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2018年を読み解く 保阪正康・救国直言!「出でよ!日本の異端児」=青木理 「前川喜平」をもっと生み出せ!(サンデー毎日
http://www.asyura2.com/17/senkyo237/msg/715.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 12 月 30 日 10:30:06: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

2018年を読み解く 保阪正康・救国直言!「出でよ!日本の異端児」=青木理
https://mainichi.jp/sunday/articles/20171225/org/00m/010/001000d
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/society/2018/01/07/post-1881.html
https://twitter.com/mainichi/status/945447853488422912
2017年12月26日 サンデー毎日


   
    前川喜平・前文部科学事務次官=川田雅浩撮影


▼「情報隠蔽国家」に立ち向かえ


▼「戦争犯罪」隠蔽と「モリ・カケ」疑惑の類似点


 森友・加計学園問題の核心には、国家による記録の破棄という問題がある。権力の恣意的な情報管理を批判してきたジャーナリスト・青木理氏が、現代史研究の第一人者・保阪正康氏にこの問題を問い、まっとうな「異端児」となって「情報隠蔽国家」に立ち向かう道を探る。


 このところ、さまざまな取材をしていると常に突き当たり、考察を余儀なくされてきたテーマがある。ひとことでいえば「国家と記録」について、ということになろうか。


 私(青木)が本誌で少し前に連載した現役自衛官の告発インタビューもそうだった。機密文書の「漏洩(ろうえい)犯」だと疑われ、警務隊による強制捜査まで受けたこの自衛官は、いまも防衛省に勤務しつつ無実を訴え、国家賠償請求訴訟を争っている。しかし実に奇妙なのは、問題の文書を首相も防衛省も「存在しない」と公言した点であった。しかも防衛省・自衛隊は、内部で密(ひそ)かに当該文書の隠蔽(いんぺい)・破棄工作を繰り広げた疑いが濃い。


 なぜこうした滑稽(こっけい)な矛盾が生じたか。垣間見えてきたのは、政権や官僚たちにとって不都合な文書――すなわち「国家の記録」を平然とねじ曲げ、隠蔽し、時に放り捨ててしまって恥じない権力者たちの実態であった。


 防衛省・自衛隊ではまた、南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報をめぐる一件もあった。情報公開請求を拒み、のちに日報の存在が発覚すると、実は防衛相まで隠蔽に加担していたのではないかと政治問題化し、幹部多数が処分される事態に発展した。


 森友学園や加計(かけ)学園をめぐる疑惑も同じである。国有地が異常な安値で払い下げられた経緯を記した文書類を、財務省はすでに破棄してしまったと開き直っている。加計学園の獣医学部新設をめぐっては、「総理のご意向」と記された文部科学省の文書が流出したものの、政権幹部は「怪文書の類い」と強弁し、のちに文科省内で存在が確認されても「事実ではない」と、これまた開き直った。一方で内閣府などに残されているはずの記録は、いまに至るまで公開されていない。


「国家の記録」と向き合わず、時に破棄し、そもそも記録をきちんと残そうとすらしない為政者たち。年があらたまるのを機に歴史の記録に基づくノンフィクション作品を数々著してきた保阪正康氏のもとを訪ね、こうした状況の病理と弊害を議論してみたいと私は思った。


膨大な「戦争の記録」を焼却した日本


「青木さんの問題意識をうかがい、すぐに思い出したのは昭和20(1945)年8月14日のことです。この日の閣議と大本営の方針で、戦争に関する一切の資料や文書の焼却が命じられ、軍事機構や行政機構の末端にまでそれは伝わった。全国の市町村や軍事施設では膨大な資料が次々に燃やされてしまいました。『焼却せよ』との文書も残したくないので、末端では役場の職員が、村から村へ自転車で伝えたそうです」


――戦犯追及を恐れて。


「そうです。『天皇陛下にご迷惑をかけないため』なんていうのは逃げ口上で、実際は我が身が可愛いだけの保身です。これと対照的なのは米国でした」


――というと?


「最終的には8000人ぐらいの規模になる『戦略爆撃調査団』を日本に送り込み、地方などにも入って調査し、ものすごい報告書をつくった。それは納税者に対する義務だったのです。増税までして戦争を行った以上、きちんと調べて報告しなければならない。そういう意味では米国のほうが筋が通っているんですね」


――戦争という極限状況下でも、民主主義の建前と原則が辛うじて生きているか否かですか。


「そうなんです。我々の側は、資料を全部燃やしてしまった。そういえば何年か前、慰安婦問題をめぐる意見広告が『ワシントン・ポスト』紙に出たことがありますね」


――2007年の6月、ジャーナリストの櫻井よしこ氏や自民党の国会議員らが出した意見広告ですね。〈強制的に慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない〉などと訴える内容でした。


「よくそんなことが言えるな、と思います。全部燃やしてしまったんですよ。なのに『文書がない』などと平気で言える神経を僕は疑います」


 戦後70年が過ぎても日韓両国の火種としてくすぶりつづける慰安婦問題にせよ、あるいは南京虐殺事件といった数々の問題にせよ、日本側が資料や文書をきちんと残していれば、一体どうなっていただろうかと想像する。いずれも歴史的な事実であり、否定することなどできはしないが、規模や態様などについては日本側の主張を裏づけた可能性もある。少なくとも事実はもっと精緻に検証され、ひょっとすれば現在のような火種にはならなかったかもしれない。


 そんなことを考えるにつけ、私がいつも不思議な話だと感じていることがある。保守と呼ぶにせよ、右派と呼ぶにせよ、国家の存在やその歴史を「誇り」と捉える人びとこそがむしろ、その基盤となる「国家の記録」を大切にし、公的な文書や資料をきちんと残して後世に伝えよう、と主張してしかるべきではないか、と。


 だが、現状はまったく異なる。公文書の大切さなどは、むしろリベラルなどと称される人びとがそれを訴え、保守を自称しているはずの政権は公文書の隠蔽や廃棄に突き進んで恥じ入るところがない。政権を支持する保守や右派層からも疑問の声がほとんど上がらない。再び保阪氏の話である。


「右とか左という問題もさることながら、資料というのは、物事を客観的に見ようとする人たちには基本的な判断材料です。一方、客観的に物事を見ることができない人たちは資料など必要じゃない。論点が崩れてしまう資料など、むしろないほうがいい。そういう右派が近ごろ多すぎます」


――そうですね。


「僕は以前、鹿児島の知覧から飛び立った特攻機の無線を聞いていた海軍士官の日記を見ました。そこには〈今日もまた、「海軍のバカヤロー」と言って散華(さんげ)するものあり〉と記されていた。だから、みんなが勇猛果敢に死んだというのは違うと書いたら、どんな反応が来たと思いますか。『当時の海軍の無線は本土から沖縄まで届かない。だから保阪の言っていることはウソだ』と。こういうのを一知半解と言うんです」


