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ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白 満州・黒川開拓団「乙女の碑」は訴える(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/17/warb20/msg/807.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 8 月 23 日 15:03:30: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

   いまは亡き友を惜しむ豊子さん(筆者撮影)


ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白 満州・黒川開拓団「乙女の碑」は訴える
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52608
2017.08.23 平井 美帆 ノンフィクション作家 現代ビジネス


敗戦とともに崩壊した「満州国」では、地獄絵図としか表現しようのないほど、飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。孤立無援の満洲開拓団は次々と、集団自決に追い込まれていった。

そのとき、ある開拓団の男たちは、ひとつの決断を下した。現地の暴民による襲撃、ソ連兵による強姦や略奪から集団を守り、食料を分け与えてもらう代わりに、ソ連軍将校らに結婚前の乙女たちを「性接待役」として差し出したのだ。

犠牲となった「彼女たち」は、日本への引き揚げ後もこの忌まわしい記憶をずっと胸の内にとどめていたが、70年が経ち、その重い口を開いた――。ノンフィクション作家・平井美帆氏の特別寄稿。


■託された詩

忘れられない詩がある。後半のカタストロフィーと対比を成すかのように、詩は明るい朗らかな一節からはじまる。

≪十六才の 春の日に
 乙女の夢を 乗せた汽車 
 胸弾ませて 行く大地 
 陶頼昭に 花と咲く≫


「乙女の碑」と題された詩を書いたのは、黒川開拓団の一員だった文江さん(仮名、2016年1月没、享年92)である。1942年3月、文江さんは両親、妹、弟ふたりの一家6人で、夢と希望を胸に新天地・満州へと向かった。日本が戦争に負けるとは露ほども疑わずに……。

それからおよそ半世紀経ってから、彼女は「乙女の碑」を書き残すことになる。心の奥底に封印されていた記憶は時空を超えて、あの日あの場所へ飛んだにちがいない。再び苦悩を味わいながらも、書き遺さなければならなかった魂の執念が伝わってくる。

「これがすべてなの。話すより、これ読んでもらったほうがようわかるけども。自決を止めるために…って書いてるけど、もう泣けて、泣けてさ」

2016年5月6日、文江さんの親友、スミさん(仮名、当時88歳、以下年齢は取材時のもの)はそう言って、まだインタビューも始まっていないのにこの詩を私に見せてきた。

両面印刷のワープロ用紙2枚。全体がよれた紙には裏表に、計4ページ分の「詩」が縦書きで打ち出され、あとから手書きされた箇所が数カ所ある。題名のななめ左下、赤色のインクで書かれた文言が目を引く。

遺族会以外の人に見せてはいけない

その横には黒インクの手書きで「平成二年 六十五才」とある。時代が平成に移ってもなお、そのことは深いタブーだった。


 文江さんはこの詩を、同じ目に遭った女たちに見せていた(@MihoHirai)

「それ、持っていってもらっていいよ」

遠慮がちな目を向ける私に、「いいよ、私。要らんもの」とスミさんは用紙をぐいと差しだした。約4カ月前にこの世を去った親友の遺書ともいえる詩を――。先ほどまでの穏やかな口調と異なり、声に硬さがにじみ出ていた。

長きにわたって、山麓に封じ込められていた書を手にして、私はスミさんの家をあとにした。弱い雨脚のなか、円を描くように山をくだると、川幅の広い水流が見えてくる。山間の道はどこを走っても、瑞々しい渓谷の景色に縁どられていた。

ここへたどり着いたのはひょんなことからだった。2015年秋、中国残留孤児の軌跡をまとめた本を上梓した私は、それからも継続して満州にかかわった人々を追い続けてきた。とりわけ女たちの満州体験に目を向けていたところ、「黒川開拓団」のことを知る人から話が伝わってきたのだ。

その夜、飛騨川沿いのひなびた旅館で考えた。どうして彼女はほぼ見ず知らずの自分に、亡き親友の詩をくれたのか。スミさんは友の思いを私に託したのだ。私はそう受けとめた。

文江さんの遺した詩は訴える。

≪乙女の命と 引き替えに
 団の自決を 止める為
 若き娘の 人柱
 捧げて守る 開拓団≫


■ソ連の侵攻、集団自決

今からさかのぼること80年余り、日本は中国の東北地帯に「満州国」の建国を宣言。大和民族を頂点とする五族協和をめざすとして、日本人を計画的に満州へ移住させた。「拓け満蒙! 行け満洲へ!」――。旧拓務省はしきりに、人々の愛国心や開拓精神に訴えながら、移民事業を推し進めていった。

だが、すでに戦況で不利な状況にあった国には、ソ連との国境付近に日本人を配置して、軍事的に備えておきたい目論見があった。また、満州移民計画の背景には、過剰人口、耕地の不足によって疲弊する国内の農村問題が横たわっていた。国や県は補助金を出して、農村部の自治体に村を分けて満州に移住させる分村・分郷運動を働きかけた。

村の面積の約9割を山林が占める岐阜県東部の黒川村(当時)。村の指導者らは、食料不足に悩む村の行く末を憂い、国策に従って満州への分村移民を決めた。

1941年4月、黒川開拓団は29名の先遣隊を満州に派遣した。そして、翌年4月から毎年、3回にわたって計129世帯、600人余りが海を渡った。入植地は、新京(現・長春)とハルビンの中間地点にあたる吉林省・陶頼昭(とうらいしょう)の鉄道駅から西一帯だった。開拓民らは複数の部落に分かれ、豆、高粱(コーリャン)、芋などを作付けして農作業に励んだ。


 満洲へ渡った黒川開拓団の子どもたち。まだ平和だったころのものだ(元団員提供写真)

しかし、「満州国」はもろくも崩れ去る。1945年8月9日ソ連の満洲侵攻、6日後の日本の無条件降伏――。約27万人の開拓移民らは、突如、異国となった荒野に取り残された。

もともと、開拓民らが移り住んだ家や土地は、日本人を入植させるために、満拓(満州拓殖公社)が現地民から安く買い叩いたものだった。日本が戦争に負けると、現地民の一部は衣服や物品を狙って、日本人部落を襲ってまわった。



黒川開拓団は襲撃から身を守るために、それぞれの部落から、本部近くの二カ所に集結した。

そこへ、さらに人々を心理的に追いつめる一報がもたされた。30キロ以上離れた隣の来民(くたみ)開拓団(熊本県)270人余りの、集団自決である。団の最期を知らせる役割をになった唯一の生存者・宮本貞喜さんが、命からがら黒川開拓団までたどり着いたのだった。

内地へ帰れるあてもなく、食料も尽きていくなか、暴民の襲撃に怯える集団避難生活がはじまった。さらに満洲侵攻後、陶頼昭駅付近に駐屯していたソ連兵らが、団の集団生活場所に毎夜のように「女狩り」にやってきては、若い女とみれば見境なく強姦をくり返した。

