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有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 01 日 10:38:20: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 投稿者 中川隆 日時 2019 年 2 月 01 日 08:50:05)


有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口


中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:


漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。

引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/20/97ae91cd74d02dab5763add74c395063.jpg


ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。


中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。

もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。

その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。

局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。


ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。

台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。


清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。


今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。

黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。


戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。

稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。

長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。


漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。


チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。

台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。


このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。

中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://thutmose.blog.jp/archives/66023396.html

▲△▽▼

漢民族を植民地支配した鮮卑人、モンゴル人や満州人の皇帝はみんな真面目で有能だったけど…

宮脇淳子 皇帝たちの中国 


皇帝たちの中国 第1回 「中国人はどこから来たのか」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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皇帝たちの中国 第3回「朝貢の真実」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「皇帝たちの中国 第5章 第1回清朝は中国王朝ではない」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「皇帝たちの中国 第5章 第4回 康煕帝は満洲人でモンゴルとのクォーターだった」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「皇帝たちの中国 第5章 第5回「大清帝国の基礎を築いた康煕帝」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「皇帝たちの中国 第5章 第6回「清朝とチベットの本当の関係」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「皇帝たちの中国 第5章 第7回「習近平が徹底研究する清の皇帝とは?」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「番外編:皇帝たちの中国 その後の皇帝たち「皇帝の権力を確立した第五代雍正帝」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「番外編:皇帝たちの中国 その後の皇帝たち「清朝の最盛期第六代乾隆帝」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「番外編:皇帝たちの中国 その後の皇帝たち「第七代嘉慶帝」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
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「番外編:皇帝たちの中国 その後の皇帝たち「アヘン戦争から日本の近代が始まった〜第八代道光帝」
宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Pn6mzjLpiLA

 

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コメント
1. 中川隆[-12551] koaQ7Jey 2019年2月01日 10:49:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

尖閣・千島 お隣の国  武田邦彦 (中部大学)

https://www.google.co.jp/search?lr=lang_ja&hl=ja&rlz=1I7AWNC_jaJP826&tbs=lr%3Alang_1ja&ei=uaRTXPHbAZmk-Qb_r7awAg&q=%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%83%BB%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%80%80%E3%81%8A%E9%9A%A3%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%80%E3%80%80%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6+%EF%BC%88%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%89&oq=%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%83%BB%E5%8D%83%E5%B3%B6%E3%80%80%E3%81%8A%E9%9A%A3%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%80%80%E3%80%80%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6+%EF%BC%88%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%89&gs_l=psy-ab.3...2544.12583..14526...0.0..0.148.284.0j2......0....2j1..gws-wiz.Ba5QjP0jyBo

尖閣・千島 お隣の国  (1) 支那だった中国


第1章  おとなりの中国

第1節  支那が中国だった昔のはなし


「項羽と劉邦(「こうう」と「りゅうほう」)の物語」は、多くの人が知っている有名な英雄伝説だ. 特に、項羽といえば背の高さ185センチ、筋肉隆々とした大将軍で、戦をすれば負けることはなく、酒を飲めば2升は簡単、豪快でサッパリしていて、生涯ただ一人の女性を愛し、その女性と運命をともにした。女性なら誰でもポッとなるという人物だった。


 その項羽が馬上にまたがり数10騎の家来を引き連れてある川の畔を通ろうとしたときだった。川辺に水をくみに来た一人の少女が項羽たちをやり過ごすために少し離れたところにポツンと立っていた。


 運命というのはそういうものなのだろう。項羽はふとその娘の方を見て初々しい可愛らしさに馬を止めた.


「近くのものか、それとも胡人か?」


と聞いた.川に水をくみに来ているのだから、近くの娘には違いないのだが、その少女の目は項羽から見ると青色がかって見えたからだ。


「近くのものです・・・」


 その少女の名前は「虞(ぐ)」、年は14.


 早速、項羽は娘を馬に乗せて少女の家に訪れ、軍資金として持っていた金を与えて「虞」をもらった。


 この「虞」こそが2200年後の今日に至っても語り継がれている武将、項羽が生涯、愛し続けたたった一人の女性だった。後に「虞美人」と呼ばれ、中国ではヒナゲシのことを虞美人草と呼ぶ.


 さらに明治の文豪・夏目漱石は処女作に「虞美人」という題名をつけている。虞美人は中国4美人にカウントされることもあるが、虞美人の「美人」は美しい人という意味ではなく、大将のご夫人というような意味で、「虞妃」(虞という名前の妃)と同じような意味である.


 この項羽、武勇も優れ、気っぷに優れ、部下にも慕われていたようだし、さらに虞美人との仲も良かったが、最初は盟友であり、最後は仇敵となる劉邦との天下分け目の戦いに敗れ、虞美人を抱きながら自害する。


 その時の項羽の歌と伝えられる漢詩を紹介しよう。


力拔山兮   力、山を抜き,


氣蓋世。   気力は世を覆うほどだった。


時不利兮,  でも時は味方せず、


騅不逝。   愛馬も進もうとしない。


騅不逝兮,  儂の愛馬が進まないのだから、


可何,    どうしようもない。


虞兮虞兮,  それにしても虞よ、虞よ、


奈若何 !   おまえをどうしようか!


 この詩も歴史的に名高い「垓下歌(がいかの歌)」である。劉邦との最後の戦いは垓下で行われ、項羽は敗れて虞美人とともに死んだのだ。


 虞美人は項羽の詩に次のように返して死ぬ.


漢兵已略地,


四方楚歌聲。


大王意氣盡,


賤妾何聊生


 周囲をすべて敵に囲まれ、将軍の運命もつきたというような意味だが、「さすが、虞美人。死ぬ前に詩を詠むとは」と感心するところだ.


 ところで、詩の2番目に「四面楚歌」という4文字熟語があるが、今、日本の高等学校の入学試験にでた場合は「あたり一面、敵だらけ」という意味を書かないと×になる。本当はもう少し含蓄があるが機会があったら説明したい。


 ともかく項羽は死んで一件落着し、中国の最初の長期王朝「漢(前漢)」が誕生するのである。時、紀元前2200年だ。


 この「項羽と劉邦」の話はロマンあふれるが、ここで覚えておかなければならないことが2,3ある。


 まず四面楚歌の「楚」という国だ。中国の国の名前は、大きく「南の方の国というと、楚、呉、宋などの名前が出てくる。だいたいは揚子江の近くの地域で、海側は上海、内陸では南京、重慶などの都市の名前が浮かぶ地帯だ。また、時によってはもっと南の広州なども含むことがある。とにかく、楚、呉、宋などという名前がでてきたら「ああ、南の方だな」と思えば中国の歴史はわかりやすい.


(平成22年11月7日 執筆)


▲△▽▼

尖閣・千島 お隣の国 (2) 秦の始皇帝と支那(チャイナ)


ところで項羽と劉邦が戦った20年ほど前には、中国を初めて統一した「秦」の始皇帝がいた。


「秦」と聞くと「チベットの方」という感じだが、そこまでは行かないがやや山の方からでてきた王朝である.

この秦の始皇帝が中国で初めての皇帝になったのが、項羽が死んだ年よりわずか18年前だった。


なにしろ中国で初めて国が統一されたので、中国の名前を「秦(しん)」を少しもじって「シナ」と呼ぶことになり、英語ではチャイナ、日本語では支那と呼ぶようになった。


「中国」というのは20世紀になってからの名前で、中国の歴史を尊重し、中国を尊敬する場合は「支那」と呼ばなければならない。歴史をよく知らない人は「支那」という名前は中国を蔑視したものと思っているが、「支店」などで使う「支」という意味で使われていたのではなく、秦の音から来ている.


 ところで秦の始皇帝は、なにしろ初めて国を統一したのだから、やることも多い.まず国の仕事を、行政、軍事、監察の3つに分けてそれぞれの長を決めた。地方は「藩」を作って地方分権にしようという人と、「県にして中央集権」という人がいて対立したが、結局、36県をおいて中央集権にした。


 なんでも最初は大変で、トライアンドエラー、つまり「やってみなければ分からない」ということが多い.今なら北京から上海までヒコーキで楽々と行けるが、当時は大きな国になると周辺まで行くのが大変だ。


 生物でもそうで、今から6億年前に多細胞動物が最初にできたときには、体の形、目の数、足のつける方向などなにも分からなかった。そこで、目の数は1ヶから5ヶの生物を作ってみたが、どうも2つが一番、都合が良いようだということになって、目は2つになった。


 足も最初は四方八方についた動物もいたが、移動するときには体の下の足だけで良いらしいと言うことが分かって、足も体の下だけにつくようになったのである。


 さらに外敵にも備えなければならないので、始皇帝は、万里の長城を作ったり(北の守り)、全国を巡回したりした。かなり努力はしているのだが、何しろ最初のことだから、上手くいくはずもない。始皇帝が旅先で死んでから2200年も経つけれど、未だに「暴君、始皇帝」というイメージが強い

.

私には名君に見えるが、「時代を拓く第一陣は、結局は報われない」という人間社会の原則がここにも生きているようだ。


 秦の始皇帝がやや失敗して死んだ後、項羽と劉邦が登場してくる.


前回に書いたように、血筋のよい項羽に勝った劉邦はもともとは中流農民のせがれで、若い頃は荒くれ者で行状も良くなかったのだが、だんだん大将になっていくにしたがって策略や深慮遠謀に富むようになった。女癖は最後まで悪かったようだが、それでも信望があり、ついに項羽を倒して「漢」の国を建てて初代皇帝にになった。


 今では、劉邦がたてた「漢」を「前漢」と言うけれど、もちろんそれは後に「後漢(「ごかん」と呼ぶ)」ができたから前漢というのであって、最初から前漢ではない。だから、面倒な人は前漢も後漢も「漢」と呼んでも中国の歴史を知る上ではあまり関係がない。


 前漢を作ったのが劉邦で、後漢は同じ「劉」の姓を持つ劉秀だから、いわば親戚筋だ.それにこの劉秀は皇帝になって光武帝という名前を名乗るが、前漢の政治体制を引き継いでいる.だから、


「紀元前200年から紀元後200年までの400年間、中国には「漢」という国があった。」


と覚えるのが一番、簡単でかつ役に立つ.そして、


「その「漢」の前に、中国は初めて統一され、「秦」という国ができ、その「秦」という名前からチャイナ、シナという中国の国の名前ができ、「漢」の人を「漢人」と呼ぶ。」


の2つを覚えれば古代中国ばかりでは無く、現代の用語にも少しは詳しくなる

.

 ここでもう一つ、重要なことを整理しておかなければならない。


 秦の始皇帝が支那を全国統一するまでは、中国の中心部に王朝があったが小さかった.その人たちがいわゆる「現地人」で、現地人の多くの国の内、西に「秦」があり、南に「楚」があった。


だから、「秦」、「漢」の王朝ができるまでは、「支那には現地人がいた」ということになる。どこの土地にも統一国家のようなものができるまでは「現地人」がいる。日本も大和朝廷ができるまでは九州に小さな国はあったけれど、それ以外は現地人だった。


北海道にはアイヌが、アメリカにはインディアンが、そしてオーストラリアにはアボリジニがいて、いずれも集落や小さな地方都市はあったけれど、国家というハッキリしたものは無かった。


どの国も、例外なく「最初の現地人の時代」からやがて「国」としての体裁を整えてくる。先進国が書いた書物を見ると、「開発途上国」の地域には「現地人」という呼び名が出てくるが、先進国が「国」としての体裁を整える前は「現地人」とは呼んでいない。


これは無意識のうちに先進国と開発途上国の区別をしているのだろう。

(平成22年11月10日 執筆)


▲△▽▼

尖閣・千島 お隣の国(3) 城壁の意味


中国の歴史では殷、周などの古い時代の王朝を国と呼んでいるが、支那全体の大きさから言えば、まだホンの一部だった。


また、支那を秦の始皇帝が中国を統一したといっても、それは現代の国家とはずいぶん違う.なにしろあの広い支那に5000万人ぐらいしかいないのだから、人間がいるといっても大陸全体は人が少なく閑散としていた。


さらに、その少ない人のほとんどは「城壁に囲まれた集落」に住んでいて、住民は朝になると門をあけて畑まで歩いていき、そこで畑を耕したり収穫したりしていた。今でも当時とあまり変わらない集落があるので、その写真を示したい。


この写真は現代の甘粛省の農村で、今から2000年前と比べれば細かくは違うが、おおよそ漢の時代の集落の様子を思い浮かべる事ぐらいはできる。


 写真の下の方に小高い丘があり、その中に集落が写っている。村壁(壁の中にお城があるかどうかは問題ではないので、城壁というより村壁の方が用語としては正しい)は2重になっていて、数10ヶの家屋が二重壁の中にある。


 日本の常識では、このような「壁」の中には殿様がいるのが普通だが、それは世界でほぼ日本だけで、多くの国では「村や町」を壁で囲っている。つまり、壁の中に住んでいるのは村人で、同時にある程度の自衛的な武器などを備えている

.

 村民は朝になると城壁の扉を開けて畑に農作業に行く.そして夕刻になると慌てて畑から帰り、城壁の扉が閉じられるまでに村壁内に戻るのである

.

 どうしてこんな面倒なことをしているかというと、「中国」という国がないことによる。「国がない」というと抵抗がある人には、「国はあるが無政府状態」と言っても良いし、「国はあるが無警察状態」と言っても良い。


 「そんなことはない」と疑問を持つ人もいるだろう.地図を見ると「漢」という国の領土はシッカリしているし、歴史書には「秦の始皇帝は郡県制度を採用し、全国を36郡に分け、郡の下に県をおいて、県令、県長にその県を治めさせた」とある。


 歴史を学ぶときに気をつけなければならないのは、「用語が同じでも時代とともに内容が変化する」ということだ。なにしろ漢の時代は今から2000年も前だから「県」と言っても愛知県や徳島県などと違うし、今の知事、つまり県令は同じ権限を持っているわけでも、警察が隅々まで見ている分けでもない。


 現代のアメリカですら、「ピストルを所持しないと不安だ」ということで銃器の携帯が許されているぐらいだから、2000年前の中国が村人の安全を守るために「村壁」を必要としていたのは当然だろう

.

 また、この写真では集落とその付近の畑だけが写っているが、もちろん森林もあり、荒れ地もあった。つまり、「都市、村落、その周辺の畑」だけで「国」ができていたのである.いわば「点と線」だけが国土でそれを道路でつないでいたという状態だった。 


20世紀におきた日中戦争の時に、「日本軍は中国の都市と道路を抑えただけで、それは点と線の占領に過ぎない.だから日本が中国の一部を占領したというのは事実ではない」という「思想をもった歴史観」というのがあるが、もともと点と線で成り立っている中国を日本と同じように面で占領しようということ自体が不可能なのである

.

 でも、日本人が誤解したのは仕方がないかも知れない。この写真はある地方の「城下町」(現在)のものだ。日本人にとっては当たり前の風景だが、これを中国人やゲルマン人に見せるとさぞかしビックリすることだろう。


 平野の中心にお城があり、その周りに民家と畑がある。お城はお堀と石垣に守られているが、周囲の民家は無防備だ。


「なんのためにお城があるの!」


と中国人なら叫ぶだろう.


「お殿様は自分だけ守って、住民はほったらかし!それはひどい。日本というのはどういう国なんだろうか!」


と日本に不信感を持つだろう.


 日本のお城はなぜお殿様だけが入っているのか?なぜ、住民を守らないのか?何のための城なのか?


 国家というものをハッキリ持っていない国、それは世界のほとんどの国なのだが、それらの国に住んでいる人にとっては日本が一つの国であるということに驚く.そして、戦争があっても戦いは武士同士であり、まれに住民に被害が及ぶことがあってもそれは希であり、また偶然だと言うことは分からない。

(平成22年11月20日 執筆)


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尖閣・千島 お隣の国(4) 「日本」ができた頃


(このシリーズは尖閣諸島の事件を切っ掛けにして、もう少し中国や満洲、ロシアのことを良く理解するために始めたものです。一般の歴史書は多く出版されていますので、それとは少し角度を変えるようにしています.)


 紫禁城の黄昏の時代・・つまり支那の大清国の終わりだが、その頃、義和団事件が起こり、各国の軍隊が義和団事件に介入した。そして、義和団を滅ぼした後、ドイツの軍隊は周辺の住民を皆殺しにして、宝物を略奪した。


 もともと命をかけて戦争するという動機の一つは他国の軍隊をやっつけた後、そこに住む住民を皆殺しにし、女と財宝を略奪するのが楽しみで、命をかけている。


 まさか、国を代表して命をかけるなどということはあり得ないのだ。


 ところが、各国の軍隊の中で日本の兵士だけが違った。日本の軍隊は将校ばかりでなく、一兵卒に到るまで軍律厳しく、勝利のあとでも略奪どころか、まったく立派だった。


 ある兵士は一時的に中国の農家を借りたお礼に、庭を掃除して帰ったと伝えられている.これには庭を掃除してもらった中国人はビックリ仰天して日本人を心の底から尊敬したと記録されている.


 残念ながら日清、日露、そして第一次世界大戦に勝ってから日本人の意識は徐々に変化し、満州事変が起こる頃には中国人を「チャンコロ」と呼んで軽蔑し始めた。


 歴史に「もし」はないが、「もし、日本人が明治のはじめのような謙虚な心を持っていたら」、日本人はその技術、力、誠実さでアジアでもっとも尊敬される民族になっただろう.  


 そのためには「人は誰もが生きているというだけで価値があり、人の価値はその人の能力などによらない」ということが心の底から分かっている必要がある。663年の白村江の戦い(かつては「はくすきのえのたたかい」と呼んだ)に負けて、日本は天智天皇の時代だったが、壬申の乱を経て「日本国、天皇陛下」の体制が固まっていった。それから後は天皇陛下だけが特別な存在とし、それ以外の人はまったく同じ人間として「和をもって尊し」となして生きてきた。


 惜しい!それが明治以後も続いていたらと残念に思う.


 もう一つ、中国を理解するために知っておくことがある。それは、日本人は「できるだけ正確に過去の歴史を調べる必要がある」と考え、中国人は「自分に都合の良いように書いたのが歴史書だ」ということだ。


 このように言うと中国人の悪口を言っているように感じる人がいるが、それは中国のやり方を評価する人が日本人だからである。仮に学問というものが「現在、生きている人のためにある」ということになれば、一時代前の殿様がどんなに悪行をしても、それを書かないという選択肢もあって良い。


 歴史は現代の人のものだ、自分に有利に書いても良いとしているのが中国だから、「劉邦が天下を統一して漢王朝を作った.地方には36の県をおき・・・」と歴史書に書いてあれば日本人は批判精神無く、そのまま信じてしまう.


 でも、それが歴史的事実であるかどうか、また別の問題だ.


 お人好しといえばお人好し、まじめと言えば真面目だが、中国の人の言うことや歴史は必ずしも真正面から信じることはできない。中国では常に「自分にとって得か損か」が最優先で、すべてはそれで決まる。


 現代でも、中国料理には油を多く使うので、下水には油が流れる.その油を回収して食用油として売っている.また、高い値段の蟹として販売するために、食用には適さない蟹を強い化学薬品を使って表面を化粧して売る。


 日本の食品偽装といえば、産地や添加物のわずかな偽装だが、中国ではあっと驚くようなことがある。これも、「お金を盗む方が悪い」という日本社会と、「お金を取られる方が悪い」という中国文化の差である.


 他国の文化は、他国のものとして理解し、自分の国の常識や倫理で判断しないことが大切だろう.

(平成22年11月30日 執筆)


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尖閣・千島 お隣の国(5) 支那が支那ではなくなる時代


 秦の始皇帝が中国を統一し、さらに劉邦が漢を建国して400年、紀元後200年まで、支那は順調に「国」として独立してきた。漢は中国の中原と呼ばれる地域・・・洛陽を中心とした盆地だが・・・を支配し、南は揚子江の先まで、北は黄河、そして西は山が始まるところまでを支配下に置いていたので、いわば「中国の平野の良いところをすべて「支那」とした」という状態だった。


 北の方には女真族、モンゴル、西にはチベット、南には今のタイやベトナムがあったが、文明が発達した地域はなく、これで支那は安泰のように思えた

.

 ところが、漢も前漢・後漢と400年も続く内には悲劇も不運も重なるときがある。


 後漢はスタートこそ光武帝が力をふるってなかなかの王朝を作ったのだが、早くも4代目の章帝からおかしくなってくる.章帝の時代というとおおよそ紀元80年だから、後漢200年といっても、まあまあ通常の概念で言う国として通用したのはわずか80年だけと言っても良い。


 支那の政府がこのような状態になったのは、原理原則に基づく構造的なものだったのか、それとも運命なのか、4代目からの皇帝は若くして死ぬ.なにしろ皇帝になった人はドンドン死に、30才を越える皇帝が出なかったぐらいだから、大変なものだ。もしかすると宮廷内の争いで毒を盛られたのかも知れないし、将来の皇帝ということで運動もせず、栄養も偏っていたので糖尿病などになったのかも知れない.ともかく、皇帝の寿命は非常に短かった。


 そうなると、皇帝が死んでも残る人、つまり皇帝の母親が権力を握る.でも当時は女性は政治などをする時代ではなかったので、自ら政治を行うというより自分の父親とかお兄さん(外戚)を登用するので、混乱が起きる

.

 さらに中国では男性が皇帝と一緒にいるとごたごたするので睾丸を抜き取って女性化した官僚(宦官)を使っていたが、男性でありながら男性らしいサッパリしたところが無いのだから、これも内紛の原因になる

.

 嫉妬、ねたみ、陰口・・・際限なき宮廷内の戦いが国を乱すのは当然である.後漢の終わりには漢の領土の中はめちゃくちゃになった。


 有名な反乱は、黄巾の乱や五斗米道の乱だが、その他にも黒山・白波の賊、雷公、飛燕、李大目の騒動など、いくらでもあった。


 そんな事が120年も続き、さすがの支那の最初の大帝国も紀元200年頃に滅びてしまった。


 さらに混乱の中に滅びてしまったので、その後、実に400年も戦乱の日が続いたのである.その戦乱の全体をまずは年表を図にしたもので見てみよう。

 支那の大戦乱時代、戦いはまず「三国志」で有名な魏呉蜀の対立から始まった。どうも日本人は漢の最初の「項羽と劉邦の物語」や「三国志」が好きなようだ。この二つの物語はともに「戦争ばかりしている」時のことで、日本人は平和を愛すると良いながら、つくづく戦争の話が好きなことが分かる。


 戦争というのは別の言葉で表現すれば「殺し合い」だから、物語の最初から最後まで、殺し合ってばかりいる。人間の数は決まっているのだから、殺し合えば人口が減るが、それでも項羽と劉邦の時には一般市民をあまり巻き込まない戦い、つまり「軍隊だけの戦い」なのでまだ人口に与える影響が少ない。


 でも、後漢の後半に起きた黄巾の乱や五斗米道の乱などは庶民が起こした反乱なので、その被害たるや相当なものだ。歴史家岡田英弘先生の研究によると、前漢と後漢の間の紛争で支那人(漢人)の人口は6000万人から1500万人に、さらに後漢の混乱から戦乱時代にさらに10分の1に減少したとされている。


 つまり、魏呉蜀が争っていたときにはすでに支那の中央部には人はまばらにしかいなかった。広大な魏の領土にわずか300万人ぐらいだったと推定されている.


 そうなると三国志に出てくるあの膨大な軍隊の数は何を言っているのだろうか?


 すでに支那という国(日本のように海で囲まれているわけではないので、境界はハッキリしていないが、およそ黄河から揚子江までの平地)には人がまばらにしかいなかった。


 そこで、三国志の曹操や諸葛孔明などは、「国の外から人を連れてきて戦う」ことになった。曹操の魏はもっとも北の国だったから、北方の人を入れたが、支那の北には「騎馬民族」が多かったので、蜀や呉より強い軍隊ができた.その結果、魏が三国の戦いに勝ち、短い間だが天下をとった。


 しかし、それでも戦火は収まらなかった。その後の五胡十六国の時代こそが、「支那が無くなった」時期でもあり、支那の隣人としての日本人がよくよく知っておかなければならない歴史的事実である.


 先回も書いたが、自分の国を理解するより、他国を理解する方がずっと難しい。そして他国のすることを「あいつらは、何ということをするのだ!」と起こったりするけれど、彼らには彼らの歴史、文化、経験などがあり、それは日本とまったく違う。


 それなのに、日本史では豊臣秀吉、織田信長、徳川家康というわずか50年ぐらいの戦国時代に活躍した人のことを詳しく知っているのに、支那の五胡十六国の名前も知らなければ、やはり支那を理解するのは難しいだろうからである。

(平成22年12月4日 執筆)


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尖閣・千島 お隣の国(6) 支那が支那でなくなる頃(その2)


 三国、晋と乱れた時代の後、すぐ五胡十六国の時代が来る.


日本の中学校、高等学校で教える中国の歴史では、王朝を覚えるぐらいがせいぜいで、五胡十六国など戦乱のときにそれほど時間を割けない.


でも、社会が大きく変化するのは、安定した王朝より戦乱の時の方が顕著かもしれない。中国の歴史は前漢と後漢の間、後漢の終わり、そして五胡十六国の時代にすっかり様変わりしてしまった。


三国の時代から、さらに140年ほど続いた「五胡十六国時代」が続くが、一言で言ってしまえばそれまでだが、攻防の歴史はすさまじい.


次の「興亡図」を見ればあまり説明も要らないだろう.いちいち説明するのも面倒なぐらい次々と変わる王朝、しかもその主役を演じたのは漢人ではなく、今の満洲、モンゴル、チベットの人だったのである。もちろん毎日のように戦いは続いていた。それが140年もである.

 これだけ戦乱を続けていたら、国土は荒廃するし、人間も減ってくる.三国志の時代が終わって晋という国が一時、支那を統一するが、その時の人口が100万人ぐらいでそのうちの半分がチベット方面の民族だったと言うのだから、まさに支那の「真空時代」だったのである。


 現代の日本でも1億人を超し、中国は10億人以上である.100万人というと、その10倍が1000万人、100倍が1億人だから、当時の中国には今の人の1000分の1しかいない。


 宮廷や都市には少しの人がいただろうけれど、それを外れるとまったく人影のない土地が続いていた。この時点で、一度、中国という国は消滅したと言ってもそれほど大げさではない。


 日本のような平和なところに住んでいると、人間の知恵も技術も少しずつましになるから、それに伴って人口も徐々にではあるが、増えると思っている.たしかに、奈良時代から江戸時代にかけて日本の人口は増えて3000万人に達した。


 つまり、日本の江戸時代の人口は、五胡十六国の時代の中国に比較して30倍の人口だったが、「江戸時代は人口の増加が停滞した」と言われるが、それでも減少はしなかった。それに比べると中国の歴史は実にダイナミックであり、「日本の常識を超えている」ということが分かる。


 それを次には地図で見てみよう.

 地図からも分かるように支那の北方はすでに漢民族はほとんど見られず、北方の民族の土地になっていた。つまり、この時代に「支那は消滅した」のである.


 人口の減少と並んで、日本のように「島国」で「単一民族」の「国」の場合、世界のどこにでも「国」があり、その国には同じ「民族」がずっと住んできたと思っている.


だから「支那」には「支那人」がいて、その人たちは「黄河と揚子江の間の平野」には昔から住んでいて国を作っているという頭が抜けない.


 実は、日本の歴史の本にはどの本にも、そう書いてある.筆者自身も「漢唐宋元明清」という「中国王朝」の名前を中学校の時に覚えた。これらの「王朝」は王様は変わったかも知れないが、そこに住んでいる人は同じ人たちで、もし違うとしても元(モンゴル)ぐらいとおもっていた。


ところがよくよく歴史を勉強してみると、日本人が「中国」としてイメージしている国家は「秦と漢」だけで、その後の三国、晋、五胡十六国の時代にすっかり「黄河と揚子江の間の平野」に住んでいる人は入れ替わって「モンゴル人とチベット人」の国家になっていたのである!


 その意味では「支那」という国名がChineの元になっているということ意外に、もし今の「中国」と言っているところを「漢人の国」という意味で呼ぶとすると、「支那」の方がずっと丁寧であることがわかる。


 後に書くつもりだが、今の中国と呼んでいる地域は、清の時代の最大版図に近く、その意味では、「中国」と呼ぶと「モンゴル帝国」というのにかなり近いからである.


 日本人同士で話をすると、中国人はウソをつくとか、お金に汚いとか、自分のことだけを考えている、さらには、「恩を忘れる」などと悪口がでる。しかし、考えてみると、日本のように「国」があって、襲ってくるとしたら盗賊ぐらいというのんびりした国と、「時には人口の9割、つまり10人に9人が殺されてしまう」とか、「もともと居た人たちはほとんど姿が見えなくなり、その代わり北の方から馬に乗ってきた人ばかりになった」などという過酷な歴史を背負った民族は甘い生活ができるはずもない.


 江戸末期の日本に来た外国人が一応に「こんなに人柄が良い国があるのか」と驚いているが、「中国人が特別」なのではなく、実は「日本人が特殊」なのである。だから、日本の基準で外国を見ることはできないことが歴史を勉強しても分かる.

(平成22年12月11日 執筆)

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尖閣・千島 お隣の国(7) 占領王朝時代の支那


 さて、先回まで、古代中国では、400年も「戦争の時代」が続き、すっかり人口は減って国が疲弊した。


そして、それに終止符を打ったのが「隋」であるが、隋を開いた文帝や有名な2代目の煬帝(「ようだい」と読む)は、すでに中国古来の人たち・・・つまり漢人・・・ではなく鮮卑(せんぴ)族の出だった。


 西暦200年から600年の間に、支那はすっかり「モンゴル人とチベット人」のものになって、以後、実に1200年というもの、20世紀の中華民国になるまで、「支那(中国)」という国(漢人の国)は消滅したのである.


 中国(支那)を初めて統一した秦の始皇帝の時代が短かったように、大戦乱時代を統一した隋もおなじように20年も持たずに滅亡して、「唐」になる。


 大きな時代を変えるのは、大きな力が必要だが、それはもろいことでもあり、秦も隋も短命でおわった。一番手より二番手、三番手が長続きするのは、織田信長、豊臣秀吉ではなく、徳川家康だったというのと似ている.


 ところで、唐という国は日本でも、律令制度、遣唐使などの政治面、杜甫や白楽天などの漢詩、それに焼き物の唐三彩など「中国の代表のような王朝」のイメージが強いが。実はモンゴル人の王朝である.


 くりかえすが、400年間の戦争で、黄河から揚子江の平野には漢民族とモンゴル人、満州人、それにチベット人や、それらの人との混血が生まれ、その中から、「蘆、崔、鄭、王」などの「名家」も誕生していたが、すでにこれらの「漢の名前のついた名門」も「漢人」というのはあまりに多くの異民族の血が入ってしまっていた。


 さらに唐の後にもう一度、100年ぐらいの戦乱期がやってくる。いわば古代的な中国が崩壊して、中世的中国に移って行くのだが、一つの国としてはやや広すぎる中国では、漢という強い王朝が滅びるとしばらく多くの国が乱立して戦乱時代になり、それは唐が滅亡したあとも同じだった。


 私たちが「歴史」を学ぶとき、なぜか歴史学者は「王朝の交代」とか「戦争」について詳しく解説を加える.時にはそれが社会に大きな影響を与えることはあるが、一般的には単に「王様が変わる」というほどの変化しか起こさないことが多い.


 たとえば、唐の後に80年の戦乱の時代を経て宋が建国される。その頃の農業のありさまが襖絵として残されている.

 この襖絵を見ると、水稲をつくってるらしいので、揚子江の周囲かその南と思われるが、いずれにしてもある程度の面積を畦(あぜ)で仕切って耕して水を張り、イネを育てている風景だ.


 中世の農村だが、古代も中世も、そしてつい最近に至るまでそれほど大きくは変わっていない。明や清の時代も同じだった.


 そう考えると、我々が慣れ親しんでいる時代区分、たとえば、「漢族」が支配した秦と漢の時代、北方民族に変わった隋から唐元清の時代はなにが違うのだろうか?


 王様(皇帝)は違う.秦と漢は漢民族であるし、唐元清は北方民族だ。でも、多くの人は百姓で、もしかするとまったく同じ生活をしているかも知れない。一部の人がお金を名誉のために殺し合っただけで、秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清などという区分自体が「権威主義的」であって、何も区別が無い可能性もある。


 もしあるとしたら五胡十六国だけが歴史的に意味があり、その前は「漢族の支那」、その後が「北方民族の支那」の差があった、それだけのことかも知れない.


 歴史が面白いのは「漢唐宋元明清」を覚えるのではない.また、紀元227年に何が起こったとか、さらにはその時の皇帝がどこに逃げたとか、さらに愚劣なことに愛人がどうしたなどまったく興味がないが歴史の本にはやたらとそんなのが多い。


そして歴史の問題では唐を作った人が李淵という人という個人が大切らしい。李淵などはもうすでに1500年前に死んでいるのだから、歴史学者やマニア以外は「唐を始めた皇帝がいた」ということで十分のはずだ。


 それよりここでは中国の歴史を4つに分けたい.


1. 漢人の国だった時代(秦、漢)・・・・漢人支那


2. 満州族の国だった時代(隋、唐、金)・満州支那


3. モンゴル人の時代(元、後金)・モンゴル支那


4. 連邦国家の時代(清、中華時代)・・連邦支那


である。特に日本人にはこのような区分けで支那を考えてみることが必要であろう.つまり日本には「国」があるけれど、支那には「場所」があるだけで「国」はない。「中国4000年」というのは、実は「支那2200年」であり、それは「支那という場所があった時代」という事なのだ。


 後に整理しようと思っているが、「国」がないのは中国だけではない。ヨーロッパもその他の地域も「国」というまとまりがあった地域は世界でも希で、むしろ普通は「国」がない。その意味では中国は標準的でもある。


 もう一つの時代区分がある。


 それは、「文化の区分」である。文化は人に付随しているし、離れてもいる.ヨーロッパ文化、インド文化などと、中国文化は違う.都市、服装、絵画、字などを一目見ればそれがヨーロッパかインドか中国かが分かるのだから、文化としての違いがある。


 その意味では、


1. 秦から清までが「漢人文化時代」


2. 中華時代(中華民国と中華人民共和国)が「西洋文化時代」


である。


 歴史は記録である.だから、「言ってしまえば勝ち」という事で、中国という国は無いが、支那という地方はある。そして支那は次の4つの国があった。


1. 原住民時代(紀元前200年まで)


2. 漢人支那国(紀元300年まで)


3. 満蒙支那国(紀元1900年まで)


4. 洋化支那国(現在)


ということだ。


 このような区分は現在の支那人のプライドを著しく傷つけるだろう.


なぜ、傷つくかというと今まで「ウソで固めてきた」からだ。ウソでもつき続けると現実になるので、それで錯覚する.だから、「事実」は受け入れられない。その気持ちは分かるが、どこかで事実を認めた方が良い。もともと、今の中国人は漢人の血が少ないのだから、仕方がない。


 中国でも支那でも良いが、もう一つ疑問がある。


 ローマ帝国が一つの世界を統一して以来、ヨーロッパも20世紀まで戦乱が続いたが、ある程度の地域ごとに「国らしきもの」がまとまっていた。


 イタリアはローマ帝国があったので、何となくイタリア的であり、イタリア人がいる。ギリシャもギリシャ時代があったので、ギリシャ人がいる。


その意味ではフランスはシーザーが進撃し、フランコ王国などがあったし、ドイツは野性味あふれる森の人が連合体を作っていた。ロシアの方に行くとスラブ人、イギリスは島国でアングロ人とサクソン人がいた。


 スペインはなかなか難しいそれでも何となく区別はできるし、ルーマニアはフランス人と似ている感じがする。


 それに比べると中国人は混じる.


 中国の人に聞くと、「私は西安人で、上海人の言葉は分からない」とか、「私は北京だが、南の方はサッパリ」などと言うが、それでも何となく支那人のような気がする.


 ヨーロッパがなぜ細かい国に分かれて、支那は「統一」が問題だったのか? ヨーロッパは時々、ローマ帝国、ハフスブルグ、ナポレオン、ヒットラーなどが現れてヨーロッパ統一にちかい状態もできたが、定着しなかったのか? 


 それも追々、整理していきたい。

(平成22年12月16日 執筆)

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尖閣・千島 お隣の国(8) 占領されると領土が拡がる中国


 支那という地域を理解するのに、まだまだその歴史を勉強しなければならない。それはまず、この地図だ。


 この地図は歴史家・宮崎淳子先生が画かれたもので、中華民国ができた時の支那地域の支配図である。もともと中華民国ができる前の国が「清」だったが、清は満州族の国家で、モンゴル、新疆、チベットとの「連邦国家」だった。


 清の前の王朝である明が周辺諸国に嫌われ、清は良い状態を保ったのは、清が連邦国家だったからで、「清の領土」というけれど、モンゴル、新疆、チベットは広い自治権が認められていたし、満洲はもともと宗主だから、別格だった。


 このような経過があったので、清の終わりの袁世凱や、孫文が中華民国を作った時には、その支配は「昔の秦」の領域だった。ここで少し歴史的な地域分配を見てみよう.


 まず最初に「統一国家」を作った秦であるが、揚子江を中心として北は黄河、南は南シナ海、西は山で囲まれた地域に支配圏があったことがわかる。秦という国がチャイナという国名の元であり、それが漢字で支那と書かれることはすでに書いた。


 それから後、新しい王朝は支配する地域が少し違うけれど、おおよそ秦の領土に近い。たとえば、秦からかなり年代がたった明は結構、領土が広かったが、それでも次のような図になる.

 秦に比べて少し山岳の方に入っているけれど、そのほかは同じだ。東と南ははともに海だからあまり検討する必要はないが、問題は「北」である。秦の時代も明の時代も北からの異民族の侵入が特に怖かったので、その防御のために万里の長城をつくった。


 万里の長城を作ったのが、秦と明だったのはそれほど偶然ではない。秦は漢民族が「統一国家」を作った時にフト気がつくと「北」だけが危ないことがわかり、秦の始皇帝が「万里の長城」を作った。


 明の時には国家を作った人にも北方民族の血がかなり流れていたが、それでも当面、元が北に帰った後の土地をもらったと言うこともあって、やはり北が怖かった。そこで北京のすぐ北に万里の長城を作ったのである.


 「万里の長城」というのは「国境」だから、支那地域の北の領土は万里の長城という事は確定している.


 その北にはモンゴルと満州がある。中国の歴史で今のところ大失敗しているのが、満州民族だ。中国というところは普通の常識では考えられないことをする。


 たとえば、「漢人は漢人を平気で殺す」ということで、たとえば前漢の末には国民に4人に3人が殺された。


 中国人は何でも食べるというけれど、時によっては人間も食べた.約束を破る、裏切るなども普通に行われるが、それを日本人の倫理観で考えてはダメで、人間は動物だから、動物のように「その時の自分に得になるように動く」のが摂理でもある。


 「尖閣諸島はもともと日本の領土だ」などと言ってもムダで、「尖閣諸島が何も無ければ日本のもの、資源があれば中国のもの」というのが中国流の倫理観なのである.


 そんな倫理観の支那に満州人が侵入した。それが「清」で、大いに繁栄して、モンゴル、新疆、チベットとも連邦を組んで、大帝国をつくった。モンゴルの時代を除けば、中国で歴史的な「最大版図」になったのである.


 ところが、不思議なことが起こった。


 清朝はもともと満州族が作ったのだから、支那は満州に占領されていたのが清朝だ。その清朝が衰えて、満州に帰った。そして、もともと漢の時代に「中国」の領土だった「支那(秦、china)」の地域に中華民国ができた。


 その次に驚くべき事が起こったのだ。


 それは「中華民国」が「満洲は俺の領土だ」と言ったことだった。中華民国は支那の国だから、武力があれば支那を統一するだろう。それは秦や明が万里の長城から南を領土にしたのと同じだから、「支那は中国人の固有の領土」と言っても不思議ではない。


 ところが、満洲はずっと満洲人の領土だから、満洲人が支那地域を占領していたのを引き上げて、満洲に戻ったのだから、満洲は支那ではない。満洲が支那を占領していたのだから、満洲が支那を「領土」と宣言することはあるが、占領されていた支那が満洲を領土にするというのは「世界の常識」から言えば「逆」である。


 たとえば、次のような話をすればさらに理解が深まる.


 豊臣秀吉が朝鮮に出兵して北京まで進軍しようとした。日本では「そんなことはできなかった」と思う人が多いだろうが、さすが豊臣秀吉だ。支那の地域は漢から三国時代が終わると、支那には人がいなくなり、次々と北方民族が占領していたのだ。だから、「支那の北方民族の一つの日本が北京を占領する」というのはごく普通のことである.


 そして日本軍が朝鮮を占領し、さらに駒を進めて北京から揚子江ぐらいを占領したとする。しばらくは秀吉も生きていて、大陸の占領が成功したので、首都も中間の平壌に移したが、100年ぐらいして大陸にも興味が無くなり、日本軍は日本に引き揚げたとする.


 占領された支那は新しい王朝ができる。そうすると、奇妙な論理が登場するだろう.それは、「日本は中国だ」ということである。


 支那を満洲が占領した。しばらくして満洲が支那を放棄して故郷に戻ると、支那は「満洲は中国だ」と言った。


 もし、日本が支那を占領し、しばらくして支那を放棄して日本に帰ると、支那は「日本は中国だ」と言っただろう.


 つまり、武力にも工業にも頼ることができない支那の人はそれなりに生きるすべを身につけていた。それは


「自分のものは自分のもの、他人のものは自分のもの、自分の土地を占領した人の土地は自分のもの」


という「なんでも自分のもの」という主義である。


 これを中華思想という。

(平成22年12月22日 執筆)


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尖閣・千島 お隣の国(9) 中華思想


 昨年、中華思想とは「自分が中心で周りは属国」ということで、周囲の国を尊敬するどころか、鮮卑とか、凶奴とかいうようにひどい名前をつけて「呼び名でさげすむ」というのが特長で、そして、やがてその「さげすんでいた人」が力をつけて「自分の主人」になると、さすがに主人をさげすむ訳にはいかないので、「同列」にする。つまり、さげすんでいた人の領土を自分の領土と同格に格上げして、その土地を自分の土地にするという思想であることを述べた。


(ややこしいので、一度、読んでも分からないぐらいだが・・・)


 つまり中華思想での「格上げ」というのは「満洲の人に占領されたから、満洲は支那の領土になる」ということになる.現在の満洲が支那の領土になっているのは、「支那が満洲を占領したから」ではなく、逆に「満洲が支那を占領したから」である。


 でも、このような巧妙な事を実施するには作戦がいる。タダで人の土地を手に入れるのだから戦略はかなり高度でなければならない。


 普通は戦争で土地を手に入れるのだから、それと比べれば、平和主義といえば平和主義だ.


 まず、第一に文化程度を高めておくことだ。常に田舎者が東京に来て恐れおののくようにしておくということと同じである.


 支那の国に行くと「祖先はこんなに偉かった、墳墓の大きさに驚いたか!。こんなに綺麗な飾り物がある、この絹は素晴らしいだろう。美味しい中華料理も、女性も綺麗でエレガントだ・・・」と続く。


それには大きな宮殿もいるし、宮殿までの道路も広くて両側には虎の彫り物も欲しい・・・ということで「支那の文化」ができた。


 今でも、日本から支那に行く陽気で単純で偉い人は、これにすっかり引っかかる。みんな笑顔で迎えてくれるし、美味しいご飯は食べられる.万里の長城も宮殿の素晴らしく「さすが、中国4000年!」と感激して、日本の技術をソックリ差し上げてくる人もいる。


だが、もともと支那の歴史は2000年、それも中抜け、虐殺、属国の歴史だが、それらは全て、隠されている.


 なかなか、素晴らしい作戦だ。


 つまり、支那の文化は「負ける文化」であり、「負けても繁栄する」という戦略をもっている。だから、「勝つ文化」、つまりヨーロッパの文化が清の時代にやってくると支那はこと軍事力ではひとたまりもなく破れた。


そこで、清王朝はそれまでの支那文明とはまったく違う文明を受け入れた.


 日清戦争で支那が日本に負けて「支那文化」を捨てたということが岡田英弘先生の本に書かれているが、それはそうだろう。小さな属国と思っていたところにいとも簡単に負けてしまったからだ。


でも、その時に捨てたのは政治、軍事、社会、技術などであり、中華思想は捨てていない。だから、「勝つ国」が、「負けても勝つ中華思想」と一緒だからややこしくなっている。


 もう一つの中華思想の戦略は、「ウソを記録する」という方法である.


 「過去に起こったこと」を記録するときに、「できるだけ事実に忠実に記録する」という方法と、「自分に有利になるように記録する」というのがある。


 事実だから事実をそのまま記録すれば良いじゃないかというけれど、人間の社会というのはそれほど単純ではない.たとえば2010年に日本と中国の間で起こった尖閣諸島問題でも、少し前から日本の図書館から古い地図が抜き取られているという事件がある。


 日本と中国の間には古くからいろいろな歴史がある。それがそのまま残っていると中国には不利な記録もあるが、それを早く消してしまえば、新しく「作り上げた歴史」を書くことができるからだ。


 だから、日本と中国、朝鮮の古地図に関係するところが無くなっている.だれが破ったり盗んだりしているのか分からない。普通に考えると、関係する中国か韓国の人が自国に有利になるように歴史を消しているとも採れるし、逆に日本人が中国や朝鮮に対して圧力をかけようとして謀略をしているのかも知れない。


 事実はかくのごとく複雑であり、なかなか明確には分からないのである.だから、その間隙をついて、「歴史を自分の有利なように書き換える」というのはきわめて単純な「だまし」の方法になる.


 言ったことはそのうちに消えるし、事実そのものも分からなくなる。でも、書いた物はそのまま残るので、書いた方が勝ちであることを支那は知っていた.


「王朝を開いた皇帝はこのように英雄であり、人格が高かった」、「周囲の野蛮な国を平定して国に平和をもたらした」、「中興の祖の**帝の時に最大版図になった」というような事であり、そして地図にはその王朝の「最大版図」を記録して、後は捨てる.


 そうすると、あたかもその王朝の領土は「最大版図」であるような錯覚に陥る.


 たとえば、前漢や後漢の領土として知られている地図は、「平均的な領土」でもなければ「固有の領土」でもない。もともと「国境」がハッキリしていないのだから、「固有の領土」なるものはない。「書いたが勝ち」で最大版図がその王朝の領土であったことになる.


