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<天皇陛下、平成最後の誕生日>声を震わせ「天皇としての旅を終えようとしている…平和への思い語る」感動の声、続々! 
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/374.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 12 月 23 日 15:30:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


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サンデーモーニング 2018年12月23日

※10:33〜 平成最後の天皇誕生日…陛下のお言葉 再生開始位置設定済み 
























天皇陛下、平成最後の誕生日 涙声で「国民に感謝する」
https://digital.asahi.com/articles/ASLD54D0JLD5UTIL01Q.html
2018年12月23日00時00分 朝日新聞


85歳の誕生日を前に記者会見に臨む天皇陛下=2018年12月20日、皇居・宮殿「石橋の間」、代表撮影

 天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えた。事前の記者会見では、来年4月末の退位を見据え「天皇としての旅を終えようとしている」「支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と涙声で語った。象徴としての歩みを振り返り、「譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」と述べた。

 誕生日前の会見は即位翌年の1990年からほぼ毎年行われてきたが、今回が最後となった。在位中の会見としても最後となる見通しで、陛下は約16分間、何度も感極まり、言葉を詰まらせながら思いを語った。

 戦争を経験した天皇として、平和への思いに時間をかけた。戦後の平和や繁栄が多くの犠牲で築かれたことを忘れず「戦後生まれの人々にも正しく伝えていくことが大切」とし、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と語った。

 また、皇太子時代を含めて11回にわたり訪れた沖縄について「実に長い苦難の歴史」をたどってきたと言及。皇后さまと歴史や文化を理解するよう努めてきたといい、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と述べた。

 心に残ることとして、平成の時代に多発した自然災害を挙げた。多くの死者や被害があったことに「言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます」。ボランティア活動など、人々の間に助け合いの気持ちや防災の意識が高まってきたことに勇気付けられると述べた。

 来年4月に結婚60年を迎える皇后さまとの歩みも振り返った。「深い信頼」のもとで伴侶との旅を続けてきたと述べ、「長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います」と感謝の気持ちを明かした。

 最後に、代替わり後の新時代に言及。新天皇となる皇太子さま、皇嗣(こうし)となる秋篠宮さまについて「皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と語った。(島康彦)



天皇陛下、最後の記者会見「国民に衷心より感謝」
https://www.nikkansports.com/general/news/201812230000011.html
2018年12月23日1時18分 日刊スポーツ

天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見し「天皇としての旅を終えようとしている今、象徴としての私の立場を受け入れ、支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と述べた。約4カ月後の退位の日まで「憲法で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」と決意も語った。

宮内庁によると、来年4月30日に退位する陛下が今後、記者会見に臨む予定はなく今回が最後の機会。約20分の会見中、陛下は感極まった様子で何度も声を震わせ、国民や共に歩んできた皇后さまに感謝やねぎらいの言葉を掛けて、半生を振り返った。

1989年に即位し戦後50、60、70年の節目を天皇として迎えた。会見で「わが国の戦後の平和と繁栄が多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきた」と強調。「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)している」と打ち明けた。

11歳で終戦を迎え、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年に18歳で立太子の礼を挙げたと自らの歩みを回顧。皇后さまと共に11回も足を運んだ沖縄県に対し「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていく私どもの思いは、これからも変わることはない」と語った。戦没者の慰霊のため米自治領サイパンやパラオ、フィリピンを訪れたことも「忘れられない」と振り返った。

東日本大震災などで多くの犠牲が出たことは「言葉に尽くせぬ悲しみを覚える」とし、ボランティアや防災への意識が高まってきている現状は「勇気づけられる」とした。「障害者をはじめ困難を抱えている人に心を寄せていくことも大切な務めと思い、過ごしてきた」とも明かした。

会見の最後は家族に言及。来年4月で結婚60年を迎える皇后さまとは「深い信頼のもと、共に旅を続けてきた」とし「考えを理解し、立場と務めを支えてくれた」「皇室と国民の双方への献身を真心を持って果たしてきたことを心からねぎらいたい」と涙声で語った。

新天皇となる皇太子さまと皇位継承順1位の「皇嗣(こうし)」になる秋篠宮さまには「皇室の伝統を引き継ぎながら変わりゆく社会に応じて歩んでいく」と信頼を寄せていた。

会見は20日に行われた。(共同)



天皇陛下として最後の記者会見、皇后さまねぎらう
https://www.nikkansports.com/general/news/201812230000158.html
2018年12月23日8時11分 日刊スポーツ


涙で声を詰まらせながら記者会見される天皇陛下=皇居・宮殿(代表撮影)(共同)


59年4月、「結婚の儀」を終え、沿道を埋めた人たちの前を馬車でパレードされる天皇、皇后両陛下(共同)


