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日本の市民の皆様へ、最終投稿。 第6章 喧噪の中で失ってしまった大事な事
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/120.html
投稿者 プラナリア 日時 2019 年 3 月 03 日 13:05:06: emFaAWGkaJrU. g3aDiYNpg4qDQQ
 

2018年6月28日より「日本の市民の皆様へ、最終投稿」と題して「1章 破壊されてしまった三権分立の原則」から2018年8月13日の投稿「5章 そして全てが逆行する社会へ」を阿修羅の選挙板に投稿させて頂いております[1]。最後の投稿から随分と間が空いてしまいましたが、以下6章と7章を続けて投稿します。

1章 破壊されてしまった三権分立の原則
2章 音楽は政治を批判してはならない
3章 欲望の行き着く果てに
4章 何処から、何処へ、何ゆえに
5章 そして全てが逆行する社会へ
6章 喧噪の中で失ってしまった大事な事 <== 今回分
7章 「こんな平成に誰がした。」 行為とその帰結。そして怒りと不安と希望と

この第6章は2011年11月より始めた一連の投稿の中で多分最も重要な章の1つだと思う。もう一つ重要な章を選んだとすると、それは原発板に2012年1月12日に投稿した「日本の市民の皆様へ-その2」の第8章 「眼の前の事と向き合う(言葉或は知識、そして現象の認識とのギャップ)」[2]である。言葉を通じてしかこの世界を観ようとしない人々の思考と習慣を話題とした。この章と併せてお読み下さい。それは以下述べる様にスローガンに表せられたイデオロギーを通して見る世界と言葉を用いずにこの世界を観る事の違いである。

あるアイデアが情念になりそれがイデオロギー化しスローガンを通してこの世界に働きかける - と言うイデオロギーと目の前の世界の関係。そんなイデオロギーと言う名の欲望とその欲望から発せられた言葉に全くおかまいなく脈々と流れる"あるもの"を考える章である - 政権にどの様な勢力が居座ろうが文明の中の文化を利用した自分達のイデオロギーの夢の実現の欲求として、その地域の昔からの固有の文化を自分達の達成したい理想社会の方向に都合の良い様に引き寄せながら政権運営をおこなって行く過程、そしてその過程を取り仕切っている不遜で強欲な人々を我々は世界の至る所で現在進行形で目撃している。
===
6章 喧噪の中で失ってしまった大事な事
随分昔に読んだ本からの引用と言う形で話を進めてみる。Max Picardと言うスイスの哲学者が、1958年みすず書房より出版された「騒音とアトム化の世界」[3](残念ながら絶版になって久しい)と言う本の中で述べていた。人々は喧噪の世の中に生き、各個人がそれぞれアトム化(原子化)してしった事。以下の様にも言っていたとも記憶する。間違っていたら御免なさい。人間がオペレータ(即ち機械をもくもくと操作する者)に堕してしまった事。同じくみすず書房より出版された彼の「沈黙の世界」と言う本では神と対話する内省の重要性を訴えていた。彼自身の言葉を示す。"Nothing has changed the nature of man so much as the loss of silence."[4] それは、現代社会において有史以前から持っていた動物としての人間の中の本性より、沈黙を喪失してしまった事だと言える。人間が沈黙の中での内省を行う事を忘れ、言葉が一杯詰まった頭のみに意義を見いだし、その生命存在の意義を失いつつある事と言えようか。また、文明批評家Ivan Illiciの著書「エネルギーと公正」[5]の中で心に残った言葉があった。彼は「加速」と言う言葉をこの本の中で使っていた。この世の社会と人々の動きを良く表している。物質文明、機械文明の生活の中で欲望が肥大化し、それらの文明が深まるにつれ上に述べた状態が不可避となり、人であるよりもオペレータになっている時間がより一層長くなり、どんどんと抜け出せない深みにはまって行くのである。それは日常の中で一人一人の統一体としての生命が分裂、原子化し家族が原子化しバラバラで絆を喪失そして社会にはユニークさも無くなり分断化する現代の日本の人々の事を言い当てて居る様に思える。