 先に豊臣秀吉の大陸攻撃と、もし秀吉が北京に首都をおいたら日本は中国に編入されているということを書いたが、日本と中国の常識がいかに違うかを、今度も領土について示してみたい。


 この地図は「大日本帝国」の「最大版図」である。今の日本は自虐的で、かつ世界の孤児だから、このような地図を示すと「侵略を正当化するのか!」と叱られる.でも、中国は常に「最大版図」しか示さないことに注意すべきである.


 支那の王朝の「領土」をもし日本の教科書に書いてあるように示せばこのようになるということで、それを叱っても意味がない.日本の思想で日本国を示せば、南は千島から北は沖縄になるが、中華思想で示せば、大日本帝国の時の最大版図になるということだ。


 中国人が日本人なら、この地図の「色分け」はしない。もともと日本領土だったところ、朝鮮と満洲、フィリピンなどを色わけすると、そこは日本とは違うように見える.


ところが、全部を同じ色で塗って、「日本」と書けば、何回か見ている内に「ほんとうの日本はこんなに大きかった」と錯覚する.


 それが今の中国と言っている領土の範囲なのだ。


 それではなぜ歴史学者が、支那の王朝の領土を「事実」に基づかずに「公的に示された最大版図」を示すのだろうか? それは中華思想そのものにある。つまり、人間は自己の責任を問われるのを恐れるから、「お墨付き」のあるものを使いがちであり、それが間違ったものでも使っていると本当になるという深い考えが含まれているからである.


 筆者は自然科学者としてよく経験しているが、科学の専門家でも、専門が細かく分かれているので、自分の研究対象以外のところは「当たり障りなく、公的なデータ」を使いたがる傾向がある。


 最近見られるその典型例が「地球温暖化が起こっていて、原因は人為的に排出されるCO2」という「社会現象」である。もちろん温暖化もCO2も自然科学なのだが、現実にデータを持ち、研究をしているのは一部の気象学者と地球物理学者、それに温暖化に興味のある学者だけである。


そのほかの人は自然科学者も含めて「大勢の人が言っている」とか、中華思想的な場合は「公的な方が正しい」と判断している。


 つまり、「ウソでも公的に記録されれば現実になる」という中華思想はけっこう人の認識の弱点を巧みに突いている.


 まとめると、


1.  自分と同じになれば他人のものは自分のもの。だから占領される毎に領土が増える.


(普通なら「取られた」と思うがその反対)


2.  人は「事実」より「公的に記録されたもの」を真実と錯覚する。だから事実が何かを調べる必要は無く、公的に記録すればそれが事実になる.


 なかなか巧妙な思想である.


 ここに書いたことは、中国を批判しようとか、日本の占領を正当化しようということではまったくない。中国を理解するためには、日本の考えを離れて、中国人の見方を取り入れなければならないということである。

(平成23年1月3日 執筆)

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尖閣・千島 お隣の国 (10) 相手の身になって・・・


 支那の歴史を慎重に整理をしてきた。これまでの整理で、中国の国や人の行動をかなり理解することができる。


 人と意見が違うとき、もっとも大切なのは意見が違う相手の立場になって考えるということを試みることだろう。


 たとえば、同じ環境問題に取り組んでいる学者でも、私は、


「温暖化は起こるかどうか分からない。起こるとしたら寒冷化もあり得るし、その方が怖い。また、国際的には日本はCO2による気候変動の影響が小さい」


と考えているが、まったく逆の見方の専門家もいる。


 そんなときに、私は一方的には批判したり、嫌ったりはしない。


まずは、相手と話してみる.それでも疑問が残る場合が多いので、自分1人で、


「あの人はなぜ、あのように考えているのだろうか?」


と考える.生まれも育ちも日本人で同じ、専門も物理的な方面で同じ、性別も男性、持っているデータもほとんど同じ、それなのに「温暖化とその影響」についての考えが違う.


「なぜだろう?」と筆者は訝り、できるだけ相手の立場になって考える.そうすると「相手は悪い人だ」とか「相手は利権を求めている」という簡単な結論になりがちだが、その誘惑を断って、「相手は善人で利権もない.それでも温暖化は怖いと考えている」と思い直して、もう一度、考えてみる.


 それでもまだ相手がなにを考えてCO2を減らそうとしているのか、わからないのだ。


 これと同じ事を日本と中国の間で考えてみる必要がある。民族や言語が違うのだから、容易には相互理解はできない。


 その一つに「中国人はウソをつく」というのがある。


 ある中国人と親しくなっていろいろ取引をした.その時には友達みたいにつきあってビジネスもうまくいった.


 ところがなにか一つ歯車が狂ってくるとあれ程、親しかった中国人が手のひらを返したように冷たくなる.時には自分に損害を与える.


 こんな事を日本人同士では経験した人が多く、「中国人というのは何という人たちか!」と憤慨する.事実はその通りであり、憤慨する気持ちも分かる.


 中国人は「親戚同士が集まって食事をする」という風習がある。また、「国際的に活躍している中国人は複数の外国の都市に現地妻がいる」という事も聞く.


 なぜ中国人が「親戚を囲んで食事をする」のかというと、


1. 信用できるのは親戚しかいない、


2. その親戚もいつも顔をあわせていないと裏切る、


ということだ。だから中華料理の店には必ず10人ぐらいの丸テーブルがあり、大きなさらに盛られた料理をみんなで食べる。「分け合う」ということまで細かく考えているのだ。そうしないと裏切る.


 このシリーズで書いてきたように、(日本人から見ると)可哀想なことに中国人には「自分の国」がない。外国で働くときにも華僑のグループを作り、そこで結束する。だから「支那」にいても「外国」にいても同じなのだが、遠く離れた外国でも信頼できるのは家族と親戚だけである.だから、現地妻を持つことになる.


 世界中で華僑の力が強く、中国人はどの国にいても元気そうに見える.それに対して、日本人はあまり日本の外に出たがらないし、なにか外国では居心地が悪く見える.これももしかすると、日本人には「国」があり、中国人は「どこでも同じく国がない」のかも知れない。


 そして世界でも、中国のように風景も似ていて広い「地域」は少ない。


 ロシアはモスコー付近からウラル山脈までで、ウクライナ、ベルラーシは別の国である.シベリアがあることはあるが、あまりに距離が遠く、民族が同じでも実質的な国境になっている.


 ヨーロッパも全体としては中国と同じようなものだが、土地によって気候や山脈があり、その結果、歴史的にも民族的にも国が細かく分かれている.


 アメリカは新しい国なので、中国とはかなり異なる.それでもアメリカのバーに行くと、まずコインを机の上に出さないとお酒を飲ませないところが多いし、ホテルでもかならず「保証書(多くはクレジットカード)」を求める.すぐ逃げようとする人がいたからだ。


 その点では日本はきわめて特殊で外国から見ると奇妙な国である.


 日本が奇妙な国なのである。


 日本に住んでいて筆者が奇妙に思うのは、数人で食事をしにいってテーブルにつき、そこの女性に「ビール、2,3本、もってきて」と誰かが言うと、適当に持ってくるのだ。


 外国でそんな経験はない。「2,3本」と注文すると「2本ですか、3本ですか」と聞いてくる。でも酒場のお母さんは相手の懐ぐらいを見たり、時にはお客さんの健康も考えて、2本持ってきたり、3本にしたりする.


 ヨーロッパの生活もそれほど長くないが、「お任せ料理」というのがあったかどうかよく分からない。あまり「なじみの店」がヨーロッパに無かったからかも知れないが、いつも料理の内容をこと細かに注文していたが、日本では「大将、適当に頼む」で終わる。


 もっと、驚いたことがあった。


 5年ほど前、筆者は名古屋のあるコンビニエンスストアーで「野菜、一日、惟一本」というような名前のペットボトルを買った。それをもってレジに行くとそこには50才ぐらいの日本のおばさん(敬称)がいて、ペットボトルを受け取ると袋に入れながら、「お客さん、ジュースだけじゃダメですよ。本当の野菜もとらないと」と言ったのだ。


 「ほんとですね」と筆者も言ったが、内心はビックリ仰天していた。筆者はたまたまその店にいっただけで、もちろんおばさんとも初対面だ。そして人生で2度と合うこともないだろう.


 その男性客(筆者)の健康を心配してくれるのだから、日本のおばさんはすごい.国の母である。


 日本人が幸福で安全で生活ができるのは、天皇陛下が毎朝、国民の安寧をお祈りしてくださるからと聞いたことがあるが、日本のおばさんも自分は日本人全体の母親と思っているのだろう.


 特殊な国だ。


 だから、日本人から見ると中国人はわかりにくい。すぐ裏切るように見える.でも、それは日本人から見た中国人観であり、もちろん決して客観的なものではない。

(平成23年1月8日 執筆)

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尖閣・千島 お隣の国(11) 中国のまとめ


2010年の尖閣諸島の事件のあと、中国内地で反日暴動が起きた。


 中国は国境紛争が絶えない。北からロシア、モンゴル、チベット問題、インド、ビルマやタイ、ベトナム、それにフィリピンなどと国境や海で接していて、中国がつねに膨張主義なので、隣国とぶつかる。


 でも、中国で起こる「反**暴動」というのはほとんどが日本を対象にしている。それは日本が中国の一部を占領したことがあるという人がいるが、それなら、ロシア、モンゴルなども同じだが、日本だけに反感が強い.


 このことを普通に考えると、「中国人は日本人を恐れている」ということになるが、それに加えて「あまりに特殊な国、日本」というのがあると筆者は考えている.


 「日本は恐ろしい」という感情は中国もアメリカも持っていて、その対抗心がでるのだと思う. 


 ところで、この暴動を報道した日本のテレビで、「襲われたイトーヨーカ堂は、四川大地震の時に物資を供給するため徹夜で店を片付けて翌日の営業にそなえた。そして2億円の義援金を集めて寄付したのに・・・」と報道していた。


 確かに日本人向けの報道としては良いが、中国を理解するという点では疑問がある。つまり、中国には「恩」という考え方はあまりハッキリしていない。もともと英語では「恩」という単語すらない。「恩」という概念は「日本だけ」と考えておいた方が国際的には良いと思う.


 一体、「恩」という中身は何だろうか?人間は自分の時にならないことをすることがあるだろうか? 自然の中に人間ということを考えると「恩」は「見返りを考えて長期投資する」ということに見えるから、イトーヨーカ堂は単に長期投資の先を間違ったという事に過ぎない。


 筆者は日本人だから「恩」はとても大切と思うが、それは日本が四方を海で囲まれ、単一民族(アイヌやクマソも同一としている)で、天皇陛下をいただいているというまったく特殊な環境にあるからである。


 自分が特殊なのに相手が「普通」だからといって批判するのは問題である.


 中国人の「ウソ」というのは「国」がない民族の当たり前の行為であり、利害関係で全ての行動が決まり、今日、会う人と明日、会うとは限らず、何かを他人にしても、その他人が明日、遠くに行ってしまったら、現実的にその人を追っかけていくことはできない。


 中国では何時も、その日その日なのである。


 2010年の尖閣諸島の領有権について考えてみる.中国の考え方では、


1. 一度でも領有したことがある土地は自分の土地だという中華思想、


2. 尖閣諸島に資源がなければ興味がないが、資源があれば資源が見つかった時から権利を主張するのは当たり前、


ということだ。このような考え方は中国の歴史から来ている。「本来、領土とはどうあるべきか」というのとは違う. これに対して、日本は、


1. 領土というのは歴史的に長く実質支配していたところである、


2. 「公的な手続き」、つまり国際的に尖閣諸島の領有を宣言している、


3. 損得で態度を変えるのは卑怯だ、


という感覚を持っているが、これも日本の歴史と強く関係している.地続きの隣国がある国と回りが海の国の差も大きい.


 だから、意見は合わない.意見を合わせるためには、


1. お互いの言い分をよく聞く、


2. お互いの文化の違いをよく聞く、


3. 「正義」を争っているのか、それとも「習慣」、「利権」の問題なのかをハッキリする、


というようなことが必要だろう.


 中国流に言えば、「尖閣諸島は中国と日本の間にあるから、力でその所属を決める必要がある」ということだ。


 歴史的に領土とは、


1. 最初に発見し、


2. そこにその国の国民がいて、


3. ある程度、長く住み、


4. 軍事力、政治力、経済力で支配する、


ということが必要だ。


 尖閣諸島は誰が最初に発見したか分からないし、日本人が住んでいた分けでもない。ボンヤリと「琉球の領土」であって、「江戸時代は琉球王朝は中国の属国、明治の終わりから日本の領土」ということだ。


 だから、国際常識に従えば、軍隊が強い方が領有することになる。言い分だけなら決定打がない。


 


ところで、日本人の多く(調査によると94%)が尖閣諸島を欲しがっている.その理由は、


1. 漠然と領土を失いたくない、


2. 千島列島、竹島などの問題があり、尖閣諸島で譲るとどんどん領地が狭くなるかもしれない、


3. 資源がある、


4. なにしろ中国が憎い、


などである。しかし、日本の政策というのは大きく変化していないだろうか? あれほど日本中が熱して1年も経たないのに、尖閣諸島も、資源も、そして「国家機密」もすでに遠くに行きつつある.歴史的な動きからみると余りに早い世論の関心のようにも思う.

(平成23年1月20日 執筆)

2. 中川隆[-12550] koaQ7Jey 2019年2月01日 10:55:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

尖閣、竹島、四島・・・領土と国 武田邦彦(中部大学)
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ei=a6ZTXJXXJ4yU8wX62KKoAg&q=%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%80%81%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E3%80%81%E5%9B%9B%E5%B3%B6%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%A8%E5%9B%BD++++%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6%EF%BC%88%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%89&oq=%E5%B0%96%E9%96%A3%E3%80%81%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E3%80%81%E5%9B%9B%E5%B3%B6%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%A8%E5%9B%BD++++%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6%EF%BC%88%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%EF%BC%89&gs_l=psy-ab.3...20111.20111..21696...0.0..0.113.113.0j1......0....1..gws-wiz.djTHGQtsvg0
 


尖閣列島事件 平成22年9月26日


日本と中国の間にある尖閣列島は歴史的にも、支那地方の政府が支配したことがなく、日本の明治政府が歴史的に初めて領土宣言をしているから、領土問題は存在しない。


「領土」というのもが、「どの政府も領土していない」ところを、どこかの政府が領土宣言して、それが10年もどこからも異論が出なければ確定する.

その後、100年ぐらいして文句をつけたら、戦争の火種を作るだけで意味がない.もしそれができれば、日本は「今の中国は全部、日本の領土だ」と言っても良い.


そんなことを認めたら、国際的に決められている領土は、またかつての帝国主義時代のように「力のある国がかってに人の領土をとる」ということになって問題がある。


だから、今度の尖閣列島の事件の解決方法はただ一つしかないと私は思う.

1) できるだけ早く、日本が中国を上回る軍事力を持ち、もちろん「自衛隊」ではなく、「日本軍」を尖閣列島周辺に派遣すること、


2) 同時に、船長を釈放すること、


3) その上で、国際社会に向かって「日本は自らの力と国際協力によって尖閣列島を守ることができるが、それだからといって一人の犯罪人(日本の領海を侵して勝手に操業した船長)ために戦争を構えることはしない。たとえ、中国が国際法を無視しても、日本は誠実な国だから、国際的な慣行や国際法を守り、小さいことにはこだわらない」と強く宣言する.


4) 変な妥協はできないが、妥協しないためには「軍事力」と「国際政治力(ハッキリしたアピール)がいる。


今回の船長の釈放を「地方検察庁が独自にやった」などという声明を出すのは政府が判断を避けた結果だろう.この事件が重大事件であることは確かだから政府が逃げてはいけない。


国際社会で意味があるのは、


1) 行動を裏付けるだけの軍事力、


2) その軍事力を発揮しないこと、


3) ハッキリと立場を貫くこと、


4) 事の大小を区別できること、


である。軍事力は直接使うのではなく、このようなことを事前に抑止するためにある。

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中国が尖閣諸島を取りに来た原因 (平成24年11月2日)


中国が尖閣諸島を取りに来た原因は、20年ほど前から日本人が希望してきたこと、つまり「節約によって国を衰退させる」ということです。だから、テレビや新聞が「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と叫んでいるのは実に滑稽なことで、自ら原因を作り、それが実現すると異議を唱えるのですから困ったものです。

現代の人間社会で「世界の国は固有の領土があり、他国の領土は他国のもの」という概念を持っているのは日本人ぐらいなもので、日本がたまたま四面を海に囲まれ、ほぼ単一民族で、さらに万世一系の天皇をいただいているという特殊な国だからです。

アメリカに固有の領土を求めてもムダです。アメリカはもともと1776年まで領土はゼロで、それ以後に獲得したところもすべて「他人のもの」だったところだからです。ロシアもモスコー付近は固有の領土と言えないこともありませんが、ウラル山脈より東は力で獲得した土地です。そして中国も「領土というものはない。中華の力が及ぶところは中国の領土だ」という概念ですから、これも同じです。

これが事実ですから、「固有の領土」等と言うのは外交交渉上のことであって、決して解決策にはならないのです。日本のようにアメリカ、ロシア、中国という3大強国に囲まれた国もまた日本以外にないのですが、この場合、日本を防衛するには3つの方法があります。

一つは「ハリネズミ方式」、つまり鎖国です。外から外人が全く入れないようにして、仮に上陸してくると「問答無用!」と日本刀で切り捨てるのです。日本の武士が日本刀を持った姿はなかなか迫力があります。なんと言っても恥をかくとそれだけで自分の腹を切るだけの度胸のある武士ですから、外人は怖くて仕方が無いので、日本に入っては来ません。江戸時代の鎖国が成功した理由でもあります。

二番目が「戦争」です。日本が開国すると、すぐ中国とのいざこざがあり日清戦争をし、ロシアが延々モスコーからやってきて、朝鮮と日本を取りに来たので日露戦争。そしてアメリカが事もあろうに太平洋を渡って東アジアを脅かしてきたので太平洋戦争と3度の戦争をしました。そして2勝1敗でしたが、まあまあ白人から独立もしたし、かなりの成功と言えるでしょう。

三番目が”Japan as No.1” と言われた日本の技術力です。世界一の技術力は防衛になります.中国は日本の技術で発展してきましたし、アメリカも日本が製品を供給して繁栄しました。おいそれと日本を衰退させられなかったのです。たとえばオーストラリアの炭鉱では日本のトラック、掘削機、詰め替え機などが使われていて、日本が技術を提供しなければオーストラリアの炭鉱が繁栄することはできません。

それでは、これからの日本はどのような戦略で日本をまわりの3大強国から守ろうとしているのでしょうか? 迫ってきた総選挙のもっとも大きな争点になるはずです。日本が今、取り得る政策は、次の中の選択でしょう。

1) これまでの自民党、民主党の政策を引き継ぎ、エネルギーの削減(節電とCO2削減)、軍備の段階的縮小、短期的利権への税金の投入を続け、文科省が主導する教育を続け、これまでの日本の富を少しずつ減らして言って、日本を衰退させる政策。現在の日本政府と中国政府の長期政策をそのまま整理すると、2050年には日本は中国の10分の1の国になる(エネルギー消費が活動量に比例するとして)。企業が海外に移動し、日本は空洞化する。

2) 日本を発展させるために、技術立国、土木工事投資、教育投資と教育現場の権限強化、法人税の軽減、環境制約撤廃(京都議定書脱離)、自衛隊の充実、金融緩和のインフレターゲット政策、諸規制の撤廃と官への報告義務の減少、電気代を2分の1(発送電分離、自由化)、火力発電所の増設など、産業振興、教育、軍備など国が本来力を入れるべきところにお金を集中する。中小企業が日本で収益が上げられる構造を作り、若者が仕事に就くことができるようにする。

3) 軍事力を強化、核武装。中央集権化。東京が権限を強化。全体主義、共産主義的国家を建設し、アメリカとの同盟を強化して国防に当たる。国家のために働く国民の教育。滅私奉公。

すでに最左翼が滅亡したので、1)が左翼(自民党、民主党、公明党、維新の会、社民党、共産党がこれに当たる)、2)が中道(普通の政権の政策で、日本の富を増やす方法)、3)が右翼、ということになるでしょう。

ところが、現在の政党やこれから出てくる政党も、マスコミの報道もあるでしょうが、どうも政策がハッキリしません。明確なのは減税党ぐらいで後は、みんな上の分類では左翼の政権と言えるでしょう。特に日本の企業が日本で活動する条件を悪くし、国民に節エネルギー(活動量を減らす)ことを目的とする政権では私は衰退が目に見えているように考えられます。

つまり、尖閣諸島の問題は、中国が取りに来たとか、固有の領土かという問題ではなく、日本が中国と対等の力を維持していくべきかどうか、維持して行くにはどのようにしなければならないのかがもっとも大きな分岐点で、それが選挙の争点にならなければ、国政は要らないようなものです。

私は、国がエネルギーの供給を安く豊富にして、国民が楽しく活発に行動し、その結果、教育も産業も好転するようにすることが日本の将来にとってもっとも大切と思いますが、私には当たり前のように感じられる政党が見当たりません。原発についても危険なものを動かすのは国民の安全と言う意味でも、また日本経済のためにも、国防にも良いはずはありません。

また国民が1人も「節約」をしていないのに、あたかも節約するふりをすることが「よい子」のような錯覚にとらわれ、無用な政策を採り続けている(温暖化対策がその典型)のも日本の将来を危うくします。


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尖閣、竹島、四島・・・領土と国(1) 台湾 (平成24年8月28日)


尖閣列島、竹島、そして根室四島(北方四島という呼び名はいかにも「日本ではない」という感じがするので、ここでは根室四島と呼ぶ)が注目を集めています。そこで、この問題を整理することにしました。

「領土」と言うからには、その前提として「国」がなければならないのは当然です。そして、日本に住んでいると歴史が長いことと、四方が海なので国というのは「大昔からあるもの」と考えがちですが、世界では「国」や「国境」がハッキリしている方が珍しいということをまずは頭に入れなければなりません。その意味で「固有の国土」などというものはほとんど無いのです。

たとえば、台湾ですが、明治初期の台湾は「清」という中国の国が軍隊を派遣していましたが、「清の国土」なのか「清の勢力範囲」なのかはハッキリしていませんでした。

明治4年に琉球王国のご用船が難破して台湾に漂着した時、乗員69人の内、54名が斬首されるという事件がありました。今の常識では考えられませんが、「今の常識」はまさに「今の常識」であり、これを歴史的なことにそのまま適応するのは不適切です。

ともかく、琉球王国も「国かどうかハッキリしない」という時期だったので、琉球政府に代わって日本政府がこの事件について清に賠償を求めます。難破して漂着した人を殺害するのですから、もし「国」であればその国の政府が賠償しなければなりません。

ところが清は「台湾の中国人がやったのなら別だが、現地人がやったのだから俺には責任がない」と回答しました。この回答でわかることは台湾は清のものではなく清の一部が台湾に駐留していたということです。私たちは現代人ですから、どうしても「どこの国か?」と聞きたくなりますが、昔(たった150年ほど前)でも、「地域」があっても「国」ではないところは多かったのです。

かくして紆余曲折はあったのですが、日本軍が台湾に上陸して報復します。ところが、中国の守備隊は台湾を守るのではなく、台湾の人を殺戮し、台北を放棄して逃げてしまいます。このことも、台湾は「清の領土」ではなく「清の軍隊が駐留していた」と言うことを示します。後に整理しますが、「中国」というのは「地域」の名称であって、「中国」という「国」ができたのは共産党が中国を統一したごく最近の事です。

建国は1949年ですからまだ60年ほどしか経っていません。これは政治的な意味合いではなく学問的な解釈で、詳しくは歴史学者宮脇先生とシアターテレビジョンの「現代のコペルニクス」で詳しく解説をしています。

結局、台湾は歴史的に「国」であったことはなく、日本と清の間の戦争(日清戦争)のあとの下関条約で「清の統治下」から「日本の統治下」に入り、まもなく1915年に「内地延長主義」、つまりそれまでの「植民地統治」から「日本国の延長」ということにかわり、歴史的にははじめて台湾は「日本国」という国の一部になったのです。

私が「日本国は千島列島(占守島)から台湾まで」と言っているのは、政治的とか、良い悪いではなく、単純に歴史的には有史以来、台湾が国になったのは日本国の一部になってからという意味です。

たとえば、アメリカ合衆国というのは最初は北アメリカの一部に13州を作って独立したのですが、その後、西に進み、インディアンやメキシコなどと戦って、州を増やして今のアメリカ大陸の「国」ができたのです。カリフォルニアがアメリカ合衆国の一部であるということと同じく、台湾は日本であるということになります。

その後、日本が戦争に負けて台湾を放棄し、そのすぐ後(日本が降伏した1945年8月の2ヶ月後)、中華民国という国(中国ではない)が台湾に進駐して「実効支配」している状態です。

200年前の状態という意味では台湾は台湾人(中国は台湾を植民地にしていたので、インドとイギリスの関係と同じ)のもの、100年前というと日本国、そして50年前というと誰のものでもないということになります。もし、台湾をもともとの人に返すということなら台湾人(1945年に移ってきた中華民国人ではなく、もともとの台湾人)という事になります。

もちろん、領土は政治的、感情的なものですから、このようなことを言うと日本を支持してくれている今の台湾の人からも文句を言われますが、歴史的にはこのような事だったということです。

そうなると、台湾と琉球の間で台湾に近い尖閣諸島は誰のものなのでしょうか?少し長くなりましたので、また書きます。

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尖閣・竹島・四島・・・領土と国(2) 中国 (平成24年9月5日)


第一回で「台湾は国?」という質問が非常に難しいこと、歴史的に見て最初に国になったときという意味では「日本国」だということを書きました。これは国際的慣行で先占権といい、国でないところに始めて国を作った国がそこを自分の国とできるということです。

このように、尖閣諸島がどの「国」に属するのかということ一つをとっても、なかなか難しいことが分かります。第2回目は「中国という国はあるのか?」ということを簡単に解説します。詳しくはシアターテレビジョンの「現代のコペルニクス」をご覧ください。

私たちが今、中国と呼んでいる地域は、1)昔からの支那(チャイナ)、2)台湾、3)満州、4)蒙古、5)ウィグル、6)チベット、で、それぞれ別の国です。

満州は女真族という民族の国で、支那の国とはまったく別の国です。多くの人が万里の長城というのを知っていて、北京に行ったことがあれば北京からすぐのところに万里の長城があることを経験しているでしょう。

「万里の長城」とはまさに城で、「異民族の侵入を防ぐ、中国(支那)の北の防衛線」です。ということは万里の長城より北は支那ではないことを示しています。

満州は万里の長城の東北ですから、当然、中国ではなく「満州」という国(もしくは地域)です。満州が国のような体裁をとったのはかなり前ですが、強くなった時からでも「遼」、「金」などの北方民族の国であり、さらに蒙古の「元」を経て女真族が力をつけてきます。でも国境線が画定していた訳ではありません。

・・・・・・・・・

今の中国だけが頭にある人は、ここが錯覚しやすいところですが、支那の地域を支配した「明」という国を攻めて作った「清」は「占領王国」です。つまり普通は「国」があるので、「ドイツが北の方からフランスに攻め入ってフランスを占領して合併して、首都をベルリンからパリに移した」と言うことと同じです。

ドイツ人がフランスを占領したのですから、首都をパリに移しても政府の中枢部はドイツ人、権限はドイツ人が握っていたという状態です(現実の歴史ではナチスの時に短い間、このような事が起こりました。

もう一度、くり返しますと「清」という「支那の王朝」は「満州」の女真族が支那を占領して北京に首都を移したということですから、「清」は支那(中国)の国ではなく、満州の国なのです。

ここが支那人の「国」の考え方が世界と違うところで、普通なら「我が国土を取り戻せ!」という事になるのですが、もともと支那には「我が国」がないので、外国(満州)に占領されると、逆に満州も「我が国土」になるという逆転現象が生まれるのです。日本がアメリカに占領されると、日本人が「アメリカは日本だ」というようなものですが、「中華思想」というのは「世界中が中国だ」というのにほぼ同じですから、特に論理が破綻している訳ではありません。

もっとも中国にも「支那の国が支那で他国に占領された国は支那ではない」として日本に移住した朱舜水のような人物も居ます。彼は「日本こそが中華だ」と言っていますが、つまり日本人のような「国」という概念はないのです。

・・・・・・・・・

国がない人から見て、尖閣諸島や台湾、さらには朝鮮、南沙諸島などを見るとどのように見えるでしょうか? 国境というのがもともとないのですから、世界中、どこでも自分の力の及ぶところが国であり、さらに外国が自分のところを占領したら、その外国も自分の国になるということです。

従って、「どこでも自分の国」という考えの今の中国が、「尖閣諸島はこれまで中国であったことはないが、欲しいから自分のものだ」というのも彼らなりの理屈が通っています。このように、普通の国と全く違う論理を持った地域、支那。その地域が日本の隣にあるということを日本人はよくよく考えなければならないでしょう。

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尖閣・竹島・四島・・・領土と国(3) 尖閣だめ押し (平成24年9月14日)


尖閣列島の帰属について、二回にわけて整理をしてきました。台湾は歴史上、まだ「国」になったことがなく、強いてどの国という答えをしなければならないとしたら「日本」と答えざるを得ないことを書きました(日本は台湾を取り返そうなどと言う心は一切、ありません)。

また「中国」というのは国ではなく、支那人の定義によると「世界中はすべて中国だが、当面は自分の力の及ぶ限り」という事であることも明確に示しました。「中国」というのは国の名前ではなく、「概念」なのです。中国人からいえば「世界はすべて中国のもの」ということですが、他の国の人から見ると自分勝手に見えます。

尖閣列島は沖縄と台湾の近くなので、「近く」という点では沖縄(日本)か台湾(日本)のどちらかになりますので、どちらでも日本ということになります。


まず、ここまでで基礎的なことが分かった時点で、だめ押しをして起きたいと思います。1930年、日本陸軍が尖閣諸島の詳細な測量を行っています。この測量が尖閣列島の最初の測量ですが、もともと「他人の国を測量できない」というのは当たり前なので、尖閣諸島は日本の領土だったことがハッキリします。

この地図が陸軍の測量図で、無人島の一つ一つを詳細に測量しています。さすが軍隊ですね。歴史的にそれまでまったくどの国にも所属せず、かつ無人島だったのですから、最初に測量をした国の所属であることは言うまでもありません。


次に、台湾はサンフランシスコ条約で日本が放棄して当面、アメリカをはじめとした連合国の信託統治になり、その後、中華民国の人が移動してきて実効支配しています。その意味では、台湾の最終的な帰属は今の中華人民共和国(大陸)が決めることはできず、中華民国(台湾)、アメリカ、そして日本が参加して平和の内に最終決定することが必要でしょう。

くり返しますが、中華人民共和国は台湾の帰属について口を出すことはできません。その中華民国が自分の国土を示した切手をだしていますが、その切手の中には尖閣諸島は含まれていません。つまり、台湾の実質的な占拠者である中華民国ですら、尖閣諸島は自分たちと関係がないとしているのです。


ところで、中国大陸では「尖閣問題で日本人をバッシング」という事件が続いています。確かに支那人からみると「世界はどこでも中国」と思っているのでしょうが、人の領土を勝手に自分たちのものとして、それを守らないから乱暴狼藉をするというのは感心したことでありません。

中国大陸の人も国際常識がある人や人格者もおられると思いますので、「全世界は中国ではない」と言うことぐらいは国民に説明する必要があるでしょう。日本はきわめてハッキリした態度で臨むべきです。日本人は誰もが地主の許可さえあれば尖閣諸島に上陸できますし、付近の海域は日本の領海です。このところを日本がハッキリできなければ、中国と正反対で「日本人は日本の国土を世界共通のものと思っている」と言うことになります。

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尖閣・竹島・四島・・・領土と国(4) 朝鮮 (平成24年9月16日)


竹島の問題は尖閣諸島とは趣が異なります。それは、「歴史的に見て、日本は中国に比べて、朝鮮にそれほど悪いことはしていないのに、なぜ、朝鮮人は中国人を嫌わずに、日本を嫌うのか? それは本当の姿か?」ということが鍵と思います。

というのは、日本との関係ができるまで、朝鮮は中国の属国の歴史が長かったですし、元の時などはそれこそ大変でした。そして19世紀の終わりには帝国主義時代で、「清、ロシア、日本」のいずれかに併合されるという状態でした。

1910年に日本が韓国を併合してから朝鮮は発展し、多くの朝鮮人が幸福になりました。だから普通には正しい道筋でもあったのですが、でも日本に併合されたのだから、朝鮮の人にとっては不本意だったでしょう。

このことを考えるには、朝鮮の難しい社会構造があります。朝鮮の支配層は「日本より中国に支配されるなら良い。ロシアでも良い」としていましたが、それはやや精錬潔癖を望む日本では貴族の地位が危うくなることでもあったからです。

1910年の併合前後、当時の李朝朝鮮は中国の支配下にあって国は乱れていました。ヤンパンと呼ばれる上流階級が一般国民を農奴ように支配するという社会で、上流階級は清朝に隷属していました。

その様子は女流旅行家:イザベラ・バードの手記に良くまとめられています。
「朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、 全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。

政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。

日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。
—イザベラ・バード, 『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 f

ところで、当時は帝国主義時代ですから、国力が弱いので中国、ロシア、日本のいずれかの属国になるしか選択肢はなかったのですが、日本はイヤだったのです。

日本の歴史書には「日本が入ってくると、階級制がなくなりヤンパンの特権が奪われるから」とありますが、それならヤンパン以外の朝鮮人はどうなのでしょうか? 私の回りの朝鮮の人はみんなシッカリした魂を持った人なのに、なぜこれほど日本を憎く思うのか、竹島の問題は「国際法」など以前に、私たちが「韓国人」という場合、それは支配層なのか、支配層の影響を受けている人か、それとも一般の人なのか、それを考えなければならないのです。

くれぐれも注意がいるのは、「朝鮮人の支配層」が自分たちの利権を守るために日本人が来るのをいやがっていたという事実です。いまでも、もしかすると日本を憎んでいる人は韓国の一部でそれを誇大にマスコミが報道している可能性もあります。

日本でも「選挙をすれば負ける」と言う民主党が政権をとっているぐらいですから、外から見たその国と内から見るのとは違うかも知れません。

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尖閣・竹島・四島・・・領土と国(5)国際的に見た竹島の帰属と日本の覚悟(平成24年9月22日)


竹島の問題に本格的に取り組む前に、国際的に見た竹島の帰属(日本の領土か、朝鮮のものか)について整理をして起きますが、これもハッキリしていて、あまり議論の対象ではありません。

現在の日本の周辺の国土は、大東亜戦争で日本が敗北して、それまで日本の領土だったところ、特に戦争が始まる前も保有したり、支配をしていた地域について、国際的に放棄しました(サンフランシスコ平和条約)。

それは、次の島々です。ずいぶん、多くの島や土地を放棄したものですね。
1) 千島列島
2) 樺太(サハリン)、
3) 満州、
4) 朝鮮、
5) 沖縄、
6) 台湾

このうち、沖縄はアメリカの信託統治となり、現在は日本に復帰しています。より小さな小笠原諸島、南沙諸島など細かい範囲の設定がありました。その中で、今、問題になっている、四島、竹島、尖閣はいずれも「何らかの事情でハッキリしなかった」ものです。

ハッキリしない事情はそれぞれで違うのですが、いずれもサンフランシスコ平和条約でハッキリとは書かれていなかったということです。
1)四島は「国後、択捉、歯舞、色丹が千島列島に所属するのか、しないのか」という問題。日本はこの四島は千島列島の一部ではないという見解。
2)竹島はサンフランシスコ平和条約の時に、日本と朝鮮の間にある四つの島(済州島,巨文島、欝陵島および竹島)のうち、最初の3つは明記されたのですが、竹島が明記されず、そのためにサンフランシスコ条約の時に朝鮮がアメリカに苦情を申し出、アメリカが「竹島は歴史的にも日本の領土」としたもの。
3)尖閣列島は昔から琉球諸島と一緒のくくりで、サンフランシスコ平和条約の時には特に明記されていなかったもの。

陸地の領土でも同じ事ですが、「場所」は複雑なので、もめ事がないという状態はなかなかできません。たとえば千島列島とは「どこからどこまで」と書くのもあまりに煩雑になるのでやっかいです。またその時に双方に思惑があってわざと書かないなどということもあり、書くと全体の条約の調印まで行かない可能性もある場合も考えられます。

また、尖閣は多くの人が「当然、琉球諸島の一部」と思っていたので書かなかったということもありますし、台湾に移動した中華民国がなにも言わなかったので、そのままアメリカが所有し、沖縄返還とともに日本に帰ってきたということです。

竹島はやや複雑ですが、韓国にとって都合が悪いのは、条約を調印するかなり前には竹島は他の3島とともに朝鮮の所属になっていましたが、調査が進むと「どうもこの島は日本らしい」となり、調印間近には朝鮮に返還されるのは四島から三島に変わりました。このことで韓国がアメリカに異議を申し立てたので、「寝た子を起こす」ことになり、結局、日本の領土になりました。

またやっかいなことに、ソ連と中国はサンフランシスコ平和条約に調印せず、韓国は日本と戦っていないので、戦勝国ではなく、従って講和会議にも出席出来ないという立場にあったのです。

・・・・・・・・・

竹島が尖閣諸島よりややこしいのは、朝鮮が李承晩ラインというのを引き、竹島を朝鮮の領土にしたことです。つまり「国際条約で決めたことを韓国が当事者になれなかったので、独自に決めたということになったのです。

韓国は武力で竹島に上陸、そこを占拠しました。当時の日本は戦争に負けて平和憲法ができたばかりでしたから、「国際紛争には武力は使わない」ということでしたが、「相手が武力で来たときにどうするのか?」は決まっていなかったのです。

強いて言えば、アメリカが武力を背景に相手側と交渉してくれるぐらいのところだったのでしょう。事実、竹島では「日本の領海なのに大量の漁船が拿捕され、漁民が韓国に連行された」ということが発生しましたが、日本は泣き寝入りをせざるを得なかったのです。

1910年に日本が韓国を併合したとき、日本は直接的な武力を使ったわけではなく、武力を背景に韓国を併合したのですが、「武力と関係なく話し合いで併合した」わけでもありませんでした。このことが「不当」であると韓国人が思うなら、韓国が竹島を話し合いをしないで占有するのも同じです。

つまり日本が軍事力を使わないとみると、力で押さえつけるというのは日本を非難していることを自分が行うということでもありますから、余り関心できません。国際的にはこのようなことが多いのですが、日本と韓国の間では過去の歴史を反省して、このようなことがないように韓国政府と韓国人を説得するのが良いと思います。

その一つの例として韓国がどんな言動をとろうとも、日本は「お互いが話し合って竹島問題を解決する」ということで行くべきと思います。その意味では国際裁判所に提訴するのではなく、まずは両国で話をするべきです。

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尖閣・竹島・四島・・領土と国(6) 中国の「国」(平成24年10月1日)


尖閣諸島の問題で、日本と中国の考え方が調和していません。これは当然で、両国の人が「国」と考えるもの、それそもそもが違うからです。

日本人は、「もともと「日本国」という国があり、その外は外国」と考えますが、中国人は「もともと「中国」という国はなく、力で取ったところが中国」ということだからです。

その結果、日本は大東亜戦争の前に朝鮮やフィリピンを併合したり、占領したりしましたので、「外国の領土を占領してすまなかった」と反省しています。ところが中国は「もともと外国の領土というものはないのだから、占領したところは中国だ」と思うので、反省はしません。


中国人のこのような国に対する考え方をもっともよく示すのが、この写真に示した「万里の長城」と「満州」です。中国の北京のすぐ北に万里の長城があることは多くの人が知っています。今から2000年ほど前にまず秦の始皇帝が最初の万里の長城を築き、それから近代になって日本ではちょうど江戸時代ころの中国の王朝「明」が大規模な長城を築いて「これから北は外国だ」と宣言しました。

ところが、その後、満州にできた「外国」の軍隊が万里の長城を超えて攻めてきて、中国が占領されました。つまり、中国が自ら外国と宣言した満州を占領したのではなく、外国の満州が中国を占領したのです。

中国というのは外国であれ、どこであれ、自分たちと一緒になったら中国という考え方ですから、奇妙なことに満州に占領されたら、満州を「中国」と呼ぶようになったのです。

自分たちでこれほど立派な長城を作って「外は外国だ」と宣言したのに、状況が変わればすぐ固有の領土にしてしまうというのが中国の考え方です。つまり同じ漢字で「国」としてきましたが、その内容が違うとも言えます。

たとえば、日本が中国を攻めて占領すると、中国は「日本は中国のものである」と言うと思います。今では、中国は満州を「中国」としていますが、自分で万里の長城より北は外国と宣言したのですから、普通の常識や道徳では考えられないことです。


この地図は宮脇先生がお作りになったもので、時々、使うのですがもともと今の中国自体が、満州を取り込んだ形になっています。これは歴史的に中国とは言えないものであることがわかります。

これと同じのが、これも万里の長城より北の内モンゴル、西の新疆ウィグル、そしてチベットです。これらの国に独立運動があるのは、「もともとは、ここは中国ではない」という感覚があるからです。

尖閣諸島については、このブログでも証明したように、歴史的にも完全に日本の領土です。日本では「日本流(国際的にも一般的)に日本の領土だ」と言っていますが、中国は「もともとどの国の領土などということはない。武力で占領したり、強く言って取ってしまえば、中国だ」と言っています。

このような中国の考え方では、日本流の根拠がなくても「中国固有の領土」と言うことになります。この「固有」とは「もともと全世界が中国のものだ」という考え方から来ています。

この思想は日本の将来に取ってきわめて危険なので、絶対に妥協してはいけません。一つ譲れば、次は日本人が住んでいるところを「固有の国土」と言ってくるでしょう。

日本人が中国人の「国」という考え方を理解したり、それに基づいて中国との折衝を行うのはかなり難しいと思います。繰り返し中国の「国」を理解し、「中国も日本の領土だ」ぐらいに思わないと、中国の主張を理解する事ができないと思います。

特に現在ではマスコミの解説者が「日本流の国土論」で「中国の主張に反撃」をしているので、「少し妥協したらどうだ」という意見もでてきましたが、日本が妥協しても、もともと世界中の土地が中国のものですから、中国は妥協とは思わないでしょう。

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尖閣・竹島・四島・・領土と国(7) アメリカの「領土」(平成24年10月10日)


先回まで「中国は世界中が中国の領土で、力で取ったところはすべて中国だ」という考えだから、「日本の領土」という意識があって、他国を占領すると心が痛むという日本人とは感覚が違うことを書きました。

でも、それは中国だけのことではなく、中国は特にそれが激しいと言うぐらいです。アメリカは18世紀に建国して以来、ワシントンの近く、つまりアメリカ東海岸からアメリカ中央部、テキサス、カリフォルニア、そして太平洋を渡ってアラスカ、ハワイ、グアム、フィリピン、日本、朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラクとほぼ地球を一周する勢いで軍隊を出してきました。

なぜ、アメリカはそんなことをしたのか、アメリカ人が考える「領土」はどこなのか、それを地図とともに考えてみたいと思います。また日本人は時に中国人を憎みますが、アメリカ人には好意を持つことが多いのですが、これはアメリカ人が白人だからなのでしょうか?

・・・ここからは音声と地図です・・・・・・


音声でアラモの砦の戦いをインディアンと言ったような気がしますが、メキシコ戦です。

3. 中川隆[-12549] koaQ7Jey 2019年2月01日 11:10:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

米国が作った社会主義国 ソ連・中共・北朝鮮


馬渕睦夫
ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた


[馬渕睦夫さん ] [今一度歴史を学ぶ] 7 (日米近代史 1-3)
「 ロシア革命」と裏で支援した人達 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=dhyXzcOIrwI&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&index=8&app=desktop


[馬渕睦夫さん][今一度歴史を学び直す] 7 (日米近現代史2-3)
[支那事変]とは 日本 対 [ソ連 英 米] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r4qS9LFuQG0&index=9&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&app=desktop


[馬渕睦夫さん ][今一度歴史を学び直す] 7 (日米近現代史3-3)
なぜアメリカは日本に戦争を仕掛けたのか? - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=2yQ72lCQUNg&index=10&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&app=desktop


2018/04/15 に公開
馬渕睦夫さん 元特命全権大使 駐キューバ 駐ウクライナ兼モルドバ


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[馬渕睦夫さん][今一度歴史を学び直す] 1-7
米国がつくった中華人民共和国 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=ORy-CvwklVA&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&app=desktop

[馬渕睦夫さん ] [今一度歴史を学び直す] 1-7 (付属動画)
米国がつくった中華人民共和国 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=iQBSmzvY6xY&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&index=2&app=desktop

[馬渕睦夫さん] [今一度歴史を学び直す] 2-7
米国が仕組んだ朝鮮戦争 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=jsDal9CuLfo&index=3&list=PLSdGrK6XTr5iYvuiF_2TQaKUPeOMoJiPT&app=desktop


2018/03/18 に公開
[今一度歴史を学び直す] 1/7 米国がつくった中華人民共和国
馬渕睦夫さん 元駐ウクライナ大使兼モルドバ大使

一部引用:

国難の正体――日本が生き残るための「世界史」 – 2012/12/25 馬渕睦夫 (著)

「国難」とは「グローバリズム」という潮流のことです。

グローバリズムとは、「民営化」「規制緩和」という拒否できない美名のもとに強烈な格差社会を生み出し、各国の歴史や文化を破壊します。「世界史」といえば、「国家」間の対立や同盟の歴史と教科書で習ってきました。しかし、戦後世界史には国家の対立軸では解けない謎が沢山あります。

日本では対米関係ばかり論じられますが、じつはアメリカを考える上でイギリスの存在は欠かせません。政治も経済も日本はなぜこれほど低迷しているのか。元大使が2013年に向け緊急提言!


