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右派与党が圧勝=EU懐疑、東欧で定着−ポーランド総選挙 福祉強調し多文化主義を否定 東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の「政治的分断」@1989年、ソ連・東欧諸国で吹き荒れる民主化の嵐A現在の「強いロシア」はソ連崩壊後の屈辱の裏返しB民主化から右傾化へ、東欧の現在地
http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/529.html
投稿者 鰤 日時 2019 年 10 月 14 日 21:51:51: CYdJ4nBd/ys76 6dw
 

右派与党が圧勝=EU懐疑、東欧で定着−ポーランド総選挙
2019年10月14日07時16分

https://www.jiji.com/news2/kiji_photos/201910/20191014at02S_p.jpg
13日、ワルシャワで、ポーランド総選挙の勝利を喜ぶ右派与党「法と正義」のカチンスキ党首(右)とモラウィエツキ首相(AFP時事)

 【ベルリン時事】ポーランドで13日、上下両院の総選挙が行われた。地元テレビ局の出口調査によると、欧州連合(EU)懐疑派の右派与党「法と正義」が圧勝し、下院での単独過半数を維持する見通し。EUとの摩擦にもかかわらず、同党は司法やメディアへの圧力を強める路線を続ける見込みだ。
 ハンガリーやチェコでも、EUの自由な価値観に異を唱える勢力が政権を握る。今回の選挙で、EUへの懐疑が東欧全体で定着していることが、改めて確認された形だ。
 出口調査によると、法と正義の得票率は43.6%と下院(定数460)のうち239議席を占める勢い。カチンスキ党首は「多くを成し遂げた」と勝利宣言した。中道右派の最大野党「市民プラットフォーム」は27.4%にとどまった。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019101400164&g=int


ポーランド総選挙:右派与党が勝利、福祉強調し多文化主義を否定
Marek Strzelecki、Adrian Krajewski
2019年10月14日 20:01 JST
「法と正義」が政権維持へ、出口調査で明らかに
家計ばらまきや自由主義的価値観の拒絶で支持集める
ポーランドで13日行われた総選挙は右派与党「法と正義」が勝利、この先4年間にわたり政権を再び握る。同党は近代的な福祉国家を築き、その反自由主義的な価値観を市民生活のあらゆる分野に求めていく運動を完遂させるとの公約で、有権者の票を集めた。

  法と正義は家計へのばらまきや、伝統的なカトリックの価値観に背くとして同性愛者の中傷や多文化主義排斥を訴えて勢いに乗り、下院で過半数議席を維持した。投票終了後の出口調査で明らかになった。

  投票の最終結果は15日までに確定するが、一部の結果からも法と正義の勝利が確定的となった。内閣の大幅な変更は見込まれていない。

  ポーランドのモラウィエツキ首相はワルシャワで支持者らを前に「すべての人のためのポーランド人による福祉国家を建設する上で、今後4年間が重要な段階になる」と述べ、「選挙結果はわれわれが重大な社会的責務を担うことを認めたと言えるだろう」と表明した。

Dominant Victory
Polish ruling party secures new four-year term


Source: predicted number of seats won in 460-member lower house from IPSOS late exit poll.

原題:Premier Hails ‘Huge’ Mandate to Complete Remake of New Poland(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-10-14/PZCZXUSYF01S01?srnd=cojp-v2

 


東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の「政治的分断」@1989年、ソ連・東欧諸国で吹き荒れる民主化の嵐
全3回
2019/05/29
熊谷徹
(ジャーナリスト)

 1989年は、世界史の中で特筆するべき年だ。ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア(当時)などで立て続けに共産主義政権が崩壊し、民主化が始まったからだ。
 革命は東ドイツにも飛び火して、同年11月9日に東西ベルリンを分割していた壁を崩壊させ、翌年のドイツ統一への道を開いた。91年にはソ連自体も解体された。
 つまりこの民主革命は、第二次世界大戦終結以来続いていたソ連による支配と抑圧から東欧諸国を解放した。第二次世界大戦中に米英ソの首脳がヤルタ・ポツダム両会談(ともに45年)を通じて築いた、欧州の東西分割体制に終止符が打たれた年でもある。
 その後東欧諸国は欧州連合(EU)や、米国を盟主とする軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)に次々に加盟した。彼らは、半世紀近いソ連による支配を経験したことから、将来ロシアが再び領土拡大などの野望を抱いた時に身を守るためには、西側の国際機関に属することが不可欠だと考えたのだ。これは鉄のカーテンの向こう側に強制的に閉じ込められていた東欧諸国の、「欧州への帰還」だった。西欧諸国にとって、欧州の分断終結と新たな市場の誕生は、冷戦終結がもたらした平和の配当だった。
 だが歴史の振り子は真ん中では止まらず、反対側に大きく振れる。今では、当時民主化をめざしたはずの東欧諸国の多くで右派ポピュリスト政党が権力の座に就き、民主主義の根幹である司法の独立や報道の自由をめぐって、EUや西欧諸国と鋭く対立している。東欧諸国の「造反」は、90年代に西欧諸国が全く想定していない事態だった。
 またEU拡大は、欧州内部に新たな亀裂を生んだ。たとえばEUが保障した移動の自由を利用して、ポーランドなど東欧諸国の多数の市民が英国に移住した。しかしこの変化は英国市民の間でEUに対する反感を強め、2016年の国民投票で離脱賛成派が勝つ原因の一つとなった。つまりBREXITの遠因の一つは、EUの東方拡大にあるのだ。
 政治思想と価値観の違いをめぐる西欧・東欧間の分断は今なお続いている。
東欧革命の先駆者ポーランド
 まずは、30年前、ソ連圏の東欧諸国で何が起こったのかを振り返る。東欧革命の先鞭をつけたのは、ポーランドだった。この国では80年代後半に入ってから政府の経済政策の失敗により深刻なインフレや食料不足が起き、一部の労働者がストライキを行うなど混乱が続いていた。
 この難局を打開するために、1989年2月から4月にかけて政府幹部と自主管理労働組合「連帯」、教会関係者はワルシャワで円卓会議を開催。結果、81年以来政府によって弾圧され、82年からは非合法化されていた連帯が、89年4月に合法化された。同年6月4日と18日には、第二次世界大戦後、東欧の社会主義圏で初めて部分的な自由選挙が実施され、連帯の政治組織「連帯市民委員会」が有権者から圧倒的な支持を得て勝利した。
 89年8月24日には、議会下院(セイム)が連帯の顧問だったジャーナリスト、タデウシュ・マゾヴィエツキを首相に選出。彼は9月13日に政権を樹立する。第二次世界大戦後、東欧の社会主義国で共産党に属さない人物が首相の座に就いたのは初めてのことである。
 マゾヴィエツキ政権はポーランド人民共和国という国名をポーランド共和国に改名、第3共和制を発布した。第3共和制とは、1569年から1795年まで続いたポーランド・リトアニア共和国(第1共和制)と、1918年から39年まで続いたポーランド共和国(第2共和制)に続く名称である。帝政ロシアやソ連、ナチスドイツなど他民族支配の辛酸をなめ、しばしば地図から抹消されたポーランドは、89年12月の憲法改正によって黄金の冠を戴く白い鷲の国章を再び導入し、民主的な独立国として復活したのである。
 ポーランドの民主化では、連帯の役割を無視できない。この組合はグダンスクのレーニン造船所で、労働者たちが80年9月22日に創設した。彼らは食肉などの値段の引き上げに抗議して、ストライキを開始した。当時共産主義圏では労働者のストライキはおろか、自主的な組合の創設も禁止されていた。
 グダンスクのストライキは、ポーランド全土に拡大した。レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)が率いる連帯の組合員は約950万人に増加し、共産党(ポーランド統一労働者党)の党員の約30%が加盟するに至った。