Picardが語った言葉で彼の考えを良く表す言葉を記しておく。手元に「騒音とアトム化の世界」が無いので孫引きと言う不本意な形となってしまいますが以下の引用をさせて頂きます。[6]現代の人々の生き方を非常に良く記述していると思う。「私はある時、一人の男がテレビの前に座っているのを見た。その傍らで同時にラジオが鳴っていた。しかも同時にこの人は時折テレビから目をはなして新聞を読んだ。いったいこの人はどこにおるというのだろう。テレビの中か、新聞・ラジオ、あるいは安楽椅子の中か。彼はそれらのすべてであり、そして無でもあった。いたるところにおり、しかもどこにもおらなかった。そして彼の欲したのは実はこのことであった。即ちどこにもいないこと、自分自身を解体し、またその破片から自分を組み立てることであった。昨日の死はなんとつまらなく、今日の復活もまたなんとつまらないことであろう。この人間は自分自身から脱走しておったのである−というのも当たらない。彼はそもそも自分というものを持っていないのであって、したがって自分自身から逃げるということもできない。彼は一般崩壊の中の、運動の一小部分以外の何ものでもないのである。現代人は内面的に連関性をなくしたごたごたの中に生活している。我々は内的に寸断されてしまっているのである。我々は連続性の中に生きているのではなく、非連続性の中に生きているのである。一つの印象、一つの感情、一つの考えが、隔絶されながら、それぞれ別の印象や、感情や考えの側に平気で並んでいる−否、先立つもが全くなかったかのように、次々と立ち現れるのである。ただ絶え間なく何ものかが、瞬間を通って転じてゆくだけである。」あなた自身今の生活を省みて彼の言葉に反論する事が出来るのであろうか?

皆が皆生命を、命を愛する事を忘れ去り、加速をこよなく愛する喧騒の時代でもある。現代社会において加速は一つのキーワードだ。加速と言う中毒。この結果は人に何をもたらすか?スピードをこよなく愛する一方人として愛を育む心と、内省の習慣が失せてしまった事。どうしてその様に先を急ぐのか?個人が加速し、人々が加速し、人間が加速し、情報が加速し、日常が加速し、技術が加速し、一年が加速し、一世紀が加速し、人類の歴史が加速し、一体ぜんたい我々は何処へ行こうとしているのか?沈黙の中での内省を忘れ忙しい人生を送りながら、己の強欲さ故、他の人の事を気にかけずにおとしめ蹴落とし、人を精神的に肉体的に傷つける事をいとわない輩達、己を他の人々と切り離し社会の中の或は集団の中の自意識過剰な原子となり、加速する人々。皆が皆人生の速さや人生のスケールを誇っている現代社会。肥大化する欲望そして強欲と便利さを更に加速し追い求めるのとは裏腹に、騒がしい人間以外の動物が棲む自然界の生きとし生ける物達は、そこからやって来る、その正反対の不便さ即ち環境汚染や環境破壊と言う結果を沈黙の中で甘受しなければならないこの不条理が見えないのである。動物、鳥、魚、植物はこの生きにくい世界になす術がないのが人間には判らないのだろうか?同じ様に人間もこの殺伐とした空間で何がおこっているのかと言う関心をも失ってオストリッチの様に頭を砂の中に入れて、この様な事態が過ぎるのを待っているだけなのだろうか?もしかしたら人間のみならず生命が滅ぶのを知っていて何もせずそれを楽しんでいるのではなかろうか?もしそうだとしたらその様な考えはこの世の終末を待ち望み単に楽しんでいる終末論者の考え方と同じではないか?どうやら人間は先の見えない判らない何かの終わりに向かって加速している様である。 今や人間が人間以外の動物にくらべて遥かに愚かになってしまった。生命が何らかの理由故にこの世に在る事を忘れ、この流れが続いて行く事を忘れ、欲望に突っ走り、他人を押し退け、自然を押し退け動物を押し退け、生態系を押し退け排除し、生命の存在の大事な意味を忘れ喧噪の中で生きている。

一言で言おう。第4章「何処から、何処へ、何ゆえに」の中では述べなかったが、「 何処から、何処へ、どの様に」と言う問いが"Profile"(例えば隣の芝生は青いとか)と言う言葉と結びついて我々個人の中で相手との比較の対象となってしまっている現在。人間は近年この世界を物理的に大きなスケールで見渡せる事が出来、その結果比較の対象が広がってそれにより更に欲望が際限なく増殖してしまった。だが「何ゆえに」と言うと問いのおおもとにあるのは生命なのである。あなたには日常の中でそれを感じる事が出来るか?実はその他人の中と自分の中にある「何ゆえに」は比較の対象がないのである。しかし「何ゆえに」と言う問いをも忘れてしまうか無視するからユニークな個人、特定の宗教を信ずる人々や民族の迫害や、抑圧がおこってしまうのである。生命の公正と平等には優生思想など入り込む余地はない。この事実を無視するgeopoliticsに満ちた日常に踊らされて、brainwashに巻き込まれてしまっている我々。

