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近代失敗国家 感情が動員された日本だが敗戦近し(世相を斬る あいば達也)
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/706.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 1 月 03 日 23:00:06: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

近代失敗国家 感情が動員された日本だが敗戦近し
https://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/ca5ec5fbe0a0b93db151cf2946a3db02
2019年01月03日 世相を斬る あいば達也


★ 謹賀新年 ★

以下は、朝日新聞デジタルから引用した、大塚英志氏のインタビュー記事である。長時間のインタビュー記事なので、筆者の意見を挟むことは差し控える。大塚氏の考えを、個々の読者が、かくようにも読んで貰えば良いな、との感想を持った。たしかに、同氏の本は売れないかもしれない(笑)。言い回しが、同氏独特で、なんどか読み直す部分があった。しかし、世の中を、論理的に理屈っぽく、よく観察していると感心した。

最後の方で、現在の安倍官邸内部に、近衛文麿の大政翼賛体制の知識を持つ者が何人かいて、出来の悪い大政翼賛に繋がるメディアミックスが行われている。つまり、まんまと大政翼賛体制に、我々は引き摺り込まれていると云うことだ。半分以上抜け出せないかもと分析している。そして、この大政翼賛体制が闘う相手は、中国や北朝鮮ではなく、グローバル資本が相手であったようだから、もう既に敗戦前夜となっていることを指摘している。この点は、まったく同意のひと言だ。


≪感情が政権と一体化、近代に失敗しすぎた日本 大塚英志

 「泣ける」「感動する」――。そんなキャッチフレーズがあふれている。政治家は怒りや敵意をむき出しにし、天皇陛下が退位の意向をにじませた「お気持ち」に国民の多くが共感した。私たちの社会を「感情」が支配してはいないか。私たちは「感動」にどう向き合えばいいのか。『感情化する社会』(太田出版、2016年)の著者でまんが原作者・批評家の大塚英志さんに聞いた。


批評家の大塚英志さん=山本和生撮影

 ――社会の至るところで、感情がむき出しになっているように見えます。

 「感情によって共感し、非言語的な関係を作っていくというのは、近代以前の社会から普遍的にあったものです。むしろ、言語的なコミュニケーションで他者と理解しあうということの方が近代の新しい作法ですよね」

 「よく学生たちに、『近代とは何か』と説明するときは、こんな話をします。近代以前の小さな村で、田んぼのあぜ道を向こうから誰かが歩いてきたら、名前どころか、その家が田んぼを何町歩持っていて、じいちゃんやばあちゃんが誰かまで全部わかっている。その人は誰なのか、いちいち『理解』をする必要がないわけです。ところが、近代に入ってその村を飛び出して、都市のような新しい場所にやってきたら、下宿で隣り合った人や街ですれ違った人は誰かわからない。それは、実は怖い。もしかしたら、ポケットの中にナイフを忍ばせていて、いきなりあなたを殺すかもしれない、という恐怖が潜在的にある。その嫌な感じが『他者』なんです。近代とは他者への恐怖を抱え込む時代です。でも、『じゃあこっちも同じようにナイフを持って』というのはやめよう、そこで、お互いに相手が何を考えてるのか、言葉と言葉で理解し合おうという社会のルールが生まれる。わかりやすく言うと、それが『近代』なんだよね、と」

 「ただ、近代になっても、感情と感情の非言語的コミュニケーションはなくなったわけではありません。『何なにするのに言葉はいらない』的な言葉があるように、言葉で丁寧に理解するのは面倒くさいんですよ。そして、言葉で丁寧に理解し合う『やり方』が不在なまま、感情による共感がコミュニケーションに対し支配的になる。そうやって、人々がお互いに感情でつながることを求め、その感情が社会を動かす最上位のエンジンになる状態を『感情化』と呼んでいます。そうなると、合理とか論理のような感情以外のコミュニケーションは意味をなさない。例えばフェイクニュースはある人々にとって気持ちがいいわけです。だから共感を呼ぶ。そこでファクトチェックし事実を示しても感情が勝ちますから、説得力はないわけです」

 ――共感や感動は、なぜ浮上してくるのでしょうか。

 「さっきいったように、言葉によるコミュニケーションより楽だからですよ。言葉によってきちんと他者と対話する約束事の上に社会を作っていくことに関して、多分この国は近代を通じてサボってきた。そのツケやほころびが、『感情化』で、今に始まったことではない」

 「ひと世代前の若者が使った『空気を読む』という言い方がありますが、『空気』って言葉のこのような語法自体がかつての戦時下に、世論操作のために『空気を醸成する』のような使われ方で広がったもので、この国が自ら醸成した空気にあらがえず非言語的なコンセンサスであの戦争に突っ走っていったわけでしょう。じゃあ、当時の日本人たちが言葉や論理を軽視していたかって言ったら、実は全然違う。思想としての是非はともかく、大政翼賛会などのプロパガンダに関わった人々は極めて論理的で精緻(せいち)な言葉を使い、それに基づく宣伝戦略を立てている。戦時下はメディア理論や論理的な思考が一方では発達した。大政翼賛会は国家と国民の協力体制、つまり『協同』による戦時総力戦体制を構築しよう、と新体制運動をしたわけですが、そもそも近衛文麿首相による近衛新体制の思想統制の軸の一つは軍事・産業だけでなく、あらゆるもの、生活に至るまでの科学化、合理化ですよ。よく、戦後、アメリカの持ち込んだ合理主義のおかげで、日本人の美徳が消えた的な言い方をするけれど、そうじゃない。しかし一方で戦時下、非言語的なコミュニケーションみたいなものが優位に進む。まあ、感情の同一化を導くプロパガンダ理論が高度に発達したこともありますが、基本『楽だ』が大きいと思う。考えないのは『楽』なんです」

