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これが韓国民主主義の原点だ!「1987 ある闘いの真実」!  
http://www.asyura2.com/18/kokusai24/msg/170.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 9 月 30 日 11:51:15: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


これが韓国民主主義の原点だ!「1987 ある闘いの真実」!
https://85280384.at.webry.info/201809/article_296.html
2018/09/30 05:40 半歩前へ

▼これが韓国民主主義の原点だ!「1987 ある闘いの真実」!

 今話題の韓国映画「1987 ある闘いの真実」を観た。全斗煥政権下で実際に起きた話をドラマ化した。

 前回観た「タクシー運転手」もそうだったが、2作とも観ている者の胸に食い込んでくる。訴えるものがあった。

 韓国民主主義の「原点を観た」思いだった。まだ、見ていない人はぜひ観てほしい。

映画の詳細はこちらでみてもらいたい。
https://re-korea.com/2018/01/16/movie-1987/

 映画「1987 ある闘いの真実」を見て感じ取ったことが2つある。一つは「韓国大衆と民主主義」、残る一つは「安倍晋三と全斗煥」である。

 オトモダチを優遇した朴槿恵大統領は市民パワーによって辞任に追い込まれたが、韓国民のこうした「市民パワー」は、長い歴史の中で培ったものだと改めて確信した。軍事政権との文字通り「命を懸けた闘い」によって自ら勝ち得たものだった。

 1980年クーデターによって政権をもぎ取った全斗煥が戒厳軍を動員。民主化を求める学生や市民を襲い、多数の死者や重傷者を出した光州事件が起きた。

 この事件を扱った韓国映画が「タクシー運転手〜約束は海を越えて〜」だった。今回の「1987 ある闘いの真実」とともに、韓国の民主化を求めて軍事政権と対峙する勇気ある民衆の姿を描いたものである。

 韓国の人々は軍事生管下の弾圧にさらされ、民主主義の大事さが骨身にしみている。彼らは体を張って民主化を勝ち取った。そうした歴史の「実体験」が市民パワーとなって朴槿恵打倒へとつながった、と私は考える。

 そして、今、安倍晋三がやっていることが全斗煥の手口と似ていることだ。さすがに戒厳令を敷き、軍隊を動員して市民を弾圧するには至っていない。

 が、沖縄で安倍政権がやっていることは何か?全国から警察機動隊を動員して沖縄の民を連日痛めつけている。県民の大多数が米軍基地建設に反対している。

 「基地移転、移転」と叫んでも、移転する先は同じ沖縄。こんなことを沖縄県民が納得するはずがない。

 県内にクモの糸のように無数に張り巡らされた基地とその関連施設のせいで沖縄は鉄道が施設できない。日本全国で沖縄だけが唯一、鉄道網がない。戦前には鉄道があった。

 それが大戦の後、進駐軍である米軍が銃剣とブルドーザーで民間の所有地を「有無を言わせず強奪」した。好きな場所に、勝手に基地を開設した。

 そして今、安倍政権は米軍普天間の移転と称して辺野古での新基地建設を強行。反対する住民を力づくで排除している。映画「1987 ある闘いの真実」を見ていて、私の頭の中で戒厳軍の暴力と、沖縄の機動隊の実力行使が二重写しになった。

 日本は今は機動隊だが、これが自衛隊、たぶんそのころは「軍隊」と名前を変えているかもしれないが、日本の民衆に襲い掛かって来るのではないかと、悪夢を想起した。


「1987 ある闘いの真実」予告編はここをクリック
http://1987arutatakai-movie.com/

上映館はここをクリック
http://1987arutatakai-movie.com/theaters.html


『1987、ある闘いの真実』特報



1987 trl web re






役者ぞろいの群像劇『1987、ある闘いの真実』が見せる韓国民主化の痛み
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/post-10983.php
2018年9月20日(木)16時00分 大橋希(本誌記者) ニューズウィーク


ハ・ジョンウ演じる検事(右)は圧力に屈せず、大学生の検死解剖を命じる (c)2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED

<朴政権退陣にも重なる骨太サスペンス『1987、ある闘いの真実』>

韓国の現代史を語る上で欠かせない1980年代の民主化運動。その厳しさを象徴するのが民衆蜂起を軍が弾圧し、多数の死傷者が出た80年5月の光州事件だろう。たびたび小説や映画の題材になり、ヒット作『タクシー運転手 約束は海を越えて』が記憶に新しい。

民主化運動のもう1つの転換点が、軍事独裁の終焉につながった87年の6月民主抗争。その導火線となる実話を初めて本格的に描いたのが、チャン・ジュナン監督の『1987、ある闘いの真実』だ。

物語の始まりは87年1月、警察に連行されたソウル大学の学生が拷問で殺された事件。死の真相を隠そうとする全斗煥(チョン・ドゥファン)政権と、それを明らかにしようとする人々の闘いが描かれる。警察幹部役のキム・ユンソクと隠蔽を見抜く検事役のハ・ジョンウを中心に、役者ぞろいの骨太な群像サスペンスに仕上がった。

製作の開始は朴槿恵(パク・クネ)政権時代で、それゆえ困難が伴ったという。政権に批判的な文化人のブラックリストのせいだ。「リストの存在は朴政権崩壊後に明らかになったが、当時から『何かあるな』と感じていた。民主化について語ったり、政権に反する発言をした人が圧力を受けることが私の周囲でもよく起きていた」と、自身もリスト入りしていたジュナンは本誌に語る。

■衝撃的なビデオの記憶

製作中断の事態を恐れて事件関係者への取材は控え、脚本も秘密裏に執筆した。ところが16年10月、朴が友人の崔順実(チェ・スンシル)を国政に介入させた疑惑が明るみになり、政権は窮地に。状況が急変して製作は軌道に乗り、出資も受けられるようになった。

やがて何十万もの市民が明かりを手に、朴の退陣を求めるデモに繰り出す。「1987年がなければ、2017年のろうそく集会があっただろうかと言う人もいる」とジュナン。「30年前の記憶ゆえ、不正に憤りを感じた人々が道に出てきたのではないか」。結局、朴は弾劾訴追によって昨年3月に罷免された。

87年当時、ジュナンは高校3年生だった。地元の全州地域でもよくデモが起き、催涙弾の煙を防ぐため暑い中でも教室の窓を閉めて勉強をした記憶があると話す。もう1つ彼が忘れられないのは、友人に誘われて行ったカトリック聖堂で不思議なビデオを見せられたこと。まさに『タクシー運転手』に出てくる、ドイツ人ジャーナリストが撮影した光州事件の映像だった。

