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アパホテル炎上本「南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行は虚構」「米国はソ連に核情報提供」(Business Journal)
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/369.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 19 日 01:22:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

                    『理論 近現代史学2 本当の日本の歴史』


アパホテル炎上本「南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行は虚構」「米国はソ連に核情報提供」
http://biz-journal.jp/2017/01/post_17773.html
2017.01.18 文=深笛義也/ライター Business Journal


「アパホテル 池袋駅北口」(東京)のフロントで書籍を購入した。筆者がホテルで書籍を買うのは、初めてだ。

「客室に備えられている本で、政治に関するものを見せてください」

 そうお願いすると、従業員は緊張気味の表情で「かしこまりました」と答えて、『理論 近現代史学2【正式表記はローマ数字】 本当の日本の歴史』『誇れる祖国「日本」』『謀略に! 翻弄された近現代9【同】』の3冊を持ってきた。すべて購入する。

 15日、アパホテルの客室に南京大虐殺を否定する書籍が置いてあると中国のSNS「微博」に投稿され、インターネット上で炎上状態となったが、その書籍こそ上記『理論 近現代史学2〜』(以下、同書)だ。日本語タイトルが記された表紙からめくっていくと本文が日本語で書かれており、反対側の英語タイトル『THEORETICAL MODERN HISTORY 2』と書かれた表紙側からめくっていくと、本文が英語で読めるつくりになっている。

 アパホテルに宿泊した米国の学生が同書をホテルで購入し、彼らが問題だと指摘する箇所を画面に映しながら読み上げる動画を「微博」に投稿。2日間で7700万再生を超えた。

 同書は、アパホテルグループが発刊する情報発信マガジン「Apple Town」に掲載されたエッセイをまとめたものだ。著者は藤誠志となっているが、これは元谷外志雄アパグループ代表のペンネームであることが、元谷氏著の『誇れる祖国「日本」』に記されている。
 
 動画で問題だとされた部分(英文)の、日本語版該当箇所をみてみよう。

「将来的には、五千万から六千万人の外国人旅行者が来てもおかしくないポテンシャルがあるのだ。またインド、中国、インドネシアなど、近隣に多くの人口を持つ国があり、それらの国々の所得水準が高くなってきていることも、日本にとっては好材料だ。『棘』となっているのは、歴史問題に端を発した日中、日韓の関係のもつれだろう。しかし中国では南京で三十万人が虐殺されたとか、尖閣諸島は中国領などとこれ以上主張しても捏造であることが明からになるばかりと悟ったのか、トーンダウンしてきている」

「中国、韓国にしっかり対応していくためにも、安倍政権が長期政権となるべく、私も最大限のサポートをしていくつもりだ」

「論理的に考えればあり得ないことが、歴史として語られている。例えば南京三十万人虐殺説だ。陥落時の南京の人口は約二十万人、陥落一カ月後の人口が二十五万人というのがわかっているのに、三十万人を虐殺というのは計算が合わない。朝鮮半島で慰安婦にするために二十万人も強制連行したのであれば、それに対する抗議の記録が少なくともいくつかは残っているはずだ。しかし全く存在しない。つまり南京事件も慰安婦強制連行もなかったということだ。しかし中国も韓国も自分たちの行動を棚に上げて、これらの虚構に基づく日本への非難を繰り返す」

「しかし南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行の虚構を中・韓が主張し続けるのは自国の国益のためであり、それは国としてある意味当然の行為だ」

 自虐史観をめぐる論争の中で繰り返し語られてきた言説であり、特にオリジナリティは感じられない。

■米国、核開発の情報をソ連にリーク?

 一方で、動画で紹介されていない部分で、独自性を感じさせる記述もある。

「歴史を振り返ってみても、戦いでは兵器の数よりも質によって勝者が決まっている。先の大戦時に登場した核兵器は、戦後のアメリカ覇権の力の源だった。もしアメリカに核兵器がなかったら、ソ連が世界中を赤化してしまっていたはずだ。逆にアメリカだけが核を保有していたならば、どこかで広島、長崎に続く三発目の核兵器が使用されていたかもしれない。アメリカの核科学者たちはそう考え、核開発の情報をソ連にリークした。その結果、僅か四年でソ連は核開発に成功、核は使われることのない兵器となり、現在に至っている」

 自家撞着を起こしているともみえる。もう少し詳しく展開してほしいところだが、この後はいきなりインカ帝国を滅ぼしたスペインのピサロの話になっている。

動画では学生が、「彼には自分の本をホテルに置いたり言いたいことを言う権利はあるが、彼の政治的思想を知らない中国人客からお金を取っているのは不誠実」「彼の思想を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」と語っている。

 そして動画が投稿された「微博」は、「中国人はアパホテルに泊まるべきではない」というコメントで埋め尽くされた。

 動画が投稿された日の翌16日、深夜からアパホテルのサイトにアクセスできない状態が続いていた。だが、「トランプ大統領誕生を機会に憲法改正へ」というタイトルの、元谷代表と片山さつき自民党政調会長代理の対談が載っている「Apple Town」のサイトには、なんの支障もなくアクセスできた。

 中国人の爆買いの時期には、宿泊費が3万円までも跳ね上がるほど、アパは中国人に人気のホテルだ。この炎上がホテルの経営に影響を与えるのだろうか。
 
「アパホテル 池袋駅北口」のロビーでは、中国人旅行者が何事もなかったように談笑していたのは事実である。

(文=深笛義也/ライター)

 

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コメント
 
1. 2017年1月19日 01:55:50 : hiMJeiC8rA : E4aHfSbRQIU[107]
これ、イスラム教徒が欧米のホテルに行って
ベッドサイドにキリスト教聖書が置いてあるのを見て「金払わないぞ」と怒り狂っているのと等価じゃないですか

こういった自分の価値観を押し付ける中国人には日本に旅行に来てほしくないものです


2. 人間になりたい[251] kGyK1ILJgsiC6IK9gqI 2017年1月19日 02:57:20 : Igew9LiSCV : jX5tMsGMxX4[75]

金銭を支払ってホテルの部屋を借りるということは、顧客が特定の時間、契約の範囲で快適にプライベートスペースとして占有することができるということである。したがって顧客が嫌悪感を抱くようなものは設置しないということが道義的に求められるのではないか。日本人の私でもこんなホテルに宿泊するのは嫌悪感を感じるが、中国人にとって南京大虐殺否定本など、想像を絶する不快感を呼び起こすだけのもでしかない。もちろんそれを誰でもが分かるように告知し、それを理解した上で宿泊するのであれば顧客に対する道義的責任を問われる事はないかも知れないが。

元谷外志雄はなぜ、このような常識が理解できないのだろう。普通ホテル関係者ならば、顧客の満足やサービスを一番に配慮しそうなものだが、逆に嫌悪感や苦痛を強いるものを配備している。顧客よりも自分の自己愛の突出を優先しているのである。これは子どもの特徴である。人間は自分よりも相手の事を配慮するが、子どもは自分ファーストなのである。子どもは他者の痛みが理解できない。だから中国人の顧客の痛みよりも、ボクちゃんこんな立派な本造ったんだよ、すごいでしょーと自慢することを優先するのである。実に幼稚なバカである。

