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<驚愕>教育勅語を容認、政府が答弁書を閣議決定!「教材として否定されることではない」
http://www.asyura2.com/17/senkyo223/msg/408.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 4 月 01 日 10:50:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

【驚愕】教育勅語を容認、政府が答弁書を閣議決定!「教材として否定されることではない」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-16149.html
2017.03.31 22:50 情報速報ドットコム




戦前に教育の柱として使われていた「教育勅語」ですが、これについて政府与党は教育での使用を認める答弁書を発表しました。

これは3月31日に政府が示した方針で、民進党議員の質問に答える形で「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」と回答しています。
憲法や教育基本法の尊守という前提条件がありますが、教育で教えることに関しては否定していませんでした。

元々、森友学園の塚本幼稚園は安倍政権が全国教育のモデル校として宣伝を狙っていたという話もあり、森友学園で教育勅語を重視していたことを考えると、政府答弁も辻褄が合うと言えるでしょう。

しかしながら、戦後に日本政府は国会で「教育勅語等の失効確認に関する決議」を採択しているわけで、教育勅語を使わないとしているのに政府が認めてしまうのは問題がありそうです。


教育勅語、教材で用いること否定せず 政府が答弁書
http://www.asahi.com/articles/ASK3045LBK30ULFA00Q.html
 政府は31日、戦前・戦中の教育勅語を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。


↓自民党の西田議員は教育勅語をもっと広めるべきと。
週刊西田一問一答「道徳より教育勅語を授業科目にできませんか?」





























五箇條御誓文・教育勅語・素読


『園児に「教育勅語」 安倍政権の支持勢力が…』 1080i


記事コメント

安倍政権(日本会議)の本性がどんどん表れてきましたね。
どうしてこういう狂った政権が誕生し、支持され、続いているのか。
3.11から6年間、ずっと覚めない長い悪夢を見ている気分です。
[ 2017/03/31 22:56 ] 名無し [ 編集 ]

どんどんおかしくなればよい。
じゃないとお馬鹿な国民が目覚めない。
[ 2017/03/31 22:59 ] 名無し [ 編集 ]

教育勅語の内容のほとんどは間違った事ではないのですが、親兄弟を軽視したり、仲間を平気で裏切る様な連中が教育勅語を推進するのが問題だと思いますよー。
[ 2017/03/31 23:00 ] リアルゴリラ [ 編集 ]

イカれてる
[ 2017/03/31 23:01 ] 名無し [ 編集 ]

【教育勅語の真の意図】いざとなれば、天皇(権力者)の為に命を捧げよ
なぜ教育勅語を学校で教えてはいけないのかわかるページ
http://datsuaikokukarutonosusume.blog.jp/article/1064825625

「一旦危機があれば、勇気をもって公(おおやけ)に奉仕し、永遠に続く皇室の運命を助けて守るようにしなさい」


真意
「一旦危機があれば、勇気をもって戦争に出征し、永遠の与党自民党の運命を助けて守るようにしなさい」
[ 2017/03/31 23:07 ] 名無し [ 編集 ]

能動的
目覚めて、不登校の子が増えたりしているが、社会システムが変わらないと、目覚めている人の内包する精神や発想は活かされない社会のままだが、どう到達させるか問題。
[ 2017/03/31 23:08 ] マイケルホイ [ 編集 ]

ホントは教育勅語の意味や考え方なんてどうでもよくて
「教育勅語を愛している自分」に酔ってるだけなんでしょ?
[ 2017/03/31 23:12 ] 名無し [ 編集 ]

「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」by 稲田朋美
教育勅語で霊魂進化w
[ 2017/03/31 23:31 ] 名無し [ 編集 ]

バカの一つ覚え閣議決定!自民党につける薬はないな!すでに違う薬をやっている模様!PASONA創価統一ルートの
[ 2017/03/31 23:33 ] 名無し [ 編集 ]
 

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コメント
 
1. 2017年4月01日 11:42:37 : ayqiMwXTdM : PLAo9Z07GXY[1]
国民主権に反する

国民は君主に支配される「臣民」とされ、国に「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくせ」(旧文部省図書局の通釈)とも書かれている。

だが、戦後の1948年、国会が「主権在君並びに神話的国体観に基づいている」ことから、「基本的人権を損」なうなどとして教育勅語の排除・失効の確認を決議。


http://www.asahi.com/articles/ASK305RC2K30UTIL03Y.html


2. 2017年4月01日 12:21:37 : dFMYCUTHPy : JoL1EZYnNhM[3]
教育勅語は儒教道徳だよね。
儒教ということは中国発。
中国嫌いのネトウヨさんはどうする?

3. 2017年4月01日 12:28:10 : Jws49vnAXE : Qj7nZSSqowo[1]
時代遅れ・・・というより、時代錯誤のものに傾倒しているのがカルトの証。

時代を経ても尚、輝き、導くものこそ不変なのだが、それを無理矢理軍国主義にしたいのが、エセア保守日本会議なのだ。


4. 2017年4月01日 13:23:25 : rGT9z24w76 : E1gnitVyu0E[877]
教育勅語か、

容認するのもいいけど、

勅語の現代語訳での12の徳目は、日本の伝統的道徳観が込められている

拝金主義の西田のような人間のどこに道徳心がある? 