本投稿第三章の「欲望の行き着く果てに」で書いた事を詳しく述べる。この世界の出来事を現場で見る気持ちは更々無く、情報のリアルタイム化とそのダイジェスト即ち咀嚼に追われる日々の生活習慣の事である。この様な環境ではいとも簡単に人は情報に騙される。何故か?客観性が無いからさ。自分の好みの情報だけをアクセス。頭の中に入っている自分の、世界の解釈理解を確認する為に自分の好みの新聞やインターネット上の情報を選択し、自分の考えを補強する記事のみ読み漁る。選択的情報の咀嚼。これが心地良いのである。頭の中は言葉で一杯。でも心の中は空っぽ。虚しいね。簡単に言えば自分の意見と同じ様な論調を読んで安心安堵し、その反対の意見に反発し攻撃する。攻撃される人々は主に自らの意見を公に出来る自己推進能力のある方々。その様な人々を人格破壊しようとする訳。何故人々は意見の違う人々を攻撃するのか。どうしてそのまま、ありのまま、受け入れられないのか。それは何故か?色々と理由が有ろうがその一つとして: 皆が皆インターネット上で喧噪を選び、違った意見を持つ人々や他の民族を批判し、それにより己の心に満足感をもたらしている訳なのだろう。不快なら相手を攻撃する事、が心地良い。この悪しきEthosの現象(「4章 何処から、何処へ、何ゆえに」参照の事)は世界で同時進行している事に皆さん気づいて欲しい。つまり異なった相手を受け入れる能力の無い人々が増加中とも言えようか。そして又他人に対しての意地悪が心地良い。ところが現実とはユニークさと多様性の集合体なのだ。生命が、此処では自分が母より産まれて来る事を選択した時点でユニークな存在なのであるが、その個人の多様性さも判らん輩が文化の多様さや民族の多様性さをも見下し軽蔑する行動を取るのは愚かな事。しかも自分がユニークで優生な人間だと思っているのでなおさら、たちが悪い。心がここにあらず、善のEthos或はスピリッツな世界を喰らい尽くす"busy monster"達。インターネット依存症のあなたへ。この姿を自分の形相として捉えられるだろうか?この事から人間を紋切り型にさせておく事、オペレータにさせておく事が権力を持つ面々にとって如何に重要なのか判るだろう。

さてまたまた音楽の話で恐縮だ。あなたが以下の曲を聴いた時自由にこの曲から何かをイメージ出来る様に以下の文を読む前この同じ曲を2つの映像のYoutubeで聞いてみて欲しい。[7][8]歌詞は[9]。英国の作曲家で英国のロックグループU2のアルバムのプロデューサとして知られるBrian Enoと言う方がいる。彼の2005年のアルバム"Another Day on Earth"の中の"And then so clear"と言う1曲。あなたは今この曲を聴いて何を連想、想像しただろうか?

今日は私がその曲から思い浮かぶイメージをEnoさんには申し訳ないが勝手に解釈してここに記載する。ご勘弁の程。それは4章 「何処から、何処へ、何ゆえに」で以下言及した、心があなたの中に落ち着いて座っていてあなたとあなたの心が一体(unity)となっている時、この時この場所に「心此処にまします」と言う事に関連する。私にとって”And then so clear”の曲からイメージする事は: まだ私が小さな子供であった時に車を使った何泊かの家族旅行から家へ帰って来た時に見た天窓から光が差し込んでいる場面でフッと思った事なのである。それは私と父、母私の兄弟が一緒にいると言う一体感。静寂の中の愛に包まれた家族の中の自分。そしてそのunityから外の社会があると言う事を初めて理解した時の感触に近い。言葉では説明出来ない自分と家族と世界との一体感。しかしこれとて以下述べる生命の流れの極一部を認識、感じとったに過ぎないのである。

