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「未婚非正規女性」切り捨て社会の末路「全従業員の正社員化」に宿る堤清二の理念「70歳以降まで働く」のは嫌?嫁ブロック起業
http://www.asyura2.com/18/hasan128/msg/720.html
投稿者 うまき 日時 2018 年 10 月 09 日 08:49:33: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

「未婚非正規女性」切り捨て社会の末路


河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
「女性就業率過去最高」の内実

2018年10月9日(火)
河合 薫


本当に「働く時間を選びやすいパートなどが増えている」のか(写真:PIXTA)
――「女性が輝く社会」をつくることは、安倍内閣の最重要課題のひとつです。
すべての女性が、その生き方に自信と誇りを持ち、活躍できる社会づくりを進めてまいります。
 2014年10月10日――(官邸HPより)

 「すべての女性が輝く社会づくり推進室」と書かれた看板を、安倍首相と自称「トイレ大臣」こと有村治子氏が掲げたツーショットから、4年。

 確かに「まぶしいほど輝いてる!」写真が、ウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された。

「Japanese Leader’s ‘Society Where Women Shine’: One Woman, 19 Men in Cabinet--Satsuki Katayama’s responsibilities include promoting gender equality--」
と題された掲載記事に使われた写真の「シルバーのドレス」である。

 むろん記事の内容はNHKまでもが流した、どーでもいい「キラキラドレスハプニング騒動」についてではない。

 第四次安倍内閣の女性閣僚は1人。安倍首相が記者会見で、女性記者から(外国人記者と思われる)「もっと女性閣僚が入ると思っていたのに、なぜか」といった趣旨の質問され、「女性活躍はまだ始まったばかり」とはぐらかし、「(入閣した女性閣僚は)フットワークがよくガッツもある。2人分、3人分の発信力を持って仕事をしてもらいたい」などと答えたことを取り上げ、日本が女性活躍後進国であることを伝えている。

 欧米ではこのご時世、女性大臣が「オンリーワン」は時代遅れ。13年の国連総会では、安倍首相自身が「Society Where Women Shine」という言葉を連発していたことへの皮肉を存分に込めた、と個人的には理解している。

 「女性議員はスカートをはいたジジイばかりだから、女性議員を登用しても意味がない」

 そういった意見もある。

 ならば民間で活躍している女性を招聘する手立てだってあったはずだし、専門性の高い、優秀な女性をノミネートすればいい。

 3カ月ほど前、自民党の参院政策審議会が、女性に関する政策を総合的に推進する「女性省」の創設を検討しているとの報道があったように、安倍政権にとって「女性」という単語は、「ナニカやってます!」とアピールするための道具でしかない。

 現在進行形であれば、それでよし。いまだに「始まったばかり」ってことは、安倍首相自身が格差是正する気もなければ、解決する気もないことを暴露した格好である。

 本来であれば、長期政権だからこそ解決に時間がかかる社会問題をきちんと進展させられるのに。なんだか本当に絶望的な気持ちになってしまうのです。

 ついでに申し上げれば、メディアもメディアだ。

 「用意したドレスがどう」とか、「認証式では長袖じゃないとダメだ」とか、「銀座の百貨店に直行してギリギリ間に合った」とか報じてないで、もっとやるべきことがあるのではないか。

 例えば、16年2月18日に「内閣総理大臣 安倍 晋三」の名前で公示された
「男女共同参画基本計画を平成二十七年十二月二十五日付けで次のとおり変更したので、男女共同参画社会基本法(平成十一年法律第七十八号)第十三条第五項の規定により準用される同条第四項の規定により公表する」とした文書では、改めて強調している視点として、「女性の活躍推進のためにも男性の働き方・暮らし方の見直しが欠かせないことから、男性中心型労働慣行等を変革し、職場、地域、家庭等あらゆる場面における施策を充実させる」とし、22年までの到達目標が詳細に記載してある。

 これを見れば「女性活躍は始まったばかり」じゃないし、現段階での到達目標との齟齬を指摘したり、検証することだってできる。

 しかも、
  ・国家公務員
  ・地方公務員
  ・民間企業
などの上位職の数値目標は詳細に列挙されているけど、国会議員は存在しない。

 なぜ、国会議員だけないのか? ツッコミどころは満載である。

 候補者数に関しては、「30%」と書いてあるが、そこに以下の注釈がある。

 「政府が政党に働きかける際に、政府として達成を目指す努力目標であり、政党の自律的行動を制約するものではなく、また、各政党が自ら達成を目指す目標ではない」

各国議会の女性進出で日本は158位
 なるほど。

 5月、国会議員や地方議員の選挙候補者数をできるだけ男女均等になるよう促す、政治分野の男女共同参画の推進に関する法(議員立法)が成立した際に、あくまでも努力義務であり、女性を当選しやすくするための策(比例名簿の上位に入れるなど)もなかったのは、こういう理由なわけだ。

 ちなみに、17年衆院選の当選者数に占める女性の比率は、10.1%。女性候補者数も少なく17.7%。世界の国会議員が参加する「列国議会同盟」がまとめた17年の各国議会の女性進出に関する報告書で、日本は193カ国中で158位だ。

 「政治に興味を持ってほしい」という言葉を、報道に関わるマスコミの人たちから何度も聞かされているだけに、「キラキラドレスハプニング騒動」に走ったことが残念で仕方がないのである。

 いずれにせよ、私の個人的見解の結論を申し上げれば、「男女半々内閣にすべし」と考えている。女性政治家に関してはこれまでさまざまな形で発信してきたし、コラムでも何回も書いた。その理由も、反対意見への意見も書いてきたつもりだ。なので詳細はここでは書きません。

 むろんコラムを読んでくださる方たちが、毎回読んでいるわけじゃないので、「知らんよ、そんなの」と叱られてしまうかもしれないけど。

 前置きがかなり長くなった。というわけで今回は女性議員問題ではなく、そもそも「活躍できていない女性たち」について考えてみようと思う。

 9月28日、「女性就業率過去最高」が大々的に報じられた。(以下9月28日付日本経済新聞より抜粋)

――「女性就業率 初の70%台 8月求人倍率1.63倍、高水準続く」

 総務省が28日発表した8月の労働力調査によると、15〜64歳の女性のうち、就業者の比率は前月比0.1ポイント上昇の70.0%と、初めて7割台に達した。

 働く時間を選びやすいパートなどが増えている。厚生労働省が同日発表した8月の有効求人倍率(季節調整値)は1.63倍と前月から横ばい。44年ぶりの高水準を保った。人口減少を背景に人手不足が続いている。

 (中略)

 政府は22年度末までに子育て世代の女性(25〜44歳)の就業率を80%まで高める目標を掲げる。8月は76.7%だった。

 (中略)

 もっとも、先行きを占う指標をみると、これまで続いてきた雇用情勢の改善が頭打ちとなる兆しも漂い始めた。

 例えば8月の新規求人数(同)は96万4103人と、前月から微減。2カ月連続の減少だ。産業別にみると、宿泊・飲食業は前年同月比3%減と5カ月連続で減っている。(以下省略)――

本当はもっと働きたいのでは?
 記事で、「働く時間を選びやすいパートなどが増えている」という表現と、「政府目標である22年度までの数値目標80%」が書かれているので、一見安倍政権の成果が強調されているように見える。

 でも、これって本当に「Society Where Women Shine」成果なのだろうか?

 そもそも「働く時間が選びやすい」から→「パート」というロジックで展開されているけど、本当はもっと働きたいのに、「パート」でしか雇ってもらえてないのではないか?

 おそらく私のこういった疑問に、
  「いやいや、正社員化が急ピッチで進んでるから大丈夫でしょ?」
  「だってパートを自分から選んでいる人って、マジで多いんだから問題ないでしょ?」
と、都合のいい妄想を並び立て口を尖らせる人たちは多いことだろう。

 が、実際には「労働力調査」のコーホート分析(特定の属性の人口グループが,次の時点でどのように変動したかを分析する手法)からは、「女性は無配偶者を含め正社員化が進みにくい」というファクトが明かされ、私のヒアリングでも40代以上の正社員化は、ほとんど進んでいないことがわかっているのである(男女含め)。

 以下、いくつかの論文で確認されている証拠を紹介する。

【時系列でみた変化】
 ●働いている女性

1985年の女性の労働力人口は2367万人、2015年は2842万人で、20.1%増。労働力人口総数に占める割合は、1985年の39.7%から、2015年は43.1 %に増加
1985年の女性の就業者数は2304万人だったが、2015年は2754万人で、19.5%増
1985年の女性の雇用者数は1548万人、2015年は2474万人で、59.8%増。雇用者総数に占める女性の割合は、1985年の35.9%から、2015年は43.9%でほぼ一貫して上昇傾向
1985年の女性の一般労働者の平均年齢は35.4歳だったが、2015年は40.7歳に上昇
 ●女性の雇用形態

1985年は女性の「正社員」994万人、「非正規雇用」470万人、2015年は「正社員」1043万人、「非正規雇用」1345万人。「正社員」は1985年比4.9 %増に対し、「非正規雇用」は186.2%増
「非正規雇用」のうちもっとも多い「パート・アルバイト」は1985年比152.5%増
23〜34歳の未婚女性の「正社員」の割合は1988年は71%だったが、2016年には57%まで下落
【賃金格差】

同じスキルを持つ個人が「正社員」から「パート・アルバイト」に転職すると、女性の場合、時間あたりの賃金が2割減る
フルタイム労働者の賃金格差は72.2(男性=100)
先進主要国に比べ、日本の男女間格差は大きい。スウェーデン88.0、フランス84.9、アメリカ82.5、イギリス82.4、ドイツ81.1
【初職が非正規から正社員への移行】

大卒男子は経過年数とともに正社員移行が進むが、女性については未婚に限定してもほとんど進展なし
「働く時間を選びやすいパートなどが増えている」のではない
 ……ふむ。実態を理解していただきたくて、少々数字を並べすぎてしまった。

 つまり、アレだ。これらを簡単に言うと……

 「30年間で女性が働くのって、結構当たり前になったけど、非正規ばっかじゃん。3倍近くに増えてるってすごいよね〜〜。

 しかも、未婚で非正規の女性が半分近くいるって、大丈夫かな。せっかく大学出ても正社員かどうかで稼ぎも変わってくるってことでしょ?

