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溝口健二 瀧の白糸(入江プロダクション 1933年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/162.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 15 日 10:18:03: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 昔の日本映画は熱かった _ 溝口健二 赤線地帯 (大映 1956年) 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 13 日 19:10:41)


溝口健二 瀧の白糸(入江プロダクション 1933年)


監督 溝口健二
脚本 東坊城恭長他
原作 泉鏡花 義血侠血
撮影 三木茂
配給 新興キネマ
公開 1933年

動画
https://www.youtube.com/watch?v=eeXJmVOQ0X8
https://www.youtube.com/watch?v=B74VapoUl1o

出演

入江たか子(瀧の白糸=水島友)

岡田時彦(村越欣弥)

村田宏寿(南京出刃打)

菅井一郎(岩淵剛蔵)

見明凡太郎(新蔵)

滝鈴子(撫子)

浦辺粂子(お銀)

溝口健二監督作品。サイレント映画。88分。
5つプリントが現存するが、ラストシーンが欠落したものや、ラストシーンを含むものの欠落や傷が多いものなど、不完全なプリントしか残されていない。このため、フィルムセンターにより欠落部分を補い、ラストシーンを修復したデジタルリマスター版が作成されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E3%81%AE%E7%99%BD%E7%B3%B8


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滝の白糸:溝口健二の世界


溝口健二はサイレント時代に大家としての風格を示した。彼のサイレント映画は新派狂言を映画化したものが殆どだ。それらは彼の属していた日活向島撮影所のカラーを反映していた面もあったようだ。残念なことにそれらの殆どは失われてしまったが、「滝の白糸」については、現存する痛んだフィルムをもとに編集されたデジタル・リマスター版を見ることができる。これは「カチューシャ」のメロディをバックに、字幕と弁士による読み上げをともなったもので、わかりやすい。

原作は泉鏡花の小説をもとにした新派劇。これは女の意地をテーマにしたもので、惚れた男のために自分の生涯を犠牲にした女が、その男のために殺人を犯した挙句、検事に出世した男によって裁かれながらも、男の出世した姿を喜びながら自殺するという筋書きなのだが、それが日本人の心に訴えかけるものがあって、何度も映画化されたほか、舞台やテレビドラマにも取り上げられた。

滝の白糸というのは、女芸人の芸名である。この女芸人は、水芸と言って、水を使った手品芸のようなものを興行しており、一座を引き連れて北陸道を渡り歩いている。その途中で知り合った一人の男、この男は乗合馬車の御者なのだが、なかなか男前ということもあって、女は一目惚れしてしまうのだ。その一目惚れした男と、たまたま金沢の橋の上で深夜に再会した女は、是非もなく男に入れ込んでしまう。その挙句、男が金に窮して勉学をあきらめねばならぬと聞き、自分がお前の後ろ盾になってやろうと申し出る。その時の女の言い分が面白い。「あたしが貢いであげようじゃありませんか」と言うのである。男が、何故、と聞くと、「お前さんに可愛がってもらいたいのさ」と女は答え、こうして二人は結ばれるわけなのである。こんな男女の結びつきは、今の日本ではなかなかない。だが明治・大正の頃まではあったのだろう。でなければこの映画が、長く日本人に愛されてきた理由が説明できない。

女は男の出世を唯一の希望にして生きてゆく。その女(滝の白糸=入江たか子)が一座を率いて旅回りをするシーンがなかなか見せる。昔の芸人の世界では、男も女も平等のようだ。才覚のあるものが上に立って人を率い、皆を食わせるのだ。だが芸人稼業は厳しい。とくに水芸の場合には、冬はなかなか興業が成立しない。そんなこともあって、滝の白糸は経済的に追い詰められてゆき、男への仕送りもできなくなる。そんな状況に直面して、女は高利貸しに体を売って金を工面する。ところが恥をしのんで得た金を、ならずものに奪われてしまう。それを高利貸しの仕組んだ罠だと思い込んだ女は、高利貸しのもとへ文句を言いにゆくが、帰って再度姦淫されようとするところを、誤って殺してしまう。