戦後世界史の謎

▶東西冷戦は作られた構造だった

▶なぜ毛沢東の弱小共産党が中国で権力を握れたのか

▶朝鮮戦争でマッカーサーが解任された本当の理由

▶アメリカはベトナム戦争に負けなければならなかった

▶なぜかアメリカ軍占領後アフガニスタンで麻薬生産が増大した

▶「中東の春」運動を指導するアメリカのNGO

https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E9%9B%A3%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93%E2%80%95%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%AE%8B%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%80%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%80%8D-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4862860656


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トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson, 1856年12月28日 - 1924年2月3日)は、アメリカ合衆国の政治家、政治学者であり、第28代アメリカ合衆国大統領である。アンドリュー・ジャクソンの次にホワイトハウスで連続2期を務めた2人目の民主党大統領である。


進歩主義運動の指導者として1902年から10年までプリンストン大学の総長を務め、1911年から13年までニュージャージー州知事を務めた。1912年の大統領選挙では共和党はセオドア・ルーズベルトとウィリアム・ハワード・タフトの支持に分裂し、結果として民主党候補であったウィルソンが大統領に当選した。名誉学位ではなく、実際の学問上の業績によって取得した博士号を持つ唯一の大統領である。

1885年にブリンマー大学(英語版)で歴史学および政治学を教えた後、1886年にはジョンズ・ホプキンス大学から政治学の博士号 (Ph.D.) を受ける。1888年にコネチカット州のウェズリアン大学に勤め、1890年にプリンストン大学の法律学と政治経済学の教授に就任、1902年6月9日に満場一致でプリンストンの学長に選ばれた。1910年から翌年までアメリカ政治学会の会長であった。

1887年に執筆した論文『行政の研究』(The Study of Administration )において、政治行政分断論を提起し、実務的に政治(政党政治)と行政の分離(政治行政二分論)を唱え、猟官制の抑制と近代的官僚制の再導入を提唱するとともに、研究領域的に政治学から行政学を分離した。ウィルソンの行政学に関する論文はこれ1つだけであるが、これによって、フランク・グッドナウ(英語版)と並んでアメリカにおける行政学の創始者として位置づけられている[2][3]。

合衆国大統領としては、当初の中立姿勢を放棄して戦争を終わらせるための戦争として第一次世界大戦への参戦を決断し、大戦末期にはウラジーミル・レーニンの「平和に関する布告」に対抗して「十四か条の平和原則」を発表、新世界秩序を掲げてパリ講和会議を主宰、国際連盟の創設に尽力した。その功績により、ノーベル平和賞を受賞している。敬虔な長老派教会の信者であったウィルソンは、教訓主義の深い感覚をインターナショナリズムに取り入れた。それは現在「ウィルソン主義」と呼ばれる。ウィルソン主義は、アメリカ合衆国が民主主義を標榜し国内外の政治体制の変革を追求することを使命と見なすことであり、今日も議論されるアメリカの外交政策の指針となった。ただし、ここまでの成果は慈善家のクリーブランド・ドッジ(英語版)の協力なしには得られなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3


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フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt [ˈfræŋklɪn ˈdɛləˌnoʊ ˈroʊzəˌvɛlt], 1882年1月30日 - 1945年4月12日)は、アメリカ合衆国の政治家。

民主党出身の第32代大統領(1933年 - 1945年)


世界恐慌、第二次世界大戦時のアメリカ大統領であり、20世紀前半の国際政治における中心人物の1人。彼の政権下でのニューディール政策と第二次世界大戦への参戦による戦時経済はアメリカ合衆国の経済を世界恐慌のどん底から回復させたと評価される[3]。

ラジオを通じて国民との対話を重視した。歴代アメリカ合衆国大統領のランキングでの人気投票でほぼ上位5傑に入るなど、現在でもアメリカ国民からの支持は根強い。また、アメリカ史上唯一の重度の身体障害を持った(両足が不自由だった)大統領でもある。

その一方、日独伊の枢軸国勢力を敵視する一方でソビエト連邦の独裁者ヨシフ・スターリンに対する容共的な姿勢を取り、その侵略行為を黙認したことは後に批判の対象となった。中華民国に対しては、日中戦争の際に蒋介石を強く支持し莫大な軍事費の借款を行っていた上に、同国との利権も多かったために「中国びいき」と言われた。

ルーズベルトはアメリカ政治史上で唯一4選された大統領である。初代のジョージ・ワシントン大統領が3選を固辞した故事から大統領は2選までというのが慣例だったが、戦時・有事を理由に1940年・1944年の大統領選に立候補し当選した。後に憲法が改正され(修正第22条1951年)、正式に大統領は2期までと定められた。

アメリカ経済の回復は同時に、第二次世界大戦が起こるまでの間、デトロイト市の大工業地帯[要出典]を枢軸国に対する「民主主義の兵器廠」に発展させた。これは戦後、アメリカが国際的な覇権を握る原動力となった。ルーズベルトの平和に対する国際組織の展望は死後に国際連合として結実した。

ルーズベルトの評価は立場で大きく分かれる。リベラル派(自由主義)から見ると、ニューディール政策をはじめとしたケインズ福祉国家的政策の開始は「恐慌への対策を具体化したもの」として評価され、「はじめて本格的な貧困層対策に取り組んだ」大統領として評価される。それまで南部の地域政党的色彩が強かった民主党に「世界恐慌の結果発生した貧困層の救済」という新たな目的を打ち出し、この2つの支持基盤を合わせる事によって「ニューディール連合」と呼ばれる大きな民主党支持基盤を形成してその後数十年に渡る議会における民主党の優位をもたらした。

保守派の中でも、ロナルド・レーガンは、ルーズベルトのリーダーシップを賞賛した。他方、小さな政府を唱える保守派はニューディールにきわめて否定的な評価をしており、民主党のニューディール連合を崩すことで1980年代以降の共和党の勢力拡大は成功したといえる。

ニューディール政策については、現在でも経済学者の間でその評価は分かれている。

また、最高裁判事の人事への介入による三権分立の民主主義原則への抵触や、大戦中に日系アメリカ移民に強制収容を行った事や、政権期間を通じて行われたアフリカ系アメリカ人公民権運動に対する事実上の妨害という人種差別的観点から行われた政策は、その立場を問わず各方面からの大きな批判をまねいただけでなく、アメリカにおける人種差別の解消を遅らせる要因の1つとなった。

民主党政権としての「貧困層」と「人種マイノリティ」という別々の背景を持ったアメリカ社会における弱者に対する矛盾した態度の解決は、1960年代のジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソンの政権まで持ち越された。

在任日数4422日は、アメリカ合衆国大統領史上最長の任期である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88


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アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ

「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する – 2015/10/9 馬渕 睦夫(著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%8C%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%82%93%E3%81%A0-%E3%80%8C%E6%97%A5%E7%B1%B3%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E9%9D%A9%E5%91%BD%E3%81%AE20%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%92%E7%B7%8F%E6%8B%AC%E3%81%99%E3%82%8B-%E9%A6%AC%E6%B8%95-%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4584136823/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1546955741&sr=8-3&keywords=%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB+%E6%9C%AC


「ロシア革命」「支那事変」「日米戦争」…近現代史の裏には必ず彼らがいる!

米大統領のウィルソンやルーズベルトを操り、日本とアメリカを戦わせた勢力に迫る―。

社会主義者=国際金融資本家。「東京裁判史観」を打ち破る渾身の一冊!!


アメリカはなぜ日本に戦争を仕掛けたのか?


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日米の“真の和解"のために、著者渾身の書下ろし!

■ メディアを支配するものが世界を支配する

■ 国際社会は「国益」のぶつかり合い

■ ウィルソン大統領の「ロシア革命礼賛」の謎

■ 大資本家は社会主義者である

■ 共産主義者はなぜ殺人に“不感症"なのか

■ 「ワシントン会議」こそ大東亜戦争の火種

■ アメリカは中国を舞台に、日本に“参戦"していた

■ ルーズベルト大統領も国際主義者だった! 他


【目次より】

序 章 【米露に対する「安倍外交」の真髄】
世界は日本に期待している!
・アメリカの「対露制裁解除」の鍵を握る安倍外交
・「中国の暴走」を抑えるには、ロシアを味方にせよ 他

第一部 【ウィルソン大統領時代のアメリカ】
アメリカはなぜ日本を「敵国」としたのか
I「日米関係」の歴史
II アメリカの社会主義者たち
III「共産ロシア」に対する日米の相違
IV 人種差別撤廃と民族自決
v 運命の「ワシントン会議」

第二部 【支那事変の真相】
アメリカはなぜ日本より中国を支援したのか
I 狙われた中国と満洲
II「西安事件」の世界史的意義
III 中国に肩入れするアメリカ

第三部 【ルーズベルト大統領時代のアメリカ】
アメリカはなぜ日本に戦争を仕掛けたのか
I ルーズベルト政権秘話
II 仕組まれた真珠湾攻撃
III 日本を戦争へ導く「アッカラム覚書」

終 章 【これからの日米関係】
「グローバリズム」は21世紀の「国際主義」である
・アメリカの正体とは?
・「グローバリズム」と「ナショナリズム」の両立は可能か 他


4. 中川隆[-12548] koaQ7Jey 2019年2月01日 11:25:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

「混沌の大国」中国と中国人を知る エコノミスト 田代秀敏氏
http://www.ikaganamonoka.com/intr/tashiro1/


行ったことはあるのですが、どうにもその行動や価値観が理解しにくい国「中国」と「中国人」について、田代さんに一から教えてもらいました。聞いてびっくり。わたしは中国のことについて、知ってるようでいて、実は何にも知りませんでしたね。万人のための「中国入門」です。


『中国に人民元はない』(文春新書588)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AB%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%83%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%B0%E4%BB%A3-%E7%A7%80%E6%95%8F/dp/4166605887

そもそも「中国人」は外国人がつくった概念


運営者 北京オリンピックや毒餃子事件を介して中国のプレゼンスが庶民のレベルでまた高くなっています。

 今まで企業のレベルでは生産基地として、あるいはこれからの大消費地として非常に意識されてはきましたが、今や市井の人たちも無視することはできない主要なプレイヤーになってきているということです。

 田代さんに伺いたいのは、そういう存在である中国の民、中国人と言い切れるほどひとつのまとまりはないと思うのですが、それはどういう人たちだとわれわれは考えるべきなのか、その辺のことからお話していただきたいんです。

田代  まず中国というのは、本当に、多様というよりも混沌・カオスなんです。だから一口には何も言えません。中国に関するお話は、とめどもなく、まとまりがありません。

運営者 中国自体が、まとまりのない国だからですね。

田代  だから中国に関する話で、まとまりがよかったり、日本人が聞いて分かりやすかったりしたら、それは疑ってかかるべきなんです(笑)。
 よく言われることですが、中国の統計がよくまとまっていたら、それは嘘だということです。

運営者 統計的にすら、把握ができない国ということですね。

田代  そもそも、中国人という概念は、外国産なんです。中国人同士にとっての、「あなた何国人?」というのは、国籍を聞いているのではなくて、北京人か、上海人か、広東人かを聞いているのです。ちょうどアメリカで、What is your religion? と聞いたら、プロテスタントの宗派を聞いているのと同じようなものです。
 北京と上海では、言葉語も、食事料理も、文化も全然違うわけですから。だから彼らは、「同じグループに属している」という意識はあまりないんです。

運営者 日本では新任大臣が「日本は単一民族」と食言したらクビになりますが、中国では「中国は単一民族」と発言してもクビになることはないということですね。

田代  そういうことです。そんなことを言っても、まったく意味がわからないわけですから。中華人民共和国は国民国家ではないので、「国民」という言葉は避け、「人民」とか「老百姓」とか「中華民族」という言葉が使われます。「老百姓」は「昔からいるいろいろな姓」という意味で、「中華民族」は「漢族と55の少数民族との共同体」という意味です。ちなみに「漢民族」は日本語で、中国では「漢族」です。

 ではどうして「支邦人」、「中国人」、「チャイニーズ」という言葉ができたかというと、清国の終わりに留学生がアメリカや日本に行ってからのことです留学生が学校で、「チャイニーズ集まれ」と言われても、みんなが誰のことかわからないわけです。「チャイニーズって誰なんだよ?」と聞き返したら、「お前とお前のことだよ」と言われて、「びっくりした〜。上海出身の俺と、福建出身のアイツが同じカテゴリに属しているのか!」と驚いて書き残した留学生の日記が見つかっています。

運営者 へえー。


「具体的なことしか信じない人たち」


田代  東京大学や早稲田大学でも同じようなことがあったんです。彼らが中国に帰って、「知ってるか、おれたちは中国人だぞ、支邦人だぞ、Chineseだぞ」と、ふれまわったわけで、中国人というのはそういう概念なんです。

 だから、中国人についての一般論は、とても難しいのですが、むりやり一般化すると、中国人とは次の2つの特徴をもつ人たちなのです。

 ひとつは「漢字だけを使う人たち」

 もうひとつは「具体的なことしか信じない人たち」

 二番目の特徴を、吉川幸次郎という中国学の碩学は、中国人の思考の特徴は自分の素朴な感覚への絶対的な信頼であり、だから、中国人は感覚を超えた存在をあまり信頼せず、冷淡になりやすいと述べています。

運営者 感覚というのは五感ですか。

田代  五感ともちょっと違うんです。中国では「味わう」というのが非常に重要な感覚なんです。フランス人はよく「美しい」と言いますが、中国人は「おいしそう」と言います。「食べたらうまそう」というのが最高の褒め言葉なんです。だから、他人の家にお呼ばれされたときには、その家の子供を「子豚のようにかわいい」と褒めると、その子もその子の親にもよろこばれます。

 中国人という概念はこういうふうに非常に漠としたものなのですが、漢字だけを使い、なおかつ、自分の素朴な感覚を100%信じている人たちということが最大公約数だと考えるのが好いでしょう。中国人は、自分の素朴な感覚の対象にならないものや、感覚を超えたものは信じません。

運営者 例えばコンセプトとかも信じない。

田代  「死」なんかもそうなんですよ。中国の人は死について極めて無頓着です。ほとんど考慮しません。感覚を超えた死後の世界について考えている節があまりない。

 あえて言うと中国人は、死もいまの世界の延長だと考えています。だから中国の葬式では、金箔や銀箔を貼ったお金のおもちゃを燃やします。どうやらATMがあの世にあって、燃やすとそのお金がATMに入っていってお父さんやお母さんがそのATMからお金を引き出せると考えているらしいんです。

 「あの世でもお金がいるんですか」と聞いたら、「それはそうでしょう。ものを買うにしても、役人を買収するにしてもお金が必要ですよ」と答えます。
 だからあの世にも今と同じ世界があると考えていて、商店があって、役人も腐敗していて、現世の仕組みが死後もそのまま続いているのだと信じているわけです。

運営者 本当の現実主義者ですね。「天国はパラダイスであって、地獄はどうしようもないところだ」という感じではなくて、「あの世もこの世の延長でしかないのだ」という認識ですか。

田代  だから中国人の想像力、イマジネーションはおもしろいですよ、日本人と全然違っていて。ただしよく気をつけてみるとすべて「感覚の内側」にとどまっているんです。哲学的なこと、形而上学的=メタフィジカルなことはまったく関心を持ちません。関心があるのはフィジカルなことだけです。


形而下に止まる思考形態


田代  彼らがどんなに想像力を膨らませたとしても、すべてフィジカルな範囲内にとどまっています。

 たとえば孫悟空が、お釈迦様の手の平から、キン斗雲に乗って飛び出して、世界の果てまで行こうとしますよね。そうすると世界の果てには5本の柱が立っていたので、孫悟空は「ここが世界の果てだ」と思って、その柱に落書きをして帰ってきます。

運営者 斉天大聖ここに来たりて曾遊す。

田代  すごく気宇壮大に見えますけれど、結局はフィジカルな世界の中にとどまっている話なんです。

運営者 それが彼らに理解できる範囲内なんですね。

田代  インド人は、もっと抽象的に話が広がっていくのですが、中国人にはそれはない。だから吉川幸次郎は、「中国人の想像力は、まりが跳ねるようなものだ」と言っています。地面から少し離れたとしても、いつかは地面に戻って、地面の上を這って、どこかで止まる。地表の上をわずかに離れるんだけれど、基本的には地表の上を転がっていくようなものだと分析されています。

 インド人の思考は、ヒューンとはるかかなたに飛んでいくんですけどね。

運営者 なるほどね。お話を聞いてみると、なるほどと納得するのですが、日本人がなぜ中国人のその部分を理解していないかというと、日本人にとっては、どちらもできるからだと思うんです。

田代  そうですね、私が深く尊敬する混血の天才中国語学者に言わせると、中国語よりも日本語のほうが哲学的なんだそうです。中国人の思考には哲学性が希薄なのだからだそうです。

運営者 言語の構造は、当然、使っている人たちの認識を反映するはずですからね。

田代  またその認識を制約しているはずですよね。

 実はね、「中国語」というものは存在しないんです。実際にあるのは、北京語だったり、上海語だったり、広東語、四川語なわけです。例えば「我」という言葉も、それらの言葉で全く発音が異なります。中国人にとっても、自分の地方の言葉でない言葉は、勉強しなければ皆目わかりません。方言ではなくて、違う言語なんです。

運営者 北欧の国の言葉が違う言語だというのなら、それらの言葉も全く違う言語だと言えるでしょう。

 台湾に行って驚いたのは、すべての番組に漢字の字幕が出ていることですよ。漢字さえ出しておけば、だいたい分かるということなんですね。

田代  それしか方法はないんです。大陸も全く同じで、特に胡錦涛総書記が出てくる演説の放送では、3段も4段にもわたる非常に詳細なフルテキストの字幕が出ます。しかし共産党の最高指導者の発言だけでなく、どんな人でも同じですし、映画の字幕も同じです。


漢字の国の人たちは言語を信じていない


田代  もうひとつ中国の特徴は、言葉に対する信頼がないということです。

運営者 でも、言葉に対する信頼がなければ、ものが考えられないし、政治も難しくなっちゃいますけどね。

田代  中国人は漢字という、人類の言葉の中でも最も精緻な文字の体系を作り上げた人々なのですが、その彼らは言語に対して非常に不信の念を持っています。

 「言語というのは、せいぜい物事を暗示するだけであって、決して真理そのものや、自分の本当の気持ちというのは決して語りえない」と思っているんです。

運営者 それはひとつの見識ではありますがね。それに対して、「語りえぬものについては沈黙するしかない」と言った人もいますが。

田代   言語観の違いは、中国人と日本人との摩擦の原因になるんです。たとえば、「本音と建前」というのは純粋な日本語であって、中国人には説明できません。
 さっきの天才中国語学者が作った日中辞書典では、本音を「真実話」、建前を「原則」と翻訳されています。「ちょっと違うんじゃないですか?」と聞いたら、「だってこうしか説明できないじゃないか」と言われましたけどね。

 日本人だと、「君の本音を一言で言ってごらん」といえますが、中国ではまったく無理です。中国では自分の本当の気持ちは、たとえ百万言を費やしても語りえない。せいぜい暗示するしかできないと考えられているんです。

 真理についても同じです。中国人にとって真理とは、かすかに、わずかに暗示できるだけであって、わかる人にはわかるけれど、ほとんどの人にはわからないものだと考えられているんです。

 だから、われわれが学校で習う漢文なんかも非常にシンプルですよね。

運営者 そうですよ。どうしてあれがそういう具体的な意味を的確に表していると断言できるのか、テストでいつも不思議に思っていたのですが。違う解釈もできるだろうと。

田代  あれはもともと、孔子が言っているように「文は言を尽くさず」、つまりどんなに文書を書いても言いたいことは言えないし、「言は意を尽くさず」、どんなに言葉を重ねても自分の心は語れないというあきらめが先にあるんです。

運営者 そこですよ、そこであきらめるかどうか、真理に肉薄していこうとするかという態度の違いが非常に大きいと思うんです。

田代  日本人はあきらめないですよね。必死になって説明しようとします。でも中国では最初からあきらめている。

運営者 日本人が持っているのは、ルネサンス的な姿勢だと思うんです。

田代  そうですね。

運営者 中国人がそれをあきらめているということは、また別の思想体系がそこにあるんだと思うんです。

テレサ・テンの歌に見る自己中心的世界観


田代  一方で、中国の人たちの世界認識は極端にエゴセントリック(自己中心主義的)です。徹底して自分を中心とした世界像を描いています。

 アジアの歌姫テレサ・テンの歌でこういうのがありますよね。

 「だからお願い そばにおいてね 今はあなたしか愛せない」

運営者 「時の流れに身をまかせ」ですな。

田代  この歌は日本語の歌詞が元ですが、中国語に翻訳されていて、今では全中国人の愛唱歌になっています。みんなすごく大好きな歌なのですが、これの中国語訳はこうなんです。

 「所以我求求[イ尓] 別離我離開[イ尓]」

運営者 ふむ。

田代  日本語の歌詞では、一言も、「わたし」とか、「あなた」とか言ってないでしょ。

運営者 そうですね。

田代  ところが中国語ではこんなに短いことばの中に、「我」が2回、[イ尓]つまり「あなた」も2回出てきています。こういうふうにしなければ、そもそも言葉として成立しないんです。

 直訳すると、「だから私、あなたにお願いお願い、私をあなたのそばから離れさせないで」になります。

運営者 すごいですね。日本語でそんなこと言われたら、ちょっと引いちゃいますね。

田代  中国語では、こう言わなければそもそも意味が伝わらないんです。

 中国語では徹底して、まず一人称の「我」(ウォー)があって、次に二人称の「イ尓」(ニー)つまり「あなた」がいて、その次に三人称の「他」(ター)つまり「わたしでもあなたでもない他の人」があるんです。「ウォー・ニー・ター」、人称代名詞はこれでおしまいです。英語のような格変換はありません。複数にするときはその後に「們」(メン)をつければいいだけです。以上、おしまい。

運営者 便利ですね。つまり中国語は、他者認識が、世界の言語の中でも恐らく最も単純であるということですか。

田代  もっと言うならば、非常に強烈に自分を中心に世界を組み立てているのですね。

 まず私があって、次にあなたがあって、それから第三者がいて、それでおしまいなんです。

でもこの関係性は重要で、「だからお願い、そばにおいてね」と言うだけでも、私とあなたが2回ずつ出てこなければならない。


感覚で分かるものには徹底してアプローチする


田代  日本語が話せる中国の人がふだん冷静に日本語で話しているときは普通の日本語ですけれど、興奮してくると、「わたしあなたに言った、あなたわたしにこう言った。わたしあなたにこうした・・・」って言うじゃないですか。

運営者 そうですね。それは彼らにとっては普通なんだ。

田代  中国語を直訳しているだけになっているのです。日本人も興奮すると、英語で話していてるときに興奮すると、明らかに日本語の単語を英語に置き換えただけになってるじゃないですか。

運営者 "We Japanese"って言っちゃいますからね。それはよくわかります。

 そういう世界認識、世界の中での自分の位置が、中国人にはまずあるわけですね。

田代  まず「我」が中心です。その周りにあなたがいて、その周りに第三者がいると。

運営者 現実主義であり、言い方は悪いけれど自己中心主義であると。

田代  現実主義というよりも、徹底して形而下のことにしか関心がないんです。それが善いか悪いは、別の問題ですよ。

運営者 もちろんです。文化の差異についての話ですから。

田代  だから漢字の体系も、形而下のことに注目する文明の産物です。漢字はよほど字の形を、きちんと見なければいけないようにできています。

 例えば「犬」と「太」と「大」の違いなんて、字の中に点「、」のあるなしと位置の違いだけですよね。アルファベットしか用いない人々は、なかなか覚えられません。

運営者 なんか白川静先生の世界になってきたな。

 なるほど、アルファベットしか使わない連中は字の形におおざっぱですからね。そういえば漢字圏でない外国で漢字の本を読んでいると、えらく感心されて「これをお前も書けるのか」と聞かれますよね。  

田代  漢字の精密なシステムは、いかに中国人が、感覚的なものに対しては、執念を持って見ているかを、よく表しているんです。

運営者 なるほど、そうですね。感覚で分かるものについては徹底してアプローチするということですね。

田代  その点で日本人は甘いんです。たとえば、中国の書法家の作品とくらべると、日本の書道家の書はどこか甘いところがあります。なぜかと言うと、われわれは漢字が書けなくても、ひらがなやカタカナでごまかせるじゃないですか。

でも、中国人は漢字が書けなければ何も伝えられない。漢字が読めなければ何も読めない。◯音(ピンイン)という中国語のローマ字書きのシステムはありますが、それを使って読み書きするのは幼稚園の年少組までで。幼稚園でも年長組になると漢字で絵本を読みます。幼稚園を出た段階で、「東京文化学園」を、ちゃんと「トンチンウェンファシュエエン」と読めます。そうした漢字だけの国の書法は、ひらがなもカタカナもある日本の書道と厳しさが違うのは当然です。

運営者 ということは、唐代に顔真卿なんかが確立した書法は、そういうスタイルを徹底したたものだったんですねえ。

中国人は遅刻しそうになっても連絡しない


田代  そういう意味で、中国の書法は、すごく切羽詰まったものがあります。しかし、その文字は、決して言を尽くさないし、言は意を尽くさないんです。不思議な言葉の体系ですよね。

運営者 意外です。僕はあの書が雄弁に真理を語っているからこそ、彼らは何世紀も大切にしてきているのかと思っていました。意外とそんなに信用してないんですね。

田代  中国人にとって、漢字というのは交通標識みたいなものなんです。それを北京の人は北京語で読むし、上海の人は上海語で読む。でも、お互いそれを声を出して読むと、さっぱり意味がわからないんです。

運営者 あくまでも記号なんですね。

田代  でも交通常識だから、なんとなく意味は伝わります。もっとも、伝わるのは、本当に言いたかったことの何分の一かです。

運営者 その他、中国人を理解するために覚えておかなければならないことは何ですか。

田代  日本人が中国人を理解するのは難しいですよ、とにかく中国は日本と全く違う社会ですから。

 例えば中国には非常に大きな企業がたくさんありますよね。だけど私から見るとあれは普通の企業には見えないんです。

運営者 どういうことですか。

田代  中国の会社では、個人レベルでさえもそうなんだけど、「ほうれんそう」がないんですよ。

運営者 「報告、連絡、相談」ですね。

田代  日本の企業に入るとまず最初に研修で厳しく教わるのは、「何事も報告、連絡して上司と相談せよ」ということです。そうしなければ集団として機能できないと日本では考えています。

 中国の企業は正反対で、報告しない、連絡しない、相談しない。

運営者 社会性がないってことじゃないですか。

田代  いえ、中国人は社会性が非常に高いんです。日本人以上に高いでしょう。日本社会よりも中国社会の方が長く続いているわけですから。日本以上に、アメリカと、うまくやっている。でも、「報連相」は、しません。

 約束の時刻に遅れてしまうと、日本人だったら、すぐに携帯電話で、「すみません、遅れてます」と連絡しますよね。

運営者 ええ。

田代  中国人は、まずしません。「定刻になっても自分が現れていないのだから、遅れていることは明らか。それをあえてもう一度言う必要があるのか」ということで、自分から連絡はしません。だから、中国人に「すみません、私いま遅れています」と電話したら、「当たり前のことをいちいち言うな」と、かえって不機嫌にさせてしまいます。

運営者 そこにいないんだから(笑)。

食べられるものはすべからく食べる


田代  「何でそんな当たり前のことを言うのか」ということです。

 あいさつでも、日本人はすぐに「暑いですね」とか「暖かくなりました」とか天気の話をしますが、中国人は天候のことを挨拶に使いません。中国人にすれば「わかってるよ、同じところにいるんだから。そんなわかりきったことを口にすることに、なんの意味があるのか」ということです。

運営者 それじゃ話の接ぎ穂というのが・・・

田代  彼らは話の接ぎどころが違うだけなんです。天気の話はしません。

 中国のおもしろさは、あいさつをしないことにもあります。おはようもお休みも、ただいまも行ってきますもありません。なぜならば見れば明らかだから。

 中国でただいまというのは、「私は来ました」で、答える方も「あなたは来ました」という言い方ですから、単なる確認事項ですよね。

運営者 「アイム・ホーム」に近い感じですね。

田代  おはようも言う必要はありませんよね。お互いの起きていることはわかるわけですから。

運営者 解らんでもないですけどね。

田代  中国の文化は日本とはコード体系が全然違うんですよ。

 ただ問題は、日本人と中国人とが、同じ服を着て、お互いに黙って座っていたら、相手が日本人か中国人か、全然わからないですよね。それくらい、日本人と中国人とは、人種的には非常によく似ている。だから、日中双方とも、お互いに「そこまで言わなくてもわかるでしょ」と思っているわけですが、そこがお互いの国に行って暮らしている日本人と中国人にとっては悩みの種なんです。

運営者 なるほど。
  話が戻りますが、「おいしそう」というのは褒め言葉なんですか。

田代  中国人が日本の家庭で飼われているチャウチャウ犬を見て、「あれは今、ちょうど食べ頃ですね。そろそろ食べるんでしょ?」「日本では食べないですよ」「なんてもったいない。それなら私がこれから料理して、田代さんにご馳走しますよ」「それはちょっとやめてください」なんて会話が実際にあるんです。

 食べられるものは、すべからく食べようとしますね。

運営者 本当にテーブル以外の4つ足のものは食べるんですね。

田代  日本では、「人を食う」というのは人をバカにする意味ですよね。でも中国では実際に食べちゃうんです。

運営者 「水滸伝」の世界になってきたなあ。


中国人を食事に誘うときはよほど考えたほうがよい


田代  中国では、古代の王様が「美食に飽きた」と料理人に言ったら、料理人が自分の子供を調理して王様に差し出して褒められたというのが、忠義のエピソードとして伝えられていますよ。

 あるいは、垓下の戦いで、大英雄である項羽が虞美人の行く末を嘆き哀しんだ歌は有名です。その後彼は自ら虞を刺し殺したのですが、その続きを読んでみると項羽は虞を食べちゃってるんですね。日本の漢文の教科書は、そこは省略してしまっています。

 孔子の弟子で論語に最も頻繁に登場する子路は、衛の国の高官になったのですが、政敵に倒され、塩漬けの刑で「醢」にされてしまいました。孔子は嘆き哀しんで、自分の家にある醢、つまり塩漬け肉を捨てさせ、それ以降、口にすることはなかったと、伝えられています。

運営者 つまりそれまでは、人肉の醢を食べていたかもしれないのですね。

田代  それまで孔子が食べていた「醢」が人肉の塩漬けでなかったとは、『論語』にも『礼記』にも明記されていませんし、後世の儒家たちもその点を追求していません。喫人つまり人肉食は中国の文化ですから、喫人の経験の有無は、人物に対する評価の基準ではないのですね。

運営者 という文化であったということですね。

田代  善いか悪いかの問題ではないんですよ。喫人の習慣が有ったと中国を非難するのは、自分の民族が世界で一番というエスノセントリズム(自民族中心主義)でしかありません。

運営者 もちろん。文化的差異を論じているわけですから。

田代  重要なのは、それくらい、中国人にとって、食べることがとても大切だということなんです。

 ですから、うかつに中国の人に、「食事をしましょう」と言わないほうがいいです。

運営者 なぜなんですか。

田代  中国人に対して「食事をしましょう」ということは、「あなたと私は、切っても切れない仲になりましょう」と誘っているのと同じことなんです。

 最近はそうでもないようだけど、一昔前にしばしばあったトラブルで、こんなものがあります。中国人の女性の留学生が大学院でがんばっているんだけど、学力不足で博士号がとれそうもない。そこで、大学院の指導教授は、「研究者への道をあきらめさせ、転身を図らせたほうがいい」と考えている。そこで、その指導教授は中国人の女性大学院生を食事に誘い、そうした趣旨を伝えようとする。でも、これが、トラブルのもとになります。

 日本の会社でサラリーマンが上司から食事に誘われると、「降格? 転勤? 下手すると解雇?」かとヒヤリとしますよね。ところが中国人はそうは思いません。食事に誘うことは、これから特別な関係になりましょうという意味か、特別な関係をこれからも継続発展しましょうという意味なんです。

運営者 へー。

田代  だから、日本人の指導教授から食事に誘われた中国人の大学院の女学生は、「一晩考えさせてください」と答えるわけです。そのうえで、「お受けします」となって、教授から指定されたレストランに向かう彼女は、「先生からプロポーズされるんだ」と思っているかもしれません。

 食事の席で指導教授が「君の学力では博士号の取得は難しいから、別の道を考えたほうがいいよ」とか言っても、彼女の頭にはそんなことは入ってきません。食事に呼ばれ、それを受けているということで、頭がいっぱいになっているんですから。

 しばらくして何が起きるか。彼女は大学の学長に、「私は○△教授から食事に誘われて応じたのに、いつまでたっても正式にプロポーズされません。今の奥さんと離婚したという話も聞きません。何ということでしょうか」と、ねじ込むことになるわけです。

 ですから、中国でよく挨拶に使われる言葉に、「喫飯了◯」(チー・ファン・ラー・マ)があります。直訳すると「飯を食べましたか」ですが、単なる挨拶であって、食事に誘っているのではありません。日本人が「熱いですね」と挨拶しても、涼しい喫茶店に行きましょうと誘っているのではないのと同じです。日本人が同じ季節にいることを確かめ合うことで挨拶するように、中国人は同じく食後であることを確かめ合って挨拶しているのです。

自分が認めた人に対してはとことん礼を尽くす


運営者 中国では、親族以外の人と食事をするということは、とてもまれなことなのでしょうか?

田代  中国でビジネスをするとき、飛び込み営業をやると、「お話を聞きましょう。ああそうですか。分かりました。では、またね」と、あしらわれます。

 それにも懲りずに何回か行っていると、そのうちお茶が出るようになります。
 さらに頑張ると、お茶にお菓子がつくようになります。

 もっと頑張ってると、食事に誘われます。それで、ようやく「商談に応じましょう」ということなんです。

運営者 なるほど。

田代  人前で一緒に食事をしているということは、「自分はこの人間と特別な関係にあると思われてもかまいません」という意味なんです。だから、中国ビジネスの第一段階は、相手を何とか食事に持ち込むことなんです。これが難しい。

 そういうわけですから、男女であれば、食事を申し込むというのは大変なことなんです。

運営者 西洋でも、そういうことではあるんですけどね。

田代  それよりも、もっと重たいんです。日本は軽すぎますね。これも善い悪いの問題ではないですけど。

運営者 ということですね。

田代  それから、中国の宴会には決して二次会がありません。それは、食べるという瞬間を共有していることを大切に思っているからなんです。

運営者 大切に思っているのなら、二次会にも行けばよいのでは。

田代  二次会という言葉自体がないんですよ。

 中国人は、人間と人間の関係を、ある意味で日本人よりもずっと大切にします。

 「この人は自分の朋友(ポンヨー、友人)だ」と思った相手への友情は日本人以上に厚いです。

運営者 そのつながりの厚さというのは、どのようなものだと考えればよいでしょうか。

田代  あくまで、自分が認めた人に対しては礼を尽くすということです。

 例えば上海に行ったときに、北京の友人に電話をしたら、ホントにやってくるんです。それで「実は私、すぐまた帰らなければなりません」といって、30分話しただけで、北京に帰っちゃうんです。

運営者 すごいなあ。というか、ちょっと重たい友情ですね。


中国の食事の席に取り箸がない理由


田代  そう。だから中国では、友達になるというのはそのくらい重たいことなんです。

 友達になった中国人はこちらの無理をきいてくれます。しかし、むこうもこちらに無理をいってきます。どこまで無理をきいてやり、きいてくれるか。それが友情の尺度なんです。

だから、中国で会食は、お互いの人物を測りあう重要な場面であって、神経を使って、へとへとになります。

運営者 そうすると、日本人がそれを意識せずに中国人と会食するのはまずいですね。

田代  大変に軽蔑されます。

運営者 なるほど。

田代  テーブル・マナーも大切です。中国のテーブル・マナーでは、取り箸というのはないんです。自分の直箸で、相手が食べる分を取ってあげるんです。

運営者 あっ、さっき田代さんが私の分を取ってくれたのはそれですね。

田代  お互いがそうするわけです。

 これは、ある意味では毒殺防止法でもあります。最初から取り分けてあったら、自分の皿に盛ってある料理にだけ毒が入っている可能性がありますからね。

運営者 日本の酒席のマナーでお流れ頂戴やら返杯やらをするのも、同じ理由です。

田代  ところが中国では、お酒は上から下に注ぐものなんです。上の立場のものが、下の立場の者にお酌します。

 だから中国の宴会に行くと、そこにいる共産党の一番偉い人が、テーブルの間を走り回って、お酌しています。

運営者 日本人はそれを見て感動するかもしれないけれど、実は中国ではそれは普通なんですね。

田代  そうです。お互いがお酌をするということは、対等な立場であるということを表すわけですから。

運営者 日本ではお酌をしてもらうのは目上のように思いますが、中国ではそうではないわけですね。

田代  そうです。対等な関係にはなかなか持ち込めないです。


「自己人」=「刎頸の友」


運営者 中国の社会は、昔の日本と同様に、お互い同等の権利を持つ者が集まった社会ではなく、身分に上下をつけて固定化したがる社会という感じでしょうか。

田代  中国人は日本人とは違って、組織に何の執着もありません。

 だから転職は当たり前だし、外国に移民することも当たり前なんです。自分の可能性を生かせる場所が中国よりも日本であるのなら、日本に行く。

 その意味では、中国型組織というのはありえません。

運営者 では、個人の一対一の関係ではどうでしょうか。対等なパートナーというのはありえるのでしょうか。

田代  中国人の持っている人間関係の観念は、同心円状なんです。

 つまり、まず中心に自分がいます。自分のすぐ周りには、「自己人」(ジー・ズー・レン)=「自己と同じ人」という、最も親しい友人が一人か二人います。これは、「自分と同じ人だと思ってもらってよい」、「この人とだったら、私は一緒に殺されても悔いはない」というくらいの友人です。

運営者 「刎頸の友」ですね。

田代  そうです。わかりやすいのは「三国志演義」に出てくる劉備と関羽と張飛との関係ですよね。

運営者 「桃園の誓い」ですね。

田代  彼らは居酒屋で意気投合し、裏庭に行って、「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」と誓います。これが「自己人」です。

 その周りに、そこまでいかない友人がいます。「一緒に死ぬつもりはないんだけれど、利益は一緒にしよう」という人たちです。

 そういうふうに、距離が遠くなればなるほど、だんだん扱いが落ちていきます。

 これは非常に明確で、中国の人たちは、「この人は自分の自己人だ」と思ったら、どこまでも無理をききます。

 たとえば、「今日は給料日ですよね。給料を全額貸してください」と言われた時に、何も聞かずにぽんと貸すのが自己人なんです。しかも一切証文など取りません。そこで証文を求めたら、その時点で自己人としての友情は終わりです。

運営者 なるほど、よくわかります。今のお話を知らずに「三国志」を読んでも、登場人物の行動がよくわからなくて、「なんでこんなに他人のためにバカみたいなことしてるんだろ」と思うところが多いのですが、今のお話で合点がいきました。

田代  自己人との約束は何があっても守る、それが守れないと中国人社会では生きていけません。

「中華思想=中国は無条件に正しい」の理由


田代  自己人との約束は何があっても守る、それが守れないと中国人社会では生きていけません。

 自己人に借りができたら、その借りはいつかは返すんです。例えば江沢民が総書記の時の国務院閣僚の中に、どう見ても閣僚にはそぐわないような経歴の人がいたんです。どうも、その人は、江沢民が若いときに工場で同僚だったらしい。それだけで最高幹部になった人もいます。おそらく江沢民氏が苦しかった時に、助けてあげたんでしょうね。その恩を、自分が出世を極めたときに、返しているんです。

 自分が出世したら、昔恩義を受けた人を弊履(履き潰した草履)のように捨て去るということは、中国人では絶対に許されません。ある意味で最大のスキャンダルでしょう。

運営者 ということは、江沢民前総書記も胡錦涛総書記も、日本に来ると田中角栄の娘である田中真紀子を訪ねていますが、あれは日本政府に対する当てつけでやっているのではなくて、ホントにそう思ってやってるわけですね。

田代  そうですよ。トウ小平は「田中角栄は井戸を掘った古い友人だ」と言っています。自己人が一番の親友だとすると、知り合いは「朋友 ポンヨー」です。「老朋友 ラオポンヨー」が日本でいう友人ですね。中国の人たちからすると、田中角栄はかなり高い水準の友人なわけです。

運営者 それは、私は全く理解していませんでした。

 しかしそうした同心円上の対人関係把握は、中華思想的なものにつながるような感じがしますね。

 いや、質問を変えましょう。中華思想というものをどのように理解すればよいでしょうか。

田代  中華思想というのは、ある意味で悪口であって、中国人はあまりそういう言い方はしません。あれは日本語として、中国人の傲慢ともいえる世界観の、いわく言いがたいところを指してるんです。

運営者 日本ではそういう意味になってるんですね。

田代  中華思想があるとすれば、「中国人は無条件に正しい。なぜか、それは中華だから。世界最高の文明人であるから、野蛮人よりも正しい」ということでしょう。

運営者 とっても傲慢じゃないですか。

田代  でもそれは彼らからすれば、古代からの文明が今に生き長らえている国は、中国のほかにどこにあるのかということです。「ピラミッドは素晴らしい。インダスも、メソポタミアもそうだ。しかし今はそれらの文明をつくった国はもうない。あるのは廃墟だけ。しかし中国は違う。北京を見よ。上海を見よ」ということです。

運営者 それは確かにそうです。別に何の文句もありません。


中国の歴史、それは「創造的破壊」


田代  でもこれは壮大な幻想なんです。というのは、古代の文明をつくった人たちと今の中国人とはあまり強い関係があるとは思えないからです。

 なぜかといえば、唐の時代まで中国の人たちは床に座っていました。今の日本や韓国と一緒です。ところが唐の時代になって、今の椅子ベッド文明に移行しました。それは唐の王朝をつくった人たちがトルコ系だからなんです。西方異民族の習俗が入ってきたんですね。

運営者 はー。唐の時代は国際的な交流があったと認識していますが、そもそも成り立ちがそういう国であったということなんですね。

田代  胡瓜には「胡」という字が入っていますね。キュウリはサマルカンドから入ってきたんです。ピーマンもそうです。14世紀にサマルカンドにチムールという天才的な軍人が出現して、ジンギスカンの末裔を名乗って大暴れしてチムール朝を建国します。その時に入ってきたのがピーマンです。キュウリやピーマンは、もともと中国にはなかったものなんですが、今では中国の料理に欠かせない食材です。

 それからかなりの野菜はインドから来ています。日本でわれわれが食べている野菜の半分以上は、インドから中国経由で日本に入ってきたものだと考えてよいでしょう。その典型は、さといもです。よくさといもを食べて、「うーん、縄文の味がする」などと言っていますが、それは壮大なロマンティックな勘違いです(笑)。

運営者 なるほどー。

田代  ですから中国ははるか昔から、外国のいろいろなものを取り入れるということを普通にやっているんです。そう考えると、改革開放政策によって中国が一変したというのも当たり前のことです。

 その前の毛沢東は徹底したしたスターリン・システムを導入したわけですから。

運営者 外国からの新しい文化を取り入れるということは、普通だったわけですね。

 ただそのスターリニズムの過程で、大躍進があり文化大革命があり、その都度数千万人の人が死んでいるわけですが、そういう社会変動に対しては中国人は強いということでしょうか。

田代  中国の歴史を一言でいえば、それは「創造的破壊」ですよ。

 例えば中国の人を、京都に招待し、きちんと説明してあげると、とても感動されます。なぜなら、中国に京都のような古い建物は、残っていないからです。中国にある建物は、古くてもせいぜい明代のものでしょう。京都や奈良のように1000年以上残っている建物は一つもないですよ。万里の長城だって、残っているのは明の時代に作られたもので、秦の始皇帝が作ったものはもっと北の方にあってほぼ風化してしまっています。それを遺跡として発掘しているくらいですから。

 というのも、中国では、政権が代わるたびに、旧政権が作った王宮をすべて破壊し尽くし、まったく新しい都をつくってしまうからです。

 日本は、もったいないから旧政権が作ったものも大切に使っています。秀吉の聚楽第だって、解体されて西本願寺に移築されているわけです。しかし、中国人はそんなケチなことはしません。易姓革命の度に、都のすべてが紅蓮の炎に包まれてしまいます。

運営者 そうですね。


文革の2年後に改革開放に走る大転換もアリ


田代  ですから、中国を中国たらしめているシステムは残っても、そのシステムに盛り込むコンテンツ(内容物)は次々と変わります。それに中国人は何の躊躇もありません。

 だから10年間、国家機構まで廃絶させた文化大革命が終わってわずか2年後に、国家の根本方針を180度変えて、改革開放路線に突っ走ることができるんです。

 そういう大転換も、中国では極めて簡単です。しかし日本では滅茶苦茶難しいですよ。

運営者 だって、憲法すら変えられないんですから。

田代  そう。今の中国の憲法なんて、5年おきの共産党大会のたびに変えてるんです。

運営者 法隆寺が1400年残るのであれば、日本国憲法も、1400年残るということですね。

田代  だから中国は唐の時代に床に座る生活から、椅子ベッド生活に移行し、清の時代には弁髪をたらしているわけです。

 チャイナドレスは満州族の貴族の女性の服で、なぜスリットが入っているかというと乗馬するためなんですね。

運営者 もともとは乗馬服なんですね。

田代  それが中国の一般女性の服に広がったわけです。日本で例えて言うと、チマチョゴリを日本女性が和服の代わりに着ているようなものですよ。それについても彼らは何のこだわりもありません。

運営者 ということは、「中国四千年」とかいって古い国だと威張っているけれど、別に古い国であるというわけではないんですね。

田代  基本システムは古くても、コンテンツ(内容物)は古くありません。いつでもニューです。

 それから中国と日本の大きな違いを知るには、いま中国で必ず再放送されているドラマが何かを知るとよいですよ。日本のドラマなんですけどね。

運営者 なんですかそれは?

田代  2つあります。ひとつは「サインはV」です。

運営者 へー。

田代  もうひとつは山口百恵さんの「赤いシリーズ」です。どちらも中国語吹き替え版が、今でも再放送され続けています。

運営者 だってずいぶん大昔のドラマですよ。

田代  でも、中国では、みんな感動して視てます。

運営者 いったいどこにそんなに魅力があるんですかね?


なぜ山口百恵は中国人にとっての美の基準なのか


田代  「サインはV」はよくわからないんですが、赤いシリーズはよくわかります。

 特にあのドラマは、中国人を理解するにはとても大事です。コン・リーって、「さらば、わが愛/覇王別姫」とか「紅いコーリャン」に出ている、中国を代表する国際女優がいますよね。カンヌ映画祭の審査員までやってます。

運営者 すごいなそれは。カンヌ映画祭の見識を疑いますが。

田代  あの大女優がテレビで話していたのですが、「なぜあなたは女優になったのか」と聞かれて、「小さいときから、どの村人からも「お前は山口百恵にそっくりだ」と言われたので、自分は美しいのだとわかり女優になりました」と答えていました。つまり中国人にとって、「山口百恵=女性美の基準」なんです。
 今、日本人はどうですか。山口百恵さんのこと覚えてますか?

