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ベートーヴェン 『交響曲第9番』
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 23 日 19:55:13: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 19 日 08:01:40)

ベートーヴェン 『交響曲第9番』


Hans Knappertsbusch conducts Beethoven's Ninth Symphony (1943)



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Beethoven - Symphony No 9 "Choral" - Weingartner, VPO (1935)




Symphony No. 9
Felix Weingartner
Vienna P.O.,
Vienna State Opera Choir
Luise Helletsgruber, soprano,
Rosette Anday, contralto,
Goerg Maikl, tenor,
Richard Mayr, bass
Recorded 2-5 February, 1935 at Mittlerer Konzerthaussaal, Vienna


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Beethoven, Symphony No. 9 - Toscanini, NYPh, 1936


Arturo Toscanini
Rosa Tentoni, Rose Bampton, Charles Kullman, Ezio Pinza
New York Philharmonic-Symphony Orchestra
Schola Cantorum of New York - Chorus Master: Hugh C. M. Ross
Live, New York, Carnegie Hall
March 8th, 1936


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Beethoven - Symphony No. 9 "Choral" - NBC Symphony Orchestra, Toscanini (3 April 1948)


Symphony No.9 in D minor, Op.125, 'Choral'
Anne McKnight - soprano; Jane Hobson - contralto; Erwin Dillon - tenor; Norman Scott - bass; Memebers of the Collegiate Chorale
NBC Symphony Orchestra conducted by Arturo Toscanini
Telecast: 3 April, 1948 at NBC Studio 8-H, New York City
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Beethoven Symphony No.9 Willem Mengelberg 1938




ウィレム・メンゲルベルク 指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
(S)トー・ファン・デル・スルイス (A)スーゼ・ルーヘル (T)ルイ・ファン・トゥルダー (Bs)ウィレム・ラヴェッリ
1938年5月1日録音


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Beethoven “Symphony No 9 ‘Choral’” Willem Mengelberg, 1940


Concertgebouw Orchestra, Willem Mengelberg, To van der Sluys, Suze Luger, Louis van Tulder, Willem Ravelli, Toonkunst Chorus


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Beethoven - Symphony n°9 - Berlin / Furtwängler 1942


Symphony n°9 op.125


Tilla Briem
Elisabeth Höngen
Peter Anders
Rudolf Watzke
Bruno Kittel Chor
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 22-24.III.1942


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Beethoven: Symphony no. 9 "Choral" (Furtwangler, Bayreuth 1951)





Bayreuth Festival Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Recorded live* on July 29. 1951


Soloists:
Elisabeth Schwarzkopf, soprano
Elisabeth Höngen, alto
Hans Hopf, tenor
Otto Edelmann, bass


*With takes from rehearsals spliced in


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Beethoven "Symphony No 9" Furtwängler 1951 Wien


Symphony No 9 in D minor by
Irmgard Seefried, soprano
Rosette Anday, contralto
Julius Patzak, tenor
Otto Edelmann. bass
Chor der Wiener Musikakademie
Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler, conductor
Wien, 07.I.1951


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Beethoven - Symphony n°9 - Vienna / Furtwängler 1952


Symphony n°9 op.125
Hilde Güden
Rosette Anday
Julius Patzak
Alfred Poell
Chor der Wiener Singakademie
Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Vienna, 3.II.1952


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Beethoven - Symphony No.9 - Furtwängler, WPO (live 1953)


Ludwig van Beethoven. Symphony No.9 in D minor, Op.125


Irmgard Seefried, soprano
Rosette Anday, alto
Anton Dermota, tenor
Paul Schöffler, bass
Wiener Singakademie
Wiener Philharmoniker - Wilhelm Furtwängler, conductor.


Recorded live at the Musikverein, Vienna, May 31 1953


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Beethoven "Symphony No 9" Wilhelm Furtwängler Lucerne 1954




Elisabeth Schwarzkopf, Soprano
Elsa Cavelti, Alto
Ernst Haefliger, Tenor
Otto Edelmann, Bass
Lucerne Festival Chorus
Philharmonia 'Orchestra
Wilhelm Furtwängler, Conductor
Live concert 22.VIII.1954
Lucerne Festival


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Beethoven "Symphony No 9" Bruno Walter 1947


Symphony No 9 (Choral) in D minor, op 126


Isobel Baillie, soprano
Kathleen Ferrier, contralto
Heddle Nash, tenor
William Parsons, baritone
London Philharmonic Choir
Chorus master: Frederic Jackson
London Philharmonic Orchestra
Bruno Walter, conductor
Royal Albert Hall, 13.XI.1947


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Beethoven n 9 Walter Wiener phil






Beethoven : Sinf. n. 9
Wiener Philarmoniker
Bruno Walter (live rec. 13.11.1955)


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Beethoven - Symphony n°9 - OSCC / Schuricht


Symphony n°9 op.125
Wilma Lipp
Marga Höffgen
Murray Dickie
Gottlob Frick
Choeurs Elisabeth Brasseur
Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire
Carl Schuricht
Studio recording, Paris, 27-29 & 31.V.1958


▲△▽▼


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125(ドイツ語: Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125)は、ベートーヴェンが1824年に作曲した独唱と合唱を伴う交響曲。


第4楽章の旋律は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」で、フリードリヒ・フォン・シラーの詩『歓喜に寄す』から3分の1程度を抜粋し、一部ベートーヴェンが編集した上で曲をつけたものである。


演奏時間
ウィーン初演での演奏時間は、明確な数字が記された書類は無いが、1825年3月21日にロンドンで『第九』を初演したジョージ・スマートがベートーヴェンと会見した際の質疑応答の断片がベートーヴェンの会話帳に残っており、63分という数字がロンドン初演時の演奏時間とされている[6]。


リヒャルト・シュトラウスはジークフリート・ワーグナーの追悼演奏会で45分で演奏したという逸話があるが[7]、真偽のほどは定かではない。


SP時代であるフェリックス・ヴァインガルトナーの1935年の録音は62分程度、
アルトゥーロ・トスカニーニの1939年の録音は60分強だが、LP時代入って話題になったヴィルヘルム・フルトヴェングラーのバイロイト音楽祭での録音は75分弱である。


LP時代でもルネ・レイボヴィッツ、ヘルマン・シェルヘンらはベートーヴェン本人が記したテンポこそ絶対の理想であるとの信念を崩さず、それに忠実な演奏を目指していたが、それらの解釈は当時の指揮業界の中では異端であり、全体の時間は1980年代ごろまでの伝統的なモダン楽器による演奏で70分前後が主流であった。


ベートーヴェンの交響曲中で最長である。80分に届こうとするもの[8]まであった。また21世紀になってもこのような雄大なテンポでの演奏を行う指揮者もいる[9]。


「通常のCDの記録時間が約74分であることは、この曲が1枚のCDに収まるようにとの配慮の下で決められた」とする説がある[10]。


CD時代に入って、それまで重要視されて来なかった楽譜(普及版)のテンポ指示を遵守して演奏された『第九』が複数出現した。


まず、デイヴィッド・ジンマンが1999年にベーレンライター版によるCD初録音を行った際は、トラック1-2-3-4-6の順で計算すると58分45秒になる[11]。


ベンジャミン・ザンダー(英語版)指揮ボストン・フィルハーモニー管弦楽団(英語版)による演奏は全曲で57分51秒であった。


同じくザンダーの指揮によってフィルハーモニア管弦楽団を振った演奏は全曲で58分37秒[12]、フランソワ=グザヴィエ・ロトとBBCウェールズ交響楽団とのライブ演奏[13]においても58分44秒で、双方ともモダン楽器を使用したにもかかわらず1時間を切った。


マーラー編曲版でも59分44秒で終わる快速の演奏がある[14]が、マーラー本人の演奏による第9の演奏時間は不明である。


研究家が考証を行なった古楽器による演奏では大概63分程度であり、ほぼ妥当なテンポと見なされている。ただし、さらに研究が進んでテンポの数字も他人の手で代筆されたものであることが判明し、ベートーヴェンが望んだテンポについての議論がすべて決着したわけではない。


作曲の経緯


ベートーヴェンがシラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったのは、1792年のことである。ベートーヴェンは当時22歳でまだ交響曲第1番も作曲していない時期であり、ベートーヴェンが長きに渡って構想を温めていたことがわかる。ただし、この時点ではこの詞を交響曲に使用する予定はなかったとされる。


交響曲第7番から3年程度を経た1815年ごろから作曲が開始された。さらに1817年、ロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲の作曲の委嘱を受け、これをきっかけに本格的に作曲を開始したものと見られる。実際に交響曲第9番の作曲が始まったのはこのころだが、ベートーヴェンは異なる作品に何度も旋律を使いまわしているため、部分的にはさらに以前までさかのぼることができる。


ベートーヴェンは第5、第6交響曲、および第7、第8交響曲を作曲したときと同じように、当初は2曲の交響曲を並行して作曲する計画を立てていた。ひとつは声楽を含まない器楽のみの編成の交響曲であり、さらに別に声楽を取り入れた交響曲『ドイツ交響曲』の制作を予定していた。しかしさまざまな事情によって、交響曲を2つ作ることを諦めて2つの交響曲のアイディアを統合し、現在のような形となった。歓喜の歌の旋律が作られたのは1822年ごろのことである。


なお、当初作曲されていた第4楽章の旋律は、のちに弦楽四重奏曲第15番の第5楽章に流用された。


1824年に初稿が完成。そこから初演までに何度か改訂され、1824年5月7日に初演(後述)。初演以後も改訂が続けられている。楽譜は1826年にショット社より出版された。
この作品は、当初はロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈される予定だったが、崩御によりフリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈された。


初演
初演に携わった管弦楽・合唱のメンバーはいずれもアマチュア混成で、管楽器は倍の編成(木管のみか金管を含むか諸説ある)、弦楽器奏者も50人ほどで、管弦楽だけで80 - 90名の大編成だった。合唱はパート譜が40部作成されたことが判っており、原典版を編集したジョナサン・デルマーは「合唱団は40人」としているが、劇場付きの合唱団が少年・男声合唱団総勢66名という記述が会話帳にあり、楽譜1冊を2人で見たとすれば「80人」となる[15]。


演奏史


初演は1824年5月7日、ベートーヴェンによる立ち会いの下、ウィーンのケルントナートーア劇場においてミサ・ソレムニスの「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」、「献堂式」序曲とともに初演された。指揮はミヒャエル・ウムラウフ(Michael Umlauf )。


当時のウィーンではロッシーニのオペラが流行していたため、ベートーヴェンは当初、ウィーンの聴衆には自分の音楽がそぐわないと判断し、ベルリンでの初演を希望していた。だが、ベートーヴェンを支援していたリヒノフスキー伯爵らの計らいでウィーンでの初演を求める嘆願書が作られ、ベートーヴェンはベルリン初演を思い留めた。


ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが正指揮者として、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がった。ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思い、演奏後も聴衆の方を向くことができず、また拍手も聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかった。見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができた、という逸話がある。観衆が熱狂し、アンコールでは2度も第2楽章が演奏され、3度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話まで残っている。


このように「好評」の逸話が残る初演だが、その根拠は繰り返された喝采やアンコール、会話帳に残るベートーヴェン周辺の対話におかれており、「ベートーヴェンの愛好家ばかりが騒いでいた」という否定的な証言もある[16]。ソプラノソロのゾンタークは18歳、アルトソロのウンガーは21歳という若さに加え、男声ソロ2名は初演直前に変更になってしまい(バリトンソロのザイペルトが譜面を受け取ったのは、初演3日前とされる)、ソロパートはかなりの不安を抱えたまま、初演を迎えている。さらに、総練習の回数が2回と少なく、管楽器のエキストラまで揃ったのが初演前日とスケジュール上ギリギリであったこと、演奏者にはアマチュアが多く加わっていたこと(長年の戦争でプロの演奏家は人手不足だった。例えば初演の企画段階でも「ウィーンにはコンサート・ピアニストが居ない」と語られている)、加えて合奏の脱落や崩壊を防ぐためピアノが参加して合奏をリードしていた[17]。過去1809年の『合唱幻想曲』の初演では実際に合奏が崩壊して、最初から演奏し直して大失敗した。


さらに5月23日に会場をより大きなレドゥーテンザールに移して催された再演は、会場の半分も集客出来ず大失敗であった。ウィーンの聴衆の受けを狙ってロッシーニのオペラ・アリアを入れたこと、昼間の演奏会だったので人々がピクニックに出かけてしまったことなどの理由を述べた書き込みが会話帳に残っている。


なお初演の収入は会場使用料や写譜代金などを差し引いて420グルデンという数字が伝えられている。シンドラーの「2000グルデンは儲かる」という話をはじめとして「成功間違い無し」と周囲に吹き込まれて開いた演奏会でもあり、この金額はベートーヴェンには明らかに少なかった。再演ではあらかじめ1200グルデンがベートーヴェンに支払われている。後年プロイセン王への献呈の際、ベートーヴェンに指輪が贈られたが、宝石鑑定士に鑑定させた結果300グルデンと判るとベートーヴェンは安過ぎると怒り、売り払ってしまった。その指輪は今でも行方不明である。


その後、ヨーロッパ各地で何回か演奏が試みられたが、全て失敗か微妙な評価に終わった。また、第4楽章がその前の三つの楽章に比べて「異質」とされ、「長大すぎる」ということで演奏機会に恵まれなくなった。実際にベートーヴェンも初演の後、第4楽章を器楽のみの編成に書き改める、またソロ・テナーパートを歌いやすくすることを計画していた。1827年、まともに評価されることなくベートーヴェンは死去する。


初演以外の演奏が失敗に終わった理由の一つに、当時のオーケストラの演奏水準の問題があった。ベートーヴェンの時代は、プロの音楽家養成機関が未整備で、宮廷オーケストラの類を除くと、「プロ・オーケストラ」は民間に存在しなかった。プロ・オーケストラによる正当な演奏は後世を待たなければならなかった。


パリでの部分的再演


世界初の音楽学校として設立されたパリ音楽院の卒業生フランソワ・アントワーヌ・アブネックは、パリ・オペラ座管弦楽団のヴァイオリン奏者として活躍した後、指揮者に転向し、1828年、母校にパリ音楽院管弦楽団を創立した。体系化された音楽教育を受けたメンバーによるこのパリ音楽院管弦楽団は、「比類なき管弦楽団」「ヨーロッパ最高水準のオーケストラ」という評判を勝ち取る。そのアブネックは、ベートーヴェンの信奉者であった。ベートーヴェンの交響曲の楽譜を徹底的に分析し、自身が指揮者をつとめるパリ音楽院管弦楽団演奏会のメイン・プログラムに据えたのである。


1831年、3年の準備期間を経てアブネックは初めて『第九』を指揮・演奏した。ただし、第4楽章は上記のような理由で演奏されず、第1-3楽章のみの演奏だった。その後、アブネックは度々、「第4楽章抜きの第九」を演奏した。この演奏を聴いて感銘を受けた2人の作曲家兼指揮者がいた。

一人は、当時パリ音楽院の学生だったエクトル・ベルリオーズ。彼は、ベートーヴェンを模範として作曲に励むことになる。もう一人は、オペラ作曲家としての成功を夢見てパリに来ていたドイツのリヒャルト・ワーグナーである。結局、ワーグナーはパリで成功を収めることができず、失意のうちにドイツへ戻ることになるが、アブネックによるベートーヴェンの交響曲演奏会の記憶は感激として残った。そして、いつか『第九』を全楽章、復活演奏することを夢見るのである。このころから第9は複数人の作曲家によるピアノ編曲がなされて地味に浸透し始める。

ワーグナーによる復活演奏


リヒャルト・ワーグナーは少年時代からベートーヴェンの作品に熱中し、図書館から借りてきた彼の楽譜を筆写していた。『第九』も例外ではなく、ピアノ編曲までしたほどである。パリで成功を収めることができなかった彼は故郷のドイツへ帰り、1842年ドレスデンで歌劇『リエンツィ』を上演、大好評を博した。この功績により、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(当時はザクセン王国の宮廷楽団)の指揮者に任命された彼は、念願の『第九』復活演奏に着手する。


ドレスデンでは、毎年復活祭の直前の日曜日にオーケストラの養老年金の基金積み立てのための特別演奏会が催されていた。この演奏会ではオラトリオと交響曲が演奏されるのが定番となっていた。1846年、ワーグナーはこの演奏会でベートーヴェンの『第九』を取り上げることを宣言した。猛反対の声が挙がったが、彼は反対派説得のためにパンフレットや解説書を書いて説得につとめるとともに、『第九』の楽譜に改訂を加えた。


彼は、「ベートーヴェンの時代は楽器が未発達」であり、「作曲者は不本意ながら頭に描いたメロディ全てをオーケストラに演奏させることができなかった」と考えたのである。そして「もしベートーヴェンが、現代の発達した楽器を目の当たりにしたら、このように楽譜を加筆・改訂するだろう」という前提に立って、管楽器の補強などを楽譜に書き込んだ。


徹底的なリハーサルの効果もあり、この演奏会は公開練習のときから満員となり、本番も大成功に終わった。もちろん、年金基金も記録的な収入だった。これ以降、『第九』は「傑作」という評価を得るようになったのである。[18]


バイロイト音楽祭と第九
1872年、バイロイトに祝祭劇場を建設する際、その定礎の記念として選帝侯劇場にてリヒャルト・ワーグナーの指揮で『第九』が演奏された。その所縁もあり、『第九』はバイロイト音楽祭においてワーグナーの歌劇・楽劇以外で演奏される唯一の曲となっている。


以後、何度か演奏されている。
1933年リヒャルト・シュトラウス、
1951年と1954年 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、
1953年パウル・ヒンデミット、
1963年カール・ベーム、
2001年クリスティアン・ティーレマン。


フルトヴェングラーと第九
指揮者フルトヴェングラーは第二次世界大戦前、1911年から1940年まで既に61回『第九』を指揮したとされる。
その解釈は荘厳、深遠でありながら感情に流され過ぎず、友人でもあった音楽学者ハインリヒ・シェンカーの分析からも影響を受けている。


第4楽章330小節のフェルマータを非常に長く伸ばし同時間の休止を設けるというワーグナー由来の特徴も見られ、自身の著作でも第1楽章の開始を宇宙の創世と捉えるなど後の世代にも影響を与えたが、後の世代の演奏はトスカニーニ流の明晰な演奏が主流となり、ブルックナー開始を思わせるフルトヴェングラーの解釈は、現在ではベートーヴェンにしてはあまりに後期ロマン主義的、神秘主義的に過ぎる、とされることが多い。[24]