1980年9月、グダンスクのレーニン造船所で、檀上に立ち演説するヴァウェンサ
 連帯の政治的な影響力の拡大を恐れたポーランド政府は、81年12月13日に戒厳令を発布して連帯幹部らを逮捕し、翌年10月にこの組合の活動を禁止した。だが組合員たちは民主化への希望を捨てずに、地下に潜って活動を続けた。共産主義政権の崩壊後、ヴァウェンサは政治活動に復帰し、90年から5年間にわたり同国の大統領を務めた。
 つまり89年のポーランド民主革命の基礎を築いたのは、9年前にグダンスクで労働者たちが連帯の創設という形で行った、共産主義支配に対する異議申し立てだった。ソ連の支配体制に最初の亀裂を生じさせたポーランド人たちの勇気は、欧州の歴史に永遠に刻まれるだろう。
鉄のカーテンに穴を開けたハンガリー
 ハンガリーでも80年代後半には経済状態が悪化。56年からその座に就き、2度にわたって首相を務めたこともある社会主義労働者党書記長ヤーノシュ・カーダールが88年5月に健康上の理由で辞任して以降、民主化の動きが加速した。
 特に重要なのは、ハンガリーが西側への出国禁止を撤廃したことだ。同国は89年5月にオーストリアとの国境を封鎖していた鉄条網などの撤去を開始した。同年6月27日には、ハンガリーのジュラ・ホルン外務大臣とオーストリアのアロイス・モック外相が肩を並べて両国間の国境で鉄条網を切断する模様を、西側の記者団に撮影させた。この映像はハンガリーの対外姿勢の緩和を象徴するものだった。
 当時東ドイツなど社会主義国の市民は、ハンガリーやチェコなど共産主義圏の国へは旅行できたが、西ドイツなど西側の国への旅行を原則として禁じられていた。社会主義国の国境警備兵たちは、西側への亡命を試みる者を銃撃する許可も与えられていた。ベルリンの壁など東西ドイツ間の国境を許可なく越えようとして射殺された市民の数は、200人〜300人と推定されている。
 だが89年にハンガリーが国境を事実上開放したため、同国経由でオーストリアへ脱出する東ドイツ市民が急増した。
同年8月19日には、オーストリア国境に近いハンガリーのショプロンで開かれた「汎欧州ピクニック」を名目に集まった約600人の東ドイツ市民が、国境を越えてオーストリアへ亡命した。このニュースは東ドイツ市民の間で瞬く間に広がり、同国政府を激怒させた。亡命者の増加は、東ドイツ国内での民主化要求を強め、同年11月9日のベルリンの壁崩壊につながっていく。ハンガリー政府の決断は、鉄のカーテンに最初のほころびを作ったという意味で極めて大きな意味を持っている。
 1989年10月23日には、議会制民主主義に基づくハンガリー共和国が樹立され、共産主義支配は終焉した。
チェコスロバキア、バルト三国にも飛び火
 89年11月からはチェコスロバキアの首都プラハやブラチスラバで市民の民主化要求デモが多発。劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルらが創設した市民フォーラムは、共産党政権の退陣を要求した。11月26日に始まった市民フォーラムと政府の交渉の結果、共産党を第一党とすることを定める条項が憲法から削除され、同国での共産主義支配は終わった。12月29日に同国議会はハヴェルを大統領に選出し、翌年3月29日には議会制民主主義に基づくチェコ・スロバキア連邦共和国が誕生した。(同国は93年1月1日に分裂して2つの独立国となった)
 またブルガリアでも89年11月から民主化を求める市民のデモが始まり、91年の選挙で共産主義政権を失脚させた。さらに第二次世界大戦後ソ連に強制的に編入されていたバルト三国(エストニア、リトアニア、ラトビア)でも89年8月23日に約200万人の市民が手をつないで全長600キロメートルの「人間の鎖」を形成し、独立と民主化を要求した。これらの国々でも市民のデモが多発して、共産党支配を規定する条項が憲法から削除された。リトアニアは90年3月11日、エストニアは91年8月20日、ラトビアは翌21日にソ連からの独立を宣言した。
 東欧革命ではほとんどの国で流血の事態が避けられたが、ルーマニアでは激しい武力衝突が起きた。同国でも80年代には食糧不足が深刻化し、市民の不満が高まった。1989年12月に西部の都市ティミショアラで、チャウシェスク大統領による独裁政権に対する抗議デモが始まったが、首都ブカレストから派遣された治安部隊が発砲して市民の間に多数の死傷者が出た。暴動は他の都市にも拡大し、ヘリコプターで首都から脱出したチャウシェスク夫妻は、逃亡中に革命勢力に逮捕されて即決裁判で死刑宣告を受けた。両手を後ろ手に縛られた夫妻は兵営の中庭で壁の前に立たされて自動小銃の一斉射撃を受け、処刑された。裁判と処刑の一部始終は、ビデオカメラで撮影された。ルーマニアでの治安部隊と革命勢力の間の戦闘による死者は、約1000人にのぼると推定されている。
東欧革命を可能にしたゴルバチョフ
 東欧革命が成功した理由の一つは、東側陣営の盟主だったソ連の最高指導者がミハイル・ゴルバチョフという改革者だったことである。特に各国に駐留していたソ連軍が、革命の鎮圧命令を受けなかったことについては、ゴルバチョフの功績は大きい。
 85年から91年までソ連共産党中央委員会書記長を務めたゴルバチョフは、グラスノスチ(情報の公開)とペレストロイカ(改革)を旗印に掲げて、共産主義体制の変革と強化を試みた。彼はソ連が米国に比べて経済や科学技術などで大幅に遅れており、変革によって米国との差を縮める必要があると痛感していた。彼は対外政策や軍事政策でも大きな変化を生んだ。アフガニスタンから軍を撤退させたり、87年に米国との間で中距離核ミサイル禁止条約に調印するなど、東西対立の緩和に努めた。

