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メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 07 日 21:41:01: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: シューベルト 『未完成交響曲』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 29 日 11:59:03)

メンデルスゾーン 交響曲『スコットランド』



オットー・クレンペラー指揮 メンデルスゾーン 交響曲『スコットランド』


Mendelssohn: Symphony no. 3 "Scottish" - Klemperer & Philharmonia Orchestra





Philharmonia Orchestra
Otto Klemperer
Studio recording, London, 22, 25 & 27.I.1960


オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
EMI。1960年1月22,25,27,28日、アビー・ロード・スタジオでの録音。


古典的名盤。


終楽章コーダのテンポの「ゆったり」さ加減が何とも言えない。私はこの録音で初めてこの曲を聴いたので、しばらくの間は、他の演奏を聴くと終楽章コーダが「軽薄」に聞こえてしょうがなかった。
なぜ、この演奏がこんなに他と違うのか、は下のライヴ録音を聴き、そのライナーノートを読んで初めて納得できた。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm


オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管(1960年録音/EMI盤) 


昔から「スコットランド」と言えばクレンペラーと言われるほどの定番中の定番です。
遅いテンポでゆったりと構えているので、メンデルスゾーンの持つ音楽の明るさが減衰している印象です。常にクールで熱く成り過ぎないのです。でも、この曲にはむしろ適していると思います。特に第2楽章の遅さは、このテンポだからこそ、あのチャーミングなメロディが生きるのだと思います。他の部分も甘さ控えめで落ち着いた大人の魅力です。
こんなメンデルスゾーンは、ちょっと他の指揮者には真似が出来ないでしょう。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-af8a.html


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Mendelssohn: Symphony No. 3 "Scottish" ( Bayerischen-Rundfunks
& Otto Klemperer )



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Mendelssohn Symphony No 3 in A minor 'Scottish', Adagio _ Symphonie-Orchester des Bayerischen-Rundfunks




Symphonie-orchester des Bayerischen-Rundfunks
Otto Klemperer


Herkulessaal, München, 23. V. 1969


オットー・クレンペラー指揮 バイエルン放送交響楽団


EMI。ART処理されての正規発売。1969年5月23日、ヘルクレスザールでのライヴ録音。
「レコ芸」7月号のタワーレコードの広告の紹介通り、「スコッチ」の最終楽章コーダが A-Durにならず、a-mollのまま終わっていく!
これがまた実に感動的である。


 しかし、上記紹介文には、A-Durになるのは1848年改訂版、a-mollのままなのは1830年の初稿、といった記述があるが、そういう改訂の事実があるのかどうかは裏がとれていない。
 だが、ハッキリしているのは、ここでクレンペラーが演奏しているのは「自作のコーダ」である、ということである。ケース裏にも「Coda : Otto Klemperer」と表記されている。
 英文のライナーには、こう書いてある。
As was his unvariable custom when conducting this symphony, he cut Mendelssohn's 95-bar coda to the last movement and substituted a coda of his own devising,
(つまり、自作のコーダで演奏するのが常だった。ということは、60年の楽譜通りのスタジオ録音は、名盤だが、彼にとっては特別だったのだ。)
in which he extends the movement's second subject to provide a conclusion he believed to be more suited to the general mood of the symphony than the A-major exuberance of Mendelssohn's own ending,
(長調の雰囲気に満ちたエンディングより、終楽章第2主題を用いた自作のほうが、この曲の全体の雰囲気に合っている、と彼は信じていた)
実際、クレンペラーは、自分のこの演奏に証をたてるために、このミュンヘンでの演奏会のプログラムに自身で次のような文を書いていた。
私は、H・E・ヤーコブの本に、次のような一文を見つけた。
Mendelssohn was so worried about the male-chorus character of the ending
(メンデルスゾーンはこのエンディングの男声合唱的性格を憂えていた)
(中略)
つまりメンデルスゾーン自身、このコーダに全く満足していなかったのだ。実際、このコーダは全く変だ。妙だ。(中略)
この私のバージョンは1音符たりともメンデルスゾーンによるものではない。ただ、美しい第2主題をその終結に導いてやっただけだ。(中略)この改変は多くの批判を受けるだろうが、しかし、私はこれが正しいと信じる。
だから、クレンペラーは、上のスタジオ録音で、楽譜通りのコーダを勇ましくは演奏しなかったのだ!
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm


オットー・クレンペラー指揮バイエルン放送響(1969年録音/EMI盤) 


ミュンヘンでのライブ録音ですが、オーケストラは優秀ですし、スタジオ盤を上回るほどの出来栄えです。ところが、ひとつ問題が有ります。クレンペラーは、この曲の終結部が気に入らなかったようで、自分で勝手にコーダを書き換えてしまいました。


それは短調のまま静かに終わるので、確かに面白いと思います。でもメンデルスゾーンが13年かけて書き上げたものに手を加えるというのは、如何なものかなぁという気がします。聴き慣れているせいもあるでしょうが、個人的にも通常版のコーダは好きです。従って、これはあくまでもセカンドチョイスとせざるを得ません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-af8a.html


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交響曲第3番イ短調『スコットランド』(ドイツ語: Sinfonie Nr. 3 in a-Moll op. 56, „Schottische“ MWV N 18)はフェリックス・メンデルスゾーンが1830年から1842年にかけて作曲した交響曲。作品番号56。


メンデルスゾーンが完成させた最後の交響曲である。
「第3番」の番号は出版順による。
これより早い時期に作曲された第4番「イタリア」、第5番「宗教改革」の両曲はメンデルスゾーンの死後に出版された。


「スコットランド」という標題は、メンデルゾーンがこの曲を着想したのがスコットランド旅行中だったことによる。ロマン派音楽の交響曲として代表的な存在であり、4つの楽章は休みなく連続して演奏されるよう指示されている。しかし、各楽章は終止によって明確に区切られているため、連続性は緩やかであり、同じく全楽章を連続的に演奏するロベルト・シューマンの交響曲第4番とは異なって、交響曲全体の統一性や連結を強く意図したものとは認められない。


作曲の経緯
1829年3月にメンデルスゾーンは、バッハのマタイ受難曲を蘇演し、5月に初めてイギリスに渡った。スコットランドを旅したメンデルスゾーンは7月30日、エディンバラのメアリ・ステュアートゆかりのホリールードハウス宮殿を訪れ、宮殿のそばにある修道院跡において、16小節分の楽想を書き留めた。これが「スコットランド」交響曲の序奏部分であり、この曲の最初の着想となった。


しかし、翌1830年にはイタリア旅行して、第4交響曲「イタリア」の作曲にかかり、1835年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となるなど、多忙のために「スコットランド」の作曲は10年以上中断された。


全曲が完成したのは1842年1月20日、ベルリンにおいてであり、メンデルスゾーンは33歳になっていた。メンデルスゾーンはモーツァルト同様、速筆で知られるが、この曲に関してはその例外ということになる。


初演
初演は1842年3月3日、メンデルスゾーン自身の指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により行われた。
同年5月に7度目のイギリス訪問を果たしたとき、メンデルスゾーンはバッキンガム宮殿でヴィクトリア女王に謁見し、この曲を女王に献呈する許可を得た。献辞付きの楽譜は翌1843年に出版された。


楽器編成
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 2、ティンパニ、弦五部。


楽曲構成


第1楽章 Andante con moto — Allegro un poco agitato[編集]
イ短調 3/4拍子 - イ短調 6/8拍子
序奏付きのソナタ形式(提示部リピート指定あり)。


序奏は、幻想的かつ悲劇的な旋律で始まる。旋律の初め、属音から主音に4度跳躍して順次上行する4音からなる音型は、各楽章の主題と関連があり、全曲の基本動機的な役割を果たしている。序奏はかなり長く、物語るように発展するが、やがて始めの旋律に戻り、主部に入る。 主部は弦とクラリネットが弱音で第1主題を提示する。主題は序奏動機に基づき、繰り返しながら急激に盛り上がる。第2主題はホ短調、クラリネットで奏されるが、弦の第1主題の動機が絡んでいるためにあまり目立たない。小結尾では弦に詠嘆的な旋律が現れる。提示部は繰り返し指定があるが、実際に繰り返す演奏は少ない。展開部は弦の長く延ばした響きで開始され、各主題を扱う。再現部は短縮されている。コーダは展開部と同じように始まり、すぐに激しく興奮するが、やがて序奏の主題が戻ってきて静かに楽章を締めくくる。


第2楽章 Vivace non troppo
ヘ長調 2/4拍子 ソナタ形式。
スケルツォ風の楽章。
短い前奏につづいて、木管がスコットランド民謡を思わせる旋律を示す。これが第1主題で、第1楽章の序奏主題の動機に基づく。第2主題はハ長調、弦のスタッカートで順次下行する。展開部では第1主題を主に扱い、各楽器がこの主題を追いかけるように奏し合う。再現部では第2主題が強奏されて効果を上げる。


第3楽章 Adagio
イ長調 2/4拍子 ソナタ形式。
短い序奏があり、ヘ長調からイ長調に変わる。
主部は、歌謡的な第1主題が第1ヴァイオリンで、それに応えるように葬送行進曲風の第2主題がクラリネット、ファゴット、ホルンで厳かに提示され、クライマックスを築く。再び穏やかな小結尾の後に、短い展開部に入るが、ここでは序奏と第2主題が取り扱われる。その後、ほぼ型通りの再現部の後、長めのコーダに入る。


第4楽章 Allegro vivacissimo — Allegro maestoso assai
イ短調 2/2拍子 - イ長調 6/8拍子 ソナタ形式。


低弦が激しくリズムを刻み、ヴァイオリンが広い音域を上下する第1主題を示す。経過句では、弦によって推進的なリズムが現れる。第2主題はホ短調、木管楽器で出されるが、弦によるハ長調の勇壮な対句を伴っている。この主題も第1楽章の序奏主題と関連がある。展開部では、第1主題と経過句の動機が主に扱われる。再現部は短縮され、コーダに入ると、第1主題に基づいて激しく高まるが、波が引くように静まって、第2主題が寂しげに奏され、いったん全休止となる。テンポを落として6/8拍子になり、低弦が新しい旋律をイ長調で大きく歌う。これも第1楽章の序奏主題の動機が組み込まれている。この新しい主題によって壮大に高まり、全曲を明るく結ぶ。


終楽章の結尾について
第4楽章のコーダで全休止の後、新しい旋律が導入されてそれまでの曲調が一変する手法は、その雰囲気と効果はかなり異なるが、ロベルト・シューマンが1845年から1846年にかけて作曲した交響曲第2番にも見られ、シューマンが「スコットランド」を聴いて影響を受けた可能性がある。


クレンペラー版
指揮者のオットー・クレンペラーは、このコーダについて批判的意見を持っていた。
クレンペラーが「スコットランド」を指揮した録音では、1960年フィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音(EMI)が一般に知られているが、これは通常の演奏である。


しかし、同レーベルで1966年にバイエルン放送交響楽団を指揮したライヴ録音では、第4楽章のコーダの後半95小節分をカットし、第4楽章の第2主題に基づく独自のコーダを演奏したものが残されている。
この演奏では、イ長調の新たな旋律は現れず、音楽は短調のまま、静かに閉じられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第3番_(メンデルスゾーン)
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13942] koaQ7Jey 2020年2月07日 22:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-615] 報告

ワインガルトナー

Felix Weingartner - Mendelssohn - Symphony No. 3







________





Felix Weingartner, conductor
Olo Royal Philharmonic Orchestra

Recorded in 27 March, 1929 at the Portman Rooms, Baker Street, London

フェリックス・ヴァインガルトナー指揮ロイヤル・フィル
EMI。新星堂によるSP復刻盤SGR8534。1929年録音。
テンポは結構速い。
カップリングは「魔弾の射手」序曲、「舞踏への勧誘」(いずれもバーゼル管弦楽団、1928年録音)
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm
2. 中川隆[-13941] koaQ7Jey 2020年2月07日 22:40:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-614] 報告


トスカニーニ



Symphony No.3 in A minor, Op.56 'Scottish' NBC Symphony Orchestra
1941









_________









NBC Symphony Orchestra
Arturo Toscanini (conductor)
1941年4月5日、8Hスタジオでのライヴ



アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
TESTAMENT。SBT 1377。1941年4月5日、8Hスタジオでのライヴ。

カップリングの「フィンガルの洞窟」ともども貴重な録音がついに正規発売。
やっぱりNBCは上手い! 1週間前のシューマン第2も収録。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm
3. 中川隆[-13940] koaQ7Jey 2020年2月07日 23:02:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-613] 報告


ペーター・マーク

Mendelssohn: Symphony No. 3 `Scottish`, Maag & LSO (1960)








Peter Maag (1919-2001), Conductor
London Symphony Orchestra

Rec. April 1960, in London (or 1959)



ペーター・マーク指揮 ロンドン交響楽団
DECCA。1960年録音。
ながらくこの曲のベスト盤とされていたものである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm


ペーター・マーク指揮ロンドン響(1957年録音/DECCA盤) 

マークは日本のオケにも度々客演しましたし、この演奏もかつては高く評価されていました。けれども最近ではすっかり忘れ去られた感が有ります。非常に残念です。

改めて聴いてみると、本当に若々しく瑞々しい演奏なので、若きメンデルスゾーンの異国への旅における喜びが余すところなく表現されていると思います。
DECCAの録音も年代を感じさせないほどに秀れているので不満は感じません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-af8a.html

4. 中川隆[-13935] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:00:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-608] 報告

ロジャー・ノリントン

Mendelssohn Symphony No 3 A minor Scottisch Roger Norrington Age of Enlightment


▲△▽▼

Sinfonie Nr. 3 a-Moll Op. 56, MWV N 18 "Schottische":












Orchestra: Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
Conductor: Roger Norrington


ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
ヘンスラー。2004年9月3,7日、シュトゥットガルト、リーダーハレにおけるライヴ録音。

同時録音の「イタリア」とカップリング。緩徐楽章では弦を約半分に減らして演奏している。

これはクレンペラー盤を別にすれば最高の名盤である。
第1楽章の起伏の激しさ。第2楽章と第3楽章の対比。そして終楽章(Allegro vivacissimo)は一転して堅実なテンポ。コーダに入る前にぐっとテンポを落として、...はたしてコーダのテンポは?(クレンペラーのテンポを採ってくれるか? まさかそれは無いだろう。でも一転して馬鹿騒ぎというのも無さそうだ。)

うん!やはり楽譜の指示(Allegro maestoso assai)の“maestoso”を損なわないギリギリのテンポだ。終楽章主部のテンポを抑え気味にしておいたことでコーダをこのテンポにすることができたのである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm



▲△▽▼

Symphony No. 3 in A minor Op. 56, 'Scottish'









Orchestra: London Classical Players
Conductor: Roger Norrington

ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ

EMI。1989年録音。「イタリア」とカップリング。
国内盤が出ていないが、大変素晴らしい演奏だ。
古楽器の鄙びた音色がバグパイプ的でよい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm
5. 中川隆[-13934] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:07:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-607] 報告
カラヤン

Mendelssohn Symphony n. 3 / Karajan, BPO (24bit/96khz 2016)








Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan
Originally released by Deutsche Grammophon in 1971.


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
DG。第3番&第4番&「フィンガルの洞窟」でOIBP化。1971年録音。
カラヤン唯一のメンデルスゾーンの交響曲全集から。どれも聞かせ上手な名演だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm
6. 中川隆[-13933] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:23:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-606] 報告

ブリュッヘン

Mendelssohn Symphony no. 3 ("Scottish"), op. 56. Brüggen, Orchestra of the 18th Century


Orchestra Of The 18th Century
Frans Brüggen

_____

Mendelssohn Symphonies 3 & 4 / Bruggen










Conductor: Frans Bruggen
Orchestra: Orchestra of the 18th Century
Released on: 2013-06-25


フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
GLOSSA。2012年11月録音。
19:16, 4:57, 10:12, 11:18。

09年録音の「イタリア」とのカップリング。
さらに何故かバッハの教会カンタータ第107番のコラールのオーケストラ版が入っている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

▲△▽▼

♪メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 「スコットランド」 Op. 56 / フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ 1994年11月


Frans Bruggen & Orchestra of the 18th Century 1994



フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
PHILIPS。1994年録音。
16:27, 4:21, 9:21, 9:46。

古楽器の限界だ、などという人もいるようだが、そんなことは決してない!
コクのある名演である。第3〜5番+「フィンガルの洞窟」で2枚組。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm
7. 中川隆[-13932] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:31:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-605] 報告

クラシック音楽 一口感想メモ
フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809 - 1847
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/メンデルスゾーン


端正でバランスの取れており、典型的なロマン派の情緒を持ち、美的感覚の鋭さを見せる優れた作品を多く書いている。しかしながら、作品の持つ世界がコンパクトで品が良すぎる点でやや地味な印象がある。非常に早熟な作曲家の一人である。


交響曲

交響曲第1番 ハ短調 Op.11 MWV.N 13 (1824年)
3.5点

わずか15歳の作品というのが驚きである。精神的な成熟による深みは全然ないのだが、音を楽しく心地よく巨匠的に鳴らすセンスに関するメンデルスゾーンの早熟に驚かされる曲の一つである。歯切れの良い音の使い方で耳を楽しませてくれる。弦楽のための交響曲からの正常進化であり、八重奏曲の高みに至る進歩の過程において、完成に近付いてきている。

交響曲第2番 変ロ長調「賛歌」 Op.52 MWV.N 15(1840年)
3.8点

3楽章のシンフォニアとカンタータの合わさった大作。前半は成熟感が高くて出来がよく、ブラームスの交響曲を連想するほど。ただし分かりやすいメロディーはない。隠れた名曲と言える。後半も非常に充実した立派な作品なのは確かだ。高揚感があって感動的なのだが、かなり長く、ずっと合唱が続く。交響曲として聴くには敷居が高いと思う。

交響曲第3番 イ短調「スコットランド」 Op.56、MWV.N 16(1842年)
4.5点

ずっしりとした重厚な手応えと響きや内容の充実は、イタリア交響曲よりもずっと上。どの楽章も聴きごたえがある本格的な曲。しかし、だからこそメンデルスゾーンの音楽の線の細さによる限界も露わになっている。

交響曲第4番 イ長調「イタリア」 Op.90、MWV.N 17(1833年)
5.0点

1楽章は明るい陽光を浴びるような明快さで楽しくてメロディーは完璧であり、ロマン派屈指の名曲の一つと言えるだろう。その後の2楽章も3楽章も異国らしい情緒があり雰囲気が良くてメロディーも良く、楽章の構成が効果的で楽しい。4楽章がやや軽いのが弱点。親しみやすい交響曲。

交響曲第5番 ニ短調「宗教改革」 Op.107、MWV.N 18(1830年)
3.0点

青年期の特徴をまだ少し残しながらも大人の音楽に成長する過程の曲と思う。メンデルスゾーン本人がこの曲の何を気に入らなかった不明だが、たしかに序奏の壮大を初めとして多くを詰め込んでいながらも、本人のやりたい事がやりきれていない感じがする。重心が定まっていない。実力があるだけに立派には仕上げているが、あとから曲が思い出せない。インパクト不足である。

協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 ト短調 Op.25、MWV.O 7(1831年)
2.5点

やや性急に感じられるほどのテキパキとした音楽、かっちりした構築感、これらの若いメンデルスゾーンの特質が全くピアノ協奏曲に合っていない。このために、一部の場面を除いてあまり面白くない曲になっている。ピアノ書法は頑張っていて音数は多いのだが、いまいち心に響かない。ピアノ協奏曲は耽美性や自由さが大事ということに気付かされる作品。

ピアノ協奏曲第2番 ニ短調 Op.40、MWV.O 11(1837年)
2.5点

1番よりはいいが、やっぱりメンデルスゾーンにしてはいい曲ではないと思う。ロマン派大作曲家のピアノ協奏曲の中では駄作の部類だと思う。

ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64、MWV.O 14(1844年)
5.5点

1楽章は冒頭の魅力から始まり、メロディーやつなぎの部分といい構成と展開といい完璧な完成度。メンデルスゾーンの音楽の線の細さがプラスに働いている。ヴァイオリンの奏でる歌は微かなメランコリーを常に持ちつつも繊細で美しくて魅力的。2楽章の憧れや儚さや人恋しさを歌い続けるヴァイオリンのメロディーの魅力も凄い。3楽章の妖精が踊るような楽しくて愛らしい音楽も非常に完成度が高くて魅力的。全体にほぼ全ての部分が完璧に近い完成度である。

序曲

『夏の夜の夢』序曲 “Ein Sommernachtstraum”Op.21(1826年)
3.8点

とても17歳の作品とは思えない完成度。各主題の良さとそれらの対比の素晴らしさ。妖精や幻獣の創意に満ちた描写の巧さは見事であり、想像を膨らませながら音楽の世界に入り込むことにより、絵巻物のような物語の世界を楽しめる。


トランペット序曲 Op.101(1826年、改訂1833年)
3.3点

なかなか快活で愉しい曲。ただ、それ以上ではないかなという気もする。とはいえ、9分間ずっとひたすら快活で華やかで飽きずに楽しめる曲は案外少ない気がする。シンプルな中に高い作曲技術が込められてはいるのだろう。


