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吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 04 日 08:51:11: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 03 日 07:48:23)

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった

301:名無しさん@12周年:2011/12/18(日) 00:03:39.97 ID:O8i6BAZT0

この2人が慰安婦問題を作り、後世の日本人を苦しめています。
現在の慰安婦問題は、反日となるとブレーキがかからない韓国社会の歪みの問題ですが、
端緒を作ったのは日本人です。そのウソを暴いた韓国人記者もいます。

【千田夏光氏】
最初に従軍慰安婦という言葉を作った。中国大連市生まれの元毎日新聞社のフリー作家。
著作「従軍慰安婦 正編」において挺身隊20万人のうち5〜7万人を占める
朝鮮人女性が慰安婦にさせられたと記述した(慰安婦20万人の主張はこの誤読)。
挺身隊に所属した女性が従軍慰安婦になった例は確認されていない。
軍医麻生徹男氏を、誤解に基づいて慰安婦制度の考案責任者のように記述したが、
後にこの誤りを認め、麻生氏の娘に謝罪した。

【吉田清治氏】
共産党から立候補歴あり。
著作「朝鮮人慰安婦と日本人」において、日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。
89年、韓国済州島の地元紙『済州新聞』が、慰安婦狩りを行ったという
吉田証言を検証すべく行った取材結果を元に、吉田証言を捏造と報じる。
同紙は「道徳性の欠如した本で、軽薄な金儲け主義的」と論評。
記事執筆者、許栄善記者は、歴史学者秦郁彦との面談で
「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と疑問を呈した。
96年、吉田氏は、週刊新潮のインタビューで、本に真実を書くことに利益がない、
事実を隠して主張を織り交ぜるのは新聞でもやっている、創作を交えたと発言。
98年、歴史学者秦郁彦氏に対し、人権屋に利用された私が悪かったと発言。

▲△▽▼

吉田清治(ヨシダ・セイジ) ◆◆◆

1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜
1937年、満州国地籍整理局に就職
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労報へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

▲△▽▼

経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html


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【年表】秦郁彦と吉田清治

1977/03/01 吉田清治 『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)発行
1983/07/31 吉田清治 『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』(三一書房)発行
1983/12/ 吉田清治 天安市の国立墓地に「謝罪碑」を建てるため訪韓
1983/11/10 朝日新聞(「ひと」欄) 吉田清治氏が韓国に謝罪碑を建てるニュースの紹介
1989/08/ 吉田清治 吉田著、韓国語で出版(青渓研究所現代史研究室)
1989/8/14 済州新聞(韓国) 吉田著の書評を掲載
1991/08/11 朝日新聞 「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出し。 元慰安婦で初めて名乗り出た金学順さんについての記事
1991/08/14 金学順 ソウルで記者会見
1992/01/23 朝日新聞(夕刊) 吉田清治さんへのインタビュー
1992/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(1)
1992/03/16 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(2)
1992/03/29 秦郁彦 済州島に到着、調査を行う
1992/04/30 産経新聞 秦氏の済州島での調査結果を報道。

『儒教の伝統の強い韓国で被害者の家族が名のりでないのは当然』

との吉田談

1992/05/25 朝日新聞 吉田氏が、7月、韓国に「謝罪の旅」に出るとの記事
1992/05/ 秦郁彦 『正論』6月号で、済州島での実地調査を発表。
1992/08/12 吉田清治 訪韓し、金学順さんに謝罪
1992/11/24 週刊新潮 吉田氏が93年春に訪米し、国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定との内容含む
1992/12/24 1992/12/31 週刊新潮 吉田氏の

「私が書いたことは全部事実、
しかし他の人に迷惑をかけるといけないからぼかして書いたところがある。」

との内容を含む 
   
1993/02/ 秦郁彦 『昭和史の謎を追う(下)』発行
1995/01/ 週刊新潮 1月5日号で「吉田清治の証言は事実無根である事が判明したとの記事を掲載
1996/03/13 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(3)
1996/05/ 週刊新潮 5月2日/9日号で、吉田清治氏へのインタビュー。

吉田氏は著書の一部に創作があったと話す。

1997/03/31 朝日新聞 吉田氏についての記事。

「真偽は確認できない。」
「済州島の人たちからも、吉田氏の著述を裏付ける証言は出ていない』などの記述

1997/04/06 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(4)
1998/09/02 秦郁彦 吉田清治氏に電話インタビュー(5)
1998/10/ 秦郁彦 『諸君!』11月号で、
吉田清治氏本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる
  
1999/06/30 秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)発行。『済州新聞』の吉田著書評の和訳あり
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070802

秦郁彦の著作に対する批評がまとめてあるブログ


碧猫さんの『13日の水曜日』 「無かった」を主張する歴史学者について
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-205.html

hokke-ookamiさんの『法華狼の日記』

秦郁彦教授は本当に……
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070719/1184904208

秦郁彦教授の評価が下落中…… (2007年8月4日追加)
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070801/1185924345


yamaki622さんの『blog*色即是空』

秦郁彦が金学順さんの証言をでっち上げ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070616/p1

金学順さんが「キーセンハウス」に売られたというウソ
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070724/p1

『Stiffmuslceの日記』 どくしょのじかん 

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070716/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070717/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070721/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070722/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070723/p1
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070724/p1

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吉田清治を「詐欺師」扱いする本物の詐欺師 秦郁彦


産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、
一個人の独断の域を出るものではない。

 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が
旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 吉田氏は、「太平洋戦争当時、国民総動員令を執行する労務報国会の山口県
動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦の女性も多かった」、

「昭和18年に軍の命令で、済州島で女性200人以上を挺身隊として強制連行し、慰安婦にした」などと1983年に出した著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」などで体験談を語った。

 日本のメディアも吉田証言を「昭和十八・十九の二年間で千人以上」
(赤旗1992年1月26日)「吉田さんらが連行した女性は少なくみても
九百五十人」(朝日新聞1992年1月23日夕刊)と報じ、従軍慰安婦の存在が世に知られるところとなった。

 それは日本政府を動かし、1993年8月、河野洋平官房長官は、1年8ヶ月の調査を経て「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり、募集は軍の要請を受けた業者が主に行なったが、甘言・強圧による事例が多く、更には官憲等が直接これに加担したこともあった」として、公式に謝罪を表明した。


そうした動きに反発したのが、産経新聞などの右派メディアであった。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。
 しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。

 済州新聞(1989年8月14日)に「(吉田証言の)慰安婦狩りの話を
裏ずづけ証言する人はほとんどいない」と書いた許栄善記者を利用することを
思いつく。そうして、「『なんでこんな作り話を書くのでしょうか』と、今は
『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史から聞かれ、私も答えに窮したが、『有名な南京虐殺事件でも、この種の詐欺師が何人か現れました。彼らは土下座してザンゲするくせがあります』と答えるのが精一杯だった」と、自著「昭和史の謎を追う」、「慰安婦と戦場の性」などで臆面もなく披瀝している。

 ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。
 案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。


秦氏らのデマゴーグとしての本性を端的に示すのは、当初は慰安婦の存在を無視し、そのうちに慰安婦らが勇気を奮って名乗り出ると、今度は「戦時売春婦だ」と言い換え、詭弁を弄したことである。

 「軍は戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に開業させていた。業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などはしたが、直接的な強制はしていない。当時は公娼制度は合法であった」が秦氏らのロジックだが、それによると、「ナチスの蛮行も合法であった」ということになる。

 秦氏らの詭弁は、「従軍慰安婦は朝日新聞の造語だ」と言葉の問題にすり替え、その存在を否定していることにも現れている。
 厩の王子を聖徳太子とするなど過去の現象を後世の言葉で表現することは歴史ではしばしば用いられることで、実体が問題であることは言うまでもない。

 吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

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済州島の人が慰安婦狩りを否定した理由

慰安婦を韓国で実際に強制連行したという当事者も名乗り出まし
た。当時、山口県の労務報国会で動員部長をしていた吉田清治さんです。
   吉田さんは1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部など
の指示に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行したそうです。
   その中でも特にひどかったのは従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法
で「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので 警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」と吉田さんは語っています(北海道新聞、92.2.25)。

動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で
強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレ
ビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安
婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

   番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしま
した。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用さ
れた慰安婦がいるか」に対し、洪さんは

  「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人
間じゃないよ」


と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはない
が、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定
とも否定ともとれる返答をしました。

もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこ
う語っていました。

  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにして
いる問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自
尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいな
のです」

この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は
あったかも知れないという印象でした。

   韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥で
す。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に
戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しに
して生きざるを得ませんでした。

   そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザス
クープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の
番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を
連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」
男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」


アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」
男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せない
   んだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも
   さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12か
   ら14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息
   が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」
ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」
(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行
の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さ
んのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大
学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新
潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認)

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」
に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技
者」とでも呼ぶのでしょうか?
http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117

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秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判

この著者は時々、まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります。この本は、ずさんな仕事の代表的なケースでしょう。

この小文でも紹介したような、写真や図表の無断盗用、資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋などの例をリストアップしてみたのですが、膨大な量になりあきれてしまいました。どこかで公表しようかとも考えたこともありましたが、バカらしくなってやめました。それにしても人に対してはさんざん因縁をつけながら、自分の間違いを指摘されても無視して開き直るのには、驚くばかりです。

なお前田朗さんがこの本の「図版盗用」「写真盗用」「伝聞・憶測・捏造」などの問題点を詳細に批判されていますので御参照ください
(『季刊戦争責任研究』第27号、2000年3月、『マスコミ市民』370号、1999年10月、に掲載された前田論文参照)。 2002.12.17

資料の扱いもずさんさである。たとえば、一九三八年に内務省が陸軍からの依頼をうけて慰安婦の徴集の便宜を図った資料がある。この本では内務省警保局の課長が局長に出した伺い書が、内務省から各地方庁への「指示」に化けている。
さらに五府県に慰安婦の数を割当てているが、その人数がでたらめで、資料では合計が四〇〇人になるのに、氏の数字では六五〇人とされてしまっている。

引用も言葉を勝手に変えたり、付け加えたり、およそ研究者の仕事とは思えない(五六頁)。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

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秦郁彦は研究者でも学者でもない。 唯の詐欺師


『諸君!』2002年2月号秦郁彦氏の文章を嗤う


「ペリーの白旗書簡は明白な偽文書である」(『UP』2001年8月号)
 「極めて興味深い偽文書」(『歴史評論』2001年10月号)

 「Problematic Account in a Japanese History Textbook based on an Alleged Letter by Perry」(『歴史学研究』2001年10月号)

 『諸君!』に掲載された秦氏の文章は、上記の宮地氏の論考に対する「批判」を意図したものである。

宮地氏の論文の内容にかかわる批判は、いずれ宮地氏自身からなされるであろうから、深くは立ち入らないが、秦稿の中には、秦氏の研究者としての基礎的能力を疑わせる部分があるので、五点ほど指摘しておきたい。なお、秦稿からの引用文中にある[ ]内の部分は、筆者のつけた説明注である。
 
その1 
 秦稿112ページに次のような部分がある。

 松本(健一)、三輪(公忠)の両氏はいずれも右の著書(『白旗伝説』・『隠されたペリーの「白旗」』)で出典は、前記の『幕末外国関係文書之一』(東大史料編さん所)という公文書であると明記し、宮地氏もそう書いているので、この点についての争いはありえないはずだ。そうだとすれば、宮地氏は所属し、所管する機関の発行した公文書が偽文書であるゆえんを、「中学生にもわかる」ように立証する義務がある。

 まったく驚いたものである。『幕末外国関係文書』が公文書であるとは、およそ歴史の研究者の言葉とは思われない発言である。「公文書」とは公的機関が、その機関自身の意志を伝達、もしくは記録しておくために作成した書類のことである。『幕末外国関係文書』というのは、幕末の対外関係に関するさまざま史料を、東京大学史料編纂所が集成して刊行した史料集であって、刊行は明治43年に開始され、現在もなお継続中である。その中には幕府が発給したまさに公文書も掲載されていれば、個人の私的な日記でも、対外関係に関する記事があればそこの部分が掲載されている。当然、そこに掲載された史料だからといって、すべてがその時代の事実関係を誤りなく表現しているとは限らない。掲載されている史料をどこまで信用し、どこから疑ってかかるか、という点にこそ研究の研究たるゆえんがある。研究者の力量は、まさにそこでこそ試されている。史料集をさして公文書といい、公文書に書かれているのだから間違っているはずがない、などというのは、まともに歴史学を研究した経験のある人の言葉とは思われない。要するに、秦氏は史料集というものの性格がわかってないのである。
223投稿者:詐欺師_秦郁彦の流した害毒  投稿日:2007年05月05日(土) 10時07分17秒