これは沈黙するしかない動物には彼らの本能により判っているのである。それは、この表題の章の問いへの答えである。あなたが喧噪な世の中に棲む事で心の中から失ってしまった気持ち。それは思っているよりも遥かに大きく大事なものなのである。しかし私と言う生を授かった事はもっと高い次元の、何かしらの理由があるからなのだろうと言うこの世のシンプルな捉え方。脈々と続いて来た生命の流れとその脈動をこの曲を何回も聴くと思い浮かぶのである(実は歌詞の内容と違うのですが)。前の幾つかの段で述べたが今現在物質文明に晒された人々は沈黙と内省を忘れ、そして頭の中にある行動パターンに影響され見ず知らずの他人を安易に攻撃、人格破壊する事が広く行われている。他の人の持つ固有で唯一の個としての尊厳さが疎んじられてしまう日常の思考と習慣の中に生きている。それこそがアトム化と言う事。自分が原子化アトム化し己がこの世界にあると言う事実を忙しい情報の中で見失う事で心の中の自分を失い大事な己と世界の関係を断ち切られてしまう。動物と同じ様、人が石の上を歩くのを止めてから言葉が増殖しこの世界と切り離され人は原子化してしまった。あなたは上記の様に子供の頃、自分と家族と世界との一体感を感受した事はなかったのだろうか?その様な気持ちが生じた事があったかどうか、あなたの中にある記憶の糸を手繰ってみて欲しい。

この世界に産まれて来て、思春期に家族から独立する気概が生じた後に、社会に出でて女としてまた男として異性と出会い結婚し子供が出来て彼ら子供達が一人立ちし、自分が自分の親と同じ様に長い人生を歩んで行きそして老いてゆく。そしてその初期の過程の中で家族と言う小さな群れの中に一人の生き物として私が生きていると言う実感と、家族と言う小さな群れが大きな群れの中に生きている実感、(2つの違った遺伝子がもっと大きな流れ即ち時の流れと脈々と続く生命の流れを共有する)とそれを囲む外との関係の連続性を既知する事で社会性を理解し、習得する事が出来る。これは生物の群生の空間的な尺度から見た考え方。だがとても不思議なのだが、誰一人として日本の社会でのイデオロギーに基づいた祀り事が、日本の社会空間、群生の空間にどのように力を及ぼし変出させ影響しているのかと言う見方を執れない不可解。

この考えに少し関連する事だ。群生の空間と言う観点で日本社会と言う空間から観ると、後に述べるが、どうやら偏屈な考え方やイデオロギーが跋扈し、人間の顔の態をなしていない文化の風潮が蔓延るいびつな空間、人が棲み難い生活空間となってしまった様だ。人間が家族が原子化してしまった現在、第一章 「破壊されてしまった三権分立の原則」で言及したが或る勢力による、社会形態を変えようとする事により彼らが理想と考える様な、日本を素晴らしい国にして行こうと言う努力をするのは理にかなっているのかどうか甚だ疑問なのである。そんな事よりまず善の'Ethos'例えば希望を人々の心の中に取り戻し育て、家族の中に社会の中に人間愛を呼び戻す事が先なのが判らないでいる、日本の社会があたかも自分達の物であるかの様に振る舞う不遜で強欲な政治屋達。現代日本の社会においては生きる力が弱い家族もあり強い家族も或る訳で、弱い家族を手助けする福祉と言う社会制度を手厚くするどころか、彼らを更に窮地に蹴落とす様な政策を実施している事実。家族と言う小さな群れに必要以上の経済的な圧力をかけてはばからない社会制度。一方軍備拡張の為惜しみなく予算を注ぎ込む。正直者は馬鹿を見る、どころではない更に悪い状態である。つまり弱い者が更に抑圧されてしまっている日本の社会。この様な不条理がまかり通っている事に殆ど誰も怒りを表現しないのは、人間が家族が原子化してしまった上日々機械的に生きている為と思うのだが。子供を持つ親として不条理に満ちた政治のやり方に抗うのは、動物として生命として当たり前の事なのであるが。そう。オペレータとは皆が皆何も言わない、或は皆が皆同じ事を言う状態に陥っている人々の事である。個人的に成功の為の機会を持たない、持てない市民を抑圧するエリート意識に満ちた優生学的政治手法が日本で行われているのではないかと思えてくるのだ。何も明治時代の教育勅語を実践し、戦前の封建的な大家族に家族形態を戻す事が本当に現実味のある社会問題の解決策なのだろうか?人間を中心に据えた実践的な政策やアプローチを行う政治手法と、イデオロギー的なアプローチを取る政治手法の間の乖離をまざまざと見せつけられる今日この頃である。残念な事にこの世界の意義、意味の深さを忘れてしまって忙しく人生を送っている原子化した人間で構成される社会においてはこの乖離の帰結がどうなるのかを考えようとする'Ethos,'風潮も社会から失われてしまった。判っていると思うが、不遜傲慢強欲にかられた面々が支配する国は滅びる。