 年収300万と240万じゃ、えらく違うよ〜〜。非正規はさ、給料あがらないし〜〜、結婚したくても男の人も大変だしさ〜。これじゃあ、子どもなんか増えるわけないよね〜〜」

ってことだ。

 さらに、一橋大学名誉教授の大橋勇雄先生が「非正規雇用が増えた原因」について分析したところ、労働力の構成変化で説明できるのは36%程度で、企業の政策変化の影響が43.0%〜46.3%と大きいことがわかった。

 具体的には、企業が女性パートタイマーの基幹化を進めたことが主たる原因であり、女性の労働市場参加で説明できるのは全体のわずか16.7%で、マスコミで指摘されるほど影響は大きくないと指摘。

 冒頭で引用した新聞記事の「働く時間を選びやすいパートなどが増えている」という文言は、イメージでしかないのである。

誰もが「下」に落ちるリスクを抱えている
 もし、「すべての女性を輝かせたい」のなら、非正規の女性たちの不安定さをいかに解決するかが大きな課題であることは、以上のいくつもの分析結果から明白である。

 全世帯の4分の1が単独世帯で、おそらくこれからますます増えるに違いない。

 貧困世帯率は男性単独世帯38.6%、女性単独世帯にいたっては59.1%。18歳未満の子と1人親の世帯に限ると貧困率は54.6%と半分を超える。

 単身女性の貧困の解消には、給与の男女格差の雇用格差の是正が求められるのは言うまでもない。

 ところが、先の「男女共同参画基本計画」では、以下の文言はあるが、具体的な数値目標や政策は記されていない。

――非正規雇用労働者やひとり親等、生活上の困難に陥りやすい女性が増加している中で、公正な処遇が図られた多様な働き方の普及等、働き方の二極化に伴う諸問題への対応を進めるとともに、困難な状況に置かれている女性の実情に応じたきめ細かな支援を行うことにより、女性が安心して暮らせるための環境整備を進める。――

 きめ細かな支援? 美しい言葉だ。

 これでは何年たっても「女性活躍」が進まなくて当たり前だ。

 本来、社会問題は科学的根拠に基づいた政策(Evidence-based policy)で解決すべき問題であり、政府が強調する「数字」だけをメディアが取り上げるのは愚劣の極み。その結果、救うべき集団が切り捨てられているのだ。

 「上」に立つ指導的地位の女性を増やすことがいっこうに進まないのも問題だが、非正規のシングル女性を減少させない限り、キラキラの未来は絶対にこない。

 誰もが「下」に落ちるリスクを抱えているのが、今の社会だ。

 20年には大人の10人に8人は40代以上、10人に6人は50代以上だ。

 政策の手立てにすべき貴重な分析は存在するのにそれを生かさない。日本の偉い人たちは、いつになったらファクトをみてくれるのだろうか。

 「人生100年時代を見据え、全世代型の社会保障制度へと大きく改革を行う」とは、

 「荒波に耐えて生きろ!」というメッセージにしか聞こえないのは、私だけだろうか。

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このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/100500184


「全従業員の正社員化」に宿る堤清二の理念


『セゾン 堤清二が見た未来』外伝
クレディセゾン林野社長が語るセゾングループと堤清二(前編)

2018年10月9日(火)
日経ビジネス編集部

 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家――。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。

 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。


 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 連載第1回目に登場するのは、「セゾンカード」で知られるクレディセゾンの林野宏社長。西武百貨店に入社し、堤氏の薫陶を受けた林野社長は、堤氏の経営哲学を掘り下げ、クレディセゾンの経営に生かしている。林野社長の中に宿る「セゾンイズム」「堤哲学」とは何か、話を聞いた。(今回はその前編)


クレディセゾン社長・林野宏氏(写真/竹井俊晴)
林野社長は大学卒業後、1965年に西武百貨店に入社しました。どんなきっかけだったのですか。

クレディセゾン林野宏社長(以下、林野):本当は証券会社に行きたかったのですが、当時は証券不況で採用ストップ。残念な結果となりました。西武百貨店を選んだのは、堤清二さんがいたからです。

 私が入社した時、堤さんは30歳代。池袋本店の店長でしたが、間もなく西武百貨店の社長になりました。

 その頃、堤さんは既に「辻井喬」のペンネームで詩集を発表して賞を取るなど、詩人としても活躍していました。異色の若手経営者として注目されていたのです。

当時の西武百貨店は、百貨店業界の中でも老舗の三越や高島屋と比べると「格下」の新興百貨店でしたね。

林野:元来、私は判官贔屓で反権威主義に加え、天邪鬼でした。負けている会社、あるいはまだ勝ってない会社が、競争に勝ってナンバーワンになるプロセスの中に自分がいたい、という意識を強く持っていました。

林野社長が入社した頃、西武百貨店は都心では池袋本店しかなくて、まだ渋谷にも進出していませんでした。

林野:池袋が百貨店としては恵まれた立地ではなかったという事情もありましたし、当時、西武百貨店は、都心の百貨店で言えば、明らかに格下の百貨店でした。そうした厳しい状況から、堤さんは何とかイメージを上げていく方法を探っていました。

 そこに、堤さん特有の感性が発揮されたのです。大衆に文化を提供する、あるいは文化的な生活をしてもらうという理想を実現する場所として、新しい百貨店づくりを目指していたのです。そのために様々な努力をして、大衆の支持を獲得することに成功していきました。

まだお客さんが見たこともないようなものを
堤氏は西武百貨店で、海外ブランドをいち早く取り入れることにも力を注ぎました。

林野:エルメスやイヴ・サンローランなど、ヨーロッパのラグジュアリーブランドを次から次へと導入しました。堤清二さんの妹・邦子さんがパリに住んでいたので協力してもらいました。

 後発の百貨店ですから、老舗のまねをしないというのが堤さんの考え方でしたね。三越や高島屋、伊勢丹がやっているようなことはやらない、と。

 美術の展覧会を開くにしても、有名な画家の展覧会ばかり企画すると怒るんです。

 「客寄せパンダみたいなものは年に1回や2回ならいいけれど、文化催事はお客さんを集めるためにやるんじゃない。まだお客さんが見たこともないようなものをやるんだ」と。

 そういう感じで展覧会を開くものだから、芸大生ばかり来ちゃってね(笑)。池袋に行けばどんどん珍しい作品が見られると、芸大生に喜ばれました。

1975年には西武池袋本店に「西武美術館」が開業しました。これより以前の店舗での催事、そして美術館ができてからも西武百貨店は現代美術を積極的に紹介していきました。

林野:そうですね。例えば米国のジャスパー・ジョーンズという画家や、スイスのパウル・クレーなどです。当時はまだポピュラーになっていなくて、ほかの百貨店が取り上げないような芸術家の作品が多かったです。

 堤さんは西武百貨店の展覧会について、「社員にも見せる機会をつくりなさい」と言ってました。見て理解できなくてもいいんだ、と。それでも社員は、見ることによって美術などの文化に関心を持つようになる、ということです。社員は大変でしたよね、勉強しなくてはいけないから。


堤氏が提唱した「顧客最優先の思想」
セゾングループは美術館だけでなく、劇場を作ったり、映画配給を手掛けたりしたほか、堤氏自身が現代音楽の武満徹や作家の安部公房らと親交が深く、彼らの活動を支援していました。

林野:大衆の望んでいるものを、半歩先とか一歩先に見せる感覚で、西武百貨店のイメージを三越、伊勢丹、高島屋の上に持っていく戦略でした。広告ではコピーライターの糸井重里さんや仲畑貴志さんを起用して、斬新な広告を打ち出し、広告を文化へと高めたのです。