偉そうな事をいう前に己の心を覗いてみろ。


5. 2017年4月01日 13:53:02 : JE0x5IkqKM : DXPWtpJfPfM[2]

西田昌二は「日本会議」に洗脳されて、自分も家族、子供を洗脳している。

こう言う「親父」を持った子供はかわいそう。


6. 2017年4月01日 14:10:08 : zAtWohPpng : BR2NdCEnthw[140]
今籠池を急追しているような西田だとか、西村なんてのがこれに多いに賛同しているのだから。

森友問題の根っこはここ。


7. 2017年4月01日 14:17:59 : zAtWohPpng : BR2NdCEnthw[141]
森友問題の収束、幕引きなんてのはとんでもない話である。

まあ一度朝日新聞が幕引きに向けて以前も内閣支持率掲げてメッセージを出していたがおさまらなかった。

新聞が後退姿勢に入ろうが、民進党が腰砕けになろうが国民の側でしっかり声をあげていくのが大事だ。


8. 2017年4月01日 14:22:06 : fCZ83cf8p2 : ZyE@@HR5cDA[2817]
仮に国内的にやれてもこういう分野に煩く注視しているのが海外特に戦勝国連盟の目だろう。 戦争体験のないまま真の独立や戦勝国との不公平を思う余りあからさまに戦前回帰と取られても仕方のない施策を講じればそれなりの反動が押し寄せてくる。 世界の潮流を読みながら有機的に柔軟に根気強く国益を模索することと形式的な復古主義は別物との認識が政権を預かる者にとって先ずは最も重要だろう。

9. 2017年4月01日 14:36:12 : frtErroTlE : irEWOXr423M[147]
閣議決定には何の強制力もない。
ただの申し合わせにすぎない。
だが異常な閣議決定を連発する理由は、政権の崩壊が近いから今の内に出来ることはやり、言いたいことは言っておく算段だからではないか。
次期政権はトランプのように前任者の全否定と影響の一掃から始めねばならんことになる。

10. 2017年4月01日 15:34:42 : nukAybdoDE : QTPe4yLsSG0[49]
[教育勅語は儒教道徳だよね。
儒教ということは中国発。
中国嫌いのネトウヨさんはどうする?]

儒教かどうかは知らないが、道徳的内容で全く問題のない内容

といより、とても良いことが書いてある。

そして、もはや中国は共産党独裁国家であり、儒教とは縁もゆかりもない

思想のサヨク国家に変質している。

つまり道徳、宗教など必要ないというあやまったサヨク的考え。

温故知新(論語のことば)、古いから悪いなんてことは全然ないのであって

過去の偉人のことばにこそ真理だふくまれている。

憶えておきたまえ。


11. 2017年4月01日 15:37:36 : nukAybdoDE : QTPe4yLsSG0[50]
教育勅語も使いよう、使う人次第ではある。

籠池氏、使い方がパフオ−マンス、見てくれ、演技じゃだめだ。


12. 2017年4月01日 17:16:43 : quMKleKEOA : apQvoj4eROs[107]
古代の天皇の詔や十七条憲法も国民主権にはなっていなくとも教材になっているのだから、
日本の教育史の教材としてなら教育勅語もOKでしょう


13. 2017年4月01日 18:00:23 : IJjjrLkBu1 : Tp0IihGPIW0[1644]
  教育勅語の肝は、国民納税者を「臣民」としているところであり、夫婦愛だとか兄弟愛だとか、いわゆる今以上の本音と建て前の使い分けを個人生活においても強要されるような窮屈極まりない国家の在り方(もはやDVによる離婚さえも難しいだろう)になるのも当然だが、国民納税者が臣民と見做されるところに大きなポイントがある。
  臣民とは、王国の時代に在っては王の決定で軍隊を出し、近隣諸国を植民地化し収奪した金銀財宝で城下の国民を喰わせてくれたような場合には当てはまるだろう。いわば、城の上から王が臣民を見て、餓えてはいないか、と案じるのが王政国家である。
  ところが今は租税主義であり、国民が納めた税金で何もかもやっているのであり、例えば皇室が尊くても、彼らが稼いで国民を喰わせてくれている訳では無く、徴税した税金の使途の優先順位を議会で納税者自身が決定し、歳出事務を国民が雇用している公僕にやらせる、租税主義、イコール国民代表議会制民主主義システムである。
  従って、教育勅語の精神を正当なものと決定する立法府というのは現行では有り得ない。国民から徴税し立法化して、血税の優先順位を決定する国民代表議会制度と、国民を臣民とする教育勅語の精神は相反するのである。
  閣議決定さえすれば現憲法やそれに沿った基本法さえ遵守する必要無し、との安倍内閣の狂気であるが、そもそも閣議とは、官僚が持って来た立法案を政府提案として本会議に出すための一段階であり、国権の最高機関は国会であるところ、国会以外に立法する機関があれば、それは二重権力となり、問題である。
  従って、閣議決定で全員一致であれば、それを政府提案として本会議に出し、本会議で改めて審議に入り、多数決で有っても一応国民納税者の総意として、公式な法原則とするのが筋である。
  安倍内閣は金科玉条の如くに閣議を重宝しているようだが、閣議の次には本会議を経なければ、国民代表議会制民主主義は機能せず、国権の最高機関を国会とする原則は失われるのである。
  それにしても、閣議決定は全閣僚の意見の一致による縛りが有る筈だが、それすらも怪しいのは、先の首相の外遊時に共謀罪を閣議決定しており、麻生大臣が首相の代わりに花押を押したということであり、得手勝手が甚だしい。
  少なくとも、意見の相違を乗り越えるのが閣僚全員一致への努力であろうが、何ら議論もせずに代印で出席と見做すような出鱈目では、尚更閣議決定に正当性は無い。
  閣僚の全員一致は、閣議決定の正当性をある程度担保するものであるところ、日程を合わせて閣僚全員が出席、議事録を保存し、最終的に意見が一致した場合に初めて、閣僚個々の署名により閣議決定が成立したと見做さねばならず、閣僚が揃わなくても誰かが代印すれば成立するような出鱈目が有ってはならない。
   改憲改憲と、現行憲法遵守義務を誓わねば国会に出られない筈の代議士が総理と閣僚となり、国会を党大会さながら独占した挙句、それでも足りずに本会議にも掛けずに重要なテーマを閣議決定してしまう暴走ぶりは俄かに信じ難い。
   それにしても、何でもかんでも閣議決定とは、政財官トップ癒着型の護送船団方式は、長年の料亭政治で、旨い肴に旨い酒(アルコールと塩分過多)で常に脳がマヒしているところ、遂に集団脳軟化症になってしまったか、それとも異常な劣等感が高じて、最高権力を得た今、暴走にブレーキが掛からなくなった元官僚の閣僚あたりが暗躍、地盤看板カバンを引き継いだような世襲の閣僚が、為す術もなく追随している構図にも見えるのである。
  