 ――日本では、「公共性」を作ることに失敗したと指摘されています。

 「日本だけじゃないですけどもね。近代の中で、従来のお上や王や神とは違う公共性を作らなきゃいけなかったんだけども、なかなか難しかった。そういう意味で本当に成功した国なんて世界中どこにもありゃしないわけですよ」

 「そもそも、『公』の考え方には2種類あります。一つはあらかじめ、『公』みたいなものがあって、そこに『私』というものを帰属させていく考え方です。その公は、神だったり、王だったり天皇だったり、あるいは国家だったりした。それが戦争中の言葉でいえば、『滅私奉公』っていう極端な形になる」

 「一方で、自立した個人、他者同士が、互いに対話しながら、コンセンサスを形成して自ら作っていく『公』みたいなものがある。民主主義っていうのは、後者の方を選択しようっていう決まり事、努力目標だったわけですよね。ただし、もちろんヨーロッパやアメリカにおいてだって、神様という『公』から離れることに抵抗した人はたくさんいた。それが例えばトランプを支える人たちの一部なのかもしれない」

 ――日本で公共性を作れなかった要因を天皇制に見ていますね。

 「日本では、パブリックなものを天皇に委託することで済ませてしまった。委託するだけで判断停止した。無論、天皇に照らし合わせることによって、自分を律する、そういう公共性、倫理性の余地だってあったかもしれない。ヨーロッパでいうと、キリスト教的な神にあたるようなものですね。でも、今の日本人が『陛下に恥ずかしくない日本人でありたい』なんて古い民族派の人たち以外、思っていないでしょう。口で言う人はいても」

 「僕は、ある時期まで、戦後憲法下の天皇制に対し、一種の二重権力だからこそ、政治権力の暴走を抑止する装置として有効かもしれないという理由で、肯定的でした。しかし、10年ぐらい前から、結局は、公共性を作ることに対して有権者が怠惰であり続ける要因になるから、天皇制を断念するべきだと考えるようになりました。今の安倍政権を見ていると、平成の天皇の方がリベラルに見える。ネットでは天皇を左翼呼ばわりする『保守』や、天皇の言動が彼らの意にそぐわずいらだつ右派も散見しますよね。自称『保守』の人には彼らの意思にそぐわない天皇が邪魔そうには見えます。しかもそれを隠そうとしない。安倍政権周りに至っては、『お気持ち』発言も含め、平然とスルーしているとしか見えない。だから、天皇の存在が、政権の抑止になってるのかといったら、そうなっていない。政治から象徴天皇が切断されている以上、天皇に政治は忖度(そんたく)しなくていい」

 ――実際に抑止力として機能したら、それはまさに政治ですよね。

 「そうです。天皇で右派を牽制(けんせい)する左派の立場も天皇の政治利用となりかねず、象徴天皇制とも矛盾する。だから、天皇制は断念し、自力で権力をチェックする当たり前の民主主義を有権者は選択するしかない」 ――社会の至るところで、感情がむき出しになっているように見えます。

 「感情によって共感し、非言語的な関係を作っていくというのは、近代以前の社会から普遍的にあったものです。むしろ、言語的なコミュニケーションで他者と理解しあうということの方が近代の新しい作法ですよね」

 「よく学生たちに、『近代とは何か』と説明するときは、こんな話をします。近代以前の小さな村で、田んぼのあぜ道を向こうから誰かが歩いてきたら、名前どころか、その家が田んぼを何町歩持っていて、じいちゃんやばあちゃんが誰かまで全部わかっている。その人は誰なのか、いちいち『理解』をする必要がないわけです。ところが、近代に入ってその村を飛び出して、都市のような新しい場所にやってきたら、下宿で隣り合った人や街ですれ違った人は誰かわからない。それは、実は怖い。もしかしたら、ポケットの中にナイフを忍ばせていて、いきなりあなたを殺すかもしれない、という恐怖が潜在的にある。その嫌な感じが『他者』なんです。近代とは他者への恐怖を抱え込む時代です。でも、『じゃあこっちも同じようにナイフを持って』というのはやめよう、そこで、お互いに相手が何を考えてるのか、言葉と言葉で理解し合おうという社会のルールが生まれる。わかりやすく言うと、それが『近代』なんだよね、と」

 「ただ、近代になっても、感情と感情の非言語的コミュニケーションはなくなったわけではありません。『何なにするのに言葉はいらない』的な言葉があるように、言葉で丁寧に理解するのは面倒くさいんですよ。そして、言葉で丁寧に理解し合う『やり方』が不在なまま、感情による共感がコミュニケーションに対し支配的になる。そうやって、人々がお互いに感情でつながることを求め、その感情が社会を動かす最上位のエンジンになる状態を『感情化』と呼んでいます。そうなると、合理とか論理のような感情以外のコミュニケーションは意味をなさない。例えばフェイクニュースはある人々にとって気持ちがいいわけです。だから共感を呼ぶ。そこでファクトチェックし事実を示しても感情が勝ちますから、説得力はないわけです」

 ――共感や感動は、なぜ浮上してくるのでしょうか。

 「さっきいったように、言葉によるコミュニケーションより楽だからですよ。言葉によってきちんと他者と対話する約束事の上に社会を作っていくことに関して、多分この国は近代を通じてサボってきた。そのツケやほころびが、『感情化』で、今に始まったことではない」