文化関連の取り組みのほかに、林野社長が西武百貨店に入社した当時、堤さんに関して印象に残っていることがありますか。

林野:1960年代後半だと思いますけど、堤さんは幹部集会で、「顧客最優先の思想」というのを打ち出していました。

 企業経営に、「思想」なんていう言葉を使うのはふさわしくないと思うかもしれませんが、堤さんはそういうことを考えていた人です。

 学生時代に共産党で活動した経験のある人だから、組織運営でも理念を重視していました。

 グループ運営では経営共和主義。つまり親会社が子会社を管理するのではなく、グループ会社はみな対等だという考えを唱えていました。そして会社の組織には、ヒューマニズムの風土が不可欠だと言っていたのです。

 当然、社員の性別とか学歴、年齢、社歴などは関係ないんだと。能力主義に徹するんだという考えです。

「全従業員を正社員に」に宿る堤哲学
堤氏のこうした発想は、父親である堤康次郎氏が築いた西武鉄道グループが持っていた封建的な体質に対する反発心を感じます。

林野:そういう面もあるでしょう。そもそも堤清二さんのこうした経営姿勢は、ほかの企業とは異なる際立った特徴です。

 私は西武百貨店から、クレディセゾンの前身である西武クレジットに移りました。それ以来、この会社で堤さんの理想を実現してやろうと思ってやってきました。

 継承した一つの考え方は、「より大きな目的のためには、米国流の株主最優先の経営からは距離を置く」ということです。短期的な利益最大化を目標とする経営とは違うものを目指すということですね。

クレディセゾンは2017年9月、パートタイムや嘱託などの区分をなくし、約2200人について賃金体系や福利厚生の待遇を改善しましたが、一方では人件費も上昇しました。こうした判断も、堤さんの思想が影響していますか。


林野:そうですね。会社としてどんな思想を持っているのか、社会にメッセージを発信する取り組みの一環でもあります。私は「非正規社員」や「従業員」という呼称そのものが好きではないんです。

 理想は、働いている人に自由があって、自分の考えが仕事に反映される会社にすること。社員が面白がって会社に来る、少なくともいやいや来るのではないような職場にしたいと思っています。

 思い切って人事制度を変えたことが世の中に伝わり、当社で働きたいという人が、特に女性中心に増えました。

 日本全体で言えば、1990年代からの「失われた20年」の中で最もつらい思いをしてきたのは、若い世代ではないでしょうか。この間に育った人たち、あるいは社会に出た若者たちは、自分の希望の職業に就けなかった人が多い。フリーターのようなかたちで働き続けている人も少なくありません。

 若い人たちが希望や夢を描けない時代が長かったんです。

 経営者はその人たちを安い給料で、非正規社員として使って人件費を節約することによって、減収増益を果たしたとも言えます。

過去20〜30年で、日本の経営者の発想が短期的な利益を上げることばかりに偏重するようになった、と。

林野:そうです。それが今も続いています。日本の経営者は事業を通じて、社会から共感を得ようという意識があまりないように感じています。

セゾン 堤清二が見た未来

 四半期決算は誰の為にやっているのか。企業業績が伸びたことで浮かばれたのは経営者の待遇と株主配当です。しかし若い働き手に対しては、物価が上がらないことをいいことにして低賃金で据え置いてきました。

 若いライフステージの段階で、お金を使うニーズがたくさんある世代の可処分所得を増やす施策を打てなければ、消費も景気も良くはなりません。当社が正社員化を決断した背景には、そのような思いもありました。(後編に続く)


このコラムについて
『セゾン 堤清二が見た未来』外伝
「家族」を考える
取材・文
日野 なおみ
 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家――。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお、色あせることはない。

 人々の生活意識や買い物のスタイルが大きな転換期を迎えている今、改めて堤清二氏とセゾングループを知り、それを検証することは、未来の消費を知る大きなヒントとなるはずだ。そんな思いで誕生した本が、『セゾン 堤清二の見た未来』である。

 堤清二氏が鬼籍に入り、セゾングループが解体して長く経つ現代でも、彼の遺した経営哲学は、日本の消費社会に大きな影響力を持っている。

 本連載では、堤清二氏と彼の生み出したセゾングループが日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動、そして日本人の消費生活に与えた影響について、最も輝いていた時代を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 堤清二氏とセゾングループの遺したメッセージを歴史の「証人」たちは、どのように受け止めているのか。

※記事は順次、追加していく予定です
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/100100031/100100001/?ST=editor


「70歳以降まで働く」のは嫌ですか?


上野泰也のエコノミック・ソナー
世論調査、世の妻は今も「亭主元気で留守がいい」のか?

2018年10月9日(火)
上野 泰也


いつまで働きたいですか?(写真=PIXTA)
 9月24日の朝刊に掲載された日経新聞・テレビ東京による世論調査(9月21〜23日実施)で、自民党総裁選における安倍首相3選を「よかった」と回答したのは55%で、安倍内閣支持率である55%と一致(支持率は8月下旬の48%から上昇)。また、安倍首相を「信頼できる」と回答したのは「大いに」「ある程度」の合計で57%だった。

 それよりも興味深かったのは、年金や定年といった老後の生活に関する部分の回答内容である。まず、首相に期待する政策(複数回答)では、「社会保障の充実」が49%で最も多く、「景気回復」(45%)、「教育の充実」(31%)、「外交・安全保障」(30%)などが続いた。19年1月まで持続すれば今回の景気拡張局面は戦後最長になるのだが、かなり多くの国民には景気回復の実感がいまだにない。

 「社会保障の充実」を望みつつも、政府が検討している公的年金の受給開始を70歳より後にずらすと毎月の支給額が今より増える制度については、「反対」が57%で、「賛成」33%を大きく上回った。

年金問題は政権の鬼門
 検討されているのは選択制の新たな受給コースであり、現在は希望に応じて70歳まで年金受給開始を遅らせることができる(代わりに毎月の受給額は増える)制度を、75歳以上まで遅らせるのが可能なように変えて、選択の幅を広げる案である。年金受給の開始年齢が一律に70歳や75歳まで引き上げられるわけではないのだが、半ば直観的に「70歳から受給」に否定的に回答した人が、少なからずいたのではないか。

 この問題で思い出すのが、年金受給開始年齢引き上げで、ロシアのプーチン大統領が支持率を大きく落としたことである。国を問わず、老後の生活における資金繰りは人々にとって文字通り死活問題であり、取り扱いを誤ると政治的なパワーは大きく減りかねない。

 ロシアの場合、プーチン政権が今年6月、年金受給開始年齢を男性は60歳から65歳、女性は55歳から63歳へと大幅に引き上げる改革案を発表したところ、80%台だったプーチン大統領の支持率は15%ポイントほど急落し、年金改革に反対するデモが数多くの大都市で発生した。そうした国民からの強い不満の表明をうけて、女性の受給開始年齢は63歳から60歳に変更されたものの、男性は65歳で当初案のままである。9月23日には、ロシアの地方選が予想外の結果になった。

 極東にあるハバロフスク地方とモスクワ東方のウラジミール州で知事選の決選投票が行われ、プーチン政権の与党である統一ロシアの候補がいずれにおいても敗北したのである。勝ったのは極右・自由民主党の候補だった。それでも、年金改革法案は下院に続いて上院でも10月3日に賛成多数で可決され、プーチン大統領の署名を得て同日に成立した。

 ここで問題になるのは、平均寿命との兼ね合いである。よく知られている話だが、ロシアの男性はアルコール度の高いお酒であるウォッカをよく飲むため、平均寿命が短い。旧ソ連崩壊直後に比べれば経済が改善しているためロシア人の平均寿命は毎年延びてきているものの、17年上半期時点で72.4歳(男性は66.5歳、女性は77歳)だという。ということは、この先どこまで平均寿命が延びるかにもよるが、改革が実施されれば、年金をほとんど受給しないまま亡くなる男性が珍しくなくなると考えられる。

 日本の場合、平均寿命は17年時点で男性81.09歳、女性87.26歳まで長期化した<図1>。一方、公的年金の受給開始年齢は60歳から段階的に引き上げられつつあり、男性は25年、女性は30年までに65歳になる。「老後はゆったり」の時間的余裕が日本ではまだかなり残っているようにも見える。


 だが、受給開始年齢をさらに高くする議論が進んでいるほか(後述)、健康寿命(介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる期間を示す)は16年時点で男性が72.14歳、女性が74.79歳である。したがって、「70歳から受給」に拒否反応を示す人が(筆者も含めて)いるのは、もっともな話である。

 人間は「働き蜂」ではないわけで、「働き終わったら人生サヨウナラ」というのでは、多くの人は到底納得できないだろう。定年まで働いた後は、それまでの蓄えと支給される年金で悠々自適の生活を謳歌するというのが、老後の典型的なライフスタイルとして長くイメージされてきたのではないだろうか。

 ところが、程度の差はあるにせよ、多くの国で人口構成の高齢化が進んでおり、公的年金という保険システムの収支バランスを調整する必要性が高くなっている。「入り」については、納入される保険料の引き上げ、保険料を支払う人の範囲拡大、さらには税金の投入。「出」については、支給額を抑制するための支給開始年齢引き上げ、所得が高い人への支給額削減などが行われている。ほかに、年金積立金を金融市場で運用することによって年金の支給原資を増やそうとする努力も行われている。