序曲「静かな海と楽しい航海」 “Meeresstille und glückliche Fahrt”Op.27(1828年、改訂1832年)
2.8点

大作の序曲であり、序奏の長さを初めとして立派ではあるのだが、分かりやすい華がない。じわじわとした良さしかないため、印象に残らずに終わる。

序曲「フィンガルの洞窟(ヘブリディーズ諸島)」 “Die Fingals-höhle”Op.26(1830年、改訂1832年)
3.3点

ワーグナー的な濃密で現実感のある自然描写が特徴の曲。ブルックナー的なオケのパワーを生かしたダイナミックさもある。ロマン派らしいとても優れた管弦楽曲と頭では分かるが、メロディーが明確さを欠いた曖昧な雰囲気の曲でもあり、自分は個人的にはあまり心を動かされないのが率直な感想である。生のオーケストラで聴いてみたい。

序曲「美しいメルジーネの物語」 “Das Märchen von der schönen Melusine”Op.32(1833年、改訂1835年)
3.0点

並みの作曲家には書けないメンデルスゾーンの作曲技術が駆使されたダイナミックな良作で十分に楽しめる。しかし、他の序曲と比較すると全体を通してインスピレーションがやや弱いため、強くは推せない曲である。

序曲「リュイ・ブラース」 “Ruy Blas”Op.95(1839年)
2.8点

この曲はあまり面白い曲ではなく、一般的な作曲家に近いレベルと思う。主題が地味であまり工夫を感じないし、それを繰り返す中での味付けや他のテーマとの対比もイマイチである。舞台的な明朗な快活さだけが印象に残った。

吹奏楽のための序曲 作品24
3.5点

前半はモーツァルトの傑作緩徐楽章に匹敵するほど、美しいメロディーの叙情的で切ない気分になる名曲で、しんみりする。後半はいつものサバサバした音楽だが、賑やかな感じが愉しい。メンデルスゾーンが吹奏楽を書くとこうなるのか、と興味をそそるが、成功度合いとしては、なかなか良いと思った。

ピアノ曲

ピアノ・ソナタ 第1番 ホ長調 Op.6(1826年)

ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.105(1821年)

ピアノ・ソナタ 第3番 変ロ長調 Op.106(1827年)

3.3点

1、2楽章は性急な感じがピアノソナタに合っておらず、お仕着せな印象もあり、聴いていて面白くない。3楽章の柔らかくては穏やかな書法の産み出す夢幻的な音楽がかなり美しくて、なかなか感動しながら聴き入った。そのままの流れでジワジワと無言歌を大規模にしたかのように、柔らかさを保って盛り上げていく4楽章もなかなか良い。しかし、2楽章の主題がリプライズされてガッカリするのだが。後半2つの楽章が優れている曲。


厳格な変奏曲 ニ短調 Op.54(1841年)
4.0点

繊細で美しい主題。ロマンチックで美しく、華やかでありながら繊細な変奏の数々。ピアノの書法は見事。変奏曲の醍醐味を味わえる巨匠的な作品である。メンデルスゾーンのピアノ曲の中で一番素晴らしい。

幻想曲 嬰ヘ短調「スコットランド風ソナタ」Op.28(1833年)
3.8点

ロマンチックであるが、古典的な平衡感覚も十分に持っている。しかし、決して小さくまとまった行儀の良さだけではないとともに、繊細な歌心と美的な鋭敏な感覚を充分に発揮した曲である。ベートーヴェンとシューマンの間位に位置するような曲。一種のソナタとも言われるが、やはり雰囲気は幻想的。15分というなかなかの大曲。


ロンド・カプリチオーソ ホ長調 Op.14(1824年)
4.0点

ショパンのように華やかでメロディーが秀逸で耳に残る。上品で軽やかで聴いていて楽しい気分になれる名作。メロディーの対比は秀逸である。メンデルスゾーンのピアノ曲で一番よく演奏される曲であるのも当然の名作。

6つの子供の小品 Op.72(1847年刊)
3.5点

子供のための易しい小品集だが、決して子供だましのような幼い音楽ではなく、大人らしい精神の品位とリリシズムのある良い音楽である。従って、大人のとっても聞き応えがある作品となっている。

アルバムの綴り「無言歌」 ホ短調 Op.117(1837年)
3.5点

ホ短調であり、スマートで物憂さと情熱をはらんだ分かりやすいメロディーという点でヴァイオリン協奏曲に通ずるところがある。雰囲気は良いがすこし通俗的である。それより中間部分の長調のメロディーが、夢のような繊細さと柔らかさを持っていて素晴らしい。

ヴェネツィアの舟歌 イ長調(1837年)
3.5点

まさにタイトル通りの曲だが、ゆらゆらと揺られるような雰囲気、黄昏時の光のあたり方のような描写と詩情は素晴らしく、描写的な性格小品の傑作だと思う。描写力や詩情の素晴らしさはドビュッシーの小品を彷彿とさせる。

2つの小品
2.8点

対照的な2曲の小品。悪くはないがあまり優れた所もない。その意味で地味な作品。1曲目は歌があるし2曲目は高速で派手ではあるが。


無言歌集

第1巻 作品19 出版年代:1832年
3.5点

全6曲。1曲目から美しさにいきなり心を奪われる。それ以外の曲も捨て曲なしであり、全て個性的で素晴らしい。メロディーや雰囲気は素朴で音数は多くないが単純過ぎることはなく、シューベルトにも匹敵するような歌心を内包した音楽となっている。

第2巻 作品30 出版年代:1835年
3.3点

1集と比較すると薄味で、さらっと流して聴いてしまうような曲が多いと感じる。ただし最後の6曲目の憂鬱な重たさのあるメロディーはかなり印象的。

第3巻 作品38 出版年代:1837年
2.8点

悪い曲ではないが、ちょっと地味でパッとしない曲ばかりという印象。これはという名作がない。メンデルスゾーンの才能があればいつでも書けそうな浅い曲ばかり。

第4巻 作品53 出版年代:1841年
3.3点

成熟した骨太さと神経の繊細さを併せ持った曲が並んでいる。個々の曲が特に優れているというわけでないが、それぞれに美しさがあり、通して聞くとそれなりに魅力がある。

第5巻 作品62 出版年代:1844年
3.3点 ただし「春の歌」は4.0点

春の歌は一番有名なだけあって、他の曲と比較して断然魅力的。うららかな春の陽気と、そよ風の心地よさの楽しい気分が絶妙に表現されている。その他の曲は、4集よりやや精神的に落ち着いて成熟感が増した代わりに、美しさの魅力が少し減った印象。

第6巻 作品67 出版年代:1845年
3.3点

それまでの曲集と音楽的に大きく変わらないのだが、雰囲気が違う。この曲集はシューベルトを強く連想した。シンプルな中に、憂いと生への羨望の入った、静謐な世界。晩年らしい曲集となっている。

第7巻 作品85 出版年代:1851年
3.3点

没後4年目に、遺作として出版。4曲目がかなり美しい。歌曲以上の歌心を要求する曲。全体に様々な時代の曲が集められた曲集であり、統一感はあまりない。軽やかな曲も多くあり、それらがやけに心を癒される。

第8巻 作品102
2.5点

第7巻までの曲集と比較して、似ているようでも何かが足りないような曲ばかりが集まっている。特に印象に残った曲もない。やはり、死後に時間が経過した後にボツになった曲を集めた曲集というのが納得のレベルになってしまっている。

弦楽のための交響曲

弦楽のための交響曲 第1番 ハ長調(1821年)MWV.N 1
2.8点

12歳の習作にしては大人びている。少なくとも3、4歳位は上に感じる。音階が単純などまだまだ技術は足りないものの、快活さと音の豊さと耳を惹きつける魅力を既に持っていて驚く。


弦楽のための交響曲 第2番 ニ長調(1821年)MWV.N 2
3.3点

1楽章は快速な音で伴奏を埋めていて楽しい。2楽章はモーツァルトの五重奏40番2楽章のような柔らかさや哀愁が素晴らしい。3楽章はやや平凡。

弦楽のための交響曲 第3番 ホ短調(1821年)MWV.N 3
2.5点

1楽章は初めての短調曲だが全然面白くない。2楽章はモーツァルトのロマンチックなエッセンスを活用した感じで割とよい。3楽章は短調で対位法的に書かれているが、習作レベルという印象が強い。

弦楽のための交響曲 第4番 ハ短調(1821年)MWV.N 4
3.0点

1楽章は対位法的に書かれた短調のソナタであり、かなり成功しているように思える。提示部も展開部も対位法的とは面白い。2楽章も柔らかくて悪くない。3楽章は相変わらず弱点だが成長しているように思える。

弦楽のための交響曲 第5番 変ロ長調(1821年)MWV.N 5
3.0点

1楽章は小刻みの音が使われている快活な曲。2楽章はモーツァルト的な優美さ。3楽章も快活な曲。全体に精神的に一歩成熟した感がある。


弦楽のための交響曲 第6番 変ホ長調(1821年)MWV.N 6
3.3点

1楽章は快活だという程度の感想。2楽章は初めてメヌエットになり、それがセンスが良い曲であるとともに、変奏されていく複雑な構成。弱点だった3楽章のセンスが良くなり、しかも複雑な構成で楽しめる。

弦楽のための交響曲 第7番 ニ短調(1822年)MWV.N 7
2.5点

1楽章は切れ味が鋭いがザクザクしすぎ。2楽章は所々期待させつつ、盛り上がりに欠けて終わる。3楽章もいいのは瞬間的。4楽章は交響曲らしい力感のあるフィナーレになった。全体に約20分とこれまでより大作になったが、それに見合う楽しさがないと思う。


弦楽のための交響曲 第8番 ニ長調(1822年)(同年に管弦楽用に編曲)MWV.N 8
3.0点

交響的な響きの充実感がここまでの曲と違う。そのため精神的により成熟した印象を持つ。2楽章のチェロの活躍ぶりも良い効果を出している。最終楽章のモーツァルトのように活力あるたたみかけるような楽想溢れる曲も良い。

弦楽のための交響曲 第9番 ハ長調「スイス」(1823年)MWV.N 9
3.3点

25分。巨匠的な音楽的充実感と品位の高さがあり、管弦楽曲的な響きの豊さがある。冒頭の悲劇的な開幕に驚くが、本編は明るい。驚くべきメンデルスゾーンの成長が見られており、既にドイツロマン派の巨匠の域に達している。

弦楽のための交響曲 第10番 ロ短調(1823年)(一楽章のみ) MWV.N 10
3.0点

単一楽章。端正で均整の取れた美しさと、年齢の割に大人びた音楽と実力には関心するが、雰囲気的に中庸すぎてあっさりしており、これはというような目を引くものに欠ける。短いので盛り上がらずにあっさり終わる。

弦楽のための交響曲 第11番 ヘ長調/ヘ短調(1823年)MWV.N 11
3.0点

40分近いという弦楽のための交響曲の中でダントツの大作。長さを十分に生かしきっているとは思えないが、長いなりの音楽的内容になっており十分に頑張っている。目を引くような楽章は特にない。

弦楽のための交響曲 第12番 ト短調(1823年)MWV.N 12
3.5点

冒頭はまたしても短調の重厚で悲劇的な開始。2楽章は珍しくロマンチックの極みのような感動系の音楽で驚く。3楽章は短調で豊富な楽想を込めて対位法も活用したものすごい力作で圧倒される。この完成した最後の弦楽のための交響曲は、総決算であるとともに別次元の高みを目指してチャレンジした事は明白であり、試みとしては十分に成功していると言えるだろう。


弦楽のための交響曲 第13番 ハ短調(1823年) MWV.N 14
3.0点

重厚で悲劇的な前奏と対位法的曲な主部の1楽章のみ。自筆譜には番号無し。後のメンデルスゾーンの音楽を考えると、この後半数曲の音楽性はこの時期だけのマイブームだったのだと思う。出来は悪くないが、この一楽章だけでは総合性が無いので、未完成のまま放棄された曲として聴く事になる。

室内楽

メンデルスゾーンは室内楽マスターの一人だ。軽快な作風で音の重さに頼っていないし音感が良く、複数声部を絶妙に絡めることに長けているから室内楽に合っているのだろう。数が多いがどれも質が高く、名作揃いで楽しめる。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1820年)
2.8点

いかにも子供が書いた作品という音の使い方であり、巨匠的ではない。それにも関わらず、思いのほか印象が良い。爽やかだし、様々な工夫をこらして頑張っているのが伝わってきて微笑ましい。センスの良さには驚く。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調 Op.4(1825年)
3.5点

若書きだが、メンデルスゾーンとヴァイオリン曲の相性の良さを強く感じる佳曲。冒頭から独奏のモノローグが悲しく響くのが独創的。1楽章の線の細さが産み出すもの悲しさは魅力的で、後のヴァイオリン協奏曲の萌芽を感じる。2楽章は端正なつくりのなかに感動的なロマンチックさを存分に発揮させていて、非常に魅力的で驚いた。3楽章はやや凡庸な曲ではあるが、やはりメンデルスゾーンらしい端正さともの悲しさの同居にそれなりの魅力を感じる。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1838年)
3.0点

若書きの作品と比べて、規模の大きさ、ピアノとヴァイオリンの有機的で混然となった関係など、ロマン派の進化に沿った充実した作品となっている。にも関わらず、心への響きも曲の魅力も不足しており、立派だが平凡で面白くない作品と感じる。メロディーの魅力があまりない。

ヴィオラ・ソナタ ハ短調 (1823年)

チェロとピアノのための協奏的変奏曲 ニ長調 Op.17(1829年)
3.3点

ベートーヴェンを強く連想する、品の良さと広大さのある正統派の変奏曲。かなり雰囲気はよい。ただ、かっちりとしており、ロマン派にしてはやや手堅すぎて物足りない感はある。

チェロ・ソナタ 第1番 変ロ長調 Op.45(1838年)
2.5点

チェロらしい良さがあまり感じられない。お勧めポイントがあまりない曲。自分で演奏したら充実しているのかもしれないとは感じたが、鑑賞用としてはいまいち。

チェロ・ソナタ 第2番 ニ長調 Op.58(1843年)
3.0点

発想の豊さ、楽想の自然さなど、4つの楽章に作曲者の充実が現れている。1番はいかにも作り物という印象であり、こちらの2番の方がずっと音楽的に良いとは思う。だが、鑑賞していて感動するほどの場面はなかった。

チェロとピアノのための無言歌 ニ長調 Op.109
2.8点

凡庸な曲かなと思う。しかし一方で、チェロをたっぷりと歌わせているため、音数たくさんで作り込んだソナタより安心して聴ける楽しさがある。

クラリネット、バセットホルンとピアノのための演奏会用小品第1番ヘ短調 Op.113
3.5点

3つの楽章に分かれたコンパクトな作品。月光ソナタのような三連符に乗せたロマンティックな甘さが素敵な2楽章が印象的。1楽章は正統派の悲劇的な短調のゴツい曲調のなかにクラリネットとバセットホルンの歌心のある音色の魅力を活かせていて十分に魅力的。3楽章の高揚感のなかにクラリネットとバセットホルンらしい陰もしのばせていて表情豊かなのも楽しい。

クラリネット、バセットホルンとピアノのための演奏会用小品第2番ニ短調 Op.114
3.5点

1楽章は充実感が素晴らしい。2楽章の管楽器の2重奏でモーツァルトにかなり似た雰囲気の歌謡的な旋律をロマン派の情緒も取り入れて存分に歌うのが、かなり魅力的。3楽章のポロネーズ風を取り入れた曲も新鮮で楽しい。もっと高揚感があるとさらに好みだったが。全般にとても愉しめる曲。


ピアノ三重奏曲 ハ短調 (1820年)(ピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラ)

ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.49(1839年)
3.8点

ベートーヴェンばりの本格派で精神的な厳しさのある曲。メンデルスゾーンの普段の柔らかい音楽とは違う顔を見せている。ピアノが名人芸的な難易度の高さであるのが非常に高い効果を上げている。音数が盛り上げる曲想の鋭さと複雑さと密度感は聞き応えを増しているし、単純に華やかでもある。全体に説得的で情熱的で大きな感情の揺れがあり素晴らしい。ベートーヴェンが30年生まれるのが遅かったらこんな曲を書いたかもと思わせる。楽章の出来もレベルが揃っているが4楽章がやや落ちるか。

ピアノ三重奏曲 第2番 ハ短調 Op.66(1845年頃)
3.8点

巨匠的な成熟感と音楽的内容における密度の高さが素晴らしい。三重奏曲における音の少なさがメンデルスゾーンの音楽に合っている。音の厚みに頼らず、端正で無駄がない。短調らしい情熱と、颯爽ときたさわやかさと力感や高揚感、可憐さを伴った美しさが共存している。全ての楽章が力感にあふれて素晴らしい。ピアニスティックで音数が多いのも楽しい。ロマン派屈指のピアノ三重奏曲。ただし、メロディーがあまり印象に残らない。1番ほどの厳しい緊密さがない代わりに、束縛のない自由な広大さがある。柔らかさと充実感が同居している。1楽章がやや地味で、2楽章以降が素晴らしい。

ピアノ四重奏曲 ニ短調 (1822年)

ピアノ四重奏曲 第1番 ハ短調 Op.1(1822年)
3.3点

若書きだが音は充実していて驚く。まだおおらかな典型的で古典的な音型のレベルから脱してはいないが、決してつまらない音楽ではないし、陳腐だとは全然感じない。知らないで聴いたらとても13歳の書いた音楽には聴こえない。弦は弱いがピアノパートがかなりよく出来ており、純粋に音楽としてなかなか楽しめる。室内楽らしいピアノパート語法をマスターしている。

ピアノ四重奏曲 第2番 ヘ短調 Op.2(1823年)
3.5点

1番よりさらに充実した作品。少なくともピアノパートは既に例えばシューベルトのピアノ五重奏曲くらいの充実感を実現しているように聴こえる。弦も、凄みを感じるほどではないが、十分によく書けているように聴こえる。大作曲家の作品として相応しい出来であり、習作感がなく、若書きと意識する必要がないくらいである。巨匠的な品格があり、屈性のない素直な初期のロマン派音楽を堪能できる。

ピアノ四重奏曲 第3番 ロ短調 Op.3(1825年)
3.3点

2番から2年後の作品だが、自分はあまり成長を感じない。むしろやや陳腐に聴こえる場面が増えていて、2番より面白くないと思った。最終楽章のゴツさやスケール感はなかなか楽しめるが。室内楽としての基本的な出来の良さはかなりのもので、とても16歳の作品とは思えないのだが。

ピアノ六重奏曲 ニ長調 Op.110(1824年)(ヴァイオリン1、ヴィオラ2、チェロ1、コントラバス1、ピアノ1)
3.0点

ピアノばかり活躍しすぎで、弦が薄いし活躍しない。4人もいる弦奏者が可哀想になる。くつろいで聴く曲なので、特に活躍は必要ではなのかもしれないが。たまに見せるピアノのテクニック以外は聞き応えもあまりない、まったりした曲である。悪くはないが、それなりの曲。

弦楽四重奏曲 変ホ長調 (1823年)
2.5点

これは明らかに習作レベルである。ときどき音の絡ませ方に14歳とは思えないセンスを見せる箇所はあるが、大半はごくシンプルな子供レベルの簡潔な書法ばかりである。聞いていて楽しめるレベルにない。同時期でもここまでシンプルでない曲もあるから、この曲は練習に書いたのではと思う。ただ、4楽章のフーガはなかなか楽しめて天才少年ぶりに驚かされる。

弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.12(1829年)
3.5点

かなり完成度は高いと感じた。全体に渋いと言ってよいと思うが、柔らかい中に多くを詰め込んでおり、室内楽としての書法はレベルが高いように思う。少し地味さがあるものの、演奏のせいかピアノ三重奏曲のような緊張感はなくマッタリしているものの、自分としては完成度を楽しむ意味ではなかなか感動できた。20歳とは思えないほど精神的にも音楽的にも成熟感がある。

弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 Op.13(1827年)
3.5点

面白い曲。暗くてモヤモヤしたつかみどころのなさと自由闊達な動きに最初は驚いた。これが18歳の曲か?と思った。それが後期ベートーヴェンの作品に大きな影響を受けたのだと知って納得した。後期から、ロマン的で、耳が聞こえることによる音感の向上を施すと、このような曲になるかもしれない。曲そのものの絶対的な良さより、とにかく面白さが気に入った。

弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 Op.44-1(1838年)
3.8点

2番までとは全く違う、爽快で気持ちいい曲である。こちらが通常のメンデルスゾーンのイメージである。すっきりして正統派の書法や語法を使った音楽で、聴きやすいが決して表面的なだけでない内容の充実がある。楽しめて、音の愉しみに酔える音楽であり、素晴らしい。ロマン派の弦楽四重奏曲としての出来栄えはかなりのものである。メロディーが魅力的。

弦楽四重奏曲 第4番 ホ短調 Op.44-2(1837年)
3.5点

3楽章が非常に美しくて感動した。1楽章は規模が大きくて聴きごたえがあるが、苦労と努力で書かれているように聴こえてイマイチかと思ったが、後半が素晴らしい。4楽章も躍動感を見事に体現しており、しかもヴァイオリン協奏曲に通じるような繊細な陰影を見せており、音の織物が風になびくかのごとく自然に揺れて、感動させられる。

