★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK223 > 379.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
森友事件と南スーダンとの共通項 下世話な理由 安全保障独自技術がないと世界で足元 稲田防衛相に見る「出世女子」の未来
http://www.asyura2.com/17/senkyo223/msg/379.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 3 月 31 日 20:13:58: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

森友事件と南スーダンとの共通項

著者に聞く

ジャーナリスト2人がインテリジェンスを語る(後編)
2017年3月31日(金)
清野 由美

(前編から読む→こちら)

現在、北朝鮮の挑発がいよいよあからさまになっています。<前編>では、トランプ大統領とアメリカの情報機関とのぎくしゃくした関係が、現下の事態に影を落としているということでした。それはどういう意味なのでしょうか。(文中敬称略)
手嶋:本来、超大国アメリカが戦略正面としてきたのは、中東と東アジアの二つ。同盟国である日本の立場からすれば、東アジアにも十分な抑止を効かせてもらわなければいけません。しかし、2001年9月11日の同時多発テロ事件をきっかけに、アメリカは持てる外交、情報、軍事のすべての力を中東に注いで、アフガン戦争からイラク戦争へと突き進んでいきました。

池上:ジョージ・ブッシュ政権の下で、9.11の翌月にはアフガニスタンへの軍事介入が始まり、イラク戦争へと向かっていきましたね。2006年にフセインを処刑し、2011年にオバマが戦争の終結を宣言はしましたが、その禍根はISといった新たな形となって、今日に至っています。


手嶋 龍一(てしま・りゅういち)
外交ジャーナリスト・作家。1949年、北海道生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。元NHKワシントン支局長。2001年の9.11テロ事件では11日間にわたる24時間連続の中継放送を担当。自衛隊の次期支援戦闘機をめぐる日米の暗闘を描いた『たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て』、湾岸戦争での日本外交の迷走を活写した『外交敗戦―130億ドルは砂漠に消えた』(共に新潮文庫)は現在も版を重ねるロングセラーに。NHKから独立後の2006年に発表した『ウルトラ・ダラー』(新潮社)は日本初のインテリジェンス小説と呼ばれ、33万部のベストセラーとなる。2016年11月に書下ろしノンフィクション『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師-インテリジェンス畸人伝』を発表。(写真:大槻純一、以下同)
手嶋:その結果として、もう一つの戦略正面である東アジアには、巨大な力の空白が生じることになりました。そのことを、もっともよく分かっていたのが、北朝鮮の独裁者です。金正恩委員長の見立ては、まことに怜悧で精緻としかいいようがありません。

つまり、アメリカの弱点を見抜いている。

オバマ政権の「戦略的忍耐」の結果

池上:実際、3月に入ってからも次々とミサイルの発射実験を行っています。22日の1発は失敗しましたが、それに先立って6日に行った4発の弾道ミサイルのうち3発は日本の排他的経済水域に達しました。ミサイルの小型化や射程の精度も徐々に上がっています。

手嶋:国連安保理の非難決議など、正恩にとってみたら、蚊に刺されたようなものです。

そんなことでいいのでしょうか。

手嶋:よくありません。東アジアにこんな事態を作り出してしまったのは、超大国アメリカの責任です。とりわけオバマ時代。「戦略的忍耐」などと言い訳をしていましたが、何もしないことを、外交的な修辞でごまかしていたにすぎません。

池上:中国が南シナ海を埋め立てて島を作って、軍事基地化をあからさまにしたのも、オバマ時代ですからね。

手嶋:軍事力の行使という伝家の宝刀など抜かないほうがいいに決まっています。しかし、オバマ時代のアメリカは、伝家の宝刀が懐にないことを北の独裁者に見透かされてしまっていたのです。

情報機関は「政権が求める情報」を出しがち

アメリカの大統領がオバマからトランプに代わったのは、日本にとってマシな方向だったりするのでしょうか。

池上:前編でお話したように、トランプ政権は運営面で問題が山積みです。とりわけインテリジェンス方面では、大統領と情報機関のいがみあいが、かつてないほど深まり、また表に出てしまっている。それは、日本にとって、まったくいいことではありません。

手嶋:インテリジェンスの鉄則を言いますと、情報機関は「指導者の決断を誘導するような情報操作をしてはならない」ということが第一にあります。意思決定をする人と、情報を収集・分析する組織は、厳格に隔てられているべきです。情報機関が恣意的に機密情報を権力者にあげて、決断のあり様を操る、などということはあってはならないからです。

情報に色を付けるべきではない。建前としては分かりますが、守れるものなのでしょうか?

手嶋:ここは守らなければ国を誤ります。イラク戦争がその悪しき例です。ブッシュ大統領は、イラクが大量破壊兵器を保有しているという誤った情報を導かれて、イラクと戦端を開いたのですから。

池上:実際、ブッシュ大統領がイラク戦争に踏み切るきっかけになった、イラクの大量破壊兵器保有の情報は、報償に目がくらんだ情報提供者「カーブボール」の狂言だったことが明らかになっています。

 「カーブボール」という暗号名が付けられた人物は、当初はドイツの情報機関が事情を聴いていたんです。その結果、「情報が正確かどうか疑義が残る」という注釈を付けてアメリカに引き渡したのですが、アメリカは信じてしまった。

はあ…。


池上 彰(いけがみ・あきら)
フリージャーナリスト。1950年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。社会部記者として経験を積んだ後、報道局記者主幹に。94年4月から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として、様々なニュースを解説して人気に。2005年3月NHKを退局、フリージャーナリストとして、テレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活躍中。近著に『僕らが毎日やっている最強の読み方;新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意』(佐藤 優氏と共著、東洋経済新報社)『池上彰の「経済学」講義1 歴史編 戦後70年 世界経済の歩み』(角川文庫)『書く力 私たちはこうして文章を磨いた』(竹内政明氏と共著、朝日新書)など。
池上:人はおもねるし、また反対にトップがおもねりを要求すれば、重要な情報が上に挙がらなくなる。トランプがCIAとのブリーフィングを「ばかばかしい」と公言して手を抜いているおかげで、大統領が情報不足の中で決断する、という大きなリスクが生まれています。

手嶋:温厚でやさしい池上さんですら、トランプ大統領にはこんなに厳しい。トランプ政権はある種の四面楚歌状態にあるといえますね。そうした危険な状況下で、トランプ政権は、北朝鮮に対していくつかの軍事的なオプションを検討しはじめています。

どんなものなのですか。

手嶋:アメリカが大がかりな地上軍を派遣すれば、文字通り第二次朝鮮戦争が勃発してしまいます。いまの段階ではその可能性は高くありません。武力衝突が起きるとすれば、外科手術的な空爆と、サイバー攻撃の二つが可能性として挙げられます。

池上:その二つのオプションのうち、サイバー攻撃は、あの国に対しては、あまり効き目がないんじゃないか、と言われています。

手嶋:そもそも、北朝鮮は情報系のインフラが整っていませんからね。

池上:何といったって、あそこはいまだに有線連絡の国ですからね。北朝鮮では本当に大事な伝達事項の場合は、伝令が走る。それが一番秘密を守ることになるから。

手嶋:アナクロな伝令が、いまの世界では実に有効で、サイバー攻撃には強い。まったく皮肉なことです。

池上:サイバー攻撃はそう効果がないとすると、巡航ミサイルのトマホークで、となるのですが、金正恩は地下深くに作った複数の建物を移動しながら暮らしているというので、バンカーバスター(地中貫通爆弾)でないと効果はないでしょう。でも、どこにいるか正確な情報がないと、ピンポイント攻撃もできません。

