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ペリシテ人の起源
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/777.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 12 月 30 日 11:52:56: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: イタリア半島の人口史 投稿者 中川隆 日時 2019 年 9 月 15 日 11:43:49)


2019年07月07日
ペリシテ人の起源
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html

 ペリシテ人の起源に関する研究(Feldman et al., 2019B)が報道されました。ナショナルジオグラフィックでも報道されています。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。地中海東部において、青銅器時代へ鉄器時代への移行は、ギリシア・エジプト・レヴァント・アナトリアの繁栄した経済・文化の終焉に続く、文化的混乱により特徴づけられています(関連記事)。レヴァントではこの事象と一致して、紀元前12世紀にアシュケロン(Ashkelon)などでかなりの文化変容が見られ、その担い手は『ヘブライ語聖書』では「ペリシテ人」と呼ばれています。これらの集落の建築や他の物質文化は、近隣の遺跡とは異なります。紀元前12世紀のペリシテ人の文化は、紀元前13世紀のエーゲ海の文化との類似性が指摘されています。そこから、エジプトやレヴァントに侵入してきた「海の民」はエーゲ海から到来した、との仮説も提示されています。これに対して、文化変容は知識の拡散や内在的発展により起きた、との反論もあります。また、ペリシテ人の起源地として、キリキアやキプロス島も提示されています。

 本論文は、アシュケロンで発掘された108人のうち、後期青銅器時代〜鉄器時代の10人のDNA解析に成功しました。平均網羅率は0.08倍〜0.7倍です。本論文はこの10人を、紀元前18〜紀元前16世紀頃となる後期青銅器時代(3人)、紀元前14世紀〜紀元前12世紀頃となる鉄器時代初期(4人)、紀元前12世紀〜紀元前11世紀頃となる鉄器時代後期(3人)の3期間に区分しています。本論文は、この10人の124万ヶ所のゲノム規模の一塩基多型を解析しました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体DNAのハプログループも明らかになっています。mtDNAハプログループ(mtHg)はU3b1a・T2c1c・H4a1cなど多様で、男性4人のY染色体DNAハプログループ(YHg)はJ・R1・BT・Lです。

 本論文は、青銅器時代〜鉄器時代にかけての、1000年以上にわたるレヴァントの人類集団の遺伝的継続性を明らかにしています。しかし、鉄器時代初期には、前後の時代と異なる遺伝的構成が見られます。これは、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)系統の増加により示されます。本論文は、これがヨーロッパ南部系統からの遺伝子流動と推測します。これは、レヴァントにペリシテ人が到来したと推定されている時期と一致します。ヨーロッパ南部起源の集団が青銅器時代末期か鉄器時代初期にレヴァントへ到来し、在来集団と混合してペリシテ人が形成されたのではないか、というわけです。この時期、陶器の様式から、ペリシテ人とレヴァント在来系集団とが近接していた、と推測されています。

 しかし、それから2世紀以内の鉄器時代後期には、このヨーロッパ南部系統の遺伝的痕跡はアシュケロンでは消滅し、再びレヴァント在来集団と近い遺伝的構成となります。本論文は、レヴァントの在来集団との混合により、ヨーロッパ南部系統が希釈されたのではないか、と推測しています。ただ、ペリシテ人に関して単純化しすぎてはならない、とも指摘されています。鉄器時代初期のペリシテ人の起源は一つではなく、ペリシテ人は在来のレヴァント集団との混合後も、紀元前604年にバビロニア人によって征服されるまで、5世紀以上にわたり近隣集団と文化的にはっきり異なっていた、というわけです。

 本論文は、アシュケロンに見られる古代の一時的な遺伝的構成の変化が、少ない標本では見落とされる可能性を指摘しています。じっさい、青銅器時代と鉄器時代後期のアシュケロンの人類集団のDNA解析では、ヨーロッパ南部からの比較的大きな遺伝子流動は見落とされていた可能性が高そうです。さらに本論文は、レヴァントの青銅器時代の遺伝的多様性や、青銅器時代〜鉄器時代の遺伝子流動をより正確に把握するには、追加の標本が必要であることを指摘しています。本論文は、ペリシテ人の起源地としてヨーロッパ南部の可能性を提示していますが、さらに限定するには、キプロス島やサルデーニャ島やエーゲ海地域の青銅器時代〜鉄器時代の人類集団の古代DNAが必要になる、というわけです。


参考文献:
Feldman M. et al.(2019B): Ancient DNA sheds light on the genetic origins of early Iron Age Philistines. Science Advances, 5, 7, eaax0061.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aax0061

https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html  

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コメント
1. 中川隆[-14998] koaQ7Jey 2019年12月30日 11:56:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2017] 報告