弦楽四重奏曲 第5番 変ホ長調 Op.44-3(1838年)
3.5点

作品44の他の2曲に比べると前半部分の感動はかなり落ちる。前半は余った材料で書いたのでは、と失礼なことを考えてしまう。一段階地味に聴こえる。しかし3楽章のアダージョは大変美しい。ベートーヴェンの渾身の名作アダージョにも匹敵するほどの素晴らしい。人生の重みと深みを表現し、多くの悲哀とその中にある生きる喜びを感じさせる曲といえよう。この楽章があるから曲全体を高く評価する。4楽章は料理の仕方は悪くないが材料がイマイチ。

弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 Op.80(1847年)
3.5点

悲劇的で重たい沈んだ気分で書かれている。姉が亡くなった影響というのは明らかだと思われる。もちろん大作曲家らしく楽曲としての必要なバランスは考えられているが、鎮魂の気分と自身の喪失感はかなりの時間を占めている。若い頃の明快さと元気さは消えてしまってパワーが無くなっており、悲しい独奏や不協和音が挟まったりして、痛ましい気分になる。3つの楽章が短調であり、唯一の長調の楽章も暗い場面が多い。とはいえ内容は強靭な発想力に満ちており、充実した密度の高い音楽である。ハマる人は非常に気にいるかもしれない。また、人によってはあるタイミングでこの曲が心に強く響く体験をするかもしれない。

弦楽四重奏のための4つの小品 Op.81
2.8点

悪くはない小品集だが、これといって強い特徴もない。やはり弦楽四重奏の深く広大な世界と比較すると、いかにも重みに欠ける小品集といった感じであり、あっさりと終わる曲が集まっているように感じられる。

弦楽五重奏曲第1番 イ長調 Op.18(1826年)
3.3点

切れ味と整理の良さはあるものの、それだけの単純明快でない複雑な充実感に踏み出している。普通の五重奏曲と比べて、なぜか声部が多いように聴こえて、弦楽四重奏と差が大きいように感じる。そういう充実感はなかなか良い。メロディーや楽想に強い魅力は感じないが、佳作としての価値があると思う。

弦楽五重奏曲第2番 変ロ長調 Op.87(1845年)
3.3点

いまいち焦点が定まっていない感じがする曲。そのせいか気力が衰えたようであり、力強さとか展開の推進における生命感のようなものが、本来のメンデルスゾーンのそれと比較すると少し弱く感じる。ピアノ三重奏曲2番もその兆候はあるもののまだ大丈夫だったが、その後に書かれたこの曲でより強く現れたと解釈している。とはいえ、3楽章は非常にロマンチックで美しい、オーケストラ曲のようなスケール感があってよい。音は分厚い響きであり、弦楽四重奏より声部が多い恩恵を活かせていると思うが、1番ほどではないと思う。

弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20(1825年)
3.5点

初期の歯切れの良さと爽やかさに中にみせる古典的かつ巨匠的な音感センスの音楽の総決算と思われる曲。弦楽四重奏二つは音は多すぎて全ては聴き取れない。これ以降は徐々に大人の複雑さを表現しはじめる。初期の純粋さと才能のきらめきの魅力における一つの創作活動の頂点である。勢いに乗りながら推進していきながらも歌心あふれるのがよい。楽想の豊かさや密度の濃さや構成力による完成度は16歳とは思えないが、メロディーの魅力はそこそこだと思う。

声楽曲・宗教音楽

オラトリオ

聖パウロ Op.36(1836年)

エリヤ Op.70(1846年)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/メンデルスゾーン

8. 中川隆[-12990] koaQ7Jey 2020年3月06日 11:50:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[544] 報告

メンデルスゾーン論

天才的な神童としては歴代最高というのは自分も同感である。

モーツァルトも凄いのだが、10代前半にして既に一流作曲家といえる完成度に達していたのは、メンデルスゾーンだけである。


ロマン派の一理由作曲家としてはやや地味で軽く見られている感がある。

しかし、よく聞くとロマン派の作曲家の中でも正統派感は実は一番かもしれない。

少なくとも室内楽においてはブラームスよりも正統的と感じる。

音の絡ませ方、音感とセンスの良さと構成の品の良さやバランスの良さが、実に良い。

ブラームスは手癖をすぐに繰り出す。音の重厚さに逃げる。そういう欠点がない。

そして大半の分野で成功作を作った作曲家の一人でもある。


ただし、残念ながら交響曲が軽い内容であるのが痛い。ベートーヴェンのような渾身の交響曲を残さなかったのだから。

その辺りは、指揮者としての活動が中心だったためなのだろう。もったいないことだと思う。

協奏曲も、ヴァイオリン協奏曲の完成度はものすごいが、どっしりとした大作というよりも端正ながらも線の細い感じである。

彼の細身の体型を思い出してしまうような音楽である。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E8%AB%96

9. 2022年1月22日 19:43:47 : 12fdnGwI6A : OEZKVE5BWkpqR0E=[6] 報告
古典の磁場の中で:その1 5曲のメンデルスゾーン
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961526877?org_id=1961576346

 これから主にメンデルスゾーンやブラームスのことを書いていきたいと思うのですが、なにしろここ数年の忙しさに加えてこの暑さなので頭が思うように働かず、細切れにしか書けそうにありません。つぶやき同然の内容の薄さになりそうですが、なにとぞご容赦いただけましたら幸いです。

 メンデルスゾーンの交響曲は少年時代にまとめ書きされた弦楽のための交響曲のあとに5曲書かれていますが、うち1番を除く4曲には標題がつけられています。番号順に記すと2番「賛歌」3番「スコットランド」4番「イタリア」5番「宗教改革」で、うち「スコットランド」と「イタリア」がメンデルスゾーンの交響曲における代表作となっているのは、やはり国名というわかりやすい標題の力によるところも大きいのでしょう(そしてこの2曲を比べれば人気や演奏頻度の点で「イタリア」が抜きんでているのは確かだといえそうです)
 けれどこの2曲に限らず、メンデルスゾーンの曲は意外に演奏が難しいというか、なかなか満足のいく演奏に出会えないような気がします。その理由もまた「イタリア」の場合より明確に出ていると思うのですが、たとえば技術が高いとはいえないアマオケがそれでもがむしゃらに頑張ると、ベートーヴェンなら曲想との兼ね合いで様になる場合もあるわけですが、メンデルスゾーンではそうはいかない。ボロボロでも熱気があればなんとかなる音楽ではありませんし、傷がなくてももっさりしてたらやはり様にはなりません。第3楽章がスケルツォではなく流麗な古典舞踊調になっている点に端的に表れているとおり、余裕をもって洗練美を表せなければどうにもならないところがあります。特に古典的な形式に則った1番と4番「イタリア」および5番「宗教改革」にそれが強く出ています。
 その点で微妙なのが2番「賛歌」と3番「スコットランド」ですが、そのことを考えるにはこれら5曲の作曲順を整理しておく必要があります。当時の作曲家にしばしば見られたことですが、メンデルスゾーンのこれらの交響曲は作曲の順番ではなく楽譜が出版された順に番号が割り当てられていて、しかも「イタリア」と「宗教改革」の出版は没後。なんと現在最も人気のある「イタリア」を作曲者自身は出版していなかったのです。ともあれ作曲された順に並べ替えれば1番、5番「宗教改革」、4番「イタリア」、2番「賛歌」、最後が3番「スコットランド」という順になり、しかも「イタリア」は何度も改訂が加えられ、「スコットランド」は「賛歌」よりはるか以前に着手されたにもかかわらず長い中断を経て「賛歌」の2年後にようやく完成をみています。つまりメンデルスゾーンのこれら5曲は古典的な形式にきちんと則った1番、5番、4番の後に、楽章の数は4曲でも古典的とはいいがたい要素が含まれた3番が中断を挟みつつも書かれる間に最後に着想された2番が先に完成をみているのです。2番がベートーヴェンの9番から前半は器楽のみで後半に声楽が加わるとのアイデアだけ借りてはいても、それ以外は似たところなどまるでない曲になっていることを思えば、あるいはメンデルスゾーンはどこかの時点で古典様式からの脱却を目指しつつ、調和のとれた形でそれをなしとげようとしていたのではないかという気がするのです。「スコットランド」が全曲を切れ目なく続けるよう指示しつつなお着想当初の4楽章制を捨てずにいたことも、その表れだったのかもしれないと。彼流の古典交響曲のいわば完成形であり現に最大の人気曲である「イタリア」を出版せず、難産の末に「スコットランド」を自身最後の交響曲として送り出したメンデルスゾーンがなにを望んでいたのかは、早すぎた彼の死によって永遠の謎になっています。

「イタリア」の演奏が難しいのは要求される技術の高さゆえですが、「スコットランド」の曲想はそこまでの洗練を求めていません。その曲想がもっさりした演奏でも様になるのは「イタリア」ではさすがに評価されないクレンペラーが少なくとも我が国では半世紀たった今でも決定盤の地位を失わないことに表れていると思います。むしろ「スコットランド」の演奏の難しさは何者かになろうとして果たせなかったメンデルスゾーンの過渡的な姿が、残された曲に反映しているからではないかと思うのです。それが過渡的な形であるがゆえにそのまま再現してもなかなか説得力に繋がらない、そういう種類の難しさをこの曲に感じてしまうのです。
 僕にとってこの曲の初めてのレコードはクレンペラーと並んで有名だったマーク/ロンドン響によるデッカ盤でしたが、それを聴いた時点でこの曲の難しさめいたものを漠然とながら感じずにいられなかったものでした。その後クレンペラー/フィルハーモニア、コンヴィチュニー/ゲヴァントハウスなど評価の高かった60年代の名盤からギブソン/スコティッシュ・ナショナル、ドホナーニ/ウィーンフィルなど70年代の新録音まで聴いてみたのですが、どれもあちらを立てればこちらが立たずという趣で、しかもすれすれで的を外しているようなもどかしさが拭えないというのが実感でした。そんなときに巡り会ったのがSP時代の、それも電気吹き込みが始まったばかりの1929年収録という、今では90年前の録音にならんとしているワインガルトナー/旧ロイヤルフィル盤だったのです。

コメント


mixiユーザー2017年07月15日 09:19
残月◯゜様おはようございます。

もうかなりの間まとまった時間がとれずにいるため、本当はきちんと聴き比べたい音源も続けて聴けず日にちの開いた記憶頼りになるのが忸怩たる思いですが、印象論にすぎなくても一度は整理しておきたいと思い、書き始めることにいたしました。今後ともよろしくお願いいたします。

mixiユーザー2017年07月17日 19:24
メンデルスゾーンについては、ベートーヴェンからシューベルトを経たドイツの交響曲の系譜をシューマンと共に支えた作曲家、という印象を持っています。
メンデルスゾーンが初演を振ったというシューベルトの大ハ長調、やっぱり彼もシューマンと同様に興奮しながらスコアを読み込んだのでしょうか。

ブラームスについては、色々思うところあって(今書いている拙作にブラームスの一番が出てくることが大きな理由です)どのようなご意見を読ませていただけるか大変気になっております。
個人的には、ブラームスはワーグナーと正反対の方向を向きながらも実は同じ場所に背中合わせで立っていた作曲家ではないかと愚考する次第であります。
ワーグナーが楽劇の題材にゲルマン民族の伝説に行きついたことと、ブラームスが純音楽を突き詰めた結果バロックの技法に至ったことはどこか似ていると思うのです。……そういえば、ワーグナーのライトモティーフとブラームスの交響曲の一部の書法、どちらもバッハの対位法から学んだものが多かったような……?

mixiユーザー2017年07月17日 20:58
Astray様こんばんは。

なにしろ同じ時代に活躍した人同士の組み合わせですから、メンデルスゾーンとシューマンや、ワーグナーとブラームスの音楽史的な立ち位置が近いのは確かに当然のことであって、その上での両者の違いにこそ注目すべきとのご意見には大きく頷けるものがあります。御作『吹雪のころに』にもブラームスの1番と並んでワーグナーの「巡礼の合唱」が重要な役割を担っていましたが、それらと共にバッハの「パルティータ」もまた登場するあたり、今回のコメントにその3者が登場するのもむべなるかなと感じるところです。

まずメンデルスゾーンとシューマンについては、メンデルスゾーンの5曲からはメンデルスゾーンがどこかへ行こうとしていたこととその方向性が窺えるように思えるのに対し、シューマンの4曲からはそういう感じがあまりしないのが対照的なことと感じられます。最後の交響曲となった3番「ライン」がベルリオーズの「幻想交響曲」とマーラーの5楽章交響曲を橋渡しする、中間楽章が折り返し点になっているタイプの5楽章形式なのが目を引きますが、ではシューマンがそれをより深めようとしていたとまでいえるのかといえばそこまでは無理とも感じるのです。

ブラームスについてはワーグナーというより、メンデルスゾーンとチャイコフスキーがブラームスを挟んで対照的な位置にいるような気がします。SP時代にブラームスの全集をいち早く録音したのがストコフスキーとワインガルトナーでしたが、チャイコフスキーを得意としたストコフスキーとチャイコフスキーの録音を残さずわずか1曲とはいえメンデルスゾーンで水際立った演奏をものしたワインガルトナーとの違いが2人のブラームスには聴き取れるように思えるのです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961526877?org_id=1961576346

10. 2022年1月22日 19:45:06 : 12fdnGwI6A : OEZKVE5BWkpqR0E=[7] 報告
古典の磁場の中で:その2 2つの疑似ステレオ技術
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961576346?org_id=1961526877


 僕が買ったワインガルトナーによる復刻盤LPは78年のキャニオンレコードによるもので、アルティスコというレーベル名称による一種の疑似ステレオ盤でした。当時ベートーヴェンの8番と9番くらいしか現役盤がなかったワインガルトナーの、9曲のベートーヴェン全集がEMIと踵を接するように一気に発売されたのが77年でしたが、EMIがそれだけで終わったのに対してアルティスコは続いてブラームス全集を出し、その後登場したのがこのメンデルスゾーンだったのです。その他にSP初期の伝説的な指揮者フランツ・シャルクの録音をLP3枚に集成したのもシベリウスの同時代人ロベルト・カヤヌスが指揮したシベリウスの1番と2番を復刻してくれたのもこのレーベルでした。
 僕がアルティスコのワインガルトナーに手を出したのはアートフォン・トランスクリプションと銘打たれたアルティスコの復刻技術がどんなものかという興味と現役盤の点数が少なかったこの指揮者の全体像がこれで掴めるのではないかという思いが半々という感じでしたが、その下地になっていたのがGR盤と呼ばれる当時のEMIの復刻シリーズのあまりの音の悪さでした。ノイズ除去を意識するあまり高域をばっさりカットしていたGR盤の音は当時鼻をつまんで出す声にたとえられていたほど評判が悪く、僕もGR盤を聴くときはドルビーBをかけてカセットテープに録音した上で、再生時はドルビーをかけずに聴くという裏技で高音を足していたものです。EMIから出た全集のほうは懇意にしていたレコード店でGR盤より改善されているといわれたので店で試聴させてもらった上で買いましたが、そのEMIよりアルティスコ盤は序曲などが収録されている点でも勝っていたので、結局アルティスコ盤も買った上で聴き比べたのでした。そのとき気づいたのが盤面にはMONOと記されたEMI盤の解説書の最後に記された「このレコードは最新の技術によりステレオ化されています」という注意書きで、これが1本の針で2本の溝を盤面に刻みかつ再生するというステレオLPの仕組みでは、左右に厳密に同じ信号を記録再生することができないという問題に2つの会社がそれぞれの立場で取り組んでいることを僕に知らしめたのでした。同じ信号を同じに記録再生できないからこそ、左右の信号を変える必要がある。違っていても正確に記録再生できているわけではないが、変えておくことで同じでなければならない信号が不揃いに記録再生されてしまうことの弊害からは逃れられる。そのことに両社が気づいていたことが2つのワインガルトナーのベートーヴェン全集の盤面には文字通り刻まれているのです。
 EMIの方はモノラル信号に僅かに位相差を加えて音像を広げつつ、高域になるほどズレが出やすい針1本での録音再生機構の限界を逃れようとしたもので、聴感上の違和感を最小限に抑えることが優先されていましたが、アルティスコ盤は高音を左、低音を右に配することで高弦が左、低弦が右に定位するところまで加工されていたのです。そのためアルティスコにはヴァイオリンが左右に配置されていた当時の歴史的事実を歪曲するものと批判がなされ、そのせいかワインガルトナーのスコットランドを最後に新譜が出なくなってしまったのでした。
 その批判は確かに的を射たもので同じことを感じないわけではありませんでしたが、それでもなお両者を聴き比べれば総合的にアルティスコ盤が勝っていると僕には感じられたのでした。再生周波数により定位を定めてゆくという加工は当然ながら周波数バランスへの注意深さを要求するものであり、まだRIAA規格が存在せず各社がバラバラの録音再生カーブを用いていたSP音源の音を整える結果にもつながっていたからです。EMI盤が音色の面ではいささか明るすぎ古い電蓄タイプのスピーカーでないと金属的な印象に繋がりかねなかったのに対し、アルティスコ盤は当時の新しい機材で聴いても各楽器の音色がよりそれらしく鳴る点ではるかに上回っていたのです。これは当時英デッカがエクリプスレーベルとして発売していた廉価シリーズにおける疑似ステレオ盤にもいえることで、記録再生カーブがRIAAでなかった同社のモノラル音源があれほどリアリティのある音色で聴けたのも、疑似ステレオ化の作業に伴う周波数特性の調整があったからこそだと思うのです。
 ともあれアルティスコの復刻は楽器の定位こそ本来のものではないにせよ、ステレオLPという環境にモノラル音源を徹底的に最適化させることにかけてはデッカのエクリプスシリーズと並ぶ絶後の成果を成し遂げたものでした。それあればこそ、あのときワインガルトナーの「スコットランド」は半世紀の時を越えその真価を伝えてくれたのだと思うのです。

コメント

mixiユーザー2017年07月17日 20:40
興味深い内容です。そういえば、デッカエクリプスの、ベーム=VPOのシューベルト8番、5番の演奏も録音も好きで、あとで疑似ステと知ったのですが、処分しがたく未だに持ってます。やっぱ良盤なのかなー。

mixiユーザー2017年07月17日 21:25
こめへん様こんばんは。

デッカのエクリプスシリーズは当時帯と日本語解説書を輸入盤に付け足してなお500円台という破格の安さでしたから僕も随分買い込んだものでしたが、ステレオ音源はもちろんモノラル音源がとにかくすばらしい音で、ステレオカッターでカッティングされたモノLPとは次元の違う彩りの豊かさでした。ステレオ針でモノラル音源をカッティングし再生することの原理的な難しさに気づきつつあった僕にとって、エクリプスシリーズ中の擬似ステレオ盤は大きな啓示ともなった存在だったのです。

おそらくデッカのffrr録音は周波数特性を見直さない愚直な鮮度最優先の復刻では決して本来の色彩感の再現ができないことと思いますので、そのベームのシューベルトは手放さないことを強くお勧めいたします。

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11. 2022年1月22日 19:46:12 : 12fdnGwI6A : OEZKVE5BWkpqR0E=[8] 報告
古典の磁場の中で:その3 ワインガルトナーの示唆
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 LP復刻当時すでに録音から半世紀。今では90年前の音源になりつつあるワインガルトナーの「スコットランド」 にもかかわらずこの演奏を抜きにしてこの曲を、ひいてはメンデルスゾーンという作曲家を語ることは僕にはできそうにありません。彼の「スコットランド」は他の演奏とは考え方が根本的に異なるものでした。それほど僕にとっては啓示的なものでした。
 現在聞ける多くの演奏で「スコットランド」の第1楽章は序奏を持つ古典交響曲とみなされていて、序奏と主部の区分を明瞭につけようとする一方で主部のテンポを極力一定に保つことに力が注がれています。確かに外見上この第1楽章はそのような形式で書かれており、古典交響曲の約束事を当てはめればそういう演奏になるのは当然すぎるほど当然です。でもそうするとこの音楽がなにを語っているのかはとたんに見えなくなるのです。本来なら形式的な見通しがついて当然の措置がなされているにもかかわらず、とくに主部の数多くの楽想が口をつぐんでしまうのです。
 ワインガルトナーは序奏を速め、主部を遅めに演奏して落差を小さくする一方で、主部の楽想が変わるごとに固別のテンポを与えています。それはどんな小さな変化も見逃さないほど徹底したものでありながら、それが煩わしさにつながることは決してありません。彼の時代の大指揮者たちに共通する特徴との2つの違いがそれを阻んでいるからです。決して旋律を粘らせないことと、テンポの振れ幅が抑制されていることです。