第二次世界大戦中ドイツに留まり活動していたフルトヴェングラーは1942年4月19日、ヒトラーの誕生日前日に『第九』を指揮しゲッベルスと握手する姿が映画に撮影されるなど政治宣伝に利用され、戦後連合国からナチスとの関わりを責められ一時活動の機会を失うことになった。


1951年7月末、終戦後初のバイロイト音楽祭でフルトヴェングラーは『第九』を指揮し再開を祝した。他の演目を録音しに訪れていたレコード会社デッカのスタッフも出演者たちも、この第九に常軌を逸した緊張感があったと語っている。


しかし録音そのものは1951年当時の技術水準を考慮しても鮮明さを欠いたものであった。もともとこの演奏のレコード化は正規のものではなく、発売元となったEMIのプロデューサーウォルター・レッグはフルトヴェングラーから録音を拒否されていた(表向きは「バイロイトの音響が録音向きではないから」としているが、当時EMIはフルトヴェングラーが忌み嫌っていたカラヤンと友好関係にあり、フルトヴェングラーの信頼を失いつつあった)。そのためフルトヴェングラーの生前には発売されなかった上、録音テープが廃棄されかかったという逸話もある。[25]


しかしフルトヴェングラーの死後にEMIからレコードとして発売されると、日本の評論家達は大絶賛し、今でも「第九のベスト演奏」に挙げられることが多い。録音に問題ありという認識の裏返しでEMIから音質の改善を謳ったCDが何種類も発売されており、初期LPから復刻したCDも複数の企画がある。


近年もう一種類の録音(バイエルン放送の放送録音)がCD化(「オルフェオ」レーベル)され、本番なのかリハーサルテープなのかの諸説があるが、「こちらこそ真のバイロイトの第九」と賞賛する声もある[26]。


戦後復興と第九


1955年に、戦争で破壊されたウィーン国立歌劇場が再建された際にも、ブルーノ・ワルター指揮・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で『第九』が演奏された。なお、再建のこけら落しはカール・ベーム指揮の歌劇『フィデリオ』だった。当初音楽監督のベームはワルターに『ドン・ジョヴァンニ』の指揮を依頼したが、ワルターが高齢を理由に辞退し、代わりに『第九』を指揮することになったものである。なお、これはオーストリア放送協会による放送録音が残っており、オルフェオからCD化もされている。

ドイツ分断と第九
1964年の東京オリンピックに東西ドイツが統一選手団を送ったときに、国歌の代わりに歌われた。
1989年のベルリンの壁崩壊の直後の年末にレナード・バーンスタインが、東西ドイツとベルリンを分割した連合国(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)のオーケストラメンバーによる混成オーケストラを指揮してベルリンで演奏した。この際には、第4楽章の詩の"Freude"をあえて"Freiheit(自由)"に替えて歌われた。また、翌年のドイツ再統一のときの統一前夜の祝典曲としてクルト・マズア指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がライプツィヒで演奏した。なおゲヴァントハウスでは毎年大晦日の16時半から、ベルリン・フィルのジルベスターコンサートに対抗して演奏されTV中継されている。


演奏のみのバージョンがEUの国歌として使用されている。2007年にはルーマニアとブルガリアがEUに加盟したが、2007年の1月元旦の0時を切ったとき演奏されたのがこの『第九』であった。


レコード録音史


アコースティック録音時代


1921年2月7日、エドゥアルト・メーリケ指揮 シャルロッテンブルク・ドイツ・オペラハウス管弦楽団によって、第4楽章の前半(低弦が歓喜の主題を奏で始める直前まで)と中間部をカットした演奏がパーロフォン・レーベルにレコード録音された。これが第4楽章の世界初録音となったが、すぐには発売されなかった。


1923年、独ポリドール社がブルーノ・ザイドラー=ヴィンクラー(ドイツ語版)指揮 新交響楽団(実態はベルリン国立歌劇場管弦楽団の団員を中心に組織された臨時の演奏団体)ほかによる全楽章のレコードを録音(世界初の全楽章録音だが、第2楽章にカットがある。また、録音の制約上シンバルが抜けている)し、同年12月に発売された。このレコードは日本にも紹介され、好評を博した。


1923年10-11月に収録されたアルバート・コーツ指揮、交響楽団ほかによる英語歌唱のレコードが1924年5月、この曲の「初演100周年」として英HMV社より発売。(ただし、アルト歌手が再テイクの際に交代しているため、二人のアルト歌手の名がクレジットされている)。


1924年1-2月、フリーダー・ワイスマンがベルリン・ブリュトナー管弦楽団を指揮して第1-3楽章を録音。これにエドゥアルト・メーリケが1921年に収録した第4楽章の抜粋・短縮版を組み合わせたアルバムが同年7月に英パーロフォン社から発売された。しかし、全てのラベルにワイスマンとブリュトナー管弦楽団の名がクレジットされていたため、誰も第4楽章が全くの別テイクであることを疑わなかった。(1997年にカナダのレコード研究家が真相を発表)。

1925年1月、エドゥアルト・メーリケがベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮して第4楽章の抜粋・短縮版を収録。これにワイスマンが1924年に録音した第1-3楽章を組み合わせたアルバムが独パーロフォン社から発売された。

なお、これらの録音は全て『合唱が原語(ドイツ語)ではない』あるいは『曲の一部がカットされている』のどちらかに該当し、この曲本来の姿での録音ではなかった。完全な録音は、この後1928年のオスカー・フリートとベルリン国立歌劇場管弦楽団によるものが世界で初めてである。


電気録音時代


1926年3月16-17日、フェリックス・ワインガルトナー指揮 ロンドン交響楽団(英訳詞による合唱)


1926年10月、アルバート・コーツ指揮 交響楽団(英訳詞による合唱)


1928年、オスカー・フリート指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団(世界初の原語版によるカット箇所のない完全録音)


1934年4月30日、レオポルド・ストコフスキー指揮 フィラデルフィア管弦楽団(英訳詞による合唱)

1935年2月2-4日、フェリックス・ワインガルトナー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(世界初の交響曲全集に収録された)


以降はオイゲン・ヨッフム(1938年)、カール・ベーム(1941年(昭和16年))、橋本國彦(1943年5月・日本初録音)、山田一雄(1943年11月・日本初全曲録音)、ユージン・オーマンディ(1945年)と続く。 1930年代以降は多くの指揮者によるライブ録音も多数残されている。(現在確認されている最古のものは1936年3月のアルトゥーロ・トスカニーニ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団)


またカラヤンはベルリン・フィルとのベートーヴェンの交響曲集をドイツ・グラモフォンでアナログ、ドルビーNR、デジタルの3期にわたって制作しており、映像も複数残っている。映画『時計じかけのオレンジ』にも使われた62年録音は2009年になっても重量盤LPレコードが企画されるなど人気が高く、通常CD、スーパー・ハイ・マテリアルCD(SHM-CD)、スーパーオーディオCD(SACD)に加えガラスCD化も行われた。


編成


二管編成・追加楽器・声楽が用いられる。ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンはベートーヴェンの交響曲では使用例が少なく、他に交響曲第5番、交響曲第6番で使用されているのみである。また、ホルンが4本、打楽器は他の交響曲では使われていないトライアングル、シンバル、バスドラムを使用しており、この時期の交響曲の編成としては最大級のものである。前述の通り声楽を交響曲に用いるのは当時としてはきわめて奇抜なアイディアである。
またこの楽器編成はワーグナーの楽劇の3管編成の基礎になった。


歓喜の歌


詳細は「歓喜の歌」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/歓喜の歌


フリードリヒ・フォン・シラーがフリーメイソンリーの理念を書いた[29]詩作品『自由賛歌』(Hymne à la liberté 1785年)がフランス革命の直後『ラ・マルセイエーズ』のメロディーでドイツの学生に歌われていた[30]。そこで詩を書き直した『歓喜に寄す』(An die Freude 初稿1785年、改稿1803年)にしたところ、これをベートーヴェンが歌詞として1822年から1824年に書き直したものである。


「歓喜のメロディー」は、交響曲第9番以前の作品である1808年の『合唱幻想曲』作品80と、1810年のゲーテの詩による歌曲『絵の描かれたリボンで Mit einem gemalten Band』作品83-3においてその原型が見られる。


歌詞(ドイツ語原詞・日本語訳)
An die Freude


O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
(ベートーヴェン作詞)


Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!


Deine Zauber binden wieder,
(1803年改稿)
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
(1785年初稿:
Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,)
Wo dein sanfter Flügel weilt.


Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!


Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!


Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.


Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.


Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.


Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuss der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.


Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.
「歓喜に寄せて」


おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
(ベートーヴェン作詞)


歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る


汝が魔力は再び結び合わせる
(1803年改稿)
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
(1785年初稿:
時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で


ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ


そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい


すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる。


口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ


天の星々がきらびやかな天空を
飛びゆくように、楽しげに
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ


抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない


諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう


版の問題


この作品は、その斬新な作風から解釈やオーケストレーションについて多くの問題を含んでおり、19世紀後半のワーグナー、マーラー、ワインガルトナー[31]といった名指揮者・作曲家によるアレンジが慣例化している他、ストコフスキー、近衛秀麿、トスカニーニなども独自のアレンジを施しており、幾つかはCDなどの録音で検証することが可能である。それらは演奏実践に有益な示唆を含んでいるが、同時に作曲当時には存在していなかった楽器法を取り入れた結果、曲本来の姿を伝える上では障害ともなっている。


ベートーベンの本意
また自筆スコアの他にスコア・パート譜から修正チェック用のメモ、テンポは会話帳の1ページに甥のカールによって記され、出版社への修正依頼が記された書簡に至るまで数多くの出版/筆写史料が残っており、細かな違いが無数にあるため食い違いが作曲者の意図なのか写し間違いなのか決定しにくい点が問題となってきた。

『ミサ・ソレムニス』という更なる大曲と並行して作られ、出版やウィーン以外の国でも初演される事が決まっていたという前提があったが、長年ベートーヴェンの筆跡判読を行なっていた筆写作業の統括者ヴェンツェル・シュレンマーが1823年に亡くなり作業は停滞する。後継の写譜師達からは仕事を断る者、途中放棄する者が出たほどである。自筆スコアが書き上がった後も初演に向けてベートーヴェンは細部の改訂を執拗に行なった。自筆スコアとは別にスコア+パート譜が1825年までに3種類作られた。膨大な譜面の校正も困難で、ベートーヴェンも誤写を見過ごしてしまい、体調不良から校正を第三者に委ねようと依頼して断られるなど、混乱は初版第1刷発行後も続いた。このような状況で1826年に出版された初版スコアは、その版下と比べて食い違いがおびただしい。修正刷りのチェックなど校正がほとんど行われなかったためとみられる。1864年に出たブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(ドイツ)の旧全集版は自筆スコア、筆写史料、初版に基づいて作成されているが、テンポの問題は解決されず、歌詞の誤り、写譜師の誤写や初版のミス、ベートーヴェンの改訂前の形を採用するなど問題が多く、さらに元の資料に無い同社独自の改変も見られる[32]。この改訂の実態は校訂報告が発表されなかったので長年この旧全集版こそ決定版と認識されて来たのである。


ベートーヴェンが死の直前にシントラーに贈った自筆スコアはシントラーの死後ベルリン国立図書館に収められたが、国立図書館は戦後東ベルリンに属したため容易に研究に用いる事が出来ず「行方不明」とも言われていた。1924年に出版されたファクシミリ(写真版)を参照して修正を加える岩城宏之、クレンペラーなどの例も有った[33]のだが、旧全集版に慣れた考え方からすると自筆スコアに残る音形は奇異に思われる物も多く、なかなか全面的には受け容れられて来なかった。



再解釈の時代へ


20世紀末になると、東西ドイツの統合とソ連の崩壊に伴い行方不明になっていた資料が発見され、それらの素性も明らかにされて来た。『第九』に関しては残っているだけで20点もの原典資料が、ヨーロッパからアメリカの各地に散らばっていたのである。大部分がベルリンにある自筆スコアも数ページがパリの国立図書館やボンのベートーヴェン研究所にあるなど、所在は今も分散したままである。


イギリスの音楽学者・指揮者のジョナサン・デルマーがこうした新旧様々な資料に照らし合わせて問題点を究明し[34]、この研究は楽譜化され1996年にベーレンライター社から出版された。自筆スコアから誤まって伝えられてきた音が元通りに直されたため、ショッキングに聴こえる箇所がいくつもあり大いに話題を呼んだが、ベートーヴェンの書きたかった音形を追求した結果、旧全集同様どの資料にも無い音形が数多く表れている点もこの版の特徴である[35]。


21世紀に入って旧ベートーヴェン全集の出版社であるブライトコプフ社もペーター・ハウシルトの校訂で原典版を出版した。こちらは先行するデルマーの版と同じ資料に基づきながらも、資料ごとの優先度が違い、異なる見解がいくつも現れている[36]。いずれも国際協力と新しいベートーヴェン研究の成果、現場の指揮者や演奏家達の助言も入れて編集された批判校訂版である。2019年春にはベートーヴェン研究所のベアテ・アンゲリカ=クラウス校訂による新ベートーヴェン全集版の刊行も予定されている[37]。


なお、かつて教育テレビで1986年秋に放送されたNHK趣味講座「第九をうたおう」では、こうしたオーケストレーション変更の意義を、全体の企画と指揮を担当した井上道義は主に初心者を対象にして分かりやすく説明していた。番組テキストでも、ベートーヴェンが採用したオーケストレーションの意図や、一般的な譜面の読み替え(例えば第2楽章276小節からのVn.1パートは、現在1オクターブ高く演奏されることが多い)も含め、オーケストレーションの参照譜例が幾つか収録されており、一般市民が入手できるものとして、当時貴重な資料であった。その際史料状況や編曲の実態について解説したのは金子建志であった。


全音楽譜出版社による第9の新版スタディスコアにもその版元の変遷が明示された上で、独自の解釈を行っている[38]。


https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第9番_(ベートーヴェン)
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-14203] koaQ7Jey 2020年1月23日 20:10:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1057] 報告

アーベントロート

Hermann Abendroth, 1950, Berlin RSO, Beethoven's "Symphony no. 9, Choral"



Symphony No. 9 in D minor, Op.125 "Choral"

Tilla Briem, Diana Eustrati, Ludwig Suthaus, Karl Paul
Rundfunk-Sinfonie-Orchester Berlin
December 31, 1950

__________


Beethoven Symphony No. 9 Abendroth / Leipzig Radio O. & Chorus. (1953, restored)






Beethoven: Symphony No. 9
(perf. Leipzig, 1953)


Anny Schlemm(soprano)
Diana Eustrati(alto)
Gert Lutze(tenor)
Karl Paul(bass)

Leipzig Radio Symphony Orchestra & Chorus
Hermann Abendroth
1953-01-06

_______


Beethoven "Symphony No 9" Hermann Abendroth



Symphony No 9 in D minor op 125

Edith Laux, Soprano
Diana Eustrati, Alto
Ludwig Suthaus, Tenor
Karl Paul, Bass

Rudfunkchor Leipzig
Unjversitätschor, Leipzig
Rundfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig
2. 中川隆[-14199] koaQ7Jey 2020年1月23日 20:56:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1053] 報告

Wilhelm Furtwängler site by shin-p
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu01.htm

フルトヴェングラー年代順資料室


フルトヴェングラーの第九の名盤

1930年
●6月16日 16 June 1930 BPO Philharmonie
ベートーヴェン/交響曲9番〜2楽章 Beethoven:Sym.No.9 2ndMov.
not issued
ドイツ・ラジオ収録 German Radio RRG937-9

▼ディスコグラフィーでしか知られていない最初期の放送録音。もちろん未発売。当時の技術からして実況ではないのでは?[参考資料A]でも、この録音の存在が明記されていた。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu01.htm#19260000


1937年
●5月1日 1 May 1937 BPO London Queens Hall (Live)
ベートーヴェン/合唱 Beethoven:Sym.No.9

BBC収録 EMI所蔵 EMI Archive (Matrix:2EA3559-75)
LP/PR: ToshibaWF600073-4('84) Electrola02701231('84)
CD: M&ACD818('95)WFJ19-21('03)EMI CZS5628752(04/06)

▼没後30年記念盤としてEMI系から発売予告が出て初めて世に知られた、ジョージ6世戴冠祝賀公演のためロンドンを訪れた際の実況盤。EMI系のLPはSPのつなぎめが不自然で不評だった。特に終楽章は巨匠の「間」を大切にした表現が全く伝わらず、鑑賞に大きな支障がある。

また部分的に音の途切れが目立ち、残響にも乏しい録音だ。CD(TOCE6057)では若干改善されている。M&A盤(CD818='95)は、未聴だが「EMIより音質改善を図った」(タワー店頭)というのが売り。オリジナルSP盤から復刻したとされる日WF協会盤は音質は盤面のつなぎ目をブランクにした賛否両論のCD。グレイトコンダクター企画で発売されたEMI CZS5628752は収録時間の関係で2楽章反復を省略。ノイズリダクション多用音質だが、聞きやすさでは一番。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu04.htm

1942年
●3月22-24日 22-24 March 1942 BPO Philharmony(RRG=Melodiya)

Beethoven:Sym.No.9
ベートーヴェン/第九 (o-68)

BPO フィルハーモニー RRG録音 SFB所蔵(1987=all/91=only 2nd Mov.)