――実際はどうなのですか。


「特攻機は沖縄どころか、鹿児島湾で墜落してしまったり、沖縄に着く前に米軍に撃ち落とされてしまっている。そういう事実も知らず、一知半解で物事を語るのが歴史修正主義者の特徴です」


――極論すれば、歴史修正主義者にとっては資料など不要で、むしろ邪魔だと。


「ええ。最初に『日本は侵略なんてしていない』という旗を立て、それに都合のいい材料をかき集めて検証もしない。客観的に物事を見ない人たちは資料を馬鹿にします。そうした風潮が広がっているのは、怖い」


 歴史などの事実を客観的に見ようとする者たちにとっては何より必要な「国家の記録」。しかし、そうでない者たちには必要なく、むしろ邪魔なものとして疎まれる――保阪氏の指摘に私も深くうなずいた。そうした眼(め)で近年の保守政界を眺めれば、事実を重んじない歴史修正主義の風潮は確かに強まっている。実に怖いことだと私も思う。


 ただ、物事を客観的に見ようとする者が自民党の宰相の中にもいないわけではなかった。公文書の重要性を訴え、公文書管理法の制定(2009年成立)をリードした福田康夫氏はその代表格であろう。


 保阪氏も「福田さんは実証主義的な方です」と評価する。その福田氏がリードした公文書管理法は、第1条で「目的」を次のようにうたっている。


〈この法律は、国の諸活動や歴史的事実の記録である公文書が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、行政が適正に運営されるようにするとともに、国の諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする〉(抜粋)


 とても崇高な条文だと私は思うが、しかし現政権からは、こうした崇高さが微塵(みじん)も感じられない。森友、加計学園の疑惑しかり。南スーダンPKO日報もしかり。直近で言えば、天皇退位をめぐる皇室会議の議事録などが典型例であろう。


 天皇退位の日程などを決める皇室会議は12月1日、皇族や三権の長ら10人の議員が出席し、宮内庁の特別会議室で開かれた。約1時間15分だったという会議は非公開だが、皇室典範に規定された皇室会議の開催は約25年ぶりであり、戦後8回しか例がない。


 しかも天皇の生前退位は200年ぶりのことである。一体どのような議論を経て退位に至ったのか、退位そのものへの異論や異見はなかったのか、退位日程などはどう決まったのか……。天皇制そのものや生前退位への評価はともかく、重大な歴史的出来事であり、後世にその中身や経緯を伝えるべきなのは議論の余地があるまい。


 官房長官の発表によれば、会議では10人の議員全員がなんらかの発言をしたという。だというのに、公表された〈議事概要〉は次の一文がすべてだった。


〈天皇陛下には1月7日の御在位満30年の節目をお迎えいただきたいこと、国民生活への影響等を考慮すること、静かな環境の中で国民が天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位をこぞって寿(ことほ)ぐにふさわしい日とすることなどの意見の表明が行われた〉


 わずか百余字の〈議事概要〉。報じられているところによれば、政府はこれ以外に記録を残すつもりがないという。天皇制と天皇退位の問題にこだわり続けてきた保阪氏の憤りと絶望は深い。


「歴史への誠実さの欠如です。僕自身は今上天皇は国民に重要な問題提起をしていると思うけれど、天皇制についてはさまざまな議論があり、それを含めて記録を残すのは歴史的責任に関するイロハのイです。


 なのに後世の人びとが知りたいと思った時に歴史的資料がないというのは、後世の人びとを馬鹿にし、同時代の我々を愚弄(ぐろう)することになります。それに対する自省や反省がこれっぽっちもない」


――現政権は、建前としては天皇制と皇室の存在を重視しているはずですが、なぜこうした態度を取るのだとお考えですか。


「憲法問題が前面に出てきてしまうからでしょう。改憲論者の彼らは、改憲の中で天皇をどう位置づけるかという問題をまだきちんと整理できていない。だから記録を残したくない、記録を残さないことによってフリーハンドを保持するという選択をしたんじゃないでしょうか」


「前川喜平」をもっと生み出せ!


 ここでも自らの利害や都合を優先し、公文書管理法がいう「国民共有の知的資源」としての国家の記録を後世に残そうともしない為政者の姿。しかし、振り返ってみればこうした風潮はいまにはじまった話ではなく、戦前・戦中から現在に至るまで一貫して変わらぬこの国の宿痾(しゅくあ)に思える。


 ならばこれは国民性、あるいは民族性のようなものではないか、といった似非(えせ)科学的な妄想も湧く。保阪氏に尋ねると、こんな答えが返ってきた。


「典型的な官僚制度の悪弊でしょう。それはつまり、政権と官僚以外の人間の権利などは踏みにじられ、馬鹿にされていることになる。まるで江戸時代の農民のような状況に置かれ、『由(よ)らしむべし、知らしむべからず』という状況で愚弄されている。そういう意味でいえば、前川氏のような人がもっと出てきてほしいと思います」


――前文部科学事務次官の前川喜平氏のことですか。


「そうです。彼の覚悟は並大抵のものではない。政権やその意向を忖度(そんたく)する連中が必死に潰そうとしたし、これからも潰そうとするかもしれませんが、その市民感覚を私たちは有形無形に支援できるかどうかということです。前川氏のような人をたくさん生み出すために、生み出す状況をつくっていかなくてはならない。


 かつて軍国主義に抵抗した斎藤隆夫を国会から除名した愚かな歴史がある。斎藤隆夫は当時は“異端”として孤立させられましたが、いまから見て本当の歴史意識を持っていたのは彼のほうなわけです。それを教訓とできるか、と私たちは問うべきです。それが一貫して続く官僚制度の悪弊を打ち破り、歴史修正主義の横行を食い止める第一歩だと思います」


 異常な状況に立ち向かうまっとうな“異端児”をいかに多く生み出すか。確かにそれこそが現下最大の課題である。


(ジャーナリスト・青木理)


ほさか・まさやす
 1939年生まれ。ノンフィクション作家。資料と証言に基づいて、昭和史の実証的研究を続けてきた。著書に、シリーズ『昭和史の大河を往く』『昭和天皇実録 その表と裏(1)(2)(3)』『安倍首相の「歴史観」を問う』『憲法を百年いかす』(半藤一利氏と共著)ほか多数


あおき・おさむ
 1966年生まれ。共同通信記者を経て、フリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家。丹念な取材と鋭い思索、独自の緻密な文体によって時代の深層に肉薄する。著書に『日本会議の正体』『誘蛾灯』など多数。最新刊『安倍三代』(朝日新聞出版)が発売中


(サンデー毎日1月7・14日合併号から)


















 

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コメント
 
1. 2017年12月30日 10:51:49 : BAqWIx5MJE : Kxcana1I9t0[259]
 安倍デンデン何某やそれを支持しているような勢力は「保坂氏や青木氏」の備えているような理性的知とそれを日本という社会に対して主張することをを最も忌み嫌い、生理的に嫌悪する人種のような気がする。