 「ひと世代前の若者が使った『空気を読む』という言い方がありますが、『空気』って言葉のこのような語法自体がかつての戦時下に、世論操作のために『空気を醸成する』のような使われ方で広がったもので、この国が自ら醸成した空気にあらがえず非言語的なコンセンサスであの戦争に突っ走っていったわけでしょう。じゃあ、当時の日本人たちが言葉や論理を軽視していたかって言ったら、実は全然違う。思想としての是非はともかく、大政翼賛会などのプロパガンダに関わった人々は極めて論理的で精緻(せいち)な言葉を使い、それに基づく宣伝戦略を立てている。戦時下はメディア理論や論理的な思考が一方では発達した。大政翼賛会は国家と国民の協力体制、つまり『協同』による戦時総力戦体制を構築しよう、と新体制運動をしたわけですが、そもそも近衛文麿首相による近衛新体制の思想統制の軸の一つは軍事・産業だけでなく、あらゆるもの、生活に至るまでの科学化、合理化ですよ。よく、戦後、アメリカの持ち込んだ合理主義のおかげで、日本人の美徳が消えた的な言い方をするけれど、そうじゃない。しかし一方で戦時下、非言語的なコミュニケーションみたいなものが優位に進む。まあ、感情の同一化を導くプロパガンダ理論が高度に発達したこともありますが、基本『楽だ』が大きいと思う。考えないのは『楽』なんです」

 ――日本では、「公共性」を作ることに失敗したと指摘されています。

 「日本だけじゃないですけどもね。近代の中で、従来のお上や王や神とは違う公共性を作らなきゃいけなかったんだけども、なかなか難しかった。そういう意味で本当に成功した国なんて世界中どこにもありゃしないわけですよ」

 「そもそも、『公』の考え方には2種類あります。一つはあらかじめ、『公』みたいなものがあって、そこに『私』というものを帰属させていく考え方です。その公は、神だったり、王だったり天皇だったり、あるいは国家だったりした。それが戦争中の言葉でいえば、『滅私奉公』っていう極端な形になる」

 「一方で、自立した個人、他者同士が、互いに対話しながら、コンセンサスを形成して自ら作っていく『公』みたいなものがある。民主主義っていうのは、後者の方を選択しようっていう決まり事、努力目標だったわけですよね。ただし、もちろんヨーロッパやアメリカにおいてだって、神様という『公』から離れることに抵抗した人はたくさんいた。それが例えばトランプを支える人たちの一部なのかもしれない」

 ――日本で公共性を作れなかった要因を天皇制に見ていますね。

 「日本では、パブリックなものを天皇に委託することで済ませてしまった。委託するだけで判断停止した。無論、天皇に照らし合わせることによって、自分を律する、そういう公共性、倫理性の余地だってあったかもしれない。ヨーロッパでいうと、キリスト教的な神にあたるようなものですね。でも、今の日本人が『陛下に恥ずかしくない日本人でありたい』なんて古い民族派の人たち以外、思っていないでしょう。口で言う人はいても」

 「僕は、ある時期まで、戦後憲法下の天皇制に対し、一種の二重権力だからこそ、政治権力の暴走を抑止する装置として有効かもしれないという理由で、肯定的でした。しかし、10年ぐらい前から、結局は、公共性を作ることに対して有権者が怠惰であり続ける要因になるから、天皇制を断念するべきだと考えるようになりました。今の安倍政権を見ていると、平成の天皇の方がリベラルに見える。ネットでは天皇を左翼呼ばわりする『保守』や、天皇の言動が彼らの意にそぐわずいらだつ右派も散見しますよね。自称『保守』の人には彼らの意思にそぐわない天皇が邪魔そうには見えます。しかもそれを隠そうとしない。安倍政権周りに至っては、『お気持ち』発言も含め、平然とスルーしているとしか見えない。だから、天皇の存在が、政権の抑止になってるのかといったら、そうなっていない。政治から象徴天皇が切断されている以上、天皇に政治は忖度(そんたく)しなくていい」

 ――実際に抑止力として機能したら、それはまさに政治ですよね。

 「そうです。天皇で右派を牽制(けんせい)する左派の立場も天皇の政治利用となりかねず、象徴天皇制とも矛盾する。だから、天皇制は断念し、自力で権力をチェックする当たり前の民主主義を有権者は選択するしかない」

国民全部が相手の天皇の感情労働

 ――天皇陛下の退位に関する「お気持ち」発言に共感した国民が大多数だったことを「感情化」の表れと指摘しました。

 「いまの天皇は、象徴天皇とは何かということを考え抜いたと思います。彼ほど象徴天皇制について考え抜いた人はいないという点で心から尊敬します。事実、最後の誕生日での会見でも自身の在位期間を『日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてき』た、と総括しています。象徴天皇は政治への関与はできない、つまり、具体的に、何か政策を実行することにコミットできず、じゃあ何が天皇にできるかといったら、ひたすら、国民の感情に寄り添い慰撫(いぶ)するしか選択肢はない。だから、それが、戦後憲法下の象徴天皇の職能だと理解し、実践してきたわけです。しかし、この、慰撫する、癒やす、励ますことで相手の感情に作用することこそ『感情労働』なのです。感情労働とは、『ひたすら相手の感情をくみ続ける行為』で、脱工業化社会に起きる現象だと言われています。マクドナルドの『スマイル0円』がよく引き合いに出されるけれど、今はその意味で過剰に相手に『感情労働』を求めますよね。サービスを受ける側が、相手の感情労働が当然の権利となっています。しかし、介護や看護などは感情労働としての側面が強く要求され、それが働く側の負担になり、専門職化を阻んでもいるわけです」