敗戦から数週間経った頃、幹部男性らはある交渉へとたどり着く。

大きな鉄道駅に近い黒川開拓団には、日本人がいることを聞きつけて、遠方から元軍属の日本人が入ってきて、さまざまな情報をもたらしていった。衛生兵、医者、通訳者――。

そこで数名の団幹部らは、ロシア語の話せる「辻」という男の手を借りて、ソ連軍将校側から救援を取りつけた。日本に帰れるまで、現地民の暴徒や下っ端のソ連兵から団を守ったり、食料を分け与えたりしてもらう約束である。そして、団幹部らが引き換えにしたのは……生身の人間だった。

まだ結婚しておらず、数え年の18歳以上。黒川開拓団のなかから「性接待役」として、ソ連軍側に差し出されることになった条件を満たす女性を探してみると、生存者らの証言どおり、12人から15人の少女が該当した。すでに亡くなった人が大半だが、3人の生存者が見つかった。

そのうちのひとりが、文江さんの遺した詩を手渡してくれたスミさんである。3カ月ほど前に大動脈解離に見舞われたという彼女は、「こんな歳になったら病気で死ぬのに、私は助かっちゃって。満州でも生き残ったから強い」とさらりと言った。


 文江さんと九州に旅行に行った時の写真を見せてくれたスミさん(@MihoHirai)

病院で2週間ほど意識不明だったとき、満州のことを口にしていたと息子から聞かされたそうだ。

脳裏に奥深く刻まれた記憶を、スミさんは気負わずに話してくれた。

団幹部から娘たちの「性接待」が命じられたとき、満州へ渡った黒川村の人々は衝撃に揺れた。

「○○さん(開拓団にいた男性)は『そんなつもりで娘を育てたわけじゃない』って泣いて、すごく怒られたけど……。出さざるをえなんだ。お母さんは行かされない、娘さんばっかり」

その日ソ連兵のところに行く女性はどうやって選んだのだろう。

「そりゃあ、具合の悪い人もあるし、もうとにかくめちゃくちゃよ。行ける人は行ってくれってね。義夫さん(仮名)、私のところにくるんよ。『頼む! 明日団に塩がない。塩がのうなってしまった。塩がなけりゃ、コーリャンご飯も食えへんで。その塩、もらわんなんで、頼む、行ってくれ』って。『私、昨日かおとつい行ったばかりだから、行かへんよ!』って」

■ベニヤ板づくりの部屋で

娘らを前にしたソ連兵の将校らは喜んで、ハラショーッと声を上げた。スミさんは自死を試みたこともある。

「あのとき、私は死のうと思って、銃持って外に出たの。重たかったよ。二発、(試し撃ちで)空に向かって撃った。団の人らが裸足で飛んできて、私の指を掴んでとめたの。あくる日、(団幹部らは)こわかったよー」

このような人身取引は9月頃から数カ月間は続けられ、未婚の女性らは数名ずつ交代で、ソ連兵のもとへ送り出された。連れていかれた先は、陶頼昭の鉄道駅付近にあるソ連軍の駐屯地。また本部内の一角にも「接待所」が設けられていた。

そこは「接待」などとはほど遠い、強姦、重姦の場だった。どれほど残酷だったかは、「乙女の碑」の紙に赤でペン書きされた文江さんの文章から浮かび上がる……。

≪ベニヤ板でかこまれた元本部の一部屋は悲しい部屋であった。泣いても叫んでも誰も助けてくれない。お母さん、お母さんの声が聞こえる≫

交代制の接待は団内部の決まりごとだった。病弱だった一人の少女を除き、例外はいなかった。副団長にも年頃の娘がいたが、皆の手前、性接待に出さざるをえない。それでも、副団長の娘は出される回数が少なかったと、スミさんは言う。

食事などは出ず、「接待」のみの時間。そして戻ってくると、団内部に設けた医務室に連れていかれた。また、接待に出た娘たちだけは特別に風呂にも入れた。

「自分もあと数年生まれるのが遅ければ、(性接待に)出さされていた」

神妙な面持ちでそう語るのは、当時12歳だった元開拓団員のみつさん(仮名)。彼女は風呂焚き係を命じられていた。

幹部の男性、義夫が五右衛門風呂を作り、子どもたちが燃えるものを拾ってきた。自分も含め、何百人もいる他の人たちは風呂など入れない。頭髪にはシラミの卵がびっしりとつき、集団生活は不衛生極まりない状態だった。

みつさんは母親にこう訊いたことを覚えている。

「なんで、あの人らだけ風呂に入れるの?」

すると、みつさんの母は「あの人らは自決から守ってくれた人たちだよ」「ロシア人のところに接待に行かれたんだよ」と答えた。何かあったんだな……。みつさんは子どもながらに何かを察したという。

■「独身のあんたらだけ頼む」

豊子さん(91)は、岐阜県内の酪農地で暮らしていた。戦後、満州からの引揚者たちが再入植し、開拓した山麓である。豊子さんは開拓団のリーダーを「先生」と呼び、集団避難生活が始まってから数週間ほど経った頃をふり返った。

「副団長の先生がな、広場の真ん中に皆を集めて言われましてね。奥さんには頼めんけどな、あんたら独り者はどうかな、身体を張ってな、犠牲になってくれやって。旦那が兵隊にいってる奥さんに利用するのは申し訳ないで、独身のあんたらだけ頼むって」

そんな要求を突きつけられたとき、豊子さんはどう思ったのか。

「そりゃあ、嫌でしたし、もうこれで私の人生も終わりと思いましたけれど、日本へ帰りたい。どんな辛抱しても病気になっても苦しい思いをしても、日本へ帰りたい。その一念でした」


 豊子さんは懐かしそうに思い出のアルバムを見せてくれた(@MihoHirai)

一方で、豊子さんは「団のためなら死んでもいいんだって思いました」「団のために仕方がない」とも語った。黒川開拓団に対しては恨む気持ちはないと言い切り、「あんな立派な開拓団はありません。よう、(自分のことを)仲間にして、連れて帰ってきてくれた」と評する。

満州の開拓女塾「興亜凌霜女塾(こうありょうそうじょじゅく)」の卒業生である彼女は、当時叩きこまれた自己犠牲の精神を今でものぞかせた。開拓女塾とは、未婚女性たちに開拓生活に必要な知識や理念を教える訓練校で、卒業生らは「大陸の花嫁」として各開拓地に送りだされた。

彼女の表情に生々しい感情が見えたのは、どのように接待に行かされたかと訊ねたときだ。

「義夫さん、こわかった」

それまで凛としていた豊子さんは顔をゆがめた。

接待係の男性は3、4人いて、「あんたら、今日は出てくれないか?」と娘たちに頼んで回った。豊子さんが名前を出した男性については、スミさんも「『義夫さん、嫌い』ってみんなが嫌がっとったから。みんな怯えとったよ」と語り、集団内の命令系統が浮かびあがる。

豊子さんによると、駅のほうへ馬車で連れていかれ、遅くとも翌朝には団へ返されたという。風呂や消毒の甲斐もむなしく、犯された少女らは次々と性病に感染していった。さらには発疹チフスも大流行し、開拓団では毎日のように人がばたばたと死んでいった。