 安倍デンデン一派は「そのような理性的な知が浸透した日本国」とは正反対な「力による非理性的統治を貫徹したい」という情念で政治活動をしているように思えてならない。

 自民党改憲試案にはそのような志向がにじみ出ているように思う。

 今後日本国民が「どちらの日本国」がより好ましいかと考えることにより、国家の形が定まってくるような気がする。「知性か情念か?」という選択・・・。


2. 中川隆[-5780] koaQ7Jey 2017年12月30日 11:10:07 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
色キチガイの詐欺師 前川喜平がやっていた事教えてあげる

文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店である。7月初旬のある夜、本誌もまたここで働く女性の生態を“調査”すべく、店に入った。南国のモンステラの葉が壁一面を覆う店内には、カウンター席の他、ガラスで仕切られた向かい合わせの席がある。

1時間1ドリンク付きで3500円、2時間4800円。女性は無料。ドリンク飲み放題、スナック菓子食べ放題。席に座ると、男性の手元にはピンク色のメッセージカードが置かれる。ニックネーム、職業、血液型書き、「食事」「カラオケ」「飲み」「女の子におまかせ」の4項目から1つを選択。全て記入したら店員経由で気になる女性に送る。先方がOKの場合、相席して“次の予定”を交渉する。

この夜、店内には9人の女性がいた。ミニスカワンピの20代前半から、スーツを着たアラフォーまで、さまざま。グラスを片手にスマホをいじり、男性からの指名を待つ。一晩遊ぶ男を求め、あるいは交際相手を求め、店に集った素人女性である。

「ま、多くが“ワリキリ”目的だけどね。要は、エンコー。お金のために割り切って寝ますってこと。前川さん、よく来てました。あたしも指名されたことあるんで。貧困調査なのかなぁ。教育問題とか難しい話をしてたけど。『このあと外出る?』みたいな交渉もあった。アタシは断ったけど、ついてく娘もいた」

出会い系カフェは、いわばグレーゾーンの商売であり、自由恋愛が前提になっている。出会って気に入れば自由恋愛に発展するし、気に入らなければ断ることができる。「文科省の前事務次官、前川喜平氏(62才)が「実地調査」で通い詰めた店」もそのようなお店であり、話では断られることが多かったようだ。

60代のおっさんでは、よほどのことがない限りワリキリに応じてくれる子はいないだろう。あったとすれば自由恋愛ではなく個人売春に近いだろう。このような人物が文部科学省の事務次官をしていたのだ。そして何人かの子と個人売春までしていたのだろう。状況的にそうなる。
http://2013tora.jp/kabu395.html


2017年07月02日
事務次官とは何か、前川前次官で注目エリート集団


この人が騒いでいる本当の理由は、「自分の方が総理大臣より身分が上だ」という事です。
引用:http://blogc.fujitv.co.jp/simg/blogimg/6db29/90119/537660_pcl.jpg


総理より地位が高い事務次官

加計学園をめぐる「忖度」騒動は前川喜平・前文部科学事務次官の告発から騒動が広まった。

なぜ前川氏はこのように安倍首相を憎み、敵愾心を露にして噛み付くのか、事務次官という身分階級を知らないとわかり難い。

各省庁の事務次官は「次官」なので文字を読んだだけでは「2番目の事務員」かなと思うが、実際には省庁の大統領のような地位にある。

         

事務次官は表向きの法律では大臣を補佐する役割だが、実際には大臣を上回る最高権威です。

大臣と事務次官の関係については、2001年に小泉内閣で外務大臣を(9ヶ月だけ)勤めた田中眞紀子議員が良く喋っていた。(喋りすぎた)

その前に田中眞紀子が外務大臣に選ばれた理由を説明すると、2001年4月の自民党総裁選で小泉純一郎を当選させた功労者だった。


超不人気だった森首相が退陣し、次の首相は橋本龍太郎で決まりと言われていて、国民は「またあのバカ総理か」と失望していた。

小泉純一郎は出馬しても負けそうなので立候補するつもりはなかったが、当時人気絶頂だった田中眞紀子が「あんた出なさいよ」とけしかけたと言われている。

人気者の眞紀子に後押しされて小泉旋風が吹き、めでたく総理大臣になり田中眞紀子は論功行賞で外務大臣になった。


欧米メディアは「次の総理は田中眞紀子」「初の女性総理誕生へ」と報道し、小泉自身より人気が高かったほどだった。

その大功労者が些細なことで外務官僚と対立して、クビになったのは田中眞紀子大臣の方だった。

日本政府の方針と異なる発言を、外相として勝手に発言したり、外相会談のドタキャンなど様々な出来事があった。


官僚を激怒させた安倍首相の行為

だが一番の対立点は「外務大臣と事務次官のどちらに人事権があるか」という事で、眞紀子大臣は自分に逆らう事務次官の更迭を小泉首相に要求した。

結果は書いたとおり、クビになったのは大臣のほうだったので、大臣の人事権は事務次官が握っているが、逆はありえない。

法律はどうであれ大臣より事務次官のほうが地位が上なのが日本の制度であり、主要な省の事務次官となると総理大臣より地位が上である。


ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されたが、事務次官は決して逮捕されず、責任を取らされたりもしない。

思い出して欲しいがあらゆる政治スキャンダルで責任を取るのは大臣と総理だけで、事務次官や官僚はマスコミから責任の追求すらされない。

もし事務次官が責任を取らされるような事が起きれば、明治以来の大事件であり、絶対に有り得ない筈だった。


朝日新聞は平気で天皇や総理大臣の悪口を書くが、それでいて事務次官の悪口を絶対に書かず、官僚は神聖にして汚すべからずを貫いている。

朝日新聞も日本の最高権力者が怖いのであり、許認可権から逮捕権、裁判権まで握っている官僚たちには逆らいません。(最高裁判官も官僚)

その有り得ないはずの事が森友、加計騒動の根源である文部科学省で起きていて、事務次官がクビになっていました。


「キXXX」の言い分

前川喜平前事務次官は退職した文部官僚が民間機関に天下りする仲介役をしていて、2017年1月20日に辞職した。

2017年3月に懲戒免職になる予定だったが、文部省側は猛反発しして自主退職になったうえ、退職金5000万円以上が支払われた。

軽い処分で済んで助かったように見えるが、官僚目線では「どうして上司である事務次官が部下である総理大臣から追放されるのか」という事になる。


ニュースを見ていると異常な事件で犯人が意味不明な事をしゃべる場合があるが、「キXXX」の言い分は彼らにしか分からない。

前川喜平と官僚たちには「総理大臣風情がでかい面しやがって」「今に見ておれ小僧」という恨みだけが残ったようです。

そして文部科学省は自分のスキャンダルである森友、加計を暴露する事で安倍首相を糾弾するという捨て身の戦法に出た。


過去の政治スキャンダルで責任を問われたのは政治家だけで、官僚が罪に問われた事は無いので、こうした戦法は実は良く行われている。

大阪地検や東京地検は森友加計を捜査しているが、検察官僚の身内である文部官僚は決して捜査対象にならない。

うまく行けば前川喜平前事務次官は高給で天下りできるだろうし、それどころか政治家として権力を握る事もできる。


突き詰めると官僚と総理のどちらが上か、どちらが日本の権力者かという対立です。
http://www.thutmosev.com/archives/71597964.html