10年8月、結婚前に出会った思い出のコートでテニスを楽しまれる天皇、皇后両陛下(共同)


世界地図を見ながら、これまで訪れた国を振り返られる天皇、皇后両陛下=皇居・御所(宮内庁提供)(共同)

天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見し「天皇としての旅を終えようとしている今、象徴としての私の立場を受け入れ、支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と述べた。宮内庁によると、来年4月30日に退位する陛下が今後、記者会見に臨む予定はなく、今回が最後の機会。陛下は自身の半生を振り返りながら、何度も声を震わせられた。

最後の記者会見に臨んだ陛下は、こみ上げる涙をのみ込むように、何度も感極まった様子を見せた。国民や、共に歩んできた皇后さまに感謝やねぎらいの言葉を掛けつつ、約4カ月後の退位の日まで「憲法で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」と決意を語った。

約20分の会見は、陛下の「集大成」ともいえる内容だった。11歳で終戦を迎え、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年に18歳で立太子の礼を挙げたと自らの歩みを回顧。平和への願い、災害における被災者に寄り添ってきた思いを述べられたほか、皇后さまと共に11回も足を運んだ沖縄県に対しては「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていく私どもの思いは、これからも変わることはない」と語った。

最後は家族にも言及した。来年4月で結婚60年を迎える皇后さまとは「深い信頼のもと、共に旅を続けてきた」とし「皇室と国民の双方への献身を真心を持って果たしてきたことを心からねぎらいたい」と涙声で語った。新天皇となる皇太子さまと「皇嗣(こうし)」になる秋篠宮さまには「皇室の伝統を引き継ぎながら変わりゆく社会に応じて歩んでいく」と、信頼を寄せた。



宮内庁幹部も天皇陛下会見に涙「最後にふさわしい」
https://www.nikkansports.com/general/news/201812230000161.html
2018年12月23日8時51分 日刊スポーツ

天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見し「天皇としての旅を終えようとしている今、象徴としての私の立場を受け入れ、支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と述べた。宮内庁によると、来年4月30日に退位する陛下が今後、記者会見に臨む予定はなく、今回が最後の機会。

宮内記者会からの質問は「現在のご心境と共に、いま国民に伝えたいことをお聞かせください」の1問だけだった。質問が宮内庁に提出されたのは11月中旬。以来、陛下は側近が用意したこの1年の活動記録の資料を参考にしながら、自らじっくりと時間をかけて、回答を書き記したという。宮内庁幹部は会見後、「最後にふさわしい内容で、歴史的会見だった」と目を潤ませた。


天皇陛下85歳 平成最後の誕生日会見=宮内庁提供映像(2018年12月23日)

THE PAGE(ザ・ページ) 2018/12/22 に公開
天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられ、これに先立つ記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵しています」と振り返った。陛下は2019年4月30日に退位されるため、平成最後の誕生日会見となった。

【会見動画】天皇陛下85歳 平和と災害、平成を振り返る
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181223-00010000-wordleaf-soci



「天皇としての旅を終えようとしている今…」 会見全文
https://digital.asahi.com/articles/ASLDP43M6LDPUTIL011.html
2018年12月23日00時00分 朝日新聞


85歳の誕生日前の記者会見で、声を詰まらせながら話す天皇陛下=2018年12月20日、皇居・宮殿「石橋の間」、代表撮影

 20日に行われた天皇陛下の会見の全文は以下の通り。

     ◇

 《問》天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。

 【天皇陛下】この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

 ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

 今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

 私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

 第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。

 しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

 以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠(たいかん)式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

 それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。

 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

 障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

 今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

 そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。

 明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

 天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。

 そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

 今年もあと僅(わず)かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。






































 

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コメント
1. 赤かぶ[2333] kNSCqYLU 2018年12月23日 16:17:27 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[799] 報告





2. 赤かぶ[2334] kNSCqYLU 2018年12月23日 16:18:57 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[800] 報告





3. 赤かぶ[2335] kNSCqYLU 2018年12月23日 16:20:19 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[801] 報告





4. 赤かぶ[2336] kNSCqYLU 2018年12月23日 16:21:48 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[802] 報告





5. 赤かぶ[2337] kNSCqYLU 2018年12月23日 16:23:37 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[803] 報告





6. 2018年12月23日 17:27:28 : 5DrWKdS2To : o9w2Y5DSTWs[86] 報告

昭和天皇は、
――――記者に「戦争責任」を問われ、“そんな文学的表現の質問には答えられない”と屁を垂れた!
――――記者に「原爆投下」について問われ、“戦争中のことなのでしかたがない”と屁を垂れた!

では、↑の問いに、今上天皇はどう言って答えるでしょうか?
その質問をした記者も、政治かもまだ一人もいません・・・投稿者「赤かぶ」さんはどう思いますか???

