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ジョン・コルトレーン 名演集
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投稿者 中川隆 日時 2019 年 5 月 18 日 21:49:31: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: アメリカ人には音楽は理解できない _ ジャズなんか音楽じゃない 投稿者 中川隆 日時 2019 年 5 月 18 日 17:35:58)


ジョン・コルトレーン 名演集

John Coltrane - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=John+Coltrane


▲△▽▼


ジョン・コルトレーン(John Coltrane, 1926年9月23日 - 1967年7月17日)は、アメリカ、ノースカロライナ州生まれのモダンジャズのサックスプレーヤー。愛称はトレーン(Trane)。

長い間無名のままでいたため、第一線で活躍した期間は10年余りであったが、自己の音楽に満足せずに絶えず前進を続け、20世紀ジャズの巨人の一人となった。

主にテナー・サックスを演奏したが、活動最初期はアルト・サックス[1]、1960年代よりソプラノ・サックス、最晩年にはフルートの演奏も残している。活動時期は、1950年代のハード・バップの黄金時代から1960年代のモード・ジャズの時代、さらにフリー・ジャズの時代にわたり、それぞれの時代に大きな足跡を残した。

1940年代にチャーリー・パーカーらが確立した4ビート・バップ・ジャズのアドリブ方法論を、現代的に再構築した功績は大きい。コルトレーンの構築したアドリブ方法論は4ビート・ジャズだけでなく、ロックなど、他ジャンルのサウンドにもそのまま通用するものだった。このため、コルトレーンの影響は、他のプレイヤーにも及んでいる。

短い活動期間にも関わらず、アルバムに換算して200枚を超える多数の録音を残した。現在でも多くのジャズ愛好家たちに愛され、彼の残したレコードはほとんどが廃盤にはならずに(あるいは一旦廃盤になっても再発売される形で)、2012年現在でも流通し続けている。さらに、死後40年以上経過した現在でも未発表テープが発掘され、新譜として発表される状況が続いている。


略歴

前期(1958年まで)

13歳でクラリネットを始める。後にアルト・サックスに転向し、1946年よりプロとして活動開始。1949年にディジー・ガレスピーのバンドに参加し、その後テナー・サックスに転向。ほとんど無名のままいくつかのバンドを転々とした。レコーディングの機会にもあまり恵まれず、この時期のコルトレーンの録音はごくわずかしか残っていない。

1955年に、マイルス・デイヴィスのグループに入る。マイルスはすでに[注釈 1]ジャズの大スターであったため、マイルスバンドに抜擢[注釈 2]されたコルトレーンもその名前が知られるようになり、マイルスバンド以外のレコーディングの機会も多くなる。しかしこの時期のコルトレーンの演奏は決して評判[注釈 3]の良いものではなかった。

1957年に、一旦マイルスバンドを退団[注釈 4]。その後はセロニアス・モンクのバンドに加入し、モンクから楽理の知識を授かる[注釈 5]と共に音楽的修業に一層打ち込む。また、同時期に麻薬中毒も克服。同年3月に、マイルスバンド時代の同僚であったピアニストのレッド・ガーランドの紹介でプレスティッジ・レコードと契約[注釈 6]。5月には、初リーダー・アルバム『コルトレーン』の吹き込みを行っている。

同年7月に、ニューヨークのライブハウス「ファイブ・スポット」にモンクバンドとして出演。コルトレーンはこの月「神の啓示」を得たと語っている[注釈 7]。「神の啓示」が本当に意味するところは本人にしか分からないが、この月以前に録音されたトレーンの演奏はどこか不安定でぎこちなさが残っていたのに対し、この月以降に録音された演奏はどれもが自信に満ちたものに変わっており、本人の内面に何らかの大きな精神的変化[注釈 8]が訪れたものと考えられる。いずれにせよ、1957年7月は20世紀を代表する一人のジャズの巨人が誕生した月として記憶されるべき月となる。9月にはブルーノート・レコードにて初期の代表作『ブルー・トレイン』[注釈 9]を吹き込んでいる。

