殺戮・処刑したかの累計をこころみたのが表1である。第九師団・第一一四師団・第六師団の各部隊の戦闘詳報や戦中日記の公開がとくに遅れているが、もしも日本軍側の全連隊の戦闘詳報がそろえば、捕虜、敗残兵の被虐殺数(ここには民間人の男子も含まれている)の総数がかなりあきらかになることがわかるだろう。

 もっとも、戦闘詳報の記録はいっぱんに戦果を多く報告する傾向があるから、この数字はあくまで概数として扱うほかはない。それでも、( )をつけなかった虐殺者数は八万人以上となろう。可能性のあった捕虜のほぼ全員殺害を想定すれば、一○万人以上となる。

 わたしは、総数一五万人の防衛軍のうち、約四万人が南京を脱出して再集結し、約二万人が戦闘中に死傷、約一万人が撤退中に逃亡ないし行方不明となり、残り八万余人が捕虜・投降兵・敗残兵の状態で虐殺されたと推定する(「南京防衛戦と中国軍」)。

[概数の資料]中国兵の犠牲者数については、日本と中国の資料から概数は推定できたが、きわめて困難なのが民間人の犠牲者数の推定である。総数を推定する参考になる当時の三つの資料を紹介する。

(1)ラーベの「ヒトラーへの上申書」
「中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています」(ラーベ『南京の真実』)。三八年二月二三日にラーベが南京を離れた段階での推定数である。南京城内にいたラーベら外国人には、城外・郊外の広い地域でおこなわれた集団虐殺の多くをまだ知っていない。それでも、難民区国際委員たちが当時の情報を総合して推測した数として参考になろう。

(2)埋葬諸団体の埋葬記録(『中国関係資料編』の第V編「遺体埋葬記録」に収録)
南京の埋葬諸団体が埋葬した遺体記録の合計は一八万八六七四体になる。これは戦死した中国兵の遺体も含まれているし、遺体の埋めなおしなど埋葬作業のダブリの問題もある。しかし、長江に流された死体の数が膨大であったことを考えると、南京攻略戦によってこうむった中国軍民の犠牲の大きさを判断する資料となる。

(3)スマイスの「南京地区における戦争被害 ― 一九三七年十二月〜一九三八年三月 ―都市および「農村調査」
同調査では、市部(南京城区)では民間人の殺害三二五〇人、拉致されて殺害された可能性の大きい四二〇〇人を算出、さらに城内と城壁周辺の入念な埋葬資料調査から一万二〇〇〇人の民間人が殺害されたとしている。近郊区では四県半の県城をのぞいた農村における被害者数は二万六八七〇人と算出している。この調査は、三八年三月段階で自分の家にもどった家族を市部で五〇軒に一軒、農村で一〇軒に一軒の割合でサンプリング調査したものであるから、犠牲の大きかった全滅家族や離散家族は抜けている。それでも、同調査は当時おこなわれた唯一の被害調査であり、犠牲者はまちがいなくこれ以上であったこと、および民間人の犠牲は城区よりも近郊農村の方が多かったという判断材料になる。

 以上の犠牲者数についての資料状況と本書で叙述してきた南京事件の全体状況とを総合すれば、南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう」。(岩波新書「南京事件」1997年)」

というわけで、右翼保守が大好きな秦の、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた当時日本政府が署名批准していた戦時国際法に従わない操作を行って算出した数字でさえ「3万8千から4万2千人」、戦時国際法に正しく従って算定した笠原の推定では、「十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上」ということになる。

これは、どう見ても、どうひっくり返しても、議論の余地なく「大虐殺」だ。

以上見た日本の学者による推定は、現在中国政府が主張する30万人には達しないが、その中国政府の30万人という数字は、日本人の一部の「南京虐殺はなかった」との主張に対して対抗上出てきたものであることについては特に注意を喚起しておきたい。

即ち、ほとぼりが冷めてからの「犯人側」の「やってない」との主張に対して「被害者側」が当然怒って被害程度について防御的に多めに主張するようになっているということで、そうであるからこそ、中国を相手にしてもまた国際世論を前にしても、すでに「犯人側」から主張する数字はなんであれ(秦のような過小評価操作を行わない笠原の推定でさえ)まったく説得力を持たなくなってしまったということだ。このような事態に立ち至ったのは、右翼保守の無責任なデマゴークとそれに追従する一部の知力に劣り道義に欠け勇気と誠実さをもたない日本人のおろかな企てによるものだということは、まともな日本人として怒りをもって覚えておきたい。

さらに、念のために指摘しておけば(馬鹿馬鹿しくてうんざりするが)、このスレにも散見される「南京虐殺」は30万人だとしたうえで、犠牲者数30万人が証明できなければ「南京虐殺」そのものがなかったとする主張は無意味だ。これは右翼保守デマゴークの南京虐殺否定論でよく使われるトリックだが、これがナンセンスなことは普通の大人なら自明のことだ。犠牲者数30万人が証明できなければ、犠牲者数が30万人でないということだけで、そもそも「南京虐殺はなかった」ことにはまったくならない。

以上、長々と述べたが、これを読む人には「南京大虐殺はなかった」という主張がどれほど荒唐無稽なものであるか事実に基づいてよくお分かりいただけるものと思う。

誇りあるまともな日本人は「南京大虐殺はなかった」などという戦前の亡霊の復活を許してはならない。ほとぼりが冷めたからなかったことにしようなどという卑怯で女々しいまねを許してはならない。さもなければ、日本人は世界に特にアジアに友人を失ってしまう。

