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分断と歴史、葛藤の島でもがく若者たち(4) 「沖縄をなめるな」に若者たちが見せた連鎖反応 (東洋経済オンライン)
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/706.html
投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 2 月 19 日 22:51:34: PfxDcIHABfKGo isyYYouHkeg
 

アイデンティティーに目覚め、立ち上がった沖縄の若い世代は「対話」というボールを投げかけた
(写真:Siberian Photographer/iStock)


分断と歴史、葛藤の島でもがく若者たち
【第4回】 「沖縄をなめるな」に若者たちが見せた連鎖反応

東洋経済オンライン 2019/02/19 16:00
辰濃 哲郎 : ノンフィクション作家

いま沖縄では、若い世代の動向に注目が集まっている。アメリカ軍基地に翻弄される苦難を味わってきた戦後世代とは別に、生まれたときから基地と共存してきた世代ゆえの葛藤を抱えた若者たち。辺野古新基地建設の是非を問う県民投票にこぎ着けた彼らの胸中を追いながら、苦悩する沖縄のいまを探る。


 沖縄で若者の政治参加が注目されるきっかけとなったのは、アメリカ軍の新基地が建設される辺野古の地元で争われた2018年2月の名護市長選だった。

 基地建設反対を掲げて3期目を目指す稲嶺(いなみね)進氏は敗れ、当選したのは、基地建設への態度を明らかにしていなかった政権与党の推す渡具知(とぐち)武豊氏だった。その選挙対策本部の青年部長を担っていたのは、当時は琉球大学4年生だった会社員の嘉陽(かよう)宗一郎さん(24歳)だった。

 名護市に生まれ、幼いころから選挙のたびに基地の是非が争点となっていた。街は賛成・反対に分断され、ギスギスする大人の対立を見て育った。理想としては、辺野古新基地建設には反対だ。だが、一方では街を活性化させることも大切だ。「究極のリアリスト」を自認する嘉陽さんは、いわば基地容認派だ。

 故・翁長雄志前知事が辺野古に反対していた理屈はわかる。だが、長い歴史を振り返ったときに、どうやっても覆らない政府の方針に逆らうより、生活を守るという現実的な選択も必要だと考えた。沖縄本島の北部に位置する名護市は、中部と比べて産業は衰退し人口も減っていた。稲嶺市政の8年間で街には閉塞感が漂い、とても活性化したとは思えなかった。

 嘉陽さんの言う閉塞感には、2通りの意味がある。1つは、基地建設反対にこだわるあまり、市民生活に関わる行政が停滞すること。もう1つは、基地をめぐる分断で、モノが言いづらい環境にある。彼自身、基地容認派というレッテルが貼られ、素直に話を聞いてもらえないこともあった。

■基地容認の青年部長が駆使したSNS

 嘉陽さんは大学生のころに、学生を集めるイベントを企画する団体を立ち上げた。各界で成功している著名人を集めての講演会を開き、若い人の離職率が高い沖縄でも夢を追いかけてほしいという狙いだ。ネットでブログやツイッターで発信し、フォロワーが3000人近くいる。

 名護市長選で渡具知陣営から青年部長として招かれたのは、若手のオピニオンリーダーとしての才覚を認められたからだ。政治に興味があったわけではないが、社会と関わっていくうちに政治を避けては通れなくなっていた。

 青年部長として手がけたのは、住みやすい街づくりだ。保育園の利用料が高い。ごみの収集料金も高い。学校給食や高校生までの医療費の無償化など、さまざまなテーマが浮かぶ。

 若い高校生や大学生を集めては、閉塞感を解消するためには何が必要かを話し合った。Wi-Fi環境の整備や遊戯施設などの誘致。これらを公約に加え、LINE(ライン)などのSNSで発信していく。定型的な選挙用語ではなく、候補者の素顔を若者の言葉で動画や写真で拡散していく。いつの間にか若者の熱意がうねりとなって広がっていった。

