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ロシアが超健全な金融・財政政策を続けるただ一つの理由 プーチン・ロシアの勢力拡大戦略を支える「二重基準」  迷宮ロシアをさまよう サハリンの日本遺産 姿消す統治の名残
http://www.asyura2.com/19/kokusai27/msg/762.html
投稿者 鰤 日時 2019 年 11 月 19 日 18:15:06: CYdJ4nBd/ys76 6dw
 

ロシアが超健全な金融・財政政策を続けるただ一つの理由
迷宮ロシアをさまよう
2019.11.19

ロシアが1990年代に記録した様々な経済指標を立体表示したオブジェ。1998年8月に債務不履行を起こしており、ロシアにとっては屈辱の歴史のはずだが、なぜか当時の為政者エリツィンの博物館に展示されている。(撮影:服部倫卓)
強いのか弱いのか良く分からないロシア経済
今日のロシア経済は、強いのか弱いのか、良く分かりません。対外債務は非常に低い水準で、金・外貨準備は拡大し、経常収支も財政も黒字。それなのに、景気はパッとせず、おそらく2019年も1%台の低い成長率に終わると思います。

実は、肯定的な現象と、否定的な現象は、表裏一体の関係にあるのです。プーチン政権は、自国の経済の先行きについて危機感を抱いており、国家権力の主導により難局を切り抜けていかなければならないと認識しています。そのためには強い国家が必要で、金融・財政政策も健全でなければいけないというのが、プーチン政権の考え方です。

それゆえに、2019年1月の付加価値税の増税、年金受給年齢の引き上げといった措置がとられ、金融面でも高金利政策が続いています。これらの政策は、国民の消費や企業活動にとってはマイナスであるため、国家財政は安定しても、景気の低迷が続く、というわけです。

ロシアの有名なエコノミストであるアレクセイ・ベージェフ氏(ガイダル経済研究所)と9月に面談した際に、ベージェフ氏が、「今のロシア経済は、エキストラ・スタビリティの状態。なぜ政府がこんな政策を採っているのか、理解に苦しむ」と述べていたのが印象的でした。エキストラ・スタビリティ、すなわち「行き過ぎた安定性」というのが、今のロシア経済を紐解くキーワードということのようです。


ロシア中央銀行は稀に見る堅物
ロシアの「健全性」を示す代表的な指標として、ここでは金・外貨準備の数字を見てみましょう。上のグラフに見るように、(欧州中央銀行を除いた国レベルで言えば)ロシアの金・外貨準備残高は世界4位。名目GDPでは世界12位にすぎないロシアにとっては、充分すぎる備えと言っていいでしょう。ちなみに、最近になってロシア当局は、敵対する米国の財務省証券はほとんど手放し、せっせと金(ゴールド)を買っています。

現時点で、ロシアの政策金利は、6.5%。インフレ率が4%程度ですので、実質金利がプラスの正常な状態を保っています。1990年代に、新米の市場経済国だったロシアは、国際通貨基金(IMF)や西側諸国から、「利子率は必ず正に保ちなさい。それが市場経済の常識です」と、厳しく指導を受けていました。それが、今日ではロシアがその基準を律儀に守る一方、日米欧はこぞって際限なき金融緩和にのめり込んでいるわけですから、隔世の感があります。

ロシア金融当局の過剰なまでの優等生振りは、為替政策にも表れています。世界的に、輸出を促進するために通貨安に誘導したり、逆に弱い通貨を人為的に支えたりする国も少なくない中で、ロシア・ルーブルの為替レートは完全に実勢に委ねられています。以前は為替の変動を一定の範囲内に収めようとしていましたが、2014年11月10日から完全フロート制に移行し、それ以降は人為的な介入は一切行っていません。


真面目すぎる優等生? ロシア中央銀行(撮影:服部倫卓)
金融・財政政策は「国家主権」にかかわる問題
それでは、プーチン体制下のロシアでは、なぜこれほどまでに、金融・財政政策がストイックなのでしょうか? 筆者の持論は、「ロシアにとって金融・財政政策は、国家主権にかかわる問題だから」というものです。