運営者 若い人は全く知らないでしょうね。

田代  私も「赤いシリーズ」は見たような見ていないような、という感じなのですが。

運営者 だって、全部同じなんだもん。

田代  そうですね。中国での吹き替え版には、精密なスーパー・インポーズで中国語のセリフが入ります。どう訳しているのかがおもしろくって、ずっと見ていて、どんなドラマか分かりました。

 おっしゃるとおり、全部ストーリーは同じです。とても可憐な美少女がいました。だけど不幸な事故で不治の病にかかります。毎週次第に病状が進行し、最終回で亡くなります。ああ悲しい。

 ところで、岡本さん、最終回の臨終の場面、覚えてますか?

運営者 いやー、とても。というか、恐らく見たことはないと思います。

田代  わたしは中国語吹き替え版で見たばかりなので印象が鮮明です。最終回に、臨終の床で山口百恵さん扮する主人公の美少女は、宇津井健さん扮するお父さんの手に手を伸ばして、「お父さんありがとう、自分の仕事も投げ打って、こんなに献身的に看病してくれて」と言います。

 そして、次に、三浦友和さん扮する恋人になんて言うか。そこで彼女は恋人の手を取らないんです。じっと恋人を見て、「いい人を見つけてね」と言い残して、彼女は自分の運命を受け容れて死んでいくんです。

運営者 とっても日本的じゃないですか。

田代  それを見て中国人の男たちは、みんな泣いてしまいます。

運営者 不思議ですなあ。そんなに感動するのか。日本的な情緒が分かってるじゃないですか。

田代  中国の男たちにすれば、「これが感動せずにおられようか」と思うものがあるんですよ。

 中国の男たちが異口同音に言うのですが、中国人の女性が山口百恵さん扮する主人公の立場なら、「なぜこんなに若く美しい私が病み果て死んでいくのに、周りの俗人どもは、のうのうとのさばって生きていくのか」と思って、天を呪い、地を呪い、親を呪い、最後に恋人の手に爪を立て、ぎりぎりと皮膚を引き裂きながら、「私が死んだ後、どんな女でも1秒以上見つめたら、あなたはその目から腐りはてていくんだよ」と言いながら死んでいくに違いない。絶対にそうだと。

 それに比べて、山口百恵はあんなに美しく可憐なのに、恋人に「いい人を見つけてね」と言って死んでいく。これは泣かせるなあと言って、泣いているわけです。

運営者 なんとも言葉もない話ですが・・・。


中国の家庭内において女性は圧倒的に強い


田代  それに比べて、山口百恵はあんなに美しいのに、「いい人を見つけて」と言って死んでいく。これは泣かせるなあと言って泣いているわけです。

運営者 なんとも言葉もない話ですが。ただ、中国の女性がそうであろうということは、今日これまで田代さんのお話をうかがってきたから、おそらくそうであろうなあと納得できるのですが、もしいきなりそのお話を伺ったら、いくら中国人でもそんな根性悪な女はそんなにいないだろうと思うのが、普通の日本人の感覚ですよ。

田代  中国の男たちは、ものすごい恐妻家なんです。中国の家庭で、女性は本当に圧倒的に強いです。

運営者 基本的には、共働きであるということはあるんですよね。

田代  それとは関係なく、無条件に強いです。専業主婦でも強いですよ。だから、中国の男性は家の中では大変な緊張状態を強いられています。中国の新聞を読んでいると、「いくらなんでもこれはやり過ぎだろう」という事件が載っていたりしますね。

運営者 たとえば、どんなんです?

田代  夫婦で家で酒を飲んでいて、夫の方が酒に弱く、先にベッドに行って寝ちゃったんですよ。それで妻が「足も洗わずにベッドに入って寝た」と怒って、起こそうとしたのですが夫はいびきをかいて寝ている。それで妻は毛布に火をつけたのですが、毛布が化繊だったのであっと言う間に火が回り、夫は焼け死んでしまいました。それどころか近所にも延焼して大騒ぎになりました。

 それで中国共産党の偉い人が、「これはいくらなんでもやりすぎ。せいぜいバケツの水をかけるとか、ほうきでひっぱたくくらいにすべき」とかコメントします。

運営者 そんなことが共産党で議論されたのですか。

田代  党は、軍隊から国家そして経済から夫婦生活まで、何でも指導します。だから党員が7000万人以上もいて、企業の管理職や専門職は大半が党員なのです。

 ともあれ、中国の会社では、「昨晩、奥さんを怒らせてしまい、ベッドのそばで長い時間ひざまずかされたので、どうも膝(ひざ)の具合いが良くないです」と言って、膝をさすっている男はよくいますよ。

運営者 アメリカ女性もひどいとは聞きますが、それ以上ですね。

田代  あんなもんじゃないですよ。中国では、恋人であっても、何年間連れ添った古女房であっても、手を握るのもキスをするのも、すべて女性の許可をもらってからのことです。それを、酔っぱらって帰ってきて女性の承諾もとらずに抱きつこうものなら、中華鍋で頭を殴られる可能性は大です。

 そのくらい中国の男たちは家庭では緊張しているので、会社にやってくると実にくつろいだ晴れ晴れとした表情で、「ああ、ようやく、一息ついた」とお茶を飲み、しばらくしてから「あっ、仕事しなくちゃ」といって仕事にかかるんです(笑)。

中国女性は「お前が一番よい女だ」では納得しない


運営者 うーん、どう理解すればよいのかわからないお話なのですが、そういう文化なんだろうなあということが一つと、何でそんなに女性が強いんですか?という疑問が浮かんできますよね。

田代  その点は謎なのですが、偶然の産物なのかなと思うんです。中国で、いろんな偶然の過程を経て、女性が徹底的に強いという文化が形成されてきたんだろうと思います。

 だから中国の北京大学や精華大学といった一流大学の男子学生の夢は、欧米の金融機関の中国支店に勤めて高給をもらい、豪華マンションに住んで、超一流の腕前の料理人を雇い、ディナーのテーブルの向かい側に座っている女性は、日本人の山口百恵さんにそっくりの女性・・・というのが理想なんだそうです。

運営者 かなり歪んでると思いますよ(笑)。

田代  一番重要なのは、その理想の一番最後の項目ですよ。

 日本の男性は浮気が奥さんや婚約者にばれた時に、「やっぱり、お前が一番いい女だ」と言うのが一番ですね。これで何とかなるかもしれません。

 しかし、同じシテュエイションで、中国の女性に「お前が一番いい女だ」なんて言おうものなら、火に油を注ぐ結果になってしまいます。

 「一番だ」というのは、他と比較した上で一番なわけですよね。

運営者 そうです。

田代  中国の女性は、他の女性と比較されること自体が、そもそも許せないんです。

運営者 絶対的な存在でなければならないということですね。

田代  だから中国の歌謡曲によく出てくるワンパターンのフレーズは、

 [イ尓]是我的一切

 つまり、「あなたは私の一切」。これです。これしかありません。こう言わないと、中華鍋でぶん殴られてしまうリスクが高まります(笑)。

 だから中華思想というのは、「中国は世界のどの民族よりも素晴らしい」ということではないのです。「無条件に中国は素晴らしい」というのが、中華思想の根本なのです。

運営者 なるほど、とってもよく理解できました。
 ただ、ぼくは中国の女性と付き合う自信もないし、中国自体と付き合う自信もだんだんなくなってきましたが・・・。

「中国」は中国共産党の子会社にすぎない

運営者 その次に、中国人のことはちょっとよくわかりすぎたので(笑)、この辺で置いておいて、その次に中国の政体について教えてほしいです。中国はひとつの国家として考えるべきなのか、政府の中心にある軍などのプレーヤーについても同等に見ておかなければならないのか。どう考えておけばよいのでしょうか。

田代  中国には、日本でいう意味での政府はありません。

 「政府」という言葉はあります。でも、それは、日本語の役所とか役場という意味です。例えば中国人がたくさん住んでいる東京都の豊島区豊島区役所に行くと、入り口に中国語で「豊島区政府」と掲示してあります。

運営者 そうですか、なるほどー。上海政府とか、そういう感じですね。

田代  上海人民政府は、「上海市にある中国共産党が作った役場」という意味なんです。

運営者 国家がないと困りませんか。

田代  困らないでしょうね。中国には、近代政治学で言うところの国家の概念はないんですから。

運営者 中国には国家がないと考えなければならないですか。

田代  中国には国家がないと考えたほうが、中国はわかりやすいです。

 中国を会社にたとえると、こうなります。

 まず、中国共産党という持ち株会社があります。その100%子会社が2つあって、ひとつは中華人民共和国。もうひとつは人民解放軍です。

 ただし人民解放軍のほうが先にできたので、中華人民共和国よりも格上の子会社です。

運営者 そういう認識が、中国の理解としては便利なんですね。

田代  はい。中国共産党というのは、従業員数7300万人を誇る大会社なんです。その下に最初に作った子会社が人民解放軍です。その後に中華人民共和国を作りました。どちらの中にも共産党員だけのグループが形成されています。これを党組織、党委員会といいます。

 この党組織、党委員会が実際のマネジメントをおこないます。党組織、党委員会の責任者のことを「書記」といいます。中国で「書記」は実権をもつ責任者という意味です。というのも、昔の中国では字が書けるだけで実権をもつ責任者になれたんです。清の時代には字が書ければ、人を殺しても罪に問われなかった。そのくらい漢字の体系を使いこなす人材を育成するのは難しいのです。

 7000万人を超える中国共産党員のうち、5000万人くらいは会社に入っています。それ以外の人たちは人民解放軍と国家機関に所属しています。会社の中では、まず董事長つまり会長がいて、総経理つまり社長がいます。しかし、それとは別のポストとして、その会社の党組織あるいは党委員会の書記がいるわけです。書記と董事長ないし総経理とが同一人物のこともあるし違うこともありますが、違う場合には書記が文句なく本当に実権をもつ責任者なんです。

運営者 はい。

共産党支配は、外部には隠されている

田代  中国で「負責人」つまり責任者とは書記のことです。外交部や財政部といった省庁においても、その中に党委員会、党組織の書記がいます。部長つまり大臣と書記とのどちらが偉いかといえば、無条件に絶対に書記の方が偉いんです。中国の国家機関、軍隊、病院などありとあらゆる社会団体の中に党組織、党員会があって、その書記が本当の責任者なんです。

 そして中国の中にたくさんいる書記の頂点に立っているのが総書記です。

運営者 それはおぼろげながら知ってはいるんですけれど、その仕組みって機能するもんなんでしょうか。なんか屋上屋もいいところで、リーダーが多いだけで、ほんとに合理的な、つまり競争力がある仕組みなのかなという感じがするんですけれど。

田代  この仕組みがちゃんと機能しているかどうかが分かるのは、やる気になれば何でもできるということです。

 たとえば北京オリンピックの開会式。あれほど一見ルーズに見える中国人たちが、秒刻みの式典を何時間にもわたって破綻することなく実行できたんですから。

運営者 どうせどこかでとちるだろうとタカをくくっていたら、とちらなかったですね。

 しかし、最近あまり顕在化していないですけれど国営企業の問題とか、中国の組織はいろいろと問題を抱えていると思いますが、いま田代さんがおっしゃったマネジメントシステムで何とかやっていけるもんなんでしょうか。

田代  中国でマネジメントというのは、この仕方しかないんですよ。

 うんと親しくなった中国人に、「中国の人にとって中国共産党って何?」と尋ねると、「常に正しく、決して誤ることのないもの」と答えてくれます。彼らにとって、中国共産党こそが、新中国をつくり、新中国を運営し、新中国の将来を設計し、未来に向かって人民を指導するという存在なんです。

運営者 それはまさに神ということであって、結構なんですけれど、現実と乖離しているのではないのかと僕なんかには思えるんですけれどね。

田代  いえ、今の認識は、中国の人たちは、なかなか外国人には見せたがりません。

 中国の公司つまり会社の経営者は、適当に挨拶するだけの外国人には、肩書きが「○△公司董事長」とか「○△公司総経理」と書いてある名刺を渡しますが、本当にビジネスをしようと思う外国人には、「○○公司党委書記」という本当のポストが書かれてある名詞をくれます。「党委」とは党委員会で、本当の経営陣のことです。

運営者 なんか仮面をかぶっているような気がしますけど。彼らの意識の中では、共産党はかなり大きいわけですか。

田代  大きいなんてものではありません。すべてですよ。天よりも地よりも親よりも大切なんです。

「出世すること」と党員になることは同義


運営者 そうした意識がある限りは、北京政府は大丈夫かもしれませんね。

田代  北京人民政府は北京にある地元役場です。それはいつ改廃されるかわかりません。しかし、誰もが「胡錦濤同士を総書記とする中国共産党中央委員会を信じている」と宣言します。

 ただし、中国共産党は選挙で選ばれたわけではありませんから、つねに公約した以上の実績を示さなければなりません。その結果が20年以上続く高度成長です。

運営者 一党独裁ですからね。

田代  あれはあえて近代政治の用語を使えば、一党独裁ではなくて、一党支配です。

 独裁というのは、まだ競合する相手があることを示しています。でも中国の場合は、先ほど来お話しているように、競合関係を許しません。ですから中国共産党にも、競合的な政党は存在しないんです。中国共産党は、中国をマネイジする唯一の政党なんです。

 たとえば、中国の家庭ドラマで、頑張っているお父さんが、会社の廊下を歩いていると、幹部から「君ちょっと」と呼ばれ、「そろそろ人民のために奉仕しないか」と言われます。

運営者 「共産党に入らないか」ということですね。

田代  党員というのは、なりたくてなれるわけではないんです。仕事を頑張り成果を出しているうちに、入党のお誘いがくるんです。日本でいえば、「君そろそろ部長になるのはどうかい」という感じで。

運営者 役員への道が開かれるということですね。

田代  つまり、出世するということと党員になるというのは同義語なんです。

運営者 僕は、その辺のことは山崎豊子の「大地の子」を読んで知ったのですが、あの舞台は1970-80年代の話ですよ。だからその当時はそうだったのだろうけれど、さすがに21世紀の今は変わったのではないのかと勝手に想像していたのですが、そんなことはないんですか。

田代  変わってませんね。入党を奨められたが断ったことを自慢する知識人がいるくらいですから。

運営者 それは驚きです。中国は恐ろしいほどの変化を遂げているのに、その部分だけは変わっていないんですね。

田代  ますます拡張しています。その証拠に、党員数は7000万を超えたわけですから。これは中国人の13人に1人が共産党員であるということです。大人の7-8人に1人ですから、管理職の人口にあたるわけです。

 もっと言うと、中国で党員というのは、もちろん偉い人のボンボンは入っていますが、それはごくわずかで、管理職か高級技術者のことを指す訳です。それが共産党員です。党員になるということはそういうポストにつくということです。

 雑誌の世界でいえば、編集長は党員です。

共産党は「 人間が作ったモノ」だから信じられる


運営者 党員以外の人が編集長になるということはないわけですね

田代  中国では法律で、メディア会社の社長は共産党員であることが義務づけられています。したがって、彼らは法律以前に、共産党の規律に従わなければなりません。

運営者 それはわかりやすい。

田代  ですから、共産党の意向に沿わない記事が中国で出てきたらびっくりなんです。それは手違いかミスか、あるいは、戦略的なリークですよね。

運営者 たまにそういうのが出て話題になりますが、それはあくまでも手違いか戦略的リークなんですね。

 ということは、改革開放政策を押し進めて、とっても赤い資本主義になっているように思うけれど、根っこのところはしっかり共産党が押さえているということなんですね。

田代  例えばドバイでどんなに超高層ビルが建っても、イスラムの世界であることには変わりはないわけです。

運営者 それと同じわけですね

田代  アラブではアラーの神が地上に降り立ち、中国では中国共産党が降臨したのだと考えればいいわけです。ただし、アラーは人間を超越した絶対神ですが、中国共産党はあくまでも人間が作ったものなのです。 中国人にとって世の中のすべては人間が作ったものなんです。だから、中国人は人間の手が入っていないものには何の関心もありませんから。

 日本人はサンゴ礁を見て「わー。、すごいなあ」と喜ぶじゃないですか。

運営者 ええ。

田代  中国人はサンゴ礁を見て、「あれはだれが作ったものですか」と聞くので「海中の虫です」と答えると、中国人は「ああそう」と言って寝てしまいますよね。壮麗な夜明けや夕焼けを見ても、まったく面白くありません。

 だから中国では、「これは素晴らしい景色だ」と詠んだ杜甫や李白の詩が岩に巨大な文字で彫り込んあったります。ああして初めて、自然の光景が価値あるものになるんですね。

運営者 「赤壁賦」を読んだ蘇軾の字で「赤壁」と岩に大きく彫り込んでますもんね。場所が全然違うんですけれど。

田代  そうでなければ意味がないんです。「赤壁」と高名な詩人が書いているからこそ意味があるんです。

 中国の詩人は日本よりも欧米よりも高い社会的地位を得ています。李白や杜甫は新しい価値の創造者なのです。杜甫や李白が詩に詠んだ景色からこそ素晴らしいのであって、虫が作ったサンゴ礁は全く無価値なんです。

運営者 僕はああいうふうに岩に彫るのは美観を損ねると思っているんですけれど、中国人はそうは考えないわけですね。

田代  ああしてこそ初めて美になるんです。

漢字…個人の好みが入ってはならない世界


田代  故宮博物館の素晴らしい水墨画も、皇帝が画讃を書き、大きな御璽を押してますよね。ああされたからこそ、超一級の芸術品になっているんです。

運営者 ぼくはまたそこがどうしても理解できないんです。

 ある程度案配を考えて讃を書いたり、落款を押したりしているのは分かるんですけれど、うるさくなっているだけじゃないかと思うんですよね。だけど中国では、乾隆帝の讃があると価値が上がるんだそうですね。

田代  中国では芸術家もすべて、国家一級音楽士、国家二級音楽士・・・と格付けがついています。そして国家一級だから、金を払ってでも聞きに行くんです。

運営者 分かりやすい権威主義だな。

田代  ですから中国ではなかなか市民社会は成立しないんです。

運営者 僕なんかは、中国が本当に市民社会になったら怖いなと思ってるんですけどね。

田代  そういう条件は非常に揃いにくいということが分かりやすいのは、アメリカ人にアルファベットを書かせると、メチャクチャわかりにくい字を書くじゃないですか。それは習字という習慣がないからです。中国人はどんな人でも、極端に言えば乞食でも立派な漢字を書きますよ。

 つまり漢字をきちんと書くことに象徴されるように、中国では個人の好みが入ってはならないんです。

 たとえば犬という漢字を書く時に、尻尾を大きくしたした方がよいということではだめなんです。中国はそのように、上からがっちり枠を決めなければみんなが困ってしまう社会なんです。

 秦の始皇帝の焚書坑儒は、日本では完全に誤解されています。「焚書」は、漢字のフォント統一をしたということなんです。それ以前には同じ漢字でもいろいろなフォントがあったのを、「これが正しい統一フォントである」と始皇帝は決定して、異字体を使った文書を全部焼いたというのです。「坑儒」は、それに反対する学者を、地下牢に入れて妨害活動を封じたということです。

 それをあとから儒者たちが、自分たちの価値を上げるために、始皇帝は虐殺を行ったというホラを吹いたということですよ。

運営者 まあ、中国人がホラを吹くのは当たり前だし。ましてや儒学者というのは一番ひねくれた連中ですからね。

田代  それもね、中国人の場合は、さっきから言っているように暗示しているだけなんです。「暗示をどう受け取るのかはあなた次第」ということですから。

運営者 それが白髪三千丈になるわけですね。まあそういう文化だということです。善い悪いは別として。

メンツを気にするから「割り勘」にしない


田代  その中国は、今や世界の誰もがビジネスにしても政治にしても外せない国になってきています。

運営者 そうなってきていますね。

田代  もっと言うならば、日本の方が外されてきていると思ったほうがよいでしょう。

運営者 そうですね。

田代  例えば2008年にハーバード大学の大学院に入学した日本人はたった7人だそうですよ。

運営者 えっ、そんなに少ないんですか。

田代  その一人に聞いてみたら、中国人の入学者は100人以上いるかもしれないというんですね。つまりアメリカの知恵袋である超一流大学から、「もう日本人はいらない」と判断されてしまったということですよ。

 たった7人の日本人留学生の一人も、お父さんがハーバードで学位を取っているのです。そういうコネがなければ、アメリカの超一流大学は、「日本人よりも中国人を優先的に入学させる」と判断しているのです。アメリカの大学だって、20年後、30年後の自分たちの繁栄を考えていますからね。

運営者 もちろん、アメリカの大学は、まず自分たちの経営を考えていますから。

田代  そうすると、人口が減って今でさえ存在感のない日本よりは、中国の方が有望という考え方は当然理解できますよ。

  それから、中国人は自分の「人間力」をすごく気にしていますよ。

運営者 それは意外です。自己中心的な人間は、そういうことは気にしないもんなんですが。

田代  中国人は自己中心的であると同時に面子(メンツ)を大切にするからです。

 たとえば、中国人は決して割り勘はしません。たとえそれが何十人の大宴会であろうが、一人が払うんです。

運営者 それはどういうことですか、一体。払うのはだれなんですか、どういう立場の人なんですか?

田代  それは、これまでの経緯から決まるわけですけれど、基本的にはその場で決まります。大事なことは、自分が払うと決まったら、絶対に文句を言わない。「割り勘にしたい」なんて言ったら、中国人は「ああ、この人は自分との会食はこれで最後にしたいんだな」と受け取ります。それで関係は終わりです。

 割り勘をしないということは、おごられた側がおごった側に借りをつくることになります。それは「次はあなたが払ってくださいね」、「次は私が払いましょう」ということで、関係の継続を意味します。

運営者 その気持ちは日本人も判る感覚です。

中国人は効率性をあまり考えない


運営者 だから田代さんの今までのお話を伺っていると、日本人が理解できることと理解できないお話が混ざっていて、しかも理解できる話でも、日本人と同じ感覚である部分と、恐らく日本人と違う感覚で成り立っているんだろうなという部分があると思います。その区別がつかないなという気がしますよね。

 さっきの「割り勘にしない」というのは、日本の体育会系的な社会では、「先輩が後輩の分を払う」ということで決まっているわけですが、今の話を聞くと、目上の者が目下の者の分を払うということでもないようですね。

田代  そうですね。たとえば、日本では結婚披露宴は一回だけですよね。

運営者 そうですよ。

田代  ところが中国では、原則として、披露宴は2回あります。金持ちの家どうしの結婚なら、大抵そうです。

 まず新婦のお父さん主催の披露宴が行われます。日本の披露宴との違いは、司会者もいなければスピーチもありません。ただ食べるだけです。日本のように会費を取るなどというケチなことは言いません。全額、新婦のお父さんが持ちます。レストランの外には巨大なメニューが張り出してあって、一品ごとにいくらなのかが明記され、総額がいくらかも書かれてあります。「どうだ貧乏人ども、指をくわえて見てろ」という感じです。

 翌週の日曜日、ほぼ同じ顔ぶれを集めて、新郎のお父さん主催の披露宴が開かれます。もちろん、全額が、新郎のお父さん持ちです。

 そういうわけで中国の結婚式の披露宴は2回開かれます。日本のように披露宴の費用を両家で折半するなどということは絶対にありません。新婦のお父さんが披露宴をやった後に、新郎のお父さんが前回を上回る規模の披露宴を行い、それぞれ費用を全額持つわけです。

運営者 それは、文化人類学的な話ですが、カナダのアルゴンキン・インディアンの部族間で行われる、ポトラッチと言われる破滅的な互酬的贈与に近い話だと思うんです。

 一方の部族が全財産を他方の部族にあげてしまうんですね。そうすると次に、それをされた部族は、お返しとばかりにそれを上回る規模の贈与を行うんです。そういう時期をずらした原始的な交換として類型化されるような話です。貶めて言っているわけではなくて、パターンとしてそういう感じがします。

田代  中国人は日本語の「もったいない」という言葉の意味が分かりません。「もったいない」と言うのは、「私はケチです」とか「私は貧乏です」と言ってるように聞こえるようですね。

運営者 でも「もったいない」の精神を理解していただけないと、「やっぱり中国人は地球環境破壊の急先鋒じゃないのか」という感じもするんですけれど。

田代  それはまあ、あるかもしれません。というのも、中国人は日本人のように効率性ということをあまり考えないからです。だって効率性というのは抽象概念じゃないですか。

株式投資すべき銘柄は党が指導してくれる


田代  それはまあ、あるかもしれません。というのも、中国人は日本人のように効率性ということをあまり考えないからです。だって効率性というのは抽象概念じゃないですか。

 例えば株式投資でも、PERとかPBRは全く気にしないようです。むしろ中国共産党の金融部門の人たちは、PERとかPBRを人民に教えようとするんだけど、人民は聞く耳がないみたいです。

運営者 そしたら、中国人は何を基準にして株式投資してるんでしょうか?

田代  安ければ買う、高くなったら売るということです。

 例えば中国では、日本で言うところの整理ポスト株に入れられて値下がりした赤字企業の株式に買いが殺到するんです。その結果として、赤字企業の銘柄が生き返ってしまいます。共産党の金融担当の幹部の人が、「何のために株式市場があるのか。それは企業を淘汰するためである。ところが中国では悪い企業ほど株に買いが集まる」と嘆いています。

 だから、中国の上場企業の経営者の中には、証券取引所の責任者に「うちの会社を整理ポストに入れてくれ。そしたらカネが集まるから」と頼んだりするそうです。日本だと、ありえませんよね。

運営者 うわー、すごいなあ。

田代  整理ポストに入ったら中国では「しめしめ」ということなんです。だからアメリカの大学に留学して経済学博士号をとっているような共産党の若手幹部は2007年の段階で、「中国はこれではいけない。株価は高すぎる。赤字企業は値幅制限いっぱいまで値段を下げさせてやる」といって、共産党主導で赤字企業の淘汰を進めたんです。

 一方で人民には、「もっと立派なブルーチップ(優良株)を買いなさい」と進めるわけです。「ブルーチップの定義は何か」と尋ねたら、「それは党が指導する」ということです。

運営者 なるほど、恐れ入りました。いいじゃないですか、赤い資本主義なんだから。

田代  だから、善い悪いではなくて、中国は党の指導でみんなが行動しているのですね。

運営者 そこが特異な点ですね。

田代  重要なのは、日本だと権力には自ずと権威が伴います。ところが中国では、そんなことが一切ありません。どんなに権力を持っても、中国人は権威を認めません。なぜかというと、みんな家に帰れば、奥さんにはいつくばっているわけですから

運営者 その点には、ちょっと同情しますね。

田代  ですから会社で書記が威張って訓辞しても、誰も聞いてないわけです。

運営者 心の中ではそうなんですか。

「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」


田代  だって家に帰ったら、妻に媚びまくっているわけでしょう。

 中国の朝は、夫が朝ご飯を作ってから妻を起こすんですよ。中国の会社は午後5時になったら男は誰もいません。だって4時45分になったらみんながスタンバイして、5時の終業のサイレンが鳴った時点で会社や工場を出てスーパーに走っています。そして食材を買って6時までに家に帰り、夕飯を作っていると妻が帰ってきます。帰ってきた妻は、「ご飯、何時?」と聞きます。

 みんな、そうやって暮らしているわけですから、いくら書記が威張って演説していても、4時半になったら「あのう、そろそろ書記も夕食の準備をしなくて大丈夫ですか」と、みんなが心配しはじめる・・・。

運営者 マンガじゃないんですから(笑)。

田代  そういうことがあるので、権力と権威がくっつかないんです。そこで中国では、権力が権威を保つために、派手なパフォーマンスが必要なんです。オリンピックとか、宇宙開発とか。

運営者 ホントなんですか、それ?

田代  中国のニュースでは、胡錦涛総書記や温家宝首相が、炭鉱の落盤現場や洪水の現場に行って、総書記や総理が自ら救助活動の陣頭指揮をとる光景が、せっせと報じられます。

 アナウンサーは、総書記や総理が「こういう事故は二度とあってはならない」という指示を全国に伝えたと述べ、最後に厳かに、「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」と述べてニュースを終えます。そういうふうにして、中国では毎日「水戸黄門」をやってるんです。

 だから、みんな日本の政治家と違って、中国の書記は本当に忙しい。

運営者 温家宝も地震の時には現地に行ってうろうろしてましたからね。

田代  前総理の朱鎔基はもっと派手でしたよ。堤防が決壊し洪水が起きている現地に飛んで、視察するわけです。そうすると堤防が手抜き工事で鉄筋が入っていないということがわかります。そうするとドシャブリの雨の中で、朱鎔基総理が、「こんなオカラのような堤防を作ったやつを俺は許さない」と怒りをぶちまけ、兵隊に棺桶をもってこさせます。そして、現場の責任者に対して、「こんないい加減な堤防を作ったやつをしょっ引いて、この棺桶に入れろ。できないなら、お前が棺桶に入れ。それも嫌だったら、おれを殺して棺桶に入れろ。さあどれを選ぶ」と言います。

 現場の責任者が「命がけで党と人民のために働きます」と言うと、朱鎔基は「好」(ハオ、「よし」)と言い、自らバケツを握りしめ、逆巻く濁流の中に入っていこうとするんです。そうすると、閣僚や兵士たちが「私たちがやります」と言って、朱鎔基を押しとどめ、解放軍兵士による壮大なバケツ・リレーが始まるわけです。

 こうした光景を含むニュースを全国放送するわけですが、その最後にくるアナウンスは、「今日も中国共産党はおおいに権威を高めました」なのです。

運営者 そういうの、大慶の油田の記録映画で見た事ありますね。
 しかしまったく不思議なのは、人類で最も現実主義的な中国の皆さんが、そのニュースを見ていたとして、本当に「党の権威が高まったな」と感じるとは思えないのですが。

田代  それくらいで党の権威は上がらないですよ。だから宇宙ロケットを打ち上げなければならないんです。

権力・地位・メンツが大切


田代  簡単には党の権威は上がらないですよ。だから宇宙ロケットを打ち上げなければならないんです。

運営者 彼らにとっては、党の権威を高めるということは国家存続のためにどうしても必要なことなんですね。

田代  いや、共産党にとって国家というのは、自分たちの目的を達成するためのヴィークル(手段)の一つにすぎないないんです。国家は軍と並ぶ党の子会社なんですから、あくまで共産党が中国の主体なんです。

 だから中国の子供たちが学校で歌わされるのは、「共産党がなければ新しい中国はない」という歌なんです。

運営者 とっても楽しそうな歌ですね(笑)。

田代  これを幼稚園児たちが手をつないで、歩きながら歌っているんです。とてもかわいらしいですよ。

運営者 子供の時から歌わせれば、それなりの洗脳効果がありますよね。

田代  全然ないんですよ。

運営者 えっ、そうなんですか。

田代  洗脳できるのは、抽象的な概念、ふやふやしたあいまいなものが好きな人だけですよ。だから日本人はすぐに洗脳されるんです。

運営者 ということは、現実主義の塊のような中国人は洗脳できないということか。カネで釣るしかないのかな。

田代  ただ、中国の人たちは現実主義者なんだけれど、お金が欲しいというというわけではなくて、むしろ地位がほしいんです。

 地位を守るためには、さっき言ったようにたとえ100人の宴会であっても全額自分が払うようなことをするんです。そのためのお金が欲しいわけです。メンツを守るためですね。

運営者 メンツというのは、地位と同じようなものなのでしょうか。

田代  いえ、ちょっと違いますね。

運営者 では、中国人にとってなぜ地位が重要なのでしょうか。

田代  中国人は、日本人とは違って、「無位無冠だけれどあの人は立派な人だ」と言って人を認めるようなことは絶対にしないからです。

 具体的にその人がどれだけの権力を持っているかが問題なんです。中国では「権力、権限、権利」はすべて同じ言葉です。「権力」で表現される同義語なんです。

 ですから旦那が家に帰ってきたら、奥さんが勝手に新しいソファーを買っていたとしても、「なぜこんなもの買ったんだ?」と言おうものなら、奥さんに「家の中のことは私の権力よ」と言われてしまい、ベッドの側に一晩中ひざまずかされたり、テラスに押し出されてしまうんです。

 中国では、権力が大きければ大きいほど、立派な人だとみなされるんです。

部長なら、部内のパソコンを家に持って帰ってもよい


田代  それでその権力が大きければ大きいほど、立派な人だとみなされるんです。

運営者 うーん、繋がらない。私にはそういう発想は無理です・・・。

田代  孔子の夢も、帝国宰相になることでした。

運営者 そうですね、孔子はただのひねくれものですからそうだと思うのですが、だけど昔は「竹林の七賢」とかいたわけじゃないですか。

田代  あれが評価されているのは日本だけで、中国ではまったく評価されていません。

運営者 あれーっ、そうなんですか。まいったなあ。

田代  歴史のおつまみですよ。

運営者 日本では大人気なんですけどね。「清廉」といったイメージで。

田代  中国人が言うところの「能力」というのは、自分が勤めている国家機関や軍隊や会社の器物を、どれだけ私物化できるのか、その度合いのことなんです。

 だから中国で妻に「あなた会社で能力あるわよね?」と聞かれた夫が「うん」と答えたら、妻から「じゃあパソコンを一台持って帰ってきて。子供に使わせるから」ということになるわけです。

運営者 業務上横領じゃないですか。

田代  中国じゃそうじゃないんですよ。中国では、部長が、部内のパソコンを持って帰ることは、全く合法なんです。

運営者 全く合法なんですか?

田代  他の部のパソコンを持って帰ったら違法ですよ。窃盗ですから。

運営者 それはそうでしょうけれど・・・。

田代  ということは、社長になればその会社のすべてを私物化してよろしいということになります。

運営者 なるほど。

田代  総書記になれば、中国のすべてを私物化することができるわけです。

運営者 ということになりますね。江沢民と胡錦涛のムチャクチャな暗闘が伝えられていましたが、バックにそういうことがあるのかなと考えれば、まあわからんでもないなという感じもします。

政治がすべての価値の源泉


運営者 所有権の概念が、われわれと根本的に違う感じがしますね。ほんとにジャイアニズムで、強者であれば「ボクのものはボクのもの、君のものもボクのもの」というのが、偉くなれば、権力を握れば通用するという感じがあるわけですね。

田代  その代わり、権力者はチャリティー活動などには熱心に参加します。

運営者 中国で一般的なチャリティーというのはどういうものがあるんですか。

田代  たとえば、乞食に施しをしてやるとか。
 共産党の偉い人たちは、いつもポケットに相当の札束を入れていて、乞食を見たら、路上の缶カンの中に結構まとまったお金をかならず入れていきます。

運営者 あの、共産中国には乞食なんか存在しないのが建て前なんじゃないですか。

田代  オリンピックのおかげで北京からほとんど追い出されてしまいましたが、乞食は存在しますよ。見ていると、ほとんどの人民は無関心ですが、共産党の幹部の人たちは、きちんと施しをしていますよ。

 四川の大地震の時も、寄附金の金額が人民日報に掲載されたじゃないですか。だれがいくら寄付したか。

運営者 そういえば、国別の寄付金額も積み上げて報道されていたというニュースを見ましたが。

田代  ジャッキー・チェンなんかすごかったですよ。大枚をはたいて、ますます人気が上りましたね。

 これは日本とは全く違う感じですね。

運営者 私にはわからない感じなんですが、寄付した金額が大きければ大きいほど、その人は偉いということになるんでしょうか。

田代  そうですね。中国ではそのように、すべからくお金が必要ということです。だからお金が欲しいんだけど、それはお金そのものが欲しいわけではなくて、お金を使うことによってメンツを保つことができるからです。

運営者 そういう動機があってお金を稼ぐことに励むのであれば、まあそれは悪いことではないのでしょう。

田代  日本と中国が徹底的に違う点は、中国では政治がすべての価値の源泉なんです。

運営者 政治というのは、何だと考えればいいでしょうか。

田代  権力を操ることですよ。

国有化の時代のアメリカの金融政策は中国がリードする


田代  権力を操ることですよ。

 例えば「中国四大美女」っているじゃないですか。

運営者 西施、王昭君、楊貴妃、貂嬋ですか。

田代  貂嬋は『三国志演義』に登場するからフィクションなんですけれど、みんな政治がらみじゃないですか。祖国を守るために敵国の王を色仕掛けで籠絡させようと献上された西施のように、政治に絡んでこそ中国では美女の価値があるんです。日本のような純粋美女という発想がありません。

運営者 なるほど、「傾城」なんて言い方にも表れてますね。

田代  さっき申し上げたように、美術品でも皇帝が画讃を寄せたからこそ芸術品になるんです。「純粋の美」というのも、中国にはないんですね。

運営者 故宮博物館に行って、北宋汝窯のコレクションを見ましたが、あれらを乾隆帝が持っていたということは関係なしに、そこに美を見出すことができると思うけどなあ・・・。

田代  政治によってこそ中国では価値があるんですよ。唯一例外は、李白や杜甫といった800年前の大詩人たちです。

運営者 彼らは別格なんですか? だって、連中は出世しなかった筆頭じゃないですか?

田代  そう。ところが中国では、詩人だけが皇帝とは別に新しい美を創造することができる存在なんです。

運営者 そういう美の創造があるということはわかっているわけですね。うーん。でもまあ、そういう文化なんだな。


金融危機で、世界は中国にとって都合よく一変する


田代  アメリカは今や、金融機関を事実上どんどん国有化してるじゃないですか。

運営者 ええ。

田代  あれをやっていたら、中国のアドバンテージはどんどん上がりますよ。
 だって、何もかも国家がマネージするということであれば、中国は「それは中国に任せてください。中国は何百年もそうやってきましたから」ということですからね。アメリカはおそるおそるやってるわけですから、中国にしてみれば赤子の手をひねるようなものですよ。

運営者 アメリカがケインズ政策を手放してからずいぶん経ちますからね。

田代  ところが、アメリカ政府がAIGの株式を80%持つんですから、中国工商銀行と一緒じゃないですか。株式会社になった国有企業の運営方法は、中国が一番よく知ってるわけですよ。だから、「今までアメリカは、モルガン・スタンレーやゴールドマン・サックスが金融業を牛耳ってきた。でもこれからは中国共産党が指導してあげましょう」と思っているわけです。冗談でも不遜でもなく、本当にそう思ってます。

運営者 それをまともに受け容れるアメリカ当局の人間は誰もいないと思いますけれど。

田代  でも、パフォーマンスの点でアメリカは負けているんです。その事実を日本人は見るべきだと思いますね。

 EUは、「中国と産油国にはIMFに追加出資しなさい」と言ってるんだけど、日本には言って来ていません。「日本は金は持っているけれど、何もできない」と見限られているんですよ。

 何をやろうとしても、野党がうるさくて何もできないということが分かっているし、08年10月8日のアメリカとEUの協調利上げに日銀はまったく参加しようとしませんでしたから。その時は「日本は利下げの余地はありません」と言ったのに、10月末になって金利を0.2%下げても、世界の誰も相手にしてくれません。

 10月8日に利下げしておけば、「やはり日本はアメリカのベストフレンドだ」と称賛されていたんですけどね。

運営者 でもね、日銀はできなかったでしょうね。0.5%まで公定歩合を上げるだけでも必死だったんですから。「それをまたなんで利下げしなければならないんだ」と思っていたでしょう。結局08年末までに0.1%までじりじり下げたんですから、かなり見苦しいですよ。

田代  でも、いまアメリカは国家存亡の時ですからね。金策のためにカバンを持って走り回ってる中小企業の社長みたいな状態なんですから。

運営者 「銀行が閉まるまでに金が欲しいんだ」ということですから。

田代  今のアメリカは「同情するなら金をくれ」なんです。

運営者 田代さんの中国人に関するお話は、私にとって驚くべきものでした。距離的にも近いし、文化的にも大きな影響を受けている国なので、だいたい同じような人間なんだろうとか、黙っていても理解し合えるだろうと思っていたのですが、どうやらまったく違う人々のようなので、理解し合うまでにはかなりの時間がかかりそうな気がしますね。

 それで、中国人や中国という国がどういうものかということは、なんとなくおぼろげながらわかりました。その中国がいまや、経済的にも世界に進出してきたわけですが、それが日本にとってどのような影響を与えるのか、世界にとってどうなのかというお話に踏み込んで伺いたいと思います。

田代  いまの金融危機の結果、世界は一変すると思いますよ。それも、かなり中国にとって都合よく一変するでしょう。

運営者 自由主義経済諸国がボーッとしていたら、そういうことになるでしょうな。

田代  中国人は決定的な自信を持っています。中国人にとって、すべての民族は少数民族なんです。

運営者 その認識は、別にまちがってはいないでしょうね。

田代  物理的に正しいですからね。

中国にとっての北京オリンピックの意味


田代  だからふつうの国なら、口で言うだけのことを、本当に実行してしまうんです。

 たとえば今までのオリンピックで、外国での聖火リレーに自分の国から護衛隊を送った国があったでしょうか?

運営者 なかったと思いますよ。聖火防衛隊には驚かされました。

田代  しかもその国にいる中国人を大量動員して、自国の国旗だけを持たせて組織的な応援をさせた国があったでしょうか。

運営者 なかったと思いますよ。しかもそれをやって恬として恥じない。中国はそういう国なんだということが、あれで世界中に認識されました。

田代  かといって、どの国も北京オリンピックをボイコットしませんでした。中国から得られる膨大な利益を手放したくないからですよ。

運営者 それは一つの解釈であって、違う角度から見れば各国が自由貿易の価値を認めているからボイコットしないんだという言い方もできると思いますよ。

田代  自由貿易であれば、政治的な思惑は必要ないわけです。

運営者 オリンピックに対して、普通の国は政治的な思惑は持たないわけですが、中国はそうではなかったというだけです。中国にとっては北京オリンピックは完全に政治的な祭典であったわけですね。

田代  そうです。日本人が完全に思い違いをしているのは、中国には、北京オリンピックを経済発展のジャンピング・ボードにしようという発想は全くないんです。あれは100%、共産党の権威を高めるための政治イベントです。

 開会式での子供の歌の口パクや、少数民族の衣装を着て出てきた子供全員が漢民族の子役俳優だったとか。あれは、中国で開かれる国慶節などの重要イベントでは、いつもやってることなんです。子役として普段使っている子供たちだから、ああいう大イベントでもあがらずに務められるわけです。だから口パクや子役を使うのは当たり前でしょ、ということです。

 「何を非難されているのかわからないけれど、そんなにみんなが気にするのであれば、ホスピタリティーとして今度から公にするのはやめましょう。徹底して秘密にしてあげます」くらいの感じです。

運営者 その言い分はよくわかりました。だけど西側諸国からすれば、やはりやらせとしか見えないです。そこには何か感覚のズレがありますね。

田代  そうですね。しかしそこに感覚のズレがあったとして、彼らは自分たちの方が姿勢を正そうとは考えません。

運営者 それはもちろん。だって西側だってそう考えているわけですから、お互いさまですよ。

田代  しかし中国側がどう考えているかというと、「中国は正しい、なぜならば世界の中心だから」と思ってるんです。


共産党は株価を完全にコントロールできる


運営者 そうしますと、とりあえず政治的なことを置いておいて、そうした国が世界的な市場経済の中で発展していくことができるのかどうかですよ。

田代  たとえば、08年9月からの各国の為替レートを見てみましょう。世界的に、円以外の通貨はドルに対して為替レートを下げ、一部の通貨は対ドル為替レートが暴落しています。しかしこれだけの経済変動の中で、人民幣の対ドル為替レートは、ほとんど微動だにしていないんです。実質ドルペッグしているんです。この状態が維持できるというのは、すごいことですよ。市場での銀行の外国為替の取引による為替変動を、すべて国家の側でキャンセルさせているということなのですから。

運営者 そうですね。

田代  それから上海の株価は06年から07年にかけて暴騰しましたが、そのピークはいったいいつだったかというと、07年の中国共産党大会の開会2日目なんです。

 それからずっと下がってきたのですが、08年の9月19日の金曜日と休み明けの23日の月曜日の2日続けて、中国の大型銘柄はすべて、ぴったり10.0%値上がりしたんです。

 それはどうやったかと言えば、保険会社や年金基金に株を買わせたわけです。

運営者 それは、誰かに見せつけるためにやってるんですね。

田代  「世界経済がこれほど大変な状況になっていても、共産党は人民のためならいつでも株価は上げてあげますよ」というアピールなんです。

運営者 共産党の権威を高めたわけですね。

田代  こんなこと、他のどこの国でできますか?

運営者 アメリカは、そういうことをしないという主義ですから。

田代  では中国人は聞くでしょうね、「個人投資家にとってどちらが幸福な国でしょうか?」と。

運営者 だったら、上海市場も香港市場も、不動産市場も含めて、損してる人いっぱいいるわけだから、「政府が相場を上げてくれ」と言うんじゃないでしょうか。

田代  それについては彼らは、科学発展とか、和階社会(調和のとれた社会)とか理屈があるんです。

 中国は所得税がありません。名義上はあるんですが、実際は徴収していないんです。だから中国の税金の主力は「増値税」という付加価値税です。

運営者 そうなんですか。

田代  これって、貧乏人にとってはすごくきついでしょ。だからどうするかというと、金持ちの持っている資産を、そうやって強制的に吸い上げるわけです。

運営者 はー、そういうことか!


満州事変記念日、この日は党は何かやってくれる


運営者 ということは、中国の市場で株が値上がり値下がりしているように見えるけれど、実はそれは税金をとっているだけなんだということですか?