LP/PR: MelodiyaD010851-3('61?) UNI100-1(68/06) Turnabout(VOX)TV4346-7(69/12)TV4353-4('70) JapanFontanaPL1101('76)

CD: TahraFURT1004-7('95) M&ACD653('90) TahraFURT1034-9(98/11) TOCE3734(00/08) ARPCD0001('00) VENEZIA V-1019(02/06) OpusKuraOPK7003(03/11) DeltaDCCA0004-5(04/12) DreamLifeDLCA7006(04/12=SACD) Berliner Philharmoniker KKC5952(18/12)


▼収録日が正確だとすれば、キッテル合唱団40周年記念演奏会ライヴ。西側では68年Unicorn盤発売以降「板おこし」といわれる音質の芳しくないLPしか流通していないとされていた。87年にモスクワ放送から西独SFBにコピーテープが返還され、SWF盤TAHRA盤などそのテープによると思われるものも出現した。

89年に日WF協会などの協力で日本に輸入され新世界レコードが発売したM10規格黒盤メロディア盤LPはこの戦時下の状況をよく伝えている。ただしブルーたいまつ61年規格が最初といわれる最初期のメロディアLPにはかなわない。61年規格でも60年代後半発売のピンク・ダブルレターになると音質は若干落ちるという。おそらく現在ではRRGの原テープは再生不能で、コピーテープしか使えないと思われる。91年の原テープ返還でも2楽章の一部しか返還されなかった。91年返還テープがRRGオリジナルではなかった(当時のテープを使用しているもののオリジナルからのコピー)という意見もある。

メロディア盤のブルー&ピンク、灯台&たいまつなど、レーベルの識別については浅岡弘和氏HPを参照のこと。

この録音は4月19日ヒトラー誕生祝賀前夜祭の録音であるという桧山説が日本では広く信じられていた。shin-pは、4楽章第2部の中半部にテープの継ぎ目があり、その前後の独唱者の声に違いがあり別録音の2種のテープを編集していると感じていた。桧山氏はステレオ芸術誌上で68年頃聞いたメロディア初期盤は「1楽章のレベル変動が多く、別物のように思える」とするが、初出と思われる61年規格以降、音質に差があるものの同じ録音を使っている可能性大。没後50年、ARPCD0270(04/10)4月録音盤が発売され、上記演奏の「3月録音」はほぼ確定した。

00/06レコ芸相談室によると、2000年発売の東芝全集盤について「ユニコーン原盤は以前と同じマスター・テープからリマスタリング」しているというが、実際は以前の録音よりも限りなくメロディアCD並に改善されている。

この演奏のテープは旧ソ連以外には存在せず、桧山氏によると以前のユニコーン盤は68年頃ソ連のコレクターからスポーツシャツと交換で当時の米フ協会長が入手したメロディア盤を当時の英フ協会長ミンチン氏に送り、板おこしとされたテープを使用しているという。浅岡氏によれば第九の初出は59年頃といい、ユニコーン盤が使ったというメロディアLPは再発盤という可能性が高い。ユニコーン盤の音源入手の経路はこの桧山氏の記述の通りではなく「関係者がソ連に打診し、夫人の元に送られたコピーテープによる」という説もある。

さらに当時の英WF協会であるUnicornの認証があるTurnabout(VOX)TV4346-7(69/12)は、当時の他のLPよりも音質がよく板おこしではないと思われ、RRGが作った数種のコピーのうちアメリカに渡ったものを使用したのではないかという推測もある。ただし、私がこの曲を初めて聴いたUnicorn経由Turnabout原盤(と出谷氏がジャケ解説でいう)の日FontanaPL1101('76)は使用したメロディア盤の状態が悪いのか、レベル変動がひどくハッキリ聞こえない部分が多い。桧山氏によれば同じく1枚に詰め込んだ米Evelest疑似ステ盤は2楽章に欠落とピッチの問題があり音質は「最悪」という。

音楽評論家・浅岡氏プロデュースで発売されたVENEZIA V-1019(02/06)は、メロディア初出前に厚紙アルバムに封入された全ソ連芸術家養成所刊のVSG盤を復刻したもの。当時のソ連製LP盤の盤質は平均的な西側のものにはかなわないが、ストレートに製盤し現在発売中の中では最も明瞭感のある貴重な音源。平林氏のSerenadeからもピンクレーベル復刻CD-Rが02/04発売された。その後、平林氏はDreamLifeからもSACDでDLCA7006(04/12=SACD)を発売。この2人の有名評論家プロデュース板起こしCDに触発された形で更なる原音再生を目指した

OpusKuraOPK7003(03/11)DeltaEntertainmentDCCA0004-5(04/12)の2種も発売され、没後50年以降実質新譜が発売されない現状にあって板起こし盤がマニアの話題をさらっている。[shin-pHPのポリシー]

Archipel盤はどういう経路の「オリジナルテープ」を謳っているのか不明だが、明瞭で聞き易い廉価盤。

●4月19日 19 April 1942 BPO Philharmony(RRG)
Beethoven:Sym.No.9
ベートーヴェン/第九 (o-なし)

BPO フィルハーモニー RRG録音 Private Archive(Decelith disc)

CD-R/PR: Truesound Transfers TT-2403N('04)
CD/PR: Archipel ARPCD0270(04/10)

▼没後50年、ナチスへの協力疑惑の証拠にもされたヒトラー生誕前夜祭の録音が発売された。当初ドイツの通販サイトTruesound TransfersからCD-R盤TT-2403Nとして出ていたが、版権をGebhardtに売却、Archipelレーベルで04/10に発売された。Archipel盤のジャケットにはTruesound Transfersのマスタリング者の名前が明記されており、上記2種のCD/CD-Rはほぼ同じものと思われる。

shin-pは、発売元のご厚意で04/10/02にArchipelARPCD0270試聴盤を聞かせていただいた。3月の演奏と同じものかどうかというのが焦点だが、shin-pの試聴後の感想は別の演奏。マグネトフォン開発前から実績のあったDecelith discという収録時間5分強の78回転盤で収録されている。

furt-lによればエルンスト・ルンペ氏がクリスチァン・ツヴァルク氏から聞いた情報では「この14枚のDecelith disk (片面盤)をツヴァルク氏は昨年ウィーンのアンチークショップで見つけて購入。ウィーン在住の人が放送を1台のDecelith レコーダーで録音したものらしく、原盤にはディスクを取り替える際のギャップがあり、ツヴァルク氏はこれらを1942.3の録音の当該部分を用いて補修した。以上のようなことを全てライナーノートに書くようにARCHIPELに求めたが容れられなかった。」(仙台S氏の報告による)という。

ただ、ギャップを補修したと思われる部分をshin-pは確認できず、おそらく同日の演奏で完全録音のように思える。放送局がテープ収録し、ダビングして関係者に配った「ディスク」と考える方が自然だ。仙台S氏によれば、塩化ビニール系の録音ディスクというが、アセテート盤という表現をしているサイトもある。開演前後の拍手とアナウンスも収録されているが、終演後の拍手には10秒ほどの間がある。Archipel盤の録音状態は、ディスク録音としては雑音が少ないが、周波数帯域が狭く、ノイズリダクションのせいか弱音がぼやけて聞こえなくなる部分も多い。演奏的には、3月録音より迫力の点で勝っており、コーダ部分はさらにものものしい。

この日の終楽章の映像は、多くのLD/DVDなどで発売されている。URHS氏のコメントにもあるように、この映像に収録されている演奏の音声は3月録音である可能性が高い。
[Furtwangler Beethoven 1942 4 by YouTubeSEARCH]

●4月21-24日 21-24 April 1942 VPO Musikverein(Private Archives=LIVE)

Beethoven:Sym.No.9 2ndMov.Excerpt
ベートーヴェン/合唱〜第3楽章断片(約15分58秒) (o-なし)
VPO ムジークフェライン  実況録音 Private Archives

CD/PR: SYMPOSIUM(GB)1253(00/04)

▼突然発表された英SYMPOSIUM盤は、Ionisationという題でトスカニーニなど他の巨匠の演奏も入ったオムニバス盤。ムジークフェラインでの実況で放送用ではなく、コンサートの関係者によってアセテート盤4面に収録されているが、面を換える際の欠落がある。

清水氏によると33-36、65-74、115-116、149-157(end)の各小節が欠落しており、3楽章開始前のインターバル13秒を含んで15分58秒が収録されている。マグネトフォンによるテープ録音は42年当時はまだ帝国放送ベルリン放送局でしかできない状態だったと思われる。ムジークフェラインでの実況テープ録音は、44年12月の「英雄」が聴衆あり実況で残されているという意見もあるが、現時点で確認されたところではドイツ帝国脱出直前の45年1月29(28)日しか残されていない。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu05.htm

3. 中川隆[-14198] koaQ7Jey 2020年1月23日 21:05:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1052] 報告

1949年
28 May. 1949 Scala Orc. Milan(private archive)
Beethoven:Sym.No.9
not issued

●5月28日 ベートーベン/合唱 スカラ座o ミラノ・スカラ座 未発売

▼TAHRA本は、この録音については誰も知らない−とし、シミオナート(S)はないといっており、Angelo Scottiniがトリノでアセテート盤を見つけた−と記している。RAIが収録したものは、当時テープ録音されたもののディスクにコピーされ保存されているケースが多い。53年リングは特に有名だが、他にも51年のブルックナー7番や52年のチャイコ5番などテープは消去され、ディスクからCDに復刻されている。

またオルセンはミラノにprivate archiveが存在するがRAIトリノにarchiveがあるかどうか不明としている。録音されたアセテート盤は再生不能状態なのだろう。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu13.htm

1951年

7 Jan. 1951 VPO Musikverein (private archive)
Beethoven:Sym.No.9
●1月7日 ベートーヴェン/合唱 VPO ムジークフェライン (初出盤では10日ソフィエンザールとなっている) RAVAG/RWR収録 private archive

LP/PR: King(JP)K22C173('82)K19C287-8('83)CetraFE33('82)

CD: CetraCDC1('84)KingJapanKICC2291('91)BellaPhone689.22.005('90?)ORFEO834118(13/02)
>>>K22C173(Laudis Italy) is the same performance as K19C287-8(Cetra). But K22C173 contains 1951 Bayreuth performance on a part of 4th movement. K19C287-8 is better sound than others.

▼フィナーレの一部、映画も存在する。かつてキングから発売されたLPでは7日(K19C287-8=原盤CetraFE33)と10日(K22C173=原盤Laudis)と2種の録音があるとされていたが、現在は同じ物とされている。TAHRA本では6日か10日としている。K22C173では4楽章が一部51年バイロイト盤で補修されているが継ぎ目が荒く、音質が極端に異なり興ざめだ。K22C173は全体的に音質が劣悪でエアチェックと思われる。この解説文にあるように「きけばきくほど味が出て新発見がある」とは到底思えない。K19C287-8の方はK氏のご協力で聞かせていただいたが、比較的良好な音質で、オリジナルの存在を感じさせる録音状態となっている。

WF氏によれば「ベルラフォン盤16:15に電話の呼び出し音が1回混入。まさに現代の携帯電話の着信音にそっくり。」といい、調査の結果、現時点('02末)までに発売されている全ての盤で確認された。つまり、現在発売中の非公認盤はすべてコピーテープの可能性が高いということだ。

13年2月巨匠が44-54までVPOと残したライヴをほぼ収録したORFEO盤が発売され、ORFの前身であり当時のソ連管轄放送局RAVAGとRWRが共同収録したオリジナルと思われるテープからCDが発売された。


29 July 1951 Bayreuth Fes. Orc. The last rehearsal & Live(EMI=Legge)
Beethoven:Sym.No.9
29 July 1951 Bayreuth Fes. Orc. Concert Live(Bavarian Radio)
Beethoven:Sym.No.9

●7月29日 ベートーヴェン/合唱 バイロイト祝祭o バイロイト音楽祭最終リハーサル&実況 EMI収録 EMI所蔵

LP/PR: EMI(GB)ALP1286-7(55/11)Pathe(F)FALP381-2(55/12)WALP(G)1286-7('55)ToshibaHA1012-3(56/02)

LP(WF's footsteps Version)/PR:ToshibaXLP5006-10(61/09)
CD(WF's footsteps Version): ToshibaTOCE6510('90)TOCE7530-4(91/12)
CD: ToshibaCC35-3165(84/11)EMI7470812('84)EMI7690812('88)MythosNR5009(03/05)


●7月29日 ベートーヴェン/合唱 バイロイト祝祭o バイロイト音楽祭実況 バイエルン放送収録 バイエルン放送所蔵
CD/PR: WFHC013(07/07)Orfeo754 081('07)

>>>French Pathe FALP381-2(55/12) is the best sound quality.

▼shin-pが最初に聞いたバイロイト合唱のブライトクランク盤LPは音質が芳しくなかったが、CDになってからは若干こもりぎみながらも比較的明瞭なサウンドで聴くことができるようになった−と思っていた。

ところが2000年になってコレクターの方に各国初出盤LPを聞かせていただいてから考え方は大きく変わった。英独仏初出盤のなかでは仏パテFALP381-2(55/12)がもっとも明瞭なサウンドを聞かせ、終演後の拍手もドイツの聴衆らしく整然とした印象。ついで英盤。独盤は音がこもり気味で、日本初出盤に近いクオリティ。終演後の拍手もなぜか日独盤は共通して唐突なテープ編集がなされている。英仏盤も含めてEMI系のLP/CDは全て拍手の編集があるという説もある。原盤マトリクスは同じながら各国で別テープを使用しているようだ。00/07レコ芸相談室によると演奏前の足音入りテープは現在日本にしか存在しないという。また2000年東芝全集盤でも61年当時英EMIから送られてきたテープを使用してリマスターしているという。

MythosNR5009(03/05)は初出盤ALP1286-7(55/11)を板おこしした話題のCD-R。

足音入りの部分は演奏部分に比べて音が明瞭、マイクの位置もステージ際と思われ、聴衆ノイズの少ない演奏部分とは別のマイク位置による収録と思われる。さらに、もしこの足音部分のみバイエルン放送テープを使ったとすれば、同局が収録した他の音源と比べて51年録音としては明瞭すぎ、出所については疑問が残る。
足音や終演後の拍手のみならず詳細に聞けば、残響が不自然にとぎれ、いたるところでテープ編集されているのがわかる。

この演奏は同年のカラヤン「ワルキューレ3幕」と共にEMIのレッグが収録。これだけの記念碑的大演奏会だけにリハーサルからテープは回っていると考えるのが順当だろう。英ART盤の解説によれば「終演後、レッグがWFの控室を訪れ『良い演奏だったが、今まで以上にすばらしい演奏とは言えなかった』と実演の感想を述べた」ことが書かれている。

オルセンによれば、実況録音はバイエルン放送が生中継し、テープも所蔵しているという。 EMIが現在「バイロイト盤」として発売している最終リハーサルを中心としたテープおよびバイエルン放送が本番の実況を録音したテープの2種の録音の存在が推定された。

2007年7月ついに日本WFセンターが、バイエルン放送のテープを使った真正実況を頒布。これの録音状態は、51年放送録音としては標準的なもの。EMI盤は3楽章をはじめとして若干の実況を含んだ「最終リハーサル」を中心とした編集版である可能性がさらに強まった。

さらに、EMI盤とセンター盤の同じ演奏部分の収録状況の違いから、真正実況もEMIとバイエルン放送の2つの音源があり、51年バイロイトに関しては計3種テープの存在が07年時点で推定される。

クナの神々をデッカが収録しているが、音質ではEMIはデッカに及ばなかった−という世評。ただ、初出盤などを聞くにつけ、もっといい音で残されている期待もある。

演奏については、唯一「コーダの決めが録音のせいかあやふやな感じで終わっている」といった趣旨の演奏評も多いが、この切れたような終わりかたこそshin-pはこの曲にふさわしいと思える。至る所で編集がされていたとしてもこの演奏の偉大さは変わらない。完璧な決めがほしい人は54年ルツェルン盤をどうぞ。

宇野本では東芝が2088を採用する前にマスタリングしたTOCE7530-4(91/12)を推薦している。また06年時点で比較的入手が容易なTOCE6510('90)も音質好評のCD。よりよい音を求めて初期盤や「初期盤板起こしCD」を求める傾向が顕著になっているが、最新盤TOCE55701(04/12)も含めてこの曲を鑑賞するのに東芝系CDに大きな遜色はないと今(06年)のshin-pは思う。

31 Aug. 1951 VPO Salzburg Fes.(Rotwaiser Radio = ORF)
Beethoven:Sym.No.9
●8月31日 ベートーヴェン/合唱 VPO ザルツブルク音楽祭 RWR収録

PrivateArchive

CD/PR: Orfeo533001(00/08)
LD(4thMov.MOVIE): Dreamlife Japan DMLB27(LD)
Net(4thMov.MOVIE): aeiou-film.f0624a(aeiou is the culture information system of bm:bwk)

▼終楽章の一部が映像で残されLDとして出ていたのみだったが、2000年8月オルフェオが初出CDを発売。録音状態は、直前のブル5EMI盤よりは良いが、同じOrfeoのマーラーには劣る。オリジナルに近いテープのようだが、所々つぎはぎがあり音質も若干変化している。エコーをかけぼかしているが、製品化するには難のある音質。演奏もキレが悪く1カ月前のバイロイト盤とは比較にならない出来。この直後、ベルリンでの演奏会の第9は巨匠の要求でテープが消去されたが、この演奏と同じように不出来だったのかもしれない。


http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu15.htm


4. 中川隆[-14197] koaQ7Jey 2020年1月23日 21:08:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1051] 報告

1952年

3 Feb. 1952 VPO Musikverein(Archive of VPO)
Beethoven:SymNo.9

●2月3日 ベートーヴェン/合唱 VPO ムジークフェライン Rot-weiss-Rot/RAVAG収録 VPO所蔵

LP/PR: 2259012-3(=JP'75?)Rococo2109('75?)

CD: DisquesRefrainDR910003('91)WFSG TMK002038(01/05)Andante4988(02/09)TAHRA FURT1075(02/11)M&ACD1117(03/02)ArchipelARPCD0110(03/04)

>>>DR's CD is dull sound.

▼Rococo盤やDR盤、日本製私家盤しか存在しなかった当時、音質は悪いが演奏は51年バイロイト、53年VPO以上という人もいた。それでもこれらの音質は51年1月合唱のラウディス原盤K22C173('82)よりはマシだった。VPOにテープが保存されているというが、本物はどれくらいの音質なのだろう。→ついにオリジナルテープから独協会盤が01/05頒布された。日本協会でも01/08頒布。andanteからも市販正規盤が02/09出現。独協会とAndanteは、巨匠の正規VPO盤で著名なマスタリングの人物で全楽章平準化された音質はエッジの甘さが気になる。

Q氏によれば、独WF協会盤andante盤は全く同じ音質。M&A盤とTAHRA盤はマスタリングの違いで若干音質が異なる。shin-pは、TAHRA盤はバランス良く仕上がっていると感じるが、M&A盤はノイズリダクションをかけすぎで色彩感のない音質になっていると思う。協会盤以降発売されたCDは、DR盤で聞ける「残響の終了を待った拍手」ではない「歓声入りの大喝采」が収録されている。初出日本製私家盤LPには拍手は未収録だが、終演時の「間」がDRと酷似している。つまり音質はともかく「正規の拍手」は、正規盤ではなくDR盤のようだ。全ての拍手が本物ではないとする意見もある。

shin-pは廉価盤Archipelが生々しさでは一番だと思う。音質明快になり、演奏の内容も良く見渡せるようになったが、落ち着いた揺ぎ無い印象の51年バイロイトに比べ、ライヴ感満点のスリリングな演奏に感じる。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm

5. 中川隆[-14196] koaQ7Jey 2020年1月23日 21:12:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1050] 報告

1953年

30 May 1953 VPO Musikverein(ORF)
Beethoven:Sym.No.9

●5月30日 ベートーヴェン/合唱 VPO ムジークフェライン ORF収録 ORF所蔵

LP/PR: Dreamlife(JP)RILP0002(09/02)
CD/PR: Dreamlife(JP)RIPD0003(09/02)
31 May 1953 VPO Musikverein( Rot Weiss Rot=VPO)
Beethoven:Sym.No.9

●5月31日 ベートーヴェン/合唱 VPO ムジークフェライン RWR収録 VPO/ORF所蔵

LP/PR: DiscocropRR460('76?)Columbia(JP)OC7131-2('77)WFSG F669056/7('83?)
CD: WFSJ WFJ10/11('90?)DG4353252('91)DG(JP)POCG2624('92)Altus(JP)ALT076(04/02)

>>>DG is miss date(30 May). WFJ's CD sound quality is different from DG's.