人気欲しさに決断する恐れも

手段はさておき、アメリカは本当に実力行使に踏み切るのでしょうか。

手嶋:最終的な決断はまだ下していないのでしょう。ただ、四面楚歌状態のトランプ大統領の心中を忖度すれば、北朝鮮を巡航ミサイルで攻撃したいという誘惑に駆られ始めているはずです。

池上:現在の北朝鮮が相手ということでしたら、民主党だって「これはダメだ」とは言いにくいでしょう。米軍の先制攻撃だけであれば、アメリカ議会の承認はいりませんし。

手嶋:我がニッポンだって、リベラルなメディアは「みんなで平和を祈りましょう」と社説では主張するかもしれません。でも本心では、日本への脅威が取り除かれて、安堵する向きもあるはずです。池上さんだって朝日新聞の"斜め読み"で手厳しい批判はしないでしょう。北朝鮮の核施設への攻撃に内外でそれほど厳しい批判は出ないはずだ、とトランプ政権は判断する可能性があるのです。

池上:むしろ人気取りに使えそう。

手嶋:となると、トランプ大統領はいよいよ伝家の宝刀を抜く誘惑に駆られても、おかしくはない。伝家の宝刀を抜けば、必ず支持率が跳ね上がることを、大統領は本能的に知っています。だから恐ろしいのです。

池上:国内の支持率を上げるために決断しそうですね。軍事介入のリスクとベネフィットなど、たいして考えもせずに。

手嶋:ぼくは二度にわたって十数年もNHKのワシントン特派員を務めたのですが、その間、おびただしい数の「力の行使」に付き合ってきました。確かに力を行使すれば必ず支持率は上昇しました。

池上:9.11のときも、ワシントンにいた。

手嶋:パナマ侵攻からグレナダ侵攻、第一次湾岸戦争、そしてイラク戦争と、伝家の宝刀をいとも簡単に抜く国家なのです。そして、いつ、いかなる場合でも、抜いた瞬間に、政権への支持率はぴーんと高まる。だからトランプ大統領は「やりたい」はずです。

話を少し変えまして、金正男の暗殺については、どうお考えでしょうか。

手嶋:あれは、オレオレ詐欺の類推が分かりやすい。

オレオレ詐欺?

池上:まあ、北朝鮮の手口も、お手軽になった、ということですよね。

手嶋:1987年の大韓航空機爆破事件では、時間もコストもかけて、金賢姫というエリート工作員を、自国内で訓練する“余裕”がありました。でも、いまや大きな方向転換をしたのです。オレオレ詐欺と同じで、「出し子はアウトソーシングすればいい」と、現地でスカウトをするようになった。出し子クラスがいくら捕まっても、北朝鮮はなんの痛痒も感じないはずです。

池上:あの事件では、現地でオペレートしている人間にすら、情報を与えていないでしょう。

手嶋:手口はお手軽ですが、暗殺にVXガスを使っている。国家の介在はあきらかですよ。コンビニ一つ作るにも独裁者の裁可が必要な国なのです。だから、最高権力者の許可なしにその兄を暗殺することなんて、できるわけがない。しかし、この事件はこのまま迷宮入りしてしまう可能性があります。

金正男来日事件で見せた日本の稚拙さ

池上:金正男といえば、2001年に彼が日本に来たときに、当時の政府が取った対応は、ものすごく稚拙でした。

手嶋:ぼくはワシントンにいたので、直接、現場で取材はしていないのですが、事件当時、アメリカのその筋が、「なんで日本はすぐに帰しちゃったんだ。我々は怒っている」と、と憤懣やるかたない様子でした。

池上:当時の外務大臣だった田中真紀子がパニックに陥って、「早く返しなさい」ということになってしまったんですよ。このとき、正男の一行はシンガポールから日本に入りましたよね。その情報は、イギリスのMI6から日本の公安調査庁に連絡があったのですが、同じ法務省の入国管理局に伝達された。


 実は成田空港では、独自に日本国内で情報を得ていた警視庁の公安が待ち構えていたのです。それこそ正男が東京の赤坂や新宿で、どんなところに出入りして、どんな人たちと会っているのかを知るのに、またとないチャンスじゃないですか。公安は北朝鮮とつながる場所や組織を全部見てから、出国時に捕まえるつもりだった。ところが、いつまでたっても正男は空港の外に出てこない。

手嶋:あれ、外務省のアジア局のナンバーツーがエスコートして飛行機の席まで用意して、帰しちゃったんです。金正男の指紋は採ったけれど、DNAは採取しないまま。その翌年に、小泉純一郎首相と金正日委員長による「日朝平壌宣言」を発表する交渉が、水面下で進んでいました。当時の日本の外交当局は、北朝鮮側を腫れ物に触るように扱っていた。そうした誤った宥和主義の果てに、正男を送り返してしまったんです。その責任は重いと思います。

池上:DNA情報などは、インテリジェンスにとって、ものすごく有利なカードですからね。今回だって、その情報があれば「これは間違いなく金正男本人か」を、日本のカードだけで確認することができて、国際社会に恩義を売ることができた。

そもそも日本のインテリジェンスは、弱いのですか。それとも意外に強いのでしょうか。

手嶋:G8の中で対外インテリジェンス部局がない唯一の国が日本です。

ということは、弱い。

池上:極めて弱いです。

手嶋:その中で、外務省と警察がインテリジェンスを担っています。しかし外務省は非合法やグレーゾーンでは動けません。ということは、インテリジェンスとして機能するわけがない。海外で活動する場合は、そもそも、どこがグレーゾーンなのか、それすらはっきりしない世界なのですから。

池上:それはまずいということで、日本はインテリジェンス要員を育てようとしているのですが、そこでまた、外務省と警察庁が主権をめぐっていがみ合っています。
 お互いに近親憎悪みたいなものがあるんでしょうね。インテリジェンス機関を作りたい、ということになった途端、関係者が私のところに、「ご説明にうかがいたい」とか言ってくるんです。

何を目的に。

池上:世論工作ですね(笑)。

手嶋:でも、ぼくは、池上さんこそ最もインテリジェンス要員にふさわしいと思っているんです。なにもスパイになれと言っているわけじゃありませんが。

池上:なんですか、それは。

手嶋:公開情報を幅広く分析し、これはという情報の宝石、つまり貴重なインテリジェンスを見つけ出すことに秀でている、ということです。池上さんがかつて担当していた「週刊こどもニュース」は、本当にすぐれた情報番組でした。あの番組は、ワシントンでも見ることができたので、貴重な日本の情報分析として、いつも拝見していましたよ。

 池上さんという人は、込み入った事象を前にすると、本能的に解説したくなる。そんな断ちがたい衝動を内に秘めていると、ぼくはNHK時代から睨んでいました。それは、ほとんどビョーキに近い才能なのですが。

池上:褒めているんですか。それとも、けなしているんですか。

ヒューミント要員育成という難題

手嶋:そんな池上さんは、日々、膨大な情報に接していると思うのですが、そこからどうやって真のニュースをつまみ出していますか。すこしは手の内を明かしてください。

池上:いや、いくら本を書いても、文字化できないものってあるでしょう。日々、何となくやっていることなんだけど、人に説明できないという。

手嶋:インテリジェンス活動で得る情報は、人間を介した情報の「ヒューミント」と、傍受情報の「シギント」に大別されますが、日本はとりわけヒューミント畑の人材育成が急務だと思います。


 たとえば、その筋の人が池上さんと接触して、いろいろな素材を置いていく。そうすると、池上さんがそれに粉にまぶして発信する。それが、いわゆるリークであり、ヒューミント活動です。情報をもたらす人は、もたらした先が発信しないと、リークしてくれなくなります。人間関係の機微が関わることですが、実際、こちらが二度続けて記事にしなかったら、もうそれ以上のリークはないですからね。

