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アメリカの貧しい若者の犠牲の上に平和を享受している日本 巨万の富「アホウドリ」で拡大した日本領土 
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/715.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 3 月 22 日 15:52:42: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

アメリカの貧しい若者の犠牲の上に平和を享受している日本
米国ルート66 爆走11000キロ 第2回

2017/03/20
高野凌 (定年バックパッカー)
(2016.4.6.〜5.21 45日間 総費用47万円〈航空券含む〉)

小さな町の郷土資料館的ミュージアム

Jolietのミュージアムに展示された化学消防車。その後ろに出征兵士の写真が並んでいる

 シカゴの市街地から南下して30分も走ると周囲は地平線までトウモロコシ畑一色となる。高校地理の時間に習ったコーンベルト、グレートプレーン(大平原)などという言葉を思い出す。
 昼前にJolietという中西部の典型的な田舎町に到着。『ルート66ミュージアム』を見学。1920年築の立派な石造りの二階建ての元雑貨屋(grocery store)を改装したものである。一階のメインの展示物は1930年代の化学消防車だ。手押しポンプで消化液を放射したと説明がある。
 一階の四面の白壁には一面に男性の顔写真が飾ってあることに気づいた。すべてJolietから戦場に出征した地元の男たちであった。職業は農業・学生が多いが運転手、修理工、大工、コックなど様々である。戦死した兵士も多い。第二次世界大戦、朝鮮争、ベトナム戦争、アフガン戦争、湾岸戦争、砂漠の砂嵐作戦と順番に並んでいる。第二次大戦以降もイリノイ州の片田舎の町から戦争のたびに若者が出征して何人も戦死しているという厳粛な事実に圧倒された。
 日本が日米安保条約のお陰で平和を享受していた70年のあいだ米国では何度も普通の若者が出征して戦死していたのだ。しかも現在進行形だ。米軍というと原子力空母や大陸間弾道ミサイルなど圧倒的軍事力や巨大組織をイメージするが実際には“ふつう”の生身の若者が米軍を支えている。
 米国の“ふつうの若者”の犠牲の上に平和を享受してきたことを日本人はどう考えるべきなのだろうか。

静謐のなかに翻る7本の旗
 4月16日。オクラホマ州のWhetherfordという町は中西部の静かな町である。ルート66旧道に沿って州立大学を過ぎて町の西はずれに至ると美しい芝生に覆われた小高い丘が現れた。
中心の丘の頂上は公園のように整備されて七本の旗が風に翻っていた。フラッグポールの礎石にはそれぞれ星条旗、オクラホマ州旗、陸軍、海軍、海兵隊、空軍、州兵と記されていた。公園のような空間は戦没者慰霊碑だった。献花におおわれ真新しい。戦役、氏名、階級、享年、生年月日などが御影石に刻まれている。21世紀になっても何人もの戦死者が刻まれている。

オクラホマ州のWhwtherfordの戦没者慰霊碑

日本の戦没者慰霊碑
 日本でも各市町村には戦没者慰霊碑があり慰霊碑の後ろには出身部落・氏名・階級などが記載されている。私の住んでいる町は戦前には人口2000人程度の村であったが神社の慰霊碑によると日露戦争で十数名、太平洋戦争では30人以上が戦死している。
 しかし戦後日本では日米安保条約のお陰で70年間も戦死者はゼロであり国民意識から“戦死”という概念は死語となっているように思われる。そのせいか戦没者慰霊碑は全国どこでもひっそりと木陰に佇んでおり目立つことはない。“お国のために戦い亡くなった幾多の英霊”に対する畏敬の念そのものが風化しているように思われる。

日本は米国の貧困層の若者が払っている血税の実態を認識しているのか
 ベトナム戦争後ドラフト制度(徴兵制度)は廃止された。職業軍人である士官以外の一般兵士は志願兵である。湾岸戦争で捕虜となった女性兵士が奨学金を得て大学進学するために志願したという話は当時有名になった。現在の志願兵制度下では下層階級出身の若者が奨学金目的で兵役を志願するという傾向がより顕著になっていると聞く。
 米国は世界で最も貧富の差が大きい格差社会だ。有名大学の学費は高く、しかも有名大学においては有力者の子弟は推薦制度により選抜試験でも有利である。このような社会では一発逆転を狙う下層階級の若者は兵役を志願せざるを得ない。
 米軍に安全保障を“お任せ”しているのに“集団的自衛権に関する法律”に反対して“戦争法廃止”と叫んでいる日本のリベラルと称する人たちは米国の貧しい若者の犠牲をどのように考えているのであろうか。

