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金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている(ダイヤモンド・オンライン)
http://www.asyura2.com/18/hasan126/msg/646.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 4 月 06 日 14:24:16: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている
http://diamond.jp/articles/-/166180
2018.4.6 的場昭弘:神奈川大学教授 ダイヤモンド・オンライン

 


 いったい利子はどこから生まれるのだろうか?

 お金を貸せば利子が生まれることは、少なくとも現在のわれわれには一般的常識だ。

 だがその金利がゼロというのはどういうことか。

 それは、資本が自己増殖を続ける資本主義経済で、資本があり余った状態、つまり資本主義が新しい段階に入る胎動を示しているのかもしれないのだ。

利子はどこから生まれる?
生産による利潤の一部


 基本的なことから考えてみよう。利子とは何なのか。

 借り手がいなければそもそも利子など成立しないはずだ。お金を貸したいという「貸し手」と借りたいという「借り手」がいれば、なるほど利子は自然に生まれるように見える。

 だから、利子は「借り手」と「貸し手」との需要と供給の関係から生まれるように見える。しかし、「借り手」が借りたお金を貯め込んで、生産に投資しなければ、利子など生まれるはずがない。利払いに回す原資がないのだから。

 こう考えると、借りた以上は利子を支払わねばならないという点から生じる利子の発生の問題と、利子がどこから生まれるかという利子の起源の問題はまったく違うことがわかる。

 それでは利子は、いったいどこから生まれるのか?

 交換経済というのは、人間社会がものをつくり、それを消費して成り立っている。人間が生きるための物質的生産に資本が投資され、生産したものが購入されて利益が出ないかぎり、利子が生まれるはずはないといえる。

 つまり利子の原資は、基本的に、物質的生産から得られる利潤の一部である。だから資本は生産に投資せざるをえないのである。

 もちろんサービスへの投資も利子を生み出すが、それは物的生産が前提にされる限りでのことだ。人間は霞を食って生きてはいけない。だから、サービス産業を中心とする先進国経済も、背後に後進諸国の、物的生産である工業や農業を前提にしている。

 要するに、先進国経済は、資本を後進国に投下し、後進国の物的生産によって生み出された利潤の一部を利子として受け取っているのである。

 しかしこうした基本的事実は、現代社会ではなかなか見えてこない。むしろ利子は、貨幣が自然に生み出す魔術のように見えるが、そうではないのだ。

資本蓄積が進むと
利潤率や利子率は長期低下傾向に


 ただ、利子が物的生産によって得られる利潤の一部とはいえ、利子が生まれるのは、生産に投資される資本が相対的に稀少であることが前提だ。

 あり余るほど資本がある場合には、「借り手」はいないから利子率はゼロに近い。逆に資本が稀少である場合は利子率が高い。

 資本主義の歴史を振り返っても、資本蓄積が少ない時代には利子率は高く、資本蓄積が進むと利子率が低くなる傾向にあることがわかる。

 貨幣の価値が金などとリンクしていた19世紀までは、貨幣の供給量が金や銀の生産を前提にしていたから、供給が限られることで相対的資本不足であり、利子率は高かった。

 その後、現在の金などとの交換を前提にしない不換紙幣になり、また株式発行による資金調達などが拡がると、資本の拡大とともに、自然利子率は(政府の意図は別として)徐々に下がる傾向にある。

 資本主義発展の初期の段階は国内市場も世界市場も十分あり、新製品への需要も十分あり、労賃は安く、投資は活発だ。経済成長の始まりの時期であり経済成長率は高く、利子率は高い。

 しかし、次第に資本蓄積が進むにつれて、成長は鈍化し、市場も閉塞化し、新製品もなくなり、経済成長は次第に停滞していく。こうして成熟した時代、過剰資本と過剰蓄積の社会が生まれる。

 過剰資本と過剰蓄積の結果、投資をしても得られる利潤率が相対的に低落することで、利潤の一部から生まれる利子は相対的に減少する。それによって利子率は減少する。

 現代の「ゼロ金利」の背景には、こうした資本主義の発展段階の変化が反映されていると考えたほうがいい。

マルクスが予見した
利潤率低下の法則


 マルクスはこうした現象を利潤率の傾向的低落という法則から、説明している(『資本論』第3巻の議論)。

 表面上、もっといえば個別の資本で見れば、現在では個別の企業と言い換えてもいいかもしれないが、利潤率が下がろうが、上がろうが、「貸し手」としては貸した以上、利子をいくらでも取っていいように見えるが、資本全体の立場から見たら、利子率は利潤率に依存せざるをえない。