天下り官僚に翻弄される私大の悲惨

私大を渡り歩いて5億円を荒稼ぎ!
天下り官僚に食い物にされる私大

官僚時代は数百億円の予算を動かしていただけに金銭感覚がズレすぎているという。私大には文科省、経済産業省、財務省など多くの官僚が天下りし、教授の座に収まっている。

「“渡り鳥稼業”の天下り役人は会議の欠席はザラなうえ、仕事の知識もない。仕事は部下に任せてゴロゴロしているだけ。それでも年俸は最低2500万円。さらに5年勤めて退職金が3000万円。これで3〜5つの大学を渡り歩いて計5億円は稼ぎます」

 もっとも何もしないのならマシな部類で、元官僚と悪徳教授が手を組み、大学を食い物にするケースも多々あるそうだ。濱野氏がいた都内の女子大では40億円が消えたこともあったという。

「彼らが株式や投資信託を駆使してマネーロンダリングをやったようですが、証拠が出なかった。また、翌年に取り壊しが決定していた校舎の大規模修繕に3億をつぎ込み、さらに塗装で1億2000万円と、計4億2000万円を無駄遣いしたことも。すぐに跡地に新しいビルを建てるところまで計画済みで、旧ビルでどんなインチキがあったのかはウヤムヤになってしまった。巧妙に証拠が残らない工作だけは一流のため、追跡調査もできなかった。もちろん大学の事務職などは真相を知っていましたが、黙殺したまま。ヘタに口にしようものなら簡単に左遷されてしまいますからね」

 別の学校ではこんなケースも。

「もっとひどいのは、研究業績が大学院生ほどもないクズ教授を学長に仕立て、自分は定年のない常務理事のポストに就いた天下り官僚がいました。さらに、部課長などの大学の要職を、仲間や部下で固め、付属の建物の増改築で稼ぐなど好き放題だった。さらに、法人側の私立学校法違反事項を目ざとく見つけると、理事長選で教授会をけしかけ、当主を追い出し自分が理事長の座に座り、そのまま学園を乗っ取ったヤツもいた。都内有数の伝統校でしたが、その後は、学問はそっちのけとなり、今では生徒の確保にも困るほど疲弊してしまいました」

 悪質な実例はまだまだあるという。

「今時、わざとド田舎にキャンパスを購入し、引っ越さなくてもいい学部の建物まで建てて都内一等地のキャンパスを売却し、その取り壊しとキャンパス移転で数十億を着服する天下りもいました。ゼネコンのリベートで稼いだんです。その大学は生徒集めに窮し、今は中国やベトナムからの留学生で細々と命脈を保っていますが、近々、倒産の噂も聞こえてきます。もちろん、天下り役人はその前にいなくなるでしょうね」

 悪徳教授や官僚を受け入れる私学の側にも落ち度があるとの指摘もあるが、濱野氏はそれは違うという。

「教授会が天下り官僚は採りたくないと考えていても、彼らは巧妙に法人側の上席ポストを占めてしまう。そうなれば、自動的にかつての役所の部下を雇いこむルートができてしまうんです。大学が悪いのではなく、行列を作って乗っ取りに来る方が悪いんです」

 今年3月、松野博一・文部科学大臣は、省庁退職者が許認可や補助金の支出対象である大学や財団に再就職することを当面自粛すると明らかにしたが、果たして実効力がどれだけあるのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。
http://diamond.jp/articles/-/137283

内田樹の研究室 2017.11.03 大学教育は生き延びられるのか?

日本の論文数が急激に減り出したのは、2004年の独立行政法人化以後ですけれど、それは当たり前なのです。でも、じゃあどうすれば低下した学術的生産力を復元させて、海外の大学と競合できるようになるのかが問題になると、その課題に答えるためにまた会議が行われ、書類を書かされる。さらに研究は停滞する。そんなばかばかしいことを全部止めてしまえば日本の大学の研究教育の力は回復します。大学人であれば、誰でも内心はそう思っているはずです。教員たちを研究教育に専念させる。夏休み春休みをたっぷり与える。サバティカルで在外研究の機会を与える。それだけのことで論文数なんか一気にV字回復します。誰だってそれはわかっている。でも、今進んでいるのは、それとまったく逆の方向です。さらに教員たちへの負荷を課して、さらに研究教育機会を減らし、教員たちの自尊心を傷つけ、不機嫌な気分に追いやるような制度改革ばかりしている。

多くの教員は、研究教育が好きだからこの仕事を選んだのです。それに専念できる環境が整備されれば、給料なんか安くても喜んでこの仕事をします。多くの先生方が早い人は50代で定年前に仕事を辞めてしまう。理由を聞くと「もう会議をしたくない」という方が多い。会議がなくて、研究教育に専念できるなら、こんな楽しい仕事はない、と。そうすれば、学校はもっと明るくて、もっとイノヴェーティヴな場所になるだろうと思います。

大学に成果主義を導入したのも大失敗でした。実は僕は成果主義導入については「戦犯」の一人なんです。神戸女学院大学は日本の私学で最も早く教員評価システムを導入した大学の一つですが、その時にFD委員長として旗振りをしたのは僕です。

その頃は働いていない教員が目についたのです。学務をほとんどしない。研究もしない。何年も論文一本も発表しない。教育も手抜きという教員が目についた。そういう人たちが大きな顔をしているのが許せなかった。だから、研究、教育、学務の三分野で教員たち一人一人の活動成果を数値化して、全教員をそれに基づいて格付けして、予算を傾斜配分し、昇給・昇格にもそれに反映という、新自由主義者丸出しの案を提出したのです。もちろん教授会では批判の十字砲火を浴びましたけれど、「これからはビジネスマインドがないと、大学はマーケットに淘汰されてしまう」と訴えて、「危機の時代を生き残るためには限られた研究教育資源を活用しなければならない。そのためには、アクティヴィティの高い教員に資源を集中する。『選択と集中』だ」ということで教授会を説得しました。でも、始めて1年もしないうちに自分が取り返しのつかない失敗を犯したことを思い知らされました。

教員の活動成果の客観評価なんて無理なんですよ。担当しているクラス数とか、論文指導している院生数とか、委員をしている委員会の数とか、そういうものはたしかに簡単に数値として拾えます。でも、研究成果の数値化はできない。僕は刊行論文数ぐらいはそのまま数値化できるだろうと楽観していました。でも、それさえできなかった。委員会でいきなり「1年に5冊も6冊も書き飛ばす人間の書いた一冊と、20年かけて書いた一冊を同じ扱いにするのか」と言われて絶句してしまったからです。「1年に5冊も6冊も書き飛ばす人間」というのはもちろん僕のことなんですけれど(笑)。たしかにご指摘の通りなんです。一冊の本といってもそれぞれの学術的価値には場合によっては天と地ほどの隔たりがあります。それを「1冊何点」というふうに機械的に配点して、その多寡を比較しても意味がないといったら意味がない。言われてはじめて気がついた。著作や論文は何冊何本書いたということよりも、学術の歴史の中で、どのような地位を占めることになるのかというもっと長い時間的スパンの中で評価しなければほんとうの成果を見たことにはならない。