思い起こせば、1991年暮れに社会主義のソ連邦が崩壊し、エリツィン大統領の下で船出した新生ロシアは、ソ連末期から膨らんだ対外債務の返済に四苦八苦し、IMFをはじめとする国際金融機関や、西側先進諸国による支援で、かろうじて生き永らえている状態でした。経済政策についても、ずいぶんと外部から指図されました。にもかかわらず、ロシアは1998年8月に債務不履行(デフォルト)に陥り、通貨ルーブルが暴落する憂き目にも遭いました。

ロシア当局が、IMFや欧米に要求されるまでもなく、自ら率先して超優等生的な金融・財政政策を推進するようになったのは、2000年にプーチン政権が成立して以降のことです。プーチンが絶対的に重視するのが、「国家主権」。ロシアにとっての「国家主権」とは、突き詰めて言えば、「アメリカの言いなりにならない」ということです。

まかり間違って、ロシアが再び債務不履行などということになったら、ロシアはIMF管理下に入ってしまいます。IMFはアメリカの支配下にある機関だというのがロシア側の認識であり(それはある程度正しいわけですが)、その機関に箸の上げ下げまで指図される屈辱は、何としても避けなければなりません。それは、軍事面で北大西洋条約機構(NATO)に屈服するのと同じくらい、破局的な事態だと、プーチンは考えているのでしょう。だからこそ、ロシアの金融・財政政策は、過剰と思われるほど慎重になっているのだと、筆者は理解しています。


服部倫卓
一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所 副所長
https://globe.asahi.com/article/12888471

 

プーチン・ロシアの勢力拡大戦略を支える「二重基準」

ポスト冷戦の世界史ーー激動の国際情勢を見通す
2019/11/19

小泉悠 (東京大学先端科学技術研究センター特任助教)

 勢力圏という言葉は、さほど珍しいものではない。新聞や書物を開けば、「米国は南米を勢力圏と捉えている」、「列強の勢力圏争い」といった表現に頻繁に遭遇する。

 では、勢力圏とは何なのだろうか。ごく簡単に言えば、ある大国が周辺の国々に対して一方的な権力関係を行使しうるエリア、ということになろう。かつてのソ連であれば、「衛星国」と呼ばれた東欧社会主義国や、これよりもやや影響力は落ちるもののベトナムや北朝鮮といったアジアの社会主義国、そして中東のアラブ社会主義諸国が勢力圏に含まれていた。

 1991年のソ連崩壊は、このような構図を大きく塗り替えた。東欧社会主義国は次々とNATOやEUに加盟してしまい、アジアや中東に対する影響力も大幅に失われた。ソ連の直接支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ、南カフカス諸国、中央アジア諸国も独立国の地位を得て、約2200万平方キロに及んだ国土は約1700万平方キロまで縮小してしまった。つまり、モスクワから見た場合、ソ連崩壊とは勢力圏の大幅な後退であったということになる。

 問題は、こうした「かつての勢力圏」の取り扱いである。ことにロシアが神経を尖(とが)らせてきたのは、旧ソ連欧州部に位置しながら、NATOにもEUにも加盟していない諸国─ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア(ジョージア)の6カ国であった。「狭間(はざま)の国々(In-Betweens)」と呼ばれるこれら諸国は、2000年代までにNATOとEUへの加盟を果たした東欧諸国やバルト三国と異なり、まだ「西側」に取り込まれたわけではない。ソ連崩壊後のロシアが目指してきたのは、これらの旧ソ連欧州諸国が受け入れがたい振る舞い(例えばNATO加盟)をすることを阻止し、勢力圏内にとどめることであったと言えよう。