その3
 秦稿118ページに次のようにある。

 宮地氏は各地に伝わっている風説書を列挙し、史料一一九[『幕末外国関係文書』巻1所収119号文書を指す]に似ているが変造したものが少なくないことから、そう[白旗関連の情報はすべて風説書にのみ現れると]推測しているようだが、逆もまた成り立つのではないか。つまり老中や海防掛を仰せつかった水戸斉昭などの高官を除き内密にされた白旗書簡が少しずつ洩れ、脚色されていったとも考えられるのである。

 それに斉昭が嘉永六年七月十日付で幕府へ提出した「海防愚存」という意見書にも白旗の話題が出てくるが、これまた風説書として片づけるわけにはいくまい。

 宮地氏は「海防愚存」については公式の幕政史料として分析し、「白旗書簡」実在論者たちの行った史料読解の誤りを指摘している(歴評論文,114頁)。すなわち、「海防愚存」に出てくる「白旗」とは、『新しい歴史教科書』に書かれているような性格のものではなく、ペリーたち自身に武力行使の意志がないことを表明するためのものだったというのである。「海防愚存」を白旗実在の証拠としようとするのならば、宮地氏のこの指摘に反論しなければならない。また、「強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用して然るべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである」と、そもそも斉昭の政治的立場からして、仮にそのような事実があったとするならば本「書簡」の内容が「内密にされ」るべき必然性がないことも宮地氏は明確にしている。

つまり、秦氏は宮地論文の主張を正しく読みとることができていないのである。史料どころか、現代文を読解する能力にも欠けているようである。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/ebara_2002.html

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嘘も百回つけば真実に成る _ 「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」という産経のプロパガンダ

hangul 2007/08/04 00:59

ネットで検索してくるとあらためて吉田氏に関して秦氏が言及した「通説」が出回っていますね。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


2007年(平成19年)03月05日参議員予算委員会で当時の総理、安倍晋三氏は次のような発言をしている。


○小川敏夫君 この三月一日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理。


○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます。

 そもそも、この問題の発端として、これはたしか朝日新聞だったと思いますが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが、この証言は全く、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます。

つまり、発端はこの人がそういう証言をしたわけでございますが、今申し上げましたようなてんまつになったということについて、その後、言わば、このように慰安婦狩りのような強制性、官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はないということでございます。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1

産経新聞をはじめとする特定メディアで、国際社会の常識とかけ離れた秦郁彦氏らの歪んだ「定説」がたらい回しされているが、最大の顧客が保守政界である。

 安倍首相がさる3月1日夜、首相官邸で記者団の質問に、

「(河野談話は)当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」

と、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示し、「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と談話見直しの必要性に言及したのは、その典型的例である。


 安倍首相の言う「強制性を裏付ける証拠がなかった」は秦氏らの「定説」に基づくが、国際社会で通じる話ではないことは言うまでもない。 例えば、中央日報のコラム「噴水台 河野談話」は次のように苦言を呈する。


 「秦郁彦は吉田を『職業的作話師』だと攻撃した。窮地に追い込まれた吉田は、

『一部の事例の時間・場所は創作が加味されたもの』

と告白した。これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で広がり、安倍氏はある講演会で

『慰安婦は吉田の作り話であり、朝日新聞がこれを報道した。日本のマスコミが作り上げた話が外国へ広まったものだ』

と述べた。 しかし、吉田が強制動員の事実自体を否認したことはない。河野談話の廃棄・修正論者らは慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書が一つも発見されていないというが、根本的に疑問の余地がある。それ以前に、被害者たちの証言に証拠能力を認めない理由は何なのか」
 http://article.joins.com/article/article.asp?total_id=2651785&ctg=20


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 貞操が重視される韓国で、当初は、慰安婦であったことを隠し、自ら名乗り出る人はいなかった。 地方の済州ならなおさらで、許栄善記事はそのような社会状況を反映したと思われる。日本から言葉も通じない秦氏がのこのこ出かけていって、「実は・・・」などと打ち明ける人が出るはずもないし、それくらいのことが理解できないようでは、現地調査などできるはずもない。 いずれにしても、吉田証言に関しては改めて綿密な現地調査をして、生き証人を探し出す必要があろう。

 加害者の側が「なんだったら、証拠を見せろ?」などと開き直ったら、被害者が怒るのは当然であろう。重要なことは、日本政府が、加害者の立場に立ってそれを否定するのではなく、被害者の側に立って協力することである。 それが国際社会の常識であり、今求められているものである。

 「河野談話」についても「河野氏が韓国で『自称・元慰安婦』の証言のみを基に認めたにすぎない。韓国政府の横槍があった」と、当時の官房副長官・石原信雄氏が認めたとかどうとか言った話が産経系列のメディアでしきりに流されているが、それが事実なら、韓国は改めて日本政府の真意を問う必要があろう。


 従軍慰安婦の存在は、疑う余地がない。

 最近も、ハルビン郊外で人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊(関東軍防疫給水部本部)の元衛生兵だった大川福松氏(88)が

「子どもが泣いている前で、母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」

と、子持ちの慰安婦を解剖したことを証言した。


 東京新聞(3/29)は「慰安所経営者も合祀」と、インドネシアで慰安所を経営していた人物が

「日本軍がトラックで朝鮮の農村部へ乗り付けて、拉致し、軍の慰み者とした」

と証言していたことも報じている。

 安倍さんに物申したい。現状では、加害者である旧日本軍をかばっていると国際社会では受け取られている。日本の首相がこれでは日本ブランドは大きく傷つき、貿易立国の土台を揺るがすことになりかねない。

 731部隊で無念の生体解剖された慰安婦母子の名を明らかにし、遺族に謝罪の言葉を伝えるべきではないか。そうすれば国際社会の認識はがらりと変わろう。 旧内務省の流れを受け継ぐ旧厚生省(現労働厚生省)には関連資料が埋もれていると聞くが、不可能なことではあるまい。

 古森義久氏が米議会調査局報告書「日本軍の慰安婦システム」に対して「『根拠』は虚構」と歪曲して報じたのは、「同報告書の趣旨は『組織的強制徴用なし』」と報じたことが捏造であると批判され、証拠を突き崩そうとの作戦に転じたためとみられる。

 重ね重ねの歪曲・捏造記事は、読者の無知に付け込んで誤解を植え付け、反米意識を煽り、米下院での従軍慰安婦決議案採択を阻もうとのプロパガンダとみられるが、それが日本の信用を傷つけ、国際的立場を悪くするだけであることにいつになったら気が付くのであろうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/archive/2007/04/21


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秦郁彦が触れていない『吉田証言』


国会で総理大臣から嘘つきよばわりされた吉田清治さんはほんとうに可哀相だ。吉田さんの書著に出ている済州島での「慰安婦」狩りを、『城山浦の老人クラブで、四、五ヵ所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認』し、済州島新聞の吉田書の書評を紹介しただけで、『吉田清治の詐話』と決め付け、クマラスワミさんへの手紙で

I remind you that I informed that Yoshida was a "professional" liar,

吉田は「職業的な」嘘つきだと言いませんでしたか?


とおよそ大学教授とは思えない下品さで吉田さんをこき下ろしたのは秦郁彦先生であることはよく知られている。


秦先生の、文献収集能力がすこぶる優秀であることは、『慰安婦と戦場の性』の引用文献の豊富さを見ればわかるし、さすがだなと感心することしきりである。吉田清治さんに関する文献でも、吉田さんの著作、新聞や週刊誌の記事、講演、裁判での証言など非常に広範かつ入念に調査している。

だがしかし、ひとつだけ秦先生が紹介していないものがある。1986年8月15日、大阪森之宮ピロティホールで開催された「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(戦争犠牲者を心に刻む会 主催)での吉田さんの講演である。以下、部分引用する。

従軍慰安婦の悲劇


 『私が今日、自分の犯した強制連行の罪に対して、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題が二つあります。

一つは、従軍慰安婦を九五〇人、強制連行したことです。

この従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略した時、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指導のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上ないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。


 この婦女子の、韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、

私たち実行者が一〇人か一五人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官五〇人か一〇〇人を動員します。

そして警察官の護送トラックを五台から一〇台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣(ぼっけん)を持っていましたから、殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは一〇人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置所に入れておいて、三日から五日の間に、予定の一〇〇人、あるいは二〇〇人の人数を揃えて、朝鮮の鉄道で釜山あまで運び、釜山から関釜連絡線で下関に運んだのです。

 下関では、七・四部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りに来ている軍属に引き渡します。

そしてご用船でこれを中国、あるいは南方へ送るという業務を、三年間やっておりました。

(略)

 その頃(引用者注:1984年ごろと思われる)、加害者の私も韓国のテレビ局に呼ばれて、戦争犯罪人としてこの従軍慰安婦徴用について、一問一答されて、一時間のテレビ放送をさせられました。これは当然の私の義務だと思って、率直に、従軍慰安婦の前線における日本陸・海軍将兵からの三年間における辱(はずかし)め事実を、私はもと中支派遣軍の嘱託で前線にいましたので、その実体も含めて、韓国国民に公表しました。』

いくら秦先生といえども、「上手の手から水がこぼれる」の喩えのごとく、一つの証言を見逃していることがあっても不思議ではない。

だがしかし、秦先生は1996年3月27日の吉田清治さんとの電話での会話について、こう書いている。なんか臭う・・・

・・・彼が


「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」

と言うので、

「では全羅南道の話はすべて真実か」

と聞くと、

「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・」

と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。


 しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではないだろうか。


____


 吉田さんの全羅南道での慰安婦狩りをそのとき初めて聞いたはずの秦先生が、

『すべて真実か』

と聞くのも変だし、吉田さんが

『他の場所での話しが混ぜてある』

と答えるのも辻褄が合わない。

だいいち、何故、『ほとんど虚構であることを自認した』ことになるのだろうか?

 まぁ、秦先生が書かなかった部分の会話で詳しい内容を吉田さんが話したという考え方もできるが(それなら、秦さんの書き方の問題だ)、それなら今でも遅くないから会話の全貌を明らかにすべきだろう。また、いままで知らなかった吉田さんの話が出てきた以上、学者ならきちんと調査すべきではなかったのだろうか?

それはそれとして、この1986年の吉田さんの講演については、ネット上でも断片的に情報が出ているが、これを「強制連行はなかった」と叫ぶ人たちも問題にしていないことも気になる。彼らは真実を知りたくないのだろうか?それとも吉田さんは「職業的詐話師」と決め付けてしまっていて、これもどうせ嘘だと結論づけるのだろうか?

やはり、ここはぜひ、秦先生が吉田さんの証言の真相(済州島、全羅南道、1986年の講演)を明らかにするべきだと思うのだが、みなさんどうであろうか?

吉田さんが言っている済州島、全羅南道、もしくは朝鮮半島でのことが真実だった場合、一国の総理が一国民を不確かな証拠にもとづいて国会で”嘘つき”呼ばわりしたことになるのだ。その場合、これは由々しき問題になる。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1


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1991.5.22朝日新聞(大阪版)


 「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。

1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。


 「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。

政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。 とはいえ、その実態は歴史から消えている。

慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」

と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。


 吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。

86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)

 私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。

従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。

この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、


私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。

そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。

そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。

そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。

下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。


 10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。

 今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

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Stiffmuscle 2007/08/02 22:37

慰安婦問題における吉田清治の位置は、南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。旧日本軍の同僚からの協力がないどころか、

「そんなことを言うな!」

と脅かされ、疎外され、嘘つき扱いされる。クマラスワミ氏は、吉田の逸話に潜む真実を示したかったんだと考えます。

逸話が証拠になるか?