 そのような情報提供者とメディアの関係を知った上で言いたいのですが、日本はいまこそヒューミントに秀でた人材の育成が急務です。

日本はなぜヒューミントの育成が遅れているのでしょうか。

手嶋:どうしてか。それは、つまり、アメリカが、そういう能力を日本に持たせなかったからです。太平洋戦争が終わって、占領下に入ったときに、「日本の代わりに、アメリカがやってあげますよ」と、なってしまったんです。

池上:でもアメリカは、日本ではなくアメリカの国益のために、諜報活動をやっているわけですからね。

手嶋:先ほどお話した、イラク戦争の根拠となった、イラクの大量破壊兵器保有情報についていえば、当時の日本政府もCIAに騙されていたわけですよ。

池上:小泉内閣のときですね。

手嶋:日本との交渉には大抵、CIAの副長官がやってくる。それで、首相のそばでインテリジェンスをやっている人と話す。あのときは「官邸のラスプーチン」と呼ばれた飯島勲さんが、内閣総理大臣秘書官でした。

池上:佐藤優氏ではない、もう一人のラスプーチンですね。

手嶋:CIAの副長官は、飯島さんにこう持ちかけました。「あなたを男と見込んで、見ただけで目が潰れちゃいそうな極秘情報をお見せしましょう」って。そう来られたら、誰だって感激します。それで飯島さんも、アメリカ側にまんまと取り込まれてしまった。

池上:今の手嶋さんの話を解説しますと、だから日本も自前のインテリジェンス要員を充実させるべきだ、ということです。

手嶋:その通りです。

それは現在、問題となっている特定秘密保護法とも関係のある話なのでしょうか。

池上:本質的なところは、日本は自らの独自情報を持つのかどうか、ということであって、秘密保護法があるからインテリジェンスへの意識や能力が促進される、ということではありません。

南スーダンと森友事件に見る共通項

手嶋:日本は現行法の下でも、ある種の情報コントロールがなされている国です。いい例が防衛省の南スーダンPKOの日報事件ですよ。内部の人間というものは、たとえば情報の開示請求があった段階で、アブナイものを全部消してしまおうとする。

 防衛省で言うなら、外交機密、防衛機密がある、と外に分かってしまうと、整合性の観点から、それを国会答弁のような公の場でも言わなければならなくなります。だから「ない」ことにする。

なるほど…。

手嶋:一連の森友学園の問題もそうです。不明瞭な経緯はあるけれど、それは公には言えない。じゃあ、あることを、ないようにするためには、どうすればいいか。情報開示の前段階で、記録をシュレッダーにかけて、消してしまう。実に姑息であり、これは誠に国家的な犯罪ということができます。

池上:手嶋さんは、そのことをずっと言い続けていますよね。『ウルトラ・ダラー』(2007年)の中では、フィクションの登場人物の口を借りて、激しく批判をしています。

手嶋:日本の官僚たちは、日米安保に関する文書の研究会なるものを作って、情報の開示請求に先手を打って、機密文書を処分していったのです。核持ち込み時の機密文書などがその典型です。ああいう文書は、戦後の日本外交のエッセンスなのです。にもかかわらず、官僚たちは「残しておくとあぶない」と判断し、地上から歴史の第一級資料を抹殺していった。官僚としてもっとも恥ずべき犯罪です。どの書類をシュレッダーにかけるか、ということを、官僚に決めさせてはなりません。

池上:森友学園の問題も、財務省に記録がないなんてあり得ないですよ。国有地をヤバい形で売却する場合、役人は自己保身のために必ず記録を取っているはずです。

縄張り争いで瓦解した日本のインテリジェンス

手嶋:無理やりに対談のテーマにこじつけると、そのあたりにも日本の情報に対する怠慢、そしてインテリジェンスの感度のなさが表れているんです。

 歴史を振り返ってみると、戦前は陸軍中野学校と外務省が諜報の縄張り争いをして、たこつぼ化に陥りました。そのあたりから、もうおかしくなっています。 

池上:日本のインテリジェンスは中野学校が一大勢力だったわけですが、その陸軍にとって最大の敵は外国ではなくて、日本の海軍だった。そういうムラ社会の体質を、ずっとひきずっていますね。

世界のインテリジェンス地図で強い国といったらどこになるのでしょうか。


『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師-インテリジェンス畸人伝』(マガジンハウス)
世界のVIPを震え上がらせた「パナマ文書」、告発サイト「ウィキリークス」の主宰者アサンジ、CIAの国家機密を内部告発したスノーデン、詐欺師の父を持ち、スパイからベストセラー作家に転身したジョン・ル・カレ、銀座を愛し、ニッポンの女性を愛した、20世紀最高のスパイ・ゾルゲ…古今東西、稀代のスパイはみな、人間味あふれる個性的なキャラクターばかり。人間味あふれるスパイたちが繰り広げるドラマチックなストーリーは、同時に、今の時代を生き抜くために欠かせない、インテリジェンスセンスを磨く最高のテキストだ。巻末には手嶋龍一氏が自らセレクトした、「夜も眠れないおすすめスパイ小説」ベスト10付。
池上:イスラエルのモサド、イギリスのMI6、中国国家安全部、パキスタンのISI、それからドイツ、ロシア、フランス、インド、といった諜報伝統国の存在感があります。トルコも同じトルコ系住民のいる中央アジアに関して精力的に情報収集をしています。

手嶋:アメリカについては、組織は大きいのですが、インテリジェンス大国とはいえません。アメリカは、たとえ情報が誤っていても、圧倒的な軍事力を持っているため、力で決着をつけることができる。イラク戦争がその悪しき例です。超大国は必ずしも情報大国にあらず。しかもアメリカの力は、あきらかに弱まっています。戦後の半世紀は、アメリカ頼みでも済みましたが、中国が海洋に競り出し、安全保障環境が変わった現在、日本もいまのままでは生き抜いていけません。

池上:いや、日本にとってインテリジェンスは喫緊の課題です。新しい体制を早く作らないとダメですよ。

(進行・構成:清野 由美)


このコラムについて

著者に聞く
「著者に聞く」の全記事
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/15/101989/032900024


 


安全保障、独自技術がないと世界で足元見られる

「軍民両用技術」の曲がり角

防衛ジャーナリストの桜林氏、装備庁制度に理解
2017年3月31日(金)
寺井 伸太郎
防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に関する議論が学会を中心に活発化する中、 防衛産業や自衛隊の実情に詳しいジャーナリストの桜林美佐氏は「イデオロギーに基づく反対論が多い印象」と指摘する。

防衛ジャーナリストの桜林美佐氏(写真:大槻純一、以下同)
日大芸術学部卒。フリーアナウンサーなどを経て、防衛ジャーナリストに。「自衛隊と防衛産業」「武器輸出だけでは防衛産業は守れない」「誰も語らなかった防衛産業」などの著作がある。
デュアルユース技術をどのようにとらえていますか。

桜林:辞書的には、確かに軍事にも民生にも両方使えるという意味だと思います。ただ、それだけではちょっと説明しきれない部分があります。

 防衛装備品は極めて厳しい要求であるミリタリースペックを満たすものでなければいけません。デュアルユースと一口にいっても、民生品に使っているものを、そのまま簡単に防衛装備品に転用できるわけではありません。技術の根っこは同じでも、防衛装備品に仕立てていくには、実はものすごい壁がある。そして、最終的に防衛装備品に具現化するのは防衛産業や防衛省の技術者ですね。