1958年、モンクの元を離れ[注釈 10]、マイルスバンドに再加入。マイルスはこの時期、コルトレーンをソニー・ロリンズと並ぶ2大テナー奏者として高く評価した。また、音楽評論家のアイラ・ギトラーは、同年『ダウン・ビート』誌において、音を敷き詰めたようなコルトレーンの演奏スタイルを「シーツ・オブ・サウンド」[注釈 11]と形容。以後、この形容は初期コルトレーンの奏法の代名詞となる。一方、コルトレーンのソロはいつも長かった[注釈 12]。また、常にフォルテッシモで速いパッセージばかり吹き続けたため、彼の演奏はぶっきらぼうで怒っているように聴こえたことから、Angry Young Tenor Man(怒れる若きテナーマン)と揶揄されることもあった(「怒れる若者たち(Angry Young Men)」のもじり)。

中期(1959年から1961年)

1959年、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』収録に参加した。またアトランティック・レコードに移籍し、中期の代表作『ジャイアント・ステップス』を録音した。この頃から、単なるハード・バップ・テナー奏者から脱却すべく独自の音楽性を模索する試みが始まる。自作自演の曲が増え、また同じ曲の録音でありながら、異なるサイドメンを起用してテイクを重ねること[注釈 13]などを試行している。

1960年春、マイルスバンドを脱退した。その後マッコイ・タイナー、エルビン・ジョーンズらと自身のレギュラー・バンドを結成してツアーに出ている。10月には、自身のレギュラー・バンドで大規模なレコーディングを敢行した。このときのセッションからは『マイ・フェイヴァリット・シングス』、『プレイズ・ザ・ブルース』、『コルトレーンズ・サウンド(邦題:『夜は千の目を持つ』)』などのアルバムが発表されている[注釈 14]。アルバム『マイ・フェイヴァリット・シングス』のタイトル曲「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、コルトレーンの最初のヒット曲となった。この演奏に現れる「3拍子+マイナー・メロディ+ソプラノ・サックス[注釈 15]」という組み合わせは、以後コルトレーンの定型パターンとして繰り返し用いられている[注釈 16]。またソプラノ・サックスは、コルトレーンに採り上げられたことを契機[注釈 17]に楽器としての魅力が広く認知され、以後ジャズ・フュージョン系のサックス奏者達の"必修科目"として盛んに用いられるようになる。

1961年、アトランティックを離れ、インパルス!レコードに移籍。3月にはマイルスのアルバム『サム・デイ・マイ・プリンス・ウィル・カム(邦題:『いつか王子様が』)』の録音にゲストとして参加[注釈 18]。その後、新進気鋭のリード奏者エリック・ドルフィーを自己のバンドに加えるとともに、アレンジャーとしても起用し、大型ブラスセクションによる録音に取り組む。この録音からはインパルス最初のアルバムとして『アフリカ・ブラス』『アフリカ・ブラス・セッション vol. 2』の2枚が発売された。その直後に、アルバム『オーレ!コルトレーン』も録音している。これはアトランティックから発売された。 また秋には、ニューヨークのライブハウス「ヴィレッジ・ヴァンガード」にほぼ連日出演したり、ヨーロッパツアーにも出ている。これらの演奏の様子は、後年『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』を初めとする数多くのライブ・アルバムで聴くことができるようになってきている。

後期(1962年から1964年)

1962年、エリック・ドルフィー退団。以後コルトレーンは、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルヴィン・ジョーンズというほぼ不動のメンバー[注釈 19]によるカルテットと共に活動、バンド全体が一体となって演奏を繰り広げるという表現方法を確立。コンサートでは、1曲の演奏時間が30分から1時間に及ぶこともざらであった。

このように、ステージでの演奏は激烈を極める一方だったが、レコーディング・スタジオではインパルス!レコードの看板アーティストとしてレコードの売り上げにも関心を示し、デューク・エリントンとの共演(『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』、1962年録音)、スローバラードばかり取り上げた『バラード』(1962年録音)、ジャズ・ボーカルをメインに据えた『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』(1963年録音)のような企画物レコードの作製にも取り組んだ。