 「入り」を増やし「出」を抑えるとなると、世代間の公平性が損なわれてしまい、「何歳以下は年金保険料は払い損」といった試算が世の中の関心を集めるようになっている。

 しかし、日本は「国民皆年金」である。日本年金機構のホームページを見ると、その説明として、「わが国では、自営業者や無業者も含め、基本的に20歳以上60歳未満のすべての人が公的年金制度の対象になっています。これを国民皆年金といいます。国民皆年金制度によって、安定的な保険集団が構成され、社会全体で老後の所得に対応していくことが可能になっています」という説明がある。全員に加入義務があるからこそ成り立っている制度であり、勝手に脱退する人が増えると制度は崩壊してしまう。あるいは、年金制度そのものを急に根本から違うものに作り替えるようなことは事実上不可能である。

 安倍内閣は海外人材の受け入れに消極的なままであり、保険料を払う人の数を大きく増やすのは今後も難しいとなると、「出」を抑制して少子高齢化による年金財政悪化に歯止めをかけるべく、65歳よりも上まで年金支給開始年齢を引き上げることは、避けて通れない課題だと言わざるを得ない。

かすむ悠々自適の老後
 財務省は4月11日、厚生年金の支給開始年齢を68歳に引き上げる案を財政制度等審議会の財政制度分科会に提示した。分科会に提出した資料は、「人生100年時代」を迎える中で、年金財政悪化により給付水準の低下という形で将来世代が重い負担を強いられると指摘。さらに、35年以降に団塊ジュニア世代が65歳になることなどを踏まえて、「それまでに支給開始年齢をさらに引き上げていくべきではないか」と主張。想定される新たな開始年齢を68歳と明記した。

 厚生労働省は19年春にも、5年に1度の年金財政検証の結果を示す。これを基にして将来の年金制度に関する議論が本格的に始まる見通しになっている。

 日本やロシア以外の国々でも、年金支給開始年齢の引き上げが行われている。米国では65歳から67歳に、英国では65歳から68歳に、ドイツでは65歳から67歳に、フランスでは満額受給が65歳から67歳に、それぞれ引き上げられつつある。日本を先導役にして世界的に高齢化が進み、年金財政が苦しくなる中で、「悠々自適の老後」がかすんできている。

 もう1つ、冒頭でご紹介した日経新聞・テレビ東京の世論調査は、興味深い結果を含んでいた。

 政府が企業に原則65歳まで働けるよう義務付けている年齢をさらに引き上げることについてたずねたところ、賛成が57%で、反対の36%を上回った。65歳を超えて70歳になるまではさすがに働きたくないものの、年金で不足する生活資金を手に入れるための選択肢は持っておきたいということか。

 ただし、男女別に見ると、賛成という回答が男性では54%にとどまる一方、女性では60%に達した。夫が働きに出ており妻が専業主婦である40代前後以上の世帯で妻が抱くことが多いとされる「亭主元気で留守がいい」というような、率直な気持ちの反映なのかもしれない。


このコラムについて
上野泰也のエコノミック・ソナー
景気の流れが今後、どう変わっていくのか?先行きを占うのはなかなか難しい。だが、予兆はどこかに必ず現れてくるもの。その小さな変化を見逃さず、確かな情報をキャッチし、いかに分析して将来に備えるか?著名エコノミストの上野泰也氏が独自の視点と勘所を披露しながら、経済の行く末を読み解いていく。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/100500160/?ST=editor



「嫁ブロック」すら崩せない人は起業に向かない


日経ビジネスRaise「オープン編集会議」
3人の起業家がリスク、お金、成功について本音トーク

2018年10月9日(火)
庄司 容子

日経ビジネスRaiseのオープン編集会議プロジェクト第2弾「起業のリアル」では、3人の起業家を招いてパネルディスカッションを開催した(9月7日、東京ミッドタウン日比谷「BASE Q」にて)。「起業のリスクとは?」「起業家にとって成功とは?」などをテーマに語ってもらった。

<登壇者>

・Shippio(シッピオ)Co-Founder&CEO 佐藤孝徳氏
・サイバーステップ社長 佐藤類氏
・MICIN(マイシン)CEO 原聖吾氏

■オープン編集会議とは

読者が自分の意見を自由に書き込める双方向メディア「日経ビジネスRaise(レイズ)」を活用し、日経ビジネスが取材を含む編集プロセスにユーザーの意見を取り入れていくプロジェクト。一部の取材に同行する「オープン編集会議メンバー」を公募し、記事の方向性を議論する「まとめ会議」を実施した。

■参加したオープン編集会議メンバー

入江 清隆 大日本印刷
桂 千佳子 日本語講師
鈴木 瞳 マカイラ
黒須 香名 スタディプラス
田中 宏 大正製薬ホールディングス
原島 洋 ウェブマスターズ
松下 芳生 JPスタイル研究所
宮本 英典 東京応化工業
三輪 愛 ミニストップ
山中 啓稔 TOTO
山中 康史 Face2communication
米川 植也 セルム
(注:発言内容は個人の意見であり、所属する企業や団体を代表するものではありません)

■お知らせ■

日経BP社、ならびに日経ビジネスは、「第17回日本イノベーター大賞」(表彰式は2019年2月26日)の部門賞として、創業5年以下のスタートアップ起業家を対象にした「日経ビジネスRaise賞」を新設し、候補者を公募します。自薦/他薦は問いません。奮ってご応募ください。(応募締め切り:2018年10月28日)

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「お金の対価は『やりたいこと』」

パネルディスカッションに参加したMICIN原聖吾CEO(左)、Shippio佐藤孝徳CEO(中)、サイバーステップ佐藤類社長(右)(写真:北山宏一、以下同)
佐伯真也(日経ビジネス編集):最初にまず、皆さんが起業された時のことを聞きたいと思います。どんなリスクとどんなリターンがあるのか、きっちり計算したのでしょうか? 取材を通じて、「『割に合う』から起業した」という経営者の声も数多く聞きましたが、皆さんはどんな風に考えていましたか。

佐藤類氏(サイバーステップ創業者・社長):私は基本的にあまのじゃくなので、起業によってお金を儲ける、という考え方は間違っていると思うんですよね。学生と話していても、みんな損得とか、善悪とか、二元論で考えている。僕もそれなりにお金を貯めたり、借金したりしましたけど、お金の対価は「やりたいことやる」ということです。22歳の時に創業しましたが、そこまでしか考えていなかったですね。


佐藤類氏
1977年生まれ。98年、国立東京工業高等専門学校卒。2000年サイバーステップを創業。06年マザーズ上場
佐藤孝徳氏(Shippio共同創業者・CEO=最高経営責任者):僕の場合は子供が2人いて、32歳の時に起業したのですが、当時、三井物産で働いていて結構な年収をもらっていました。そこから起業するとなると当然、嫁から「どういうことなんだ」と聞かれるわけですが(笑)、クリアに説明しています。

 何がリスクか。僕は三井物産に10年いて、そこそこコミュニケーション能力があって、英語と中国語を話せます。だから、起業に失敗しても仕事はいつでも見つかるだろうと思いました。なので、リスクは大したことないと考えました。一方、20代は三井物産の中で駆け抜けられたんですけど、30代、40代になると後輩の指導をしなければいけなくなる。僕はそういうことをしている場合じゃないなと思ったんですね。


佐藤孝徳氏
1983年生まれ。三井物産を経て、2006年、Shippioの前身企業を設立。煩雑な輸出入事務を簡素化するソフトウエアを開発、事務を代行
佐伯:奥さんは賛同してくれたんですか?

佐藤孝徳氏:リスクはさっき言った程度ですから、むしろ可能性の方が大きいですよね。「成功すればお金持ちになれるし、単身赴任しなくていいから家族との時間ももっと持てるよ」などと言って説得しました。でもそもそも「嫁ブロック(妻に起業を反対されること)をどうする?」とか言っている人は、起業なんてできませんよ。嫁すら説得できていないわけですから。

 嫁に対する説明はしましたけど、自分としてはリスクなんて考えていませんでした。うじうじ考えてたら起業しないんじゃないでしょうか。

原聖吾氏(MICIN創業者・CEO):医療系の事業をしていることもあり、人が後悔しないで生きていける社会になったらすごくいいなと心から思っていて、それが社会へのリターンになればいいなと思っています。私自身のキャリアとかリターンとかっていうのは些細なもので、むしろ大きなものにチャレンジすることが大事だなと考えていました。


原聖吾氏
東京大学医学部卒。米スタンフォード大留学を経てマッキンゼー・アンド・カンパニー入社。医療政策の提言に携わる。2015年、MICINの前身企業を設立。AIによる医療情報分析やオンライン診療サービスを手掛ける
佐伯:シッピオの佐藤さんは自分の年齢や持っているスキル、そして年収などを踏まえてリスクを計算したようですが、お二人はいかがですか。

佐藤類氏:僕は高専を卒業した後、1カ月間マレーシアに旅行に行ったり、アルバイトをしたりと、もともと無職みたいな生き方をしていました。3人兄弟の末っ子なので、親も自由にやらせてくれましたね。両親が自営業で、借金も創業にも反対しませんでした。何も失うものがなかったんです。

佐伯:原さんは医師免許をお持ちですが、失敗しても医師に戻れるなと考えたことはありますか?

