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死刑執行は国家権力による殺人行為である(植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/420.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 7 月 07 日 12:30:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

死刑執行は国家権力による殺人行為である
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-6b27.html
2018年7月 7日 植草一秀の『知られざる真実』


第254回UIチャンネル放送
「鳩山友紀夫氏×植草一秀氏」
https://www.youtube.com/watch?v=pRMOTkBhU8w


をぜひご高覧ください。

日本政治刷新のための方策を論じている。

「市民が変える日本の政治」、「愛・夢・希望の市民政権樹立へ!」、草の根民主主義が日本を変える時機が到来している。

話は一変するが、7月6日午前、松本・地下鉄両サリン事件などで計29人の犠牲者を出した一連のオウム真理教事件をめぐり、死刑が確定していた教祖の麻原彰晃氏=本名・松本智津夫氏ら7人の死刑囚に対する死刑が東京拘置所などで執行された。

一連の事件で死刑が確定した者は合計13人で、初めての執行となった。

命令したのは上川陽子法相。

松本智津夫氏以外に死刑が執行されたのは、早川紀代秀氏、井上嘉浩氏、新実智光氏、土谷正実氏、遠藤誠一氏、中川智正氏である。

オウム事件では、まったく罪のない市民がサリンなどにより殺害され、多くの市民が重大な被害を受けた。

被害者は多数に及び、いまだに後遺症が消えていない被害者も多数存在する。

被害者感情、遺族感情からすれば、死刑の執行は当然だとの声はある。

しかし、死刑は国家権力による殺人である。

刑罰としての死刑が妥当であるのかどうか

議論の余地が大きい。

日本弁護士連合会(日弁連)は、2016年10月7日、第59回人権擁護大会において、
「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」
を採択し、日本において国連犯罪防止刑事司法会議が開催される2020年までに死刑制度の廃止を目指すべきであることを宣言している。

同宣言では、殺人事件などの被害者感情等について次の記述を示している。

「犯罪により命が奪われた場合、失われた命は二度と戻ってこない。このような犯罪は決して許されるものではなく、犯罪により身内の方を亡くされた遺族の方が厳罰を望むことは、ごく自然なことであり、その心情は十分に理解できる。

一方で、生まれながらの犯罪者はおらず、犯罪者となってしまった人の多くは、家庭、経済、教育、地域等における様々な環境や差別が一因となって犯罪に至っている。

刑罰制度は、犯罪への応報であることにとどまらず、社会復帰の達成に資するものでなければならず、このような考え方は、再犯の防止に役立ち、社会全体の安全に資するものである。

人権を尊重する民主主義社会であろうとする我々の社会においては、犯罪被害者・遺族に対する十分な支援を行うとともに、死刑制度を含む刑罰制度全体を見直す必要がある。」

刑罰が犯罪への応報であることを踏まえつつ、被害者感情にも配慮しながら、それでも、現行の死刑制度に反対する立場から宣言を採択したものだ。

日弁連は次のように指摘する。

「死刑は、生命を剥奪する残虐な刑罰である。

刑事司法制度は人の作ったものであり、その運用も人が行う以上、誤判・えん罪の可能性そのものを否定することはできない。

そして、他の刑罰が奪う利益と異なり、死刑は、生命という全ての利益の帰属主体そのものの存在を滅却するのであるから、取り返しがつかず、他の刑罰とは本質的に異なる。

我が国における刑事司法制度の下では、いわゆる死刑再審無罪4事件や袴田事件に見られるように、誤判・えん罪の危険性が具体的・現実的なものとなっている。」

冤罪の可能性がある以上、死刑執行には慎重でなければならないとの原則が示されている。

さらに、死刑制度をめぐる国際情勢の変化にも十分な留意が求められる。

日弁連は次の事実を示す。

「2016年12月、国際連合総会本会議は、死刑存置国に対し死刑執行停止を求める決議を国連加盟国193か国のうち117か国の賛成により採択している。

また、2016年12月末日現在、法律上死刑を廃止している国と事実上死刑を廃止している国(10年以上死刑が執行されていない国を含む。)の合計は141か国であり、世界の中で3分の2以上を占めている。