ソ連初の大統領となったミハイル・ゴルバチョフ(1990年3月、モスクワ)
 特に重要なのは、ゴルバチョフがソ連の伝統的な外交路線だったブレジネフ・ドクトリンを放棄したことである。68年11月12日に、ソ連の最高指導者だったレオニード・ブレジネフは、ポーランドで行った演説の中で「東欧で共産主義体制が脅威にさらされた時には、軍事同盟ワルシャワ条約機構の盟主であるソ連が軍事介入する権利を持つ」と主張した。つまり彼は、東欧の共産主義国の主権が制限されていること、これらの国々の政府と国民はソ連に従属する義務があることを強調したのだ。
 実際ソ連は、東欧諸国での暴動をしばしば武力で鎮圧した。53年の東ドイツでの暴動、56年のハンガリー動乱、68年の「プラハの春」暴動では、ソ連やワルシャワ条約機構軍の戦車部隊が鎮圧のために投入され、市民に多数の死傷者を出した。
 もしも89年にソ連の最高指導者がブレジネフ・ドクトリンを堅持していたら、やはりポーランドや東ドイツなどでソ連軍が投入されて、体制変革の芽を武力で摘み取っていたはずだ。
 ゴルバチョフはいわゆる「新思考外交」に基づいて、このブレジネフ・ドクトリンと訣別し、「不介入主義」を表明した。それどころかゴルバチョフは、東欧諸国の政府にも体制改革を求め、一党支配に慣れ切った指導者たちを当惑させた。このことは東欧の改革勢力を勇気づけた。
 私は89年の8月にポーランドで取材していたが、市民の間でのゴルバチョフに対する人気は非常に高かった。彼らは自国の共産主義政権を軽蔑し、ゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチに大きな期待を抱いていた。私は、東欧諸国の共産主義支配の岩盤の底で微かな地震が起き始めていることを、肌身で感じた。
 89年11月9日の夜に東ドイツ市民がベルリンの壁に押し寄せて国境を突破した時も、同市の約30キロの所に駐屯していたソ連軍の戦車部隊に出動命令は下らなかった。東西ドイツの統一が成功したのも、ゴルバチョフがソ連の最高指導者だったからである。ゴルバチョフは、東欧革命を成功させた最大の貢献者の一人である。
●東欧諸国の独立は、「西側」の拡大をもたらすにとどまり、ゴルバチョフが掲げた「欧州共通の家」の実現には至らなかった。かつての勢力圏を奪われたロシアは今……?「東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の『政治的分断』〜A現在の『強いロシア』はソ連崩壊後の屈辱の裏返し」に続く。
https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-141-19-05-g423

 
 


東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の「政治的分断」A現在の「強いロシア」はソ連崩壊後の屈辱の裏返し
全3回
2019/05/30
熊谷徹
(ジャーナリスト)

「東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の『政治的分断』〜@1989年、ソ連各国で吹き荒れる民主化の嵐」からの続き。次々と「衛星国」を失うソ連。第二次世界大戦で、多大な犠牲を払って手にした「勢力圏」を奪われ、西側からは冷戦の敗者として扱われる。その鬱屈が30年を経て……?
東欧革命とロシアの屈辱感
 1989年の東欧における民主革命は、欧州の地政学的な地図を塗り替えた。西ドイツ政府はゴルバチョフを説得し、東ドイツに駐留していた約30万人のソ連軍を完全に撤退させた。東西ドイツは90年に統一され、約8000万人の人口を持つ大国が、欧州の中心に誕生した。
 東欧諸国は次々にソ連の勢力圏を離れて西側陣営に移った。まず99年3月12日にポーランド、チェコ、ハンガリーが、米国を頂点とする軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。また2004年3月29日には、バルト三国とブルガリア、ルーマニア、スロバキアとスロベニアがNATOに加盟。また04年5月1日から13年7月1日までにポーランド、ハンガリーなどの旧ソ連11カ国(旧ユーゴスラビアの2カ国も含む)がEUに加盟している。
 ロシア人たちは、第二次世界大戦でのナチスドイツとの戦争に「大祖国戦争」という特別な呼称を与えている。この戦争でのソ連の死者数は2000万人を超えると推定されている。
 冷戦時代のソ連指導部にとって、東欧諸国に対する覇権を手に入れたことは、第二次世界大戦で多大な犠牲を払ってナチスドイツを撃退したことに対する、一種の「勝利のトロフィー」だった。
 当時ポーランドやチェコスロバキアは、「ソ連の衛星国」と呼ばれた。東側陣営の中心、はソ連であり、東欧諸国はその周囲を回転する衛星、つまり属国と見られたのだ。
 そのことは建築様式にも表れている。現在もポーランドのワルシャワや、エストニアのタリンなどには、高い尖塔を持つソ連様式の建物が残っている。モスクワ大学本館と同じ様式である。俗に「スターリン様式」とも呼ばれるこれらの建築は、ポーランドやエストニアがソ連の支配下に置かれていたことを象徴するものだ。