こうして殺人犯の嫌疑を受けた女は、法の裁きの前に引き立てられる。その裁きを担当する検事の一人に、自分の愛する男がいたのだ。官憲は当初、高利貸し殺害の犯人は他の男(白糸を襲った芸人)だと疑い、白糸には重大な嫌疑をかけてはいなかったのだが、白糸の愛する男(岡田時彦)は、白糸が自分のために殺人を犯したということを確信する。そしてその確信に立って、白糸を尋問する。その尋問の場面がまた興味深い。検事は理屈や証拠にもとづいて白糸を追及するのではなく、彼女の情に訴えて、自分の罪を告白せよと迫るのだ。

このあたりは、いかにも情緒的で、今の時代の司法感覚からは隔絶しているように思えるのだが、泉鏡花にとっては、これが人間自然の情に従った正しい行いというふうに映ったのだろう。その証拠に白糸は、自分への嫌疑がさしせまっていないことをわかっていながら、男の情にほだされて正直に白状してしまい、その場で舌を噛み切って死んでしまうのである。彼女を死なしめた男のほうも、自分のしたことに責任を感じ、拳銃で自殺してしまうのだ。

なんとも救いのない話というべきだが、新派劇と言うのはだいたい、こうした救いのない話を好んで取り上げたものなのである。ともあれ、溝口と言えば、男によって食い物にされる女たちの意地を描き続けたという印象が強いので、この映画のように、自ら進んで男のために身を犠牲にするというのは、やや意外な印象を与える。だが女の立場から世の中を見るという溝口の基本的な視点は、この映画のなかでもすでに貫かれている。溝口はやはり、女に拘った映画を作り続けた作家だったと言えるのである。

白糸を演じた入江たか子が、なかなかすごい印象を与える。第一、非常に美しい。高峰秀子は入江たか子を戦前の日本映画を代表する美人女優として称揚したが、実際その言葉に偽りはないと思わされるほど、この映画の中の入江たか子は美しく見える。その美しさは、彼女の外見からだけではなく、彼女の内心からもにじみ出てくるように感じられる。風格があるのだ。芸人を演じながら、人間としての矜持を感じさせる。

なお、この映画は、入江たか子のプロダクション製作というクレジットがついている。この時代には、片岡千恵蔵や嵐寛寿郎などが、大手映画会社から独立してプロダクションを作る動きが広まっていたが、女優が独立プロを作ったのは入江が初めてだったらしい。その入江のために溝口が、どんな事情で一肌脱いだのかはわからないが、どうも溝口はこの時に入江の風下に入ったことを男の恥だと思ったらしく、その後入江に対して意趣返しのような意地悪をしたという臆説が流されている。本当のところはわからない。
https://movie.hix05.com/mizoguchi/mizo114.takino.html

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女優・高峰秀子は、戦前の女優で一番美しかったのは入江たか子であったと、回想したという。

なるほど、滝の白糸は美しい。容貌ばかりでなく、鉄火肌、捨て身の「誠」が滲み出る美しさ、姐御の貫禄、遊芸の色気、温もりを伴った美しさなのである。それは、村越が下宿の老婆に「姉さんから仕送りをしてもらっている」と話していたことからも瞭然であろう。もとはと言えば、自分の悪ふざけが村越の運命を狂わせた、その償いのためだけに彼女は生き、死んで行ったのである。その「誠」を知ってか、知らずか村越も後を追う。

「女性映画」の名手・成瀬巳喜男は「女のたくましさ」を描出することに長けている。
一方、「女性映画」の巨匠・溝口健二が追求したのは「女の性」、(成瀬に向けて)「強いばかりが女じゃないよ」という空気が漂う、渾身の名作であった、と私は思う。お見事!
https://nasino.muragon.com/entry/252.html

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曲解・滝の白糸

「滝の白糸」といえば、ポピュラーすぎてもう十分に知り尽くしていた積もりでいたので、自分としては「なにをいまさら」という気持ちが強すぎて、もう随分と長い間この溝口作品を見ていませんでした。