厳しい報道統制により事件は国内で報じられておらず、「こんなにおぞましいことが韓国で起きていて、語られていないことに衝撃を受けた。たぶんあれがこの作品を撮る種になった」。

キム・テリ演じる女子大生ヨニの淡い恋が物語から少し浮いて見えるのは、彼女だけ架空の人物だからか? しかしジュナンはそんな見方を否定する。

「歴史に記録されなくても、当時たくさんのヨニがいたはず。独裁政権下で何かが違うと感じ、葛藤していた多くの人の心情を代弁するのがヨニだ。彼女は映画の大切なテーマを伝える存在でもある。人が人を信じたとき、それぞれの人が最低限の良心を守ったとき、大きな力を発揮できるということだ」

「広場に集う民衆を見た観客に、自分もこうした歴史の主人公になれると思ってほしい」とジュナンは言う。権力は都合の悪いことは隠したがる。でも普通の人々が諦めず真実を求めることが大切――どんな時代や社会にも通じるメッセージだ。

<本誌2018年9月18日号掲載>




























 

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コメント
1. 中川隆[-13529] koaQ7Jey 2018年10月01日 06:41:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18928] 報告
韓国、「過剰民族主義」過去を引きずり未来を見ない議論「衰退国家」2018年09月09日
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12036296.html
きょう9月9日の『朝鮮日報』は、韓国の将来を暗澹とさせる二つの記事を掲載した。ひとは、韓国建国論である。現在の韓国政府の起源は、1919年の海外での「亡命政権」か、1948年の李承晩政権の発足時かをめぐって争っていること。もう一つは、朝鮮半島の鉄道建設が日本政府の資金負担である事実を曲解する議論を展開している。


詳細は後で取り上げるが、いずれも過剰な民族主義が前面に出ており、「朝鮮民族の偉大性」を宣言していることだ。いかなる民族も独自の誇りを持って当然である。他民族はそれを尊重して初めて、国際関係がスムースに動くことも事実。ただ、その誇りが合理的な根拠を持たなければ、独り善がりとして批判を浴びて当然だろう。


韓国の建国はいつか。こういう議論の際、国家とはどういう定義であるかを明確にすることが前提だ。韓国では、この大前提の議論を素通りしている。日韓併合に反対した朝鮮の有識者が、海外で実態のない「臨時政府」を宣言した。これが、韓国政府の始まりであると韓国左派は主張している。


国家成立の条件とは、領土・国民・主権の三つである。朝鮮の臨時政府は、海外で小さな事務所を開き看板を掲げたにすぎない。前記三点の項目には一つも該当しないのだ。よって、この臨時政府は到底、建国とは言えないもの。中国が、共産党創立時(1921年)を建国とせず、新中国が発足した1949年10月を中華人民共和国の創立時としている。これは、国家成立三条件からみて当然のこと。他国からの承認条件となる。


こう見ると、韓国の1919年建国論は、国際的に見てもありえない空論である。1948年が正しい議論だ。


『朝鮮日報』(9月9日付)は、「『建国節論争』を脱しなければ『建国問題』は解決しない」と題するコラムを掲載した。筆者は、李先敏(イ・ソンミン)先任記者である。


(1)「三・一独立運動(1919年)および大韓民国臨時政府樹立100周年を迎える来年は、こうした(建国)議論を行うのに適切な時期だ。三・一運動、漢城・上海・露領臨時政府樹立、統合臨時政府樹立と目まぐるしい1919年の民族史を振り返り、それが1948年の大韓民国政府樹立で完成するプロセスを深くたどってみれば、過去100年にわたり韓国が歩んできた道がはっきりと見えるだろう」


1948年の韓国建国は、日本の敗戦によってもたらされた「棚からぼた餅」であることを忘れてはならい。毛沢東は、日本の敗戦があったから予想外に早く中華人民共和国を創立できたを認めている。韓国の場合も同じだ。自力で得た政権ではない。日本敗戦によって、米国から与えられた政権だ。自ら勝ち得た政権ではない。


朝鮮半島の鉄道建設についても民族感情論が充満している。


『朝鮮日報』(9月9日付)は、「日本 北京 果ては欧州ともつながっていた国際交通都市・京城」と題する記事を掲載した。


これは、東北アジア歴史財団の理事長も務めた歴史学者の鄭在貞(チョン・ジェジョン)ソウル市立大学名誉教授(67)が、新たな歴史書『鉄道と近代ソウル』(国学資料院刊)を出版した関連記事である。5年にわたり韓国と日本の資料およそ1000点を集めて研究した成果で、600ページにもなるという。


(2)「1979年に鄭教授が日本留学へ出掛けた際、日本の歴史学界では植民地支配を美化し、「日本が韓国に鉄道を敷いてやったではないか」という見方が広く存在していた。『実にとんでもないことだった。鉄道敷設の過程で韓国がどれほど多くの労働力と土地を収奪されたか…』と。鄭教授は、『鉄道は、一言でいえば利器であると同時に凶器だった』と語った。1899年から1945年までの間、日本は総延長6400キロに及ぶ鉄道を韓半島に敷設し、その鉄道網を通して支配力を強化・拡大し、物資を持ち去った。『徹底して日本帝国主義の利益のために作られた鉄道路線は、『侵略』と『開発』、『収奪』と『近代』という両方の属性を併せ持っていた』という」


ここでも、過剰民族主義に災いされ、日本による朝鮮半島の鉄道建設の意義を曲解している。なぜなら、経済統計に基づかず感情論の赴くままに分析しているからだ。


先ず、日本の技術と資本が、朝鮮半島に投下された事実を認識することだ。当時の朝鮮には、本格的な鉄道を建設する技術も資本も存在しなかった。日本の財政資金が投じられたのだ。日本国民の税金である、理由は、朝鮮半島の近代化を推し進め、中国とロシア(後のソ連)の影響力を防ぐ目的であった。日本の安保体制と深く関わっていたのだ。


朝鮮半島を経済的に豊かにすることが、中露の影響を防ぐ目的である以上、朝鮮は日本の収奪目的でなかった。これが、日本の植民地政策が列強のそれと根本的に異なる点である。そういう分析・認識が完全に欠如した研究が、ここに上げられている韓国人学者の著作である。