田代  その一方で、90平方メートル未満の住宅を買うときの住宅ローンの金利は、強制的に大幅に引き下げられています。だから庶民が本当に自分が住む家の住宅ローンは格安にしています。しかし金持ちが投機で買うような、鍵さえ開けたことがないような家については、価格をどんどん下げているわけです。

運営者 市場主義経済の観点から見て、外国企業に対してムチャクチャを言ってるだけではなくて、国内でもムチャクチャやってるということですね。

 つまり、中国で金融商品や不動産価格が騰落しているということは、完全に国家がコントロールしていると見ていいわけですか。

田代  例えば08年9月18日になぜそれをやったのか。

 9月18日は、満州事変が始まった日なんです。だから人民は皆、「共産党はこの日は何かやってくれるだろう」と期待しているんです。そして08年9月18日に共産党は、証券取引税の引き下げ、証券からの利益に関する税金の大幅減税、個人所得税の免税、この3点セットを宣言しました。

 それに加えて、国有の巨大保険会社や年金基金に株を買わせて、大型銘柄に関してはすべて10.0%値上がりさせたわけです。このとき共産党を信じて株を買った人は、2日間で10%の値上がり益を手にしたことになります。

 そういうことができるわけです。為替レートだっておんなじです。ポールソン財務長官が北京に来るたびに、あるいは温家宝がワシントンに行くたびに、人民幣の対ドル為替レートがちょっとハネ上がるんです。

運営者 ちゃんと土産を持たせてやることができるわけですね。

田代  そうです。面白いでしょう。

運営者 面白いというよりは、なんか無理があるように思います。

田代  しかし中国人からすれば、そのような政治的配慮がないものは信用できないんです。

 日本人はその逆で、市場が政治的配慮から外れて自律的に動いていれば信頼したくなります。中国人はそんなものは信頼しません。

 だって中国には、クレジットカードがないんですよ。一応「信用カード」というのがあるんですけど、あれはデビッドカードです。中国人はクレジットカードの仕組みを「信じられない」と言います。

運営者 政府がクレジットカードを発行しても信用しませんかね。

田代  信用しないと思います。北京に中国の皇帝が作った公園があって、そこに手漕ぎのボートがあるのですが、それに乗ろうと思ったら補償金が500元かかるんだそうです。バスが1元、タクシー初乗りが10元なのに、公園の手漕ぎボートの補償金が500元ですよ。まったく人を信用していないんです。

 そういう社会ですから、高額なものほど現金払いです。マンションの頭金や自動車の頭金は現金が原則。口座振り込みではなく、業者の窓口に本当に札束を並べて払うんです。そうでなければ、相手から断られてしまいます。だから、「ロールスロイスを買う」なんて言ったら、100元札が上限ですから、大変なことになるんです。
 ことほど左様に、彼らは抽象的なことは信じません。アメックス発行のトラベラーズチェックですら全く信用しません。「これ何?」てなもんです。

運営者 とってもよくわかります。

所得倍増政策への世界からの期待


運営者 それで、こういうことなんじゃないでしょうかね。アメリカは移民を受け入れて人口は3億人を突破しました。それで「自由主義で頑張ろう」という腹づもりです。一方中国は、共産党支配の下、13億人といわれる人口パワーが経済力を支えて、いま田代さんがおっしゃったようなマジックを可能にしています。

 今後の世界は、たぶんこの両者による力のせめぎあいになるんでしょうね。

田代  『フォーリン・アフェアーズ』の08年6月号に、 フレッド・バーグステンが「米中によるG2形成を」という論文を書いています。あの雑誌に出たということは、すでにアメリカの政策オプションに入っているということでしょう。

運営者 民主党政権だし、民主党寄りのバーグステンだし。

田代  英文のタイトルはPartnership of Equality、「対等のパートナーシップ」です。

運営者 そんなもん、中国の辞書にはありませんよ。

田代  日本語訳がうまいですよね。08年10月末のThe Economistでは、「アメリカの連邦準備と中国が利下げしました」と報道されていて、日本の利下げなんかニュースにもなりません。世界がそういうふうになっちゃったんです。それは大きいですよね。世界経済にとって一番怖いのは、中国が米国債を買わなくなるか、売り出すことです。

運営者 もちろんそうです。今までは同盟国である日本がTBを買っていたから安心だったわけで。しかし本当に中国と共存することが、アメリカを盟主とする自由主義経済の国家群にとって利益になるのかどうか。現在の危機を乗り越えるための苦し紛れの判断ではなくて、その先数十年を想定した深慮がなされているのかということに関しては、検証が必要だと思いますよ。

田代  今のアメリカに、その余裕はないですよ。

運営者 「なんでもいいから、助けてください」になっちゃってますからね。

田代  日本は頼りにならないし。アラブの連中はよくわからないし。比較するとまだ中国のほうがよさそうだなと。

 しかも中国には、今回の金融危機に対して奥の手があります。中国共産党が、「中国の内陸部の農民の所得を、2020年までに2007年の水準の倍にする」と宣言したんです。地球人口の8分の1の人間の所得を12年間で倍にすると宣言したんですよ。これに対して、日本以外の国は色めき立っています。フィナンシャル・タイムズなんか、「中国が世界を救うのではないか」と。

運営者 話のつながりからいうと、党が公言した以上はやるということですよね。

田代  実現させなければ、党が権威を失い崩壊してしまいますからね。

運営者 もし中国の農民層の所得が倍になれば、これは経済的には非常に大きな意味があると思います


士は己を知る者のために死す


運営者 ちなみに共産党は、改革開放路線以後、経済見通しについて大きなまちがいや失敗をしたことはあるんでしょうか?

田代  いっぱいありますよ。それについて中国人の特徴をもうひとつつけ加えるとすると、「とりあえず」ということがあるんです。

 とりあえず大躍進をやってみました。とりあえず文化大革命をやってみました。今度は、とりあえず改革開放やってみました。とりあえず証券市場も作ってみました・・・。

運営者 大躍進は失敗したけど、改革開放は今のところはうまくいっていると。国家による証券市場のコントロールも成功していると・・・。

田代  中国の人たちに政策について「どうですか」と聞いてみると、「とりあえずやってみました」と答えるんです。

 日本人はハッとしますよね。だけど彼らは結果が出ていないことは信じないから、「今はこれをとりあえずやっています」としか言いようがないんです。「だけど明日はどうなるか分かりませんよ」ということです。

運営者 だから契約が成り立たないんでしょうね。

田代  友好的な人間関係が継続されなければ、契約も守られないでしょう。しかし友好的な人間関係が保たれてさえいれば、契約のありなしは関係なしに、その人間関係を極めて重視するんです。

運営者 でもその友好的な人間関係というのは、利益がともなっていて初めて継続するものではないんですか?

田代  利益だけではないんです。司馬遷の「史記 刺客列伝」に「予譲の義」というのがあります。予譲という刺客は敵である王の暗殺に失敗するのですが、最後にその敵から「なぜお前はそこまでして私の命を狙うのか」と訊かれて、「私が仕えた王は私のことを国士と呼んでくれた。それに報いるために、あなたの命を狙うのだ」と答えるので、狙われている王のほうが「何たる素晴らしい男だ」と言って感動しちゃうんです。

運営者 「士は己を知る者のために死す」の話ですね。

田代  「キミは有能だから」とおだてて使うのは、ビジネスの話ですよ。でも予譲の場合は「私のことを国士と呼んでくれた人間のために私は死ぬ」というわけです。そこなんです。中国人は、自分を認めてくれる人は、自分の金銭的な利益にならなくても、とことん大切にします。

 自分をただ利用しようとしているだけの人間は、どんなに利益になっても、ダメなんです。

運営者 「利用」という言葉についてですが、日本のビジネスマンが中国に行って、「どうぞわれわれを利用してください」と言ったら、中国人にとってはそれは「相手のことを骨までしゃぶる」という意味なんだと聞いたことがあります。

中国人にだまされるのには、理由がある


田代  それはそうです。「あなたは私の一切、唯一無二の人です。比較の対象はない。私の中国でのビジネスパートナーは、あなたしかいないんです」と言ってくれる人間なら、中国人は信頼を守ります。

 「他の相手もいるんだけれど、とりあえずおたくと仲良くやりましょう」「いろいろ比較検討した結果、御社にお願いしたいんですけど」というのでは全然ダメなんです。そういう会社は、中国人から徹底的に利用され、だまされて、最後はポイされるでしょう。そういうケースは珍しくありません。

運営者 それを知ると知らないとでは、えらくつき合い方が変わってきますね。

田代  日本人だって、自分がダメだと判断した人間に対してはひどく冷たいじゃないですか。基準が違うだけなんです。

 中国では、酒を飲むのはいいけれど、酔っ払うのはダメだし、乾杯と言ったのに飲み干さない人間は「そんな簡単なことさえ、自分が口に出したことを実行できないのか」と、えらく軽蔑されます。

 だって中国の乾杯用のグラスはすごく小さいじゃないですか。それは絶対に飲み干すことができるように小さくなっているんです。「乾杯」といって、杯に口だけつけてすぐに置くなんていうのは、一番ダメです。「こいつは信用できない」と思われてしまいます。そうすると彼らは、そこで一切関係を切るか、徹底的に利用し尽くすか、どちらかですよ。

運営者 それは単に、当たった相手が悪かったわけでもなく、慣習上の問題でもなく、これまで田代さんがお話しされたような深い文化的な理由があっての話なんでしょうね。

田代  結構簡単なことなんですけどね。

運営者 あのう、ふつうの日本人にはわかんないですよ。

田代  日本人が「自分たちの基準で中国人とビジネスをやりたい」と思ったら、相手の中国人に徹底的に説明しなければなりません。何時間いや何日を費やしてでも、相手の中国人が本当に納得するまで徹底的に、「日本ではこうするんだ」「日本ではこうしててはいけないんだ」ということを、相手が「もういいです。よくわかりました」と言っても、一切合財をどこまでも具体的に説明し尽くさなければ、日本人が日本の基準で中国人と付き合うのは不可能です。それを可能にするには、中国のことを熟知しているコンサルタントと、そのコンサルタントと密接にコラボレイトできる能力を持つバイリンガルの通訳とが、絶対に必要です。

http://www.ikaganamonoka.com/intr/tashiro1/
 

5. 中川隆[-12547] koaQ7Jey 2019年2月01日 11:34:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

そもそも中国という国は存在しない

特別番組「中国人の善と悪はなぜ逆さまか〜宗族と一族イズム」
石平 倉山満【チャンネルくらら・12月30日配信】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=OIKKE71Xp-s

特別番組「宗族を目の敵にした共産革命〜中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族イズム」
石平 倉山満【チャンネルくらら・1月6日配信】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=Oyg1XmBqWRw


▲△▽▼

宗族

古代中国での父系同族集団。

中国の殷から周の時代の社会の基本的な集団となった、父系(男系)の同族集団。本家と多くの分家(小家族)から成り、本家の家父長(族長)が統率し、祖先崇拝という信仰で結びついている。このような宗族の守るべき規範が宗法である。

実際には擬制的(みせかけ)であったらしいが、宗族の結びつきの原理は血縁関係であった。

このような氏族社会の上に周の封建制が形成される。そして、春秋から戦国にかけて、鉄製農具の普及などによって生産力が向上したことが、個々の小家族の自立を可能にし、宗族という氏族社会が解体し、地縁的な村落機構を通して統一国家が農民を支配する形態に移行していく。しかし、中国では現代に至るまで、一族意識は強固に残っている。
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-027_0.html


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中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族イズム – 2018/12/5 石平 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/481911350X/ref

内容紹介

戦争も腐敗も善となる恐ろしい論理を明らかにする。中国史を支配する組織の正体。

戦争も腐敗も善となる
恐ろしい論理を明らかにする

石平氏渾身の書き下ろし。
これを知らずして中国人は理解できない!

やっと私も中国人が分かったと言える

中国史を支配する組織の正体

易姓革命も、対外拡張も、腐敗も
共産党政権の命運も!

■正義派知識人のA教授はなぜ、親族の腐敗を喜んだのか――まえがきに代えて
■第1章 一族のためであれば腐敗は善になる
■第2章 宗族という巨大組織の実態
■第3章 「械闘」に見る一族イズムの恐ろしい本性
■第4章 「共産党VS.宗族」の勝者
■第5章 中国史を動かす一族イズム

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カスタマーレビュー


hij
「収賄汚職は人民にとっては罪悪であるが、家族にとっては美徳である」2018年12月11日

習近平の腐敗摘出によって共産党幹部の収賄の恐るべき実態が明らかになった。元
政治局常務委員周永康の場合、差し押さえられた資産総額は何と900億元(1兆4900
億円相当)というからすさまじい。本人だけでなく、妻、息子など親族、腹心の部下
もグルになって収賄三昧の日々を送るのが中国の流儀である。これを「全家福」を
もじって「全家腐」という。(習近平自身も同じ穴の狢である。)

周永康ら腐敗幹部にとって掌中の政治権力を家族の収賄に使わせるのは家長として
の当然の義務であり、この義務を果たすのは美徳である。家族の利益より公の利益
を優先する者は、中国社会では変人、馬鹿者呼ばわりされる。家族や一族のために
公益を損なってもよいという異質な家族観を著者は「一族イズム」と呼ぶ。

中国には家族のほかに腐敗の共同戦線ともいうべき「圏子」(チェンツ)という利益
共同体がある。もし圏子の誰か一人が摘発されると同罪の幹部が芋蔓式に摘発され
ることになる。

一族イズム、圏子文化の源流は中国独特の「宗族」である。宗族とは先祖を共有す
る父系同族集団である。何世代も続くうちに世帯数は数百、数千になり人口は数千
になり、万を超えることもある。宗族は族会を組織し、族長を選び、祠堂をつくり、
祭祀をおこない、族譜を編纂し、族産をつくって子弟の教育、弱者の援助、救済を
おこなう村における小国家なのである。

共産党が政権を取ったとき、毛沢東は宗族を「諸悪の根源」とみなし、方々の村で
村のゴロツキを使って地主を殺し、土地を貧農に分配し、財産を奪った(「一村一
焼一殺」)。地主、郷紳が消えて宗族組織は分解した。宗族に代わる組織として共
産党が編みだしたのが人民公社であったが、人民公社の時代に伝統の宗族がひそか
に復活してきた。宗族勢力は、祠堂をつくり、族譜を編纂した。一族イズムはケ小
平以後の中国において中国人の共通した行動原理となったのである。共産党が潰し
たはずの宗族の行動原理がいまや共産党幹部までを支配するようになった。宗族は
永遠不滅なのである。

本書は中国出身の著者ならではの観察がたいへん参考になる。共産党幹部の収賄の
手口などもいろいろ書いてあって興味深い。

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じゃぐぁ
あの大陸で近代国家が生まれない理由 2018年12月31日

近代国家とは、法が支配し、嘘をつかない国民が、必要に応じて公のために力を尽くすものであろう。
正式な定義は知らなくて良い。この本で書いてあるような内容を否定すれば、すなわち近代国家である。
敵を知り己を知るための一冊として、是非若い方に読んでいただきたい。
「宗族」と呼ばれる一族の論理が最優先で、「械闘」と呼ばれる一族間の争いには全員参加、一族以外は皆殺しにしても罪悪感を感じることのなメンタリティを知ることができる。
一度は共産党が潰した宗族が、人民公社を通して生き残り、現在も変わらず影響を及ぼすに至る過程を詳細に書き表した本書を、是非読むべき。

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アキレスの踵
5つ星のうち5.0
福沢諭吉の遺言 中韓には関わるな2018年12月25日

イギリスはヨーロッパ大陸に領地を持っていた時代がありました。しかし当時のヨーロッパ大陸は動乱の嵐が吹き荒れていて、その影響がイギリス国内にも及んだため、イギリスの国内政治も安定することはありませんでした。しかし無能な国王が何代か続いた時期に、イギリスはヨーロッパ大陸から撃退されて領地を失い、島国に閉じこもる羽目になってしまいました。そうしたら初めて国内の政治が安定するようになり、国内にエネルギーが蓄積され始め、後世の大発展の基盤を作ったのです。

日本の歴史を見ても、大陸諸国との関係にのめり込んでいって、うまくいった試しは一度もありません。ただの一度もです。これは大陸と島国とでは、地政学的な立場がまるで異なるからでしょう。大陸の文化は重厚ですから、惹かれる気持ちはよくわかります。しかし惹かれるのは当人の勝手です。明治以来、中国に心酔してそこで生涯を全うした人は何人も出ました。当人はそれで満足でしょうが、母国で生きる同胞を巻き込んではいけません。母国が島国であるという地政学的立場を忘れて、大陸諸国との関係にのめり込んでいくと、戦前、ドイツとの関係に深入りし過ぎた失敗をまた繰り返すことになるでしょう。

そもそも島国に政権をつくるのは、大陸から独立するためです。サハリンを考えてみればわかるように、大陸から独立しないのなら独自の政権などつくる必要はありません。つまり島国の政権は、出発時からすでに反大陸という基本的性格を備えています。この体質に反するようなことをやれば、当然そのツケは廻ってきます。

日本と相性がいいのは同じ島国の海洋型国家で、イギリス・台湾・東南アジア諸国です。相性が悪いのは重厚長大型の大陸諸国で、中国・ロシア・ドイツです。「同じアジア」というスローガンにだまされてはいけません。戦前の日本軍が中国大陸に軍事的にのめり込んだのも、現代の日本企業が中国に深入りし過ぎているのも、後世の歴史家たちから見れば、本質的に同じことだと判定するかもしれません。もちろん大陸諸国と全くつきあうなという意味ではありませんが、どれだけ深入りするかは、自国の国益から判断しないといけません。歴史から学ぶべき教訓とは「日中友好」ではありません。「大陸諸国との関係に深入りするな」ということです。

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アマゾネス
日本人とは永遠に分かり合えない理由はここにある。2018年12月30日

石平さんの様々な解説のおかげで、大陸の連中の脳内がどうなっているのかよく分かるようになりました。今回は彼らの国家観です。中華人民共和国という国としての組織の事はぶっちゃけどうでもよくて、身内親戚さえ良ければ何してもいいという、未だに部族社会だという衝撃です。アメリカも州毎に別の国だという認識で、ニューヨーカーがカリフォルニアに海外旅行してきたぜと語る、なんて小話もあります。それよりもっと細かく一族単位でチャイナ人は考えます。なるほどだから北京料理と四川料理は全く別の国の料理だと騒ぐわけです。更に身内の利益になる事だけ考えるから、中央政府や日本などの外国企業から賄賂を抜き取る工作に腐心するわけです。外部から奪い取った賄賂を身内にばら撒くことで身内が潤うんですから。そこに公の利益とか人様に迷惑をかけない道徳とか全く考慮にありません。この視点でチャイナを眺めると項羽と劉邦も、三国志も、全く同じ考え方で貫かれてます。驚くべきは21世紀の現代も未だにやっているということ。国家レベルでも皇帝習近平と他の宗族との勢力争いです。

こんな人達ですから全く話が通じるわけがありません。また言い切りますが民主主義体制というのも彼らには適用できません。民主主義を運用するには、国民の高い民度、国家としての合意が必要だからです。一族単位で固まってるような考えでは、民主的な国家運営なんかできるわけがありません。だから、皇帝を頂点とした独裁国家でないとチャイナは統治できないんです。アメリカはよく独善的に民主化を進める〜なんてやってますが、民主主義はすごく運用が難しいので、世界の大半の国では無理です。チャイナはそんな感じなので、経済的に取引してる方などはその辺を理解した上で対応した方がいいでしょう。独特な部族社会の考えを利用して利益を得るなどの狡猾さが必要だと思います。

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fms
習近平の「民族の偉大なる復興」の真の意味が理解できる一冊。これを実現させてはならない!2018年12月13日

中国における”宗族”の発生・解体から、”人民公社”までの成り立ちの仕組み・歴史を丁寧に説明してある。
そして、実質的な”宗族”の復活については、ケーススタディとして、2例を取り上げて、詳しく解説している。
最後は、”人民公社”の廃止まで解説してあります。

私は、いままで全く理解できなかった中国人の思考回路が、やっと理解でき、納得できるようになりました。
この中国シナ人独特の思考を理解せず、彼らと商売をすると、たぶん、大変なことになります(実は私もひどい目にあった一人です)。

本書に書かれているのは、中国ですが、私には朝鮮も同様のメンタリティを持っているような気がします。

すばらしい力作と思います。

中国人を相手に、交渉をする方には、読んでおいたほうがいい一冊です。

https://www.amazon.co.jp/dp/481911350X/ref


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中国とは何者か?〜宗族と幇〜
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/05/001252.html

中国人の特徴として、『自己中心、ご都合主義、独善、責任転嫁、人間不信、土匪国家、危険な「友好」』などが挙げられている

そしてそれらの特徴を解明する切り口のひとつとして『中国人は同族集団(身内)には寛容で、外部に対しては何でもあり』という甚だしい二重性があることが指摘されている。
それらの中国人の気質を形成してきた大きな要因は、中国特有の社会構造にある。今回のエントリーでは、中国固有の社会的結合と言われる、宗族(そうぞく)と幇(パン)という集団に焦点を当て、その中から中国特有の社会構造や意識構造を見ていきたい。


<宗族とは何か?>
中国では姓を同じくする父系の相続集団を『宗族』と呼ぶ。宗族は長子相続と同姓不婚を原理とし、本家を大宗、次男以下の分家を小宗という。宗族は大宗の強力な統制の元で共通の祖先への祭祀を通じて、常に一族集団の団結に努めていた。このような宗族内の上下関係や秩序を定めたものが「宗法」であり、これに基づく道徳的規範が「礼」である(ちなみに儒教はこの宗族の規範を土台としてそれを体系化したものである)。
この宗族という集団は、概ね周の時代に確立する(BC1000〜BC750年頃)。宗族の起源は元々は母系の氏族共同体であったと思われるが、それが歴史のある段階で、父系の宗族(大宗)へと転換していったと思われる。そして小宗の登場は支配階級における「姓氏制度」の確立と密接に連関している。姓氏制度のうち「姓」は母系の血縁集団を基礎としている。これが大宗にあたる。それに対して「氏」とは同じ姓の成人男子に、所領や地位が与えられることによって発生する。つまり氏とは成人男子の社会的身分を表しており、これが小宗を形成している。

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祖先を祀る宗族の会合 写真はこちらからお借りしました。td>

ただし後述するように宗族は周の時代には「宗法」や「礼」という観念規範を強固に定めているということ、あるいは氏の出現によって氏族の共有制が崩れ父系制家族による私有制が制度化されていったということ、これらのことは制度としての宗族や姓氏制度の確立と戸同時に、氏族の規範が解体され、宗族の解体へのベクトルがすでに開始されていたことも意味する。
事実、周の後の春秋戦国時代に生じた群雄割拠を通じて旧支配階級は所領や地位を失い、支配階級において氏は無意味化していく。
そして、そればかりではなく宗族の結集軸である祖霊信仰も春秋戦国時代以降弱体化していく。このことは宗族そのものの持つ集団私権力が弱体化すれば、血縁集団さえも容易に解体されていくことを示している。
中国の歴史上、庶民(農村)においては確かに宗族が社会構造の基底部を形成していることは一面の事実である。例えばよく用いられる例として、同じ宗族から科挙合格者などのエリートを輩出すれば一族郎党にその恩恵が及ぶため、宗族の期待を一身に集めるという話はごく一般的な話である(村落ではなく宗族であることに注意)。
しかし支配階級においては、この宗族は祖霊信仰とともに権力闘争の基盤上、二義的なものに転落して言ったという事実も同時に押さえておかなければならない。
このことが、中国人は集団的であると同時に個人主義的であるといわれる、社会構造的な基盤を形成している。
<幇(的な結合)とは何か?>
他方『幇(パンもしくは、ほう)』とは何か?それは、一言で言って利益集団である。
幇には秘密結社的あるいは紅幇(ホウパン)・青幇(チンパン)などのマフィア的な組織である「幇会」(パンフェ)から、公然組織的な「幇派」(華僑社会における地縁・血縁を土台とした組織や業界団体・職能団体に至るまで)などさまざまな「幇」が存在する。
そして現在の「幇」組織の起源は清の時代である18世紀が起源といわれている。
しかし、この幇(的な組織)は中国の歴史上何度も登場したり消滅したりしてきたので、必ずしもそれが幇(的な組織)の起源とはいえない。
例えば遡れば、華僑そのもの(一種の利益集団)も南北朝時代の3世紀ごろの移民(おそらく戦乱に追われた亡命者や難民)を起源とするといわれているし、秘密結社的なものという意味では、歴史上判明している範囲でも182年の黄巾の乱において宗教的秘密結社が既に猛威を振るっている。黄巾の乱は秦朝の時代に兵役で農村から駆り出され、除隊してからも帰るべき家や耕すべき田畑を持たない兵士上がりの貧民たちの相互扶助組織が基盤となったといわれる。
この黄巾の乱を始め、中国の歴史は地域豪族、有力商人、知識人が農民を巻き込んで起こす全国的反乱が際立って多いことが、その特徴である。そしてそれらの多くは宗教的な秘密結社の形をとっており、それがそれらはしばしば時の王朝を揺るがし、転覆に至らしめている。

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太平天国の乱を主導した洪秀全 紅幇と青幇

写真はこちらとこちらからお借りしました
その意味では客家(ハッカ)もそのような利益集団(あるいは半秘密結社)の代表的なものの一つと言える。
黄巾の乱から始まる400年間の争乱によって中国の人口は1/10以下に激減する。そしてそれ以前に中原地帯を制覇していたもともとの漢民族は、ほぼ滅亡する。そしてその際各地に逃げのびた旧支配階級の末裔たちは中原発祥の「正当中華文明」の再興を目的として再結集を計る。これが客家の起源といわれている。
この客家に属するといわれる、主だった具体的人名を挙げてみよう。
清代における太平天国の乱を主導した洪秀全、孫文、朱徳、ケ小平、李登輝(台湾総裁)、タクシン(もとタイ首相)、リーファンユー(シンガポール初代首相)等々、中国及び華人社会において国の変革(ないし政権転覆)を主導した人物の名前が綺羅星の如く並ぶ(リンク)。

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ケ小平氏 元台湾総裁 李登輝氏

それぞれ写真はこちらとこちらからお借りしました。
この客家の起こした反乱も含め、中国史の特色は、農民が武装解除されず古代より農民を戦闘員として組織していること、(秘密)結社=人工的利益集団の力が以上に強く、それがしばしば中国の歴史を動かしてきたことにある。その意味では中国史は正規軍の戦いだけではなく総力ゲリラ戦の歴史であり、それらの争乱によって歴史の1/3は非統合状態にあったというところにある(毛沢東率いる共産革命もその一つの典型に過ぎないという見方は十分に可能である)。
しかし、問題は、中国ではなぜこのように秘密結社や人工集団が、異常に繁殖し力を持つてきたのかということにあり、農民側の宋族がなぜここまでに戦闘的(他集団と敵対的)であるのかという点にある。
その理由のひとつが、異民族支配(モンゴル系やツングース系等)の歴史が長く、農民が治水灌漑等の理由で強制移住を繰り返させられてきたこと。それによって地縁的結合はバラバラに解体され、解体されないまでも異郷の地で周辺農民からよそ者として孤立状態を強いられてきたことがあげられよう。争いが絶えずいわば根無し草になった人々は、血縁である宗族や利益集団である幇へと結集するしかない。このことが中国人が身内(宗族や幇)に対して寛容で他集団に対して敵対的(ないしは利用対象でしかない)中国人の二重性の基礎を形成している。
しかしそれらも含めてもっと根深い理由があるように思われる。利益集団の強さは盗賊や海賊が形成したといわれる古代ギリシャやローマと共通したものがある。また中国の中原は東西南北の交通(後の草原の道、シルクロード、海の道)の交わる要所にあり、その制覇をめぐって諸勢力が激突を繰り返してきたという歴史的構図も見て取れる。
最後の問題は、各集団が相互に敵対的でありかつ著しく攻撃的な民族体質の源泉は何によって形成されたかにある。その要因を更に中国の歴史を紐解く事で解明していきたい。
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/05/001252.html

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【中国】中国人の特徴@ 〜自己中心、ご都合主義、独善〜 11/04/05

白人(欧米人)の意識構造の解明に引き続き、今後、中国人(漢人?)の意識構造の解明に入る前提として、中国人の特徴を固定してみます。

以下、『中国が嫌われる七つの理由リンク』より抜粋
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/hitori050501.htm

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1.自己中心

「自己中心的である」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、こういう人間が好かれることはまずない。中国人はまさにジコチューが国民性といってよい。そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。「中国」という自称がその最たる証拠である。

中国人は古来、近隣国を蔑視してきた。この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。その優越意識はアパルトヘイト以上である。その証拠に華人以外はみな禽獣として、民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のことを「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。作家の魯迅は「中国人は人間を人間とも思わない」と、中国人の国民性を批判している。

西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられなかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。アヘン戦争終結後の一八四二年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、イギリスは南京条約第一七条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。それでも中国が守らないので、一八五八年、アロー号事件後の天津条約の締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。清末に中国人と接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商特使として北京に派遣されたマカートニーは逆に中国人を「半野蛮人」と呼んだ。イギリス公使兼香港総督J・F・デビスは中国文明を「半文明Lとみなし、初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。こうなると、中国人とイギリス人のジコチューくらべである。


2.ご都合主義

ジコチューは自分の都合に従って行動する。したがってご都合主義が普遍化されるのである。他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮されていない。政治の流れを見ても、一九五〇年代、「向蘇一辺倒」などといわれ、ソ連と蜜月の関係を結んでいたにもかかわらず、六〇年に入って突然「ソ連修正主義反対」、「ソ連社会帝国主義打倒」のスローガンを掲げて豹変した。そして六〇年代、日米安保、アメリカ帝国主義反対を唱え、旧日本社会党と共同声明まで出した中国は、七〇年代に入るやある日突然、日米安保賛成、反ソ親米に急変した。

このとき日本の旧社会党員は肩すかしを食らい、いわゆる進歩的文化人はどれほど困惑したことだろうか。日本にかぎらない。文化大革命を礼賛した世界の文化人たちは、文革収拾とともに、文化大革命そのものが「動乱の十年」となって評価が逆転して、中国人の敵として振り落とされていく。中国人のご都合主義についていくのはたいへんなことである。

戦後、日本の世論は「中国人とは、原則を重視する民族」という神話を信じていた。それは中国政府がいつも「平和五原則」「周恩来四原則」「日中三原則」と原則ばかりを唱えていたので、つい幻惑されたためであろう。実は、これは原則ではなかった。偏執、強情、拘泥を「原則重視」に読み間違えたのである。ジコチューの中国は、原則(建前)と本音を実にうまく使い分ける。
人治国家の中国では、法はあっても自分の都合で利用したり、無視したりするのが通常である。したがって、朝令暮改、契約反故などが頻繁に起こり、たいていの日本人は中国人の独断にふりまわされ、最後にはノイローゼになってしまう人までいる。


3.独善

仏教と儒教は中国から朝鮮を経由して日本に伝えられた。宗教が共通なのだから、精神文化も共有しているように思えるが、根本となる死生観がまったく異なっている。日本人は「死ねば神」「死者悉皆成仏」といって、死後にまで生前の利害や怨恨を問わない心を持っている。だが、中国人には強烈な勧善懲悪の倫理意識があり、自分の敵は死後もその墓を暴き、屍にむち打ち、魂まで食らおうとする。人は死しても安らかに眠ることができないのである。しかも信仰の自由はなく、国内で邪教とされた宗教は徹底弾圧し、日本の総理の靖国神社参拝にまで政治的に干渉してくる。

中国の内政干渉は靖国問題にとどまらない。歴史教科書、政府高官の発言、南京事件の評価、日本の生存権問題に属する日米安保、憲法改正論議、ダライ・ラマや李登輝前台湾総統の訪日、航空会社の空港使用、ホテルでの国旗掲揚など、ありとあらゆることに干渉し、外交問題にしようとする。

かつてテレピ朝日の二ュースステーションで、キャスターの久米宏がチベットに関して発言した内容に中国が圧力を加え、翌日の放送で中国に対して謝罪した事件があった。同じように、テレピ各社の中国特番で、中国政府と協力して制作されたものであるにもかかわらず、放送後、中国の一方的な抗議を受け、公開謝罪させられたケースが何度もある。中国の独善的な思惑の押しつけは、日本に対してだけではない。世界のいたるところにおよんでいるのである。

たとえば、旧西ドイツやデンマークなどでチベットの人権侵害問題をとりあげる議会に圧力をかけ、決議をしたら報復すると恫喝した。また江沢民主席はかつてスイスでデモ隊に遭遇したときに、迎えに出たスイスの首相に対し、自国の管理もできないのかなどと、いちじるしく礼を失する発言をしたことがある。アメリカに対しでも同様の干渉を加える。李登輝が総統の座にあったとき、卒業したコーネル大学の訪問のために訪米を申し入れたことがあった。アメリカの上下両院が李氏の訪米を受け入れる決定をしたにもかかわらず、中国はこの決議に関しても「誤った決議」だとして反省を求めたのである。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=248775

4.責任転嫁

「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」という責任転嫁と絶対無謬の独善意識が中華思想の真骨頂である。

私は台湾で生まれ育ったが、小中学校時代に、近代中国が貧困・落後したのは列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因がある、と教えられた。中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。

また、文革が終焉すると、「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされた。毛沢東の過ちに触れられることは決してなく、あれほどの社会的混乱の責任をすべて四人の政治指導者に押しつけたのは、裏返せば、中国人の破廉恥な無責任意識のなせるわざである。改革開放になると、急激な経済開放のために強盗殺人、賭博、麻薬密売、買売春、人身売買、詐欺、迷信など、「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪が横行するようになった。これはある意味で当然の結果である。こうした無秩序は中国本来の姿であり、百年変わらぬ国民性の復活にすぎない。ところが中国はそれを認めず、資本主義の精神汚染だと決めつけ、今度は「社会主義新文明を創造せよ」と呼びかけ、党大会のたびに決議などしている。資本主義のモデルについていくだけで手一杯だというのに、何主義だろうと新文明の創造などできようはずがない。

西欧文明が東アジアに大きな影響をおよぼしたのちの中国人の不幸、落後はすっかり西欧のせいにされてしまったのである。近代中国の没落はアヘン戦争以後、すべて列強の侵略の結果に帰され、中国自身にどんな問題があっても、それに目を向けることはない。こうした責任転嫁は、中国文明の優越性に対する固執の表れともいえる。自己の無謬性の過信によって独善的となり、ことに日本人のような自虐的な国民に対しては、反省や謝罪を要求することをやめようとしない。明末、異端の儒学者といわれた李卓吾は、その著書『蔵書』の中で、中国人についてこう指摘している。「いかに自己礼賛するかについては苦心惨憺するが、自己批判についてはまったく関心を持たない」と。最近、中国駐在の日本人商社関係者が中国人気質について調査をし、以下のような中国人像がまとめられたという。

「絶対自分の非を認めない。それは中国人が責任感の意味を知らないというよりも、失敗を他人のせいにする習性があるからだ。もともと、中国は熾烈な競争社会であり、責任をとる段になったら、なるべく自分の身にふりかからないようにしなければ生き残れないからだ」


5.人間不信

中国人は国家を信用していないばかりか、社会も人間も信用していない。妻さえ住用しないのは、もともと他人だからとしても、血のつながった親子や兄弟でさえ信用できないのである。毛沢東の極左政策の時代に、「父母よりも毛主席が親しい」と言う言葉が流行り、当時は中国社会の砦とも言うべき家族まで階級の敵と目され、子が父を告発することさえ頻発した。劉少奇や林彪は、政敵ではなく我が子に密告され、一人は獄死し、一人は逃亡する途中で死亡したのである。

中国のことわざに「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」というものがある。一人で廟に入ると、悪い坊主のカモにされ、殺されて金品を奪われてしまうかもしれない。二人で井戸をのぞくと、相棒に突き落とされる危険があるという意味である。この人間不信社会で生き残り、競争に勝つために兵法が発達した。孫子は「兵は脆道なり」と言った。つまり戦争は詐欺の道だというわけである。中国人気質の最大の特色も「詐」にある。中国人は「詐の民」だという人もいる。親は子に対して「人にだまされるな」と教育し、常日頃口うるさく教えている。

戦後、日本人は中国人の詐欺ぶりを目の当たりにして驚愕した。偽残留孤児、偽難民、偽装結婚、偽造パスポート、闇銀行、偽造卒業証書、偽造プリペイドカード……。自分の利益のためにはどんな物でも平気で偽造するし、どれをとってとも日本人の想像を絶するものばかりだ。

世界中で今大きな問題になっているのは、中国の偽ブランド品である。知的所有権の盗用は別としても、薬、タバコ、酒、食品など、人が健康を害したり、悪くすれば命を落としたりしてもおかまいなしに、どんどんコピーをつくってしまうク中国政府は「打仮運動」と称して偽ブランドの追放キャンペーンを行っているが、効果はまったくない。現在の中国は、公金横領、賄賂横行、汚職天下の国であり、偽物天国である。今日も中国のどこかで偽プランド品が製造され、世界にばらまかれている。

嘘でぬりかためられた人間不信の社会の中で、中国人は上から下までだましあっている。政府はマスコミを通じて民衆をだまし、民衆は面従腹背で良民を装いながら国家を食い物にする。中国人社会で詐欺師が暗躍し、偽物が氾濫するのは当然なのだ。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=248776

6.土匪国家

この数年来の日本における中国人犯罪の急増はいまや常識といえる。実際、外国人犯罪者の半数以上が中国人犯罪者で、新手のピッキング強盗となるとほとんどが中国人の手によるものである。石原慎太郎都知事も、この類例を見ない凶悪犯罪を新聞で指摘しているし、ある自衛隊関係者は、警察署に収容された中国人に提供する食事の一食分の経費が、自衛官のそれよりも高いことをぼやく有様だ。

日本ばかりではない。世界の多くの大都市が中国人密入国者の問題に悩まされている。シベリアヘの中国人密入国者は年間五十万人にのぼるという信じがたい数字も出ている。蛇頭の年間総収入は世界の麻薬密売の収入の数字をとうに超えている。

中国人が海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。台湾の生活環境の変化は、その代表的な一例である。台湾は戦時中、疎開して家を離れても物が盗まれることがなかった。しかし、戦後、四十万の日本人が台湾から追放され、代わりに二百万の中国人が大陸から流入すると、台湾はたちまち泥棒の国と化した。泥棒の多さは高層ピルの上階でも窓に鉄格子がはまっていることが如実に物語っている。あの特異な建築群の景観は、泥棒のせいなのである。台湾では「中国人を見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。

九四年、中国の浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客二十四人を乗せた遊覧船が湖上で強盗にあい、全員が船室で焼き殺された事件があった。台湾では有名な事件である。当時の中国政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しにしていた。李登輝総統は激怒し、中国を「土匪国家」だと非難した。

中国が「土匪国家」であることは、歴史的にも知られている。清代の乾隆帝時代、英国の通商使マカートニーは、『奉使記』の中で沿道には乞食と盗賊ばかり目立つと記している。中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。その当時、上海や満州の各都市では公共パスに武装兵士が最低二人同乗していた。そうでなければ安全が確保できないのである。現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、改革開放後の中国を特色づけている。九〇年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼる。


7.危険な「友好」

親善、好意を示す「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。だが、中国人との「友好」だけは別である。新聞やテレビなどのマスコミは、米、英、仏、独と日本との大人のつきあいには普通「親善」という言葉を用い、「友好」というキャッチフレーズを使うことはあまり見られない。だが、中国に関するかぎり、なぜか「友好」という言葉が使われ、日中交流の専門用語のようになっている。

戦前、戦後を通して、日本と中国は「友好」と「非友好」に二分されていた。一時、中国との関係はもっぱら「友好人士」や「友好商社」という、中国からお墨付きをもらった一部の日本人に独占されていた。一九七二年に日中国交正常化がなると、日中間の交流は「友好人士」の独壇場でなくなり、やがて「子々孫々にいたるまで」という形容がつけられて「友好」が強調されるようになった。普段、人間不信の社会で生きているので、中国人は人間関係についてことさら「友好」を強調しないと不安に襲われる。

しかし、中国を相手にする側にとって、中国が強調する「友好」ほど不安なものはない。なぜなのか。その理由は「友好」の解釈権がもっぱら中国の側にあり、中国の規定する「友好」におとなしくついていかなければならないからだ。ことにしたたかさをあまり持ち合わせていない日本人は、腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。しかも日本人は外圧に弱く、中国流の「友好」パフォーマンスに対抗するのがきわめて下手である。

「友好」という言葉を額面どおり受け取っていると、思わぬ落とし穴にはまることになる。実は中国が「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。それは歴史を振り返ればわかる。たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、いずれも両国の「友好」関係が蜜月のピークに達した時期にあたり、まさに老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になった。

だいたい人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などあったためしがない。中国との「友好」は、すなわち彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れることでしかない。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=248779


▲△▽▼


広東省農民「オラの村が隣の村との戦争で焼き打ちされたんだが…」 
2010-05-16 11:52:14 |

広東省・福建省ネタ2003年ごろ、大学で上海人の学生と知り合った。
当時、卒論で中国の農村を調べようかと思っていた俺が
彼に何か面白い話はないかと聞くと、こんな答えが返ってきた。


上「中国の農村はヤバい。俺たち都会の人間は、
  農村で人を轢いても現場で車を止めるなってことになってる。
  すぐに現場を離れて隣の村まで行ってから、警察に電話するんだ」

俺「なんですぐに助けないの?」

上「助けたいのはやまやまだけど、後が怖いんだよ。
  村人がワラワラ寄ってきて、轢いた人間をリンチして車をボコボコにするんだ。
  その場を離れないと自分の命が危ない」

俺「……そう」


話を聞いた当初、上海人はここまで農民への偏見を持っているのか、と
ちょっと不愉快になった。

だが、後にいろいろと調べてみると、どうやら彼の話はネタではなくマジなのだ。
中国南方の農村(特に広東と福建)は、非常にバイオレンスな顔を持つのである


事件の舞台は中国のディープサウス、広東省最西部。

東山鎮の脚踏村(あしぶみ村)という、名前からして田舎テイスト溢れる村だ。
場所は下記であり、瀬戸内海に浮かぶ旧水軍根拠地の村のような地域をイメージすればいいと思う。  


ちなみに、事件に関わる地名は「広東省湛江市東山鎮脚踏村」及び同「調文村」だが、
これは日本の地名に置き換えると、それぞれ

広東省 湛江市 東山鎮 脚踏村
     ↓
●●県 ××郡 △△町 大字○○

こういう感じになる。


今回の事件は脚踏村と調文村の戦いだが、
つまり大字の町内会レベルで焼き打ちとリンチを繰り返している訳なのだ。

さらにすごいことに、両村の村人がネット上にも事件を持ちこんで
互いに荒らしと叩きに明け暮れている模様である。


械闘が盛行する18世紀と、ネットを駆使する21世紀が同居。
あまりにもカオスすぎる現代中国の農村。
それではご覧ください。


―――――――――――――――――――――――――――――――

【湛江市東海島東山鎮脚踏村、1.28事件の真相告発!】
原題:「湛江市東海島東山鎮脚踏村1.28事件真相!」湛江板
http://tieba.baidu.com/f?kz=709201131

  ※スレ内では、脚踏村の行為やその側の人間の発言をピンク、調文村の好意や発言を緑で表示することにした。


湛江市東海島東山鎮脚踏村で発生した1.28事件は、
更なる暴力事件である2.3事件を引き起こし、
脚踏村の村人の家庭59戸の家屋と家産が悲惨な破壊を被った。

なかでも村人の家5戸は屋内の現金がすべて持ち去られ、
一部の家屋は白昼堂々と焼き打ちにあった。
売店1軒は略奪し尽くされ、無辜の村人3人が殴られて重傷だ。


事件の詳細:

1月28日早朝、
脚踏村の村人が車列を組んで新婚の花嫁を迎えに行って村に戻る際、
東山鎮の調文村出身の新郎・唐某という人物と一悶着があり、
婚姻の車列に参加していた数人の脚踏村の村人が
唐某を殴りつけて重傷を負わせた。


1月29日、
脚踏村の無関係の村人が用事で村の外に出た際に、
事故があった調文村の村人が三叉路まで彼を追跡し、
調文村へと拉致して殴りつけて重傷を負わせた。


2月1日、
(先日、脚踏村の村人に殴られた)調文村の村人・唐某が病院で死亡。
村の不良分子が他の村人を扇動し、白昼堂々と
東山鎮の中心部にある脚踏村民が経営する薬局を襲撃して破壊した。店はほぼ全壊。


2月3日午前、
調文村の数百人の暴徒が組織的に2隊に分かれ、
暴徒の1隊は東山鎮中心部の脚踏村民が経営する店舗をすべて破壊(計3店)。

もう1隊(約200人)は脚踏村へと攻め込み、
罪もない村人を殴りつけ、用意したガソリンに火をつけ民家数軒を焼き打ち、
無数の家屋を打ち壊した。

現地の派出所には飾り物のような警官が十数名しかおらず、
暴徒が村に攻め込んで悪行を働いているのを知るまで1時間もかかった。


現在、調文村の暴徒は尚も現地の主要交通路をバスで封鎖し、
外に出ようとする脚踏村の村人と思われる人間を殴りつけている。
政府と天に対して敵対行為をおこなっているのだ!

1.28事件から2.3事件にかけての負のスパイラルの結果、
現地の警官が村人の安全と財産が残酷にも破壊されるのを
現場で目の当たりにし(つつも何もできず)、
政府の関係部門は社会の秩序を守るという威信を失うこととなった。
現地の治安は大地震の後のごとき無政府状態だ!


1月28日にはリンチ事件から被害者が死亡し、
さらに続いて脚踏村の無辜の村人が暴力を受けて重傷を受け、
村人が経営する店舗が破壊と強奪を受け、
2月3日には暴徒が村に攻め込んで悪行の限りを尽くす。
現地の警察は解決能力が無く、片目をつむって見逃して暴徒のなすがままだ。


正義はどこにある!
政府はどこにあるんだ!!


5 名前:名無し人民@ヒャッハー!
野蛮すぎるだろ。


9 名前:名無し人民@ヒャッハー!
無辜の村人たちの為に、政府が(この混乱を)正しい道に戻してくれるよう願う。

  ※前時代的な暴力のカオスに対して何らかの対応を示せるのは、やはり前時代的王朝たる「お上」なのかもしれない。
   中国の農民の認識として、この発想はあり得るところかと思う。


10 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>6
政府が正しい道に戻したとして、死者はどうなるよ?


13 名前:名無し人民@ヒャッハー!
これは貴様ら脚踏村の村人が報いを受けたのだ。
天知る地知る、って知っているか?

  ※対立する調文村の村人による書き込みと思われる。


14 名前:名無し人民@ヒャッハー!
死者は無辜の被害者だぞ…。
なんで法律で解決しないんだよ…。

まさか脚踏村の無関係の村人まで責任があるって言うのか…?
今度は脚踏村の村人が調文村の村人を襲撃することだってあるかも…。


15 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>14
カマトトぶるんじゃねえよ


17 名前:名無し人民@ヒャッハー!
みんなダメだろ。
村人は無辜の被害者だが、全ては起こってしまった。
人も死んだ。
村も荒らされた。

どうしようもない。


19 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>用意したガソリンに火をつけ民家数軒を焼き打ち、
>無数の家屋を打ち壊した。
>現地の派出所には飾り物のような警官が十数名しかおらず、
>暴徒が村に攻め込んで悪行を働いているのを知るまで1時間もかかった。
これは道理が許さない。
政府が罰してくれることを望む!