 「他人の感情と向かい合い、受け止め、快適さを与えるって、めちゃくちゃしんどいですよ。まして国民全部が相手となる天皇の感情労働は極めてハードワークです。国民どころか、時にはアジアのかつての戦地を回って人々の心を慰撫してきた。この国の戦争責任を感情労働であがなおうとしてきた。『お気持ち』発言では、天皇の務めについて『機能』という言い方をしています。いわば天皇機関説を天皇自身が語っている。象徴天皇の機関としての役目は国民への感情労働であり、しかし、天皇職は機関である以上、その機能を担っていくのは人間だということです。それを充全(じゅうぜん)に行うには体力や人間としての寿命に限界があり、機能が停滞することがあってはならないから、役職としての定年みたいなものを設けて、天皇職が適切に『職能』を全うできる体制を考えてほしい。つまり、『お気持ち発言』は、私は私なりに象徴天皇制をこう考え実践してきた、国民の皆さんも象徴天皇制のあり方と制度設計について議論してほしい、ということだったと思います。それは象徴天皇制について考え抜き実践したという自負に立った上での切実な『お気持ち』であり、しかし、象徴天皇制への制度的言及はそれ自体が政治的な発言で、その『機能を有』さないから『お気持ち』というトリッキーなロジックを使わざるを得なかった。けれど皮肉にも国民には『お気持ち』、つまり感情だけが届いて、『お疲れさまでした』で終わっちゃった。安倍首相も自分の気持ちの忖度は求めても天皇の『お気持ち』は忖度せずスルーした。その結果、彼の象徴天皇制の定義と提言という、極めて理性的な部分は届かなかった。ぼくはそういう彼にただ『同情』しても意味はないので、『感情化する社会』に急きょ、一章を追加して、『お気持ち』を言葉として理解し、論じたわけです」

 ――その解釈を巡って本来はもっと論争があるべきだった、と。

 「ええ。象徴天皇制というのは一体今後どうあるべきなのかっていう理性的な議論ができなかったことが、感情化した社会を皮肉にも体現している。確かに、国民の感情に向かい合うことを真摯(しんし)に推し進めてきたのが平成の天皇だった。だから国民は『感情』以外で、つまり理性や論理で天皇制に向かいあわないことに慣れてしまった。まだ、昭和天皇の時代なら天皇制の是非について議論はあったわけでしょう。でも、平成の世は天皇制を自明にしてしまうことで、制度としての象徴天皇制を考えることをサボタージュしてやり過ごした気がします。天皇制を存続させたいなら、『万世一系』で済ませるのでなく、冷静な制度設計が必要でしょう」

 「しかし、近代の天皇制はひるがえってみれば結局のところ『感情』による統合だったわけです。だから敗戦も昭和天皇の感情の吐露に国民が共感するという形しか取れなかった。敗戦を決断をする人がいなかったわけです。これも戦争の負け方を合理的に設計できなかったツケです。戦後の天皇制は、まさに、昭和天皇の『感情労働』から始まったわけです。その意味で感情労働としての象徴天皇制は戦後的だとさえ言える」

 ――国民の側もそれを望んで、共感してきた、と。

 「近代の海外の日本人論をたどっていくと、『個』でないことが日本人なんだ、という基調イメージがある。明治期には日本人は『個我』が未発達で進化論的に劣勢なんだって西欧の日本文化論は語っていた。パーシバル・ローエルの『極東の魂』とかね。レイシズムですよ、一種の。それを日本人は肯定的にとって、個を超えて一体化する非言語的なコミュニケーションや集団性が、日本人の特性なんだという日本人論が生まれてくる。そういう自己像があるから、昭和の初頭ならば、近衛新体制運動が西欧的な個人主義を否定していくことになる」

 「いまもそうですよね。新自由主義は、徹底した個人主義だから自己責任論が可能なんです。しかし安倍内閣を支持するこの空気は、個人主義を徹底して否定します。だから自己責任論は福祉や社会が人を見捨てるロジックとしてのみ使われます」

 ――矛盾しているように思えます。

 「一見矛盾しているけども、その矛盾が不成立なのは、まさに感情、気持ちによって安倍さんへの共感が成立しているから、なわけでしょう。安倍さんやその周辺は慰安婦や徴用工問題で韓国の、普天間基地移転問題で沖縄の、まさに『感情』を蹂躙(じゅうりん)することで求心力を作ってきたわけです。ヘイトスピーチとかも含め、実は、『負の感情労働』が提供される社会になっている。嫌な言い方ですが、誰か、特に弱者やマイノリティーが蹂躙されるのは『気持ちがいい』のですよ。いじめもね。問題は負の感情が選挙で民意となることです。アメリカやヨーロッパでも移民への『負の感情』が民意として国家の将来の選択に作用しているでしょう」


批評家の大塚英志さん=山本和生撮影

 「結局、『感情的』でない選挙は果たして可能なのかという大きな宿題に行き着くわけです。昭和の初頭に普通選挙が実施されて、男性だけとはいえ、国民は普通選挙権を持ちます。個人として自分で考えて投票しなければいけない責任を有権者は当然持ちますが、朝日の論説委員として社説などで普通選挙実現の論陣を張った柳田国男は、昭和6年に刊行された『明治大正史世相篇(へん)』のなかで、国民が個人としてでなく、同調圧力に従って、魚の群れのように考えなしで皆の行く方に投票してしまったことに怒り狂いました」

 「『選挙民』じゃなくて『選挙群』じゃないかって。民主主義の前提として、個人が自分の考えを持ち、そして他者とコミュニケーションをとりながら合意をしていく、その最終局面として選挙がある。だから柳田は自分の本の最後に、普通選挙施行の公示を見上げる子供らの写真をかかげ『一等むつかしい宿題』とキャプションを付したのです。個人を作りえないまま民主主義のシステムを稼働させてしまったので、それがうまく機能せず、いわば、宿題をサボった状態のまま、普通選挙制度の下この国は民意として、戦争を遂行する議会を選択したわけです。その意味でポピュリズムとは、民主主義の『感情化』です」

『共感』を促すインフラ

 ――現在に続く「感情化」は、いつから起こってきたんでしょうか。

 「繰り返しますが、感情化は、近代を通じてあった問題です。ただ、現在の状況は、『インターネット以降』の要因が作用はしているでしょう。インターネットは個人が発言するという意味で、登場当初、特に左派の人たちによって、いわば発言権の民主化みたいなことをもたらす希望のツールだとみられたわけです。個人が自分の見解を持ち、正しい材料のもとに、冷静に他者とコミュニケーションをし、合意を形成していく。そのスキルがあれば、なんらインターネットは問題なく民主主義のインフラになったはずです」