 ですから、両方の用途に容易に使えるということを前提にしてしまうと、ちょっと違和感を覚えます。

 そのうえで、大きな理解としては、デュアルユース技術は使いようだと思いますね。現在は、民生品で使われている技術を、軍事のレベルに上げていく「スピンオン」の方向が増えています。従来は、軍事のために開発されたものを民生品に生かす「スピンオフ」が主流でした。様々な技術がスピンオフとスピンオンを繰り返し、積み上げてきたものが混在しているのが現在の状況です。デュアルユースと一言でくくるよりも、スピンオフ、スピンオンと丁寧に言い分けるのが正しいと感じています。

デュアルユース技術は米国が熱心に取り組んでいるイメージがあります。

桜林:軍事関連の技術開発を国全体で強化する。それをスピンオフにつなげ、自国の民間産業にその恩恵をもたらす取り組みを、国防高等研究計画局(DARPA)という組織が象徴的に進めています。

 国全体の科学技術の力、つまり国力を上げていくためには、最高峰・究極の水準にある軍事の技術力を高めて、それを国全体に波及させるという発想だと思います。

イデオロギーに基づいた印象の反対論

日本では防衛装備庁が進める安全保障技術研究推進制度に対して学会がネガティブな反応をしています。

桜林:確かに日本学術会議では反対意見に勢いがあります。「軍事研究を戦時中にやっていたトラウマだ」との理由がつけられていますが、私はそれよりも、政治的というか、イデオロギーの問題であるとの印象を受けています。

 現在はスピンオンとスピンオフが世の中に混在している状況です。スマホをはじめ、民生品全般がIT化されている。これはもうすべて軍事にも転用可能です。この現実を学術会議の人たちが知らないはずはありません。

 したがって、安全保障技術研究推進制度に対する反対は、「軍事研究をしている、イコール防衛省からお金をもらっている。防衛省は軍だ、軍は他国を侵略するものである」という流れの思想に基づいている気がします。いろいろな意図が入っていますから、デュアルユース技術そのものが否定されているわけではないと考えます。

デュアルユース技術そのものが悪ではない、ということですか。

桜林:インターネット、GPSなど軍事に由来する技術は今や身近に溢れています。一方で、100円ショップやホームセンターで簡単に買える民生品を使ってテロだって起こせるわけですね。軍事由来のGPSは悪で、ホームセンターで手に入る民生品の圧力鍋は善、みたいな区分がもう成り立たない世の中になっているわけです。そこをまず理解しなくてはいけません。

 仮に「デュアルユース技術」という表現から「科学者が善かれと思って取り組んだ研究が、意図とは異なり軍事に使われる」という誤解を招くのでれば、この言葉は使わない方がいいのではないか――関係者の間ではこうした話も出ています。

おカネの出所で軍事研究と断定

特定の技術、特定の研究に対して、軍事と結び付けてネガティブな評価をするのは難しい。

桜林:そうです。そもそも、様々な研究を民生と軍事に区分けすること自体が難しいわけです。船が転倒するのを防ぐ研究、手のひらに乗るロボットの研究、それは軍事なのかどうか?

 見極めがつくのはおカネの出所でしょう。もし文部科学省の予算からの支出ならば軍事研究ではないとくくられることになる。


学術会議の声も生かし運用改善を

安全保障技術研究推進制度について、どう評価していますか。

桜林:この分野で先行する米国では国防総省を中心に同様の取り組みをやっています。米国と比べて日本は非常に縛りがきつい部分があります。例えば最初から一定のテーマありきで募集をかける点です。その後にやや神経質な進捗管理が入る点もあります。もう少し自由度を上げてもよいのではと思いますね。

 研究者から見れば、防衛装備庁に「やらされている」感が否めない。学術会議が問題視するのも無理のない制度になってしまっている面もあります。

 国民の税金を使うため、現在の運用で進めているわけですので、今後見直していけばいいのかなと思います。見直しは、例えば学術会議の方を巻き込んでもいいですし、いわゆる委員会みたいなものを立ち上げてやってもよいでしょう。

 制度が始まったことに関しては、大変評価しています。これまで産官学の協力といっても、「学」の世界とはすごく距離がありました。

 「防衛省は開発力に限界を感じて、大学に頼らざるを得なくなったのですか」と聞かれることがありますが、そういうことではありません。防衛装備関連の研究開発はもともと、防衛省の研究機関と防衛産業の2者でやってきました。この仕組みは、陸・海・空3自衛隊のニーズがまずあって、その要望に基づいて防衛産業が進めるというプロセスでしたから、その枠を超える自由な発想には至らない弱点がありました。安全保障技術研究推進制度はこれを埋めるためのものです。

防衛産業の自主性だけでは研究に限界

研究が自衛隊の求める内容に偏っていたと。中長期的に必要かもしれない研究の幅の広さがやや欠けていたわけですね。

桜林:そうですね。予算には限界がありますし。自衛隊が関心のある直近のニーズ以外の部分、先進的なことは企業が自主的にやっていましたが、リーマンショックが起きて事情が変わりました。企業の研究開発費は非常に抑制的になる中、防衛事業部門も先進分野の研究まで負担するのは非常に厳しくなりました。もともと企業内で非常に肩身が狭い事業分野ですから。

 ちょっと話がそれますが、今、関係者の間ではレールガンが注目されています。日本では、企業の一部の研究者が数百万円ぐらいの予算で昔から研究に取り組んでいた分野です。お小遣いみたいなお金の範囲でやってきたので、なかなか発展しない。その間に、米国がどんどん進んでいきました。こうした分野がほかにも結構あります。

 このように企業が自主的にやってくれていた部分に防衛省が甘えていた部分があります。ただ、なかなか表に出しにくい話なのであまり語られてきませんでした。もっと幅広い発想に立った基礎研究を広くすくい上げたい、という発想は元からあったと言えます。

 ただ、学術の世界は、防衛省、自衛隊に対する拒絶反応がもともと極めて強くて、人事交流も限定的です。こうした経緯を考えると、安全保障技術研究推進制度への拒絶反応が起きるのは全くの想定内のことです。

安全保障技術研究推進制度がスタートして2年たちました。応募状況や運用成果などをどう評価しますか。

桜林:米国のDARPAは大変自由な発想で研究を任せており、すぐに成果を上げることを必ずしも期待していない。そういう環境でうまくやっています。日本で成果がすぐに表れるかどうか分かりませんが、私は短期的な成果はあまり気にしていません。むしろ学会との長い断絶を埋めるプロセスの第一歩だと、おおらかな目で見ています。

日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」が作成した声明案は、安全保障技術研究推進制度への応募に慎重姿勢を求める内容です。

桜林:拘束力のない声明ですから、個々の研究者が粛々と応募すればいいのではないかと思います。

 ただ各大学によるチェック機能の強化はネックになる可能性があります。学術会議の声明が個々の研究者に対して強制力を持つものではないとしても、声明を受けて、大学や研究者の側で自主的な抑制が強まることが懸念されます。

 学術会議での議論が今回これだけ報道され、自衛隊と大学が冷たい関係にあることが広く知られる契機となりました。自衛隊に対する理解がこれだけ深まっているといわれる中で、学術会議の姿勢に世論がどう反応するかは興味深いところです。

独自技術がなければ米国に足元を見られる

そもそも論ですが、安全保障と科学技術の関係性をどう考えますか。

桜林:日本が直面している喫緊の問題はミサイル防衛です。まず北朝鮮のミサイル、あるいは中国のミサイル、これらに対する防備をしなければいけない。これは、かなり差し迫った課題です。