多分没後50年というこんな機会でもなければ、これほど超有名な悲恋物語「滝の白糸」を、あえて見ることも、また、見ようという気持ちが動くこともなかったと思います。

しかし、考えてみれば、この「滝の白糸」は、溝口健二の作品群のなかでも格別に重要な位置を占めている作品ですし、溝口健二の作品系列を考えるうえから、そしてまた、この作品以後、夥しく撮られていくこととなる亜流作品への影響を考えるうえからも、「大悲恋物語」という固定観念に囚われることなく、もっと自由な発想で、この歴史的な名作「滝の白糸」を鑑賞できたらいいなと考え、今回は、じっくりと腰をすえてこの作品を見てみようと思い立ちました。

そんなふうに見ていくと、白糸と欣弥が辿るふたりの関係の壮絶悲惨な破綻が、そのまま恋の成就として完結する暗黙の大前提になっているはずの彼らの関係が、それほどゆるぎなく完全無欠か少し疑問が湧いてきました。

「滝の白糸」を見ながら、いつも思うのですが、激しい恋に身をこがし、やがて自ら破滅していく白糸の激情に目を奪われていると、この映画のもうひとりの主人公・村越欣弥の姿が霞んでしまうことがいつも気になっていました。

それでなくとも地味目な岡田時彦が演じる村越欣弥の存在感の希薄さが、その思いを一層強くさせるのかもしれません。

燃え尽きるような激しく生きた白糸に比べ、村越欣弥もまた同じように白糸の思いをしっかりと受け止めて、彼女に応えることができたのかといえば、残念ながら常に疑わしい思いに囚われ続けたと言わざるを得ません。

白糸は、愛する人のためなら、人殺しさえも厭わない激しい恋に身を挺します。

欣弥は、黙秘を続ける白糸がもし自白すれば彼女は死刑になると分かっていながら、あえて彼女に自白するよう、そして潔く法の裁きに服すよう勧め、そして彼女が死刑判決を受けるや、欣弥自らもまた自殺を遂げるというこの物語の結末は、白糸と欣弥が完全無欠な愛情を保っていたならば「大悲恋物語」たり得るわけですが、どうもここがどうしても納得できないのです。

高名な女芸人として裏社会のなにもかもを知り尽くし、人気の水芸一座を切り回してきたような、かなりダークなカリスマ性を持った親分肌の女性と、乗合馬車のしがない御者でしかない青年との組み合わせに、普通の感覚からすると、これを「愛」なんかで結びつけるのには、かなり無理があるのではないかと思ってしまうのです。

きっとそれは、この二人の関係の出発点を「苦学生・村越欣弥に対し好意と善意から学費を援助してあげる」とでも設定しておかないと、白糸が金のために刃傷沙汰におよぶ血なまぐさい修羅場が、単に金銭をめぐって欲望と欲情とが絡み合うどろどろの、騙し合いと殺し合いにすぎない単なる痴情事件と堕し、物語としての収拾がつかなくなってしまうからだろうと思います。

例えば、白糸は金の力で村越欣弥の体を買ったのだと想定してみましょう。

優れた統率者なら一座の中から情事の相手を選ぶことの危険、つまり自分の支配力を自から弱め破壊するような常軌を逸した行為を選ぶとはどうしても考えにくい、単なる遊びの相手なら、なんの力もなく、弱弱しい男、金の力が最も効果的に伝わる貧しい男・つまり村越欣弥こそが望ましかったのだという気がします。

この映画の初めの部分では、白糸を「男嫌い」と紹介して、それとなく彼女の純潔性を強調しているのは、村越欣弥とだけ一本で結び合わせる劇的効果を狙ったミエミエの設定なのでしょうが、当然ここには嘘の匂いが付きまといます。

現実の、実話ふうな下世話な解釈を当て嵌めるとすると、おそらく白糸には、欣弥の学費以外の、むしろメインは別のどうしても必要な金があって、そのために金貸しを殺したのに、その理由付けに、とってつけたような村越欣弥の存在を無理やり結びつけたのではないかと考えてしまいました。

