★阿修羅♪ > 近代史3 > 176.html
 ★阿修羅♪
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/176.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 20 日 14:03:50: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


音楽の時代は終わった _ 音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も

2018.10.20連載篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」
音楽大学卒業生の悲惨な就職事情…オーケストラ、1名の求人に200名以上殺到も
文=篠崎靖男/指揮者
https://biz-journal.jp/2018/10/post_25188.html


 厚生労働省が発表した8月の有効求人倍率は、1.63倍。日本人の勤勉さをもってしても、よくここまで日本が持ち直したものだと思います。バブル崩壊後の1993年から2005年までの13年間、リーマンショック後の2008年から2013年までの6年間は、有効求人倍率1倍を割っていたわけで、その時代に就職活動をしていた方々は、本当に大変な思いをなされたと思います。転職なんてとんでもない時代でもありました。特に1999年には求人倍率0.48倍を記録。その年を挟んで前後数年間は、2人に1人しか就職できない状況だったわけです。

 一方、オーケストラの就職事情に目を向けてみると、世界のどこを見まわしても、求人倍率0.48倍などという“素晴らしい時期”はなかったことでしょう。最初に答えを言いますと、0.01倍にも届かないのが実情です。9月3日付本連載記事でも少し触れましたが、たとえばヴァイオリンひとつとっても、日本全国42校ある音楽大学から、毎年ものすごい数の卒業生が生まれてきます。そんな彼らに対して、日本にはオーケストラが36団体しかないうえに、各オーケストラのヴァイオリンの求人は毎年、数名程度あるかどうかなのです。オーケストラによっては、募集がまったくない年もあります。しかも、卒業して何年もオーディションを受け続けるので、著名オーケストラともなれば、たった1名の求人に対して200名以上の候補者がオーディションに押しかけて椅子を奪い合うということも珍しい話ではありません。

 この背景には、細分化された専門職集団というオーケストラの特異性があります。オーケストラは大きく、弦楽器、管楽器、打楽器、そしてハープやピアノに分けられます。たとえば管楽器では8種類あります。そのなかで一番高い音を演奏するフルートの定員は、オーケストラの規模にもよりますが、通常2名から3名程度です。それもまた、首席奏者と2番奏者に分かれます。こう聞くと、多くの方は「2番奏者としてオーケストラに入って、経験を積んで首席になるのだろう」と思われるかもしれませんが、そうではありません。ソロが多い首席奏者のほうが給料は高いことは確かですが、2番奏者も首席奏者とは違う特別な技術が必要となる専門技術者なのです。首席奏者も2番奏者も、同じ楽器でありながらオーディションは別に行われます。

 そして、当然のことながら、フルート奏者はフルートしか演奏しないので、仮にトランペットやヴァイオリン、クラリネットの求人がたくさんあったとしても、フルートに空きがなければ、その年の就職口は閉ざされてしまいます。

オーディションに受かった後にも困難が待ち受けている

 このように常に就職難の状況なので、海外のオーケストラのオーディションを受けて、日本から離れて活動をしているオーケストラ奏者も数多くいます。もちろん、留学をして当地のオーケストラのオーディションを受けた方々が多くを占めているので、日本のオーケストラが就職難だから海外で就職というケースは多くありませんが、北はフィンランドから南は南アフリカまで、ヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国と、どこのオーケストラに行っても、大概は日本人奏者に出会います。

 では、海外のオーケストラのほうが就職口は多いかといえば、そうではなく、事情は日本とまったく同じです。やはり、誰かが定年退職したり、途中退団してくれないことにはポジションが空きませんし、運よく空いたとしても何十人、何百人もの若い音楽家がオーディションに押し掛ける点では同じなのです。しかも近年、ヨーロッパではビザの申請基準が厳しくなっており、外国人が職を得ることが本当に難しくなってきました。

 さて、オーディションに運よく受かったとします。しかし、「もう一安心。家族親戚にも胸を張って会える」かといえば、そうではありません。ここからが本当の勝負となります。それは、1年間の試用期間です。その期間中は、実際に仕事をしながら、ずっと周りの楽員に審査をされることになります。若い奏者は経験もありませんし、そのオーケストラ独自のやり方を習得するだけでも大変なのに、これまで演奏したことのない新しい曲が毎週、押し寄せてきます。なんとか最初の2、3カ月はこなせたとしても、1年間はとても長く、そこでボロを出してしまうことも多いのです。それをすべて乗り越えたのち、最後にオーケストラの同意を得て、やっとプログラムにも正団員として名前を載せてもらえることになります。残念ながら、その試用期間を通ることができなかった奏者を、僕もたくさん見てきました。

 皆さん、「オーケストラの楽員って、大変だなあ」と思われたと存じます。僕も心からそう思います。しかし、少しは良いことがあります。僕がロサンゼルス・フィルハーモニックの副指揮者をしていた時に、当時のフルート首席奏者であるジャネット・ファーグソン氏が、こう話してくれました。

「私の主人は、ウォルト・ディズニーで仕事をしているの。良い仕事だけど、半面、いつリストラされるかわからない。だから、オーケストラ奏者のほうが安定しているのよ」

 僕はなるほどと、思いました。アメリカのオーケストラは、音楽監督(指揮者)が絶大な力を持っており、奏者をクビにできるほどの権利があるけれども、音楽家組合が強いので、実際にはできません。

 日本のオーケストラでも就職するのは大変ですが、よほどのことがない限り、リストラの心配はありません。オーケストラには一般企業とは違う根本的な理由があるからです。たとえば、いくら経済状態が悪くなっても、「この経営危機を乗り越えるために、フルートは1人だけにしよう。トランペットはなし」といったことはできません。ひとつでも楽器が欠ければ、作曲家の楽譜通りには演奏できなくなります。つまり、オーケストラは全体が一蓮托生といえるのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

●篠ア靖男

 桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。

 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。

 2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。

 国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。

 現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-12848] koaQ7Jey 2019年1月20日 14:08:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

ヴァイオリン(Vn)教師の四方山話ーヴァイオリンを教えるとは


名指導者とは

 さる音楽談話例会における話題の中で、「名選手必ずしも名指導者にあらず」と言っていたが、 同じ事が音楽にも言えるのではないかと思う。

 ヴァイオリン(以下、Vn)の世界では、レオポルド・アウアー、エネスコやエルマン等は、一世を風靡した 歴史に残る超一流のソリストであったが、その弟子も一流のソリストに育てている。

   特にレオポルド・アウアーに至っては、弟子にジンバリスト、エルマン、ミルステイン、 ハイフェッツとくれば、これはもう驚きである。・・・歴史的な名ヴァイオリニストがずらりと並んでいる。日本では江藤俊哉がその範疇に入る様に思われる。

 しかしVn界全体を通して眺めて見た場合、自分自身はソリストとして前者ほど華々しく 脚光を浴びていない人物が、指導者として、超一流のソリストを育てている場合が、意外と多い様に 思われる。

 日本では鈴木鎮一や鷲見三郎がその範疇に入るのではないだろうか!

ジュリアードのガラミアンとディレイ

 アメリカではジュリアード音楽院のイワン・ガラミアンやドロシイ・ディレイであるが、共に 素晴らしい名ソリストを数多く育てている。ざっとあげてみると次のようになる。


イワン・ガラミアン
ズーカーマン。渡辺茂人。マイケル・レビン。
パールマン。チョンキョンファ。・・・Etc


ドロシー・ディレイ
パールマン。原田孝一郎。竹澤恭子。五嶋みどり。
諏訪内晶子。ギル・シャハム。アン・アキコマイヤーズ。
シュロモ・ミンツ。漆原朝子。チョーリヤン・リン。
チー・ユン。サラチャン。神尾真由子。数住岸子。
前橋汀子。加藤知子。ナイジェル・ケネディ。奥村智弘。・・Etc

(年長の生徒はドロシーがガラミアンの助手をしていたために共通の生徒がいる。)


 このようにして、Vnの指導を受けるのはジュリアードに限る、それもガラミアンや ドロシー・ディレイの指導を受けることが、ヴァイオリニストとしてのステイタスにもなっている ばかりでなく、実際に世界を席巻するソリストが、続々と送り出されている。

 ガラミアンの教育法は古い権威主義と呼ばれていた様に独自の指導法で、誰に対しても同じ方法で 徹底して指導したが、生徒は細部まで、正確に徹底した練習を求められ、テクニックの習得に重点が 置かれていたと言う。

 先生の指示する弓使い、指使いに従わない生徒には容赦をすることがなかった。

 特にガラミアンは運弓の名手と言われたカペーの弟子であっただけに運弓にはうるさく、後に ガラミアンのトレードマークになるが、大きく弓を使いいい音を出すことを徹底して訓練した。

   後にガラミアンは石ころでも立派に磨き上げて、ヴァイオリニストを創ることが出来たと評されている。

 これに対してドロシー・ディレイには固執する教授法はない。

 機械的に反復練習ばかりをさせる事はなく、この生徒のどこに問題があるのかを並み外れた洞察力で もって見い出す事に重点を置き、その生徒に必要なものは何かを的確に指摘した。

 そして生徒と徹底的に話し合い、やがては生徒自身が問題点を見つけ出せるところまで指導すると 言ったものである。

 また生徒の良い点は徹底して褒めて褒めて伸ばしていくと言う教育法をとった。従って生徒は気が付かない間に問題点を克服し、その子が知らない間に弾けなかったところが、いつの間にか弾けている と言う具合であった。

 従ってドロシイの生徒は画一的な教育法でないため、自分に合った様に、自由に成長していった。


 話はそれるが、かつて渋谷天外が藤山寛美を育てるとき、欠点はさておき褒めて、褒めて一流の 芸人に育て上げた教育法に似た感じがするが、しかしその生徒の数、レヴェルを考えるとき、 ドロシー・ディレイは実に天才的な指導者であったと言わざるを得ない。

 ただこれだけ優れた有名な指導者になると、教えを乞う生徒も莫大な数になり、そのいずれもを 平等にレッスンをすることは難しく、やはり才能のある生徒に重点を置かざるを得ないと言う悩みは あったようである。

 そのためか、単に一度か二度レッスンを受けたとか、公開レッスンに参加をしただけで、 ドロシー・ディレイに師事をしたと言う人がいるそうである。

 これはドロシーもよく知っていたが、その生徒がマネージャーとの交渉とか、後々の仕事がうまく行くのならばと言うことで、苦笑いしながらも黙認する事があったと言う。

ヴァイオリン(Vn)教師の逸話二題

 その一つは、地下鉄の駅の入り口でいつもVnを弾く、いわばホームレスがいた。足下には 「投げ銭」をもらうためにVnのケースを開けたままで置いてある。その傍をラヴエルが 通りかかり、

「こんな下手な演奏は今まで聞いたことがない、全くひどくて話にならん」

と通り過ぎた。

 次の日またラヴェルが通りかかったら、今度はVnケースの横に「ラヴェルに師事」と 書いてあったと言う。


   もう一つは、ある時ドロシー・ディレイが飛行機に乗っているとき、Vnを抱えた学生が 乗り込んでディレイの席のそばを通った。

 「まあVnを習ってらっしゃるの、すてきね〜、先生はどなた?」

と尋ねたところ、その学生は困った顔をしてディレイ先生です、と答えたという。


 これらは笑い話であるが、事実このような話はいくらでもあるようだ。

 日本でも、よくある事と考えられる。単に一度公開講座を受けただけで、誰々先生に師事と演奏会の パンフレットに書いてある。百歩譲ってそれでもよかろうと思うが、聡明な聴衆は決して騙される事は ない。聴衆は良い演奏とそうでないものはちゃんと聞き分けているものである。  演奏家はそのことを肝に銘ずるべきである。
http://chauchaw.web.fc2.com/hafuna-48-4.html

イヴァーン・ガラミアン(Ivan Galamian, 1903年1月23日 – 1981年4月14日)

1903年1月23日アルメニア人の両親の下に、ペルシア(現イラン)のタブリッツで生まれた。

1905年2歳のとき家族でモスクワに移転。彼は早くからVnに興味を抱き、両親はそれを伸ばした。

1916年13歳のときモスクワ・フィルハーモニック・スクールに入学し、アウアーの弟子であるコンスタンティン・モストラに師事した。

1917年ロシア革命後、父が実業家として成功していたため、ガラミアンは投獄された。しかし、当時ボリショイ劇場管弦楽団の団員であったことから、釈放された。

1922年パリに移住し、運弓法の権威であったパリ・コンセルヴァトワール教授ルシアン・カペーに師事した。

1924年パリでリサイタルを開いてデビューした。

このころからパリのロシア音楽院でヴァイオリンを教え始めた。

1937年ニューヨークに移住し、ヴァイオリンを教えた。

1944年にジンバリストの招きでカーチス音楽院の教授となる。

1946年ジュリアード音楽院の教授となり、1948年からドロシー・ディレイが助手となった。

ガラミアンの指導は、技術の習得を最優先した厳しいものだった。特に「弓使い」が専門で優れていた。

1970年にはディレイと仲違いをしたと言われている。

マイケル・レビン、パールマン、チョン・キョンファ、ズッカーマン等を輩出。
http://blogs.yahoo.co.jp/senninnehan/15169841.html

ガラミアンのスケールブックについて
http://www.youtube.com/watch?v=O6r0f7_JFo4

ヴァイオリン奏法と指導の原理 イヴァン ガラミアン (著)

・真面目にヴァイオリンを習得しようとした場合
・真面目にヴァイオリンを教えなければならない場合

きちんとした理論が欲しくなりますが、この本はそうしたきちんとした理論の代表格のようなものです。

値段は大変高く、訳も古く、本の体裁もとてもお堅いですが、ヴァイオリン教育業界では知らぬ者のないイヴァン・ガラミアンの著作とあれば、当てはまる人は参照して研究するべきでしょう。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%A5%8F%E6%B3%95%E3%81%A8%E6%8C%87%E5%B0%8E%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86-%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3-%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%B3/dp/4276144523

アイザック・スターン曰く、

「ガラミアンは教師としてずば抜けた才能を持っていました。
ガラミアンは、まず初めは楽器を弾きこなすことが先決であり、そのために全てのテクニックの練習曲をさらうこと、
次に、テクニックを付けるための曲を弾くことが大切だと感じていました。」


ピーター・ウンジン曰く、

「人は、ガラミアン先生は石ころからでもヴァイオリニストを作ることが出来ると、いつも噂しました。

ガラミアン先生は右腕の移動の方法を知り尽くしていました。
ヴァイオリンの構造をよく理解していたのです。

生徒達は、数週間ごとに新しいコンチェルトを勉強するように言われました。
全ての指使いとボウイングを教え、それを生徒が間違いなく弾けば、その曲の学習が終わったことになります。もし、スピッカートが下手ならば、スピッカートのたくさん入った曲を練習させるのです。」


パールマン曰く、
「完璧に弾かねばなりませんでした。
さもなければ、先生の目がギラギラと睨みつけ、この世の終わりという感じでした。」


スタインハート曰く、
「私がもう学生ではなくなった時、先生は親しく口をきいて下さいました。
時々チェスをご一緒しました。ゲームの時はいつもウォッカのグラスを持ち、
『一杯目はおいしい。二杯目はもっとおいしい。三杯では足りないね。』
と言うのが口癖でした。」
http://blogs.yahoo.co.jp/senninnehan/15169841.html

天才少年ヴァイオリニスト 渡辺茂夫の喜劇(悲劇?)