勤務考課についてもそうでした。考えてみたら、公正で客観的な考課ができる人なんか数が限られているわけです。同僚たちの日常の学務への貢献をきちんと評価できて、同僚たちから「あの人の下した評価なら信頼性がある」と思われている人に任せるしかない。でも、そんなフェアで目の行き届いたはだいたい研究者としても一流の仕事をこなしているし、すでに学長とか学部長とかになっているわけですよ。ただでさえ学務に忙しいそういう方々にさらにピアレビューの仕事を押しつけてしまった。でも、そんな格付け作業なんか、いくらやっても大学全体としての研究教育のアウトカムは少しも増えるわけじゃないんです。むしろこれらの「仕事ができる人たち」の研究教育学務のための時間を削るだけだった。

 やってみてはじめて知ったのは、成果主義がどれほど膨大な「評価コスト」を要求するかということでした。それを事前にはまったく想定していませんでした。それに、単一の「ものさし」で教員たちを一律に格付けしてみても、それで全体のアクティヴィティが高まるということはまったく起こらないということにも気がつかなかった。アクティヴィティの高い先生たちは、考課して点数なんかつけなくても、やることはやるし、研究も教育も学務ももともと手抜きという教員たちは、低い評価をつけても別に何の反省もするわけじゃない。ただ「こんな評価システムには何の意味もない」と怒るだけです。ただそれだけのことでした。

教員評価に要した膨大な評価コストはもともとアクティヴィティの高い教員たちにのしかかって、彼らの研究教育活動を妨げただけで終わってしまった。自分の「選択と集中」理論がどれほど愚かしいものであったかをそのときに気づきました。以後、「ああいうこと」をやってはいけませんということをお知らせするために、こうやって全国行脚をしているわけです(笑)。成果主義は絶対にやってはいけません。大学における成果主義は何一つ良きものを生み出しません。

シラバスもそうです。あれも全く無駄な仕組みです。でも、シラバスを整備するために教員たちはやはり大変な作業量を費やしている。

シラバスというのは商品の仕様書です。缶詰や薬品についているスペックと同じものです。この商品には何が含有されているか、効能は何か、賞味期限はいつまでか、それを消費者のために表記するものです。でも、学校の授業は乾電池や洗剤とは違います。授業というのは「なまもの」です。1年前に1年後にどんな授業をするのか事細かに書けと言われたって書けるはずがない。専門科目の場合、僕は自分がその日に話したいことを話す。でも、自分が1年後の何月何日にどんなことに興味を持っているのかなんかわかるはずがない。だから「人間について考える」とか「言語について考える」とか、そういうふうな漠然としたものしか書けない。

僕が教務部長だった頃に「シラバスをもっと精密に書くように」というお達しが文科省からありました。でも、僕は教授会で「そんなに詳しく書くことはありません」とつい口が滑ってしまった。そしたら、何も書かずにシラバスが白紙という人が出て来た(笑)。そしたら翌年、助成金が削られました。経理部長からは厭味を言われました。「内田先生のせいですよ」って。

僕はこの時猛然と怒りました。僕はシラバスは教育的に意味がないと判断したので、書かなくていいと言ったのです。別にそれは思い付きではなくFD委員長をしていたときの何年間かのアンケート結果を統計的に処理した結果、「授業満足度」と「シラバス通りに授業をしているか?」という問いの回答の間には有意な相関がないということがわかったからです。それ以外のことは「教員の板書はきれいか?」でも、「時間通りに授業を始めるか?」でも「授業満足度」との相関があった。数十の質問項目の中でたった一つ何の相関もないことがわかったのが「シラバス通りに授業をしているか?」という問いとの相関だった。だから、意味がないと僕は思ったのです。

文科省は「シラバスは教育効果がある」と思っているからそれを精密に書くことを大学に要求してきたわけでしょう。だったら、その根拠を示して欲しい。もし、文科省が「シラバスを精密に書き、シラバス通りに授業をすると教育効果が高まる」という統計的なエビデンスを持っているなら、それを示して欲しい。僕だって学者ですから、エビデンスを示されたら引っ込みます。こっちはせいぜいサンプル何千という程度のデータです。文科省が何十万かのサンプルに基づいて「シラバスの有用性」を証明してくれたら「すみません」と頭を下げます。でも、文科省はそうしないで、ただ助成金を削ってきた。

今はシラバスを英語で書けとか、同僚同士で他人のシラバスの出来不出来を査定しろとか、どんどん仕事量が増えていますけれど、そういうことにどのような教育効果があるのか。どんなデータがそれを証明しているのかについては何の情報も開示されていない。これはおかしいでしょう? ことは研究教育に関する話なんですから、研究教育の成果が上がったという実績があることを示した上で実施を求めて来るべきじゃないんですか? でも、文科省はエビデンスを示して、反論することをしないで、ただ金を削っただけでした。これは文科省の方がおかしいと僕は思います。反論しないで代わりに金を削るというのは「人間は条理によってではなく、金で動く」という人間観を文科省自身が開示したということですから。大学人であっても、「やれば金をやる。やらなければ金をやらない」と言えば、したくないことでも、明らかに無意味に思われることでもやる。文科省は人間というのは「その程度のものだ」と思っている。思っているどころか、人間は「そうあるべきだ」と告知している。

仮にも文科省は国民教育を専管する省庁でしょう。そこが「人間は条理ではなく、金で動く」というような人間観を披歴して恬として恥じないというのは、どういうわけです。僕は教育活動は効果があることが経験的に知られているものを行う方がいいと思っているので、そう言った。それに対して教育効果があろうとあるまいと、「お上」の言うことに黙って従え、従わないものには「金をやらない」と文科省は回答してきた。これは事大主義と拝金主義が「日本国民のあるべき姿」だと彼らが信じているというふうに解釈する以外にない。

先ほども言いましたけれど、日本の教育政策が全部失敗しているという指摘に対して、「それは違う」と文科省が思うなら、きちんと論拠を挙げてForeign AffairsなりNatureなりに反論して、国際社会に対して日本の教育について大きな誤解があるようだが、これは間違いであるということを大声でアナウンスすべきでしょう。反論は簡単です。現に日本の学校教育はこんなふうに成功して、高い成果を上げているという誰もがぐうの音も出ないエビデンスを示せばいいのです。でも、そういう反論はまったくなされていない。