もはや反証が困難なくらいに追い詰められ、ついに事実を告白しなければならない破目に陥ったとき、海千山千のテダレの女芸人なら、苦し紛れに「私は愛する人のために、人を殺めた」くらいなことは言ってのけるかもしれません。

「自分は金欲しさから、金貸しを刺し殺した。ざまあみろ」なんて言うよりは、世間的な受けを計算してもその方がずっと有利だったでしょうし。

こう考えてくると、この物語の裏には、もうひとつの物語・村越欣弥の物語が隠し絵のように秘められているような気がしてなりません。

映画では、欣弥は、法に服させるために黙秘を続ける白糸を説諭して殺人を犯したことを自白させます。

そして白糸が死刑判決を受けると同時に、欣弥自身もピストル自殺をしてしまいます。

それほどまでに法に服することが大切だったのか、しかし、最も愛する人を、お互いがそれぞれの死に追いやってまで、それほどの犠牲をはらってまで、法は守るべき大切なものなのかという結論で、本当に「滝の白糸」はいいのか、迷いました。

最愛の人を死なしてまで法の大切さをアピールするなんて、どこにそんな必要があるでしょうか。

欣弥の自殺する理由をふたつほど考えてみました。

ひとつは、死刑判決を受けた白糸の後を追って(実際は、収監されているだけで刑の執行はまだのようですが)自殺するという悲恋物語の側面、もうひとつは、白糸が因業な金貸しを殺し、そして強奪したその金の一部を(検事の職にあるという)自分が受け取ってしまったという罪の意識が考えられると思います。

いままでの自分は、もっぱら前者のすっきりとした悲恋物語の考え方を疑いもなく支持し、欣弥が何故自ら死を選んだのか深く考えたことはありませんでした。

ラストの法廷の場において白糸に自白を迫ったあの時点で、欣弥は既に自ら死ぬことを決意したと思わないと、この物語の辻褄が合わなくなります。

そのとき欣弥は、彼女のいないこの世になど生きていても仕方がないと考えたのか、あるいは死を賭けてまで法を守ることを選び遵法の精神に殉じたのか、しかし、僕は、おそらくこのいずれでもないと思います。

例えばひとつの仮定として、こんなふうに考えたことがありました。

白糸の嘘の自白をそのまま黙認して、彼女から金を奪った殺人の嫌疑の掛かっている「親分」に罪を被せ、彼女に自由を与える、検事なら別に出来ない仕事ではなかっただろうと。

白糸を心から愛し、そして命より大切な人と思うなら、「法」くらい捻じ曲げて晴れて彼女と幸せに暮らすことを選ぶことだって不可能なことではなかったはずだし、むしろそうする方が、人を殺め法を犯してまで欣弥に尽くそうとした白糸の思いに報いる黒い愛の行為に相応しいような気がするくらいです。

欣弥もまた法に背いて罪を犯すことによって、白糸と同じ地平に立ち、身も心も彼らの恋は初めて完全に合致することが出来るのだと考えたのでした。

社会の底辺で生きる貧しい青年が、そのどん底から這い上がるために、立身出世→向学心を質に取られて、やくざな女芸人に金で買われ、「若さ」を慰みものにされて、やっと果たした夢のような任官のときに、立ちふさがったのが白糸だったのだと思います。

屈辱的な醜聞に未来を閉ざされ、そしてやっと手に入れかけた将来を滅茶苦茶にされた青年は、その閉塞状況になかで死を選ぶより他に方法がなかったのでしょう。

ましてや、虚偽の裁きを駆使して白糸を助けるなど、欣弥には考えられもしなかったことだったと思います。

むしろ、間接的に殺人の片棒を担がされ、自分を脅かし続けた白糸をこそ、法の力によってまずは滅する必要があったのではないか、という気さえするくらいです。

村越欣弥という男は、もしかしたら明治という時代において蹉跌を生きた象徴のような青年だったかもしれません。
https://sentence.exblog.jp/4224364/

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原作・泉鏡花。
脚本なしで撮影が強行された「傑作」の舞台裏
溝口健二Vol.3