また、
「昭和天皇に、沖縄は少なくとも3回切り棄てられた」と、数年前「琉球新報」社説は告発し、それに答えを出せないようでは戦後は終わらない。・・・・と、問題提起していますが、それについてもどうでしょう???

アメ公のポチとなった戦犯「現人神」を「日本国の象徴」に祀っている我がアホたれニッポン人なのですが・・・・美辞麗句の君主誉めちぎりは、歴史評価を誤らせることになる。
なにせ、全政党が「天皇陛下バンザイ」となったのだから・・・胡散臭い時代である (;´д`)


[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)アラシ。

7. 2018年12月23日 17:32:00 : 17yo3W2TPh : WRLcUB2uRHw[459] 報告
国民が感動する言葉、安倍晋三や自民党議員から聞いたことがない。
五年間一度も聞いたことがない!
嘘しか聞いたことがない!
8. 赤かぶ[2339] kNSCqYLU 2018年12月23日 18:04:48 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[805] 報告

平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに 心から安堵 天皇陛下85歳
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018122302000130.html
2018年12月23日 東京新聞


85歳の誕生日を前に、記者会見される天皇陛下=皇居・宮殿「石橋の間」で(淡路久喜撮影)

 天皇陛下は二十三日、八十五歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、戦争と戦後日本の歩みを振り返りながら「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と、平和が続いていることへの率直な心情を吐露した。 (小松田健一)

 陛下は来年四月三十日に退位して上皇となった後は、全ての公務を新天皇の皇太子さまに譲るため、誕生日会見は今回が最後。平和希求への思いや、長年にわたって陛下を支えた皇后さまについて語ったときは、声を震わせる場面もあった。会見では、自らの天皇在位や人生を旅に例え、「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と、国民に謝意を示した。

 来年四月に皇后さまとの結婚から六十年を迎えるに当たっては「私の人生の旅に加わり、六十年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います」と語った。

 戦後に米国から返還された奄美群島(鹿児島県)、小笠原諸島(東京都)、沖縄県にも言及。「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と強調した。日本で働く外国人の増加にも触れて「社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています」と述べ、多文化が共生する社会を望んだ。

 次の天皇となる皇太子さまと皇嗣(こうし)となる秋篠宮さまには「共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と新時代の皇室に期待を寄せた。













9. 赤かぶ[2341] kNSCqYLU 2018年12月23日 18:13:15 : foLi271siw : Gk_qr4u6MEE[807] 報告











10. 2018年12月23日 18:39:30 : quMKleKEOA : apQvoj4eROs[937] 報告
泣き上戸ならぬ泣き痴呆という病気があるのか

上皇になってからはインタビューとか見苦しいことは避けることができるのか?
妻がうるさそうでそれは難しそうな気もする


[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)アラシ。

11. 2018年12月23日 19:25:34 : d0QODkNglo : ul9iNPnSst8[57] 報告
心配の 種は尽きない これからも
12. 2018年12月23日 21:19:38 : quMKleKEOA : apQvoj4eROs[935] 報告
こんな痴呆天皇なら、退位とかしなくとも
大正天皇扱いで10年前に徳仁を摂政にしておけば良かった


[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)アラシ。
13. 2018年12月24日 00:11:50 : quMKleKEOA : apQvoj4eROs[937] 報告
大正天皇の時代には天皇の「病気」が精神関係でも報道して摂政を立てる自由があったのに
今の時代には天皇の病気についても癌以外はきちんと報道されていないところが恐い
(妻の出しゃばりや夫操縦についてもフェイクニュースばかりであまりきちんと報道されているとはいえない)

だからこそ大正デモクラシーという言葉があるのか


[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)アラシ。

14. 2018年12月24日 00:34:03 : 5DrWKdS2To : o9w2Y5DSTWs[88] 報告

「赤かぶ」に都合の悪いコメ書くと、阿修羅管理人はスグ削除する・・・・民主主義の心根がない掲示板かな Σ(゚Д゚)

やだね〜
「赤かぶ」は、反論能力なしですか???
そんなら、投稿しない方がよい・・・・討論掲示板でしょうが???




[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:管理板にすべきコメント(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

15. 2018年12月24日 13:58:12 : 5DrWKdS2To : o9w2Y5DSTWs[90] 報告

馬鹿を言うな
天皇の痴呆的無責任発言!

アメリカの中東・イラク戦争の出撃基地は日本の沖縄から・・・日本は戦争加担国!

こんな調子で、アメ公の戦争基地であり続けるニッポンの平和とは( ´艸`)
投稿者「赤かぶ」=阿修羅管理人も、コメを削除することに、少しは考えたらどうかネ!
討論掲示板が泣いていますよ(;´д`)

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