もう一度申し上げますけれど、学校教育というのはビジネスじゃありません。お金のためにやっているわけじゃない。だから、教育内容に対して「こうすれば金をやる。従わなければ金をやらない」というようなかたちで干渉することは絶対に許してはいけないんです。建学者たちが何をめざして教育を始めたか、その原点を思い出してください。マーケットのニーズがあったので、消費者たちに選好されそうな教育プログラムを差し出したわけじゃありません。「教えたい」という気持ちがまずあって、その熱情に感応して「学びたい」という人が出現してきたのです。教育というのはそういう生成的な営みなわけです。「教えたい」という人と「学びたい」という人が出会うことによって、その場で創造されてゆくものです。その一番基本的なことがビジネスの言葉づかいで教育を語る人たちには理解できない。

もちろん一流のビジネスマンだったら、ニーズのないところにニーズを創り出すのが創造的なビジネスだということを知っているはずです。映画だって、自動車だって、電話だって、飛行機だって、パソコンだって、市場にまず「こういう商品が欲しい」というニーズがあって、それに応じて商品が開発されたわけじゃない。誰も思いつかなかった商品を提示してみせたら、「それこそ私が久しく求めていたものだ」とみんなが感じて、巨大な市場が生まれた。ニーズがまずあって、それを充足させるような商品やサービスを提供するのがリアルなビジネスだというふうに思っているのは、悪いけれど、二流三流のビジネスマンです。ある程度世の中がわかっていれば、「ニーズのないところにニーズを創造する」のがビジネスの真髄だということは知っているはずなんです。でも、それがわからない人たちが「民間ではありえない」というようなことお門違いなことを言って、学校教育に干渉してくる。そういう学校教育の本質を理解していない人たちが、まことに残念ながら、現在も学校教育、教育行政を司り、学校教育についての政策を起案し、実施しているわけです。ですから、もうあまりわれわれには時間が残されていないんです。仲野徹先生によれば、あと10年です。それまでに学校教育をまともな方向に転換させなければならない。

どうやって方向転換したら良いのか。一気に変えることはできません。残り時間は少ないけれど、できるところから一つ一つやるしかない。一気に全部を変えるというのはだいたいろくなことになりませんから。とにかく30年かけてここまで悪くした仕組みですから、復元するにしても30年かける覚悟が要る。

一つは、とにかく学校をある程度以上の規模にしてはいけないということです。小規模のものにとどめる。教える側からの「教えたい」という働きかけに「学びたい」という人たちが呼応してくるというダイナミックな生成のプロセスの中に巻き込むというようなことは、規模としてはせいぜい数百人が上限だと思います。それ以上大きくなると、管理部門が必要になってきます。研究にも教育にも関係がない部署ですけれど、それがないと組織が回らなくなる。そして、管理部門は必ず肥大化する。これは避けがたいんです。別にそこで働いている人にそういう意図があるわけじゃないんです。意図がなくても、放っておけば管理部門は自己肥大する。そして、組織そのものを「巨大な管理部門が存在しないと機能しないようなもの」に変えてしまう。管理部門に権力も財貨も情報も集中させて、管理部門の許諾を得ないと何一つできないような硬直した組織が出来上がる。これは組織の生理ですから、止めることはできないのです。われわれにできるのは「巨大な管理部門がないと制御できないような大きな組織」にしない、ということだけです。

これから30年くらいの間に、日本各地の大学は淘汰が進むと思います。でも「マーケットは間違えないから、マーケットに委ねる」ということに合意してしまった以上、今さらこの流れは止められない。

ただ、今人口減によって各地で交通網の廃止や行政機構の統廃合が行われていますが、統廃合に強い抵抗を示しているのが学校と医療機関であることには目を止めた方がいいと思います。もう人口が減って、需要がない、開業しても採算が取れないとわかっていても、教育機関と医療機関は統廃合にかなり頑強に抵抗する。この二つはマーケットの要請に対して鈍感なのです。

それも当たり前で、教育機関と医療機関は貨幣や市場経済や株式会社が存在するよりはるか前から存在していたからです。人類史の黎明期から、今から数万年前から、学校の原型、病院の原型は存在していた。どちらも人間が集団として生きてゆくためになくてはならないものだからです。

集団が存続するためには、年長者は集団の若い構成員たちに、「生き延びるための術」を教えました。子どもたちの成熟を支援した。そうしなければ集団は亡びてしまうからです。病んでいる人、傷ついている人を癒すことを本務とする人はどんな時代のどんな集団にも必ずいた。そういう人たちいなければ、やはり集団は亡びてしまったから。

どんな時代でも、教育と医療に携わる人たちは存在した。市場がどうだとか、ニーズがどうだとか、費用対効果がどうだとかいうようなレベルとは違うレベルで「そういうものがなくてはならない」ということについて、われわれは人類史的な確信を持っている。だから、「金にならないから、病人を治療するのを止める」「ニーズがないから、教えるのを止める」というような発想は出てこないのです。

それに加えて、ミッションスクールの場合は宗教が関与してきます。そのせいでふつうの教育機関よりもさらに惰性が強く、抵抗力が強いのだと思います。社会がどう変わっても、政治体制や経済体制がどう変わっても、こういうものは簡単には変わりません。それは、先ほど挙げた教育、医療に加えて、宗教と司法もまた人類史の黎明期から存在した太古的な社会的機能だからです。こういう仕事に就く人には、ある種の固有の「エートス」があると僕は思っています。「なくては済まされない職業」ですから、歴史的な条件がどう変わろうと、「この職業に就きたい」と思う人たちが必ず一定数は出てくる。

人間集団が存続するために絶対に必要な四つの「柱」があると僕は思っています。教育、医療、司法、宗教、この四つです。学び、癒し、裁き、祈りという四つが集団が存続するためになくてはならない四つの基本動作です。集団の若い成員たちに生き延びるための術を教えること、病み傷ついた人を癒すこと、正義を執行すること、死者を悼むこと。この四つの機能はどのような集団であれ、集団が集団として持続するためにはなくては済まされないものです。それに比べたら、市場経済だとか商品だとか貨幣だとかいうものは、あってもなくてもどうでもいいものです。

はるか太古の人間集団がどういうものだったか想像すれば、わかるはずです。集団の若い成員たちの成熟を支援するのは、集団が生き延びるためです。別に若者たちを査定したり、格付けしたり、選別したりするために教育をしたわけじゃない。生き延びるための術を教えておかないと、死んでしまうから教育したのです。狩猟で暮らしている集団なら狩りの仕方を、農耕で暮らしている集団であれば植物の育て方を、漁労で暮らしている集団なら魚の取り方を教えた。生きる術をきちんと伝えておかないと、彼らが飢えて死んでしまうからです。

だから、「大人たち」が「子どもたち」に向けて教育を行う。教育の主体は複数ですし、教育の受け手も複数です。なぜ教育を行うのか、それは共同体の存続のためです。教育の受益者は個人ではなく、集団そのものなのです。

市場経済の原理で教育を語る人たちには、このところがわかっていない。彼らは教育というのをある種の「商品」だと思っている。そこでやりとりされている知識や技術や情報を、自動車や洋服と同じようなものだと思っている。欲しい人が金を出して買う。金がたくさんあれば、よい商品が買える。金がない人はあきらめる。それが当然だと思っている。たしかに、「自動車が欲しい」という人が「あの自動車が欲しいので、税金で買って僕にください」と行政に頼み込むということはありえません。それは自動車を所有することの受益者が個人だからです。でも、教育は違います。教育の受益者は集団全体です。だから、集団的に教育事業は行わなければならない。だから、「義務教育」なのです。大人たちには子どもを教育する義務がある。そうしないと集団が存続できないから。