  ※脚踏村の村人による書き込みかもしれない。


20 名前:名無し人民@ヒャッハー!
当時の状況を知らない人間が、何の権限があってこの事件を批判するんだ。

死んだ唐某は幼い頃に父を亡くして
兄妹数人とともに女手ひとつで育てられた。
彼の母さんは大変な思いで育てたんだぞ。


唐某だって結婚をしたかったんだ。
家は貧乏だったかが、家族がみんな一緒なら幸せだと言って暮らしていた。
なのに、まさか恋人を家に送った帰りに、恋人の村(脚踏村)の
騒ぎ好きの不良どもから殴り殺されるとは。

唐某はなにも悪いことをしていない。無実だ。
彼が半死半生の目に遭うまでリンチされた件、こちらにこそ道理があるのか?


唐某の死は無念だったと思わないか?
もちろん、唐某の村の人間がとった行動は間違っている。
これでは更に多くの無辜の人間を傷つけることになる。

とにかく、感情的にならずに正しい方法で解決してほしいと思う。

  ※最初に殴り殺された唐某について、>>1とやや異なる情報が載せられている。
   おそらくは調文村の村人の書き込みだろう。

   おそらく、調文村の唐某は脚踏村の女の子と付き合っており結婚。
   だが、もともと村同士の仲が悪かったかして、唐君は結婚当日に脚踏村の村人により撲殺されたのだ。

   (中国では結婚式の際に、知り合いが新郎新婦にいたずらをする「鬧房」という習慣があり、
    その悪ふざけの過程で誤って新郎を殺した可能性もある)

   そして、新郎側の村はリベンジのために脚踏村を襲撃した…、というわけである。


22 名前:名無し人民@ヒャッハー!
>>19
>これは道理が許さない。
お前たち脚踏村の娘は、これから外の村に嫁に行けると思うなよ!
お前らの村の娘を嫁にしようとしたら、新郎が村人に殴り殺されたんだ!

野蛮な村人どもめ!
こんな村には、今後は誰も行きやしないさ!!

  ※調文村の村人による書き込みだろう。


25 名前:名無し人民@ヒャッハー!
(脚踏村と調文村がある)東海島の島人はヤクザみたいに言われているけれど、
どうやら噂は間違いないようだな。

こんなに常識の通じない地域は、
放置して勝手に殺し合いさせておけばいいと思う。


27 名前:名無し人民@ヒャッハー!
法治社会ではこういう事件は法律によって解決される。
だが、調文村の村人は集団で脚踏村に攻め込んで
(日本軍のような)「三光作戦」を実行した。

これは旧社会的で野蛮な行為だ!!


29 名前:名無し人民@ヒャッハー!
犯罪を犯したんだ。
お前らの子どもに至るまで略奪し尽くしてやるぞ。

唐姓の人間を許さない!!

  ※脚踏村の村人による書き込みだろう。
   中国南方の農村では、村が丸ごと同じ一族…という場合がある。
   (そのため、1人の体面を傷つけると「一族の恥」ということになり、こういう復讐が行われる)。

   最初の死者・唐某の出身地である調文村は、おそらく唐氏一族の村。
   ゆえに、脚踏村の村人は唐氏の一族郎党を憎むに至るのである。


47 名前:名無し人民@ヒャッハー!
君子はたとえ10年がかかっても仇討ちをおこなうものだ。
調文村をこのままにはしておけん!

  ※脚踏村の村人による書き込みだろう。


56 名前:名無し人民@ヒャッハー!
お前ら、戦いを続けて楽しいか?
それで家族や愛する人が巻き添えになって死んだらどうするんだ?

それでもまだ戦うのか?


69 名前:名無し人民@ヒャッハー!
唐一族は恐ろしすぎる!
脚踏村の1万人の村人が、数千人の唐氏一族に踏み荒らされたのだ。
(略)


82 名前:名無し人民@ヒャッハー!
脚踏村はもともと良くないことばかりしてきた。
二十数年前にも(似たような械闘で)大事件を起こしているしな。

しかし調文村も野蛮だ。
村の勢力を頼みにする大人が多すぎる。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


この後もスレは荒れ続け、両村の村人による

「お前の村を滅ぼしてやる!」
「貴様らこそ滅亡しろ!!」

という物騒な書き込みがたびたび見られた。


…ところで、ちょっと話を変える。

中国において、農民が役所を襲撃するといった暴動(官民衝突)はしばしば発生しており、大紀元(法輪功のニュースサイト)なんかで報じられることが多いのもご存知の通り。

そして、中国崩壊論者の人がこれらに対してホルホルして
「共産党独裁政治への庶民の不満が高まっているのだ!」という
根拠として引用したりする。


だが、暴動を起こす農民というのは、このスレで見ればわかるがごとく、
リミットブレイクを非常に容易に起こす人たちなのである。
大した理由じゃなくても暴れるのだ。


一見すると識者ホルホル系の官民衝突のようでも、役所への反乱に見えて
実は単なる村同士の(どうでもいい理由での)戦争が
飛び火しただけというケースも多いのではないか。

また、実際に地方の役所が無道な場合(これも多いのだ)でも、
抗議に立ちあがった農民が知らん間に目的と手段を逆にしてしまい、
「とりあえず暴れたからそんでいいやw」となって
問題の解決を求めないケースもあるのではないか。

良くも悪くも彼らの単純さと不条理さを舐めてはいけないと思う。


暴動といっても、即・反政府や反共産党につながる性質のものとは限らない。
党と軍がひとまず綻びを見せずに存在する限りは、
農民による村レベルでの暴動は、中央から見れば中学生のニキビ程度の日常茶飯事の小事件だ。

「中国にはよくあること」で流せる話なのである。

普通は現場レベルで放っておくし、
ちょっと目立ったら(大規模化したら)、クレアラシル(武装警察)を塗ればいい。
この程度では、脳味噌や人体(共産党や国家)に影響を与えるには及ばない。


…なので、「どこどこで農民が反乱!」というニュースを聞いた際、
すぐに「中国崩壊への第一歩だフハハ」と大喜びしても
只のヌカ喜びだと思うのだ。

「反乱」の背景とか経緯をよく調べた方がいいし、
それが大規模化しかけたところで鎮圧されているようなら、
むしろ「中国の体制は(現時点では)盤石だ」という根拠にすらなり得る。

ニキビは、もちろん疾病要因もあるものの生理体質的な理由でできることも多い。
当たり前のように生まれる赤ニキビに、すぐにクレアラシルを塗れるのは、
共産党が最低限はお肌のケアをしているということである。


もっとも、ニキビの現場にいる人はたまったものじゃなかろうが…。
これが中国の農村だからしょうがない。


http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/a370aaaca87869d375aa1d5ce930e919
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広東省農民「オラの村が隣の村と戦争をはじめるらしいんだが…」

2009-11-08

広東省・福建省ネタ今回取り上げるのは、広東省の「械闘」である。


…と言っても何のことやらわからない読者が大部分だと思うので、
ここはひとつYahoo辞書先生に語句解説をしてもらうことにしよう。


 かい‐とう【械闘】
 革命前の中国で、水利や地境などの争いなどを原因として起きた
 部落や労働者集団間の武力闘争。清代には華中・華南に多かった。


中国南部の械闘には、「宗族」と呼ばれる父系血族の集団同士で争われる例が多い。
(→要するに、陳さん一族VS張さん一族みたいな感じでのガチバトル)


一族と言っても、勢力は数百人以上。一村以上の単位での総動員である。

外部から傭兵を連れてきた場合は数千人以上が激突する大合戦となり、
海外に渡った華僑の親戚たちが銃や火砲まで援助してくるのでタチが悪い。
村は、平時から堀や砦が築かれて完全武装だったりする。

械闘は清代の康煕雍正年間(18世紀初頭)から盛んに発生するようになり、
なんと20世紀前半の中華民国時代まで普通に続いていた。
広東省や福建省で特に多く、台湾でも日本統治時代の直前まで盛んにやり合っていたらしい。


…宗族の械闘の原因は、当初は

「うちの一族の村の水を取るな」とか「うちの一族の風水を切る場所に墓を作るな」
という相応の理屈に基づいたものだったようだが、
何百年も対立しているうちに当事者たちも理由を忘れてしまい、
なぜ戦っているのか不明のままドンパチやっていることも多かったようだ。

民国初期に福建省の統治を担当させられた役人が、上司の袁世凱に
「こいつらマジで洒落ならん。勘弁」
と報告していたりするから余程の事なのである。


そして「新中国」の成立後。

農村の宗族組織や封建的な支配関係は共産党様によって解体され、治安も向上。
械闘の風潮はおさまった、とされている。

だが、どうやら実際のところは全然おさまっていなかったようなのだ。


百度の「広東」板より、ディープすぎるスレをご覧ください。


原題「械闘」 広東板
http://tieba.baidu.com/f?kz=269824098


俺たちの村は広東省汕頭市潮南区、司馬浦仙港郷の辺りにあるんだが、
隣の村との関係がずっと良くないのだ。
歴史上、たびたび武力衝突をしていたのだが、
20年前からは特に大規模な闘争は起こっていなかった。

しかし、先月30日に俺の村の共産党支部書記が
(奴は十年以上この職にあり、偽造タバコを作って儲けている地方皇帝だ)
隣の村に行って先方の代表と話をして、帰ってくるや隣村と戦うと言うんだ。

少なくとも鉄パイプ300本以上、ライフル十数本を準備した。
村の老人たちの大部分は開戦を支持している。

派出所の警官がやってきたが、
あれやこれやとタライ回しをされるだけで、解決できないままに去っていった。

地方皇帝いわく、
各戸ごとに少なくとも1人を動員せよ。
出さない家は敵を攻撃するついでに打ち壊す。
各戸ごとに100元を拠出せよ。
戦死した場合は10万元の見舞金を保証する。

昨夜、俺はさまざまな奇怪な声を耳にしながら寝た。
今日、戦いを始めるらしい。
すべての準備は完了して掛け声を待つばかりのようだ。

これは何時代だよ?
なんで俺の村はこんなことやってるんだ?

みんなすまない。
この事を拡散して多くの人に知らせてくれ。


広東の海陸豊地域では、俺が小学生のころまで烏旗軍と紅旗軍が戦っていたぞ。
なにか事があって紛糾すると、烏旗勢力に属する村と紅旗勢力に属する村とが棍棒を持って村境に集まるんだ。

中学に上がってからは似たような事件はもう無くなった。

烏旗軍と紅旗軍は政治とは関係ない。
宗族と関係があるんだ。


  ※海陸豊地域…現在の広東省東部・汕尾市に位置する海豊市と陸豊市のこと。
         民国時代には、軍閥革命家の彭湃という人物が「海陸豊ソヴィエト」という
         カオスな名前の政権を樹立したりもしている地域である。
           


  ※烏旗と紅旗…もともと、福建省や広東省は「宗族」という父系血族の団結がめちゃくちゃ強い地域。
           村ひとつがまるごと「李」さんや「陳」さんの宗族だったりする。
           (→中国でよく見る「李家鎮」とか「陳家囲」なんかの村名を想像するとわかりやすい)

           で、宗族同士が械闘(=武力衝突)をやってるうちに、
           戦国時代のように宗族や村が合従連衡して連合軍を作る場合がある。烏旗と紅旗もそのひとつ。
           この手のケースは清代中期から盛んになり、福建省仙游県の「烏旗軍と白旗軍」の対立とか
           福建省晋江市の「東佛軍と西佛軍」の対立とか、類似例は数多くある。

           現在はさすがに正面切っての大戦争はやらないようだが、
           暗黙の了解で隣の村が敵対派閥に属していたりする。現地に工場なんかを作る場合は注意が必要。


…清代の中国(特に南部)の農村部では、
科挙に合格したが官僚にならずに地元に残った
「郷紳」という半官半民の実力者が村や宗族を牛耳る事例が多かったという。

悪徳郷紳(=土豪劣紳)のなかには、
密輸や汚職で私腹を肥やしたり、械闘を扇動するような手合いもいたらしい。


いっぽう現代の中国の農村では、地域に土着して土皇帝と呼ばれるようになった
下級共産党幹部が過去の劣紳にかわって村を牛耳っているようである。


儒教イデオロギーが「中国の特色ある社会主義」に変わっただけで、
結局は現代の中華人民共和国も、下層部では歴代中華王朝とそっくり。
そんなことを今回の事例から感じる次第。


…おらこんな村いやだ。
http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/dbd9f05454ebcc6ef12699aaaeaba4e8  

6. 中川隆[-12546] koaQ7Jey 2019年2月01日 11:58:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

中国には伝統文化は存在しない _ 子孫に伝統を一切伝えないのが中国の伝統

タマタマ来ただけ〜中国教育事情と社会をお伝えします〜
中国で日本語教師をしていたタマのブログ
https://ameblo.jp/xiang-xia/


「チャイナドレス」と「漢服」〜伝統文化のない中国〜 2013-04-27

 「中国の歴史は5000年」だと、中国人はことある毎に言います。

 学生と話をしていても、文化や歴史の話になれば必ず上記のフレーズが出てきます。

 「だから中国は凄いんです」と。

 しかし、中国人が「歴史」「歴史」という割には、現代の中国には伝統的な文化と言うものはほとんど残っていません。

 「文化大革命で文物が破壊された」とか、「故宮の貴重な文物は台北にある」とか、そういったレベルの低い話ではありません。

 中国人には長い歴史があるにもかかわらず、受け継いできた「伝統」と言うものがないのです。

 思想・精神的な文化については、昨日の記事に書いたとおりです。

 中国に来て中国人を見ても、「東洋学」で語られる中国人の姿というのは一切見ることが出来ません。

 今日はそれ以外の「文化」において、伝統のない中国の姿を書きたいと思います。


歴史の浅い代表的文化


 「チャイナドレス」というと、日本人にとっては中国の代表的な民族衣装と思われるでしょう。

 実際に現代中国においても「正装」として捉えられてきました。

 しかし、この「チャイナドレス」というのは、清朝時代の服装であり、清朝時代の支配者層である「満州族」の服装です。

 中国の大多数の「漢族」の伝統的な服装でないだけでなく、その歴史もせいぜい数百年しかないのです。


 「京劇」と言えば、中国の代表的な歌舞演劇です。

 しかしながら、これも清朝時代に発祥したもので、300年ほどの伝統しかありません。


 日本人が好きな『三国志(演義)』や『西遊記』にしても、話の題材は三国時代や唐代にさかのぼるわけですが、こうした小説が「講談」として民間に広く広まるのは明代の事になります。


 中国人が誇る中華料理もその最高の料理は「満漢全席」であり、その名の通り「満」つまり満州族と漢族の料理を合わせたものなのです。

 清朝時代以降の伝統であることは言うまでもありません。


伝統を守ってこなかった


 中国の歴史は「被侵略」の歴史であり、その度に破壊と殺戮が繰り返されました。

 (ただし、中国では歴史上の侵略者は現在「中華民族」なので問題にならない。歴史上中国を支配してしまった民族は「中華民族」としなければ、「中国」の正統性につじつまが合わなくなるため。)

 しかしながら、王朝交替毎に破壊があったにせよ、そもそも中国人には「伝統を守る」という思想がほとんど感じられない。

 「歴史書」やその他の「書籍」を歴代王朝が保管したりして来たこともありますが、その保存状態が悪く、劣悪な保管状況で受け継いできたことは有名な話です。

 徳富蘇峰も「奉天では清朝廷室の宝物蔵の文溯閣を見物し、膨大な古今の貴重な文物に接しながら、その数の多さと保存状態の悪さに閉口し」(徳富蘇峰『世界紀行文学全集』修道社、昭和46年。参考:樋泉克夫のコラム【知道中国 875】http://melma.com/backnumber_45206_5780893/ )と記しています。

 ですから、書籍は破損、欠落、さらには散逸し、歴史学者はその散逸、欠落した文章の収集に追われたりします。

 挙げ句の果てに「偽書」が出回り、すでにどれが真書でどれが偽書なのかわからない書物も多く存在します。

 現在「真書」として歴史的価値のある書籍は、そのほとんどが日本にあり、中国人が書籍の真偽を確かめるために日本の版本を確認するというのは何とも皮肉な事実です。


技術を教え伝えない


 「伝統を守る」思想のない中国のおいては、工芸・芸術の方面でも伝統を受け継ぐことが出来ませんでした。

 日本が弟子にその技術の全てを教えて、後世に技術を伝え残すのと対照的に、中国では「技術を残す」ということがなされません。

 これは中国人の思考が「ゼロサム」思考であるが故のことです。

 自分の技術を弟子に教えてしまえば、弟子がその技術で独立して自分が損をすることを恐れてしまうのです。

 企業で中国人と関わった事のある人ならご経験があるでしょうが、中国人は部下に仕事を一切教えません。

 ただ「命令する」だけです。

 企業だけでなく、料理人の世界でもそうです。

 腕のいい料理人が店を開いても、そこで働く下働きには技術を教えません。

 で、最初は味がいいと評判になり大きな収入を得ると、オーナーシェフはもう料理を作らず遊んでしまいます。

 しかし、技術を教えていないものだから、当然味が落ち、結局客足が遠のくというのをよく見かけます。

 これは料理のみならず、あらゆる「職人」の世界で見られる現象です。


農村の伝統行事


 たまに学生の故郷に呼ばれて、農村だったりすると、いろいろな伝統行事も見ることが出来ます。

 日本の各地の祭りのように何か特徴があるかと、最初の頃は非常に楽しみにしてあちこちうかがっていたのですが、ほとんどが結局がっかりさせられることになります。

 きちんと教え伝えていないのでやっている事のクオリティーが低すぎるのです。

 「とりあえずやっています」的な。

 例えばチャイナタウンで見られるような竜の踊りもある村でみました。

 竜の人形を、人が持つたくさんの棒で支えて、あたかも竜が動き回っているように見えるあれです。

 しかし、その村での竜の踊りは、なんとなく安物の衣裳を着た若い人達が、竜を支える棒を持って、村の中をうろうろするだけでした。

 躍動感や、何か伝統を感じるようなものではなく、ただ村の各家の玄関をめぐってくればそれで終わりという。

 非常に期待はずれだったことを思い出します。

 少数民族の伝統行事なんかを見ると、漢族の行事との差は歴然です。


「漢服」を復興


 最近は「日本の和服は中国の唐代の『漢服』が元になっている」などというのを広めているようです。

 日本の和服への憧れとともに、「あれは中国の文化がもとになっている」という優越感よって満足を得ているようです。

 しかしながら、「漢服が元になっている」と言ってみたところで、現代の社会にその「漢服」が一切無く、中国の衣裳と言えば「チャイナドレス」になってしまっていることに危機感は感じているようです。

 そこで、今は「漢服」を「伝統衣裳にしよう」という活動が、国の主導のものに随分と熱心に行われているようです。

 しかしながら、既に500年以上もすっかりと忘れ去られていた文化であり、「伝統のないもの」を「伝統文化にしよう」としてもそう簡単ではありません。


 その結果は「日中合同成人式、「着物の方が断然キレイ」と不満の声が殺到―中国版ツイッター 」の記事を見てもらえればわかります。

 小手先だけの「伝統」を叫んでみたところで、本当の「伝統」が無ければ、全くの安物になってしまうのは一目瞭然です。


 また、「中国の「漢服」知らぬ“愛国者”、和服と間違え罵倒の嵐 」なんてこともありました。

 こんな事件も発生するぐらいですから、「伝統」など失われているのは一目瞭然です。


「伝統を守らない」のが「中国の伝統文化」


 日本のみならず、世界各地の伝統は、伝統のために「犠牲」を払う個人の存在によって守られているという側面があると思います。

 今もお金のために破壊と建設を行い、お金のためにしか動けない中国人に、今後も伝統が守られるとは考えにくいと思います。

 中国人自身がまず、「伝統を守らない」のが「中国の伝統文化」だと気付かないといけませんね。

 小手先だけのやり方では、「教育」と同じく、いつまでたっても価値ある文化が作られないでしょう。
http://ameblo.jp/xiang-xia/entry-11516221799.html

7. 中川隆[-12545] koaQ7Jey 2019年2月01日 12:12:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

2016年06月09日
中国人民解放軍の正体 国家に所属せず、勝った事が無い


秦の始皇帝以来国家に所属した軍隊が無く、外国に勝った事は無い

http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/e/a/ea0ddec6.jpg


南シナ海で中国軍が我が物顔で振る舞い、米軍は遠慮しているが、中国軍は本当に強いのだろうか。

最近2千年間で中国の軍隊が外国軍に勝った例など、聞いたことがないのだが、一見すると強大に見える。


「中国軍」は存在しない

南シナ海を巡ってまた中国軍は過激な態度を取っているが、「中国軍」がどんなものかは知られていない。

人数や装備や戦力は知られているが、どんな組織で今まで何をしてきたかは、余り関心をもたれていない。

それは日本などの外国では当たり前と思われている事が、中国軍には当てはまらない事で、誤解の原因になっている。


まず第一に「中国軍」という国家を代表する軍隊は、法律上存在していません。

「人民解放軍」は共産党に所属する組織で、中国という国には所属していないのです。

例えば中国の選挙で共産党以外の政党が大勝利し(制度上ありえないが)、中国の大統領に就任したとします。


人民解放軍は共産党に所属する軍隊なので、中国大統領には軍の指揮権がなく、命令する事はできません。

これはアメリカのような大統領制とも、日本のような天皇制とも大きく違っています。

日本の国家元首は天皇ですが、千年ほど前から将軍や大臣などを任命して、軍を動かす事になっています。


どうして中国はそうなのかというと、秦の始皇帝以来2200年以上、中国には国家に所属する軍隊は存在していません。

日本が戦った唐、元、明、清の軍隊は皇帝に直属する軍隊で、日中戦争の中国軍は「国民党軍」でした。

国家や国民を代表する軍隊になれない、つくれないところが中国軍の最大の弱さです。


人民解放軍は強いのか

中国大陸の人口はいつの時代も日本の10倍ほどですが、それでいて今まで日本との戦争で勝った事はありません。

それだけではなく、秦の始皇帝以来2000年以上、中国の版図の外に出て行って勝った事はありません。

中国伝統の戦闘方法は完全に受身で、敵が攻めてきたら下がっていくという物です。


下がって下がって一番端まで下がっていくと、敵の補給線が延びきって守備側が有利になるので、そこから反撃に転じます。

ロシアやソ連も同じ戦法を得意とし、ナポレオンやヒトラーをその手で追い返した、とても効果的な戦略です。

中国の軍隊は2000年間こうした受身戦法専門の軍隊で、大陸の外に出て勝つ事は、そもそも目指していませんでした。


中国の軍隊は戦争を苦手としていて、実際現代の中国軍も朝鮮戦争と中越戦争くらいしか戦争経験はありません。

朝鮮戦争は北朝鮮の援軍で米軍と戦い、中越戦争はベトナムを侵略しようとしたが負けて帰ってきました。

他はソ連との国境の小競り合いとか、チベットやウイグル侵略など、弱いものイジメしかしていません。


その人民解放軍は最近、世界的な強者として振舞っていて、尖閣や南シナ海で活動を拡大しています。

米海軍を超える大海軍を目指し、原子力空母や原子力潜水艦、核ミサイルなどを続々と開発しています。

表面を見る限り数は揃ってきていて、例えば潜水艦の数ではアメリカを上回りました。


もうすぐ巡洋艦の数でもアメリカを超えるでしょうが、ベトナム戦争時代の軍艦を改良していて性能はどうしようもないです。

兵器の性能が劣悪なのは大目に見るとして、先ほど書いたように「国家に所属していない」のが大問題です。

イギリスやフランスに近代国家が生まれて以来、国家に所属する軍隊が、そうで無い軍隊に負けた例はほとんどありません。


帝政ロシアは数で圧倒しながら日本に破れ、イギリス軍は植民地にすぎないアメリカ軍に敗れました。

国力にかかわらず、国家に所属する軍隊は圧倒的に強く、政党や個人に所属する軍隊は、とても弱いです。

本当に南シナ海で戦闘が起き、米軍や日本軍と衝突したら、人民解放軍は戦場放棄して逃げ出すのではないだろうか。
http://thutmose.blog.jp/archives/61281443.html

8. 中川隆[-12544] koaQ7Jey 2019年2月01日 12:20:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告


移民は「侵略」に活用されてきました。この種の「侵略」が歴史的に得意なのは、中国です。中国は「洗国」という侵略手法を得意とします。


 洗国とは、支那大陸において中華帝国が「他国」を乗っ取る際に多用される伝統的な侵略手法です。まずは、国内の流民を数十万人規模で「対象国」に移住させる。当初は「外国人労働者」として、いずれは「移民」として、膨大な人民を送り込み、現地に同化させていく。やがて、支那本国から官僚が送り込まれ、その国・地域を中華帝国の支配下に置く。


 洗国とは、人口を利用した外国侵略なのです。


 今この瞬間も、チベットやウイグル(東トルキスタン)で行われているのが、まさにこの洗国です。


 チベット人男性やウイグル人男性を中国国内に散らばらせ、現地に同化させる。さらに漢人をチベットやウイグルに送り込み、現地の女性と結婚させ、これまた同化させてしまう。やがては、現在の満州(旧:女真族の国)同様に、国境線が実質的に消滅し、中国の一部として支配が始まる。


 今風に言えば、民族浄化(エスニック・クレンジング)で、明らかに国際犯罪です。とはいえ、現実に中国共産党はチベット人やウイグル人に対する洗国をほぼ完成させ、台湾にもじわじわと浸透していっています。


 そして、我が国にも。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12415662357.html

9. 中川隆[-12539] koaQ7Jey 2019年2月01日 14:21:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

漢民族は現存しない

中国4000年の歴史というのはハッタリですね.王朝が変わる度に前王朝の人間は殆ど殺されて血が繋がらないですからね.


漢民族というの民族は存在しませんし,中国語という言葉も存在しないんですね.

中国は川筋が一つ違えば完全な異民族の土地で言葉も通じません.

隣の川筋に住んでいるのは言葉が通じない民族で敵ですから,中国人には愛国心も一般道徳も無いんですね.

従って,日本に中国人の移民が入ってきたら大和民族も日本語もすぐに消滅してしまうでしょうね:


「中国に純粋血統の‘漢族’は存在しない」

13億人の中国人の92%を占めるという漢族が、実際には‘遺伝学的には現存しない血統’だという調査結果が出てきた。 「漢族は血統概念ではなく文化的な概念」という通説が学術研究で明らかになったという点で、注目されている。

中国甘粛省蘭州大学生命科学学院の謝小東教授が「純粋な血統の漢族は現在いない」という研究結果を最近発表したと、中国メディアが15日報じた。 謝教授の研究結果は、中国西北地域の少数民族の血液サンプルDNA研究などから出された。

謝教授は「DNA調査の結果、現代の中国人はさまざまな民族の特質が混ざったもので、いかなる特定民族の特質も顕著には表れなかった」と説明した。 また「かなり以前から『漢族は中原に暮らしている』と考えられてきたが、これは特定時代の漢族を周辺の他の種族と区別するために作った地域的区分にすぎない」とし、「漢族をこのように地域的に特定して定義することはできない」と指摘した。

例えばBC12世紀の陝西省西安を首都とした西周は漢族政権に属するが、その後の春秋戦国時代に同じ地域に建てられた秦は少数民族の‘西戎’が主流だったということだ。 また中国の歴史に表れる中原の範囲は、主に現在の山西南部と江蘇西部および安徽西北部などの少数地方を含む河南省一帯だったが、ここに居住する人々を漢族だと規定するのも歴史的事実とは合わないという主張だ。

さらに、中国人は自らを「炎帝と黄帝の子孫(炎黄子孫)」と主張するが、研究の結果、黄帝と炎帝の発源地も‘北狄’地域だったことが研究の結果から分かった。 黄帝と炎帝の発源地はともに現在の甘粛省と陝西省にまたがる黄土高原地域で、ともに漢族の本拠地ではなく、居住地域でもなかったということだ。

謝教授は「研究の結果、むしろ中国北部から南部に移住した客家族が古代中原人の文化伝統を継承したことが分かった」とし「彼らの古語、風俗および習慣からして、客家族こそが本当の中原人」と強調した。

謝教授は、中国に純粋な血統の漢族がもはや存在しないのは大規模な民族移動と関係があるとし、「長い歴史の中で周辺少数民族、さらには周辺国家が漢族と絶えず融合してきた結果でもある」と付け加えた。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84664&servcode=400


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日本人が大好きな唐の文化は漢民族の文化ではない

唐は鮮卑系の王朝

  隋も、唐も、その王朝を創設したのは、北狄の狩猟民、遊牧民である鮮卑系であるという。故に、双方の王朝では、家柄、血統ではなく、才能により官吏を登用する科挙の制度が採用されたという。

  また、科挙の制度による教育の普及から、元来が人工的な、話し言葉とは関係がなかった切韻音による漢文、または漢字の組み合わせである熟字が、日常語に大きな影響を与えて、中国各地の日常語に、漢文、熟字からの借用語が増えていったという。

  さらに、唐朝は突厥というトルコ系民族(北狄)の援軍を得て華北での支配権を獲得したというし、鎮圧した敵軍の王の中には、王世充というソグド人さえいたというから、隋〜唐の時代の中国史は、まさに北狄、西戎が政治、軍事の主流を占めていたといえるようだ。要するに、隋も、唐も、漢人国家ではなかったのだ。

  そして、唐時代の李白、杜甫といった文化人は、元来が鮮卑語などの「外国語」を母語とする人々であったから、四書五経に見られる漢字の配列にはとらわれない、新発想で、画期的な漢字の配列を作り上げ、漢字による表現の幅を広げて、漢詩の黄金時代を築いたという。
http://79909040.at.webry.info/201301/article_3.html


李白(り はく、簡体字: 李 白、拼音: Lǐ Bái、701年(長安元年) - 762年10月22日(宝応元年9月30日))

中国の盛唐の時代の詩人である。
唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世『詩仙』と称される。

20世紀になると、陳寅恪らが李白を西域の非漢民族の出身とする新説を出した

日本の研究者でも松浦友久などが、李白の父が「李客」と呼ばれ、正式の漢人名を持ったという形跡がないこと、また後年の李白が科挙を受験しなかったことなどを根拠にこの説を支持している。

岡田英弘と宮脇淳子も、「有名な詩人の李白はテュルク系といわれ、杜甫の詩にもアルタイ系の言語的特徴がみられます。」と述べている。

楊海英も、「そもそも詩仙と呼ばれた李白自身、テュルク人(トルコ系)であった可能性が高い。また詩聖杜甫にも、『遊牧民の天幕で酒を飲んで、テュルク風の踊りを楽しむのが大好きだ』という詩があるほどだ。」と述べている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BD


安禄山

安禄山は父親がソグド人、母親は突厥人だという。
ソグド人というのは中央アジアを中心に活動していたイラン系の商業民族です。

 そういう育ちもあってか安禄山は六カ国語が自由に操れた。若いときから現在の北京方面にあった節度使の部下になって通訳として勤務していたらしい。辺境地域ですからいろいろな民族と接触する機会が多かったのだろう。

 安禄山という名前は「アレクサンドロス」の音を漢字にしたという説もあります。これは、多分こじつけですが面白いので紹介しておきます。

 この安禄山、すごく機転がきいて人の心をつかむのが上手だった。それで軍団の中でどんどん出世していくのです。唐は人種、民族関係なしですからね。

 出世するために何をしたのかというと楊貴妃に取り入ったのです。最初は贈り物を届けたりしたのでしょうが、やがて楊貴妃の部屋に入り込んだりする。すっかり気に入られて養子気取りです。楊貴妃に気に入られれば当然玄宗皇帝に取り立ててもらえます。

 ついには玄宗にも気に入られる。

 安禄山はものすごく太っていた。ところが運動神経は抜群で玄宗の前で軽快なステップを踏んでクルクル回って踊ったりする。その体型と踊りのアンバランスがいかにもおかしかったらしい。玄宗に大うけ。ご機嫌の玄宗が「お前のそのでっかい腹の中には何が入っているのか」ときくと、安禄山は「この腹の中は陛下への真心でいっぱいでございます」なんて答えるのですな。

 そんなこんなで最終的には、北方の三つの節度使の長官を兼ねるまでになる。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:RM6pXkK-P7MJ:www.geocities.jp/timeway/kougi-35.html+&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja


古代漢族は、現在の中国と違った文化をもつ謎の多い民族です。
そんな漢民族ですが、最近の近代的な考古学的手法の発達により、遺骨やミイラのDNA分析の結果が断片的に報告されるようになってきました。

2000年、東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝らは、約2500年前の春秋時代、2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨、及び現代の臨シ住民から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果を発表しました。その結果は

約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、

約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近いという結果になり、

現代の臨シ住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらなというものでした。


一方、3000年前〜1500年前の中国西部は、白人が支配する地域であったことがほぼ定説になりつつあるようです。

新疆ウイグル自治区の楼蘭の美女と呼ばれるミイラは、白人のミイラとして知られています。中国西部では600体もの白人のミイラが見つかっています。

北京から400、500km南東に位置している山西省の大原市からも白人が埋葬された墳墓が見つかっています。このことから1500年前にはすでに白人がかなり移住していたと考えられます。


漢文は異民族との情報交換のために発達した文章といわれています。つまり、漢文は文章のためのものであり、当時、話された言葉をアルファベットや万葉仮名のように示したものではありません。つまり、当時話されていた言葉を記録した資料が極端に少なく、検討する余地はかなりあるようです。

ひょっとすると、漢文は当時のシナ系言語と全く異なる白人の言語をつなげる架け橋だったのかもしれません。


これらの白人はコーカソイドと呼ばれる人達で、いわゆるトルコ系民族と言われる人たちです。

トルコ系民族は、少なくとも5世紀ごろにはシベリア地域にも移住していたとみられています。そう考えてみると、中国にもトルコ系民族が移住していても何の不思議もありません。

東京大学の植田教授らは山東半島周辺に白人の居住地があったことを指摘しています。現時点では、白人が中国のどの程度の位置を占めていたのか不明ですが、今後DNAの研究が進むにつれ、これまでの歴史の常識が大きく覆されるかもしれません。漢字は白人が発明したとまではいえませんが、山東半島出身の孔子は白人だった可能性があるといえそうです。
http://ameblo.jp/yukikaze99j/entry-10386696166.html



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加藤徹のホームページ
http://www.geocities.jp/cato1963/index.html

中国の人口の歴史 −−人口推定の方法、人口崩壊のサイクル、など

広島大学総合科学部助教授 加藤徹


   本稿は、広島県発行の広報誌『統計の泉』(広島県統計協会)平成11年6月号(通巻587号)のために書いた原稿をアップしたものです。

 「広島大学総合科学部助教授」という肩書きも、平成11年=1999年当時のものです。

 その後、本稿の記述を加筆し、

拙著『貝と羊の中国人』(新潮新書 2006年刊)
https://www.amazon.co.jp/%E8%B2%9D%E3%81%A8%E7%BE%8A%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E5%BE%B9/dp/4106101696

第4章 「人口から見た中国史」

として発表しました。

 中国人は古くから人口についての記録を残してきた。人口の増減は政府の租税収入に直結し、また、人口の増減が政治の良否の指標であると考えられてきたからである。

 歴史的に見ると、中国の人口は、常に世界最大級の規模を維持し、周辺世界との人口の流出・流入の比率が少なく、また人口増加と人口崩壊が周期的におとずれた、など興味深い特徴が見られる。

 ちなみに現在われわれが「中国」と呼ぶ地域は、ほとんどが中華人民共和国の領土と重なる。しかし歴史的に見れば、中国という語が指し示す領域の面積は、時代によってかなり変化してきた。古代の黄河文明の時代には、中国と呼びうる領域は今よりはるかに狭かったし、逆に、最後の王朝である清(西暦1636−1912年)の領域は現在の「中国」よりも広く、ロシアの一部やモンゴルも含んでいた。

 以下、本稿で「中国」と呼ぶ場合、原則として、その時代の漢民族の居住範囲、という意味で使用する。

•戸籍以前の時代の人口推定 ◦夏から西周まで
◦春秋時代の人口推定は保有戦車数が根拠
◦戦国時代は兵員数が人口推定の根拠に
◦秦・漢帝国の人口について

•中国の人口増減の基本的サイクル
•中国の人口史から学ぶこと


戸籍以前の時代の人口推定


 日本で最初に全国的な戸籍が作成されたのは天智天皇9年(西暦670年)である。残念ながら当時の戸籍は現存していないが、日本では7世紀以前の人口は推定によるしかないわけである。

 一方、中国の全国的な戸籍登録人口の最古の記録は、前漢の平帝の元始2年(西暦2年)の数字で、人口59,594,978人、戸数12,233,062戸、という数字が残っている。この数字には課税の対象外だった少数民族や奴婢が含まれず、また、相当な脱漏・遺漏があると見込まれるので、実人口は約7千万から8千万くらいだったと推定されている。

 これ以前の中国の人口については、種種のやり方で推定するほかはない。その推定の方法が中国の歴代の社会を反映しているので、以下にやや長くなるが紹介しておく。

夏から西周まで

 俗に「中国四千年の知恵」と言うが、中国最初の王朝は、伝承によれば、約4000年前に成立した夏王朝である。夏の領土は黄河流域の狭い領域を占めるにすぎなかった。はるか後世、西晋(西暦265−316年)に書かれた『帝王世紀』という書物には、夏王朝の人口として13,553,923人という数字がまことしやかに書かれているが、もちろん信用しがたい。そもそも、夏という王朝自体がなかば神話伝説の世界にあり、中国の歴史学界でこそ実在した中国最古の王朝とされているものの、日本など外国の学界ではまだその実在を疑問視されている。

 現時点で実在したことが世界的に認められている中国最古の王朝は、殷(紀元前千五百年ごろから紀元前千年ごろ)である。その領土も現在の「中国」よりはるかに狭いものであるが、すでに高度な青銅器文明の段階に入っていた。直接的に総人口を示す資料は残っていないが、断片的に人口の規模を伺わせる考古学的遺物が残されている。例えば、•1.甲骨文字の記録によれば、婦好という名の王妃は女性ながら一万三千人の軍隊を率いて西の異民族と戦争したという。

•2.殷のころはまだ殉死や人身御供の風習が残っており、多数の人間が祭の度にいけにえとなった。甲骨文の資料によれば、武丁という王が死んだときは三百人の異民族が犠牲になり、また、一度の祭祀で五百人もの奴隷や戦争捕虜が犠牲になったこともあるという。実際、殷墟の遺跡からは大量の殉死者の人骨が発見されている。


 これらから考えると、殷の時代の人口の具体的な実数は不明なものの、対外戦争や大量の犠牲を可能にする相当規模の人口であったことがわかる。

 紀元前11世紀ごろ、殷が滅び、周王朝が興った。前述の『帝王世紀』は周初の人口として13,714,923人、というまことしやかな数字を伝えるが、もちろん信用できない。周初の人口については、三百万人から一千万人前後まで種種の推計があるが、いずれも推定の域を出ない。

 周は紀元前770年に、西の異民族の圧迫を受けて、都を東に遷した。これ以前を西周、東遷以降を東周(前770−221年)と呼ぶ。ちなみに周の東遷のとき、周王室が保管していた多数の歴史史料が混乱の中で失われたため、中国の年号・年代で確定されているのは、この周王朝が東遷した紀元前770年が最古である。これ以前の歴史的事件についての年代は、すべて推定である。

春秋時代の人口推定は保有戦車数が根拠

 東周は統治力が衰えたため、各地で諸侯が割拠し、それぞれ富国強兵政策を行った。春秋時代(西暦紀元前770−前403年)にはまだ戸籍調査は行われた気配はないが、国力を戦車の保有数であらわすようになったので、この数字をもとに当時の人口を推定することができる。

 「千乗の国」とか「万乗の君主」という言い方がある。これは、「千両の戦車をもつ大国」「一万両の戦車を保有する偉大な王」という意味である。『周礼』によれば、一般に、戦車1両につき、馬4頭、甲士10人、歩兵20人が随うと規定されており、また別に輜重車もあって一定の比率で戦車にまぜて配備された。当時の記録によれば、春秋時代後期の各国の戦車保有数の合計は25,000両であった。戦車・輜重車の比率とそれぞれの規定随行人数から単純計算すると、各国の兵力合計87万5千人となる。古代中国では、戦争の形態が現在とは違い、徴兵率は全国民の五人に一人という高率が一般的だったので、結局、春秋時代の後期の総人口は推定で500万人前後になる。これが中国の学界の定説に近い数字となっている。

 ただし、筆者が思うに、戦車の保有数などというのは、戦前の日本陸軍の「員数主義」などと同じような気がする。また、徴兵率が全国民の五人に一人というのも高すぎるように思われる。ともあれ、兵器の保有数を基準に当時の人口が推定せざるを得ないというところが、いかにも春秋時代の時代雰囲気を反映していて興味深い。


戦国時代は兵員数が人口推定の根拠に

 戦国時代(紀元前403−前221年)には鉄製農具が普及し、また、中国世界自体が周辺に拡大しはじめたため、人口は増加した。人口増加は戦争の形をも変えた。春秋時代には都市国家どうしの戦車戦が主流であったが、この戦国時代には領土国家どうしの歩兵戦が主流になった。一回の戦闘に参加する兵員の数もほぼ十倍に増え、戦闘も長期化するなど、戦争形態は大きく変化し、有名な『孫子』の兵法があらわれた。

 戦国時代の中国は「戦国の七雄」と呼ばれる七大国に分裂していた。各国の人口統計の記録は残っていないが、兵力数は残っている。司馬遷の『史記』によれば、秦・楚の兵力は百万、魏は七十万、あとの四カ国は数十万ずつだったという。

 仮に強国だった趙と斉の兵力をそれぞれ80万、小国だった韓と燕をそれぞれ50万と仮定すると、七カ国の総兵力は合計530万となる。春秋時代の兵力総計90万弱の、実に6倍である。当時の法令の記録によると、当時の一戸の平均人数は大体5人、その5人のうち2人を「卒」とした、とある。これで計算すると七カ国の戸数合計は265万戸、人口1325万人となる。当時の中国には、七大国以外にも、衛や宋などの小国があり、また、中国の西南部・南部にも相当数の人口が存在したと推定されるので、戦国時代の中国の全人口は約2千万人前後と推定される。

 筆者の私見によれば、秦や楚の兵力が百万などというのは、戦時中の日本でよく「関東軍百万」と言っていた類の、たぶんに宣伝的な数字という気がする。しかし、戦車の保有数ではなく、歩兵の兵員数で国力を表現するようになったことは、戦国時代の特徴をよく表している。

 推定2千万という人口は、現在から見れば少数であるが、当時の中国世界の面積から見ればすでに過密ぎみであった。中国で環境破壊が社会問題となるのは、実にこの戦国時代にはじまる。たとえば、儒教の思想家である孟子(前372年−前289年ごろ)も「斉の大都会の郊外にある牛山という山は、かっては美しい森林で覆われていたのに、木材の乱伐と過放牧の結果ハゲ山となってしまい、今の人はもともと牛山はハゲ山だったと誤解している」と嘆いている。

 孟子と同時代の日本列島は、やっと縄文時代から弥生時代への移行期である。中国の環境破壊問題の歴史の長さと深刻さが、わかるような気がする。


秦・漢帝国の人口について

 秦の始皇帝が中国を統一した紀元前221年、中国の人口は、戦国時代とそれほど変わっていなかったろう。秦はわずかな期間に万里の長城を作り、壮大な始皇帝陵を作り、直道を作った。約2千万人という当時の国力では無理があったようで、秦の国力は疲弊し、始皇帝の死後まもなく秦は滅亡した。

 前漢(前202−後8年)の人口についてもいろいろな推定方法があるが、ここでは省略する。

 前述のように、中国で最初に全国的な戸籍が作られたのは、前漢の末期、平帝の元始2年(後2年)で、全国の人口59,594,978人、戸数12,233,062戸、であった。これ以降の中国の総人口については、ともかく戸籍登録人口をもとに論じることができるようになる。

中国の人口増減の基本的サイクル
 これ以降の中国の歴史は、模式的に言うと、以下のようなサイクルを繰り返しであった。


•1.建国期 新しい王朝が建国されたときは、人口は少なく、政府は一般に税金を安くして民を休めるという「小さな政府」の政策を進める。その結果、農民を中心とする中国の人口は急激に増え、太平の世の中となる。

•2.繁栄期 人口増加の結果、税収が増える。この豊かな財政を背景に、王朝は、大規模な土木工事や領土拡張など積極的な政策を行いはじめる。ただし外見の繁栄とはうらはらに、民の負担が増えるため、生活は悪化する。また農地の開拓は一般に人口増加に追いつかないため、農民一人あたりの可耕地面積は減少し、世代がくだるにつれて生活環境が悪化する。ちなみに、儒教思想が徹底していた中国の伝統社会は、江戸時代の日本と違い、兄弟による均分相続が普通に行われていたため、農地は細分化されやすかった。

•3.衰退期 建国後おおむね十世代ほどで一人あたりの食糧供給量が飢餓線のラインに近づき、社会不安が広まり、農民反乱が頻発するようになる。はじめは王朝政府による反乱鎮圧などの政策が奏功するが、いずれそれも無効になる。

•4.交代期 王朝政府の支配力が弱まり、地方政権・地方軍閥が半独立状態となる。戦乱が起こり、王朝は滅亡する。人民の大量死亡と出生率の激減の結果、人口崩壊が起こり、人口は減少して適正ラインにまで下がる。そして新しい王朝が勃興し、サイクルの最初にもどる。ちなみに新しい王朝の支配階級は、多くの場合、前王朝末期の農民反乱グループなり軍閥なりの一つであるか、あるいは、前王朝末期の混乱に乗じて中国本土にはいってきた異民族集団である。