上智大学の渡部昇一が、米国外交防衛委員会のマッカーサーの「security」という言葉に目を付け、これは使えると手を打ったということだが、現場にいなかったので真実かどうかは定かではない。これを無理矢理マッカーサーが日本の戦争は自衛戦争だと言っていると主張した。マッカーサーが言っているのは日本には天然資源がないので輸入を止められると工業製品の生産が出来なくなる。それを回避するための安全保障上の理由が戦争を始める原因だったと言っているだけで、securityと言う言葉が自衛戦争という意味に当てはまるものではない。実に幼稚なバカである。

今は亡き、やしきたかじんと辛坊治郎がやっていた関西の低俗番組がある。南京大虐殺の被害者であると主張する夏淑琴は偽物であるという東中野修道という歴史修正学者が出演していた。夏淑琴さんはこれ以上の地獄はないだろうという苦しみを日本兵から受けた。この被害者を偽物だとか、ウソつきだとかいつものゾンビたちが誹謗中傷して笑い飛ばしていたのである。日本人はいまだに南京大虐殺を続行中なのである。これほど国家、民族を貶めることはない。その後訴えられ東中野修道は敗訴した。敗訴の理由は銃剣で刺されたという英文を銃剣で刺し殺されたと誤訳したという事である。実に幼稚なバカである。

この同類のゾンビがこの国には大量発生している。社会における全ての悪はイイトシこいて子どもの行動規範である自己愛から成長できず、人間になれなかったゾンビから発生する。これを許しておくと社会は崩壊し人類は滅亡することになる。ハルマゲドンは絵空事ではない。だから実に幼稚なバカである、で済ますわけにはいかないのである。
 
 


3. 2017年1月19日 03:14:11 : gseLP5DUAM : iLgzrqzI0go[47]
◆中曽根康弘元首相、アジアとの戦争は「侵略だった」

政権の歴史認識について「国際的に通用する判断で考えなければならない」と指摘。
先の大戦を「無謀な戦争」と振り返った上で「特に中国民族の感情を著しく傷つけた」と言及した。

中国や韓国との関係改善に関し「歴史問題の軋轢(あつれき)には慎重な態度で臨むべきで、過去に対する率直な反省とともに言動は厳に慎むべきだ。
民族が負った傷は、三世代百年は消えない」と警鐘を鳴らした。
同時に「互いの国の世代の代替わりで、人間関係が希薄になりつつある」として、多面的な交流が必要と訴えた。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/06/yasuhiro-nakasone-tribute-thesis_n_7953486.html


4. 2017年1月19日 03:57:15 : FVWJ5Ns9h6 : i0Ret1PxGAQ[1]
>2

>中国人にとって南京大虐殺否定本など、
 想像を絶する不快感を呼び起こすだけのもでしかない

不快感を呼び起こされているのは、

ありもしないことをでっち上げられてる日本人だ。


>マッカーサーが言っているのは日本には天然資源がないので輸入を止められると 工業製品の生産が出来なくなる。それを回避するための安全保障上の理由が戦争 を始める原因だったと言っているだけ

それを自衛戦争というんだよ。



5. 中川隆[6148] koaQ7Jey 2017年1月19日 07:29:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6594]

こういうのを部屋に置いとけば良かったんだよ:


日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口

 1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。

1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、

鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、

あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。

http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html

日中戦争証言 劉寨子 王さん(64歳)さんの話


 1972年の日中友好国交回復に対して、この地域の人はみんな反対しました。

私たちは、つらい経験したのに、どうして今更友好などという言葉を言い出して関係を回復するのか。

政府は何回も説得して、

「当時は軍国主義のやったことで、日本人民、日本国民たちとは友好関係を持っていかなくてはだめだ。戦争は、普通の人民の責任ではない。」

と教えられた。

しかし、今も気持ちとしては、今になってもやはり「日本」という二文字を聞いたら「憎む」という気持ちが湧いてきます。

私の考え方では、このような歴史はいつまでも次世代、どんな世代になっても忘れてはいけないことです。私はわりと若いですから、当時の詳しい話は次の夏さんに教えていただきたいです。
http://www.jade.dti.ne.jp/kaworu/syogen/ryujya.html#ou78


6. 2017年1月19日 07:34:16 : 35EuUW7jDw : yWf3pgdtr88[30]
アパホテルの冊子 の中身 南京大逆殺捏造(中国のん捏造がある)はそのとおであろ

う。 戦争だからゼロとはいわなうが、ありえない30万人殺害という数字を捏造して

反日宣伝する、中国共産党のクセである。

捏造お得意、得意芸、常套手段が共産中国である、

(実例)国内でも新幹線事故の車両を事故直後に重機で埋めるて、証拠隠滅を図る

    日本ではありえない、アンビリ−バ−ボ−だよ。

    中国の経済統計は全然あてにならない、鉛筆なめて都合のいい数字を並べ

    る、アリエナ−

    このように、自分の都合で捏造、デッチアゲがあたりまえなのが共産中国


 アパホテルの商売のやりかたは別としうて、本の中身はウソでない事実をかいて

 いる 、事実を指摘されるのが気に食わないのだろ。


7. 中川隆[6150] koaQ7Jey 2017年1月19日 07:44:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6596]
>ありえない30万人殺害という数字を捏造して


おまい何も知らないでデマ拡散してるだろ

南京大虐殺直後に行われた欧米人の現地調査の結果が30万人殺害なんだよ。

事件直後は日本の外務省も大騒ぎになってたんだよ
広田弘毅は昭和天皇に掛け合って虐殺中止を嘆願したけど拒否されたんだ :


30万人殺害は長江デルタ 南京大虐殺で英記者電報

【ロンドン21日共同】1937年12月中旬に始まった旧日本軍による南京大虐殺から65年。当時、「長江(揚子江)デルタで市民30万人以上が虐殺された」と上海から打電しようとし、日本人検閲官に差し止められた英紙記者の電報記事コピーを21日までに共同通信が入手した。

犠牲者数について、中国側の公式見解は南京だけで30万人とするが、日本では数千人−20万人など諸説ある。

電報では、犠牲者「30万人以上」は、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字として記されていることが確認された。

電報は38年1月16日付。書いたのは英マンチェスター・ガーディアン(現ガーディアン)紙の中国特派員ハロルド・ティンパリー記者(54年死去)。 電報のコピーは、英中部マンチェスター大学のジョン・ライランズ図書館書庫に保管されていた。

2002/12/21 09:31 【共同通信】

南京大学歴史学部博士課程指導教官で、南京大虐殺研究所副所長の張生教授を取材した際、昨年、米国立公文書館で南京大虐殺に関する資料を収集していたときに、極めて価値のある最高機密文書を発見したことを話してくれた。
日本の広田弘毅首相が1938年1月17日、東京から米国の日本大使館に発信した機密電報だ。米国はそれを解読していた。 (実際には広田自身ではなく、『マンチェスター・ガーディアン』の記者ティンパリーが書いたニュース)

電文の内容は

「数日前、上海に戻り、日本軍の南京とその他の一部地方での残虐行為に関する報道について調べた。信頼できる目撃者が直接数えた、また信頼度の極めて高い一部の人の書簡にもとづけば、それは十分に証明できるであろう。
少なくとも30万の中国平民が殺戮に遭い、その多くは極めて残虐で血なまぐさい虐殺だった」