朝鮮で米作を奨励したのは日本政府である。これによって、朝鮮の農民が潤い人口出産率が高まった。この朝鮮米が、日本の昭和初期の恐慌時に日本へ「移入」された。日本の農村は、さらなる米価低下に苦しんだ。こういう関係を全く無視した「日本収奪論」は架空の議論である。米(コメ)の「日本移入」を事情が分らず、単純に収奪と結びつけているのは完全な誤り。対価を得ての移出結果だ。ちなみに、移入・移出とは、当時の朝鮮が日本領であったので、「輸出入」なる言葉を用いない慣例だ。


日本では当時、「植民地放棄論」が盛んであった。朝鮮半島や台湾を領有することの財政負担が、日本経済に大きかったからだ。韓国の学者は、過剰な民族主義を捨てて、事実に基づく研究成果を世に問うべきである。
http://hisayoshi-katsumata-worldview.livedoor.biz/archives/12036296.html

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韓国の高校の歴史教科書はすべて嘘八百、 「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」と連発するだけ

ダメダメ家庭の目次録 05年4月22日
韓国の高校の歴史教科書
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-04/05-04-22.htm


歴史を眺めていると、ちょっとおもしろいことがあったりします。

ある国が滅んだ後で、別の体制となるわけですが、その滅んだ国の形式的後継者と、実質的というか心理的な後継者が違っていたりする事態が発生することもあります。

たとえば、最近の例では、ナチスドイツの形式的な後継者は、昔の西ドイツという国でした。正式な名称はドイツ連邦共和国・・・今の統一ドイツがこの国です。しかし、実質的にはナチスドイツの後継者は東ドイツの方でしたよね?

ナチスドイツと東ドイツは、権威主義だったり、秘密警察が暗躍する恐怖社会だったり、反米というスタイルにおいても同じと言えるかも?
ナチスドイツは共産主義に反対する立場の政府で、東ドイツは共産主義社会という意味では、本来は全く反対の統治システムになるはずですが、実質的には同じ社会。

同じようなことが、日本でも言えます。

現在の日本は、かつての大日本帝国の形式上の後継者であると言えますし、元首である天皇は共通していますが、その統治形態としては実質的にはかなり違っています。

かつての大日本帝国の実質的な後継者は、むしろ韓国だったり、北朝鮮だったりするわけ。

それこそ、言論弾圧の統制社会だし、権威主義だったり、妙な民族主義があったりするでしょ?それに反米だし、秘密警察が大活躍。

それにコンプレックスが強く、ムダに「大」の字を使いたがるところとか。

「日本が大嫌い!」の韓国や北朝鮮は、大日本帝国の統治システムを十分に受け継いでいるわけです。

さて、メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」では、一種の総集編として、「作品の中に描かれたダメダメ家庭」というカテゴリーで、種々な「作品」の中に描かれているダメダメ家庭の具体的事例をピックアップしたりしています。

今回はその「作品」として「韓国の高校の歴史教科書」を取り上げます。

「オイオイ!!教科書が『作品』かよ?」
と思われる方も多いでしょう?

しかし、これがまた目眩がするぐらいに、ダメダメなスタイルが詰まった「作品」なんですね。

よく韓国や中国が、日本の歴史教科書についてイチャモンをつけて来ますよね?
まあ、どうしてそこまで「人のすること」に関心を持ったりするのでしょうか?これって典型的なクレーマーの所業でしょ?クレーマーは「自分がやらなければいけないこと」には関心がなく、「人のやっていることに文句をつける。」そのような習性があるわけ。

では、日本の歴史教育に文句を付けてくる韓国の方は、どのように歴史を教えているのでしょうか?
何も「あら探し」と言うわけではないにせよ、韓国の歴史教科書を読んでみるのも悪くはないでしょう。

ちなみに、歴史的事件に限らず、事件を記述するのには、一種の定石があります。
よく言う「5W1H」というヤツです。「いつ(=WHEN)」、「どこで(=WHERE)」、「誰が(=WHO)」、「何故に(=WHY)」、「何を(=WHAT)」、「どのように(=HOW)」の6つを中心に記述していくものです。

たとえば、日本の有名な歴史的事件である戦国時代の長篠の合戦を例にしてみましょう。

「いつ」は1575年。「どこで」は今の愛知県の長篠の地で。「誰が」は織田信長と武田勝頼が。「何故に」は、織田家と武田家の領土争いで。「何を」は、合戦をした。「どのように」は武田家の側は、伝統的な騎馬軍で、織田軍は先進的な鉄砲部隊で・・・という記述になります。

また、歴史的事件だったら、上記の記述の他にも、「その影響」という事項も付け加える必要があります。長篠の合戦においては、織田家は最大のライバルを打ち破って、天下付武への強力な前進となりました。勿論のこと、軍事的戦法の革新という影響もあります。

と同時に、歴史的事件の記述に際しては、重要なことがあります。
資料名です。

たとえば、織田家では正式な記録として「信長公記」という記録があります。当然のこととして武田家にも正式な記録があり、その資料に、この長篠の合戦の公式の記録が収められているわけです。

そのような正式な記録だけでなく、部下たちによる非公式な日記のようなものもあるわけです。それらの資料をつきあわせることによって、歴史的事件の全貌がわかってくることになる。

だから、歴史的事件をまとめた、いわゆる歴史書では、上記の「5W1H」だけでなく、その結果と影響に関する記述や、資料名についての記述も必要なわけです。それは歴史教科書のような類の歴史書でも全く同じです。

何もこれは日本だけでなく、世界の文明国には共通の発想です。文章の言語自体は違っていても、歴史を記述する文章の記述の仕方、考え方には大きな違いはありません。

ところが韓国の国定歴史教科書では、そんな文明国の基本的スタイルとは無縁なんですね。

たとえば、例に挙げた長篠の合戦を記述する場合では、片や鉄砲部隊という最新鋭の戦法。片や騎馬戦という伝統的な戦法。その違いを記述することが不可欠でしょ?

ところが、韓国の歴史教科書では、そのような歴史的事件を記述する際に「どっちの側に愛国心があったか?」と言った記述だったり、「どっちが正義なのか?」と言った記述ばかりで、事件についての5W1Hのような具体的で客観的な記述が少ないわけ。

「どっちが正義だったか?」なんて、判断する人によりけりでしょ?人にはそれぞれの立場があるわけですからね。それこそ長篠合戦で、織田軍は武田軍を「敵」だと思っていたのは当然ですが、「悪」だとは思ってはいませんよね?
その点は、武田軍だって同じ。織田軍を「悪」だとは思ってはいないでしょ?
ただ、己の使命と野心に従って戦っただけでしょ?
それが「もののふ」の生き様であり、死に様でしょ?