渡辺茂夫(1941年6月26日 - 1999年8月15日)


Shigeo Watanabe plays the violin
http://www.youtube.com/watch?v=6uMdz9HeREI

Schubert's Ave Maria Violin and Piano - Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=qzaQJuVmJlI

Tchaikovsky Violin Concerto in D, Op.35 - Violin: Shigeo Watanabe - Japan - Miyajima
http://www.youtube.com/watch?v=UxEuFi6RpSo

Niccolò Paganini - Le streghe Op.8, MS19 - Violin - Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=9kdSBAhki40

Felix Mendelssohn - Auf Flügeln des Gesanges ( On Wings of Song ) - Violin: Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=HdLo_OUj6lo

Frédéric Chopin - Nocturne No.20 in C-sharp minor - Violin: Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=XbEp4W5Z-dE

戦後日本に彗星のごとく現れた天才少年ヴァイオリニスト渡辺茂夫。

4歳半よりアウアー流派の教授法を研究した父季彦氏より薫陶を受け、13歳で来日していたハイフェッツに才能を高く評価される。

その後ハイフェッツによる熱心な推薦で無試験でジュリアード音楽院へ入学し、ガラミアンに師事。

アメリカでもその才能は高く評価されるも、ガラミアンとの意見の不一致や戦後間もない日米間の微妙な空気などから精神不安となり1957年自殺未遂、演奏活動の続行は不可能となった。

この悲劇的かつ伝説的な神童の演奏は渡米前、渡米中の録音がいくつか残されており、その類稀な音楽性を窺い知ることができる。演奏活動を続けていれば間違いなく世界的なヴァイオリニストに成長したと思われ、残念この上ないことである。
http://www.fstrings.com/player/detail.asp?id=68

渡辺 茂夫は少年時代に戦後復興期の日本で活躍したヴァイオリニスト。いわゆる伝説的な音楽的神童のひとり。

音楽家一家に生まれ、茂夫の生母・鈴木満枝はヴァイオリニストだった。4歳より、母方の叔父の渡辺季彦が経営する音楽教室(渡辺ヴァイオリン・スタジオ)でヴァイオリンを学び始める。その翌年、両親の離婚にともない、そのまま渡辺家の養子となった。


天才少年の誕生
1948年(7歳)に芝白金小学校に入学するが、早くもこの年に、巌本真理より音楽的才能を絶賛され、12月に最初のリサイタルを、翌年以降も毎年1回の定例コンサートを行う。また、1949年にはヴァイオリンを弾く少年役として映画「異国の丘」に出演している。早くも創作面にも関心を示し、音楽理論を石桁真礼生に師事しながら作曲活動や詩作にも着手し、小学校の最終年次にヴァイオリン協奏曲、オペラ、ヴァイオリン・ソナタを作曲。その作品はクラウス・プリングスハイムによって高く評価された。


渡米
1954年(13歳)に暁星中学校に進学。同年、イギリスの名指揮者マルコム・サージェントの指揮により、東京交響楽団とチャイコフスキーの協奏曲を演奏。来日したダヴィッド・オイストラフを訪ねて演奏を行う。5月、渡辺季彦の奔走により、帝国ホテルにおいて、来日中のヤッシャ・ハイフェッツに面会し、演奏を披露、ハイフェッツに深い感銘を与え「百年に一人の天才」と評される。

6月にハイフェッツからの招待を得て、両親に促されて渡米が決まる。1955年3月、ジュリアード音楽院院長より、「ハイフェッツ氏の熱心な推薦により」無試験入学が許可される。各方面の支援者(アメリカ軍属、朝日新聞社、その他の個人)から経済的援助を受け、期限は2年間、演奏旅行には連れ出さないとの条件により、7月に飛行機で渡米。


輝かしい未来
(14歳)カリフォルニア州で語学研修を受けるかたわら、奨学金を得て地元の夏季音楽講習会にも参加する。早くも天才ぶりと品のよい物腰から脚光を浴び、とりわけハンガリー人ピアニストのジェルジ・シャンドールに目をかけられた。

8月末にはモーリス・アブラヴァネルの指揮でベートーヴェンの協奏曲を演奏して、サンタバーバラ市の地元紙で絶賛される。講習会の告別演奏会にも出席して、自作のヴァイオリン・ソナタを披露する。9月にニューヨークに到着し、ジュリアード音楽院でペルシャ出身のヴァイオリニストイワン・ガラミアン(アイヴァン・ガラミアン)に師事することが決定。日系人の家庭にホームステイを始めるが、後にガラミアン宅に同居する。


最後の栄光
1956年(15歳)からニューリンカーンのハイスクールに通学。この頃から日本への連絡が途絶えがちになる(一説には、日本や日本語に対する嫌悪感があらわれたと言われる)。職業音楽家を集めたプライベートの演奏会において、ハイフェッツの伴奏者として知られるエマヌエル・ベイのピアノにより、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ、ヴィエニャエフスキの≪協奏曲 第1番≫を演奏。出席者には、レナード・バーンスタイン、ピアティゴルスキー、レナード・ローズらの顔ぶれがあり、ハイフェッツのお気に入りの指揮者アルフレッド・ウォーレンスタインからは、世界一の演奏家になるとのお墨付きを得た。

新学期の9月には、ジュリアード音楽院で史上最年少の奨学生に選ばれ、さらに半額と規定されていた奨学金も全額支給される。秋にガラミアン教授宅を出て、ホームステイ先を変更。すでにガラミアンと折り合いが合わなくなっていた。

青春の終わり・悲劇の幕切れ
1957年2月、情緒不安定を訴え精神科に通院。春にふたたびホームステイ先を変更する。4月より助手としてジュリアード音楽院に残り、研究のかたわら治療を続ける。夏のヴァカンスでカリフォルニア州に行き、恩人ハイフェッツを訪ね、激賞された。9月にジュリアード音楽院に再入学するが、乏しい報酬と心もとない支援金により耐久生活を余儀なくされており、劣悪な住環境しか見つからなかった(身元引受先のジャパン・ソサエティによる配給額が適切でなかったためとされる)。

異国の地で人間嫌いと疎外感がつのるようになり、自殺願望をほのめかすようにもなると、両親は茂夫の急変を察知。ジャパン・ソサエティに緊急帰国を要請するも、同協会は茂夫の治療優先の方針を崩さなかった。ついに11月2日、茂夫は未成年が購入禁止とされているはずの睡眠薬を大量に服用する。11月5日に日本の家族に危篤を告げる電報が届いた。一命はとりとめたものの、不幸にも脳障害が残り、意識を回復する見込みはなかった。翌年1月、家族の要請により日本に送還され、その後四十年以上に渡って在宅療養を続けた。

演奏の特徴
茂夫の演奏は、ガラミアンにつく前にすでにある程度の完成の域に入っていた、と養父・季彦はいう。アウアー奏法を基本として技術的にも優れた才を示していたにもかかわらず、ガラミアンがそれに理解を示さず、独自の厳しい指導でもって自身の奏法へ転換させようとした重圧に茂夫は苦しみ続けたといえる。

茂夫の養父、渡辺季彦 (1909年 - 2012年6月10日[2]) はヴァイオリン教師であり、門下生の多くが国内の各地や海外で、ソリストや楽団員として活動している。渡辺季彦は、カール・フレッシュの理論書やレオポルト・アウアーの著作をひも解きながら、独自のメソッドを編み出しており、小野アンナと同様、早期教育の重要性を説いていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E8%8C%82%E5%A4%AB

渡辺茂夫は10代に満たない頃すでに国内では神童として名が通っていた。その評価が決定的になったのは、来日したハイフェッツに高く評価され、ジュリアード音楽院への留学を強く推薦されたことだった。

茂夫にヴァイオリンの手ほどきを施した父季彦氏はハイフェッツの師アウアーの教授法の熱心な研究者で、その最も偉大な門下生、ハイフェッツの推薦は決定を意味していた。しかしこのことが悲劇の幕開けとなるとはこの時、誰も思わなかった。

ジュリアードで茂夫が師事したガラミアンは、近代的合理奏法を推し進めた教育者である。そのため、アウアー流派を強く信奉し、既に完成したスタイルを確立していた茂夫とは奏法上の意見が折り合わなかった。

次第に茂夫はアメリカに来た意味を見失い始める。折りしも戦後間もない微妙な時期で、敗戦国からやってきたこの少年に対する周囲の目も相当に冷たいものであったともいう。こうして彼は演奏ができない体になって日本に戻った。時代と巡り合わせによる悲劇という他ない。

 彼は10代に満たない頃から既に深い音楽的洞察を行っている。これは残された録音からも明らかである。この天才を授かったわずか10歳そこそこの少年は、メニューインの来日時の演奏を日記中に評して「深みのない演奏だった」と述べている。実演がどうだったかはひとまずおいて、彼がこの感想を抱くだけの確立した音楽を自身の中に持っていたことは間違いない。

彼の音色は私の知るすべての日本のヴァイオリニストの中でもっとも個性的で、そして最も美しい。その上、天性に他ならない自然で優雅なフレージングを持っている。もし、演奏活動を続けていれば、と思わずにはいられない。
http://www.fstrings.com/player/

神童 渡辺茂夫

音楽の世界では、しばしば神童が現れます。古典的にはモーツァルトやメンデルスゾーン、現代では、ヴァイオリン奏者のヤッシャ・ハイフェッツや五嶋みどりが有名です。ところが、日本にもう1人まだ音楽活動を続けていたならば、演奏面のみならず作曲面でも歴史に留められたであろう神童がいました。

昭和20年代後半に若干10歳を少し越えて国内の演奏家として確固たる評価を受け、14歳で世界を睨んで、米国のジュリアード音楽院に留学した渡辺茂夫です。

残念ながら彼は留学中の昭和32年に自殺未遂をおこしその輝ける才能は16歳にして終焉をむかえます。両親をはじめ多くの関係者から世界の音楽家として一身に期待を受けていた茂夫でしたが、すでに音楽家としての「渡辺茂夫」は完成されていました。それでも彼が留学したのは、当時の日本では彼と共演できるレベルの音楽家が少なかったこと、それに最高を目指すにはやはり世界の舞台に立つ必要があったからです。

しかし、茂夫の音楽性を理解していた人たちは、それでもなぜまだ幼い時期に留学の必要があったのかと顧みます。今回は、神童の出現、渡米、そして自殺未遂まで、なぜ日本の偉大な才能が失われるに至ったかを考察します。

神童が生まれるまで

神童には2つのパターンがあります。生まれながらにしての天才、そして努力を重ねた結果の天才。モーツァルトを前者とすれば、茂夫は明らかに後者です。

養父の渡辺季彦はオーケストラのヴァイオリン奏者としても、また音楽教育者としても一流の人でした。自らの経験から音楽教育は幼いうちから徹底して行うべきだと、茂夫にも5歳のころからスパルタ式でヴァイオリンを教え込んでいきました。

毎日7〜8時間、幼い子供には地獄ともいえる特訓を施したのです。彼の完ぺきなまでのテクニックは父の指導のもと完成していき、そして彼の天賦の才能が加味して、後に「天上の音楽」とも呼ばれた、他にはまねの出来ない演奏を行うようになりました。7歳の小品の初リサイタルから、小学6年生の時にはすでにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の共演まで神童にふさわしい音楽活動を続けました。

神童は神童を知る

ヤッシャ・ハイフェッツ茂夫がジュリアードへ留学するきっかけとなったのは、世界的なヴァイオリニスト、ハイフェッツとの出会いでした。茂夫の才能に惚れ込んだ彼は、最年少でジュリアード音楽院のスカラシップに推薦します。

ハイフェッツ自身、15歳の時ベルリンフィルと共演して、「100年に1人の天才」と呼ばれた人物です。非常にプライドの高い彼は、茂夫をして「25年に1人の天才」と称賛しました。これはハイフェッツにとっては最大の賛辞なのです。

また一方、茂夫は作曲の方面でも非凡な才能を発揮しました。茂夫が試作するソナタやオペラを見て、彼を指導した武蔵野音大教授プリングスハイムは最大級の賛辞を惜しみませんでした。もし、彼が作曲を続けていたならば、演奏家としてだけではなく、作曲面でもクライスラー以上の成功が約束されていたでしょう。茂夫の音楽にはそれほどの美しさが宿っていたのです。

ガラミアン学校
イワン・ガラミアン教授茂夫を推薦したハイフェッツには大きな誤算がありました。

父、季彦が茂夫に伝授した奏法はかつてハイフェッツも師事したレオポルド・アウアーの流れを含むものです。一方、ハイフェッツが推薦したガラミアン(Ivan Galamian 1903-1981)は当代最高の音楽教師でしたが、茂夫の演奏法には否定的でした。

ガラミアン学校では後にパールマンやズッカーマンなど今日では巨匠と呼ばれている演奏者を輩出します。しかしながら、厳格な彼の教育法はすでに完成されたスタイルを持つ茂夫には不適切で、才能を伸ばすよりむしろ混乱を与えたようです。感受性の高い思春期の子供への教育としてよく見られる傾向ですが、褒めることよりも厳格な指示による教え方は、かえって反発を買い、本人の才能を縮める結果となります。

特に感受性の高い茂夫にとっては、ガラミアンのレッスンは、本人の人格まで否定しかねなく、彼は徐々に情緒不安定に陥っていきます。彼の変化は単に反抗的になっただけではなく、人間嫌いになり、また自分自身を否定するような日本語拒否反応を示すようになります。この結果、周りからも疎外されていき、ますます孤独に陥るようになっていきます。さらにひどいことに、本来援助されるべき茂夫の生活費が、当時身元引受先であったジャパン・ソサエティから生活に必要な半分も支給されず、生活は惨めなものでした。


神童の悲劇
茂夫は未成年者が買えない睡眠薬をどこからか買って、それを大量に飲んで、自殺を図ります。それ以前に自殺を匂わす言動がしばしば見られましたが、残念ながら誰も真摯になって彼を顧みるひとはいなかったのです。一命を取りとめましたが、彼の脳細胞は薬の影響で破壊され、音楽家としての偉大な才能も失われました。
http://www.mozartant.com/Jordan/Classic/Shigeo_watanabe.htm

渡辺茂夫(天才バイオリニスト)の晩年の40年間の介護 2012/08/27

2012年6月10日、驚異のバイオリン教師、渡辺季彦氏が103才で亡くなられた。

 昭和21年(1946年)渡辺季彦、美枝夫妻にもとに美枝の妹、鈴木満枝の妹と長男の茂夫が同居を始めた。

 茂夫の実母の満枝もバイオリニストだったため、養父の季彦は5才から茂夫にレッスンをほどこしたが、

「最初は他の生徒と比べ、ダントツの下手さで馬鹿じゃないか、と思った」

という不器用さだったが、季彦の猛特訓に耐え、

「一年ほどたって、上達してきた」。


 それが7才で交響楽団と共演のリサイタル、だから驚くしかない。

 8才での名古屋交響楽団との共演では、日記に「交響楽団が全くついてこれないので苦労した」と書くほどだった。

 渡辺茂夫はジュリアード音楽院(NY)に授業料全額免除の破格の待遇でハイフェッツの推薦で入学。

 バイオリンは人の声に最も近い音を出す楽器という。

茂夫の演奏は門外漢が聞いても、まさに天上からの情感に満ちた、もしや人の声?
ではとさえ思わせる音色、演奏。

 8歳頃か、名古屋交響楽団と共演の際、楽団メンバーだった後述の若井一朗氏は

「いざ、本番、真剣勝負となると、まるで天から神様が降り立ったようだった」

と述べている。

  渡辺茂夫の天才ぶりは米国ジュリアード音楽学院時代の在学女性(米国人)も

「シゲオは現代のモーツァルトだった」

と感歎をこめて(番組で)語っていた。


 さて、渡辺茂夫は当時としては夢のまた夢の渡米してのジュリアード音楽院入学。だが、この渡米が天才バイオリニスト渡辺茂夫を潰してしまった。

ジュリアードの帝王、イワン・ガラミアンに惚れ込まれ、ガラミアン邸(ウェストサイドのマンション)に一室に住まわされた。だが、養父の季彦に教えられて完成の域の奏法を変えられてしまい、迷路に彷徨うハメになってしまった、のが最大の不運だった。

この点について、渡辺季彦氏は

 「ガラミアンのように、全て分かっているはずの人が自分の流儀に強引に変えさせるなんて、彼は結局、本当の芸術家じゃなかったんですね」

と憤懣やるかたない、のである。

 なおジュリアードでガラミアンにバイオリン奏法を変えさせられた被害者!に桐朋学園大教授のバイオリニストの小林健次氏もいて、番組でコメントされている。

 米国留学の必要は(あの時点で)、全くなかった。
来日した(1954年)ハイフェッツとの前での演奏が結果として命を奪った。

 クラシックの留学先としてアメリカは何か不適な面がある。
ヨーロッパが当然ベストだが第二次大戦での疲弊が激しかった。

 すでに完成していた奏法を強引に変えられ、生活面でも葛藤が多かったようだ。ガラミアン亭を出て一人暮らし、を始めてからは金欠の傾向が出てきた。

それはまさに経済的な困窮だった。留学に際して渡辺家は三条件の一つに「アルバイトはしない」を挙げていた。しかしあまりの茂夫の窮状をみかねたガラミアンは「週三回のオーケストラでのバイト」を提示した。
ギャラは月収75ドルでこれは当時の水準でも安い。

 ガラミアンの紹介したオーケストラは「National Orchestra association」で全米の演奏家の登竜門だった。 同時期にジュリアードにいた小林健次もこのバイトをしていたが、この中では小林、渡辺は抜群の実力だった。

 だが、このオーケストラにJudieという茂夫より年長の可憐な白人の少女がいた。16才になっていた茂夫はジュディにぞっこんになった。 茂夫は英文日記で

 「今、ジュディに電話しようかと迷っている。彼女は忙しく、僕のことなどに構ってくれないだろう。この夏は彼女によく逢えた。そして心を乱された。ジュリアードでは同じクラスを僕は繰り返し、幸福ではなかった。言葉も十分でなく、意思の疎通の出来ず、トラブルが多かった。生活も混乱した。他人の感情に悩まされてはいけな(ジュディを除いて)」

 小林健次によれば

「確かジュディという少女はいたように記憶しています。
まだ彼女も十代でした。派手でなく可愛い人でした。オーボエだったか、バ
イオリンだったか、」

 ともあれ、この頃の多感な茂夫が他生年上の少女に恋した、のも無理からぬことだった。だがしょせん、友情としか思っていないジュディは茂夫の苦しみの原因になった。

 日記「ああ、今すぐ、ジュディに逢えたら、と思う。彼女を忘れられない。
彼女のことで頭が一杯だ。この二日間、誰とも話していない。
ジュディがいないと寂しくなる。生きる希望を失っていた僕に希望を与えてくれたのだ」

 「この夏、ジュディに逢ったとき、人生で初めての幸せを感じた。だが、今
はそうではない」

 ジュディを知って逆に週三回のバイトが楽しみになった。

米国でも「二十世紀のモーツァルト」、「比べる者もない演奏」と評されても、・・・・・16才で終わりました、では悔やんでも悔やみきれない損失と言うしかない。

 「今の僕の考えは危険なものになりつつある。誰も親身になって気づか
ってくれないのだ。
 僕は一つの結論に達した。ジュディはもう僕などに関心はない。だが僕
は変われない。ジュディに聞きたい。僕をどう思っているのか。はっきりさせ
てほしい。もう逃げるしかない。全てが終れば何も感じないだろうから」