「皆、性病を貰ったんです。性病と発疹チフスが一緒になっちゃったから。12人のうち、7人くらいは亡くなったんです。『(日本に)帰りたい。帰りたい』って言いながら、向こうで死んでいった」

豊子さんも発疹チフスに感染したが、九死に一生を得た。そのうち団では遺体を巻く菰(こも)も底をつき、旧本部の裏に野ざらしとなっていった。

敗戦の翌年、1946年5月。ようやく日本への引揚船がコロ島(遼寧省)から出港を開始した。同年8月以降、黒川開拓団は複数回にわたって引揚げを果たしたが、600人以上いた団員のうち、200人余りが満州や引揚げ途中で命を落とした。

■引き揚げ後も続く苦しみ

懐かしいふるさとに戻ると、娘たちが性接待に出された話はタブーとなった。

「もう、みんなが表に出さんかったからね。あの当時はとっても、こんなことは話せんて」

しみじみとそう語るスミさんは、満蒙開拓青少年義勇軍(青少年を開拓事業に参加させる制度)の隊員だった男性と結婚した。結婚前に接待のことを伝えると「そりゃ、辛かったやろう」と言葉をかけてくれたという。だが、妻が元開拓団員らの集まりに参加するのは嫌がった。

スミさんには、わが娘にも打ち明けられないと思った出来事がある。10数年前、長女と居間でテレビを見ていたときだ。韓国の慰安婦問題のニュースが流れると、娘はとがめるような口調で言った。「慰安婦、慰安婦って自分から言うとったら、子どもや孫に迷惑がかかる。自分からよう言うわね」と――。

「あーだから、私は言うたらあかんって思って」

スミさんは押し殺すように声を潜めた。

「言いたいことはもう、皆で言うちゃっとるで。集まったときに」

胸の奥の苦しみは、同じ目に遭った女たちと集まったときにだけ、思う存分吐き出すことができた。帰国後、親分肌だった文江さんが仲間を誘い、「乙女会」と名づけて、外に連れ出してくれたのだ。

遺族会の集まりで、あの話を持ちだす者はいなかった。ところが少人数になると、彼女たちをからかってくる父親世代の男もいた。それはこともあろうに、性接待に行かせていた側の団幹部、義夫からのものもあった。

豊子さんも、元義勇軍の男性と結婚した。満洲引揚者が多い部落に嫁いだ姉に、弟は「お姉はそんな既存部落なんて、嫁に行けんわ」とよく口にしたそうだ。さらに「嫁入り」前には、日本に帰ってきてからは梅毒が出てないことを医者に一筆書いてもらい、夫側に見せたのだという。

■ベルトを外す金属音がトラウマに

当時数え年で18歳。最年少で性接待に出さされた照子さん(仮名、88)は、東京郊外の街に暮らしていた。同居家族に聞かれると困るからと外で待ち合わせたが、喫茶店にも入ろうとしない。以降、照子さんとは交流を続けているが、いつも人目のつかない場所を彼女は選んだ。

照子さんは戦後、黒川開拓団の遺族会とは距離を置き、集まりに一度も顔を出したことはない。ただ、同じ開拓女塾で学んだ豊子さんとだけは、たまに手紙のやりとりをしていたそうだ。

彼女は豊子さんとは異なる思いを、黒川開拓団に対して抱いていた。

「開拓団にいい思い出、ひとつもありません。集団生活に入るでしょ。これが日本人か!って思った。言うことを聞く者はいいけど、よそ者扱いは見え見えでやるしね」

照子たち一家は、継母のつながりから開拓団に加わった。だが、満州にわたってから父母は離婚。叔父も開拓団にいたが、団幹部の男性らとは折り合いはよくなかった。

照子は辛い記憶をいくつも吐き出した。ソ連兵や中国人に殴られたとき、大人は誰も助けてくれなかったこと、同胞の裏切りによって中国人に売られて連れていかれそうになったこと――。

壮絶な満州体験を持つ彼女だが、これまでは過去をふり返る余裕などなく、生きるためにがむしゃらに働いてきた。

「私らなんて恥かしゅうて、ずっと口に出さんかったよ。だけど復興も見たし、あれからおいしいものも食べさせてもらったからよかった。それから、私、少し書き残す必要があるなって思って」

70代になってから少しずつ綴るようになったノートには、短歌風に思いが綴られていた。

≪守り忘れたか 関東軍。婦女子残して 又今日も南下する≫
≪日本に帰りたいと静かに眠る友の顔 一夜明ければ動かぬ人に≫


満州に進駐していたソ連兵らは黒川開拓団の避難場所へやってくると、少女らを見つけては引っ張り出していった。

「ソ連兵が来たーって聞いただけで、心臓がね、動いているか動いていないのか、わからなんようになっちゃう。ここら辺が冷とうなってきちゃうの」

照子は胸に手を置いた。ソ連兵は抵抗する未婚の娘たちを銃で殴り、何度失神しても連れ去ろうとした。


 漢口の陸軍病院で被弾した傷跡を見せる照子さん(@MihoHirai

そうこうしているうちに、今度は上の者たちの間で「性接待」の話がまとまった。

≪自決のがれて一息つく間もなし 接待に切りかえられる≫

極限状態とはいえ、どうしてそんなことを思いついたのか。思わずそうこぼした私に、照子さんは被せるように言った。

「楽よ、そうすれば楽じゃない。出しとけば、自分たちがわいわい騒ぐことない。出さないと『女出せ! 女出せ!』ってつつかれるから。大変じゃない。探しにいくの。皆、嫌で逃げてるから、どこに隠れてるかわからないし」

親に力がある人は(ソ連兵のところへ)行かされる回数が少なかったと、照子さんも語った。おばあさんたちの話からは幾重にも折り重なった差別構造が透けて見えてくる。「接待所」には仕切りもなかった。娘がずらりと並び、友人が犯されているのも見える。

「だから、隣にいる人とね、『お互いにがんばろう』って言って、こうやって手を握ってね」

強姦するときも、ソ連兵は銃の向きを変えただけで肌身外さない。恐怖で身体が硬直し、頭は真っ白である。やがて、ガチャッ、ガチャッと音がする……。兵士が太いベルトを外すときの金属音だ。帰国後もあの音が耳から離れず、フラッシュバックに苦しんだ。

「男はああいう目をさせておいてねえ、それで助かっておいてね。帰ってきたら、『いいじゃないか、減るものじゃないし』って、とんでもない話だよ」

団幹部だった男性から発せられた、性暴力を軽んじる言葉。そうした心ない言葉は再び女性たちを深く傷つけていた。

≪傷つき帰る 小鳥たち
 羽根を休める 場所もなく
 冷たき眼 身に受けて
 夜空に祈る 幸せを≫


詩の「小鳥」の横に“娘”、羽根の横に“心”と、文江さんは書き入れている。

<明日公開予定の後編へ続く>




 

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コメント
 
1. 2017年8月23日 21:36:30 : YbO9pD1Qgk : BsQZJsFc4wI[11]
もちろん事実が含まれている。そして敗戦後、日本政府は進駐してきた米軍兵士に日本女性に性的なサービスをさせそのことを押し隠し費用も日本側が負担した。強姦事件など全て隠された。