▼31日はウィーン芸術週間でのLIVE、30日はその前夜祭で、WFが病気のため1月23日に演奏途中中止となったニコライ演奏会(shin-pの古いノートには、場所はソフィエンザールとある。日本協会の資料ではムジークフェライン)の延期公演でもある。91年DGからVPO創立150周年記念盤で30日として発売されたが、Discocropなどで既出の31日盤と同じ演奏で、演奏会場とソリストの関係から31日が正確なデータとされた。

当時はなぜDGが単純な日付の間違いをしたのか−といろいろな憶測が流れたが、2004年発売のAltus盤では録音日をDGと同じ30日とし、VPO所蔵のテープにそういう記載があるということがわかり、従来31日とされた録音の収録日に再び疑念が生じた。ちなみに31日のソリストはゼーフリート(S)アンダイ(A)デルモータ(T)シェフラー(B)だが、日本協会の資料によれば30日のソプラノはザデックとなっている。またOC7131-2の小林利之氏の解説によれば29日にもゲネプロ(公開総練習)が行われたという。近接するVPO演奏会のプログラムには、30日の演奏会がゲネプロとの記載があるが、29日の演奏会は記載がない。6月1日リンツでの演奏は、アルト以外の独唱者が変更されているとの資料が多いが、ウィーンジングアカデミーのアーカイブによれば、1月と6月1日のリンツでの演奏会を含めすべて31日と同じ独唱者で、ウィーンで行われた演奏はすべてムジークフェラインとなっている。

2009年2月Dreamlifeから5月30日録音とされるCDが発売された。shin-pは、既出の5月31日録音とされるものとはまったく別の演奏で、ソプラノはゼーフリートであると思う。戦後すべてのWFの録音とも違いがあり、「新発見」であることは確実。ただし、上記の疑問点から日付や会場、ソリストが正確かどうかは不明。DreamlifeがORFにオファーした31日のテープが現在31日とされる録音と別録音だったために30日の日付がDreamlifeによって付与された経過もあり、現在30日とされる録音と31日とされる録音の日付が逆である可能性もある。

演奏については、「すばらしい」「注目される」という賞賛の意見も多いが、shin-pは完成度の点で31日とされる録音に大きく劣り、決してWFの好調なときの演奏ではないと思う。

音楽評論家の間でも真偽について意見は分かれ、平林氏は「何回聴いても同じにしか思えない。」とし「大地の歌と同様、偽装音源である」としている。桧山氏は「31日録音が、一部挿入されている」疑念が残るものの「31日と同じもの、という見解には同意しがたい」としている。

[平林直哉 盤鬼のつぶやき 第4回 奇々怪々、新発見の『第9』]
https://yomimono.seikyusha.co.jp/hirabayashinaoya/hirabayashinaoya4.html

[フルトヴェングラー新発見の「第9」−Musikfreund by 野田爺@クラシック]
http://musikfreund.blog64.fc2.com/blog-category-8.html

(↑疑問点についての詳細なまとめとレポートがあります。)

桧山氏は[参考資料@]で75年頃に発見されたRot-Weiss-Rotのテープについて「一向に姿を見せない」としていたが、そのテープを使って91年に出たDG盤の録音は良好で、Rot-Weiss-Rotが返還したVPO所蔵のオリジナルテープは良質だったと思われる。

ノンオーソライズ盤の方は、終楽章に他のポピュラー音楽やDJの声などが混入している。エアチェック音源かあるいは電信ケーブルを使って中継されたものを他の放送局が録音したものだろう。(米進駐軍放送局Rot-Weiss-Rotの録音については50年フィデリオ参照のこと。)

42年BPO・51年バイロイト・54年ルツェルンにくらべれば平凡に聞こえてしまうのは仕方ないか。それでもコーダの締めは51年バイロイトよりさらに42年BPOに近いくらい高揚しており、演奏と録音のバランスを考えて、これをベストとする意見も多い。

DG4353252にはEMIの協力による発売と明記され、94年没後40年記念の日本DGの全集盤には収録されていない。imat氏によると、独&日協会盤の音はDGよりオンマイク気味で、生々しい音だ−としている。DGと同じ製作者のリマスターとして出たAltus盤は、しもけん氏によれば「低域が豊かになり、音に厚みが出て、細部も明瞭になり・・・買い直す価値はある」という。shin-pはT店試聴器で聞いたのみだが「この演奏にそれほどの思い入れがなく、この程度の音質差では買い直すほどではない」と判断した。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm

6. 中川隆[-14195] koaQ7Jey 2020年1月23日 21:17:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1049] 報告

1954年

8 Aug. 1954 Bayreuth Fes. Orc.(Private Archive)
Beethoven:Sym.No.9(3&4mov.reh.)

9 Aug. 1954 Bayreuth Fes. Orc.(Private Archive)
Beethoven:Sym.No.9

●8月8日 ベートーヴェン/合唱から3/4楽章リハーサル バイロイト祝祭O バイロイト音楽祭 Private Archive

LP/PR: AT07-08(88?)
CD: DR920033('92)WFHC001-2(03/12)

●8月9日 ベートーヴェン/合唱 バイロイト祝祭O バイロイト音楽祭 Private Archive

LP/PR: W16(87?)
CD: DR910016('91) M&ACD1127(04/01)WFHC001-2(03/12)WFJ56(07/08)ORFEOR851121(12/11)

▼上記ドンジョヴァンニの公演の合間をぬって行われたバイロイトでの第9。録音の存在自体はかなり以前から知られていた。終楽章の有名な旋律すら聞き取りにくいほど各楽器間のバランスが悪く、劣悪な音質のため、長い間未発売だったが、本番・リハともにLPが80年代後半そしてCDが90年代にでた。いずれも日本では70年前半からテープで流通していたとされるものからおこしたと思われる日本製プライヴェート盤。

9日実演のM&A盤は「良好音質」という鳴り物入りで登場する予定だったが、発売されたCDはW盤やDR盤との音質差が僅かで、終演後の拍手は明瞭な音質の別物を繋いだと思われるものだった。03年秋設立された日本WFセンターは、この両日の演奏を2枚組で頒布。2世代以上若いテープからの復刻ということだが、こちらも大きな差が感じられるまでには至っていない。

センター盤ジャケットの写真ではソリストの前にマイクが確認でき、録音が「正規」に行われたことは証明された。Veneziaは8日のリハーサルをCD化。バイエルン放送の放送用オリジナルテープの存在を示す資料は未確認だが、EMIは巨匠の死後、第9を発売するためにこの後のルツェルン盤とともにこの54年バイロイト録音も試聴したとされ、現在EMIがオリジナルを所有している可能性はある。

日本協会は2007年8月にオリジナル音源によるこの日の実演とリハーサル終結部を頒布したが、音質はセンター盤とほぼ同等。市販正規版として12年11月登場したORFEO盤は、ミュンヘンのセレモニー社による修復装置で、音程や音揺れの改善が見られるものの録音自体の大きな印象変化にはつながらなかった。それでも、演奏自体はもしかすると51年バイロイト以上と思わせる部分が多々あるという、吉田秀和氏の演奏評がORFEO盤によって実証されたのも事実で、現時点(2013年)におけるこの演奏のファーストチョイスであることは間違いない。

[(FLV Audio)フルトヴェングラー バイロイトの第9 1954年8月8日のリハーサル on ニコニコ動画]
https://www.nicovideo.jp/watch/sm5406759
(↑試聴にはログインが必要です)

22 Aug. 1954 PO Lucerne Fes.(SwissRadio)
Beethoven:Sym.No.9

●8月22日 ベートーヴェン/合唱 フィルハーモニアo ルツェルン音楽祭 SRF収録 バーゼル・スイス放送(DRS)/スイス放送協会(SRF)所蔵

LP/PR: MF18862-3('75?)CetraLO530('78)KingJapanLPK19C21-2('78)

CD: TAHRA
FURT1003(94/06)KingJapanKKCC4231(98/03)OtakenTKC307('08)DeltaClassicsDCCA-0065(09/11)audite95.641(14/11)

▼70年半ばに出た初出日本製MF盤の音質は劣悪ながら、最後の決めが51年のバイロイト盤より完璧で、演奏者のオーソライズが取れないためオリジナルから発売できないことが長年の懸案だった。78年一般発売された版権切れテープを使ったLPのチェトラ盤・ワルター協会盤も若干修正されたものの枯れた印象しか残さないもので、おそらく何度もコピーを繰り返したものだろう。MF盤は、以前から関西を中心とした日本の愛好家の間で流通していたテープを元にしたといわれている。
Rodolphe盤は夫人のオーソライズがあり、夫人所有のテープからのものと思われる。左右のチャンネルに別々の録音を入れ、3枚組で交響曲全集という変わった種類のCDである。

そして放送局テープを使ったTAHRAの正規CDが発売されるや、その透明感あふれるサウンド、そして終楽章の完璧な締め、など54年録音とは思えない瑞々しいサウンドに驚いてしまった。85年以降shin-pはWFを含めて全くクラシック音楽を聞かない時期があったが、その呪縛を解いてくれたのがこのTAHRA盤。4楽章のみレリーフからすでに正規盤(CR1882='90?)が出ており、SK氏によるとTAHRA盤ほど修正していないものの「ほぼ同等のクオリティ」という。演奏ではやはり、私はバイロイト盤だが・・。

この録音は現在ではWFの中で最高音質の録音とされ、OTAKENやDeltaなどのマイナーレーベルも、オリジナルテープを使って音質の向上を探っている。死の直前になり、現在でも通用する音質の名演奏を遺してくれたWFと演奏会および放送スタッフには感謝しなければならないだろう。

2014年末、音楽祭を収録したSRF(スイス放送協会 Schweizer Radio und Fernsehen)からのアーカイブを元にしたaudite盤がSACD/CDともに発売された。TAHRAの音源はDRS(バーゼル、スイス放送)に所蔵するオリジナルだが、audite盤にはいつもの「1st master release」というシールが貼られ、日本の輸入代理店からもスイス放送協会(SRF)の保管庫に「秘蔵」されていたオリジナルマスターテープとのコメントが出ており、いままでで最もオリジナルに近いものを使ったと感じさせる記載になっている。しかし、DRSは前記SRFと統合されており、いままでのものと何が違うのかは想像の域を出ない。

audite盤のブックレットによれば、音楽祭運営とオーケストラとのトラブルによりこの54年はフィルハーモニア管が招聘されたという。この際の演奏では、ロイヤル・フィルと兼任するホルンの名手デニス・ブレインも参加していたという。
スイスロマンド放送(RTS=フランス語放送)による第9についてのスピーチもある。(仏協会SWF961-2=全部/TAHRA FURT1003=抜粋)

[私とclassic]
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/comp02.htm#rireki

ルツェルン フルトヴェングラー on YouTube Search
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%80%80%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC&aq=f


http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu19.htm

7. 中川隆[-14194] koaQ7Jey 2020年1月23日 21:21:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1048] 報告
Wilhelm Furtwängler Composer INDEX 1
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu08.htm

このコーナーでは、主要な作曲家・作品別にフルトヴェングラーのディスクを掲載します。
特に「スタジオ録音」と記載のないものはすべてライヴ録音です。


Beethoven:Sym.No.9


1)37/05/01 BPO london Queen's Hall

2)42/03/22-4(04/19) BPO Berlin Phil.(RRG)

3)43/12/08 StockholmPO Stockholm

4)49/05/28 scalaO milano

5)51/01/07 VPO Musikverein

6)51/07/29 Bayreuth Fes.O Bayreuth Fes.

7)51/08/31 VPO Salzburg Fes.

8)52/02/03 VPO Musikverein

9)53/05/30 VPO sofien

10)53/05/31 VPO Musikverein

11)54/08/08 Bayreuth Fes.O Bayreuth Fes.

12)54/08/22 PO Lucern Fes.


▼30/06/16の2楽章と32/04/18の断片がある。2)は現在流通している録音はすべて4月19日のものと推測される。メロディアLP初版が3月22-4日の録音か?9)10)は同じ録音?但し10)は終楽章の映像あり。4)7)は未発売。特に4)はその存在そのものが意見が分かれる。

▲4)7)未聴。やはり演奏では6)、録音とのバランスで12)。11)は全WF録音中"最悪"の録音状態(DR盤)だが、演奏はもしかすると6)を上回っているかも−

>>>>>My Best is 6)


http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu08.htm

8. 中川隆[-14193] koaQ7Jey 2020年1月23日 22:47:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1047] 報告

フルトヴェングラー、「もう一つのバイロイトの第9」

フルトヴェングラー1954年8月「バイロイトの第九」
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19447032
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19447138
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19447289
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19450599


フルトヴェングラー1954年「バイロイトの第九」リハーサル
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19446810
https://www.nicovideo.jp/watch/sm19446892

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」
演奏日:1954年8月9日
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団
ソプラノ:グレ・ブルーウェンスティン  
アルト:イラ・マラニウク
テノール:ヴォルフガング・ヴィントガッセン  
バス:ルートヴィヒ・ヴェーバー
合唱:バイロイト祝祭合唱団


________


『ベートーヴェンの第九を彼みたいにやった人はいない。そうして50年たった今、これまでお前の聴いたものの中で一番第九らしい第九の演奏は?と聞かれたら、やっぱり私はあの年(54年)バイロイトで聞いた第九をあげるだろう。』
 〜2003年9月17日 朝日新聞『吉田秀和 音楽展望』より

凄まじい54年バイロイトの第9

有名な51年バイロイトの四年後、フルトヴェングラー晩年の爆発的演奏。
51年盤に比べると細部に荒が散見し、歌唱も劣るが演奏のテンションの高さは他の演奏をしのぐ。個人的にはこれは53年のルツェルンの英雄同様、フルトヴェングラー最後の咆哮としてそれまでの演奏とは切り離して考えるべきだと思う。

フルトヴェングラーの戦後の第九の解釈は53年ウィーン芸術週間の第九で完成されており、それ以降のこれとルツェルンはそれらから外れた彼の遊びに思えるのだ。
ちなみに吉田秀和が生で体験した演奏であり、当人曰く「あらゆる演奏体験の王者」だとか。
https://www.amazon.co.jp/バイロイトの第九-フルトヴェングラー-ヴィルヘルム/dp/B009SASPSC

バイロイト1954  フルトヴェングラーの『第九』

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱』

グレ・ブロウエンスティ−ン(ソプラノ)
イ−ラ・マラニウク(アルト)
ウォルフガング・ヴィントガッセン(テノール)
ル−トヴィヒ・ウェ−バ−(バス)
バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団
ヴィルヘンム・フルトヴェングラ−(指揮)

録音時期:1954年8月9日
録音場所:バイロイト祝祭劇場
録音方式:モノラル(ライヴ)

独・オルフェオ(オルフェオド−ル) CD ORFEOR851121 オ−プンプライス


フルトヴェングラー&バイロイト1954の『第九』 
故吉田秀和氏がバイロイトで聴いた超名演がオルフェオから登場!

バイロイトでの『第九』演奏は戦後5回しか行われていない。

1回目は戦後第1回目のバイロイト音楽祭となった1951年の音楽祭開幕日である7月29日の記念碑的公演(フルトヴェングラ−の指揮)であり、

2度目はその2年後の1953年8月11日(パウル・ヒンデミット指揮)、翌54年8月9日の演奏がこの録音であり、

4回目が1963年(ワ−グナ−生誕150年)7月23日にカ−ル・ベ−ムの指揮、そして5回目が2001年8月10日のクリスティアン・ティ−レマン指揮の演奏である。

先ごろ亡くなった音楽評論家、吉田秀和氏がこの演奏を実際に聴いたという。当時の日本人が現地で生演奏に接するということがいかに貴重であったかはここで語らずも解るというものであるが、それが吉田氏であったということは、われわれ後輩にとって救いであろうと思う。

彼は後年、文章でその演奏風景を語ってくれたのだから。例えば、1957年の『音楽紀行』で吉田氏は、

「フルトヴェングラーは、その後、ザルツブルクで『ドン・ジョヴァンニ』と『フライシュッツ(魔弾の射手)』を、バイロイトで『第9』をきいた。

ことに『第9』は感心した。第3楽章がよかった。
第4楽章の歓喜の主題がバスで出た時はずいぶん遅く、それが反復されるたびにだんだん速くなり、次第に盛り上がっていって、合唱にもってゆくところは、なんともめざましいばかりだった。」

と語り、後年の1984年刊のレコード芸術・別冊『フルトヴェングラー』では、

「私が彼から受けた最も深刻な感銘は・・・これも前に書いたことだが・・・バイロイトできいたベートーヴェンの第9交響曲の演奏から来たものである。あれは本当にすごかった。その後、私も『第9』を何回、何十回きいたか知れないが、あの時以上の『第9』は、ついに、きいたことがない。フルトヴェングラーにとって『第9』はあらゆる交響音楽の王者、至高究極の作品だったように、私にも、あの『第9』はあらゆる管弦楽演奏会の経験の王者だった。」

と語っているほどだ。

上記のように、フルトヴェングラー最晩年の1954年のバイロイトでの『第九』は、当時のバイロイト音楽祭の主宰者ヴォルフガング・ワーグナーをして「1951年の演奏とは、比較にならない程優れた演奏」とまで言わしめた伝説的な名演として知られているものの、残念ながらこれまでリリースされていた録音はいずれも1954年という年代ににもかかわらず音質が非常に悪く、その演奏内容を自然に享受するという段階には達していなかったのが現状であった。

今回、オルフェオから登場したものも、とてもじゃないが正規盤と言える代物ではないが、それはオリジナルの放送テープは消失しており、遺されているテープの状態も良くないことに起因している。今回は現存するテープからミュンヘンの会社が開発したデジタル修復機器を使って、比較的聴きやすい音質にまで甦らせることに成功させたことによって、このCDから伝わってくる音楽は本物だ。

演奏は個人的には(少々荒っぽい表現だが)『1951年のバイロイト盤』よりも遥かに燃焼度が高い壮絶な演奏と断言したい。フルトヴェングラーが最後の力を振り絞ってタクトを振っている凄まじい気迫が伝わってくる凄演であり、心を奥底から揺さぶる演奏であることは間違いない。

特にフィナーレ最後の猪突猛進で最後の最後にブレーキをかける大上段な芸当は、彼の人生の総決算をあたかも暗示しているかのようだ。随所にこの日ならではの、得も言われぬ感動的な表情があり、まさに『サイコ−の演奏!』と言い切れる。なるほどバイロイトでの最後の演奏に賭けた彼のただならぬ雰囲気が伝わってくる演奏で、そんな演奏を録音で聴ける今って、ボクは幸せだなぁ、と思わずにはいられない。


なお、国内盤にはボーナスCD(前日のリハーサル)が付く。ボーナスCDには、前日におこなわれたリハーサル音源が収められていて、これは日本フルトヴェングラー協会より音源提供を受けて、キングレコードが関口台スタジオで最新リマスタリングを施したもので、遺された音源は一部(第3、4楽章)ながら、本番をしのぐ激しさで、フルトヴェングラーの肉声も聞くことができる。

日本独自の大特典!ほかにもブックレットには、平林直哉による解説と、クリストフ・シュティッケル&クラウス・シュルツのテキスト(吉田光司・訳)、リハーサルでのフルトヴェングラー発言(シュトク・カチャ・訳出)、歌詞対訳(門馬直美・訳)が掲載されているほか、オリジナル・ブックレットにあるフルトヴェングラーの当時の貴重写真6点もそのまま掲載されている。
http://o-arcadia.jugem.jp/?eid=1563

9. 中川隆[-14192] koaQ7Jey 2020年1月23日 23:02:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1046] 報告

Furtwangler: Beethoven Symphony no. 9 "Choral" (Bayreuth 1951, Alternative version)
https://www.youtube.com/watch?v=95Wl6SxPKtQ





This is of course from Bayreuth's reopening concert on July 29, 1951, conducted by Wilhelm Furtwangler.