 「ああ、僕は間違っていた。僕を助けてほしい。ジュディだけが僕を助けてくれる。僕は疲れてしまった。今の僕は何も出来ない。もう数週間したら、・・・」

 十月下旬、茂夫はジュディへの手紙をオーケストラノメンバーに託した。
だが、返事はなかった。いくら待っても返事がないことに茂夫は絶望した。

 ・・・・実は手紙を託されたメンバーが忘れてジュディに渡さなかったのだ。
これが運命を決めてしまった。

 「僕はジュディに声をかけた。だが返事はなかった。もうジュディに頼らな
いことにする。僕はもう疲れてしまった。」

 「僕を本当に思ってくれる方へ
 策や彼女に別れを言って、全てが決まった。この夏、全く希望などなか った。僕自身、すべてを忘れようとして、いろんなことをやった。ただ幸福になりたくて友人をたくさん持ちたいと思った。しかし、心の中のどこかでこの世から逃げ出すことを決めていた。(中略)
NYに戻ったとき、人生が恐ろしかった。しかし再びジュディと逢った。気持が戻った。その後、いつもジュディに惹かれていた。彼女こそ僕を幸せに出来るただ一人の存在だ。核心は、僕は全てをジュディに捧げた。が彼女は僕を見ようともしない。もう何も考えないことにしよう」

 茂夫の悲劇が起こって手紙を託されて忘れたメンバーは後悔に苛まれ
た。

 下宿先の女性には自画像「鎖でベッドに足をつながれて演奏している自らの姿」を書いて見せていた。

 1957年11月1日、茂夫は日米協会を訪れた。いあわせたオーバートン事務局長に
「僕はたいへんなご負担になっている、と思います、日本に帰ろうと思うんです」

 日ごろの茂夫の日本嫌いを知っていた事務局長は驚いた。だから
「 無理に帰国させたら自殺のおそれもある」
と精神科の医師も言っていたのだ。それが突然の翻意だ。

 「今帰国したら皆、おかしいと思うよ」

 「そうでしょうか」茂夫は首をかしげた。

 翌、二日後もまた茂夫が現れた。
「もう身許保証人になっていただかなくていいです。すぐ日本に帰らせてください」

 翌日の三日は茂夫は終日、部屋にこもっていた。

 この日の午後、2階の小林健次の部屋を米国人がノックした。

 「建次、ちょっと心配なんだ。いま廊下で茂夫は私に錠剤を見せて
『これを飲んで死んでやる』
なんて言ってるんだ。大丈夫かな。私は仕事があるので見ていてやれないが」

 小林健次は茂夫の茶目っ気と思った。本気で死ぬ人間がそんなものを人に見せるだろうか。小林は、どうすべきか、思案していた。

 その夜、12時近く、うとうとしていた小林健次は誰かが激しくノックする音で目が覚めた。

 「建次、起きろ!茂夫が大変だ!」

 「何があった?」

 「茂夫が自殺したんだ」

 小林ははねおきて4階の茂夫の部屋に走っていったがすでに茂夫は運びだされていた。

 ニューヨーク市警に報告が入ったのは午後11時45分。パトカーが到着した時は既に誰かがセント・ルークス病院に運んでいた。

 市警の報告書

 「男性、16才、黄色人種。シゲオ・ワタナベは特定できない睡眠薬を飲んで明らかに自殺を計った。個人的にセントルークス病院に運ばれた。
 ジャパンソサイアティによれば本人は重体で面会謝絶。医師はスコポラミンとメサフィリンを服用したのが原因としている。この大量摂取は危険である。失恋で精神がめいっていた、との証言もある。要望で捜査は打ち切る」

 ただちに全力を挙げての茂夫の治療が始まった。意識不明で瞳孔散大 。
自律神経失調で発汗しない。そのため体温は急上昇して40度を超えていた。全身は反り返っていた。胃の洗浄したが薬物は既に吸収されていた。
呼吸困難が始まった。痙攣が顕著。服毒から治療開始まで7時間経過。

 小林健次も病院に来たが、
「口も利けず私が誰かもわからない。言葉も話せない」


 外務省にNY総領事館からの報告

 「目下、当地でバイオリン研修中の渡辺シゲオは米国人娘に失恋し、それを苦にして、昨日3日夜m多量の睡眠薬で自殺を企て、重体になっているところを発見され、直ちにセント・ルークス病院に搬送された。あらゆる治療がなされたが、午後にいたっても危篤状態は変わらず、担当医師の話では、回復の見込みはなく、命は取りとめても脳が破壊されているため通常の生活はおろか、寝たきりになって精神機能もないであろう、ということである」

 渡辺季彦はこれを信じることはなく、終始一貫、自殺など責任逃れであって、何者かの陰謀によるものだ、と信じて疑がわなかった。

 茂夫の治療費は莫大になっていった。協会の茂夫のためのお金はすぐに枯渇した。若井一朗は米国が責任を持って面倒見るべき、と主張した。

 結局、それは無理と分かり、茂夫を帰国させる、こととしたが、この重体の半死半生の患者をどうやって遠路はるばる帰国させるか、が問題になった。

 若井は協会会長に掛け合って渡辺茂夫基金を創設することを認めさせた。茂夫が生涯に得る金額は想像を絶する大金だろう。それだけの金があれば茂夫を帰国させても療養生活を余裕を持って送れる、と踏んで若井は自ら付きそって帰国させることとした。

 日本航空は断った。ノースウェストが受諾した。コクピットの後ろの特等席にある四つのベッドの一つに茂夫を固定した。若井が付き添っていた。 鼻にはvチューブ尿を取るカテーテル、他の乗客は何事か、と怪訝な顔をしていた。

 機内で茂夫は暴れ、わめき、他の客は必死で耐えた。

 昭和33年1月16日、羽田に到着した。そして渡辺季彦などの待つ自宅に到着した。・・・・・・

 テレビ朝日の番組では

 若井氏いわく「脳の表面が壊れてしまっていて、喜怒哀楽はかろうじてあるようだったが、四肢も動かせず全く動けなくなっていた.全身は硬直し、けいれんが続いていた」

 ・・・・脳の表面が壊れていた、・・・とは開頭したのだろうか。・・・・
睡眠薬多量服用のためとされる。

 だが養父の渡辺季彦氏は生涯、その死の原因を追究し続け、
「茂夫が自殺なんかするはずないじゃないですか。NYの新聞記者によれば茂夫はギャングの陰謀に巻き込まれたんですよ.。これは、はっきりしていることなんですよ」
(89才のとき、テレビ朝日放送番組で)

 ・・・・・渡辺季彦氏は鎌倉でバイオリン教師(レッスン)の傍ら91才まで茂夫が58才で亡くなるまで40年間、必死の介護、リハビリを行い、最後は何とか支えたら歩けるていどにまで回復させた。しかし帰国後、言葉を発したことは一度もなかった。

 TV]で放送されたその時の茂夫と風呂に入れて食事もさせる季彦氏(当時89才)のそのに気丈な姿。あまりに愛情に満ちて献身的な季彦氏である。

 なおこの時、番組スタッフが茂夫氏に何度かコンタクトを計り、最初は茂夫氏も警戒心を示していたが、徐々に完全に打ち解けてくれたそうである。

テレビ朝日で放送された茂夫死去2年まえの番組のゲストとして出演されていた服部克久先生が

 「さらに経験を積んで上達し、彼が最高の名器で、そして現在の録音技術の中で演奏していたら、どれほど素晴しいものが出来ていたことか。日本はまさに宝を失った、ということなんです」

 は、まさに至言と思われます。

 それにしても半生半死の状態で帰国、動けず、言葉もなく、感情も失せた茂夫を必死の介護で支えた養父の季彦は茂夫が1999年8月15日、58才で亡くなるまで二人で41年間、肩を寄り添って鎌倉で生きたのである。
http://madonna-elegance.at.webry.info/201208/article_28.html

まあ、これだけ気が小さくて意気地無しだったら大成できる筈も無いんですけどね。

ガラミアンには何ら責任は有りません。

欧米では か弱い女性でもこの自己主張の強さですからね:


ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグ。

Nadja Salerno-Sonnenberg Plays Mendelssohn's Violin Concerto on the Tonight Show
http://www.youtube.com/watch?v=ROWnNIVgVyA


知っている人は知っている。私と同い年らしい。

1960年生まれのアメリカのヴァイオリニストで聴いて頂きますが、この人とんでもない「じゃじゃ馬」だったようです。

ヴァイオリン教師の神様のような伝説的存在、カーティス音楽院の故・イワン・ガラミアンに習ったのですが、全然、言うことをきかなかった。ガラミアンはおっかない先生で「イワン雷帝」というニックネームで呼ばれる厳しい人でした。とにかく基礎から徹底的に絞る。おかげでパールマンとかものすごく優秀な弟子が才能を伸ばしました。

ガラミアンの

Cry now. Play later.(今、泣いて、後で弾け)

という有名な言葉があります。今はとにかくテクニックを身につけろ。上手くなれるだけ、なれ。

音楽的にどうだとか、そう言うのは後で良い。と、まあ乱暴に言うと、そのような意味です。

以前、日記に書いたので、お読み下さい。

2004年01月07日(水) Cry now. Play later."―今、泣いて、後で弾け。― イワン・ガラミアン=ヴァイオリン教師

さて、今日お聴き頂くメンデルスゾーンのソリスト、ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグという人。前述のとおり、並の変わり者ではないようです。

イワン・ガラミアンの生徒は大抵、先生に逆らうことなど恐ろしくて出来ませんが、ナージャは、言っちゃうんですね。ガラミアンがナージャの弓の持ち方がなっていない、と指導すると、

「どうして?他の子にはそれでいいかもしれないけど、私は嫌だわ」

一時が万事で、とうとう、ガラミアンは匙を投げたそうです。


その後、我流で練習していたらしいのですが、14歳の時に、やはりヴァイオリン教師の神様みたいな、ジュリアード音楽院のドロシー・ディレイという先生の門下生となるのですが、ディレイ先生も最初はひっくり返ったそうです。

ブルッフという作曲家のヴァイオリン協奏曲の一部を弾いて見せたら、ディレイ先生、ナージャの完全に我流のボーイング、楽器の構え方を見て、

「あんな弾き方でどうしてこんな演奏ができるのか、全く信じられない」

唖然としたらしい。それでも弟子にしたのは、音楽的な才能の片鱗をナージャに見出したのでしょう。

しかしながら、ナージャはディレイ先生のレッスンでも大変だったそうで・・・。

ディレイ先生、基礎からやり直させようとしたら、ナージャは、私には前のやり方が合っているし、第一、ちゃんと弾けています。教えなきゃいけないことだけ教えて下さい!

と反論したそうな。相当なもんだね。普通破門だけど、ドロシー・ディレイ先生、辛抱強く説得したんです。すると、ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグはもともとバカじゃないから、先生の言うことの合理性が次第に理解出来て、教えに従うようになったと。

それで落ちつくかと思ったら、また大変でした。1981年にあるコンクールに出てナージャは優勝するのですが、その前、何がどう気に入らないのか、何と7ヶ月もの間、レッスンに楽器を持たずに現れては、ディレイ先生と話をするだけ、という「レッスン」が続いたそうな。ディレイ先生、半年は何とか我慢したが、ついにキレて、

7ヶ月目、
来週楽器を持ってこなかったら、破門にする。更にジュリアードも退学にする。
と、激怒して宣言したのです。それでやっとナージャ・ソレルノ・ソネンバーグは目が覚めて、コンクールまで1日13時間練習したそうです。で二ヶ月でコンクールに優勝したのだから、やはり才能あるんでしょうね。

芸術家に変わり者が多いのは、世間にも知られていることですが、最近の音楽家でこれほど、異端児は珍しい。演奏にも現れてます。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20090313

2. 中川隆[-12845] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:07:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

641: 名無しの笛の踊り [sage] 2012/04/22(日) 13:55:58.48ID:6VuIaPoj

有名な外来オケやソリストでもない限り、ホールを聴衆で一杯にするなんて不可能です。 それこそ音大の学生は、先輩のジョイントコンサートのチケットを1人30枚とか強制的に買わされて、それを、絶対ホールに足を運んでくれる人に配らないといけない、という過酷な日常があるんです。

だから、(言い方は悪いですが)、評論家でも何でも、利用できる人はできるだけ利用してホールを満席にする→あわよくばCDの売り上げにも貢献して貰えたら、どんなお世辞でも言っちゃいますよ、くらい厚顔な人で無いと、クラシックなんてマイナー音楽の世界で生き残るのは難しいんです。

まあ、音大出た女子だとお金持ちの伴侶を得て、そのスポンサー兼配偶者の懐に頼って年に1回のコンサートを開ければ良いかなってレベルの人が大半。

642 : 名無しの笛の踊り [] 2012/04/22(日) 14:19:46.90ID:wl6A03VC

ホテルのラウンジとかでピアノを弾いたりしているのを見ると憐れに思う。

643 : 名無しの笛の踊り [sage] 2012/04/22(日) 15:01:23.51ID:6VuIaPoj
>>642
音大出るまでに何千万円も掛けた結果がそれじゃ辛いっすよね
地方に住んでる音大志望の高校生だと、東京の大先生のところへ毎週末飛行機で習いに行ってホテルに1泊。女子だと母親同伴でしょ。その経費が月謝も含めて月40万円、年間480万円也。

並のサラリーマンの子供ではとても無理。日本のクラシック音楽教育界の悪しき伝統だね。
http://archive.2ch-ranking.net/classical/1320727400.html
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1342928242/

3. 中川隆[-12844] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:15:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

鈴木と北川の二人組 その4 2015/08/22


Phile-webコミュニティでの二人組の「釣果」について、次のような追加情報が入ってきました。


Phile-webコミュニティ
GRFのある部屋 - お気に入りユーザー一覧
http://community.phileweb.com/mypage/f_user/3735/0/


(もうひとつは、「K&K」さん。)
ここは二度目の訪問でした。

オーディオ部屋の横にグランドピアノ(STEINWAY)が置いてあります。
奥さんがピアノを弾くと言っても単に「ピアノが弾ける」程度でへたくそです。

自分の家でほんもののピアノの音を聴いているのにもかかわらず、ご本人はその音の深さというものがいまだに分かっていないんです。

システムから出てくるピアノの音はおもちゃの音です。
しかも定位が悪いので鍵盤の位置が床上30pのところにあります。

サラウンド再生ですので、後方からも音楽が鳴るのには本当に参ります。
それにセンター・ウーファ(サーロジック製)が左SPの横にあり、低音域が左からのみ出る不自然さ、それもボワーン、ボワーンですよ。

今回は延々と夜6時までつきあわされましたが、最悪でした。
http://27415664.at.webry.info/201509/article_2.html

4. 中川隆[-12843] koaQ7Jey 2019年1月20日 15:21:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22225] 報告

シャンソンのピアニストといえば、先日亡くなられた菅野沖彦さんが録音された「La Vie」という名アルバムがあります。

帝国ホテルのレストランで弾いていたピエール・ブゾンというフランスのピアニストと一緒作ったアルバムで、そのピアニストが気になった菅野さんが、ピアニストの宮沢明子さんを伴っていって、確認したというエピソードが語られています。

その時弾いていたピアノがスタインウェイといわれたのですが、
彼は、ベーゼンドルファーからその響きを出していたのです。

このアルバムもピアノはベーゼンドルファーで、陰りはあるけど、秋の日に輝く枯葉の陽の当たる部分も引き出しています。

評論家の菅野さんより、このような名アルバムを作る彼のセンスに想いをはせるべきでしょう。
東京では、本格的な秋になる11月に似合うアルバムです。

そういえば、このアルバムの裏側の写真は菅野さんが撮られたモンマルトルの道でした。
私も、それを思い出して撮ったのが、この写真でした。
https://tannoy.exblog.jp/30141246/


PIERRE BUZON - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=PIERRE+BUZON+


「La Vie」PIERRE BUZON
レーベル: オーディオ・ラボ

ピエール・ブゾンの映画音楽集。

ハリウッドの銀幕から流れていたヒット曲の数々がピエール・ブゾンの手にかかると宝石をちりばめたような世界に変貌してしまう。
フランスのボルドー生まれの彼のエレガントな感性は日本の聴衆のそれとフィットする。(雑誌「CDジャーナル」データベースより)      

*トラックリスト:
01私の心はヴァイオリン,02ララのテーマ,03クロパン・クロパン,04バラ色の人生,
05セ・シ・ボン,06愛の讃歌,07聞かせてよ愛の言葉を,08ラ・メール,
09ムーラン・ルージュの歌,10さらば夏の日,11君の輝,12シラキュース,
13そして今は,14マリー・マリー,15マイ・ウエイ. 
     