実際、どこの国でも占領地域ではそんなことは行われていたがそれを進んで話題にすることはしない。

そんな話題を毎日のようにしているのは従軍慰安婦がいなかった、彼女らは売春婦だったと叫びまわって世界に恥をさらしている一部の日本人。

あったことをなかったというのこそ恥さらし。


2. 2017年8月24日 10:32:22 : EcC0ij0ysV : 7seLCrjHtDI[49]
> 敗戦とともに崩壊した「満州国」では、地獄絵図としか表現しようのないほど、飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。孤立無援の満洲開拓団は次々と、集団自決に追い込まれていった。

ソ連は1945年8月9日に日ソ不可侵条約を破棄して日本を攻撃した。
ソ連軍は満州へ侵攻し多数の日本人を殺害し、明治8年(1875年)の樺太・千島交換条約で日本領となった千島列島へ日本がポツダム宣言受諾後に侵攻した。
ソ連はヨーロッパではポーランドとドイツの領土を奪い、約1千万人のドイツ人を難民とし、ベルリンへ侵攻するまでに多くの女性を強姦した[1]。

> ≪ベニヤ板でかこまれた元本部の一部屋は悲しい部屋であった。泣いても叫んでも誰も助けてくれない。お母さん、お母さんの声が聞こえる≫

軍隊が居なければ、国民の生命は守れない。
もし、日本に自衛隊が無く米軍も居なければ、今の日本でも同じ事が起きるだろう。
つまり、憲法9条を守れと言う者は、世界の歴史を知らない愚か者である。

[1] 1945年・ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども [女性と戦争]
http://ona.blog.so-net.ne.jp/2012-02-08
ヘルケ・ザンダー/バーバラ・ヨール編著の「1945年・ベルリン解放の真実」を読破しました。
最近、偶然見つけたベルリン終戦時における大量強姦を扱った一冊です。
1996年の発刊で、ハードカバー354ページ、定価は5150円という立派なもの・・。
原題は「解放・する者とされる者」で、1992年の同名の映画(日本未公開)の
書籍版のようです。
女流映画監督ヘルケ・ザンダーがその映画のために調査を行ない、
100人を超える女性たちの証言や、おびただしい数の資料から当時ベルリンで発生した
強姦件数、また、それによってどれだけの子供が生まれたのか・・も追及します。中略

ともあれ、統計学者や病院記録など様々な角度から検証を行った結果は、
1945年ベルリンにいた140万の女性や少女のうち、初夏から秋にかけて
少なくとも11万人(7.1%)が強姦され、1万人以上が妊娠、
そして1000人以上のロシアの子供が生まれたということです。
また、後に梅毒で死んだ女性も220名ということはわかっているそうですが、
強姦による性病患者の数を特定することは、今日では不可能・・としています


3. 2017年8月24日 10:50:13 : imf801LpCA : KNUNKvDsBfI[117]
>軍隊が居なければ、国民の生命は守れない。
>もし、日本に自衛隊が無く米軍も居なければ、今の日本でも同じ事が起きるだろう。

大日本帝国や満州国にも軍隊はあった。
国民を守らなかっただけだ。


4. 2017年8月24日 11:33:16 : EcC0ij0ysV : 7seLCrjHtDI[50]
>>3. 2017年8月24日 10:50:13 : imf801LpCA : KNUNKvDsBfI[117]
> 大日本帝国や満州国にも軍隊はあった。
> 国民を守らなかっただけだ。

息を吐くように嘘を吐く朝鮮人らしい大嘘。

大日本帝国や満州国にも軍隊はあったがソ連軍の大兵力に対抗できず、国民を守れなかっただけだ[1]。

西正面の状況
日本軍の9個師団・3個独混旅団・2個独立戦車旅団基幹に対し、ソ連軍は狙撃28個・騎兵5個・戦車2個・自動車化2個の各師団、戦車・機械化旅団等18個という大兵力であった。

東正面の状況[編集]
 日本軍の10個師団と独立混成旅団・国境守備隊・機動旅団各1個に対し、ソ連軍は35個師団と17個戦車・機械化旅団基幹であった。

[1] ソ連対日参戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%8F%82%E6%88%A6
西正面の状況[編集]
 ソ連軍ではザバイカル正面軍、関東軍では第3方面軍がこの地域を担当していた。日本軍の9個師団・3個独混旅団・2個独立戦車旅団基幹に対し、ソ連軍は狙撃28個・騎兵5個・戦車2個・自動車化2個の各師団、戦車・機械化旅団等18個という大兵力であった。関東軍の要塞地帯と主力部隊及び国境守備隊は東部・北東正面に重点配置され、西部・北西正面の守りは手薄だった。方面軍主力は、最初から国境のはるか後方にあり、開戦後は新京−奉天地区に兵力を集中しこの方面でソ連軍を迎撃する準備をしていたため、西正面に機械化戦力を重点配置していたソ連軍の一方的な侵攻を許してしまった

東正面の状況[編集]
 東方面においては日本軍は第1方面軍が、ソ連軍は第1極東正面軍が担当していた。日本軍の10個師団と独立混成旅団・国境守備隊・機動旅団各1個に対し、ソ連軍は35個師団と17個戦車・機械化旅団基幹であった。

北正面の状況[編集]
 満州国の北部国境地域、孫呉方面及びハイラル方面でも日本軍(第4軍)は抵抗を試みるもソ連軍の物量を背景にした攻撃で後退を余儀なくされていた。孫呉正面においては、ソ連軍は36軍・39軍・53軍・17軍及びソ蒙連合機動軍を以って8月9日に機甲部隊を先遣隊として攻撃を行ったが・・・


5. 2017年8月24日 11:40:53 : EQvW8dj4A6 : t5BgnZytzb4[32]
朝鮮カルトに朝鮮人とか言われちゃったよ。くわばらくわばら。

6. 2017年8月24日 12:39:51 : E2x5kWiuQQ : _qkl_YPqHEo[3]
中国を侵略しなければ良かっただけ。

7. 2017年8月24日 13:21:40 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1795]
関東軍は 邦人を 守ろうともしなかった 真っ先に逃げ出した

ソ連軍が侵攻してして来た時 満州居留民たちは 保護を求めて関東軍司令部へ掛け合おうと押し寄せた
だがそこは、もぬけの殻だった これは 実際に満州から命からがら逃げ延びた人たちが
ほとんど口を揃えて証言する事実である (私の伯父も その一人であった)

なんと 一か月以上も前から 関東軍は ソ連の侵攻を察知して、自分達の家族だけを内地へ逃がしていた
そして、関東軍の兵士達は 満州鉄道の列車に乗って逃げた それは一般人たちにも目撃されており
戦いもせず逃げ出す兵士達に非難の声が飛んだが、「うるさい 黙れ !!」 こう言って同じ日本人に
銃口を向けたという