日本陸軍、軍医の軍用行李

カンザス州のBaxtar Springsの郷土資料館に展示されている南北戦争時代の大砲

 4月12日(火)カンサス州のBaxtar Springsという田舎町の郷土資料館(Heritage & Museum)に立ち寄った。ボランティアのお年寄りが何か聞くと丁寧に説明してくれる。
 そして展示品で最も多いのが例により南北戦争からベトナム戦争まで従軍した郷土出身将兵の遺品・記念品の類である。出征、従軍はいつの時代でも田舎町の青年にとっては一世一代の出来事である。軍服、軍帽、勲章、徽章、階級章、感状など大事に保管されてきた遺品が並ぶ。
 第二次大戦の太平洋戦争のコーナーでは毛筆で多数の人間が署名した“日の丸”があった。出征兵士の武運長久を祈ったものだ。当人の氏名、出身地や百名近い人々の名前が明瞭に読み取れる。そして“千人針”と思しき布も。説明によると制圧した塹壕や洞窟から見つかった日本軍の遺品だ。
 飯盒、手帳、腕時計、軍刀、拳銃などおびただしい数である。医薬品や手術道具の入った軍用行李があった。所属階級氏名も読み取れた。持ち主は戦死した陸軍軍医大尉だった。静かなカンザスの田舎町の歴史の記録として日本の無名戦士の遺品が大切に展示されていた。

アリゾナ州のスーパーハイウェイ

アリゾナ州のバターン・メモリアル・ハイウェイ。ホワイトサンド国立公園へ向かう途上にて

 4月22日 アリゾナ州のホワイト・サンド国立公園に向かっていた。このあたりは砂漠地帯であり軍事基地が多い。White Sands Missile Range(ホワイト・サンド ミサイル演習場)という看板が見えてきた。
 砂漠地帯であり交通量は少ないが片道二車線の快適なハイウェイが地平線まで続いている。整備も行き届いているところを見ると軍用道路なのであろう。ふとハイウェイ脇の標識を見ると『Bataan Memorial Highway』とある。“バターン(Battan)死の行進”を忘れないという意味でこのハイウェイの名称としたのであろう。
 太平洋戦争中の1942年にフィリピンのコレヒドール要塞を攻略した際にバターンで降伏した米軍・比軍捕虜を炎天下徒歩移動させる途中で米兵捕虜1000人以上、並びに相当数のフィリピン人が死亡したという事件である。日本人は忘れても米国ではハイウェイの名前として残されている。

小さな博物館のヒロシマ・ナガサキ

エノラ・ゲイ号と機長のポール・ティベッツ。原爆投下当時30歳で2007年に92才で死去。

 5月6日(金)。アリゾナのルート66旧道沿いの田舎町Kingmanの町営博物館で大恐慌から第二次大戦のコーナーの展示物でエノラ・ゲイ号の写真が目を引いた。広島へ原爆投下した“空の要塞”と言われたB29爆撃機だ。原爆投下命令書のコピーも展示されていた。当時Kingmanの郊外にエノラ・ゲイ号を含む米国陸軍戦略空軍の爆撃機が駐機していたのだ。

原爆投下命令書。1945年7月25日に発令。8月3日以降に天候次第で投下目標を広島、小倉、新潟、長崎 から選択して目視爆撃を命じている。そして原爆の効果を観察・記録するために軍・民間の科学者を搭乗させることも指示

 戦勝国アメリカでは今日でも原爆投下を正当化する世論が支配的だ。戦勝国は戦争に関しては永遠に彼らに都合の良い解釈をするのは古今東西変わらない。Kingmanの人々は町の郊外から太平洋に移送された爆撃機が太平洋戦争終結の決定的使命を果たしたことを素朴に誇りに思っているのであろう。

Kingmanの町の郊外に並ぶ陸軍戦略空軍の爆撃機。すざましい工業力、物量に圧倒される

フォート・リーの退役将兵のパレード
 35年前のニューヨーク駐在時代に住んでいたフォート・リーという町では毎年ベテランズ・デー(退役軍人の日)になると百人くらいの従軍経験の或る中高年の男性が勲章を付けて正装して高校生のブラスバンドに先導されて町の目抜き通りをパレードしていた。現在でもベテランズ・デーには各地で同様のパレードや記念行事が開催されている。