このように国際社会においては死刑廃止に向かう潮流が主流であり、死刑制度を残し、現実的に死刑を執行している国は、世界の中では少数に留まっている。」

7名の死刑囚に対する刑の執行は、日本の国家による大量殺人という側面を有する。

死刑の是非をめぐる大きな論議を私たちは避けて通るべきでない。

『アンダーグラウンド』(村上春樹、講談社文庫)
https://amzn.to/2u1CoRp






 

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コメント
 
1. 2018年7月07日 13:15:20 : kNeY0s9eJg : _DtOmeuKCLg[44]
死刑制度を採用している以上、死刑判決を受けたものはその執行に問題はない。再審請求の時点であろうと、そうでなかろうと、執行は司法行政である以上任かされざるを得ないであろう。
 死刑執行後であろうとも再審をできるような法を作ることが求められるのではなかろうか。あるいは、裁判判決が出た後でも犯罪の詳細を明確化するように検察や行政に要求し業務をさせるような法を作ることが求められよう。



2. 2018年7月07日 13:56:55 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[9080]
「公開処刑を行った上に死刑囚の家族に民衆が石を投げて喜んでいるのだからマジで中世以下だろ。」
https://twitter.com/takeuchi_gr/status/1015212957494472704

死刑制度が維持されることも恥ずかしいし、国民の民度が… 「理性」と言ってもいいかな…
土人クラス。
この恥ずかしい状態を変えて、新しい文明国・日本を創りましょう。
草の根リベラル市民と、学者と、SNSと、政治家で。

植草氏、がんばってください。応援しております。


3. 2018年7月07日 14:53:52 : ABPExKQ6Vk : WkKEBT_l450[656]
麻生の地元 でも冤罪再審請求死刑囚を突然執行した と記憶がある

疑わしきは受刑者の利益ではないだろうか

国家の殺人にならないように

今回も再審請求隠しの疑い  急いで執行の疑い

真実は慎重にが原則


4. 2018年7月07日 15:56:19 : zR4h5ru1Qc : zseo4CzTyds[101]
死刑制度があるからこそ、死刑執行後の再審請求など出来ないのではないだろうか。
冤罪であった場合、事件に携わったもの全て(警察からメディアまで)の社会的責任が発生することになるからだ。
また裁判官や死刑執行人に重荷を背負わせ続ける社会は問題でないのだろうか?
事件の当事者でもなく、あくまで第三者でありながら、一人の人間の命を奪う判決をくだす者や死刑執行する人の気持ちも考える必要があるのではないか?
それともう一点。殺人を犯罪としながら、人の命を殺める罪の償い方は、結局のところ、社会が殺人を認めることになるのではないだろうか?

これらの点を考えると、自分は欧州のように死刑は廃止すべきだと思う。


5. 2018年7月07日 17:29:43 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[84]


  ---≪死刑廃止は社会正義に反するのではないか≫---

  刑罰のあり方を犯罪者の社会復帰や犯罪の予防、あるいは被害者側の報復といった他の目的の手段として考えることもできるが、刑罰は一義的には犯した罪に対応して犯罪者を罰するものと考えるべきだろう。

  その上で考えると、死刑廃止とは ≪殺人者がどんなに非人間的で残虐なやり方で、どれだけ多くの人々の「生きる権利」を奪っても、その殺人者の「生きる権利」を保障しますとあらかじめ約束し宣言する≫ ということであり、そのような《社会的取決め》は著しく公平性を欠き社会正義に反するのではないか。




6. 2018年7月07日 17:54:45 : zR4h5ru1Qc : zseo4CzTyds[102]
5さん。
>>死刑廃止とは ≪殺人者がどんなに非人間的で残虐なやり方で、どれだけ多くの人々の「生きる権利」を奪っても、その殺人者の「生きる権利」を保障しますとあらかじめ約束し宣言する≫ ということであり、そのような《社会的取決め》は著しく公平性を欠き社会正義に反するのではないか。


無関係な第三者が命を奪うこと、またそれを社会正義とすることは、正義の為なら命を奪ってもよいという発想に繋がるのではないか?
そして、その発想は命の軽視以外何ものでもなく、結局のところ、社会そのものが殺人者と同じだということにならないだろうか?