南京虐殺はあった。それは確かにあったのだ。


33. 大和狼[659] keWYYZhU 2017年1月18日 05:49:47 : hy55y1MCkU : h4GysCZjF7o[137]
南京記念館は社会党書記長の田辺が総評の金を3000万円出し、何も知らない中国共産党に1960年頃焚き付けて建設させたと言う。中国共産党の軍事顧問をしていた旧日本軍将校を通じて入手した情報では800万円で建設出来たので残りは中国共産党幹部が山分けしたと言う。
社会党などというともう少し全うな政党かというイメージがあったが、結局朝日と同じく旧日本の評判を貶め、戦後日本社会の国体を変えるコミンテルンの活動方針で歴史を捏造して日本人の反戦厭戦気分を利用しGHQとともに
日本の歴史をねじ曲げた事が事実だ。

それが現在の南京虐殺事件の死者が40万人となり慰安婦40万人にも虚偽の話が広がっている。
南京についてはルーズベルトが日本対する憎悪とhateを煽る目的で捏造プロパガンダしたものだ。

南京記念館は日本人が造った。

https://youtu.be/3sxy9bkFwAk


34. おじゃま一郎[5891] gqiCtoLhgtyI6phZ 2017年1月18日 09:20:10 : fSmyKuwKCs : ZrZzvb0vBq8[1]
史実など今となってはどうでもよく、過去に中国人の一般市民を
30万人殺害した南京大虐殺はユネスコの世界記憶遺産に
登録されたので、国際社会が認定したことになる。
民度の低い日本はこれを認めなければ未来はない。


35. 2017年1月18日 09:36:47 : rGT9z24w76 : E1gnitVyu0E[564]
昔も、今も、自民党や維新ならやる大虐殺、自国民も含めて。

36. 大和狼[663] keWYYZhU 2017年1月18日 11:36:16 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[55]
プロレタリア独裁とは「階級の敵」を殺害することだ。賓陽県史は文革後、新しく編集されてこう述べている。 

「一九六八年七月未、県革命委員会王建�主任(6949部隊副師団長)、王貴増副主任(県人民武装隊副政治委員)は『73指示」を貫徹するためにあらゆる人員を動員して、労働者階級の敵に対する猛烈な攻撃を展開した。全県で迫害され、殺害された者が三千八百八十三人、『73指示」を貫徹するために、それ以前に殺害された者が六十八人で、合計三千九百五十一人である」

一九六八年七月二十二日、県革命委員会は「73指示」を徹底的に実現する会議を開いた。「賓陽大虐殺」はこのときから始まった。総指揮者は王建�である。賓陽県は二十六日、プロレタリア独裁大会会場で二人を殴殺した。二十七日、街頭ひき回しデモで「四類分子」(反動、地主、富豪、悪質分子)十四人がつるし上げ糾弾闘争のあと、殴殺された。

同日、県武装部は、幹部たちが殺人現場を見学した。二十八日夜十時、蒋河公社の呉某民兵連隊長が、各村の民兵に呼びかけ、四類分子を逮捕して公社に集合させ、二十四人を集団銃殺した。同日、王建�は紅色恐怖をつくるために、いちばん賑やかな中心地区で、「二十三種分子」の批判糾弾大会を開き、群衆をそそのかして、棍棒、石ころを持って、七、八十人を殴殺した。そのなかに、県立病院院長、副院長、および内科、外科、産婦人科、薬剤師主任などの知識分子が含まれていた。

二十九日午前、王建�は、県軍管区会で、政治法律幹部会議を招集し、殺人を推進するために、殺すべき対象、時間、手段、方法と目標などの具体的な指示をした。

彼は会議の席上でこう述べた。

「この一戦は七月二十六日から八月十五日までを一段落としてもらいたい。主要な闘争対象は、裏切り者、特務、死ぬまで悔い改めない走資派(資本主義志向派)と、いまだうまく思想改造されていない地主、富農、反革命分子、右派分子、さらに投機分子などである。県の重点は、新賓、盧墟の二ヵ所である。新賓は現在すでに幕を開いた。この任務を執行しなければならない。公然とは大会を開いてはならない。ただ、個別的に火をつけるだけでよろしい」

「群衆は、悪い人と思えば、彼らを『専制』しなければならない。『専制』とは、本来はプロレタリア独裁という意昧だが、ここでの『専制』という意味は殺人、処刑である。あなたたちは、人民のやりたいことを阻止してはならない。運動が始まったころには、積極分子が何人かを銃殺することは大した問題ではない。しかしわれわれは彼らを銃ではなく、拳骨、石ころ、棍棒を持って殴り殺すのが、群衆に対する教育の効果が大きい。賓陽県には現在、四千名の四類分子がいる。あなたたちは彼らを十数年かけて改造しても、私が見たかぎりでは、彼らは一人も改造されていなかった。人民があれほど精力をつくして彼らを監督しても、われわれがあれほど精力をつくしても、とうてい彼らを改造することができなかった。こんどの運動では、敵の三分の一か、四分の一を打ち殺さなければならない」

同じ日、王建�は、県革命委員会で、招集された全県各地区武装部長と、人民公社の民兵隊長の緊急会議で、消極的な幹部に対して圧力をかけた。地獄の門はこのようにして開かれた。紅い嵐はアッという間に、全県に吹き荒れることになった。民衆は歴史上、かつてなかった大虐殺の恐怖に陥れられた。殺人モデル会が開かれ、その後、全県百七十二個大隊で、大虐殺の嵐がうずを巻いたのである。