福田 和也
大正十二年、第一作「愛に甦へる日」を撮ってから十年の修業の後、はじめて溝口健二は、日本映画史に残る傑作をものにした。『瀧の白糸』である。昭和八年、キネマ旬報のベスト2に選ばれた。

 原作は泉鏡花の『義血侠血』。当時、お姫様女優として絶大な人気を得ていた入江たか子が主演し、制作も入江のプロダクションが行った。

 水芸の芸人、水島友が、奇縁により元士族の馬丁、村越欣弥と知り合う。友は、村越に学費を送る事を約束するが、一座は次第に衰微し、ついに高利貸の脅迫の下、貞操を失った上に画策により借りた金も強奪されてしまう。半狂乱になった友は高利貸を殺し、金を持って東京に向かう・・・。

 入江たか子の、当時としては長身でボリュームのあるプロポーションが画面を照らすように撮られており、岡田時彦演じる欣弥の白皙とあいまって稀有な映像美を作りだしている。もっとも撮影を担当した三木茂は、溝口が脚本なしに撮影を強行したので、大いに閉口したという(『瀧の白糸』はサイレント映画だった)。溝口を問い詰めて、『義血侠血』が原作だと教えてもらって、漸くストーリーを呑み込んだ。

敵国に万歳を叫ぶゆとりの時代

 しかし、撮影現場は大変な熱気だったという。

「第一ね、昼の休みっていう時にね、一人もスタジオの外へ出ない、入江なども全然出ないですよ、岡田は具合が悪いから、ステージの中に寝台持ってきてあるんだ。寝台で休んでね、病、相当悪くなりかかっていたからね。この熱気というものが、わからんわけがない、皆わかっている。皆にわかってることは、僕に反映するよ。こうしてま、出来ましたよ。これは古今未曾有のできでしたなあ」と製作者の渾大防五郎は語っている(『ある映画監督の生涯』)。

 『義血侠血』は、不思議な命運を辿った小説である。明治二十七年十一月一日から同三十日まで読売新聞に「なにがし」という署名で掲載された後、翌年四月に春陽堂から単行本『なにがし』として出版された。同書には尾崎紅葉と鏡花の名前が連署されているが、奥付は紅葉名義だった。以後、『なにがし』は、明治三十四年までに五刷を重ねた。紅葉の死後、明治四十三年になってはじめて『鏡花集第一巻』に鏡花の作品として収録されている。

 弟子の作品を師匠が自分の物として発表することは、明治どころか昭和初期まではたいして珍しい事ではなかった。師匠がその名前を貸してやる事は、ある種の「恩恵」と捉えられてさえいたのである。

 明治生命保険相互会社の創業者、阿部泰蔵の四男として生まれた阿部章蔵は、明治生命に勤める傍ら、水上瀧太郎というペンネームで作家活動を行い、『三田文学』を中心に小説を発表していた。

 水上は、泉鏡花に心酔していた。「小学時代に『誓之巻』を読んで以来、先生の作品によって、自分はこの世に生れて来た甲斐のある事を痛感した」(『貝殻追放抄』「はじめて泉鏡花先生に見ゆるの記」)というのだから只事ではない。

湯島天神 泉鏡花の小説の舞台ともなった境内(東京・文京区)には、彼の揮毫した筆塚が残る

 留学中には、久保田万太郎に頼んで、鏡花の新刊の全てを購入して貰っていた。

 瀧太郎を鏡花の家に連れて行ってくれたのも、万太郎であった。

 「あらためて久保田さんに紹介されて御挨拶をしたが、その時不思議に思ったのは、泉先生のおじぎをなさる時の手つきだった。両手とも拇指と他の指で軽い輪をこしらえ、甲の方を畳につけて頭をさげるのである。これも後で知ったのだが、極端なきれい好きでかつもろもろの黴菌を誰にも増してこわがる先生は、畳の上に手をつく事を避けておられるのであった。/(中略)東向の二階の縁側に近く、硝子のはまった障子にぴったり寄せた小机に、裸のままの硯と、筆が一本のっていた。