 そこで防衛費を増やし、ミサイル防衛システムを米国から買おうというのが今の方向性です。トランプ政権との関係を構築するためにも米国の防衛装備品を導入しようと。

 ただしミサイル防衛の装備は高額ですから、日本の財政を圧迫していきます。初期費用はもちろん、長期的に維持コストもかかります。突然値上がりすることもあるでしょう。実は大きなリスクを抱えた問題です。単に買うだけだと米国に足元を見られてしまいます。

 それを避けるためには、日本が独自の技術力を持つことが大事です。日本の技術を活用した共同開発を持ちかけるなど、交渉力の強化につながります。科学技術を発展させることは、単なる「買い物国家」にならないために非常に重要です。


このコラムについて

「軍民両用技術」の曲がり角
 防衛用にも民生用にも使える軍民両用技術「デュアルユース」。ロボットやAI(人工知能)などの最先端分野を中心に、軍民の境目は薄まりつつある。防衛装備庁は2017年度、デュアルユースの活用に向け、有望な研究を手掛ける大学や企業などに提供する資金を大幅に拡充。だが「軍事」への警戒感を持つ研究者らが反発し、激しい議論が起こっている。有識者へのインタビューを交えつつ、現状をリポートする。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/031500046/032900004


 

森友学園報道が下世話な理由

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明

2017年3月31日(金)
小田嶋 隆

 連日メディアを騒がせている森友学園関連のニュースに、果たして、どんなスタンスで向き合ったら良いのかについて、この10日間ほど、あれこれ考えていたのだが、いまだに結論が出ない。

 たぶん、うまい答えは見つからないのだと思っている。
 とりあえず、今回は、この事件がどうしてこんなに騒がれているのかについて考えてみることにする。

 森友事件については、当初から

 「あからさまな人格攻撃じゃないか」
 「とてもじゃないがマトモな政治報道とは思えない。ただのスキャンダリズムだ」
 「登場人物のキャラが立っているから、テレビ用の画面(え)になりやすいというだけのことで、ニュースとしてはベタ記事レベルのネタに過ぎない」
 「こんな事件を掘り下げるより、もっと人員と予算を割り当てるべき取材先はほかにいくらでもあるんじゃないのか?」
 「北朝鮮が大変なことになっているのに、こんなことに時間を費やすなど正気の沙汰ではない」
 「国会議員にしても、こんな水掛け論にアタマを使うのではなくて、まっとうな政策論争をたたかわせるために選ばれたはずの人間で、だからこそ選良という言葉があったと思うわけだが、オレのこの見方は間違ってるか?」

 といった感じのツッコミの声が、各方面から多数寄せられていた。
 いちいちごもっともだと思う。

 たしかに、この事件についての報道は、はじめから、インパクトありきの、扇情的な画面構成がリードするテの、いかにもワイドショー好みな、曲馬団見世物小屋ライクな、どうにも品の無い、客引きのオヤジのダミ声が聞こえてきそうな劇場型スタジオライブバラエティとして視聴者に供給されていた。

 その意味では、森友関連報道は、第一に下世話だし、第二にスキャンダリズム横溢だし、以下順に、興味本位だし、扇情的でもあれば、覗き趣味でもあって、総体として、テレビの報道の悪いところをすべて集約したニュースであると決めつけて差し支えのない、稀代のゲテモノだった。

 ただ、私自身は、このニュースを伝えるメディアの伝え方に品が無いのはその通りなのだとして、だからといって伝えることそのものに意味が無いとは思っていない。

 むしろ、このニュースの真骨頂は、その下世話さに宿っているのではなかろうかと思っている。
 理由は、以下順次説明する。

 思うに、このニュースの伝えられ方が下世話なのは、ニュース番組を制作している記者やディレクターが品性下品であったり、視聴者が悪趣味であるからというよりは、テレビカメラの向こう側で起こっていること自体が、どうにもこうにも俗悪であることの反映なのであって、とすれば、ありのままを映すというテレビの文法からして、俗悪で陋劣で野卑で下劣な出来事は、やはり真正直に、下品かつ下衆かつ低俗な手法で伝えるほかにどうしようもないはずなのだ。

 上品ぶっていれば済むというお話ではない。
 きれいなカメラで撮ればゴミの山がイケてるイメージ映像に化けるわけではないし、高級な皿に載せることで腐った刺身がよみがえるものでもない。

 やはり、汚いものは汚い言葉で伝えなければならない。
 その意味で、森友報道は、おおむね適切な伝えられ方で伝えられている。

 ついでに言えば、このような下世話なニュースに視聴者の関心が集まっているのは、現在の政局を動かしているものが、真摯な政策論争や高尚な文化的議論ではなくて、えげつなくもいやらしい権力闘争やいじましくもみみっちい揚げ足取りの応酬であることを視聴者があらかじめ知っているからで、だからこそ、森友学園をめぐる一連の出来事の行間にあらわれている了見の狭さやケツメドの小ささに、私たちは、人が人を小突き回す営為たる政治のリアルを感じ取らずにおれないのであり、また、この胸が悪くなるような俗悪なコンテンツを直視し続けることの先にしか、自分たちの置かれている現実を把握する方法が無いことを、直感として理解しているわれら視聴者は、どうしてどうしてなかなかその視聴者を視聴している腐れインテリが思っているよりはずっと賢いのである。

 いまから半月ほど前の、事件を伝えるメディアの声のトーンがまだそれほどカン高くなる前の3月14日の時点で、政府は民進党からの質問主意書に答えて「首相夫人は公人ではなく私人である」とする答弁書を閣議決定している。

 私は、この時の閣議決定が、この後のニュースの伝えられ方に大きな影響を与えたのだと考えている。

 もちろん、これは、後知恵で気づいたことで、閣議決定が発表された時点では、

 「なんとまあ奇妙なことを言い出したものだ」

 ぐらいにしか思っていなかった。

 それが、冷静に評価するだけの時間を経過したいまの時点から振り返ってみれば、現在、森友学園についての報道が、こんなふうにヒステリックな色彩を帯びているのは、あの時の閣議決定の強弁が招いた結果であるということに思い至るのである。

 「首相夫人は私人である」

 という閣議決定は、意地になった安倍さんの感情の亢進を感じさせる閣議決定だった。
 というよりも、閣議決定として通用させるにはあまりにも無理筋な「強弁」に見えた。

 首相夫人は、「公人」であるとか「私人」であるとかいった形で、きっぱりと一方の側に定義できる立場の人間ではない。

 普通に考えれば、誰にだってわかることだ。
 場面によっては公人だし、そうでない時は私人だろう、と、そう考えれば良いだけの話だ。

 公費で雇われた首相夫人付きの公務員を伴って、公的な肩書を名乗って公務に随伴する仕事に従事する時は、当然「公人」と見なされるだろうし、プライベートの時間に買い物をしていたり、私的な友人とお茶を飲んでいる時は、「私人」としてふるまっているという、それ以上でも以下でもないではないか。

 政治家にしても同じことだ。
 公人としてふるまう時もあれば、私人としてくつろいでいる瞬間もある。

 ちなみに言えば、この議論は、ずっと昔から何度も繰り返されてきた定番の水掛け論でもある。
 よく蒸し返される話題としては、靖国神社に政治家が参拝する際に、私人として参拝したのか、公人として参拝したのかが、ずっと争われてきた。

 その際、どんな肩書で記帳したのかが話題になり、玉串料を私費から出費したのか公費から出したのかが問われたりした。

 この議論の前提になっていたのは、政治家のようなおおむね公人として分類されている人間であっても、その構えや立場や取り組み方や状況次第で、「公人」と見なされる場合もあれば「私人」と見なされる場合もあって、一概にその肩書だけでその人間の機能や内実を判断することはできない、ということだった。