モスクワで開かれたウクライナ領クリミア併合1周年記念行事で演説するプーチン大統領 (SASHA MORDOVETS/GETTYIMAGES)
 しかし、「狭間の国々」の態度も一様ではない。ロシアとの関係を重視し、ロシア主導の軍事同意や経済同盟に加盟しているベラルーシやアルメニアのような国もあれば、最終的にはロシアの勢力圏を脱してNATOやEUへの加盟を目指すウクライナやジョージアのような国も存在する。ロシアにとっての焦点はもちろん後者であり、これらの国々がNATO、EU、米国等に接近しようとする度にあからさまな政治・経済上の圧力や、場合によっては軍事介入に訴えてきた。14年のウクライナ政変に際し、ロシアが現在まで続く軍事介入に踏み切ったことはその好例である。

独自の論理を読み解く3つの視点
 興味深いのは、旧ソ連の「外」においては、ロシアの態度が大きく異なる点だ。昨今では「現状変更勢力」扱いされることが多いロシアだが、旧ソ連圏外の紛争ではむしろ戦後の国連中心秩序を守ろうとする振る舞いが目立つ。特に米国が国連安保理の承認を得ずに軍事力行使を行うことについて、むしろ米国こそが秩序を破壊している、とロシアは繰り返し強く非難してきた。例えば、1999年にNATOが行ったユーゴスラヴィア空爆はその代表例である。

 冷戦後に唱えられるようになった「保護する責任(R2P)」論、つまり、ある国家が自国民を十分に保護できていない場合には国際社会が介入すべきであるという議論についても、内政干渉であって認められないというのがロシアの立場であった。

 ところが、旧ソ連「内」ではロシアの振る舞いは180度逆転する。これまで見てきたように、NATO加盟のような一国の安全保障政策に公然と介入し、場合には軍隊まで送り込んできた。この二重基準は、ロシアの論理においてどのように正当化されているのだろうか。

 第一に強調されるのは、エスニックな紐帯(ちゅうたい)である。2014年のウクライナ危機前後、ロシアでは「ルースキー・ミール(ロシア人世界)」という言葉が頻繁に叫ばれた。ソ連崩壊によって新たに出現した国境線の外にも、ロシア語を話し、正教を信じる人々が存在する。特にウクライナ人やベラルーシ人は人種・言語・文化など多くの点でロシア人と似通っており、「ほとんど我々」と呼ばれる。こうした人々が、ソ連崩壊という政治的な出来事によって「他者」になってしまったということが、ロシアの民族主義からはどうしても受け入れがたい。むしろ、ロシア人の分布こそが政治的まとまりの単位となるべきではないか、という考え方が「ルースキー・ミール」である。

 第二に、「歴史的空間」という論理が持ち出される。つまり、旧ソ連諸国はロシア帝国時代からロシアの支配下にあったのであって、たとえソ連が崩壊したとしてもそこには何らかの影響が及ぼされなければならない、ということだ。この意味では、旧ソ連諸国は形式上、独立国でありながら、ロシア的世界観では半ば「国内」扱いされていると言えよう。

 ロシアの論理を理解する上でのもう一つの重要な要素として、「力」を指摘しておきたい。より具体的に言えば、軍事力である。かつてのソ連が有していた共産主義の総本山という強力なソフトパワーは失われ、経済力についても韓国と同程度でしかないが、軍事力を背景とするパワーは依然強力である。


(出所)筆者資料を基にウェッジ作成 写真を拡大
 世界第二位の戦略核戦力を持ち、通常戦力を含めて100万人もの兵力を擁するロシアに対し、それ以外の旧ソ連諸国で10万人以上の軍隊を保有している国はウクライナだけ(約20万人)であり、核保有国はロシア以外に存在しない。この力をもってすれば、ロシアは依然として旧ソ連域内において支配的な存在として振る舞うことができる。「力こそパワー」なのだ。

