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「ゴミ屋敷」から子どもを救えないセーフティネットの手薄さ なぜ子どもの誘拐殺人事件は繰り返されるのか
http://www.asyura2.com/18/hasan130/msg/349.html
投稿者 うまき 日時 2018 年 12 月 28 日 15:38:27: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

2018年12月28日 みわよしこ :フリーランス・ライター

「ゴミ屋敷」から子どもを救えないセーフティネットの手薄さ


弱者救済の切り札、セーフティネット住宅と簡易個室に見る明暗

貧困の子どもを救うためのセーフティネットは、今の日本であまりにも手薄だ。地域や大人は劣悪な環境から子どもを救うために、何ができるのか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

子ども食堂や無料学習教室で
「清潔になって」と望む残酷さ
 地域に「子ども食堂」があり、低所得層の子どもたちを対象にした無料学習教室が開設されていることは、現在の日本の常識に近くなった。しかし、近隣に「子ども食堂」や無料学習教室があってもつながれず、必要とするものを社会からも学校からも家庭からも受け取れない子どもたちが、少なからず存在する。人数は明らかになっていない。実態や人数を把握すること自体に困難があるからだ。

 その子どもたちの一部は、児童相談所に把握されるかもしれない。さらに幸運な一部は、児童相談所などの介入を受けて、その後は必要なモノやカネや人間関係がある環境で、困難を抱えながらも育つことができるかもしれない。しかし、あらゆる「セーフティネット」から不運にもこぼれてしまう子どもたちを、向こう10年や20年でなくすことは難しそうだ。

 大人の多くは、一時的にでも「探し出したい」「何かしてあげたい」という気持ちを持つかもしれない。しかし、接触してもらうことも、関係を築くことも、関係を維持することも難しいのが現実だ。そのうちに時間が経過し、子どもは「子ども」でなくなり、何もかもが不足したまま社会に押し出される。

 特に厳しい状況にある子どもたちは、どのように「セーフティネット」からこぼれ落ちるのだろうか。まず、「子ども自身の衛生状態」という、わかりやすく極めて切実だが、語られにくい問題に注目しよう。

 様々な人々が訪れて楽しく飲食する「子ども食堂」に、身体や衣服や持ち物にノミ・シラミ・ダニが棲みついていて悪臭を放っている子どもがやってきたら、心から暖かく受け入れられるだろうか。

 食事の前に手洗いやうがいをしてもらっても、衛生面では「焼け石に水」だ。とは言え、空腹を抱えて訪れてきた子どもを追い返すわけにはいかない。互いにガマンし合う居心地の悪い状況が2回か3回繰り返され、子どもは来なくなる。「できれば歓迎したいのだけど」という“大人の事情“を、子どもは鋭敏に感じ取る。

「入浴してもらう」「衣服を洗濯する」「持ち物を消毒する」といったことを、他の子どもたちがいる場で個別に提案するのは難しい。自分がどのような“特別扱い“を受けているのか、子どもが気づかないわけはない。

 では、特別な困難を抱えた子どもを“特別扱い”しないために、たとえば「子ども食堂」に来ている子どもたちと一緒に全員での合宿を企画し、入浴や洗濯を行えばよいのだろうか。実は、これも解決にならない。普段の学校生活や地域生活の中での「臭い」「汚い」といったイジメや排除は、そのまま合宿に持ち込まれる。

 害虫がいなくなり、悪臭がなければ、周囲の人々にできることはもっと多いはずだ。もちろん、子ども自身の幸福感も増すだろう。そして、子どもの身体にまとわりついている害虫や悪臭は、多くの場合、家庭で生み出される。

「ゴミ屋敷」から子どもを救えない
世間や近隣の目は無力すぎる
 生活保護世帯の暮らしの様子がテレビに映し出され、「掃除や片付けができていない」「だらしない」という非難の対象になることがある。多くの場合、非難の対象になる暮らしぶりは、不運が重なる育ちや病気やDV後遺症の結果である。不足しているのは本人の意欲ではなく、適切な援助や治療だ。いずれにしても、テレビカメラを受け入れられる「汚部屋」なら、大きな問題はないだろう。