 では、利潤はどこから生まれるか。

 マルクスは、利潤は人間(労働者)が働いて産み出した価値の一部を資本がかすめとっもの(「剰余価値」)だと考えた。

 利潤が、機械や原料から、あるいは企業家の創意工夫から生まれるのであれば、労働者がいなくても利潤はどんどん生まれていくことになる。

 ところが、我々が生きている交換経済というのは、人間と人間との生産物を貨幣を媒介して交換しあう仕組みだ。

 つまり、生産した生産物はほかのだれかに購入され、消費されねばならない。生産物が「商品」として購入されることで、資本は利潤を得るのだ。

 生産だけの社会では利潤は実現できない。つねに生産し、購買し、消費する人間が前提とされなければならない。

 動物社会には利潤は存在しないし、ロボットの世界にも存在しないのである。人間の代わりに動物やロボットを使うことで、労働力を代替することはできるが、動物だけ、ロボットだけの社会では、利潤は生まれないのだ。

 より正確に言えば、利潤は、ほかの人間、すなわち労働者からの剰余価値の収奪として出現する。

 つまり、資本が、労働者を使った生産から得られる剰余価値(利潤)は、その生産物を、他の労働者が働くことで得た所得で購入することによって初めて利潤として具現化するわけだ。

 要するに利潤とは、ほかの人間の労働からかすめ取られたものであるということだ。

 その「収奪」の形態は、個別の資本の場合は、労働者が支出した労働力とそれに対して支払われた労賃との不等価交換によって行われる。

 しかし、資本全体の間では、こうした不等価交換だけでなく、競争によって、生産性の高い企業が生産性の低い企業から利潤を収奪するという形をとる。

 このため企業はこぞって生産性を向上させるために新しい機械を導入し、利潤を得よううとする。だからこそ、資本主義経済では、利潤が労働者の労働から生まれるというよりは、資本家相互の競争から生まれるように見える。

 だから利子が利潤から生まれることは理解できても、それが労働と関係しているとは誰も考えない。

フロンティアの拡大、難しく
投資を控える資本


 そして利潤が相対的に低い状態とは、利潤率が下がった状態である。

 資本がだぶつき、投資を控える状態が、利潤率が下がった状態であり、投資しても利潤が得られないことで、利子率はさらに下がっていく。利潤が上がらなければ利子率はゼロに近づく。

 資本主義は、利潤率を上げるために懸命の努力をしてきた。

 海外市場への展開や新製品の開発で「フロンティア」を拡大し、一方で原料コストの引き下げ、労賃の引き下げなどをしてきた。市場が飽和し、新製品がなく、労賃の引き下げがそれ以上進まない場合には、利潤率は傾向的に下がっていく。それは、とりもなおさず経済成長の停滞を意味する。

 資本主義はつねに成長拡大のために資本投資を行い、利潤を獲得し、その中から利潤を上げ、利子を支払い続けねばならないシステムだともいえる。

 利潤率の傾向的低落の法則は、いくつかのそれを阻止する要因がない場合、資本主義にとって致命的な法則だといってよい。利潤率が下がれば、利子率も次第に下がっていく。

成長力を失い新たな段階へ
資本が「社会化」する時代に?


 こう考えると、いまの「ゼロ金利」や「金余り」の現象は、経済成長が難しくなり利潤も得られなくなった結果であり、資本主義は時代を終えつつあるのかもしれない。

 利子率を引き上げるには、本来、利潤率を引き上げるしかない。そのためには新しい製品を開発し、市場を拡大し、労賃を引き下げることだが、それが難しくなっている。

 地球環境という有限性を考えれば、いつか資源は枯渇するだろうし、新製品の開発が環境破壊を生み出すことにもつながっている。宇宙にモノを売りに行くわけにはいかず、地球という市場の閉塞性を打破できないとなれば、いつかはその「成長の限界」の時は来る。

 繁栄した国が衰退しても、新たなる繁栄した国が生まれることで成長を続けることができた牧歌的時代がかつてはあった。

 当面、アフリカやアジアの一部では、労働力が増え、先進国では飽和状態の製品が売れ、市場が拡大することによる利潤率の上昇という砦が残されてはいるが、やがては次第に全体としての成長力を失い限界に到達しつつあるのかもしれない。

 金利ゼロという現象は、もはや一国の問題ではなく、資本主義全体の問題でもあり、近未来社会への兆候にも思える。

 その姿はまだはっきりしないが、資本があり余り、資本が「社会化」する時代が到来するのかもしれない。

(神奈川大学教授 的場昭弘)


 

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コメント
 
1. 2018年4月06日 21:15:15 : jXbiWWJBCA : zikAgAsyVVk[1052]

>マルクスは、利潤は人間(労働者)が働いて産み出した価値の一部を資本がかすめとっもの(「剰余価値」)だと考えた

残念ながら完全に過去の思想であり、現在では、ほとんど価値はない


>我々が生きている交換経済というのは、人間と人間との生産物を貨幣を媒介して交換しあう仕組みだ。
>つまり、生産した生産物はほかのだれかに購入され、消費されねばならない。生産物が「商品」として購入されることで、資本は利潤を得るのだ。
>人間の代わりに動物やロボットを使うことで、労働力を代替することはできるが、動物だけ、ロボットだけの社会では、利潤は生まれないのだ。