 さらにロシア的世界観においては、力の有無は主権の有無とも密接に結びついて理解されてきた。たとえば17年、「ドイツは主権国家ではない」とプーチン大統領が述べたことはその一例であろう。ドイツは安全保障をNATOに依存しており、それゆえに同盟の盟主である米国によって主権を制限されているのだというのがプーチン大統領の説明である。同様の発言は近年、日本に対しても頻繁に向けられるようになった。「返還後の北方領土に米国が基地を置きたいと言い出したら日本は拒否できないだろう」という論理である。ラヴロフ外相などプーチン政権の高官も同様の発言を繰り返している。

 他方、プーチン大統領は「世の中に本当の主権国家はそう多くない」と前置きした上で、インドと中国を「本当の主権国家」に数えた。ロシア的な世界観においては、経済力やソフトパワーはあまり重視されず、同盟に頼ることなく自らの力で安全保障を全うできる国だけが本当の意味で主権を持っている、と見なされるのである。この意味では、核兵器を保有して自らの対米抑止力を手に入れた北朝鮮は、ロシア的用語法でいうところの「本当の主権国家」になりつつあるのかもしれない。

ロシアと中国の奇妙な共存関係
 ロシアの中国観についてもう少し言及しておこう。

 一方においては、中国はロシアのパートナーと位置付けられる。衰退が止まらない極東部の振興を図る意味でも、経済制裁と原油安で苦しむ経済を立て直す意味でも、中国はもはやなくてはならない存在となっているためだ。すでに中国はドイツやオランダを凌(しの)ぐロシア最大の貿易相手国の地位を占め、昨年は中露の貿易高が初めて1000億ドルを突破した。また、欧米の制裁がロシアの基幹産業であるエネルギーを狙い撃ちにする中、中国はロシアのエネルギープロジェクトに資金を出してくれる貴重なパートナーでもある。

 他方、中国の人口はロシアの10倍、GDPは8倍、兵力でも2倍の差をつけており、もはや国力の差はあまりにも大きい。西側から孤立する中でロシアが中国との関係を深めようとしても、それは対等な関係たりえず、ジュニア・パートナー(格下のパートナー)としてしか扱われないだろう。政治や経済の面でも中ロは様々な軋轢(あつれき)を抱えているし、「狭間の国々」をはじめとする旧ソ連諸国に中国が進出してくることにもロシアは警戒的だ。

 ただ、それでもロシアは当面、中国との良好な関係を維持する姿勢を示している。仮に中国と決別して西側に接近しても、今度は西側のジュニア・パートナー扱いされるだけだ、冷戦後の30年間がそうだったではないか、というのがロシア側の言い分であろう。しかも中国はロシアが旧ソ連諸国を勢力圏として扱うことに異を唱えず、ロシアや旧ソ連諸国に対して米国のような民主化要求(ロシアはこれを「西側」の内政干渉であるとして強く反発してきた)を突きつけることもない。