14. 2017年4月01日 18:23:18 : NDDSCJAIDQ : RAHMazp1fBg[44]
儒教の教えを確認しておこう。主なものは以下のとおり

忠 自分の信じることに忠実であること。また仕えた主君に忠実であること。
信 考え方、行為について他人、多くの人から信頼を得ること。
  信なくば立たずと表現される。
義 自分の行為が社会規範にかなっているかどうかどうか。損得以外にこの義にか  なっているかどうかが善悪の基準となる。
孝 親や年長者を敬うこと。経験を重ねてきた人を大事にすること。
  長幼の孝としても使われる。これも日中韓共通。
温古知新 古いものを見て考えて新しいことを知ること。歴史を深く考えること。

いずれも現代社会にも通じるものがある。中国、韓国、日本、ベトナムでも多く浸透している考え方。我々日本人も広い意味の儒教徒になる。

これらに対して和という言葉がある。これは聖徳太子が言ったとされているが個の意向より全体の一致、集団の協力が大事とされる考え方。これは日本独特のもの。
大事なことではあろうが個人の自由意志を圧殺し出る杭を打つことにもつながる。
この考え方が暴走したときが危ない。他の集団に対して独りよがりの考え方になり集団では残虐性を発揮するもとにもなる。

儒教は一般的な宗教としては活動していないがその教えは現代社会にも生きていると思う。また西欧で生まれた人権意識、平等の原則とも矛盾しないと思う。私は台湾、ベトナムで孔子ゆかりの寺を訪ねてそのことを確信した。


15. 2017年4月01日 18:58:59 : nukAybdoDE : QTPe4yLsSG0[51]
14>>。ヨこれらに対して和という言葉がある。これは聖徳太子が言ったとされて
 いるが個の意向より全体の一致、集団の協力が大事とされる考え方。これは
 日本独特のもの。」

和を以て貴しとなす


【意味】和を以て貴しとなすとは、何事をやるにも、みんなが仲良くやり
   、いさかいを起こさないのが良いということ。

 全体主義といううよりも、みんなで仲良くしなさい

 喧嘩をするな

 でいいと思いますが。

 ますが。


16. 2017年4月01日 19:23:03 : hUkJW5PNLO : vS5oQ06@H3c[676]
小林(よしのり氏)の 過去の宣伝 実を結び

17. 知る大切さ[8177] km2C6ZHlkNiCsw 2017年4月01日 19:45:10 : ZaWhA5vkEs : NveVO@skC@Y[9]

>11.
QTPe4yLsSG0さん
>教育勅語も使いよう、使う人次第ではある。
>籠池氏、使い方がパフオ−マンス、見てくれ、演技じゃだめだ。

では教育勅語ラブの下記のお3方ではどうかな?

稲田朋美・安倍晋三・安倍昭恵


18. 2017年4月01日 20:06:55 : xQoZn42Pr2 : 2ydlNWODHRI[2205]
これじゃあ全国で「安倍総理頑張れ 安倍総理頑張れ」をやる事になるね

20. 2017年4月01日 21:13:38 : gqX9U1ObwQ : 8B6h1JUYzUA[14]
つい先日、私も夢中になった高校野球が私立誘導のための宣伝になっているのに気がついたばかりなのですが、

こちらも私立誘導型、公教育を破壊する仕組みでしょうか。

将来は軍人に。軍産複合体型人間を幼いころから育成。

国粋主義や排外主義が、新自由主義にうまく利用されているような感じ。


21. 2017年4月02日 00:23:46 : hzJ0HCGa8s : i7KRzrNh3UE[9]
政府の教育再生改革で目指す方向とは?

安倍総理ガンバレ!安倍総理ガンバレ!


https://www.youtube.com/watch?v=1GQluoqDG4M

(「国民はお国のために血を流せ」の超絶問題発言)


https://www.youtube.com/watch?v=wvvoWhM_Zo0

(お国を護るためにこの命を投げ出す自己犠牲)


[動画を見れば、教育勅語の復活の目的がはっきりとして見えて来る]

国に「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくせ」


22. 山田ミー太郎[167] jlKTY4N@gVuRvphZ 2017年4月02日 00:50:06 : z3cmrbJ4vg : @uH1tB48Vqw[11]
自民党のネット対策室みたいなところがここを閲覧していると
思うので、その人たちに向けて以下を記す。

教育勅語に反対といえば、リベラルや左寄りの人ばかりではない。

キミたちのような似非愛国者、インチキ保守が教育勅語を
持ち出すのは皇室の政治利用である。

したがって、真に日本の伝統や皇室を重んじるからこそ
教育勅語の復活に断固反対という私のような者も
(少数ではあるが)存在することをお忘れなきよう。

今の日本で、教育勅語を復活させれば、
両陛下をはじめ皇族方にはご迷惑をおかけし、
一般の国民は抑圧され、トクをするのはキミたちばかりだ。


23. 山田ミー太郎[168] jlKTY4N@gVuRvphZ 2017年4月02日 00:52:18 : z3cmrbJ4vg : @uH1tB48Vqw[12]
明治や大正の頃、政治家や官僚、軍人たちには
自分一身の利害を顧みず国家に尽くす心が存在していた。