1964年、夭折したドルフィーの両親から遺品のバスクラリネットとフルートを譲り受ける。年末、『至上の愛』を録音。また1965年に入ると、コルトレーンのモード・ジャズは極限にまで達し、特定の調性にとらわれず、あらゆるスケールを縦横無尽に使うことによって「無調性音楽」の色彩が強くなっていく。


フリー・ジャズ期(1965年から1967年)

1965年6月、コルトレーンはついにアルバム『アセンション』を発表し、フリー・ジャズに傾倒する。コルトレーンはこの時期、マイルスと並んでジャズの指導者的地位にいたが、そのような権威ある人物がフリー・ジャズを支持したことは、それまでフリー・ジャズの音楽的意義を理解せず、その価値を認めようとしてこなかった保守的ジャズ・ファンに大きな衝撃を与えた。またコルトレーンは、同じテナー奏者の ファラオ・サンダースを加入させ、動のサンダースに対して静のコルトレーンという対比をうまく作り出すことに成功。コルトレーンのフリー・ジャズは激烈さの中に静謐さが同居するもので、瞑想的と表現されることが多い。

1965年頃まで、コルトレーンはサックスを吹く際ほとんどヴィブラート奏法を用いなかったが、晩年になると強烈ヴイブラート・ワークを用いる奏法に変化していく。同年12月にマッコイ・タイナーがバンドを離れ、アリス・マクレオド(1966年にジョンと結婚)が加入。1966年3月にはエルヴィン・ジョーンズも退団し、ラシッド・アリをドラマーとして加入させる。

1966年7月に来日。9都市を回るという大がかりなツアーであった。記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか?」という質問に対し「私は聖者になりたい」と答えたというエピソードがある。 また、同記者会見にて「最も尊敬する音楽家は?」という質問に対し、オーネット・コールマンの名前を挙げたといわれる。

1967年5月7日、ボルチモアで最後のコンサートを行う。7月17日、肝臓癌で亡くなる。


私生活


コルトレーンが住んでいた家ピアニストのアリス・コルトレーンを妻に、サックス奏者のラヴィ・コルトレーンを次男に、サックス・クラリネット奏者のオラン・コルトレーンを三男に持つ。また、エレクトロニカで知られる、フライング・ロータスことスティーヴン・エリソンは彼の甥である。
甘党で虫歯だらけだったが、歯医者嫌いだったという。
ペンシルベニア州フィラデルフィアには、1958年までコルトレーンが住んでいた家が史跡として保存されている。

ディスコグラフィ

1957年『コルトレーン』 - Coltrane(1957年5月録音)(Prestige) 1957年
レッド・ガーランド・トリオと共同名義, 『ジョン・コルトレーン・ウィズ・レッド・ガーランド・トリオ』 - John Coltrane with the Red Garland Trio(1957年8月録音)(Prestige) 1958年
『ブルー・トレイン』 - Blue Train(1957年9月録音)(Blue Note) 1957年
セロニアス・モンク・クインテッドとの共同名義, 『ライヴ・アット・カーネギー・ホール』 - Thelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall(1957年11月録音)(Blue Note) 2005年
1958年『ソウルトレーン』 - Soultrane(1958年2月録音)(Prestige) 1958年
ウィルバー・ハーデン(英語版)の『メイン・ストリーム1958』 - Mainstream 1958(1958年3月録音)を共同名義で再発, Countdown (Savoy) 1976年
ウィルバー・ハーデンと共同名義, 『タンガニカ・ストラット』 - Tanganyika Strut(1958年5月、6月録音)(Savoy) 1958年
ウィルバー・ハーデンと共同名義, 『ジャズ・ウェイ・アウト』 - Jazz Way Out(1958年6月録音)(Savoy) 1958年
1959年ミルト・ジャクソンと共同名義, 『バグス・アンド・トレーン』 - Bags & Trane(1959年1月録音)(Atlantic) 1961年
『ジャイアント・ステップス』 - Giant Steps(1959年4月〜12月録音)(Atlantic) 1960年
1960年ドン・チェリーと共同名義, 『アヴァンギャルド』 - The Avant-Garde(1960年6月、7月録音)(Atlantic) 1966年
『コルトレーン・ジャズ』 - Coltrane Jazz(1959年3月、11月、12月、1960年10月録音)(Atlantic) 1961年
『マイ・フェイヴァリット・シングス』 - My Favorite Things(1960年10月録音)(Atlantic) 1961年 『コルトレーン・サウンド(夜は千の目を持つ)』 - Coltrane's Sound(1960年10月録音)(Atlantic) 1964年
『ジョン・コルトレーン・プレイズ・ザ・ブルース』 - Coltrane Plays the Blues(1960年10月録音)(Atlantic) 1962年