 中ロが共通の利益で結ばれた緊密な同盟になることもまた見通しにくいとしても、このユーラシアの二大国は当面、奇妙な共存関係を続けていくのではないだろうか。

北極の氷の融解でゆらぐロシアの軍事戦略

 気候変動による北極の氷の融解は、ロシアの軍事戦略に大きな影響を及ぼしている。
冷戦期から、ソ連は北極に弾道ミサイル原潜(SSBN)を潜行させていた。北極は米ソ間を弾道ミサイルが飛行する際の最短ルートであり、ソ連が米国から攻撃を受けた際に核攻撃で報復できる状況を維持していた。そして、北極の分厚い氷が米艦船の航行を困難にし、SSBNへの攻撃を防ぎ、核抑止が成立していた。
 しかし、氷が融解すると北極海を米艦船が航行できるようになる。するとSSBNの攻撃が北極海に展開した米イージス艦のミサイル防衛システムで迎撃される可能性があり、核抑止が揺らぐ。北極海に面するロシア以外の4カ国が全てロシアと敵対するNATO加盟国であることもロシアの抱く脅威を大きくしている。
 今後、米ロ関係がさらに緊迫化し、ロシアがより核抑止力の維持に懸念を覚えるようになれば、北極をめぐる緊張は一層高まることになる。
現在発売中のWedge11月号では、以下の特集を組んでいます。全国の書店や駅売店、アマゾンなどでお買い求めいただけます。
■ポスト冷戦の世界史 激動の国際情勢を見通す
Part 1 世界秩序は「競争的多極化」へ 日本が採るべき進路とは 中西輝政
Part 2 米中二極型システムの危険性 日本は教育投資で人的資本の強化を
 インタビュー ビル・エモット氏 (英『エコノミスト』元編集長)
Part 3 危機を繰り返すEUがしぶとく生き続ける理由  遠藤 乾
Part 4 海洋での権益を拡大させる中国 米軍の接近を阻む「太平洋進出」 飯田将史
Part 5 勢力圏の拡大を目論むロシア 「二重基準」を使い分ける対外戦略 小泉 悠
Part 6 宇宙を巡る米中覇権争い 「見えない攻撃」で増すリスク 村野 将
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/17905


 


サハリンの日本遺産 姿消す統治の名残
迷宮ロシアをさまよう
2019.11.12

サハリン州地誌博物館は、かつての樺太庁博物館。(撮影:服部倫卓)
消滅する日本由来の狭軌鉄道
ユーラシア大陸の東、北海道の北に浮かぶ樺太島(ロシアでの呼び名はサハリン島)は、日露戦争後の1905年のポーツマス条約により、北緯50度線を境に南北に分割され、北は帝政ロシア(後にソ連)領に、南は日本領になりました。しかし、第二次大戦末期の1945年8月のソ連対日参戦によって、ソ連軍が南樺太を占領。以降、樺太島全土を、ソ連(後にロシア連邦)が実効支配し、現在に至ります。今日のロシアの行政区画では、樺太島は極東連邦管区の中のサハリン州に属しています(樺太島だけでなく、千島列島=クリル諸島もサハリン州に所属)。

サハリン南部には今でも、日本統治時代の遺産が、わずかに残っています。その一つに、かつて日本が敷設した軌間1,067mmの狭軌鉄道もありました。ところが、ロシアは2003年からサハリンの鉄道の軌間をロシア本土と同じ1,520mmの広軌に入れ替えるプロジェクトに着手。曲折を経て、このほど9月1日より、広軌による鉄道運行が開始されました。

こうして、サハリン島における日本統治の名残が、また一つ姿を消しました。このニュースに接して、サハリンにおける貴重な日本遺産の風景を取り上げてみたくなりましたので(あくまでも私の限られた体験の範囲内ですが)、今回はこのテーマでお送りします。

ちなみに、プーチン政権は間宮海峡(その最狭部のネベリスコイ海峡)に橋を架けてロシア本土とサハリン島を結び、ここに鉄道を通すという壮大なプロジェクトを計画しています。サハリンの鉄道をロシア本土と同じ1,520mmに作り替えたのは、将来的に大陸とサハリン島を鉄道で行き来できるようにするための布石でもあります。

下の写真は、まだ線路が狭軌だった2013年に、州都ユジノサハリンスク(かつての日本名は豊原)の駅で筆者が撮影したもの。その後、線路、車両ともに広軌のそれに一新されてしまったはずなので、今となっては貴重なショットと言えるかもしれません。

なお、「D2-007」と書かれた手前にある列車は、1986年に富士重工宇都宮車両工場で生産されたものだそうです。当時のソ連運輸通信省が、日本の鉄道車両技術を参考にする狙いもあり、10編成40車両を、当時の日商岩井を介して輸入したのだとか。寂しいことに、サハリンにおける狭軌の廃止に伴い、この列車も引退する方向のようです。