 それが先生の御仕事をなさるところで、ちいさい机は紅葉先生の遺品だとうかがった。/驚いたのはこの室の兎だった。違棚にも、本箱の上にも、小机の上にも、数限りなく、耳をつったて、眼をくるくるさせてかしこまっている。手焙がある、状さしがある、文鎮がある、香水の瓶がある、勿論おもちゃは多勢である。陶器のもある、木彫のもある、土細工もある、紙細工もある、水晶のもある、硝子のもある、あらゆる種類の兎公だ。『女仙前記』や『後朝川』のような兎の働く小説のあるのも無理はない。

 先生はステッキの頭にさえ、小村雪岱さんの図案にもとづく銀の兎をつけて散歩の御伴を仰せつける。/先生は話上手だ。少しかすれた声が座談には持って来いで、紅葉先生御在世の頃の事をおたずねすると、当時の文壇の有様や、作者の話をして下さる。水府の箱を膝のところに引つけて、合間々々に吸われるが、とんと吸殻を灰に落して煙管を手から放す時は、必ずその吸口に千代紙でこしらえた赤坊の小指ほどの筒をかぶせる。これもやはり黴菌よけで、敢て煙管と限らず、鉄瓶の口にもかぶせてある。もとより奥さんの御細工である」(同前)

 だが、瀧太郎は文雅に耽溺する作家ではなかった。企業経営者でありながら、ジャーナリズムの頽廃、軍人、官僚の横暴を厳しく批判する潔癖と責任感を備えていた。

 たとえば、京都帝国大法学部教授の市村光恵の話。水上はロンドンから横浜に帰る船で市村と一緒になった。当時、第一次世界大戦の最中だったが、市村は大のドイツ贔屓でその主義をけして曲げようとしなかったという。

 「日本はその時独逸を敵として戦っているというのに、この博士は大戦の結果は必ず独逸が勝利を得、英仏露の聯合軍が敗北すると確説し、或時は英人を集めてその手に手に杯を持たせ、麦酒をつぎ、円陣を作り、自分はその中央に立って、独逸皇帝万歳を叫んだ。聯合軍の万歳が叫ばれるものと予期していた英吉利人どもは、あっけにとられて為す所を知らなかった」(同前「独逸皇帝万歳」)

 それから二十二年後、支那事変下の世相を顧みて、水上はこう書いている。

「当時の世の中には何といってもゆとりがあった。英吉利こそは同盟国であり、共同策戦にあたっているというのに、当面の敵独逸皇帝の万歳を、英吉利人及我が海陸軍人の面前において叫び、周囲の人々はこれを笑って済ませたのである。もしも今日英吉利皇帝の万歳を叫ぶものがあったと想像して見るがいい。狂人と認められれば幸いで、正気の沙汰と考えられたら、非国民か売国奴として、忽ち袋叩
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/17131


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滝の白糸・残菊物語 溝口健二 

都内の名画座で行われている溝口健二特集。
滝の白糸、と、残菊物語、を観た。

新藤兼人『ある映画監督の生涯』dvd に収録されている佐藤忠男と新藤兼人の音声解説はめっぽう面白く、ツタヤで2週間借りっぱなし、毎日、何度も連続してみても飽きることがない。なかでも、入江たか子と、田中絹代は圧倒的存在感である。むろん、気品の高さ、美しさ、では入江たか子。はじめてこのビデオを観たとき、うわさにきく入江たか子を観たときは息が止まりそうであった。。。 日本女性特有の美、と奥ゆかしさ、というものをそれまで信じていなかったが、「ある映画監督の生涯」にインタビュイーとして登場した入江たか子を観たとき、外国女性にはあり得ないものがある、と確信した。入江たか子はこのインタビューを行ったとき、すでに高齢であったが、気品と香華、。。女性の魅力というものは年令を超えている。