と糾弾されても、そういう話ではない!と返されると思います。元慰安婦のために尽くせる手段はすべて使う。

海外では吉田氏の著述は非情に高く評価されており、アイリス・チャン同様、歴史的な誤謬があっても、そこに描き出される日本軍の戦争犯罪の残虐さと非人間性、それを許したシステムにいまだ日本人が裁きを与えられないでいること。そこをえぐりだした点が大きいのだと思います。実証史学では許されないことでしょうが、人権をテーマとした社会学的アプローチと考えれば問題はないどころか、称賛されるべきだと思ったりします。

hokke-ookami 2007/08/04 08:03

「南京問題における東史郎の位置ととてもよく似ています。」……

手記を編集したら捏造とされたあたりがそっくりですね。たまたま手元にあったので読み返してみましたが、一部の人名を仮名にするなどの注記は最初から前書きにあります。

階行社のような旧日本軍人のための団体でさえ、南京事件への謝罪を発表すると問題視する意見が大量に届いたのだから、一軍人が手記を発表する時の圧力は相当なものがあるだろうと容易に想像できます。だいたい手記への編集程度、戦争犯罪に関わらなくても個人的な戦記では特段に珍しいことではありませんし。

ちなみに、性暴力でなく、記憶が薄れるほど過去でなく、かつ明らかに一方的な被害者である地下鉄サリン事件ですら、被害者を探すことが困難だったという話もあります。被害を証言するだけで心の傷を深めることもあると留意すべきなのでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


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Stiffmuscle 2007/08/02 15:25

吉田清治さんに協力する元同僚は誰もいなかったこと。吉田さんが韓国への配慮から、地名や年月日などを変えて本に書いたこと。秦先生は、そういうものは無視して、吉田は「職業的詐話師」!と糾弾するわけです。


クマラスワミ氏への手紙でも”professional liar”(なんのこっちゃ?)と言って非難してますが、クマラスワミ氏がそんな品性下劣な手紙を真剣に受け止めるはずもなかったでしょう(即ゴミ箱)。

にもかかわらず、秦先生は、例によって、返事が来とらん!と怒って(?)おいでですが・・・
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

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元従軍慰安婦と済州島の人達が過去を否定した理由


「慰安婦」は商行為か?  上杉聰 


 〔秦郁彦〕氏は、吉田氏が強制連行した済州島まで赴き、証言の真偽を確かめようとした。その結果を

「昭和史の謎を追う−−第37回・従軍慰安婦たちの春秋」

と題して『正論』(1992年6月号)に発表し、同島から「慰安婦」の徴集を示す証言が得られなかったとした。だが、秦氏自身が六〜九万人の韓国・朝鮮人「慰安婦」の存在を認めている人である。どうして日本に極めて近い済州島だけ一人の「慰安婦」も徴収されなかったのだろうか。そんな例外の地域があると考えるほうがおかしい。

現に、尹貞玉・元梨花女子大学教授が1993年に同島で調査を行ったとき、島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。

だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された事実がある
(日本の戦争責任資料センターと韓国挺身隊問題対策協議会による第二回「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会)。


 性暴力の被害者すべてに言えることだが、被害を訴え出ること自体に大きな困難が伴う。ましてや儒教が強く残っている韓国社会では、さらに大きな障害となる。したがって、現在元「慰安婦」と名乗り出ている女性のほとんどが身寄りのない単身女性である。それに加えて、済州島という小さな島で名前を明らかにすることは、近隣・親戚に直ちに波及する大事件となる。そして同島は、韓国の中でも差別的に見られていることに留意すべきである。

もし誰かが名乗り出れば、韓国語に翻訳されている吉田氏の著書への関心と合わせて、興味本位の視線が済州島の島民全体に浴びせられる危険性を危惧しない者はいないだろう。それを畏れ、島内には箝口令が敷かれてきた可能性を否定できない。要は証言も含め、資料批判が必要だということである。秦氏の論拠だけで吉田氏の証言を嘘と断定することはできないのである。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

yamaki622 2007/08/03 23:01

「テレビの追跡取材」の記事を拝見して感じたことですが……

韓国に限らず、本人や周囲が性暴力の被害を隠したがるということは往々にしてあるものだと思います。

うろ覚えですが、確か日本で最初に実名でセクハラを訴えた女性が親戚から縁を切られたということを何かの本で読んだことがあります。「女の恥だ」と言われて…。もちろん理不尽な話ですが。

秦氏をはじめ否定派は、強制が事実だとすれば必ず本人や周囲が真相を明らかにしたがるはずと決めつけているようですが、その想定自体が非現実的だと思います。

__________

真実を教えれば (Stiffmuscleの日記)


Linさんの家族は、Linさんが戦争中に受けた苦しみを話しに上海に行くことを反対した。今でも、海南島の村々では村の恥になるとして、慰安婦の苦難を語ることはタブーである。Linさんは勇気を振り絞って話をしたのだと、彼女の支援者たちは言う。


Activist: Japanese former ’comfort women’ suffer in silence (AP via International Herald Tribune - April 28, 2007)
 名乗り出ることができず今も苦しむ日本人元『慰安婦』たち

「米軍兵士の相手をしたことで押された社会的スティグマのために、日本人元慰安婦が名乗り出ることは未だに困難なのです。」

と、東京を拠点とするVAWW-NET JAPANの活動家、信川 美津子 は語る。

「第二次世界戦中に、アジアのいたるところにあった日本軍の売春宿で客を取らされた女性たちも数多くいたが、名乗り出られずに苦しんでいる。現在までに自分の体験を語った女性はごく僅かです。」

被害者が沈黙して語れない理由


軍事紛争下で行われたジェンダーに基づく暴力、その被害者の多くが自分の被害について口にすることを嫌う。


各戦闘勢力からの圧力、

政府からの圧力、

家族からの圧力、もしくは

地域社会からの圧力、


これらはすべて、多くの女性を威圧し沈黙を強いる方向に働くのである。

暴力もしくは紛争が継続している場合、女性が事件を通報することが困難になることも稀ではない。多くの地域で、報復、恥の意識、社会的スティグマは、特定の類型の女性に対する暴力、特にレイプに結びつく。

性暴力を通報した場合の結果に対する恐怖感−拒否、疎外、離婚を招くこと、

結婚生活には不向きだと言われること、

経済的・社会的悪影響など−

のあらゆる恐怖感のために、女性は自分に加えられた暴力を通報することを諦めざるを得なくなるのである。


虐待の現実

1992年以降、旧ユーゴスラビア、フォカ市の女性たちが、ボスニア、セルビア、ユーゴスラビア軍によって組織的に強姦された。ボスニア人女性たち、イスラム教女性たち、そしてクロアチア人女性たちは毎夜、強姦された。また、彼女たちは性的虐待と殴打により外傷を負っていたが、それに対する治療は拒否された。ある12歳の少女は、1992年に10日間拘留され、10回強姦された、また、彼女の母親も2回強姦された。2001年2月、国際刑事裁判所において、ボスニア・セルビア人男性3人が、フォカでの成人女性と未成年の女性に対する強姦罪を含む、戦争犯罪および人道に反する犯罪、33の罪で有罪となった。

これまでに、幼女や高齢の女性を含むあらゆる年齢のコンゴ人女性が何千人も、強姦、身体的暴力、誘拐、もしくは性奴隷状態の被害者となっている。コンゴ東部で医療基盤が破壊されて以降、強姦による外傷や疾患−中には生命に関わるほどのものもあった−を患った女性のほとんどは適切な治療を受けることが不可能になっている。(2007年8月3日追記)


Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

「なかった派」は元慰安婦の方々が名乗り出るのにどれだけ勇気がいるかサパーリわかってないですね。

日本人の元慰安婦も同様の理由で名乗り出なかったのだと思いますが、それを「日本人の美徳ゆえ」のように言うのは言語道断でしょう。

ふざけるな!と言いたいです。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

その吉田さん自身が作り話であることを既に認めてますが、その点はスルーですか?(笑)

2007/8/6(月) 午後 8:44 [ momo ]


>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

じゃあなんで矛盾を突付かれた挙句、作り話だなんて白状するんでしょうね(笑)

2007/8/6(月) 午後 9:47 [ momo ]


>慰安婦が白眼視された社会状況無視、

わたしもここはもっと理解されてしかるべきだと思います。いや、慰安婦問題に関心をもつ日本人は必ず理解しなければなりません。

あわせて、この「済州新聞」は金学順さんが勇気ある名乗りをされる以前のものであること、日本人元慰安婦が名乗りでない理由をそこに重ねて見出すこと、なども当然欠いてはいけない視点だと思います。


>吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

わたしも同感です。吉田がわざと場所や時期などをずらしたこと、最後まで重荷を背負って謝罪を行動で表し続けたこと、このことが持つ意味が理解できない人は愚かです。

2007/8/21(火) 午後 6:04 [ Stiffmuscle ]

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


吉田清治さんはこの頃から急にマスコミの脚光を浴びました。しかし、実は吉田さんはその10年も前から懺悔の手記(?)を出版していました。その書名は「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」で三一書房から1983年に出されました。その当時この本はほとんど注目されませんでした。

   ここで吉田さんの所属した労務報国会について簡単に説明します。この組織は1943年、国民総動員令により植民地や日本国内に残った人たちを国のために狩り出すためにつくられました。会長や役員は、貴族院議員や各省庁の大臣がなり、各県の会長には県知事が就任しました。その中で動員部長は要職で相当な権限を持ち「動員」にあたりました。

   その動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。

番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。


田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、

洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」

と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。

   もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。


  「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」


この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」はあったかも知れないという印象でした。

韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。

そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。

アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」

男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」

アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」

男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せないんだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にもさしつかえる・・・

結婚してたら連れて行かれないというので、12から14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」

アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」

ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」


(注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん

このように行方不明になった多くの人は、麻生徹男軍医官のいう「皇軍兵士への贈り物」にされ、「衛生的な共同便所」の役割を果たしたのでした。その数は朝鮮人だけでも10万人とテレビ朝日は紹介していました。


さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。

   吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技者」とでも呼ぶのでしょうか?

http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117

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3. まともな研究者で吉田 清治の証言内容自体を疑っている人は一人もいない


吉田証言で問題とされているのは吉田さんが元従軍慰安婦の方のプライバシーと心情を考えて、地名や年月日などを変えて本に書いたことだけなのです。

吉田 さんは現在でも、『秦郁彦に電話で自分の嘘を白状して』無価値になった筈の本を廃刊していません。

自分が書いた本の内容が、元従軍慰安婦関係者に対する守秘義務によって変更せざるを得なかった部分を除いてはすべて真実だからでしょう。 :


朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記 吉田 清治 (著) 発売日: 1977/03
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%85%83%E4%B8%8B%E9%96%A2%E5%8A%B4%E5%A0%B1%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%83%A8%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4404007957/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1324384207&sr=1-3

私の戦争犯罪 吉田 清治 (著) 発売日: 1983/7/1
http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA-%E5%90%89%E7%94%B0-%E6%B8%85%E6%B2%BB/dp/4380832317

吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」


吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定


若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。

娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・

女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・

女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html


「4、5日から一週間で若い女性50人を調達しなければならなかったので
警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」(北海道新聞、92.2.25)。

http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117


吉田清治さんは『私の戦争犯罪』(1983年)中の「第3話 済州島の慰安婦狩り」という章で、労務報国会下関支部の動員部長だった自分がどのように慰安婦“狩り”を行ったかを告白している。彼は済州島に駐屯していた日本陸軍の協力で11人の歩兵と軍用トラック2台を得た。

吉田清治さんの戦争犯罪の告白


1943年5月、このころ朝鮮人は日本軍にひっぱられれば彼らの“えじき”になると思っていた。吉田の徴用隊は


まず帽子をつくる家を襲撃して2、30人の女性のうち8人を連行した。

女性たちが悲鳴をあげるや4、5人の強壮な朝鮮人の男たちが道をふさいだ。

銃剣でおどしても男たちは手を振り上げ朝鮮語で必死に抗議した。

隊員たちが銃剣を突き付けるとようやく逃げて行った。

「アイゴ、アイゴ」と泣き叫ぶ女性たちをトラックに押し込んだ。

トラックは林の中に入って行った。

吉田は徴用隊長の依頼に従って隊員たちにたった今捕らえてきた女性たちと“遊ばせ”た。


 城山浦のボタン工場でのことだ。

ためらう社長をどなりつけて工場の中に入った。女工たちは30人ほどだった。

徴用隊が「作業停止!」と叫ぶや女性たちは悲鳴をあげた。

慰安婦の女性を選別していると、一人の老婆が隊員の腕にしがみついた。横にいたほかの隊員が老婆の頭にまいていた手拭をつかんで頬を殴りつけた。

妊娠中でおなかの大きな女性のスカートを捲りあげて下着に隠されたおなかを見た。年のいった女工が吉田に駆け寄って

「朝鮮の女をどうするのですか!」

と日本語で抗議した。吉田は

「戦争のためだ、じゃまするな!」

と怒鳴り、女工は朝鮮語で泣き叫びながら吉田に抗議し続けた。吉田は彼女を押しのけ、別の徴用隊員が彼女の顔を殴った。

この工場での「収穫」は16人だった。門の横で見守っていた社長は言葉もなく行ってしまった*3。・・・・・・

尹貞玉 他『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題』、三一書房、1992年、32〜33ページ

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080809/p1#tb


 吉田清治の証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地でえられた証言は否定的なものばかりだったといっている。そのほか、この証言にたいする多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。

 そこで、私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。

 これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。

 そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。なお、私は、一九九一年から慰安婦問題の研究をはじめたが、この間、吉田さんのこの証言はいっさい採用していない。

 証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦[徴用]にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。

吉見義明・川田文子「『従軍慰安所』をめぐる30のウソと真実」大月書店1997.6(P.26〜27)

http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/70/

ところで、N.Mさんはこれまでに何回となく吉田証言は嘘だと断言し、それを前提として議論を展開されていますが、これって、何か証拠があるんですか?