スターリン様式で建てられたワルシャワの文化科学宮殿(1955年完成)。写真撮影・熊谷徹
 冷戦終結後に東欧諸国が続々とNATOとEUに加盟したことは、ロシア人たちの心情を傷つけた。彼らにとってはNATOとEUの東方拡大は、大祖国戦争で確保した東欧諸国という「勝利のトロフィー」を次々に喪失することを意味し「東西冷戦に敗北した」という屈辱感を一段と強めた。
 特にNATOとEUがエストニア、ラトビア、リトアニアという、第二次世界大戦の終結以降ソ連の領土に編入されていた国々を迎え入れたことは、ロシアにとっては強い屈辱だった。一方ロシア革命後、第二次世界大戦が始まるまでは独立国だったバルト三国から見れば、NATO・EUへの加盟は、西側の国際機関に身を埋めることによって、ロシアからの自由と独立をさらに強固にする目的を持つ。NATOは集団的自衛権の原則を持っており、加盟国が外国からの軍事攻撃を受けた場合、他の加盟国は自国が攻撃されたときと同様に、反撃する義務を負うからだ。NATO加盟は、東欧諸国にとって万一の事態に備えるための重要な「保険」である。

ソ連に強制併合されたエストニアの首都タリンにもスターリン様式の建築が残っていた(1954年完成)。写真撮影・熊谷徹
ロシアの対外政策の変化
 ロシアの対外政策は21世紀に入ってから、過去に比べて攻撃的な性格を強めている。まず同国は2008年8月には隣国ジョージアに一時侵攻した。ジョージアからの分離独立を求める南オセチア、アブハチア地区の親ロシア派の住民たちを支援するためである。
 また14年2月にはウクライナで親ロシア派だったビクトル・ヤヌコビッチ大統領が失脚。彼はウクライナのEU・NATOへの接近に消極的だった。ヤヌコビッチ政権に代わる親EU政権の樹立を受け、ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、14年3月にウクライナ領だったクリミア半島に戦闘部隊を送って占領し、ロシアに併合。さらに同年4月からはウクライナ東部で分離独立勢力を支援して内戦に介入している。


ヤヌコビッチ・ウクライナ元大統領(左)とプーチン・ロシア大統領(2012年、モスクワ)
 注目されるのは、19年4月にロシア政府が、ウクライナ東部の住民がロシアのパスポートの取得を希望する場合の手続きを、これまで以上に簡易化する方針を打ち出したことだ。ウクライナ東部でロシア国籍を持つ住民の比率を増やし、ロシア軍のこの地域への軍事介入を正当化するためだ。
 ロシアは08年にジョージア領に一時侵攻する直前にも、同じようにジョージア領内の分離独立派住民のために、ロシアのパスポート取得を簡易化したことがある。このため米国やEUは、ウクライナ東部住民へのパスポート交付に関するロシアの決定を、挑発的な行為として批判している。
 またロシア軍は13年以降、バルト三国に近いカリーニングラード周辺で大規模な軍事演習を繰り返しており、バルト三国では不安が強まっている。NATOは17年1月から、バルト三国とポーランドに初めて戦闘部隊を配置したほどだ。
 ロシア政府の強硬な対外政策は同国の市民に歓迎されており、プーチンの支持率はクリミア併合直後に一時約80%に達したこともある。
西欧は「欧州共通の家」提案を無視
 ロシア政府のこうした態度の背景には、1989年の革命以降、勢力圏内に置いていた東欧諸国を次々に西側陣営に奪われたという苦い経験と屈辱感がある。80年代から、ゴルバチョフは西側諸国に対して東西冷戦の終結後に、EU・NATOとロシアが協力して、リスボンからウラジオストクまでまたがる「欧州共通の家」を作りたいと提唱していた。しかし西欧と米国がこの構想について本格的にロシアと協議することはなかった。
 ロシア側に言わせると、EUとNATOはこの呼びかけを無視して、あたかも事務作業を処理するかのように、東欧諸国を機械的に加盟させていった。ゴルバチョフは東西ドイツ統一をめぐる交渉の中で、「東ドイツにはNATOに所属している西ドイツ連邦軍を駐留させないでほしい」と要求していたが、西側はその意向も無視した。
 つまり西側陣営はロシアの共通の家構想を完全に無視し、自分たちの勢力圏を着々と拡大していった。現在ロシアが対外政策を強硬化しているのは、NATOの東方拡大に対する反動でもある。モスクワの国立研究大学・高等経済学校で国際経済学部長を務めるセルゲイ・カラガノフは、プーチンのアドバイザーでもある。つまりプーチンの対外政策の理論的基盤を提供している知識人だ。
 カラガノフは、ロシアは周辺諸国に住むロシア系住民の人権を守る義務があると主張してきた。彼は、そうした国々を「近い外国」と呼ぶ。彼は、「近い外国」については、かつてのブレジネフ・ドクトリンが限定的に適用されるという見解を持っているのだ。
 私は彼がある講演の中で「西欧は90年代にロシアと欧州共通の家を作らず、我々を欧州の一員に加えることを拒絶するという失敗を犯した。これは西側が一方的に冷戦を継続していることを意味する。ロシアは再び欧州に戦争が起きると考えて、軍事力を強化することにしたのだ」と語るのを聞いたことがある。
 この発言には、東欧革命以降の約30年間にロシアが抱いてきた被害者意識、屈辱感が凝集されている。ドイツの歴史家の間にも、EUとNATOがロシアを単に「冷戦の敗者」として扱い、同国の屈辱感に十分配慮せずに、事務的に東方拡大政策を進めてきたことは、戦略的な誤りだったとする意見がある。西欧・米国の一方的な態度が、いまプーチンの対外政策の強硬化につながっているという考え方だ。
 つまりロシアの強硬姿勢は、東欧革命への反動でもある。2005年にプーチンは「ソ連崩壊は、20世紀最大の地政学的な破局だ」と述べたことがある。ソ連解体の前触れとなった東欧革命も、かつてソ連の秘密警察KGB(国家保安委員会)の将校だったプーチンの頭の中では、祖国に屈辱を与えた大惨事と捉えられているに違いない。
●ソ連の崩壊と東欧諸国の民主化は特に西欧諸国では歓呼して迎えられた。それから時が過ぎ、現在のEUに吹き荒れる嵐とは…?「東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の『政治的分断』〜B民主化から右傾化へ、東欧の現在地」に続く(2019年5月31日公開)。