サンディエゴ軍港で修理中の空母。浮きドックを使用して作業。残念ながら一帯は立ち入り禁止地区であり遠景しか撮影できず

 2016年12月に安倍首相は当時のオバマ大統領と真珠湾を訪問して両国の和解と同盟関係を世界中に宣言したが、米国市民が太平洋戦争を忘れるということはないだろう。現在でも普通の若者が世界中で命を懸けて戦っている米国では過去の戦争の記憶や戦没者の功績は風化することはないだろう。

⇒第3回に続く
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9096

 

巨万の富「アホウドリ」で拡大した日本領土
2016/10/17
平岡昭利 (下関市立大学名誉教授)
iStock
 地図を広げて、わが国の領域を眺めると、最東端の南鳥島から西へ、小笠原諸島、大東諸島、尖閣諸島などが点在しているが、これらの島々のおかげで、経済的主権のおよぶ排他的経済水域は大きく広がっている。領海と排他的経済水域を併せた面積は世界第6位である。

 一体、これらの島々は、いつから、どのような背景で、わが国に編入されたのだろうか。

 実は、筆者は今から40年以上前、沖縄本島の東に位置する大東諸島に滞在し、地理学のフィールドワークを行ったことがある。台風情報でおなじみの南大東島を主な研究対象とした。3カ月間、聞き取り調査を行ったが、訪ねた農家の方々の名字が「菊池さん」や「細田さん」など、沖縄姓とは異なる本土姓の方がおられるのに気づいた。沖縄県の離島になぜ本土姓が存在するのか。これらの人々は、明治後期に八丈島から2000キロメートル余りの航海を経て、南大東島に上陸した人々の子孫であった。

 伊豆諸島の八丈島から、はるか遠い沖縄の島になぜ上陸したのか。私の質問に、彼らは口を揃えて「農業をやるため」と答えた。農業のために長い航海をして、絶海の無人島の断崖絶壁を登り、上陸する必要があったのだろうか。何か釈然としないものが残った。

 その後、調査を進めると、鎖国から解放された明治以降、小さな船を操り、数々の危険を冒して、日本周辺の無人島に漕ぎ出した人々がいたということがわかってきた。彼らは大海原を越えて、大東諸島のみならず、広く太平洋の島々にまで進出していた。

 彼らを大海原に駆り立てた原動力は何だったのか。この謎を解くため、八丈島や沖縄の島々でフィールドワークを行う一方、公文書館などで長年にわたり資料収集を続けた。

 その結果、意外な結論に辿り着いた。太平洋に漕ぎ出した日本人の原動力となったのは、巨額の富をもたらす「アホウドリ」だったのである。


明治以降、多くの日本人が追い求めたアホウドリ
(写真・TOKYO METROPOLITAN GOVERNMENT/JIJI)
富豪への近道「無人島探検」の広がり

 明治初期まで、秋になると日本周辺の無人島には、数多くのアホウドリが飛来していた。この鳥は両翼の長さがおよそ2・4メートルという太平洋で最大級の海鳥で、人間を恐れないことや、飛び立つ際に助走が必要なこともあり、簡単に捕獲された。

 1876年(明治9年)に、わが国の領土になった小笠原諸島でも、多くのアホウドリが生息していた。しかし、移住者の急増とともにその多くは捕獲され、羽毛は横浜の商人に売られ、卵は本土に移出された。

 当時、小笠原開拓に従事していた八丈島の大工、玉置半右衛門は、いち早く、このアホウドリの価値に注目した。1887年(明治20年)、島が真っ白になるほどアホウドリが飛来する伊豆諸島南端の鳥島に進出し、組織的なアホウドリの捕獲事業を開始している。

 その捕獲方法は、棒を使った撲殺で、1日に一人当たり100羽、200羽は容易に捕獲でき、1902年(明治35年)の鳥島大噴火までの15年間で、およそ600万羽を捕獲した。その羽毛量は1200トン、売上金額は約100万円で、年平均にすると約6・7万円であった。当時の総理大臣の年俸が1万円の時代にである。玉置の年収は4万円程度であったと推測されるが、これを現在価値に換算すると10億円である。アホウドリを撲殺して羽毛をむしり取るだけの玉置の事業は、莫大な利益をもたらしたのである。