 「しかしインフラは用意されたけれども、それを使う側が近代をサボっていた。それがネットをみんなが使うことで顕在化した。ネットでコミュニケーションをとらなくちゃいけなくなったときに、人々が選択したのは、実は非言語的なコミュニケーションだったっていうことですよ。例えば『いいね!』という意思表示。顔のマークを使って感情をもう少し細分化しているサイトもあります。ことばもニコニコ動画のコメントがそうであったように感情を短く身内の言葉で表出する。アマゾンその他の星の数での評価とか、ラインのスタンプとかインスタの写真とか、言葉による『合意』ではなくて、感情的な『共感』を促すインフラにネット自体が一斉に向かっていっている」

 「そもそも、感情で共感しあうってことが、人間の生きる根源的な能力だとすれば、『共感』は簡単なんですよね。東日本大震災の後は、『絆』や『つながり』という名前を与えて賛美するわけでしょう。何がつながって入るかって、気持ち、でしょう。元気をあげる、もらうって『感情』のやりとりでしょう。そのイメージがインターネットのネットワークと重なって何か『つながり』が実態のあるものに錯誤される。例えばここ何年かヒットした曲では常に『つながる』ことが繰り返し歌われる。でもそれは、逆に『個』がつながっていないことが、むしろ実感としてむき出しになっているからなのかなとも思います」

 ――確かにインターネットで社会は変わりました。

 「変わったのは私たちです。私たちはみんなメディアの発信者になってしまったのです。そのことに無自覚なのが一番まずい。かつて新聞などのマスメディアが求められたメディアとしての責任を個人が負うという厳しい局面に、人々は準備なく入り込んでしまった上に、みんなサボっている。というか、責任ってネットでは『ことば』に負わなくていいという空気を作ってしまった」

 「事実、ネットで『メディア』として君臨しているプラットフォームの責任は長く不問でした。場所を提供してるだけなので、ヘイト投稿に対する責任は自分らにない、というロジックでした。ようやく最近プラットフォームの責任が問われるようになってきたけども、発言者も当然、不特定多数に発信している以上、メディアとしての責任がある。朝日新聞が追及されたのと同じ責任をネットの投稿で追及した個人も負う。一方、旧メディアが何を怠ってきたかといえば、『メディアとしての責任』のあり方はこうなんだと示すことです。アメリカでは旧メディアは政権をチェックする役割を果たすことが責任なんだ、と示した。それで信頼を取り戻しているわけです。無論、過去の報道の責任も当然問われる。だからこそ、例えば、『朝日』が戦時中の翼賛体制にどう関与したか、当時と『今』が似ているからこそ、『かつて』新聞はいかに間違えたかを検証し、示せばいい。そういうことって、昭和の頃はもう少し各社できていたでしょう」

 「でも、責任を持って発信するってとても面倒くさいんですよ。受け止める側も。世の中は基本的に面倒くさくない方に行きますから。『いいね』の方が楽。そして対立したくなければ、ツイッターをブロックして、自分たちだけが『気持ちがいい』まとめサイトにそれぞれが集っていく。この感情的なすみ分けが、ここまで可能になったインフレが出来上がったときに、どうすればいいのか、なかなか難しいと思いますよ」

 ――現実には、インターネットやSNSは、感情の発露の場所という側面が強くなっています。

 「例えば右派の人たちが大好きな『日本』にしたって、きっともう少し日本の『中身』でつながりようがあるわけですよ。『好き』以外の感情を許さない、感情化された『日本』っていうのか、内実はそれこそ戦時下の劣化版みたいな『日本』でしかない。中身がないから『反日』『親日』のように、隣の国の否定や、反日というファクターを作ることによってしか『日本』を定義できない。あと外国人に『ここがスゴイ』と言ってもらうとか。快・不快で『日本』がかろうじて輪郭を結ぶわけです」


批評家の大塚英志さん=山本和生撮影

 「だから、今の『保守』の人たちが言う『日本』がぼくには本当にわからないんですよ。種子法が廃止され、『移民』法、水道の民営化が国会を通過し、北方領土は2島返還でいいという空気になっている。ネトウヨはTPPも多くは推進派だった。普通、『米』『水』とか『領土』とか、ぼくは同意できないけど、『反移民』とかは『右』が命かけて守るものでしょう。それが全部、ないがしろにされて、大丈夫なのかなって、左派の方が心配しているくらいでしょう。少なくとも今回は、国会の前を安保法制の時のリベラルのように右翼たちが大挙して囲んでいなくちゃいけない状況だった気がします。でも、そうならないのは、それは多分、安倍政権は、安倍さんと日本と支持者の自我がきれいに重なって一体化している、つまり、感情的共感に支えられた感情化した政権だからでしょう」

 「なんだか今のこの国を見てると、車を運転する人って、ハンドルを握った瞬間にちょっと人格変わるじゃないですか。車と自我が一体化してしまう。つい強気になってあおり運転しちゃう。あんな感じですよね。あえて単純化して風刺漫画風に言えば、日本っていう自動車に安倍さんと国民が乗ってて、ちょっとあおられたらキレる、みたいなそんな感じの国でしょ?」

文学がサプリメント化

 ――いまの文学や映画には、「泣ける」「感動する」というキャッチコピーがあふれています。

 「『感情化する社会』では、『文学がサプリメント化した』と書きました。つまり、機能性食品みたいなね。サプリメントみたいなものに文学が行っている。感情的というのとサプリメント的というのがちょっと重なっている」

 「感情化の問題というのは、結局、論理的展開のプロセス遮断でしょ? 機能性食品は、これを飲んだら痩せるというように、その間の科学的プロセスの説明は要らない。そういう短期的な結論を急ぐ感じは今の社会のあり方ですね。研究者もそうだし、『国益』という考え方もそう。今言われている『国益』ってコスパとか確定利回りとかみたいに聞こえてませんか」