滝の白糸は入江たか子が22歳で出演し、みずからプロデュースをやった映画。無声映画であるが、流れるようなストーリー。75分の作品である。入江は妖艶。

残菊物語。佐藤忠男は上記の音声解説でこのように語っている。ある英国評論家に佐藤が、溝口でベストは何か?と尋ねたところ残菊だ、と直ちに相手が答えた、と。 140分を超える長さである。ストーリー自体はありふれた夫婦物語。妻が世間の無理解に逆らって夫を助ける話である。溝口映画でもかなり長い部類に入るが長さは全く感じなかった。この作品をdvd解説で新藤は次のように言っている。ストーリ自体は古いが、この映画のテーマは普遍性があります、と。

新藤は女性と問題を多く起こしたがその結果、奥さんが発狂した(と、溝口は信じていた)。幼いときから溝口は多くの女性に取り巻かれ助けられた。溝口の映画は妻(女性)にタイする贖罪意識から作られている。 映画を観おわってハタと気が付いた。新藤兼人自身が溝口の後を追っているのだ、と(女性に対する贖罪と感謝)。新藤における最大の女性はむろん母親である。 残菊物語の語り直しは、新藤の「愛妻物語」である。

両映画とも、ラストが素晴らしかった。

ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(田中絹代)1975年
http://www.youtube.com/watch?v=7YGXnjUiWXE

芸術家同士の愛情と対立と尊敬。

実生活ではたとえ結婚できなくても。。「(溝口)先生からそう想われている、ということは、結婚したも同然。。。そうじゃございません?新藤さん! そうじゃございませんか?」
新藤は田中絹代へのインタビューが成功しなかったらこの映画(ある映画監督の生涯)はあきらめよう、と覚悟を決めてインタビューに臨んだという。新藤の必死の食い下がりに、田中も応じた。気迫と感動のインタビューである。


解説対談で新藤兼人は、溝口と田中は男女の仲になった、と明かしている。ベネツア映画祭に参加したときホテルでのことである。わたしは大いに驚いた。もちろんインタビューで田中はこのことを明かすわけはないし、インタビューする新藤だってこのことをまだ知っていない。

新藤「(男女関係になったことは)よかったとおもいますよ。田中絹代は溝口健二が恋いこがれた女性ですから。。。」。。わたしは胸が熱くなった。
https://furuido.blog.so-net.ne.jp/2013-06-02


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入江たか子

入江 たか子(いりえ たかこ、本名・東坊城 英子(ひがしぼうじょう ひでこ)、1911年(明治44年)2月7日 - 1995年(平成7年)1月12日)は、明治から昭和期の日本の映画女優。


東京市四谷区(現・新宿区)に生まれる。
子爵東坊城家の出身で父の東坊城徳長は子爵、貴族院議員。

1922年(大正11年)、その父が亡くなり生活に困窮するも文化学院中学部に入学。油絵を習っていたが、関東大震災で家は半壊し、手放さなければならなくなった。

1927年(昭和2年)、文化学院を卒業後、日活京都撮影所の俳優で兄の東坊城恭長(後に監督・脚本家)を頼って京都に移る。同年、兄の友人で「エラン・ヴィタール小劇場」の主宰者野淵昶に請われて女優として新劇の舞台に立つ。それを観た内田吐夢の目に留まり、その勧めに従い同年、日活に入社。

同年、内田監督の『けちんぼ長者』で映画デビュー。華族出の入江の、突然の映画界デビューは、当時の世を騒然とさせた。

以後、村田実の『激流』、内田の『生ける人形』、溝口健二の『東京行進曲』などに主演し、たちまち、日活現代劇人気ナンバー1女優の地位につく。

1931年(昭和6年)、千恵蔵プロを主宰していた片岡千恵蔵が、入江の現代劇での芸者役を見て「入江は時代劇に向いている」と認め、『元禄十三年』(稲垣浩監督)で相手役に抜擢。時代劇初出演を果たした。

「入江ぷろ」の創設

1932年(昭和7年)、新興キネマと提携して映画製作会社入江ぷろだくしょんを創立。当時、阪東妻三郎などスター男優が次々と独立プロダクションを作っていたが、女優の独立プロも現代劇の独立プロも「入江ぷろ」が初めてであった。