韓国の国定歴史教科書の記述は、まるで「スポーツ根性モノのマンガの原作」のような趣なんですね。客観的な記述ではなく、ひたすら「ウヮー!」という叫び声が聞こえてくるよう。

客観的に事実を記述するというより、作者の「思い」を伝えることに主眼があるわけ。そんな「作品」なんですね。

まあ、そんな本で歴史を勉強させられていたら、バカになるのも当然ですよ。

では、そのような作者の「思い」に満ちた、韓国歴史教科書という「作品」を、具体的に、客観的に検証してみましょう。

検証に当たっては、「教科書の記述の問題点」というカテゴリーと、「教科書の記述から浮かび上がる韓国人のメンタリティー」そんな感じで分類して記述してみます。


【教科書の記述の問題点】

1.年号が出てこない・・・この韓国歴史教科書では年号の登場が実に少ない。何ページにもわたって、○○年と言う具体的な年号が出てこないわけ。事件の羅列があっても、その事件が西暦何年のことなのか?記述されていないわけです。チョット日本の方には信じられないことでしょうね。だって「なくよウグイス平安京」で794年・・・なんて年号をゴロで覚えるのに苦労しましたものね。年号が出てこない歴史教科書なんてこの世に存在すること自体、不思議でしょ?

韓国の歴史教科書でも、ほんの少しは年号が出てきたりしますが、後で年表の形でまとめられていて、今現在記述している歴史的事件が何年に起こったのか?分らないようにできているわけ。

年号というものは、覚えるのは面倒ですが、歴史的事件の客観的指標としては重要でしょ?年号を覚えていると事件の順番が明確になると同時に、外国の同時期の事件と比べることもできる。この時代に外国はこんなことをやっていたのに「我々の国は遅れているなぁ・・・」などと感想を持つこともあるでしょう。しかし、年号が記述されないと「我々は先進的だ!」と記述されていると、思慮の浅い人は盲目的に信じてしまうんですね。

2.資料名が出てこない・・・この韓国国定歴史教科書では、出典の資料名がほとんど出てきません。もしかしたら朝鮮半島では、資料を作るという習慣がないのかもしれません。データーを取るという習慣の欠落については、後で触れます。この韓国歴史教科書では出典の資料名もなく、「我々は正しい!」の一点張り。まるでカルト宗教のような趣になっている。資料名が無いので、疑問を持った読者が自分自身で調べ直すこともできないわけ。

3.差別用語の乱発・・・高校生が勉強するというこの教科書には、意図的な差別用語が乱発されています。日本を「倭」とか言うのはともかく、ヨーロッパ人を西洋蛮人と書いたり、清を建国した女真族をオランゲという差別用語で呼んだり・・・まあ、こんな差別意識丸出しの本は、日本だったら発禁処分でしょうし、当然のことに、他の一般の文明国でも発禁処分は確実でしょう。そんなアングラ本程度の本が教科書なんですね。そもそも、ヨーロッパ人を示したいのなら、西洋蛮人と書くのではなく、単に西洋人とでも表記すればいいだけですよ。しかし、わざわざ「蛮」を入れて勝手に喜んでいるんですね。

4.漠然とした記述・・・たとえば、上記で年号が出てこないと書きました。しかし、歴史書なんだから当然のこととして、時期に関する記述もあります。そのような場合では10世紀中葉とかの記述になっていて、漠然としてあいまいな記述になっています。しかし、10世紀中葉なんて書かなくても941年とか明確に年号を書けばいいじゃないの?しかし記述が漠然としているので、作者が意図的に読者を誘導することができているわけです。

年号の問題だけでなく、資料名も「ある民政文書」とかの表記になっている。そんな表記にするより、「△△が○○年にまとめた、☆☆という資料」と記述するのが文明国の歴史書のスタイルでしょ?
それこそ「1920年代のはじめ、全国の青年運動は100余りあり」・・・などと記述されています。しかし、文明国の歴史書だったら「政府による1922年の統計では、全国の青年運動は105団体あった。」と記述するものです。どうしてそんなにあいまいに記述するのかなぁ?

5.政治家がなかなか登場しない・・・歴史書だったら、当然のこととして多くの政治家が登場するだろう・・・と思われるでしょ?ところが韓国の歴史教科書では政治家の登場が実に少ない。その代わりに政治論者が実に多く登場するわけ。「国家はこうあるべきだ!」とワイワイ論じる人は多く登場しても、実際に政治を運営する人が出てこない。

6.やたら「べき」論・・・上記の実際の政治家より政治論者の数が多いことと関係していますが、この韓国歴史教科書はやたら「べき」論が多い。「こうすべき」「ああすべき」と、やたら説教くさい。

7.法律名が出てこない・・・具体的な人名は多く出てきますが、法律名は出てこない。上記のようにすべて「べき」論で片付けているので、具体的な法律を制定するという形で、実際的に国家を運営する気がないわけですね。

8.個人的感想がいっぱい・・・教科書と言うものは客観性が第一と考えてしまうのは、文明国の常識でしょう。しかし、さすがに韓国の教科書は作者の主観的な「思い」が詰まっている。

たとえば「高麗時代の石塔は安定感が不足し、造形感覚面では新羅時代の石塔に比して多少劣る気がする。」なる記述があったりする。しかし、執筆者が「気がする」のは勝手だけど、教科書の記述として書かれても、読んだ側は何を理解すればいいの?

あるいは後に中国で清王朝を作った女真族との戦争では「意外にも」負けた・・・との記述があります。アンタが「意外」に思うのは勝手だけど、そんなことは教科書に書く内容ではないでしょ?
それとも「気がする」とか「意外にも」とかが、試験に出たりするのかな?

9.ヴィジュアルが少ない・・・上記の石塔に関する記述だって、文章にするより、それぞれの写真を載せればいいじゃないの?ところが韓国の歴史教科書はヴィジュアルが実に少なく、文字ばかり。まあ、その文字による文章も、やたら説教くさいわけです。画家についてウダウダ説明するより、その画家の作品を載せればいいじゃないの?しかし、そのような客観的な記述を放棄して、ひたすら作者の「思い」を書き込んでいく・・・それが韓国の歴史教科書のスタイルなんですね。

10.やたら民族意識・・・この教科書には「民族意識」という言葉が実に多く出てきます。逆に日本だとそんな民族意識なんて出てこないでしょ?まあ、大日本帝国の教科書なら出てくるかもしれませんが・・・
韓国の歴史教科書では「民族意識」「民族文化」・・・そんな言葉ばかり。
しかし、ではその「民族意識」って具体的にどんな意識なの?