原氏:そうですね。失敗するリスクはちゃんと考えてなかったのかもしれません。どこかで戻る場所があると思っていたのかもしれませんね。ただ、事業を始めて、そういうことは思わなくなりました。戻る場所があると思っていると、事業にコミットしきれなくなると思うので。

佐藤孝徳氏:会社員でいることの方がリスクだと思いますし、起業家のほとんどは、「リスクあるよなー」ということは考えてないと思うんですよね。

佐藤類氏:あと、僕はシステムエンジニア(SE)として出稼ぎしていたので、会社がだめになってもSEとして稼げると思いました。いざとなったら1人で働いて返せばいいやと。手に職があるので、楽ではありますね。

 ただし、やる前にリスクを考える人は、起業なんてやめたほうが良い。やってから考えるんですね。「やべ。資金繰りどうしよ」と思った時に「あ、SEとして稼げる」と思うわけで。

佐伯:皆さん、あまりリスクを最初から考えていないんですね。ところで、事業をしていく中で心が折れそうな時、どう乗り越えましたか?

原氏:創業前のタイミングですが、医療とデータというテーマで事業をしようとなって、エンジニアが必要だとなりました。人脈を手繰っても、なかなかいい人が見つからない。GitHubとかからよさそうな人を探して、いきなりメールを出して勧誘するようなことをしていました。

 でも、「やろう」と言っても、そもそも始まらない。その時、どう乗り越えたかというと、一緒にやっていた草間(亮一COO=最高執行責任者)が、「エンジニアがいないなら、私がエンジニアになります」と言ってくれた。テックキャンプに通って、コーディングを勉強して、そこからプロトタイプを作りました。

 チームに恵まれましたね。1人だとできることには限界がありますから。1人でコールドコール(これまでつながりのなかった相手にいきなり電話すること)とかコールドメールをしていたら、そこで心が折れていたかもしれません。


足が震えた時も
佐藤類氏:創業した頃の話で陳腐に聞こえるかもしれませんが、内容証明郵便が来たことがあって、その時は足が震えましたね。今振り返れば、内容証明って年賀状みたいなものなのですよ(笑)。でも、23歳の僕はいきなり裁判だと思ってた(笑)。その文書は、弁護士間でいうところの「うやむやにしましょう」ということを意味するものだったみたいで、実際うやむやになったんですけど、震えましたね。

 あとは中途で採用した社員からご飯に誘われる時です。だいたい、そういう誘いの3回に1回は退職の話なんですよ。それ以来、人からご飯に誘われるのは嫌になったし、誘うのもトラウマになりました。

 受託開発をしていると、2カ月後にしかお金が入らないんです。2、3社、お金を払わないところが出てきて困ったこともありました。そんな時はググるか、社員に頼る。何も知らなくて「VC(ベンチャーキャピタル)」「アーリーステージ」「ハンズオン」といったキーワードでググって、6000万円投資してもらったこともあります。だから困った時はグーグル(笑)。

 できるだけ素直に社員を頼ったり、ググってパートナーの会社探したり。打開策がない、ということなんて世の中にはないので、そういう風にやっていけばいいんじゃないでしょうか。

今までなかったことが出来るのが喜び
佐伯:うれしいのはどんな時ですか。

原氏:今までできなかったことが実現するのは本当にうれしいですね。例えばオンライン診療。私も営業で回って、医師に対して「制度が変わってできるようになったんです」と言うんですが、「いやいや診療は対面でやるもの。できるわけない」って最初は言われるんです。でも、だんだん通うことで受け入れてくれて、そのうち「オンライン診療ができるから、患者さんが離脱しないでくれるようになったよ」っていう変化を感じられるとうれしいですね。

佐藤孝徳氏:物流も同じです。「インターネットでなんてできないよ」と言われるけど。エンジニアがうれしい顔をしていたり、社員同士が楽しそうに飲んでいたり、そういうのがうれしいですね。小さな幸せが増えて毎日楽しいです。

佐藤類氏:僕は人を採用することと、従業員の給料を増やすことが何よりも楽しい。きれいごとみたいですけど、売り上げが増えたり株価が上がったりするより、そっちの方がずっと楽しい。人には可能性があるから、こいつを雇ったら10年後こんなことになったとか、そう思って採用したわけじゃないけど、今、中核になってる、とか。その点で、人の採用とか給料増やすって楽しいですよね。そのために利益を増やすし、必要ならリストラをするし、新規事業を立ち上げるんです。

成功とは何か

佐伯:人生の喜びとは何か、といった話にもつながると思うのですが、「起業で成功する」とは、どのようなことなのでしょうか。お金持ちになることですか? 皆さんにとって、成功とは何でしょうか?

佐藤類氏:上場していることを褒められますけど、それが成功というわけではないですね。僕にとっては、上場は単に6000万円出資してくれたVCへの恩返しでしかない。

 僕らは、世の中から戦争をなくすことを会社の目的にしています。戦争をやってハッピーな人なんていないから、21世紀は娯楽の世紀にしようと。「世の中から戦争をなくしたい」という話を新卒採用の時にすると、学生には受けます(笑)。

佐伯:壮大な話の後ですが、原さんどうですか。

原氏:ビジョンが実現したら成功です。私自身が医療従事者として、病院でキャリアをスタートしました。肺がんの患者さんは呼吸が苦しくなってしまって、「こんな苦しいって知っていたらあんなにタバコを吸わなかった」って言って死んでいく。そういうのを見て、「こんなはずじゃなかった」と思いながら死んでいく人をひとりでも減らしたい。我々の会社の事業のおかげでそうなった人が少しでも出てきたら成功だなと思います。

佐藤孝徳氏:まだ、成功までが遠すぎて、すぐ出てこないんですけど。起業家とか経営者の仕事って、チームを作って投資家を集めて、どれだけレバレッジをかけて1人でやれないことをすることだと思うんです。僕1人だと、100点満点のテストでも99点が限界。でも僕が何かやって、ここで聞いている皆さんがあと5%本気を出そうとしたら、よくなりそうじゃないですか。みんなが、僕らがやっていることを見て、明日頑張ってみようって思ってくれた、それが成功かな。

「根拠のない自信」はどう身に付ける?

質問する原島氏
原島洋(オープン編集会議メンバー、ウェブマスターズ):起業の時に、あまりリスクを考えないと。それは「根拠のない自信」とも呼ばれるとも思うんですが、どの段階でそれを身に付けられたのでしょうか。子どもの頃の原体験などが影響していますか?

佐藤類氏:皆さん死んだことありますか? ないですよね。でも、死んでいたかもしれないってことは山ほどあるはずです。

 僕の母親は妊娠した時、看護師さんから、「佐藤さん、3人目ですけど、どうします?」と聞かれて、「産みます」と答えたそうです。その時「やめときます」って母が言ったら、僕はこの世にいないわけですよね。だから、何でもやれるって思います。

 子どもの時に行方不明になったこともあるし、熊野古道で東西南北が分からなくなったこともある。つまり、いつでも死と隣り合わせというか、皆さんもほとんど死んでるんですよ(笑)。昨日、電車にひかれたかもしれないし。それに比べたら、起業って大したことないですよね。

佐藤孝徳氏:死を意識するのはお勧めです。僕の祖父も会社をやっていて、彼は医療ミスで死んだんですよ。すごくいい経営者で、稼いだお金はフィリピンとバングラデシュに送って学校を作っていて、家訓は「奉仕せよ」。そんないい経営者が、人間ドックでは健康だと言われていたのに、医療ミスで死んでしまった。だから起業するとか、取引先がお金を払ってくれないとか、余裕だなと。

原氏:大学受験とか、努力したことが報われる体験みたいのがあります。事業を始める前に医者を離れて、コンサルタントとして働いた時の経験もそう。わからない世界に飛び込むのは、そのたびにすごく大変ですが、そこで少しやるうちにある程度分かってくる。努力したことに対して報われた体験は何らかの自信を与えてくれているんじゃないかなと思います。

宮本英典(オープン編集会議メンバー、東京応化工業):1人じゃできない、という話がありました。パートナーを見つけることは大事ですが、一緒にやっていける相手をどう探したのですか。

佐藤孝徳氏:まだパートナーとは喧嘩せずにやれています。僕の場合、三井物産時代に3年くらい近いところで仕事をしていましたし、(三井物産時代に赴任していた)北京という特殊な環境の中で、若手のゴルフ会や麻雀などを通じて、いい時も悪い時もお互いのことを見ていました。あとは好きな漫画のシーンとかを話したりして、価値観を共有していますね。


質問する宮本氏
佐藤類氏:創業者の仕事と社長の仕事は違います。創業者の仕事は仲間集めで、社長は従業員の境遇をよくすること。お金があっても優秀な人間がいなかったら何もできないですから。逆に、優秀な人がいればお金なんか集まります。

 僕は高専3年生のころから一緒にやる仲間を探していました。自分には実力はないのに、優秀な人間を囲っていましたね。僕は仲間集めしか仕事をしていません。新卒採用も仲間集めの一環だし、優秀な人間がいれば、今の業績くらいにはなります。