この間、公安幹部の一部は、監察員として、全県各地で幹部の虐殺ぶりを監督し、しかも毎日、殺人の進展状況を報告させたのだった。県公社の指導部は絶えず電話をかけ、闘争の進展を報告し、指導部は闘争のあまりにも進まない大隊に対して圧力をかけた。弾薬をやたらに使うな、拳骨と棍棒と石だけ使え。そのために何千人もの罪のない哀れな人間が、大虐殺の嵐の中で、殴られ、骨を折られ、血を流し、殺害されていった。

なぜ、「賓陽大虐殺」裁判は、行なわれないか。
この「賓陽大虐殺」事件は、賓陽県史上、空前絶後で理解ができても決して許すことができない。賓陽県文革では、虐殺者の人数が広西全区で第一位である。抗日戦争のとき、日本軍に殺された人々は、全県で三百余人であった。これは民族の戦争である。中国革命の初期、匪賊が三百余人を殺した。これも銃を持つ敵に対する作戦であった。しかし、なぜ平和のときに、アッという間にその十三倍もの人間が人民の私刑によって殺されたのか、これは考えなければならない問題であり、避けては通れない問題でもある。

「賓陽大虐殺」事件は一九八三年、やっと十五年後になって、賓陽県当局が文革期間中に無実で殺され、あるいは迫害で亡くなった三千九百五十一人の全員を名誉回復し、県政府名義で死者の家族に対して名誉回復通知書を出した。しかし、この通知書だけで数千人の亡霊をなぐさめたことになるのであろうか。さらに遺憾なのは、共産党の政策が法律に優先したことである。つまり広西当局が、重ねて歴史問題はなるべく寛大に処理すべきであると指令したのだ。その通知が全県でわずか五十六人を裁判にかけ、そのなかでたった一人の死刑という結果を生んだ。そのことは、一人の人間の命と三千九百五十一名の命とが同じだということであって、これはあたかも社会と法律を皮肉るかのようなものであろう。

しかし、李増明書記は、私にもう一つの意外なことを教えてくれた。裁判にかけられた人々は、自分たちが無実であるということを主張しているというのである。「賓陽大虐殺」事件の主犯は王建�であるが、今日にいたっても彼の裁判が行なわれていないのだ。この人物は、みずから大虐殺計画を実行した。彼は賓陽県の民衆を大虐殺しながら、共産党員としての地位がだんだん上がり、広州警備区の第一副司令にまでのし上がったのだ。最終的には光栄ある身分で引退し、今日は大きな邸宅で悠々自適である。裁判にかけられた人物はすべて小物である。もし火つけ役のそそのかしがなかったら、あれほど人々は殺害されなかったはずである。
 
最近になって、王建�が「賓陽大虐殺」事件の主犯であるということを証明するために、当時の日記、電話、会議記録が提出され、王建�指揮の、大量殺人犯罪が事実であるとの資料がまとめられて、中国共産党賓陽県委員会の名で提出されている。

この資料は、二十八ページにわたり、最後につぎのように書いてある。
「……以上の大量虐殺の事実は、王建�が十分に殺人事件の主犯であることを証明することができる。被害者の数が多く、手段は残酷で、民情はきわめて憤慨し、その人物についてはすでに殺人罪を構成している。われわれの意見としては即時、逮捕して厳罰に処すべきである。中国共産党賓陽県委員会。一九八四年九月十五日」
 
李増明書記が私にこの告発状を手渡してくれたとき、私は、その資料の署名の月日が一年半前のものであることを発見した。つまり、案陽県委月会は、この長い一年半の間、みずからこの告発状をつくっていながら、その受取人がいなかったのだ。ここは全く言論の自由、新聞の自由、出版の自由のない国である。私は、ただ一人の文化人に過ぎず、何の力もない。私は、ただこの 六月二十六日、県革命委員会が階級闘争の新しい情勢の展望を研究、分析する会議を開いた。

各地区革命委員会の主任、区武装部の部長は、殺人の進め具合を報告した後、つぎからつぎへとエスカレートした階級闘争 − これ以上の街頭引き回しデモ、つまり糾弾闘争はやめたいと要求した。この階級闘争の後退するような雰囲気のなかで、県武装部の政治委員、県革命委員会の孫瑞章第一副主任は非常に不満で、こう反論した。

「恐れることはないのだ。諸君は何を恐れているのか、さっぱりわからない。こうしなければ、絶対に、階級の敵を抑えることはできない。人民の闘争意欲を育てることはできない。決して、われわれは恐れてはならない。続けて街頭引き回しデモ闘争をやり、糾弾大会をやるべきだ」 

この会議が終わってから、武宣県の惨劇はまさに高潮期に入ったのである。
 
これは生きているままで、人肉を削ぎ取られ、食べられた典型的な食人事件である。一九六八年七月某日。通挽区大園村。第七生産隊の甘克星が糾弾大会を指揮し、甘大作の糾弾大会を開いた。

続きはもうひとつのアパホテルスレでどうぞ。チャイナスタイル虐殺物語りには日本人には無縁だ。おぞましいシナ人どもよ。


37. 2017年1月18日 12:00:10 : FDkTQoCnMk : eZcuBmqinJI[111]
社長の旦那ってバリバリ右翼!

こんな本を置いてるなんて
さもありなん!ってことだね。

いい場所に座っている!
きっと日本会議にも大量の資金提供をしているだろうね


38. 2017年1月18日 12:54:21 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[256]
>>29

南京は狂うように騒ぐのに

天安門事件やチベットウイグル侵攻に関しては何故かダンマリのシナ畜生傀儡の不思議現象これ如何に


39. 嫌韓[726] jJmK2A 2017年1月18日 13:05:32 : Fypm4ZVZdg : e4oEemTtrfA[4]
南京で日本軍は30万の中国の民を虐殺した。
この捏造を否定する本がホテルに置いてなぜ悪い。

大体、当時の南京の人口を上回る虐殺がどうして出来たのだ?
南京で30万人の遺骨は発見されたのか?
なぜ、シナは遺骨採収を行わないのだ?
知っているのだよ、シナ人はこれが嘘だと言う事を!!