もちろん、踏み止まって戦った兵士も 一部にはいたが 大部分の関東軍兵士達は
朝鮮との国境付近まで“転進”したのである もちろんそれは 満州の居留民たちにとっては
≪逃げ出した≫ のと、まったく同じ事であった。

>>4 のリンク先には こうもある ↓
_________________________________________

8月9日ソ連軍との戦闘が始まると直ちに大本営に報告し、命令を待った。命令が下されたのは翌日10日で、10日9時40分に総参謀長統裁のもとに官民軍の関係者を集め、具体的な居留民待避の検討を開始した。同日18時に民・官・軍の順序で新京駅から列車を出すことを決定し、正午に官民の実行を要求した。しかし官民両方ともに14時になっても避難準備が行われることはなく、軍は1時間の無駄もできない状況を鑑みて、結局民・官・軍を順序とする避難の構想を破棄し、とにかく集まった順番で列車編成を組まざるを得なかった。第一列車が新京を出発したのは予定より大きく遅れた11日1時40分であり、その後総司令部は2時間毎の運行を予定し、対立鉄道司令部に対して食料補給などの避難措置に必要な対策を指示した。現場では混乱が続き、故障・渋滞・遅滞・事故が続発したために避難措置は非常に困難を極めた。結果として最初に避難したのは、軍家族、満鉄関係者などとなり、暗黙として国境付近の居留民は置き去りにされた。

これらに加えて辺境における居留民については、第一線の部隊が保護に努めていたが、ソ連軍との戦闘が激しかったために救出の余力がなく、ほとんどの辺境の居留民は後退できなかった。特に国境付近の居留民の多くは、「根こそぎ動員」によって戦闘力を失っており、死に物狂いでの逃避行のなかで戦ったが、侵攻してきたソ連軍や暴徒と化した満州民、匪賊などによる暴行・略奪・虐殺(葛根廟事件など)が相次ぎ、ソ連軍の包囲を受けて集団自決した事例や(麻山事件・佐渡開拓団跡事件)、各地に僅かに生き残っていた国境警察隊員・鉄路警護隊員の玉砕が多く発生した。弾薬処分時の爆発に避難民が巻き込まれる東安駅爆破事件も起きた。また第一線から逃れることができた居留民も飢餓・疾患・疲労で多くの人々が途上で生き別れ・脱落することとなり、収容所に送られ、孤児や満州人の妻となる人々も出た。

当時満州国の首都新京だけでも約14万人の日本人市民が居留していたが、8月11日未明から正午までに18本の列車が新京を後にし3万8000人が脱出した。3万8000人の内訳は
軍人関係家族 2万0310人
大使館関係家族 750人
満鉄関係家族 1万6700人
民間人家族 240人

この時、列車での軍人家族脱出組みの指揮を取ったのは関東軍総参謀長秦彦三郎夫人であり、またこの一行の中にいた関東軍総司令官山田乙三夫人と供の者はさらに平壌からは飛行機を使い8月18日には無事日本に帰り着いている。

当時新京在住で夫が官僚だった藤原ていによる「流れる星は生きている」では、避難の連絡は軍人と官僚のみに出され、藤原てい自身も避難連絡を近所の民間人には告げず、自分達官僚家族の仲間だけで駅に集結し汽車で脱出したと記述している。また、辺境に近い北部の牡丹江に居留していたなかにし礼は、避難しようとする民間人が牡丹江駅に殺到する中、軍人とその家族は、民間人の裏をかいて駅から数キロはなれた地点から特別列車を編成し脱出したと証言している。
_________________________________________

「守らなかった」 と言われても やむを得ませんな 結果として それに等しい。


8. 2017年8月24日 16:35:14 : i3Ndt2rWYq : S_Vy_E9Efhw[375]
>>4
それこそ、息を吐くように嘘を吐くって奴だな。

住民に通達もせずに率先して逃げ出した軍隊が「守れなかった?」
それは全滅して初めて言える事だ。
実際は「守らずに逃げた」だろ。


9. 2017年8月24日 18:14:26 : fN49t61XCI : FElYK1RoPUo[68]
こういうのも含めて戦争するリスクってこと。
軍隊に国民を守ってる余裕なんかあるわけない。

10. 2017年8月24日 18:27:07 : 6CLfEIh5JA : vNQ@BkWKL5E[21]
関東軍はソ連の侵入までにそれを予期して早々と逃げ出しているからな。
軍隊は国民を使って軍隊と国家を守ることはあっても国民は守らない。
軍隊は国を守るのが役割であって、国民を守るのは警察の役目だという意識が軍にはある。だから軍隊は国家のためという口実を設ければ、全てを奪うことも殺す事も焼き払うこともできる。

もう一つ、満蒙開拓団だと?
侵略と植民だ。
開拓団は老弱男女を問わず全てが侵略者であったという事実を忘れるな。
被害者ではない。
加害者である。
人殺しに行ったら返り討ちに遭ったというようなもので、生きて帰れただけ幸運だ。
本当に嫌なら自殺する手もあったのにしなかったのはなぜか?
死ぬより肉便器になった方がマシだからだ。

開拓団の悲劇は散々耳にしたが、そのいずれもなぜ彼等はその時その場にいたのか。証言者は全て、この根本的な問題を自覚していない。侵略者が侵略に行っていたという事実を自覚していないのだが、外人はみんなそれを知っているのだ。だから被害ばかりを言い立てて加害を隠していると批判を受ける。


11. 2017年8月24日 19:13:39 : yGx7DkbKBE : Q9xdL0FhjJg[122]
恥晒す 女性の闇を 売り歩き

12. 2017年8月24日 19:30:34 : r3aULqfTqc : m4vh2p8grTc[21]
死ぬ思いで不名誉に耐えた娘さん達を戦後もその件でセクハラとか。
こんな村、嫁日照りに悩めばいい。

13. 2017年8月24日 20:11:22 : J0EfR5l7E6 : Pg8W7GUPCkg[122]

とにかく世界大戦の終戦を生き延びた幸運の喜びを国民として分かち合って共有したいですね。

日本は世界を相手に戦争したから東西南北の日本周辺で起こったことの全て戦争の実態である。

あの戦争を体験した人間なら人類史における全ての戦争の本質を理解することができるだろう。

戦争に勝って喜べるだろうか。戦争に負ければどんな目に合うのか体験したことが素晴らしい。

勝てばどんなことをやるのか知らぬはずがない。子や孫らに戦争には絶対に勝てと教えるのか。

戦争体験を語り継いで平和が持続すると思うのは妄想。戦争を知らない者が体験したがってる。

戦争を生き延びた奇跡に近い幸運を自覚されるなら軍国思想という邪宗を憎んで廃絶すべきだ。

廃仏毀釈と軍国思想がなかったら戦争経験者は敵兵に殺されることもレイプもなかっただろう。

生きている人間しか邪宗謗法を断つ決意ができない。この世で正法を信受する決意が最も尊い。




[12初期非表示理由]:管理人:カルト宗教コメント多数により全部処理

14. 2017年8月24日 20:37:31 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1796]
真っ先に逃げ出した関東軍だが それまでの その威張り散らし方は目に余ったという