https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-144-19-05-g423


 

東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の「政治的分断」B民主化から右傾化へ、東欧の現在地
全3回
2019/05/31
熊谷徹
(ジャーナリスト)

「東欧革命から30年。ポピュリスト台頭で今日も続く東西間の『政治的分断』〜A現在の『強いロシア』はソ連崩壊後の屈辱の裏返し」からの続き。共産主義、社会主義を否定し、民主化を求めてソ連からの独立を果たした東欧諸国。西側諸国も彼らを歓呼の声で迎え入れた。ところが欧州の変化はハッピーエンドにはならなかった。現在のEUを悩ませる深刻な分断とは。
ポーランド政府が司法の独立の制限を試みた
 さて民主主義を求めてソ連の軛から逃れた東欧諸国の一部の国々では、21世紀になってから右派ポピュリストの政治家や政党が政権に就き、EUと対立している。これは1990年代に西欧諸国が予想もしていなかった事態である。
 たとえば東欧革命の先鞭をつけたポーランドでは、右派ポピュリストのヤロスワフ・カチンスキが率いる政党「法と正義(PiS)」が2005年から2年間にわたり連立政権に参加した。さらに同党は15年の総選挙では単独で過半数を確保し、政権を握った。同党は下院(セイム)だけではなく上院(セナート)でも議席の過半数を持っている。
 この政党は、民主主義社会の基盤である司法の独立や報道の自由を露骨に制限しようとしてきた。これはEUの基本原則に反する行為である。
 たとえばPiSは、15年11月から翌年12月までの間に6つの法律をセイムで可決させて、司法制度の改革を目指した。その主な標的は憲法裁判所だった。政府は違憲問題を審議する憲法裁判所の判決には絶対に従わなくてはならないので、PiSにとって憲法裁判所は目の上の瘤だった。
 この司法制度改革の狙いは、憲法裁判所の裁判長の判事への降格や、判事の任期の短縮によって政府に批判的な判事を減らすことだった。
 また18年7月に施行された法律は、最高裁判所の判事が定年退職しなくてはならない年齢を70歳から65歳に引き下げた。この法律によって、最高裁の72人の判事の内20人以上が強制的に引退させられた。
 18年9月にEUは「この法律は司法の独立を保障したEU法に違反する」としてポーランド政府をEU司法裁判所に提訴した。EU司法裁判所は同年10月に、問題の法律がEU法に抵触すると認定。ポーランド政府はしぶしぶこの決定に従い、判事たちを復職させた。
 またセイムは15年12月に公共放送法の改正法案を可決し、公共放送局の幹部の任命権をまず国有財産省に、次いで2016年7月以降は国営メディア協議会に移すことを決めた。国営メディア協議会の5人のメンバーの内3人はPiSの党員である。
 この改革については、ポーランドの野党だけではなく「国境なき記者団」などの外国のNGOからも厳しく批判された。欧州ジャーナリズム監視機構(EJO)は、「ポーランドでは15年の公共放送法改正以来、公共放送局で働いていた136人のジャーナリストが解雇され、政府に好意的な報道を行う記者が採用された。さらに71人のジャーナリストが辞職した」と伝えている。(注1)
 国境なき記者団は「この放送法は、ポーランドの報道機関の独立性を脅かす」と指摘。13年の報道に関する自由度ランキングではポーランドは22位だったが、17年には54位に急落した。
 PiSのヤロスワフ・カチンスキ党首は、1980年代に弟のレフとともに自主管理労組連帯に所属し、共産党の一党独裁に抵抗した。(レフは2005年から2010年までポーランドの大統領だったが、2010年4月に政府専用機が墜落して死亡している)

ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相(左)と、ポーランドのヤロスワフ・カチンスキ「法と正義(PiS)」党首(2016年、ポーランド・クラクフ)
 ヤロスワフは、シリアなどからの難民受け入れについて、難民が疫病や寄生虫をポーランドに持ち込む可能性があるとして消極的な態度を表明した他、19年4月25日にはカトリック教会の会合で「同性愛者や子どもに対する性教育は、ポーランド人のアイデンティティや国家を脅かす」と発言している。(※2)
 難民や同性愛者に対する差別的な発言は、カチンスキの右派ポピュリスト的な性格を浮き彫りにしている。これらは、性別や人種、民族、思想、性的指向などに基づく差別を禁止するEU法の精神にも抵触するものだ。またカチンスキは隣国ドイツのメルケル政権に対しても批判的で、17年にはドイツに対して第二次世界大戦中の残虐行為や破壊行為について、補償金の支払いを求める方針を明らかにしたことがある。(※3)
 EUは、17年12月に、「ポーランドが司法改革などによってEUの基本条約であるリスボン条約に違反している疑いがある」として、調査を開始している。ポーランドが条約に違反していると認定され、違法状態を直ちに是正しない場合には、EUはポーランドの欧州理事会などでの議決権を剥奪するなどの厳しい措置を取ることができる。
EUに大きく依存するポーランド
 ポーランド政府やPiSはEUが重視する司法の独立や報道の自由を制限する一方で、EUの資金には大きく依存している。EU加盟国はEUに拠出金を払うだけではなく、EUから様々な資金援助つまり「見返り」も受ける。加盟国がEUに払う拠出金と、EUから受け取る補助金などの差額を、純拠出金と呼ぶ。
 EUの純拠出金リストを見てみよう。交通インフラの整備が遅れており、農業への依存度が高い国ほど、EUから多額の補助金を受け取る。このためEU内のいわば「発展途上国」は拠出金よりも受け取る額が多いので差し引き額が黒字(入超)となる。逆に交通インフラの整備が比較的進んでおり、農業依存度が低い「先進工業国」は赤字(出超)となる。