また、社会正義のための命の軽視が、いくつもの戦争の悲劇を作り出している点も考慮しなくてはいけないと思う。

殺人者(軍人)がどんなに非人間的で残虐なやり方で、どれだけ多くの人々の「生きる権利」を奪っても、その殺人者(軍人)の「生きる権利」を保障しますとあらかじめ約束し宣言するのが戦争でもあり、戦争のための大義こそ社会正義なのだから。


7. 2018年7月07日 18:32:35 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[85]


  >>6 >無関係な第三者が命を奪うこと、またそれを社会正義とすることは、正義の為なら命を奪ってもよいという発想に繋がるのではないか?  


  全く違う。まず>>5で述べたように死刑廃止は「著しく公平性を欠き社会正義に反する」のであり、社会正義とは「社会的公正さ」ということである。

  つまり片方に非人間的で残虐なやり方で奪われた多くの「生きる権利」があり、にも拘らずその殺人者の「生きる権利」を保障しますとあらかじめ約束し宣言する。このことを「著しく公平性を欠き社会正義に反する」と言っているのである。

  次に、司法に携わる裁判官らを「無関係な第三者」とすることはできないだろう。犯罪を裁く当事者である。

  また、>>5では無関係な第三者が命を奪うことを社会正義といっているのではない。




8. 2018年7月07日 18:51:08 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[86]


  >>6 >そして、その発想は命の軽視以外何ものでもなく、結局のところ、社会そのものが殺人者と同じだということにならないだろうか?


  社会正義つまり「社会的公正さ」を求めることが、なぜ命の軽視になるのか。
  死刑廃止の考えかたこそ「社会的公正さ」と言う観点からみたとき、《非人間的で残虐なやり方で奪われた被害者の多くの命》を軽く見ているといわざるを得ない。

  社会正義つまり「社会的公正さ」を求める社会が、なぜ殺人者と同じという発想になるのか。考えられないことだ。




9. 2018年7月07日 19:03:47 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[87]

 
  >>6 >殺人者(軍人)がどんなに非人間的で残虐なやり方で、どれだけ多くの人々の「生きる権利」を奪っても、その殺人者(軍人)の「生きる権利」を保障しますとあらかじめ約束し宣言するのが戦争でもあり、戦争のための大義こそ社会正義なのだから。


  つまり、だから「死刑廃止」には反対と言いたいようにも読めるが。
  とにかく「社会正義」は「社会的公正さ」を意味するので、「戦争の大義」とは何の関係も無い。




10. 2018年7月07日 19:37:52 : pxgwgovz2Q : W8I8Zx2GSxE[514]
体の良い 口封じだよ 執行は

11. 2018年7月07日 20:34:54 : zR4h5ru1Qc : zseo4CzTyds[103]
>>全く違う。まず>>5で述べたように死刑廃止は「著しく公平性を欠き社会正義に反する」のであり、社会正義とは「社会的公正さ」ということである。
>>つまり片方に非人間的で残虐なやり方で奪われた多くの「生きる権利」があり、にも拘らずその殺人者の「生きる権利」を保障しますとあらかじめ約束し宣言する。このことを「著しく公平性を欠き社会正義に反する」と言っているのである。

>>次に、司法に携わる裁判官らを「無関係な第三者」とすることはできないだろう。犯罪を裁く当事者である。

>>また、>>5では無関係な第三者が命を奪うことを社会正義といっているのではない。

→司法に携わる裁判官らは、被害にあった当事者や被害者遺族でないのだから、無関係な第三者に変わりなく、あなたの言っていることは【無関係な第三者が命を奪うことを社会正義】と言っているのと同様だと自分は思う。