私の伯父は その関東軍に見捨てられて悲惨な逃避行の末、乞食同然の格好で舞鶴港にたどり着いた後は
筆舌に尽くし難い苦労を 戦後もしばらく味わったという 満州帰りなんて 社会の邪魔者扱いだったそうな

その、軍に見捨てられ壮絶な苦難を受けた私の伯父ですら、こうも言う

「あの戦争の、責任者は誰かという議論をたびたび聞くが わしに言わせれば、【国民すべてが責任者】である
 全ての日本国民が 自惚れていた 思い上がっていた バチが当たったのだよ」

つまり、満州において 日本人達が いかに不遜な態度で 驕り高ぶっていたのか 目の当たりに見てきた
私の伯父に、子供の頃から何度も聞かされてきた私である

「満州においてはな 一番偉いのは我々日本人だ その次がロシア人 そして満人 漢人 一番卑しいのは
朝鮮人なのだぞ」 日本人の親たちは 自分の子供たちに平気でこう教えていたそうである

※ 現地の民衆たちから 日本人が少しでも恨みを買わないようにと、開拓団の先兵として朝鮮人を
まず大量に移住させたというから、満州にも大勢の朝鮮人が住んでいたそうだ ※

だから、ソ連軍兵士はともかく 日本が負けた途端、中国人朝鮮人は 日本人に襲いかかったという
最も恐ろしかったのは、中国人 朝鮮人の 報復だったという。


15. 2017年8月24日 21:34:29 : vIJ4EQrZCs : MKdFw1sOzN8[29]
>>10
 侵略への批判と反省は当然です。
 しかし、国の悪行を理由に、国民が受けた被害を否定する考え方には到底同意できません。

 大日本帝国が悪かったから、日本人女性はレイプされて当然。
 ナチスが悪かったから、ドイツ人女性はレイプされて当然。
 アルカイダが悪かったから、中東の女性はレイプされて当然。
 そんな理屈がまかり通っている限り、誰も救われないんです。

 軍の侵略が悪いのであり、軍が民間人を守らなかったのが悪いのであり、軍が民間人に銃を向けたのが悪いんです。
 男が女をレイプしたのが悪いのであり、男が女を男に突き出したのが悪いのであり、大人が娘を犠牲にしたのが悪いんです。
 その被害と加害を、国籍で切り分けるべきではありません。


16. 2017年8月25日 05:54:57 : J0EfR5l7E6 : Pg8W7GUPCkg[123]

戦争体験を人間がやらかした戦争の歴史を理解する為に役立てる為には相当の知恵が必要です。
知恵がなければ単に回顧録でしかなく当時の記憶と抱いた感情を呼び起こす体験談でしかない。
日本人は子供の頃から天皇が神様で神国日本の国民は世界で最も優秀な民族と教えられていた。
国民に嘘を教えて戦争へ突き進んだ思想は誤れる宗教だったが惑乱宗派の仏教に力がなかった。

現在の国論は日本を戦争国家にするのか平和国家を望むのか善悪が味噌も糞も一緒くたである。
戦争というものは権力者が国民の犠牲を厭わずに騙して強いるから騙される愚かさも悪いだろ。
邪宗仏教の各宗派は邪義を見透かされ体裁が悪くなるたびに戦争法反対などと国民の尻に着く。
二十四時間の四六時中、邪宗教を根絶したいと願うのは法華誹謗の謗法と戦う唯一正法のみだ。

生きているうちに正法を受持し戦争の温床だった邪宗教の邪義を根絶するのが平和の礎となる。
子供の頃から身近な宗教に親しむ現実が既に正しい思考を阻害され嘘を教えられているのです。

お釈迦様も末法の教主釈尊も法華誹謗によって諍いが起こり戦争になると教えているんですよ。
邪宗仏教宗派の悪僧らは仏教の教主である如来の顔に泥を塗り教義を曲げて民を誑かしている。
戦争神道の外道を台頭させた大罪があるにもかかわらず伝統仏教の共存共栄をいう偽聖職者だ。

戦争の悲惨な経験を言い続けても何の知恵もない。仏法の知恵で戦争の愚かさを教育するべき。



[12初期非表示理由]:管理人:カルト宗教コメント多数により全部処理

17. 2017年8月25日 09:08:04 : hyEQL9xgYu : k5UBbXQ5ICI[132]
この様なことも含め先人たちは「戦争は絶対にいかん」と云っていたし、云っている。

完璧な軍国教育とプロパガンダで、普通の人間は完全に狂わされる。
歴史が教えてくれたことを再び繰り返そうとする勢力がいるが、邪悪なエネルギーを極大化しても10年以上の歳月は必要となる。
弓はかなり引かれているが、弦は弱いままだ。
国を思うように操るには相当な手練れと準備が必要だが、半分以上は終わっている。
これから先は、個人と国家の総力戦となる。

トマトと人間は似たようなものだ。
ひとつが腐りだすと、たちまち周辺に影響を与えてしまい、最後にはすべてが腐ってしまう。
それを防ぐには、一個(一人)を適当な距離に保つことである。
一個が自立して生死を全うせよと云うことであろう。


18. 2017年8月25日 10:03:21 : 21HnQkLHGw : ZFEi6cJwz9k[15]
日本女性の旧ソ連、ロシア軍のための従軍慰安婦制度の時代があったというのはあまり知られていないね。

悪いのは戦争で経済を回そうとする悪魔な連中。そこに国家民族は関係ない。
悪い奴はどこの国にもいて、たいてい敵国と称する相手と裏でつるんで、無垢な国民を騙してる。
「なに人が悪い、どこの国が悪い憎い」などという対立感情を煽るプロパガンダに振り回されない強い心が大切だ。


19. やもめーる[-1017] guKC4ILfgVuC6Q 2017年8月25日 14:15:48 : blXCgLxbC6 : KU28p9SwFww[-28]
性接待を受けなかったのは
やはり関東連合の軍幹部やそれとつるんだ
財閥の姉弟なんだろうな。アメリカに金を渡して
死刑を逃れた連中もいるからな。(例:岸信介)

[32初期非表示理由]:担当:アラシコメントが多いので全部処理
20. 2017年8月27日 08:21:27 : J0EfR5l7E6 : Pg8W7GUPCkg[131]

>あの戦争の責任者は誰かという議論をたびたび聞く
>わしに言わせれば国民すべてが責任者である

平和も戦争も人の命あっての物種なんですがより確かな精神の世界がないと平和の持続はない。
戦争の記憶は戦争経験の有無に依らず現在の人間の心を培って人格形成に大きな影響を与える。

感情の信者は何事も正しいかどうかは自己中の判断だから善悪を語っても刹那的で持続しない。
感情の信者が判断を間違って他人に強言し惑乱するから後戻りできない戦争にもなったりする。

生きた人間の知恵など生きている限り信用に値しない場合が多い。変わらない正しい心が大切。
己の感情を師としない生き方が大事だ。誰彼を師とするのではなく如来の教えを師とするべき。