現在では、経済主体(財やサービスを生産する主体、通貨を受け渡して購入する主体)が、生きた人間である必要はない

AIとロボットを使えば、生産も購入もどちらも可能になるのは

無人採掘、無人生産工場、無人輸送システム、AIによる無人取引などを考えれば明らかなことだ

つまりヒトは、こうしたシステムで単に栄養やサービスを享受するだけの存在であっても問題はないし

実際、今でも生活保護や年金受給者は、生産に寄与していないし

認知症老人は、支払いすら自立して行えない

同様に、今後、大部分のヒトは、こうした生産と交換システムに寄生するだけの存在になっていくだろう


>より正確に言えば、利潤は、ほかの人間、すなわち労働者からの剰余価値の収奪として出現する。

生産においてヒトを必要としなければ、搾取など発生しようがない

そもそも、剰余価値など、単なる情報論的な記号に過ぎない

つまりマルクス経済は現在においては単なる欠陥理論に過ぎない

さらに言えば、現在の多くの金融経済理論もまた、同じ運命を辿るし

現在の高度資本主義もまた、いずれは淘汰されて消えていくことになるだろう



2. 健奘[166] jJKa9w 2018年4月06日 22:09:58 : 7lVWgtCxYQ : e1xd5fKWMp0[18]
> 今後、大部分のヒトは、こうした生産と交換システムに寄生するだけの存在になっていくだろう

いや、心配ないよ。大部分でなく、全員だよ。ちょっと時間はかかるけどね。
そのとき、寄生と呼ぶかどうか知らないけど。。。


3. 2018年4月07日 09:57:53 : 0qZDOjot4w : zqHXmj1gvfY[254]
 マルクスは最終的な共産主義社会(科学技術の進展により生産力が究極的に高まった場合のこと)では「人類は労働から解放される」と言った。その場合人類は「完全に自由な生活」を享受できるという事だ。

 ただ皮肉なことにこれからは資本主義社会のままで科学技術の進展で生産が「人類の手から離れる」という領域に至りつつある。この時に資本主義が「分配の平等化」(と言っても完全平等でなくともよいが)を実現する知性を身につければよいが、そうでないときは、貧しき者達は「人間としてはみじめな生き方」を強制されるだろう。(例を上げれば薬物依存とか、資本による各種の洗脳とか)


4. 2018年4月07日 22:31:51 : SZjRMzoyXo : M33@ap_DFuw[1]
>>1

残念なのは貴殿の頭脳の中身だな。

現状とその延長の技術レベルで、完全に人間を排した生産、流通は無理。
AIなど簡単な同意文判定さえできない。(AI vs. 教科書が読めない子供たち 新井紀子 を読んで勉強したまえ)

>残念ながら完全に過去の思想であり、現在では、ほとんど価値はない

資本家はそう信じさせたいだろうねえ。

>そもそも、剰余価値など、単なる情報論的な記号に過ぎない

そんなこと言い出したらあらゆる概念はそうだろう。
そういう情報論的な記号に「意味」を見出すのが人間にはできて、AIにはできない
能力なんだよなあ。
貴殿は実はAIレベルの頭脳? AIに惚れ込みすぎてるのではないか。



5. 2018年4月09日 08:34:01 : ioi7C6Azq2 : xSYYRQ2mbpA[49]
こんなことで悩む必要はない。借りたものと同じものが、一定時間たったら増えていた。それだけの原理だ。量が増えることがあるからプラスの利子が存在できるのだ。借りたものを増やせずに、返済が困難になれば、マイナスの利子も生まれてしまう。マネーで借りるのが今の社会だから、マネーが増えることで、プラスの利子が生まれる。

マネーが減ることもある資本主義社会は利子率が大きく変動する。恐慌はマイナス利子が生まれることである。


6. 2018年4月09日 22:13:39 : IpVdtZO4ew : VXqym3wMoW0[2]
0金利緩和で資本主を義封鎖をして

資本主義の限界???

緩和の終わりで資本主義の限界も終わる。

マルクスを引き合いだすまでもない。


7. 2018年4月09日 22:30:50 : n9wX432XWc : Pa_R7YbHNuA[89]

訂正

0金利緩和で資本主義を封鎖をして

資本主義の限界???

緩和の終わりで資本主義の限界も終わる。

マルクスを引き合いだすまでもない。


8. 2018年4月10日 00:44:12 : ioi7C6Azq2 : xSYYRQ2mbpA[50]
金利がゼロになって、日本の資本主義がほぼ消滅したと言える。学問的にも日本の資本主義は消滅してしまった。

日本政府は借金した債務の利子を稼ぐことはできない。支払うことになる利子分を含めて借金する、稼ぐ力を持つ者が借金できることが経済のルールになっていた資本主義の経済システムは半永久的に破壊された。資本主義が消滅した理由は資本のルールを持たない貸し手と借り手が金融を支配したからである。

現実の日本経済に存在するマネーの量は国家による借金が元手になっている。日本政府の借金踏み倒し=(国家が稼がないで民間から返済資金を収奪すること)による最後の審判は=日本経済にいつ起きても不思議ではない。


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