教科書を読んでいても、さっぱりわからないんですね。

どうやら、私がよく書いていますが「集団的被害者意識」と「オレたちはすごいんだ!」というエリート意識の混じったもののようです。しかし、「オレたちはすごいんだ!」と思うのはいいとして、具体的に見てどの辺りがスゴイのか全然書いていないわけです。まさにカルト宗教のような趣になっている。

「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」と連発するだけ。

そして、そんな「本来はスゴイはずの我々がうまくいかないのは、全部○○のせいだ!」と被害者意識になるわけでしょうね。

11.経済に関する記述が少ない・・・この教科書には経済的なマターに関する記述が実に少ない。やたら「べき」論をぶつ政治論者がワイワイ言うだけ。使用していた貨幣とか税制とか、生産技術など実際的な問題についてほとんど触れていないわけ。だから読んでいても当時の人の暮らしぶりなど全然わからないわけです。

12.都合の悪いことは書かない・・・「朝鮮半島の進んだ文物が日本に伝えられた。」この韓国の歴史教科書に頻発する文言です。しかし、先進的な文物って、具体的には何なの?それが書いていないんですね。しかし、ちょっと離れた箇所で貿易に関する文言があって、朝鮮から日本への輸出品は米、木綿、人参だったとか書いてある。米、木綿、人参かぁ・・・たしかに『先進的』だねぇ・・・。しかし、先進的という言葉と米、木綿、人参という具体例が離れて記載されているので、「素朴」な韓国の高校生だったらダマされてしまうんでしょうね。

あるいは豊臣の朝鮮半島の侵攻のあと、朝鮮がロシアと戦争して朝鮮の鉄砲部隊が大活躍したとの記述があります。その鉄砲はどこから来たの?そんなことも書いていないわけ。あるいは、その豊臣軍の侵攻の後の時期に、朝鮮の農業技術が飛躍的に向上したらしい・・・この韓国の教科書では、いつものように「農民の民族意識」云々で片付けられてしまっています。

しかし、現実的に考えると違うでしょ?豊臣軍の中で農民出身の足軽が、朝鮮半島の遅れた農業技術に見るに見かねて実地でレクチャーした、と考えるのが現実的な思考でしょ?違うのなら、データーとか資料を出さないとね。農民の民族意識がどのように農業技術の発展に貢献したのか?とかの資料があるとでも言うのかな?しかし、この韓国歴史教科書ではそんなマトモな疑問には答えてくれないわけ。

13.データーが載っていない・・・この教科書にはそれぞれの時代の人口とか、生産量とかのデーターがほとんど出て来ません。これは前記のように政治を運営する気がなく、政治を論じることにしか興味がないので、データーを取る習慣がないのでしょうね。

しかし、韓国の歴史で突然に豊富なデーターが出てくる時期があります。それは日本統治時代。この時代になると、韓国の人口とか生産量の詳細なデーターが出てくるばかりではなく、事件における年号や被害などの詳細なデーターも記録されている。この時代になって初めて「政治」が行われていたことがわかるわけ。

14.判断が先に来る・・・たとえば、韓国人による伊藤博文の暗殺事件がありました。日本だと「暗殺」という言葉で記述されますよね?ところが韓国の教科書では「処断」という言葉になっている。「悪をやっつけた!」というわけでしょう。この手の価値判断を伝えるのが教科書の役目と認識しているようです。しかし、それは文明国の歴史教科書ではないでしょ?読者が自由に考えることができなくなりますよね?

しかし、この手の判断が先に来る歴史教科書は、大日本帝国の歴史教科書がそうだったはずです。たとえば足利尊氏と後醍醐上皇が争った南北朝時代の記述において、足利尊氏は一方的に「悪」にされていたそう。
文明国の歴史書のスタイルだったら足利尊氏の政策と、後醍醐上皇の政策を記述することに重点が置かれることになります。まあ、こんな感じで判断が先に来るような教科書で歴史を学んでいたので、大日本帝国の人間はバカになってしまったのでしょうね。

15.具体例が乏しい・・・たとえば「ハングルは優秀だ!」そんな記述が多く出てきます。しかし、ハングルで書かれた「おもしろい文章」の作品名は中々出てこない。ひたすら「ハングルは優秀だ!」「ハングルは優秀だ!」それだけ。文明国の書物だったら、ハングルで書かれたおもしろい作品の写真でも載せるでしょ?ひたすら判断を押しつける形なんですね。美術でも文学でも具体的作品名がなかなか出てこないわけ。

16.感情的表現・・・教科書は作者の「思い」を伝えることが韓国での常識なので、作者の感情的な表現が頻発している。・・・日帝の悪辣な・・・とかの言葉が頻発。しかし、その日帝が何年にどんな法律を作ったのか?とは記述していない。ただ「悪辣」とか「冷酷」とかの扇情的で感情的な文言が並ぶだけ。


【教科書から浮かび上がる韓国人のメンタリティー】

1.内輪もめ・・・それこそ新羅、高句麗、百済以降も、半島の人はやたら内輪モメをしている。いつの時代もこの内輪もめの記述がいっぱい。それだけ、「小山の大将」になりたがるようです。以前にも書きましたが、会話のできない人間は「手下はいても、味方がいない。」もの。どうしても「自分が大将」になりたがるわけです。

2.情報軽視・・・当事者として政治を進める人よりも、傍観者として政治を論じる政治論者が威張っていられるのは、やっぱり当事者意識の欠如が社会に蔓延しているからですね。実際に政治を進めるとなると、情報を集めて、情報を分析して、政策を立案して、法律化して、周知させ、実行する・・・そんなプロセスが必要でしょ?単なる「べき」論では片付きませんよ。地道な作業が必要なんですね。

朝鮮の歴史では情報というかデーターを集めている様子がない。情報もないのに、どうやって政策を立案するの?この韓国歴史教科書では「儒教の教えに従って、『○○のような政策をすすめた』・・・」なる記述が多くあります。しかし、マトモな政府だったら儒教の教え以前に、国家の人口とか生産量とか周辺国に関する情報を集めるものでしょ?そんな情報軽視の姿勢だからこそ、歴史のデーター資料も少ないわけでしょうね。

3.原理主義・・・当事者意識がなく、傍観者然なので、現実無視で原理原則を押し通そうとする。そしてうまく行かなくなったら、「アイツが悪い!」と他者に原因を押しつけることになってしまう。しかし、現実を無視して自分の原理原則を押し通してしまっても、うまくいかないのは当たり前でしょ?