新政府側であれ旧幕府側であれ、幕末・維新を命がけで生きた
本物の武士たちがまだたくさん残って居た時代だ。

だが、キミたちには「社稷を思ふ心」や自己犠牲の精神など欠片もない。

「今だけ、金だけ、自分だけ」のキミたちが教育勅語を持ち出すのは、
明治天皇に対してたいへん失礼である、と心得よ。


24. 2017年4月02日 02:08:59 : FMas0LnREN : w0l_RmFLVb4[339]
教育勅語なんて道徳の皮をかぶっているが
国民をコントロールする道具に過ぎない

この政権は国民を大人しい文句を言わない家畜にしたい
自分たち支配者の思うままに管理、搾取したい
安倍一味にあるのはそれだけで愛国なんて1ミリもない
あったら天皇陛下に逆らわない


25. 2017年4月02日 08:37:17 : II4ihj2UeY : 9ltRgSsWqGg[10]
日本会議は明治維新から現在まで続く でっちあげ天皇制=田布施システムの
実働部隊
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/47971da1092e0c6c1461b2166329a081
   

26. 2017年4月02日 09:06:00 : gFW7dka71U : YrM0Tpn31nI[848]

「23」さま 失礼します。

>>明治や大正の頃、政治家や官僚、軍人たちには自分一身の利害を顧みず国家に尽くす心が存在していた。

戊辰戦争末期・明治政府になって、其れまでの「儒教教育」を幼き頃から受けて、幕府上級職役人登用試験の必須科目として身に付け学んだ幕臣から、諸藩の下級武士で殆どが郷士出身の明治政府高官に権限が移り「自分一身の利害」の役人・財閥商人が世の中に蔓延ってきた。

其の為、中国由来の「儒教精神」を「神道精神教祖の天皇陛下」が自ら「教育勅語」として世に知らしめた矛盾。

其処には、何故こんな解り切った「道徳教育」が必要で有ったかを推測出来る、大きな精神混乱が生じた、つまり「今だけ・金だけ・自分だけ」の世界である現代社会とソックリって事!。

しかし御笑いなのが「教育勅語」を有難がる奴ほど、その「勅語」と真逆の行動・言動をしている事だね〜♪。


27. 石爺[133] kM6W6g 2017年4月02日 13:15:15 : RU3sAuaixg : vuRW108KvSM[81]
 教育勅語に示された12の徳目ですが、全ては皇国(state)のために
ということですね、天皇陛下や皇太子はいつも国民(nation)のことを
考えておられるように思います。@からKまでの徳目については
評価したいと思いますが目的が違う問いことを考えなければなりません。
まー当時は、列強からの侵略に晒されている状況下で庶民の気持ちを理解
されていた当時の明治の大帝が国民(nation)のことを考えてのことかも
知れませんが!?

@爾臣民 父母ニ孝ニ    孝行 親に孝養を尽くす
A   兄弟ニ友ニ    友愛 兄弟・姉妹は仲良くする
B  夫婦相和シ    夫婦の和 夫婦はいつも仲睦まじくする
C  朋友相信シ    朋友の信 友達は互いに信じ合う
D  恭倹己レヲ持シ   謙遜 常に慎み深く奢ることなかれ
E  博愛衆ニ及ホシ   博愛 全ての人々をあまねく愛する
F  学ヲ修メ業ヲ習ヒ  修学習業 勉学に励み職業に精進する
G以テ  智能ヲ啓発シ    智能啓発 知識を養い才能を切り開く
H  徳器ヲ成就シ    徳器成就 徳を養い人格を磨く
I進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ  公益成務 進んで公益を広め世の為に働き
J常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ  遵法 国の定めた法律を重視し遵守する
K一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ 義勇奉公 万一非常事態に至れば、正義と勇気の心を
                    もって公の為に尽くす
結 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ以上を以て、天地に窮まる事なき皇国の命運を
助ける翼となる


28. 山田ミー太郎[169] jlKTY4N@gVuRvphZ 2017年4月02日 13:16:50 : z3cmrbJ4vg : @uH1tB48Vqw[13]
>>26さま

>>26さまのおっしゃることは私もよく分かります。

すでに明治の後半には、いわゆる拝金主義に対する批判の声が
夏目漱石をはじめ、出て来て居りますしね。

それでも、その当時には、昔ながらの日本人の純朴さが
まだまだ濃厚に残っていたと思うのです。

明治期の「今だけ、金だけ、自分だけ」を、
内視鏡でようやく見つかるくらいの初期の腫瘍に例えれば、
100年以上たった今、もはや末期段階にまで進行したのかなと。

そういう意味で、安倍政権やその取り巻きなど、
歴代の為政者たちと比較すれば
極度に劣化・幼稚化したもんだと思いますね・・・


29. 2017年4月02日 13:51:38 : yNywFulJFU : LHeMEY@jnTQ[13]
現在、自民党及び野党「維新」「民進党」などの日本会議系議員含めて武闘派のタカ派議員は衆参両院議員総数の80%前後を占めて野党は存在しないに等しい政治状況です。タカ派は偽装してきた「平和主義や自由や人権や民主主義」者の仮面を脱ぎ捨て本性を現し「現憲法はをアメリカ占領軍に押しつけられた代物」で、「日本にとりふさわしくない」として全面否定し、タカ派が永遠に偉大だと崇拝している戦争のできる普通の国〈戦争に明け暮れた明治憲法下的体制「憲法」への里帰りへの願望と熱意を日本会議系国会議員や戦争の危機をあふる「巡航ミサイル」や「THAAD]武闘派国会議員や産経系メデイアや「正論」「WILL]などの論客から受けます。だから森友学園の幼児への「愛国軍事教育実施」は少し時代の先を走り過ぎただけで、いずれ文科省が森友学園の幼児理想教育を鑑にすると思います。極右フアシズム化日本の実現がもう少し確実になる日を「あと少し」待つてやれば、森友学園の籠池氏は国民栄誉賞や叙勲どころか文科省に銅像。或いは小。中。高。の国定教科書にも愛国心と戦意高揚の為の皇国史観教育の鑑して載る可能性があつた。