30万と言う数字は、日本が原爆や大空襲で受けた非戦闘員の数だ。
アメリカは、自分の残虐性を隠すため、日本も同様な虐殺をしたと、
捏造したかったのだよ。
そこで、蒋介石に、捏造を指示したと言うのが真実だ。

このアメリカのプロバガンダを信じている日本人がいるとは情けない。

それと、アパホテルを非難する人間は、表現の自由を認めない奴らだ。
自分の主張を書いた本を自分のホテルに置いてなぜ悪い。

私は仏教徒だが、聖書がホテルに置かれていても文句を言った事はない。


40. 大和狼[664] keWYYZhU 2017年1月18日 13:35:30 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[56]
おい、シナ食人鬼ども食うのはシナ竹だけにしとけ。

もうお前らの嘘に騙されるような日本人はいない事に気付け。

さんざん人民を殺し人肉を食い、臓器を奪ったお前らの悪行が世界に知れわたる時代が来るわ。

この女も中国系だろ。

顔みればわかる。日本中のホテルにこの本を置け。


41. 2017年1月18日 13:51:18 : 4MhId7ZpqE : MLNtIBnKyAU[6]
アパホテルなんていうカスホテルには、まず泊らないだろうなぁ。。大笑い

今日の立てこもり飛び降り自殺も、この件に関係(抗議)してるんじゃね?w


42. 2017年1月18日 14:05:55 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[57]
シナ竹自滅熱烈歓迎!

43. 野良じろう[11] luyXx4K2guuCpA 2017年1月18日 20:55:41 : 83wREXAFX6 : Mu09AiFxCZM[4]
アパはウヨ教祖ショーイチセンセの弟子?ということは同じ兄弟弟子エセブッダ狂徒?

44. 2017年1月19日 03:36:51 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1145]
ネトウヨが やたらと発狂しているようだ、しかし どんなに発狂しようと戦争犯罪は未来永劫に消える事はない


※ 覆しようのない事実 その一

>>32さんが 詳しく述べてあるように
南京事件での日本軍将兵の証言を集めて公開し 謝罪まで行ったのは 旧陸軍の親睦団体である“偕行社”だ
左翼マスコミなどではない 決して 旧軍人たちの立場を損ねる目的など有る訳がないというものであるし
当然 疑わしい証言や 辻褄の合わぬ証言は 排除されている、偕行社には第一級の資料が揃っている

※ 覆しようのない事実 その二

松井岩根陸軍大将が 南京事件の責任を問われて巣鴨プリズンで絞首刑となる直前に教誨師に遺したコメントで
南京における虐殺行為を完全に認めており 「南京事件では お恥ずかしい限りです」 と語ってる事実
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%9F%B3%E6%A0%B9

※ 覆しようのない事実 その三

松井岩根のみならず 当時の陸軍の高級将校 指導的立場の軍人達が、人数はともかく虐殺の事実が有った事を
完全に認めている事実
http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html

※ 覆しようのない事実 その四

日本政府が 30万という人数についてだけは疑問を挟むものの 虐殺 非人道的行為が有った事は
完全に 公式に 認めて謝罪している事実 これは未来永劫 覆る事は有り得ない
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/


判ったかね? 馬鹿ウヨ諸君 南京事件を裏付ける日本軍将兵の証言は 星の数ほどある
たとえ一部に 大袈裟や錯誤が混じっていたとしても その全てが全て 嘘である事などと証明する事は
まったく不可能な 有り得ない事であり 蟷螂の斧というものだ。


45. 大和狼[669] keWYYZhU 2017年1月19日 09:24:32 : odHwEwB9OI : SO8te8fieE0[2]
中国の収容所で自白(笑)させられた証言など何の証拠にならない事は現代の民主主義国家の常識なんだよ。
わかるかねそこのファシスト中国人のあんた

拷問され拘禁され偽証したら日本に帰れると言われた捕虜の証言などなんの証拠能力も無いことは民主主義国家の国民以外には理解出来ないだろうな。


46. 2017年1月19日 10:52:14 : 4pJLP1PGkE : uQp1oqpIfF4[4]

「田母神とヤクザ・住吉会幹部とアパのどす黒い関係」

↑これで検索すれば、さらに面白いことが判るよ
自民ネトサポ統一協会は残念だったなw



47. 2017年1月19日 11:16:53 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[575]

>>45

そういうあなたには、>>32参照ね。

これでも南京虐殺はなかったなんて言えるかね。

それから、意見が異なる相手をすぐに「中国人のあんた」とか決めつけて「非国民」扱いしようとするのは、右翼の排外主義的国粋主義の現れで、国を滅ぼす狂気だぞ。まさに君のような狂気の国粋主義と中国人蔑視が南京虐殺をやった心理なわけで、君がそれを振りまけば振りまくほど、南京虐殺はなるほどこういう人たちがやったんだなあと、南京虐殺の実在を実感してしまうぞ。

ご愁傷さま。


48. 大和狼[675] keWYYZhU 2017年1月19日 11:52:58 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[63]
日本軍と南京の死者は関係ないという証言もたくさんあるよ。