This is not EMI's recording of it, however, which contains takes from rehearsals.

Instead, this has been taken from the Bavarian Radio tapes that the record label Orfeo used in its issue of the concert.

The orchestral playing here is rather better, and the performance is more exciting. The trade-off is in the sonics, which are decidedly rougher- but the chorus is recorded with more presence. Take your pick.

Bayreuth Festival Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Live Recording, July 29, 1951



▲△▽▼


バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
エリーザベト・シュヴァルツコップフ(S)、エリーザベト・ヘンゲン(A)、ハンス・ホップ(T)、オットー・エーデルマン(B)

ORFEO。C754 081 B。1951年7月29日,バイロイト祝祭大劇場ライヴ。
バイエルン放送協会による正真正銘のライヴ録音!....

ということは、過去半世紀にわたってこの記念すべき演奏会のライヴ録音とされてきたEMI盤は、実はリハーサルなどの録音との編集盤である、ということになる。フルトヴェングラー研究史上最大の衝撃といえよう。

私も、EMI盤とORFEO盤を交互に聴き比べてレポートを作成してみた。

結論からすると「確かにEMIは録音上特徴的な場面でリハーサル中心、ORFEO盤はライヴ」ということが言えそうである。

ORFEO盤では終楽章ラストのアンサンブルがかろうじて崩壊せずに踏みとどまっている。その後の拍手はカットされている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven9-m.htm



OEFEO盤バイロイトの第9正真正銘ライヴ盤

フルトヴェングラー研究史上最大の衝撃!ORFEO盤「バイロイトの第9」

 2007年11月末、HMVからの広告メールに「バイロイトの第9」のバイエルン放送音源がORFEOから発売されるとの情報があり、早速注文した。この音源は日本フルトヴェングラー・センター会員向けにはすでに7月に頒布されているらしい。そんなわけでShin-p氏のサイトを見てみると、

「EMI盤は3楽章をはじめとして若干の実況を含んだ「最終リハーサル」を中心とした編集版である可能性がさらに強まった。さらに、EMI盤とセンター盤の同じ演奏部分の収録状況の違いから、真正実況もEMIとバイエルン放送の2つの音源があり、51年バイロイトに関しては計3種テープの存在が07年時点で推定される。」
とコメントされている。

 さて、12月23日にORFEO盤が届いたので早速通して聴いてみる。
 EMI盤と比べて弦がよく聞こえる録音なので雰囲気はかなり違うが、演奏の全体的な形はEMI盤と同じように思える。第1〜3楽章までは特に違和感なくバイロイトの第9として聴ける。しかし最終楽章ではやはりちょっと違うかな?と感じられる所があった。

 そこで、CDプレーヤーとDVDプレーヤーにEMI盤とORFEO盤をセットして、少しずつ区切って比較しながら聴いてみた。

 まず、比較する際、普通ならば聴衆ノイズの位置が手がかりになることが多いのだが、どうもこの2枚の比較においてはあまりそれが役に立たないようだ。というのは、EMI盤のマイクが舞台の奥の方、すなわちティンパニや管楽器を明瞭に捉えるように設置されているようなので(その分弦がモヤッている)、EMI盤にセキが聞こえないからといって本当にセキがなかったとは言えなさそうだからである。ただ明らかにセキの有無のありようは両盤で異なっている。

 しかし「EMI盤で聞き覚えのあるフルトヴェングラーの足音がORFEO盤に無い」という場合、これはかなり大きな証拠になる。ORFEO=バイエルン放送協会のマイクは、明らかに舞台前方の音をよく捉える位置にあるのだから、EMI盤の足音はもっと良く聞こえるはずだからである。

 さて、第1楽章はいきなりORFEO盤冒頭で演奏開始前後にかけてシューッというノイズが入っていてビックリさせられる。これは何なのだろう?その後も4分ぐらいの間にセキの聞こえ方が違ったりするが、ティンパニが活躍する前後のあたりは同じ演奏のような気がしないでもない。しかし、EMI盤13:24、スコア415小節の前での気合いを入れる足音がORFEO盤にはない。この楽章は実測でEMI盤17:43、ORFEO盤18:00。

 第2楽章は、タイミングから何から何までEMI盤とORFEO盤にほとんど違いがないと私は思う(実測11:51,11:50)。

 第3楽章は、ORFEO盤では木管→低弦と入ったあと3小節目からはいるべき第1Vnがフライングで早く弾き始めてしまっているように聞こえる。あと、EMI盤では5分すぎあたりでフルトヴェングラーの息の音がかなり聞こえるのだが、ORFEO盤では聞こえない。10分手前のホルンのひっくり返り度合いは同じか?しかし、一番最後のトゥッティでフォルテで鳴らす際、ORFEO盤ではフルートがほんの少しフライングしているのはEMI盤にはない特徴だ。この楽章はEMI盤19:28、ORFEO盤19:20。

 最終楽章。例のテーマが出てくるまでは楽段ごとに微妙にタイム差はあるものの大きな違いはない。(直前のトゥッティとテーマ開始までの間は、EMI盤で2:59-3:04、ORFEO盤で3:01-3:07。)しかしバスのテーマが出てくる所からORFEO盤は録音レベルが上げられていて少しノイズが目立つ。ORFEO盤3:48のセキはかなり大きいがEMI盤にはない。EMI盤の5:25頃、第1Vnによるテーマ後半からの流麗なアッチェレの絶妙さは、ORFEOではイマイチのような気がする。第2の嵐の開始はEMI盤6:51、ORFEO盤6:55。

 エーデルマンの第1声レチタティーフはあまり違いはない。だがその後の「Freude!」では決定的な違いがある。EMI盤ではまずエーデルマンが「Freude!」とやったあと合唱の「Freude!」の出が遅いと見るや、フルトヴェングラーはエーデルマンの2回目の「Freu−−de!」の「Freu」とともに足音を一発かまして合唱をしっかり入らせる。これはEMI盤バイロイトの第9を長年聴いてきた人なら誰でも知っている場面である。ところがORFEO盤では、エーデルマンの1回目の「Freude!」の1拍前からいきなり2発連続で足音をかましている。だからEMI盤の所では逆に足音はない。

 「vor Gott!」のフェルマータは、EMI盤10:27-10:37(次のバスの音は10:46)、ORFEO盤10:32-41(同10:50)。ORFEO盤ではEMI盤ほどクレッシェンドしていない感じだ。

 テノールソロの後、弦のフガートが始まるとEMI盤12:27、スコア441小節から3拍足音が聞こえて早いテンポでアンサンブルを揃えにかかるのもよく知られた特徴だが、これもORFEO盤にはない。

 その後の合唱については、両者のマイクバランスがあまりに違いすぎるので、同じなのか違うのか判別が困難である。四重唱部分のシュヴァルツコップのブレス位置は同じのようだが、同じ演奏と言えるかどうかはわからない。ただ、最後の最後でORFEO盤ではオーケストラがあまり崩壊していないように聞こえるのはかなり大きな違いだ。終楽章はEMI盤24:44、ORFEO盤25:00。なお、ORFEO盤は最後の拍手が全くカットされている。(EMI盤の拍手は編集でくっつけたもの、というのは今や定説らしいが、本当はどんな拍手だったのだろう。)

 以上、がっちり聞き比べた結果、「EMI盤はリハーサル中心」ということの傍証が得られたと思う。確かにフルトヴェングラーはライヴ本番でもアンサンブルを合わせる足音を鳴らす人だったが、EMI盤にしかない足音はリハーサル、「Freude!」の場面は合唱に対してリハーサルでの失敗をしないように本番では先取りで足音を鳴らした、と考えられるからである。

 また、今まで「EMI盤バイロイトの第9は録音がこもっている」などと評されてきたが、この聞きくらべのあとは、これはこれでポリシーのある録音のような気がしてきた。バイエルン放送協会=ORFEO盤は放送局によるライヴ録音としては申し分ないもので、弦の立派な響きが聴ける。しかし、ティンパニは直接の打撃音にその反響が混ざってしまってるし、木管のバランスも悪い。それに対しEMIの録音は何と言っても、この曲のオケの中の主人公であるティンパニの打撃音一つ一つが非常にクリアである。木管・金管のバランスも良い。弦と合唱はマスとしての響きがあれば良いと割り切ってのマイク配置だったのではなかろうか。

 EMI盤はリハーサル中心の編集盤だとして、どの程度ライヴの音源が入っているのだろう。上の聞きくらべ結果によれば、第2楽章は全くライヴ録音とイコールのようだが、他の楽章は基本骨格はリハーサル録音のような感じである。しかし、そのリハーサル中心のEMI盤のほうが、ORFEO盤よりもより感動的である。これは今までの常識が覆すことになる。

 今まで「バイロイトの第9」が感動的である所以は、それが記念碑的な「ライヴ」だったから、ということになっていた。しかし、ライヴのORFEO盤より、リハ中心のEMI盤のほうがスケールの大きさを感じさせる。「フルトヴェングラーはライヴでこそ真価を発揮する指揮者である」と言われているが、やはり彼とてナーバスになってしまうライヴよりは、「上手くいったリハーサル」のほうがより多く注意の行き届いた演奏ができた、ということなのではなかろうか。(これは、彼がライヴを何よりも大切に思っていた、ということとは別の次元の話である。)

 ORFEO盤の登場によって、半世紀もの間クラシック音楽界の聖書だった「バイロイトの第9」が、正真正銘ライヴではない、ということが判明してしまった。これは確かにショックなことである。しかし、一方でORFEO盤とEMI盤の違いがほとんどない、ということも確かである。それは「フルトヴェングラーの偉大さの証明」がまた一つ追加されたということでもある。よってEMI盤「バイロイトの第9」の歴史的価値が不滅であることには変わりはない。

Kenichi Yamagishi
http://classic.music.coocan.jp/wf/item/orfeo-1951-7-beth9.htm
10. 中川隆[-14191] koaQ7Jey 2020年1月23日 23:15:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1045] 報告

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」ニ短調 作品125 モノラル録音
フルトヴェングラーの録音
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven9-m.htm


モノラル録音に関しては所有する全ての盤を記載する。
その半数を占めるフルトヴェングラー指揮の演奏は、ここにあげた10種類で全てである。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
エリーザベト・シュヴァルツコップフ(S)、エリーザベト・ヘンゲン(A)、ハンス・ホップ(T)、オットー・エーデルマン(B)

EMI全集中に含まれる。1951年7月29日,バイロイト祝祭大劇場ライヴ。
戦後再開されたバイロイト音楽祭初日の記念演奏会。演奏については左のリンク先に書いた。

EMI Referenceシリーズ輸入盤が長く愛聴盤だったが譲渡した。

1997年、EMI 100周年でART処理したニューリマスター盤CDH5 66218 2(写真左端)は音質がかなり改善されている。その後このART処理盤は、GREAT RECORDINGS OF THE CENTURYシリーズでCDM5 66953 2(同2番目)という番号でデザインも変わって再発売されたが、マスターは同一である(物好きにも両方入手してしまった。ART処理のマスタリング技師はSimon Gibson)。

1990年発売の国内盤TOCE-6510(同3番目)は、開演前の大拍手とフルトヴェングラー入場の足音とその後の奏者への二言三言が収録されているマスターからの初CD化である。またこのジャケットは、国内盤初出LPのデザインに準じたものである。(というのは、初出時は第1番とカップリングされていたので、3段目のno.9の文字が左寄せで、その右脇に&no.1と小さく書かれ、その下にエンジェルマークが入っていた。なおこの時は冒頭の足音は入っていなかった。)

このいわゆる“足音入り”のマスターテープは現在日本にしかないらしい(←shin-p、00年7月レコ芸相談室より)。そのテープを東芝EMIが、2004年に没後50周年記念で24bitリマスタリングしたものがTOCE-55701(同4番目)である。このリマスタリングはなかなか良い。

上でTOCE-55701を評価していると書いたが、この盤についてはひとつだけちょっと疑問がある。それは、その富樫哲佳氏による解説の文章構成が、私の文章と似ていることである。ヴァーグナーと第9、バイロイト音楽祭と第9、ヒトラーとバイロイト音楽祭、ヒトラー生誕祭とフルトヴェングラーのエピソードなどを順に綴っていくあたりが、どうもパクられたような気がしてならないのである。確かにこれらは歴史的事実なので、誰が書いても同じかもしれないのだが...

2005年になって面白いCDが出てきた。イギリス製と同じ規格と思われるオーストラリア盤HMV初期LPのほとんど通針していないも同然のものが大阪で発見され、オタケンレコードの太田憲志氏によってシンプルに復刻されたTKC-301(同5番目)である。一応話のネタに入手してみた。なるほどこれがLPの音か、とも思ったが、私個人としては「バイロイトの第9」に関してはARTなどのリマスタリングをプラスに評価しているので、何とも言えない。

2011年には、フルトヴェングラー生誕125周年ということでSACD Hybrid国内盤が出た。“足音入り”なのだが、リマスターはARTの技術陣である。

さらに翌2012年には、「英雄・第1」「運命・第7」とともに3枚組BOXでシングルレイヤーのSACD国内盤が出た(写真右端はBOX内の第9のジャケット)。SACDマスターは同一なので、Hybrid盤のほうは人に譲った。(オタケン盤およびSACD盤のジャケットは海外盤初出LPのものである。)

2007年末、この歴史的名盤の伝説のヴェールをはがすようなCDがリリースされた。それが次のものである。

バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
エリーザベト・シュヴァルツコップフ(S)、エリーザベト・ヘンゲン(A)、ハンス・ホップ(T)、オットー・エーデルマン(B)
ORFEO。C754 081 B。1951年7月29日,バイロイト祝祭大劇場ライヴ。

バイエルン放送協会による正真正銘のライヴ録音!....ということは、過去半世紀にわたってこの記念すべき演奏会のライヴ録音とされてきたEMI盤は、実はリハーサルなどの録音との編集盤である、ということになる。フルトヴェングラー研究史上最大の衝撃といえよう。

私も、EMI盤とORFEO盤を交互に聴き比べてレポートを作成してみた。詳しくはこちらを読んでいただきたいが、結論からすると「確かにEMIは録音上特徴的な場面でリハーサル中心、ORFEO盤はライヴ」ということが言えそうである。ORFEO盤では終楽章ラストのアンサンブルがかろうじて崩壊せずに踏みとどまっている。その後の拍手はカットされている。


フィルハーモニア管弦楽団、ルツェルン音楽祭合唱団
エリーザベト・シュヴァルツコプフ、エルザ・カヴェルティ、エルンスト・ヘフリガー、オットー・エーデルマン

TAHRA FURT 1003(写真左端、譲渡済み)。
1954年8月22日,ルツェルン音楽祭ライヴ。

まずキングから発売され、のちM&Aからも発売されたが、ついにTAHRAから正式リリースされた。従来の海賊盤とは全く違う次元のすばらしい音質で、フルトヴェングラーの「第9」の決定盤の座をバイロイト盤から奪い取ったといっても過言ではない。

「一切が枯れていなければなりません。しかし、その中に炎の核があって全体を隈無く照らしていなければなりません。」というフルトヴェングラーの「理想の演奏」を実現している!