市場原理で教育を考える人はどうしてもこの理路が理解できない。それは彼らが教育の受益者は個人だと思っているからです。個人が学校に通って、それなりの授業料を払い、学習努力するのは、その成果として、有用な知識や技能や資格や免許を手に入れて、それによって自己利益を増大するためだと思っている。それなら、確かに学校教育にかかるコストは受益者負担すべきものです。金があるものが学校教育を受ける。ないものは受けない。それがフェアだという話になる。

公教育に税金を投じるべきではないと本気で思っている人たちがいる。これは昔からいたのです。アメリカの「リバタリアン」というのがそうですね。彼らは公教育への税金支出に反対します。人間は一人で立つべきであって、誰にも依存すべきではない。勉強して、資格や免状が欲しいなら、まず働いて学資を稼いで、それから学校に行けばいいと考える。だから、公教育への税金の投入に反対する。

同じようなことを思っている人はもう日本にも結構います。教育への公的支出のGDP比率が先進国最低だということは先ほど申し上げましたけれど、それはこういう考え方をする人が日本の指導層の中にどんどん増えているということです。彼らは教育の受益者は個人であるから、教育活動に公的な支援は要らないと考えている。口に出して言うと角が立ちますから大声では言いませんけれど、内心ではそう思っている。消費者たちが求める「個人の自己利益を増大させる可能性の高い教育プログラム」(これを「実学」と称しているわけですが)を提示できた教育機関だけが生き残って、「市場のニーズに合わない」教育プログラムしか提示できなかった学校は「倒産」すればいいと思っている。これは大声で公言してはばからない。


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3. 2017年12月30日 12:14:04 : sPQ8JPD1fg : fYPvPnX@YbU[1]
『小沢一郎の権力論』を読めばいい。
理と情のバランスが見事に取れている。

4. 阿快[501] iKKJ9Q 2017年12月30日 14:44:08 : 4Mem3GSg0A : qfO5ibISNNs[2]
前川。笑
こんな天下りの親玉犯罪者爺をまだ持ち上げているのか。笑

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アラシ。
5. 2017年12月30日 15:27:15 : Q7Xo3PPOrk : CNPmh385SmA[263]
豆川さん意志が強いてほめられてるよ。

http://www.mag2.com/p/money/256599


●●あの前川前事務次官が足繁く通った「出会い系バー」潜入レポート●●

これだけ入れ食い状態なのに、一度もエッチしなかったなんて、逆に変態!

貧困の女性を調査するために通っていたそうなんですが、これだけヤレるのにヤラないなんて、変態すぎる! 女の子からお誘いがあるし、男性がお金を持っているなら、なおさらヤレる。ここでヤラなかったというのですから、完全に調査が目的だし、意志の強い人だと思います。

この店に来ている女の子たちがちゃんとサービスできる人間性だったら、とっくに風俗で稼げているわけで、風俗でも働けないから、こんなところでリスクだらけの野良セックスに明け暮れているのです。かなりの地雷娘たちが「パパ」を求めていると言っても過言ではございません。

たまに可愛い女の子が現れることもあるようですが、レアなポケモンみたいなもので、滅多に出会えるものではなく、基本的には地雷。

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アラシ。

6. 2017年12月30日 15:32:34 : Q7Xo3PPOrk : CNPmh385SmA[264]
 5の続き

 青木理さん あんた変態を生み出せて言ってるの

「前川喜平」をもっと生み出せ!=「変態野郎」をどんどん生み出せ!
   


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アラシ。

7. 2017年12月30日 15:48:41 : Q7Xo3PPOrk : CNPmh385SmA[265]
2017年を回顧して

地雷を踏んで 国会が空転し、多大な税金がどぶに捨てられた。

籠池森友地雷(安倍さん) 風俗娘地雷(前川さん 豆川さん)


2018年は地雷を踏むな マスコミス地雷とか注意。

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アラシ。

8. 2017年12月30日 15:51:03 : BAqWIx5MJE : Kxcana1I9t0[261]
>>5ノキチガイシヘ

 ココハアシュラ!!! 2CHヤヤフーコメント欄トハチガウノヨネ。オワカリ?

 (豆川トカカキコンデヘイゼントトウコウスルシンケイガリカイデキン。キチガイトシカリカイデキン)


9. 阿快[503] iKKJ9Q 2017年12月30日 17:00:59 : 0i73WxNUSA : mJc_tWiUjCc[1]
おれが不思議なのは今回のフェイクキャンペーン「もりかけ」プロジェクトのキーパーソンである管野完、籠池、森川らが、
いずれも婦女暴行で民事有罪=菅野完 
詐欺容疑で収監=籠池 
天下りで謝罪記者会見&破廉恥出会い系バー通い変態疑惑=前川らと、
犯罪者や変態ばかりという筋の悪さ。これでいったいどうなるというのか???

[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)
アラシ。
10. S.T[658] gnKBRIJz 2017年12月30日 17:48:43 : oYxUwDyqCg : FbGrXv1e1P0[20]
売国奴の「腐翼」がわめいているようだが、事実を残す事は正しい。
それが解らないのは・・・w

この発言は実に明快、かつ本当の保守。

(本文抜き出し)
戦後70年が過ぎても日韓両国の火種としてくすぶりつづける慰安婦問題にせよ、
あるいは南京虐殺事件といった数々の問題にせよ、日本側が資料や文書をきちんと
残していれば、一体どうなっていただろうかと想像する。いずれも歴史的な事実であり、
否定することなどできはしないが、規模や態様などについては日本側の主張を
裏づけた可能性もある。
少なくとも事実はもっと精緻に検証され、ひょっとすれば現在のような火種には
ならなかったかもしれない。

 そんなことを考えるにつけ、私がいつも不思議な話だと感じていることがある。
保守と呼ぶにせよ、右派と呼ぶにせよ、国家の存在やその歴史を「誇り」と捉える
人びとこそがむしろ、その基盤となる「国家の記録」を大切にし、公的な文書や
資料をきちんと残して後世に伝えよう、と主張してしかるべきではないか、と。

(転載終了)

アメリカには利用出来る情報は残っているようだね。
>米軍の作成したレポートに見る、韓国人従軍慰安婦の実態  
http://white.ap.teacup.com/nishitatsu1234/53.html

ろくでもない破廉恥情報を事実だー!ムッキーマウス!!と言っている「腐翼」が居るな。
一体何人が関与して同じIDからコメントしてんだろうね^^


11. 2017年12月30日 18:19:15 : Cf7mQU56Hc : Oen0@P872zA[30]
この青木氏の意見に全面的に賛成である。資料を全て焼却したり、黒塗りで出してくる人間や組織を信用することは出来ない。それはどこの国へ行っても同じだ。

安倍晋三以下日本のアホー右翼がどこの国からも信用されることはない。


12. 2017年12月30日 18:49:14 : O1BcUNuIvE : d9DRulUzJGo[14]

前川喜平氏と安倍晋三メを国会で対決させてみたら面白かろうのう。 


13. 2017年12月30日 20:19:00 : G8bDPqAqwv : WKdQRcbMmvE[71]
ブログで紹介させていただきます!