*演奏:ピエール・ビュゾン(p).
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89VOl-2-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%BE%E3%83%B3/dp/B00FO0601E


シャンソンのピアニストといえば、先日亡くなられた菅野沖彦さんが録音された「La Vie」という名アルバムがあります。

帝国ホテルのレストランで弾いていたピエール・ブゾンというフランスのピアニストと一緒作ったアルバムで、そのピアニストが気になった菅野さんが、ピアニストの宮沢明子さんを伴っていって、確認したというエピソードが語られています。

その時弾いていたピアノがスタインウェイといわれたのですが、
彼は、ベーゼンドルファーからその響きを出していたのです。

このアルバムもピアノはベーゼンドルファーで、陰りはあるけど、秋の日に輝く枯葉の陽の当たる部分も引き出しています。
評論家の菅野さんより、このような名アルバムを作る彼のセンスに想いをはせるべきでしょう。
東京では、本格的な秋になる11月に似合うアルバムです。

そういえば、このアルバムの裏側の写真は菅野さんが撮られたモンマルトルの道でした。
私も、それを思い出して撮ったのが、この写真でした。
https://tannoy.exblog.jp/30141246/


PIERRE BUZON - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=PIERRE+BUZON+


ある音楽プロデューサーの軌跡 #46「録音プロデューサー菅野沖彦さんの思い出」 – JazzTokyo
http://jazztokyo.org/column/inaoka/post-32958/


昔は、アコースティック楽器を録音するだけですので、録音エンジニアとミキサーが音のほとんどを決めて、それをレコードのカッティングエンジニアが忠実に再現できるように努力していました。

ですから、音楽家は、アルバムの音作りに無関係でした。
この時代は、音楽家でアルバムの音の質を気に留める人は皆無でした。
それでも、アルバムの質を大切にした人はいます。そうした場合には、録音エンジニアを指名していました。

そうした人で、忘れられないのは、宮沢明子と菅野沖彦の関係です。


若き日の宮沢明子
今では、アルバム数が100を超えます

菅野沖彦 1998年に撮影録音したアルバムは
今も販売されています

今では、それぞれ、音楽界の重鎮と、オーディオ界の重鎮ですが、今から30年ほど前は、どちらも新進気鋭でした。

当時の宮沢明子は、アルバムをちょっと出してはレコード会社を変えてしまうことで有名だったのですが、
菅野沖彦のオーディオ・ラボでアルバムを作ってからは、ずっとオーディオ・ラボでアルバムを作っていました。
宮沢明子は、納得できるアルバムを作れる人を探していたのです。

菅野沖彦はジャズのアルバムが多く、クラシックは宮沢明子が中心でした。
菅野沖彦も、納得できるアーティストのものしかアルバムを作る気はなかったのでした。
オーディオ・ラボは菅野沖彦が好きでやっていた会社で、やがて閉じてしまい、
また宮沢明子はさまざまなアルバムを各社から出すようになるのですが、
菅野沖彦との親交は続いていると思います。

だって、宮沢明子のコンサートに行くと、ちゃんといい席に菅野沖彦がいて、
舞台に握手に行ったりしますから・・・。
宮沢明子の繊細で大胆な演奏は、菅野沖彦の録音により残され、今も素晴らしいアルバムとして、再発売が続けられています。


当時の宮沢明子は。音に厳しい人でした。

日本に2台しかなかったboesendorfer Imperial/ベーゼンドルファー・インペリアル
(世界最大級のグランドピアノで雄大な低音とppppまで演奏できる繊細さで有名、
ベーゼンドルファーは創立以来180年弱でピアノを4万台しか製造していません)
のオーナーであり、自宅ではステレオにjblのスタジオモニターを使用しているという、
音に妥協が無い、当時としては信じがたい、時代を超えた音楽家でした。

その感性は、菅野沖彦を選ぶことで、アルバムのもつ「芸術性」という問題を解決したのでした。

宮沢明子の当時の演奏スタイルは正確さよりも音楽性を重視するもので、
そうした点では、今の浜崎あゆみに通じるものを感じますね。

菅野沖彦は演奏ミスを修正することはしませんでした。それは、アコースティック録音の基本でもあります。
でも、今では考えられないことでもあります。


当時の宮沢明子と菅野沖彦の収録風景

現代の収録ではピアノにマイクを突っ込む録音エンジニアが多いそうです(アルバムを多く出しているピアニストが言っていました)。
ピアノの音がどのように楽器から作られるかを、今はもう、理解していないからですね。

音楽も、楽器もわからない録音エンジニアも、今はいます。
音がわからない音楽家と好対照を成しているわけですね。
https://www.calvadoshof.com/Advocate/2004No07.html

5. 中川隆[-11311] koaQ7Jey 2019年11月08日 11:04:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1587] 報告
2017.02.26
なぜ音楽の「天才」は東京藝大を頂点とする秩序から排除されるのか
中川 右介
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51050

昨年秋から、クラシック音楽に関係するベストセラーが二点出ている。

ひとつは、直木賞を受賞した

恩田陸著『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4344030036/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=1a62c47df6c6c9dab9f7bad165124a60

もうひとつは東京藝術大学の現役の学生に取材したノンフィクション

二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4103502916/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=def841b0ff1e34820ed6f007005db4b2


この二冊は、まったく関係ないが、続けて読むと、何かが見えてくる気がする。

まず『蜜蜂と遠雷』だ。

架空の日本国内で開催される国際ピアノコンクール(モデルは浜松国際ピアノコンクール)の予選から本選までを、三人称多元視点で映画的に描く。コンクールに応募した、4人(モデルはいないと思う)が主人公だ。

その4人は、Amazonにある内容紹介を引用すると、

「養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳」
「かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳」
「音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳」
「完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳」

この4人とその関係者、審査員の数名が登場人物で、コンクールの一次、二次、三次、本選までの2週間が描かれる。それぞれの過去も説明されるが、それほど詳しくはない。

恩田陸はミステリ作家のイメージなので、これもミステリかと思ったらそうではなかった。

現実のコンクールは、殺人事件のひとつや二つが起きてもおかしくないくらい、欲望と名誉と金が渦巻く世界だ。しかし、この小説では、性格や人格に問題のある音楽家は出てくるが、彼らも音楽を愛し、音楽にはみな真面目な態度で対峙する。

審査員を色仕掛けや金で買収することも含めて、犯罪めいた出来事は起きない。主人公のひとりが不法侵入めいたことをするが、その程度だ。

「誰が犯人か」ではなく、「誰が優勝するのか」を知りたくで頁をめくっていくことになる。2段組で500頁近い大作で、読むのに5時間かかったが、一気に読んだ。それくらい面白い小説である。

だが、ストーリーを要約するのは難しい。

ひたすら演奏シーンが続く小説で、ストーリーは「あるピアノコンクールの予選から本選までが描かれる」でしかない。

主人公の4人が本選まで残るのだろうなということは、まあ、最初から察しはつく(実際にどうなるかはここでは書かない)。しかし、読み終わる頃、つまり本選が終わったところでは、もう誰が優勝するかはどうでもよくなっていた。

といって、「参加することに意義がある」とか、「音楽に優劣はつけられない」というキレイゴトに落ち着くのではない。結果は、一応出るが、あくまで、一応、なのだ。

そのラストは、漫画『タッチ』(あだち充)のラストに雰囲気が似ている。知りあいの元漫画雑誌編集者と話した時も、それが話題になった。

恩田が『タッチ』を意識しているのかどうかは分からないが、うまい終わり方だった。ただ、これを物足りないと感じる人もいるだろう。それはもう、好みの問題だ。

東京藝大を頂点とする秩序の実態

さて、『蜜蜂と遠雷』は天才の物語だ。

天才と天才は互いに理解でき、切磋琢磨していく。

天才ではない人は、どんなに努力しても、その頂点世界へは入れない。自分も天才と思っていたけどそうでなかった人は、いくら努力しても天才にはなれない。

そういう、どうしようもない「差」が描かれる。

天才に属する主人公たちの側に立って描かれるので、そういう現実は「すばらしい」こととなっている。

だが、読者のほとんどは天才ではない。

ピアノ音楽業界に関係のない人や楽器を演奏しない者は、他人事として楽しんで読めるが、ピアノを習っていていま努力している人、あるいはかつて努力した人が読むと、絶望感がわいてきて、それが作品への怒りに変わるのではないかと心配になるくらい、天才ではない人に対して冷淡だ。

この割り切りを、ピアニストやピアニスト志願者やピアノ教育関係者が容認できるかどうか。「こんなのは絵空事だ」と一蹴するか、粗探しをして批判する人のほうが多いような気がする。


ここで思い出すのは、10年ほど前、ドラマ化、アニメ化もされてブームになったコミックの二ノ宮知子著『のだめカンタービレ』(講談社)だ。

ブームになると、クラシック音楽業界は商機ととらえて飛びついて、一緒に盛り上げた。

あのとき、クラシック音楽業界は『のだめカンタービレ』を喜んで受け入れた。それは、あのコミックの主人公たちが、かなりの「変人」ではあるが、音大というシステムの内側にいる者だったからだ。

東京藝大を頂点とする日本のクラシック音楽業界の秩序を脅かすものではなかったのだ。

だが『蜜蜂と遠雷』は危険な小説である。東京藝大というシステムの無意味さを、著者が意識していないとしても、告発してしまっている。

だから、面白い。

このように『蜜蜂と遠雷』は音楽教育業界にとって危険な小説だから、拒絶反応もあるだろう。

といって、正面からは批判しにくいので、「こんな漫画みたいな主人公はいない」とか「演奏の描写が素人っぽい」という、そういうテクニカルな面での批判になる。

天才を排除してしまうシステム

『蜜蜂と遠雷』の危険性を逆説的に証明しているのが、二宮敦人著『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)だ。

こちらはタイトルがまがまがしいが、ノンフィクション。

著者の二宮敦人は小説家。妻が現役の藝大の美術学部生で、彼女から聞く藝大生の話が信じられないようなエピソードが多いので興味を抱いて、取材して書かれたもの。現役の学生にインタビューした内容が中心の本だ。

東京藝術大学は唯一の国立の藝術大学で、美術学部と音楽学部とがある。この二つはもとは別の大学だったが、戦後、ひとつになった。この本では美術の学生と、音楽の学生の双方が、均等に描かれている。

帯には〈謎に満ちた「芸術界の東大」に潜入した前人未到、抱腹絶倒の体験記〉〈やはり彼らは只者ではなかった。〉とあり、奇人変人ものの装いをしている。

その奇人変人ぶりは、美術学部の学生のほうに多く、音楽学部学生は、口笛の専門家という変わった学生も出てくるが、親に言われて子供の頃からピアノを習っていて、頂点である最難関の東京藝大に入りました、という従来のイメージの学生が多い。

そういう子供の頃からピアノを習っている人たちは、「一般庶民とは別世界に住んでいる」という点では変わっているが、残念ながら、『蜜蜂と遠雷』の主人公のような天才性も奇抜さもない。

奇人変人度では、美術学部の学生に圧倒的に負けてしまう。

この本は、「東京藝大」全体をテーマにしているので、量的に美術と音楽が均等になっているが、読んで印象に残るのは美術学部生の話のほうだ。

美術学部生は誰もが、どこかしら「奇人変人」なのに、音楽学部生は、根本的なところでは一般社会からズレているものの、性格や人格には破綻はなく、あまり面白くない。

東京藝大の音楽学部からは秀才しか生まれないんだなあ、いやその逆で、天才は排除されて秀才しか入れない藝術大学なんだなという、音楽業界で言われていることの再確認をした。

現実の音楽の天才とは?

ここで改めて『蜜蜂と遠雷』を思い出す。

『蜜蜂と遠雷』の主人公たちは、この日本音楽界の頂点である東京藝大とは無縁だ。

つまり、この小説からこんな世界観が読み取れる。

〈破天荒な天才は、ピアノ教室を底辺とし東京藝大を頂点とするシステムからは排除される。しかし、真の天才は、分かる人には分かるので、何らかの方法で世に出て、秀才たちを打ち負かす。〉

一生懸命にピアノを習い、頂点である東京藝大に入れた人も、東京藝大には入れなかったけど他の音大に入った人も、藝大・音大を目指している人も、みんな天才の引き立て役でしかないのだ。

では、現実の音楽の世界での天才たちとは、どういう人なのか。


1月に、クラシック音楽の最高峰で活躍している人々のエピソードをまとめた

『現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才』(幻冬舎新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/434498451X/ref=as_li_ss_tl?s=books&ie=UTF8&qid=1487832793&sr=1-1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%A5%8F%E5%AE%B650%E3%80%80%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%BB%E5%A5%87%E6%89%8D%E3%83%BB%E7%95%B0%E6%89%8D&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=2202032c84a69e5eb0c50815caf7b348


を上梓した。

音楽教育論の本ではないのだが、「音楽を誰かから学ぶ」とはどういうことなのかを考える手がかりを散りばめたつもりだ。

指揮者やヴァイオリニストやオペラ歌手も出てくる本だが、ピアニストのエピソードをいくつか紹介しよう。

当代一のピアニストといえば、マウリツィオ・ポリーニとマルタ・アルゲリッチであろう。ポリーニは1960年に、アルゲリッチは65年に、ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。

そしてこの二人の「師」とされるのが、やはり20世紀のピアニストのなかでトップ10に入るクラスの、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリだ。

ところが、この三人の演奏はまるで違う。

師と弟子も違えば、弟子同士も違うのだ。師弟といっても、「こう弾け」とか「こう解釈するのが正しい」とか、そういうものを伝授する関係ではない。

アルゲリッチはイタリアのミケランジェリのもとに一年半ほどいた。それなのに彼がレッスンをしたのはわずか4回。

このことについてミケランジェリは「静寂の音楽」を教えたかったからだと、禅問答のようなことを言っている。

これ以上ここにいてもしょうがないと思ったのか、アルゲリッチはその後、アメリカへ行く。彼女が憧れているピアニスト、ヴラディーミル・ホロヴィッツに弟子入りしようと考えたのだ。

アルゲリッチがホロヴィッツのもとへ行ったのは、彼女が最初にレコードを出した時、何の面識もないのにホロヴィッツから賞賛の手紙が届いたからだった。それでアルゲリッチとしては、この人のもとへ行って教えてもらおうと思ったわけだ。

しかし、ホロヴィッツという世界最高のピアニストは、弟子をとらないことでも知られていた。アルゲリッチも、結局、会うこともできなかった。

だが、それで恨みに思うことはない。

ホロヴィッツはめったに演奏しなくなっていたが、アルゲリッチはスケジュールの都合がつく限り、ホロヴィッツのコンサートへ行く。そして楽屋を訪ねることもあったが、それ以上の関係にはならない。

一度もレッスンをしなくても、この二人も師弟関係にあると言ってもいい。

アルゲリッチは何かをホロヴィッツからも学び取っているのだから。

そのアルゲリッチが師となることもある。

フランス出身のエレーヌ・グリモー(1969〜)は、この年代のピアニストとしては珍しく有名コンクール出身ではない。パリ音楽院に入学したが、そのシステムに馴染めず、指導教授とも対立して音楽院をやめてしまった。チャイコフスキー・コンクールでは入賞もできなかった。

それでも17歳でプロとしてデビューするのだからスゴイが、その後も協奏曲のコンサートに出演した際、巨匠指揮者バレンボイムと対立する。

壁にぶつかった彼女を迎え入れたのが、アルゲリッチだった。

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが主宰する音楽祭にグリモーが呼ばれ、そこでアルゲリッチと出逢い、「直感の生命力」を学んだという。そしてクレーメルからは「譜面上での知的な練習」を学んだ。

おもしろいのは同じピアニストのアルゲリッチからは精神的なことを、ヴァイオリニストのクレーメルからは具体的な練習法というかアプローチの仕方を学んでいることだ。

このように、世界のトップクラスの音楽家たちのエピソードには、専業の教師から学ぶことよりも、音楽家同士の交流から学び取ったことのほうが多く出てくる。

単純に、そういう話のほうが面白いからでもある。

だが、「音楽を学ぶ」ことには、日常的な練習とか教育とは違う次元のものがあり、そこに到達した者だけが、世界最高峰の演奏家になれる。

音楽院や教師不要論を展開するつもりはないが、結局、天才同士にしかわからない世界があり、そうやって認め合う者たちによって、クラシック音楽の最高峰という世界は作られているのだ。

『蜜蜂と遠雷』が描く「若い天才たちが知り合うことで刺激を受けて成長していく物語」は、いかにも作り物めいているように思うかもしれないが、かなりリアリティを感じるのだ。

6. 中川隆[-9166] koaQ7Jey 2020年12月21日 13:29:28 : 3zP1R1s2bc : MG41NHJjem1sTW8=[20] 報告
近年オーケストラの現状
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1292729825/l50

1: RW-2 :2010/12/19(日) 12:37:05 HOST:215.96.0.110.ap.yournet.ne.jp

興味深い記事を目にしやんしたので紹介します。
記者は音楽評論家の渡辺和彦氏。

記事内容を大幅に端折って記載しやんす。
見出しは『能力差縮まるオーケストラ』

「11月9日のウイーンフィル(ウェルザー・メスト指揮)で事故。
ブルックナー第9番で管楽器が2度も飛び出したり、コンマスが
1人だけ違うフレーズを弾いて観客がびっくり」

「ウイーンフィルと入れ替わり来日のクリーブランド管弦楽団。
内田光子(ピアノ)の弾き指揮。弦楽器の繊細な響き、管奏者の
妙技など、こちらこそ本当のウイーンフィルではないかと錯覚」

「上岡敏之指揮のヴッパタール交響楽団。ドイツの無名オケにも
かかわらず素晴らしい。その合奏能力は間違いなく一流」

「現在のオーケストラはシステマチックな教育を受けた若い団員が
入団することで、どこも技術力が急激にアップ。耳で聴くだけでは
どこの国のどのオケかほとんど分からなくなった。事情は日本も
同じで、N響と他のオケとの格差は大幅に縮まっている」

「この現象はオーケストラに限らず、全ての分野に共通する現代の
特徴かもしれない」

2: 薬漬け :2010/12/19(日) 13:46:44 HOST:proxybg040.docomo.ne.jp
RW−2さん、こんにちは。

>>1

ある意味、オーディオにも実によく当てはまる話かも知れませんね。技術的格差の
縮小もさりながら、個性の相対化…。

3: ジークフリート :2010/12/19(日) 14:09:24 HOST:wb56proxy08.ezweb.ne.jp
ジャズなんかも同様といいましょうか・・・いまのミュージシャンは、一々○○音楽大学を出ていますとか、プロになった後もまだ先生について教えてもらっている。

なのでテクニック的には、ちゃんと訓練できているし、先人のジャズジャイアンツの分析もやって色んなこともできる。

しかし・・・オーネット・コールマンやミンガス、モンク等々・・・あのような人材はもう現れませんねぇ。

(オーネットと言えば・・・弟子のジャマラディーン・タクーマ(ベース)が今年リリースしたCDにゲスト出演して、プラスチックのアルトサックスを演奏しています。最後の巨人か?)