 このリストによると、17年に純拠出金として支払った金額が最も多かったのはドイツ(106億7500万ユーロ=1兆3878億円・1ユーロ=130円換算)。純拠出金の対GDP比率を比べると、ドイツはGDPの0.32%をEUに払い込んでいる。
 逆に農業など第一次産業への依存度が大きいポーランドは、EUから供与される額の方が、EUに払う額を上回るので黒字となっている。ポーランドはGDPの1.92%にあたる額をEUから受け取っている。同国がEUから受け取っている還元額は、加盟国の中で最大である。つまりポーランド政権はEUから莫大な資金援助を受けながら、EUと対立しているわけだ。
 18年11月にワルシャワで会ったポーランド人の企業家は、「PiSがコントロールする放送局では、EUについて批判的な報道が多い。ポーランドは、将来EUからの資金援助が不要になったら、EUを離脱して独自の道を歩もうとするのではないか」と語っていた。
ハンガリー政府の反EUキャンペーン
 東欧民主化の際に大きな役割を果たしたハンガリーでも、右派ポピュリストが政権を握った。ハンガリー市民同盟(フィデス)のヴィクトル・オルバン党首だ。彼は学生時代から民主化をめざす政治活動に熱心で、社会主義時代のハンガリーからのソ連軍の撤退を求める演説を行ったこともある。オルバンは1998年から2002年まで首相を務めた後、2010年以降も再び首相の地位にある。
 彼は欧州諸国にシリアからの難民を配分するEUの規定に強く反対するなどして年々EUとの対決姿勢を強めているほか、その発言には反ユダヤ的なトーンも表れている。
 19年の2月にオルバンは、1枚のポスターによって反EUキャンペーンを一挙にエスカレートさせた。そのポスターには、EUのジャン・クロード・ユンケル委員長とハンガリー出身で米国在住の富豪ジョージ・ソロスが笑っている写真が使われている。その下には大きな字で「あなたはブリュッセルの意図を知る権利がある」と書かれている。ポスターの下部には小さな字で「彼らはEU加盟国に、難民の受け入れ比率を強制しようとしている。彼らは加盟国が国境を守る権利を弱めようとしている。彼らは移民ビザの導入によって、移民を容易にしようとしている」とあった。
 オルバンは、ユダヤ人の富豪ソロスが、EUとともに欧州への移民や難民の受け入れ数を増やすことによって、キリスト教的な価値観に基づく伝統的な欧州の文化を弱体化させようとしていると主張してきた。国際的なユダヤ人の資本家が、国家を脅かしているというのは、ナチスの時代から右翼勢力がしばしば使ってきた「陰謀論」である。
 19年5月の欧州議会選挙を前に、オルバンは政府の予算でこのポスターを国内のあちこちに掲示することで、EUとの対決姿勢を一段と鮮明にした。彼は国営放送局によるインタビューの中で「現在の欧州委員会(EU政府に相当)の過半数は、欧州への移民を増やそうとしている。このことは、欧州が欧州人のものでなくなることを意味している。私がポスターによるキャンペーンを始めた理由は、ブリュッセルのそうした意図を暴露するためだ」と語っている。(※4)
 オルバンが18年7月に語った次の言葉には、彼の右派ポピュリスト的な性格がはっきり表れている。「現在欧州では、人口の入れ替えが行われている。その理由の一つは、ソロスのような投機家が沢山お金を稼げるようにすることだ。彼らは多額の収益を上げられるように、欧州を破壊しようとしている。さらに彼らはイデオロギーに基づく動機も持っている。つまり彼らは欧州を多文化地域にしようとしている。彼らは欧州のキリスト教の伝統やキリスト教徒がきらいなのだ」。
 「人口の入れ替え」という言葉は、欧州以外の地域からイスラム教徒などを受け入れることによって、欧州のキリスト教との比率を下げることを意味しており、反イスラム勢力や極右勢力が好んで使う表現だ。(※5)
 EUの報道官は「ハンガリーで行われているキャンペーンはフェイクニュースだ。滑稽な陰謀論がこのような形で流布されることは信じがたいことだ」とオルバン政権を強く批判。またユンケル委員長も、「私とオルバン首相の間には、もはや共通の理解はない。ハンガリーの政権党フィデスは、欧州のキリスト教に基づく民主主義とは相容れない」と反発した。
 フィデスはドイツのキリスト教民主同盟(CDU)など伝統的な保守政党が、欧州議会の中で形成している会派・欧州人民党(EPP)に属していたが、ユンケルはこの会派からフィデスを脱退させるよう要求した。これを受けて、EPPは19年3月にフィデスの同会派への加盟資格を凍結する処分を行った。
 確かにオルバンの右旋回は近年激しさを増している。たとえば彼は17年6月に、1922年から44年までハンガリー帝国の摂政だったミクローシュ・ホルティについて「偉大な政治家だった」と肯定的な発言を行った。第二次世界大戦中にハンガリーはナチスドイツと協力した。ホルティが摂政として事実上の国家元首だった時代に、ハンガリーの傀儡政権は約60万人のユダヤ人を強制収容所に送った。これまでハンガリーを含む欧州では、ホルティはナチスの事実上の支持者と見られてきた。このためハンガリーでホルティを肯定的に評価することはこれまでタブーとされてきた。オルバンはこの禁忌を堂々と破ることで、ハンガリーの極右勢力の間に支持者を増やそうとしているのだ。
 オルバンは、2015年に極右政党同様に死刑の復活を提案したこともある。EU加盟国では死刑は禁止されている。彼は他のEU加盟国からの激しい反発を受け、この提案を取り下げた。
報道の自由を規制
 オルバン政権は、21世紀に入って新しい法律を導入して報道機関の規制を始めた。彼は2010年に議会で可決された新メディア法に基づきメディア監督官庁を統合して、「メディア・ニュース報道に関する国家管理庁(NMHH)」という監督官庁を創設。テレビ、ラジオ、ネットマガジンなどの報道機関への統制を強化した。政府は憲法改正によって2011年以降NMHHに対して強大な権限を与えた。たとえば公共のテレビ局、ラジオ局、通信社は統合されてNMHHの管理下に置かれたほか、ジャーナリストが情報源保護を理由に当局に対する証言を拒否する権利を廃止した。またNMHHが「政治的にバランスを欠いている」とか「国家の安全保障を脅かす」と判断した報道については、メディアに対し高額の罰金を科すことができるようになった。
 このメディア改革については、2010年12月に学生などブダペスト市民約1万5000人が参加する抗議デモが行われたほか、欧州安全保障協力機構(OSCE)も「メディアの自由を規制するものであり、本来は全体主義的な政権が制定する法律だ」と述べて批判している。(※6、※7)
 オルバンのポピュリスト的な姿勢は、国民から強い支持を受けている。18年4月に同国で行われた総選挙で、彼が率いるフィデスは199の議席の約67%に相当する133議席を確保した。ちなみにハンガリー議会の第2党として26議席を確保したヨッビクは、フィデス以上に反EUの姿勢を鮮明にする極右政党だ。つまり右派ポピュリスト政党と極右政党が、議席の約80%を占めていることになる。
 しかし、オルバンは中国の一帯一路計画にも強い関心を示している。ブダペストに中国の李克強首相と東欧諸国の首脳を招いて会議を開いたり、中国のシンクタンクを設置させたりするなど、中国に急激に接近しつつある。オルバンは豊富な資金を持つ東の大国に近づくことで、EUを牽制しようとしているのだ。
民主主義の理解に関する東西分断は終わっていない
 東欧革命から約30年が経過した今、かつて共産主義支配と戦って民主化を求めた政治家たちがナショナリズムに走っている。彼らは鉄のカーテン崩壊後、自分たちを受け入れたEUに対して造反し、三権分立や報道の自由、域内での移動と就職の自由などのEUの基本的な価値を否定することもためらわない。そうした態度は、多くの国々で有権者をひきつけている。
 この事実は、東欧諸国をEUへ迎え入れた西欧諸国の政治家たちに複雑な感情を与えている。
 ソ連の影響下に置かれた東欧諸国では、社会主義政権がソ連に倣って一党独裁体制を敷き、思想や言論の自由を抑圧した。当時の議会の存在意義は党の決定を形式的に追認することだけだった。司法の独立はあり得ず、三権分立の原則も無視されていた。
 冷戦終結後、西欧の政治家たちは、「東欧に生まれた新政府、そして有権者たちは社会主義支配という暗黒時代を経験したいわば被害者なのだから、これからは思想や言論の自由、三権分立を特に重視するだろう」と期待していた。
 しかし彼らの予想は全く外れた。東欧諸国で権力の座に就いた政治家たちは、今度は自らメディアの翼賛化や司法の独立の侵害に手を染め始めたのである。多くの有権者は右派ポピュリスト政権が民主主義の原則を無視しても強く糾弾せず、支持を与えている。あたかも東欧の政治家や市民たちが、社会主義に支配された暗黒時代を忘れてしまったかのようである。
 これは、大半の東欧市民の議会制民主主義社会についての理解が、西欧と大きく異なることを示唆している。約半世紀にわたる社会主義支配は、政治家そして有権者の民主主義についての理解を変質させてしまったのだろうか。
 そして、右派ポピュリストの躍進は東欧だけに限ったことではない。この現象は、英国国民投票でのEU離脱派の勝利、ドイツやフランスでの右派ポピュリスト政党の躍進、イタリアにおける右派・左派ポピュリスト政党による連立政権の樹立などと同じ根を持っている。多くの国で、大衆がEUに代表される多国間主義、多文化主義、所得格差の拡大、伝統的な政党に対する不満を、ポピュリスト政党に票を投じることで表現しているのだ。
 さらに米国のドナルド・トランプ流の自国優先主義と排外主義は、ソーシャルメディアによって拡散されて多くの人の心を汚染する。
 しかも西欧と東欧のポピュリストたちは国境を越えて連携しつつある。フランスのマリーヌ・ルペンやオランダのヘルト・ウィルダースなど西欧の右派ポピュリストたちは、東欧の右派ポピュリストと協力して「極右インターナショナル」ともいうべき運動を起こそうとしている。
 たとえば2019年4月25日に、チェコの首都プラハで極右政党「自由と直接民主主義党(SPD)」が、欧州議会選挙へ向けた集会を開催した。ルペンとウィルダースは、SPDの岡村富夫党首を支援するために、集会に参加した。東京生まれの岡村党首は、日本と朝鮮半島にルーツを持つ父親と、チェコ人の母親から生まれた日系チェコ人で、EUの移民政策に強く反対するとともに、チェコでイスラム教を禁止することを提案している。彼の党は、結党からわずか2年後の17年の総選挙で約10%の票を確保し、議会で第4党となった。プラハでの集会でルペンは、「欧州はイスラム教徒に席巻されようとしている。それを食い止めることができるのは、我々保守勢力だけだ」と獅子吼した。
 西欧諸国自体がポピュリズムに揺さぶられる中、EUが啓発活動を展開することによってオルバンやカチンスキーのような指導者の危険性を東欧市民に理解させることは至難の業である。東欧諸国では、市民の啓発において重要な役割を果たすメディアがポピュリスト政権の強い統制下に置かれているからだ。
 鉄条網やコンクリートの壁による東西分断は終わったが、EUの東方拡大後に生じた、文化や価値観、民主主義の理解に関する溝は東欧と西欧の間で深まりつつある。今後も東欧とEUの間の対立は、一層激化するものと思われる。
欧州議会選挙でポピュリスト勢力の圧勝は起きず
 19年5月23日から26日まで行われた欧州議会選挙は、欧州の分裂の深刻さを改めて浮き彫りにした。