4.対抗心が強い・・・ダメダメ家庭ではやたら対応心が強く「アンチ○○」なんて発想をしがちであることは以前にも書いています。韓国人が「アンチ日本」の発想をするのは勝手ですが、韓国人同士でもやたら対抗心が強いわけ。儒教の流派同士で対抗したり、儒教と仏教で対抗したりと、そんな記述ばかり。対抗する以前に、民衆のことを考えてみるとかそんな発想が全然ないんですね。

政治対立、学問対立、宗教対立、地域対立、身分対立・・・そのような記述ばかりが多くなる。自分自身を主張する方法として、まず最初に「私はあの○○に対立している!」と一声あげるのが、韓国人の流儀のようです。スグに排除の論理が出てきて、「お互いが、得意分野で一緒に協力してやっていこう!」とは行かないわけ。

5.排他的な愛国心・・・民族意識という言葉がやたら頻発するのに、では「その民族意識って、具体的には何?」という質問には答えられない。しかし、そのように強圧的に民族意識を押しつけるので、どうしても排他的な発想になってしまうことになる。20世紀になってアメリカなどの海外に移住した韓国人もいたそう。それはそれで結構ですが、その移住した人は韓国に対する強い愛国心を持ち続けたそう。

韓国にシンパシーを持つのは当然として、そんなに強い愛国心を持つのならアメリカに移住しなければいいでしょ?海外でそんな、「オレたちはスゴイんだ!」というような排他的な愛国心を持っているから、関東大震災やアメリカのロス暴動で焼き討ちにあうわけでしょ?アメリカに移住したらアメリカに忠誠を誓えばいいじゃないの?ねっ?

6.身分秩序・・・・ダメダメ人間は人間を序列化することが大好きのようです。まあ、カルトではこの手の序列化が好きなのはオウム真理教でもありましたよね?韓国もオウム真理教と同じように、やたら細かく身分が別れている。それにその身分間の移動が不可能のようです。妾腹の子供は絶対に出世できないとかが、あったそう。あるいは男尊女卑なども・・・そのような秩序を「倫理的」措置などとも記述してある。そんな身分体系は制度かもしれないけど、倫理とは言えないでしょ?

7.理屈をこねくり回す・・・現実を無視して理屈をこねくりまわすことが大好き。そしてその理屈も、権威主義で、おまけにすべて善悪で片付けてしまうので、思考に広がりがないわけ。教科書におもしろい記述があります。李氏朝鮮時代の農民の離脱に関するものです。
「農民の離脱は名分上、民生を安定させなければならないという儒教の王道政治論にあわないだけでなく、現実的にも、国家の財政を危うくするものであった。」
・・・しかし、一般の文明国だったら、記述の順序が逆でしょ?儒教の名分などより、国家財政の方が重要でしょ?

8.知識欲が乏しい・・・理屈をこねくり回すことは好きでも、新たな知識を得ようとはしない。まあ、目新しい学説には興味を持つようですが、知識って学説だけではないでしょ?たとえば世界地図を韓国が入手したのは17世紀末。しかし、日本にはイエズス会の宣教師より16世紀には入手していますよね?だから豊臣軍による朝鮮侵攻は、最新鋭の軍事設備と、世界全体に対する豊富な知識を持つ日本軍と、軍事的にも知識的にも乏しく、ただ「オレたちはスゴイんだ!」と自画自賛しているだけの朝鮮軍の戦いだったわけ。20世紀での太平洋戦争では、日本の立場は全く逆になってしまいましたが・・・戦争の善悪はともかく、何事でも事前準備は重要でしょ?

9.何でも反対・・・今のイラクのように何でも悪く取り、反対するのが韓国人。日本統治時代に貨幣の共通化をやろうとしたら、それに反対し、ブチブチ文句を言っている。勿論デメリットもあるでしょうが、本来は韓国人自身で貨幣の共通化なんてやらないといけないでしょ?他人にやってもらって感謝するどころか、文句を言う始末。
それに、そんなに貨幣の共通化がイヤだったのなら、今からでも元のバラバラの状態に戻せばいいじゃないの?
反対することには熱心でも、「で、結局は、どうしたいのか?」という点は何も考えていないんですね。

10.危機意識が乏しい・・・自分自身を自分で守ろうという当事者意識がないので、危機意識もない。だから周辺国の情勢にも気を配らない。だから簡単に侵略されてしまう。中国とか日本にスパイくらい派遣して情報収集するのが、マトモな国でしょ?そんな当然のこともやっているそぶりもないんですね。それに危機感がないので、優秀な人間を抜擢する必要がない。だから社会も停滞する。

11.ダメダメの連鎖・・・根拠のない「オレたちはスゴイんだ!」という思いこみや被害者意識だけの人・・・それに人の話を聞き、相手に自分の意向をわかりやすく伝える意欲のない人間を相手にしてくれる人って、一体全体誰がいるの?結局は、相手をしてくれるのは自分の子供・・・というか子孫だけになってしまうわけ。だからこんな教科書を作って子供たちをダメにしたがるわけです。
もし韓国人の子孫がマトモな発想をしてしまったら、こんな教科書を疑問もなく読んでいるような祖先は相手にしませんよ。
ダメダメな人間は、そのダメダメな集団から脱却しようとする人間の行動を妨害するものなんですね。この教科書はそのような効果があるわけ。

12.クレーマー・・・具体的にモノを考える習慣がないし、他者に対して具体的な説明をする習慣が身に付かないので、他者と上手に会話することができないわけ。その上に被害者意識が加わるので、どうしてもクレーマーになってしまう。

「一体、どうして欲しいの?」
「一体、アナタたちはどうしたいの?」

そう聞いても答えられないものでしょ?

そもそもそのような具体的な思考をするようには訓練されていないわけ。
しかし、こんな教科書で勉強した人たちが、他者とどのようにコミュニケートするの?
まさにこの教科書のように、感情的なスタイルで文句を言うだけで終わってしまうわけ。だってクレームをつけることくらいしかネタもないでしょ?


【トホホな記述】

韓国の教科書には結構トホホな記述が多くあります。まあ、狙ったユーモアではないでしょうが、笑えますよ。

1.新羅の王様の記述・・・「王が自ら藩田を耕して農事の規範を示したりした。」・・・今でも将軍様が何かと模範をお示しになりますよね?

2.16世紀頃の農民の食料に関する記述・・・・「政府は雑穀、ドングリ、木の皮などを加工して食べる方法を提示した。」・・・今でもやっていますよね?