30. 2017年4月02日 13:57:48 : yNywFulJFU : LHeMEY@jnTQ[14]
29>最終章<鑑して」は「鑑として」に訂正。

31. 2017年4月03日 10:57:30 : EzDUXq6LdE : @cHVUKGB6Zo[1]
自民党や応援団は教育勅語を12徳目とか良いことだらけの教育指針と誤魔化しているが、原文では、中途にこのような文言がある。そもそも12の箇条書きではない。

公益を広め 政務を開き 常に国憲を重んじ 国法に遵い 一旦緩急あれば義勇公に奉じ 

つまり何か事が起こったら、政府に従い戦争だろうがなんだろうが勇気をもって国に奉公しろと。

自民党が改憲したい理由と教育勅語を取り入れたい理由がここにあるのではないか?  


32. 2017年4月03日 17:16:03 : Sq4VsQCLTI : uVBCoI_J0YQ[8]
教育勅語は、アノいかがわしい理事長が考えたわけじゃないからね。
似非保守と一緒くたにしないでもらいたい。

莫迦サヨが閲覧妨害するブログ。

 ↓

中杉 弘の徒然日記

教育勅語を否定する馬鹿者達へ

2017-03-22 00:00:00
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12258397339.html


33. 2017年4月03日 17:18:18 : Sq4VsQCLTI : uVBCoI_J0YQ[9]
まともに戻ったから全文転載。

教育勅語を否定する連中の論拠は2つあります。一つは「教育勅語により日本は軍国主義に走って戦争に引きずり込まれた。従って教育勅語を教えるということは、その二の舞になる」という考え方です。

 1948年に「教育勅語等排除に関する決議」がなされました。それを森友学園は引っ張り出していることがけしからんというのです。本当にそうなのでしょうか? これも日本人は刷り込まれてしまっているのです。

 「教育勅語が日本を戦争に引きずり込んだ」などという考えは、全く間違った考えであり事実ではありません。「教育勅語により立派になってきた日本をなんとか引きずり込んで叩き出してやろうという」世界的な圧力の下で日本は戦争に引きずり込まれたのです。

 例えば、真珠湾攻撃をルーズベルト大統領は知っていたのです。この戦争はアメリカによって仕組まれたのです。日本は真珠湾に引きずり込まれてブッ叩かれたのです。

 中国大陸の盧溝橋事件では、中華民国の国民軍と日本軍に弾を撃ったのは中国共産党の八路軍だと今はバレています。「やりやがったな」と日本はどんどん南京まで引きずり込まれていった戦争です。

 アメリカの戦争を見て見ればわかります。アメリカは日本の在米資産を凍結をしたのです。これが戦争になった一番大きな原因です。アメリカにある日本人のすべての財産を凍結したのです。その前にカリフォルニアで同じようなことがおきたのです。

 日本人は真面目に働きます。真面目に働くからお金が貯まります。すると農場を買ったりするから「けしからん、日本人に土地を売るな!」とひどい差別をしたのです。

 これは僕も京王プラザで体験しています。エレベーターに乗ろうと思ったら、中の白人が「ジャップ、ノー!」と言ったのです。これを体験して「これが人種差別というものだ」と思ったのです。満員だから乗れないというのではありません。「ジャップ、ノー!(我々と一緒に乗るな!)」という考え方です。それが白人の考え方です。

 日本はハルノートを突きつけられて「大陸から手を引け」と言われて、「石油・鉄鋼は売らない」と矢継ぎ早にやられて、戦争をせざるを得ない状況だったのです。パール判事は「もし、こんなことを突き付けられたら世界で一番小さいモナコ公国ですらも立ち上がったであろう」言われたのです。

 マッカーサーは連合軍司令官を朝鮮戦争で解任されました。朝鮮半島には中共軍がどんどん入ってくるので、「原爆を使うべきだ」と言ったのです。当時の大統領に「原爆は使わない」と言われて老兵は去ったのです。

 アメリカの上院の公聴会で証言したのです。これはかなり権威のあるものです。単なる参考人ではなく、元将軍が適切な公的意見を述べられた言葉があります。

 "There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security." 

 「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

 これを見てもわかる通り、日本に勝った連合軍の将軍が「あれは侵略戦争ではなかった。彼らは何も持っていなかった。自衛のための戦争だった」と言ったのです。戦争を引き起こしたのは実はアメリカだとマッカーサーはわかったのです。

 何もない国に「石油はやらない、鉄はやらない、資産を凍結する」ということはブッ叩くことですから、自衛のための戦争をして当然のことなのです。

 どうしてそれが「教育勅語が戦争を起こして、多くの市民を殺した」という論理に結びつくのでしょうか? 絶対に結びつきません。

 戦いには2つあります。相手を侵略する戦いと、防衛のための戦いです。防衛のために戦い、どのような精神を持っていても負けてしまうと、「だから負けたのだ」という論理になります。教育勅語の精神を持っていたから戦争に負けたのではありません。

 「よくぞ戦った!」というべきです。日本人はよく戦ったのです。本当に何もない中でよく頑張ったのです。頑張ったのは教育勅語のおかげです。

 しかも、終戦時にはこれだけの戦力があったのです。

 軍人の数で言うと、365万人の軍人がいたのです。その内、シナにいた陸軍兵は173万人です。近衛師団は天皇をお守りする部隊ですが、近衛師団は無傷で残っていました。驚くべきことです。

日本海軍艦艇は168隻残っていました。

「海軍各基地における終戦時の保有機種・機数(昭和20年9月1日現在)」と題する資料があります。この資料は、昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和20年9月1日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令に基づき海軍省軍務局が作成したものです。