4: 薬漬け :2010/12/19(日) 14:21:08 HOST:proxybg039.docomo.ne.jp
あ、一言付け足しを。

ウィーン・フィルのファンとして敢えて弁護するなら、今回の来日指揮者3人のうち、
くだんの方と、もうお一方は芳しくなかったようですが、残りの一人、高齢のため
出番が少なかったようですが、大御所ジョルジュ・プレートルは素晴らしかったと、
西宮芸術文化センターで聴いた人が申しておりました。
いかに自発性の高いウィーン・フィルといえど、ある程度は指揮者の力量に左右
されるというか…。

5: SAT-IN :2010/12/19(日) 16:10:41 HOST:re0505.pfst.jig.jp
JAZZなんかも人の録音を安易に聞ける時代に入るとオリジナリティが薄くなるんじゃないですかね。

6: フォルテ :2010/12/19(日) 16:57:14 HOST:bai6f43b064.bai.ne.jp
>>4
プレートル指揮VPOの公演には行けなかった(というよりPASSした)のですが、
昨年のメータ指揮ラン・ラン&VPOによるショパンのP協はラン・ランの顔芸を
期待して行ったのですが、たいした顔芸が披露されなくてがっかりしたのを覚えてます。(^^)

7: RW-2 :2010/12/19(日) 21:38:45 HOST:215.96.0.110.ap.yournet.ne.jp
ニューイヤーコンサートの指揮はついにウェルザー・メスト。

FMも地上波もハイビジョンも万全の態勢でやんす。
www.nhk.or.jp/classic-blog/100/67463.html

8: オケマン :2010/12/19(日) 22:07:10 HOST:softbank221095086177.bbtec.net
たかが数回オケを聞いたからと言って知ったかぶりをするんじゃないよ、君たち

彼らは1年間にどれだけのコンサートを消化しているのか知っているのかい

9: フォルテ :2010/12/19(日) 22:17:26 HOST:baidb6a9ee4.bai.ne.jp
知らない

10: フォルテ :2010/12/19(日) 22:50:58 HOST:baidb6a9ee4.bai.ne.jp
知らないってレスしたら教えてくれるのかと思ったら、教えてくれないんだね(^^)

まあ売れっ子オケの場合なら定期含めて年間40回近くのコンサートはこなしてると
思うんだけど、どうですかねオケマンさん?

11: 薬漬け :2010/12/20(月) 01:41:00 HOST:proxy20074.docomo.ne.jp
オケマンさん、こんばんは。(「元N響」さんか「家庭菜園」さんの方がよかったですか?)

>>8

「彼等が年に何回コンサートを受け持っているか知ってるか」とのご趣意ですが、
それがRW−2さんの提示された問題点とどうリンクするのか、私の安物&素人の頭では
解釈できかねますので、ご教示いただけませんでしょうか。
前回の「オーディオ復活のためには何が必要か」の時みたいに、すれ違いは避けたいので。
よろしくお願いいたします。

12: MT :2010/12/20(月) 09:26:09 HOST:PPPpf764.aichi-ip.dti.ne.jp
「コンマスが1人だけ違うフレーズを弾いて観客がびっくり」
「たかが数回オケを聞いたからと言って知ったかぶりをするんじゃないよ、君たち」

アマチュアでもあるまいし金を取っているのだから明らかに判るミスは頂けないでしょう。
忙しいなればもう一人のコンマスを連れて来るべきでしょうね。

13: フォルテ :2010/12/20(月) 18:10:07 HOST:bai6f43b064.bai.ne.jp
>「コンマスが1人だけ違うフレーズを弾いて観客がびっくり」

そんなこと有り得るんですかね?一瞬譜面から目を逸らしてしまったとか、或いはうっかり
1行飛ばしてしまったとかですかね。ほんとの理由がしりたいなあ(^^)

ところで今年のピカイチはゲルギエフ指揮LSO&諏訪内晶子さんのコンサートでしたね。
シベリウスのVn協もマーラーの1番も本当に素晴らしかった。次点は内田さん弾き振りの
クリーブランドとのモツのP協ですね。

ところで有名どころのコンサートを高いチケット代払って参加したものの、期待外れで
がっかりしたとか、逆にデビューして間もない新人さんのコンサートが安いチケット代にも
かかわらずとても素晴らしかったとかするので、この辺がなかなか面白いところです。

14: 薬漬け :2010/12/20(月) 21:22:04 HOST:zaqdb734154.zaq.ne.jp
フォルテさん、こんばんは。

コンマスのケースは余り知りませんが、団員で一人だけ…のケースは目の当たりにしました。
10年ほど前、インバルとフランクフルト響のマーラー5番(だからオハコのはずですが)で、
第5楽章の最初で、主旋律に入る下降音3音(ホルン)が2回出てきますが、最初は音符が短く、
後のは長音ですね。
これを、最初は何も無かったのですが、2回目のフレーズで、ホルンセクションのうち、一人の
女性奏者だけが、1回目と同じ短音で演奏してしまったものだから、他のホルンセクションと
全く合わず、完全に浮いてしまいました。誰にでも判るミスで、周りは声には出さねど、苦笑。

しかし、ホルンなら吹き損ないはそれなりにありますが、吹き損ないではないんですね。旋律は
ちゃんと奏しているから。しかし、なぜそういうことになったのかは、サッパリ想像できません。
(案外、演奏後は彼女、涼しい顔してましたが)
指揮者なら「暗譜」で思い違いをしてしまうということもありうるのかも知れないですが、
奏者の場合、楽譜を目の前にして…。それとも、案外見てないのかしらん。サテ。

15: フォルテ :2010/12/20(月) 22:16:17 HOST:baidb6a9e8a.bai.ne.jp
薬漬けさん、こんばんは

思い込みで間違えるというのはよくありますよね。マラソンでコースアウトしたり、
野球でアウトカウントを間違えたり、電車の運転手が止まるべき駅を素通りしたり
などなどありますが、音楽の世界でもそういう間違いがあるのではないでしょうか?

管楽器、特にホルンやトロンボーン、チューバのように管の長いものは演奏中にしばらく
出番が無いとすぐに冷えてしまってピッチが変わるそうですね。だから管楽器の奏者は
出番が近づくと管の中に息を吹き込んで暖めていますよね。

しかしそうした準備をしていても最初の音は出たとこ勝負みたいなところが、少なからず
あるそうですよ。

16: MT :2010/12/20(月) 23:32:42 HOST:PPPpf764.aichi-ip.dti.ne.jp
管楽器は普通楽器全体が温まった状態で各音程が揃うようになっています。
そのため夏場は良いのですが冬ですと息を入れて全体を温めないと音程が揃いません。

チューバは音程を調整する箇所が数か所あり、状態により調整しています。

17: フォルテ :2010/12/21(火) 10:58:55 HOST:baidb6a9e8a.bai.ne.jp
空調の効いた屋内(ホール)でも冷えないように苦労するのに、屋外だともっと
大変でしょうね。しかしブラバンの場合はのべつ鳴らしているので大丈夫かな?

クラリネットのリードも乾燥すると微妙に音色が変わるそうですね。だからなのか
演奏中出番の無いときにリードを舐めてる奏者見かけますよね。(^^)

18: 玉の井(処方箋漬け) :2016/04/11(月) 10:46:58 HOST:ai126174075011.26.access-internet.ne.jp

昨晩Eテレ見てたらN響のコンサートをやっていて、白鳥の湖だったと思うんですけど、
曲が曲だけに楽団員の方ももっと楽しそうに演ればいいのに、なんで仏頂面何でしょうかね。
指揮者の方が表情豊か。
海外オケは各パート、アイコンタクトとか何かでにこやかにやってますけどね。
まっ、日本人のアイコンタクトは似合わないといえばそれまでですが。
でも最近の京響はその辺も含めて評判いいらしいですね。一度聴いてみたいです。

19: アラン・ドロン :2016/04/11(月) 17:20:47 HOST:softbank219168067040.bbtec.net

世界中でオーケストラの技術差が縮まっているようですが、
札幌交響楽団なんて、どの位のレベルなのでしょうかね。

また、自衛隊の音楽隊とかはどうなんでしょうか。

20: すってんてん(借金漬け) :2016/04/11(月) 17:26:57 HOST:zaq3d2ef3cd.zaq.ne.jp
>札幌交響楽団なんて、どの位のレベルなのでしょうかね。

著名で芸達者なのは「大阪チンドン」

多分!?

21: 前期 :2016/04/11(月) 18:04:56 HOST:h219-110-132-208.catv02.itscom.jp
かつてのN響のトロンボーンは最悪でしたね。音程が安定しない。むろん今は
そんなことありません。超一流でつ。
先日ムーティの指揮で東京少年少女合唱隊の合唱を聴きますた。
かつて邦人のプロの子供の歌は音程は確かですたが声がベタベタしていますた。
それが今やスッキリ。きっと母親がオリーブ油で炒めたパスタなんか食べている
のでしょうね。ガキも胎内にいるときからイタリア風の生活をしていないと
マトモな声になりません。それが文化の怖いところでしょう。

22: 玉の井(処方箋漬け) :2016/04/12(火) 08:00:42 HOST:ai126174075011.26.access-internet.ne.jp

かつてのN響のトランペットもひどかったです。マーラーの時なんかはずしまくってました。
でも本当のところ最近のN響いい感じです。幅がでてきました。
定期公演もほぼ満席状態でチケットが取れないときも多々あります。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1292729825/l50

7. 中川隆[-6699] koaQ7Jey 2021年3月09日 11:21:13 : jYfMRWGpzc : dG5QRVRuR3NmRWs=[69] 報告
音楽を衰退させる著作権のカラクリ
伊東 乾 2021/03/09
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%92%E8%A1%B0%E9%80%80%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AA/ar-BB1enzwB?ocid=msedgntp

ヒット曲を生む作曲家のほとんどが音楽大学出身者ではない

 前回、音楽大学や芸術大学が新型コロナウイルス感染症のパンデミックで危機に瀕する現状を記しました(「コロナで存亡の危機に立たされた音大・芸大」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64341)。

 私たちの分野はマイナーで、およそビューなど立たないだろうと思いつつ、目の前に様々な問題がありますので記事にしてみたところ、予想に反して、大きな反響をいただきました。

 そこで今回は、作曲家としての、お金の問題をお話ししてみます。

 もっと露骨に記すなら、作曲の音楽文化そのものが構造的に衰退する原因と背景を、私の職掌に沿って具体的にお話ししてみましょう。

 日本では、高度な音楽文化は衰退の一途をたどっています。例えば、精緻な構造を持つポリフォニーの器楽作品などは、全く「ペイしない」。

 翻って、カラオケで歌いやすい平易な旋律線を著作物として権利の囲い込みを行う方が、よほど儲かります。

儲かるメロディ:著作権はどう囲われる?
 具体的にお話ししましょう。

 あなたが「日本音楽著作権協会」の会員だとします。新しい楽曲を作り、その著作権登録をしようとしたら、どうすればいいか。

「作品届」というものを出します。届の用紙は10センチ×6センチくらいのカードで、数センチの5線が2段程度印刷されているだけ。

 そこに記すのはメロディの「歌いだし」部分だけです。

「皆までいうな、ヨキにハカラエ」という、かなり乱暴な形で「旋律」すなわちメロディラインが、音楽著作物の単位になっています。

 作曲者とは、著作権ビジネスにおいては、「メロディメーカー」を意味するのです。

 翻って、音楽大学や芸術大学の「作曲科」で何を教えるかというと、何も教えないのです。では、その入試ではどのような能力を問われるのでしょう?

 例えば「和声」ハーモニーの課題というものがありますが、これは素材となるベースラインや旋律線が与えられているんですね。

 もとになる素材があり、それに対してどのように和声を「実施」していくか、それが問われます。

 でも「もとになる旋律を書け」という課題は、音大入試には出ないのです。特に日本の「客観的で平等」なのがお好きな入試の類では・・・。

 なぜなら、好きに書かせてしまったら、並べて採点ができないから。

「客観評価」で当落が合理的に説明できるような<試験>しか、日本ではあり得ないのです(だから日本の和声は「あれ」なんですが・・・)。

 日本の音大や芸大、あるいは音楽専門学校の類などでも「ヒットしそうなメロディラインを考え、歌を作ってみよ」などという、本当の意味で<お金の儲かる>課題は、まず100%出されることがありません。

 翻って、JASRACに登録される、お金を生み出す「著作権のモト」はメロディ、しかも大衆ウケして、カラオケなどで幾度も歌われ、お金を生み出す旋律が、知財の本質をなしているわけです。

「メロディは儲かる」

「伴奏その他大勢は、特に儲かるわけではない」

 このコントラストが、日本の音楽を「死に至る病」へと連れて行ってしまったのです。

音楽書法は「素材あり」以降のテクニック
 作曲で一体何が難しいかと問われれば、正解はなく、あるいは「すべて」と答えられるかもしれません。

 ハーモニーも、対旋律を作っていくのも、オーケストレーションも、みな難しいといえば難しい。

 でも、そういう教えられる要素ですべて優等生でも、決定的に「つまらない」というものが実は少なくない。凡庸なんですね。以下はそういう範囲での音楽の話です。

 例えば音大や芸大の作曲入試で、一番「難しい」ことになっているのは「学校フーガ」と呼ばれるある種の「大がかりなかえるのうた(輪唱ですね)」みたいなパタンを与えられた素材で書くことです。

 自分で「売れそうな旋律」を考える必要はない。「課題」があり、それを「実施」して楽譜を書く。

 これを「書くこと」という意味のフランス語、エクリチュール(ecriture)と呼ぶのですが、このエクリチュールが中途半端に独り歩きして、かつ経済と乖離しているのが、日本の現状の悲劇を生み出しています。

 フーガや、フーガみたいなものを書くのは、そこそこ難しい面もあるけれど、実はパタンですから、コツさえつかめば何とかなります。

 ただ、そこで「禁則」とされるものをどう回避するかで得点は変わっていくけれど、実作では逆に「禁則」とされるものを、どう正々堂々と破っていくかが問題になったりします。

 専門的な音楽修行の中に、体系だって「かっこいいメロディをつくりましょう」なんて科目はないわけ。

 音楽ビジネスで、一番カネになる部分は、学校では絶対に教えられないし、また教わりません。

 しかし、旋律を一本書くのとは、かなり違った労力を必要とする「アレンジ」は、必ずしも旋律ほどに、優遇されているわけではない。

 こうした経緯の必然的な結果として、現状のゆがんだ「著作権状況」が発生してきたわけです。

ビートルズ/ストーンズ/マイケル・ジャクソン
 こんにち、音楽著作権料を最も手っ取り早く得るのは、売れる歌の「旋律」を書いて、その権利を囲い込むことです。

 分かりやすくいえば、ポップスの歌を書けばよい。そして、そうした「作曲者」のほぼ9割方が、いろいろな意味で音楽学校出身ではありません。

 例えばポップスを考えてみたらよい。任意の楽曲、作詞作曲者名がクレジットされているはずですから、その経歴をネットで調べると、音大や芸大出身者は決して多数派ではない。というより、ほとんどいない。

 もっと歴史的にグローバルに考えれば分かりやすいでしょう。ビートルズ、ストーンズ、マイケル・ジャクソン、スティヴィー・ワンダー・・・音楽を学校で学んでいるでしょうか?

 日本国内でも、ポップスコンテストから、ストリート・ミュージシャンのスカウトまで、ケースは様々ですが「勝手に歌っていたアマチュア」が「メジャー」の商品となることで、最大の著作権ビジネスが回っている。

 これらと、音大や芸大がど真ん中の歯車で噛み合っているかと考えると、そうはなっていません。

「与えられた旋律」などがあったとき、それを楽曲の形に整えるといったことが「音楽学校」で教えられる作曲の基礎にほかなりませんが、肝心の最初の素材の作り方などは、どこでも教えていないし、当然ながら「入試」でも問われない。

「作曲専攻」を卒業した人で、自作主題が苦手というミュージシャンは決して珍しくありません。

 そのような人も含め「アレンジャー」つまり編曲家としては、学校で学んだりもできる専門の知見を生かす可能性はあります。でも、著作権ビジネスとはおよそ直結していない。

 ちなみに、西欧の伝統音楽で、旋律の大本を作る以上に、その拡大書法が重視されたのには本質的な理由があります。

 キリスト教会で発展した書法、エクリチュール充実の機動力は「神」から遣わされた「聖教皇」グレゴリウスによる(とされる)旋律が「既にあり」、そのように、神様からいただいた主旋律に、対旋律その他をつけて讃美歌を作り出すのが「音楽書法そのものであった」から。

 これが20世紀のポップスになると、神様ならぬ「お星さま」スターの作る旋律線がお金を生み出し、それを装飾して楽曲らしく見せるという副次的なオシゴトは、労が多い割に儲けは少ない、という形にシフトするわけです。

ゆがんだ著作権制度が音楽を衰退させる
 演歌で考えれば、古賀政男とか遠藤実といった面々が「カミサマ」の椅子に代わりに座ったということになる。

 他方、音楽家としてはよほどプロフェッショナルで、場合によっては勉強に多額の学資も必要であったかもしれない人が、その投資に全く見合わない、効率の悪い仕事しか社会に準備されていなければ・・・?