原氏:自分と違う人たちと一緒にやりたいなと考えました。僕はどちらかというとおおらかで人と対立するのを好まないんだけど、COOの草間は、プロセスを区切ってやったり、私にも耳の痛いことを日々言ってきたりする。人数が増えても初期メンバーは似た人が多かったのですが、組織として限界があるので、もう少しやんちゃな人たちを入れていこうとか、そんなことを話しています。

■お知らせ■

日経BP社、ならびに日経ビジネスは、「第17回日本イノベーター大賞」(表彰式は2019年2月26日)の部門賞として、創業5年以下のスタートアップ起業家を対象にした「日経ビジネスRaise賞」を新設し、候補者を公募します。自薦/他薦は問いません。奮ってご応募ください。(応募締め切り:2018年10月28日)

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日経ビジネスRaise「オープン編集会議」
読者が自分の意見を自由に書き込めるオピニオン・プラットフォーム「日経ビジネスRaise(レイズ)」を活用し、日経ビジネスが取材を含む編集プロセスにユーザーの意見を取り入れながら記事を作っていくプロジェクト。一部の取材に同行する「オープン編集会議メンバー」も公募。Raiseユーザー、オープン編集会議メンバー、編集部が一緒に日経ビジネス本誌の特集などを作っていく。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/070600229/100500019/  

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コメント
1. 2018年10月10日 21:09:38 : OO6Zlan35k : ScYwLWGZkzE[1641] 報告
堤清二は「発想の早すぎる経営者」だった
『セゾン 堤清二が見た未来』外伝
クレディセゾン林野社長が語るセゾングループと堤清二(後編)

2018年10月10日(水)
日経ビジネス編集部

 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家――。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。

 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。


 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 連載第1回目に登場するのは、「セゾンカード」で知られるクレディセゾンの林野宏社長。西武百貨店に入社し、堤氏の薫陶を受けた林野社長は、堤氏の経営哲学を掘り下げ、クレディセゾンの経営に生かしている。林野社長の中に宿る「セゾンイズム」「堤哲学」とは何か、話を聞いた。(今回はその後編)


クレディセゾン社長・林野宏氏(写真/竹井俊晴)
前編では林野社長がクレディセゾンで、アルバイトを除く全従業員を正社員にする決断を下した背景に、堤氏の経営哲学があることが分かりました。クレディセゾンの前身は緑屋という月賦百貨店でした。1976年に西武百貨店が経営支援をして、1980年に社名を西武クレジットに変更。林野社長は1982年に、西武百貨店から西武クレジットに異動して、クレジット本部営業企画部長となり、本格的な流通系クレジットカード会社への業態転換を主導しました。堤さんからは直接、具体的な指示がありましたか。

クレディセゾン林野社長(以下、林野):西武クレジットに行って、カード会社をつくってこいと言われただけです。それ以上、細かい指示はありませんでした。

 緑屋を経営支援した西武百貨店は当初、商品政策を変えることで再建しようとしたのですが、うまくいかなかった。そこで顧客名簿をもつ月賦販売という緑屋のビジネスモデルの延長線上で考えて、カード会社に転換しようという戦略になったのでしょう。

 ところが実際は、月賦とクレジットカードでは、ノウハウが全く違っていました。

 だから私はクレジットカード会社をつくるにはどうしたらいいかと調べて、自分で企画書をつくりました。先行各社でヒアリングをしたり、自分で米国や日本のカード会社に関する書籍を買って読み込み、どういうカード会社をつくれば成功するのかと戦略を描いたのです。

 堤さんは当初から「カードはメディアだ」と言っていましたね。私もその通りだと思います。

 メディアだから、メッセージを発信し続ける必要がある。

 もちろんカードのポイントがどれくらい得だとか、そういうことも大事なんだけれども、そういうことだけに特化して顧客を集め続けるのは違うだろうと思っています。

 21世紀は、堤さんが期待していたような「感性社会」になっていくのではないでしょうか。私は「感性創造経済」というふうに言っているけれど、「感性」で新しいものをつくり出すような経済がもっと広がっていくと思います。

 当社は、そういう世の中で、価値を生み出す会社になりたいと思っています。

吉野家救済にはみんな反対だった

セゾングループが手掛けて成功させた企業再建の代表例としては、クレディセゾンのほかに、外食チェーンの吉野家がありますね。同社は1980年に会社更生法を申請し、セゾングループがスポンサー企業に、堤清二氏が管財人になって再建しました。

林野:私が西武クレジットに来る前、西武百貨店の企画担当として役員会事務局の仕事をしていた時のことだと思います。吉野家の支援に乗り出すかどうかを決める役員会の光景は異例でした。

 役員たちはみんな下を向いていました。それは内心では反対だったということです。

 百貨店業界で劣っていた西武のイメージがようやく上がってきたところなのに、堤さんは今度は牛丼の吉野家を支援するという。

 堤さんがすごいのは、百貨店のイメージを上げなくちゃいけない、三越、高島屋、伊勢丹に追い付かなくちゃならないというのに、牛丼チェーンも再建しようと考えるところでしょうね。

 緑屋についても同じことが言えます。緑屋という月賦百貨店をなぜ今さら再建する必要があるんだということです。そんなものを買う必要はないと思いますよね。池袋の競合百貨店で経営難に陥った丸物だって、買う必要はないと否定されても、堤さんはそれを業態転換させて、パルコにしたわけです。

 そして吉野家も再建させて、緑屋もクレディセゾンに生まれ変わらせた。

堤氏の先見性には際立ったものがあった、と。

林野:そうです。企業は、生まれ変わらせる人材がいれば生まれ変わるわけです。ただ、堤さんの考えていることを心底理解して、それに信奉している人でないと、やっぱり途中で諦めてしまうはずです。「なぜ俺がこんなことをやらなきゃいけないんだ」となりますから。

「俺はシュンペーターは読んでいない」
林野社長は、堤氏がやってきたことは「創造的破壊」そのものだと言っています。

林野:経済学者のヨーゼフ・シュンペーターが経済進化の原理として唱えた「創造的破壊」ですね。

 堤さんは丸物という百貨店を「壊して」パルコにしたり、緑屋をカード会社に転換したりしました。こういうイノベーションは、まさに創造的破壊そのものだと思います。

 一度、堤さんに直接聞いたことがあるんです。「堤さんはシュンペーターを勉強なさったんじゃないんですか」と。「シュンペーターの本を読んで、今みたいな経営をやっているんじゃないですか」と聞いたら、「俺はシュンペーターは読んでいないんだ」と言っていました。


制約があるところにイノベーションがある
林野:もう一つ、セゾングループの歴史を振り返って感じるのは、やはり制約があるところにイノベーションが起きるということです。

 当時、池袋という、百貨店としては不利な立地から西武百貨店がスタートしたことで、文化を核にしたイメージ戦略や様々な革新が起きました。

 恵まれていない環境で歯を食いしばって頑張る。それが成果を生み出す。やがて時代が変わる。そういうことです。

 経営環境が変化する時にチャンスがやって来て、厳しい状況の中に置かれていた方がチャンスをつかみやすい。エスタブリッシュメントの企業が安穏として、あぐらをかいたり、社員が慢心したり、努力を怠るようになったりすると、結局は負けます。結局は時間とともにエスタブリッシュメントが衰退すれば、後から来た人に抜かれてしまうわけです。

セゾングループは1980年代までに急拡大を実現しましたが、権威のあるエスタブリッシュメント企業という存在ではありませんでした。慢心して後続企業に追い抜かれたというよりも、堤氏がリゾートやホテル事業など夢を追い続けたあまり、バブル経済の崩壊とともに自壊した印象があります。結局はセゾングループは解体に至りました。

林野:堤さんは発想が早すぎるんですよね。いつも早すぎる。それが、彼の若い頃にはちょうどよかったのかもしれません。日本経済も急速に発展していましたから。

 けれど堤さんが50代になると、今度は先へ行きすぎた感じがします。年を重ねて、先が見えてきて焦ったのかもしれません。そして60代半ばの頃に、バブル崩壊に見舞われます。

 バブル崩壊後、セゾングループが財務的におかしくなり、堤さんは経営から退かざるを得ない立場に追いやられました。不本意だったと思います。

 ご自身は文筆活動に力を注いでいましたが、本当はずっと、経営者と作家の二役で行きたかったのでしょうね。

林野社長は堤氏を天才のように思って、憧れて入社したわけですが、長い間、彼の下で働いて、改めてどのような人物だったと思いますか。

セゾン 堤清二が見た未来

林野:この世に天才はいません。とてつもない努力の人だったと思います。財界人、取引先、政治家、芸術関係など、寸暇を惜しんで人と会っていました。

 時には一晩で会合が三段階になっていて、はしごをするようなこともありました。帰宅してからも、深夜に音楽を聴きながら、頼まれたものを執筆することが、多かったようですし。人と話すときは、いつも何か書き留める「メモ魔」でした。私の人生も、ビジネスマンとしてどうにか通用するのも、すべ堤清二さんのおかげです。