 大富豪になった玉置は、『実業家百傑伝』(1892〜93年)などの立志伝に名前が挙げられるなど、実業家として、一躍、時の人になった。さらに、著名なジャーナリストの横山源之助は、1910年(明治43年)刊行の『明治富豪史』の中で、富豪になる方法として、御用商人、土地成金などとともに「無人島探検」を挙げている。当時、アホウドリの捕獲は、富豪になる方法の一つであった。

危険を顧みず我先にと進出
東はハワイへ、西は南シナ海へ

 1891年(明治24年)5月30日付の読売新聞は、「南洋に豊土ありとは、近頃の流行語にて……」と南洋探検ブームを報じた。豊土とは、小笠原諸島の南東に存在するというグランパス島のことである。当時の地図には、このグランパス島のように存在が疑わしい島(疑存島)が多数描かれていた。玉置の成功に刺激された人々は、鳥島にあれだけのアホウドリがいるならば、地図に記載されている太平洋上の島々には、さらに無数のアホウドリがいるのでは、と考えたのである。

iStock
 その結果、富豪になる千載一遇のチャンスを逃すまいと、アホウドリなどの鳥類を求めて、東は北西ハワイ諸島へ、西は南シナ海の島々へ我先にと危険を顧みずに進出した。「バード・ラッシュ」とも呼ぶべき「無人島獲得競争」が繰り広げられることになる。

 1899年(明治32年)には、ある民間人からミッドウェー島の借地願いが出され、2年後の1901年(明治34年)には、後に軽井沢の別荘地開発を手がける野澤源次郎も、日本政府にこの島の借地願いを提出している。日本から、はるか東、およそ4500キロメートルも離れている太平洋のど真ん中のミッドウェー島で、この時、彼らは既にアホウドリの捕獲事業を行っており、さらに捕獲の独占を狙って借地願いを出していたとは、驚くような話である。

尖閣諸島も「アホウドリ」
止まらない帝国「日本」の拡大

 この「バード・ラッシュ」の結果、日本周辺の無人島は次々に帝国「日本」に編入され、わが国の領土は拡大した。

 日本最東端となる南鳥島は、グランパス島を探し回っていた水谷新六によって、1896年(明治29年)に発見された。彼はその後すぐにアホウドリの捕獲を開始し、南鳥島は1898年にわが国の領土となった。

 また、尖閣諸島は、1885年(明治18年)に沖縄県が調査し、その回航報告書にアホウドリの大群の様子が詳しく記されているが、明治20年代には、多くの日本人がアホウドリの捕獲のために進出した。1895年(明治28年)になって、寄留商人の古賀辰四郎が島の借地権を申請し、翌96年、政府は古賀に尖閣四島を貸与した。

 このように、鳥類がもたらす富を認識した日本人の海洋進出は早く、中国政府の主張する「尖閣諸島は、日清戦争時に日本にかすめ取られた」という時期以前に、多くの日本人が、既に同諸島に進出していたのである。

 なお、「バード・ラッシュ」によって、アホウドリばかりか、国内外の鳥類も捕獲され、わが国から輸出される鳥類は、明治後期には、年間数百万羽にのぼった。大蔵省も250万〜950万羽としている。並外れた数量である。

 その多くがヨーロッパ、とりわけフランスに輸出された。高級婦人帽や頭飾りの原料として使用され、その製品はパリの品のファッションとして大流行した。1880年(明治13年)〜1920年(大正9年)頃、わが国は世界屈指の鳥類輸出大国であった。

 だが、こうした大規模な捕獲によって、アホウドリなどの多くの鳥類が枯渇へと向かう。このため「無人島獲得競争」は、ますます激化した。玉置半右衛門の鳥島も例外ではなく、アホウドリは激減し、玉置は新たな無人島を探していたが、そのなかで大東諸島の情報を得た。1899年(明治32年)、八丈島から南大東島に開拓船を派遣し、翌1900年、八丈島の人々は、絶壁を登り上陸に成功したのである。