一 戦闘機2,036機(26.9%)、二 攻撃機1,306機(17.3%)、三 偵察機701機、(9.3%)、四 輸送機58機(0.8%)、五 練習機3,431機(45.3%)、六 陸軍機34機(0.4%)合計7,566機(出典図書は7,567機としているが合計すると7,566機となる)

 これだけの戦力がありながら、一斉に戦いを止めたのです。戦車も戦闘機も軍艦もすべてなくなって敗戦になったのではありません。365万人以上の軍隊がそのまま残っている状態で鉾を置いたのです。

 それは天皇の命令だからです。負けてなどいません。硫黄島の戦いでも、米軍と日本軍の死傷者数は同じくらいです。このような底力を生み出し、世界に恐れられるゼロ戦を造り、神風特攻隊をつくったのは祖国を守るために戦ったのです。

 それがどうして「教育勅語があるから戦争に巻き込まれた」というのでしょう。大馬鹿者です。防衛のためならば、男も女も戦わなければいけません。それが当たり前です。それが自然の摂理というものです。

 「教育勅語で教育をしたから、日本が戦争に巻き込まれた」などという考え方は、如何に間違っているかということです。これも入り口でブッ叩く必要があります。教育勅語は何の原因にもなっていないし、結果にもなっていません。素晴らしい教育勅語です。

 素晴らしい教育勅語だから、世界は真似して同じようなものをつくったのです。悪い言葉は一つも書いてありません。あえて彼らが言うのは、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と書いてあります。これが気に入らないのです。国民は天皇の元に団結するのが当たり前です。天皇は独裁者ではありません。

 このような愚かな論理をやっている連中は入り口で叩かなければいけません「どうして教育勅語が戦争を起こしたのだ、この馬鹿! お前たちが母国と言っている中国の毛沢東は自国民を1億人も殺しているのだぞ」と言わなければいけません。

この国にはこの国の秩序があります。天皇を中心とした民主主義です。主権は天皇にあります。主権は国民にはありません。国民はどこに行くかわかりません。国民一人一人が本当に教養があり、正しくて、素晴らしい歴史観を持っているならば、主権を持ってもよいでしょうが、そんなものはありません。

 政治家を見れば汚職だらけ、スパイだらけ、何が公共心なのでしょう。公共心すらありません。政治家などいつもこいつもウソばかりついているので顔も見たくありません。稲田朋美を見てみなさい。統一教会のウソつき女です。言っていることすべてがウソです。

 「信なくば立たず」というのです。1回ウソをついたら、政治家は終わりです。それだけのものを国民から預かっているのです。日本国は政治家のものではありません。国民のものなのです。でも、国民は運営できません。政治家に運営をゆだねているのです。政治家は国民のお金を我が物顔で振る舞っています。それにストップをかけるのは天皇しかいません。

 もう一つついでに言っておきますが、「特別立法をつくって、天皇陛下を退位させよう」など、大馬鹿野郎です。それでは天皇の私情ではないですか。「私心」がないのが天皇です。「私の都合で止めさせてくれ。次の天皇は誰がいい」と言いだしたらこれはもう公ではありません。私の情になってしまいます。

 それを排斥しているから天皇は尊敬されるのです。もちろん、病気になったらお休みになられたらよいのです。そんなこともできるのです。「この一代に限り立法を作って退位を認めよう」など、全く間違っています。

 それでは天皇の無理難題を通したということになります。天皇が無理難題を通すわけがありません。だから尊敬されているのです。何故、そんなことがわからないのでしょう。

 森友学園の話でいうと、この節操なき政治家に対して、もう国民は飽き飽きしているのです。国民が自分たちの行動の様式の原点を求めるのは当然のことであり、その原点を森友学園は教育勅語に求めたのですから、それはそれで立派な教育です。

 「教育の内容がいけない」というならば、キリスト教系の幼稚園も、仏教系の幼稚園もあります。「我が国独自のものがいけない」と言うならば、これらの幼稚園で神を教え、仏を教えることもいけないことになってしまいます。

 森友学園の教育とお金の問題は別です。これはお金がないからそうなったのです。ないけれども、何かやろうと思うと援助をしないといけません。今回は小学校まで造ったのに、更地にして国に返すのでしょうか。何と言う無駄遣いをするのでしょう。もう、建物は建っているのですから、上手く有効利用できるように助け舟を出せばいいのです。

 財界の誰かとくっつければよいのです。やろうとしたことはよし、金がないのだから出鱈目をやったのも事実、それでどのように終止符をつけるのかというと、生かすように考えればよいのです。何故そのようにできないのでしょうか。



34. 【教育勅語】全否定[1] gXmLs4jnkrqM6oF6kVOU25Lo 2017年4月04日 06:22:39 : VB9VIAwhOI : jGcfo9QyXyM[1]
【教育勅語】は全否定する以外に断じてない!。

その理由は、そもそも【教育勅語】が書かれた理由にある。

【教育勅語】とは作者の【井上毅】が、福沢諭吉の「学問のすゞめ」の示す啓蒙思想・自由主義を完全に否定し、【反啓蒙思想・反自由主義】の【儒教思想・全体主義】の【国体】教育に日本国民を教導し【思考停止】に貶める為の【洗脳装置】として書かれたからだ。

だから明治の段階で【教育勅語】に危機感を抱いた西園寺公望や秋山好古らが、啓蒙思想・自由主義を基本とする『世界之日本』人に立脚した『第二の教育勅語』を明治天皇に進言するも、【井上毅】らの抵抗に遭い頓挫した。