私の知る限り、今までのところそんなものは出ていないと思うんですが。

ここで、邪推される前に吉田証言に関する私の見解を明らかにしておきますが、私としては、吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されているので、証言としては使えない(無価値である)と考えています。しかし、嘘だと断定しうるほどの根拠もないし、真偽については今のところ不明としか言いようがない、と思います。


_______

吉田証言が否定されたなら、これまで報道してきた責任上、読者にそう報道すべきでしょう。途切れてしまって、何ら報告のない限り、吉田清治ばりの公的な機関が公的な命令で「奴隷狩り」のような方法で韓半島において女性を集めたという報道が、そのままに信じられる危険性があるのです。

________

明白に「否定された」のならそのとおりでしょうね。しかし、前回も書いたとおり、吉田証言は証言としては*使えない*ものの、決定的な反証が出たわけでもない真偽不明の状態ですから、拙速に「否定された」などと報道するわけにはいかないと思いますよ。


___________

はあ? 吉田証言のポイントは、日本の官憲が慰安婦の強制連行(それも直接的暴力による連行)を行った、ということでしょう? クマラスワミ報告書には秦氏の反論として、


「…博士の説明では、彼は1991〜1992年に大韓民国の済州島を史料収集のため訪れたが、「慰安婦犯罪」の主犯は実際には朝鮮人区長、売春宿の持ち主及び少女自身の親たちでさえあった。教授の主張では親たちは娘の徴集の目的を知っていたというのである。…」


と記載されています。徴集の主犯は朝鮮人である区長や親たちであったという主張が、官憲による暴力的連行を証言する吉田氏への反論になっていないとは、何のことだか全く理解できません。


 これに関して、秦郁彦『昭和史の謎を追う(下)』文藝春秋社では、秦氏の済州島における調査の結果ととも次のように証言の問題点について述べています。


(1) 慰安婦狩りの命令は

西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田

のラインで来たとしているが、関係者はこのような命令系統はありえないと否定する。依頼だとしても、済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄下にあり、内地から出張しての狩り込みはありえない。もし必要があれば総督府が自身の手で集めるはずだと関係者が述べている。


(2) 第一作である『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社、一九七七)には、四四年四月労報が初めて慰安婦狩りを手がけたと記述し、第二作(一九八三)の済州島行き(四三年五月)と矛盾する。


(3) 第一作に四四年二月結婚とあるが、第二作には済州島行き計画は、死んだ「家内の日記」に書いてあったと記述している。(p.336)


このあたりについては、吉田氏自身、時と場所が異なる事件を出版社の要請に応じて一つにまとめるなどの改変を行っていることを認めているんですから、矛盾がどうのと言ってみても無意味では。

繰り返しになりますが、こういう矛盾の有無の検証とか、現地調査との突き合わせとかは、吉田氏が自分の体験を(時と場所の特定を含めて)正確に話してくれない限りできないのであって、だから吉田証言は現状のままでは証言としては使えず、無価値であると言っているんですよ。


それで、「吉田証言は「時」と「場所」という証言として最も重要なポイントが改変されている」ということは、「吉田証言」は紛れもない「嘘」ではないですか。「改変」でしょう。記憶が曖昧なのではなく、そこに意図が働いているわけですから、「嘘つき」ということではないですか。


________

あれ?

N.Mさんが言う「嘘」って、吉田氏が証言中の「時」とか「場所」を偽っている、などというレベルのことだったんですか?


私はてっきり吉田氏が実行したという「慰安婦狩り」そのものが事実無根の真っ赤な嘘だとおっしゃっているんだと思ってたんですが。

N.Mさんの言う「嘘」がその程度のものなら、この件に関して私とN.Mさんの間に意見の相違はないことになってしまうんですが、そうなんですか?


では、なぜ「吉田証言」が「クマラスワミ報告書」に取り上げられたのでしょう。無価値で真偽も不明で、まともな学者は誰も相手にしていないのでしょう。どうして取り上げられたのですか?


_________

まともな研究者は「相手にしていない」のではなくて、重要視していない、のです。吉見氏らは、別に吉田証言を嘘だと決め付けたりしているわけではありません。例えば、上杉聰氏は次のように述べています:

吉田証言は根拠のない嘘とは言えないものの、「時と場所」という歴史 にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない というのが私の結論であるし、吉見教授も同意見と思われる。 …

多くの研究者の関心は、吉田批判がなされた当時すでに同氏の証言の真偽へ向いてはいなかった。むしろ「強制」の内容の方に関心が集中していたのである。次々と被害者が名乗り出ていたことで、統計的な処理も可能となり始めており、暴力的な連行そのものは限られたものであることが判明していたからである。

吉見氏の意見は次のとおりです:

証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦「徴用」にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。

しかし、だからといって、朝鮮では強制連行がなかったといえないことは1でのべた。また、戦争末期に済州島を含む朝鮮で、どのような徴募が行われたかという実態究明は、今後の課題として残っている。


[1] 吉見義明・川田文子編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』 大月書店 p.15
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm#fj971027

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4.吉田清治を詐欺師だと断じた なんちゃって教授 秦郁彦の証拠捏造の手口

産経グループのプロパガンダには、「嘘も百回つけば真実に成る」式の、学問的裏付のない特定の“似非事実”をたらい回ししながら既成事実化し、社会に拡散させていく特定のパターンがある。

古森氏は、「『吉田証言』は歴史家の秦郁彦氏らの調査などで虚構だったことが立証された」とするが、真っ赤な嘘である。

 韓国語も理解できない秦氏の「現地調査」は学術的調査とは程遠いもので、一個人の独断の域を出るものではない。 従軍慰安婦の存在を証明する資料は少なくないが、その中でも、吉田証言が旧日本軍人として従軍慰安婦について明らかにした貴重な資料であることは現在も変わらない。

 産経新聞などの常連寄稿家である秦郁彦氏は、河野談話が出される前の1992年3月29日に済州島に渡り、吉田証言を「実地検証」をしたという。  しかし、その内容たるや、康大元なる「海女研究家」を通訳に立て、「城山浦の老人クラブ、貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話し合って、吉田証言が虚構らしいことを確認」という程度のことでしかない。

 「実地検証」と言うにはあまりにお粗末な代物だが、敵意や憎悪を煽って矛先を変えるプロパガンダの要諦だけは心得ているようだ。ろくな調査もせず、人の話をだしにしながら吉田氏を「詐欺師」扱いする傲慢無礼な論法は、学者らしからぬ。曲学阿世の輩、というべきであろう。  

案の定、秦氏は学会などで「秦氏の乱暴な引用の仕方が史実を歪曲している」 としばしば批判されている。

「現地調査」とは名ばかりの粗悪品が「立証」などともてはやされるのは、右派保守陣営のニーズに合致したからで、実際、秦氏は復古主義者のデマゴーグとしての役割を担ってきた。  吉田氏のような良心に基づく内部告発者を「詐欺師」と罵倒し、被害者である従軍慰安婦の声をことさら無視するのは、その姿勢が、加害者である旧日本軍の側に偏っているからではないか。

http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html


Stiffmuscle 2007/08/03 23:11

『 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。

 公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。(232ページ)』

この後、新聞記事の話になります。調査ってこれだけ?ってことでしょうね・・・


Stiffmuscle 2007/08/03 23:29

秦先生は吉田氏と直接会ったことはなかったみたいです。長時間の電話インタビュー(秦の言)を1992年に2回、1996年、1997年と1998年にそれぞれ1回、計5回行ったのがコンタクトの全てのようです。


秦氏は吉田氏と直接面会したことはなく、電話で5度インタビュー(吉田証言否定までには2度のみ)しただけ。

1992年 3月13日
1992年 3月16日
1996年 3月27日
1997年 4月 6日
1998年 9月 2日

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判 林博史


 引用の恣意性もひどい。西野瑠美子氏が下関の元警察官に聞き取りをし、済州島での慰安婦の狩り出しについて

「『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」(二四二頁)

と元警察官がはっきりと否定したかのように書いている。


 この聞き取りには私も同席していたが、西野氏の本ではその引用された言葉の後に

「しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」

と続いている。証言者は、自分は知らないが管轄が違うから断定できないと謙虚に話しているのだ。ところが秦氏は後半をカットすることによってまったく違った結論に導こうとする。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 (著) の書評


反論の為の内容のない本, 2007/5/11 By アマゾン太郎 "慰安婦の本はかなり読んだが"

慰安婦について吉見義明と違う見方を示すある意味貴重な本だが、内容はどうだろうか?

著者の関心は慰安婦自体にはなく、吉見義明への反論にしかないように見える。

この本自体では慰安婦がどういう生活をしていたか、慰安所という仕組みがどのように作られたか全く見えてこない。結局この本の価値は最後の7つの論争点にしかないように思う、しかしそれも2007年の今となっては産経新聞などで聞き飽きたものであり、時間が経つにつれ内容の貧困さが顕わになってきたように感じられる。

また反論を提起するそうした内容自体についても憶測、伝聞などはっきりしない書き方が多くて、そもそもこれが研究と言えるのか?という感じが否めない。これは私1人の感想ではなく例えば刑法学者の前田朗は戦争責任研究という雑誌で同じ事を書いていることである。

いわゆる自由主義史観論者の中でただ1人研究者として慰安婦について本を書いた訳だが、秦氏は慰安婦がどの位行動の自由があったか、いくら収入があったか示せず具体的に示せず、その力の限界を露呈したように感じた。

期待はずれ、やや力不足なり, 2007/5/16 By 相田祐治

日米開戦や蘆溝橋事件などの緻密な研究を予想したが、期待はずれだった。 文献引用は多いが実際の調査に基づくものではなく、資料研究の域を出ていない。

肝心の慰安婦の生態についても同様で、あまり細かい説明はなく、なにか読み物(小説)のような感じを受ける。この感覚は千田夏光などの1970年代の本と同様であり内容自体も同じとも言える。

秦氏が力を入れているのは、国連の報告書の批判や、吉田清治の嘘の告発、他国の似た制度の話だが、現在では強制連行があったか否か・性奴隷なのか売春婦なのかが焦点となっておりこの点でも期待はずれだった。

元兵士などへのインタビューなどもあるが決定打に欠け結局結論が出ず終いである。やはり秦氏には慰安婦はやや専門外だったという印象だ。

なぜ兵士の証言は採用するのか?, 2007/5/23 By Salute

今や右派雑誌?「諸君!」の常連執筆者となり完全に自自由主義史観論者となってしまった歴史家の過去の著作。

この当時はまだ現在のような詭弁的な論は立てておらず、この本は慰安婦についてある見方に立ってかなり網羅的に書かれている。しかし時期が古いためか、著者としても自信がないためか、強制連行はあったのか?証言は信用できるのか?など疑問点についてきちんと答えておらず曖昧な印象を受ける。

秦氏は証拠資料の調査に基づくいわゆる実証主義の歴史家(証拠のある歴史)と言われ、この本でもそれが期待されるが、慰安婦関係の多くの政府・軍資料の検討・批判はなぜか行われていない。また秦氏がいう所の民間業者が軍相手に抱えている慰安婦の存在に関する一次資料は、まったく登場せず、この点では残念ながら実証主義とは言えない。

代わって秦氏が採用したのは、当時の兵士の体験・証言であり、それまでの秦氏ならば採用しない口伝に基づいた慰安婦の歴史が記されるのは驚きだ。なぜなら、秦氏は一方では元慰安婦の証言を、様々理由で怪しいとしており、元兵士の証言は信用するが、元慰安婦の証言は信用しないというダブルスタンダードが採用されているからだ。

この点に気付くとこの本の信頼性には首をひねらざるを得ない。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4106005654/ref=cm_cr_dp_synop?ie=UTF8&showViewpoints=0&sortBy=bySubmissionDateDescending#R12IQG6AAM6LVW

『済州島新聞の吉田清治記事』


秦郁彦著 『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)232〜233ページより引用

1989年に吉田〔清治〕著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。1989年8月14日付の記事の邦訳は次の通りだ。


 『開放解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏づけの証言がなく、波紋をひろげている。(ついで吉田著の概容を紹介)

 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏づけ証言する人はほとんどいない。

 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

 郷土史家の金奉玉(キムポンオク)は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している」』


秦先生の翻訳と重なる部分(akiraさんによる記事の全訳より)


 『解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。

 しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........