 中国の歴史は、おおむね上記のサイクルの繰り返しであった。一つの王朝の寿命は十世代三百年を越えて存続することは難しく、人口崩壊期には極端な人口減少が見られる。

 特にわれわれ現代人の興味を引くのは、王朝交代期の人口崩壊である。これは、日本の歴史には見られなかった現象である。以下、具体例に即して述べる。

•具体例1: 前漢末、六千万人近かった戸籍登録人口は、短命に終わった新王朝(西暦8−23年)期の動乱によって激減した。この動乱を収束し、後漢王朝を開いた光武帝(西暦25−57年)は、都を大都市である長安から、より小振りな洛陽にうつし、対外消極政策を取り、内政の充実をはかった。それでも光武帝の治世末期の中元2年(西暦57年)の戸籍登録人口は、わずか21,007,820人にすぎなかった。六千万から二千万へ、政府の戸籍把握力の低下を考慮に入れても、戦慄すべき減少ぶりである。現代の中国の人口学者たちは、両漢交代期の人口崩壊によってわずか一世代の間に人口が半減したと見積もっている。


•具体例2: 後漢末の永寿3年(西暦157年)、戸籍登録人口は前漢末に近い、56,486,856人にまで回復した。しかし、当時の中国の可耕地面積と農業技術では、戸籍登録人口六千万という数字が一つの限界であった。一人あたりの食糧供給量が低下し、社会不安が広まった結果、中国史上屈指の規模の農民反乱である黄巾の乱が起き(西暦184年)、いわゆる「三国志」の英雄豪傑が地方に群雄割拠する動乱期となり、後漢は滅亡した(西暦220年)。中国は魏・呉・蜀の三国に分裂したが、それぞれの戸籍登録人口は蜀が940,000人(西暦263年)、魏が4,432,881(西暦263年)、呉が2,300,000人(西暦280年)に過ぎなかった。三国合計でも戸籍登録人口は一千万人に届かなかった訳である。ちなみに、この三国を統一した西晋(西暦265−316年)の戸籍登録人口は16,163,863人(西暦280年)であった。

 実人口の減少はこれほどではなかったと推定されるが、西暦3世紀が中国史上、空前絶後の人口崩壊期であったことは確実視されている。現に、中国の人口崩壊に乗じて北方の遊牧民族が南進し、次の4世紀には「五胡十六国」時代(西暦304−439年)がはじまる。中国は、後漢の滅亡(西暦220年)から隋の中国統一(西暦589年)まで、中国史上異例ともいえる長期に渡って分裂・混乱を繰り返し、統一王朝が現れなかった(途中、西晋が一時期中国を統一したかに見えたが、その期間はわずか一世代にすぎない)。その最大の要因は3世紀の人口崩壊の痛手がなかなか回復しなかったためである。

 ちなみに、隋の戸籍登録人口は46,019,956人(西暦609年)、唐の玄宗皇帝の天宝14年の戸籍登録人口は52,919,309人であり、いずれも前漢末の数字に及ばない。中国の戸籍登録人口が前漢末の記録を追い抜くのは、実に北宋(西暦960−1127年)まで待たねばならない。


 これ以後も中国の人口歴史はジグザグ状に拡大して現代に至るが、途中の経緯は長くなるので省略する。

 近代の中国の人口について見ると、清朝の康熙帝(在位1661−1722年)の統治の末年、一億人の大台に乗ったころから未曾有の人口増加がはじまった。乾隆帝(在位1735−1795年)の末年には約3億にまでふくれあがり、道光帝の道光13年(西暦1833年)の戸籍登録人口は398,942,063人となった。わずか百年あまりの間に、実に四倍にまで増加したのである。

 この清の人口爆発を説明できる決定的な学説はなく、今でも中国史上の謎の一つとされている。

 ちなみに、19世紀以降、中国の近代化が遅れた原因の一つは、人口増加にともない一人あたりの生活水準が劇的に低下し、資本の原始的蓄積ができなかったからである。一方、日本は江戸時代中期以降、「間引き」などの荒っぽい人口抑制法により静止人口を維持したため、江戸時代後期の一人あたりの生活水準は急速に向上した。この江戸時代の蓄積なくして、明治以降の急速な近代化は不可能だったと言われる。

 近代の中国は、毛沢東(1893−1976)が死去するまで「生めよ増やせよ」の時代が続く。

 現在、中国人の人口は約13億人と言われる。中国政府の「ひとりっ子政策」の結果、人口増加率は減少しつつある。この政策が成功するかどうかまだ不明であるが、これを「新しいタイプの自発的人口崩壊」と見なすうがった観測もある。

中国の人口史から学ぶこと


 人口崩壊という現象自体は、実は、世界的に見れば珍しいものではない。中世のフランスは百年戦争の戦禍と黒死病の結果、人口が半減したと言われるし、近世のドイツも三十年戦争の結果、全人口が三分の二に減少した。近代における南北アメリカ大陸の先住民の激減と、タスマニア先住民の絶滅は、人類史上最悪の人口崩壊であった。

 われわれ日本人は、一度も全国規模の人口崩壊を経験していない。縄文時代の最末期に人口崩壊があったと主張する学説もあるが、それも有史以前のことである。日本は、16世紀の戦国時代ですら、各地の大名の富国強兵策によって人口が増加していた。あの過酷な第二次大戦のときですら、日本人の人口損耗は一割にも達しなかった。人類史上の例外といえる。

 一方、中国は何度も人口崩壊を経験してきた。飢饉や戦乱による直接的な死者数もさることながら、乳児死亡率の急上昇と出生率の低下で、人口は短期間に減少してしまったのである。その「もろさ」の原因は、人口の構造的不安定さにあった。

 そもそも中国に限らず、前近代社会の人類の平均寿命はおおむね二十歳代であり、子供を5人生んでも大人まで育つのは2人か3人というのが普通だった。ヨーロッパでさえ、たとえば産業革命期のイギリスの労働者階級の出生時平均余命は20歳程度にすぎなかったという(エンゲルスのあげた数字)。

 前近代の人口構造は、どの国でも、本質的に不安定で崩壊しやすかった。

 ただ、近世のヨーロッパ人は「捨て子」によって(童話のヘンゼルとグレーテルがその典型)、近世の日本人は「間引き」や姨捨によって人口増加を抑えようと試みた。江戸時代の日本では「田分けは、たわけ」という論理で、次男坊以下に遺産を分けないことまで行われた。

 しかし中国では、儒教思想の影響で、財産は均分相続が原則で、老人は大事にされ、子供の数は多いほどよいとされた。人口増加を抑制する歯止めが存在せず、結局、いつの時代も行き着くところまで行くしかなかった。

 かくて、中国の人口崩壊は、他の地域に見られぬ特徴を持つようになった。すなわち、


•1.周期的に繰り返したこと

•2.歴代の王朝政府があらゆる知恵を結集して人口崩壊の予防策を講じたにもかかわらず、結局、人口崩壊の回避に一度も成功しなかったこと

•3.人口崩壊のあと、中国は必ずよみがえったこと
の三点である。

 近代以前の中国は、他の文明圏からほとんど孤立状態にあり、人口の出入りも少なかった。残酷な言い方をすれば、この巨大な「金魚鉢」の中で、中国人は人口崩壊と回復のサイクルという壮大な実験を、生物学の法則どおりに繰り返してきたわけである。

 ただし、中国は毎回、必ずよみがえり、現在に至るまで世界最大の人口規模を確保した。これは、シュメールやローマなど他の多くの文明が一度の人口崩壊のあと二度とよみがえらなかったのと対照的であり、驚くべきことである。

 中国が不死鳥のようによみがえった理由は何か。いろいろと考えられるが、最大の理由は、「農業」という再生産可能な資源を、ともかく確保できたからである。例えばシュメール文明が一回かぎりで滅亡したのは、千年以上にわたって灌漑農業を繰り返したため、地下水位上昇による塩害をまねき、農地が荒廃したからである。中国の場合、南中国では水田稲作、北中国では灌漑によらない小麦栽培を行うことで、なんとか数千年にわたって耕地の地味を保全してきた。

 日本人が弥生時代以降、一度も全国規模の人口崩壊を招かなかったのは、島国という地理的条件もさることながら、水田稲作農業という地味保全型の農業を行ってきたことが大きい。その日本の水田は今日、どうなっているのだろう。−−−
 現在、われわれが住む地球は、小さな金魚鉢になってしまった。これまで急増する人類の人口をかろうじて支えてきたのは、近代的灌漑農業技術の技術革新であったが、それも限界に近い。現に、北米大陸ではコンピューターと連動した巨大スプリンクラーを使って灌漑農地を行ってきたが、近年、急速な地味低下が報告されている。人類は、かつてシュメール文明がたどった滅亡の過程を、フィルムの早回しのように繰り返しているだけなのかもしれない。

 どうやら、人類の人口は、あと一世代か二世代で限界に達しそうである。
 そのとき、一体なにが起きるのか。こんな不吉な問題提起で筆を置くのは残念であるが、中国の人口史を振り返ることは、同時に、人類の未来を考えることにもなるのである。


(1999.5.20)
http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html#14

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5000万人も人口が減っていた。本当にあった怖い三国志

三国志といえば、中国史上最大の動乱時期。大軍同士の合戦で、この時期には中国の人口が破滅的に減少したとも言われています。今でこそ10億人を超える中国ですが、三国志時代はどれくらいの人口だったのでしょうか?

吉川英治の『三国志』をあらためて読み直してみて、かつて抱いた疑問がまたまたおきてきました。

この時代(後漢〜三国時代)に、中国にどれぐらいの人が住んでいたんだろう?

一口に「中国」と言っても漠然としていますが、とりあえず主役となっている「漢民族」の居住エリア、としておきます。

というのも、物語の中で頻繁に「曹操軍100万」などの数字が出てくるのですが、これが本当の数字か、誇張した数字なのか、ということが気になるのです。

古来「白髪三千丈」など、数字に関する誇張表現はよくある話です。

「50万の大軍」だとか「5万の軍勢を焼き滅ぼした」と出てきても、「ほんまかいな?」と。

ちなみに日本における一大決戦の「関ヶ原の戦い」では、東西両軍合わせて15万から20万ほどです。

いくら中国が広いとはいえ、1000年以上前に、その10倍以上の軍隊が動くなんてことがあるのだろうか? などと思っていました。

今は本当に便利になりましたね。疑問に思ってネット検索をしてみると、そういうことをきちんと調べて書いてあるサイトに行き当たりました。

明治大学法学部の加藤徹教授のサイトで、いろいろなデータをもとに時代ごとの中国の人口をまとめていらっしゃいます。


後漢から三国時代だと、戸籍という非常に有力な根拠があります。

それによれば後漢末(西暦157年)に約5600万人だそうです。

なんとすごい数字です。

当時の中国では耕作面積などなどからおおよそ6000万人ぐらいの人口は養える状況だったとのことです。

後漢が滅亡して、三国時代に突入した頃の戸籍登録人口では

魏 4,432,881人(西暦263年)
呉 2,300,000人(西暦280年)
蜀  940,000人(西暦263年)

となっているそうです。

なんと三国合わせて780万人ほどしかいません。激減もいいところです。

中国の王朝の興隆・滅亡の繰り返しでは,滅亡間近の頃に、人口の激減が見られるとも書かれていました。

食料供給不安から政治不安、それによる動乱などで、人口が激減するようですが,100年ほどの間に5600万人から780万人とは恐ろしいほどの激減ぶりです。

この激減がまさに当時の不安や動乱を表していると感じました。三国志はまさに激動、動乱の時なのです。国の基本は民にあり、と言います。

大勢の人が安心して暮らしていけることこそ、国の繁栄だというのを実感します。

※人口の差からも,蜀が魏にはなかなか勝てない、というのがよくわかります。
http://www.mag2.com/p/news/19617/2


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中国“4000年の歴史”を否定? 共産党がひた隠す不都合な「宇宙人遺跡」とは
[2015年02月13日]
http://wpb.shueisha.co.jp/2015/02/13/43385/


四川省の三星堆遺跡では、中国古代史を覆すような謎の青銅器が次々と発見されている
http://wpb.shueisha.co.jp/2015/02/13/43385/images/0


激辛料理の本場としても知られる四川省に、中国古代史の常識を覆(くつがえ)すような遺跡がある。

普通に考えれば、「考古学の大発見、万歳!」となるところだが、そこになぜか中国共産党のメンツ問題が絡んで、歴史的発見がウヤムヤになりかけているとか…。そこでまずは現地へ飛んでみた!

***

「ハーイ、ハッピーニューイヤー! 元気かい?」

元日早々、記者の携帯に着信した国際電話の主は、米ニューヨークの超一流タブロイド紙『ウィークリー・ワールド・ニュース』のニール・マクギネス編集長。

あの、日本にはお正月っていう習慣がありまして、何も元日から電話してこなくても…。

「何言ってるんだ。中国の正月(旧正月)は2月だろ」

は? 中国?

「実は最近、一部で“宇宙人遺跡”と呼ばれる四川(しせん)省の三星堆(さんせいたい)遺跡に、考古学者や労働者が集められているらしい。ここから出土した数千点の青銅器は、放射性炭素年代測定によれば、古いもので5000年以上前のものという驚愕(きょうがく)の調査結果がある。

そこで近年、ドイツやフランスなど海外の調査団が現地で本格的に研究しようという流れになっているのに、なぜか中国側は、その前に全部掘っちまえ!とばかりに、ハイペースで発掘しているというんだ」

その背景を探ってこいと?

「信頼できる現地エージェントを用意した。さあ、すぐにでも飛んでくれ」

数日後、取材班は成田空港から上海経由で計8時間、中国西南部の四川省・成都(せいと)へ飛んだ。三国志の名君・劉備玄徳(りゅうび・げんとく)や、天才軍師の諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい)がいたことで有名な蜀(しょく)の都があった場所だ。

今回調査する三星堆遺跡は、成都から北へ30qほど離れた広漢(こうかん)市の外れに点在する遺跡群の総称。1929年に初めて農民が宝玉を発見して以来、たまに大規模な発掘が行なわれるものの、放置されてきた期間のほうがずっと長いのだという。

取材のエージェント役は中国古代史に詳しいジャーナリストの程健軍氏(チェンジェンジュン、漢民族)。

「現在では常套句(じょうとうく)となっている『中国4000年の歴史』は、約4000年前に漢民族の祖先が黄河(こうが)流域に興(おこ)した夏(か)王朝に始まるとされています。世界4大文明のひとつである黄河文明の流れをくむ王朝ですね。

漢民族が全人民の92%を占める現在の中華人民共和国にとっては、あくまでも黄河流域が“中華文明”の正統な出発点なんです。

ところが近年では、黄河の南を流れる中国最長の大河・長江(ちょうこう)の流域に、黄河文明より早くに発展した長江文明が存在したことがほぼ確実になってきた。三星堆遺跡の青銅器を見ても、夏王朝より1000年以上も古い古蜀(こしょく)王朝の遺跡である可能性が高いと言わざるを得ません。

古くからチベット系の少数民族が多く住んでいた長江の上流、四川の奥地で高度な文明が見つかったーー漢民族にとっては、誇らしい歴史が根底から覆される大問題です。漢民族による支配を正当化しなければならない中国共産党も、『中華文明の発祥は少数民族』では非常に困るんです」

漢民族の悩みを聞きながら、気がつけばノドが痛い。空気の逃げ場がない四川盆地に、1億以上の人口と成都、重慶(じゅうけい)という工業地帯を抱え込むこの地域は、中国でも1、2を争うほどPM2.5の汚染が深刻なのだ。

日本の環境基準値は一日平均35マイクログラム/立方メートル以下だが、成都ではその10倍近い300マイクログラム/立方メートルという数値も珍しくなく、「危険! 窓を閉めて外出は控えよ」という警報が連日発令。大気は濁(にご)り、晴天の朝でもヘッドライトなしではクルマが走れない。


奥側が高さ数mの土塀。四川地方はたびたび大地震に見舞われているが、土塀の多くの部分は耐え抜いた。すげえ……
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ノド飴をなめながら、まずは1929年に三星堆遺跡が初めて発見された現場へ向かう。資料によると、三星堆という名前の由来は、月形の台地に寄り添う3つの円丘(えんきゅう)という地形から生まれた「太古の時代に3つの星が天より落ちてきた」という伝説。そこでは独自の技術や文化を持ち、“7つの符号”を使う「三星人(さんせいじん)」が暮らしていたという。

宇宙人遺跡という派手な呼び名とは裏腹に、現場はのどかな田園地帯。しかし、その雰囲気に不釣り合いな、長く延びる土塀(どべい)状の盛り上がりがいやでも目に入る。

「これは当時の城壁の名残りで、今も最高6m近い高さがあります。三面を城壁、一面を川に守られた街は、王宮や工房など4エリアに分かれていたようです。この効率的な街の構造を見るだけでも、高度な文明が存在したことは明らかです」(程氏)

大地震にも負けず、5000年間も形をとどめる土塀ってどんな技術だ? しかし、現場付近の研究者たちは口が重く、何を聞いてもロクに話してくれない。やはり、中央から派遣されている漢民族の彼らにとって、この地に優れた文明があったというのはデリケートな話題なのか。

「土塀にしろ、精巧な青銅器にしろ、彼らはどこから技術を習得したのか。これらの技術も、同じく遺跡から発見された符号(文字のような記号)も、黄河文明とは大きく異なる特徴を持っています」(程氏)

古代エジプトやマヤの神々の遺構と共通の特徴を持つ「大型縦目仮面」
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続いて訪れたのは、圧倒的な規模を誇る三星堆博物館。メイン展示物のひとつは、目がボーンと飛び出た「大型縦目仮面」と呼ばれる有名な青銅器だ。

「古蜀の伝説的な王様である蚕叢(さんそう)がモデルだというのが通説です。彼は天文に通じていたといいます」(程氏)

飛び出た目に巨大な耳と口。天文に関する伝説。硬い石や玉を切り、穴を開ける技術…。いずれも、古代エジプトやマヤの神々の遺構と共通する特徴だ。

「あ! それ、フランスの学者さんも同じことを言いました。世界の古代文明の神々とよく似ているが、中国では今まで発見されたことがなかった、と。石や玉を切る技術も諸説ありますが、真相はナゾのままです。


もうひとつ特徴的なのが、宇宙服や宇宙人を連想させる青銅器の数々。首の部分に頭を通すような穴が開いていたり、後ろにチャックの模様があるヘルメット形だったり…。古代とは思えない技術と、エイリアンを思わせる出土品。宇宙人遺跡といわれる理由です」(程氏)

宇宙服を思わせる青銅器
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頭の後ろ側にチャックがついたヘルメットのような青銅器
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確かに、アーモンド形の目をした青銅人面具も、いかにも宇宙人…。

アーモンド形の目をした、典型的な宇宙人顔だ
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そして、しばしば目につくのが、青銅器や土器に刻まれているナゾの符号。漢字のルーツとは思えない形で、むしろ古代エジプトのヒエログリフ(神聖文字)や、メソポタミア(現在のイラク周辺)のシュメールの象形文字に近い。

遺跡から出土した多くの青銅器や土器に刻まれていた符号
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撮影して前出のニール氏に送ると、すぐに返信がきた。

「確かにシュメールにも近いが、インダス文明(現在のパキスタン、インド、アフガニスタン周辺)を興したとされるドラヴィダ人のインダス文字に似ているね。彼らは7000年以上前、エジプトからインドに渡り、さらに東を目指したという記録がある。そのまま中国へ進む部族がいたとしてもおかしくない」

三星人は、どこから来てどこへ消えたのか。それは長らくナゾで、宇宙人説の根強い根拠でもあった。だが、エジプトからメソポタミア、インダスと渡った文明が、チベットを越えて四川にたどり着いたというのは十分にあり得るストーリーだ。しかも、彼らには共通の特徴がある。それは「太陽信仰」だ。


2001年、成都の近くの金沙(きんさ)村で、約3000年前のものとされる「金沙遺跡」が発見された。ここから出土した土器や青銅器の多くには、三星堆遺跡と同じ符号が刻まれていたーーつまり、三星人の“その後”の足取りも、ここでつながったのだ。

そして、この遺跡ではもうひとつ大発見があった。

「数万点の出土品とともに見つかったのが、太陽を鳥が運ぶ姿が描かれた黄金の“太陽神鳥”。太陽信仰の証拠です。これは中国考古学の21世紀最大の発見です」(程氏)

金沙遺跡から出土した、太陽信仰を示す遺物のレプリカ
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漢民族の黄河文明には、太陽信仰を示すような痕跡はまったく残っていない。やはり三星堆文明は、それとはまったく別のもので、エジプトから長い時間をかけて伝わってきたのだろうか…。

取材班は金沙遺跡博物館を訪れた。博物館といっても、遺跡が丸ごと120×63mの巨大な屋根に覆われたドーム型の施設だ。

その一角に驚くべき出土品があった。数千頭ものゾウの牙や骨が山のように出てきているのだ。

金沙遺跡からはゾウの牙や骨が大量に出土している。当時は今より気温が高かったといい、生息していたゾウを古代人が食べていたのだと思われる
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「これは、遠方から交易で運び込まれるような量ではない。かつて、この地に象がたくさんいて、それを人間が食べたと考えるほうが自然です。実は、三星人が象を食べ尽くしたという伝説も残っていますから(苦笑)」(程氏)

さすが中国、と納得してしまいそうな話だ。

「実際、当時の成都の気温は今より4℃ほど高かったようです。今も四川の山岳部には手つかずの原生林が残っていますから、気温さえ高ければ、野生のゾウがいてもおかしくありません」


あっという間に日没となり、調査日程が終了してしまった。程氏に延長を願い出たが、「これ以上はちょっと…」と、首を縦に振らない。

太陽信仰とゾウの件をニール氏に報告すると、こんな推論を聞かせてくれた。

「現在はインドやタイに生息するゾウが、当時は四川あたりまで来ていたとなれば、人の動きもあったと考えていい。三星人がエジプトやインドからの移住民族であった可能性は否定できないね。おそらく彼らはその後、ゾウをはじめ獲物の多い、より温暖な地域に帰っていったんだろう」

少数民族発祥説に比べれば、エジプト由来というのはまだ許せる話では? そう程氏に聞いてみると、笑いながらこう答えてくれた。

「いや、中華文明のスタートはやっぱり漢民族でないと、いろいろ都合が悪いです」

一方、ニール氏はさらにこう推理する。

「青銅器の年代にしても、海外の研究者の鑑定では『5000年以上』となっていて、実際にはもっと古いものがあるようだ。しかし、中国側はすべて一緒くたに『5000年前』と発表している。やはりこれ以上、歴史観を崩されたくないんだろうね。

もっといえば、宇宙人説を喜々として話すのも当の漢民族たちだ。もちろん、本当に宇宙人だった可能性も否定する気はないけど、彼らが『少数民族に歴史を塗り替えられるくらいなら、宇宙人のほうがまだマシ』と思っている、とも考えられる。まさか、宇宙人説を流布(るふ)しているのが中国共産党だったなんてオチはないだろうが…。

とにかく、今回はいろいろなことがわかってよかった。実は、アメリカ人は政治的な問題もあって、中国で考古学調査を行なうことが極めて難しいんだよ(苦笑)」

ともあれ、現在もガンガン進んでいると思われる発掘調査。中国共産党が歴史的発見にフタをしようとしているなかで、本当の答えが明らかになる日はくるのだろうか?


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10. 中川隆[-12538] koaQ7Jey 2019年2月01日 14:52:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22231] 報告

天皇一族や日本の支配階級は古代漢民族だった


天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨

従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江人、後期は漢民族系朝鮮人で、完全に別民族です。

天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作り朝鮮との交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論漢民族系朝鮮人です。

漢民族の天皇一族が日本を乗っ取った手口


天皇一族は朝鮮を追われて日本に移民して以降

中国華北 → 韓国ソウル
→ 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹後 → 北九州、瀬戸内、畿内
→ 沖縄、北海道・東北北半分を除く日本全土

の順に支配地域を広げて行った様です。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して朝鮮から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けて、遂に日本人(縄文人・弥生人)は少数民族となってしまいました。

現時点でわかっている事を纏めると

日本は多民族国家で

陸稲は焼き畑農耕と一緒に縄文中期に長江から九州に伝わった

水田は弥生初期に長江から北九州に伝わった

弥生人は九州に移住した少数の長江の男が縄文女性を現地妻として作った混血児の子孫
言葉は西日本の縄文人の話していた日本語をそのまま継続使用

漢民族系渡来人は弥生時代後期に北九州に植民市を作り、朝鮮と交易を行った。

弥生時代後期から昭和までずっと連続して朝鮮から長江系及び漢民族系渡来人が流入し続けた


信仰対象によってどの民族か簡単に判別できます:


縄文人
蛇信仰、巨木・磐座に神が降りる、死んだら円錐形の山からあの世に上がる

長江人
鳥信仰、集落の入り口に鳥居を設ける

朝鮮からの漢民族系渡来人
中国鏡を神体とする太陽信仰


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天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない

日本人(縄文人、弥生人、アイヌ人、琉球人)は漢民族と混血していない限りは全員二重瞼です。


兵馬俑はなぜ一重まぶた? 三つの説
2018年7月7日 10:48 発信地:中国 中新社
http://www.afpbb.com/articles/-/3181512


兵馬俑(2016年5月6日撮影、資料写真)。(c)CNS/ケイ利宇
始皇帝の兵馬俑(2015年6月27日撮影、資料写真)。(c)CNS/彭華

【7月7日 CNS】中国・陝西省(Shaanxi)西安市(Xi'an)の文化的な観光資源は実に豊かだ。周、秦、漢、唐などの王朝が、この地に無数の文化遺跡を残した。

 大雁塔(Big Wild Goose Pagoda)、鐘鼓楼(Bell Tower of Xi'an)、西安城壁(Fortifications of Xi'an)などがある。だが、最も世界を揺るがした遺跡は、「世界八番目の不思議」と呼ばれる秦の始皇帝の兵馬俑(Terracotta Army)だ。

 兵馬俑を見たことがある人は、その膨大さ、緻密さに感服させられただろう。

 千年もの間、黙々と始皇帝を守護してきた者たちが、全員一重まぶたであることに注目している人はそう多くない。

 兵馬俑の兵士が、なぜ一重まぶたなのか。実は考古学界でも、この問題は大きな論争になってきた。幾度もの議論を経て、諸説がある。

■その1・顔料の色落ち説

 兵馬俑の兵士は人間を模して製造されたため、表情は実に生き生きとしており、二重まぶたも一重まぶたの兵士も存在していたと考えられていた。しかし、二重まぶたは顔料を使用して描かれていたため、発掘された際に空気に触れ、酸化したことで顔料が色あせ、一重まぶたになったという説だ。

■その2・職人の手抜き説

 二重まぶたがないのは、仕事に手抜きがあり、わざと二重まぶたを描かなかったという説だ。

 ただ、この説にはあまり信ぴょう性がないように思われる。人に模して製造された大小の陶器製の兵士に、手抜きをするためだけにまぶたを描かないことがあろうか。秦の始皇帝が、職人に適当な仕事をさせたとも考えにくい。

■その3・一重まぶたが漢民族のシンボル説

 ある専門家は、兵馬俑は芸術品であり、人を模してありのままの姿で製造されたと考えている。そのため、兵士が一重まぶたであった原因は、当時のモデルとなった人間が一重まぶただったことに由来している。

 2200年前、秦を統治していたのは、西北地域に住んでいた人々で、モンゴル人や東アジアにルーツがある人種で、相対的に単一民族だ。この民族の身体的特徴の一つが一重まぶたであり、蒙古ひだ(目頭を覆う部分にある皮膚のひだ)があることだ。

 医学用語では、「内眼角贅皮(ないがんかくぜいひ)」と呼ばれ、東アジアや東南アジアの民族に多くみられる。

 晋の時代、漢民族は各地の民族と同化し、秦や漢時代のように単一民族ではなくなった。特に、魏晋南北朝時代には、北方の遊牧民族が南下して来た影響で、漢民族は南方の土着民族と同化した。そのため、唐時代の壁画や彫刻には、鼻が高く目が大きい胡人の姿が見られる。

 一重まぶたとつり目は、漢民族の変わらぬ美意識の主流だ。唐時代の美人画では、細い目のつり目か一重まぶたが多く描かれている。

 千年の月日が流れ、秦の兵馬俑はすでに秦帝国の栄枯盛衰を忘れ、血統に関心を払う者はいない。兵馬俑の形状や表情を通して、当時の文明や社会の様子を理解することができる。今日に至るまで、兵馬俑は人類の歴史と文化の宝庫であり、依然として無数の神秘が眠っている。新たな発見とその継承が待たれる。(c)CNS/JCM/AFPBB News
.
※この記事は、CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳したものです。CNSは1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社です。
http://www.afpbb.com/articles/-/3181512

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渡来した「O2」漢族系侵略者


日本人の支配階級のY-DNA「O2」

  日本人の原風景に全く無関係で、韓半島から勢力争いに負けて追い出され流れてきた好戦的な戦闘集団が、日本列島に逃れてきて旧唐書にあるように日本なる小さな上陸拠点を恐らく九州当たりに作りそこを足がかりに勢力を増強しながら、先に韓半島から逃れてきていて勢力を持っていた先住「O2」集団や縄文−弥生集団を武力で征服しながら東征を行ったのが大和朝廷族と考えられます。


  現在報告されている日本列島のY-DNA「O2」の遺伝子の亜型、子亜型は中華大陸の型と全く同じだと言うことは、日本列島で「O2」集団は征服した縄文−弥生集団との交配をしてこなかったことを示しています。

   これだけ見ても「O2」集団は支配者階級意識の強い嫌な連中だったことが良くわかります。


日本列島の「O2」合計は約19%です。日本人男性の5人に1人は「O2」なのです。


日本の成立考

何故百済や伽耶は日本列島の倭と連携をとることが多かったのでしょうか?

理由は簡単で韓半島南部に位置したため非支配層がY-DNA「O1b」集団だったからです。ただし支配層は帯方郡などの中国王朝の出先機関から追い出されてきた漢族です。高句麗等の新興勢力との抗争に負けた出先機関の「O2」漢族が韓半島を南下し土着の「O1b」を支配し作ったのが百済でしょう。あくまで漢族支配王国なのです。

  現在北朝鮮の遺伝子調査の報告は全くないため、韓半島北部の様子は皆目わかりません。しかし、日本列島にはないY-DNA「C2b1a2」が南部(韓国)に13%近くあるということは、北部にあった高句麗が「C2b1a2」ツングース族支配の王朝で、中国王朝の出先機関にいた漢族が非支配層である可能性は大です。

しかし新羅は百済同様「O2」漢族支配国家で、非支配層も漢族(一部ツングース「C2b1a2」もいたでしょう)でもある王朝ではないかと思います。高句麗は滅んだ後、支配層のツングースは留まったか北へ逃げ、非支配層の漢族戦闘部隊の一部は恐らく日本海側から日本列島に逃げ込み関東に定着し後に坂東武士団を形成したと思われます。


日本列島に逃げてきた「O2」集団は戦闘集団でもあったようです。旧唐書にあるように九州から日本海沿岸のどこかに「日本」なる上陸拠点を作り、そこを足場に戦力を増強し、日本列島の中心地と考えられていた畿内を目指し侵略軍を進めたのが後に大和朝廷族となった神武東征軍でしょう。

我が縄文―弥生混成集団は本来戦闘集団ではなかったため、容易く征服されていったようです。どちらかと言うと手を焼いたのは同じ「O2」で先に韓半島から逃げてきていた同類の戦闘集団でしょう。要するに侵略軍同士で闘い勝ち抜いたのが大和朝廷族だったと言うことです。あくまでも侵略者です。

●侵略者の中の勝者=大和朝廷族

「O2」遺伝子戦闘集団同士の抗争で結局最後に残ったのが、百済系の桓武王朝です。途中南北朝に分裂したり、何処からか探し出してきた天皇がいたり、女性天皇がいたりとY-DNA遺伝子が連綿と続いているわけではないのですが、比較的素直・恭順な縄文−弥生交配集団を結局手なずけ列島に居座ることに成功し今に至っています。

また傍流だった「O2」戦闘集団の武士団が政権を奪取しましたが、大和朝廷族にせよ武士団族にせよ結局勝者「O2」が歴史を作ってきたのです。


寒冷地適応、黄砂適応

寒冷地適応が起こったのは当然シベリア台地上です。寒冷化したシベリアからいろいろな動物が逃げ出し始めました。 出シベリアの最大の理由は食料兼防寒用毛皮の材料の動物がいなくなったことです。小型動物からマンモスやナウマン象に至るまで大小の動物が寒気を嫌い南下してしまい、食料兼毛皮が欠乏してきたわけです。シベリア台地の大型獣ハンターだったY-DNA「C3a」が日本列島に南下してきたのはまさしくそんな時代だったのです。


この時代に移動を決行した集団は寒冷地適応を少ししか受けていません。それでも一部の集団は凍る季節の前に、川で魚を取りだめすることを覚え、残留することを選び1万年以上に渡る長い寒冷地での適応=エピジェネティクス(後天的獲得形質)でいわゆる寒冷地適応と呼ばれる形質を獲得しました。現在でもシベリア民は川沿いに多くが居住しています。


いわゆる寒冷地適応の最も有名な改質はフルフラットフェースで一重瞼、いわゆる狐目といわれています。

そして中国人や韓国人、日本人は欧米人から長い間、そんな風に描写されてきました。それを助長したのが実は浮世絵の人物(男女共に)画です。あのデフォルメされた日本人顔が典型的なモンゴロイド形質として、日本人観を欧米人に定着させてしまったのです。しかし私の周囲を見渡してもあんな典型的なモンゴロイド顔は意外に少ないのです。

  日本で周りを見渡しても、フラットフェースで一重瞼の形質を持った人の割合はかなり少ないのです。中国や韓国は明らかに日本よりかなり多いようです。その形質が明らかに多いといわれるのが、モンゴロイドの語源になったかつて元帝国を築いたY-DNA「C2b1a2」主体のモンゴル人です。彼らも全員ではありませんが、かなりの頻度で見受けられます。そして最も多いのがY-DNA「N」と「Q」のシベリア居住民です。彼らは現在でも極寒冷地に住むため寒冷地適応が徹底的に進んだ例です。

  日本列島で寒冷地適応遺伝子ではないかと思われる「NO」、「P」、「Q」(日本列島に「C2b1a2」はまだ見つかっていません)あわせて1.5%程度です。100人いれば2人弱です。

しかし韓国では「C2b1a2」が加わるため13.5%つまり10人いれば1人はそうなのです。
日本人の10倍以上フラットフェースで一重瞼が多いのです。
だからプチ整形が盛んなのです。


いわゆる寒冷地適応した新モンゴロイドといわれる人々の遺伝子はY-DNA「C2b1a2」、「NO」、「N」、「Q」の中のシベリア及び北アジアに暮らしてきた住人たちだけです。同じ「N」、「Q」でもシベリアに留まったネネツ人やKet族のように完璧な寒冷地適応型に対し、出シベリアした集団は寒冷地適応をあまり受けてはいないのです。

専門家は苦し紛れに寒冷地適応型ではない黄色人種に古モンゴロイドなどというインチキ用語を作りあてはめました。


或る本で黄河文明人は黄砂適応を受けていると書いてありました。寒冷地適応は寒気を防ぐために皮下脂肪を溜めやすい形質もあり、顔や体はむくんだようになりますが、黄砂適応は体に悪い黄砂が付着しないように寒冷地適応と同様やはりフラットフェースで一重まぶたになり、とにかく微粒子の黄砂が付着するのを防ぐのだそうです。しかし寒気ではないため皮下脂肪を蓄える必要はなく、この点が寒冷地適応型とは異なる点だそうです。

だから黄河文明系Y-DNA「O2」正統派はフラットフェースで一重瞼が多いのです。


Y-DNA「O2」は中華4000年の歴史の中で華南と華北は交配が極めて進んでおり、華南型「O2a2」(長江文明人型)の漢民族の頻度の方が高く、当然凹凸があり、二重瞼です。だから中国人は意外に典型的な新モンゴロイド顔が少ないのです。

ところが常に華北の中華人「O2a1」から侵略を受けていた韓半島人は華北型の「O2」が多いため、寒冷地適応型新モンゴロイド+黄砂適応型「O2a1」の組み合わせで、漢民族より更にフラットフェースの一重瞼率が高いのです。


  勿論日本人にも黄河文明系「O2a1」、つまり黄砂適応型も5.7%もいるため、顔の厚ぼったいフラットフェース・一重瞼型(1.5%程度)と顔の薄いフラットフェース+一重型(5.7%程度)の2種類、合計7.2%いるのです。黄砂適応型の方が多いのです。

浮世絵の人物画はこの黄砂型の感じですね。
以上 http://www1.parkcity.ne.jp/garapagos/

これが日本の支配階級「O2」の容姿

浮世絵

Kitagawa Utamaro
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Shunga_by_Kitagawa_Utamaro
http://www.akantiek.nl/shunga.htm

Prints by Utamaro, Kuniyoshi, Kunisada I/II, Eisen & Utagawa School
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Toyoshige
http://www.ukiyoe-gallery.com/gallery9.htm#Tomioka


▲△▽▼

●日本人Y-DNAハプログループ比率 (2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)

D1b--32% : 縄文人、漢民族と混血していなければ二重瞼

O1b2-32%(旧表記O2b): 弥生人、漢民族と混血していなければ二重瞼

O2---20%(旧表記O3) : 漢民族、縄文人・弥生人と混血していなければ一重瞼

C2----6% : 縄文人、漢民族と混血していなければ二重瞼

C1----5% : 縄文人、漢民族と混血していなければ二重瞼

O1b1--1%(旧表記O2a): 弥生人、漢民族と混血していなければ二重瞼

O1a---1% : 弥生人、漢民族と混血していなければ二重瞼

N1----1%

D1a,Q1--1%未満

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漢民族は有史以来 戦争に勝った事が一度も無いと書きましたが、

日本人は今も昔も戦争を嫌って武器すら持っていなかったので

朝鮮での戦に負けて逃げて来た弱虫の天皇一族にも簡単に征服されてしまったのです。


11. 中川隆[-9749] koaQ7Jey 2019年6月09日 07:52:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2701] 報告


国際派日本人養成講座
No.1117 外国人参政権問題で学ぶ国家観 2019/06/08
https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201906/article_2.html


公民教科書読み比べ(15): 外国人参政権問題で学ぶ国家観

 外国人参政権は「国家とは何か」という国家観を学ぶための良い例題なのだが、、、
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■1.「洗国」

 中国には「洗国」という戦術があるそうな。三橋貴明氏が著書『移民亡国論』[1]の中で次のように説明している。

__________
 洗国とは、支那大陸において、「他国」を乗っ取る際に多用される(多用された)手法である。まずは、国内の流民を数十万人規模で「対象国」に移住させる。当初は「外国人労働者」として、いずれは「移民」として、膨大な支那人を送り込み、現地に同化させていくのだ。・・・
 いわば人口を利用した外国侵略だ。[1,p88]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 カナダのバンクーバーは人口210万人のうち約18パーセントが中国系住民で、いまや香港にひっかけて「ホンクーバー」と揶揄されている。周辺のリッチモンド市にいたっては半数以上が中国系で、街の看板も中国語の方が英語より多い。他人事ではない、我が国でも埼玉県南部には住民の40パーセントが中国人という団地がある。[a]

 こういう移民が地方参政権を得たら、強力な票田となって親中議員を増やしたり、中国系議員を当選させたりして、政治に影響力を持つ。たとえばサンフランシスコ市の前市長エドウィン・リーは中国系移民二世で、中国系団体が建てた慰安婦像の寄贈を市として受け入れる決定をした。

 中国共産党政府は「国防動員法」で「外国に居住する中国人民」を含めたすべての人民を国防のために動員できると定めているので、こうした移民は外国にいても、秘密裏に中国政府の指示に従って動く恐れがある。

 平成20(2008)年の長野オリンピックでは、3〜4千人の中国人留学生が集まって、巨大な中国国旗を林立させた。これも中国政府の指示であろう。その一部が暴徒化して、チベット・ウイグルを支援する日本人グループを襲撃し、数十人の日本人が負傷したと言われている。

 しかし、こんな派手な事件を起こさなくとも、在日中国人が地方参政権を得れば、自分たちのための働いてくれる日本人議員を当選させて、日本国民が気がつかないうちに地方議会を左右できる。これも「洗国」の一ステップである。


■2.「外国人にも、地方選挙の選挙権を認めるべき」

 外国人参政権はこうした問題を孕(はら)んでいるのだが、中学公民ではどう教えているのだろうか。東京書籍版中学公民教科書(東書)では、「参政権」の項に「外国人参政権」のコラムを設け、次のように述べている。

__________
日本では、選挙権は国民の権利として日本国籍を持つ人のみに認められています。これに対して、外国人にも、一定の条件の下、一人の住民として地方選挙の選挙権を認めるべきだという意見もあります。[2, p56]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「日本では」とことさらに書かれると、さも世界の大勢は違うのか、と思ってしまう。その上で「外国人にも、一定条件の下、地方選挙の選挙権を求めるべき」という意見を聞かされれば「日本は世界の大勢から遅れた国で、日本に住んでいるのに参政権も与えないのは差別だ」と思い込む生徒も出てくるだろう。


■3.参政権は「国民固有の権利」

 この点で、育鵬社版(育鵬)では「EU加盟国の外国人参政権」と題した3分の1頁ほどのコラムで、次のように原則と諸外国の状況を詳しく説明している。

__________
 参政権は本来、国家の構成員のみに認められる権利です。日本国憲法でも「国民固有の権利」(15条(1))とされています。[3, p75]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 憲法15条(1)は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と謳っており、地方議員も市町村長も国会議員も、みな公務員であるから、これらの選挙での「参政権は国民固有の権利」と明確に規定されているのである。

 裁判所の判決事例でも、これまでに外国人が国政参政権、地方参政権、国政被選挙権(選挙に立候補して選ばれる権利)を求める訴えを起こしたが、いずれも最高裁において棄却されている。この点を、自由社版公民教科書(自由)は詳しく説明している。

__________
これら(JOG注: 在日韓国人、朝鮮人、日本居住外国人)の日本に永住または在住する外国人に対しては、選挙権や公務員となる権利は基本的に保障されていない。これに対し、外国人に選挙権を与えないのは憲法第14条の法のもとの平等に反するとの訴えが起こされた。
しかし、1995年、最高裁判所は次のような主旨の判決を下し、訴えを退けた。「憲法は第15条で選挙権を日本国民固有の権利としている。また憲法93条に規定された地方選挙権を有する住民とは日本国民である。わが国に在住する外国人に選挙権を付与(ふよ)しなくても合憲である。」
 この判決は、日本の選挙権を日本国民に付与し外国人に付与しないことは、合憲であり、権利の平等・不平等の問題ではないことを示した。
 しかし、現在も日本に永住または在住する外国人に地方参政権を付与するか、付与しないか、議論が続けられている。[4, p68]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 このように、外国人参政権の問題でも、憲法規定、裁判所判例という大前提をきちんと説明した上で、「議論が続けられている」と追加することで、生徒も「公民」として、この問題を正しく考えていく事ができる。

 この点で、東書は「国民が政治に参加する権利が参政権です」と説明するだけで、その参政権が「国民固有の権利」である事は明記していない。こういう大前提を教えることは、公民教育の根幹なのだが。


■4.「〜という意見があります」という欺瞞

 何の論拠も示さずに「〜という意見があります」という言い方は東書のお気に入りのようで、「一方で,自衛隊は憲法第9条の考え方に反しているのではないかという意見もあります」とか「このような自衛隊の海外派遣については慎重な意見もあります」などという表現を、今までもこの「公民教科書読み比べ」シリーズで批判してきた。[b]

 そもそも論拠も示す事なく「〜という意見があります」というだけなら、「肉食は禁止すべきだという意見もあります」とか「完全な非武装平和を目指すべきだという意見もあります」などと、何でも言える。いくら少数意見でも、そういう意見がある事自体は「事実」ではあるから、虚偽の記述ではない。しかし、そこには欺瞞が隠されている。

 ある問題で対立する意見があるなら、両者の論拠をきちんと比較し、前提として憲法規定や裁判所判例を知った上で、生徒にどちらを正しいとするのか考えさせるべきだろう。そうしてこそ、自分の頭で今後の日本国のあり方を考える「公民」を育てる事ができる。

 東書のように「外国人にも参政権を与えるべき」という一方の意見だけを紹介し、しかもその意見が憲法規定に反し、最高裁判所判例でも否定されているという大前提を教えないのでは、その方向に生徒を「洗脳」する魂胆があるのか、と疑われても仕方がない。国は「洗国」、国民は「洗脳」では、独立国は維持できない。


■5.ドイツでもフランスでも憲法違反

 次に、東書で「日本では」と、さも外国人参政権を認めないことが日本の特殊事情であるかのように述べている点を考えてみよう。育鵬の前述のコラムでは、この点も事実を詳しく説明している。

__________
 地方参政権などを外国人に付与している国は世界で約40か国ほどです。その大部分はヨーロッパ連合(EU)に加盟する国々です。
 ドイツやフランスでは、日本国憲法と同じく、憲法で国民主権を採用しています。そのため、ドイツでは外国人に地方参政権をあたえた州の法律が、地方レベルでも国民主権に反するとの裁判所の判断により憲法違反とされました。
 また、フランスでもEU条約の締結にあたり、他国籍のEU市民に地方参政権を付与することを認める条約を違憲としました。
 そこで両国はEU市民に限り、各国はたがいに地方参政権が認められるように憲法改正を行い、EU条約を批准しました。
 現在、ほとんどのEU加盟国はこのEU条約に基づき、加盟国の国民に対してのみ、EU市民権としての地方選挙権を相互に認め合っています。加えて、イギリスはオーストラリアやカナダ、ポルトガルはブラジルなど、旧植民地の国籍をもつ人に対しても参政権を認めています。[2, 75]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 EUは、ヨーロッパ合衆国として一つの国になる事を目指していたから、相互に地方参政権を与えることはその方向に沿った政策である。しかし、「一つの国」になるというEUの理想は、まさしく外国人移民の問題で瓦解しつつある。EUの積極的移民導入策に、文化や安全の面で耐えきれなくなった国々が、反対の声を上げ始めたからだ。

 また、イギリスから見たオーストラリアやカナダ、ポルトガルから見たブラジルは、同じ言語を用いる血の繋がった親戚ともいえる国々であり、相互に移民が出入りしても、文化や安全の問題が生ずることはない。

 このように外国人参政権の問題は、国家共同体とは何か、どうあるべきか、という国家観の問題につながっているのである。


■6.マンションの管理組合で考えれば

 参政権は国民だけに与えられる、との原則の妥当性を理解するには、マンションの管理組合を例に考えると中学生にも分かりやすいだろう。マンションの管理組合は、改修をどうするか、など、資産価値を保全するための意思決定を行う。管理組合の役員として選出された人々は、そのための調査を行ったり、案を作って管理組合総会に提案したりする。