3.陽明学に関する記述・・・「理屈をこねくり回す」だけではダメだ!これからは知行合一(知識と行動が一体になること)の陽明学だ!と言うことで、李氏朝鮮時代に陽明学の研究が始まり、結果的に立派な陽明学の学問体系が完成したとのこと。しかし、そんな立派な学問体系に意味はないというのが知行合一の陽明学じゃあないの?日本の大塩平八郎のように実践してみたら?

4.文盲率・・・日本が統治を始めた頃の、韓国の文盲率は80%だったそう。日本統治前までそんな統計も無かったようです。しかし、80%が字を読めないのなら、日本語で教えるのも理にかなっていますよね?ちなみに日本が韓国人に行ったとされる創氏改名だって、それ以前はほとんどの韓国人は苗字がなかったのだから、当然といえば当然ですよね?それに強制ではないわけですし。だからこの教科書では、その法律名も年号も出てこないわけ。

5.税制・・・16世紀頃の韓国の税制は「租庸調」を基礎にしていたらしい。それって日本だと大化の改新で制定された制度でしょ?韓国人が経済的な面を全然考えていない人間であることが実によくわかります。1000年も進歩がないわけ。

6.満州開拓についての記述・・・韓国人は満州の開拓を行ったらしい。その記述が秀逸です。「現地土着民から圧迫を受けながらも、荒蕪地を開拓した・・・」とのこと。しかし、これって、まさに侵略じゃあないの?それこそ現地土着民に謝罪しないとね。


私は何も偏見を持って、この「韓国国定歴史教科書」を読んだわけではありませんよ。

この教科書は図書館などで借りることができると思いますので、読者の方々も一度、虚心坦懐にお読みになられると、興味深いと思います。

何でも韓国では教科書は、この国定教科書一種類しかないそうです。まさに大日本帝国そのものですよね?

こんな教科書で歴史を学んでいる韓国人が、「ああ」なってしまったのも当然と言えば当然。そんな「おバカ」な韓国人が選んだ大統領のノ・ムヒョン氏が「おバカ」なのも当然と言えば当然。

だいたい大統領になる前に一度もアメリカに行ったことがない、なんて文明国では考えられないことでしょ?

しかし、今まで検討してきた韓国の教科書から見て、そのような人間が大統領になってしまうことも理解できますよね?それに、私が提示したこの教科書の特徴を思い起こすとノ・ムヒョン氏の発言が実に理解しやすいでしょ?

この教科書を読んでいると、「作者」が頭から湯気を出して怒って書いているのはわかりますが、何が言いたいのかさっぱりわからない。それに・・・この本からどうやって試験問題を作るのかな?だってこの教科書には「客観」がなく「主観」だけなんですからネ。

他者に対して物事を伝えるのは、客観的な5W1Hを伝えることが先で、次に個人的見解でしょ?そのようなスタイルでないと、聞いている側の人間は、「この人・・・いったい何が言いたいの?」となってしまいますよね?
まさにこの教科書はダメダメの聖典と言えるくらいです。

この教科書は人にわかりやすく伝えようとする意欲そのものが無く、ただ自分の思いを勝手に言い放しているだけの本なんですね。

実際のダメダメ家庭に育った読者の方の中には、ご自分の両親の「語り口」を思い出す人もいらっしゃるでしょう。

この教科書の文章と、ダメダメ家庭でのおなじみのセリフ

「一体誰のためにこんな苦労をしたと思っているんだ?!」とか

「オマエのために人生を棒に振ってしまった・・・」

とは実に近い位置にあります。あるいは、「悪いのは全部○○のせいだ!」という犯人認定にも近い。まあ、そのグチや犯人認定を言う対象がどこになっているのか?

この点は、日本人には悲劇的なことですね。

日本の会話不全のダメダメ人間が往々にして、韓国にシンパシーを持っている例が多く見受けられるでしょ?会話のできない人は、会話ができなくてグチばかり言っている人間と一緒になって、自分自身もグチを言いたがるもの。

まあ、私がよく書いていますが、それってハエやゴキブリが腐臭に吸い寄せられるようなもの。

グチを言うことが、一時的な楽しみになっていることはわからないでもありませんが、自分自身の尊厳を大切にすることが、ダメダメからの脱却の第一歩でしょ?こんな「人の話を聞くつもりもない」人たちと一緒にいて何が楽しいのかな?

いずれにせよ、図書館で借りて、実際にお読みになってみることを是非お勧めいたします。

まあ、読んで不快になることは・・・請け合いますが・・・
韓国を考える際に参考になるだけでなく、日本のダメダメ家庭を考える際にも非常に参考になると思います。

(終了)
***************************************************
発信後記

メルマガの文章作成には、結構準備時間がかかったりします。
今回の文章だって、そもそもこの教科書自体が、日本語で500ページもあって読むのも大変。
ということで、取りかかった頃には中国や韓国での反日デモもまだ起きてはいませんでした。

今回のお題は、良くも悪くもグットタイミングになってしまいました。

多分、中国の教科書も、韓国と同じように異常な教科書なんだろうと思います。
だって、卒業した生徒があのザマなんですからね。

何も日本の教科書に問題が無いというわけではありませんが、韓国の教科書は100%の異常と言えると思います。というか、日本だったらこの執筆者は変質者扱いですよ。変質的なクレーマーが執筆した教科書で勉強?させられている韓国の生徒は、ある意味お気の毒ですが、そのうっぷんを日本に向けてくるのは、はた迷惑ですね。

以下に管理者による追加文章 (10年12月21日 アップ)

さて、本文においては、韓国の歴史教科書に表れている、韓国人のメンタリティーについて考えております。

私としては、何も韓国人の問題そのものを指摘したいと思っているわけではありません。

韓国人というスクリーンに映っているダメダメのメンタリティーを考えているだけです。

韓国人なり韓国の歴史教科書そのものに意味があるわけではなく、ダメダメの問題を映すのにあたって出来がいいスクリーンというだけです。

だから、今回言及したメンタリティーに近い様相は、別のところでも見えたりするもの。

それこそ、インターネットの掲示板において湯気を出しながら書き込んでいるような人間のメンタリティーと共通しているわけですし、別の国との共通性もあったりする。

それこそ、別のところでまとめておりますが、ヨーロッパのポーランドのメンタリティーとも実に近い。

あるいは、日本だと、茨城県の歴史を調べてみたら、なんとも、同じようなことをやっている。

ここで、その共通性をピックアップしてみましょう。

ちなみに、このようなメンタリティーは、水戸藩に関わる幕末での大事件である「天狗党事件」では典型的に見出されたりします。この「天狗党事件」については、皆さんも、例のウィキペディアでも使ってチェックしてみてくださいな。

ということで、茨城県と韓国の歴史において共通してみられるダメダメの様相をピックアップしてみましょう。

1. 対抗心・・・何かと言うと、スグに「あの○○に対抗する!」と息巻く。そして、それこそ平安時代の平将門のように乱をおこしたり、論争を起こしたりする。

2. 身近なものを否定・・・それこそ、「尊皇攘夷」だって、長州や薩摩のような外様の大名が言うのなら分りますが、御三家が尊皇攘夷というのはヘンでしょ?