 当時の大指揮者たちのほとんどは、自分が感じたものを100%、むしろ150%や200%まで表現せずにはいられない人々でした。たとえばメンゲルベルク、ストコフスキー、フルトヴェングラーなど、それぞれ本質も芸風も異なる人々ですが、その点だけは共通していたのです。だからこそ彼らの演奏はSPの音質を通じてさえ雄弁さを発揮し、それが彼らの実演に接することができぬ人々へも名声を広げることになったのでした。彼ら3人がベートーヴェンと同等かそれ以上にチャイコフスキーの録音で名声を博していたのは偶然ではありません(今では信じ難いことですが、戦前に発売されたフルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲は「運命」ただ1曲だけでした。もちろんそれは当時最も優れた「運命」とされたレコードでしたが、同時期に録音された「悲愴」もまたメンゲルベルクと決定盤の座を争う1枚だったのです)
 ワインガルトナーの流儀はそれら当時の大指揮者たちと正反対とさえいえる、感じたものを100%出し切るというより抑制を尊ぶものでした。どんなに小さな曲想の変化にも敏感に反応しているにもかかわらず、当時の同僚たちのようにそれを強調するのではなく控えめに表現することでさりげなく聴かせようとしているのです。そのことで彼の演奏は指揮者の意志力で曲を背後から駆り立てるというよりは変化に伴い受け身に変わってゆくようなものになっていて、柔構造めいた融通無碍な流動性を示しつつも均整美を見失うことがありません。多くの指揮者たちがこの曲を古典的な形式の枠組みの中に連れ戻し閉じ込めることで失われる風のような自在さを保ちつつ、この曲が痕跡のように残している古典的な形式感をも決して裏切らないのです。この「スコットランド」という曲の特質にこれほど寄り添い、その独自性をかくも見事に描き出した演奏には他に出会ったことがありません。この曲のあるいは最初の録音だったかもしれないワインガルトナーの古い古い録音が、にもかかわらず伝えてやまぬ名人の一筆書きのような草書の美。それは僕に風を連想させずにおかず、ひいてはかつて陰謀劇の舞台となった古城の前に佇むメンデルスゾーンが耳にしたかもしれぬ風の声、古の戦いの鬨の谺や悲愁の織りなす無常の響きの幻想にさえ誘う力を盤面に留めているのです。
 なぜこんな演奏が可能だったのか。これはもう頭で考えた結果というよりワインガルトナーその人の美意識や人間性がメンデルスゾーンのそれに近かったのだと考えるべきもののような気さえします。たとえばロンドン響時代のアバドがDGから出した全集録音は5曲の交響曲の変遷の行く先を考察していることが窺える点において極めて興味深いものですが、それゆえ考え抜いた末に決定された解釈という感触もつきまとい、およそ融通無碍からは遠い演奏なのも決して否定はできないのですから。

 そんなワインガルトナーが一人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集を最初に完成させたということは、当時における彼のベートーヴェン演奏が今からは想像し難いくらい高く評価されていた証であるだけでなく、往時のベートーヴェン像や美意識がその後のものとは異なるものだった可能性をも示唆しているような気もします。ストコフスキーはいうに及ばず、メンゲルベルクやフルトヴェングラーさえセッション録音だけではその生涯にベートーヴェンの9曲全部を遺せなかったことを思えば、当時ワインガルトナーの扱いは破格だったとしかいいようがありません。
 ワインガルトナーはベートーヴェンに対してもメンデルスゾーンと同じ姿勢で接していますが、結果としての演奏ではテンポの動きがより控えられ古典的な輪郭が前面に打ち出されている点に受け身の姿勢だからこそキャッチしているものもあるのだと感じさせるのがこの人ならではで、ベートーヴェン特有の粗野な迫力が均されているきらいはあるものの、それが当時の美意識だったとの確かな手応えも感じさせます。そして大戦中の1943年にスイスで亡くなったワインガルトナーの時代の美意識がしだいに消えゆくしかなかったことも。
 ステレオ初期のベートーヴェン全集には、ワインガルトナーの面影を感じさせるものがそれでもまだありました。弟子であったクリップス/ロンドン響をはじめクリュイタンス/ベルリンフィルやS=イッセルシュテット/ウィーンフィルなどどれも無理にスケールを広げすぎず、端正な造形と当たりの柔らかさを多かれ少なかれ感じさせるもので、それがワインガルトナー的美意識がいかに当時の音楽土壌に深く根を下ろしていたかの証だったとも思えます。けれどそれらはやがてよりスケールの大きさや堅固な骨格、ひいてはベートーヴェンならではの先鋭さを重視する演奏に置き換えられていったのです。70年代末に当時シドニー響の指揮者だったオッテルローの交通事故死で未完成に終わったベートーヴェン集がメモリアルとして後に出たとき、僕にはこういう美しいベートーヴェン演奏の時代が終わったことを示す墓碑銘にさえ見えたものでした。

 現在一般のクラシックファンはいうに及ばず、ヒストリカル録音の愛好家たちの間でさえワインガルトナーへの関心は高いとはいえません。SP録音時代の発売点数ではトップクラスの存在であったにもかかわらず、ウィーンフィルとの組み合わせの音源を除けばほとんどはめったにCD化されず、新星堂がまとめて復刻した大全集も再評価の動きには繋がりませんでした。往年の大演奏家たちの多くが出所の怪しいライブ録音や放送録音まで探索の対象となっている中、ワインガルトナーだけは全くそんな音源が出てこないというのはもはやただごととは思えませんが、それはやはり誇張を体質的に忌避する彼の音楽性が、整った美演よりも八方破れの爆演をむしろ尊ぶ愛好家たちの嗜好とそれだけずれているからだとも感じるのです。
 そしていま、マーラーがかつてなく聴かれるようになったこの日本において、聴き手のメンデルスゾーンへの関心は反比例的に低くなっているとも見えるのですが、僕にはそれがワインガルトナーへの関心の低さとどこかで繋がっているように思えてなりません。そしてストコフスキーやメンゲルベルクはもとよりナチスドイツに留まったせいで長らくマーラーを演奏できなかったフルトヴェングラーでさえ1曲だけとはいえマーラーの録音を遺している一方で、ワインガルトナーはマーラーのみならずチャイコフスキーの作品さえ録音していないのです。

 メンデルスゾーンが古典的なスタイルから脱却し始めたとき、彼が目指した道はチャイコフスキーやマーラーへと続くものではおそらくなかったのではないだろうか。ワインガルトナーによる「スコットランド」の古いSP録音は、そんなことまで示唆するもののように思えてなりません。作曲家でもあったワインガルトナーには7曲に及ぶ交響曲があり海外では全集録音が出ていると伝えられていますが、穏健な作風と評されているのがいかにもと思えると同時に、あるいはそれがメンデルスゾーンのたどり着けなかった道を示しているかもしれないとも考えたりしている次第です。

 そしてそんなワインガルトナーが4曲のブラームスを録音したほぼ同じ時期にストコフスキーも全集を完成したということは、ブラームスの音楽がメンデルスゾーンとは異なり分かたれた道のどちらからもアプローチ可能なものであることの証ではないかとも。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961613276?org_id=1961613015

12. 2022年1月22日 19:47:47 : 12fdnGwI6A : OEZKVE5BWkpqR0E=[9] 報告
古典の磁場の中で:その4 「スコットランド」のCD群
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961808860


 暑さバテで夏風邪を引き寝込んだ機に、まずは全集に含まれる「スコットランド」を聴きつつCDで持っているものを引っ張り出してきたら、下記のような仕儀と相成りました。まだこの他にマークの3種類とジンマン、O・ドホナーニ盤があるのですが、ケースがどこに紛れ込んだものか出てきません。またLPでしか持っていないものではモノラルのゲールやクレツキ、ステレオのミュンシュ、ドラティ、コミッショナー、オーマンディ、ギブソンなどがあります。
 これらをとっかえひっかえ聴いていると、どうやらこの曲では全曲の中で第3楽章の長さのぶれ幅が大きく、その組み合わせが解釈面でのバリエーションを生み出しているようにも思えてきたので、例によってCDで聴けるものの演奏時間を整理することにいたします。数も数ですし熱もあるので、これらをどういう形で整理するかはもう少し時間をかけて考えようと思っています。

第1楽章提示部の反復がない盤(19枚)

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

第1楽章提示部の反復がある盤(11枚)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)

こうやってみるとやはり第3楽章のテンポが最も演奏による偏差が大きいことが見て取れます。このあたりの比較のためには提示部を反復しているグループについて、反復分を差し引いた数値も算出して比較したほうがわかりやすいかもしれないと考えているところです。


コメント

mixiユーザー2017年07月31日 00:30
I・フィッシャー盤が出てきたので追記しました(汗)


mixiユーザー2017年08月05日 13:47
反復ありの8枚について、反復を除外した演奏時間と比率を追記しました。


mixiユーザー2017年08月12日 10:48
マークの3種と沼尻盤を追加し、反復を省いた第1楽章における序奏の時間と比率を全ての盤において付記しました。


mixiユーザー2017年08月16日 21:47
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:29
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:34
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤を購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961808860

13. 2022年1月22日 19:49:17 : 12fdnGwI6A : OEZKVE5BWkpqR0E=[10] 報告
古典の磁場の中で:その5 年代順比較用一覧
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961908650?org_id=1961867450


 前回取り上げた30枚のうち第1楽章の提示部を反復している11枚について比較のために反復分を除いた演奏時間と楽章間の比率を算出し、全てを録音年代順に並べなおしてみました。

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)

やはり全体としては年代順に並べたほうが演奏スタイルの変遷を辿れるようにも感じられますので、次回から原則としてこの順にそれぞれの演奏についてコメントしていきたいと思います。


コメント

mixiユーザー2017年08月12日 11:19
マークの3種と沼尻盤を追加し、反復を省いた第1楽章における序奏の時間と比率を全ての盤において付記しました。


mixiユーザー2017年08月16日 21:48
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:33
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:37
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤を購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961908650?org_id=1961867450

14. 2022年1月22日 19:50:51 : 12fdnGwI6A : OEZKVE5BWkpqR0E=[11] 報告
古典の磁場の中で:その6 リストの追記と注目点
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962031362?org_id=1961920406


 マークの3種と沼尻盤をリストに追加し、反復を省いた場合の第1楽章における序奏の時間と比率を全てに付記しました。この修正は前2回のリストにも加えています。またシャイーの新盤と有田盤は1842年版による演奏で、翌年の現行版より第1楽章で15小節、第4楽章で22小節長いのですが、実演総時間でも大差がなく比率を計算しても誤差の範囲に収まってしまうので、ここでは実際の演奏時間のままで表記しています。最近出たてのネゼ=セガン/ヨーロッパ室内Oの全集なども入手できれば順次追加していく予定です(入手したので追記しました)

 解釈を考えていく上で注目すべき比率はまず反復抜きの第1楽章における序奏の比率。これが25%を切ると序奏のテンポが主部の平均的なテンポより速く感じられます。ただし主部の最初のモチーフを遅く、続く「戦の幻想」と呼べそうなモチーフを速く演奏している演奏と、モチーフごとに差をつけない演奏とでは、主部への移行に伴うテンポの変化の印象が変わってくるので注意を要します。数字の上ではワインガルトナー、スタインバーグ、クレツキ、サヴァリッシュ、マズアの新旧両盤、フィッシャー、広上、堤、デプリースト、シャイーの新盤、ネゼ=セガンが25%以下です。
 もう1つは第3楽章の比率が第4楽章の比率より高いか否か。これは物理的な時間においても同じ結果であるわけですが、第3楽章を低回気味に演奏し第4楽章を煽ってコントラストを強調する演奏ほどこの比率に差が出てきます。両極端はクレンペラーとカラヤンで、クレンペラーが22.8%・28.1%なのに対しカラヤンは29.8%・23.8%になっていて、設計が根本的に異なることを強く印象つけずにおきません。総じて第3楽章の比率が高いほど後期ロマン派的性格が強い演奏と感じさせる傾向があります。
(追記:その後出てきたミトロプーロス盤がカラヤンよりさらにコントラストが強烈な30.0%・22.9%です)

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)


コメント

mixiユーザー2017年08月16日 21:48
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:38
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:42
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤が購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962031362?org_id=1961920406

15. 2022年1月22日 23:20:39 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[3] 報告
古典の磁場の中で:その8 SP〜モノラルLP期の録音
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962453221


 それでは個々の「スコットランド」録音について触れていこうと思いますが、先日ほぼ15年ぶりに棚の奥から出てきたミトロプーロス/ミネアポリスSO盤のことを書くにあたりSP時代の録音と演奏家の関係という観点からもう少しワインガルトナーについても補足する必要を感じますので、今回はSPからモノラルLP時代の3つの演奏について書かせていただくことにいたします。

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

 今回ミトロプーロス盤と聴き比べて痛感したのは、録音の古いワインガルトナー盤のほうがはるかに演奏を巧みにすくい取っているということでした。録音年代が10年以上も後のミトロプーロス盤はなにしろSP時代だけに録音技術の急激な進歩の恩恵を受けられる立場だったにもかかわらず、そのことに足元を掬われたとしかいいようのない結果に終わっているのです。ワインガルトナーの時代よりかなり改善された音の強弱のより忠実な収録。けれど演奏陣がその限度をわきまえなかった結果、新しいはずのミトロプーロス盤は強音は入力オーバーで音割れと混濁の混沌と化し、弱音は感度の低いマイクに入りきれず掠れてしまっているのです。一方で条件がずっと悪いはずのワインガルトナー盤にはそういう響きの破綻がみられない。この差はどこから生じたのかと考えると、まず演奏サイドの原因としては芸風の差と録音の経験、そして技術サイドでは感度の低いマイクをどう使ったかではないかと思うのです。
 ミトロプーロス盤を注意深く聴いてみると、弱音部分で音量が下がってゆくとき最初に掠れ始めるのは弦楽器です。つまりこの収録では管楽器や打楽器のほうがマイク寄りに配されているか、それらの楽器に補助マイクが使われているのです。対するワインガルトナー盤は明らかに弦楽器群が手前、管楽器や打楽器がその中もしくは後ろです。だから弦の中に点在する管楽器は音量こそ小さくてもそれがリアルに感じられますし、明らかに音量が低いティンパニはだからこそ音割れや歪みを招いたりせずそれでいて掠れることもないのです。エンジニアが機械の性能と限界を熟知していればこその成功であるのは明らかです。
 そしてワインガルトナーの演奏スタイルもまた、ダイナミックレンジが狭い収録条件下でも美質が損なわれにくいものでした。テンポの頻繁かつ細やかな変化や旋律美を活かす歌い回しなどは限られた強弱の幅にもかかわらずというよりむしろ、それゆえに聴き手の脳裏にその曲線美を鮮やかに焼き付けさえしているのですから。もちろん実際の演奏を聴けたなら録音では減衰しているティンパニなどもより立体的な響きを作っていたのでしょうし、歌い回しの抑揚と一体化した強弱がさらに豊かな表現を形作っていたのでしょうが、それでもこの演奏の美質とも核心ともいえるもののエッセンスは限られた器に極力不足のないよう収められている。おそらく演奏側も普段より強弱を控えめに演奏していた可能性も決して低くないと思うのです。なにしろラッパ吹き込みの時代から多くの録音をものしたワインガルトナーですから、その経験が録音の限界を念頭に置いた配慮という形で表れても不思議ではなく、むしろそういう配慮あればこそ彼は多くの実績と名声をSP時代に築き得たという方がよほど事実に近かったはずだと思うのです。


ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

 15年ほど前に購入したミトロプーロスのミネアポリス時代の音源を集めたBOXセットに入っていたものですが、音の悪さに一回聴いただけで存在すら忘れていたもの。12年前のワインガルトナー盤のほうがはるかに聞きやすいというのではミトロプーロスにとっても気の毒なことです。とはいえ指揮者の側にも責任はあって、強弱の幅がSP盤の収録可能な限界を越えてしまっているせいで弱音になるとマイクが音を拾いきれずに掠れていますし、逆に強音では入力オーバーで盛大に歪んでしまいます。特にティンパニが入るたびに全体が混沌としてしまうのはいかんともし難いものがあり、演奏陣が録音技術の限界などおかまいなしにダイナミズム重視の演奏をした結果としかいいようのない盤でもあります。管楽器や打楽器を明瞭に録りたかった録音側の意図が各楽器のマイクとの距離からうかがえますが、全てが裏目に出たと評する以外ありません。
 第1楽章の序奏と第3楽章を遅く粘り気味に演奏する他は速いテンポで直線的に押してくる演奏なのでトータルタイムはリスト中の最短記録。コントラスト重視の演奏で狙いはわかるものの、メンデルスゾーンがこういうつもりで書いたのかと考えると曲と演奏がすれ違っているような気がしてならないのも正直なところで、マーラーやモダンミュージックでは雄弁さに直結する方法論との乖離がこの曲の立脚点を傍証している演奏と評することは、強いていえば可能なのかもしれません。


スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

 数年前に出たスタインバーグの米キャピトル音源を纏めたBOXセットに入っていたもので、LP時代に入っているため収録に無理がなく、音楽を安心して味わえます。
 この演奏はこのリストにおいて、後の時代に一般的になる演奏スタイルの最も早い例といえるものです。ワインガルトナーや、ましてミトロプーロスのような部分的あるいは楽章ごとのテンポ変化を極力控えて全曲の統一感を重視しつつ、そこに淡いロマンを香らせようとする流儀なのですが、ここではステレオ時代以降この人から耳にするのが難しくなったしなやかさや潤いが大いに魅力を添えています。毛筆をすっと真下に走らせた一筆の僅かな膨らみが見せるにも似たしなやかさ。後の時代の誰もがこの域に届き得たわけではないこの達成は、当時このコンビが一つの絶頂期にいた証を今の世に伝えているのではないでしょうか。むろん終楽章コーダの繰り返しをオクターブ上げて華やかに結ぶなど、今では考えられない処理も散見されるのは事実ですが。


コメント

mixiユーザー2017年09月07日 17:10
録音環境まで、再生された音楽から看取されるとは、MFさんの分析力の
素晴らしさにはいつものことながら舌をまきますあせあせ

mixiユーザー2017年09月07日 17:54
リンデ様こんばんは。まあローエンドに特化してはいるものの、一応オーディオ好きの端くれですから(苦笑)

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16. 2022年1月22日 23:21:39 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[4] 報告
古典の磁場の中で:その9 ステレオ初期の録音
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962501256?org_id=1962453221


 今回はサヴァリッシュによる史上初の全集盤が登場するまでのステレオ諸盤についてです。バーンスタイン以外はどれもLPで聴いていた懐かしい盤でもあります。また今回の顔ぶれは全員がこの曲を複数回レコーディングしている点が共通しています。なおここからは音質についても参考程度にコメントしていますが、必ずしも現在店頭に出ているプレスで聴いたわけではないので、その旨ご了承いただけましたら幸いです。


マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 生涯に「スコットランド」を3回レコーディングした唯一の指揮者ペーター・マークによる最初にして最も有名な録音で、僕がこの曲を初めて聴いたのもこの盤でのことでした。僕が生まれる前年の収録なので、このリストではここまでが僕にとって過去の時代に属する録音ということにもなります。
 最大の特徴はとにかく細かいこと。微に入り細を穿つ目が曲のいかなる変化も見逃さず、遅いテンポのもとじっくり音化されてゆきます。曲想に対する追随の細かさではワインガルトナーさえ凌ぐでしょう。ただしその細かさが聴き手の注意をも細部に向けすぎるようなところもあって、曲全体の見通しの良さに必ずしも結びついてこないのが難点です。基本テンポが遅めで緩急を感じにくいのも確かですが、ワインガルトナーのように細部の表現が全体の動きに波及する場面が意外に少なく、細部の羅列めいて感じられてしまうのが最大の要因だと思うのです。付き合いの長い盤ですがこの曲を僕に難しく感じさせたのもそういう特色ゆえのことだったのだと今となっては思うばかりで、その点ではやはり後の2つの演奏のほうが改善されていると感じます。比較のため2回目と3回目の演奏時間を記しておきますが、第3楽章が回を追うごとに速められている一方で、残る3つは一貫してより遅くなっているのが印象的です。なおベルン盤のみ第1楽章に反復がありますので、ここには反復分を除いた数値を記しています。
(13:56/04:18/10:39/10:40)
(14:07/04:32/10:17/10:45)
 なお音質はさすが英デッカ原盤だけに彩り豊か。モニター調のシビアなスピーカーでも楽しめる優秀録音です。


クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

 SPからモノラル期の諸盤に比べ明らかに遅くなったマーク盤が、それでもテンポの遅さを喧伝されなかった直接の原因となった演奏に違いなく、提示部の反復なしでほぼ42分という演奏は僕が生きているうちは二度と出てこないだろうと思います。ただ各楽章の比率を見るとマークやバーンスタインのように緩徐楽章で遅くするよりもそれ以外の楽章をいっそう遅くして楽章ごとのテンポの差をむしろ均すコンセプトなのが窺え、かつて「田園」においてもベートーヴェンのコントラスト設計にあえて背を向け殷々とした大きな流れの音楽として表現していたことを思いだします。
 そしてスタインバーグと同様、彼もまた60年代初頭のこの時期には後年に影を潜める柔らかさを保ち得ていて音楽が不思議な静けさと懐の深さを湛えていますし、あまりにも自己流の解釈を押し通すことから生じる揺るぎなさが大きく刻印されているのも事実です。この曲を考える基準にしていい解釈とは思えないので決定盤扱いには同意できませんが、異なる個性の出会いが生んだ異色の名演と認めるにはやぶさかではありません(なお旧録音にあたるウィーンSOとのVOX盤は未聴ですがタワーレコードの商品ページに演奏時間が出ていたので参考に記しておきます。現物に接していないので第1楽章の提示部を反復しているかどうか不明ですが、してないのならステレオ盤よりさらに遅いタイムは驚くべきものだと思いますし、もし反復があるのならこの時点で彼の楽章ごとのペース配分は確立していて、それが保たれたまま全体が遅くなっていったのかもしれません。旧録音盤をお持ちの方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです)
(15:55/04:22/08:07/09:54)
 音質はきめの細かさと自然な距離感が好ましいものの音色はやや明るめなので、ウッディなスピーカーで聴くほうがいいと思います。


バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

 バーンスタインがニューヨーク時代に行った録音活動は多分に教育的かつ啓蒙的で、十年余りの在任期間中に収録された膨大な音源は古典派から現代音楽までを展望できる百科全書的なレパートリーを押さえているのみならず、演奏自体も再録音に比べ端正かつ構成的な性格が前面に出ています。おそらく彼はニューヨークでは活動の軸足を啓蒙に置き、それが完成した離任後は表現の追求を目標としたのではないかと今振り返ると思えるのです。
 この「スコットランド」もペース配分の点ではマークに似てはいるものの、細部よりは全体に聴き手の注意を向けさせる内容になっているのがいかにもこの時期のバーンスタインならではで、実際のテンポ以上に停滞感を感じるマークと逆に意識が曲全体の緩急に向くため流れの良さがより印象に残ります。マークよりも第3楽章を遅め、第4楽章を速めに演奏しているところにそんなコンセプトが端的に窺えます。彼はこの時期「宗教改革」と「イタリア」も収録していますがやはり曲の性格を大掴みに捉えた演奏で、指揮者自身の資質ゆえ濃密なロマンへの傾斜を感じさせる瞬間もあるものの啓蒙的たらんとする意識がそこに一定の歯止めをかけているような、そんな演奏と感じます。彼が70年代末にイスラエルPOと再録音したこの3曲は未聴ながら演奏時間にはまだ極端な差はないようで、それが時期的なものに由来するのかバーンスタインなりのメンデルスゾーン解釈に原因を求めるべきかは不明ですが、機会があれば聴いてみたいところです。同じくタワーの商品ページからその演奏時間を記しておきます。
(13:55/04:09/11:15/10:06)
 米コロムビア特有の中高域が張り出す音質なので、その張り出しをキャンセルできる装置で聴きたい盤です。


アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

 スタイルとしてはスタインバーグの延長上にあるものであり、その美質を最も多く受け継いだ自然体の名演です。マークはもちろんバーンスタインのように自らに何かを課した気配もここには皆無で、ただ自らの純良な音楽性を信じるまま歌い上げたらこうなったとでもいいたげな、まっすぐでしなやかな歌がどこまでもなめらかに流れてゆきます。スタインバーグよりは緩急も大きめですが、それもワインガルトナーと同じく受け身ゆえの自然さの範囲内のことで、風のワインガルトナーに対し水のアバドという趣があります。
 後の全集録音が曲を自らの中でいかに位置づけるべきかという意識を強く感じさせるものになっているのに対し、ここでの彼のふるまいはまさにイノセントと呼ぶのがぴったりで、その後の彼の歩みの一端に接し得た身からすれば、音楽家としてのアバドが最も無垢でありえたひとときの姿の形見とさえ映ります。ワインガルトナー同様アバドもまた資質の近さゆえメンデルスゾーンの遺した曲と幸せな形で触れあうことのできた音楽家だった。そう思わずにいられないほど無心に感じられる演奏です。
 このような無心さは全集録音ではすでに影を潜めていますが、その時でさえアバドの演奏にはメンデルスゾーンと共通する美意識が特別なものを語りかけている。彼の問いかけに応えている。アバドの全集録音にそう感じたことこそが僕が手持ちの「スコットランド」を全部きちんと聴き直してみたくなった端緒でした。その後ベルリン時代にライブ収録された「イタリア」と「真夏の夜の夢」の結晶化された名演を思えば、そんな問いかけの後の境地を示したであろう3つめの「スコットランド」の録音がなされなかったのは無念というほかありません。下記は全集盤のタイムですが、例によって提示部の反復がなされている分を差し引いています。
(13:46/04:02/11:27/09:55)
 音質もマーク盤と同じ英デッカ原盤だけに彩りが豊かで、その点ではDGによる全集盤よりずっと上です。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962501256?org_id=1962453221

17. 2022年1月22日 23:22:46 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[5] 報告
古典の磁場の中で:その10 クレツキの見た先には
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962730226

 今回は1954年収録のクレツキ盤をLPから復刻したCD−Rが入手できたので、前後するスタインバーグ盤やマーク盤とも比較しつつコメントさせていただきます。


スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 こうして並べるとクレツキはスタインバーグとマークの双方と共通点を持つことがわかります。まず第一印象として感じるのがテンポの遅さ。マークとほぼ同じ38分というタイムはスタインバーグに比べ4分余り遅くなっています。たかが4分という方もおられるでしょうが、実際に聴くとこの34分弱と38分という差は思いのほか大きく、クレツキとマークからはスタインバーグのような一筆書きめいた印象を受けることはありません。むろん聴く側の個人差もあるでしょうが、少なくとも僕には第1楽章の提示部の反復なしでのトータルタイム35分というのが分水嶺になるようで、ワインガルトナーやスタインバーグの風をイメージさせる演奏はここでいったん失われるのです。アバドの旧録音が水のイメージになるのも基本テンポが遅くなるからですが、そのアバド盤と同じ時期に収録されたサヴァリッシュが僅かながらも基本テンポが速いため、先人たちの美質を受け継ぐ形になっているのは見逃せません。ワインガルトナー、スタインバーグ、そしてサヴァリッシュたちの演奏で細部のほんの僅かなテンポ変動が大きな印象の変化として感じられるのもひとえに基本テンポが遅すぎないからで、クレツキやマークだとより大幅にテンポを変えないと基本テンポの遅さの印象を覆せないのです。マークが細部の表情にこだわるわりに効果的に感じられない最も大きな要因はまちがいなく基本テンポの設定にあると思います。もう少しでも速ければそれら細部のテンポの揺れが遅すぎる基本テンポに吸収されず、全体の印象を左右しえたはずだと思うのです。
 ではクレツキとマークの違いはといえば第3楽章と第4楽章のバランスです。マークは先行するミトロプーロスや後のバーンスタインやアバドやカラヤンのように第3楽章に多く時間を割いていますが、クレツキはスタインバーグや後のドホナーニ、マズアの新録音のようにほぼ同じ時間で演奏しているのです(ちなみにワインガルトナーのようにフィナーレの方がタイムが長くなっているのがクレンペラーやマズアの旧録音で、サヴァリッシュも僅かながらもフィナーレにより時間が割かれています。またマークは2回目の録音では両楽章のタイムが同じ、3回目ではフィナーレの方が長くなっています)また第1楽章の序奏を主部に比べ速めのテンポにしているのもワインガルトナーやスタインバーグと同様で、マークの初録音はその点でもバーンスタインやアバド、カラヤンと同じです。ただ基本テンポが比較的速めのアバドはともかく、マークのテンポになるとバーンスタインやカラヤンより振れ幅を抑えているのが仇になって、それらのテンポ設計が生むはずのコントラストが控えめになってしまい、全体としてなにを目指しているのかが見えづらい演奏に感じられてしまうのが残念です。後の録音で第3楽章のテンポが一貫して速められていくのも、あるいはそんなテンポ設計が機能しなかったと本人も感じていた表れかもしれません。

 奇しくも当時、クレツキとマークはメンデルスゾーンの交響曲をこの「スコットランド」しか録音していなかった一方で「真夏の夜の夢」の歌唱入り8曲の抜粋版を収録していますが、演奏のコンセプトは対照的です。マークは「スコットランド」と同様にやや遅めのテンポで丁寧に表情をつけていて、彼のテンポ設定がどちらの曲も同じ感覚というか生理的なものに基づいてなされているのではと感じさせる面があるのですが、クレツキはがらりと異なる速いテンポで演奏していて最小限に抑えられたテンポ変動が最大の効果に繋がっています。明らかに彼はこの2つの作品で対応を変えているのですが、この「真夏の夜の夢」は僕にとってワインガルトナーの「スコットランド」と同様これ以上を容易に求めがたい突出した存在で今もあり続けているのです。
 クレツキのこの2つの盤を、僕はCD登場の直前に中古の初期LPでほぼ同時に買ったのでしたが、その違いはクレツキという指揮者が単に作曲家ごとのスタイルの違いに留まらず作曲された時期や曲ごとの性格に応じてコンセプトを大きく変える人であることを強く印象づけたのでした。彼は明らかに2つの曲を異なるものとみなし、それを演奏に反映させようとしている。では彼はこの2曲にどのような違いを見たのだろうか。そしてその違いが片方では類まれな成功に結びついたにもかかわらず、もう一方がそこまで成功しなかったのはなぜなのか。そう感じた遠い日に、僕は当時、若くして完成された天才型の作曲家と評されることがほとんどだったメンデルスゾーンにも、早世ゆえに完成には至れなかった発展段階があったのではないのかと肌で感じさせられたのでした。クレツキが見ていたのはそういうもので、でもそれが成功に繋がらなかったのはそれがいかなるものになるはずだったのかを彼が読み違えたからではないだろうか。そう思ったことでメンデルスゾーンの死はロマン派の発展史における一つの可能性の喪失だったのではとの考えが生じ、それがその後この作曲家に対する尽きぬ興味の源泉となったのです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962730226

18. 2022年1月22日 23:23:39 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[6] 報告
古典の磁場の中で:その11 全集録音の開始
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962995518


 いよいよサヴァリッシュによる史上初の全集録音とそれに続くカラヤン、マズア、ドホナーニによる最初の10年に出た録音についてです。

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

 史上初のメンデルスゾーン交響曲全集となったサヴァリッシュ盤ですが、この全集の前にはウィーン響と「イタリア」を、全集の後にはベルリンフィルと「2番」をそれぞれ録音しています。このことに象徴されるように、古典的な初期作品とそこから踏み出した後期作品のどちらにもそれぞれふさわしいスタイルで演奏できる指揮者であり、その美質が全集録音の5曲にも見事に発揮されています。その魅力の源泉は最初期の「1番」ですでに開花をみているもので、端正な造形とそれを外から締め付けすぎずにしなやかな歌を息づかせるゆとりと潤いの両立です。70年代にチェコフィルと収録したモーツァルトの後期交響曲ではより凝縮された音楽作りをしていたことを思えば、これが彼の感じる初期ロマン派の味なのでしょう。彼の掬い上げたロマンの特質が的を射たものだからこそ、5曲の交響曲がこれほど瑞々しく息づいているのだと感じ入ります。「2番」など下手をするとマーラー風にさえ演奏できてしまう曲ですが、サヴァリッシュで聴くと初期交響曲の美質をベースにそれを拡張した結果、こんな姿になったのだと深く得心させられます。
 それは「スコットランド」においても同様で、この曲が痕跡のように残した古典的な構成と、そこからより自由になろうとでもしているかのような細部の自立的な表情とのバランスがまさしく模範的! 結果としてスタインバーグやアバドの旧録音に比べて細部の表情がより前面に出ていますが、マークの旧盤のようにそれが過ぎて全体の展望が薄れることがありません。それあればこそ提示部の反復も彩りを添えることに寄与こそすれ、退屈に誘うことがないのです。この全集以降に主流となってゆく古典的な形式を重視した解釈ながら、それに縛られすぎない表現性を併せ持つ点では今もこれに並ぶものはなく、それが自然体でなされているのがなにより素晴らしい。テンポも特に第3楽章で遅すぎず、風通しのよさを保っています。音質も階調豊かな優れたもので、このレーベルで耳にすることの多いコンセルトヘボウの盤に比べ明るく感じる音色は録音のせいというより、オケの響きの違いが再現された結果と思わせるだけのリアリティを備えています。


カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

 70年代のカラヤンらしい演奏の芸風が濃厚に発揮されたもので、それがメンデルスゾーンの淡彩な音楽を塗りつぶしていると感じさせてしまう全集です。演奏全体を覆う緊張感は確かに非凡なものですが、それが作品の生理に則ったものというより演奏の論理が優先しているように見えてしまうのが難点です。なにより気になるのが弱音部で、弱音それ自体がなにかを語りかけるというより常にきたる強音部を予感させるものになっています。次のクライマックスのための伏線という位置づけがあまりにも露骨に出過ぎていると感じさせてしまうのです。これほどさりげなさと無縁の演奏は他にないとさえ思えるほど仰々しく感じます。
 結果的にテンポのコントラストが大きくとられているにもかかわらず、意外にのっぺりした音楽に聞こえてしまうのは誤算だったのではないでしょうか。カラヤンはクレツキ同様、後期ロマン派へと向かう途上のどこかにメンデルスゾーンを位置づけようとしているのでしょうが、結果としての演奏は構成を撓めることが雄弁さをもたらすそれらの音楽とは別の特質をメンデルスゾーンの音楽が備えていることを暴き出しているとさえ感じさせます。バーンスタインもほぼ同じテンポ設計を採っていますが、ニューヨーク時代の啓蒙性ゆえか全体としても細部についてもより平明というかあるがままに演奏していて、カラヤンほど演出の論理を貫徹させていない分だけ乖離が目立たないようです。録音もDG独特の音色面での違和感が出やすいものなので、同じレーベルのアバドやネゼ=セガンの全集録音と同じくスピーカー側で音色を補正したいところです。


マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

 マークは「スコットランド」を三度レコーディングした指揮者ですが、全集を二度録音したのは今のところこのマズアだけで、旧盤と新盤でコンセプトが変化しているところも興味深いものです。しかも変化を見せつつも、70年代のこの時期に顕著な傾向となっていたマーラー風ロマンへの接近とは新旧両盤とも一線を画しているのがマズアの特徴です。第3楽章の8分という短さはこの時期としては異例。フィナーレを遅めにしていることとあいまって両楽章のコントラストを重視する60年代以降の傾向とは真逆のものになっています。楽章のペース配分を見ればクレンペラーそっくりになっていますが基本テンポが違うのでよく流れる音楽になっており、印象はほとんど重なりません。今回の4組の全集中ではオケの精度がやや低く洗練された美観は薄いものの、テンポの速さが風通しのよさをもたらしていることに助けられ、木彫りの民芸品にも似た素朴な感触として受け入れられる演奏になっています。外付けの味付けがほどこされていないのは新盤と同じで、カラヤン盤やドホナーニ盤と並べて聴くとそれも好感につながっています。録音はざらついた感触もあり中高域に強調感が乗りやすいので、これもウッディな音色のスピーカーで聴いたほうが演奏の実態を掴みやすくなると思います。


ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

 古典的な骨格をベースにロマンチックなテイストが淡く添えられた演奏で、狙いは実に妥当です。ペース配分もサヴァリッシュに似ていて、第3楽章をうんと粘らせて……という路線ではないので造形面でのあざとさは感じさせません。名門オケだけに水準も高くこのオケならではの自発性の発露も感じられ、生き生きとした演奏が繰り広げられています。録音も彩り豊かな優れたもので、今回の4組の全集ではサヴァリッシュと並び優秀です。
 にもかかわらず、僕にはどうにももどかしさを覚えてしまう盤なのです。
 サヴァリッシュ盤と聴き比べるとオケの豊かな自発性の反面、細部の表情がプレイヤーの演奏の愉悦に少々傾きすぎているように思え、全体の展開との関連性が緩むように感じる瞬間がどうも耳につくのです。これはこのオケを聴くと多かれ少なかれ感じてしまうことなのですが、素材の味よりソースの味で食べる料理のような感じで、なにを聴いているのかに意識が向きにくい演奏に聞こえてしかたがありません。そういうことにこだわらない人にとっては申し分ない演奏でしょうし、そんな演奏ができるということ自体すごいというのもわかるのですが。けれど誰が聞いても常識的にロマンチックと感じられそうなウィーンフィルの音楽、それが一種の渇望をかきたててやまないのです。この曲は本当にこういう音楽なのだろうか、もう少し荒涼とした翳りも併せ持つもののはずではと……。
 ドホナーニはこの録音から12年後に当時の手兵クリーブランド管と「スコットランド」「最初のワルプルギスの夜」の2曲を米テラークへ再録音していますが、指揮者とオケの目指すものが一致した透徹した演奏は一枚岩の強さを感じさせずにはおかず、それが2曲に通底するある種の厳しさを浮き彫りにしています。このコンビによる全集録音がなされなかったのは返す返すも残念です。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962995518

19. 2022年1月22日 23:24:36 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[7] 報告
古典の磁場の中で:その12 2人のイタリア人
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1963442855


 今回はアバドとシャイーの演奏について述べてゆきたいと思います。この2人のイタリア人指揮者は最初にメンデルスゾーンの5曲の中から2曲を組み合わせたアルバムを世に問うた後、再びメンデルスゾーンの交響曲に取り組んだ点が共通しています。
 けれどアバドが演奏様式の変革期に再録音したのに対し、シャイーはそれを通過した時期に再録音することができました。その違いは彼ら自身の資質とも相まって、それらの意味合いを大きく異なるものにしたのです。

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

 自らの音楽性が命じるままといわんばかりだった旧録音に比べテンポが遅くなり緩急の差もより大きく調整されているのが数値的には見て取れますが、耳にして感じる落差は数値から受ける印象をはるかに上回ります。どこまでも自然体だった旧盤に対し、新盤には非常に意識的に、神経質なほど細部の変化の意味合いを掘り起こそうとしている姿が耳に付くのです。遅いテンポも彼の場合、ロマン的な粘りを増すというよりもこの細部の探求がそのテンポを必要としたもののように感じられます。しかもアバドがこんな演奏を聴かせたことは決して多くありませんでした。
 このメンデルスゾーンに最も近いのは、70年代にシカゴ響やウィーンフィルなど複数のオケと収録した一連のマーラーです。それらは普段のバランス重視のスタイルに比べやや末端肥大的というか、明らかに細部の表現を優位に置いた演奏でした。それに対し、80年代に収録されたシカゴ響とのチャイコフスキー全集やウィーンフィルとの最初のベートーヴェン全集にはそんな細部の優位は感じられません。あるいはここで、アバドはメンデルスゾーンをマーラーとの繋がりの中で捉え直そうとしていたのかもしれないとも感じます。
 結果的に「スコットランド」の新録音は音楽の流れが停滞気味でワインガルトナーのような自在さからは遠い演奏になっていますが、それがカラヤンのような仰々しさに繋がらないのはやはりアバドがそれだけメンデルスゾーンに近い美意識の持ち主だったからではないかと感じるのです。いささか自意識過剰のきらいがあるとはいえ掘り起こされた表情は多くの演奏が見落としがちな脈絡を絵解きするもののごとき趣さえあり、メンデルスゾーンの交響曲に対する示唆に富む演奏のひとつたりえているとなお感じさせる力を持っているのですから。
 このような細部の優位は80年代末に収録されたブラームスにおいてより抑制された形で用いられましたが、そのことがブラームス特有の推進力の減衰を見事に描き出し、アバドの交響曲分野の録音の中で最も優れたものの一つとなりました。あるいはこのメンデルスゾーンも、もう少し抑制された形で演奏されていればより成功したのではと思うと同時に、あるいは全体からの細部の独立のプロセスをメンデルスゾーンからブラームス、そしてマーラーというラインにみることもできるのかもと考えたりもするのです。


シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

 シャイーの「スコットランド」旧盤はロンドンPOとの2番と2枚組LPで発売されたもので、オペラ以外の曲目では最初期の録音にあたるものです。そしてシャイーの場合に特徴的なのは、より古典的な中期までの3曲を録音しない一方で、後期の2曲をあえて再録音していること、しかも新録音が旧録音とは正反対といえるほど解釈を確信犯的に変えていることです。
 この2曲のメンデルスゾーンはフィリップスレーベルへの収録ですが、直後にシャイーはデッカと契約しウィーンPOと組んでチャイコフスキーの5番を発売しました。その後オーケストラを変えながらもブルックナー、マーラー、ブラームスなどロマン派後期の交響曲の録音に力を入れる一方で、初期ロマン派以前の曲目は全く録音しなかったのです。交響曲以外の曲目でも新ウィーン楽派やツェムリンスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ヴァレーズなど近現代のレパートリーが優勢でした。ACOとのブラームス全集では余白にシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの作品が配され、それらの作曲家とブラームスの関係性に焦点を当てるコンセプトが採られていましたが、そういう姿勢が後期のメンデルスゾーンへの関心として表れていたということは確かにありそうなことと思えます。
 演奏はバーンスタインに似たペース配分ながらもう一回り遅くしたようなもので、カラヤンほど妙な緊張感を伴わず素直に演奏しているところも共通しています。クレンペラーに迫る遅さにもかかわらずあれほど異形な感じがしないのは、当時の流儀からのはみ出しがないからでもあるのでしょう。とはいえテンポの遅さゆえに曲想の変化への追随はやはり弱く、トリスタンでも聴いているかのような息の長い旋律線に絡め取られる心地になる演奏です。70年代から80年代にかけてのクラシック界の表通りにはこういう演奏が実に多く、それはシャイーのような若手にも無縁たりえない時代の潮流というべきものだったことを今にして思うと同時に、この時期に古楽の運動が顕在化したのはやはり一種の揺り戻しというか、行き過ぎへの反動としての意味合いも強かったのだと痛感するばかりです。