 ....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。


 城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。

 郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)』


産経の阿比留記者が引用した翻訳

で、「日韓誤解の深淵」には、この吉田氏の本の韓国語訳が出版された際の地元紙、「済州新聞」(1989年8月14日付)の記事が西岡氏によって日本語訳されたものが載っています。それは次のような内容でした。


 《解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。(略)しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強い疑問を投げかけている。

 城山里の住民のちょん・たんさん(85歳の女性)は「そんなことはなかった。250余の家しかないこの村で、15人も徴用したすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。

 郷土史学者の金奉玉氏は「(略)83年に原本(私の戦争犯罪…)が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われる」と憤慨した。》

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/200707

週刊新潮 1995年1月5日号の秦先生の言

「済州島での実地検証の結果は、吉田証言を裏付ける話は何一つ出てこないだけでなく、郷土史家の金奉玉氏は、吉田本の翻訳が出た後、何年も追跡調査をした結果、”そんな事実はなかった”と断定し、”あの本は日本の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物”とこき下ろしている。」(秦郁彦氏)


(WiLL 8月増刊号『「従軍慰安婦」と断固、戦う!』(2007年、ワック・マガジンズ、122ページ)


編集者の二重引用符のつけ方が悪いのかもしれないが(なぜ””なのかも理解できない)、秦先生自身が微妙に言を変えているのが気になる。他の記事での発言はどうなっているのだろう?元慰安婦の証言を「身の上話」としてわずかな表現の食い違いを指摘して、慰安婦の証言に疑問を投げかけてきた先生だけに、自分の言にも常に寸分違わぬほどの正確さを求めないと、ダブル・スタンダードですし、そんなお粗末なことをおやりになるはずないのに不思議です。


hangulさんからのご指摘

第3段落の後半部、「城山浦の住民のチョン・オクチョン(85歳の女性)」については細かいですが「城山里の住民チョン・オクダンさん(85歳)」が正しいです。

この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。

「事実無根の部分もあった」 → 「事実でないと発見した」(秦氏)。

この論法、もううんざり…


yamaki622 2007/08/02 10:29

済州新聞の日本語訳の元ネタは、西岡力の著書『日韓誤解の深淵』(1992年)のようです↓

http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20070324/


ただし西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。西岡氏も秦センセイと同様、慰安婦の強制性否定論者です。秦センセイは、お仲間の著書から引用を改ざんして載せたようです。無茶苦茶ですね。


阿比留記事を紹介してくださったyamaki622さんからのご指摘

西岡氏も、hangulさんやakiraさんと同じく「事実無根の部分もあった」と訳しています。


わたしが疑問に思ったこと。

金学順さんが名乗り出られた1991年以前に書かれた記事(1983年)であること。

慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。

こういう肝心な部分は引用しないのは何故でしょうか?

ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。

新聞記事の切れた部分には何が書いてあったのか?


akira 2007/07/31 12:14

(新聞の全訳)(左から1列目)

 日帝済州で慰安婦205人徴発していた。

 日本人手記「私は朝鮮の人をこのように...」波紋

 解放44周年をむかえて、日帝時代に済州道の女性を慰安婦として205人を徴用して行ったという記録が出てきて、大きい衝撃を投げかけているが、後押し証言がなくて、波紋を投げかけている。

 42年から敗戦する時まで約3年の間山口懸労務報国会の動員部長として朝鮮の人々を徴用することに従事した吉田清治氏の戦争犯罪記録”私は朝鮮の人をこのように捕まえて行った”がそれで清渓研究所現代史研究室により83年版を翻訳発刊したこと。

 ここには「光州での男性強制連行」と「済州道での慰安婦狩り」に対してついて引っ張って行った当時を記述している。
 この記録によれば

△皇軍慰問朝鮮人女挺身隊200人
△年齢! 18才以上30才未満
△身体健康な者
△期間1年
△給与月30円
△準備金で前金20円
△勤務地中支方面
△動員地域朝鮮全羅南道済州.....


(真ん中の見出し)
 住民たち”ねつ造”... 日本 破廉恥 商業主義に憤慨
 著者は当時山口県労務報国会動員部長.
 ”城山浦ボタン工場・オンポ・ポブァン里などで強制徴用”主張...

(左から2列の下段)
 女たちをみんな捕まえてのせて、車の速力を高めてそこを離れた。高い岩山の間を貫かれた道を帰るやピヤン島が見えた。広い海には帆船らがじょじょに浮かんでいたし水平線はとぎれとぎれに.......

(左から3列目)
 ...を迎えながら組合長だと挨拶した。私は直ちに組合長に口頭で通告した。この工場で二十歳ぐらいになる女たちを徴用する、直ちに工場中を見て回れ、女たちも協力しろ!” (済州道での慰安婦狩り”一部).

 わいせつで排他的な表現までそのまま使ったのだ。

 ところで朝鮮人らを徴用したことに関する公式記事や関係文書は敗戦直後内務次官の通告により全国道・富・県知事の緊急命令書が各警察署場らに発送されて完全廃棄処分された。

 しかしこの本の記録による城山浦ボタン工場で15〜16人を強制徴発した記録らでも..........


(左から4列目)

 ....信憑性に対する疑問をより一層投げかける。

 城山里の住民丁玉丹氏(85)は「そうしたことはない。250人余家しかならない村で15人も徴用されたなら、どんなにか大きな事件なのに... 当時そんなことはなかった」と言い切った。

 郷土史学者金鳳玉氏は「日本人たちの残酷性と没良心的な一面をそのまま表わしたものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない話をそのまま書いたことで、本という名前をつけることもできない。83年原本が出てきた時、数年の間追跡した結果、事実無根の部分もあった。むしろ彼らの邪悪な面を表わした道徳性が欠如した本で、軽薄な商業主義な面が追加されたものだと見なせる」と憤慨した。 (許栄善記者)

※だいたいこんな感じの記事です。


コメント一覧

hangul 2007/07/31 00:56

第2段落と第3段落の前半は記事の下の部分が切れているので判読できません。

最終段落について郷土史学者のコメントをすべて示すとこうです。

「日本人たちの残酷性や没良心的な一面をそのまま現したものだ。とても恥ずかしくて口にすることもできない言葉をそのまま書いたという意味で(この吉田の本に:hangul注)本という名前を付けることもできない。83年の原本が出た時、何年か追跡した結果、事実無根の部分も(!:hangul注)あった。むしろ、彼らのあくどい面を現した道徳性が欠如した本として、薄っぺらい記述がある面も加味して見る」と憤慨した。

この郷土史家氏は捏造についてではなく、日本人たちの犯した行為のあくどさに「憤慨」していると読み取れます。
さしあたってこんなところでしょうか。


hangul 2007/07/31 01:07

分かりにくかったかもしれないので補足を。


・「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」(秦氏)。

この論法、もううんざり…


・こりゃ歴史学者失格でしょう

akira 2007/07/31 08:59

しかし、「事実無根の部分もあった」→「事実でないと発見した」はひどいですね。

Stiffmuscle 2007/07/31 09:04

やっぱり捏造やトンデモ解釈があったんですね。

もう陰謀論者じゃないですか、吉田清治さんひとりを社会的に葬り去っただけでなく、嘘の歴史を作り上げ、多くの日本人を騙し、慰安婦たちの苦しみを増やした。

2,3段落も、わざと切り取ったんじゃないか?と邪推さえしたくなります。

hokke-ookami 2007/08/01 07:58

「事実無根の“部分”もあった」というのが郷土史家の意見ならば、吉田証言には出版時の編集が入っているという吉見教授らの指摘と同じで、妥当ですね。

そもそも吉田証言は従軍慰安婦問題と全く別個に出版された個人的な戦記であり、出版社から内容に編集を加えるよう意見があったと本人が証言しており、「軽薄な商売的な面が追加されたものと見る」といった部分も当を得ていると思います。

http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm


日本歴史学で主流の見方と同じような韓国郷土史家の意見に対し、翻訳時に秦教授の考えと合うようにずらしていった感じですね。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:10

しかし、肝心な部分を捏造して、自論を補強するのは、秦先生の常套手段です。ほんとに悪質。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:15

hangulさんが具体的に問題点を指摘してくださったので、この新聞記事に関する秦捏造の本質がよく見えてきました。金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思います。

Stiffmuscle 2007/08/02 15:32

西岡ネタの改竄ですかw しかも、真相を載せたのがアヒルさんってのも素敵w


Stiffmuscle 2007/08/03 21:14

秦氏が後に吉田氏に電話で確認したところ、慰安婦の強制連行は

「済州島ではなく、全羅南道でのできごとだった。」

と吉田氏は話したそうですが、この真偽は秦氏に直接訊かない限りわかりません。どちらにしても、それについて秦氏は調査をしていないわけで、どのみち、都合のよいところ取りを重ねただけの結果になりますので、最近では、この話自体を秦氏が持ち出していないようです。

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2


yamaki622 2007/08/02 17:39

「秦郁彦の研究により吉田証言は虚偽と証明された」というのが”通説”になってますから、Stiffmuscleさんに問題提起していただいてなければ、まったく気づかないところでした。

それから、hokke-ookamiさんやStiffmuscleさんも言及なさっている件で、私もこの問題に詳しくない方のために書いておきたいのですが、吉見義明教授は「吉田さんのこの回想は証言としては使えない」としながらも「真偽は不明」としています。秦氏のように虚偽だとは言っていません。詳しくは

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-yoshida.htm

をご覧ください。


hangul 2007/08/02 18:02

Stiffmuscleさん
>金学順さんが名乗り出られた1991年以前の記事であることに留意する必要もあると思>います

この指摘は重要だと思います。名乗り出ることの勇気をふまえて、この記事は解釈されるべきでしょう。

否定派がよく言うように、85歳の女性の証言だけでなくその背景を押さえることが大切だと思います。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

のサイトに、「現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、

「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」

と聞かれ、答えに窮したという」とあったのですが、これが本当だとしたらもう訳が分からなくなってきます。

何重の嘘を重ねているのでしょうか、秦先生は?

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2

秦郁彦のいい加減な検証では吉田証言を否定する根拠にはならない。
韓国語も知らないで無謀にも現地調査に行った秦は、通訳にだまされたのかもしれない。

2007/5/22(火) 午後 11:39 [ furuhausu66 ]


秦郁彦氏の「済州島調査」には非情に大きな疑義を抱かざるを得ません。


・『済州島新聞』記事にたいする秦氏の翻訳の決定的な間違い。

・新聞記事は金学順さんが韓国人元慰安婦として初めて勇気ある名乗りをされた以前のものであること。

などを見出しており、なお研究中です。

2007/8/4(土) 午後 11:37 [ Stiffmuscle ]


秦郁彦氏の「済州島調査」は、極めて粗雑なものです。韓国語を解さない資質上の問題、慰安婦が白眼視された社会状況無視、さらに、先に結論ありきの論理構成など学術的な調査とは程遠いものです。

その後の彼の、特定の保守系紙と結びついたデマゴーグ的立場は偶然ではないでしょう。吉田証言は、貴重な内部告発として再評価に値すると思います。

2007/8/6(月) 午後 9:07
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/18007158.html

▲△▽▼

秦郁彦氏を語るスレ


(秦郁彦 基本情報1

秦郁彦が前からひどい文献引用をしているのは知っていたが、どうやら

===(文献捏造>までしていたらしい====

http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070817/p1

ここでは、秦郁彦が慰安婦は志願だったと主張した根拠となる文献を、その保存もと
ワシントンのNARA(米国国立公文書館:National Archives and Records Administration)にメールで問い合わせたら、「そんな文書はない」、という返事かきたそうだ。

これだけだと、些細な文献名の間違いとか想像するが、何せ秦郁彦にはこうした前科がいっぱいあるそうだ。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

こりゃあ、秦郁彦ももはや、学者の看板を下ろして、ただの宣伝屋と呼ぶべきだな。


(秦郁彦 基本情報2
NARAからのメールは私が保管しています。
秦先生か、「史実を世界に発信する会」が、公開してくだされば問題はないのです。
さらに公開されたタイトルや内容については、NARAにフィードバックします。

"Composite Report on Three Korean Civilians, List No. 78, dated 28 March 1945,
“Special Question on Koreans"は強制連行を否定する根拠のひとつとして提示されており、
NARAから”We were unable to locate the report among the records in our custody.”
なんて言われて何らかのリアクションを起こさなければ、『慰安婦と戦場の性』の学術書としての信頼度はほぼなくなります。また、強制連行を否定すること自体も困難になります。
「例の文書出せよ!」って言われたら反論できませんから。

誰かを嘘つきと一方的に疑うまえに、議論に参加するものすべてが、この文書の公開を求めるべきだと考えます。サヨク・ウヨクの問題ではありません。


(秦郁彦 基本情報5

ひどいね秦の書かれよう。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper44.htm

ここまで具体的に批判されて反論をしていないということは認めたということだろうな。
しかも書かれたのは8年前。

秦はよほど研究者として程度が低いか
あるいは誰かのために事実をねじ曲げてるか、どっちかじゃないのか
と思ってしまうな。


(秦郁彦 基本情報6
667 :Stiffmuscle:2007/08/24(金) 01:37:57 ID:xvkBLfWa0

わたしも専門家ではありませんが、米国立公文書館は一素人の外国人からのメールに真摯に対応してくれました。同じような対応を秦先生や加瀬さんに求めているわけです。
この件に関しては、まだ、秦先生や加瀬さんを批判する段階にはありません。


>我々のような匿名世界の人間が研究者を振り回すのはどうかと思うが、どうだろう?
素人に振り回される研究者ってのもの変な存在ですけどね。
秦先生に学者としての実績がありプライドがあるのは当たり前なので、そこらへんは勘案しているつもりです。

それから、この文書確認は、基本的には、吉見先生や林先生が直接関わるレベルの問題ではないと思います。専門家のアドバイスを受けながらNGOレベルで対応できる範疇でしょうね。


>専門家と相談した結果を、ココや「はてな」で発表してくれたら有難い

そうですね。専門家やNPOともコンタクトを取り始めていますので、時間はかかるかもしれませんが、それなりの結果が発表できるように努力したいと思います。

9 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 13:50:52  ID:iK/V6be00(13)
(前スレ 注目発言1
>720
>「間違いが多い」云々は、どの学者だって論敵からは言われてる

バカを言っちゃいけない、秦郁彦のしていることは「間違い」ではない!