というものだ。張生教授は

「これまでに収集した資料のなかでは、最も早く南京の30万人市民の殺戮に言及しており、証拠となるものです」

と指摘。さらに「米国や欧州などでも、第三者による史料の発見が相次いでいます。個人的な判断や細部の描写はやや異なるものの、南京大虐殺が一つの歴史事実であることは広く認められているのです」と強調した。
「北京週報日本語版」より2007年12月15日


ベイツは日本大使館に南京の惨状の報告を毎日のようにしており、その報告は日本外務省に届けられていた。
この報告を読んだ、広田弘毅の直属の部下、石射猪太郎は『外交官の一生』に

「南京は暮れの一三日に陥落した。
わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。
南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である」


と書いた。広田弘毅も同様の認識であったと見るほかない。

事実、アメリカ駐日大使ジョセフ・グルーは、外務大臣広田弘毅とベイツの報告について話し合っていた。その会見の様子はグルー自身がさらに南京のアメリカ大使館に電報で知らせ、ベイツもそれらの電報を直々に読んで確認していたのである。
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/%B3%B0%CC%B3%BE%CA%A4%AC%C3%CE%A4%C3%A4%C6%A4%A4%A4%BF%A4%C8%A4%A4%A4%A6%A4%CE%A4%CF%B1%B3


当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。

嗚呼、之が皇軍か」

と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332〜P333 (1998年)

http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-496.html


8. 2017年1月19日 07:52:58 : 35EuUW7jDw : yWf3pgdtr88[31]
アパホテルから話それるが

「共産中国の毛沢東の話し、核戦争やるかくごできてる、自国民が1000万や

 2000万人死んでも、人口が多いのでだいじょうぶ」

 これが中国指導者の現在の考え方、知っておくべき。


かつて支那共産党の指導者、毛沢東はフランス大統領ポンピドーとの会談の際に下記のような発言をした。


ポンピドー「ソ連からICBMを大量に輸入しているようだがアメリカと戦争する気ですか?」
毛沢東「戦争になったら私たちは水爆の使用も辞さない」
ポンピドー「そんなことしたら中国人もたくさん死にますよ」
毛沢東「人口が多いので二〜三千万人ぐらい死んでも構わない」

笑い話ではなく本当の話である。何しろ彼は大躍進と文化大革命で自国民を7000万人も殺しているのである。
核戦争で数千万人死んでも痛くも痒くもないはずだ。そして現代では人民解放軍の高官が同様の趣旨の発言をしている。


9. 2017年1月19日 07:58:01 : 75YVg3T2Nw : sh6VneES8FY[73]

 
           アパホテルの 前に


 >こういった自分の価値観を押し付ける中国人には日本に旅行に来てほしくないものです

         張り出して貰いたいです
 
  
 


10. 2017年1月19日 08:04:45 : 35EuUW7jDw : yWf3pgdtr88[32]
文化のちがいを指摘する意見もある

日本は基本正直  中国はウソつく 皆がやってるあたりまえ

文化が相当ちがうのはあるだろ。

「日本人の常識からいえば、「相当うそつき」です。しかも平気でうそをいいま

 す。でも多分、中国では日常茶飯事なのでは?

 文化のちがいですよ。許せる範囲がちがうのでしょうね〜」


11. 2017年1月19日 08:13:20 : vTYEtTd4cc : iFsRUROyKqQ[355]
憲法で表現の自由されているんだからこんなトンデモ本でも出版の自由は阻害してはいけない。

12. 中川隆[6151] koaQ7Jey 2017年1月19日 08:21:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6597]
チャンネル桜、文春・産経の関係者は中国人より更に嘘付きだけどね

既に世界の歴史学会で定説となっているものを証拠ゼロで否定できる訳ないだろ


13. 2017年1月19日 08:43:30 : 35EuUW7jDw : yWf3pgdtr88[33]
「肯定派がよく使う逃げ口上に 『学会において「肯定説」が定説』 というのがありま
 すが、この点についてどこの学会でどのような具体像が「定説」になっているので
 しょうか?
いったいどんな歴史家がどんな根拠をもって「定説」になっているのでしょうか?」


 歴史家の定説て、具体的にしめされていない、すなわち 定説ではない

 諸説入り乱れている。

 


14. 中川隆[6153] koaQ7Jey 2017年1月19日 08:53:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6599]
>>13
欧米の教科書に定説が書かれてるんだよ

慰安婦の場合なら


アメリカ合衆国の歴史教科書『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、

最大で30万人もの14-20歳の女性たちを
強制的に徴集して性行為を強要したとしている。

さらに、「日本軍は慰安婦たちを天皇の贈り物と言いながら兵士などに提供した。
慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。

逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている。

この歴史教科書は2003年より数千校で100万人以上の学生に使用されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6


15. 2017年1月19日 09:39:26 : 9FNft6ZNWk : o2I5T0JzFU4[4]
おもてなし とか笑わせる
人が不快になるものを置いて抗議すると
俺の自由だ 嫌なら来るな
それがおもてなしの心かよ

16. 2017年1月19日 09:46:57 : NNkZeoQLEQ : DGBt5ELReuQ[18]
30万人が多いからそれがなかったことにはならない。南京は古くからある城塞都市であり国民党政権の首都でもあり旧市街地から郊外にまで人が住むエリアは広がっていた。

ところで大阪の人口は何人かね。大阪府なら800万近いが大阪市は250万程度だな。こんな単純なことも無視して30万人が間違っているとかいうのはアホーの証に過ぎない。同じく捏造写真があるからその事件はなかった。ここまでアホーな理屈もない。捏造写真ばど簡単に作れる。そんな写真がいくつかあったからとて事件全体を否定する根拠にはならない。

そんなこともわからない低脳日本人が多くなっているのだろうか。それこそ恐怖を覚える。コメント者 1,4,6がそれに該当する。


17. 大和狼[670] keWYYZhU 2017年1月19日 09:59:34 : QHFPw0rprU : Dan1S0s9XFc[1]
中国人は歴史の真実を知るべきだな。

南京あった狂信カルトじゃあ話にならない。
洗脳された脳は揺さぶってあげるのがおもてなしだし、世界の平和にる事になる。
日本軍の南京虐殺は無かった。

日本軍が南京に入場したときの城内外の死体は戦闘によるもの以外は敵前逃亡兵を射殺するちゅ中国督戦隊によるものと逃亡する国民軍の列車に押し寄せる南京市民を国民軍が機関銃を乱射して殺したものだ。

いずれにしても今の日本人の知ったことか。
勝手にほざいてろ。?


18. 2017年1月19日 10:24:36 : 9FNft6ZNWk : o2I5T0JzFU4[5]
真相の道がなにかほざいております

19. 大和狼[673] keWYYZhU 2017年1月19日 11:02:57 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[61]
↑ 中国人がいくらほざいても無駄だ。

人食い嘘つき誇大妄想狂信カルトファシスト中国共産党。

鷲は真相の道とは別人だ。

中国共産党工作員さんよ。

日本はなんぼやっても共産化する心配はないんよ。

なんせ朝鮮安倍統一協会は強烈な反共産組織だからな。

その割に中国共産党工作員は野放しだな。

少しは日本の公安が取り締まったらどうだ。シナがウヨウヨしてるぞ。?