 マンションが国土であり、所有者が国民、管理組合は国会にあたる。在日外国人は、マンションの一戸を賃借して住んでいる賃借人だ。外国人参政権の問題とは、賃借人が管理組合の意思決定に参加したり、役員選挙権を持つ事ができるか、ということだ。

 マンションをどうするか、という問題に、そのマンションの所有権を持たない人が口を挟むのはおかしい、とは分かりやすい道理である。要望や提案を出したり、アドバイスしたりするのはまだ良い。しかし、決定権は所有者が持つ。

 そもそも賃貸人は、そのマンションに長期間住む事を前提としていない。したがって長期的に住もうとする所有者と、短期間だけ住めれば良いという賃貸人とでは、考えもニーズも異なってくる。

 たとえば10年先、20年先を考えて、今のうちにお金をかけて大規模改修をしておこうという案に賛成する賃貸人は少ないだろう。そういう賃貸人が管理組合で発言権を持ったら、マンションの資産管理も歪められてしまう。

 管理組合は、あくまでそのマンションを「自分の財産」として大切に考える人たちの組織である。この「所有権」にあたるのが、国籍である。


■7.「外国人でも税金を払っているのだから、参政権を認るべき」

 一方、「外国人でも税金を払っているのだから、参政権を認るべき」という主張がある。これは賃貸人が「共益費を払っているのだから、管理組合で発言させろ」と言うのと同じ理屈である。

 共益費とは管理人の給与やエレベータの保守費用にあたる。賃貸人も、管理人のサービスやエレベーター利用などの「共通の益」を享受しているから、「共益費」を負担するのが当然なのだ。それを払うことと、管理組合に参加することは別の話である。

 国の税金も、警察や消防、軍隊に安全を守って貰い、小中学校で無料の教育を受け、公園や図書館を使う、という「共益」のための費用なのだ。国籍に関わりなく、日本国に住む以上はその「共益費」を払うのは当然であり、それと参政権とは関係がない。

 また「税金を払っているのだから、選挙権を与えるべき」という主張を裏返せば、「税金を払っていない人々は選挙権を持つべきでない」ということになる。それでは貧乏人には選挙権を渡すな、と言うのか。

 どこの国でも、選挙権は有産階級から始まって、次第に納税有無に関係ない「普通選挙」に広がっていった。財産の多寡や納税の有無に関係なく、国民の権利として平等に選挙権を持つべきだ、というのが近代的な「国民主権」である。それは外国人、すなわち「非国民」は主権に関与させない、という意味を含んでいる。


■8.国家観を学べない教科書

 以上のように、外国人参政権は「国家とは何か」という国家観を考える上で、良い切り口となる。マンションの例で言えば、マンションの所有者たちの共同体、すなわち管理組合が国家共同体なのである。賃借人は隣人として仲良くやっていくべきだが、あくまで一時的なゲストである。

 所有者たちの共同体は所有権という経済的・法的な次元に止まらない。自分たちのマンションへの愛着や、所有者間の同胞意識も含んだものである。それらがあってこそ、マンションも住みやすくなる。

 東書の記述には、日本国憲法が外国人参政権を違憲としていること、最高裁判例でもそれが支持されていること、海外でも同様に考えられている事が明記されていない。こういう教科書では、生徒たちは健全な国家観を持った公民には育たないだろう。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(974) 移民問題、二つの進路 (上)「洗国」への道
「洗国」とは他国に数十万人規模の流民を移住させて、やがてその国を乗っ取るという、シナ大陸で多用される手法である。
http://blog.jog-net.jp/201610/article_6.html

b. JOG(1092) 公民教科書読み比べ(11): まるでドメスティックな平和主義
 わが国周辺の脅威も見ず、世界の憲法の趨勢も見ない「まるドメ」平和主義論議。
http://blog.jog-net.jp/201812/article_4.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 三橋貴明『移民亡国論: 日本人のための日本国が消える!』★★★、徳間書店、H26
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4198638152/japanontheg01-22/

2. 『新編新しい社会公民 [平成28年度採用]』、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122333/japanontheg01-22/

3. 『新編新しいみんなの公民 [平成28年度採用] 』、育鵬社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382483/japanontheg01-22/

4. 『中学社会新しい公民教科書』、自由社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4915237575/japanonthegl0-22/


https://s.webry.info/sp/blog.jog-net.jp/201906/article_2.html

12. 霞ヶ関に原爆を落とせ[249] ieCDlorWgsmMtJSagvCXjoLGgrk 2019年6月09日 23:20:30 : Nqb0tL6si2 : NEJDZElXcnpyUms=[55] 報告
日露ではロシアに逃げられ。WWUで
アメリカに徹底的に負けた糞長州
ジャップランドの土人猿糞川が
ファビョってんじゃねーよ(笑)。
13. 中川隆[-8825] koaQ7Jey 2019年8月16日 18:57:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3917] 報告

2019年08月16日
中国は外交下手で、工作員潜入や恫喝外交しかできない
http://www.thutmosev.com/archives/80695670.html


中国は頭は良いが未熟な学生たちを兵隊として利用した。(日本の学生運動)

オウム真理教と同じで本人はコントロールされたのに気づいていない


画像引用:http://www.daisuki-kanda.com/guide/photostudio/data/76-0.jpg

中国による浸透作戦

中国は外交上手であらゆる国を手玉にとり、西側先進国はやられっぱなしだったというイメージが定着している。

代表例は米トランプ大統領で、中国は数十年間に渡ってアメリカにスパイを送り込み、アメリカを支配しようとしたと言っている。

そうした面も無くはないし、中国が裏社会をつかって各国を支配しようとした証拠もある。




中国からニュージーランドに帰化したジャン・ヤン(Jian Yang)議員は、帰化前は中国スパイ組織の教官で、現在も中国のスパイである可能性が高い。

こういう人はアメリカやカナダなどあらゆる西側諸国に存在し、合法的に市民権を取得してその国の人になっている。

カナダやアメリカや欧州では時おり、日本の過去の戦争を非難する非難決議がされたり、慰安婦像を建てたりしている。


調べて見ると大半は移民議員が首謀者だったり、提案した議員の選挙区は中国移民が非常に多かったりします。

日本ではレンホーの2重国籍が問題になったが、仮にレンホーが中国共産党のスパイであっても驚かない。

これはソビエト共産党創設以来の浸透と呼ばれる手法で、敵組織に共産党員を浸透させ、内部から崩壊させる。


日本では中国に最も近い沖縄が浸透の標的になり、「祖国中国に復帰しよう」「沖縄を人民共和国にしよう」などという人間が知事をやっている。

毛沢東は1960年代に一度失脚したがまた権力に返り咲き、国内では共産主義原理主義のような文化大革命をやった。

国外では再独立したばかりで脆弱だった日本共産化を企み、バカぞろいだった東大や京大に狙いをつけた。

毛沢東の日本共産化に踊った学生たち

無知で社会経験がない学生を煽って自分の手先にし、国内では紅衛兵として文化大革命をやらせた。

日本では学生運動を起こさせて日本赤軍や左翼過激派による様々な事件を引き起こした。

赤軍による事件は本来は日本の共産化が目的だったのだが、学生と底辺労働者以外には広まらなかった。


日本で戦後共産主義が広まった原因はGHQにあり、米国は日本の右翼を権力から排除するため、共産主義者と朝鮮人の雇用を義務化した。


あらゆる大企業やNHKやテレビ新聞で共産主義者と朝鮮人が上層部にいるのは、このGHQによる赤化政策が原因でした。


一度権力を握った共産主義者と朝鮮人は、仲間を増やしたりさらに朝鮮人を採用する事で組織を支配し続けている。


毛沢東と中国はここにつけこみ、今なら日本に共産主義革命を起こして中国の植民地にできると考えた。

中国人ははこうした裏工作や非合法活動がやたらと得意で、周辺国で混乱を起こしては植民地にしてきた。

モンゴル、チベット、ウイグル、ネパール、パキスタン、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどは皆この手で大混乱に陥り支配下に組み込まれました。


2014年にタイでクーデターが起き今も軍政が続いていますが、ごろつきに暴動を起こさせて軍をそそのかしたのは、やっぱり中国でした。


タイ軍事政権は中国と親密で、中国製兵器を購入しようとしたり、中国の敵である日米とは険悪になっている。

こういう事は浸透によってアメリカ人やカナダ人になった中国人がやっている。

アメリカの議会制度は出席者が一人なら、賛成1人でも「全会一致」になる。

それを日本の左翼マスコミは「議員全員が賛成した」かのように報道する


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画像引用:http://1.bp.blogspot.com/-QXIZ3zUZkOg/VQvroSzU0vI/AAAAAAAALak/1CiVkmjnFrY/s1600/b4.jpg


中国は外交下手なので破壊工作しかできない

これらを見ると中国の対外活動は大成功しているように見えるが、実際にはこんな「テロ行為」しかできないのです。

表で正々堂々と外交して他国と交渉できないので、工作員やテロリストを送り込んで相手を支配下に置こうとします。

ミャンマーやネパールは政府が倒れて共産化するかも知れないが、日米や欧州でも同じ事しかできません。


一時的に何らかの成果を挙げて相手国にダメージを与えるが、相手国はより中国を警戒するようになります。

その結果現在中国はアメリカから制裁されどの先進国からも警戒され、外交交渉ができなくなっています。

すると中国は軍事力による恫喝と、金にモノを言わせた買収や制裁で脅してきます。


外交交渉がヘタだから脅すしかない訳で、中国人や中国は「外交がすごく下手」なのです。

外交下手なのは中国が未開の地であるため、先進国や民主国家の人の気持ちを理解できないからです。

ミャンマーの人は脅して金を見せれば簡単に従うが、アメリカ人や日本人は違うのが理解できないのです。


だからこそ中国はより一層外国への潜入や工作員による破壊活動に力を入れるのです。
http://www.thutmosev.com/archives/80695670.html

14. 中川隆[-11317] koaQ7Jey 2019年9月20日 13:55:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1480] 報告
ウイグルやチベットと同じ運命をたどりたいのか?!北海道・沖縄県。
August 2, 2016
https://peacenote.wixsite.com/social-media-blog/single-post/2016/08/02/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%84%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E5%90%8C%E3%81%98%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%82%92%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F%EF%BC%81%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%83%BB%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%80%82


同じ運命をたどるのか?!

 今年7月、「国家基本問題研究所」から「日本研究賞」を贈られた文化人類学者、楊海英(よう・かいえい)さんは、中国・内モンゴル自治区出身である。幼い頃、十数キロ先の草原に中国人(漢民族)の家族が入植してきた。

 ▼楊さんらモンゴル人は大地にクワを入れる行為を忌み嫌う。中国人は平気で灌木(かんぼく)を切り、草原は砂漠化していった。いつの間にか自治区全体で、先住民のモンゴル人の人口が400万人にとどまるのに対し、中国人は3千万人に膨れあがっていた。

 ▼北海道も同じ運命をたどるのではないか。宮本雅史記者が連載する「異聞北の大地」を読んでいると、杞憂(きゆう)とは思えない。日本各地の森林に対して、中国企業による買収の動きが活発化するのは、平成20年頃からである。当初は、水源の確保が主な目的とみられていた。北海道は24年、水源地を売買する際、事前の届け出を求める条例を施行した。それから4年、事態はますます深刻化している。

 ▼帯広市では中国生まれの経営者が、東京ドーム36個分の広さの土地を買収した。近くには、「村ごと」買い占められた地区もある。中国人の移民村ができるのではないか。そんな不安の声が地元で上がっている。札幌の高級住宅地でも中国系不動産会社の進出が目立つ。

 ▼そもそも日本には、外国資本による森林などの売買に規制がない。ダミー会社が使われたり、転売が繰り返されたりすると、行政側が実態を把握するのは、ほとんど不可能となる。中国のように土地売買を認めていない国に対して、あまりにも無防備すぎる。

 ▼楊さんによれば、ウイグルでもチベットでも、中国人による植民地化のプロセスは同じだった。入植者たちの内応に続いて、やってくるのは人民解放軍である。

http://www.sankei.com/column/news/160801/clm1608010004-n1.html

中国生まれの「反天皇」農場主が帯広で170haを取得したのはなぜか? 朝鮮総連議長らにもお披露目し…

 北海道は平成24年4月、水源地を売買する際、事前届け出を求める水資源保全条例を施行した。それから4年。道内の外国資本の動向を追う。

 (編集委員 宮本雅史)

 3月中旬の北海道帯広市。深い雪に包まれたJR帯広駅から道道216号線を南西へ約30キロ。日高山脈の麓、拓成町に入ると、戸蔦別川沿いに広大な農地が広がる。農場に沿って幅10メートルの道路が整備されている。さらに幅10メートルの作業用道路が敷設されているといい、セスナ機なら離着陸できそうだ。

 農場の入り口からコンクリートの敷石が敷設されたゆるやかな坂道を登ると、左右にグリーンやグレーのバンガロー風の建物が立ち並ぶ。奥にはL字型の建物が建設中だ。関係者によると、バンガロー風の建物は1階が寝室。居間は吹き抜けで2階はロフト形式。1棟に6人は住める広さで、建設費用は1棟1500万円ぐらいだという。

 従業員によると、農場ではヤマブドウやモモ、カキ、グミ、スモモなどの果樹類を育てているという。

 農場の経営者(73)は、複数の企業の会長職を務める地元財界の有力者。「これまでに(東京ドーム約36個分に当たる)170ヘクタールを買収し、最終的には400〜500ヘクタールまで広げ、バンガローも年内には7棟建てる。いずれはヘリポートの建設も予定している」と語る。

記事全文→ http://www.sankei.com/premium/news/160509/prm1605090005-n2.html

中国が観光施設“爆買い” 進むチャイナタウン化 住民に危機感「中国人の街ができてしまう」

 四方、雪化粧に包まれたJR北海道石勝線のトマム駅。車窓からは1千ヘクタール(東京ドーム213個)を超える総合リゾート施設が広がる。「星野リゾートトマム」(占冠村)だ。

 この日本を代表する総合リゾート施設が中国の商業施設運営会社「上海豫園旅游商城」に買収されたのは昨年秋のことだ。買収額は約183億円。それまで星野リゾート(長野県軽井沢町)が20%、外資系ファンドが80%の株式を保有していた。上海豫園旅游商城の大株主は、上海の中国民営投資会社「復星集団」(フォースン・グループ)。復星集団は日本での不動産投資を積極的に進めているとされ、トマムの買収も復星集団の意向が働いたとされる。

 占冠村の中村博村長は不安を口にする。「買収は寝耳に水だった。中国企業の会長は『トマムにも投資する』と言っているが、具体的にどういう投資がなされるのか分からない。水の問題と乱開発が心配だ。網掛けをきちんとして、水資源の確保と乱開発は防がないといけない」

 道庁関係者によると、トマム地域は水資源保全地域に指定されておらず、トマムの水源地も買収されたという。

記事全文→ http://www.sankei.com/premium/news/160510/prm1605100006-n2.html

日本が20年足らずで消滅? 空自基地周辺にも中国の影 ゴーストタウン化した中国人向け別荘地も

 北海道の新千歳空港から車で約15分。千歳市郊外の高台に整備されたニュータウンの一角に高級住宅が立ち並ぶ。障害物はなく、東方に新千歳空港と航空自衛隊千歳基地が一望できる。

 家具・インテリア販売大手「ニトリ」の子会社「ニトリパブリック」が約6億5千万円を投じ、平成22年7月に完成した中国人向けの別荘地だ。約6500平方メートルの敷地内に木造2階建て住宅17棟が並ぶ。建物面積は380平方メートルだという。芝生が敷かれた中庭には中国放送視聴のためか、大型衛星アンテナ3台が設置されている。

 ニトリは1棟当たり平均3千万円で入居者を募集したところ、100人余りが応募、早々に分譲を完了したという。当時、地元では物議を醸したが、それ以降は話題にものぼらない。各住宅の玄関には中国人名の表札があるが人気はなく、この一角だけは無機質なゴーストタウンのようだ。

 道路をはさんだ反対側には広大な土地が放置されている。この土地も同社が買収したものだという。ニトリは当初、1万人の中国人が住めるように、1千棟の別荘を建設する予定だったが、住民の反対などがあり頓挫。ニトリによると、今後、拡張の予定はないという。

記事全文→ http://www.sankei.com/politics/news/160511/plt1605110003-n2.html

【沖縄が危ない】人命を平然と利用する「オール沖縄」の政治家とメディアの悪習​

 4月に発生した沖縄の米軍属による女性暴行殺害事件は、県民を震撼(しんかん)させた。凶悪な犯人は断固厳罰に処さなくてはならない。だが、米軍絡みの事件事故を何でも「反基地」に政治利用する沖縄の政治家やメディアの悪習は、今回も収まるところがなかった。

 「海兵隊撤退を初要求」−。事件を受けた県議会の抗議決議を報じる県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」の見出しが躍った。決議には米軍普天間飛行場(宜野湾市)の県内移設断念も盛り込まれた。

 しかし、その内容は、尖閣諸島を抱える私たち八重山諸島の住民を置き去りにしたものだ。

 6月9日には中国軍艦が尖閣諸島周辺の接続水域に初めて侵入するなど、八重山を取り巻く軍事的緊張は高まっている。県議会は在沖海兵隊を撤退させた後、尖閣をどう守るか真摯(しんし)な議論をしたのだろうか。

 容疑者の男は元海兵隊員だが、現役ではなく、現在は基地内で働く会社員である。事件と普天間飛行場の移設も無関係だ。事件が直ちに海兵隊の撤退要求や辺野古移設反対運動に結びつく論理的必然性はないのだ。

 つまり決議の実態は、翁長雄志知事を支持する政治勢力「オール沖縄」の単なる政治アピールだった。しかし、多数のごり押しで可決され、野党の自民党は退席した。

 事件発覚直後の6月には県議選が行われたが、「オール沖縄」の政治家たちは「事件に対する怒りで(オール沖縄候補の)当選を勝ち取ろう」などと街頭演説する始末だった。人命を平然と選挙運動に利用する神経を疑う。

【沖縄が危ない】人命を平然と利用する「オール沖縄」の政治家とメディアの悪習 (2/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK

 県紙2紙は「基地あるがゆえの事件・事故」などと書きたて、全基地撤去を要求した。何でも「基地あるがゆえ」と片づけてしまえば反基地派にとっては便利だが、それぞれの事件事故の全容解明は脇へ追いやられてしまう。

 被害者の遺族は「そっとしておいてほしい」とコメントを出したが、県紙は執拗(しつよう)に遺族への取材を続行。女性の父親から「基地はいらない」などというコメントを引き出した。それが県紙2紙にそろって掲載されたのは県議選告示日の前日だ。記事は「オール沖縄」の候補に有利に働いただろう。

 「大勝利だ」−。県議選の結果が判明した6月5日、翁長氏は高揚感をあらわにした。反基地の潮流に乗った「オール沖縄」は48議席のうち27議席を獲得。宜野湾市長選の敗北後、揺らいでいた翁長氏の政治基盤は一気に安定化した。

 沖縄では今後も、安全保障よりイデオロギーを優先する県政と議会の支配が続く。尖閣を抱える国境の島の懸念は深まるばかりだ。

 ■仲新城誠(なかしんじょう・まこと) 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に石垣島を拠点する地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。同県の大手メディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に「国境の島の『反日』教科書キャンペーン」(産経新聞出版)、『翁長知事と沖縄メディア 「反日・親中」タッグの暴走』(同)など。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160628/dms1606281550005-n1.htm


https://peacenote.wixsite.com/social-media-blog/single-post/2016/08/02/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%84%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E5%90%8C%E3%81%98%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%82%92%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F%EF%BC%81%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%83%BB%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%80%82

15. 中川隆[-11152] koaQ7Jey 2019年9月26日 09:46:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1654] 報告
【桜便り】恐怖!中国自治区の実態 [R1-9-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=M6lmagg_XUU

キャスター:水島総・水野久美
明日の香港〜中国自治区の実態

16. 中川隆[-11137] koaQ7Jey 2019年9月28日 18:38:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1678] 報告
2019年09月28日
香港が独立すると中国が崩壊する理由 全土で反乱が起きるおそれ

中国の歴史はアリとキリギリスそのもので、南方のアリは働くだけ

北京のキリギリスは働かず食べるだけ


香港独立が中国崩壊につながる理由

香港では2019年4月に犯罪者を中国に引き渡す「逃亡犯条例」が発表され6月から香港デモが始まりました。

デモは香港全土で百万人を集めて暴徒化したため香港政庁は7月に逃亡犯条例を立法化延期を表明した。

9月になって逃亡犯条例を正式に撤回したが、デモは収束せず香港独立や中国からの離脱を求める声が高まっている。


この本質は香港が中国の領土ではないことで、さらに言えばモンゴル・チベット・ウイグル・キルギス・長江以南もすべて中国の領土ではない。

中国という概念を作ったのは秦の始皇帝だが実態は北方の少数の騎馬民族が、南方の農耕民族を植民地支配した。

以来2千年以上に渡って北京周辺の騎馬民族は働きもせず王朝を作っては、南方民族に労働をさせていました。


中国の発明とか伝統と呼ばれるものはすべて長江文明発祥で、北京周辺の黄河文明はただ侵略して奪ってきただけです。

それを伝統や文化というならば、ソ連やナチスも「文化」だったでしょう。

中国の歴史を1%の騎馬民族が99%の農耕民族を支配した歴史と捉えると、複雑に見えた中国史が一気に簡単になります。


香港の他、モンゴル・チベット・ウイグル・キルギス・長江以南の土地も全て中国の領土ではなく、殖民地にすぎません。

清王朝が滅んでから中国は漢民族という人種を創作し、中国が一つの人種であるかのようなまやかしを多民族に強要している。

全てが漢民族だからチベット人やウイグル人に配慮する必要がなく、少数民族は存在しないことになっている。


こういう架空の国で香港の民主化や独立などを認めると、チベットやウイグルやモンゴルも民主化や独立を求める。


中国史で強いのは必ず北方国家で南方国家は弱い


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画像引用:東アジアと日本 | 世界の歴史まっぷhttps://sekainorekisi.com/era_name/

中国とは北方王朝が農耕民族を支配した歴史

中国だの漢民族だの中国王朝だのは存在せず、草原を馬で駆け回っていた騎馬民族が、南方の農耕民族を働かせて収穫物を奪っていただけでした。

王朝を築いた騎馬民族は2千年間一度も働かず、権力闘争に明け暮れて「中国が発展しないように」国を治めてきました。

国が発展すると南方の農耕民族が豊かになり、力を持って北方の皇帝と支配人種に逆らってくるからです。


中国はチベットを奪い取ったように香港をイギリスから奪ったが、香港の方が豊かであり中国は貧しい。

香港はイギリス時代に既に民主主義を体験しており、選挙権以外は先進国と同じような社会制度の下で暮らしていた。

一度民主主義の下で発展した国が共産主義や独裁主義に戻るのは、21世紀から原始時代に戻るようなものでしょう。


香港人は最初「同じ中国人だ」とか「中国は発展するから金持ちになる」などと考えたが、まったくの幻想に過ぎなかった。

中国の本性は北方の騎馬民族による南方支配であり、2000年前の秦の始皇帝時代と何も変わっていない。

北京周辺の皇帝や支配人種は働きもせず政争に明け暮れて、南方の人々に働かせては搾取しています。


香港が本土に統一されたらたちまちチベットやウイグルのようになるのは火を見るよりも明らかです。

中国の歴史を眺めて不思議で仕方がないのは、長江周辺や南方の人々はなぜ独立した国を作らないかという事です。

中国には宋など南方王朝もあったのだが、とにかく戦争に弱いので戦うと必ず北方民族の国に負けていました。


国を作るという作業は要するに戦争に勝って不満を抑え込む事なので、戦争に弱い民族は国を作れない。

香港人もやはり国を作るのが苦手なようで、騒いではいるがどうすれば良いのか分かっていない。

東欧のウクライナやポーランドだったら、さっさと独立政府を作って正規軍にゲリラ戦を挑み、国際社会を巻き込んで独立してしまうでしょう。


2千年間支配される側だった南方の中国人は、果たして北方から独立できるでしょうか。
http://www.thutmosev.com/archives/81082509.html

17. 中川隆[-10935] koaQ7Jey 2019年10月12日 17:36:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1899] 報告

2019年10月12日
中国の攻勢 ユーラシア大陸を「債務のワナ」で支配


中国は気前よく援助するが、援助された国は借金を背負わされ乗っ取られる


画像引用:一帯一路の「債務のワナ」に注意せよ―米学者 |レコードチャイナhttps://www.recordchina.co.jp/b562620-s0-c20-d0135.html

中国の援助と支配の外交

中国は経済発展に伴って軍事力を強化し、軍事的恫喝と経済支援の両方で周辺国に圧力をかけている。

左手で拳骨を作って右手で握手するやり方で、多くの国が中国に屈服し支配力を受け入れている。

冷戦時代に日米欧は西側陣営を形成し共産陣営に守りを固めたが、冷戦終結後はすっかり緩くなった。



従来アメリカのテリトリーだった太平洋、日本の裏庭と呼ばれた東南アジア諸国、欧州に近い中央アジアも侵食している。

それどころか中国は中東やアフリカやオセアニア、中南米にまで食指を伸ばして影響力を拡大している。

南米のベネズエラは2000年代の石油バブルで先進国並みに豊かになり、中国からの投資を受け入れた。


当時中国は資源エネルギー確保に奔走していて世界中の油田や鉱山を買いあさっていました。

しかし2010年代に資源バブルが崩壊してベネズエラはハイパーインフレに陥り事実上破産状態に陥った。

中国が投資した資金も紙切れ同然になったが、ベネズエラは債権国中国に支配されるようになった。


中国は独裁者のマドゥロ大統領を支援して政権を存続させ、ベネズエラの資源を手中に収めています。

中国は同じような手口でインド洋のスリランカに投資し、港湾使用権を奪い取ってしまった。

スリランカは今後中国海軍の軍港として使用される事になり、中国の支配体制に組み込まれる。


ベネズエラやパキスタンやネパールやブータンなど、インド周辺の国々はすべて中国の支配下に落ちています。

フィリピンやタイやカンボジア、ミャンマーも中国の強い影響下にあり、インドネシアが日本に決まっていた新幹線を直前で中国に変更したのは記憶に新しい。

中央アジアやインドネシアをはめ込んだ手口

中央アジアの国のほとんどは経済的に破綻した貧困国であり、欧米や日本が重視しないので一種の捨て地のようになっている。

そこに手を伸ばしたのがロシアと中国で、ロシアはお金が無いので軍隊を派遣したりしています。

中国は金を持っているので軍事的恫喝に加えて独裁者を支援したり、インフラや鉄道を建設するなどしています。


中央アジアの国々は無料で鉄道やインフラを作ってもらい感謝するが、気づいた時には中国に支配されています。

中国のやり方は建設費は無料だが相手国に借金を背負わせ、経営権や使用権のようなものを担保に取ります。

ソフトバンクスマホの基本無料や実質無料と同じで、最終的には普通に買うより支払金額は多くなります。


モンテネグロ、セルビア、スロバキア、クロアチア、チェコ、ギリシャなど多くの国は巨額債務を背負わされたうえに、自国のインフラ所有権を中国に奪われる。

例えば中国はインドネシアに無料で高速鉄道を建設するが、高速鉄道が建設費を回収するまで経営権は中国のものです。

あんなものは永遠に黒字化しないのでインドネシアの高速鉄道は中国政府に取られてしまいます。


ちなみに中国の高速鉄道は3万キロもあるが、黒字路線は北京上海線のみで、それも建設費などを除いた運営費用だけです。

中国が建設する鉄道は絶対に黒字にならないので、インドネシアの高速鉄道は永遠に中国の所有物なのです。

騙されたと気付いた時にはもう遅く、国中を中国に支配され殖民地化されてしまっています。

中国のワナに気づいたら手遅れ

インフラや鉄道・港湾だけではなく通信施設はファーウェイのような中国企業を採用し、中国製品を購入するよう圧力を受ける。

これらの国には中国人の商人や労働者、移民などもどんどん入り込み中国化が進んでいきます。

兵器の世界でも中国製が増えているが、ユーラシア大陸のほとんどの国は民主国家ではないので米国製兵器を売って貰えない。


英仏独からも相手にされないし、仮に売って貰えるとしても戦闘機が1機100億円だったりして高価すぎる。

そこへいくと中国は携帯用火器なんかは無料で何千丁でもくれるし、戦車でも戦闘機でもとにかく安い。

実は安いなりの性能でしかないのだが、こうした国々が戦うのは同じような国か武装勢力なのでF35とかは必要ない。


これも気づいた時には中国に自国軍隊が支配されていて、中国の意向に逆らえなくなっている。

ネパールでは2015年に巨大地震があり中国軍が無料で救援活動をしてくれたが、そのまま今も居座っている。

ネパールには数万人の人民解放軍が駐留していて、助けてもらったのは良いが属国になった。


中国から援助してもらった国はすべからくこのようになります。
http://www.thutmosev.com/archives/81208581.html

18. 中川隆[-11238] koaQ7Jey 2020年9月21日 17:35:47 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[33] 報告

 トランプの切り札2020年09月21日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1255.html


 2020年7月13日、アメリカのポンペオ国務長官は、南シナ海での中国の海洋進出に関して声明を出し「南シナ海の大半の地域にまたがる中国の海洋権益に関する主張は完全に違法だ」と主張した。

 ことの発端は、2014年、中国が、南沙諸島内、ジョンソン南礁を埋め立てて軍事基地かしている証拠をフィリピンが公開したことから始まる。
 2015年7月2日、アメリカの戦略国際問題研究所が、中国が浅瀬を埋め立てているファイアリー・クロス礁の衛星写真を公開し、駐機場や誘導路が整備され3000メートル級の滑走路が「ほぼ完成している」との分析を明らかにした。

  8月6日には、スビ礁(渚碧礁)を埋め立てた人工島に3000メートル級の滑走路が建設されている可能性を示した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B2%99%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E6%B5%B7%E5%9F%9F%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%B3%B6%E5%BB%BA%E8%A8%AD
 
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 9月15日には、衛星写真の分析から、中国が南沙諸島で造成した人工島で3本目となる戦略基地・滑走路をミスチーフ礁(美済礁)で建設している可能性が明らかにされた。

10月時点で中国が埋め立てているとされているのは、実効支配しているスビ礁のほか、ファイアリー・クロス礁、 クアテロン礁、ミスチーフ礁、ヒューズ礁、 ジョンソン南礁、ガベン礁、エルダド礁(安達礁)の7つの岩礁である。
 各国は中国が岩礁を埋め立てた人工島を軍事拠点化し、地球上でやり取りされる原油や液化天然ガス (LNG) の半分近くが通る南シナ海の支配を目的にしていると観測している。

 2016年1月30日、アメリカ海軍の横須賀基地所属イージス駆逐艦「カーティス・ウィルバー」が派遣され、西沙諸島のトリトン島から約22キロメートルを航行したことがアメリカ国防総省によって明らかになった。
 南シナ海での「航行の自由」作戦の一環で、前年10月のスビ礁から12海里内の海域での実施以来2度目であり、これに対して中国外交部は批判する談話を発表した。

 このときは、まだオバマ政権であり、副大統領だったバイデン(の息子)が中国の利権と深く結びついていて、中国に直接の打撃を与えるような強力な行動を行わず、「抗議した」というアリバイ証明のような「ちょっかい」に終わった。

 同年、7月12日、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は、南シナ海を巡る中国の主張や活動についてフィリピンが行った申し立てに関して、中国の主張を全面的に否定する判断を示した。
 判断では中国が歴史的権利を主張する「九段線」で囲まれる海域について、権利を主張する法的根拠はないとされた。また人工島を造成しているすべての岩礁は「島」ではなく「岩」または、高潮時に海面に出ない「低潮高地」であるとし、人工島に200海里範囲の排他的経済水域 (EEZ) は生じないと判断した。

 https://www.sankei.com/column/news/160728/clm1607280005-n1.html

 そもそも、中国の南・西・東シナ海の強奪領有計画は、ケ小平=李鵬時代の1990年頃に計画されたもので、日本列島も、沖縄も、豪州・インドネシアまでも、いずれ中国が領有するという計画だった。
 1994年、当時の李鵬首相は、豪州首相に対して、「20年後に日本は存在しない……中国のものだ」という意味の発言を行った。
 https://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/04.pdf

 以下は、1990年段階の、中国の領土拡張計画図
 
 蒋介石軍が1947年、「11段線計画」という領土拡張計画を作成したが、中共軍がこれを継承して、9段線に直して、将来の領土強奪計画図を作成した。
 いずれ、日本・台湾・ニューギニア・インドネシア・豪州、はてはインド・パキスタンまでも中国領とする始皇帝なみの壮大な領土拡張計画で、この計画を作成したのが李鵬である。
 習近平の「一帯一路計画」は、まさに、この構想を実現するステップとして実行されている。

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 また、9段線構想は、別に第一列島線とも呼ばれ、南・西・東シナ海を包括するものだが、さらに、これを拡張した第二列島線構想では、小笠原からマリアナ・グアムを経て、バヌアツに至る巨大な海域も中国領土に取り入れると宣言している。

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 これは、日本会議の笹川財団が提出しているもので、このおかげで、日本右翼は、地球上最大の「永遠の仮想敵国」を手に入れて、防衛力増強を口実に、独自の権益を確保している。
 https://www.spf.org/oceans/analysis_ja02/b141126.html


  習近平中国共産党政権が確立してから、この計画は、実現に向かって激しく暴走を始めた。
 冒頭に掲げた南シナ海、全環礁の軍事基地化は、その手始めであり、日本の尖閣諸島強奪行動も、台湾を攻撃するための軍事拠点を尖閣諸島に建設する目的といわれる。

 2017年、トランプ政権が本格的に稼働し始めてから様相が一変する。
 1月11日、国務長官に指名されたレックス・ティラーソンが、上院外交委員会の指名承認公聴会で、中国による南シナ海での人工島建設を違法行為と批判し、アメリカは中国に対して人工島建設中止を要求し、人工島へのアクセスは認めないとする姿勢を明確に示すべきだと語った。

 同年2月18日、アメリカ海軍は原子力空母カール・ヴィンソンを2015年以来の南シナ海入りをさせて演習を展開した。

 5月25日アメリカ海軍のミサイル駆逐艦「デューイ」が南沙諸島のミスチーフ礁の12海里内の海域を航行し、トランプ政権では初の「航行の自由」作戦が実施された。
 アメリカの作戦実施に関して、中国外交部の陸慷報道局長は25日の記者会見で、アメリカに抗議したことを明らかにするとともに「米軍の行為は中国の主権と安全を損ね、偶発的な事故を起こしかねない」と強調した。

 2019年2月11日、アメリカは「航行の自由」作戦を実施し、ミサイル駆逐艦「スプルーアンス」「プレブル」の2隻が、中国が実効支配するミスチーフ礁とフィリピンが実効支配しているセカンド・トーマス礁 (仁愛礁) から12海里内の海域を航行した。

 2020年7月13日、ポンペオ国務長官は、南シナ海での中国の海洋進出に関して声明を出し「南シナ海の大半の地域にまたがる中国の海洋権益に関する主張は完全に違法だ」と批判した。
 翌日の7月14日には、アメリカの批判に対して中国外交部報道局副局長の趙立堅による記者会見で、「中国の南シナ海での領土主権と海洋権益は十分な歴史と法理に基づいており、国際法にも合致している」と中国は猛反発した。

 2020年オーストラリアは7月23日、密接な経済関係を築いてきた中国に対し、南シナ海における領有権や海洋権益主張について、「法的根拠がない」として中国の主張を正式に退けた。
 これに怒った中国は、豪州からの農産物輸入に大きな関税をかけるなどの嫌がらせを始めたが、9月現在、食料危機が鮮明になるにつれて、態度は右往左往している。
 https://www.bbc.com/japanese/53535697

 7月20日、アメリカは、再び戦略空母ニミッツとレーガンを南シナ海に派遣し、常駐監視体制に当たらせている。
 https://otakei.otakuma.net/archives/2020072007.html

 これから、本ブログの主題だが、11月に選挙が実施されるアメリカ大統領選において、ずっとトランプは劣勢を強いられている。
 以下は9月10日のNHK報道。
 https://www3.nhk.or.jp/news/special/presidential-election_2020/

 ところが、トランプは、この劣勢を瞬時に覆す魔法のランプを隠し持っている。
 民主党支持のマイケル・ムーア映画監督も、本当はトランプが優勢であると認めている。
 https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200904-00196563/

 「魔法のランプ」とは何か?
 それは、選挙代理人投票日の10日くらい前に、中国が南沙諸島に建設した三つの3000m級戦略空軍基地を破壊することだ。
 アメリカという国が、どれほど凄まじい陰謀の血塗られた歴史に彩られてきたかは、これまでブログで何度も書いてきた。

 アメリカは大規模な軍事攻撃をかける前に、真珠湾・トンキン湾で行われたような「見せかけの被害」を演出し、これに対する復讐心を燃え上がらせて、大規模な軍事攻撃を行うのだ。
 真珠湾で被害を受けた老朽戦艦アリゾナ・オクラハマには、米海軍の「不良乗員」ばかりが送り込まれていて撃沈の運命を共にしたが、新鋭空母だったエンタープライズは、なぜか攻撃直前に逃げ出し、後のレイテ沖海戦で、日本軍壊滅の主役となった。

 私は、中国南沙基地を大規模に攻撃する前に、必ずアメリカは陰謀を仕組んでくると予想している。中国軍は、艦船用ミサイルの発射訓練を繰り返していて、おそらく、老朽化して「不良乗組員」が集められた米海軍駆逐艦あたりがミサイルで撃沈されるのではないだろうか?

 これに対し、アメリカは沈黙し、中国は「それ見たことか!」の勝利宣言を行う。そして、その後、南沙諸島軍事基地は一斉攻撃を受けて壊滅するというストーリーだ。
 この戦果が大々的に報道され、トランプに対する熱狂的な支持の嵐が巻き起こる。
 それが大統領選の切り札になると、私は予想している。

 もう、トランプは中国に軍事攻撃をかける以外に勝ち目がない。共和党支持者=福音派の熱狂を背景に、雪崩を打ったような大統領選の高揚が起きるのだ。
 そのタイミングは、早ければ10月、遅くとも一斉投票の7日前あたりではないだろうか?

 もちろん、菅内閣も完全に示し合わせた行動をするはずで、10月に入って自衛隊の基地は、どこも緊張した空気に包まれるだろう。
 もしも外部から様子を観察できるなら、しておいた方がいい。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1255.html

19. 中川隆[-10183] koaQ7Jey 2020年11月05日 11:04:10 : QCRIRvqEQ6 : RGU1TWNOaTZGclE=[15] 報告

北海道まで奪われる日本。ロシアも中国も「移民」武器に領土強奪=鈴木傾城
2020年11月5日
https://www.mag2.com/p/money/981947


プーチン大統領は北方領土を日本に返すつもりなど1ミリも考えていない。「移民」という武器を使い、今度は北海道が奪われることを警戒すべきだ。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)


今度は北海道を奪いに来ると考えよ

日本人の中にはロシアのプーチン大統領を好意的に見る人も多いが、プーチン大統領はれっきとした独裁者であり、暗殺魔であり、策謀家である。プーチン大統領が北方領土を返すとか思っては絶対にいけない。プーチン大統領は北方領土を返すつもりなど1ミリも考えていない。

ロシアは犯罪国家であり、無法国家でもある。日本も犠牲者だ。ロシア(旧ソ連)は日ソ中立条約を一方的に破棄し、ロシア(旧ソ連)は違法に対日軍事行動を起こし、ロシア(旧ソ連)は民間人を殺害・レイプし、ロシア(旧ソ連)は日本軍兵士を強制抑留した。

ロシアは自分たちの都合しか考えない点で中国と似たり寄ったりの危険な国家であるのは間違いない。

日本は今、北方領土問題でロシアと話し合いをしたら道が拓けると思っているのだが、こういうところが日本の甘さであり、愚かさである。ロシアは奪い取ったものは絶対に返さない。日本は、こう思わなければいけないのだ。

「ロシアは北方領土を返すどころか、ここを軸にして今度は北海道を奪いに来る」

北海道を虎視眈々と狙っているのは中国だけではない。ロシアもそうだ。歴史的に膨張主義を取っていた国は、今も領土拡大が自国の影響力の行使だと考えているので、それを止めることはない。

ジョージアはロシアに何をされたのか?
グルジア(Georgia)という国がある。今はジョージアという国名になっている。日本人はこの国のことを簡単にでも知っておく必要がある。何を知っておく必要があるのか。それは、「ロシアに何をされたのか?」という部分だ。

この国はロシアに何をされたのか。

ロシアがまだソビエト連邦と呼ばれた時代。ソ連は実はジョージアという国の領土を奪い取るためにひとつの戦略を行っていた。それは、大きな意図を持って「ロシア系の移民をジョージアに大量に送り込む」という戦略だ。

それは1年や2年の戦略ではない。数十年に及ぶ戦略だ。ジョージアはソビエト連邦を構成する国の1つだったが、この国はかねてから独立精神が旺盛で、いつでも連邦を抜ける気配があった。

ロシアはそれを良しとせず、この国を永久にロシアから離脱しない方策が必要だった。そのために長期計画で行われたのが「ロシア系の移民をジョージアに大量に送り込む」戦略だったのだ。

移民を送り込んでどうするのか。ロシア系移民を多数派にしてロシア系が大多数の地域を作り上げあると、ロシア系移民に自治権を求めて住民投票して、祖国ロシアへの帰属を決めるのだ。

ジョージアは実は国内で多数の少数派民族を抱えている。ジョージアは国内を取りまとめるために少数民族をジョージアの文化に馴染ませようとしているのだが、少数民族はこれに反発し、ロシアに庇護を求めていた。

ロシアはこれらの少数民族を庇護し、ジョージアを混乱させるために少数民族に自治権の要求や独立をけしかけてジョージア政府を弱体化させ、乗っ取りを企んだ。ジョージア政府はこれに反発してロシアと戦争を行うのだが、ロシアはそれを待ってジョージアに侵攻し、領土を奪い取るのだった。

実は、これと同じ手をウクライナでも使っている。ロシアはウクライナにもどんどんロシア系移民を送り込み、自治を叫ばせ、自国民の保護という名目で軍を派遣し、国を分断させて領土を実質的に奪った。


移民を送り込んで実効支配
ロシアの領土強奪の方法は別に難しいことでも何でもない。移民を送り込んで実効支配するというものだ。

1. とにかく最初に移民を大量に送り込む
2. 時間をかけて移民を増やす
3. 移民が増えたところで自治や独立を叫ぶ
4. 相手国が拒絶したら「保護」という名目で軍隊を送る
5. 実行支配を完成させる
6. 最後に自国領として併合する

ロシアはこれをジョージアでも、ウクライナでもやっているのである。

つまり、移民はロシアにとっては領土獲得のための手段であり、仕掛けであり、戦略なのである。長期計画で期限は設けない。

領土の強奪には、数十年、場合によっては百数年をかけるかもしれない。時間をかけて熟成すればするほど、この戦略はより強固になるということに気づいて欲しい。

もう北方領土は戻らない
移民がそこに定着すればするほど、移民は帰れなくなる。その移民にとって移民した国は「祖国」になる。しかし、ロシア系移民であるという立場は変わらず帰属は常にロシアにある。

ロシア政府にとってはそれが目的なのである。容易に戻って来ない移民が増えれば増えるほど、実質的にその土地はロシア領になる。「自国民保護」という名目で軍隊を派遣する頃は最後の段階だ。

その前に、実効支配は事実上「完成」しているのである。

これがロシアが歴史的にやっている領土拡張のための手法である。ジョージアという国、あるいはウクライナという国は、この手法でやられた。

翻って北方領土を見て欲しい。

すでに北方領土には70年にも渡ってロシア系移民が暮らしており、もはや北方領土こそが彼らの祖国となっている。仮に日本が戦争で北方領土を奪い返しても、そこには北方領土を故郷としている人が暮らしている。

元は日本人の土地だったかもしれないが、そこはすでに彼らの土地であり、今度は日本が侵略者となる。

「移民を送り込んで実効支配する」という手法の恐ろしさがここにある。そこに同質化するつもりのない民族がその国に入り込むと、そこが小さな侵略拠点となって領土が奪われていくのだ。

そして、定着期間が長くなればなるほど移民は定着してしまって、強制送還することができなくなってしまうのだ。ロシアはこれを国家戦略として意図的に行っている国なのである。

だから、ロシアは恐ろしい国だということだ。

日本の領土はどんどん侵略されていく

もちろん、この手法は中国の得意技でもある。

中国は莫大な人口を抱えて裸一貫で外に飛び出す国民的気質もある。そのため、中国は常に周辺国を「中国化」するために、こうした国民を意図的にばらまいてきた。最も大きな被害に遭ったのが東南アジアであり、だから東南アジアはもう中国系に支配された土地と化している。

毛沢東は、この戦略を「砂をまく」と表現した。中国人という砂をばらまいて、その砂が固まったところを領土にして実効支配し、属国化し、領土化する。

【関連】中国が画策する日本占領計画の恐怖。“チャイナ団地”はその橋頭堡と気づけ

もちろん、中国と陸続きに生きている朝鮮系もそうした中国のやり方をよく知っている。だから、朝鮮系もまた「武器としての移民」を日本に送り込んで、日本を砂まみれにしている。

日本で中国系・韓国系の人間のみならず移民そのものが莫大に増えていくと、いずれは「外国人参政権」が可決されるような時代になるのかもしれない。

そうすると、どうなるのか。いよいよ、日本の領土は諸外国に食い荒らされるということだ。

「侵略されたいのか?」と問え
もう一度、侵略の手順を記載する。

1. とにかく最初に移民を大量に送り込む
2. 時間をかけて移民を増やす
3. 移民が増えたところで自治や独立を叫ぶ
4. 相手国が拒絶したら「保護」という名目で軍隊を送る
5. 実行支配を完成させる
6. 最後に自国領として併合する

これは日本にも仕掛けられているワナである。「武器としての移民」の脅威を日本人はもっと真剣に考えた方がいい。「侵略されたいのか?」と自分の胸に問うた方が良い。

侵略されたくなければ、今の情勢をもっとよく考えるべきだ。

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