 投票日4日前、青年部長として選挙カーでマイクを握る嘉陽さんのスピーチは、とても大学生とは思えないほど堂々としていた。

 「今日は皆さんのお手持ちのiPhone、これで動画や写真を撮っていただく。それをどんどんどんどん拡散してください。この思いをどんどん広げて新しい名護市をつくっちゃいましょうよ!  名護、変わりますよ!」

 ここでもSNSでの拡散を呼びかけた。

 選挙前は劣勢が伝えられていた渡具知氏だが、2月4日の投票日、約3500票の差をつけての当選が決まった。

 選挙後、稲嶺陣営で選挙を手伝っていた男性(68歳)が感想を漏らす。

 「チラシを配っていても、若い人の反応が鈍かった。稲嶺陣営にも若者はいたが、選挙対策本部の中枢がツイッターやLINEの重要性や効果を過小評価していた」

 翁長前知事の急逝に伴い昨年9月に実施された県知事選で、嘉陽さんは政府の推す佐喜眞淳候補の青年部長の要職に就いた。翁長氏の後継で辺野古新基地反対を掲げる玉城デニー現知事と一騎打ちだ。

■玉城デニー氏の勝利の要因は

 玉城陣営の若い世代の支援者の中心に、徳森りまさん(31歳)がいた。辺野古への土砂投入の日に風船を持っていき、「私たちは辺野古の海に愛を投入しまーす」と叫んだことを、この連載2回目で紹介した。8月まで海外で仕事をしていたが、帰国直後から玉城陣営の青年局を手伝った。

 玉城陣営の選対は急逝した翁長前知事の弔い合戦と、辺野古反対の2つを選挙戦の柱にしていた。だが、玉城陣営が用意した翁長氏の遺影は病気でやせ細り、むしろ痛々しい。翁長氏の急死でショックを受けている県民には、むしろ逆効果に思えた。

 辺野古をめぐる対立に辟易としている県民も少なくない。元からの支持者であれば、それもありだが、無党派層は取り込めないと彼女は考えた。集会や演説会に足を運んでくれない人たちの支持を獲得するためには、何が必要か。

 彼女は若い世代とともに、玉城候補とはどんな人か。何をしてくれるのか。信用できるのか、などの疑問に答える情報を発信することに専念した。クラブを借り切った若者の集会に参加した玉城氏や、ギターを抱えて歌う姿をSNSで拡散した。

 沖縄では、道路沿いに立って車の運転手に手を振るスタンディングという選挙戦術がある。年配者は「ストップ辺野古」「安倍政権を許さない」など直接的で硬いプラカードを掲げる人が多いが、そのたびに「沖縄の未来を明るく」などの柔らかい標語に替えてもらった。

 候補者の演説する場所も、従来は「ポイント演説」などと呼ばれていたが、SNSでは「トークライブが見られますよ」など、興味のない人でも出かけていきやすい表現に変えて発信した。幾度となく陣営の選挙プロと衝突したが、最後は任せてもらえるようになった。LINEのアカウントへの登録は9000人に達し、候補自身のツイッターには2万人のフォロワーがつくようになった。

 9月30日の投開票日。玉城氏は39万票を超える過去最多の票を獲得、自民党、公明党が推す候補に約8万票の大差をつけて当選した。地元紙の世論調査の結果からも、ほぼ互角の戦いとみられていたが、フタを開けてみれば浮動票が大量に流れ込んできたのは、若い世代の雰囲気づくりに負うところが大きい。

 徳森さんたち若い世代を取材していて、感じたことがある。政治に関わる若者も、そうでない若者も総じてウチナーンチュとしての誇りを持っていることだ。

 海外や県外で沖縄の置かれた理不尽な状況に思いをいたし、アイデンティティーに目覚めて声を上げ始めた。これは基地容認派の嘉陽さんとて同じだ。基地問題に引きずられるより、生活や経済をより重視するのは郷土を愛するがゆえだ。

 そして、戦後世代との大きな違いは、本土(ヤマト)の人間に対する意識だろう。戦後世代はヤマトに対し苦言を呈することを躊躇するのに対して、若い世代には、ためらいがない。