20. 2017年1月19日 12:52:28 : HwfRfU7eno : gs796rU0w2s[4]
だけどなー、皇軍とか言って言葉の冠に「皇」の字がつくだけで神聖であったり無謬であったりするなんてのが信じられん訳よ。

一般国民が徴兵で集められて皇軍となって、その同じ国民が戦後になると労働組合をつくり社会運動をおこしたりする。

同じ人間が無謬であって同時に不逞の輩であると何の疑問がなく信じられるのが不思議なんだよ。


21. 大和狼[678] keWYYZhU 2017年1月19日 13:53:15 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[66]
神聖大日本帝国の皇軍は清く正しい戦闘行為しかしなかったのよ。

無駄な殺生はしない、これが佛教徒で武士道の皇軍兵士の規律で誇りな。

中国兵にそんな心がけがあったか?

大体勝手な殺戮は軍律の厳しい日本軍では死刑だな。


南京はもぬけの空だった。
優しい日本兵は置き去りにされた中国人の子供にミルクを飲ませていた。

台湾の女の子が当時の新聞写真を台湾の図書館で発掘した。

http://brief-comment.com/blog/china/46860/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-46860

プロパガンダにしてはおもしろ過ぎる。


22. 2017年1月19日 14:13:18 : drEFQ6xBiE : t0A@iaazPmM[5]
神聖な大和国?

安倍の様なバカが好き放題やってる国のどこが清廉だってんだ?

このクソホテルと同じ理屈だよ。中国人で無くてもこんなクソ宿にはびた一文払う必要は無い。


23. 2017年1月19日 14:39:56 : MJydIZVWK6 : FjThDfJWcHg[9]
神聖って幸福の科学は愉快だな
教祖はイタコだけじゃなくサイコメトリ―も出きるようだ

24. 2017年1月19日 14:58:59 : esmsVHFkrM : Z3UQbl@PdwA[585]

ネトウヨが湧いて出て、論拠もなしに大嘘ばかりついているので、南京虐殺が確かに存在した証拠として日本側文書で実証される南京虐殺の事実を以下に述べよう。

旧陸軍士官の親睦団体である偕行社の親睦雑誌「階行」紙上に、1984年4月から1985年2月まで連載された畝本正巳編「証言による南京戦史」は、階行社会員の証言資料提供による南京虐殺の否定を目的として始められながら皮肉にも結局その存在を確認することとなったことで有名だ。その経緯はこうだ。

畝本正巳は陸士第46期、戦後防衛大学校教授で、「東京裁判という報復的政治的裁判を発端として、一部日本人の告発記・研究発表により『二十万〜三十万虐殺』『野蛮・非人間的な日本軍の蛮行』という誤った南京大虐殺説が定着しつつある」現状に危機感を持ってこの「証言による南京戦史」連載を開始、南京攻略戦に参加した将校からの証言を募集した(『階行」1983年11月号)。ところが、始まってみるとそのような意図とは反対に「虐殺をやった」「見た」という証言や記録が多々出てきてしまい、連載終了後の編集部加登川幸太郎執筆責任による「その総括的考察」においては、南京虐殺の存在を認めざるを得なくなった。

加登川の「その総括的考察」は、中支方面軍司令部の下克上的な指導も含めて、捕虜の処理の適正を欠いた根本の責任は軍上層部にあるが、しかし、前線部隊にも軍紀・風紀の乱れがあり、椋奪・暴行などの不法行為が多発したとの事実を認め、その傍証として、それらの非行を戒るために出された異例な陸軍参謀総長閑院宮載仁親王の軍紀・風紀引き締めの訓示と、それをうけて中支方面軍参謀長塚田少将からだされた「軍紀風紀に関する件」と題した依命通牒(以下に詳説)を紹介した。また、「南京事件はその当時、すでに軍によって大きな問題として扱われていたようである」と指摘して、その傍証として、西義章中佐、本間雅晴参謀本部第二部長を南京に現地調査に派遣してその事実を確認した上で上記参謀総長訓示を出したこと(以下に詳説)を挙げている。さらに「長嘆息のほかはない」として「こうした事情は当時は、もちろん、世人の目にも耳にも伏せられていた。それを今日、この戦史の結びとすることにはまことに残念であるが、すでに公にされた資料に基づく真実であって如何ともしがたい」と述べている。(『階行」1985年3月号)

この経緯をうけて、階行社の南京戦史編集委員会からは、『南京戦史』(階行社1989年)、『南京戦史資料集』(階行社1989年)、『南京戦史資料集II』が出ている。『南京戦史資料集』と『南京戦史資料集II』には『南京戦史」を執筆するために収集した資料およびその後収集された資料(防衛庁(当時)防衛研究所に所蔵されていたものを中心に)が収録されている。すなわち、松井石根中支方面軍司令官以下、参謀、師団長さらに下士官、兵にいたるまでの陣中日誌や、軍中央、中支方面軍、上海派遣軍、第10軍の作戦命令や、軍、師団、各部隊の通牒、訓示、作戦経過概要、戦時旬報、戦闘詳報、陣中日記など、戦争終結直後の政府と軍による組織的文書焼却隠滅を免れた多くの記録文書である。

南京戦に関連して、日本軍の公式記録と司令官・参謀・師団長クラスの日記がこれほどまとまって資料集に収録されたのは画期的で、これによって、南京事件を上海から南京への進撃と攻略そして占領といった具体的な歴史展開に即して分析することが可能となった。各部隊の戦闘詳報、陣中日誌、指揮官の陣中日記には、各部隊が処断・処分(即ち殺害)した捕虜や投降兵、敗残兵の数が記録されていて殺害者数を推定する基本資料となっている。ただし、これらは南京戦参加全部隊の約三分の一の分に過ぎず、残りの三分の二は戦争終結時に焼却隠滅されて依然行方不明だ。

それでは、その偕行社南京戦史編集委員会によって資料集に採集された「生き残った」一次資料をも踏まえて、南京虐殺の事実を見て行こう。

南京虐殺については、発生直後から報告され、政府、軍部の上層部はそれを認識していた。具体的には発生と同時に南京の日本領事館から外務省に報告が送られ、それらは陸軍省、海軍省へ送付されている。