 だからこそ、「公人」か「私人」か、という議論は、その都度、ケースバイケースで、場面ごとに、シチュエーションを限定した上で議論されてきたのである。

 今回の安倍昭恵さんのケースでも、彼女が、どの場面で「公人」であり、どんな時に「私人」であるのかは、その時々の、安倍昭恵さん自身のその場への関与の仕方や、周囲の人々との関係や、出費されている金銭の出どころや、関わっている時に名乗った名前や肩書によって、それぞれに違ってくるはずで、どっちにしても、首相夫人が「あらゆる場面で公人」であったり「すべての機会において私人」であるといったような主旨の主張は、いくらなんでもあまりにもスジが悪すぎて、本来なら、大人同士が話をする場所には、持ち込むことさえ許されない話なのである。

 その意味で、首相夫人を「私人」とする閣議決定は、議論の前提のちゃぶ台をいきなりひっくり返すお話で、到底公的なチャンネルから出てきたお話とは思えない。

 安倍昭恵さんが、森友学園を訪れて講演した時に「公人」であったのか「私人」であったのか、というピンポイントの議論をするなら、そこには、当然のことながら、議論の余地がある。

 つまり、昭恵夫人が私人として、森友学園を訪問し、私人として講演したという主張は、困難ではあるものの不可能ではないし、仮に閣議決定するのでも、この点に限っての判断を(つまり、「首相夫人は私人として講演をした」と)言い張るなら、それはそれでまるっきりあり得ない話でもなかった。

 ところが、政権は、「首相夫人は(どんな状況下でも)私人である」という恐れ入谷の強弁を閣議決定というのっぴきならない形で押し出してきた。

 閣議決定とは、内閣の最高度の意思決定会議(=閣議)によるもので、意思統一を示すために全員一致が原則で、もし異論があればその人を罷免して採択、という、大変位取りが高いものだ。決定内容は皇居にも送られるという。

 この場合は、野党の質問主意書に答えるためのルールとして、閣議決定が必要になるのだが、そんな、これ以上はないくらい重たい会議で、安倍さんは閣僚全員にこんな無茶な言い分を認めさせて、「これが統一見解だ」と出してきたわけだ。

 となれば、それを聞かされた方としても、ものの言い方が違ってくる。
 つまり、一方が強弁で来るなら、それを押し付けられた方は、揚げ足を取りに行くということだ。

 「ええええ? 私人なんだとすると、どうして専用の公務員が補佐してるんでしょうかねえ」
 「5人もお付きが付く『私人』って、いったいどこのマリー・アントワネットだ?」
 「ご自身のフェイスブックで、首相夫人付きの公務員を『秘書』と呼んでるけど、秘書として使役するつもりなら私費で私設秘書を雇用するのがスジだぞ」
 「っていうか、百歩譲って『私人』なのだという主張を飲み込んであげるのだとして、でも、そこのところを前提にすると今度は『どうして私人が私用で出かける大阪出張に公務員が随伴しているのか』という問題が出て来るぞ」
 「さらに百歩譲って『全面的に私人だけど、いろいろと公私混同している私人でしたテヘペロ』ってなことで理解してあげても良いんだけど、でも、お付きの公務員の首相夫人への随伴自体は『公務』だったことからは逃れられないんじゃないかな」
 「夫人付きの公務員というのは名ばかりの肩書で、実際はマブダチでしたと考えればすべてに説明がつくぞ。マブダチなら自腹休日ツブしで付き合うのが当然なわけだから」

 すまない。つい調子に乗った。
 何を言いたいのかというと、この度の森友関連報道が、重箱の隅をつつくような底意地の悪さと、あれこれと細かい食い違いや言い間違いを拾い上げてはネチネチと疑問を数え上げる揚げ足取りの報道に終始しているのは、そもそも、政府の側が、保管してあるはずの書類を「廃棄した」と言い張ったり、確認を求める野党議員の質問に「個別に確認をすることは差し控えさせていただきます」と木で鼻をくくったような答弁を繰り返してきたことへの反作用なのであって、つまり、一連の報道のタチの悪さは、政府の側の対応の悪さが招いた当然の帰結だということだ。

 3月28日になって、政府は、

 「安倍晋三首相の外遊に同行する昭恵夫人に対し、公用旅券である外交旅券を発給している」

 という主旨の答弁書を決定している。

 どうしてこんな閣議決定が唐突に出てきたのかというと、「私人」であるはずの首相夫人に、政府の公用旅券である外交旅券(←主に外交官などに発行されるパスポート)を出していることが明らかになったためで、これなどは、そもそも「首相夫人は私人だ」という強弁をしていなかったら、わざわざ説明するまでもない話だし、そもそもニュースにさえならない話題だ。

 というのも、首相に同行する首相夫人に外交旅券が発行されることを不自然に思う国民は、ほとんどいないはずで、なんとなれば、首相の外遊にファーストレディーとして随伴する首相夫人が「公人」であることは、誰もが普通にそう思っているごく自然ななりゆきだからだ。

 ところが、14日の閣議決定で、「首相夫人は私人だ」というあり得ない断定をやらかしてしまったおかげで、こんな当たり前なことに、わざわざくだくだしい説明をせねばならなくなった。

 「政府は、総理大臣夫人について、公務員としての発令を要する公人ではないとしていて、安倍総理大臣の夫人の昭恵氏も、サミット=主要国首脳会議への同行など総理大臣の公務を補助する活動を私人として行っているという見解を示しています。」

 と、NHKのニュースは、この間の事情を説明している(こちら)。

 つまり、首相夫人はあくまでも「私人」なのだが、「私人」として首相の「公務」を補助していて、その私人としての公務の補助のために旅券が必要なので外交旅券を支給しているというお話だ。

 二重にも三重にも苦しい説明だ。

 「公務を補助するのって、公務じゃないの?」
 「外交旅券って、公務に携わる公人だからという理由で支給される公用旅券の一種だったんじゃないの?」

 という疑問に対して、無理矢理な論駁をした結果が、この閣議決定だということになる。

 なお、この日の閣議では、あわせて「大阪市の学校法人との関係を否定する」内容の答弁書も閣議決定している。
 これも、アタマがどうかしているとしか思えない。

 「首相夫人は私人である」という、「見解」は、それがどれほど素っ頓狂であっても、実態とかけはなれていても、「見解」である限りにおいて、「閣議決定」ないしは「政府見解」の範囲で扱うことのできる話だ。

 われわれの政府は、今後、誰がなんと言おうと首相夫人を「私人」として遇し、「私人」の立場で扱い、「私人」として処遇する決意であると受け止めれば、それは大変だろうなあとは思うものの、一応、彼らの意図を汲むことが不可能なわけではない。

 ところが、
《「森友学園」への国有地払い下げなどを巡り、財務省、国土交通省、文部科学省に対する政治家からの不当な働き掛けは「一切なかった」》
 というのは、これは、「事実」を争う問題だ。

 働きかけがあったのか無かったのかは、現在国会でその有無が争われており、メディアの中でも見方が分かれている、まさにその核心だ。

 これに対して、政府が
 「無かった」
 と言い張れば、公式に無かったことになるとか、そういう問題ではない。
 「われわれは無かったと考えている」
 ということだとしても、そう閣議で決定することに何か意味があるんだろうか。

 「あるのかと聞かれたので、なかったと答えたんだ」
 というだけのことなのかもしれないが、そんな閣議決定に意味があるのだとしたら、

「政府はこの件について働きかけが無かったという公式見解を押し通すことにしたので、今後、政権内の人間は絶対にこの点から外れたコメントをしないように」

 と、政権内部に対して引き締めをはかる意味ぐらいだろうか。
 とすれば、これは、首相が閣僚に対して
 「オレの言いなりになれ」
 ということを宣言しただけの話になる。