2019年04月21日
十字軍兵士のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_33.html

 十字軍兵士のDNA解析結果を報告した研究(Haber et al., 2019A)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ユーラシアにおけるモンゴルの拡大やヨーロッパ系のアメリカ大陸征服といった人類集団の大規模な移動は、被征服地の人類集団の遺伝的構成を大きく変えました。11世紀末〜13世紀後半にかけての十字軍でも、何十万人ものヨーロッパ人が地中海東岸に押し寄せて戦いました。以前、現代レバノン人におけるヨーロッパ系のY染色体DNAハプログループ(YHg)が発見され、十字軍起源の可能性が指摘されました。その後、ゲノム解析により、現代レバノン人の遺伝的系統はほとんど、レバノンの青銅器時代集団と、外来のユーラシア草原地帯集団との紀元前1750〜紀元前170年頃の混合に由来する、と明らかになりました。つまり、現代のレバノン人の常染色体は十字軍の影響をほとんど受けていない、と推測されます。本論文は、この見解が妥当なのか、十字軍兵士のDNA解析により検証します。

 本論文が検証対象とした十字軍兵士は、レバノン南部のシドン(Sidon)遺跡です。この墓地には少なくとも25人が埋葬されており、イタリアで発行された十字軍の硬貨が共伴することなどから、十字軍兵士の埋葬地と推測されています。本論文は、そのうち9人のDNA解析に成功しました。また、レバノンのローマ帝国時代のコーネット・エド・デイル(Qornet ed-Deir)遺跡の5人(237〜632年)のDNAも解析されました。十字軍の兵士9人は全員男性でした。そのうち4人は現代およびローマ時代のレバノン人と近縁だったので、近東系と分類されました。3人はヨーロッパ系と分類されましたが、そのうち2人はスペイン人と近縁で、バスク人・フランス人・イタリア北部人とも近く、もう1人はサルデーニャ人と近縁でした。

 十字軍の兵士にヨーロッパ系と近東系が混在していたことについて本論文は、ヨーロッパ系の十字軍と近東系のムスリムが戦った後で同じ墓地に葬られたか、十字軍が近東系集団を軍に組み込んだ可能性を提示しています。史料では、十字軍と戦ったのはおもにシリア・イラク・エジプト・トルコ・ベドウィン出身のイスラム教徒で、また地中海東岸のキリスト教徒が十字軍に加わった、とされています。現代レバノン人のキリスト教徒は遺伝的に墓で発見された近東系と最近縁の集団なので、地中海東岸のキリスト教徒が十字軍に参加したとする史料が裏づけられた、と本論文は指摘します。十字軍兵士の出自は多様だったようです。また本論文は、3人のヨーロッパ系と4人の近東系以外の2人は、ヨーロッパ系と近東系の混合と推測しています。

 Y染色体DNAハプログループ(YHg)とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も分析されました。ヨーロッパ系3人と近東系4人はそれぞれ、出自から予想されるYHgとmtHgに分類されました。ヨーロッパ系のYHg はR1b で、mtHgはH2・H5・U5です。一方、近東系のYHgはE・T・J・Qで、mtHgはJ1もしくはHVです。混合系の2人は、YHgではヨーロッパ系に典型的なR1bで、mtHgは現代のヨーロッパ系と近東系に見られるHV0とT2です。本論文は混合系2人について、ヨーロッパ系の父親と近東系の母親の間の子供と推測していますが、両親自身が混合系だった可能性も指摘しています。

 本論文のデータは、十字軍時代にレバノンでヨーロッパ系と地元の近東系との間で混合が起きたことを示唆します。そこで本論文は、十字軍の前後にレバノンで起きた遺伝的構成の変化と、現代にどれだけの影響が残っているのか、検証しました。レバノンでは青銅器時代以後、ユーラシアの狩猟採集民および草原地帯集団系統の遺伝的影響の増加が見られます。これは、レヴァントにおけるユーラシア系統は十字軍およびローマ時代に先行する、と示唆します。次に、ローマ時代と中世の間に顕著な遺伝的構成の変化はなかった、と明らかになりました。本論文は、中世レバノン人と現代レバノン人との間に顕著な遺伝的構成の違いもなく、現代レバノン人への十字軍の遺伝的影響は検出困難なほど低い、と推測しています。

 本論文がDNAを解析したのは一部の十字軍兵士にすぎないでしょうが、十字軍の時代にヨーロッパ系と近東系の混合が一定以上起きたことを示唆します。ローマ時代と現代のレバノン人のDNA解析だけでは、十字軍の時代のヨーロッパ系と近東系の混合を見落としてしまう可能性があり、それは他地域・他の時代においても同様でしょう。それを検出し、さらには史料を裏づけたという意味で、本論文は古代DNA研究の威力を改めて示した、と言えるでしょう。今後の研究計画として、青銅器時代から鉄器時代への移行期の近東における遺伝的構成の変化の検証が挙げられています。イスラエルでは、後期銅器時代〜青銅器時代にかけての人類集団の遺伝的構成の大きな変化が指摘されており(関連記事)、レバノンに関しても研究の進展が期待されます。


参考文献:
Haber M. et al.(2019A): A Transient Pulse of Genetic Admixture from the Crusaders in the Near East Identified from Ancient Genome Sequences. The American Journal of Human Genetics, 104, 5, 977–984.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2019.03.015

https://sicambre.at.webry.info/201904/article_33.html

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