1961年『オーレ!コルトレーン』 - Olé Coltrane(1961年5月録音)(Atlantic) 1961年
『アフリカ・ブラス』 - Africa Brass(1961年5月、7月録音)(Impulse!) 1961年。
のち『ファースト・セッション・フォー・インパルス・プラス(コンプリート・アフリカ・ブラス)』(MCA) 1991年 - The Complete Africa/Brass Sessions (Impulse!) 1995年。
『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』 - "Live" at the Village Vanguard(1961年11月録音)(Impulse!) 1962年。(「ヴィレッジ・ヴァンガード」におけるライヴ) 『ヴィレッジ・ヴァンガードのコルトレーンとドルフィー』 - The Other Village Vanguard Tapes(1961年11月録音)(Impulse!) 1970年。
『コンプリート1961ヴィレッジ・ヴァンガード・レコーディングス』 - The Complete 1961 Village Vanguard Recordings (Impulse!) 1997年。(CD 4枚組)

1962年『コルトレーン』 - Coltrane(1962年4月、6月録音)(Impulse!) 1962年。
のち『コルトレーン(デラックス・エディション)』 - Coltrane (Deluxe Edition) (Impulse!) 2002年。 (CD 2枚組)
デューク・エリントンと共同名義, 『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』 - Duke Ellington & John Coltrane(1962年9月録音)(Impulse!) 1964年
『バラード』 - Ballads(1961年、1962年9月、11月録音)(Impulse!) 1963年。
のち『バラード(デラックス・エディション)』 - Ballads Deluxe Edition (Impulse!) 2002年。(CD 2枚組)
1963年『ザ・ロスト・アルバム』 - Both Directions at Once: The Lost Album(1963年3月録音)(Impulse!) 2018年
ジョニー・ハートマンと共同名義, 『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』 - John Coltrane & Johnny Hartman(1963年3月録音)(Impulse!) 1963年
『インプレッションズ』 - Impressions(1961年11月、1963年4月録音)(Impulse!) 1963年(「ヴィレッジ・ヴァンガード」におけるライヴを含む)
『ライヴ・アット・バードランド』 - Live at Birdland(1963年3月、10月、11月録音)(Impulse!) 1964年(1963年10月のライヴとスタジオ録音)
1964年『クレッセント』 - Crescent(1964年4月、6月録音)(Impulse!) 1964年
『至上の愛』 - A Love Supreme(1964年12月録音)(Impulse!) 1965年。
のち『至上の愛(デラックス・エディション)』 - A Love Supreme Deluxe Edition(1965年7月録音を追加)2002年。(CD 2枚組)
のち『至上の愛:コンプリート・マスターズ』 - A Love Supreme: The Complete Masters (Impulse!) 2015年。(CD 3枚組)
1965年『ワン・ダウン、ワン・アップ:ライヴ・アット・ザ・ハーフ・ノート』 - Live at the Half Note: One Down, One Up(1965年3月、5月7日録音)(Impulse!) 2005年(ライヴ。CD 2枚組。)
『ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ』 - The John Coltrane Quartet Plays Chim Chim Cheree, Song of Praise, Nature Boy, Brazilia(1965年2月、5月17日録音)(Impulse!) 1965年
『ディア・オールド・ストックホルム』 - Dear Old Stockholm(1963年4月、1965年5月26日録音)(Impulse!) 1993年(ロイ・ヘインズ参加曲コンピレーション)
『トランジション』 - Transition(1965年5月26日、6月10日録音)(Impulse!) 1970年