 2000年末に、TAHRAが「残響付加無し、24bitリマスター盤」4枚組FURT1054/57が出た(写真左から2番目)。上の従来盤とはだいぶ印象が異なる。

 2009年、SACD Hybrid盤FURT 2001(写真右から2番目)。フルトヴェングラー録音の中での初SACDである。

 2014年末には、auditeからもSACD Hybrid盤が出た(写真右端)。

ベルリン・フィル、ブルーノ・キッテル合唱団
ティラ・ブリーム、エリーザベト・ヘンゲン、ペーター・アンデルス、ルドルフ・ヴァッケ
TAHRA FURT 1034/39。1942年3月22〜24日。

旧フィルハーモニーでのブルーノ・キッテル合唱団創立40周年記念ライヴである。

 この演奏は、EMIユニコーン国内盤、M&A盤と渡り歩き、ついにTAHRAからFURT 1004/7というもので発売されたのだが、私はこれを入手できないでいた。しかし、98年末に上記6枚組の戦時中録音集が発売され、やっと素晴らしい音質でこの劇的な演奏を聴けるようになったのである。

 さて、今まで私はこれを下記1942年4月19日のヒトラー誕生日前夜祭のライヴだと考えていた。その最大の理由は、終楽章の終わり近く四重唱の最後の部分のちょっとしたアンサンブルの乱れと気まずい雰囲気が、フィルムで残されたその誕生日前夜祭の音と同じであることは明らかだったからである。

 しかし2004年10月に入手した本物の4月19日の録音とされるARCHIPEL盤でものを聴くと、やはりこの3月表記のものとは別演奏であることが明らかとなった。よって記述を大幅に訂正する。その他詳しくは下記ARCHIPEL盤の項に書く。


ベルリン・フィル、ブルーノ・キッテル合唱団
エルナ・ベルガー、ゲルトルーデ・ピッツィンガー、ヘルゲ・ロスヴェンゲ、ルドルフ・ヴァッケ
ARCHIPEL。ARPCD 0270。没後50年2004年発売。


1942年4月19日、ヒトラー誕生日前夜祭の演奏会を、ドイツ国内の他、海外に向けても放送した際のアセテート盤をもとに復刻したもので、開演前の拍手や楽章間の音、終演後の拍手とアナウンスがすべて収録されている。

(HMVによれば、拍手1:16、第1楽章17:06、楽章間1:14、第2楽章11:29、楽章間1:29、第3楽章18:59、楽章間0:03、第4楽章24:09、拍手1:21、アナウンス0:55、演奏時間正味71:43、その他合計6:18となっている。)

 ノイズは多く音質は良くないが資料的価値は高い。フルトヴェングラー関係のディスクではここ数年で一番の発掘品であろう。

 私は、終楽章終結部の共通点から、3月表記のものが実はこの誕生日前夜祭のものだ、と思っていて、ここにもそのように記述していた。しかしここに本物の4月19日盤を聴くと、全く上の3月表記盤とは別演奏である。

 しかしそうなると、新たな問題が発生する。今まで比較のポイントとしてきた「終楽章終わり近くの四重唱終結部」は、3月表記盤とフィルムは共通して気まずい雰囲気だが、この4月19日ARCHIPEL盤の該当箇所はどうもそんな様子ではない。またこのARCHIPEL盤のフィナーレは明らかに、3月表記盤及びフィルム以上の大熱演である。

 つまり、フィルムの映像は確かに誕生日前夜祭でゲッベルス臨席だったのだろうが、音のほうは3月の演奏と同じようのである。これはいったいどうしたことなのだろうか。一つ謎が解けたと思ったらまた新たな謎の出現である。

 Shin-p氏のサイトの掲示板「フルトヴェングラー会議室」には当原盤が発掘されたいきさつが、仙台S氏より投稿されている(04年10月30日21時57分付)。引用させていただく。

「この14枚のDecelith disk (片面盤だそうです)をツヴァルク氏は昨年ウィーンのアンチークショップで見つけて購入したそうです。ウィーン在住の人が放送を1台のDecelith レコーダーで録音したものらしく、原盤にはディスクを取り替える際のギャップがあり、ツヴァルク氏はこれらを1942.3の録音の当該部分を用いて補修したそうです。以上のようなことを全てライナーノートに書くようにARCHIPELに求めたが容れられなかったとのことです。」

 ツヴァルク氏というのは当ARCHIPEL盤にRemastering: Christian Zwargとある人物である。当盤の原盤表記は「Private off-the-air recording on seven 12-inch 78rpm "Decelith" discs(14 sides)」となっているが、実は14枚14面であるというわけだ。しかも、個人が自宅で録音したのだから、当然録音盤を換える時にブランクができる。しかもそれは数秒というわけにはいかないだろう。やはり1回ごとに10秒ぐらいはかかったのではないだろうか。そのブランクを当CDでは3月表記録音で補ったという証言である。

 しかしShin-p氏は、「ギャップを補修したと思われる部分をshin-pは確認できず、おそらく同日の演奏で完全録音のように思える。放送局がテープ収録し、ダビングして関係者に配った「ディスク」と考える方が自然だ。」とコメントされている。また当ヒトラー誕生日前夜祭映像フィルムに関して「音声部分は3月のものを使用している」とお考えのようである。

 フルトヴェングラーは、ヒトラー生誕記念前夜祭の「第9」の指揮を、ずっと仮病を使って避けていたが、この年は医者がニセの診断書を書いてくれなかった、という。(しかし、コンサート記録によれば、1937年にも4月18,19日に「第9」を「Broadcast Live」で演奏している。放送用ライヴということは客がいなかったということなのだろうか?)


ウィーン・フィル,ウィーン国立歌劇場合唱団、ザルツブルク大聖堂聖歌隊員


イルムガルト・ゼーフリート、ジークリンデ・ヴァーグナー、アントン・デルモータ、ヨゼフ・グラインドル
ORFEO。1951年8月31日、ザルツブルク音楽祭閉幕演奏会ライヴ録音。


初めは単品で発売されたC533 001B(写真左)。のち2004年にザルツブルク録音集8枚組C409 048L(写真右)に買い換え、単品は譲渡した。

バイロイトの名演の1ヶ月後の演奏ということになる。バイロイトで共演したソリスト4人はその後もバイロイトにとどまり「マイスタージンガー」「指環」に出演しているため、このザルツブルクは全く違う4人である。この4人はまたいずれも、この年のフルトヴェングラーとの「魔笛」に出演している。最後のソリスト四重唱はバイロイト盤よりも端正で好感がもてる。

フルトヴェングラーの指揮は、バイロイト盤の神かがり的演奏をもう一度咀嚼しなおしているわけであるが、そのため最後の猛スピードの部分などはやや二番煎じ的に感じられる。行進曲部分はデルモータのソロは健闘しているのに男声合唱の合いの手がほとんど聞こえない(この部分シンバルにマイクが近すぎて録音バランスが悪いのが原因と思われる)。


ウィーン・フィル、ウィーン・ジンクアカデミー合唱団
イルムガルト・ゼーフリート、ロゼッテ・アンダイ、アントン・デルモータ、パウル・シェフラー

1953年5月30日(DG,Altus)、or 31日(ORFEO)、ムジークフェラインでのライヴ。演奏・録音とも良好。

DGのウィーン・フィル創立150周年記念CD(435 325-2、写真左)。これは既に入手困難だが、2004年、Altusからこの録音が出た(ALT 076、写真中央)。

2012年にORFEOから、ウィーン・ライヴ録音BOXでも出た(C834 118Y、写真右)。

 ルネ・トレマン編のTAHRAのコンサート記録によれば、5月29,30,31日の第9は、この年の1月にこの曲を演奏中にフルトヴェングラーが倒れてしまいキャンセルされた演奏会の代わりに計画されたものである。29日と30日は午後3時開演で、30日の演奏はライヴで放送された。また、31日は午後3時と夜7時半からの2回開催された。3日間ともゼーフリート他のソリストだが、31日は「ゼーフリートが同じ日に2回歌ったかどうかはっきりしない」と書いている。その上で、ディスコグラフィのほうでは当録音を31日のものと記載している。


ウィーン・フィル、ウィーン・ジンクアカデミー合唱団
ヒルデ・ギューデン、ロゼッテ・アンダイ、ユリウス・パツァーク、アルフレート・ペル
1952年2月3日、ムジークフェラインでのライヴ。

TAHRA FURT 1075(写真左端)。

ANDANTEから出たウィーン・フィルのベートーヴェン録音集(ANDANTE-4988、左から2番目)にも収録されている。

2012年、TAHRAからSACD Hybrid盤も出た(FURT 2012、右から2番目)。

さらにORFEOから、ウィーン・ライヴ録音BOXでも出た(C834 118Y、写真右端)。

以前は劣悪な音質の海賊盤しかなく、宇野功芳氏の本にも「聴いているのが苦痛」と書かれていたが、2002年以降に相次いで出たこれらはいずれも良い音質である。演奏も実にすばらしく、バイロイト盤やルツェルン盤に匹敵する。終楽章のラストの盛り上がりももの凄く、この部分だけは音がビリつくのも仕方がない。


ベルリン・フィル、同フィル合唱団
エルナ・ベルガー、ゲルトルーデ・ピッツィンガー、ヴァルター・ルートヴィヒ、ルドルフ・ヴァッケ
EMI。TOCE-6057。1937年5月1日、ロンドン,クイーンズホールでの英王ジョージ6世戴冠記念コンサート。

同時期のロンドンでの「指環」ともどもEMIがライヴ録音したもので、海賊盤ではない。

演奏は壮絶だが、録音が悪く鑑賞に向かない。しかし声楽付き大編成の曲だからこの時代にしては精一杯か。

「終楽章の主題の第2変奏の後半部リピートが1回多い」が、「完全ディスコグラフィ」によれば、この重複は復刻ミスではなく78回転ビニールプレス盤の第15面途中にあるもののようである(以下のものもそうなっている)。

 また、アラ・マルチアの冒頭のコントラファゴットの最初の音がその前の「vor Gott!」のフェルマータの直後に重なってしまっているか、もしくは欠落しているように聞こえるのも、このフェルマータの後のフルトヴェングラー・パウゼのところで録音原盤を交換したことによるものと思われる。

 1984年、巨匠の没後30年に初めてLPリリースされた。TOCE-6057は世界初CD化と思われる(TAHRAのディスコグラフィにも載っている)。

 2003年春、新星堂からの復刻盤SGR 7180-82を入手。復刻に使用したのは金属原盤からLPと同じ塩ビ盤にプレスされたもので、従来のSP盤と比べて音質が柔らかくノイズも少なくなっている。

 2004年6月に入手したGREAT CONDUCTORS OF THE 20TH CENTURYシリーズ2枚組(5 62875 2、写真)に収録されたものは、「収録時間の関係から第2楽章スケルツォ主部の第1部反復をカットした」とのことである。(この2枚組CDは1枚目に「53年9月の英雄(これは素晴らしい)」と第9の1・2楽章(総収録時間80分ジャスト)、2枚目に第9の3・4楽章と「運命(これは44年表記だが43年盤と同じ)」が収録されている。)


ウィーン・フィル、ウィーン・ジンクアカデミー合唱団
イルムガルト・ゼーフリート、ロゼッテ・アンダイ、ユリウス・パツァーク、オットー・エーデルマン
ORFEO。C834 118Y。1951年1月7日、ムジークフェラインでのライヴ。

「1月10日録音」という表記で出回っているものもあったようだが、それは劣悪編集盤らしい。「1951年1月」盤としては、長らくチェトラの「CDC1(ANF輸入 ANF302)」というのが一番まともなものであった(譲渡済み)。

ようやくこのORFEOのBOXが出て、Rot-Weiß-Rotの正規音源からの正規CD化となった。

しかし、チェトラ盤・ORFEO盤とも録音に同じキズがある。第1楽章147小節目、4分の2拍子の2拍目の表(8分音符で数えて3拍目)が欠落して詰まってしまい、8分音符で2拍目の直後に4拍目のヴァイオリン他がアウフタクトで出てきてしまうのだ。まるでピッチが下がったように聞こえるが、そうではなく時間的欠落のみである。結局、オリジナルテープの欠陥なのだろう。仕方が無い。


ストックホルム・フィル、同合唱団


Hjördis Schymberg(S), Lisa Tunell(A), Gösta Bäckelin(T), Sigurd Björling(B)
TAHRA TAH488/9(左)。1943年12月8日、ストックホルムでのライヴ。

同じオケ・合唱・ソリストでの半年前のアーベントロートの演奏と合わせて2枚組。
WEITBLICK。2019年発売、ストックホルム・フィル全録音集4枚組(右)。

こちらのほうが放送局の原盤からのCD化という感じで、結構生々しい音質で聴ける。第4楽章最後のプレストは合唱が入ってすぐにトンデモナイ速さになり、遅くなるところでいろいろ上手くいかないことがあるものの、オケの最後はバイロイト盤以上のスピードにもかかわらずバッチリ決まっている。拍手も入っているが、終わった後、皆があっけにとられてしまい、少しずつ始まった拍手で我に返るという感じ。

バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
グレ・ブルーウェンスティン、イラ・マラニウク、ヴォルフガング・ヴィントガッセン、ルートヴィヒ・ヴェーバー

ORFEO。C851 121B。1954年8月4日,バイロイトでのライヴ。


吉田秀和氏がナマで聴いた演奏である。

2012年末、ようやくなんとか鑑賞可能な盤が出た。HMVの解説を引用する。

この1954年の録音は、長いこと、効果のある修復ないしはリマスタリングをすることは技術的問題から不可能だと思われていた。(中略)まださらに深刻な問題があった。部分的にオリジナルのテープ録音の際に生じたとても強いピッチの狂いがあるのだ。おそらく録音テープの欠陥のせいで、テープが再生機のヘッドに沿って滑らかに走ることができなかったのだろう。テープは何度もヘッドに引っかかっては動くを繰り返し、それによって前述のフラフラしたピッチの狂いや突然のハウリングを引き起こしたのである。(中略)

問題なのは一様なピッチの狂いではなく、気紛れなほど多様に生じる音揺れである。こうした不規則な症状はつい最近まで分析したり除去したりすることは不可能だった。2011年の初頭になってようやく、ミュンヘンのセレモニー社によって修復装置キャプスタンが開発された。これはこの問題を専門に扱うもので、音揺れを分析し音質改善をするが、そこに音響技師が調整できる余地を多く与えている。1954年のバイロイト音楽祭でのベートーヴェンの第9交響曲は、この装置を用いて修復された最初の録音の一つである。

今までディスク・ルフランDR910016-2、M&A盤CD-1127と入手してきたが、いずれも音質が悪くて鑑賞に堪えなかったのはそういうことだったんだ、と納得した次第。

なお、ディスク・ルフランからは別売りで、リハーサル風景も発売されていた(DR 920033、戦後のコンセルトヘボウのブラームス第1他ライヴとカップリング)。


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団
エリーザベト・シュヴァルツコプフ、エリーザベト・ヘンゲン、ユリウス・パツァーク、ハンス・ホッター

EMI。1947年11-12月録音。SPモノラル録音。ソリストが凄い。

2005年にカラヤン・コレクションART処理輸入盤が出たので買い直した。

ベルリン・フィル、聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊
エリーザベト・グリュンマー、マルガ・ヘフゲン、エルンスト・ヘフリガー、ゴットロープ・フリック
audite。1957年4月25日、ベルリン高等音楽院大ホールにおけるライヴ録音。

この演奏会はベルリン・フィル創立75周年記念コンサートだった。
カップリングは53年の「英雄」で2枚組。2008年リリース。


その他のモノラル録音


カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
グンドゥラ・ヤノヴィッツ、グレース・バンブリー、ジェス・トーマス、ジョージ・ロンドン
ORFEO C935 171B。1963年7月23日、バイロイト祝祭劇場ライヴ。

16:01, 12:10, 17:11, 25:52、計71:17。

ヴァーグナー生誕150年・没後80年記念の音楽祭開幕コンサートである。
ここでのベームの指揮はこの頃の引き締まったもので期待通りである。

ベームの記念碑的バイロイト録音としては「指環」が1967年、「トリスタン」が66年、「マイスタージンガー」が68年がある。この63年は「指環」をケンペが指揮していた。ヤノヴィッツは前年録音のカラヤンの第9を歌っている。バンブリーは61年の「タンホイザー」でヴェーヌスを歌ったが、これは同劇場初の黒人歌手登場だった(ヴィーラント演出、サヴァリッシュ指揮、タンホイザーがヴィントガッセン、エリザベトがヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス)。

バイロイトの第9は、戦前の33年にリヒャルト・シュトラウスが指揮、戦後51,54年にフルトヴェングラー、53年にヒンデミットが指揮した。このベームの63年の後は2001年まで演奏されていない。


エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団
ヒルデ・ギューデン、ジークリンデ・ヴァグナー、アントン・デルモータ、ルートヴィヒ・ヴェーバー
DECCA。425 955-2。1952年6月、ムジークフェラインでの録音。

15:53, 10:19, 15:56, 23:45

指揮者・オーケストラ・ソリスト、どれをとっても第一級のメンバーである。モノラルのスタジオ録音では、EMIが戦争直後に録音したカラヤン盤と並ぶ名盤だったであろう。

クライバーのDECCA録音6枚組を入手したので上記425 955-2は譲渡した。

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団、ロバート・ショウ合唱団
アイリーン・ファレル、ナン・メリマン、ジャン・ピアース、ノーマン・スコット
RCA。1952年3月31日、4月1日、カーネギー・ホール。

この演奏を初めて聴いた時の驚きといったらなかった。第1楽章の第1主題が初めて全貌をあらわす所では少しテンポをおとすのが当然だった頃、トスカニーニはそこをインテンポでやってしまっていたのである。あれには本当に面食らったものだ。(しかしオリジナル楽器派が次々と録音するようになってからは、それが当たり前になってしまった。隔世の感がある。)


UV22 Super CD Encording方式のリマスター盤(74321-55837-2、写真左)では「ミサ・ソレムニス」とカップリングで2枚組。

2008年、XRCDシリーズでも入手(写真右)。冒頭の6連符の音が柔らかい!トスカニーニNBCは堅くて無機質の音、という定評が間違いであることは昔から言われてきたことだが、なかなかそれを実証するレコードはなかった。この「第9」は他のXRCD盤と比べても、もっとも音質改善がめざましいものである。


アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団、ロバート・ショウ合唱団
アン・マックナイト、ジェーン・ホブソン、アーウィン・ディロン、ノーマン・スコット
東芝EMI。NBC。1948年4月3日、8Hスタジオ。DVD
第2回TVコンサートの映像である。

ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィル、同国立歌劇場合唱団
ヒルデ・ギューデン、エリーザベト・ヘンゲン、エーリヒ・マイクート、ゴットロープ・フリック
ORFEO。1955年11月13日、ウィーン国立歌劇場再建記念コンサートのライヴ録音。
15:00, 9:54, 15:05, 24:19。

おおかたベームが仕切ったと言って良いこの再建記念シリーズだが、クナッパーツブッシュが「ばらの騎士」、ライナーが「マイスタージンガー」を担当した。(エーリヒ・クライバーが招かれなかったのは不思議だ。)その中でアメリカに渡っていたワルターは、こけら落としのベーム指揮「フィデリオ」(5日)から1週間後、ブルックナー「テ・デウム」とベートーヴェン第9のコンサートを担当した。まあ、翌年に引退表明する直前の巨匠に対して、最大の敬意を表した形になっているだろう。

ワルターの第9と言えば、コロンビア響とのステレオ録音のできが良くないので有名だが、ドイツ語圏の団体との良好な音質の録音が残っていたのは大変にうれしい。もちろんワルターの演奏スタイル自体、「運命」・第7・第9などとは相性が良くないことを承知の上で聴くべきではあるが、この録音はまずまずと評価できよう。

フルトヴェングラーやカラヤンによって慣れてきたこの曲のプロポーションとは、だいぶスタイルが違うが、このワルターを聴くことで、エーリヒ・クライバーの演奏への理解が深まった気がする。


オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団・合唱団
アグネス・ギーベル、クリスタ・ルートヴィヒ、リチャード・ルイス、ヴァルター・ベリー
TESTAMENT。SBT 1332。1961年11月27日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールにおけるライヴ録音。

同じ場所で1957年に行われた演奏はステレオなのに、こちらはモノラルであるのが残念である。(音源はBBC)。

演奏は57年よりもほんの少し速めである。


オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、ウィーン楽友協会合唱団
ヴィルマ・リップ、ウルズラ・ベーゼ、フリッツ・ヴンダーリヒ、フランツ・クラス
membran。1960年6月7日ライヴ。モノラル録音。


手兵フィルハーモニア管を率いてウィーンにのりこんでの演奏会。ヴンダーリヒのソロは貴重。

「クレンペラー・イン・コンサート」というタイトルの4枚組。他の3枚にはミサソレ・ドツレク・マーラー第4&亡き子を偲ぶ歌が収録。


フェリックス・ヴァインガルトナー指揮ウィーン・フィル、同国立歌劇場合唱団
ルイーゼ・ヘレツグルーバー、ロゼッテ・アンダイ、ゲオルク・マイクル、リヒャルト・マイール
EMI。1935年2月2〜5日、MusikvereinにおけるコロンビアによるSP録音(LX 413-420)。15:14, 9:57, 14:35, 22:27

SP原盤が残っているらしく全く素晴らしい音質で復刻されている。当時としては奇跡的優秀録音だったに違いなく、ウィーン・フィルの音色を堪能できる。
opus蔵から出たSPからの復刻盤OPK2040も素晴らしい。

もう1つ、彼の「第9」には1926年英語歌唱の録音があるようである。

ギュンター・ヴァント指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
テレサ・シュティヒ・ランダル、ローレ・フィッシャー、フェルデナント・コッホ、ルドルフ・ヴァッケ
TESTAMENT。1955年10月10日、フランスのレコード頒布クラブ「クラブ・フランセ・デュ・ディスク社」への録音。


ヴァントらしい引き締まった演奏である。第3楽章に17:20かけているのは意外だったが、そこでも一つ一つ音符を丁寧に刻んでいき、決してべたっとしたものになっていない。


ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ, トンクンスト合唱団、王立オラトリオ協会
To van der Sluys, Suze Luger, Louis van Tulder, Willem Ravelli
M&A。CD-1005(5CD)。1940年5月2日ライヴ録音。チクルスの完全ライヴ全集。14:41, 11:37, 15:30, 25:47


終楽章最後のリタルダンドが「なんともはや...」という感じ。決して許されるべきではない超・裏技である。
(この直後、5月10日にドイツによる対オランダ電撃戦が開始され、14日にオランダ降伏。→歴史的録音)

PHILIPSから単品でも出ていた。


ヘルマン・シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・アカデミー室内合唱団
マグダ・ラースロー、ヒルデ・レッスル=マイダン、ペトル・ムンテアヌ、リヒャルト・シュタンデン
WESTMINSTER。1953年7月、ウィーン、モーツァルト・ザールでの録音。モノラル全集。17:15, 12:25, 16:10, 26:12


テンポ設計がかなりフルトヴェングラーに近い。特に第1楽章、中でもコーダ開始部分の荘重さなどそっくりである。

しかし、後の1965年のステレオ・ライヴ録音では、全く違う演奏になっている。

フリッツ・ブッシュ指揮デンマーク放送交響楽団・合唱団
DG。1950年9月7日、コペンハーゲンにおけるライヴ録音(デンマーク放送)だが音も悪くない。
14:38, 10:55, 14:02, 23:41

DG創立100周年のベートーヴェン・エディションの最終巻「ヒストリカル・レコーディング」に収録(写真)。
ブッシュという指揮者はあまり録音がないので貴重である。

ヘルマン・アーベントロート指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
TAHRA。1951年6月9日、プラハの春音楽祭でのライヴ。

「英雄」やヴァイオリン協奏曲とのカップリングで3枚組だが、この「第9」は音も悪く、演奏も雑である。

ヘルマン・アーベントロート指揮ストックホルム・フィル、同合唱団
Hjördis Schymberg(S), Lisa Tunell(A), Gösta Bäckelin(T), Sigurd Björling(B)
TAHRA TAH488/9。1943年4月7日、ストックホルムでのライヴ。

上記フルトヴェングラーのものとカップリング2枚組。


http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven9-m.htm

11. 中川隆[-14190] koaQ7Jey 2020年1月23日 23:25:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1044] 報告
巨匠フルトヴェングラーの「名盤」の真相 第一回 「バイロイトの第九」の「真相」
本間俊哉
http://www.britannia.co.jp/column/2016/08/149/


巨匠フルトヴェングラー(一八八六年生、一九五四年没)の数ある録音の中でも、最も声望の高いものといえば《バイロイトの第九》であろう。一九五一年七月二九日、バイロイト祝祭が第二次大戦後に再開された折の、記念演奏会の演奏記録である。

フルトヴェングラーは、一九五四年八月九日にも同じくバイロイト祝祭のオープニング・コンサートでベートーヴェンの《第九》を演奏し、録音も残っている(セブンシーズ国内盤【KICC-1053】)が、もともとがプライベート録音で音質が劣悪すぎ、演奏の真価を問うことはできない。

通常、フルトヴェングラーの指揮した《バイロイトの第九》といえば一九五一年録音の演奏を指す。とはいえ、これは実のところ、問題だらけなのだ。


2種の《バイロイトの第九》

《バイロイトの第九》は、演奏年月日が同じで、収録された演奏の異なるものが二種、存在する。一つはイギリスHMV(EMIと同一の会社)が一九五五年に2枚組LP【ALP-12986~7】として初めて発売したもの(これは後述するがCD時代になってからいろいろ手が加えられている)。もう一つは日本フルトヴェングラー・センターが二〇〇七年に会員用にCD頒布【WFHC-013】し、同年暮れに独オルフェオ【C754081】からも一般向けにリリースされたものである。EMI発売盤をE盤、オルフェオ盤(つまり日フルトヴェングラー・センター盤)をO盤とする。

O盤は、バイエルン放送局内で「放送禁止」と書かれた箱に保管されていたテープから復刻されたもので、発見者である日フルトヴェングラー・センターは、「従来のE盤ではなく、このO盤こそが本物の本番ライヴ録音である」と主張している。E盤はいろいろに原テープを編集したもので、O盤は一貫した録音であるから、E盤は本番の一発録音としては信憑性に欠ける、ともセンターは主張するのである。
だが、一聴して分かるようにE盤を貫く只ならぬ緊迫感や高揚は、O盤には見られない。特に、終楽章の結尾のプレスティッシモ(最高に速く≠ニいう演奏指示)が、E盤では勢いあまって演奏が怒涛のように完全に崩壊しているが、O盤は最後まで冷静に整った演奏ができており、本番舞台らしい熱気がまるで感じられない。
さらに、E盤の全曲をなんど聴いてもセンターが主張するような、テープ編集の痕跡はどこにも見られない。一九五一年における一発勝負の舞台録音である。まだEMIは磁気テープ録音を導入したばかりだった。テープの編集は、ハサミとセロハンテープで行なっていた。だから、録音時はもちろん、その後のマスター・テープの編集等の加工があれば、録音年代から見ても、どうしても聴き手に分かる跡が残ってしまう筈である。

センターは、具体的にE盤の終楽章における”vor Gott”のフェルマータ(長く伸ばす≠ニいう演奏指示)末尾のクレッシェンドは不自然で、誰かがマスター・テープに手を入れた証拠と強調しているが、注意して聴き直しても特に不自然さは感じられない。これは、音楽雑誌等で複数のプロの批評家や録音エンジニアも述べていることである。

O盤も一聴してあからさまなテープ編集跡はないが、E盤に問題がない限りマスター・テープの編集云々は意味がない議論である。

音楽批評家・平林直哉氏によるとこのコンサート当日、公演本番の少し前に全曲の通し稽古があったとソプラノ歌手のシュワルツコップが証言しているとのことで、この通し稽古こそがO盤の正体ではないかと平林氏は述べているが、私もこの意見に賛同する。平林氏は前述の”vor Gott”のフェルマータ末尾のクレッシェンドについても、「EMIが操作したようには感じない」と著書にも書いている(《フルトヴェングラーを追って》青弓社)。

私も、日フルトヴェングラー・センターの、このO盤を発掘して世に問うた功績は大いに認めるものだ。しかし、完全に裏を取り、E盤がどういった録音であったかを資料等によってはっきりさせない(確実な証拠もないのに、センターは「E盤はリハーサル録音と本番録音の混合」と決めつけている)まま公にしたために、このような混乱が起きていることを、センターには直視して欲しいと思う。

私の考えでは、《バイロイトの第九》はE盤で聴くべきだ。あるいは、E盤があればそれで良い。E盤とO盤とでは、聴いていて受ける感銘の度合いにかなりの差があるからだ。


足音入り

一九九〇年に東芝EMIからリリースされた《バイロイトの第九》のCD【TOCE-6510】は、指揮者の「足音入り」ということで話題になった。帯にもその旨が書かれている。舞台にフルトヴェングラーが登場して指揮台に乗り、聴衆に挨拶をするまでの足音が録音に含まれていたからである。それだけでなく、演奏開始直前にオーケストラに向かってフルトヴェングラーが何ごとか話しかける音声が八秒ほど入り、開演前、終演後の熱烈な拍手も、ややたどたどしいが録音技師が始まりを揃えようとしている感があった。

従来のディスクでは、フルトヴェングラーの足音も話し声もいっさい含まれてはいなかった。また、開演前の拍手はなく、終演後の拍手はあまり綺麗に録られておらず、フェイド・アウトもいま一つ手際が良くなかった。しかし一九九〇年以降、この《バイロイトの第九》のEMI系録音盤には、必ず足音、声、整った拍手が収録されている。ただし、テープの継ぎ目が明らかで、後付けの効果音であることははっきりしていた。

この効果音は、東芝EMI盤よりEMIミュージック・ジャパン盤SACD【TOGE-11005】のほうがさらに手際が良い。テープ編集の痕跡は殆んど分からない。私は、最近のデジタル技術を駆使したものだと思う。演奏直後の熱狂的な拍手が、ひとしきり鳴り渡った後でフェイド・アウトするのも綺麗に整えられている。

先ごろ亡くなった音楽批評家・宇野功芳氏はこの音声についてオーケストラに「虚無の中から聞こえて来るように」と注意した、と《フルトヴェングラーの全名演名盤》(一九九八年、講談社)で書いているが、本当かどうかはかなり疑わしい。この本の前身である著書《フルトヴェングラーの名盤》(一九七七年、芸術現代社)でも、すでに宇野氏は同じように書いていた。この時点で、指揮者の声入りのレコードはまだ出ていない。

宇野氏は個性的な辛口批評で知られ、カリスマ的批評家として大いに活躍した。特に、日本で無名だった数多くの名演奏家たち(指揮者ハンス・クナッパーツブッシュ、ピアノ奏者リリー・クラウス、ヴァイオリン奏者チョン・キョンファ等々)を意欲的に紹介し、人気を博すまでに導いた功績は極めて大きい。

だが、彼は日本ではまだあまり知られていないことなどについて、手前勝手な作り話をよく書く人物でもあり、私はこの「虚無」云々の「注意」も、恐らく氏の想像だろうと思っている。

初版HMVのLPレコード【ALP1286-7】を聞いても開演前の拍手はいっさい収録されておらず、演奏直前の声もなく、終演後の拍手はたちまちブツリと消されてしまう。だから、揃った拍手や指揮者の声は、私はEMIがCD時代に入ってから臨場感を演出させるために施したものであろうと思う。

日フルトヴェングラー・センターが生前のフルトヴェングラー夫人(一九一一年生、二〇一三年没)にこのCDを聴かせたところ、夫人も足音や話し声に関して「おかしい」と訝しげであったという。夫人は一九四三年にフルトヴェングラーと結婚して以来、ほぼ常にフルトヴェングラーの舞台や録音には立ち合っていた。もちろん、この時も賓客として客席にいたのである。

そもそも、これから《第九》のような大作を演奏しようという、ホール内の誰もが緊張している本番直前に、指揮者がこと改めて演奏者たちに口頭で注意をしたりすることは、まず考えられない。私の聴いた数多くの《第九》の実演でも、このようなことは決してあり得ないことだった。


録音と発売の経緯

この《バイロイトの第九》のプロデューサーはウォルター・レッグという人物(一九〇六年生、一九七九年没)である。

レッグはEMIの重役で、二〇世紀を代表する多くのアーティストをEMIの専属とし、自らプロデューサーを務めて彼らのスタジオ録音を厳しく監修し、主にオペラとオーケストラ曲において、いくつもの歴史的名盤〈R.シュトラウスの楽劇《ばらの騎士》(指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン、録音:一九五六年)や名ソプラノ歌手マリア・カラス(一九二三年生、一九七七年没)の数多くの傑作オペラ録音、大指揮者オットー・クレンペラー(一八八五年生、一九七三年没)によるオーケストラ曲の名演盤等々〉を制作したことで知られる。だが、《バイロイトの第九》のプロデューサーとなったのはまったく偶然のことだった。

一九五〇年、若きカラヤン(一九〇八年生、一九八九年没)に肩入れするレッグはフルトヴェングラーと決定的なトラブルを起こした。もともとフルトヴェングラーとカラヤンの仲は険悪だった。この事件は長い説明を避けるが、要はレッグがプロデューサーを務める歌劇《魔笛》のカラヤンによるスタジオ録音を、オーケストラも歌手たちもほぼ同じフルトヴェングラーの同曲上演の直後に設定し、実質的にフルトヴェングラーをカラヤンの練習指揮者に仕立ててしまったのである。

このことを知って怒り心頭に達したフルトヴェングラーは、同年で切れるEMIとの録音契約更新に当たり、「一九五一年以降の録音では二度とレッグをプロデューサーとしないこと」を条件に挙げたほどである。

バイエルン州のバイロイトは大作曲家リヒャルト・ワーグナーのオペラの聖地であり、ワーグナー家の当主だったヴィニフレート・ワーグナー〈ワーグナーの一人息子ジークフリート・ワーグナー(一八六九年生、一九三〇年没)の妻、一八九七年生、一九八〇年没〉が熱烈なナチ信者だったために、一九五一年まで本来のオペラ・ハウスとしての機能を果たすことが禁止されていたのである。因みにヴィニフレートは死ぬまでナチズムとヒトラーの崇拝者だった。

一九五一年から、ヴィニフレートが引退してバイロイト祝祭の開催にはいっさい関わらず、全権を彼女の長男ヴィーラント(一九一七年生、一九六六年没)、次男ヴォルフガング(一九一九年生、二〇一〇年没)に譲渡すること、ナチズムを完全撤廃することを条件として、連合国軍はこの祝祭再開を許可した。ここに、バイロイト祝祭は6年ぶりに復活したのである。

この祝祭(音楽祭)は一風かわっており、ワーグナーの創造したオペラしか上演しない。そもそも、ワーグナーのオペラを理想的に上演できるように、ワーグナー自身が開催を決め、劇場までを建設したのである。だから演目は限られるが、演出等において新しい試みを積極的に導入することによって、新鮮な舞台を創り上げているのである。運営はワーグナーの血族によって行なわれている。
一八七六年にこのバイロイト祝祭劇場が完成した時、その記念としてワーグナーは自ら指揮棒を執り、劇場でベートーヴェンの《第九》を演奏した。ワーグナーは大作曲家であったばかりでなく名指揮者でもあった。

そこで、第二次大戦後の祝祭復活記念にも、その故事に倣って《第九》のコンサートを催すことを祝祭関係者たちは企画した。そのタクトを任される名誉ある役割は、祝祭関係者たちはワーグナー・オペラの指揮者としても世界的に知られている当代第一の指揮者、フルトヴェングラーに果たしてもらいたかったのである。
祝祭主催者中の最高責任者はヴィーラント・ワーグナーだった。彼はフルトヴェングラーを直接たずねて演奏を打診したが、同時期に催されるザルツブルク音楽祭との兼ね合いを考えて、フルトヴェングラーは即答を避けた。フルトヴェングラーは、ザルツブルク音楽祭における指導者の一人というべき立場にあったからである。この年も、すでにモーツァルトの《魔笛》と、ヴェルディの《オテロ》を数回にわたり上演することがすでに決まっていた。二作とも、なかなか大掛かりなオペラである。

一方ヴィーラント・ワーグナーは、復活なったバイロイト祝祭で、できればワーグナーのオペラを一作なりとフルトヴェングラーに上演して欲しい意思もあった。すでに上演する作品の指揮者の用意はできていた〈ハンス・クナッパーツブッシュ(一八八八年生、一九六五年没)とカラヤン〉が、フルトヴェングラーが来てくれるとなれば、指揮者の急遽交替も辞さない構えだったのだ。当時の欧州楽壇で、いかにフルトヴェングラーが尊敬されていたかがよく分かる。

だがヴィーラントは、予想以上に多忙だったフルトヴェングラーの都合を考え、開幕記念演奏会の《第九》演奏のみに交渉を絞り、遂に説得に成功した。「あなたに、大戦後の再開なったバイロイト祝祭の最初の音を出して欲しいのです」というヴィーラントの言葉が、迷っていたフルトヴェングラーの心を動かしたという。
この話を耳にしたレッグは、早速「バイロイトで演奏する《第九》をライヴ録音してはどうか」とフルトヴェングラーに申し出たが、フルトヴェングラーは「音響効果が良くない」という理由で断わっている。レッグは同年バイロイト祝祭に招かれてオペラの指揮をする、カラヤンの上演をライヴ録音してレコード化するつもりだった。

一九五一年七月二九日、バイロイト祝祭は第二次大戦後ようやく再開され、オペラ上演に先立つ記念コンサートでフルトヴェングラーは《第九》を指揮した。EMIのレッグは、「記録用」といった軽い気持ちでこれをライヴ録音した。本命のカラヤンのオペラ録音の方がレッグにすれば重要だったが、ことのついでだった。
先に書いたように、演奏前と終演後の拍手がきちんと収録されていないのも、この録音がレッグにとっては大して重要な仕事ではなかったからだろう。それでも録音責任者である彼は「プロデューサー」には違いなかった。

終演後、楽屋に自分を訪れたレッグに対して、フルトヴェングラーは「《第九》の演奏はだめだったかなあ?」と問いかけ、「むかし聴いた《第九》のほうがずっと良かったですよ」と返答された。終演後、夢うつつのような状態だったフルトヴェングラーは完全に無防備だったので、レッグのこの言葉に心底ショックを受けてひどく落ち込んだ、と居合わせたフルトヴェングラー夫人はインタビューに応えて話している。この言葉がレッグの本音だったか、それとも自分を拒否したフルトヴェングラーに対するちょっとした嫌がらせだったかは分からない。