このコラムについて
『セゾン 堤清二が見た未来』外伝
「家族」を考える
取材・文
日野 なおみ
 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家――。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお、色あせることはない。

 人々の生活意識や買い物のスタイルが大きな転換期を迎えている今、改めて堤清二氏とセゾングループを知り、それを検証することは、未来の消費を知る大きなヒントとなるはずだ。そんな思いで誕生した本が、『セゾン 堤清二が見た未来』である。

 堤清二氏が鬼籍に入り、セゾングループが解体して長く経つ現代でも、彼の遺した経営哲学は、日本の消費社会に大きな影響力を持っている。

 本連載では、堤清二氏と彼の生み出したセゾングループが日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動、そして日本人の消費生活に与えた影響について、最も輝いていた時代を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 堤清二氏とセゾングループの遺したメッセージを歴史の「証人」たちは、どのように受け止めているのか。

※記事は順次、追加していく予定です
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/100100031/100400003


[18初期非表示理由]:担当:要点がまとまってない長文orスレ違いの長文多数により全部処理

2. 2018年10月12日 07:12:14 : jXbiWWJBCA : zikAgAsyVVk[1503] 報告
政府が打ち出す「生涯現役社会」の破壊度
働き方の未来
「日本型雇用制度」は終焉へ

2018年10月12日(金)
磯山 友幸


「生涯現役社会」に向けて、シニア層に対する期待は高まる一方(写真:PIXTA)
労働人口の確保が経済成長の焦点
 安倍晋三首相の自民党総裁としての3期目がスタートし、内閣改造を経て第4次安倍改造内閣が発足した。2012年末に政権を奪還して第2次安倍内閣が発足して6年。アベノミクスは一定の効果を収め、就業者数も雇用者数も過去最高を更新している。果たして安倍首相はアベノミクスの次のステップとして何を行おうとしているのか。

 首相就任後の2013年に打ち出したアベノミクスの第1弾は「3本の矢」だった。(1)大胆な金融緩和、(2)機動的な財政出動、(3)民間需要を喚起する成長戦略――を掲げ、日銀による「異次元緩和」などが行われた。円高だった為替水準が是正された結果、輸出産業を中心に企業業績が大幅に改善、過去最高の利益を上げるに至っている。また、震災復興や国土強靭化を旗印に公共投資も積極化し、建設需要を底上げした。3本目の矢である「成長戦略」については、「遅々として進まない」「期待外れ」といった厳しい評価が聞こえるものの、農業や医療など「岩盤規制」と呼ばれた分野で、曲がりなりにも改革が動き出している。

 2016年に自民党総裁2期目に入ると、アベノミクスの第2弾を打ち出した。「一億総活躍社会」を旗印に、女性活躍促進や高齢者雇用の拡大などを目指した。「働き方改革」が内閣の最大のチャレンジと位置付けられた。

 65歳以上で働いている高齢者が800万人を突破、女性15歳から65歳未満の「就業率」も遂に70%に乗せた。働き方改革の議論では、電通の新入社員の自殺が労災認定された時期と重なったこともあり、「長時間労働の是正」「同一労働同一賃金」に議論の中心が置かれた。

 労働基準法などの改正で、繁忙期の特例でも残業時間を最長で「月100時間未満」とすることが罰則付きで決まるなど、労働者側にとっても画期的な法改正が実現した。これまでは残業時間の上限は労使交渉で合意(サブロク協定)すれば実質的に青天井だった。

 働き方改革の本来の目的は「生産性」の向上にあったが、結果的には女性や高齢者など労働力を増やすことで経済成長につながる構図になった。今後、人手不足が深刻化していく中で、どうやって労働人口を確保していくのかが焦点になっている。

 そんな中で、安倍総裁の3期目がスタートした。さっそく首相が議長を務める「未来投資会議」が10月5日に開かれ、2019年から3年間の「成長戦略」について議論された。

今後の論点は「全世代型社会保障」
 会議に資料として提出された内閣官房日本経済再生総合事務局の「成長戦略の方向性(案)」では、こうした問題意識がつづられている。資料にはこうある。

 「潜在成長率は、労働力人口の高まり等により改善し、また、労働生産性は過去最高を記録しているものの、労働生産性の引上げが持続的な経済成長の実現に向けた最重要」であるとし、(1)AI(人工知能)やロボットの活用による一人ひとりが生み出す付加価値の引き上げ、(2)新陳代謝を含め資源の柔軟な移動を促し、労働生産性を引き上げる、(3)地域に生活基盤産業を残すための地方支援――に力を入れるとした。そのうえで、「アベノミクスの原点に立ち返り、第3の柱である成長戦略の重点分野における具体化を図る」としている。

 こうした方向性を確認したうえで、今後の論点として、「全世代型社会保障への改革」というキャッチフレーズを打ち出した。安倍首相も会見で、「安倍内閣の最大のチャレンジである全世代型社会保障への改革」という言い方をしており、「3本の矢」「1億総活躍社会」「働き方改革」に続く、表看板になりそうだ。

 もっとも、全世代型社会保障という言葉は分かりにくい。いったい何をやろうとしているのか。

 同会議に世耕弘成経済産業相が出した「生涯現役社会の実現に向けた雇用・社会保障の一体改革」という資料が分かりやすい。現在、安倍官邸の経済政策は経産省からの出向者などが中心となってまとめており、世耕氏のペーパーももちろん連動している。

 「生涯現役時代に対応した社会保障制度改革」と「生涯現役時代に対応した雇用制度改革」を並列に並べて、同時に実現していくとしている。

 社会保障改革の柱は「年金改革」と「予防・健康づくり支援」、一方の雇用制度改革は「高齢者雇用の促進」と「中途採用の拡大」だ。つまり、高齢者にいつまでも働いてもらえる雇用制度を整備することで、社会保障制度が抱える年金や健康保険の財政問題を解消していこうというわけだ。

 高齢者雇用の促進では何を考えているのか。経産相の資料には、4つが列記されている。

65歳以上への継続雇用年齢の引上げに向けた検討
高齢者未採用企業への雇用拡大策
AI・ロボット等も用いた職場環境整備
介護助手制度の利用拡大
 最も大きいのが継続雇用年齢の引き上げであることは言うまでもない。現在、高年齢者雇用安定法で、定年を迎えても希望すれば65歳まで働ける制度の導入が企業に義務付けられている。定年を65歳まで引き上げたり、定年自体を廃止する選択肢もあるが、多くの企業が定年になった段階で雇用条件を見直して嘱託などとして再雇用する「継続雇用制度」を利用している。希望者全員を継続雇用する義務があるが、条件が合わずに本人が希望しなければ雇用しなくてもよい。

 安倍内閣は来年以降の「成長戦略」の一環として、この65歳という年齢を引き上げようと考えているのだ。政府内には65歳定年引き上げを義務付けたうえで、70歳までの継続雇用とすべきだという意見がある一方で、単純に継続雇用の年齢を65歳までから70歳までにすべきという意見もある。

 世耕氏の資料ではこれと対をなす「年金改革」として、次の2つを掲げている。

年金受給開始年齢の柔軟化
繰下げの選択による年金充実メリットの見える化
 つまり、年金受給開始を選択制にして、65歳になったらすぐにもらうのではなく、働けなくなってからもらうようにする。一方で受給する年齢を先延ばしすれば、その分メリットがあることを分かりやすく見せる、というわけだ。

「新卒で企業に入れば一生安泰」は幻想
 現在、年金の支給開始年齢は徐々に65歳に引き上げられている。継続雇用制度が65歳まで義務付けられたのは、定年退職しても年金が受け取れず「無収入」になる人を無くそうとしたからだ。将来、政府は年金支給開始を70歳にしたいと考えれば、当然、継続雇用制度の年齢を引き上げなければ「無収入」者が生まれる。

 もうひとつは、生涯現役で働くことによって、健康を維持し、社会保障のもう一つの頭痛の種である医療費の増加に歯止めをかけることを狙っている。世耕ペーパーにはこうある。

がん検診等の通知に個々人の健康リスクを見える化し、健診受診率を向上
健康スコアリングレポートにより従業員の健康状態を見える化し、経営者の予防・健康づくりを促進
投資家による健康経営へのシグナル(健康経営銘柄への投資を促進)
保険者による生活習慣病や認知症予防のインセンティブ強化
保険者によるヘルスケアポイント導入を促進し、ウェアラブル端末等を活用した個人の予防・健康づくりを支援
 厚生労働省の施策のようだが、経産相の資料である。年間42兆円を突破した医療費を抑制しなければ、財政はますますひっ迫する。

 一方で、高齢者を雇用し続けることを企業に義務付けると、企業自身の生産性が落ちることになりかねない。高齢者が企業に居座ることで、若年者の活躍の場が奪われることになりかねないからだ。

 それを防ぐには、日本型の終身雇用年功序列を抜本的に見直さざるをえなくなる。「中途採用の拡大」の中にも、「職務の明確化とそれに基づく公正な評価・報酬制度の導入拡大」あるいは、「40歳でのセカンドキャリア構築支援」といった施策が並ぶ。