 そういう分野は衰退して当然ということになります。

「芸術音楽の作曲」という職掌は、1990年代以降急激に衰亡して、いまや絶滅寸前というのがその実と言えるように思います。

 嘘か本当か、例えば「東京オリンピック2020」に向けて準備されたプログラムに、どの程度、そのようなものがあったか、観てみたらいい。

「長野五輪」で、すでに壊滅状況にありました。

 これが1964年の東京オリンピックや、70年の大阪万博の折には、世界から芸術音楽家が集う花盛りの様相を示し、シュトックハウゼンやクセナキスなども仕事をしていった。

 時代が変わり、いまは「雄時・雌時」という表現で考えるなら、およそ雌伏の底のようなコロナ状況になっている。

 いったいこの先、どのようになっていくのでしょうか?

 私の予想は、いま飽和しつつあるポップス、アーチストの死後などにはレコード会社が不労所得を囲い込む単なる利権でしかないものが、すべて沈没して、消えてなくなるだろうとみています。

 ゆがんだ著作権ビジネスは、いったん白紙に戻らざるを得ないだろうと踏んでいます。

 例えば20世紀前半、ジャズのスタンダード300とか500といった「無償のメロディ」が、米国の通俗音楽を支えていた時期があります。

 それらは、権利化されないことによって、逆に多くが今日、使われていません。

 日本で考えるなら、江戸時代から大正末期にラジオが登場するまで、庶民は常識のように「浄瑠璃」というものを知っており、自ら語る人も少なくなかった。

 落語などにも下手な旦那さんの浄瑠璃道楽などのシーンが出てきますね。それがすべて消えてなくなった。

 私の母は大正15年生まれでしたが、そんな世代でも「三つ違いの あにさんと・・・」なんて節は知っていた。

 これは明治初年に成立した「壺坂霊現記」の一節ですが、母親の歌う声を聴いて私も知っているわけですが、21世紀生まれの世代には何のことやらちんぷんかんぷんでしょう。

 1880年頃初演され一世を風靡した「壷坂霊現記」の本当の命脈はラジオ放送が普及する1930年頃までで、寿命は50年。

 戦後、誰もが知っていた「美空ひばり」の楽曲を今歌うのは、若い人なら一部の演歌歌手くらいのものでしょう。一般人は高齢者の十八番と相場が決まっている。

「知識集約型社会」化で、アーカイブの性質が変わるかもしれませんが、まあ50年程度で「歌は世につれ、世は歌につれ」の新陳代謝は回っていく。

 でも私たちの分野は、例えば、モーツァルトもベートーヴェンも、250年前の仕事が現在も「いま」の芸術として問われうるわけです。

 私たちはそういう長い命を生きるべく、いま冬眠のように雌伏の時期を生き抜いているのです。

 我々の分野では50年前の仕事は「ごく最近」のものにすぎません。200〜300年前が、まあそこそこ(ベートーヴェンとかですから、妥当でしょう)という、ゆっくりしたタイムスパンで音楽を作り、守っています。

 また、そうした伝統の命脈を絶やさぬよう、若い人を大切にする場を大事に守り育てているのです。

(つづく)

8. 中川隆[-6698] koaQ7Jey 2021年3月09日 11:26:24 : jYfMRWGpzc : dG5QRVRuR3NmRWs=[70] 報告
コロナで存亡の危機に立たされた音大・芸大
最終目標は入学:人生の目標を見失う若者たち
2021.3.5 伊東 乾
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64341

音楽大学で合奏ができなくなったことの意味は重い

 音楽大学や芸術大学が新型コロナウイルス感染症により本質的な存亡の危機に立たされています。問題は、その危機を学校側も学生側もきちんと認識していないことにあります。

 見かけ上、その後もしばらく経営は回転し続けるかと思いますが、命脈が尽きる現実的なリスクがあります。

 現在、多くの学校、特に大学が閉じています。23年来私が教えてきた東京大学でも授業は完全にリモート、遠隔となりました。

 遠隔が悪いとは決して思いません。数学や語学はむしろ遠隔の方が指導効率が上がります。

 ただ、私の本来の職掌である音楽、あるいは大学で学んだ物理、特にその実験は、在宅で下宿からビデオを見て「へー」で終わるというようなことではどうしようもない。

 先日私が行った「ひらめき☆ときめきサイエンス」東京大学白熱音楽教室では

●実験は、遠隔で各自が自分の目の前にセットアップを組んで測定し、データをネットで共有する。

●音楽の演奏は、ソーシャルな環境に気を配りつつ、少人数が集まってアンサンブルし、そのパッケージ全体をウエブでやり取り、共有する。

 という形をとりました。例えば、昨年秋の音楽コンクールの際は、直前に遠隔レッスンしました。生中継で弾いてもらうわけです。

 こういう時は、例えばバイオリンとピアノ伴奏は同じスタジオ内にソーシャルに在室して、私は遠く離れた部屋でそれをライブで見ながら指導します。

 時差が多少生じるものの、「あ、一度止まって、32小節の3拍目からもう一度聴かせてもらえる?」などと指示して「そこはフレーズが切れてしまうと音楽が壊れてしまうから・・・」などとレッスンしていく。

 仮にこれが、バイオリンとピアノもリモートになってしまうと、合奏にならず、どうしようもありません。ローカルとリモートの振り分け、ソーシャルなバランスが大変重要になるわけです。

「トリオ禁止」音大の現状
 こんな具合で、コンクールや定期試験などで、器楽や歌の学生がピアノ伴奏してもらうというのは、さすがに認められているわけです。

 どこと特定せず、少なからざるトップレベルの音楽大学で「三重奏」以上の編成での合奏が禁止されているのが、2020年以降の、今の日本の現状です。

 はっきり言いますが、音大や芸大に在学する意味は、そこで優れた仲間と合奏して、腕を上げていくことにあります。先生に習うだけなら、芸大に入る必要はない。

 これは、古臭い「内弟子」で育ち、実際、音大や芸大に(生徒としては)通わなかった私が言うわけですから、そのように聞いてください。東京芸術大学は教員として私を招聘してくれましたが、学生時代はモグリでレッスンや合奏に行っていただけでした。

 職業音楽家になるのであれば、内外のコンクールをたくさん取り、キャリアができてマネジメントがつけば、仕事は回り始めます。


亡くなった中村紘子さん、武満徹、三善晃、湯浅譲二、松村禎三、あるいは朝比奈隆氏・・・湯浅さんはお元気ですが、ほかの人は物故していますが、全員が音楽学校に学ぶことなく、日本を代表する芸術音楽家として活躍した。

 あるいは林光、小澤征爾、高橋悠治といった人たちは、音楽学校に入ったけれど中退してさっさと現場で仕事した音楽人。

 師事とコンクール歴などのキャリアが決定的で、別段学校はどうでもよい、というのが国際的な音楽の本道。

 ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン、カルロス・クライバー、あるいはヴィルヘルム・フルトヴェングラー、カール・ベーム・・・誰も音楽学校には行っていません。

広告


 ベームに至っては法学博士で、音楽は個人教授、その先はオペラ劇場での現場修行だけです。

 存命の人たち、まだ若い音楽家を含めても、学校は一般教育という人が珍しくありません。

 例えばチェロのヨーヨーマは、家が音楽一家でジュリアード音楽院にも在籍しましたが、普通の学齢でハーバードの学位(人類学)を得ています。

 私自身、学校に通うことなく出光音楽賞をもらった後、新日本フィルハーモニー交響楽団の客員鍵盤奏者を振り出しに、東京フィルハーモニー交響楽団オペラ公演の副指揮者など、現場の叩き上げだけで仕事を覚えました。

 そして、「題名のない音楽会」の監督などを経て、博士学位の仕事をまとめた機に大学に呼ばれ、作曲と指揮の研究室を23年来主催しています。

 何が重要か?

 音大や芸大は「合奏してなんぼ」という場所だと言いたいのです。

 必ずしも音楽学校に進学しなくても、キャリアさえあれば音楽家になるのに、何の不足もありません。

 もっとはっきり言ってしまうと、オリンピック選手やプロスポーツのアスリートと同様で10代半ば頃には、だいたいその人の音楽の可能性は見えています。

 後はそれをどう磨くか、それは仲間との出会いと合奏の経験、それを通じて音楽を陶冶(とうや)していく、終わりのないプロセスしかないわけです。

 ところが、現状のコロナによる影響で、そのほとんど唯一の音大芸大の存在価値というべき「合奏」を禁止している。

若い音楽学生は、自分がその学校に在籍しているというまさにその理由によって「3人以上集まる合奏」を公式には学内で禁じられてしまう。

 大変な自家撞着に直面しています。

 私立の音大の中には、比較的規制の緩いところもあるようですが、国立、公立の音楽大学、芸術大学、あるいは 音楽課程を持つ高等学校などでも、オーケストラや吹奏楽、オペラ公演といった大規模合奏は極めて切り詰められた形で行われています。

 3人以上が集まって演奏する室内楽は「禁止」されている場合が少なくないと認識しています。これはほとんど、音大や芸大の自殺状況に近いといってよい。

広告


 何とかする必要があると思っています。

顧客ニーズで目標を見失う若者
 ところが、「高い授業料払ってるのに、これじゃ音楽の勉強にならない」といった抗議の声は、ごく一部からしか聞こえてきません。

 正確に言うと、それは、学費を自弁している苦学生などから上がる程度で、多くの学生や、その親からはほとんどその種の抗議、つまり「音大芸大はきちんと対面合奏の場を設け、ソーシャルに配慮したリアル空間での音楽教育を充実させろ」という圧力は、非常に少ない。

 あっても稀ではないかと思います。大学の立場に立てば話は簡単で、「3人以上の合奏を勝手に許せば、簡単にソーシャルでない環境となってしまうので、学生や教員にコロナが蔓延する。それは避けたい」ということになります。

 それで「2021年度も基本は全面遠隔」「教員が同席する例外についてのみ、室内楽以上の編成を認める」などと早々と決めてしまったりすると、これはやや事なかれの危機回避とも見ないわけには行きません。

 何らかの例外措置を講じないと、ここ1、2年で音大芸大生のアンサンブル能力は、基礎(合奏ソルフェージュ)の土台から、著しい劣化を避けられないでしょう。

 ところが、何の抗議も起きてこない。なぜか?

構造的な背景があることを私は最近になって知りました。家庭環境が特殊だったせいもあって、私は本格的に音楽バカで、こんな単純なことにも、ごく最近まで気がつかなかった。

 音大や芸大生の男女比は、著しく女性比率の高いものになっています。そして、音大受験というのは、決して受験生一人でできるものではない。

 レッスン料は高価な場合が少なくなく、特に弦楽器は1台が家1軒程度の値段が珍しくない。弓1本で高級外車が買える価格帯であることを社会はあまり認識していないかもしれません。

 つまり、家族の応援、特にお母さんの献身的な支えなくしては、一部の楽器に関して音高音大受験などというものは一切成立のしようがないのです。

広告


 つまり真のスポンサーというか顧客、お金を払う主体は、生徒自身ではなく<親>なのです。これは、音大や芸大の現実を知る人なら、誰しもが知っていることと思います。常識に属します。

 常識の隣にあるのは、ここから先です。

 まず、親の「目的」は音大合格・芸大入学までなんですね。

 その先何を学ぶかなんて、興味ないのです。これは私自身、違う形ですが、母親が言っているのを聞いて、かつて憤慨したことがあります。

 母は、小学1年のとき父が死んでから女手一つで私を育ててくれましたが<東大に入れて>そこまでで一安心と言った。

 いや全くその通りなんですが、当時、20歳前後の私は、大学は入ってから先が大事なのだから、合格したらそれでいいなんてトンデモないくらいに思っていた。親の恩を知らなかったということですね。

 でも、それが親心の現実であって、苦労して、お金もたくさん使って、音大や芸大まで合格させた・・・。そこまで来たら、スポンサーは関心を失ってしまうわけです。

ごく一部の音大生は、その先に「コンクール」「国際コンクール」さらには「音楽家としての活躍」などを考え、先ほど記したようなキャリア・ビルディングに勤しむケースがありますが、はっきり言って少数と思います。

 ジェンダー的に微妙な面がありますが、現実問題として、子供を「音大芸大」に入学させた親御さんが、次に心配することは、音大でのレッスンや合奏ではなく、あるいは<就職>などですらありません。

 わが子の幸せな結婚とか育児とか、そちらに目が向く場合が決して珍しくない。

 そういう現実を、この1年コロナになって初めて知るケースも多く、いろいろ衝撃も受けました。

広告


 これはただ、東大で東大生とその親の挙動を見ていても、似て非なることを長年感じてきたことでもあります。

「東大まで入ったら、その先は何をしてもいいから好きなことをやりなさい」的な親御さんがとても多い印象があります。

 統計などは取っていませんが「ナニナニになれ!」と指定する親の方が、むしろ例外的です。

「医学部には入ったけれど、親父の病院だけは絶対継ぎたくない(親は早く楽にしてほしいといっている)」とか、分かりやすい個別ケースを除いて、東大生の就職に親があれこれ注文を付ける話は21世紀の20年間、ほとんど耳にしていません。

 親のそういう「期待」が「ない」と、子供は「それに応えよう」という気概を持てないから、何をやりたいか、未来の目標や、ロールモデルなどを持つことができない。

 何かの一翼を担って、責任をもって活躍するといったことができない、考えが回らない学生が非常に多くなっている。

その背景に「親の期待がないこと」があるように思うのです。

 これは、音大や芸大生たちの親が、音楽への期待ではなく、別の「期待」を子供の前で口にし、その相談を受けたりする中で、なるほど、と初めて思い当たったもので、根が深いと感じています。

 私は父が早くに亡くなり、父と同じ経済学を学びながら音楽家になるという、最初からネジれた目標を小学低学年で「思い込み」ました。

 しかし、成績優秀でなく経済学部受験に失敗、そのまま給費で欧州放浪など道を踏み外し、経済でなく物理を学び、コンクールキャリアで音楽家になり、サイエンスを駆使する芸術の研究室を大学で主催するめぐりあわせになりました。

広告


 それは「内弟子」という形で、父親代わりであった松村禎三、旧制第三高等学校つまり京大出身で東京音楽学校には結核で進学できず療養所で6年間寝たきりから、コンクール、現場仕事を経て芸大作曲第一講座教授に迎えられていた、極限までセイカクとタチの悪い京都弁のオッサンに、エンドレスでいたぶら・・・いや「カワイガリ」を受け続けてコレになったので、最初から学校も賞もどうでもいいんですね。

 音楽すること、それがあるだけ。

 そういう意味で、非常に分かりやすい人生を送ってしまったと、改めて思うと同時に、コロナを「きっかけ」に、20世紀〜21世紀初期型の<親の期待>やその不在のモラトリアムを乗り越え、10代、20代の若者が本当の意味で生き生きと輝く環境を整えたいと思っています。

9. 2021年3月09日 11:29:10 : jYfMRWGpzc : dG5QRVRuR3NmRWs=[71] 報告
デジタル・デモクラシーとソーシャルなモーツァルト
コロナ時代、日米欧協力の最前線
2021.3.3(水)
伊東 乾
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64318

 先週の連載で、新学期から東京大学でアートの授業が始まること、私はこの大学では珍獣の類に属する職業芸術屋として、ソーシャルな環境でも可能な批評家などの手が届かない種類の実習を学生たちに提供準備していることをお話しました。

 例えば先週、こういう動画「Polylogue20210225-YouTube」(https://www.youtube.com/watch?v=7R7dWc546sc&feature=youtu.be)を無音の状態でリンクしましたが、週末に音楽を付けました。

 こっちが音のある方で「哲学熟議タイトル2028-YouTube」(https://www.youtube.com/watch?v=IdoC5AXFa8E&feature=youtu.be)です。

 私のNHKニュースとか「芸術劇場」テーマなど、テレビの音楽がオンエアされていたのは2001年頃までなので、久しぶりになります。

広告


 これからは毎週のように出していこうと思います。

 商用の音楽はギャラが出なければ書かないというそれだけのことでしたが、東大生共に現場クリエーターの手仕事をみせてやるのも一興かといった意味合いが半分あります。

 残りは、以下に記す「ソーシャル・ディスタンシング」の中で、音楽家はいかに抗って立ち向かって行くことができるかという一つの挑戦です。

 この連載読者の皆さんは、私の書く記事に親しんでくださっていますが、40歳を過ぎるまでは、私はこうした原稿を書くことはなく、極めて石頭の現場職人、<生涯一音楽人>と思い定めた音楽の職工でした。

 自分の畑では非常にうるさい頑固親父の素で、遠隔化した哲学熟議では、譜面を書くこと、古典から新作まで演奏すること、その途中にある楽曲の解釈や再構成も、実際に古典の小品を別の楽器で再現したりすることで、具体的にお目にかけていく念頭です。

 ビジネス展開は米国や中国など海外中心ですので、日本語のこうしたものはCM程度、フリーで公開しているゆえんです。

 実はまだ編集が終わり切っていません。日曜早朝午前4時までかかって、私自身で繋げましたが、寝ないと翌日演奏できないので、タイムアップとしたものです。

 昨今の学生さんは、実に気持ちよく、時間とともにすべてを放り出して消えてしまいますが、まことに教育のサービス産業化が効果著しいというべきでしょう。

 2月28日の「哲學熟議」は、上の暫定版で当日告知を行いました。以下でも来週 3月9日(火曜日)に行う3.11から10年「哲学熟議」の予告を記したいと思います。

 哲樂熟戯18「福島第一原発事故と新型コロナウイルス・パンデミック」・・・災厄に立ち向かう哲学(https://mitsishikawa.wixsite.com/musicmanufacture/18

キーノート:一ノ瀬正樹・武蔵野大学教授(東京大学名誉教授)、北川達夫・星槎大学教授(元外務省・在ヘルシンキ・タリン日本大使館)

 ご興味の方は、上のリンクにあります通り、必要事項を記したメールを申し込みアドレス(gakugeifu@yahoo.co.jp)宛に必ず「3月9日 哲学熟議18 参加希望」としてお申込みください。