また、社会的公平性さというのなら、事件の当事者でもない社会全体に、殺人という罪を負わせることは公平と言えるのだろうか?
社会全体が殺人者となることのどこに社会正義があるのだろうか?
そして、死刑執行後に冤罪だと発覚した場合、どのようにして償うのが社会的に公平か?
5さん、この点をよく考えて欲しい。

それから、一人の殺人者が何人も殺めたケースや猟奇的なケースでは、死刑という一人の死で公平性が保てたなどと言えるわけもなく、だからこそ、それに見合った罰を望む声もある。
だが、それはやはり命の軽視や殺人者と同じ残虐思想へと繋がり、再発防止には繋がらない。

残忍な死刑ショーや惨たらしい拷問を行っていた歴史を見ても、それはただ権力の暴走を産むだけであったし、社会全体の命の価値観の低下により権利者の望む争いに誘われただけであったのではないか?

当事者でない自分達に出来るのは、犯罪者を憎むことではなく、犯罪行為そのものを憎み、再発防止のために思考すること以外ない。
命が奪われたこと自体が不公平であり、この不公平を正すものなど、被害者が蘇らない限り、どうやっても正すことは出来ないのだから。

長々と持論を失礼しました。
5さんのおかげで、より深く熟考することが出来ました。ありがとうございます。
5さんにとっても、死刑反対の視点が少しでもご理解いただければ幸いです。では。


12. 2018年7月07日 20:39:53 : zR4h5ru1Qc : zseo4CzTyds[104]
今気づきましたが、5さん自分へのコメント連投されていたのですね。
時間の都合上、一部しか返信出来ませんでした。失礼しました。
どちらにせよ、後は読み手に委ねましょうか。お互い水と油で混じることはないでしょうから。
では。

13. 2018年7月07日 21:23:19 : WunqCbf92c : iTv6G4@6rZk[2]
現状のままでは死刑制度に反対せざるを得ないと思う。以前は死刑に賛成していたが、冤罪事件が多すぎるために死刑に疑問を持つようになったからだ。袴田事件などは明らかに冤罪なのに48年もの間刑務所に閉じ込められて、本当に日本の刑事司法制度は江戸時代のようだ。他にも死刑が確定した冤罪事件は多い。帝銀事件なんか冤罪だと思われるからか、死刑執行できず釈放するわけにもいかず結局獄死させるしかなかったのだ。本当に何人も殺した殺人犯であるならば仮釈放なしの終身刑にすればよい。一人でも冤罪で死刑にするわけにはいかないのだ。だから、死刑制度に反対だ。

14. 2018年7月07日 21:30:55 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[88]


  >>11 >司法に携わる裁判官らは、被害にあった当事者や被害者遺族でないのだから、無関係な第三者に変わりなく、あなたの言っていることは【無関係な第三者が命を奪うことを社会正義】と言っているのと同様だと自分は思う。
  
  
  間違っている。例えば強盗犯に懲役刑を言い渡す裁判官は、刑を宣告する《無関係な第三者》ではなく、犯罪の状況について詳細に把握して裁く裁判の当事者である。

  >>11の言う当事者「被害者と加害者」だけで解決できないから裁判がある。まして死刑に係る殺人事件では被害者は死亡しているのだ。

  「社会正義」については>>7で述べた通り。




15. 2018年7月07日 22:37:15 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[89]


  >>11 @>社会的公平性さというのなら、事件の当事者でもない社会全体に、殺人という罪を負わせることは公平と言えるのだろうか?-----A死刑執行後に冤罪だと発覚した場合、どのようにして償うのが社会的に公平か?

   
  @言うまでも無く、今回のように死刑が執行されたとしても、社会全体が殺人という罪を負うことにはならない。

  A執行後発覚は償いようが無い。冤罪の可能性のある犯罪には死刑判決を下してはならない。




16. 2018年7月08日 01:31:58 : cd4e0ftkn2 : twWrF_alZc4[-187]

そろそろ^^

手鏡で、女子高生のスカートの中を盗み取るのも^^

死刑で良いのじゃないか?^^


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

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