当時外務省東亜局長であった石射猪太郎は、戦後1947年東京裁判において、弁護側証人(弁護側に注目)として以下の証言をしている。

「(1937年)12月13日頃、わが軍が南京に入場する、そのあとをおってわが南京総領事代理(福井敦氏)も上海から南京に復帰した。同総領事代理から本省への最初の現地報告はわが軍のアトロシテーズ(残虐行為)に関するものであった。この電信報告は遅滞なく東亜局から陸軍省軍務局長宛に送付された。当時、外務大臣はこの報告に驚きかつ心配して、私に対し早く何とかせねばならぬとお話があったので、私は電信写はすでに陸軍省に送付されていること、陸海外三省事務当局連絡会議の席上、私から軍当局に警告すべきことを大臣にお答えした。
その直後、連絡会議が私の事務室で行われ(中略)、その席上、私は陸軍軍務局第一課長にたいし右アトロシテーズ問題を提起し、いやしくも聖戦と称し皇軍と称する戦争においてこれは余りにもヒドイ、早速厳重処置することを切実に申し入れた。同課長もまったく同感で、右申し入れを受け入れた。
その後いくばくもなくして在南京総領事代理から書面報告が本性へ到着した。それは南京在住の第三国人で組織された国際安全委員会が作成した我軍アトロシテーズの詳報であって、英文でタイプされてあり、それをわが南京総領事館で受付け、本性に輸送してきたものである。私は逐一これに目を通し、その概要を直ちに大臣に報告した。そして大臣の意を受けて、私は次の連絡会議の席上、陸軍軍務局第一課長にその報告を提示し、重ねて厳重措置方要望したが、軍はもはやすでに現地軍に云ってやったとの話であった」。(桐富雄『日中戦争 南京大虐殺事件資料集 第1巻』青木書店 1985年)

このうち、「軍はもはやすでに現地軍に云ってやった」ことの中には、参謀総長閑院宮載仁親王から中支那方面軍に1938年1月4日付けで下達された訓示を、中支那方面軍参謀長塚田攻少将から各部隊に向けて下達した「軍紀風紀に関する通牒」があり、それは以下の通りである。

「軍紀風紀において忌まわしき事態の発生近時ようやく繁を見、これを信ぜざらんと欲するもなお疑わざるべからざるものあり、惟うに一人の失態は全隊の真価を左右し一隊の過誤もついに全軍の聖業を傷つくるに至らん。(中略)軍紀を厳正にし戦友相戒めてよく越軌粗暴を防ぎ、各人みずから矯めて全軍放縦を戒むべし」。(『続・現代史資料(6)軍事警察』)

さらに陸軍上層部の南京虐殺認識について傍証を続ければ、

当時陸軍軍事課長であった田中新一大佐は、詳細な『支那事変記録』を記していて、その中で、1938年1月12日の陸軍省局長会報において、中国戦線から帰国した陸軍省人事局長阿南惟幾少将が中支那方面軍の軍紀について次のように報告したと述べている。

「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず、現に厳重に取り締まりに努力しあるも部下の掌握不十分、未教育補充兵等に問題なお絶えず」。(『支那事変記録 其の四』防衛研究所図書館蔵)

また、当時陸軍省兵務局防諜班長であった宇都宮直賢少佐はその回想録において、陸軍中央の南京虐殺対応について以下の通り記している。

「南京の暴行残虐事件についても私は帰京後に聞いた。(中略)私は参謀本部の本間(雅晴)第二部長、渡(左近)支那課長、米(アメリカ)班の西(義章)班長以下に会ってこれらの事件の対策について諮問におよばずながら応えいろいろ進言した。
米班長で大本営参謀の西中佐(31期陸代同期)が実地調査のため直ちに南京へ急行することとなり、広田大佐と協同して事件の究明と解決に努力した。次いで杉山陸相の要請で、本間第二部長も急遽南京に向かい事情調査を実施することとなった。
南京の暴行虐殺事件のニュースについては、日本側はこれを発表することを禁止したが、全世界に知れわたって轟々たる非難の的となったことはまことに遺憾千万だった」。(『黄河・揚子江・珠江 − 中国勤務の思い出』 非売品 1980年)

ここにある本間雅晴参謀本部第二部長の調査結果を受けて、陸軍中央は松井石根中支那方面軍司令官の不作為による南京虐殺発生を確認、松井を処分する方針となったが、それはあくまでも内部処分の形(直接その責任を問わない)をとり、1938年2月14日松井を中支那方面軍司令官から解任して日本に召還した。

このようなことなかれ主義的処分には陸軍中央内部にも不満が残り、田中隆吉は1939年に1月に兵務局兵務課長となって以後憲兵隊の調査報告書の提供も受けて、松井石根ら中支那方面軍幹部を軍法会議にかけて裁くように提案したが、参謀総長らに拒否されたという。(『東京裁判資料 田中隆吉尋問調書』大月書店 1994年)

一方松井も、南京虐殺が国際的な非難をあびて自分の更迭につながるであろうことは認識していたと見えて、1938年2月7日に行われた慰霊祭(1973年12月18日の第一回とは別の2回目)において、全部隊長を集めて行った訓示でみずからの悲憤の心中を吐露している。それを目撃した上海派遣軍参謀課長飯沼守少将はその日記に以下の通り松井の言葉を記している。

「南京入場の時は誇らしき気持ちにて、その翌日の慰霊祭(1973年12月18日の第一回)またその気分なりしも、本日は悲しみの気持ちのみなり。それはこの50日間に幾多の忌まわしき事件を起こし、戦没将士の樹てたる功を半減するにいたりたればなり、何をもってこの英霊に見えんや」。(「飯沼守日記」『南京戦史資料集』偕行社 1989年)

さらに、この南京虐殺は南京に総司令部を置いた中支那派遣軍幹部の間では歴代一大不祥事として語り伝えられていたようで、昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁はその自叙伝において次のように述べている。

「1943年1月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして1年間在勤しました。その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました」。(『古代オリエント史と私』学生社 1984年)

以上、南京虐殺発生直後から政府、陸軍中央には報告が行われ、その存在は認識され、その抑制が指示され、将官を派遣した現地調査が行われ、それに基づいて松井石根中支那方面軍司令官の更迭が行われ、松井自身はそれを悔い、南京虐殺自体がその後の中支那派遣軍幹部の間で語り継がれたことが事実として確認される。

当時の日本政府および陸軍中央が「ある」ものとして調査、認識、対処、処分を行っていたものを、今になって「なかった」と強弁するのは、いったいいかなる精神によるものであろうか。歴史的事実を正しく客観的に認識できない知的障害があるのであろうか。自己の主張に都合の悪い事実は知らない、無視する、という道義的退廃があるのであろうか。

右翼保守のデマ本を読んで南京虐殺はなかったと信じ込まされてきたネトウヨは今からでも遅くはない。右翼保守のデマゴークが都合が悪くてその本に決して書かない事実を知ってもらいたい。世界はそれを知っているから、一部日本人の「南京虐殺はなかった」との主張に対して冷笑と軽蔑を返しているのだ。

ここまで書いて、どうせ「そのような不祥事が一部にあったとしても、その犠牲者数はわずかで虐殺と呼ぶには値しない」との右翼保守デマゴークの受け売りが出てくるだろうから、犠牲者数についても検討しておこう。

そもそも犠牲者数の算出は非常に困難だ。すでに発生から70年以上経過していること、日中戦争と国共内戦その後の毛沢東政権下の混乱により中国側の調査と記録が十分でないこと、日本政府および軍が戦争終結時に組織的かつ徹底的に公文書を焼却して証拠隠滅を行ったこと等によりすべては残された一次資料、証言等からの推測に止まる。

そんな中で、まず南京虐殺はなかったとの主張を行うものの内唯一歴史学者と呼べる秦郁彦の主張をみよう。秦は、その主著『南京事件 − 虐殺の構造』(中公新書 1986年)において、南京虐殺の犠牲者数を3万8千から4万2千人と推計し、これは「あくまで中間的な数字に過ぎない」、「新資料の出現で動くこともある」としている。