しかし、自分の父親が嫌いなことを自分で認めたくない人間が、「お祖父さんは立派な人だった・・・」と過剰に言ったりする例があることを考えれば、その尊皇攘夷の心理的な意味も理解できるようになるわけです。より遠くのものを肯定することで、目の前のものを否定しているわけです。

3. 政治家よりも、政治論者・・・水戸藩には色々な政治論者が出てきますが、実際の政治家はほとんどいない。実際に出てくる政治家も、「善政を行った。」とかの漠然とした記述になって、「どんなデーターをもとに、どのような施策を進め、どのような効果を得たのか?」という点が出てこない。「べき論」を用い、現実を否定しているだけの学者さんが多いんですね。そして、現実否定的な主張をすると改革派とか言われてしまう。そんな流れは、韓国の歴史教科書ではおなじみのもの。

4. 各派対立・・・それぞれの考え方について、データーを取って検証するという発想がないので、「議論のための議論」になるばかり。だから、政治論者の各派対立が深刻になってしまう。だって、主義主張の有効性を検証しようがないんだから、論争になったら収まりようがありませんよ。

5. 内輪もめ・・・ということで、内部対立が頻発することになる。水戸藩の前の時代から、やたら内輪もめが多い。

6. 報復・・・内部対立が深刻化するので、自分の側が被害者だと確認する儀式としての報復行為が頻発し、その規模も過激になってしまう。親類縁者を皆殺しするという凄惨な報復行為が習慣化してしまう。

7. 芸術の不在・・・自分の内面を見るよりも、対立している相手方を見てしまうので、自己逃避が進行してしまう。だから、自分の内面を厳しく見つめた成果といえる芸術作品が生まれない。まあ、茨城県出身で有名な芸術家となると画家の横山大観くらいとなるわけですが、その名前の大観の中の「大」の字は、当人のコンプレックスを示すことが多いもの。大きいことを肯定したのではなく、「小さい自分がイヤ。」という二重否定的な心理状態につながることも多いんですね。そもそも、その大観の作品も、芸術的に見ると「悪くはない」と言った二重否定的な価値でしょ?

目の前の現実を踏まえ、自分の意向を自覚して、異なった見解を持つもの同士でも、会話によって合意形成を進めていくという発想がない。

現実無視のご高説を「べき論」で連呼するだけ。

そして、気に入らない相手に対しては、スグに武力に訴えることになる。
そして、武力に訴える自分に酔ってしまう。

それこそ、「桜田門外の変」もその典型と言えます。
茨城の歴史は、犯人認定と報復行為ばかりの歴史なんですね。

それこそ、「尊皇攘夷」だって、「悪いのは全部、今の江戸幕府のやつらだ!」とか「外国のヤツらが諸悪の根源だ!」という発想でしょ?
それはいいとして、「では、結局は、アンタたちはどうしたいの?」となってしまうでしょ?

まあ、そんなことばかりしているから、水戸藩は尊皇が実現された明治政府に対して人材を提供できなかったわけでしょ?敵が共通となっている時点では一緒にやれていても、達成目標を共有することはできないわけです。

クレームを付けることには優秀であっても、自分たちの理想を実現させるという肯定方向には何も貢献できない。

まるで、革命家チェ・ゲバラのできそこないが集まったような人物ばかりが登場してくる歴史なんですね。

ちなみに、私としては、何も茨城県の方を蔑視しているわけではありませんよ。
幸か不幸か、ダメダメを映すにあたって、優秀なスクリーンというだけです。
そして、その点について自覚できれば、現在茨城県にお住いの方がコケないように注意することができるわけですし、芸術家も出てくることにもなるでしょう。
R.10/12/21
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-04/05-04-22.htm

▲△▽▼


宮脇淳子 あるのはウソだけのめんどくさい国。韓国の異常さがよくわかる動画
- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LRWxkBoY4xo


2016/11/30 に公開
SakuraSoTV チャンネル桜 さくらじ#118
2014年1月10日 「宮脇淳子の広い世界、歴史と学会とカルチャーギャップ」 より抜粋 出演:古谷経衡、saya.

____


朝鮮人は今も昔もクルクルパーだった

じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E5%AD%A6%E3%81%BC%E3%81%86%EF%BC%81%E6%97%A5%E9%9F%93%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%90CGS+%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90%E3%80%91


【東京発信・cool eyes】歴史学者・宮脇淳子氏 朝鮮半島と満州の「なぜ」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=xb2imC_A2Co


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2. 2018年10月23日 21:29:30 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-8708] 報告
2018年10月23日(火)

きょうの潮流

 韓国の劇映画「1987、ある闘いの真実」が評判です。全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の軍事政権下の韓国を舞台に、実際の民主化抗争をモチーフにした物語。圧巻のラストシーンに劇場で涙をぬぐう観客の姿も▼軍事独裁から民主化への画期となった抗争は、1987年1月、一人の大学生の拷問死事件から始まりました。必死に事実を隠ぺいしようとする権力。それに対し、新聞記者や宗教家たちが真実を明るみに出そうと奔走します。息詰まる展開。連携プレーに胸が熱くなります▼その年の6月9日、民主主義の実現を求める学生デモで、延世大学の学生が催涙弾の直撃を受けます。7月9日の彼の葬式には、100万人の人々が葬列に参加したといわれています▼その学生、イ・ハニョルの記念館をソウルに訪ねました。倒れた時に着ていた青いトレーナーと汚れたジーンズが展示されていました。横浜から来たという32歳の女性も、やはり映画「1987」を見て来たそうです▼これがわずか31年前のできごとであったことに衝撃を覚えます。その頃、日本はバブル時代に突入。隣国の惨事については、まるで知りませんでした。当時、高校生のチャン・ジュナン監督は、ドイツ人記者が撮影した光州事件(80年)の映像に衝撃を受けたことが、今回の映画化の契機だったと本紙日曜版(9月2日号)で語っています▼ここから学ぶことは何か。監督は言います。「デモをする人々を見て、自分も歴史の主人公だと感じられる体験を観客にしてもらえたら」と。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-10-23/2018102301_06_0.html

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