中国人同士がやったことだ。
おまえらで総括しろ、嘘つき中国人。

<「南京大虐殺は自分たちがやった」と告白した国民党少尉>

1月27日に歴史評論がネット(http://www.kdne.net)で流れた。開国少将というベンネームの作者は、外祖父が自分の日で見た南京大虐殺という文章を発表している。「私は小さい頃に、外祖父が抗日戦場から何故逃げ出したのか分からなかった。逃げたことは秘密で、外祖父が死去する前年に、よく雑談の中で何時間も話すようになっていた。外祖父は、妻が早く死去したということだったが、それが逃げた理由ではないだろう。私はある日、やつと外祖父から真相を聞き出した。

彼は四川省の貧農の出身で、小さい頃から武術で鍛えていた。1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、 1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、日本軍の猛烈な攻撃を、首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、南京城から撤退した。

部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。誰かが、日本軍が来たぞと叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。

誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。

国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込んだ。

外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。外祖父は貧農の出身だが、国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。

外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で呼ばれたかもしれない。しかし、逃亡する道を選んだ。そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。南京大虐殺は自分自身が犯した罪である。外祖父は恥ずかしくてたまらなかっただろう。

私は反日・反米の青年であり、ネットによく論評を発表していた。だが、そんな単純な反日・反米の青年たちは利用されているだけなのだ。天国にいる外祖父よ、私を許して下さい」。


49. 2017年1月19日 12:00:00 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[577]

>>48

ネットを探しまくってそんな怪しい「開国少将というベンネームの作者」の文章なんか見つけて引用している暇があったら、とっとと>>32参照ね。

これでも南京虐殺はなかったなんて言えるの?


50. 2017年1月19日 12:41:18 : unA9hWYW1I : ZvrK62aHhUQ[258]
●実戦体験はおろか、甚大な惨禍すらつゆ知らぬ、机上の妄論に狂奔する、使い捨てネトウヨゾンビども!!
お前らの父祖世代が、大戦中のいわゆる自称「大本営発表」と称する、ウソ八百、改竄捏造虚報、マスマインドコントロール・シャワーの、徹底洗脳プロパガンダに、いかに最期まで騙し尽されたか!!

●その揚句、敗戦亡国の破綻地獄へと突き落とされ、更に敗戦直後のドサクサ紛れの、戦犯追及を逃れるために、奥野誠亮ら高級官僚どもの証拠隠滅廃棄、重要公文書の、一切合財徹底焼却で、不利、不都合那史実の殆どをヤミからヤミへと葬り去った、列記とした犯罪行為も知らぬお前らが、全て後付の歴史改竄偽造で、いかに南京事件始め、無数の戦争犯罪の否定を喚き立てようが、そんな代物は国外はおろか、お前らの負脳内以外には、一切認知も通用も絶対にあり得ぬ妄論、妄説なんだ!!

●歴史認識の原則は、被害・加害(犯罪)の表裏一体、いわば車の両面として成立しているんだ!!

●加害(犯罪)認識がいかにお前らに、都合が悪く気に食わぬから、ムリヤリ排除否定しようと、いわゆる詐称「自虐史観」と喚き、勝手に居直り強弁しようが、そんな歪な代物(歴史改竄偽造)は、今更どこにも一切通用しない妄論なのだ!!

●『こんな結果になるなら、米英と何もあれ程の大戦争を、戦う必要など全くなかった!』
    <A級戦犯主犯 東條英機の述懐、於、スガモ・プリズン>

●『かくも無謀な大戦争を惹き起こし、内外に言語に絶する犠牲と惨禍をもたらした、軍閥指導部の罪科と責任は、将に万死に値いする!』
      <元海軍兵学校長 海軍大将 井上成美>

●お前らがいかにほざこうが、とうに紛れもない戦争責任当時者らが、あの大戦の本質を総括しているんだ!! 



51. 大和狼[676] keWYYZhU 2017年1月19日 12:49:36 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[64]
南京事件など無かったと蒋介石が言ってるんだが

蒋介石ってネトウヨだったのか?(笑)


その頃
中国共産党軍は逃げ回っていただろ。

中国人は知らんのか?


52. 2017年1月19日 13:04:27 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[579]

>>51

だから、>>32参照だって。

そんなに事実が怖いか?、倭犬?


53. 2017年1月19日 13:12:51 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1146]
>>45
>拷問され拘禁され偽証したら日本に帰れると言われた捕虜の証言など

ウヨというのは 平気で嘘を言う
偕行社の集めた証言は、そのほとんどが日本に帰ってきた後の将兵による 直接聞き出した証言であるから
アンタの言う捕虜の立場での証言なんて、もし あったとしてもほんの一部だ

● 偕行社だって本当は 南京虐殺など無かったと証明したかったのである だが むしろ、偕行社だからこそ
 旧軍人たちは重い口を開いたのだという 次から次と非人道的行為を証言する元将兵が出現して
 ついに偕行社も 南京虐殺の事実を認め 謝罪せざるを得なくなったという事である ●

※ 証言の 全てが全て 嘘である事を立証できなければ 南京虐殺が無かった事の証明にはならない ※

ほんの僅かな一部分だけを否定したって 意味の無い事だ たった一つでも本物の証言があれば
犯罪というのはそれで立証できる 逆に 犯罪が無かったと証明するには 全て全部が嘘だと証明できなければ
無かった事になどならない 小学生にでも解る事です。


54. 2017年1月19日 16:59:50 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1147]
そして、>>51
>南京事件など無かったと蒋介石が言ってるんだが

↑ これなんぞ、完全にウヨ特有のインチキだ 蒋介石は 実際にはそんな事言っていない
_________________________________________