 抽選などのプロセスを経るかもしれませんが、ご参加いただける場合ZOOMアドレスと整理番号をお送りします。

 本稿で、ここで扱う内容に触れすぎると「番宣」じみてしまいますので、これは別の機会に譲り、こうした哲学的、倫理的な取り組みの結果として、具体的に進めている国際協力プロジェクトと、その狙い、背景などについて、ご紹介したいと思います。

モーツァルト・ソーシャル
 2019年の地球で「ソーシャル・ディスタンシング」という言葉は、ほとんど知られていませんでした。

 それが、2021年には全世界の人類で、この言葉を知らない人の方が少なくなっている。

 日本では「ソーシャル・ディスタンス」という場合が多いようですが、米国疾病制御予防センター(CDC)が定義する「Social distancing」(https://en.wikipedia.org/wiki/Social_distancing)は、単にディスタンス=「距離」ということではなく「ディスタンシング」=「距離をとること」という アイエヌジー形であることに注意しましょう。

「距離がある」という農耕民族的な状態の指示ではなく「距離をとる、積極的に距離あけ動作を取る」という狩猟民族的な語感を強く感じます。

広告


 そういう意味で「積極的に距離をとって」モーツァルトを演奏する。あるいは、距離をとって音楽とバレエの遠隔共演を実施する・・・。

 こうしたアート&AI倫理のコラボレーションをグローバルAI倫理コンソーシアムのプロジェクトとして、ドイツのミュンヘン工科大学と東京大学は実施します。

 例えば「モーツァルトのソーシャルな演奏」ソロとか室内楽であれば普通にできることですが、私たちはこれを交響曲やピアノ協奏曲などの古典作品を本質的に新たに演奏する突破口として位置づけ、日欧協力で取り組んでいきます。

 具体的には、ヴァイオリンやヴィオラなど、各パートが1人ずつしかいない交響曲を演奏します。

 20世紀の作曲家、アントン・ヴェーベルンの「交響曲」は数人の編成で、小さくてもできるので、私は高校2年のとき最初に演奏しました。2021年にも取り組みます。高2は1981年ですから40年を経て、ということになります。

 しかし、私たちはモーツアルトやベートーヴェン、極論すれば「第九交響曲」も、各パート1人で演奏します。

「合唱交響曲」は20世紀にはソリスト4人のほか、莫大な数の合唱団を集めて経営を安定化する「1万人の第九」的な取り組みがもてはやされました。

 しかし、音楽の観点からは、どてらのうえにトレンチコートを羽織ってから消防服を着用するような話で、およそ感心する結果は出てきません。

 いまコロナでソーシャルなディスタンシングが必要というとき、各1人の奏者を徹底して安全な距離を置きながら、どこまで音楽の水準を高くキープしながら演奏していゆけるか?

 ドイツ側と私たち日本サイドのこの挑戦がアートと「AI倫理」の観点に立つ、その背景として<災厄時のデジタル・デモクラシー再確立>という大きなテーマが存在しています。

問われるデジタル・デモクラシー
「デジタル・デモクラシー」とは、聴き慣れない言葉かもしれません。

 ご存じの方もおありと思いますが、岩波の雑誌「世界」などに出てくるこの言葉は、全学連全共闘崩れのトンデモ筆者の世迷い事も含まれるので、ここでは新たに定義から検討してみたいと思います。

 例えば市役所や区役所で住民票を取りたいとします。以前なら役場に出かけて、いろいろな手続きをする必要がありました。

 しかし、このコロナの状況です。政府も「ハンコ廃止の方向」など、無駄に煩瑣な手続きを簡略化する方向に話が進んでいます。


 一般に「DX」と呼ばれる方向性ですが、ここで問わねばならないことは「何でも簡単にリモートで<取れる>ようにしてもよいのか?」という、時流に逆行するポイントです。

 例えば、土地ころがしをしたい半グレがいたとして・・・と一言書けば、その先はお察しいただけるでしょう。

 無駄に煩瑣にしているわけではないのです。

 かつて1999年9月30日、茨城県東海村で発生した「JCO臨界事故」は、すでに多くの方の記憶から薄れているかもしれません。

 核燃料加工施設で、操業開始当時には2重3重に張り巡らされていた「安全対策」が、度重なる<経営合理化>の際、そのメカニズムや背景となる原子力の安全性など一切知らないコンサルタントが<無駄><無駄>とコストカットと同様の感覚で省略していった結果、濃縮前のウラン化合物溶液をバケツで運んで手で槽に注ぎ、比重が重いウラン化合物が沈澱して臨界濃度を超えるという、あり得ない事故を引き起こした。

 広島、長崎原爆以降、国内で直接的な放射能の照射による初めての事故被曝死者を出した事故になってしまった。

 この事故は、ちょうど私が東大に着任する直前に発生したので、任官初期に公務として担当した工学系とのコラボレーションで、詳細を知る機会がありました。

 この事故は「経営合理化」プロセスで発生した人為に基づく、完璧な「人災」にほかなりません。

 しかし、その責任を問う法などは整備されていませんでした。制度整備が現在どうなっているか、その詳細を私は追えていません。

 でも、今回の新型コロナウイルス・パンデミックによるDX、特に「公共DX」の重要性が強調されています。この関係、私は決して傍観者でなく、大学と自治体の包括協定の総括など務める当事者でもあるので、その痛みを日々の業務で痛感しています。

 安易に規制を緩めすぎると、ありとあらゆる新手のネット犯罪を呼び込み、収拾がつかなくなってしまうのが明らかです。

かといって、現状で役所が考える様々な先例、あるいは与野党からの突き上げを念頭に置きすぎると、ヘビとカエルとナメクジの三すくみ状態のようになってしまう。

 2020年 日本のコロナ対策は、まさにこの「ヘビとカエルとナメクジ」の相互フリーズが露骨に出ているものでした。

 例えば疫学に関していうなら「基礎病理」と「臨床治療」「公衆衛生」の3者が各々の竪穴を深く掘り過ぎてたこつぼ化し、相互にコミュニケーションがとれないまま、三すくみ状態でまともな対処が取りづらかった。

 3.11事故直後も、日本側は前例がない事態にどう対処してよいか分からなかった。

広告


 このとき、私も「世界物理年2005」で一緒に仕事したことのある物理学者でバラク・オバマ政権のエネルギー長官であったスティーヴン・チュー(Steven Chu、https://en.wikipedia.org/wiki/Steven_Chu)は、即座に判断してヘリコプターをフクシマ現地上空で走査的に飛ばし、赤外線を測定して「温度」の分布を調べました。

 1997年度ノーベル物理学賞受賞者でもあるチュー博士は、頭のよく切れる回転の速い基礎・応用双方に通じた実験物理学者です。

 本質的なリスクを一番早く評価する指標として「温度分布」を測り、そこから「現象論的に」危険を封じ込めるグラウンドプランをたぶん2〜3時間くらいの検討で即断即決しました。

 実に妥当です。

 そういう判断を日本側では何一つできなかった。原子力の専門家は燃料棒が棒の形をしていたら、材料の性質は分かります。でもメルトダウンして単なる放射性物質の塊になってしまうとお手上げになる。

 物理屋はこういうときツブシが利きます。

 反物質の実験物理学者、早野龍五先生が事故直後から献身的に努力されたのは筆頭に挙げるべきで、早野さんは性格上おっしゃいませんが、多額の私財も投じて無名の貢献もしておられます。

 チュー博士はその後も米国や米軍の福島支援のたびに新たに基本方針を打ち出し、それに従って物事が進み、結果は詳細に調べられ、第三者機関からも高い評価を受けた。

「コロナ・パンデミック」にあたっても、3.11でチュー博士が示したような「たこつぼ的でない包括的な専門知」に基づくイニシアティブで、有効な施策を次々に打ち出し。危機を乗り切る必要があります。

 施策は厳密に事後チェックされる。それが本来のデモクラシー、民主主義です。

 それが構造的にできないのが日本の「衆愚状態」でしょう。2011年も2020年もほとんど変化はありません。

 一部の人が、利害欲徳を無視し、一部リスクすらテイクしながら先駆的、献身的に<三すくみ>の間に風穴をあけ、対角線を通じさせて、動かないものを動くようにしていく。

 そこに各種のAIが補助的に用いられる。そこでの問いが、露骨にAI倫理の問いになっている。

ミュンヘン工大と東大の「モーツァルト・ソーシャル」などの取り組みも、完全に同じ原理に基づいて進めていくプロジェクトにほかなりません。

 よく言えば「専門化」が進み、その「専門家」と称する人が、変にメディアに露出しつつ、実は竪穴の底で、貝が穴を舐めるような極端に狭い見解を表明すると、それをメディアが変に横幅広く成立するかのごとく報じ、竪穴同志は繋がっていないので、全体として日本の動きは極端に遅い、というか、要するにまともな施策は打たれることがない。

 次の選挙の人気取り、あたりを念頭に、おかしなグッズや現金の給付は考えても、まともな対策を考えなければ、JCOの「経営合理化」を指導したコンサルタントと、何の違いがあるでしょう?

「モーツァルト・ソーシャル」などの取り組みも、追ってご紹介していきたいと思います。


 ポイントは「専門家の意見」が大事なわけではなく「ジェネラルな視点を持ったスペシャリスト」が、包括的な責任を引き受けて方針を決断、実施していくことにあります。

 ノーベル物理学賞受賞者としてのスティーヴン・チューは、レーザークーリングという特定分野の<専門家>ですが、ジェネラリスト業務に高い能力を持つことで広く知られていました。

 その彼をバラク・オバマ大統領は「エネルギー長官」に指名した。それと無関係に福島第一原発は爆発し、数時間以内にチュー博士は「まず事故の全容、正確な現状の把握が最優先」として米軍ヘリコプターによる温度測定を決定、指令した。

 それができるまともなシステムが日本にはないので、当分は混乱が続くでしょう。

「心を救う」ごく一部の取り組みですが、私は私の持ち分で、国際社会に貢献したいと思っています。

「非常時」におけるデジタル・デモクラシーと、コロナ時代の心を救う日欧協力、双方の最前線が、実は一点で交わるご紹介をお届けしました。

(つづく)

10. 中川隆[-6697] koaQ7Jey 2021年3月09日 11:32:55 : jYfMRWGpzc : dG5QRVRuR3NmRWs=[72] 報告
フクシマ10年、コロナ遠隔学習と東大新カリキュラム
「病災害世界をしなやかに生き抜く」一ノ瀬哲学のススメ
2021.2.27(土)
伊東 乾
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64248


 今回は最初に、久しぶりになりますが東京大学と独ミュンヘン工科大学のZOOM遠隔・国際共同イベントをお知らせしたいと思います。

 いずれも、事前申し込み制ですが参加料などは不要です。

2月28日(日曜日)哲学熟議17「帰ってきた哲学熟議」(https://mitsishikawa.wixsite.com/musicmanufacture/17)を行います。

 事前申し込みは、上記HPにあるとおり 必要事項をもれなく記し、電子メールを受付アドレス(gakugeifu@yahoo.co.jp)までお送り下さい。定員まで受け付け、整理番号を発行します。

広告


 さて、本稿ではこの内容を扱ってもよいのですが「番組宣伝」みたいになってもいけませんので、「哲学熟議で扱わないこと」に特化して、今年4月からの東京大学の新カリキュラムについてお話してみましょう。

 たまたま、本稿が公開される2月27日は、東京大学の第2次学力試験が行われている当日です。ここでめでたく合格してきた諸君が履修できる藤井輝夫新総長体制下での決定的に新しいカリキュラムがあるのです。

 何だと思われますか?

 答えは「アート」です。AIが社会浸透が進む2020年代の「知識集約型社会」をリードするのは、逆立ちしてもAIが作り出せない「アート」の本質的な発想と実践が必要だろう、というのが設置趣旨になります。

新カリキュラムの紹介
 今日の入試で受かった人は、4月からアートの新カリキュラムの講義演習を受けることができます。

 私が開講するコマの一つを紹介しましょう。この動画を見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=7R7dWc546sc&t=2s

 往年のNHK番組「新日本紀行」みたいなテーストで繋いでありますが、途中から変な文字が出てきます。

 しかもテレビのお約束では、絶対にやらない種類のことも出てきて、まともなNHK番組ではないことは、観る人が見ればすぐに分かる。

 例えばこういう画面を、スマホを使って採集して、ミニマムの編集で映像の俳句を作ってごらん、という課題です。さらにそれに音をつけられるひとは、音をつけてもよい。

俳句と言っているのは、これに先行する取り組みを、金子兜太さんと行っていたからです。例えば(https://www.youtube.com/watch?v=uvqi3sCYOqU)。

 こんなものを示しながら、世界と対峙し、芸術の観点から世界を引き受けるとは、いかなることか?

 といった、ほんまもの、値引きゼロの「芸術」道場を開いてやろうと思います。

 上の動画は、素材はすべて映像は素人の私が撮ったテキトウなものですが、うちの学生やスタッフには音声動画のエキスパートもおり、一筋縄ではいかないものになっています。

広告


 分かる人が見れば、ゴダールからエヴァンゲリオン、徒然草から碧巌録  まで、いろんなものが背後にある、かなりタチの悪い(?)「ソニマージュ」のイメージの方だけを先に公開していることにお気づきになるかもしれません。

 詳しいことは追って開講後もご紹介したいと思います。こういうとき、私は平易に例題を解く数学演習とは全く別の顔、言ってみれば「旧制の生き残り」という正体を現すと思います。

 1999年に人事があってから、私は一貫して、東大の中では理系の教官として合理的な話しか扱わないようにしてきました。

 しかし、もうばかばかしいので、そういう区切りは、やめることにしました。

 2021年度は、例えば、20世紀のNHK番組、まだご当地商法に堕する以前の「大河ドラマ」のタイトルのようなイメージと音楽を、国際発信し続けることをプロジェクトの中に位置づけました。

 20世紀末年、私は民放では「題名のない音楽会」の監督を務めながら、NHKはニュースや教育テレビ「芸術劇場」のテーマなども手掛け、ETVスペシャルなども数本ご一緒して、それなりにある方向の一線で仕事していました。

 しかし、トーダイのようなところに呼ばれたために、一切、仕事が来なくなりました。

 そのあたりの経緯は「さよなら、サイレント・ネイビー」などにも書き、開高健賞などもらってからは、活字だけで私を知る人の方が増えてしまいましたが、それは本末が逆で、私はどこまで行っても「生涯一音楽人」この道で遺すべき義務を負った人間です。

 そういう観点から今日の、AI対策の「アート」周りには、一定のイージーな傾向を指摘でき、そういう危惧感も持ちながら、私は評論屋ではなく実践家ですから、授業も現実にわが身に引き受けてやってやろうじゃねぇか、というわけです。

芸術:世界を引き受けること
 ここで、東大内で不評を買いそうなことをあえて記しますと、このアートが「芸術」だと考えるなら、東京大学に今在籍する教官で、職業芸術人として仕事してきたとは、私の知る限り3人しか思い当たりません。

 一人は、文学部の三浦俊彦さん(https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/people100493.html)。

 芥川賞候補作家、というより「世界的特殊作家」としてスカトロジーなどを正面に据えた、核のある作品で世界に向き合う、ほんまもんの表現者で、言っちゃなんですが東大教授なんかにしとくのはもったいないです。

「スカトロジー」が何であるかといった無粋は、ここでは一切触れないことにしましょう。ただ彼の連載小説「偏態パズル」(https://gold-fish-press.com/archives/7755)の第1回をリンクしておくにとどめます。

広告


 もう一人は、教養学部のヘルマン・ゴチェフスキさん(https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/research/faculty/list/ics/f002246.html)。

 リンクにある通り、ドイツ人の彼は「フライブルク大学第1哲学部音楽学科」出身のピアニストで、シューマンの歌曲を伴奏しながら、音楽とドイツ語と詩学が教えられるという、これまた東大にはもったいない、きちんとした芸術家です。

 東大にはもったいない、など、大学に恨みがあるのか(?)と問われれば、はい、まことにその通りであって、この大学は私も35年以上縁が続きますが、本郷キャンパスには授業に使えるまともなピアノ一台がありません。

 数年前のことです。俳人の金子兜太さんと映画監督の高畑勲さんをお招きして8月9日 長崎原爆の日の午後にアニメ「火垂るの墓」を上映後、お2人のテキストに私が音楽をつけて初演する「哲学熟議」を行いました。

 しかし、安田講堂にはまともなピアノがありません。仕方なく電子鍵盤を持ち込んで、当時15歳の芸高1年生、後藤哲大君(現在は東京芸術大学ピアノ科)たちに年齢差83歳で共演してもらいました。

 電子ピアノの粗悪な音は本当に申し訳ない状態で、終了後、支援者の方が安田講堂にグランドピアノを寄付したいと申し出てくださいました。

ところが、大学の方から断ってきた。理由は「保守管理ができない」「音漏れ対策ができない」などなど。

 実に分かりやすい小役人的な理由で、分かりすぎてしまうので、もう深追いはしませんでした。

 いまの東京大学と芸術など、これっぽっちも関係はありません。

「AI社会を制するアート思考の人材育成」などというと、別の役所の耳触り歯触りがよさそうですが、そんな「お気楽極楽」気分で、何か本当に役立つものが身につくとは到底思われません。


 ここは、専門人として、まやかしや邪道はすべて脳天唐竹割で真っ二つというのも面白かろう、というのが実のところだったりもします。ともあれ、蓋を開けてみるのを楽しみにしています。