『リヴィング・スペース』 - Living Space(1965年6月10日、16日録音)(Impulse!) 1998年
『神の園』→(改題)『アセンション』 - Ascension(1965年6月28日録音)(Impulse!) 1966年
アーチー・シェップと共同名義, 『ニュー・シング・アット・ニューポート』 - New Thing at Newport(1965年7月2日録音)(Impulse!) 1965年(「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」におけるライヴ)
『マイ・フェイヴァリット・シングス:コルトレーン・アット・ニューポート』 - my favorite things: COLTRANE at newport(1963年7月、1965年7月2日録音)(Impulse!) 2007年(「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」におけるライヴ)
『サン・シップ』 - Sun Ship(1965年8月録音)(Impulse!) 1971年
『ファースト・メディテーション』 - First Meditation(1965年9月2日録音)(Impulse!) 1977年
『ライヴ・イン・シアトル』 - Live in Seattle(1965年9月30日録音)(Impulse!) 1971年(ライヴ。CD 2枚組。)
『オム』 - Om(1965年10月1日録音)(Impulse!) 1968年
『セルフレスネス・フィーチャリング・マイ・フェイヴァリット・シングス』 - Selflessness: Featuring My Favorite Things(1963年7月、1965年10月14日録音)1969年(「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」におけるライヴとスタジオ録音)。のち廃盤。
『クル・セ・ママ』 - Kulu Sé Mama(1965年6月、10月14日録音)(Impulse!) 1966年
『メディテーション』 - Meditation(1965年11月録音)(Impulse!) 1966年
1966年『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』 - Live at the Village Vanguard Again!(1966年5月録音)(Impulse!) 1966年(「ヴィレッジ・ヴァンガード」におけるライヴ)
『ライヴ・イン・ジャパン』 - Live in Japan(1966年7月録音)(Impulse!) 1991年。(新宿「東京厚生年金ホール」、大手町「サンケイホール」におけるライヴ)
のち『『ライブ・イン・ジャパン(完全版)』 - Live in Japan Deluxe Edition (Universal/Impulse!) 2011年。(CD 5枚組)
1967年『ステラ・リージョンズ』 - Stellar Regions(1967年2月15日録音)(Impulse!) 1995年
『惑星空間』→(改題)『インターステラー・スペース』 - Interstellar Space(1967年2月22日録音)(Impulse!) 1974年
『エクスプレッション』 - Expression(1967年2月15日、3月録音)(Impulse!) 1967年
『オラトゥンジ・コンサート:ザ・ラスト・ライヴ・レコーディング』 - The Olatunji Concert: The Last Live Recording(1967年4月録音)(Impulse!) 2001年(ライヴ)
没後アリス・コルトレーンと共同名義, 『コズミック・ミュージック』 - Cosmic Music(1966年2月、1968年1月録音)(Impulse!) 1968年
『インフィニティ』 - Infinity (Impulse!) 1972年(リミックス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3
 

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コメント
1. 中川隆[-13837] koaQ7Jey 2020年2月12日 11:32:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-463] 報告
「音楽&オーディオ」の小部屋 読者に占めるジャズファンの割合 2019年10月08日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f47f9bf6a90a390ea19df54f4a002f60