2013年、ユジノサハリンスク駅にて(撮影:服部倫卓)
博物館が代表的な建築遺産
今日のサハリンの街中を歩いてみても、日本統治時代の建築物などは、あまり残っていません。そんな中、かつて日本が建てた樺太庁博物館の建物が、現在はサハリン州地誌博物館として使用されており、日本風の建築が往時を偲ばせています(冒頭の写真参照)。樺太庁博物館は1937年に開館し、日本の城郭屋根を乗せた当時流行の帝冠様式の建築でしたが、1945年8月24日にソ連軍によって接収されました。

サハリン州地誌博物館では、ソ連体制下では、1905〜1945年の日本時代についての資料は展示されていなかったそうです。ソ連崩壊後は、日本時代の資料についても公開されるようになりました。北緯50度線の国境標石などを見ることができます(下の写真参照)。


左側が日本の国境標石、右側がロシアの国境標石(撮影:服部倫卓)
個人的に、2013年に初めてサハリン州地誌博物館を見学して、衝撃を受けた写真があります。日本は1945年に敗戦し、南樺太をソ連に明け渡したわけですが、日本人住民はすぐに本土に戻れたわけではなく、多くは2年ほど、ソ連統治下のサハリンで苦難の生活を余儀なくされたようです。下の写真は、ソ連統治下で初めて迎えた1946年のメーデーの様子。「国営オットセイ工場」という名前や、オットセイのハリボテがとぼけた雰囲気を醸していますが、笑顔のロシア人に対し、笑っている日本人は一人もおらず、彼らを襲った過酷な運命に思いを致さざるをえません。

なお、2018年に私が再度この博物館を見学した時には、このオットセイ工場の写真は見当たらなかったと思います。ひょっとしたら、もう展示はされていないのかもしれません。


オットセイは、おそらく肉や油を利用したのだと思われるが、詳細は不明(撮影:服部倫卓)
遠征軍上陸記念碑
あれは、サハリン島の南岸、コルサコフ(日本時代の呼び名は大泊)に程近いプリゴロドノエにある「サハリン2」の液化天然ガス(LNG)プラントを視察しに行った時のことでした。その近くの丘に登ってみたところ、そこに日本語の石碑がありました(下の写真参照)。

横倒しになった碑文には、「遠征軍上陸記念碑」とあります。私は確認できませんでしたが、後日、日本総領事館でうかがったところ、1905年という年号も書いてあるとのことでした。つまり、日本が日露戦争に勝利して南樺太を領有した際に、軍が当地に遠征し、それを記念したもののようです。

ちなみに、今日この地は海水浴場として地元民に人気があるようで、丘の周りは駐車された車で溢れていました。打ち棄てられた日本語の石碑、屈託のない笑顔で溢れるビーチ、そしてその向こうに見える世界最大級のLNGプラントと、なかなかシュールな風景でした。


コルサコフ(かつての大泊)近郊にある遠征軍上陸記念碑(撮影:服部倫卓)
旧北海道拓殖銀行大泊支店
そのコルサコフの中心部には、日本統治時代の建築遺産が、ひっそりと残っています。旧北海道拓殖銀行の大泊支店の店舗がそれです。私自身は訪問したことがないので、下に見るように、かつての同僚が撮った写真をお借りしました。

同行が樺太で営業を開始したのは日露戦争が終わって間もない1905年で、日本銀行の委託を受けた拓銀が社員を派遣。1907年には正式に支店となり、一部預金為替業務も開始したということです。

大泊支店はソ連の南樺太占領によって閉鎖されたものの、建物は残り、近年は日本の極真空手の道場として使われたりしていたそうです。内部は大理石の柱が立つモダンな造りながら、写真に見るように、近年は建物の傷みがだいぶ激しくなっていました。最新の情報では、シートが被せられて、修繕工事が行われていたようです。したがって、この日本遺産については、どうにか消滅を免れ、これからも日本統治時代の名残を留めてくれそうです。