林博史の書いていることを読めば、それは「意図的な歪曲」である事はすぐわかる

そして間違いなら、指摘されれば筆者は修正するだろう、秦郁彦はしてない

これを知れば秦郁彦のしていることは「もはや学者とは言えない」という表現が判ってくる
つまり彼は学者で、事実はこうだ!と書く振りをしながら、政治的主張をしているにすぎない

===>だから歴史学者は誰も相手をしなくなったわけだ
    未だに、学者扱いするのは2chのバカだけ

10 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 13:52:26  ID:iK/V6be00

(前スレ 注目発言

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:39:52 ID:NJllLgkS0
>732
>秦郁彦ももはや、学者の看板を下ろして、ただの宣伝屋と呼ぶべきだな。

どうやら秦郁彦が嘘つきなのは、確かなようだね。
この話には続きがあり、史実を世界に発信する会に電話したら、なんと茂木弘道がでてきて、結局その文献はなかった、という話だよ。
http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070831

いやあ、面白いねえ。

秦郁彦が、証拠を捏造したのは、きまりのようだな。


11名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 13:53:34  ID:iK/
(前スレ 注目発言
>735
>秦がつぶれない、って言うことは批判自体がたいしたことない

つぶれる?ってどういう事かよくわからないが、秦がまだ雑誌などに書ける理由は下記だろう

1秦郁彦は文献捏造や、恣意的引用による、文脈捏造では、まるまる嘘をつかず、ミスのように見えるよう少しずつやっている。だから批判する側もバカバカしくてなかなかやらない

2秦郁彦は著書では、実は大したことは書いていない。「そうみえる」「こういう例もある」程度あり、におわす程度だ。しかし2chなどネット上の無知な、バカは、もろ「こういった」と感じて、引用し書き散らす。秦郁彦は狡猾だ

3 2chのバカには意外かも知れないが秦郁彦は正面から吉見義明の本を、批判したことはない。
 かれの慰安婦での主張は結局、「強制連行の証拠はない」以上のものではない だから吉見の側でもまともに取り上げにくい

2chのバカにも分かり易く書くのは難しいなあ

13 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 14:00:52  ID:iK/V6be00(13)

(秦郁彦 基本情報8
学術研究書としては研究者が叙述した資料集、回顧録、口述歴史等の資料を性別、民族別に分類し、歴史教育、歴史認識、基本的人権、帝国主義などいった幅広い観点から分析、考察を行った研究成果がある。主な作品を以下にあげる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E7%A7%A6%E9...#.E3.80.8C.E6.89.B9.E5.88.A4.E3.80.8D.E3.81.AE.E8.A8.98.E8.BF.B0.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6

1倉橋正直、従軍慰安婦問題の歴史的研究
2川田文子、戦争と性
3吉見義明、従軍慰安婦
4吉見義明・林博史、共同研究・日本軍慰安婦
5ジョージ・ヒックス、性の奴隷従軍慰安婦
6金冨子・梁澄子他、もっと知りたい「慰安婦」問題
7鈴木裕子、「慰安婦」問題と戦後責任
8荒井信一、西野瑠美子・前田朗、従軍慰安婦と歴史認識
9鈴木裕子、戦争責任とジェンダー
10前田朗、戦争犯罪と人権
11日本戦争責任センター編、シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題
12蘇智良、慰安婦研究
13蘇智良・栄維木・陳麗菲編、滔天罪藝二戦時期的日軍”慰安婦”制度
14VAWW-NETジャパン他、「慰安婦」戦時性暴力の実態1−朝鮮・台湾・日本編
15VAWW-NETジャパン他、「慰安婦」戦時性暴力の実態2−中国・東南アジア・太平洋編
16尹明淑、日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦

以上の学術研究書の共通点として、・・・・
ケケケ、15冊も本をあげても取り上げて貰えない秦郁彦、哀れ


ウィキペデアにも書いてある
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6...

従軍慰安婦に関する秦の説はその他の研究者からほとんど参照されておらず、内容が参考にすべきものと評価されているとは言い難い。(例えば朱徳蘭はその台湾の慰安婦に関する研究書「台湾総督府と慰安婦」(明石書店 2005)で 、今までの研究結果として多くの研究書を列記しているが秦の本はない。また吉見義明は「日本軍性奴隷(「従軍慰安婦」)制度研究の現段階」(戦争責任研究 (38) 2002年冬季)で12年間の研究を振り返っているが秦への言及はない)
更に、方法論的な疑義を示す論者が存在する。

・・・・要は秦郁彦の「慰安婦と戦場の性」は、世間では馬鹿が読んでいるが、研究者にはまったく相手にされていないという事らしい


14 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/11/04 14:03:59  ID:iK/V6be00(13)
(前スレ 注目発言

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 01:38:01 ID:BnrQBANV0
嘘つきの秦も、集団自決では大風呂敷は、広げられなかったようだね、せいぜい情けがどうのと言い訳する程度。

秦郁彦はもちろん、沖縄戦の専門家ではない、もし教科書審議会がもう一度開かれても呼ばれる可能性はまずない、。従って、秦がどんな嘘をつこうと、教科書には関係ない
http://desktop2ch.tv/history2/1194023393/
 

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コメント
1. 中川隆[-11864] koaQ7Jey 2019年2月23日 20:55:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[113] 報告

ビルマ米軍尋問調書を巡る秦郁彦氏のデタラメ(1)慰安婦高収入説
By satophone, on 2017年7月16日
http://satophone.wpblog.jp/?p=6780


アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号

最近は「米軍の尋問調書」でネット検索すれば、テニアン島での「リー・パクド」の「証言」(→『テニアン島で米軍捕虜となった朝鮮人男性の証言(幻のリー・パクド)』)がヒットするようになったのだが、ここで取り上げるのは、例のビルマのキタムラの尋問調書の話題である。


☆「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号」
☆「連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号」


一般に、上記の二つが、分けられずに一つの文書として論じられることも多いのだが、キタムラの尋問調書と言う場合、正確には前者(アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号)を指す。後者(連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号)は、前者と矛盾するようなことが書かれている箇所もあるので、いつかキチンと整理して説明することとしたいのだが、とりあえず、この記事中では主として「尋問調書」の方を取り上げる。


大月書店(1992)

前者の邦訳は、ネットにいろいろと落ちているのだが、今回は吉見義明氏の「従軍慰安婦資料集(1992)」中に収録されている、吉見氏による邦訳が出典である、と明記しているサイトにリンクを貼った。ただし、正確な引用かどうかは調べていないので、参考程度と思って頂きたい。→【邦訳】アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号

秦郁彦氏は、これらのビルマの米軍尋問調書に関連して、以下のようなことを書いている。マジメに反論する気もおきないデタラメと言ってしまえばそれまでなのだが、放置しておくとまた、朝日新聞「誤報」騒動のようなことが起こりかねない。引用にあたっては、林俊嶺氏の「真実を知りたい-NO2」 『「従軍慰安婦」問題 秦郁彦教授の論述に対する疑問』からコピペさせていただいた。一応、関連部分をまとめて引用するが、いつもの秦先生の政治講談で、だいたい分かっていると言う方は、もちろん、読み飛ばしてもらって結構である。

同じく、「真実を知りたい-NO2」の『「日本人捕虜尋問報告 第49号」の資料的価値が高い?』には、尋問の際に朝鮮語ができる人間がいなかったことなど、的確な指摘がなされているので、合わせて参照して頂きたい。


「壮大な茶番劇」としての慰安婦論争

「奴隷」を安直に使うな

文部省食堂論で、ウェイトレスの労働条件に言及したが、それは吉見氏の言う「軍用性奴隷」なる定義と関わってくる。

くり返すようになるが、彼女たちの労働条件は、当時は合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった。吉見氏は国内の公娼制も「事実上の性奴隷制度だった」(41ページ)と書いているから、必ずしも慰安婦=公娼論に異議を唱えているわけではなさそうだ。

しかし「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」などの諸点で保護条件が劣悪だったと強調している。同じ「奴隷」でも国内の公娼なら国の法的責任は問えないが、慰安婦は条件がより過酷だったから責任が生じるとの主張かともとれる。

だが、彼女たちを、一律に「性奴隷」ときめつけるのは失礼ではあるまいか。最近では欧米ばかりでなくわが国でも、売春婦は数ある職業の一種として認知される傾向があり、「オカネがたまったら普通の結婚をして……」と語るソープランドや援助交際の女性も出てきた。フェミニストたちが主張するコンプレックスやトラウマの後遺症は薄らいでいるようだ。

それはさておき、吉見氏が言うほど慰安婦たちの生活は悲惨だったのだろうか。

米戦時情報局心理作戦班が1944年夏、北ビルマのミチナで逃げおくれて捕虜になった20人の朝鮮人慰安婦と日本人の業者夫婦に尋問した記録がある。珍しいケースだったので、尋問は微に入り細にわたり、米本国の陸軍省などで争って廻し読みされたという。

第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く、吉見編『従軍慰安婦資料集』(1992)に、439ページから464ページまで26ページを使って全訳が掲載されているのも、それゆえであろうが、彼女たちが前線にしては優雅とも見える生活に満足していたようすが窺える。

将軍よりも多い高収入で、前借金を1年間で返済して帰国した者もいたし、現在の物価に換算して一千万円以上の大金を家族に送金したり、休日には町へ買い物に出かけたりもしている。「接客を断る権利」も認められていた。

先に吉見氏が挙げた3つの自由はすべて満たされていて、条件は国内の公娼となんら変わらない。ところが吉見論文は、「都会以外での外出は許されず。都会での外出は許可制」だったとか、この米軍記録を「尋問担当者たちの奴隷状態をつかめなかったことを示すもの」(41ページ)と強弁する。都合の悪い資料は受けつけないか、曲解する手法と言われても、しかたがないだろう。

出典:「壮大な茶番劇」としての慰安婦論争/秦郁彦 『現代史の争点/文春文庫(2001)』所収

論文の初出は、原題「<反論>従軍慰安婦問題で国の法的責任は問えない」「世界」97年5月号で、文中で言及されている、吉見氏の論文は、「世界」97年3月号に掲載された、「歴史資料をどう読むか」である。


私は秦氏のこの文章を読んだのは、発表されてしばらく経ってからなのだが、秦先生、こんなこと書いてたんだと意外に思った。この例は言うまでもなく、日本軍が組織的に女性たちを騙して、集団で南方に慰安婦として「連行」した例だからである。書いてあることが、一言一句正しいとしたら、どう考えても軍の責任は重大である。

女性たちが、他の地域と比較して、「一時的」にでも「贅沢とも言える」生活ができたとして、強制売春の「稼ぎ」の十分の一でもキチンと払われば、その程度の暮らしはできるのだ。理論上の「稼ぎ」が多いのは、信じられない過酷な強制売春の代価だからである。しかもビルマの占領初期は、英軍の物資を分捕ったおかげで、モノがあふれる状態にあった。そのオコボレが彼女たちにも回ってきたと言うことである。


大月書店(1997)

秦氏は、「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」の3つの自由が満たされていたと言うが、すべてにおいて、内地や朝鮮の「公娼」よりも「慰安婦」が置かれた状態が劣悪だったことを、吉見氏はこの秦氏の論文が単行本に収録される前に、キチンと論証している。あえて秦氏が紹介しないだけである。