 ――実感として、映画や文学に対して「わけが分からないから嫌だ」という人が増えています。

 「それは感情が揺り動かされることに困惑しているわけです。大体の文学なんて読後感がスッキリしないというのが普通だったわけです。『感情』は、本来はわけのわからないもので、結構不愉快です。でも、えたいのしれない感情が揺り動かされてどうしようもない、みたいなものに対して否定的でしょう? それを中二病と切り捨てるし、伏線が回収されていない文句は言う。それも気持ちよくないからです」

 ――感情そのものを否定しても仕方ないわけですよね。

 「もちろんですよ。感情自体は大事でしょ。つまり、それは、一方では他者への共感力でもある。でも共感だって練習ですから。練習が出来ていないだけでしょう」

 ――「感情化」に、どう立ち向かえばいいんでしょうか。

 「うーん。あなたが言う『立ち向かう』っていう立ち位置がよくわからないです。例えば、最近、朝日新聞の記者に取材を受けて、戦時中の朝日を批判的に引き合いに出すとカチンと来る人がいました。それは朝日新聞と一体化している記者たちの感情が傷つけられてカチンとくるわけでしょ。何か、感情的な人間たちと違う理性的な私たちがいるっていう立ち位置そのものが僕はおかしいと思います」

 「僕だってまんが業界の人間だから、まんがってジャンルに対して何か批判的なことを言われると、やはりカチンときます。若いときに、宮崎勤(元死刑囚)の事件に深入りをして彼を過剰に擁護したのも、要は、何かおたくとかまんがとかたたかれていると自分がたたかれた気がしてね。そういうところはみんなあるわけです」

 「やはり、脆弱(ぜいじゃく)な自我を無自覚に何かに重ねているところが、私たちにはある。そこに何かが触れるときに、感情みたいなものが暴発するわけですよね。不確かで不徹底で非常に脆弱な自我を、私たちはみんな抱えているわけですよ。近代の中で、その自我をきちんと作ってこられなかったし、確立された自我なんて近代の理想論ですからね。ぼくは、いつも近代は努力目標だからって言います。でも、努力は止めちゃだめねって」

 ――「感情化」に違和感を覚えつつも、自分たち自身の中にもある感情や共感をどう考えればいいのか、迷いがあります。

 「そういったものを考える思想はないというよりも、かつてあったんだから、それを勉強し直せばいい。結局、戻るところは、明治の青年たちが東京にやってきて、『あっ、今ここで一人なんだ、俺』『周り誰も知らない』『東京こえー』と思った、他者と社会を作らなきゃいけないんだって運命付けられた近代の始まりこそが、『今』が立ち返る場所ですよ。それ以降、この国も、あるいはどこの国でも、たくさんの思想や文学の形で近代をめぐる試行錯誤を足跡として残してきたんだから、それを勉強すればいいだけです」

 「『近代文学』も含めて『近代』を生きた人もさぼらずちゃんと努力していた人はいて、便利なことにそれらのいくつかは青空文庫で無料で読めます。『あんたの言ってることって、明治の作家は、こう言ってたよ』とわかります。『他人とつながっていなくて悲しい』『世界がバラバラになってしまった』なんて、明治の終わりとか大正の若者が死ぬほど言ってるんだから、と確かめられます」

 ――明治期に、同じ課題に取り組んだ人たちがいたわけですね。

 「明治には、優勝劣敗の思想に抵抗する考え方があった。優勝劣敗っていうのは、帝国主義の時代に、ダーウィンの進化論を社会に当てはめた俗流ダーウィニズム、社会進化論の思想です。つまり、人間もまた弱肉強食である。だから強い国は弱い国を支配して当然であり、強い人々が弱い人たちを支配して当然なんだって考え方ですね。負けた方が悪い。それが帝国主義の一番基本にある。社会ダーウィニズムは資本主義、自由主義を補完する思想でした。ヨーロッパでは、しかし自由主義経済がもたらす問題に対し、負けた方が悪いでなく、それを解決していく責任主体としての社会という考え方が生まれる。それが社会政策論です。それが過激化していくと社会主義になる」


批評家の大塚英志さん=山本和生撮影

 「近代という時代は、だから、マルクス主義や社会民主主義、修正資本主義みたいなものを、いろんな国が作ろうとしてきた歴史でもあるわけです。日本でいえば、柳田国男がそうでした。彼は文学を捨てた後で民俗学者になったんじゃなくて、農政学をやって社会政策論者になるわけですよ。そして、民主主義システムを作っていくために、人々が自分の生活を自分で記録し、そして社会改革のためのデータを自分でそろえて、人々とコンセンサスを作っていくための手段としての学問を作ろうとした。民俗学は社会や公共性を設計に参画できる個人を作る学問です。あるいは、近衛新体制でさえ、ある種の社会主義、修正資本主義みたいな思想が含まれている。正しいと言いませんけどね。いろいろな模索も失敗もあった」

 ――過去の分析に処方箋(しょほうせん)があると。

 「分析じゃなくやり直しです。いまの新自由主義ってのは、『やっぱ弱肉強食でいいや』という風に一回戻ったわけですよね。社会ダーウィニズムの復興です。だから様々な弱者にとてつもなく残酷になったでしょう。そういう感情を隠さなくなった。だから、そこに対して今度は何ができるのかと言ったらば、やり直しでしょう」