 近隣から悪臭に対するクレームが絶えない「ゴミ屋敷」レベルの場合、クレームを受けた家族は、「窓を締め切って暮らす」という、最も安価で手っ取り早い対策を採ることが多い。窓の内側には悪臭を放っている腐敗物があり、害虫がいる。窓を閉め切れば、屋内の環境がさらに悪化する。

 当然、そこで暮らしている家族全員の身体に、好ましからぬ影響があるだろう。しかし、窓の外に悪臭が漏れることはなくなる。身体に害虫と悪臭をまとっている子どもたちが帰っていくのは、そういう住まいだ。

 子どもたちは、痒さのために熟睡できない可能性もある。全身に広がる不快感を紛らわせるために、ゲームに依存している可能性もある。私たちの目の前から消えた子どもたちは、世の中から消えるわけではなく、どこかで痒みや痛みや不快感に耐えながら暮らしているはずだ。

 その子どもたちは、「ネグレクト」(育児放棄)という種類の虐待を受けている。しかし、子どもたちが目立った暴力を受けておらず、欠食がちで痩せているけれども生きており、イジメを受けたり学習困難を抱えたりしながらも学校に通っている場合、公的機関は踏み込みにくい。生活保護ならケースワーカーの訪問調査という機会があるけれども、玄関先より奥へ上がり込むことを強く拒まれたら、それまでだ。

 権限も財源もない近隣の大人たちや地域社会は、見かねて通報することができるけれども、通報を受けた公的機関に何かできることがあるわけではない。親に説教することもできるが、さらに傷つけられることを恐れる親は、家族ごと孤立を深めるだろう。

誰も見当がつかない
「何をどうしたらいいか」
 親が精神障害や知的障害、その他の障害を抱えているのなら、障害者福祉によるヘルパー派遣などの利用が、解決への1つの糸口になるかもしれない。しかし、そのためには、「障害者手帳を未取得だったら取得する」「障害者福祉の利用を申請して審査を受ける」「介護事業所を探して契約する」「ヘルパーさんがやってくるので、コミュニケートする」といった、数多くのハードルを超えなくてはならない。

 対人関係に困難を抱えている人々は、「ヘルパーさんがやってくる」という段階まで辿り着くことが困難だろう。軽度障害が重複している場合には、障害者福祉制度の利用もできないことがある。そもそもヘルパー派遣による家事援助は、あくまでも日常的な家事の援助で、「ゴミ屋敷の片付け」は想定していない。

 親が、親の役割を果たせていないことは事実だ。そこに社会的排除があることは、間違いない。公的制度の貧弱さを含め、社会的包摂が極めて困難であることも間違いない。しかし、何をどうすれば解決に近づくのだろうか。「解決した」といえる社会のイメージは、どのようなものなのだろうか。私自身、見当がつかない。

貧困の解消は難事業
簡単な解決法はない
 2018年12月4日、毎日新聞に「子ども食堂 苦悩 ボランティアに乱暴な言動も」という記事が掲載された。記事には、「子ども食堂」の中や周辺で迷惑行為や暴言・暴力を繰り返す子どもたちの存在と、その子どもたちを出入り禁止にしたり食事を持ち帰ったりしてもらう運営者の判断や苦悩が描かれている。

 自分の快適さを願い、好まないものごとや人々と遠ざかることを望むのは、誰にとっても自然なことだ。無料学習教室で静かに和やかに学習したい子どもの願いを尊重すれば、大声を出して暴れる子どもは排除されるかもしれない。「子ども食堂」のように飲食物を扱う場や医療の場には、より高い衛生レベルが求められる。「清潔」からほど遠い人々の立ち入りが好ましくない場面もある。


本連載の著者・みわよしこさんの書籍『生活保護リアル』(日本評論社)好評発売中
 結局のところ、正解はない。最初から「困っている人限定」にすると、より深刻に困っている人々を、さらなる傷つきへの恐れによって遠ざける。すべての人に門戸を開くと、困っている人が半端に包摂されながら排除されることになりかねない。「限定」と「開かれた場」は、いずれかが悪いというわけではなく、成功例は両方に存在する。