仏教の教主の教えを無残にも改竄して無数の宗派が蔓延ったから誰も如来の御導きを知らない。

ある宗派は仏教の教主の言葉尻を質にとり念仏を唱えれば極楽に往生できると狂って嘘をいう。
またある宗派は中国に蔓延った密教などの闇の仏教に陶酔し正統な宗派の教義を盗んで混ぜた。

禅宗などは論外で教外別伝などとハッタリを抜かして人を誑かし下級武士など地方に蔓延った。
日本は十世紀も武士の天下が続いた為に出鱈目な邪宗仏教が蔓延して世界の孤児となっていた。

今の時代は国民の権利と自由が芽生え始めるも民主主義が磐石とは言えない未熟さを抱えてる。
ある意味で国民の責任が問われ国民全体としての判断に責任があるということができるだろう。

国民が生まれた時から末法の教主釈尊の教えが正しいと教えられていないことが現実の元凶だ。
国論を二分した日米同盟の集団的自衛権が生命と財産を守るいう壮大な妄語を誰が信じるのか。
それほど見識も知性もない者が思いつくまま出鱈目を言い張り感情の信者になって国を荒らす。

国民が無数の邪宗謗法に供養する限り偽物の聖職者らは濁悪の世の中を助長するだけなんです。
そよ見よがしに外道神道の輩は戦争の歴史に泥酔し軍事国家を妄想し国防予算を浪費するだけ。
生きて命あっての物種なんだが生きてるうちに邪宗謗法の恐ろしさを理解し改心するべきです。




[12初期非表示理由]:管理人:カルト宗教コメント多数により全部処理

21. 2017年10月08日 22:49:38 : M6P7nhoK5E : Np5dffau2SU[815]
何をいまさら
こういう事をすべて含めて「戦争」なんだよ
日本は無条件降伏したのだから、北方領土にしろ何にしろ、今さらゴチャゴチャ言う資格はないのだ

こういう思いを二度としないために、日本は今後戦争はしない
それだけで十分だ


22. 2017年10月09日 06:15:29 : QFDsWIUmrw : lWZxy2ve5Rg[4]
>>2
軍隊が居なければ、国民の生命は守れない。
もし、日本に自衛隊が無く米軍も居なければ、今の日本でも同じ事が起きるだろう。

憲法9条を改正すれば、又同じことが起きるであろう



23. 2017年10月09日 09:07:13 : rwgORSmgTI : ySbarMWNCPU[136]
軍隊とは国民を守るためにあるのではありません。
政府または政権を守るためです。
そのついでに国民を守ることもまれにはありますが・・・・

24. 2017年10月09日 13:02:44 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[1936]
そもそも、関東軍とは 日本人の居留民を守るために(どうせ建前だったが)旧満州に設置された軍隊

しかし、彼らのやった事といえば 自作自演のテロを起こしそれを口実に満州全土を武力制圧し
(これを柳条湖事件から始まる いわゆる満州事変と満州国建国、完全に日本による侵略である)
米英蘭を相手に絶望的な戦争を始める根本的な原因を作った軍隊

※ 国際連盟は 42対1という圧倒的多数(1はもちろん日本)で この満州国を 国際法違反の侵略行為と
 決議されるのだが これを不服として 脱退状を叩き付ける ここでもう将来の戦争は確定的だった ※

自分達で戦争の原因を作っておきながら 旗色が悪いと居留民を見捨ててさっさと逃げ出すという事は
しょせん権益拡大と侵略する事が目的で、邦人保護は口実でしかなかったと認めたようなものである

● まず、日本人を入植させて それの保護を口実に軍隊を駐留させ、隙あらば権益の拡大と領土の奪取を
 目論んで植民地経営を行うのが、日本による侵略の手口 だがしかし それに失敗した場合は
 見捨てられた日本人の入植者たちは 極めて悲惨な目に遭う、彼らもある意味 国家に騙されたのである ●


25. 2018年1月26日 17:03:00 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[115]
そう 満蒙開拓団などと言うが、完全にペテンである  【開拓】と言うのは、未開の大地を開墾する事で
実際には 中国人(満州人)が開墾した土地を 奪い取ったのが殆どであるから この名前自体がインチキ

柳条湖事件(現地の日本軍による自作自演)に 乗じて武力で制圧した満州の地を ほとんどタダ同然で
現地人から召し上げた と言うのが真相であり 【正真正銘の侵略】である


この、日本の歴史上 もっとも恥ずべき歴史は 未来永劫 絶対に消えて無くなる事はないのである
人類の文明が続く限り この満州事変が 太平洋戦争の原因でもあり原点でもある事もまた
天地が引っくり返らぬ限り、語り継がれる負の歴史なのである。


26. 2018年8月16日 01:02:49 : IQEZCuVbeE : 9zOr7PF9ovE[22] 報告
基礎的な考え方として次のようなサイトも参考になさってはいかがでしょうか。
下に一部を引用・転載させていただきました。
www2.odn.ne.jp/~caj52560/sanka.htm


転載始め

明治維新は彼ら庶民を原動力として成し遂げた経緯があり、金の無い東京政府は後に本願寺派仏教勢力と提携して彼らを裏切ったので、叛乱を怖れた。だから治安維持策として、「棄民政策」と称して北海道、樺太、北米、伯剌西爾へ彼らを放り出したのです。
女はサンダカンへ性業婦として輸出し、外貨獲得。自国の国民をこうした扱いをする国が一体何処にあるでしょう?

差別徹廃、部落解放、四民平等を信じて、命を捨てた名もなき草莽たちの無念やいかばかりだったでしょう。結局、天皇を象徴とした官僚支配の律令体制は現代まで残り、部落問題は今に到るも未解決である。前体制の残滓はかくも国民を不幸にする。

転載終わり


27. 2018年8月16日 02:34:59 : P7r2ju81Fg : bHh593DtFQE[20] 報告
自国民が「慰安婦」になったときは被害者の話は疑問も呈されることもなく受け入れられるようだ。これが、朝鮮人の「慰安婦」が体験を語ると真実だ、虚言だと大騒ぎになる。
28. 2018年8月16日 06:59:47 : Z6BBIeeg1k : weVfTUisk9k[87] 報告
今の自民公明政権を見ていると、こういう奴らが戦争をしたがっていて、いざとなれば国民など守る気など毛頭なく、自身の保身と身の安全を最優先して逃亡するというのが良く分かる。

先日の豪雨災害のときの赤坂自民亭にしても、その後の安倍晋三をはじめとする政府与党のやり方といい、口では何とでも言えるが、実際の行動を見ていればよく分かる。

コメントの中には、関東軍を擁護するものもあるが、いざとなれば軍を擁護している連中も見捨てられる。
「今までご苦労。もう君は用無しだ」とな。

ネトウヨやネトサポの末路もこんなものだろう。

29. 2018年8月16日 07:10:50 : wfqDVQNzpI : iS8PrMDxvvE[1] 報告

>>もし、日本に自衛隊が無く米軍も居なければ、今の日本でも同じ事が起きるだろう。
つまり、憲法9条を守れと言う者は、世界の歴史を知らない愚か者である。

オイオイ「02」の御バカちゃ〜ん♪

其の米軍の親玉「トルーマン」と英軍の親玉「チャーチル」に懇願され、樺太・千島列島(当然、北方四島含む)をソ連支配地と認める条件で「スターリン」が渋々「日本侵攻」に踏み切ったってのが「ヤルタ会談」の歴史なんですがネ〜♪。