 そもそもの話をすれば、籠池泰典森友学園前理事長が受け取ったとしている安倍昭恵首相夫人からの寄付金の100万円についての話も、いま、こんなに大げさに騒がれているのは、首相自身が国会の答弁の中で、

「私や妻がですね、認可あるいは国有地払い下げにですね、勿論事務所も含めて一切関わっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もし関わっていたんであればですねこれはもう私は総理大臣を辞めるということでありますから、はっきりと申しあげたいとこのように思います」

「いずれに致しましてもですね、繰り返して申し上げますが私も妻もですね、一切認可にもですね、あるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして(中略)繰り返しになりますが私や妻が関係していたとなればこれはもう、まさに総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申しあげておきたい」

 と、大見得を切ってしまったからだ。

 寄付をしていないのならしていないで、普通に昭恵夫人なり夫人付きの官僚なりの口から説明(記者会見になるのか、参考人ないしは証人として国会で証言することになるのかはともかくとして)させれば良いことだし、万が一寄付をしていたのだとしても、その旨を正直に申告すれば、それほど大きな問題にはならなかったはずだ。

 というのも、寄付自体は違法ではないし、そのことで政権が飛ぶような話ではない。

 あの非常に評判の良くない学校法人に個人的に寄付をしていたということになれば、当然、首相個人の印象が悪化することは避けられないとは思う。

 でも、そのことを言うのなら、既に、首相夫人が新設するはずの小学校の名誉校長に就任し、首相ご自身も一度は講演を引き受けていることで、十分に印象をそこなっている。この上、寄付の有無が致命的な問題になるとは思えない。

 ところが、首相は、寄付の話を否定する流れで、土地取引への関与が発覚したのであれば、総理を辞めるということを口走ってしまった。
 だから、こんな騒ぎになっている。

 一般のテレビ視聴者は、個々のやりとりの中で争われている言った言わないの事実関係や、私人公人の線引きの細部をつつき回す報道そのものに注目しているのではない。

 視聴者が森友劇場に魅了されているのは、ムキになって否定したり白々しく知らぬ存ぜぬを繰り返したり露骨に隠蔽したり資料を廃棄したりしている側と、重箱の隅をつつきにかかっている追及側の感情をむき出しにした争い、それ自体が面白いからで、それというのも、そもそも政府の側の隠蔽と強弁に、感情的な反発を抱いているからだ。

 冒頭で指摘した通り、このニュースは、全体として感情的な反応に終始しているところのものだ。

 というよりも、森友学園をめぐるあれこれは、報道に限った話ではなく、その発端から結末に至るまでのほとんどすべての出来事が、あからさまな感情の発露だったのかもしれない。

 大切なのは、いまわれわれが熱中している扇情的な報道の根っこのところにある「感情」を呼び覚ましたのが、政権の中枢にいる人たちであることだ。このことはつまり、テレビのしつこさと疑り深さと下世話さと、揚げ足の取りっぷりの醜さは、そもそも政府の上の方にいる人たちが質問者をバカにした態度と、国民への説明を鼻で笑うマナーから派生したものだということでもある。

 これらの事情に加えて、さらに、縁故主義(ネポティズム)にまみれて見える行政の進め方の怪しさが、テレビ視聴者の間に広がる「感情的」な反応の取水源になっている。

 私個人は、なるべく感情的に振る舞わないように心がけようと思っている。
 ただ、感情的に判断することからは逃れられそうにない。
 というのも、感情を抜きで評価してみると、この騒動には中味が無いからだ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

上が無茶な“正論”を通して、現場の“運用”が苦労する。
大変そうだね、と、自分と二重写しで見ているような気もします。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

このコラムについて

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/033000088/?

 


稲田防衛相に見る「出世女子」の未来

遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」

愛され女子から憎まれ女子へ、脱皮のススメ
2017年3月31日(金)
遙 洋子

ご相談

この4月から部長職に就きます。前任者からの引き継ぎ、関係者との打ち合わせなどを始めましたが、見事なほどに周囲は男性ばかり。分かっていたこととはいえ、実際に自分が前面に立つと改めて「まだまだ男性社会」を実感します。「任された責任を感じつつ、自分らしさも失わず」……と決まり文句で挨拶しつつ、さて、自分らしさとは何だろうと改めて考える春です。(40代女性)

遙から

 「社長になるか、社長夫人になるか、それが問題だ」

 
 斎藤美奈子著『モダンガール論』の「女の出世」に関する一節である。

 どちらを選ぶかによって磨くべきスキルが違う。そこに費やすであろう歳月を考慮すれば、スタート地点での選択は女性の未来をそのスタートの段階で振り分けかねない。

 そして、第三の選択肢もある。“出世女子”だ。

総理でもなく、総理夫人でもなく

 その象徴が稲田朋美防衛相だと私は見ている。社長でもない。つまり総理ではない。また、社長夫人でもない。つまり昭恵夫人でもない。第三のポジション。それは、社長に大事にされる幹部職、だ。その地位が目標だったならまさに大出世。万歳でその人生を祝いたい。

 だが、「南スーダン日報問題」や「森友問題」などの国会答弁以降の世論を見ていると、稲田防衛相への風当たりは強い。“泣いた”とか、“虚偽です”の言いきりから“記憶にありませんでした”への変更とか、苦戦に映るニュースが次々と流される。

 出世女子の力が試される光景だ。

 その対極に位置するのが小池百合子東京都知事だ。総理をはじめとする権力中枢の男性たちからの“愛され女子”の地位を自ら捨てた。“憎まれ女子”にあえて位置することで政治不信の都民の力を得た。やがて、それを無視できない権力構図にまで持ち込んだ。あっぱれだ。いわゆる“叩き上げ女子”の出世の方程式だ。

 あくまで最初は、笑顔の素敵なニュースのお姉さんという“愛され女子”からのスタートだったことを忘れてはいけない。いつのまにか、“憎まれ女子”で都民を魅了する権力者として出世した。彼女のノウハウは“変遷”そのものにある。

 そこで今、稲田防衛相に問われるのは、小池都知事をロールモデルとして参考にするならば、いかに変遷するか、にある。泣くことといい、違うと思ったことをすぐ違うと声に出して言ってしまうことといい、私はお会いしたことはないがおそらく“いい人”なんだと思う。

 世論はその“いい人”ぶりが気に入らないのではないか。国の防衛という重責を担うにあたり、そこを頼りなく感じているのではないか。ここはひとつ、“おぬしやるな”的な“悪い人”をしっかり演じなければならない、と勝手に思っている。

うっかりさんでは困るのだ

 国家の安全を背負って自衛隊を指揮する立場なわけだから、失言するような“うっかりさん”だと困るのだ。と、そう世間は思っている。

 この緊迫した時代においてなぜこの女性でなければならないのか、に、苛立っている人がいる。

 そもそも稲田氏がなぜ防衛相にまで登りつめたかには、いわゆる「女性活躍」への総理の期待やアピールの意味合いがあるだろう。

 そしてそれはこれまでなら、“少子化大臣は女性にまかせるのがよろしい”といったみんな安心的レールが敷かれていたが、今回は、“戦う=男性”という役割意識を揺さぶる点が異なる。

 100%男性領域、と、皆が信じてやまない領域を女性にまかせる。そこには、何より性別を超えた”強さ”が求められる。抜擢するにあたっては、彼女がそれに足ると考えたのだろう。