この時代、入江たか子は日本映画界最高の位置にあった。
その第1作は溝口健二監督、中野英治共演による『満蒙建国の黎明』だった。
この作品は満州建国を背景に川島芳子からヒントを得た超大作で海外ロケを行い、半年の製作日数をかけた大々的なものだった。

この後、日活の俳優、田村道美と結婚し、のちにたか子のマネージャー・プロデューサーとなる。田村が自らの人気を考えて結婚を公表せず、籍も入れない別居生活であったため、兄の恭長は田村を嫌い、映画界を辞める。結婚10年後に子供が生まれ、これを機に法的にも結婚する。

1933年(昭和8年)、泉鏡花の名作『滝の白糸』をまた溝口監督で撮り、大好評となる。ところが、溝口は一女優の入江ぷろだくしょん作品の監督ということに屈辱を感じていたため、強引に実体のない名前だけの「溝口プロダクション」という名前をその横に列記させてもらい体面を保っていた。

続いて、サナトリウム(療養所)に勤務する美貌の看護師を演じた、久米正雄原作の『月よりの使者』が空前の大ヒットとなる。

1935年(昭和10年)頃は人気の絶頂にあり、この年のマルベル堂プロマイドの売り上げでは、1位が入江たか子、2位が田中絹代であった。

しかし、1937年(昭和12年)に吉屋信子の人気小説を映画化した『良人の貞操』のヒットを限りに「入江ぷろだくしょん」は解散、東宝と契約。

1937年(昭和13年)、長谷川一夫の東宝入社記念映画『藤十郎の恋』(山本嘉次郎監督)に出演。

1941年(昭和16年)、『白鷺』(島津保次郎監督)に出演。零落した美妓に扮し、泉鏡花の当たり狂言を原作とする「流れて動いて生きる、それが女というものでしょうか」との名ゼリフが評判となった。

戦時下に相次ぐ兄3人の死に直面し、仕事に対する情熱も冷めかけ、戦後は病気がちとなり、それに輪をかけるように主役の仕事も減っていった。1950年(昭和25年)にはバセドウ病の宣告を受け、無理を押して仕事をしながら入院費を工面し、ようやくのことで1951年(昭和26年)末になり大手術を受け、命を取り留める。


退院後は仕事をとることもままならなかったが、大映と年間4本の契約を結ぶ。その大映に戦前鈴木澄子主演であてた「化け猫映画」のリメイクの企画が持ち上がり、その主役の話が持ち込まれた。

生活のためと割り切り引き受け、1953年(昭和28年)、大映京都で『怪談佐賀屋敷』(荒川良平監督)に主演する。迫真の演技が受け映画は大当たり、次々と化け猫役が舞い込んだが、一方で「化け猫女優」のレッテルを貼られる。

更に1955年(昭和30年)、溝口監督の『楊貴妃』に出演。先述のように、かつて入江ぷろだくしょんという一女優の独立プロに雇われの身であったことを恥じていたことから入江に反感を持っていた溝口は、入江の演技に執拗な駄目出しをした上、

「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」

とスタッフ一同の面前で口汚く罵倒するという嫌がらせを行った。

執拗ないじめに耐えきれなかった入江は降板、その後は女優として満足な役が与えられなくなった。

1959年(昭和34年)、芸能界に見切りをつけ、銀座に「バー・いりえ」を開き、実業界に転身する。その後は娘の女優、入江若葉の夫の店である有楽町のとんかつ店を手伝いながら余生を過ごした。その間、黒澤明の『椿三十郎』、市川崑の『病院坂の首縊りの家』、大林宣彦の『時をかける少女』、同じく大林の『廃市』に請われて出演し、話題となった。

娘の若葉によると、かつて化け猫を演じた姿を「女優の生き様として知って欲しい」と、若葉に往年の化け猫映画を進んで見せたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B1%9F%E3%81%9F%E3%81%8B%E5%AD%90

極左でマルキストの溝口健二は入江たか子みたいな貴族階級の人間を憎悪していたんですね。  

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