アホウドリを追い求め、八丈島の人々は南大東島の絶壁を登り上陸した
(写真・JYO ISHIKAWA/AFLO)
 こうした状況のもと、1905年(明治38年)前後から、無人島への進出目的に鳥類のほか、鳥糞やリン鉱が加わる。羽毛は軽量のため運搬に小さな船が使用されたが、重い鳥糞やリン鉱は多くの労働者や重機、汽船を必要とした。結果、進出の主体が山師的な商人から独占資本に移行し、その活動は太平洋へと一層活発化していった。

 以上のように、日本の広大な排他的経済水域の形成を主導したのは、アホウドリであった。この鳥は一攫千金になるという認識と、その捕獲という欲求が「バード・ラッシュ」とも言うべき「無人島獲得競争」を引き起こし、はからずも、わが国の領土拡大という副産物をもたらしたのである。

現在発売中のWedge10月号では、以下の特集を組んでいます。こちらの書店や駅売店にてお買い求めいただけます。
■特集「国境騒然」
 ・南シナ海問題が発端の尖閣騒動 余波を受ける沖ノ鳥島、南鳥島
 ・尖閣周辺海域に現れた中国漁民の正体
 ・ガス田に東シナ海の目≠設置した中国
 ・海上保安庁だけでは尖閣を守れない 待たれる「離島警備のプロ」創設
 ・図解 海に囲まれた日本 国境付近で絶えぬ争い
 ・現地ルポ 自衛隊基地配備に揺れた与那国島 次なる「震源地」石垣島の騒乱
 ・「アホウドリ」が広げた日本の領土 巨万の富を巡る無人島獲得合戦

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7780

 

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コメント
 
1. 2017年3月22日 15:59:48 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[3804]

>米軍に安全保障を“お任せ”しているのに“集団的自衛権に関する法律”に反対して“戦争法廃止”と叫んでいる日本のリベラルと称する人たちは米国の貧しい若者の犠牲をどのように考えているのであろうか

道理が通りそうな相手には強気で アベシネとか言っているが

本当に危険な北朝鮮や中ロみたいな相手には、沈黙し

拉致はない、彼らの原発開発は問題ないなどと強弁するのが、日本の平和ボケしたリベラルということだろうな



2. 2017年3月22日 16:08:34 : IQyejhSOLA : jdr@rznvS6M[4]
板違い?保存庫?別々記事の羅列がわからんです。

3. 2017年3月22日 16:19:59 : FeBmwTYCBk : DMQNGWqNHUc[43]
USAの軍事産業(武器商人)を繁栄させるために、あちこちに戦争をふっかけてまわった結果の自国民の戦死に、日本の平和と何が関係するのか?

戦争で自国民を犠牲にして、自国の一分の人間が潤うような仕組みを養ってきたのがUSA株式会社でしょ。トランプになって流れが変わってきたようだけども、安心はできない。

USA株式会社の存在そのものがテロリストだということに、多くの人々が気付いてきているときに、日本の平和は、USA株式会社の奴隷社員たちの血で護られてきたなんて、バカも休み休み言え!!!


4. 2017年3月22日 16:32:05 : nukAybdoDE : QTPe4yLsSG0[5]
日本の安全を米国まかせにするな という投稿だよね。

日本国憲法の見直し、日米安保の見直しだろ。

安倍政権が取り組んでいる。


5. 2017年3月22日 16:33:32 : nukAybdoDE : QTPe4yLsSG0[6]
他国の若者ではなく 自国のことは自国の若者で守れ。

6. 2017年3月22日 17:12:51 : RM5JBVUFOQ : PRVLkUk_8dY[30]
アメリカの貧しい若者の犠牲の上に平和を享受している日本?
はぁ? 
おまえはトランプの回し者か。ばかばかしい。
たしかに安保条約と日本の平和憲法のお陰で日本は戦争に加担しなくてすんだが、
だからといって米国の若者の貧困や兵役義務と直接結びつくものじゃない。
むしろアメリカの貧困は、トランプなど巨大資本家が原因じゃないのかね。
本末転倒なデタラメな論理で米国の支配層を擁護するような真似はやめろ。

7. 2017年3月22日 17:40:13 : 7v8RfNNbhw : 76Ekq@xNZnQ[7]
経済基盤が戦争だけだから仕方ないだろ
日本は一方的に搾取されている
それが武力攻撃の原資になっている
アメリカは我々日本人の犠牲の下で存在している
いくら国債買ってると思ってるんだ
経済政策でもアメリカの要求全部のんできただろ