 しかし、成功を長期に維持することは容易ではない。貧困の解消は、最初から難事業なのだ。厳しい状況にある青少年の支援にあたる人々は、数年前から異口同音に「無料の食事くらいでは来てもらえない」と私に語っていた。

 早めに「私たちには無理」という判断を下し、行政や学校や専門家、力と歴史を持っている団体などと連携することは、大人の責任の在り方の1つかもしれない。ところが、そもそも制度が予算・人員とも貧弱すぎる。民間団体は、気合と根性で辛うじて持ちこたえていることが多い。今後、地方を中心に大学の弱体化が進めば、専門家も頼りにくくなるだろう。八方塞がりだ。

 まずは、力も可能性も失ってきた大人社会の現在を認めるしかない。私たち大人が持っているはずの力と可能性は、奪われているのなら取り戻すべきだろう。大人たちが自分の力と可能性を手にすれば、私たちの社会を子どもたちごと救うために、できることがあるはずだ。

(フリーランスライター みわよしこ)
https://diamond.jp/articles/-/189867 

 
「犯罪機会論」で読み解くあの事件

「宮崎勤事件」で起きた「ボタンの掛け違い」、

なぜ子どもの誘拐殺人事件は繰り返されるのか

知っているつもりが、実際は間違いだらけの防犯対策
2018/02/23

小宮信夫 (立正大学文学部教授)

 今から30年前、世間を震撼させる事件が発生した。4人の子どもを次々と殺害した「宮崎勤事件」だ。その宮崎勤も、ちょうど10年前に死刑が執行され、すでにこの世を去っている。はるか昔の事件のようにも思えるが、その後も、子どもが誘拐され殺害される事件は全国で相次いでいる。昨年3月に起きた千葉県松戸市のベトナム国籍の女児が殺害された事件は記憶に新しい。

 なぜ事件が繰り返されるのか――それは、宮崎勤事件のときに、「ボタンの掛け違い」が起きてしまったからだ。


(iStock/udra)
犯行動機は外からは見えない
 当時、マスコミはこぞって、宮崎勤の「性格の異常性」に注目した。このように、「なぜあの人が」というアプローチを取る立場を、犯罪学では「犯罪原因論」と呼んでいる。この立場は、性格の矯正や境遇の改善においては有効である。だからといって、犯罪をしそうな人をあらかじめ発見できるわけではない。犯行動機は外からは見えないからだ。

 ところが、宮崎勤事件以降、まるで「動機は犯行前に見える」と言わんばかりに、「不審者」という言葉が多用されている。前述した松戸市の女児殺害事件の後は、「知らない人」だけでなく、「知っている人」も「不審者」と見なされるようになってしまった。


いわゆる宮崎勤事件において、最初の事件の連れ去り現場となった歩道橋
 しかし、「不審者に気をつけて」では、30年経った今でも宮崎勤事件は防げない。例えば、最初の誘拐事件(埼玉県入間市)の手口を振り返ってみよう。宮崎勤は女児を歩道橋の上からマンションの駐車場に止めておいた車まで連れ去ったが、その方法は実に巧妙だった。

 まず、歩道橋の階段を上り始めた女児の姿を目にした宮崎は、同じ階段ではなく反対側の階段から上っていった。そして歩道橋の上で女児に近づくと、目の前に腰をかがめ、笑顔で「涼しいところに行かないか」と声をかけた。しかし無理強いせず、「今来た方でいいんだよ」と言ってから、一人で先に歩道橋を下りていった。

 何と巧みな戦略だろうか。歩道橋を反対側から上ることで偶然の出会いを装い、腰をかがめて目線を同じ高さにすることで親近感を抱かせ、先を歩くことで警戒心を解きながら追従心を呼び起こしたのだ。

 仮に二人の姿がマンションの住民や通行人に見られても、後ろからついて来た女児が自ら進んで車に乗り込むという状況の下では、女児が連れ去られているとは思われなかっただろう。