 シャイー自身による30年後の再録音はあらゆる点で対照的な存在です。ゲヴァントハウスに着任してからのシャイーのレパートリーの中で再録音されたのはまたもメンデルスゾーンの2曲とブラームスの4曲なのですが、それ以外の曲目は母国イタリアのヴェルディやプッチーニ等を除くと近現代曲が影を潜め、以前は取り上げられなかったバッハとベートーヴェンの大きなプロジェクトが推進されました。2曲のメンデルスゾーンは2大プロジェクトの開始以前に、4曲のブラームスはその完了後に収録されているのです。かつて後期ロマン派が終焉を迎えた地平から音楽に向き合うことを始めたこの指揮者は、赴任コンサートでメンデルスゾーンの2番を取り上げることでこれまでと対照的な地平から音楽に向き合うことを宣言していたのかもしれません。テンポが大幅に速められたことで表情の流転が冴えるようになり、力感や重厚さ頼りではない俊敏な表現を獲得している点が大きな違いであって、そのことは6年後に収録された「スコットランド」にも共通しているのです。
 全ての楽章で演奏時間が短くなっているだけでなく、緩急の落差が縮められていることで巨視的な緩急より細部の表情の流転が表に出ているのが大きな違いで、その点ではワインガルトナーに通じるところがあります。けれどシャイーがワインガルトナーやアバドと異なるのは自らの資質まかせというよりは常に意識的というか自覚的というか、求めるイメージが脳裏にはっきり浮かんでいて、それを実現せんとの明確な意志を感じさせずにいないところです。アバドの場合だと意識的であることに本人がなにやらしっくりしないというかやりにくそうというのか、手探りめいた模索の気配が絶えずつきまとうのを感じるのですが、シャイーの場合は固まった結論を自信たっぷりに表明する趣があります。
 このことは奇しくも同じ80年代末に彼らが収録したブラームス全集に端的に表れています。アバドの場合は4曲のいずれもが上に述べたような細部の表情を入念に描く過程で自然とテンポが落ちてゆく感じで、作意的な演出めいた意図を聴き手に感じさせません。それに対しシャイーの演奏は明らかに巨視的な要請から割り出された細部という趣で、狙いが明確な反面で作意も感じさせずにおかぬ面があります。
 けれどアバドの演奏では4つの交響曲のいずれもが同じ流儀で演奏されてしまうのに対し、シャイーでは2番だけが飛び抜けて速いテンポが課せられています。ブラームスの交響曲全集録音においてこのような例は極めて稀なもので、少なくとも僕は類例を知りません。でも、だからこそ気づけるのです。4つの交響曲のうち2番以外の3曲では必ず第1楽章にテンポが減速して音楽が止まりそうになる場面が書かれているのに対し、2番だけはそういう場面を持っていないということに。
 アバドという指揮者を形容するなら音楽家との呼び方しか思い当たりませんが、シャイーの場合は解釈家と呼ぶことも可能だと僕は思います。アバドにはより世代の古い巨匠たちのように自らの演奏の型を追い求めていたようなところがあり、それがベルリン時代のベートーヴェンやマーラーの再録音における以前よりも古典的な演奏スタイルへの到達と見て取れるのに対し、シャイーは自分の気質や体質に鑑みての演奏の自然さにそこまでこだわっておらず、対象をあくまで客体として見据えているように感じるからです。アバドが最後まで感性の次元で演奏していたとするなら、シャイーはより知的というか分析的な音楽への向き合い方をしていたのでは。彼らを音楽家と、解釈家と呼ぶゆえんですし、アバドのメンデルスゾーン全集がシャイーのブラームスのような明確な主張にまでは最終的に至らなかったのもそんな両者の違いに由来することのようにも思うのです。

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20. 2022年1月22日 23:25:36 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[8] 報告
古典の磁場の中で:その13 変貌の狭間にて
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 先日バーンスタイン/イスラエルフィルによる「スコットランド」「イタリア」「宗教改革」の再録音が買えましたので、「スコットランド」をニューヨークフィルとの旧録音と比べてみようと思います。なお彼は1番と2番「讃歌」の録音は残していません。


バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

バーンスタイン/イスラエルPO(1979年)
13:55/04:05/11:15/09:55
計39:10 序奏4:07(29.6%)
(35.5%・10.4%・28.7%・25.3%)


 全体では1分弱タイムが伸びているのですが、第1、4楽章が前より長くなり、逆に第2、3楽章が短くなっています。それによって前半2楽章は緩急の落差が前より大きくなっている反面、後半2楽章は対比を弱めた形になっています。大きな変更ではないので演奏自体の印象ががらりと変わるわけではありませんが、通常のフィナーレのイメージで速いテンポを設定すると曲全体の流れから浮きがちになるこの曲の特質を考慮して微修正したとも受け取れる変化のように感じます。
 それより大きな変化として感じ取れるのは細部の表情がより入念なものになっていること。旧盤では1つのテンポで通していた箇所に新盤ではテンポの動きが導入されている例が随所に見られます。特に両端楽章で増えていますが、終楽章のコーダが全曲の結びとなる部分だけにとりわけ印象的。その手つきがアバドのように曲の文脈における役割の解をひたすら考え抜くというより感情の流れの脈絡重視になっているのがこの時期のバーンスタインならではで、以後の彼はより遅いテンポの中でいかなる細部にも濃密な感情を込めた演奏スタイルへの傾斜を強めていくのです。そして80年代、彼にとって最後の10年に入ると、その演奏は込めた感情の真摯さによって訴えかけるものにますますなってゆき、とりわけマーラーの演奏で多くの支持を得たのでした。

 そこに込められた感情が彼自身のものであるがゆえに感じさせずにおかぬ迫真性でいえば、彼の演奏はフルトヴェングラーに並ぶでしょう。けれどそれはどんな曲を聴いても同じ音楽に聞こえてしまうという点においてもフルトヴェングラーに匹敵する結果となったのであり、だから僕は母国アメリカの聴衆に多様な音楽を紹介する啓蒙家たらんとしたニューヨーク時代の彼を懐かしまずにいられないのです。演奏している瞬間に曲を私物化するのは確かに演奏家に与えられた一個の特権であろうと思うのですが、それは時空を異にする他人の書いた音楽が自己表現の道具になることと無縁ではありえない境地であり、聴き手としての僕はそんな陥穽になるべく陥らずにすんでいる演奏で聴きたいとついつい思ってしまうものですから。
 しかも80年代のバーンスタインの場合、演奏において表出される感情に苦渋の翳りがつきまとうのが気になってしかたがありません。それが似合う曲ならともかく、ニューヨーク時代より絞られた再録音の全てがそれにふさわしい曲目だったとも思えないのが正直なところで、かつて担保されていた普遍性めいたものが損なわれたと感じてしまう演奏が多いのはつらいところです。

 そんな再録音にも時期の早いものには旧盤よりいいと思えるものもあって、最初期のベートーヴェン全集は旧盤よりスケールと熱気が一回り増した演奏が彼の新たな境地を印象づけましたし、80年代に入ったブラームスでは苦渋の色が似合う曲であった上に旧盤がいささか才気に溺れた失敗作だったことにも助けられ、バーンスタインのブラームスとしてはより成功しています。そしてそれらに挟まれたこれらのメンデルスゾーンでは「宗教改革」「イタリア」そして「スコットランド」におけるそれぞれの独自性も損なわれていませんし、「宗教改革」と「スコットランド」で旧盤より深くなった翳りの色もこれらの曲との接点を保ち得ていると感じさせてくれるものになっていて、過渡期ゆえの微妙なバランスがプラスに働いた稀有な例に数えたいと思うのです。

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21. 2022年1月22日 23:26:28 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[9] 報告
古典の磁場の中で:その14 初録音と再録音
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 今回取り上げる2枚の「スコットランド」はいずれもLPではなくCDで買った最も初期のものですが、フィッシャー盤は若手指揮者の新鮮さを、そしてマークの再録音は30年近いキャリアを積んだ円熟ぶりを、それぞれ強く印象づけたものでした。なおマークは比較のため旧録音のデータも併記しています。


I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

 ステレオ時代以降「スコットランド」の解釈はクレンペラーやマズアなどの例外を除くと第1楽章の序奏を遅く主部を速くし、第3楽章を粘らせるという後期ロマン派的な濃厚さ重視の解釈が幅を利かせていたのですが、僕にとってこの曲最初のCDだったフィッシャー盤はそういう定型から大きく離れた解釈で、序奏のほうがむしろ速いというのは購入当時やっとこういう演奏が出てきたかと感じ入ったものでしたし、さらりと歌われる第3楽章も実に素晴らしく、重く厚ぼったい冬服を脱ぎ捨てたような爽快さがこの楽章のあるべき姿を描き出したとの手ごたえさえ感じさせてやみません。細部の表情は個性的ですが、それが全体と連動しているので読みの深さとして感じられます。第1楽章の複雑さと後続楽章の平明さを対比しているのが解釈のコンセプトですが、それはあたかも後のブラームスの2番やマーラーの3番を遥かに予告するものと位置づけているようでさえあります。併録された「フィンガルの洞窟」や同時期に出た「イタリア」「宗教改革」も実に素晴らしく、80年代における最も説得力あるメンデルスゾーン演奏の一つだと当時も今も思います。なおこの頃はCDの工場がまだ数少なかったので、コロムビアから出た国内盤だけでなく本国ハンガリーのフンガロトン盤もコロムビアでのプレスと記されていますが、やはり高域がメタリックな音色になりやすいのでシステム側でつや消しして聴きたいところです。


マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 解釈そのものは旧盤同様、当時主流だった後期ロマン派ふうの定型に従ったものですが、30年近い歳月の経過が旧盤の欠点を一掃させているのが素晴らしく、マークの3つの録音中ベストの完成度を誇るものです。細部の表情がうまく全体に波及していなかった旧盤に対し、このベルン盤では細部それ自体が目立たずに全曲の流れに溶け込んでいて、それでいて定型的な解釈が単調に陥らないよう隠し味的に機能しています。遅いテンポも粘りではなく静かな落ち着きを感じさせ、第3楽章がより速くなった点もあいまって停滞感を免れています。フィッシャーほど第1楽章の表情を細かく描き分けてはいないのですが、提示部の反復がこの楽章の曲折を代償していて、この反復の意義を明らかにしているとともにフィッシャーの読みと結果的に近くなっているのは興味深いです。アバド同様解釈家というより音楽家と呼びたいマークですが、アバドとは逆にキャリアが進むにつれて自分の音楽性をより自然に発揮できるようになったと見えるところが感慨を誘います。IMPレーベルが活動を停止しているため長く入手困難な状態が続いているのが惜しまれますし、手持ちの国内盤はファンハウスレーベルとしてまとめて出たときにプレスを担当したのが東芝EMIのためコロムビア以上のメタリックサウンドでアコースティックな響きでの再生は大変ですが、うまく鳴らせば名匠の至芸を堪能できる1枚です。

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22. 2022年1月22日 23:27:52 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[10] 報告

古典の磁場の中で:その15 2つの再録音を比べて
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 今回はマズアとドホナーニによる「スコットランド」の再録音についてです。


マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)


C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)


 70年代に最初の録音を行い80年代に再録音という点で共通するこの2人ですが、テンポ設定に注目するとマズアが旧盤から大きく変更しているのに対し、ドホナーニは明らかに同じ解釈に立脚しているのが見て取れます。ドホナーニの場合、特に第1、第2楽章は実時間で数秒の違いしかなく、誤差の範囲に留まっています。違いは後半楽章で、第3楽章を以前より速く、第4楽章をより遅くすることでむしろフィナーレのほうが演奏時間が長くなっています。旧録音とオケが異なるドホナーニの再録音では、自身の意図を徹底できる手兵の起用に伴う完成度の引き上げが狙いとみなすことができそうです。
 それに対し、同じオケと全5曲を再録音したマズアにおいてはペース配分が完全に別物になっています。「スコットランド」を再録音した指揮者は3回録音したマークを筆頭に何人かいるわけですが、ここまで大幅に解釈を変えた例はシャイーくらいです。そしてシャイーと比較すればロマンティックな旧録音から粘りを抑えた再録音という方向性が共通していることも印象的で、結果的にマズアの新盤は解釈面でドホナーニに近づいているのも興味深いところです。
 ただシャイーが旧録音において、ほとんどワーグナー的な息の長い音楽として演奏していたのに対し、マズアの旧録音は第3楽章を70年代という時期からすれば異例の速さで演奏していて、荘重ではあっても粘ることは退けていたのが痛感されることでもあって、外面的な解釈が大きく変わったにもかかわらず、粘りを忌避する傾向が一貫していたことに改めて気づかされるのです。シャイーがメンデルスゾーンを以後の音楽との繋がりに注目して演奏するため必要とあらばロマンチックな装いを与えることをも辞さなかったのに対し、マズアは彼にとってのメンデルスゾーンのテイストのようなものは守ろうとしていたようにも思えます。旧録音においてテンポの比率がクレンペラーそっくりであるにもかかわらず、基本テンポの速さゆえに全体的な印象は全く異なるものになっていたように、再録音では後の時代に一般的なものになってゆく解釈にかなり早い段階でチェンジしつつもドホナーニのような造形や洗練の徹底にまでは追い込んでゆかないところも目につくのです。こだわらない、徹底させないという彼の流儀と呼ぶべきなのかどうか判然としませんが、コアな部分で作曲家の持ち味を押さえつつもそれを自分の中で一つの型にまでは育ててゆかない。そこがドホナーニと最も異なる点ですし、そのことがシャイーほど考えてやっているわけではなさそうに見えることもある意味この人の特長とみなせるのかもしれません。
 マズアという指揮者はクラシック愛好家から個性的との評判を得たことがありませんでしたし、解釈面でも完成度の点でも強い印象を残さない彼の演奏は今後ますます話題に登らなくなりそうです。けれど演奏様式の変革点を迎えていたこの時期にマズアが遺した2つの全集はいささか掴み所のないこの指揮者についての手がかりの一つとも感じますし、良くも悪くも作品に下駄を履かせないというか、実質以上に優れたものに見せようとしない彼の演奏ぶりはとりわけブルックナー全集において、なぜその音楽が理解されるのに時を要したかを実感させるという点でかけがえのないものとさえ今の僕には思えるのです。手がける曲にナイーブな接し方ができた指揮者だったと今にして嘆じるばかりです。

コメント

mixiユーザー2018年06月27日 17:30
徹底させないという彼の流儀、考えてやっているわけではなさそう、、、このへんのお言葉には共感したくなります。正直、わたしも自信が持てませんが、男性的な音楽をしているように思われがちな方ですが、ある種の繊細さがあるのかも。

mixiユーザー2018年06月28日 04:06
ちょう50様おはようございます。。

僕も風貌や音楽にどこか垢抜けないもっさりした感触がつきまとうものですから、男性的というよりおっさんの音楽だなあという印象を正直なところ持ち続けてきた指揮者でした。
けれど今回メンデルスゾーンの2つの全集を比べた上でリストやベートーヴェン、シューマン、ブルックナー、ブラームスなども改めて聴いてみると、繊細というよりナイーブというか、どうも極端に走ることを忌避するというか、そういうことに耐え難い人だったのではという気がしてなりません。

個性的とか徹底というのはつまるところなんらかの意味で極端に走ること抜きには成立しないように思うのですが、結局のところそれはエキセントリックであることとも同義であるわけで、同じシリーズでボックス化されているヴァントのブルックナー全集をマズアのそれと比べてみると、曲の弱点が見事に一掃されているのと同時に、ブルックナーの欠点も含めての持ち味めいたものもいくぶん失われてしまっているような気がしてなりません。僕がヴァントのブルックナーを聴くと、こんなにブルックナーばかり繰り返す暇があったらなぜオネゲルの5曲を入れなかったのかとついつい思ってしまうのも、モダニズム的な感覚と精度の高さが前面に出てくるヴァントの音楽性と曲のずれた部分にオネゲルの音楽が像を結ぶからにほかなりません。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1967170556

23. 2022年1月22日 23:28:47 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[11] 報告
古典の磁場の中で:その16 広上盤の示唆
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 いよいよこのリストも1990年代に入りますが、その最初を飾る2つはいずれもロマンティックなスタイルに根ざしながら、にもかかわらず全く対照的な性格の演奏でした。


広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)


 広上盤は日フィルのコンサートライブ盤を発売する楽団自身の独自レーベルによるもので、放送局直属のため膨大な放送音源の蓄積を誇るN響を別格とすれば最も早くオフィシャルレーベルを立ち上げた楽団の一つです。広上との録音もいくつもあり、この「スコットランド」は後の「イタリア」「宗教改革」と共にメンデルスゾーンの標題付純器楽交響曲シリーズの劈頭を飾るものになっています。そしてライブゆえにある日ある時の実演における姿の記録となっていることが、良くも悪くもこの盤を特徴づけているのです。
 序奏から極めて多情多感な演奏で、非常にイメージ豊かです。こういう音楽を創る人は日本人演奏家には珍しいと思うほどで、淀みない速めのテンポの中に流転する表情の変化には目を見張るものがあり、この調子ならと先行きを大いに期待させます。
 それだけに主部に入った瞬間、通常の3倍は遅いのではというほどテンポを落とすのは誤算というか聴き手の心理を見誤ったのではないでしょうか。あまりにも振れ幅が大きすぎてそれまでの細やかな表情づけの印象が消し飛んでしまい、また何かしでかすのではという妙な構え方を聴き手がしてしまうのは曲はもちろん演奏家にとっても得になるとは思えないのです。しかもこの遅いテンポは主部の入りのこの主題だけであり、再現部を終えて再び主部に入る時に回帰する以外はここまでの遅さにならないため、他の部分は身構えていた分だけ普通っぽい展開に聞こえてしまいます。才に溺れたとの印象を正直なところ拭えません。
 ただ改めて全体を見ると、この演奏はこの頃は定型化して久しかった古典的な解釈、すなわち第1楽章では序奏のテンポよりも主部が速く、フィナーレでは主部のテンポよりコーダを遅く演奏させる流儀のことごとく逆をいっていることも窺えます。広上が後期ロマン派を最も得意とする指揮者であることも考え合わせると、ここでの広上の解釈は全体としてロマン派ふうの内容を有しながらも古典的な形式感の残滓めいたものも残しているこの曲のありかたに対する疑問なり異議申し立てという意味合いがあったのは間違いなさそうですし、その意味ではやりたいことがやれた演奏だったのかもしれません。演奏そのものは必ずしも完成度が高いといい難い四半世紀以上も前の録音がいまだに売られていることを思うと、この曲に対する彼の考え方はこの時点からさほど変わっていないのではという気もするのです。
 そういうふうに考えてくると、あの度はずれたテンポの変化はあるいは広上の感じていたもどかしさの発露だったのではという奇妙な想像さえ浮かぶのです。より新しい要素を内部に抱え込みつつも、最後まで古典的な形式の残滓を捨てられなかったように見える「スコットランド」という交響曲。この曲には本来それがゆこうとしていた道、取ろうとしていた姿への想いをかき立てずにおかぬところが確かにあり、メンデルスゾーンがもう少し大胆だったらと広上のような指揮者であれば考えてもおかしくない。僕でさえ決してそう感じないわけではないのですから。
 けれどメンデルスゾーンが踏み込まなかったからこの曲がいま残されている形になったのだとしたら、その思いへの共感なしに現状の形を活かす演奏は難しいのではとも広上の演奏に接すると感じるのです。それは彼が20年近く後の2009年に相次いで同じ日フィルと収録した「イタリア」と「宗教改革」のライブ盤にも感じることでもあり、より古典的なスタイルの両曲なだけに広上の指揮もそれを正面切って壊すような解釈ではないものの、ともすれば濃密な情感が曲を膨張させるような趣が拭えないのも確かであって、変わりきれなかったそれらの曲にどこまでも寄り添った演奏とは感じにくいものが残るのです。そのような姿勢があったなら彼の演奏は解釈というよりそのあり方の点において、あるいはワインガルトナーの演奏に最も近い位置を占めるものでさえありえたのでは、とも。
 いま入手できる日本人指揮者による録音中では最も早い時期のものである広上盤はその類まれな表現力と、大胆な解釈を支える曲に対する真摯かつ批評的なまなざしにより、極めて示唆に富む内容になっていると思います。けれど個性的な演奏であるということは、最後の最後で曲に滲む作曲家の個性との距離が問われることを免れない事態も暴き出しているようにも感じます。それを念頭に置くことで、次はこの演奏と対照的な性格のフロール盤について考えることにいたします。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1967851716

24. 2022年1月22日 23:30:13 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[12] 報告
古典の磁場の中で:その17 フロール盤に映るもの
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968053963

 今回はフロールによる交響曲に加えて主な管弦楽曲と協奏曲も収めた全集盤についてですが、この演奏の特徴を掴むにはピアノ協奏曲、それも2番について触れる必要がありそうです。


フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)


 クラウス=ペーター・フロールはキャリアの早い時期に東独の崩壊があったせいか録音と縁の薄い指揮者の一人で、旧RCAに残されたこのメンデルスゾーンシリーズはその録音歴を代表する随一の大きなプロジェクトで今もあり続けています。5つの交響曲に主要な管弦楽曲および協奏曲に加え「最初のワルプルギスの夜」をも収録したこのシリーズは、ボックスに纏められたことで管弦楽分野におけるメンデルスゾーンの業績を一望できる優れたセットとしてお勧めできるものになっています。
 そしてメンデルスゾーンの様々な録音をここまで年代順に聴き続けてきて思うのは、この演奏は20世紀型の演奏様式の一つの帰結と位置づけることもできるのではということです。スタインバーグ以降主流を占めるに至った古典的な様式感の重視を基本としつつ、70年代から80年代前半にかけてクラシック界を席巻した重厚さや荘重さへの過度の傾斜を免れたこの演奏は、広上のような意味においては決して個性的で読みが深いとはいえませんが、だからこそメンデルスゾーンの淡彩な音楽の意味合いを曇りなく伝えてくれていると感じるのです。
 広上盤ともども1990年代の幕開けに立ち会ったフロール盤ですが、ナチス禍により本格的な研究が遅れたメンデルスゾーンの場合、録音という形でそれらの成果が一般層に届き始めるのがちょうどこの時期以降からになります。フロール盤の解釈に新奇な要素が感じられないことの、確かにそれも一因には違いないのでしょう。この「スコットランド」も聴いてみれば、その特徴をどう言葉にしたらいいのか考えあぐねるほど変哲のない演奏にも聞こえます。学究的な演奏の特徴でもある提示部の反復がないことも含め、この演奏がメンデルスゾーンの演奏史における新たな潮流に根ざしたものでないのも確かです。その点ではこの録音に先立つマズアの新盤のほうが、むしろ来る解釈を予告する特徴を歴然と打ち出してさえいたほどです(マズアという人は、本当に不思議な指揮者でした)