 「日本に限って言っても、どうも『近代』というものがいくら努力目標だとしても、ちょっと失敗しすぎです。だから失敗の過程とその時に選択できなかった可能性を洗っていけばいいだけの話でもあるわけです。過去を学ぶことでしか答えはないわけですね。誰も知らないでしょうが、ぼくがずっと戦時下のメディア研究にのめり込んでいるのもそういう理由です。まんがやアニメが戦時下、どういう選択や過ちをしたかは知る必要がある。さっき、青空文庫の話をしましたが、今は戦時下の研究資料だって簡単に手に入る。ノートパソコン、wi―fiにつないだら、国会図書館の資料が検索できてコピーはメールで注文できるし、一級品の一次資料もデジタル化され自宅で閲覧できる。国会の過去の記録や戦前の公文書も見られる。古典もよめるし、古本はどんどん安くなっていて、パソコンで検索すれば神保町を一日回ってやっと見つかったような資料がすぐに入手できる。過去を考える材料が、いくらでも転がっていて、パソコンの前に座ってれば、安価で簡単に手に入る。そこから先がめんどくさいんだけど、とにかく材料を集めるインフラはある。普通選挙があり、言論の自由や民主主義を可能にする個人を担保するツールとしても、研究者以外が資料を入手する手段としてもウェブはある。本当に、近代をやり直すに十分なインフラがある。だからあとは、どう使うかです」

 ――批評が感情に対置されるものだ、とも書かれています。

 「批評というのは、理性です。それを根拠づけるのが内省です。ネットの若い人たちの『批評』を見ていると、格闘技でマウントをとるみたいなことをやる。相手に優位なポジションをどうとるか相対的な勝利を求めるみたいな気がしてならない。そうじゃなくて、歴史を内省する。それこそ、柳田の考える学問です。私たちの歴史はここで間違ったからこうしたほうがよかったんだよね、と、その内省ができなくなっている。過去を見るのに自分は間違っていないと『感情』が優位になり、歴史への内省を自虐史観とさげすんでしまう。でも、ちゃんと『個人』、つまり近代を生きる人になって考えて、様々な資料をもとにして冷静に判断しましょう、そして、自分や自分たちの歴史を内省しながら未来を設計しましょう、という当たり前で、すごくつまらないことしか言えない。だから、僕の本は売れない(笑)」

 「結局は、近代的な個人っていう一番クラシックなあり方みたいなものを作っていくしかない。一回、自分たちは個にならなければならないと柳田は吐き捨てるように言いました。昭和の初めの最初の普通選挙の後ですよ。みんなが『群れ』として考えなしに投票して怒ったあとでです」

 「最近、しみじみ思うのは、庵野秀明が『新世紀エヴァンゲリオン』で描いたディストピアのこと。彼は正しい洞察をしていたんだなって思います。一番最後、人類補完計画で互いの自我の境界が溶け合って、みんなが一つになる世界を、主人公のシンジが拒否するわけです。そうすると、他者の象徴として、アスカが残って『気持ち悪い』と言われて終わる。あの、いやぁな、共感できない終わり方というのは、今にして思えばよくやったよなと思いますよね。個になるのは怖いけど、個じゃないとダメだよねというぎりぎりの選択を提示して終わっていった」

 「多分、みんな、その先の、次の思想が欲しいんでしょう。でも、ぼくは近代のやり直し、以上のことは言えません。でも、未来は多分来るんだろうから、新しい未来の見取り図みたいなのを書いてくれるべき思想が出てこないといけないんですけど、出てこない。何でだろうというときに、本当にポストモダンで歴史の概念が崩壊しちゃうの?って思うときもありますよ」

     
     批評家の大塚英志さん=山本和生撮影

 ――2020年に東京五輪があります。「感情労働」を思わせる「おもてなし」という言葉が使われたりしています。無償ボランティアにも批判がありますね。

 「あれ自体は戦争中の動員と同じだから、それ以上のものではないですが。政策的には安倍政権はずっと近衛新体制の劣化版的借用ですからね」

 「そもそも改革というキーワードでナショナリズムに突っ走るというのは、近衛新体制と同じ。近衛新体制が『革新』への大衆の欲求と右派思想を結びつけて成功したことはずいぶん昔に指摘されています。『協働』という言葉の復興や家事・育児のシェア、地域の復興など安倍さんがやってる政策も近衛新体制の借用ですよ。税金は戦争に使うから家事育児シェアしようって近衛新体制の政治ですよ。『朝日』の戦争中の記事、検索すれば書いてある。多分、経産省か内閣府かに確信犯で『分かっている』人たちが少数いるんでしょう。単語も政策もかぶり過ぎていますからね。それにしちゃあずさんですけど。でも今の状況、近衛新体制の人たちが見たら、ああ、俺たちの夢がかなったって思うでしょう。かつて翼賛会が見た夢が半端に果たされている気がします」

 ――動員の問題も、80年代の『物語消費論』で大塚さんが論じたテーマですね。

 「考える問題としては持続していますが、大きく僕の立場は変わりました。あのとき、ぼくは広告代理店や出版社の周辺で、人を動員する理論について考えて実践するのが仕事だった。作品のテーマや中身、人の心を本当に打つことをしなくても、つまり、空っぽのもので、人は動員できるんだよな、と考えていた。それがメディアミックスの技術論です。しかし、当時自分で考えた新しい理論のつもりだった動員の技術が実は戦時下によく似たものとしてあったことに気がつき、『大政翼賛会のメディアミックス』という本を書きました」

 「大政翼賛会は昭和15年、近衛新体制の発足に合わせて『翼賛一家』という読者参加型のメディアミックスを作り出しました。翼賛会がキャラクターや世界観の『版権』を持っていて、古川ロッパが音楽を作ったりね。朝日、読売、毎日に漫画が連載されたり単行本も出たりして、まんが家なら横山隆一のような売れっ子のみならず、新人の長谷川町子や無名の酒井七馬たちの名前もありました。しかし、朝日は『このキャラクターを使って、漫画を投稿してください』と『二次創作』の『投稿』を呼びかけた。『投稿』という、今、ネットで私たちが普通に使うことばは実は新体制用語です。『素人』というのも翼賛体制独特の用語で、『翼賛一家』は、アマチュアに翼賛会が二次創作的な参加を求め、動員するプロパガンダの技法です。ですから漫画だけでなく『素人』が『翼賛一家』の人形劇を人形から作るためのマニュアルも販売されました。アマチュアだった手塚治虫は『翼賛一家』を習作として書き残しています。つまり、創作する『素人』の『投稿』参加型動員企画だったのです」