 会議で安倍首相もこう述べている。

 「あわせて新卒一括採用の見直しや中途採用の拡大、労働移動の円滑化といった雇用制度の改革について検討を開始します」

 中西宏明・経団連会長が「就職活動指針」の廃止を打ち出したが、新卒で企業に入れば一生安泰、という制度を維持することはもはや難しくなっている。厳しいようだが、生産性の上がらない社員を抱え続ける余力が企業になくなり、優秀な社員には国際水準並みの高給を払わないと逃げられてしまう時代に突入しつつある。

 安倍首相は早くから規制を阻害している「岩盤」として、農業、医療、雇用制度を挙げて批判してきたが、いよいよ3期目で最大の岩盤ともいえる「日本型雇用制度」に手を付けることになるのだろう。人々の生活に結びついており、既得権を持つ層も少なくないだけに、議論が本格化してくれば、批判の声が上がるに違いない。2019年6月にも閣議決定する成長戦略「未来投資戦略」の中にどれだけ具体的な指針として盛り込み、3年間の行動計画として描けるかが焦点になる。


このコラムについて
働き方の未来
人口減少社会の中で、新しい働き方の模索が続いている。政官民の識者やジャーナリストが、2035年を見据えた「働き方改革」を提言する。

3. 2018年10月15日 11:06:19 : OO6Zlan35k : ScYwLWGZkzE[1544] 報告
セゾンのトップ崇拝と堤清二の自省
『セゾン 堤清二が見た未来』外伝
吉野家HD安部会長が語るセゾングループと堤清二(後編)

2018年10月15日(月)
日経ビジネス編集部


 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家——。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。

 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。

 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 連載第2回目に登場するのは、吉野家ホールティングスの安部修仁会長。かつて吉野家は経営破綻し、堤清二氏率いるセゾングループの経営支援によって再生した経緯がある。安部会長はここで堤氏の考えや人柄に触れた。安部会長は堤氏とセゾングループをどう見ていたのか、話を聞いた。(今回はその後編)


吉野家ホールティングス会長・安部修仁氏(写真/村田和聡)
1980年代は、セゾン文化が消費者に大きな影響力を持ち、輝いていた時期です。吉野家はそんな時にグループ入りしたわけですが、セゾンの組織を風土をどのように感じましたか。やはり堤氏はカリスマ的な存在だったのでしょうか。

吉野家ホールティングス安部修仁会長(以下、安部):堤さんはグループの中で、過剰に忖度(そんたく)される存在でした。

 そして堤さんの名前を使って、ものごとを動かそうとする社員もいました。例えば吉野家の店舗の設計業務などで、セゾングループの会社が新しい仕事を獲得しようと、営業活動に来ることがありました。

 そうした際、「堤が絡んでいるんです」と言って無理に話を通そうとする人もいました。

 私はこう言って、追い返していました。「きれいなデザインでファッショナブルな店を造ることが、そもそも吉野家に合いません。FC(フランチャイズチェーン)店には、セゾンによる支援に納得していないところもあります。これまでの計画を急に変えようとすると、堤さんも攻撃されますよ」と。

セゾングループにはもともと、ファミリーレストランの「CASA(カーサ)」などを展開するレストラン西武という外食の中核企業がありました。そして1988年、既に再建に成功していた吉野家と、レストラン西武のグループ会社ディー・アンド・シーが合併しました。ディー・アンド・シーは、米大手ドーナツチェーン「ダンキンドーナツ」を日本で展開していましたが、「ミスタードーナツ」に大きく差をつけられ、苦戦が続いていたようです。どのように再建しようとしたのですか。

安部:合併後に、ドーナツ部門をテコ入れするために、私が責任者になりました。

 当時、ダンキンドーナツ部門の経営は、品切れが目立つ一方、売れない商品がずっと並んでいる店も少なくありませんでした。そこで改革案を考えたのです。

 まずは店舗の従業員に、決まった時間が来たら商品を撤去するというルールを徹底して守ってもらうようにしました。

 また時間帯別の売れ筋のデータベースを取って、曜日別、時間帯別に計画生産するといった、管理されたオペレーションに切り替えていったのです。

 商品の撤去が増えることで、短期的には赤字が拡大したとしても、新鮮な商品がきっちりと売り場に並んでいる状況を顧客に見せることが重要だと考えたのです。

「急激に伸びた会社は急激にダウンする」

吉野家をはじめとして、大手の外食企業にとって基本であったチェーンオペレーションや科学的な経営管理のノウハウを、ダンキンドーナツに移植して再生しようとしたのですね。堤氏には、再建案を報告しましたか。

安部:報告に行きました。その時にいくつか指摘を受けたことを覚えています。

 「なかなか文化の違う2つの企業が一緒になった。そうした事情も踏まえてやっていかないといけない。正しいからうまくいくということでもない」と堤さんから言われたのです。

 単に吉野家の流儀でやってもうまくは行きませんよ、という趣旨で、ディー・アンド・シーの企業文化も尊重する必要があるという指示だったと思います。

 もう一つ、ディー・アンド・シーの合併とは別に、吉野家について印象に残るひと言を堤さんは言いました。「急激によくなって急激に伸びるところは急激にダウンすることがある」と。山高ければ谷深しということです。

 吉野家がかつて経営破綻したことも踏まえて、これからはなだらかな成長ステップを考えた方がいいという意味だったのだと思います。

 ただその後、セゾングループそのものが解体していったことを考えると、皮肉な話ではありますが。

安部会長は1992年、42歳の若さで吉野家の社長に就きました。その後、外食業界では1997年、持ち帰りすし店大手の京樽が1000億円超の負債を抱えて会社更生法の適用を申請しました。当時はどこが支援企業となるのかが焦点になり、吉野家は有力候補とされていました。けれど、結局は食品メーカーの加ト吉に決まりました。どんな経緯があったのでしょうか。

安部:支援企業になるのは当社しかないと思っていました。それにもかかわらず、加ト吉に先を越されたのは、セゾングループ幹部たちの間で、堤さんへの忖度が強すぎたことが一因だと思います。結果として、京樽の再建を担当する弁護士との交渉など、初動が遅れてしまいました。

 当時、堤さんは形式的にはセゾングループの代表を退いていましたが、オーナーとしての影響力はありました。後から聞いたら、堤さんは京樽を支援することに賛成だったそうなのです。けれどセゾングループの幹部らは、「堤さんは賛成しないはずだ」と忖度していたようです。

 結局、管財人になった加ト吉はうまく京樽の再建を進めることができず、1999年には吉野家が支援企業となり、私が管財人に就いたのです。

BSE問題で吉野家を激励した堤清二

吉野家は2004年に大きな試練に直面しました。BSE(牛海綿状脳症)の発生が原因で、米国産牛肉が輸入禁止になり、主力商品である牛丼を、長期にわたって販売できない事態となりました。この頃、既にセゾングループは解体されて、堤氏は引退していました。堤氏と何かやり取りはありましたか。

安部:堤さんから、2回にわたって長文の手紙をいただきました。私への激励でした。

 政界であれ行政であれ、堤さんのネットワークはすごいものでした。『僕に役立つことがあったら何でも遠慮なく言ってほしい』という趣旨でした。

改めて、堤清二氏という人物をどう見ていますか。

安部:ダイエーの中内さん、セブン&アイ・ホールディングスの伊藤雅俊さん、イオンの岡田卓也さんは、創業者の生き様とか考え方そのものがグループのカラーをつくっていきました。堤さんは、あくまで彼の哲学と美意識で経営をしてきた。

 ただ、彼流のやり方は極端でもありました。人のマネジメントは、そんなに得意な分野ではなかったでしょうが、基本的には人を大事にしてきたと思います。

 だから良品計画やパルコ、クレディセゾンなど、多くの会社が今もしっかりと残っている。

 堤さんは、自分さえよければという考えでセゾングループを自分の利益のための装置にするようなことはなかったと思います。

ただ一方で、トップを崇拝する組織風土が出来上がっていましたね。

安部:周りを忖度させるDNAは、父の康次郎さんから引き継いでいたのではないでしょうか。それが当たり前と思う感覚は、ずっと抜けていなかったのでしょうね。

 そうであってはならないという、自虐的なばかりの自己矛盾性は、論理として学んで身につけたものでしょう。だから、極端な2つの要素が彼の中には同居しているんですね。

このコラムについて
『セゾン 堤清二が見た未来』外伝
「家族」を考える
取材・文
日野 なおみ
 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家――。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお、色あせることはない。

 人々の生活意識や買い物のスタイルが大きな転換期を迎えている今、改めて堤清二氏とセゾングループを知り、それを検証することは、未来の消費を知る大きなヒントとなるはずだ。そんな思いで誕生した本が、『セゾン 堤清二が見た未来』である。

 堤清二氏が鬼籍に入り、セゾングループが解体して長く経つ現代でも、彼の遺した経営哲学は、日本の消費社会に大きな影響力を持っている。

 本連載では、堤清二氏と彼の生み出したセゾングループが日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動、そして日本人の消費生活に与えた影響について、最も輝いていた時代を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 堤清二氏とセゾングループの遺したメッセージを歴史の「証人」たちは、どのように受け止めているのか。

※記事は順次、追加していく予定です

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