 結局この演奏は、曲のどこかを特に印象づけようというような演出的な誘惑を拒み通し、いかなる細部にも平等に向き合い心をこめて丁寧に演奏するというある意味では当前のことを貫徹しただけの演奏としかいいようのないものですが、それがメンデルスゾーンの音楽になにをもたらしているかを知る上でこのセットにピアノ協奏曲が含まれていたことは僥倖といわねばなりません。なぜなら番号付きの2曲、特に2番のピアノ協奏曲こそは交響曲以上にメンデルスゾーンの音楽の特質とそれが行こうとしていた方向性を、それらが同時代の協奏曲のあり方とかけ離れていた分だけ明瞭かつ純粋な形で示唆していると考えるからです。
 ダヴィッドの助言によりソロに終始光が当たるよう修正されて完成をみたヴァイオリン協奏曲に比べて、ピアノ協奏曲の人気は低いです。SP時代から多くの録音がなされた前者に対し、後者はLP時代に入ってようやく1番が録音され始め、2番の録音はステレオ最初期のケイティン/コリンズ盤の登場を待たなければなりませんでした。そしてそこで耳にしたのはむしろオケの方が名技性を発揮しているとさえ聞こえかねないほどシンプルなソロパートを、そのまま忠実になぞっているだけのようなケイティンの姿だったのです。それはオペラのプリマに例えられる絢爛たる独奏楽器がオケをむしろ従えるような当時の協奏曲の通念からはおよそかけ離れたものでした。しかもその傾向は1番より2番のほうがより強くさえなっていて、だからこそ2番が1番より録音される機会が少なかったのも直感的に理解できたほどでした。
 けれどそんなケイティンの奏でる力みも気負いもなにもない、ひたすら静かな佇まいのピアノの美しさ! むしろより大きくさえあるオケの起伏にも流されず、一筋の清流がその水面に絶えず天空の流転を映しているのにも似たいわば受け身の叙情性。独奏楽器があくまでオケの一員だったバロック時代の合奏協奏曲から通常のロマン派協奏曲とは逆向きに進化したようなこれら2つのピアノ協奏曲の道行きはメンデルスゾーンがピアニストであると同時に指揮者だったことも一因ではあったのでしょうが、やはり彼の美意識そのものがその後の潮流となる後期ロマン派と一線を画するものだったのが根本的な理由との感が深いです。

 そんなピアノ協奏曲の決して多いわけではない録音のうち大半が、これらの曲をわざわざ普通のロマン派協奏曲の地平へと引き戻そうとするかのごとき演奏で占められている現状はあまりにも悲しいものです。派手なタイプのピアニストは最初から録音さえしないのですが、ペライアやシフのような人々でさえピアノパートの簡素さに耐え難いかのようにテンポや起伏の操作により少しでも技巧的に聞かせようと奮闘することで、無理矢理さばかりが露呈する結果に堕していたのです。そんな中フロールのタクトでこれらの曲を担当したセルゲイ・エーデルマンというロシア系とおぼしきピアニストが、どこまでも曲の意を汲んだ演奏に徹してくれているのを初めて耳にしたときは、本当に救われた心地さえしたほどでした。そのとき改めてこのセットでは決してどの1曲たりとも無理をさせていない。外付けの表現で歪めたりしない。それこそがこのプロジェクト全体を貫くコンセプトだったことを思い知らされたのでした。
 メンデルスゾーンの音楽は鏡です。演奏者の技量や音楽性のみならず、曲に向き合う姿勢までも映さずにおかぬ鏡です。そんなセンシティブな音楽にどこまでも虚心に向き合った姿勢こそが、この全集のかけがえのない価値の源泉だと嘆じるばかりです。


コメント

mixiユーザー2018年08月26日 18:23
フロールの実演をモーツァルトのレクイエムで接したことがあります。力みなく素直で奥行きがしっかり見通せる演奏でしたね。

mixiユーザー2018年08月26日 19:57
ちょう50様こんばんは。さもありなんと思わせる演奏だったようですね。ちなみに先ごろマレーシアPOとの来日公演の新世界交響曲を聴かれたというマイミクさんの日記では、どっしりした重量級の演奏だったそうですから、曲のスタイルにかなり合わせてもいるのかもしれません。円熟期に入る年齢ですし僕としても実演に接したい指揮者の1人です。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968053963

25. 2022年1月22日 23:31:09 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[13] 報告
古典の磁場の中で:その18 世紀の変わり目の交代劇
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968467683

 今回は90年代後半に収録された3つの演奏についてですが、ちょうどこの時期はベートーヴェンの交響曲においてはいわゆるベーレンライター新版と呼ばれる音楽学者デル=マーの校訂譜が刊行されはじめ、その成果を取り入れた録音が続々と現れ始めたのに対し、メンデルスゾーンの場合はナチス時代を経た悪影響で研究が遅れ、20世紀のうちはまだ演奏スタイルに影響を及ぼす段階には至っていませんでした。だからこれらの演奏も広上盤やフロール盤ともども、20世紀における演奏スタイルの範囲内におけるバリエーションという位置づけが妥当とは思われますが、今となってはそんな3人の演奏の中にそれぞれ異なる形ながらも新たなスタイルの予告めいたものが兆し初めていたことに今さらながらも気づかされるのです。

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

 器楽奏者出身の指揮者の場合、弦楽器奏者出身の人は歌い回し重視、ピアニスト出身の場合は構成感重視の傾向を感じることが多いのですが、アシュケナージのこの全集はその典型ともいえる端正かつ律儀な演奏です。解釈の面でも第3楽章を速いテンポで粘らせずに歌うため、カラヤンやバーンスタインのようにここを粘らせてロマン風な味わいを強調する流儀とは一線を画しています。そして彼らに比べるまでもなくテンポの動きも非常に控えめで、それが楷書の演奏という印象を感じさせずにはおきません。フロールに比べてさえ抑制的で、人によっては生硬とさえ感じる向きもあるのではと思うほどです。
 けれどそれから20年余りがたち、今世紀に入ってからの演奏スタイルがかつての後期ロマン派的な要素を一掃したより硬質なものになったことを思えば、アシュケナージのこの解釈は新たな時代の予兆というか、その到来の予告だったのかもしれないとも感じるのです。


マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

 第3楽章だけが以前よりテンポが速くなった一方で他の3つの楽章がより遅くなったマークのこの演奏は、楽章の比率で見ればアシュケナージと堤のちょうど中間型になっていますが、基本のテンポが断然遅いので70〜80年代の後期ロマン派的な要素が表に出ていた解釈の最後のものというべき演奏になっています。緩除楽章が粘らなくなったところに新たな時代の影響を感じさせつつも、この曲全体を悲愁を主調とするものと捉えた解釈を彼は最後まで貫き、一つの時代の幕を引いて去った。それがある種の静けさに満ちたものになったところに美しく老いることのできた人の佇まいを想わせずにおかぬものがあり、ついに老いの入口に立つに至った僕としては羨望とも憧れともつかぬ思いを抱かずにいられないのです。あるいはこれは若くして死なねばならなかったメンデルスゾーンが遂にたどり着けなかった境地だったのではとは思いつつも……。


堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

 楽章の比率では第3楽章にかかるウェイトが今回の3種で最も大きく形の上では最もロマン派的スタイルに近く見えるものの、実際に耳にした印象はそこから最も遠いという一見不思議な演奏です。その秘密は20世紀にすっかりメンデルスゾーンの音楽に染みついた優美なイメージを覆すような率直かつダイナミックな音楽作りによるもので、かつての楽章ごとのテンポの違いを強調するペース配分はそれを遅い楽章を粘らせる方向ではなく、速い楽章の正面から切り込むような攻めの姿勢を強調する方向に作用しているのです。マークの演奏が彼自身の、ひいては20世紀に一般的だったこの曲の詠嘆の詩としての解釈の一つの帰結だったとすれば、アシュケナージはやや慎重に、堤はより大胆に、この交響曲を遠い過去からの木霊としてではなく目前の出来事として響かせようとしているのです。そしてその傾向は今世紀に入るとより明瞭なものになってくる。まさに世紀の変わり目の交代劇をこの3つの演奏の交錯にみる思いです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968467683

26. 2022年1月22日 23:32:09 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[14] 報告
古典の磁場の中で:その19 新たな世紀の交代劇
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968840072

 それではいよいよ今世紀に入ってからの3つの演奏について、見比べていこうと思います。

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

 なおシャイーの新盤は旧盤の項目で述べたように決定稿の前の版を使っているため厳密な比較には向きませんが、実際に聴くと楽章やブロック同士の比率に大きな影響を及ぼすものでなさそうなので、演奏の傾向をみる分にはいけるのではと思います。
 これらを見比べてまず思うのは、21世紀初頭のこれら3つが数値上ではまるでSP時代のような値を示しているということ。1929年のワインガルトナー以降70年代までは一貫してより重厚長大な方向へと変わっていた演奏スタイルが、80年代以降古楽派の運動の影響がメンデルスゾーンの演奏様式にまで及んだことで変わり始めいちどは重さや粘りに大きく傾いたスタイルを一新したことを、20世紀最後の3つの録音中アシュケナージや堤の演奏スタイルの傾向をさらに押し進めた形で示しているのが巨視的な特徴といえるでしょう。
 ではこれらはワインガルトナーやミトロプーロスの演奏の再来かといえばそれは全く違いますし、むしろどんな背景に基づいて登場したのかを見てゆくことで2000年代特有の状況も見えてくるとも思うので、以下にこれらがSP時代の2つと異なる点を列挙してみます。

*解釈の幅がかつてより大幅に狭い。
*演奏精度に対する要求水準が高い。

 解釈の幅が狭まった最大の要因は、手書きの草稿や楽譜などの一次資料に対する科学技術による分析さえも取り入れた音楽学の発達にあると考えるべきでしょう。条件を満たせば紙やインクの年代特定さえ可能というのはSP時代には想像さえできなかったことであり、それらの事実を緻密に積み上げることで主張される演奏様式のあり方は恣意的な反論を許さないとみなされた結果、それを無視した解釈は成立不能とされました。ベートーヴェンの解釈で20世紀最後の10年に起きたことがメンデルスゾーンに波及したのがこの時期だったのです。今回の3つの演奏にもそのことは様々な形で現れていて、デプリースト盤における小編成の採用はこの時期以降それが標準化されてゆきますし、内藤盤でのビブラートの排除も弦の材質と奏法への影響の考察をその根拠としています。シャイーが新盤で古い稿を採用しているのも以前は後の時代の音楽との繋がりを遡る形でメンデルスゾーンに接していたこの指揮者が、より古い音楽との関連から捉え直そうとする姿勢に転じたことと連動しているのは前に述べたとおりです。
 それは古い曲を今の時代に合わせて仕立て直すことや演奏家のパフォーマーとしての個性の発露こそ最も重要とされた80年前の考え方とは正反対でさえありました。ワインガルトナーとミトロプーロスの解釈の違いはここまで見てきたどんな時代にも例がないほどかけ離れたものであり、前提となる考え方が違うだけでここまで結果が変わるのかとただただ嘆じるばかりです。
 演奏精度の問題は楽器の変遷と密接な関連があります。金属弦が登場しガット弦に置き換わる前の20世紀初頭、力が加わると伸びて音程が狂いやすいガット弦は各セクションの音程を揃えるのにも苦労を強いるものであり、なるべく軽い弓圧で粘らせずに歌わないと独奏はともかく合奏では各人の音程がばらけて響きの濁りを避けられませんでした。この時代に多くみられたポルタメントと呼ばれる音程を連続的にずり上げたりずり下げたりさせる奏法が金属弦の普及と期を一にして姿を消していく一方、安定性の高い金属弦の登場はそれまでソリストしか許されなかった強いビブラートをかけつつ旋律線を粘らせる歌い回しの奏法を合奏で可能にしたのでした。1929年収録のワインガルトナーとその12年後のミトロプーロスで聴き比べる「スコットランド」の第3楽章にはそれらの違いが端的に出ていますし、ストコフスキーの一連の電気録音がそんな変化の最も早い実例だろうとも。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968840072

27. 2022年1月22日 23:33:37 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[15] 報告
古典の磁場の中で:番外 ワーグナーがもたらしたもの
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1969626442

 ここまで「スコットランド」の演奏の変遷について書き連ねてきたわけですが、前回に触れた2000年代の最初の10年間に出た録音が一つの解釈に収斂していく傾向が強かったのに対し、今日に至る次の10年間についてはそれがばらけ始めているように感じています。現時点で手元にあるのは我が国初のメンデルスゾーンの交響曲全集となった沼尻盤をはじめとするガーディナーおよびネゼ=セガンによる3つの全集に、単発のものでは村中と古楽のレパートリーでの活躍が長かった有田、つい先ごろ来日が伝えられた現代作曲家ヴィトマンなどですが、この範囲で見れば海外勢が最初の10年に打ち立てられた解釈をベースにしているのに対し、日本勢にはむしろそれらに背を向けるかのような後期ロマン派的な解釈への回帰が多かれ少なかれ見て取れるようにも映るのです。とはいえ全集録音だけでもまだファイ/ハイデルベルク響やマナコルダ/ポツダムチェンバーアカデミー、マンゼ/ハノーファー北ドイツ放送フィルなどが未聴ですので、できればそれらも聴いて確かめたいと考えています。

 ともあれバロック音楽から古典派やロマン派初期の音楽が後期ロマン派の時代に従来よりぐんと遅いテンポで演奏されるようになったということは、どうやらヨーロッパにおいては定説と化しつつあるようです。少なくともベートーヴェンにおいて、それを始めたのはおそらくワーグナーだったのではと僕は思うのです。なぜなら彼は古き音楽に忠誠を捧げていたメンデルスゾーンの演奏をテンポが速すぎると罵る一方、自らの楽劇をベートーヴェンの「合唱」の発展型であると主張していたのですから、実生活でも他人を利用することを全くためらわなかった彼なら十分ありえたことだと思われます。なにしろ人格面はともかく、こと音楽においてワーグナーは本物の天才であり、彼は他人が書いた音楽をとことん自分の色に染め上げたばかりか、それに新たな説得力を持たせるだけの力を持っていました。もしワーグナーにそこまでの力量がなかったら百年後の20世紀後半に我々が耳にしていたベートーヴェン演奏はあれほど重厚壮大なものではなかったのではとさえ思います。ともあれワーグナーの才能のありかたが既存のものを全て呑み込み自分の意図に合わせて変容させるものだったからこそ、彼は音楽で物語を語るあらゆる技法を体系化させることができ、それが今の我々が知る映画音楽の分野における洗練された語法の直接の母胎になったのだと思うのです。
 そしてワーグナーがその反ユダヤ主義的な考えゆえメンデルスゾーンを悪し様に罵った際、メンデルスゾーンのベートーヴェンについてテンポが速すぎると書き残していることは重要です。それは録音の形で残されなかったワーグナー以前のベートーヴェン演奏がそれ以後よりもテンポが速かったことを示す状況証拠にはなりえるものですし、それがワーグナーにとっては不都合だったからこそメンデルスゾーンを貶めることで自分のベートーヴェンこそが正しいのだと強弁する必要を感じていたことを滲ませてもいる資料でもあるのですから。だからこそワーグナーはそれまでラテン系の作曲家の後塵を拝していた歌劇の分野で成功するためにも、自らをドイツ音楽の分野における最初の歌劇の巨匠に祭り上げる必要があり、そのためには歌劇の分野においてはそれほど成功をおさめていなかったベートーヴェンを無理やりにでも接ぎ木しなければならなかった。だからベートーヴェンの音楽をより忠実な形で受け継ごうとしていたメンデルスゾーンが正当性を獲得しきらないうちに彼がユダヤ人であったことを理由に引きずり落とし、ベートーヴェンの音楽を自分の音楽により近い形になるようにして演奏した。それがワーグナーの時代に蔓延しつつあった空気に合致するものであったからこそより重厚さを増したそのベートーヴェン演奏は多くの支持者や模倣者を生み、古い音楽は新たな時代に合わせてスタイルを変えてこそその命が保たれるという考え方ともども後に巨匠時代と呼ばれる一大ムーブメントの礎になったのでしょう。
 そしてそのドイツ至上主義や反ユダヤ主義、音楽を宗教的なまでに荘重なものとして民族的な結束の要に置くことなどを受け継いだ第三帝国が絶対悪とみなされたとき、ワーグナーを源とする流れも欧米ではいったん全否定されねばならなくなった。それが巨匠時代が終焉を迎え、入れ替わるように前衛音楽がそれまでの音楽のありかたを一斉に壊しにかかった現象が意味したはずの事態で、ベルリンフィルの演奏スタイルが一貫してワーグナー的な考え方から遠ざかる形で変遷してきたのも当然のことだったとも思えます。なによりロマン派以外のレパートリーへの関心に端を発し21世紀への変わり目において一つの徹底ないし完成へとたどり着いた楽曲への学究的なアプローチもまた、そんな状況とは無縁たりえなかった現象ではないかとも。そして日本の我々がナチスを生み出したドイツ人ほどそれまでの自分たちを強く否定してこなかったとの以前からなされてきた指摘を思えば、この国で巨匠時代の音楽のありかたが未だに根強く信奉されていることの少なくとも説明の一つとみなせることかもしれません。なにしろヨーロッパはたとえそれが世界における政治経済上の力というか発言力を求めてのことであれ多様な民族や文化を持つ国々をEUという共同体に再編する歴史的実験に至った地域であり、ここが最も先端的な前衛音楽の牙城であったことやアメリカなどに比してさらに過激なオペラ演出のメッカでもあることも同じ根を持つことだと思えば、戦後ひたすらコスモポリタンな性格の団体へと変貌してきたベルリンフィルの軌跡も、同じ動きの一例だったと思えてしまうものですから。

 それだけに世界が再びナショナリズムにも似た空気へと急速に接近し始めた近年、たとえばメンデルスゾーンの、それも日本における演奏が率先するかのように巨匠様式と似たものへと変貌し始めているのはなにやら不気味でさえある光景です。これが移民問題を前にやおら右傾化し始めたヨーロッパや、限りなく帝国主義へと回帰しつつあるような諸大国における演奏スタイルにまで波及してゆくのか否か、単に興味深いとの言葉では追いつかない心持ちで見守っているところです。
 なぜそんなに気にするのかとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、2つある理由の1つは絵画や造形、著作などと異なり音楽は作者が創ったままの形を留めることが難しく、説得力ある演奏であればあるほどそれがいかに元の姿からかけ離れていても受け入れられてしまうのではという危惧を覚えてしまう点。もう1つは巨匠時代のような音楽のありかたは不幸な時代でなければ出てこないのではないかと感じるからです。かつて神経を病んでおられた時にフルトヴェングラーのベートーヴェン演奏に救われた体験から、ベートーヴェンの音楽やフルトヴェングラーの演奏には神を感じると力説するようになられた方を知っていますが、確かにそんなことができる境地は凄いと思います。けれどそれは古い音楽は新たな時代に合わせて仕立て直してこそ価値があるというワーグナーの主張の果てに成り立つものであり、その感動の質が宗教的な法悦の近みにあることを思えば、そういうものに救われねばならぬ人が多数を占めるほど強い危機感に満ちた時代は幸せとは言い難いのではともやはり感じてしまうのです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1969626442

28. 2022年1月22日 23:34:28 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[16] 報告
「クレンペラーとメンデルスゾーンによる」『スコットランド交響曲』旧録音
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1974356767


 令和2年は2020年という2づくしの年となりますが本年もよろしくお願いいたします。今回はクレンペラーによる『スコットランド』の旧録音の話題から始めさせていただきます。まずはいつものように新旧両盤のタイミング比較から。

クレンペラー/ウィーンSO(1951年)
15:55/04:12/08:08/09:48
計38:03(反復あり)
(41.8%・11.0%・21.4%・25.8%)
12:39/04:12/08:08/09:48
計34:47(反復除外)序奏2:47(22.0%)
(36.3%・12.1%・23.4%・28.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

 ごらんのとおり、旧録音は10年後の新録音が省略した提示部の反復を励行しています。これは少なくとも僕の手持ちの録音中最も早い実例になります。そして反復を省いた状態で各楽章の比率を比較すると、この曲を演奏したどの盤よりも第3楽章が速く第4楽章が遅い彼独特の造形がすでに窺えることがわかります。今回は新盤とも比べている関係上、ステレオ初期から70年代にかけての諸盤の比率と比べてみます。