8. 2017年3月22日 18:03:25 : POACUFUJ5w : V_ErkctlyEk[1]
単なるアメリカの国益のためにやらなくていい戦争をやっただけのことだろ。なんでその戦争で死んだ若者の犠牲の上に、われわれの平和があるんだ。バカも、休み休み言え。

9. 2017年3月22日 19:37:07 : Q1AShcAlNU : YisAsbtyiYk[360]
>7様に同意
この投稿者の狂いざたといえる思考の発想ってどこから来るのかが摩訶不思議。
日米安保条約は、簡略に言えば日本が外国に侵略されたときに米国が助けるということ。
だが、戦後日本は一度たりとも外国から侵略をされたことはない。されていないから、米兵は日本のために一人も犠牲になっていない。

アメリカは戦争で経済を繁栄してきた。そのために戦後も、何かと口実をつけては戦争に明け暮れてきた。最近では中東の国々を滅茶滅茶に壊して大量の米兵を犠牲にした。
その犠牲のお陰で日本は平和が維持されてきたって??? もう少し勉強してから
投稿をお願いしますね。

ところで、トランプ大統領は「我が政権は他国家の転覆にはかかわらない」と宣言しているように、現政権下の米国は、戦争という手段ではなく、外国に移転した米企業(製造業)をアメリカに戻し、て経済発展を遂げようと数々の政策を打ち出している(法人税35%から15%に減税、米企業による逆輸入製品に20〜35%を課税するなどなど)。


10. 2017年3月22日 19:49:54 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[485]
威をかざす 平和は誰の お陰だと

11. 2017年3月22日 20:45:05 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[449]
アメリカの貧しい若者の犠牲の上に繁栄と平和を享受しているのは誰なのだろう?

たしかにアメリカではベトナム戦争以来、戦地に行くのは貧困層ばかり。
富裕層や支配層の誰が自分たちの子息をイラクやシリアに送っているという話は聞かない。
何時か聞いた話ではイラク戦争に家族の誰かを送った上院議員はたった一人だったそうだよ。

堤未果氏の本の中で、アメリカの軍事費は全ての国民に大学院教育を受けさせられるほどだと、イラク帰還兵の青年がため息交じりに語っていた。

むかし、岩波新書に『ベトナム帰還兵の証言』という本があり、そのなかである帰還兵がこう言ったという話があった。
「第二次世界大戦は皆が行った。しかしベトナム戦争はそうではなかった」

今は亡き自然写真家の星野道夫氏でさえ、アラスカのエスキモーやインディアンの抱える問題に触れる中、黒人と並んで、彼等ネイティブアメリカンンの若者が人口比に比べてはるかに多い人数でベトナム戦に参加し、精神的な痛手を受けて戻ってきている話を書いている。星野氏の親友となったアラスカインディアンの男性も自殺未遂を幼い我が子に救われた経験を持ち、その後のリハビリを経て帰還兵のためのケースワーカーとして働いていた。

社会の中で貧富の差が大きければ、貧しい者たちだけが自らの命を賭けても稼がなければならないということになる。
それは外国を持ち出す前に、その国の内部に於いても公正なことなのだろうか?


ベトナム戦争以来、アメリカの帰還兵で反戦運動に転じた人は多い。
彼等の中には日本の沖縄の反基地運動に参加した人もいるが「日本が戦争に兵隊を差し出さないのは卑怯だ」と言ったという話は聞かない。帰還兵の団体の機関紙である「ベテランズ」にもそんな論調が載ったという話も聞かない。

堤未果氏の本に出て来たイラク帰還兵は日本の平和憲法に憧れていた。
日本に来て平和運動をした元米軍海兵隊の英雄、アレン ネルソン氏も日本国憲法第九条の支持者だった。


他のどこの国も買ってはいないオスプレイや十兆円とか言う対空ミサイルシステムを買って貢献している日本に、その上、若者の命を差し出せとか、向こうの誰が言っているんだ?トランプだってまだ、そこまでは言ってはいないだろう。

当人は今さら兵隊になれるわけもなさそうな、このバックパッカー上がりの日本人の感傷とは、一体、何なのだろう?