憲法9条を改悪・廃棄して戦争出来る国にしようと言うオマエ等は、世界の歴史を知らない愚か者というか、最早「キチガイ」である。

>>大日本帝国や満州国にも軍隊はあったがソ連軍の大兵力に対抗できず、国民を守れなかっただけだ

更に出ました「04」究極の御バカちゃ〜ん♪

大日本帝国参謀本部・関東軍司令部はノモンハン事件でソ連軍の圧倒的兵力を熟知していたにも関わらず、何の防御体制も執らず、ソ連軍侵攻を「スターリン」が決断した情報を受け一早く、家族を含む自分達だけの「本国帰還」を画策した。

そして、其の秘密帰還作戦はソ連軍侵攻よりも2週間前から準備されていた。

更には自分達の帰還に支障が無いように「極秘」とされ、国民である「満蒙開拓団」団員・一般職員を置き去りにして突然「敵前逃亡」した。

この大日本帝国参謀本部・関東軍司令部の帰還組が自分達の卑怯な行為を誤魔化す為に「沖縄死守・本土決戦」を声高に叫んだ。

こいつらが戦後も生き残り「ポツダム将校」「戦犯回避」で「自衛隊幹部」と為り退役後は国会・地方議員に転身したり高額な「軍人恩給」を貰って天寿を全うしたとサ〜♪。めでたしめでたし〜♪。

まるで、「自民党赤坂亭」を彷彿させる出来事ですナ〜♪。

ま〜ぁ、真っ先に満州帝国資金を持ち出しトンズラ図った「岸信介」「笹川良一」「児玉誉士男」の子孫・子分が「自民党」に沢山いますからネ〜♪。

30. 2018年8月16日 09:24:12 : FQp9M24fwU : gbHBiAe1byw[18] 報告

明治維新もロシア革命もユダヤ資本とその勢力によって成し遂げられてきました。
戦争中は、敵国であるナチスと米国資本が裏で繋がっており、ブッシュ家は戦争で暴利を得ました。
同じく、日本の中枢も米国資本とつながっており、資金や石油などを調達していた。
戦時中、日本赤十字の船(天皇財閥・三菱財閥)は、頻繁にスイスへ何かを運んでいた。
敗戦後、陸軍だけが戦争の責任を問われ、大元帥はアホを演じて責任を免れ象徴になった。
三菱などの財閥は古くから皇室と姻戚関係にある。麻生・安部も皇室と姻戚にある。
ヒロヒトは、戦争でたくさんの日本人を殺したドレーパーに勲章を授与している。
今上は、CSISレポートを書いたアーミテージや死神・ラムズフェルドに勲章を授与した。

選挙はインチキの連続で安倍一強となりました。
上層部はグルであり、全てはペテンです。

>隠された真実 権力者達の系譜‎ > ‎ ロシア革命の真相
https://sites.google.com/site/uranenpyou/home/russian-revolution
> プーチンもビックリ!Russian President Vladimir Putin said that at least 80 percent of the members of the first Soviet government were Jewish.
http://www.jpost.com/Jewish-World/Jewish-News/Putin-First-Soviet-government-was-mostly-Jewish-317150
>ブッシュとナチスの結託 政府公文書で確証http://cybervisionz.jugem.jp/?eid=50
〜911事件以降 イラク(中東)に於いて "自由・解放"の名の下に殺戮を繰り返す米ブッシュ大統領の家系は、第二次大戦当時 祖父のプレスコット・ブッシュによってナチス・ヒットラーとの関係により財を成してきた家系であることが政府公文書で確証されている。

>昭和天皇の戦争責任(1)http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html
>昭和天皇こそが正真正銘の売国奴
http://ameblo.jp/eva-omega/entry-11784214132.html
>【貴族・財閥の政治】世襲議員だらけの安倍晋三政権!麻生太郎も天皇家と縁戚。
https://matome.naver.jp/odai/2141399564919548601

>「擬似民主主義」 https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/5abnsb/
>不正選挙の時代と手口まとめ (self.tikagenron)
https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/582f3q/
>粛清手段としての不正選挙
https://www.reddit.com/r/tikagenron/comments/6f5wj0/



[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

31. ボケ老人[3472] g3uDUJhWkGw 2018年8月16日 10:02:59 : QHkUDaloVM : nhEL_@HJWto[555] 報告
性接待は
朝鮮人と日本人に共通する女性蔑視が根本原因ではないだろうか?

米軍の仁川上陸に際し、日本人居住者は人(主婦)を選んで米軍人用慰安所を設けようとした。これは日本軍とは関係ない。
慰安所がモタモタしているうちに、居住者の中で飛び切り誉れ高い美人の若い娘が米軍人に強姦された。
引き上げ船が手配され、いざ日本へ帰国する段になって、この若い娘の乗船を拒否したという。黒人に侵されて穢れた身を帰国させるわけにはいかないと置き去りにした。

妓生文化を持つ韓国が、恥さらしな売春婦像を世界各国に建てる


>28.weVfTUisk9k

おっしゃる通りですね。
所詮ネトウヨは口先だけで、誰かに指示されないと何にもできない輩だから
【余命なんちゃら騒動】が良く表している。


>4.7seLCrjHtDI

歴史的考察もできない大バカ者だ。
ノモンハン戦争は独ソ戦を期待して日本側(板垣征四郎と辻正信)がちょっかいをかけ、大敗北を喫したものだ。
ソ連駐在武官が東へ向かう大機甲師団を報告しているのを握りつぶしもした。

ノモンハンの敗北に懲りて、南進政策と名前を変えて、満蒙開拓と煽って移住させた民間人を置き去りにして関東軍が逃げ去った。
これが満州在留孤児の原因だ。

世界を見ずに、己の脳内お花畑のストーリー通りに話が進むと考える
大本営の秀才たちはダンケルクの軌跡の後、ロンドン上空で独空軍が敗北を喫していることも知らずして、初期の独軍の大進撃に目を奪われ、バスに乗り遅れるなとばかりに日独伊三国同盟に踏み切り、あわよくば日独伊ソ四国同盟に発展させて英米と対峙するなどと寝惚けていたのだ。
日本が真珠湾攻撃した時にはすでに独軍が下り坂に向かっていたことも知らずして

昔も今も蚊帳の外は変わらずというところか

    



[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

32. 2018年11月19日 08:22:29 : d7ilBS8V8s : TjoCJrPLhrI[8] 報告
北朝鮮悪、中国悪が通じなくなってきて、今度はロシア悪で誤魔化そうってか?魂胆ミエミエなんだよ。

悪いのは日本人を守らず、トンズラしたり、裏取引をした関東軍なんだけど、その現実を認めたくないのはネトウヨと戦犯共の子孫くらいなモンだ。


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