ときどき、このブログの読者がどういうタイプかを想像してみることがある。
仮に1000人だとすると、クラシック愛好家は200人ぐらい、ジャズ愛好家が500人ぐらい、そして音楽なら何でも好きというタイプが300人といったところかな。つまり「2:5:3」というわけ。
もちろんあくまでも想像の域を出ないが、搭載しているブログの内容に応じたアクセス数から推し量ったものだから全然根拠が無いわけでもない。
また、これまで13年間にわたってときどきメールをいただいた方の傾向も加味している。
やはり、このブログのセールスポイントは「実践的なオーディオ実験」にあるとみている。もちろん、大した内容ではありませんよ(笑)。
ジャズファンはクラシックファンに比べて圧倒的にオーディオ愛好家が多いのでこの5割説の根拠にもなろうというものです。
そういうジャズファンの中で息が長い交流をさせていただいているのがメル友の「I」さん(東海地方)である。
折にふれ、コメントを引用させてもらいたいへん感謝しているが、このたびジャズのアーチストについて興味深い情報を得られたのでご了解のもとに掲載させてもらおう。
実を言うと、クラシック愛好家から見てジャズは芸術よりも娯楽に近いと思っていたが、これで認識を改めようと思った次第(笑)。
それでは以下のとおり。
「ジャズの話題に便乗して、好みのジャズ(奏者)について白状させてください。
学生運動最後の時代が自分の大学時代と重なり、その頃にジャズを聴き始めています。思想的にジャズが扱われる時代でしたが、そのようにジャズを聴いたことはありません。もっと個人的な芸術表現として聴いてきました。
娯楽でなく芸術として聴いていますので、ジャズ奏者に求めるものは、けっして偉そうに言うわけではないのですが「創造性・・探求性?」と「矜持」です。
好きな(リスペクトする)奏者
<ピアノ>
バド・パウエル(比類なきドライブ感)
セロニアス・モンク(笑みがこぼれます)
ウィントン・ケリー(最高のハードバップピアニスト)
ビル・エバンス(ジャズピアノの・・・何と言ったらいいかわかりません)

<トランペット>
マイルス・デイビス(ウエイン・ショーターが参加する前までが帝王)
ブッカー・リトル(夭折が本当に惜しい)
ウィントン・マルサリス(批判にめげず頑張ってほしい)

<アルトサックス>
エリック・ドルフィー(早死にが悔しい。少なくともあと数年だけでも生きていてほしかった)
オーネット・コールマン(1964年のヨーロッパ・ツアーまでが眩しい)

<テナーサックス>
スタン・ゲッツ(うまい!それだけで凄い)
アーチー・シェップ(70年以降もいい演奏をしている稀有な存在)
<ベース>
ポール・チェンバース(はずせない)
スコット・ラファロ(以下3人は白人。表現力が尋常ではない)
ニールス・ヘニング ウルステッド・ペデルセン ジョージ・ムラーツ

<ドラム>(ドラムには関心が薄いのですが、強いて言えば)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(上質な縁の下の力持ち)
ジミー・コブ(上に同じ)
トニー・ウイリアムス(超人なのに縁の下の力持ち)
偏ってますねえ(笑)

時代は1950、60年代がほとんど。楽器はアコースティック。ジャズ史的にいうと、ハードバップ・モード・フリー・ウルトラモダンになります。
ジョン・コルトレーンとソニー・ロリンズが入っていないのが不思議に感じられると思いますが、この二人へのコメントは不遜になりますので差し控えます。
以上のとおりだが、「I」さんのジャズとオーディオへの熱意にはいつも感心する。
ところで、クラシックの場合は作曲家をはじめ指揮者や演奏家など好みの対象が広範囲に広がるが、ジャズともなると演奏家だけに収斂されていくのが特徴のようだ。
それだけ許容範囲が狭くなるというのか、ジャズファン同士の「口角泡を飛ばす」議論の要因にもなりそうな気がしている(笑)。
ちなみに、ときどき我が家ではコルトレーンを聴いてみるのだが、どうもサッパリで皆が言うほどピンとこない。
   
素人なりに、この疑問を率直に「I」さんにぶつけたところ次のような返信があった。
「コルトレーンについては私もそう思います。バップ、フリー等何を聴いてもピントきません。

とんでもなく尊大なことを言いますが、コルトレーンはジャズの勘所が判っていないのではないかと・・・私、死刑ですね(笑)

逆に勘所だらけで、それがくどくなっているのがロリンズかなと・・・2回目の死刑です。

コルトレーンはヴィレッジバンガードを良く聴きますが、実はドルフィーを聴くためです。

好きな演奏もあります。セルフレスネス(LP)のマイ・フェイヴァリット・シングスです。コルトレーンを聴いている人なら持っている1枚だと思いますので、機会がありましたら聴いてみてください。「おんなじヤー」かもしれませんが(笑)。」
以上、クラシックファンと比べるとジャズファンは音楽に対する入れ込みようが一段と「ヒート・アップ」しているような気がする(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/f47f9bf6a90a390ea19df54f4a002f60

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