なお、蒋介石自身の公式の回顧録である産経新聞(当時はサンケイ新聞)が1976年に紙面掲載した『蒋介石秘録』の「全世界を震え上がらせた蛮行」によれば、蒋介石は1938年1月22日付の日記に「日本軍は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ」と記している。また、日本軍による南京攻略戦が終了した後の自軍の損害については、「南京防衛戦における中国軍の死傷者は六千人を超えた。しかし、より以上の悲劇が日本軍占領後に起きた。いわゆる南京大虐殺である。」「日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、長江(揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。」「虐殺の対象は軍隊だけでなく、一般の婦女子にも及んだ。」「こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。」「犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。」 とも発表している (ウィキより)
___________________________________________

↑ 完全に 「日本軍は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている」 こう言い放っている

ならばなぜ 蒋介石が南京虐殺を否定などという風説が流れるのか その正体は、田中正明の捏造だった
【「興亜観音を守る会」会報(『興亜観音第15号』2002年4月18日号)に田中正明が書いたところによれば】
蒋介石自身の発言などでは まったく無かったという事

また、この田中正明は 「松井岩根大将の陣中日記」で 意図的な加筆修正を行なった事を認めている前科がある
典型的な 札付きウヨ論客で コテコテの南京虐殺否定派が 「蒋介石がそう言っていた」 と言っていただけだ
↓↓↓
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『松井石根大将の陣中日記』加筆修正問題[編集]

1985年に芙蓉書房から田中が編集した『松井石根大将の陣中日記』が出版された。

同書について板倉由明は、「南京占領後の態度方針を説明するため外人記者団と会見をした」といった原文の松井の日記にない記述を加えたり、また「松井大将が『南京虐殺』に関する質問を受けた様子は全くみられない」という注釈などの修正加筆があり、細部まで含めると300以上にのぼると指摘し、「発見された改竄は、脱落だけならまだしも書き加えまであり、しかもそれらすべて南京虐殺事件否定の方向で行なわれている。これは明らかに編者・田中氏の意図的行為であると断ぜざるを得ない』と批判した[9][10]。その後、松井石根大将の陣中日記は板倉によって翻刻、『南京戦史資料集U』に収録された。

また、本多勝一は朝日新聞で900ヶ所の改ざんがあると報道した[11][10]。この件は、秦郁彦[12]も批判した。

田中は1987年の著書『南京事件の総括』で、板倉由明による日誌原文とのズレの指摘について「氏の推定箇所以外はほぼまちがいありません」と認めたうえで(以下 言い訳なので略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E6%98%8E#.E8.92.8B.E4.BB.8B.E7.9F.B3.E3.81.AE.E3.80.8C.E5.8D.97.E4.BA.AC.E5.A4.A7.E8.99.90.E6.AE.BA.E5.90.A6.E5.AE.9A.E7.99.BA.E8.A8.80.E3.80.8D
__________________________________________

「マッカーサーの自衛発言」 と同じで ウヨ連中による捏造でした。


55. 大和狼[683] keWYYZhU 2017年1月19日 17:31:46 : ttuBsxuu6k : jjCJKGI682c[3]
共産党って終戦時は政権の座にもついてなかったじゃん。
  まぁ実際に日本に抵抗してはいたけど。
   +3 アメリカ

■ 史実を違う視点から見るのって本当に興味深いなぁ。 オーストラリア

■ 中国は今頃、新しいターゲットを探してるんだろうな。 ネパール

■ 共産党の言い分は本当に馬鹿げてる。完全に子供のそれ。 マレーシア

■ 中共はほとんど何もやってない。
  でも国民党の指導者たちだって、日本軍を追い出すことよりも、
  価値の無いものを守ることにより集中してたのも事実。 アメリカ

■ アジアでの戦いに目を向けさせるためには必要だったんだろう。
  みんな戦時中に欧州や日本で起こったことは話題にするけど、
  中国で起こったことに関しては知らなすぎなんだよ。 +2 アメリカ

■ 日本を唯一破ることが出来たのは、エノラ・ゲイだけだろ……。 +1 アメリカ 
   ■ 悲劇的な話ではあるけど、真実だね。 アメリカ

   ■ そのとおり。日本の都市の33%は空襲で焼かれていて、
     もう戦えるような海軍力も残ってなかったけれど。 アメリカ

■ 滑稽でバカらしいことだよね。 台湾

   ■ そうだな。まるでアメリカの歴史のようだ。 +1 アメリカ

■ どの国も歴史の光の部分しか国民に教えないもんだよ。 +1 アメリカ

■ 中国は共産主義の名のもとに何百万っていう自国民の命を奪った。
  中国(国民)にしてみれば共産主義は、
  日本と同じくらい苦しみをもたらしたものだ。 アメリカ

■ 一方的に有利な見方をするのはいわば世界の常識だろ。 +1 アメリカ

■ 中国の歴史は結局歴史修正主義者が作った歴史さ。 国籍不明

■ 共産党が果たした役割を底上げしてるって?
  笑わせないでくれ。蒋介石がやったことに比べたら、
  毛沢東たちの対日戦での貢献は微々たるもんだろうに。 +10 国籍不明
■ 皮肉なことだけど、戦時中に日本軍が奪った中国市民の命よりも、
  毛沢東が奪った命のほうが多いっぽいんだよね。 +2 アメリカ

   ■ 共産党による犠牲者のほうがはるかに多いよ。
     4千万人って推定されてるんだから。
     その数に勝てるのはモンゴル軍くらいでしょ。
     宋を攻めた時の犠牲者の数は4千万から1億って言われてる。 国籍不明 

■ 確認事項1:毛沢東は日本軍より多くの命を奪った。
  確認事項2:アメリカは原爆を投下して多くの一般市民の犠牲者を出したが、
          そのことに関して日本に謝罪をしただろうか。
  確認事項3:満州に行ったことのある人間なら誰でも、
          日本が建設した建物が一番優れていると評価するだろう。
    ちょっと挙げるだけでも共産党の欺瞞が分かる! +1 アメリカ