■「沖縄をなめんなよ!」と鼓舞

 徳森さんの分析には説得力がある。

 「それは、私たちがコンプレックスを知らない世代だからだと思う」

 シニア世代は長いこと、目に見える差別を受けてきた。沖縄戦では日本兵にスパイ扱いされたり、避難していた壕を追われたりした経験から、本土に対するトラウマがある。

 戦後もアメリカ軍基地がヤマトから移転してくるなど構造的な差別感を味わっただけでなく、ヤマトに行けば方言や島育ちということで侮蔑された経験を持つ世代だ。アメリカ軍基地を押し付けられることにあらがいながらも、その矛先はけっしてヤマトには向けない。

 その理由の1つには、アメリカ軍基地が他県に移設されたら、その土地の住民に自分たちと同じ思いさせてしまうことがはばかられたからだ。もう1つ、ヤマトに対してモノを言えない劣等感の裏返しでもあるというのだ。

 これに対して若い世代は標準語も使いこなせるし、安室奈美恵さんを筆頭とする県出身のアーティストらの出現で、「沖縄出身」が憧れの対象となり差別を受けた経験がない。ヤマトに向けても堂々と対話を持ちかけることができる素地につながっている。

 沖縄の保守の政治家で正面切って「ヤマト」に対する感情を直截に表現したのは、最近では前知事の翁長氏くらいかもしれない。保守対革新で争うより、ウチナーンチュの誇りで団結しようと「イデオロギーよりアイデンティティー」を呼びかけ、2015年の県民大会で辺野古新基地建設を推進する政府を非難するスピーチを繰り広げた。

 沖縄にアメリカ軍専用施設の7割が集中する。その一部を返還することが決まったら、その代わりを県内から探せという理不尽な要求に対して、翁長氏は「私はこのことを日本の政治の堕落だと言っているわけであります」と一刀両断に切り捨てた。そして、最後に右手のこぶしを上げ、こう叫んだ。

 「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー」

 もちろん原稿にはなかった言葉だ。翁長氏は、その方言の意味合いについて「沖縄をないがしろにしてはいけない」と説明したが、年配のウチナーンチュに尋ねてみると、そんな生易しい言葉ではなかった。

 「沖縄をなめんなよ、という意味合いですよ」

 それがいまでも県民の間で語り継がれているのは、それだけ魂を揺さぶられるフレーズだったからだ。沖縄のプライドを表顕した「なめんなよ」は、実は政府に対してだけでなく、国民に向けたものでもある。それまで無関心を装ったり、諦めたりしていた沖縄の若い世代が政治に目を向け始めたきっかけともなったという話を、何人もの若者から聞いた。

■本土への怒り? 「あるよ」

 その翁長氏が那覇市長時代の2012年に始めたのが、ハイサイ運動推進計画だ。沖縄各地の方言である島言葉(シマクトゥバ)を大切に伝承することによって、ウチナーンチュとしての誇りを抱いてほしいという狙いだという。

 いま、それを実践しているのが徳森さんら若い世代だ。集会やイベントでマイクを握ったとき、必ず冒頭に方言で挨拶をする。

 「ワンネー 〇〇〇〇 ヤイビーン。 ユタサルグトゥ ウニゲーサビラ」(私は、〇〇〇〇と申します。よろしくお願い致します)

 その翁長氏の申し子たちが、ヤマトに向かって発信を始めている。

連載2回目「沖縄の若者が『戦後世代』との間に見る高い壁」(2019年2月3日配信)で紹介した三味線を弾く金城海斗さん(25歳、仮名)が、あの辺野古への土砂投入の晩、Facebookに投稿した文章だ。

 「沖縄で生きているおれらだって国と対峙したいわけじゃない。基地問題は沖縄の問題じゃなくて、日本全体の問題っていうあたりまえの話がしたいだけ。どういう手段で伝えていけばいいのかずっと考えてるけど、さすがに限界を超える。『沖縄に住んでいないから。当事者じゃないから』って理由で無意識に他人事としないでほしい。