12. 2017年3月22日 21:42:30 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[1609]
  アメリカの大統領は公選制であり、紛れも無く米国籍を持った人間が選んだものだ。
   その大統領が、議会を賛同させてイラクやリビア、北朝鮮を悪の枢軸国と称して多国籍軍を組んで空爆作戦を行ったものの、イラクの核開発には根拠が無く、後に英国ブレア首相が国民に謝罪までしたのである。
   独立国であればその国の方針はその国の国民の選択であることは間違い無く、それを正すのも国民であり、米であれば、大統領を中心とした議会である。
   従って、日本も独立国であれば、当然ながら軍事を以て平和構築に参加するか否かの選択は日本国民にあるが、それは日本国民の税金を使用するからである。
   何故なら、軍事にしても、租税主義国では納税者から徴税する血税によらなければ銃一丁政府は買うことが出来ないのであり、当該国民が血税でもって何を優先するかは議会を通じた納税者の判断の集積であるところは米国と同様である。
   租税主義、法治主義、議会制民主主義を標榜している限りは、自国ファーストであることは全く間違いでは無く、やれることをやるのが国民の限界である。
   日本は未曾有の原発事故を抱え収束の目途は全く立っておらず、今も海洋に汚染水が流れていることは確実であるところ、これは世界戦争の渦中にいる事と同様、世界に脅威を与えて続けているのであり、専ら溶融した核燃料がどんどん下降して地下水脈に当たらないよう、最大限のコストを掛けるしかないのである。
   今、韓国が迎撃ミサイルの購入を米軍から持ち掛けられているようだが、あれも敵国ミサイルと見做した弾頭の先に赤外線を付け、命中率を高めた映像を見せられるとすれば、あたかも精度が良いかのようであるが、これは非常に慎重を期する必要がある。
   ましてや、戦略的互恵関係を標榜しながら、近隣国の懸念をも無視して千億円も出して日本も購入するかどうかは、米国の為では無く、日本国民が日本のためを考えて判断するのは、租税国家として当たり前である。
   いずれにしても、米軍を中心とした米軍産政複合体関係者の思惑と米議会では思考回路はかなり違うということであり、日韓をカモ葱と出来るかどうかに賭けているような米国防総省関係者の論理に嵌り、日本が原発事故処理などの本当に必要な所に血税を投入する余裕がなくなり、海洋と地中深くを溶融核燃料で汚染し続けるとすれば、世界全体にとっても百害有って一利無しなのである。

13. 2017年3月22日 22:11:04 : frtErroTlE : irEWOXr423M[60]
なら、戦争を放棄し、安保も破棄してみようではないか。
非武装中立でな。
何が起きると思う?
さらなる平和と繁栄だ。

14. 2017年3月22日 22:46:19 : lh1GGwoOtM : YsxGZGc1SWo[456]
「アメリカの貧しい若者の犠牲の上に平和を享受している日本」

この言い方は何かに似ていると思ったら

「戦死した特攻隊員の方々の犠牲の上に平和を享受している今の日本人」

というような言い回しに等しいだろう。

特攻隊は悲劇であるが、その悲劇を美化するあまり、若者にそれを強いた者たちが誰だったのかをすっぽりと無視している。

このような視点の持ち主には何も期待できない。
そのせいで、若者や子供が犠牲になろうが、誰も責任を取らない体質は今も続いているのだから。


15. 2017年3月22日 22:56:51 : DLADQcr7Yk : WNOOpbqJt9M[13]
別に、アメリカ人も中国人も敵ではないよ。無理やり敵を作り上げて敵愾心を煽るのは権力者の常とう手段。

日本の防衛は必要だが、それぞれ共存共栄を図るのがまず第一。


16. 2017年3月23日 02:51:56 : Kv4T4g975w : 7GnoyHN25NY[1]
この記事の作者も、この記事の投稿者も、思考の浅さ加減に驚くしかない。
往年のネトウヨが良く使っていた薄っぺらい感情に訴えたロジックは、イラク戦争で「アメリカの戦争」の正体は帝国維持のための「嘘の戦争」だと言う事がバレ、アメリカは一部の特権階級の為だけに数年おきに戦争を起こしていると言う事実が世界の共通認識になっている今は何の説得力もない。
アメリカは帝国(一部の特権階級の)を維持するため、戦争が必要なだけだ。モデルはローマ帝国さ。アメリカ人は驚くほどローマ時代をリスペクトしている。ローマ帝国も帝国を維持する為に常に戦争を行っていた。パックスロマーナがパックスアメリカーナになってるだけの話をだ。

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