旧北海道拓殖銀行大泊支店。2006年3月撮影(撮影:芳地隆之)
https://globe.asahi.com/article/12869037

こんにちはシベリア鉄道 世界最長路線を楽しむには何日間乗るのがベストか?
迷宮ロシアをさまよう
2019.11.05

シベリア鉄道の終点に当たるウラジオストク駅。モスクワからの距離9,288kmを掲げたモニュメントが設置されている。(撮影:服部倫卓)
シベリア鉄道はロマンチック?
日本では、ロシアの大動脈であるシベリア鉄道に、ロマンチックなイメージを抱いている人が多いようです。実際、「シベリア鉄道」、「憧れ」といったキーワードでネット検索すると、日本の旅行会社が企画したシベリア鉄道の旅のプランが、色々とヒットします。

まるで、オリエント急行か何かのように、ロマンチックな旅情に訴えようとするシベリア鉄道ツアーの広告などを目にするたびに、筆者などは、「ちょっと待ってよ。シベリア鉄道って、そんなに良いものじゃないんだよ」と、ツッコミたくなるのです。

もちろん、日本人がロシアの鉄道という異文化を体験することは、結構なことだと思います。「シベリア鉄道に1日乗ってみた」というくらいなら、ロシア旅行の素晴らしいハイライトになることでしょう。しかし、それが3日、4日となると、話は別です。増してや、ウラジオストクからモスクワまで、全行程を鉄道で旅するようなプランは、考え直した方がいいでしょう。

思うに、日本でシベリア鉄道が何やら情緒たっぷりの鉄道であるかのようにイメージされている一因に、「さらばシベリア鉄道」という歌があるのではないでしょうか。松本隆作詞・大瀧詠一作曲によるこの曲は、1980年に太田裕美が歌い、翌年、大瀧詠一によるセルフカバーも発表されました。念のため申し上げれば、今回のタイトル「こんにちはシベリア鉄道」は、「さらばシベリア鉄道」のパロディです。無類のパロデイ好きだった大瀧さんも、草葉の陰で喜んでくれているでしょうか。パロディの説明をするなどというのは無粋ですが、若い方はご存じないかもしれないので、解説した次第です。

ロシア人も勧めないシベリア鉄道の旅
実は、シベリア鉄道の旅については、当のロシア人が、「シベリア鉄道で旅行すべきでない理由」というコラムを書いているほどなのです。日本語の記事なので、ぜひご一読ください。ちなみに、これが載っている「ロシア・ビヨンド」というのは、ロシア国営系のメディアです。ロシア政府はしばしば、日本の経済界にシベリア鉄道の利用拡大を訴えますけど、それはあくまでも貨物輸送の話で、「シベリア鉄道で旅行してください」という話は、それほど聞いたことがありません。

前掲の「シベリア鉄道で旅行すべきでない理由」で語られているのは、主にシベリア鉄道のアメニティの問題ですが、私見によれば、そもそも不便な思いをしてシベリア鉄道に乗っても、得られる喜びが小さいのです。鉄道旅行の楽しみの一つは、窓から見える景色のはず。しかし、ロシアの旅客列車は、乗客が景色を眺める前提で作られていません。窓のガラスが曇ったり汚れたりしていて、外が良く見えないことも多いです。

また、「シベリア鉄道であれば、雄大なパノラマが車窓に広がり、ドラマチックに違いない」などと期待すると、裏切られることになるでしょう。もちろん、シベリア鉄道のどのあたりの区画を走るかにもよりますが、概して景色の変化が乏しく、単調な原野が延々と続きます。最初のうちは「自分は今まさに広大なシベリアを旅しているのだ!」と感動するかもしれませんが、何日も続けて見たいような景色ではありません。また、旧ソ連圏の鉄道では、線路沿いに防風林のような木々がずっと続いていることもあり、視界が遮られて遠くが見えないこともしばしばです。

車窓の景色に期待できないので、結局のところ、シベリア鉄道の旅というのは、「移動密室」のようなものになります。気の合う仲間と寝台コンパートメントをシェアできればいいですけど、見ず知らずの人と数日間、寝食を共にするはめになるかもしれません。まあ、もしかしたら、その結果、一生の親友や伴侶を得ることになるかもしれませんけどね。