 当事者は辺野古でも、名護市でも、沖縄県だけでもない。『安全保障のため』とうたって正当化するアメリカ軍基地は日本に住んでいる全ての人が当事者であって、考えなくちゃいけないことを忘れないで欲しい」(原文のママ)

 ヤマトの人たちに、思いをぶつける投稿をするのは初めてだ。政府が安全保障を理由に「辺野古」にこだわるなら、沖縄だけで考えるのは、あまりに理不尽だと思った。投稿に対するリアクションの1つに「沖縄、負けるなよ」というメッセージがあった。「負けるなよ?  違うだろ。日本全体の問題であることを、本土の人たちは忘れている」。

 その彼と宜野湾市内の中華料理屋で会ったとき、こう尋ねてみた。

 「本土に対する怒りはある?」

 ラーメンをすすりっていた彼は、顔を上げて少し考えてから答えた。

 「あるよ」

 彼の思いがヤマトに届くのか、逆に分断を深めてしまうのか。それは本土の受け止め方にかかっている。

 そして最後に、その「本土側」で、どうしても書いておきたい人物がいる。

 東京から2年半前に沖縄にやってきた大袈裟太郎さん(36歳)という男だ。

 大袈裟太郎は本名ではない。職業もジャーナリストと呼んでいいのか、私には判断できない。だがこの間、辺野古だけでなく、アメリカ軍のヘリパット建設への反対運動が起きている本島北部の東村(ひがしそん)の高江地区に通って、動画を撮り続けている。ツイッターやFacebookでレポートとともに拡散し、OOGESATAROjournalと題したブログも手掛けている。

 2月7日現在、ブログには1265回目の報告が掲載されていて、そのフォロワーは約1万2000人に達する。基地反対を掲げる運動家だけではなく、基地容認派にも知られた存在だ。

 かつて東京では、浅草で人力車を走らせて生計を立てるラッパーだった。政治に関心もなく、投票にも行ったことがなかった。

■「人力車引いている場合じゃない」

 東日本大震災のあった2011年3月11日、福島第1原子力発電所が爆発して放射線が東日本を覆った。「国は原発って安全って言ってたんじゃないのかよ」。

 無条件で信じてきた国の施策に疑問を持つようになったのは、それからだ。2016年の参院選でミュージシャンの仲間が東京選挙区に立候補した選挙を初めて手伝い、社会の矛盾に目を向けるようになった。直後に神奈川県相模原市の障がい者施設で45人が殺傷される事件が起きた。彼は当時を振り返ってブログにこう書いている。

 「時代が傾いていくのを痛切に感じた。ありふれた日常が奪われていくのを感じた。人力車をやっている場合じゃないと思った」

 社会のために何かできることは、と自問していたときに仲間から促されて高江に動画を撮りにいくことになった。初めの約束は10日間だったが、滞在は延びていく。高江の森で警察官に排除される住民を目の当たりにして、東京で報道されていることと現実との格差に驚く。

 第一に、高江のことなど大手新聞社はほとんど報じていないばかりか、ネット上では「地元の住民にとって抗議行動は迷惑だ」「左翼活動家が日当をもらって参加している」などのデマが横行していた。だが、そこに座り込みを続けて警察官に強制排除されているのは、ついさっきまで農作業をしていた地元のお年寄りなのだ。

 このギャップを埋めるために、動画を撮り続ける決意を固めた。そうしなければ、この場で起きていることが、ないことにされてしまう。そんな焦燥感に駆られた。その年の12月、名護市にアパートに住み始めた。

 2017年10月、高江近くの海岸にアメリカ軍ヘリが不時着して機体が大破する事故があったときも、いち早く駆け付けた。米兵に現場から離れろと怒鳴られながらも写真や動画を撮り続けた。その写真をSNSで拡散すると、後日、高江に住むおばぁと会ったとき、いきなり抱き締められた。拡散した写真をプリントアウトして持っていたのだ。そのときのおばぁの言葉が忘れられない。