「哲学熟議」ふたたび
 さて、冒頭で告知しました2月28日のリモート・セッションは、実は率直に言いますと、大人数がアクセスするZOOMイベント、回線の通信速度その他、やってみないと分からないことがありますので「ためし」という側面があります。

「定員」もいま、遠隔実験で「固まらない人数」をスタッフが評価している最中というのが実のところです。

 その分、今までお目にかけることのなかった、特に音楽づくりの手の内をお見せします。

 言ってみれば、かつて私が責任を持っていたテレビ番組をもじって「題名のない舞台裏」を音楽専門学生を含めすべて公開、教授する<インサイド・アウト>の試みを開始します。

 通信回線速度を確認のうえ、参加者数の上限を(できるだけ多く)設定して、3月には少なくとも2回、国際発信の「哲學熟議/哲樂熟戯」(文字の違いにご注意ください)を、日米欧連携で行います。

 1度目は3.11東日本大震災から10年を機に、「哲学熟議」の創設代表である一ノ瀬正樹 武蔵野大学教授・東京大学文学部哲学研究室名誉教授と、星槎大学の北川達夫教授をお迎えしての哲学熟議18「福島第一原発事故と新型コロナウイルス・パンデミック・・・災厄に立ち向かう哲学」を3月9日(火曜日)に、もう一つはお話は日英語ベースで国際発信で行います

哲学熟議19「ベートーヴェン250 COVID19→CUPID2021」

 これらについても、追って告知をお出しします。こうしたリアルではありませんが、リモートセッションの背景を、検討してみましょう。

病災害の世界をしなやかに生き抜く
 3月11日、一ノ瀬正樹さんが新刊書を世に問われます。「いのちとリスクの哲学 ―病災害の世界をしなやかに生き抜くために」。

 3月の哲学熟議では一ノ瀬先生ご自身にぞんぶんに語っていただくこととして、ここでは「10年前、3.11を経験したはずなのに、コロナ被災にあたって今も変わることがない日本人の困った現状」と、それを「しなやかに生き抜く」ポイントのイントロ部分だけ、考えてみましょう。

 10年前、福島第一原子力発電所事故の発生後、様々な「放射能差別」が社会問題になりました。

 ある関西の自治体では「葬列デモ」なる市民運動が起こり、被災者への差別が深刻な検討の対象となりました。


 ある大学の外国人教師は、学生の1人が被災地出身であると聞いて部屋の電気を消し、被曝していたら「光る」のかと思っていたと発言、処分を受けたとの報道もありました。

 こうした愚考がいかに無根拠であるか、2011年以降の日本人がどの程度学習したのか、定かでありませんが、2020年以降の日本でも「コロナいじめ」「コロナ差別」の実態があります。

 しかし、私はここに一つの「日本が変わる」モーメントがあるように思うのです。

 ポイントは「放射能は動かない」「しかし、ウイルスは動く・・・人を媒介として」という2点に集約されるでしょう。

 2011年の災害では、地震や津波の被害に遭遇した地域は限局され、特に2次災害である福島第一原発事故で放出され、降下・定着した放射能は、いわば「地縛霊」のように場所つまりホットスポットに固着していました。

 他方、2020〜2021年以降のウイルス災害は、場所と時間を選びません。

 日本全国、あらゆる場所が「被災地」、この場合はクラスターになり得ます。地域を限局されません。さらに「人間」を媒介として「感染する」という決定的な違いがあります。

 3.11時点での「放射能が伝染する」は風評被害にとどまるものでしかありませんでしたが、2020年代のパンデミックは、本当に「伝染する」。

 それに伴う、感染者や医療従事者を含む関係者への心ない反応や差別も見られるわけですが、ここに私は「日本病克服のモーメント」があると思うのです。

立場の入れ替え:対称性原則で考える
 ウイルスは「人が媒介する」そしてそういう「人」に対して陰湿ないじめや差別が水面下で横行し始め、「ご迷惑をおかけしました」といった遺書を遺して自殺する人まで出ている現状がある。

 ここで「コロナ差別」をしている人たちは、いつ自分たち自身が「感染者」になるか分からないというシンプルな現実を認識していないように見えます。

「うつったら大変」

 それはそうです。しかし、自分だっていつ陽性になるか分かりません。差別の社会的地盤を温存すれば、いつか自分自身が病気をもらってしまったとき、その差別の直撃を受けるということを意識していない。


「自分だけは大丈夫」「伝染しても、若い人は重症化しないんでしょ」「黙ってれば分からないだろう」

 など、どこかで非常に低レベルの思考停止があります。

「ウチらだけは、大丈夫」「ヨソモノが危険なのだ」というこの精神を、仮に「島国根性」と呼ぶことにして話を進めます。

「放射能差別」以来、延々と水面下に温存し続けている「コロナ差別」も自分たちは例外という「島国根性」の無根拠な前提で、リスクを他人事ととらえ、自身に引き受けて考えないことにしているわけです。

 しかし、そうは問屋が卸しません。というより「ウイルスは人見知りしない」。

「自分だけは大丈夫」「万全の対策を常に心がけている」と言っていた人が、毎日数百〜数千人という単位で感染者になっていく。

 原因の一つは、同様にあまり物事を深く本質的にとらえず、経済優先などの旗印で日本全国に病原体をまき散らしてしまった、誤った「政策」にあったことは間違いありません。

「情報リテラシー」という教科では「自分が他人にヤラレて嫌なことは、他人に自分もしてはいけない」という「対称性原則」を教えます。

 実際、自分が矢の批判を受けることで、考え方が全く変わったというケースが全世界で山のように報告されている。

「COVID-19」は、完全に「招かざる客」でしかありませんでしたが、2021年、全世界の国、町、都市そして、家庭のお茶の間にまで居座る「客」となってしまった。

 この迷惑な「客」を通じて、私たちが学べるものもある。それはこの「島国根性」の克服にほかなりません。

リモートで学ぶ思いやり/助け合いの共生
 私はここ四半世紀ほど、大学の「情報」「情報処理」科目を担当して、ネットワーク・エチケットでの「対称性原則」を教えてきました。

 そしていま、パンデミックに直面するとき、改めて「パンデミックに立ち向かう対称性原則」に立脚する「思いやり/助け合い」が可能だと思うのです。

 例えばいま、もしあなたがZOOMにアクセスして、画面の向こうに伝染病に苦しむ人がいたとして自分が感染するかもしれないと、心配するでしょうか?

 普通しません。というのも、情報ネットワークを通じてコネクトしている遠隔地から、ウイルスは伝搬してこないから。

広告


 一ノ瀬先生は、放射能やウイルスなど「物体性」を持つリスク源をめぐるモラルを「物体性を伴う倫理」と表現しておられます。

 ここで私が提起したいのは「物体性を伴わない共生=リモートで情報として存在し合う者たちの倫理」、あるいは「余裕ある倫理」を考えるべきだと思うのです。

 決して伝染することはないという保証があれば、余裕をもって私たちは物事に対処することができる。

 いま日本社会にみられるのは、安全の保障が定かでない状況での強がりの反動として弱いものいじめに走る「余裕のない人の八つ当たり」であると考えると、等身大の感覚で事態を把握できるように思うのです。

 いつうつるか分からないから、戦々恐々となり、ヒステリックにいじめたりする。

 そういうのをもう卒業しようではないか。「余裕」を持って人倫を大切にする次世代のシステムの扉を開けようではないか。

(あえて「新しいなんちゃら」という、すでに新しくも何ともなく、手垢にまみれた表現は使わないようにします)

「リモートシステム」とりわけ「リモート教育」は、そうした次世代標準の扉を開ける王道の入口にほかなりません。

 東京大学作曲指揮研究室では、1月に「ひらめきときめきサイエンス 小中高校生のための白熱音楽教室を受講生完全リモート環境で成功裡に執り行うことができました。


「東京大学白熱音楽教室」リモート分割授業での個別指導(左)と、リモート合奏(右)むしろリモートのほうが数学の問題演習や外国語読解では学習効率がよい
ギャラリーページへ
 この経験を踏まえ、2月にから社会発信を開始(2月28日 哲学熟議17)、国際共同の学芸共創=STREAMMの最前線を、惜しみなく社会発信する念頭です。


「哲学熟議17」では、本稿で紹介した哲学課題のほか、楽曲のピアノ・スケッチ(左)がオーケストレーションされ(右) 実際に演奏が生まれる「インサイド」をすべて「うらがえして見せる」、東京とミュンヘンを結んだSTREAMM教育の最前線をご紹介します
ギャラリーページへ
「哲学熟議17」ではミュンヘン工大・Facebook AI倫理研究所と東京大学が世界を牽引して進めるSTREAMM教育システムの最前線をご紹介します。ご興味の方はこのサイト(https://mitsishikawa.wixsite.com/musicmanufacture/17)の手引きに従って 受付アドレス(gakugeifu@yahoo.co.jp)までお申し込みください。

 東京都世田谷区とミュンヘン工大とのコロナ対策コラボレーションなどの話題も追って順次ご紹介したいと思います。

11. 2022年4月20日 14:23:40 : IOozeNzhm6 : TGFnL3N4LmwzdWM=[13] 報告
「音楽&オーディオ」の小部屋
クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。
オーケストラにおける「いじめの風景」
2022年04月20日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7e6bdd72533041993e58fa7620582bce


日本人として初めてウィーン・フィルハーモニーを指揮した岩城宏之さん(1932〜2006)の著作に「いじめの風景」(朝日新聞社刊)というのがある。

端的に言えば「指揮者には音楽以外にも管理能力というものが要る」という話だがまずは、「叱り方の難しさ」が挙げられる。

一般的に中高年になって管理職になると部下の叱り方は誰もが当面する課題で、ことさらに意識しないで自然体に任せるのが一番いいのだがこれがまた結構難しい。

しょっちゅう叱ってもただの口やかましいオッサンになるし、それかといって逆に遠慮して叱らないでおくと”なめられて”しまう。

それに叱り方もいろいろあって、ある種の人間性が問われるところがあり、「叱り方=管理能力」という一面がたしかにあるのは間違いない。

ところが、音楽の世界でも「指揮者=管理職」、「オーケストラ楽員=部下」という構図の中で会社や役所とそっくり同じことが繰り返されているというのだから驚く。

☆ 指揮者の叱り方の実例

楽員のちょっとしたミスを指摘し、それを直し、あるいは自分の解釈に従って演奏者の演奏法を変えさせるのは指揮者の大切な役割で、練習ではいつもやっていることだが、これがときには「いじめ」と紙一重になる。

誰もが大人数の中で一人だけミスを指摘されて注意されるのは快くないが、あえてそれをするのが指揮者の仕事。問題はそのやり方で往年の名指揮者トスカニーニとカラヤンが実例として挙げられている。

トスカニーニの叱り方

全員の前でよく注意し、怒り、ときによっては出て行けと怒鳴ったそうで、クビにされた楽員がのちに演奏会の楽屋に爆弾を仕掛けたという話も伝わっている。

何回も注意をしたあとに、しまいには癇癪を爆発させて「アウト!」と叫ぶと、その途端にその楽員がクビになったという。

現在は世界中でオーケストラのユニオンが発達してそういうことはありえないが、指揮者にとって古きよき時代といえども、トスカニーニのワンマン、独裁力は抜きん出ていた。それでも、彼が指揮する音楽が素晴らしかったから許されていた。

カラヤンの叱り方

非常に民主的にその人を傷つけないやり方がカラヤンだった。たとえば、練習で第二ホルンの音程が悪いとすると、パッとオーケストラを止(と)めてヴァイオリンのほうに向かって自分の解釈を伝えてこうしてくれと注文する。そうしながら、ホルンの第一奏者に向かって目配せをするのだそうだ。

こうしてオーケストラの誰にでも個人的に皆の前で恥をかかせることはしなかったので、非常に働きやすく楽員から凄く人気があった。帝王として君臨したカラヤンの背景にはこうした楽員への心配りがあった。

☆ 若い指揮者へのいじめ

同じ人間同士に生まれていながら、片方は指揮者、片方は楽員で、楽員にとってどんなときでも指揮者の一挙一動に注目し従わなければならないというのは本来面白くないはず。

だから指揮者がちょっとした統率上の油断をしたり、音楽的に納得できないことが続くと当然反発する。

その反発は指揮者とオーケストラの力関係によって種類が変わってくるが指揮者が大変若くて新人の場合は集団での”いじめ”になることが多い。

職業上のいびりは学校のいじめと違って可愛げがなく、指揮者という職業をあきらめる新人が後を絶たないという。

いじめの実例 1

ある若い指揮者が日本のあるオーケストラを指揮したところ、練習中いろいろと難癖をつけられた。約百人対一人だし、若い指揮者の欠点というのは無数にある。

どんなことでもケチがつけられる。しまいには練習中にその指揮者はボロボロ涙を流して泣きながら最後を終えたそうである。

後日、岩城さんはその指揮者を呼び出してこう注意した。

「オーケストラの前で涙を流すヤツがあるか。どんなに悔しくても、悔しい顔を見せるな。泣き顔を見せたら、オーケストラは面白がって、ますます君の言うことを聞かなくなる。尊敬しなくなる、軽蔑する。それだけだ。泣きたいなら練習が終わって、一人で部屋で泣けばいい」

いじめの実例 2

今度は別のオーケストラの話で、例によってある若い指揮者をさんざんいびったところ、その指揮者は気が強くて、しまいには腹を立て、棒を叩き折って投げつけて出てきてしまい、音楽会をキャンセルした。

逆にいびったほうのオーケストラは非常に感心した。見所のあるやつだ、おもしろい。この指揮者はそのオーケストラにその後もよく指揮を依頼されたということだった。

以上のとおりだが、オーケストラの団員といえば「芸術の創造」という高邁な志のもとに俗世間を超越した存在かと思っていたが所詮は人間同士の集まりなので、意見の食い違いは日常茶飯事だろうし、「いじめ」や「管理能力」なんて陳腐なものから逃げられないんですねえ。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7e6bdd72533041993e58fa7620582bce

12. 2023年3月12日 09:56:06 : 0Jf3Yun64s : NWM0b1IuNVBRR2M=[95] 報告
【悲報】

3浪して美大入学した女子大生さん、人生の軌道修正に失敗し無事ウシジマくんコースへ

2023/03/12(日) 00:30:53.22ID:uYmrrwCjd

大規模特殊詐欺 新たに“かけ子”男女をフィリピン入管が拘束
h ttps://news.yahoo.co.jp/articles/113b5a7ba3def53b969b49d88c5c1106c3de672b

フィリピンを拠点とした大規模特殊詐欺事件で、かけ子とみられる24歳の男と25歳の女が新たにフィリピンの入国管理局に拘束されたことが分かりました。

 フィリピンの入国管理局は、藤田海里容疑者と熊井ひとみ容疑者を10日、マニラで拘束したと発表しました。

 2人は先月、フィリピンから送還された渡邉優樹容疑者ら4人を含む特殊詐欺グループで、「かけ子」をしていたとみられています。

https://i.imgur.com/vJHqfvW.jpg
https://i.imgur.com/hBwtNZS.png

2023/03/12(日) 00:33:13.31 ID:H6d7bqhbd
闇バイト適当に応募しちゃったパターンかな

2023/03/12(日) 00:34:09.02 ID:xKkq8ceV0
>>
適当に応募しただけの奴がフィリピンにいるかよ

2023/03/12(日) 00:34:57.64 ID:je670H+wd
>>
適当にフィリピンぐらいまでなら行くかもしれんでガチで

2023/03/12(日) 00:34:59.80 ID:jhhFOWBF0
生年月日も一致www
何があったんだろうな
コンテスト出ちゃって変なやつとつるむようになったんかね

2023/03/12(日) 00:36:38.65 ID:AnADwkxU0
なぁに美大生なら逮捕されて箔がつくってもんよ

2023/03/12(日) 00:38:33.81 ID:nmUjiD7A0
美大って病みそうよな

2023/03/12(日) 00:39:09.87 ID:PRosHVlXp
人を笑顔にする仕事ができたら良かったのに

2023/03/12(日) 00:46:05.24 ID:xobW8Q9G0
>>
このニュース見て笑顔になれたから叶ったぞ

2023/03/12(日) 00:40:23.43 ID:fgjrbAn/a
多摩美は美大で2番目のかなりええとこなのになぁ
底辺美大生ワイからしたらなんてもったいねぇことなんだ

2023/03/12(日) 00:40:47.86 ID:gdmwjS3G0
朝お腹が痛くならないように頑張りたいです…とか書いてるしメンヘラってしまったんか?

2023/03/12(日) 00:48:32.01 ID:zV+r+nAQ0
>将来の夢:人を笑顔にすることがしたいです

うーんこの

2023/03/12(日) 00:52:09.27 ID:DaQZsaUS0
美大女が半グレの女になるまでどんなルートを辿ったんやろうな

2023/03/12(日) 00:53:10.06 ID:2mbqyay70
>>
完グレやけどな、こんなん

2023/03/12(日) 00:56:13.60 ID:QKMNDnGI0
闇バイトググるまではわかるが場合によってはパスポート取って
さらに色々準備してフィリピンまで行くってどんだけやる気あるねん
途中で萎えるやろ

2023/03/12(日) 00:39:41.48 ID:PJAChQSs0
美大でも学科によってはろくに仕事ないし就活失敗したんやろな

2023/03/12(日) 00:56:38.58 ID:PHNd8wXu0
美大入れるなら親金持ちなんじゃないの?なぜに受け子なんて

2023/03/12(日) 00:59:10.62 ID:cI1fbPHa0
調べたら受け子が一撃懲役2年8か月やったわ
掛子だともっと重いんかね


h ttps://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1678548653/

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史3掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史3掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史3掲示板  
次へ