■ いや〜、こういう視点で見るとまた興味深いものになるね……。 イギリス
■ 中国の歴史は嘘だ。
  蒋介石のほうが対日戦勝利に貢献した。
  毛沢東は、美味しいところだけ持って行きたかったんだ。 アメリカ    
■ まぁ中国がプロパガンダをやめることはないでしょうねぇ。 インド
 
■ 対日戦に勝利できた
  (国連憲章の記載だと)国連の常任理事国の席は、
  中華民国のものになってるしね。 +11 中国出身

■ 中国が第2次世界戦で重要な役割を担ったって?
  ソ連が中国北部で日本軍を掃討するまで、
  それからアメリカが2発の原爆を落とすまで、
  当時の共産党は何もやってないじゃん。
  勝利を主張して、さらにスポットライトまで浴びたいの?
  中国のプロパガンダは歴史から作られていくんだね。 +28 ベトナム

        ■ ベトナム人は日本に勝ったなんて嘘は言わない。
        単に連合国が勝ったから、自主を取り戻したんだ。
        すべてのベトナム人そう言うだろう。
        歴史を歪曲して、「奮戦した」なんて喧伝するのは恥ずべき事だ。
        中国から多くの戦死者が出たのは懸命に戦ったからじゃなくて、
        日本のほうが優れた兵器と戦略を持ってたからだろ。 +ベトナ    ■ 死傷者の数で功績は語れないさ。
        よく言われてるのは、中国は日本を泥沼に引き込んで、
        限られていた資源を日本に浪費させたってことだね。
        中国が常任理事国でいられてるのは主に政治的な理由で、
        ソ連の膨張を抑える防波堤的な役割が期待されてたんだ。
        決して強大な国だったからってわけじゃない。 +4 アメリカ
      ■ インドのほうがよっぽど勝利に貢献してるよw インド

   ■ そんなこと言ったら英仏だって戦勝を祝えないぞ! +1 中国

■ 俺たちだって同じことをやってるように思えるけどね。
  もちろん中国にじゃなくて、アメリカの都合のいいように。
  今ある歴史は、そうあって欲しいという理想に過ぎないんだ。 +1 アメリカ


56. 大和狼[684] keWYYZhU 2017年1月20日 10:41:14 : oEpiTYazy2 : 5xR29KLQpLE[1]
なんだ色々不浄中国の弱味を暴かれ中国公安にアクセス禁止措置がとられただろう。
南京は中国人のハイエナ兵どもがあやったんだよ。蒋介石も認め
外国の目撃者もあるわ、嘘つき中国人ども。

日本軍がやったなどと嘘を言い続けてみろよ。
中国人は嘘つきだと言う事が世界に広がる事になるだけだ。
今の日本人はもうお前らに騙されるような人間はいない事に気付け!

【南京大虐殺】南京を脱出した蒋介石は書き記した。「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。
 戦争前には思いもよらなかった事態だ。敗れた時の計画を先に立てるべきだった。 撤兵時の略奪強姦など軍紀逸脱のすさまじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ。
・中国の軍隊は共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というよりルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。彼らが軍隊に入ったのは占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。司令官は、ある土地を占領すると最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。】

「この(中国軍の)元将校たちは、南京で掠奪したことと、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には犯人は日本兵だと言いふらしていたことを、アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した」(1938年1月3日NYT)
・安全区に逃げ込んだ中国将兵らはアメリカ人教授らのもとで匿われた。彼らは南京で、略奪や、少女たちの強姦などを行ない、それを日本兵がやったと、うそぶいていたのです。この教授たちとは、マイナー・ベイツ、ルイス・スマイス、ミニー・ヴォートリン、ロバート・ウィルソンらです。

Lie_of_Nanjing
【南京大虐殺】「私は(中国軍の)一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃したが、それは滑稽といってよいほどの光景であった。多くの兵士は下関へ向かって進む途中で軍服を脱いだ。中には素っ裸になって一般市民の衣服をはぎ取っている兵士もいた」(NYT 1937年12月22日付・ダーディン記者)

」南京脱出用の列車に乗り込もうとした民衆に対して、国民党軍はこれを排除すべく銃撃した。指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って一斉射撃を命じたの日本軍が危惧したように、安全区委員会が安全区の中立性を守るためにそこからの中国軍の撤退を繰り返し要求したにもかかわらず撤退しなかったばかりか、中国軍将兵の多くは市民に偽装し、武器を携行して安全区に逃げ込んだ。いわゆる「便衣兵」である。だ。

あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まった。(鳴霞) 督戦隊は「督戦」という腕章をつけ、大型けん銃を構え、約4歩間隔で横に並んで中国兵の後ろにいました。中国兵の突撃部隊を日本軍の方向へと押し出すのが彼らの任務で、後ろへ逃げ出そうとする中国兵は容赦なく撃ち殺されていました。

(第6師団45連隊第11中隊山砲砲兵指揮官・高橋義彦)唐生智南京防衛軍司令長官の逃走後、残された国民党軍は十二日夜に主に3つに分かれて敗走した。1)城外東方向、これは第十六師団が追撃・掃討。2)城外西方の揚子江方向、これは第六師団第四十五聯隊が遭遇し、ほぼ全滅させた。3)残りは軍服を脱ぎ捨て、安全区に潜伏した。
 ・大砲の弾がある限り零距離射撃を行いました。パチンコ弾のようなバラ弾を200発を1コの砲弾で打ち出します。1回に100名位の敵兵が空中に吹き飛ばされますが、敵はここ新河鎮を切り抜けないと逃げ道がないので死にもの狂いの戦闘になりました(第6師団45連隊第11中隊山砲指揮官・高橋義彦)