 「フィルムを隠しておきなさい」

 フィルムなど存在しないのだが、それより、証拠写真を隠さねばならないという発想が悲しかった。この世代の人たちは、どれだけ抑圧されてきたのか。

 彼のブログにこんな動画があった。

 辺野古の座り込みの現場で、沖縄県警が強制排除に乗り出している。大勢の機動隊員が座り込んでいるお年寄りを取り囲み、緊迫した空気が漂っている。合図とともに、機動隊員が自分の親や祖父母くらいのお年寄りの手足を担いで移動させる。みんな無抵抗だ。ウチナーンチュ同士、お互いつらいに違いない。

 本当の加害者はそこにはいないのに、どこにもぶつけられない怒りが渦巻いていく。まさしく、分断を象徴する場面だった。大袈裟さんは頭に取り付けた小型カメラで撮影しながら、周囲の機動隊員一人ひとりに声を掛けて回る。

 「お巡りさん、やめましょう。こんなこと、やりたくないでしょう!」

 「仕事上の立場だからわかるけど、話し合いたい」

■機動隊員の涙に「あんただって泣いてる!」

 だが、どの機動隊員も返事ひとつ返さない。マスクとサングラスをした機動隊員が、ビデオカメラを回している。大袈裟さんの真ん前に立って至近距離から映している。大袈裟さんは、語り掛けた。「お巡りさんだって、いやでしょう」。相手は一言も発しない。正面から向かい合ってお互いを撮り続ける。次の瞬間だ。大袈裟さんが泣き声になる。

 「お巡りさん、泣いてるじゃないか!」

 機動隊員がサングラスの奥で涙を流しているのが見えたのだ。大袈裟さんの絶叫する声が聞こえる。

 「あんた、だって泣いてる!  うわーー、うわーー」

 嗚咽する声はしばらく続いた。

 県民に分断をさせている責任の一端は、本土の人間にあることを突きつけられる映像だ。

 彼の行為は、ジャーナリストであれば躊躇する一線をはるかに超えているだろう。だが、おじぃやおばぁ、それに運動体と一体となったからこそ撮れる映像があるのも確かだ。何より、彼ほど「現場」にこだわって撮り続けている人はいない。ネット社会が生んだ新しい形の市民派ジャーナリストなのかもしれない。

■新世代に負わされた課題

 撮り続ける原動力を、大袈裟さんに尋ねると、こう答えた。

 「本土の人間としての贖罪(しょくざい)ですかねえ。せめて本土との懸け橋になればと思って」

 その大袈裟さん、名護に移り住んで2年になる。当初、ネット空間で政治的な発言をしている若者は10人もいなかった。

 それが、名護市長選以降だろうか。次々とSNSで発信を始めている。ネトウヨの誹謗中傷に対して、これまで静観していた若者が、それに反旗を翻すことも増えてきた。県知事選では、彼らの動きが玉城氏のイメージをつくりあげ、新たなムーブメントで盛り上げて当選に導いたことを彼はレンズを通して見守ってきた。

 その代表格である「辺野古」県民の会の元山仁士郎さん(27歳)が今年1月15日、ハンガーストライキを宜野湾市役所前で始めた。大袈裟さんは連日通って撮り続けた。

 「彼ら新世代は、対立や分断化された社会を乗り越えなければならないという、旧世代にはない課題を背負わされている。それを打開するのには対話しかないことを彼らは知っている。その手始めが、このハンストでしょうかね」

 アイデンティティーに目覚め、立ち上がった若い世代は、まだまだ一握りでしかない。基地容認派と反対派、世代間、そして沖縄と本土といういくつもの分断を乗り越えるために、沖縄の若い世代は「対話」というボールを投げかけた。

https://toyokeizai.net/articles/-/266219


【第1回】 沖縄の彼女が波風立てても世に伝えたいこと (2019年1月30日配信)
https://toyokeizai.net/articles/-/262859
【第2回】 沖縄の若者が「戦後世代」との間に見る高い壁 (2019年2月3日配信)
https://toyokeizai.net/articles/-/263804
【第3回】 沖縄の世論を動かした若者たちの断固たる行動 (2019年2月10日配信)
https://toyokeizai.net/articles/-/264863  

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