 実際、宮崎自身も、「先に立って階段を下り、ときどき後ろを振り向きながら、〇〇ちゃんの歩く速度に合わせて、5メートルくらいの間隔をおいて歩いて行った。間隔をおいたのは、人に見られたとき、自分が〇〇ちゃんを連れているという感じを与えないようにとの考えからである」と供述している。

神戸連続児童殺傷事件では
「ついてこさせる」状況を作り出している

いわゆる宮崎勤事件において、4番目の事件の連れ去り現場となった保育園の玄関前
 4番目の誘拐事件(東京都江東区)では、高層アパートの1階にある保育園の玄関前から女児が連れ去られたが、この事件でも、宮崎は、「〇〇ちゃんの歩く速さに合わせるようにして、7メートルくらい先を、間隔を取りながら歩いて、4号棟の東側道路に下りる階段を、歩道へと下りて行った」と供述している。

 こうしたケースでは、「知らない人にはついていかない」と教えても、ついていくことを防げない。なぜなら、警戒心が解かれ、親密感が増しているので、連れ去り犯は、すでに「知っている人」になっているからだ。

 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)では、「ついていかない」どころか、逆に「ついてこさせる」状況が自然に作り出されている。

 「ここら辺に手を洗う場所はありませんか」と丁寧に尋ねた少年A(酒鬼薔薇聖斗)に対し、「学校にならありますよ」と答えた女児を連れ出し、殺害したわけだが、少年Aは、「女の子が先に歩き、僕はその女の子の後ろから歩いて行きました」と供述している。

 子どもが誘拐された事件のほとんどは、だまされて連れ去られたケースである。ほとんどの犯罪者は、強引に子どもの手を引いて連れ去るような愚かなことはしないのだ。宮崎勤事件も、神戸連続児童殺傷事件も、そうしたケースだったことを忘れてはならない。そうしたケースでは、「不審者に気をつけて」と連呼しても、防犯ブザーを持たせても、大声で助けを呼ぶ練習をさせていても、事件は防げない。

 にもかかわらず、こうした事実を知らない人の方が圧倒的多数である。そのため、子どもの安全対策や防犯教育は、現実とはかけ離れたものになっている。

「景色」に注目すれば、犯罪を回避できる
 アメリカの作家マーク・トウェインは、「人がトラブルに巻き込まれるのは知らないからではない。知っていると思い込んでいるからである」と語ったが、防犯対策について、まさにそうしたことが起きている。人々は、犯罪について「知っている」と思い込んでいるのだ。しかし実際は、宮崎勤事件が起きた30年前から、対策は一向に進んでいない。

 日本とは対照的に、海外では「不審者」という言葉は使われない。使っても、役に立たないからだ。海外で行われていることは、「犯罪をあきらめさせる」環境づくり――犯行のコストやリスクを高くしたり、犯行のリターンを低くしたりして、犯罪をあきらめざるを得ない状況を作り出すことだ。このように、「なぜここで」というアプローチを取る立場を、犯罪学では「犯罪機会論」と呼んでいる。

 犯行動機を発見できなくても、犯行動機をなくせなくても、犯罪の機会(チャンス)さえ与えなければ、犯罪を行わせないことができる。重要なことは、犯行動機があるかないかは見ただけでは分からないが、犯罪の機会があるかないかは見ただけで分かる、ということだ。つまり、その場の「景色」に注目すれば、犯罪が行われる前に、犯罪を回避できるのである。

 宮崎勤事件や神戸連続児童殺傷事件のように、子どもがだまされて連れ去られる事件を防ぐには、子ども自身が、だまされそうになっていることに気づくしかない。しかし、人はウソをつくから、人を見ていてはだまされてしまう。だまされないためには、絶対にだまさないものにすがるしかない。それが「景色」である。人はウソをつくが、景色はウソをつかない。景色の中で安全と危険を識別する能力のことを「景色解読力」と呼んでいるが、それを高める方法については次回に。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12035  

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