秦の計算は、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた戦時国際法には従わず、戦意を完全に失って逃げ回っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長として見られる要素もある」として虐殺とみなさず、また生存と逃走のため軍服を脱ぎ捨てて民間人の服装をした「敗残兵」がいるはずで、これらは「便衣兵」とみなせるとして、そのような「敗残兵」およびそのような「便衣兵」の容疑をかけられて殺された民間人をすべて虐殺から除くなどの操作を行って算出した数字で、とても妥当な計算であるとは言えないことは明らかだが、しかし、その秦をしてさえも、3万8千から4万2千人という不法殺害の犠牲者数を認めている。これだけでも立派な「南京大虐殺」だ。

それに対して、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた戦時国際法に正しく従って算定した推定として、笠原十九司の研究がある。笠原は「南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される」と結論づけているが、以下にその笠原十九司の推定を引用する。

「 現在公刊されている日本軍側の資料から、南京攻略戦に参加した各師団がどのくらい中国兵および中国兵とみなされた民間人を、捕虜・投降兵・敗残兵・「便衣兵」として殺戮・処刑したかの累計をこころみたのが表1である。第九師団・第一一四師団・第六師団の各部隊の戦闘詳報や戦中日記の公開がとくに遅れているが、もしも日本軍側の全連隊の戦闘詳報がそろえば、捕虜、敗残兵の被虐殺数(ここには民間人の男子も含まれている)の総数がかなりあきらかになることがわかるだろう。

 もっとも、戦闘詳報の記録はいっぱんに戦果を多く報告する傾向があるから、この数字はあくまで概数として扱うほかはない。それでも、( )をつけなかった虐殺者数は八万人以上となろう。可能性のあった捕虜のほぼ全員殺害を想定すれば、一○万人以上となる。

 わたしは、総数一五万人の防衛軍のうち、約四万人が南京を脱出して再集結し、約二万人が戦闘中に死傷、約一万人が撤退中に逃亡ないし行方不明となり、残り八万余人が捕虜・投降兵・敗残兵の状態で虐殺されたと推定する(「南京防衛戦と中国軍」)。

[概数の資料]中国兵の犠牲者数については、日本と中国の資料から概数は推定できたが、きわめて困難なのが民間人の犠牲者数の推定である。総数を推定する参考になる当時の三つの資料を紹介する。

(1)ラーベの「ヒトラーへの上申書」
「中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています」(ラーベ『南京の真実』)。三八年二月二三日にラーベが南京を離れた段階での推定数である。南京城内にいたラーベら外国人には、城外・郊外の広い地域でおこなわれた集団虐殺の多くをまだ知っていない。それでも、難民区国際委員たちが当時の情報を総合して推測した数として参考になろう。

(2)埋葬諸団体の埋葬記録(『中国関係資料編』の第V編「遺体埋葬記録」に収録)
南京の埋葬諸団体が埋葬した遺体記録の合計は一八万八六七四体になる。これは戦死した中国兵の遺体も含まれているし、遺体の埋めなおしなど埋葬作業のダブリの問題もある。しかし、長江に流された死体の数が膨大であったことを考えると、南京攻略戦によってこうむった中国軍民の犠牲の大きさを判断する資料となる。

(3)スマイスの「南京地区における戦争被害 ― 一九三七年十二月〜一九三八年三月 ―都市および「農村調査」
同調査では、市部(南京城区)では民間人の殺害三二五〇人、拉致されて殺害された可能性の大きい四二〇〇人を算出、さらに城内と城壁周辺の入念な埋葬資料調査から一万二〇〇〇人の民間人が殺害されたとしている。近郊区では四県半の県城をのぞいた農村における被害者数は二万六八七〇人と算出している。この調査は、三八年三月段階で自分の家にもどった家族を市部で五〇軒に一軒、農村で一〇軒に一軒の割合でサンプリング調査したものであるから、犠牲の大きかった全滅家族や離散家族は抜けている。それでも、同調査は当時おこなわれた唯一の被害調査であり、犠牲者はまちがいなくこれ以上であったこと、および民間人の犠牲は城区よりも近郊農村の方が多かったという判断材料になる。

 以上の犠牲者数についての資料状況と本書で叙述してきた南京事件の全体状況とを総合すれば、南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう」。(岩波新書「南京事件」1997年)」

というわけで、右翼保守が大好きな秦の、捕虜の殺戮、投降兵の殺戮、敗残兵の殺戮(いわゆる便衣兵問題)について当時日本政府が署名批准していた当時日本政府が署名批准していた戦時国際法に従わない操作を行って算出した数字でさえ「3万8千から4万2千人」、戦時国際法に正しく従って算定した笠原の推定では、「十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上」ということになる。

これは、どう見ても、どうひっくり返しても、議論の余地なく「大虐殺」だ。

以上見た日本の学者による推定は、現在中国政府が主張する30万人には達しないが、その中国政府の30万人という数字は、日本人の一部の「南京虐殺はなかった」との主張に対して対抗上出てきたものであることについては特に注意を喚起しておきたい。

即ち、ほとぼりが冷めてからの「犯人側」の「やってない」との主張に対して「被害者側」が当然怒って被害程度について防御的に多めに主張するようになっているということで、そうであるからこそ、中国を相手にしてもまた国際世論を前にしても、すでに「犯人側」から主張する数字はなんであれ(秦のような過小評価操作を行わない笠原の推定でさえ)まったく説得力を持たなくなってしまったということだ。このような事態に立ち至ったのは、右翼保守の無責任なデマゴークとそれに追従する一部の知力に劣り道義に欠け勇気と誠実さをもたない日本人のおろかな企てによるものだということは、まともな日本人として怒りをもって覚えておきたい。

さらに、念のために指摘しておけば(馬鹿馬鹿しくてうんざりするが)、このスレにも散見される「南京虐殺」は30万人だとしたうえで、犠牲者数30万人が証明できなければ「南京虐殺」そのものがなかったとする主張は無意味だ。これは右翼保守デマゴークの南京虐殺否定論でよく使われるトリックだが、これがナンセンスなことは普通の大人なら自明のことだ。犠牲者数30万人が証明できなければ、犠牲者数が30万人でないということだけで、そもそも「南京虐殺はなかった」ことにはまったくならない。

以上、長々と述べたが、これを読む人には「南京大虐殺はなかった」という主張がどれほど荒唐無稽なものであるか事実に基づいてよくお分かりいただけるものと思う。

誇りあるまともな日本人は「南京大虐殺はなかった」などという戦前の亡霊の復活を許してはならない。ほとぼりが冷めたからなかったことにしようなどという卑怯で女々しいまねを許してはならない。さもなければ、日本人は世界に特にアジアに友人を失ってしまう。

あったものを、今頃になってほとぼりが冷めたからと「なかった」と主張するような卑怯で姑息な日本の右翼には猛省を求めたい。

右翼保守は恥を知れ。


25. 大和狼[680] keWYYZhU 2017年1月19日 16:00:09 : tmUdaCHHuA : blgR0k5DmEo[69]
中国共産人肉食臓器売買盗人は恥を知れ

資料はいくらでもある中国人よ。読めるか?