「民間人の死体はいたるところに見られた。その死体には私が調べたところ、背中に撃たれた傷があった。逃げるところを背後から撃たれたらしい」(ジョン・ラーベ)
 しかし、中国兵の多くは逃げる際に、軍服を脱ぎ捨てて民間人の服に着替えており、これらの死体は実際には民間人ではなく、中国兵だった。
「この中には非戦闘員も含まれていたことと思うが、武器を持って退却する敵を攻撃することは当然の軍事行動である。住民が混在しておれば被害は免れ得ない。なぜ中国軍は整斉と組織を保ち、白旗を掲げて降伏しなかったのか。」(上海派遣軍参謀・大西一) 揚子江岸にあった数千の中国兵死体について。

 「その日(14日)の夕方から夜にかけて、掃蕩洩れの敗残兵が苦し紛れに放火しだした。これにはさすがの勇士たちも東奔西走、消火にヘトヘトになった。12時すぎ、やっと一段落して寝ようとしたところへ、また情報が入った。『敗残兵が薪炭倉庫に放火、燃焼中』」(歩兵三十五聯隊中隊長・清水貞信)

 ・京都の第9連隊の野田・向井の2人の少尉に、上官がどちらが早く百人を斬ることが出来るか競争せよ、と命じたというが全くのウソです。野田少尉は大隊副官、向井少尉は大隊砲小隊長であり、両方とも部下が銃剣を持って敵陣に突入する部隊の指揮官ではありません。

「十三日に、中山門から城内に入りました。もうこの日は、難民区の近くの通りでラーメン屋が開いていて、日本兵が十銭払って、食べていました。それと、中国人の略奪が続いて、中山路で机を運んでいる中国人や、店の戸をこじ開け盗んでいる者もいました」(東京日日新聞カメラマン・佐藤振寿)

「『当方面の戦闘はこれで終わった。日本軍は捕虜に対しては乱暴は加えぬ。生命は助けてやるから、揚子江を渡って郷里に帰れ』と言った。
 ところが、『大人は揚子江を渡って帰れと言われるが、船がないではないか。船はどうしてくれるか』と申し出たので大笑いとなった」(第二大隊長・成友藤夫)

 南京城陥落後、日本軍は紅卍字会に中国側遺体の埋葬事業を委託した。埋葬記録では手数料搾取のための数字水増しを含めて4万3千体(戦死を含む)。紅卍字会の埋葬能力と作業期間から算出すると実数1万体前後と推測される。この数字には中国側の戦死を含む。30万人とは桁違い。

Follow「南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。市の陥落当時(12月12日〜13日)の人口は20万から25万であった」(南京地区における戦争被害1937年12月―1938年3月)

「日本兵の屍体は撮ってはいけないと言われていましたが、私は何でも撮りました。日本兵が残虐なことをやっている写真なんか一枚もありません。
 この中には日本兵が慰問袋を中国人にわけてやってるのがありますが、たくさんの中国人が群がっている、そんなものもあります」(東京日日新聞・佐藤振寿)

 「日本軍は人道上の誓約を守り通して、一発の砲弾も打ち込まなかったため、抗日的態度をとるものもなかった。私の永い支那生活中、今度くらい日本軍が正義の軍であることを痛感したことはありません」(昭和12年8月、上海の難民区で30万人のシナ人を保護していたフランスのジャキノー神父) 】

「ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」(東京日々新聞カメラマン・金沢善雄)】

「私の中隊、私の見た限りでは、残虐行為など一切なかったことを声を大にして申したい。光華門から北に通ずる道路、飛行場付近で、日本軍が不法な行動をしたかのように報道されているが、そのようなことはなかったと断言する」(独立軽装甲車第七中隊上等兵・渡辺末蔵)】

「掃蕩隊は残敵掃蕩を任とし、必ず将校(准尉を含む)の指揮する部隊をもって実施し、下士官以下各個の行動を絶対に禁ずる」「家屋内に侵入し掠奪に類する行動を厳に戒め、必要以外の物品を濫用廃棄してはならない」(城内進入に関する旅団命令/歩兵第六旅団)北山与・歩兵第20連隊第3機関銃中隊。


57. 2017年1月20日 16:43:27 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1151]
チンピラ右翼は ソースも示せないらしい

恥ずかしいのでしょうか


58. 大和狼[697] keWYYZhU 2017年1月22日 09:18:50 : ENgFawNsjY : mKogao5kbhw[9]
↑ ソースはこの私だ(笑)

バカサヨはこれにてオシマイ。

天安門。紅衛兵、チベット、ウイグル、法輪功、臓器売買

この辺を突きつければ中国公安が閲覧、アクセス、成り済まし南京豆はフリーズする。


59. 2017年1月22日 12:03:52 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1159]
「ソースはこの私だ」 こんな見事な開き直り、初めて見ましたわ (っ`∀´)っァヒャヒャヒャ

恐れ入り屋の鬼子母神ですな。


60. やもめーる[-741] guKC4ILfgVuC6Q 2017年4月21日 14:17:08 : 71RI3yqMTo : 7X_m0lZTd9c[9]
>>25
木卯正一(糞長州山口のエッター部落土人)
「うあー」ってなに?(笑)
反論されたからグウの音も出ないわけ?(byマツコ)
そうだね。(爆)
>>58
大和狼
狼に失礼だ!!
お前は「エセユダヤ安倍晋三のケツ舐め駄犬」に
改名しやがれ!!(笑)

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