例えば、吉見氏は軍慰安所での「廃業の自由」に関して、前借を「体を売って稼いだカネ」でしか充当できないと言う、「公娼」はおろか「私娼」でもあり得ない原則が漢口の積慶里慰安所にはあったと言う、「武漢兵站」の著者である山田清吉氏の証言に早くから注目している。私は、山田清吉氏の本を読んでいて、この記述を見つけた時、「うーん、新事実なのではないか」とビックリしたものなのだが、吉見氏によって、とっくに指摘されていたことを知って、さすがだなと思った。

「相手を拒否する自由」というのは、「慰安婦は、接客を断る権利を認められていた。接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。」という箇所を指しているのだろう。「調査報告第120号」の方では、憲兵が酔っ払いをつまみ出したと言う話も出てくるので、この種のハナシなのだろうが、遊廓のヤクザまがいの用心棒の役回りを、慰安所で憲兵が勤めていたと言う話に過ぎない。

また、「尋問調書」の本文と照会すれば、「現在の物価に換算して一千万円以上の大金を家族に送金したり」ということが、どこにも書かれていないことが分かるだろう。おそらくこれは、同じビルマ(ミッチーナではない)で「慰安婦」をさせられていた文玉珠さんの証言を意図的に混入させているのである。「彼女たちが前線にしては優雅とも見える生活に満足していたようすが窺える」ことを示す記述も見当たらない。しかも、「尋問調書」には、彼女たちが、騙されて連れて来られたと言うことが明記されていることを、完全に秦氏は無視している。つまり、これだけの短い記述の中に、デタラメが腐るほどあるのだ。

「尋問調書」を信用する限り「慰安婦」女性達は一月足らずで「前借金」を返済できたことになる

ただ、今回は数々の氏のデタラメにはあえて目をつぶり、秦氏が吉見氏を批判して言う「都合の悪い資料は受けつけないか、曲解する手法と言われても、しかたがないだろう。」と言う部分について論じたい。吉見氏は、別に資料中で言及されている、軍の慰安所のシステムの客観的記述について、事実ではないと批判しているわけではない。よくネット右翼の諸氏が、『「従軍売春婦」にほかならない』と言う記述を取り上げてハシャいでいるように、「職業的売春婦」に対する偏見が、「尋問調書」中に見られるのは周知のことで、吉見氏はそれについては、批判的であると言うだけの話である。

私ももちろん吉見氏の意見に賛成で、「客観的記述」とされる部分についても、検証が必要な箇所が相当あると思うのだが、秦氏がそれほど「客観性」に信頼を置くのならば、客観的資料として使える部分、つまり資料中で述べられている、軍の慰安所システムに関する客観的記述だけで、どのようなことが分かるか、改めて検証してみようと言う気になった。

結論から言うと、「尋問調書」の中の客観的記述から分かる、動かしがたい事実は二つである。一つは、「慰安婦女性」達が、とんでもない数の兵士の相手をさせられていたこと、もう一つは、「尋問調書」に書かれている「慰安婦」女性達は、ビルマにたどり着いて、1月程度で前借金を返せたと言うことである。

その反面、「慰安婦」女性たちが、とんでもない過酷な強制売春の代価という前提ではあるが、秦氏が言うように、ビルマで「前線にしては優雅とも見える生活」を送れたかと言うと、「尋問調書」の記述からはなんとも言い難い。

慰安所経営者の元には、内地の遊廓と慰安所では、客の数がケタ違いなので、バカバカとカネ(軍票だが)が入ってくる。20人の「慰安婦」女性と経営者の取り分は折半なので、「尋問調書」で証言をしているキタムラは毎月、将軍の月給の20倍稼いでいたことになるわけだ。女性達にカネがキチンと支払われたかというのは、軍の慰安所のシステムの問題ではなく、楼主であったキタムラ個人の性格の問題なのである。キタムラが慰安所の楼主として、例外的に良心的な人間であったとして(もともと食堂の経営者である)「慰安婦」の調達に伴う資金繰り(おそらくは借金)に苦しんでいたら、「慰安婦」に払うカネはとどこおるだろう。調書単独では、キタムラがどれだけの悪人であったのか、軍に利用されただけの人間であったのかは分からないのであるが、これに関しては、続きの記事で言及する予定である。

実際に「尋問調書」の、「徴集」及び「報酬及び生活状態」の部分を、以下に引用する。念のために、原文も転載した。


RECRUITING;

Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for “comfort service” in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia. The nature of this “service” was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore. On the basis of these false representations many girls enlisted for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.

The majority of the girls were ignorant and uneducated, although a few had been connected with “oldest profession on earth” before. The contract they signed bound them to Army regulations and to war for the “house master ” for a period of from six months to a year depending on the family debt for which they were advanced …

—–

徴集

 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地——シンガポール——における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。

 これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。


PAY AND LIVING CONDITIONS;

The “house master” received fifty to sixty per cent of the girls’ gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the “master”. Many “masters” made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.

In the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home. Some of the girls were thus allowed to return to Korea.

Japanese Prisoner of War Interrogation Report No. 49.

—–

報酬および生活状態

「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦 が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。これ は、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食 料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。

アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号


「報酬および生活状態」には、「これは、慰安婦が普通の月で総額1,500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。」とある。どうやら何かの基準を元に推算したと考えられるもので、実際に、「得ていた」かどうかは、はっきりしないのだが、ここでは彼女らが、ひと月に、1,500円程度の稼ぎを得ていたことを前提に話を進める。秦氏が「将軍よりも多い高収入で」あったと書いたのは、この部分を指しているのだろうが、1,500円を女性たちが「稼ぐ」ために、どれだけの兵士を相手にしなければならないのだろうか。

「料金」を下級兵士が利用できるように、慰安所の料金は、低料金で安く定めると言うことが、軍によって行われる。業者が値段を決める余地はない。「尋問調書」は、「報酬および生活状態」の前の部分でキタムラのミッチーナの慰安所の料金の例を挙げている。兵士が午前10〜午後5時までで1円50銭、利用時間は20〜30分。下士官は午後5時〜午後9時で3円、利用時間は30〜40分。将校は午後9時〜午前0時で料金は5円、利用時間は30〜40分で、将校は20円で宿泊も認められていたと言う。

単純に一月30日として、一日50円を売り上げなければ、1,500円にはならない。単純に兵士だけの相手なら、ひと月に千人の兵士の相手をしなければ、1,500円の「稼ぎ」は得られないわけだ。もちろん、一般兵士が慰安所を利用できる時間は限られているので、この計算はアバウトである。実際には、朝から晩まで、割り当ての時間通り一般兵士、下士官、将校の相手を休みなく続けて、将校の泊りも受け入れたら、50円程度にはなる。これを30日続けるわけだ。そんなことは、とても無理だろうと思うのだが、この程度の過酷なハナシは実際には他の慰安所でもザラに例がある。「尋問調書」を「慰安婦」高収入説の根拠として挙げる人は、まず、この殺人的な「客」の多さを事実として認めなければならない。

とりあえず、殺人的な数の人間を相手にして、女性達が月に1,500円を「売り上げ」るとしよう。とすれば、例外なく女性たちは1ケ月程度で、「尋問調書」で言う、二〜三百円(a few hundred yen)程度の前借金(正確には「前渡金」である)を完全に返せてしまう。前借金を返済すれば、自由になれるのなら、苦労して朝鮮から騙して連れてきた女性達を、1ケ月で解放しなければならないのだ。

どういう根拠で、このようなことが言えるかと言うことを、具体的に計算して検証してみるが、その前に、「尋問調書」中にある、「慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。」の前提となる、「それぞれの慰安婦 が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの」という部分から説明しよう。

「慰安婦」と楼主の「取り分」の比率を細かく軍が決めていた例として、林博史氏の論文、→『マレー半島における日本軍慰安所について(1993)』で紹介している、馬来軍政監が制定した「慰安施設及旅館営業取締規程」の例がある(→実際の規定は、ekesete1さんのブログ『従軍慰安婦資料集(3)慰安所運営規定』)で読める)。

これによると、「稼業婦」の債務残高によって配分の割合が異なり、債務残高が1,500円以上の場合は、雇主が六割以内、稼業婦本人が四割以上、1,500円未満の場合は、雇主五割以内、本人五割以上、無借金の場合は、雇主四割以内、本人六割以上となっている。そして、「稼業婦の配当所得金を以てする前借金返済は毎月其所得の三分の二以上とし残金は稼業婦の自由とす。」とされ、前借金は「雇主」が半分以上のピンハネをした残りの金額から、前借金に充当されるとされる。ほぼ、内地の公娼施設の例に準じて、規定を定めたものと思われる。

同じ南方軍の占領地なので、ビルマにおいても、軍は慰安所の楼主に、この「売り上げ」の配分を守るよう指導していたのだろう。「尋問調書」中の、「契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの」というのは、債務残高と配分比率の関係を指していると考えられる。

参考までに言うと、内地の公娼施設の一人当たりの1日の客数は平均して3人に満たないと言う統計がある。つまり、長期間にわたって少しずつ前借の返済を行わせ、その間、ジワジワと搾取し続けるわけなのであるが、1日当りの客が数十人にも上る慰安所の場合、短期間で前借金は返せるのである。

キタムラの慰安所の例に当てはめてみよう。前借金が二〜三百円なら、1,500円の「稼ぎ」の配分は、「雇主」五割以内、本人五割以上と折半になる。女性たちの取り分は750円だから、その三分の二(500円)以上を前借金の「返済」に充てる「義務」があったので、ひと月も経たずに、全額返済できることになる。もうひとつの「連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号」中では、前借金は三百円から千円とされているが、千円でも、2ケ月もすれば、完済できるのである。秦氏は「前借金を1年間で返済して帰国した者もいたし」と、実際には「尋問調書」に書いていないことを語っているのだが、本来ならば1ケ月か2ケ月で「帰国」できなければならない。

実際には、彼女たちの全員が、とっくに前借金を返し終わっていたと考えられるのだが、一年後にようやく軍が、「前借金を返済したもの」に帰国を「認める」旨の指示を出したことが、「尋問調書」中の、「1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。」と言う文章から分かる。つまり前借金の完済だけでは、「慰安婦」から足抜けする十分条件とはならないのである。

もちろん、一部とは言え、実際に帰国できたかどうかは分からない。1943年の後半には、既に朝鮮からの「慰安婦」新規「調達」は困難になっていたと思われるからだ。

と、次回は、秦氏の言うように、「慰安婦」女性は、「前線にしては優雅とも見える生活に満足」していたのかを検証します。
http://satophone.wpblog.jp/?p=6780

ビルマ米軍尋問調書を巡る秦郁彦氏のデタラメ(2)「慰安婦」の優雅な生活編
By satophone, on 2017年7月28日
http://satophone.wpblog.jp/?p=6669


ビルマ「慰安婦」の優雅な生活?

前回の記事(→『ビルマ米軍尋問調書を巡る秦郁彦氏のデタラメ(1)慰安婦高収入説 』)で言及したとおり、今回は秦氏が言う、彼女らが「彼女たちが前線にしては優雅とも見える生活に満足していたようすが窺える」と言う箇所について検証しよう。前回、書いたように、調書中で彼女たちが実際に「満足」していたと証言しているわけではない。あくまで秦氏が「窺える」としているだけである。

今回も前回と同様に、「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号)」から引用する。参考までに言うと、今回は引用しなかった、「連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号」の方には、慰安所の経営者が法外な値段で、贅沢品及び生活用品を彼女たちに売りつけていると言う記述があるだけで、「慰安婦」女性の暮らし向きがよかったことを「窺わせる」ような記述は全く存在しない。気になる方は「美しい壺日記」で邦訳が読めるので、確認して頂きたい(→連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号(1945年11月15日))。

今回の引用文は、前回と同様、こちら(→【邦訳】アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号)からのコピペである。


LIVING AND WORKING CONDITIONS;

In Myitkyina the girls were usually quartered in a large two story house (usually a school building) with a separate room for each girl. There each girl lived, slept, and transacted business. In Myitkina their food was prepared by and purchased from the “house master” as they received no regular ration from the Japanese Army. They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true of their second year in Burma. They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles. They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received “comfort bags” from home.

While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping.