9. 2015年2月11日 22:33:51 : pnvnIjPS6g
南京のウソ
【京大虐殺】「いわゆる“南京大虐殺”というのは、主として住民婦女子を虐殺したものだ。ところが住民婦女子は(全部)「難民区」内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。そして私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの中にあって、取材活動をしていた」(特派員・前田雄二】
中国共産党政府が「南京大虐殺」を持ち出すのは、米国議会調査局も分析しているように「狙いは援助や譲歩を引き出すこと」にあり、また冷戦終焉後の東アジアの覇権を確保するために、その障害となる日米同盟にくさびを打ち込む手段とする意図がある。
大虐殺】欧米メディアの記者たちが南京陥落2日後の12月15日に南京を出立する際に、ベイツは日本軍の悪逆非道を記述したレポートを記者たちに渡した。記者たちは実際にはそのような場面は目撃していないが、このベイツレポートを機に欧米メディアは虐殺報道をするようになっていく。
【南京大虐殺】「戦争とは何か=中国における日本軍の暴虐」を著したマンチェスター・ガーディアン記者ティンパーリーは中国国民党中央宣伝部の顧問に雇われ、抗日宣伝のためにこの本を書いた。証拠に、中国国民党中央宣伝部国際宣伝部長曾虚白の「自伝」に「カネを渡して書いてもらった」とある。年12月8日の朝日新聞
国民党の戦略について、米国のジャーナリストで、中国国民党宣伝部の顧問であったセオドア・ホワイトは、こう書いています。「米国の新聞雑誌にウソをつくこと、だますこと……米国を説得するためなら、どんなことでもしてよい、(という政策が)中国政府唯一の戦略になっていた」(『歴史の探究』)
【京大虐殺】南京城のように城壁で囲まれた城塞都市は古代から中国では一般的。王朝交代期にこの城塞都市を攻め滅ぼし、兵や市民を皆殺しにするのも中国では一般的。これを「屠城」と言う。用語があるくらいよく知られたこと。1948年に毛沢東は長春包囲戦で市民33万人を餓死させている。】上海外人有力筋に達した情報によれば七日正午頃蒋介石は宋美齢と共に飛行機にて南京を脱出したと、もしこれが事実とすれば彼が最後の一戦を行ふべしとの期待は完全に裏切られた訳である。」蒋介石脱出後の南京は大混乱に陥った。】
【南京大虐殺】南京からの撤退を決めた国民党軍は列車に軍用荷物と食料を積み込んだ。その時、民衆も脱出のため列車に乗り込もうとした。日本軍の進軍が迫る中、国民党軍指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。(鳴霞)
【南京大虐殺】「最後の(陥落前の)数日間は疑なく彼ら(中国兵)により人および財産に対する暴行・掠奪が行われたるなり。支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じ、その中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行いしなるべし」(米国南京副領事・エスピー)
2015年2月05日 - 2:26pm
「南京大虐殺】投降勧告を拒否した南京防衛軍の司令官唐生智は「本軍は複廊陣地において、南京固守最後の戦闘に突入した。各部隊は陣地と存亡をともにする決心で死守せよ」と下命し、憲兵と警察に対しては「隊伍を離脱した兵隊が制止をきかないで渡江しようとした場合には武力で阻止せよ」と命じた。
「日曜日(12月12日)の正午(中略)、侵略軍(日本側第6師団三明部隊)が西門(水西門)付近から城壁をよじのぼると、中国軍の崩壊が始まった。第八八師の新兵がまず逃走し、たちまち他の者がそれに続いた」(NYT記者・ダーディン)このとき挹江門でパニック状態になり、多数の中国兵が死傷。3日))生智が逃げた事を知った中国兵は我も我もと下関の港へ殺到、城門に殺到する兵のため前の者が踏み潰され圧死と同士討ちで大量の死者が出た。やっとの事で外に出たら船がない。小舟の奪い合いで同士討ちになった。この時の争乱で火災を起こし黒こげの死体の山となった。中国側にある記録。

京大虐殺】「南京の守備兵は、11日夕から挹江門を経て揚子江岸に向かい続々退却を開始したようだが、13日午後になると、下流方面より山田支隊、上流より第六師団の一部が進出してきて、退却する敵を挟撃した。」(上海派遣軍参謀・大西一)揚子江岸には数千の中国兵の遺体があった。南京大虐殺】南京に残った中国軍(国民党軍)の戦力は、戦史分析から大目に見積もって約8万〜9万(雑兵含む) だった。約4〜5万は南京から逃亡・脱出し、南京が陥落した12月13日で南京に残っていたのは戦死者も含めて約4万と推測。うち1万は捕虜として日本軍に保護され、約3万が戦死。
13日)城の内側から城門が開けられ、私たち観測班は正午頃入城しましたが、街は深閑として静寂そのものでした。相当、街の奥の方まで行ったが、脱いだ服や略奪品が散らばっているだけでした」(野戦重砲兵第十聯隊観測係・樫木義雄伍長)

【南京大虐殺】南京大虐殺があったか、無かったか、ちょっとはあったか、のような議論は不毛。まず先に、南京市民の犠牲者の確定が必要。だが、『南京安全地帯の記録』では、犠牲者の氏名が記録されている殺人事件は7件(犠牲者数8人)しかない。氏名不詳を含めても26件(犠牲者数53人)だけ
南京大虐殺】「《領収書》貯蔵肉十箱、砂糖十箱、魚十箱、大豆油十箱、食塩十箱、ビスケット二十箱。(土井申二中佐)艦長様から右の如く多くの難民救済の食料品を頂戴致しまして、ご恩に誠に感謝致します。平和街世界赤十字会難民収容所 主任 陳 漢森(世界紅卍字会平和街会長)」
】南京戦に参加した梶村止少尉の1938年1月15日の日記によると、上海付近に駐屯していたとき、近くの村人が中国兵に襲われ、梶村少尉の隊に救いを求めてきました。しかし村人に案内され、梶村少尉一行30余名が現場に急行したときは、敵の40〜50名が逃走したあとでした。
南京一番のりをめざし、南京入城を夢にまでみて戦った私たち将兵は、南京城占領の瞬間、城内進入を禁止されたのである。この軍の統制は、まことに厳しく、見事なものであった。」(歩兵第九聯隊第一大隊副官・六車政次郎)陥落時、師団命令により入城は一部の部隊のみに制限された
【南京大虐殺】「虐殺」に含めて良いのは戦時国際法違反の殺戮のみ。戦闘中の戦死、軍服を着用せずに戦闘行為を行う便衣兵(=戦時国際法違反)の処刑、捕虜の反乱による鎮圧、などは虐殺に該当しない。犠牲者数を全て虐殺に含めるのは不適切。また、中国兵による民間人殺戮も多数あった。
京大虐殺】日本軍には、便衣兵と民間人を区別する専門の担当者がいた。「便衣兵と民間人は簡単に見分けがつき、便衣兵と間違えて民間人を処断したことはなかった。」中国軍兵士の多くは坊主頭で、ヘルメット焼けや、銃ダコの有無、その他の身体的特徴が重なった場合は、「兵士」と判断した。
12月8日には)馬南京市長らもまた市民を置き去りにして逃げだし、郊外の支那軍は民家に火を放ち、南京付近は四方に炎々たる火焔起こり、市内また火災あり、逃げ迷ふ市民の姿はこの世のものとは思われぬ」(東京日々新聞、12月20日の夕刊、18日志村特派員発)
南京大虐殺】「最後の(陥落前の)数日間は疑なく彼ら(中国兵)により人および財産に対する暴行・掠奪が行われたるなり。支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じ、その中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行いしなるべし」(米国南京副領事・エスピー)
中国兵は負傷すると、置き去りにされました。ある戦場で中国兵の一団が塹壕の中で戦死していました。それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。京大虐殺】「これは、この門(城壁の北側)から脱出しようとした中国兵の死骸です。中国兵はあちらこちらで城壁によじのぼり脱出を試みました。これらの死体の山は、日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この地域で(日本軍の)戦闘はありませんでした」(NYT記者・ダーディン)虐殺】唐生智南京防衛軍司令長官の逃走後、残された国民党軍は十二日夜に主に3つに分かれて敗走した。1)城外東方向、これは第十六師団が追撃・掃討。2)城外西方の揚子江方向、これは第六師団第四十五聯隊が遭遇し、ほぼ全滅させた。3)残りは軍服を脱ぎ捨て、安全区に潜伏した。京大虐殺】中国兵は誰でも背嚢に便衣(平民服)を持っていて、状況が不利になると便衣に着替えて、一般市民になりすまし、時期を見ては戦闘行為をした。一般市民だと思って日本兵が安心して近づくと、いきなり刺殺されるという事態に、日本兵は対策に苦慮した。(『熊本兵団戦史中巻』)「南京の守備兵は、11日夕から挹江門を経て揚子江岸に向かい続々退却を開始したようだが、13日午後になると、下流方面より山田支隊、上流より第六師団の一部が進出してきて、退却する敵を挟撃した。」(上海派遣軍参謀・大西一)揚子江岸には数千の中国兵の遺体があった。
京大虐殺】「われわれの取扱った捕虜約二、〇〇〇のうち、帰順を申し出る者は、若干の米麦と白旗を持たせて帰郷させた。年末ごろまでに半数が帰順し、半数は使役として働かせた。腕章をつけて食料の運搬や炊飯などさせた」(第16師団歩兵