 保守党・社会民主党の中道勢力の会派が大きく後退し、初めて過半数を失った。保守党・社民党勢力は、自由市場派か緑の党の会派と組まなければ、過半数を確保することができなくなった。フランス、英国、イタリアでは右派ポピュリスト政党が首位に立った。ポーランドのPiSも45.4%の得票率で首位。ハンガリーのフィデスも52.3%の高得票率を記録した。
 欧州議会には3つのポピュリスト会派がある。
「ドイツのための選択肢(AfD)」やイタリアの「五つ星運動」、英国のBREXIT党が属する「自由と直接民主主義のヨーロッパ(EFDD)」、フランスのマリーヌ・ルペン党首が率いる国民連合(RN)やイタリアの「同盟(レガ)」、オランダの自由党が属する「国家と自由のヨーロッパ(ENF)」、ポーランドのPiSなどが属する「欧州保守改革グループ(ECR)」の3つである。
 今回の選挙ではENFの躍進が最も目立った。同会派の議席数は36から58議席に増えた。またEFDDの議席数も42から54議席に増えた。
 ただし、この選挙の前には、「ポピュリスト会派が過半数を占めるのではないか」という懸念が出ていたが、自由市場経済を重視する会派と緑の党の系列の会派が議席数を増やしたためにそうした事態は避けられた。EUの将来を危惧した多数の若者たちが投票所に足を運んだことから、投票率が42.6%から50.9%に大きく増えたことも、ポピュリスト勢力の圧勝を阻んだ。EFDDなど3つの会派の議席数を合わせても171で、過半数(376)には遠く及ばない。欧州の選挙では、投票率が低いとポピュリスト勢力の得票率が伸びる傾向がある。
 欧州議会選挙で、EU擁護派はポピュリスト勢力の大躍進を防ぐことに成功した。彼らはこの勝利に気を緩めず、EUを改革し市民に受け入れられる組織にしていく作業を急がなくてはならない。
[終]
(文中敬称略)

※1「EJO」2017年8月31日(https://de.ejo-online.eu/pressefreiheit/polnische-medienreform-forderte-ihre-opfer
※2「ツァイト・オンライン」2019年4月25日(https://www.zeit.de/news/2019-04/25/kaczynski-bezeichnet-homosexuelle-als-bedrohung-fuer-polen-20190425-doc-1fx723
※3「フォーカス・オンライン」2017年7月28日(https://www.focus.de/politik/ausland/deutsche-weisen-verantwortung-fuer-den-krieg-zurueck-kaczynski-will-deutsche-reparationszahlungen-fuer-polen_id_7410392.html
※4「フランクフルター・アルゲマイネ」2019年2月22日(https://www.faz.net/aktuell/politik/ausland/orban-verteidigt-plakatkampagne-gegen-juncker-und-soros-16054761.html
※5「ターゲスシャウ」2019年2月20日(https://faktenfinder.tagesschau.de/ungarn-eu-soros-101.html
※6「ハンブルガー・アーベントブラット」2010年12月22日(https://www.abendblatt.de/politik/ausland/article107903422/Pressefreiheit-gefaehrdet-Ungarn-protestieren-gegen-Mediengesetz.html
※7「デア・スタンダード」2010年9月22日(https://derstandard.at/1285042396637/OSZE-kritisiert-neues-Mediengesetz-scharf

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1. 2019年10月14日 23:02:12 : DV5zNfBGAI : cGpGbWFQNFdwM0E=[14] 報告
東欧をEUに入れたのは早過ぎたんだよ。
これはEU拡大路線の失敗。
2. 2019年10月15日 19:00:32 : bLbVVSfKBo : Q0txSzNoeHg1TG8=[2] 報告
拡大が 更に歪みを 深めさせ

不満出す 「併合された」 東側

ロシアへの にらみが利かず 四苦八苦

3. 2019年10月16日 17:58:05 : GArhw8XEVs : cGRaSExib1puQUE=[1] 報告
早すぎた?

「新しい市場と、安い労働力」を求めた結果の産物だから
遅かろうが早かろうが同じ結果になるだけさ

4. 2019年10月16日 18:02:16 : GArhw8XEVs : cGRaSExib1puQUE=[2] 報告
「ソ連の祟り」って奴なのさ

かつてソ連を嘲笑ったものには、同じ災難が降りかかる
アフガンしかり
原発事故しかり
分離独立しかり・・

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