EMIは一九五〇年からフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集の企画を立てていたが、一九五四年末にフルトヴェングラーは六八歳で急逝してしまう。EMIは交響曲の「第二」、「第八」、「第九」の録音を済ませていなかった。

関係者の誰も、フルトヴェングラーがそんなに早死にするとは思っていなかったのである。しかし、「交響曲全集」を完成させるためにEMIは躍起になった。
そして、まず一九七二年、「交響曲第八番」の録音をEMIはリリースした。一九四八年にフルトヴェングラーがストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を客演指揮したテープがスウェーデン放送局で見つかって、レコード化されたのである。
次に一九七九年になって、一九四八年にロンドンに、フルトヴェングラーがウィーン・フィルを率いて楽旅した際の「交響曲第二番」の録音がようやくロンドンの放送局のテープからレコード化された。これは、フルトヴェングラーの指揮によるこの交響曲の唯一の録音である。EMIは、録音テープの存在確認から発売まで、放送局との交渉に数年かかった。

ただし、両曲とも録音状態は極めて劣悪であり、鑑賞用というより熱烈なフルトヴェングラーのマニア向けである。「第二交響曲」にしても、オーケストラはウィーン・フィルだが、その美質はまったく聴き取ることができない。指揮者の表現も聴き取れず、異常に情報量が少ないディスクである。

結局フルトヴェングラーの指揮による『ベートーヴェン交響曲全集』のレコード・セットがEMIから発売されたのは、フルトヴェングラーの没後二五年となる一九七九年のことだった。

肝心の《第九》は、フルトヴェングラーが亡くなった時点で、EMIが使用できるマスターとしては、差し当たり二点の録音テープが存在した。レッグが録音したバイロイトでの演奏と、死の年にルツェルン音楽祭でフィルハーモニア管弦楽団他を指揮した、スイス放送局が保存していた演奏録音である。フィルハーモニア管弦楽団のオーナーはレッグだったので、EMIでのレコード化が検討された。

ともにライヴ録音であり、音質の点ではルツェルン音楽祭の録音の方が新しい分やや良かったが、ソプラノのシュワルツコップ(一九一五年生、二〇〇六年没)がレコード化に賛同しなかったため、EMIはルツェルン音楽祭の記録ではなく、バイロイト祝祭の録音を使用することに決めた。シュワルツコップは前者における自分の歌唱がベストではないと考えたらしい。因みに、シュワルツコップはレッグの妻だが、フルトヴェングラーのことを終生尊敬してやまなかった。フルトヴェングラーも、シュワルツコップの優れた才能を認め、最後まで彼女を繁々と起用した。
バイロイト祝祭の演奏でもソプラノはシュワルツコップで、こちらのレコード化には彼女は異議を唱えなかった。

この《バイロイトの第九》の録音は、非公式のもので「ハイファイ」ではない、という理由からこれまで発売されなかった、とアメリカEMI初出盤LP(一九五六年発売)の解説には記述があり、要するに《バイロイトの第九》はあくまでテスト用の録音で、音質の問題で発売用のマスター・テープとは区別して保管されていたものであろう。そのままであれば、遠からず廃棄されていたかも知れない。
ついでながらこの時お蔵入りしたルツェルン音楽祭の《第九》は、一九八〇年になって国内盤二枚組LPで、レコード会社二社からほぼ同時にリリースされた。日本コロムビア盤(アメリカ・ワルター協会原盤、OB7370~71)と、キングレコード盤(イタリア・チェトラ原盤、K19C21~2)で、前者は《第九》のみ二枚四面に《第九》のみをカッティングし、価格は二八〇〇円でリリース。後者は第四面に同じ指揮者によるベートーヴェンの「交響曲第八番」の一九五四年のライヴ録音(演奏はウィーン・フィル)が組み合わされて、三八〇〇円でリリースされていた。音質はだいたい互角とされ、フルトヴェングラーのファンはどちらを選択するか悩んだ。
この演奏は、特にフルトヴェングラーのファンに《ルツェルンの第九》と称され、巨匠最晩年の演奏記録として愛聴された。いまでは放送局のオリジナル・テープから制作した正規版SACD【KICC-17】までが出ている(セブンシーズ)。

この《ルツェルンの第九》は、指揮者の没年ということもあってか、バイロイト盤に比べて劇的効果はそれほどでないが、枯淡の境地というか枯れたなりの味わいがあって、バイロイト盤よりこちらを好む音楽ファンも少数派ながらいる。
だが、フルトヴェングラーの指揮する《第九》を聴くならやはりバイロイト盤が最上だろう。楽器のバランスも、ルツェルン盤はトランペットがオン・マイク過ぎて、ときどき耳障りになる。バイロイト盤はティンパニがやや遠いが、他はなんら問題ないし、SACD化によって音質の鮮度もずいぶん上がった。

一九五四年当時、レッグはカラヤンにとって初めての「ベートーヴェン交響曲全集」を鋭意制作中(レーベルはもちろんEMI、オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団)で、自分が特別に力を入れて録音したわけではないフルトヴェングラーのバイロイトにおける《第九》をリリースしたところで、それがセンセーショナルな成功を収め、歴史的名盤として持て囃されるとは思ってもいなかったであろう。《バイロイトの第九》の録音とは、まさに偶然の産物だったのだ。


SACD

東芝EMIは、二〇〇七年にEMIミュージック・ジャパンと名を変え、つかのま日本のEMI盤を統括した(二〇一二年、ユニバーサル・ミュージック合同会社に吸収され、遂にEMIは消滅する)。フルトヴェングラーに関しては驚いたことに、主要なディスクをすべてハイブリッドSACDで発売するということで、フルトヴェングラー・ファンを驚喜させた。値段もSACDにしては比較的安めに設定されていた。普及版としてのSACDハイブリッド盤だけでなく、割高ながらSACDシングルレイヤー盤も発売した。

SACDとは、フィリップス社(現在は音楽ソフト制作を廃止)とソニーが共同開発した最先端技術によるCDのことである。”Super Audio CD”の略で、従来のCDよりも多くの情報を記録できる。ハイブリッドSACDは音溝が二層に別れており、普通のCDプレイヤーでも再生できるが、シングルレイヤーSACDは音溝が一層なので、SACD再生可能機でなければ再生できない。現時点ではハイブリッドよりシングルレイヤーの方が割高である。

EMIミュージック・ジャパンのSACDは、従来の音源をそのまま引き継ぐのではなく、英EMI本社のオリジナル・マスター・テープやSPの金属原盤を使用して、復刻を一からやり直すということだった。その結果、一九五一年録音のケルビーニ作《アナクレオン》序曲、チャイコフスキー作「交響曲第四番」、《弦楽セレナーデ》抜粋などは、以前と比べて非常に優れた音質になった。

《バイロイトの第九》は、東芝EMIの頃から音質の劣化が取り沙汰されていた。CD時代になってそれが特に問題となっていたが、その中では先に触れたように一九九〇年に東芝EMIからリリースされた【TOCE-6510】が最良の音質と言われた。やがて、二〇〇五年に平林直哉氏の制作による、グランドスラム・レーベルの【GS-2009】が出て、優れた音質という点では非常に高い評価を得た。このグランドスラム盤は最初期の状態優秀なLP盤からのCD復刻である。

だが、二〇一一年にEMIミュージック・ジャパンのハイブリッドSACDが出て音質を一新し、一気に決定盤の座を我がものにした。現在は、一部がワーナー・クラシックスから継続してリリースされている。EMI本社のオリジナル・マスター・テープからマスタリングしたSACDで、「これ以上はあり得ない」音質を誇った。

この盤は、聴衆ノイズを極力ていねいに除いているのも特徴である。もともとの音楽の感興を損なわない程度でのノイズ取りはした、とCDのライナーノーツにも書かれている。

私はシングルレイヤーの三枚組SACD【TOGE-15201~03】を持っているが、これに含まれる《バイロイトの第九》は、音質の向上もさることながら、よくもここまで、と思うほど咳払い等の聴衆ノイズが綺麗に除去されている。以前から歴史的録音の過度なノイズ除去には好感が持てなかった私だが、このフルトヴェングラーSACDシリーズを聴いていらい認識が変わった。

現在の大手メーカーの技術は極めて高度で、少し前までの、ノイズとともに演奏の良さまで削り取ってしまうような不手際はあまりない、と言っていい。響きの豊かさ、自然な残響なども元とまったく変わらない。同じく聴くならば、音楽に集中できるディスクの方が受ける感銘は圧倒的に深い。空気感がどうこう、という聴き手もいるが、それは個人的嗜好であって万人の求めるものかどうかは判らない。臨場感とか空気感とかをあれこれ言う人もいるが、それなら一切の雑音やミスを排したスタジオ録音をどう思っているのか、聞いてみたいところである。

ライヴ録音の演奏ミスを正す、ということにも賛否両論あるが、私はどちらか一極には左袒し得ない。この《バイロイトの第九》でも、一つ大きなミスの修正がある。オリジナル録音の第三楽章、東芝EMI盤【TOCE-6510】の[9:55]にはホルン・ソロに重大なミスがあり、これは本当にだらしない。天上の憩いを思わせるくだりで、ホルンは特に重要なのに、失敗しているのだ。ところが、EMIミュージック・ジャパン盤の同じ箇所[9:59]では綺麗に修正されている。ミスがなくなっているのである。

これは、非常に大胆な試みと言っていい。大指揮者フルトヴェングラーの録音の中でも、歴史的遺産の最右翼に属する演奏を一部とはいえ改変してしまったのである。

初めて聴いたときは、ハッとするほど驚いたが、あるていど聴き慣れてみると、絶対に修正されていた方が聴いていて心地良い。あのミスのために、ずっと味わわされていた興醒めから解放されるのである。

これは好き好きだろうが、頑なにライヴ録音はまったくそのままで聴くべきだ、ノイズ除去や修正は間違っている、といった主張は今の私は必ずしも賛同しかねる。とりわけ、重要な箇所での演奏ミスや客席での大きな咳払いなどは、興を殺ぐこと夥しいものがある。下手に手を加えた跡が残るような修正は耳障りだが、そうでないならある程度までは容認しても良いと私は思っている。
http://www.britannia.co.jp/column/2016/08/149/

12. 中川隆[-14189] koaQ7Jey 2020年1月24日 00:23:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1043] 報告
戦後再開されたバイロイト音楽祭の「第9」(1951年7月29日)
http://classic.music.coocan.jp/wf/item/1951-7-beth9.htm


バイロイト音楽祭とは

 ドイツの作曲家リヒャルト=ヴァーグナー(Richard Wagner)は、自分の作品を「楽劇」と称して、その他のオペラ(歌劇)と区別していた。彼の作品はどれも演奏時間が4時間をこえる度外れて巨大なものであり、脚本も全て自作であった。まさに「詩・演劇・音楽の融合した総合芸術」と呼ぶにふさわしいものである。しかしその演奏は多くの困難を伴ったため、その作品の理想的上演を行なうためには、夏のシーズンオフに全ドイツから優れた演奏家を集めて自分の作品だけを上演する音楽祭を開催する以外に方法はない、と彼は考えるに至った。

このようにして1876年に、第1回バイロイト音楽祭が、代表作「ニーベルングの指輪」4部作の一貫演奏によって開催されたのである。

この時、音楽祭開幕記念オーケストラ・コンサートにおいて、ヴァーグナー自身が指揮をして演奏されたのが、ベートーヴェンの第9交響曲である。この音楽祭で彼以外の作曲家の作品で演奏されるのはこの曲だけなのである。


ヴァーグナーと「第9」

 ヴァーグナーは、ベートーヴェンの第9交響曲の真価をはじめて明らかにした「指揮者」としても知られている。この曲は、1824年にベートーヴェン自身の指揮で初演されたのだが、しばらくの間は「よくわけがわからない曲」というのが通り相場であった。特に終楽章の合唱がどうも座りが悪く、その他に演奏困難な箇所(特に終楽章のコントラバス)も多くあった。

 ヴァーグナーは、ドレスデンの宮廷劇場の音楽監督だった時、この曲をオーケストラ・コンサートでとりあげて、長期間の特訓で困難を克服し、見事な演奏を行なったのである。以来、この曲は名曲としての地位を不動のものにしている。


ヴァーグナーとヒトラー

 ヴァーグナーは、はっきり言って反ユダヤ的思想の持ち主であった。雑誌に反ユダヤの論文を発表したことすらあった。また、「ドイツ的な」という形容詞を、芸術に対する最高の評価の言葉として用いていた。(「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)

 こうした点で、ヴァーグナーはヒトラーの「思想的先輩」であった。ヒトラーも彼の曲をナチスの党大会で効果的に用いるなどしたため、ヴァーグナーはナチスの垢にまみれてしまった。そのため、ユダヤ人国家イスラエルにおいては、つい最近まで彼の曲は演奏が禁止されていたのである。(最近「解禁」になったらしい?)
 また彼の息子ジークフリートの嫁ヴィニフレートは、1923年のミュンヘン一揆の失敗後、ヒトラーが獄中にあった時、密かに差し入れに通っていたといわれ、1930年にジークフリートが亡くなった後は、バイロイトはまるでナチスのたまり場と化してしまっていた。戦争末期、音楽祭の演目は「マイスタージンガー」一本立てで、それをフルトヴェングラーが指揮し、終幕の歌合戦の舞台の上には「かぎ十字」が林立していた。

 そんなわけで、この音楽祭は戦後、連合軍によって禁止されてしまったが、それも全く仕方のないことであった。連合軍は、ヴィニフレートが音楽祭経営から退いて、その息子たちによって運営されない限り、再開を許可しない方針であった。


フルトヴェングラーの第9について

 フルトヴェングラーは、若い頃から「第9」を最も感動的に演奏する指揮者として知られていた。

 ヒトラーもフルトヴェングラーのファンで、自分の誕生日の前夜祭で彼に「第9」を指揮させたがっていた。フルトヴェングラーは、毎年4月19日が近づくと医者にニセ診断書をかいてもらって、その役目をまぬがれていた。

 だが、一度だけ1942年に医者がおそれをなして診断書を書いてくれなかったため、総統誕生前夜祭で「第9」を演奏するハメになった。宣伝大臣相ゲッベルスはこれを全世界にラジオ放送し、宣伝映画用に撮影した。フルトヴェングラーがナチス式敬礼をしないのを見ると、演奏終了直後に自ら舞台に歩み寄り、彼と握手をして、その場面を映画や新聞記者に撮影させもしたのである。この場面は現在LDでみることができる。


この「バイロイトの第9」について

 この「第9」は、戦後再開された最初の音楽祭開幕記念コンサートの実況録音である。ヴィニフレートの息子ヴィーラントとヴォルフガングによる新しい運営陣により、開幕の「第9」をフルトヴェングラーが、「マイスタージンガー」をカラヤンが、「パルジファル」をクナッパーツブッシュが、「指環」をカラヤンとクナッパーツブッシュが指揮した。(3人ともナチス時代にドイツに留まっていた....)

 「第9」は一般に「おめでたい」時に演奏されている。しかし、本当にそれが正しい「使用法」かどうかは疑問である。 ベートーヴェンは、フランス大革命の自由主義の下でこの曲を作曲したのではなく、自由主義弾圧の中心地ウィーンで作曲したのである。当時は(当時も!)検閲が厳しく、新作の自由を求める詩を用いることは許されない状況であったため、すでに古典になっていたシラーの詩を歌詞に使用したのである。その中に「ひざまづかないか!人々よ!創造主の存在に気付かないのか!世界よ!」という一節がある。ここにベートーヴェンは非常に崇高な曲をつけている。その意図は全く明らかである。人間の基本的人権を抑圧する為政者に対する弾劾である。

 ということは、この曲はドイツ統一の時よりも、前段のようなナチス支配下において演奏されるほうが「正しい使用法」と言えないこともない。

 しかし、ここに聴くバイロイト再開記念の演奏は、全くすばらしい演奏だ。

 第1楽章冒頭の、ほとんど限界とも言えるピアニッシモのきざみの中で第1主題の切れ端が次第に形を成していき、ついに主題として完成した時の何とも言えない充実感からして、余人の追随を全く許さない。同じ1楽章の中間あたりでの第1主題の再現にティンパニの連打がかぶさる所!!また終結部もこのテンポ以外考えられない。

 第2楽章のものすごい速度による切迫感も素晴らしいが、それにも増して第3楽章の信じられない遅さはなんということだろう。吉田秀和氏は次のように書いている。

「この曲の中でこの楽章が、高度に精神的でしかも強い官能性をもった音楽の魅力という点で、彼の一般的な精緻の枠にいちばんうまくはまっていると思われる。と同時に他面、ここほど一枚ヴェールで隔てられた向こう側の出来事のような間接性というか、夢幻性というか、そういう定かでないものとして聞こえてくる音楽は、他にはない。」

 第4楽章も全く素晴らしいが、特にあげるとすれば、例の「歓喜の主題」の現れる所であろう。楽譜には無いものすごく長い総休止のあと、ほとんど聞こえないpppp(楽譜の指示はp)で、これまた楽譜のアレグロの指示を無視したアダージョに近いテンポで、例の主題が聞こえてくる・・・。

 また、前に書いた「ひざまづかないか!」の所もフルトヴェングラーの演奏で聴いて初めて意味がわかる、といってもいいのではないだろうか。そして、終結部のプレストのめくるめくスピード感!!!!!これを聴いた後、他の指揮者でここを聴くと「ふぬけ野郎!」と言ってやりたくなるのは、私だけではあるまい。

http://classic.music.coocan.jp/wf/item/1951-7-beth9.htm

13. 中川隆[-14181] koaQ7Jey 2020年1月30日 17:50:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-864] 報告

ストコフスキー

Beethoven, Symphony no. 9 in D, "Choral" / Leopold Stokowski ( 1934 )




Leopold Stokowski, conductor
The Philadelphia Orchestra

Agnes Davis, soprano
Ruth Cathcart, contralto
Robert Betts, tenor
Eugene Loewenthal, baritone

1934 ( Music & Arts )
14. 中川隆[-14174] koaQ7Jey 2020年1月30日 19:24:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-857] 報告

ストコフスキー

Leopold Stokowski - Beethoven : Symphony No. 9 in D Minor, Op. 125 ("Choral")












Stokowski conducting the London Symphony Orchestra
Recorded in 1967 and originally issued on LP by Decca/London.

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