26. 2017年1月19日 17:33:05 : NGUCbbAPlg : 3A1RfDro0A4[6]
幸福の科学信者は自分のコピペを読んでいないみたいですな

27. 2017年1月19日 17:40:22 : NGUCbbAPlg : 3A1RfDro0A4[7]
>坊主頭で、ヘルメット焼けや、銃ダコの有無、その他の身体的特徴が重なった場合は、「兵士」と判断した。

逆に言えばそういう特徴があれば市民を兵士として殺しちゃったわけだ
こわいなぁ
除隊した人もそういう特徴を持つし、ヘルメットと普通の帽子や頭多いによる日焼けをどう区別したのかな? タコの有無だけで殺しちゃうというのは本当に怖いよね


28. 2017年1月19日 19:12:23 : nozhRfHcbc : h3UToXoPnRY[1]
これをきっかけに南京事件は本当はどうなのか 日本人は近代史を勉強していない人が多いので 良いきっかけになる  またアパホテルにこれから中国人が宿泊しなければ 静かになり宿泊しやすいホテルになる   
アパホテルの対応は筋が通りアッパレである
これから宿泊するならこのホテルだね

29. 2017年1月19日 19:19:36 : F19os4ncg2 : Ffayp1dvugc[2]
IDを変えつつ わざとらしいなぁ 真相の道

30. 2017年1月20日 12:17:03 : Eu9sOQlGeU : 9CiyiOHDOXg[8]
五月蠅い中国人の方が、押し黙って何も云わない駄目な日本人よりマトモだと思うよ。

31. どうでもいい中国人[17] gseCpILFguCCooKikoaNkZBs 2017年1月20日 12:45:10 : sdRqbrtkYg : x1DKZgRLjXw[1]
>>25のヤマトオオカミ

議論の相手をシナ畜や人肉喰いと侮蔑しながら、相手にあなたの議論を信じさせようこの議論の姿、素晴らしいぞ。

でもさ、どうせ今、あなたの議論はただのネット上の精神オナニーので、本物の中国人が読んでくるとは思わないだろ。それじゃダメだろ
もっとあなたのこの議論を拡散しないと。

もっと素晴らしい日本人になるように現実にもやる気を出してくださいよ。
その“大虐殺なかった”の議論を、日本に行く中国人と直面してからするのはいかがでしょうか?日本で増殖している中国旅行者に直接“支那畜生が日本から出て行け”と叫ぶのはいかがでしょうか。
それは誰でもできる容易い行為じゃない?ネットだけの行為に満足しちゃうのはダメだろ?
私が日本を歩き渡した時、誰でもあなたのような議論を直接してくなかったので、日本に失望したね。

日本に必要のは、ネットだけで精神オナニーをする似非じゃなくて、APAの社長のような中国の非難に直面する勇気を有する方ですよ。



32. 大和狼[700] keWYYZhU 2017年1月22日 17:27:04 : hy55y1MCkU : h4GysCZjF7o[145]
私のやっていることは必ず中国にも世界にも拡がります。

中国も韓国も古き佳き頃のそれは好きですよ。
あなた方の深い思考力、思想、哲学もね。個人同士でいがみ合う事は無駄です。
未来の為に日中、日韓の友好は本当に大事です。

だからあなた方の教えられた南京や慰安婦がどこまで事実でどこまで違うのか、特に日本人にもですが、客観的、実証的に考え直して欲しいと願っての事です。

中国の人も韓国の人も普通の人は今さらどうでもいい人があなたの気持ちのような人が多いのでしょう。

今回アパホテルに日本人の言い分を世界に伝える手段として書籍を置き販売していたことは日本人の一方には同じ気持ちの人間も多い事を知っていただきたいもです。


33. 肯定派[1] jW2S6JRo 2018年8月10日 15:12:16 : RTYB7jdZNI : 8gou0oQeHDw[1]
南京陥落時の10万捕虜殺戮

法律を勉強すると南京陥落時の10万捕虜殺戮の理解が深まります。

戦前は天皇が主権者、その下に枢密院、貴族院、衆議院。
天皇の直属で陸軍、海軍、といった階層化された政治システムだった。

これを占領軍は日本国憲法によりまったいらにしてしまった。

その後で日米戦争史を編纂するために当時中国大陸で国民党軍に拘束されていた旧日本軍将校たちを解放させ、それを手伝わせた。
それが現在も綿々と続き制服組主流派となって自民党を支持している。
一般の日本人はメディアに出てくる話しか知らないので無知で生きている。

自民党御用達の学者や最高裁長官しか出てこない。

誰とか彼とか、誰がどうしたとか全部世界中の人がが知ることができる。

テレビでは事実を知ることはできない、常識。

アンケート調査は国民がどのくらいダマされているか調べているようなもの。

自民が安泰なのは、それ以外が無知だから。どれがフェイクかも知らない。
だから自民以外は国民多数は支持することができない。
自民が世襲制なのは正解。

自民以外はすべてなにも知らないで政治家している。
おそろしいほどの無知。


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