 「このように翼賛会のプロパガンダにアマチュアの創作的参加を組み込むことが、これも新体制用語でいう『協同(協働)』でした。『欲しがりません勝つまでは』は、戦後、『暮しの手帖』を創刊する花森安治が翼賛会にいて投稿から選んだものですよね。戦時標語は多くが『投稿』です。国民歌謡も、川柳、ポスターも投稿。それから映画のシナリオの投稿がすごく多い。漫画だとか、模型とか、秘密兵器のアイデアとか、あらゆるものの『投稿』が公募されました。大抵、翼賛会や軍、情報局とともに各新聞社が主催、共催する『協働』です。『投稿』の専門誌やハウツー本もあった。そういう参加型のファシズムを戦時下翼賛会がつくったんですよ」

 ――そのほうが共感や一体感が出る。

 「そうです。そのときに、理屈はいいんだ、みんなで何かをやることで感情が一つになるんだということです。『感情』という言葉も、実は近衛新体制の文献の中で、よく目にするキーワードです」

 ――一見、「個」と親和性がありそうです。

 「近衛新体制は個を否定しますが矛盾しません。『翼賛一家』ならキャラクター、標語ならその時々のプロパガンダのテーマがある。それをシェアする。そして、『個人』としての作家、芸術家の作ったものでなく、みんなで投稿して、みんなで作ったものだから共有できるよねって」

 「重要なのは、稚拙でいいんだ、あなたの気持ちをぶつけてください、ということです。それを投稿していく、共有していく、気持ちが一体化していくというのは、いまでも、ツイッター含めたSNSで繰り返されているでしょ? この『協働』って単語は、2000年代以降は代表的クールジャパン用語です。二次創作は『協働』なんだそうです、クールジャパン的には」

 ――戦争に向かうときにも使えるわけですよね。

 「かつては。ただ、武力の戦争というものは、もう出来ないでしょう。リスクに対してメリットが小さすぎる」

 「中国や北朝鮮が攻めてくる的イメージがずっと繰り返されてきましたが、『攻めてくる』のは、無国籍なグローバルな経済の波です。その意味での『見えない戦争』はとっくに始まっていて、もう負けていますね。さっき言ったように『移民』法は成立、水、固有種の種子といった、いわば国家の基本をなすようものはどんどん外資に譲り渡す流れになっている。日本の中で『勝っている』人は確かにいるけれど、それはグローバルな経済の方に飛び乗った人たちで、私たちの大半はもう『負けて』いる。だからここにあるのは、もう焼け野原なのかもしれない。でも、かつての『戦後』はこの国が『近代』をやり直すチャンスだったわけで、もう一回、『近代』及び『戦後』をやってみるしかないでしょう」

 ≫(朝日新聞:聞き手=滝沢文那、小峰健二)





































 

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コメント
1. 2019年1月04日 00:54:00 : ANq6qxr09w : nLVdqslVXNA[1] 報告
一般庶民的な目線で見ると、めんどくさいからよく考えもせずに流されるということの実態は、考えるエネルギーさえ奪われて、日々の生活に汲々としている状態なわけで、政府もそういった方向に政策的に追い込んでいる。嵌められてる状態と言っていい。

ただ、教育においては、よく考えなさい考えなしはいけませんよと、どこぞの総理を反面教師とするような教育が、結果はともあれきちんとなされている。子ども目線からは、大人のやることのダメさ加減が歴然としている。三権分立とはどこの国の話だと言うほどの違和感である。

むしろ教師の指導のもとで行われる生徒会活動の方が、現実の政治との対比で違和感がない。日本の政治の実態は生徒会活動のレベルだったと言うことなのだろう。もちろん教師役はアメリカである。政治の暴走をしっかり経験して、いろいろと搾り取られてから、しっかり反省しましょうね、と言うことになるのだろう。貧乏になって、いい経験しただろと嘯かれながら、またやり直すことになるのだろう。まあ修行が足りないうちはカモにされる運命なのだろうなあ。

2. 人間になりたい[897] kGyK1ILJgsiC6IK9gqI 2019年1月04日 06:52:01 : Igew9LiSCV : jX5tMsGMxX4[721] 報告

■この筆者は、博識であり、この国の歴史認識が秀逸だ。
 朝日新聞も本格的に安倍討伐の狼煙を上げたのだろうか。
 ひとつ、気になったことがある。

>――日本で公共性を作れなかった要因を天皇制に見ていますね。
>無論、天皇に照らし合わせることによって、自分を律する、
 そういう公共性、倫理性の余地だってあったかもしれない。
 ヨーロッパでいうと、キリスト教的な神にあたるようなものですね。

■天皇制というよりも、天皇の神格化という偶像崇拝が問題だったのではないでしょうか。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の砂漠宗教三兄弟は、偶像崇拝を厳しく禁止しています。
 神ではないものを神だと偽り、そこに自分を投影し、
 誤解で生まれた全能感を満足させるのも子どもの特徴。
 今上天皇が慕われるのは身分や地位の問題ではなく人間性を研いたからです。
 だから、安倍晋三とその同類は偶像崇拝の明治天皇にはシンパシーを感じるが、
 今上天皇は忌み嫌っているのでしょう。

>私たちの大半はもう『負けて』いる。だからここにあるのは、もう焼け野原なのかもしれない。
 でも、かつての『戦後』はこの国が『近代』をやり直すチャンスだったわけで、
 もう一回、『近代』及び『戦後』をやってみるしかないでしょう」

■ですよねー。
 かなり悲観的な結末だけど、諦めてはいけない。
 人生投げずに、安倍投げろ。
 
 

3. 2019年1月04日 19:15:19 : slX0CB0Bqw : s6Q5dwQASc4[73] 報告
感情に 酔って気づかぬ 過ちに

楽な道 その先に待つ 落とし穴

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