生活および労働の状況

 ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。この点はビルマ生活2年目についてとくにいえることであった。食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。

 彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。

アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号

新ゴーマニズム宣言(3) 特別編 ゴー宣版 従軍慰安婦資料集 1997/4 小林よしのり

「慰安婦」が優雅な生活を送っていた証拠として、しばしば言及される箇所である。「将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし」と言うのは、積慶里慰安所では「写真」まで残っている「運動会」のことなのだろうが(→「慰安婦」女性の写真)、酷使しすぎて死んでしまってはさすがにマズイ、息抜きくらいは必要と考えただけである。演奏会、夕食会に出席したという女性たちの証言も実際に多い。彼女たちは兵隊たちの前でアリランを歌い、将校の宴席で芸を披露したと言うが、こういう「芸者」に準じた役割も、本業の兵士用の「強制売春」をキチンと務めた上で、彼女らに「期待」された役割の一つなのである。

「優雅な生活」と言う秦氏の説を、そのままマンガにしてしまった人に、マンガ家のコンバヤシよしのり氏がいる。朝鮮の田舎から騙されて連れられてきた、売春業の経験者でもない朝鮮人女性が、あっという間に、大量の兵士の相手をさせられる「慰安婦」生活に適応し、ルールを知っているとも思えない野球に興じ、日本髪を結い、洋装店で服を選んでいる。正直、アタマがどうかしていると言うレベルだと思うのだが、間に受けた方々も少なくなかったらしい。クリックすれば拡大するので、ヒマな方は参照して下さい。

そして、同じ「尋問調書」中に、矛盾することが書かれていることはよく知られた話である。「欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。」と書かれている反面、「多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」のだとも書かれている。もちろん。秦氏コンバヤシ氏ともに、完全に無視である。


PAY AND LIVING CONDITIONS;

The “house master” received fifty to sixty per cent of the girls’ gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract. This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the “master”. Many “masters” made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.

In the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home. Some of the girls were thus allowed to return to Korea.

報酬および生活状態

 「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。

 1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。


この「矛盾」については、いろいろ詮索することも可能だと思うのだが、特にここでは掘り下げない。学術論文ではないのだから、この程度の記述の問題は、当然にあるだろう。尋問者は朝鮮語ができなかったので、すべてキタムラの通訳を通して彼女らの証言は聞き取られたのだとされるが、要するに両方の言い分を、整合性を確認せずにそのまま垂れ流したと言うことだ。ここでは、秦氏が言うような、彼女たちが「満足している様子が窺える」とされる部分は「尋問調書」には書かれていないと確認して頂ければOKである。

ここで、占領初期のビルマでは、英軍から分捕った物資で、兵士もオコボレに預かったと言う証言を紹介しよう。

マネジメント社(2002)

神林政吉兵長(三十三師団步兵二百十五連隊第二大隊第七中隊)

一九四二年(昭和一七年)三月八日、わが部隊はタイから遠い道程を行軍し、英軍が放棄したばかりのラングーンに入城した。我々は、ラングーン郊外のビクトリア湖近くにある校舎に駐留したが、この間は任務も歩哨番も使役もなく、約一〇日間まったく自由な時間を楽しむことができた。私の軍隊生活で、このような天国気分を味わったのは初めてである。糧食は十分あった。ウイスキー、缶詰食、コーヒー、ココア、ミルク、チーズ、コーン・ビーフ、ジャム、タバコなど、私の知らない贅沢品がいっばい配給された。これらはすべて英軍倉庫からの分捕り品だった。

我々は、英国首相の名前から「チャーチルの贈り物」と呼んだり、「配給糧食」と言ったりしていた。この贈り物で毎晩、酒盛りを開き、元気よく歌い、踊り、食べ、そしてたらふく飲み、心の底から楽しんだ。新鮮な野菜が不足していたので、油で揚げたリーキ(西洋ネギ)が出されたときは、本当に旨かったし、美味しいドーナツまで出た。くつろいだ一〇日間が過ぎた後、退却した英軍を追撃するために、北へ前進する命令が出た(P68)。

出典:日本兵のはなし ビルマ戦線−戦場の真実 玉山和夫/ジョン・ナンネリー著(マネジメント社) 2002


「慰安婦」が蓄音機を持っていたと言う話が「尋問調書」に出てくるが、以下のような証言もある。おおかた、慰安所の建物として使った学校に、蓄音機が置いてあったのをそのまま女性たちが使ったと言う類の話だと言うことが分かる。


吉野秀一郎少尉(第十一防疫給水部)

タウンギーでは、部隊長は将校たちが昼食に集まる離れに住み、他の将校たちは庭に大理石の彫刻が点在する快適な煉瓦作りの建物に住んだ。この建物は日本軍が占領したのではなく、一時的に借りていたので改築はできなかったし、注意深く手入れするようにも命じられていた。

嬉しいことに、この家にはビクトリアの蓄音機とクラッシック音楽のレコードの大コレクションがあった。私のルームメート、医師の千葉幹一は音楽ファンで、このレコードの完全なリストを作り、素晴らしく質の高いこのコレクションをよく鑑賞した。私もレコードを集めているクラッシック音楽の熱狂的なファンを幾人か知っているが、このような見事なコレクションを見たことがなかった。このレコードの所有者は優れた趣味を持ち、音楽を深く愛していたに違いない。価値あるこのコレクションを残していったのは、心残りだっただろう。一九四三年一月にメイミョーへ移ったとき、このコレクションを軍政府に移管した。その際、このコレクションの貴重性を強調して、元の所有者に戻すように希望した。もし本人の手元に戻されたのなら、この持ち主は日本人にも同じ趣味の人がいると知って喜んだに違いない。(P138〜139)

出典:日本兵のはなし ビルマ戦線−戦場の真実 玉山和夫/ジョン・ナンネリー著(マネジメント社) 2002


この二つが例外的な話ではないことは、「日本兵のはなし ビルマ戦線−戦場の真実」を読めば分かるので、興味のある方は参照して頂きたい。参考までに言うと、この本にはなぜだか「慰安婦」は登場しないので、「慰安婦」が分捕り品に囲まれた生活を、実際にどう考えていたのかは知る由もない。

雲南・ビルマ最前線における慰安婦たち一死者は語る

ラングーンとミッチーナは違うのではないかと言うなら、この浅野豊美氏の文章を引こう。浅野氏は、「尋問調書」に関連する資料を調査し、「雲南・ビルマ最前線における慰安婦たち一死者は語る/浅野豊美(1999」と言う論文を書いた。浅野氏も「慰安婦」達が、「かなり賛沢とも思える暮らしをしたと語っている」と明記しているが、この点については判断を留保して、ハナシを進めたい。

結局のところ、占領初期は、物資は豊富でハイパーインフレもなく、その「恩恵」を慰安婦女性達が受けていた可能性があると言う話に過ぎないのだ。


この証言によると、そもそもミチナは、ビルマの典型的な普通の街ではない。主要な民族は、シャン族系のビルマ人、インド人、中国人であるが、付近の村はシャン族とカチン族によって占められていて、純粋なビルマ人が「多数を占めたことはそれまで一度もないという。日本軍がミチナを占領した際には、「人食い鬼が来る」といつてほとんどの人が逃げ出したが、暫くすると人々は帰つてくるようになつた。しかし、女性に対する暴行や強姦はなかつた。両者共に、日本軍の占領期間を通じて、1件もそのような事件があったと聞いたことはないと証言している。確かにかなりの略奪は行われたが、それもすぐに取り締まられるようになり、ビルマ独立軍兵士の行った略奪も同様に取り締まりの対象になったという。またイギリス系インド人難民は、収容施設に入れられたものの、よい待遇を受けたという。彼らには肉料理も盛り込んだ配給制度が敷かれた。そうした状況の中、日本軍の将官は、イギリス系インド人の女性達に非常に魅了されるようになり、彼女たちのために社交クラブを作ったという。しかし、出席は義務とはされず、実際そこに出席した女性に乱暴しようというような傾向もなかつたので、将官と女性との間には、数多くの交流が結果として生まれたとも述べられている。そんな風にして、占領第1年目は協力的な雰囲気の下に過ぎ去り、イギリスの軍や民間人から徴発した物資により衣服や食糧の供給もあり、空襲もなかった。日本軍の将兵が村の子供たちと一緒に遊んだりするなど、子供たちに向けられた将兵の愛情は特に印象深かったとも語っている。兵士の平均年齢は25歳であり、故郷の弟、妹達を思い出していたことであろう。

慰安婦達が、かなり賛沢とも思える暮らしをしたと語っているのは、恐らくこうした占領1年目の1942年、朝鮮から到着直後のことではなかったであろうか。運動会がおこなわれたのも、こうしたシャン系ビルマ族の子供たちのためだったとさえいえるかもしれない。

しかし、こうしたのどかな風景は、戦争が長期化するにつれて大きく変わっていった。経済状態についてみると、初期にはヨーロツパ人から徴発したシャツや下着類が安いレートで売られていたり、食糧もたくさんあつたが、戦争が長期化するにつれ日用品は底をついた。新しい製品は、日本から供給されるといっていたにもかかわらず、ミチナには全くやってこなかった。物価は上昇に転じ、1943年10月には、うなぎ上りであつた。ごく少量の物資がラングーンに着いたというが、ミチナでは配給切符を持っていても何も買えなかったという。また日本軍は軍票を大量に発行したことも、インフレに拍車を掛けた。賢明なものは、金や宝石を秘匿するようになったという。

出典:→雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る/浅野豊美(1999)


浅野氏は、「慰安婦」と兵士の「運動会がおこなわれたのも、こうしたシャン系ビルマ族の子供たちのためだったとさえいえるかもしれない」と書いているが、これは相当な違和感がある。兵士と「慰安婦」の運動会が行われたと言うハナシは、結構、例があるのだが、兵士と「売春を強要されている女性」達の運動会に、自分の子供が参加することなど、親が許さないだろう。

だが、他の個所については、ほとんど異論がない。結局のところ、1942年の8月に彼女たちがビルマに到着してから、ある程度の期間はビルマにも物資があふれたが、およそ一年後の1943年10月頃からは、ハイパーインフレ状態に突入する。

今回は言及できなかった、ビルマのハイパーインフレと「慰安婦の収入」の関わりについては、既に(→1943年から1945年にかけてビルマ方面に送られた慰安婦の状況 – 誰かの妄想)でscopedogさんが整理している。ネット右翼氏の痛々しい痙攣コメントと言い、興味深いことが書かれているので、ご一読されたい。

もちろん、こちら(→「東アジアの歴史認識の壁 京都大学経済学研究科東アジア経済研究センター」)の堀和生氏の論文も必読である。

秦氏が語らないビルマ米軍尋問調書のホントの意義

と、今回はここまでなのだが、ビルマの米軍「尋問調書」の重要性は、秦郁彦氏が全く指摘していない部分にこそある。もちろん、キタムラが朝鮮から「慰安婦」候補の女性を買った経緯や、日本軍の「慰安婦」調達の際の直接的な関わり、彼女たちが米軍に捕まった時の状況、十八師団が戦争遂行資源としての慰安所の「効率的活用」のため、詳細に利用日を決めていたことなど、重要な語るべき点は多い。

彼女らは戦闘に赴く前の兵士が、例外なく乱暴で、相手をするのが非常にイヤであったと語っているが、死を覚悟した兵士たちは、「慰安婦」に優しく接したりはしないのである。兵士の無事と戦闘の勝利を祈る朝鮮人「慰安婦」の「美談」など妄想に過ぎないのだ。

というように、書くべきことは多いのだが、今回はあまり指摘されていない例を挙げてみよう。なぜだか当り前のハナシとして受け取られているようだが、この20人の米軍に捕まった元「慰安婦」女性たちは、全員、朝鮮に帰還できたにも関わらず、日本軍「慰安婦」の認定の際に名乗り出ることはなかったのである。

私は韓国語ができないので、元「慰安婦」女性たちの証言は、日本で出ている数冊の邦訳からしか知ることができないのだが、名乗り出ていればなんらかの話題にはなっているだろうから、これは間違いないはずである。

実際の「慰安婦」認定の際に、名乗りでた元「慰安婦」は、例外的に辛酸を舐めた女性たちであり、名乗りでなかった大半の方々は、親による身売りされた例が大半で、「性奴隷」でもなかった、だから名乗りでることができないのだ、と言う文章を読んだことがあるが、これはビックリするくらいのバカげた話、単なる日本人に都合のいい推測である。

同じビルマ戦線に送られた文玉珠さんの証言によると、同じマツモトの慰安所にいた「慰安婦」女性たちは、騙されてビルマに連行されている。つまり完全な不法行為によって「慰安婦」とされたにも関わらず、彼女の慰安所での「同僚」たちは「売春」経験者であることを、世間に知られるのを快く思わない親族によって、名乗りでることを強硬に反対されたのだと言う。結局のところ、マツモトのところにいた「慰安婦」女性たちも、文玉珠さん以外に名乗りでることはなかった。文さん自身、この時期に、友人知人たちから、名乗りでたら交友関係を断ち切ると宣言されている。

韓国社会にとって、強制とはいえ、いかに「売春」経験者が、世間に名乗りでることが難しいかを示すエピソードであるのだが、文さんの例と同様、ミッチナーのキタムラの慰安所にいて、朝鮮に帰還した女性も、同様な事情で名乗ることができなかったのだろうと推測されるのである。

これはまた別の記事にするつもりです。
http://satophone.wpblog.jp/?p=6669

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