つまり明治に【教育勅語】が出来た段階で、既に啓蒙思想・自由主義の立場からは否定されていたのが【教育勅語】であり、そもそも当時ですら【国家】が一般国民の一般道徳に口を挟むなど、それは【国家の越権行為】であり、そもそも【教育勅語】は天皇の詔勅(勅語)だから、その段階で【道徳律】となり、福沢諭吉の率いた時事新報がいみじくも『脱亜論』で【道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め】と否定した、その【儒教道徳】の再現に他ならないからだ。

そして現代に於いて【国家】が【道徳律】を掲げて【国民】を教導しようなどとする国家こそ、今の【北朝鮮】に他ならない。

従って【教育勅語】とは、その【徳目】の全てを含めて全面否定する以外に無い。

明治時代に既に【教育勅語】の危険性が理解されていたが、啓蒙思想・自由主義が日本人に浸透する前に、『脱亜論』が否定した【儒教】汚染に拠り日本が完全に支配されてしまう。

其の結果、それまで【儒教】の一部だけを取り上げて利用していた日本人が、日本史上、初めて【教育勅語】に拠り【儒教思想・全体主義】に支配される結果となった。

その結末は誰もが知る、帝国の敗北だ。

戦後、教育基本法を作るにあたり、当時の文部省はその点に留意し、『教育基本法の解説』の中で次の様に反省している。
===
「国家を唯一の価値の基準とし、国家を越え普遍的政治道徳を無視する教育を行った結果、自国の運命を第一義的に考え国際間の紛争を武力をもって解決しようとする武力崇拝の思想が教育の中に侵入してきた」
「この様な教育は、わが国をして世界を相手とする戦争にまで追いこみ、今日の敗戦の災いを招くに至った有力な一因をなした」
===
だから戦後、直ぐに【教育勅語】は否定された。

さらに日本国憲法の前文にある『人類普遍の原理』は【国体】を否定する。

従って【国体】中心の【教育勅語】は、如何なる【詭弁】を用いても【反面教師】としてしか教材に成り得ない。

そもそも【国家】が一般国民に一般道徳を説くこと、其れ事体が越権行為であり、道徳とは『個人の思想の自由』に含まれる概念だ。

従って【徳目】を教材として教える事態が既に【違憲】なのだ。

【教育勅語】は全面否定しかない。

その為にも、明治に既に書かれていた『第二の教育勅語』草案を挙げる。
見れば判るが『世界之日本』人に必要な技能について書かれているが、【徳目】などは書かれておらず、当然に【忠心愛国】【忠孝】なんてことも書かれていない。

参考)
===
立命館大学編『西圏寺公望伝』別巻二>『第二の教育勅語』の草案
−−−
教育ハ盛衰治乱ノ係ル所ニシテ国家百年ノ大猷ト相ヒ伴ハザル可カラズ。
先皇国ヲ開キ朕大統ヲ継キ旧来ノ陋習ヲ破リ、知識ヲ世界ニ求メ上下一心孜々トシテ怠ラズ。
此ニ於テ乎開国ノ国是確立一定シテ、復タ動ス可カラザルヲ致セリ。
朕嚢キニハ勅語ヲ降タシテ教育ノ大義ヲ定ト雖(いえど)モ、民間往々生徒ヲ誘掖シ後進ヲ化導スルノ道ニ於テ其歩趨ヲ誤ルモノナキニアラズ。
今ニ於テ之ガ矯正ヲ図ラズンパ他日/大悔ヲ来サザルヲ保セズ。
彼ノ外ヲ卑ミ内ニ誇ルノ陋習ヲ長ジ、人生ノ模範ヲ衰世逆境ノ士ニ取リ其危激ノ言行ニ仿(さまよ)ハントシ、朋党比周上長ヲ犯スノ俗ヲ成サントスルカ如キ、凡如此ノ類ハ皆是青年子弟ヲ誤ル所以ニシテ恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホスノ義ニ非ズ。
戦後努メテ驕泰ヲ戒メ謙抑ヲ旨トスルノ意ニ悖(もと)ルモノナリ。
今ヤ列国ノ進運ハ日一日ヨリ急ニシテ東洋ノ面白ヲ一変スルノ大機ニ臨ム。
而(しか)シテ条約改訂ノ結果トシテ与国ノ臣民ガ来テ生ヲ朕ガ統治ノ下ニ托セントスルノ期モ亦目下ニ迫レリ。
此時ニ当リ朕ガ臣民/与国ノ臣民ニ接スルヤ丁寧親切ニシテ、明ラカニ大国寛容ノ気象ヲ発揮セザル可力ラズ。
抑モ今日ノ帝国ハ勃興発達ノ時ナリ。
藹然社交ノ徳義ヲ進メ、欣然各自ノ業務ヲ励ミ、責任ヲ重シ、軽騒ノ挙ヲ戒メ、学術技芸ヲ煉磨シ、以テ富強ノ根柢ヲ培ヒ、女子ノ教育ヲ盛ニシテ其地位ヲ嵩メ夫ヲ輔ケ子ヲ育スルノ道ヲ講セサル可力ラズ。
是レ実ニ一日モ忽諸ニ付ス可カラサルノ急務ナリ。
朕ガ日夜軫念ヲ労スル所以ノモノハ、朕ガ親愛スル所ノ臣民ヲシテ文明列国ノ間ニ伍シ、列国ノ臣民ガ欣仰愛慕スルノ国民タラシメント欲スルニ外ナラズ。
爾有衆父兄タリ、師表タリ。
或ハ志ヲ教育ニ懐クモノハ深ク朕カ深衷ニ顧ミ百年国猷ノ在ル所ニ遵由シテ教育ノ方向ヲ誤ルコトナキヲ勉メヨ。
−−−
『第二の教育勅語』の草案のポイント)
1.「忠君愛国」「忠孝」の語がない。
2.民間の「誘掖」「化導」の誤りを指摘し、その原因を「衰世逆境ノ士」を人生の模範とする教育にあるとし、その弊害の是正を説く。
3.「大国寛容ノ気象」を発揮せよと説く。
4.「社交ノ徳義ヲ進メ」「業務ヲ励ミ」「責任ヲ重シ」「軽騒ノ挙ヲ戒メ」「学術技芸ヲ煉磨シ」、これらを通じて国家富強の基盤を形成し、「女子ノ教育ヲ盛ニシテ」女子の地位向上を説く。
5.日本国民に対し、文明列国に伍し、対等に向き合える国民に成長することを求めている。
===