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

 ご覧のとおり、なぜかマズア盤だけクレンペラーとそっくりのテンポ設計になっている以外ほとんどが各楽章のコントラストを意識した演奏になっています。特に第3楽章と第4楽章の対比を通常の演奏は強調しようとする姿勢が顕著なのですが、クレンペラー(とマズア)だけはテンポの落差をなるべく均し、連続性を前面に押し出しているのです。
 ところがコロムビアが復刻したこの旧録音の解説書によると、この第3、4楽章の指揮はクレンペラーではなくて別人だというから驚きです。録音当時クレンペラーは演奏旅行と日程が重なり前半2楽章は自分で指揮したものの後半はヘフナーという指揮者による収録に立ち会っただけでツアーに出かけました。ところがプロデューサーが発売を急いだせいかヘフナーによる後半楽章を使ってLPが発売されてしまい、クレンペラーの抗議にもかかわらずそのまま後世に残ってしまったというのです。本人が録音に立ち会っていたのならそれは本人が練習した内容でオケが演奏するという形だったはずで、だからその解釈の特徴が留められていたのでしょうし会社側の強気の姿勢もそこに根ざしていたのかもしれませんが、これを機にクレンペラーはVOXとの契約を解除したのでした。驚くべきことにこのプロデューサーの名はジョージ・メンデルスゾーン。単に同じ姓なだけでなく作曲者の直系の子孫という嘘のような本当の話だったというのです(汗)

 この顛末はクレンペラーの伝記を書いたピーター・ヘイワースがメンデルスゾーンに問い合わせて得た回答に拠るもので、ヘルベルト・ヘフナーという人は生没年はわかりませんがNMLにもこの『スコットランド』のところにクレンペラーと並んで名前が出ています。ただ「ギリシャでのライブ録音」と書かれているのはツアー先がギリシャだったことと混同されているようで少なくとも会場ノイズなどはありません。またNMLにはアンタイルの交響曲5番「歓喜」やワーヘナールの交響曲4番、ジョスティンの『エンデミオン』が50年代の録音として登録されているほかタワーやHMVにベルクの歌劇『ルル』の2幕版のライブ音源がCD化されたものも出ています。またVOXにウィーンSOと入れた中古LPとしてヒンデミット『白鳥を焼く男』と『ヘロディアーデ』や『金管と弦楽による演奏会用音楽』と『ホルンとオーケストラのためのコンチェルティーノ』をそれぞれ表裏にした中古LPも出てくるので20世紀前半の音楽を得意とした指揮者のようです。ベルクは1949年、それ以外は50年代のいずれもモノラル録音とされているので、ステレオ時代には録音を残せなかった人々の一人だったのかもしれませんし、戦前からアメリカ時代にかけて同時代音楽を数多く手がけたとされるクレンペラーと活動領域が近かったことを窺わせる録音歴でもあります。

 実は今回、マズアの旧録音があまりにもクレンペラーの新旧両盤とテンポ設計が似ているので、両者の接点がどこかの時点でなかったかネット上をあれこれ探してみましたが、同じ時期に同じ場所にいたとか助手をしていたといった情報は見当たらず、同じベルリンのコーミッシュオーパーで異なる時期に主席指揮者を勤めたことがあったのがキャリア上での接点だった程度です。ただ調べている中でマズアが同じゲヴァントハウスOの指揮者だったこともあって、ベルリンの壁崩壊以降に荒れ果てていたメンデルスゾーンの住居を再建したり基金を作ったりすると同時に「チャイコフスキーなら満員になる会場がメンデルスゾーンだと半分しか埋まらない」といって全てのコンサートに必ず1曲はメンデルスゾーンの曲を入れるようにするなど普及活動と研究に尽力したという紹介記事を見つけ、ベートーヴェンやブラームスでは再録音でも解釈の違いを見せなかったこの指揮者がメンデルスゾーンだけは大きく解釈を変えている理由の一端に触れたように思えたのは収穫でした。

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1974356767

29. 2022年1月22日 23:35:28 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[17] 報告
古典の磁場の中で:その20 モノラル音源追加分
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1975173752

 では今回はクレンペラーの旧録音をSP〜モノラル時代の盤の中に置いてみましょう。前回この時期の盤について比較した後にロジンスキー/シカゴSO盤とボールト/ロンドンPO盤を入手していますので、それらも含め年代順に列挙します。

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

ロジンスキー/シカゴSO(1947年)SP
12:47/04:00/08:34/08:13
計33:34 序奏3:39(28:6%)
(38.1%・11.9%・25.5%・24.5%)

クレンペラー/ウィーンSO(1950年)モノラル
15:55/04:12/08:08/09:48
計38:03(反復あり)
(41.8%・11.0%・21.4%・25.8%)
12:39/04:12/08:08/09:48
計34:47(反復除外)序奏2:47(22.0%)
(36.3%・12.1%・23.4%・28.2%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

ボールト/ロンドンPO(1954年)モノラル
11:10/04:02/06:59/08:32
計30:43 序奏2:22(21.2%)
(36.4%・13.1%・22.7%・27.8%)

 こうしてみると意外なことに、クレンペラーの旧盤はこの時期の演奏としては突出した要素が最も少ない、中庸といってもいい存在だったことがわかります。後年ますます顕著になっていった度外れたテンポの遅さもまだ生じていなかったこの時期の彼は、生涯を通じて示していたアンチ・ロマンの傾向ともあいまって、陶酔型とは真逆の冷徹なリアリストとしての視線をも感じさせるバランス感覚に秀でた演奏をここで聴かせているのです。それがさらに顕著に感じられるのが併録された「イタリア」で、そこで彼が聴かせているのはこの曲のイメージとして誰もが感じる爽快さを颯爽としたテンポで描き出しつつも、むしろ楽章ごとの差を抑えつつ、全曲を通じたひとつの流れを打ち出すことに腐心している姿勢です。それは極端にテンポが落ちていったステレオ時代には頑強なまでの個性の発露として感じられるようになってゆくものですが、ここではそれがアンサンブル面の危うさを免れない演奏であるにもかかわらず、ある種の安定感をもたらしてもいるのです。それはおそらく曲ごとの特質に応じた解釈というより、テクニシャンではなかったクレンペラーが自らの手法として身につけていった彼なりの指揮の秘訣というべきもので、それゆえに体が自由に動かせなくなっていった後年も彼はその秘訣を手放せなかったのだと今にして思うのです。その意味でテンポの遅さとあいまった後年の唯一無二としかいいようのないスタイルは彼が心から望んだものではなかったのかもしれないと、この旧録音を聴いたことでしみじみと感じたのでした。

 それにしてもここに見るこれらの演奏の解釈やスタイルの幅の大きさは大変なもので、この曲における共通認識などなかったのだろうと感じざるをえません。全曲の統一感などかなぐり捨てて第3楽章とそれ以外の楽章のコントラストを極限まで強調したミトロプーロス。そんな彼とは正反対に誰よりも速い7分を切った最速テンポで第3楽章を、ひいては全曲を歌いきったボールト。そのきりっとした歌い口は曲線的なワインガルトナーとも正反対ですし、そんな両者の中間的なスタインバーグにもそのどちらとも異なるみずみずしさが刻印されています。そしてロジンスキーとクレツキには後のステレオ時代に主流となってゆく後期ロマン派的な解釈をこの曲に持ち込もうとする試みがそれぞれ始まっていたことも、SP末期からLP初期にかけてかなりの水準にまで高められた再生音が如実に示してくれてもいるのです。
 音楽学どころでない時代に大戦に翻弄される中で音楽と身一つで向き合っていた先人たちの息吹の響き、そんな生々しささえも留めうる録音というものの素晴らしさ!
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1975173752

30. 2022年1月22日 23:36:16 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[18] 報告
古典の磁場の中で:その21 2人の有名指揮者:前半
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1975342489

 ここまでステレオ時代に入るとモノラル時代に比べてテンポが遅くなり始め、特に緩徐楽章については70〜80年代に実時間でも全曲の比率で見ても一つのピークに達するものの、90年代に入るとそれが緩和され始める傾向が大まかに見て取れたわけでしたが、ともに2回この曲を収録したショルティとマリナーにもドホナーニと同様そんな傾向が見て取れます。今回はこの2人について書いてみたいと思います。

ショルティ/ロンドンSO(1954年)モノラル
11:50/04:28/09:04/08:52
計34:14 序奏2:55(24.6%)
(34.6%・13.0%・26.5%・25.9%)

マリナー/アカデミー室内O(1979年)
12:47/04:28/11:36/10:06
計38:57 序奏3:45(29.3%)
(32.8%・11.5%・29.8%・25.9%)

ショルティ/シカゴSO(1985年)
15:54/04:19/10:57/08:56
計40:06(反復あり)
(39.7%・10.7%・27.3%・22.3%)
12:58/04:19/10:57/08:56
計37:10(反復除外)序奏3:31(27.1%)
(34.9%・11.6%・29.5%・24.0%)

マリナー/アカデミー室内O(1993年)
15:21/04:09/10:31/09:35
(38.8%・10.5%・26.5%・24.2%)
計39:36(反復あり)
12:31/04:09/10:31/09:35
計36:46(反復除外)序奏3:34(28.5%)
(34.0%・11.3%・28.6%・26.1%)

 上の表はいつもと同じく録音年代順に並べているわけですが、ご覧のとおりショルティはモノラル期の50年代からデジタル初期の80年代、マリナーはアナログ末期の70年代から20世紀末の90年代にかけての歳月の変化を見て取れるわけで、彼らの再録音がどちらも初回録音には見られなかった冒頭楽章における提示部の反復を取り入れているところに楽譜の指示を遵守することが一般化したあの時代を思い出さずにはいられません。そしてショルティが彼本来のやや即物的な感触を保ちつつも31年後の再録音ではバーンスタインやカラヤンのような後期ロマン派的なバランス面での特徴を強めていたのとは対照的に、ショルティの再録音に僅かに先んじた彼より叙情的な音楽性の持ち主だったマリナーは、14年後の再録音ではショルティとは逆に緩徐楽章をやや速める反面でフィナーレを相対的により遅く設定することを通じ、コントラストよりも全体の流れの統一感を重視する方向に調整を加えているのです。そういう意味で彼らは共にその時期に好まれた流儀を察知しつつ、それを自分たちの音楽性と矛盾することがないよう馴染ませながら演奏していた。それがこれらの遺産からまず窺える時代の子としての彼らの姿勢です。

 それにしてもこうしてショルティとマリナーを聴き比べると、今さらながら彼らの演奏家としての非凡さも痛感させられます。ショルティの新録音は旧録音に比べて遅い部分はより遅くなっているにもかかわらず、リズムの刻みがはっきりしていてフレーズを引っ張らないので停滞感をまったく感じさせないのがいかにもこの人らしく、カラヤンみたいにチャイコフスキーっぽく聞こえることがありません。メンデルスゾーンにしては明らかに構えの大きい演奏でありながら、それが場違いには聞こえないのです。遅めのテンポをキープしながらも旋律を粘らせないので推進力が落ちず、各部の表情は主に歌い回しの硬度の違いとでもいうべきもので描き分けていくので後期ロマン派的な耽溺に決して陥らないその音楽作り。シカゴ時代の膨大な録音には交響曲だけを例にとってもハイドンからマーラーに至る広いレパートリーがあるわけですが、それらが決して場違いに感じられないのも彼の音楽作りのこういう特色が特定の様式のみに最適化されたものではないからだとつくづく思うのです。
 音楽家としてのショルティは、その意味では芸術家というより名職人と呼んだほうがふさわしかったのかもしれません。どんな曲もその対応力の広い音楽作り一本で処理してしまう彼は解釈を頭で考えるというより音楽というものに対する勘で仕上げる趣が確かに感じられ、それが手がける曲の作りをはっきり解き明かす成果を常に確保しているため、情緒的な強調が皆無でも不足感につながってこないのです。彼がワーグナーのシリーズで忘れえぬ成果を挙げたのは彼のスタイルがワーグナーに最適化されていたからでは全くなく、いかに巨大で破格なものであろうとも、音楽として演奏し聴けば必ずわかるという確信に裏づけられた職人としての手つきゆえのことであり、だから彼の演奏ではカラヤンのようにワーグナーまがいのメンデルスゾーンにならずにすんだ。それが解釈というものにもっと自覚的だったマリナーとの最大の違いだったことも今回の聴き比べで痛感させられたのでした。

 職人としてのショルティが新旧録音で見せた違いは時代が好むスタイルが旧盤の時点における新古典主義的なものから新盤では後期ロマン派的なものに移行したことが主たる原因であり、彼の職人としての姿勢には31年の歳月にもかかわらずなんら違いがなかったというのが実感です。それに対して旧録音の14年後に新たな録音を世に問うたマリナーの場合は曲を扱う手つきとでもいうべきものがはっきり変わっています。次回はその点に触れてみたいと思います。
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1975342489

31. 2022年1月22日 23:37:02 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[19] 報告
古典の磁場の中で:その22 2人の有名指揮者:後半
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1975673381


 職人としてのショルティが新旧録音で見せた違いは時代が好むスタイルが旧盤の時点における新古典主義的なものから新盤では後期ロマン派的なものに移行したことが原因ですが、彼の職人としての姿勢には31年の歳月にもかかわらずなんら違いがなく、作品に深入りしない姿勢の貫徹こそがむしろ目立ちます。それに対し旧録音の14年後に新録音を世に問うたマリナーの場合は、旧録音当時に流行した解釈への違和感めいたものが演奏に表れているように思うのです。まず新旧両盤のデータを再掲します。

マリナー/アカデミー室内O(1979年)
12:47/04:28/11:36/10:06
計38:57 序奏3:45(29.3%)
(32.8%・11.5%・29.8%・25.9%)

マリナー/アカデミー室内O(1993年)
15:21/04:09/10:31/09:35
(38.8%・10.5%・26.5%・24.2%)
計39:36(反復あり)
12:31/04:09/10:31/09:35
計36:46(反復除外)序奏3:34(28.5%)
(34.0%・11.3%・28.6%・26.1%)

 ここからわかることは、新録音が旧録音に比べて全ての楽章でテンポが速められていることと、新録音では第1楽章の提示部の反復がなされるようになったことです。その意味ではこれは80年代に出現した楽譜の見直しの最初の成果を新録音で取り入れたことから生じた変化だと一応みなしてよさそうです。
 けれどマリナーの新旧両盤が興味深いのは、彼がこの曲に示す解釈が特に旧録音においてとても解りやすいというか、この曲を彼がどう考えているかが掴みやすいものであるため、新しい研究成果を取り入れなければならなくなったことによって曲に対する接し方を彼がどう変えなければならなくなったかが見えやすい点にこそあります。それは後期ロマン派的な趣味性があらゆる曲に施されることが遂に限界に達してしまった70年代にも、そしてそのことへの批判や反動により学究的な姿勢が表舞台でも脚光を浴びるようになったそれ以後の時代にも、マリナーが己の解釈に自覚的であり続けたからこそ可視化されたものだと思うのです。だからここではまず旧録音がどんなものだったかを見ていかなくてはなりません。
 旧録音の最大の特徴は第3楽章がカラヤンに迫る11分台半ば過ぎという遅さがまず目に留まるにもかかわらず、実は第1楽章の速さこそが最大の特徴です。提示部を反復せず12分台という時間は70年代の演奏としては破格の速さで、それはこの時代に遅い奇数楽章と速い偶数楽章という隣接する楽章ごとに強いコントラストをつける解釈が多かれ少なかれ一般化していたからこそ意表を突くものでもあるのです。しかもこの楽章内では遅めの序奏と群を抜いて速い主部のコントラストはきっちりついていますから、これなら第2楽章はさぞ速いテンポになるだろうと思わせられるわけですが、意外にも第2楽章はゆとりを持たせたテンポなのでここでまず意表を突かれ、問題の遅い第3楽章では確かに遅くはあるものの、それがことさら強調されるよりはその印象をむしろ弱めることになっています。では終楽章はというとこれもむしろ遅めのテンポが採られていて、しかも冒頭楽章とは異なりこのフィナーレでは主部とコーダでもコントラストよりも基本のテンポの保持にこそ注意が払われていて、移行句のところで少し遅くなることが僅かなアクセントになっているだけなのです。
 結果的にこの演奏の全体像は速いテンポとコントラストの強さを特徴とする第1楽章を起点としていながらも以後は第3楽章に向けて段階的にテンポが落とされてゆき、フィナーレでも対比を強調するよりは第3楽章の余韻の中に留まるような曲として演奏されているわけで、当時の流儀からは相当かけ離れた解釈であることは間違いありません。これはもうマリナー自身が、この曲はそんなにコントラストを重視して書かれたものなのかという疑問なり問題意識なりを持っていないと出てこない解釈だとしか考えようがないのです。
 通常コントラストを重視した曲の場合、演奏家による解釈の幅が狭くなる傾向があることを考え合わせると「スコットランド」のように作曲家が連続性をも意識した曲では、演奏家側に両者のいずれにどうウェイトを置くかという判断を求めることになり、それだけ解釈の幅が広がるようにも思えます。マリナーの旧盤は基本テンポの設定が遅すぎる70年代の末期的ロマン派演奏様式の問題点、すなわち速さを感じさせるには速い部分をうんと速くしなければならず、連続性と両立しづらくなることを解決しようとした結果こういうものになったと感じさせるのです。
 新盤は第1楽章の演奏時間の短縮が序奏で稼がれていることに端的に表れているように部分ごとのコントラストは弱められているのですが、基本テンポがより速めに設定されたため変化の幅が小さくても緩急の変化はむしろ大きく感じられるようになっていて、連続性とコントラストがより無理のない形で両立していると納得させる演奏になっています。マリナーの2つの録音は当時の遅すぎる演奏スタイルがこの曲に強いていた無理の正体とそれを解決する方法を可視化していたのだと痛感する次第です。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1975673381

32. 2022年1月22日 23:37:56 : gvzhHLCIJk : UHpUNU1VdlBsRjY=[20] 報告
古典の磁場の中で:その23 70年代の市場状況
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1976385183


 その後全集を録音していない指揮者たちによる70年代に収録された「スコットランド」交響曲が3つほど奥から出てきましたので、改めて70年代のリストの中に置いてみます。追加したのは72年のベルティーニ盤、75年のギブソン盤、79年のムーティ盤です。

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

ベルティーニ/ハンブルク国立PO(1972年)
12:30/04:25/09:45/09:39
計36:19 序奏3:30(28.0%)
(34.4%・12.2%・26.8%・26.6%)

ギブソン/スコットランド・ナショナルO(1975年)
13:12/04:35/09:48/09:42
計37:17 序奏3:17(24.9%)
(35:4%・12:3%・26.3%・26.0%)

ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

バーンスタイン/イスラエルPO(1979年)
13:55/04:05/11:15/09:55
計39:10 序奏4:07(29.6%)
(35.5%・10.4%・28.7%・25.3%)

マリナー/アカデミー室内O(1979年)
12:47/04:28/11:36/10:06
計38:57 序奏3:45(29.3%)
(32.8%・11.5%・29.8%・25.9%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

ムーティ/ニュー・フィルハーモニアO(1979年)
18:30/04:19/11:31/09:55
計44:15(反復あり)
(41.8%・09.8%・26.0%・22.4%)
15:03/04:19/11:31/09:55
計40:48 序奏3:45(24.9%)
(36.9%・10.6%・28.2%・24.3%)

 このリストで目につくのは、第3楽章のタイムが11分台の演奏と8〜9分台の演奏の2グループにはっきり分かれ、その間に断層があること。ちなみに前者は比率の上でも第3楽章が第4楽章よりはっきりウェイトがかけられていますが、後者はほぼ同じかむしろ第4楽章にウェイトがかかっているのが見て取れ、そのことが10分台という中途半端なタイムの演奏が見られないことの原因であろうことが窺えます。当然ながら耳にした印象としては前者がはっきり後期ロマン派趣味、後者がそことの距離があるものという形で完全に二分されています。その2群をグループに固めて並べてみると、また異なる特徴が見えてきます。

カラヤン   (71年)DG      国内初出:LP
バーンスタイン(79年)DG      国内初出:LP
マリナー   (79年)デッカ     国内初出:LP
シャイー   (79年)フィリップス  国内初出:LP
ムーティ   (79年)EMI     国内初出:LP

マズア    (72年)オイロディスク 国内初出:LP
ベルティーニ (72年)アカンタ    国内初出:CD
ギブソン   (75年)CFP     国内初出:なし
ドホナーニ  (76年)デッカ     国内初出:LP

 ご覧の通りメジャーレーベルと契約して盛んに録音していたスター指揮者たちはみな後期ロマン派趣味の演奏で、しかもカラヤン以外は79年に集中しているのが特徴的です。そして下の4人のうちベルティーニとギブソンは国内盤がありませんでしたし、マズアとドホナーニも指揮者よりオケに注目されて売られていたものでした。当時の市場の好みや状況が歴然と窺えます。
 70年代がレコーディングにおけるカラヤンの絶頂期だったことを考えると、当時第2グループのマズアやドホナーニ盤では売り上げの点でカラヤンに及ばなかったのは間違いなく、新録音が企画されたとき各社ともユーザーに支持されたカラヤンと演奏スタイルがなるべく近くなるよう人選した結果がここに現れているのではとさえ思えます。かりにそれが穿ちすぎだとしても、少なくとも当時の日本におけるクラシック市場の表通りがどんな状況だったのかだけは、ここに反映しているといえそうです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1976385183

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