・・・というのが理屈だが、現状を見るに、お前、弁護士だし、いい奴だから、頑張れよ的な、愛され人事の匂いを私は嗅いでいる。

 といって、その愛され人事についてねちねち攻めるつもりはない。問いたいのは、稲田さん、いつまで“愛され”キャラでいきますか?ということだ。

 いつか、“おぬしやるな”的、“憎まれ”キャラに脱却せねばならない時がくる。

 いつ、どうやって、その時を迎えますか? が、稲田氏に問われている。

 いつまでも愛されキャラではなく、メガネも網タイツもかなぐり捨てて、育ててもらった男性たちを真っ向から敵にまわす腹のくくりが必要だ。

冷徹で行こう

 それがいつか、の前に、足元をすくわれてもよくない。まず、泣いちゃだめだ。

 失言もダメだ。あくまでクールに、鉄の女として、ひとつひとつの批判に向き合わねばならない。

 男性も女性も、出世の前には時の権力者に愛される、あるいは、あなどられないからその地位につける。愛されてその地位を確保する。それはそれでよいとして、愛されていることを、追及する側の野党や、眺めている我々側にわざわざ伝える必要もない。冷徹な女、でいいのだ。まずはそこからスタートではないか。

 防衛相を小池百合子氏も一時期担当した時が、過去あった。ソツなくこなしたイメージが残っている。そこで、実は私はこういう性格で・・・なんていうことを伝える意味はない。小池氏の手腕を見ていると、いつ世論がブチ切れるのか、あるいは今の賛同を維持するのか、ギリギリのところにいる。

 決して、小池知事安泰、という時代ではない。「実は豊洲市場への移転には致命的な問題はなかったのに、真相解明と唱えながら無駄な時間と出費を重ねた」という追及にさらされかねない地雷の中で、説得材料のためにいくつもの専門部会を設置している。世論を説得するには事実しかない、という方程式を小池知事は一歩も譲らない。もはやそこに女だとか男だとかは関係ない。追及と批判が来ることを前提に小池氏は生きている。これでやっと、男女共同参画時代の女性活躍だと、その壮絶な戦いを目の当たりにしながら、いいロールモデルができたものだと眺めている。

 そして、そのスタート地点に立たされているのが、稲田防衛相だ。

 女子の出世など、総じて乱暴な言い方をすれば、もれなく“泣く”ところから始まると言ってもいい。

 そうやってひとつひとつ、成長をしていくのだと思う。

 それは泣くほどの地位を手に入れた、ということでもあり、どうこなしますか、という次の道への試験でもある。かの田中真紀子氏も泣いたのを覚えていますか?

嫌われる覚悟

 女性の出世とは、男性の聖域と言われる場所への進出のことだと思う。

 つまり、そこに進出するだけで感情的な暴風雨にさらされる。私が「日経ビジネス」にコラムを書かせていただくことになった20年近く前もそうだった。

 日経ビジネスもまた、経済誌である以上、経営人、会長や社長という人々にとっての聖域だった時代がある。そこに登場した私への風当たりの強さは今でも忘れない。

 私がそこで最初に捨てたものは、男性読者から“愛される”ことだ。

 “憎まれる”原稿を書く。それを面白がってくださる読者こそが私の読者で、怒るばかりの読者は勝手に怒っていればいい、と、腹をくくった。

 そうこうしているうちに、時代が女性読者をも増やし、オンラインに場を移すことで、さらに幅広い世代の方々にお読みいただくに至ったわけだが、最初は憎まれ、嫌われることから始まった、ということを伝えたい。

 女性総理はまだ実現するには時代が成熟していない。が、女性の幹部職は実現している。

 時代は変わる。“愛され出世”を願う女子は、まず、今の時代は男性権力者に愛され、まずは出世し、次は、あらゆる男性たちから嫌われる手のひら返しが必要だ。

 嫌われる覚悟。そして、そのあなどれなさを見た時に、世間というのはまた手のひらを返したようにあなたを認めるだろう。小池氏のそれのように。

 “愛され出世”した女子は、小池氏と稲田氏の両者の答弁をよく観察していただきたい。

 そこにある差。そこにある反響。それらすべてが、これからの出世女子たちのヒントになるに違いない。

正しい嫌われ方とは

 注意してほしいのは、ただ嫌われて孤立している男女平等主義者の女性キャリアもいる。

 これとは全く違う。最初から皆に嫌われているようでは、出世などできようはずもない。

 愛されることなど、ほんのスタートダッシュのためのエネルギーだと理解してほしい。

 愛され続けて60歳、というキャリア女性もいるが、これも違う。

 ぶりっ子を続ける60代女性も、私はとても残念でならない。変遷をしそこなった出世女子だ。愛されて、出世したら次は、嫌われる。嫌われてもなお、引きずり降ろせない足腰の強さを身につけるのだ。それまでため込んだ実力が試される、その時のために。

 小池氏の実力は豊洲問題で試されている。

 同様、森友学園問題、自衛隊問題など、その答弁において稲田防衛相も試されている。

 男性の聖域に入り込む、ということは、感情的な嵐の中で、いかに自分を防衛できるかにかかっている。まず防衛し、そして、攻撃する。

 そう。

 出世女子とは、それ自体が、防衛相なのだ。

 どの職域であれ、自己を防衛し、同時に、未来への根拠を積む。そこに女も男もない。事実のみが、あらゆる批判に反論できる武器であり、うわべばかりの愛されキャラに固執するばかりでは、やがて反発を買いこそすれ、永遠の武器になどならないことを知ってほしい。

 つい、使い続けた武器は、手放すには惜しいのはわかる。まだ使えるやん!という時もあるだろう。だが、使っちゃいけない。今、その波間で揺れているのが今の稲田防衛相のあり様だ。よーく観察してほしい。稲田防衛相の出世女子としての成功を願いたい。


(写真:つのだよしお/アフロ)
遙洋子さん新刊のご案内
『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』

『私はこうしてストーカーに殺されずにすんだ』
ストーカー殺人事件が後を絶たない。
法律ができたのに、なぜ助けられなかったのか?
自身の赤裸々な体験をもとに、
どうすれば殺されずにすむかを徹底的に伝授する。

このコラムについて

遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」
 働く女性の台頭で悩む男性管理職は少なくない。どう対応すればいいか――。働く男女の読者の皆様を対象に、職場での悩みやトラブルに答えていきたいと思う。
 上司であれ客であれ、そこにいるのが人間である以上、なんらかの普遍性のある解決法があるはずだ。それを共に探ることで、新たな“仕事がスムーズにいくルール”を発展させていきたい。たくさんの皆さんの悩みをこちらでお待ちしています。
 前シリーズは「男の勘違い、女のすれ違い」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/213874/032900045/  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2017年3月31日 20:50:57 : ls6RnIdrwY : m8MKZ3uw9bw[2]
あほみたいにだらだらとしょんべん駄文垂れ流して
結局何を言いたいのかこの投稿者は?
全文まともに読むとお狂い出来ること確実

2. 2017年3月31日 22:59:06 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-5431]
社民党OfficialTweet
@SDPJapan

31日(金)、4野党の国対委員長会談が開催され下記3点で一致しました。 @文科省天下り 予算委・集中審議を A#森友学園問題 昭恵氏ら8名 証人喚問を/財務省等の資料提出を B「#共謀罪」法案の廃案を 社民党から照屋寛徳・国対委員長が出席しました。 #政治 #国会 pic.twitter.com/9BYLhv3DjA

2:49 - 2017年3月31日
https://pbs.twimg.com/media/C8PNzs3VwAAY8oX.jpg:small
https://mobile.twitter.com/SDPJapan/status/847747645707767809?p=v


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK223掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
政治・選挙・NHK223掲示板  
次へ