35. 2017年4月05日 09:15:43 : EHniEehUJU : v5M6WN8N_g4[1]
欧州に見られる民主体制(主権者国民)からの極右と日本の場合の思想は淵源が違う。
日本は、中韓北と同じ儒教思想を古くから取り入れその上に立つ政治体制や倫理道徳を
社会生活の基盤としている。 (一夫一婦制は西欧文明キリスト教の影響) 儒教圏で、

いち早く民主制の政治体制を敷いた。 しかし、外圧(中国北朝鮮の軍事脅威)をたてに、
中国北朝鮮の一党独裁や元首主権で、民主主義を破壊しようとしているのが保守勢力。
で、教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公�ニ奉シ」をよく引用される。 が、「我カ臣民克ク

忠ニ克ク孝ニ」に問題がある。 この忠孝の政治体制は、民主制と相いれないものである。
江戸幕府は朱子学の「忠」を大義とし統治した。 尊王攘夷も明治も、この「忠」を紐解く
ことが重要である。 薩長の尊王攘夷(水戸藩が始め)と朱子学を結びつく例を示すと、

朱熹の時代、中国の英雄・岳飛の「尽〈精〉忠報国」と薩摩の精忠組。 桜田門外の変は、
水戸藩士と薩摩藩士の精忠組とされる一名が襲撃した。 精忠組に、西郷隆盛や
大久保利通も名を連ねる。 長州の吉田松陰は忠孝一致を論じた。 朱子学・朱熹の

「中庸章句」『哀公問政』章の一節を引用すると、『天下之達道五。所以行之者三。
曰君臣也。父子也。夫婦也。昆弟也。朋友之交也。五者天下達道也。知仁勇三者。
天下之達コ也。所以行之者。一也。』とある。 孟子は『父子有親。君臣有義。夫婦有別。

長幼有序。朋友有信。』である。 吉田松陰は君臣也と父子有親の優先順位を同一とした。
この思想が、明治から戦前まで教育され、今も我々国民の意識に刻まれているといえる。 

中庸章句の哀公問政が訳されたサイト
http://blog.goo.ne.jp/shogo_74/e/fe1305dfd338ae49b6675f74d7d4a351

中庸章句
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/chuuyou/chuuyou.html

大方の国民は、儒教を躾として教え伝えている。 例えば、米国に見られるような兄弟や
先輩後輩が名前で呼び合うことを少ない。 (長幼に序有り) 会社では、役職名や敬称を
つけ、肩書の社会を形成している。 儒教は、礼を重んじる。 党首討論、英国は党首が

机を挟んで交互に立って議論する。 その姿勢は、片肘を机に乗せてやジョークもある。 
そして、首相や閣僚、野党も同じ長椅子に腰掛る。 日本のように、個々人の椅子は無い。
全議員が揃うと座る椅子が無く立った状況になる。 英議会の討論姿勢や議場は、日本

から見ると議員に礼を欠くとなる。 議論の論理よりも形式(礼)をを重んじる感情が働く。
親が子を叱る時も同じように、まずは態度を重視するのと同じである。 これがいいのか
悪いのか育ちによりいろいろあると思われる。 しかし、歴史認識を踏まえる必要がある。

「哀公問政」終わりに「誠」について書かれている。 「誠」は新選組が使った。 新選組も
儒教・朱子学をもとにしている。 江戸時代は童子訓を学び、漢文を素読、講釈、年齢が
上がると会読となり討論を行ったとされる。 忠孝が社会にも及び刑罰も奉公先の主人や

親の殺人は重罪として市中引き回しの付加刑、忠を重んじた吉宗は男女の心中(相対死)
を「忠」分けるとし残虐な刑を処したという。 後代も未遂で生き残ると晒しが付加された。
この朱子学は、李氏朝鮮(文禄慶長の役の捕虜)から学び、幕府は統治に利用した。

両班はネトウヨが好む話のようであるが、幕府も同じように身分制を取り入れた。 (朝鮮は
科挙を行ったが、日本は関ヶ原の論功行賞をもとにした家格世襲で科挙はない。 また、
仏教を禁止したとされる。 幕府は、神仏への信仰は奨励した) 明治からは主君(天皇)

一人となり、その天皇に忠誠を尽くすよう教え込むものが、教育勅語である。 その政治
体制は、中国や北朝鮮と同じになる。 党や指導者を批判すれば、抑圧される体制である。
欧州の極右は、移民の制限や排斥などで、国王に主権を与える主権在民の放棄とは違う。

組織(会社・政党・宗教)において、忠誠を誓うや忠誠を尽くすのは、その組織内のこと。
これを外部の国民全体に広げることは、ゆるしてはいけない。 自民党は、侮辱の一言で
証人喚問を決めたようである。 故事に「鹿を指して馬となす」とある、今の自民党は故事を

戒めとする気概も捨て、忠誠心だけのようだ。 教育勅語の次は、「忠ならんと欲すれば孝
ならず」と教えそうである。 自民党は、「平家にあらずんば人に非ず」と権勢をほこるのか、
「驕る平家は久しからず。 ただ春の夜の夢のごとし」となるのか。 有権者が、子や孫へと
つなぐ歴史をどうするか次第である。

平家物語 巻一 禿髪 (現代訳)
http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/heike/01/0401.html

平家物語 巻一 祇園精舎 (現代訳)
http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/heike/01/0101.html



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