前川さん、かっこいい!!

(佐川、のびのびの就任記者会見はまだ??)


14. 2017年12月30日 23:01:51 : qNApj6abVo : pmR1FMr_lBA[1938]
立憲民主党は、前川さんを担ぎ出せないでしょうか?

ぜひ政治家になってもらいたい、前川さん。

枝野さんよ、行動に移してくれないか!


15. 2017年12月30日 23:11:43 : rwgORSmgTI : ySbarMWNCPU[280]
「出でよ!日本の異端児」などと言う前にまずどぶ掃除をしなくちゃ!

証人喚問などに呼び出す必要のある輩がうじゃうじゃいるでしょ!

例えば佐川宣寿とか安倍昭恵とか谷査恵子とか加計孝太郎とか山口敬之とか中村格とか・・・・いっぱいいすぎてきりがないほど!

強烈な腐臭を発する安倍総理の周りにいる薄汚い連中が!!!


16. 2017年12月30日 23:15:36 : QloyKyBqTw : QNC6dalfW_E[123]
>>9 基本的に菅野氏や前川氏個人のことと、異常な値引きや許可を示す文書や音声が存在することとは関係ありません。そのような関係にこだわるなら、首相夫人が違法薬物を扱ったことで逮捕されたような方と交流があり、肩書きを前面に出してそれを支援するような活動をしていたほうが遥かに悪質です。そもそも森友問題も加計問題も最初に明るみに出したのは彼らはありません。いい思い付きだと思って書き込んだのでしょうが、前頭葉をもっと働かせて、なおかつ事実を調べたほうがいいですよ。まあ、恥をかいてナンボだと思っていらっしゃるのかもしれませんが。

17. 2017年12月31日 08:52:22 : DuWp6G79SH : gIMPlHQf04w[220]
一言で済む。明治以来続いてる、
「行政権能無謬論」
行政権能は絶対無謬の大権で誤りは存在しない、ことになっている。

こんな所に知恵遅れの安倍が収まりゃ、フィクションは苛烈を極め、北朝鮮同等になるのは自明の理。

一神教ロジック(神の支配=法の支配)を持たず、人治主義で過してきた土人国家が原爆2発ぶっ放されて「すいませんでしたぁぁあ〜」と、なんちゃって法の支配を採用した結果さ。


18. ボケ老人[2685] g3uDUJhWkGw 2017年12月31日 08:54:58 : 08Tt0uxL56 : JtD17GQWPAo[1114]
>16.QNC6dalfW_

おっしゃること御尤も
特に、前川喜平に関しては、公安警察も、内調も、読売も、安倍政権が前川の人格を貶めようと必死になったが、遂に一片の付け入る先も無くギブアップ。
下ネタ大好きの文春砲も安倍擁護一辺倒の産経も沈黙
稀に見る潔癖漢であった。

右翼の大好きな古来の武士道を体現した人物だ。
バーコード菅官房長官が苦し紛れに「地位に連綿としがみ付く」と印象操作するもこれも嘘だった。
天下り問題も文科省を生贄にして他省庁を守っただけ。次官就任一年に満たない前川喜平が犠牲になったというのが実態だ。

【中川隆】はただの嘘つき
【阿ホ快】【CNPmh385SmA】は己の姿が鏡に映ったかのような下衆さ全開
こいつらが右翼でなく【腐翼】であることが良くわかる。

類は友を呼ぶ
【腐翼】安倍政権にはモリカケスパにリニアまでが纏わり付き、レイピストがいるかと思えば配偶者には大麻疑惑まで
これらのオコボレが欲しいのか【中川隆】【阿ホ快】【CNPmh385SmA】【^^】などの【腐翼】が湧いて出てくる。

   


19. 2017年12月31日 13:17:18 : ESguKP42ZW : uQD_R9hikLo[18]
 井上 純と申します。
 <14さん。
 あなたの考えはわからなくもないが、私は、前川喜平氏を政治の場に引っ張り出すことは反対です。
 前川氏は最近まれに見る実直な方で、また優れた見識を持ってらっしゃる方だと思います。彼だったら政治の流れを変えてくれるはずだと期待することをせずに済ますのは難しいでしょうが、私はむしろ、彼を政治の世界に送ってつぶしてしまうことを恐れます。
 彼は文科省在任時にかなえられなかったことをボランティアで行おうとしています。その願いをかなえるべく、そっと見守ってあげたほうがいいのではないでしょうか?政治家として権限を行使したほうがより彼の志が生かせるはずだという意見もあるでしょうが、私は彼の意思を尊重したいと思います。
 それに世の中を動かすのに、優秀な方とはいえ特定の個人に期待し依存するということはやめるべきではないでしょうか。今の日本が閉塞状況にある一因は、多くの一般の人たちは特定の誰かに依存して政治を」丸投げ」したことにあるのではないでしょうか。むしろ前川氏が投げかけた問題を今度は我々が解決するべきではないでしょうか。

20. 2017年12月31日 15:45:54 : UsPMwJUGxI : ty2XIYCKLG4[84]
都合の悪い事は皆破棄してしまう、だから戦争の反省もなく代々の総理、官僚が未だに無責任で隠ぺい体質、敗戦国のドイツとも大違い。それでいてと言うかそれだからか特別会計の何兆円と言う税金の使い道もいい加減な事を未だにしている。

21. 2017年12月31日 18:57:14 : 7WpHIEtynE : 0JPTUTP3S58[1]
前川も、安倍も迷惑で面倒な輩である。ただ、悪影響や公序良俗への侮蔑挑戦という意味では、安倍のほうが大きいということだろう。ただ、前川の世間に及ぼす悪質さがが安倍に近づく悪影響は安倍や官僚の問題を薄めてしまう。

前川VS安倍 かのような論法に持ち込むものが多いが、工作だろう。 安倍を持ち上げるものもあれば前川を持ち上げるものも。 ウヨ利権は安倍、パヨク系利権は前川。両者のカモになるのは、両者ににらまれてきた、阿修羅ごときでは表に出なく誹謗差別されてきた関係者。

クズらに念頭に置かれるすら忌まわしいがな。


22. 2018年1月01日 10:53:42 : ay4OCYadEo : fWE5JgN9rpY[233]
>>19 文科省の大臣は適任だと思うがな。

23. 2018年1月01日 12:35:27 : PkK33nipFw : 0ervg7mGNdU[-2]

前川は中曽根人脈の人だから^^

系列としては、自民党側の構成組織の中でも、最も右寄りのグループだ^^


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