石炭を満載して港に向かう貨物列車(撮影:服部倫卓)
圧倒的に貨物に偏重
ここで改めて、シベリア鉄道の概要を整理しておきましょう。建設されたのは帝政ロシア時代で、現在のルートで完成したのは1916年のことでした。モスクワのヤロスラブリ駅を起点として、太平洋に面したウラジオストクまで伸びる全長9,288kmの路線。これは世界最長の鉄道路線ということになります。シベリア鉄道はロシア国内の7つの時間帯を通過し、沿線にはロシアの産業の80%が集積。ロシアの鉄道事業は、潟鴻Vア鉄道による独占であり、シベリア鉄道を運行しているのも潟鴻Vア鉄道です。

ロシアの鉄道の特徴は、旅客輸送よりも、圧倒的に貨物に偏重していることです。たとえば、ロシア鉄道のパフォーマンスを、中国国鉄のそれと比較してみましょう。ロシア鉄道の貨物輸送量は、中国国鉄のそれをわずかながら上回っており、世界一の輸送量を誇ります。それに対し、ロシア鉄道の旅客輸送量は、中国の10分の1以下にすぎません。

貨物偏重は、シベリア鉄道ではさらに激しく、中でも石炭が最大の品目となっています。ロシア政府が石炭輸送を優遇していることもあり、現状でシベリア鉄道が輸送している貨物の実に3分の2近くが、石炭となっています(重量・距離ベース)。ですので、筆者のようなロシア経済の関係者が、シベリア鉄道と聞いて真っ先に連想するのは、延々と数十両も続く石炭貨車であり、そこには情緒も何もあったものではありません。

これまた古い音楽の話で恐縮ですが、かつてフュージョンサウンドで一世を風靡した渡辺貞夫の代表曲に、「オレンジ・エクスプレス」というのがあり、アメリカの西海岸を駆け抜けるような爽やかな空気感が印象的でした。筆者に言わせれば、シベリア鉄道は、「オレンジ・エクスプレス」ならぬ、「石炭鈍行」といったところです。


イルクーツク駅の待合室。電光掲示板の一番上に、「北京〜モスクワ急行」と表示されている(撮影:服部倫卓)
興味をそそられた北京〜モスクワ急行
このように、シベリア鉄道は「石炭ファースト」の鉄道で、日本人観光客の求めるような旅情がそこにあるかと言うと、疑問です。1日くらいの体験ならぜひお試しになってほしいですけど、長旅はお勧めできないというのが、筆者の見解です。

ところが、最近、ちょっとだけ心境が変わる出来事がありました。シベリア鉄道の路線上にあるイルクーツク駅に立ち寄ったところ、電光掲示板に、「北京〜モスクワ急行」という列車が表示されていました。近年、急激に関係を深めるロシアと中国ながら、両国の首都間を直接結ぶ列車が運行されているとは知らなかったので、興味をそそられたわけです。

調べてみたところ、モスクワ〜北京間の急行列車は、週2往復運行されているようです。ルートは2つあり、モスクワからウランウデ(バイカル湖に近い街)までは普通のシベリア鉄道と同じですけれど、ウランウデで2つに分かれ、一つはモンゴル経由で中国の北京に至り、もう一つは中国東北地方を経て北京に至ります。モスクワ〜北京間の所要時間は、6日前後のようです。

さすがに、モスクワから北京まで、6日間も列車に揺られるというのは辛いですけど、シベリアのイルクーツクまたはウランウデを起点とし、モンゴルを通って、北京に至る旅程だけであれば、2日くらいで済むようです。食堂車では、それぞれの国の民族料理が供されるのだとか。そんな旅行であれば、ぜひ一度体験したい気がしてきました。
https://globe.asahi.com/article/12843386  

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