この章の推敲の途上に先日の東京新聞のWeb 「梅原猛さんの平和思想」と題した以下の記述を発見。色々と考え倦ねていた事が見事に鮮明になった。以下長いが引用する: 「梅原猛さんから興味深い見解を聞いたことがある。『神も仏も捨てたのが、明治政府です』と−。仏教を排斥した史実はあるが、神を捨てたとは…。はてと首をひねった記憶がある。 『昔から日本人は山川草木すべてが神様だという多神論でした。仏教にも同じ思想があり、神と仏を合体させた宗教を民衆は信仰してきた。神仏習合、それが日本の思想の中心でした。だが、明治になり国家神道という一神教になったのです』 国家主義は古来の思想を無視して、国家神道という新しい宗教を国民に強制した。さしずめ教育勅語はその道具であった。この一神教こそ戦争へと日本人を駆り立て、日本を狂わせた張本人なのだという説明だった。」[10] Aha!である。原理主義者の実体が見えた。戦前の人々の様相。梅原氏が指摘していた様に多神論を捨てた故に生命の流れの観点から世界の人々を見渡す事が出来なかったのであろう。現政権と天皇皇后両陛下の関係がこじれている理由が良く判る。ところで話はがらりと変る。危機管理の極意は「最悪の事態に備える事」である。よって民主主義を支持する全ての人々が持てる限りの力を合わせ、日本会議によるクーデターに備えた危機管理体制の構築を行わなければならない時なのである。その根拠として変質してしまった与党自由民主党が通して来た法律の数々を見れば直感的に判るだろう。イデオロギーに執着する彼らなら日本の民主主義を転覆させるクーデターをやりかねない。

さて生命を時間的な尺度から考えてみよう。私と言う生命は私の父がたぐって来た、私の母がたぐって来たそれぞれの赤い糸の様な生命の流れが重ね合わさった物なのである。別の表現をとれば、私は父と先祖の血の繋がりと母と先祖の血の繋がりからの一つの生命としてこの世に生まれて来た訳。この世の根底に脈々とした生命の流れがある事実。この事が一番理解し易い人生での出来事は結婚式と言う場であろう。新郎が属する群れと新婦が属する群れの一同に会する出会いと祝福の時ではなかろうか。その出発点から、男と女の愛と愛情という中で新たな生命は生まれ成長し、心と心が重なり合って一つの心が産まれ、この世に長々と生を過ごしながら、体と心の一体感(unity)と共に尊厳を持って死を迎える。その間新たに産まれた小さい生命が全く同じ繰り返しの中で女性として或は男性として育ちそれぞれの道を旅し各々(原子化していない)個人が大きな生命の流れの中で出会う訳。即ちそれは私が一人の男として私の妻が一人の女としてこの世に生命を送り出す同じ営みを行い父となり又母となり、午後の太陽の高さに例えればまるで日の陰った夕方の様に、齢を重ねそして日暮れの様に歳をとりこの世から役目を終えて去って行く。私と妻の遺伝子を子供達に引き渡し、そして「何処から何処へ」の問いの先にある、どうしても答えられない「何故に」との問いを子供達に引き継がせている。だが、この大事な問いを背負って生を生きているのかどうかが彼や彼女に判るかどうかは本人の自覚次第だ。(或は親として子供にこの問いの意味を教えるべきなのだろうかと言う自問はあるが)。人間以外の動物達は、自分達がこの世界にあり生きて居る事の、不思議な見えない力が(「何故に」と言う先に)在る事を知っているのである。だが残念な事に私と言う小さなスケールを通してしかこの世界が見えないこの限界故これ以上は言葉が発せない。沈黙の中で生命の不思議を想う。

その一方この一つの生命としてこの世に生きる、私の中にある欲望は何処から来るのか、そして何処へ行くのか?何ゆえに?との問いが私の中を、私の生を貫く。そして体を欲する心の渇きの側面を持つ愛の事を考え巡らす。一人の男と一人の女の間のunityを縦軸にとるとそれは何と短い横軸の時間の期間なのか。横軸方向に過去を振り返れば途轍もなく遥か以前の私の知らない時がある。又逆方向を見れば新しい未来が見える。この生命の流れは「何処へ」行くのかと言う問いは未来へ向かって発しているのである。そして私は何かを残しつつ、一つの生命としてこの世から去って行くと言う事。何故に生命は死ぬのかは生命には終わりがあるから。何故に生命は産まれるのか。それはあなたと言う生命が産まれて来る事を選んだ事に理由があるから。これから産まれて来る子供達、生命達を「安全」な社会に或は生態系に送り出さなければならない宿命。その今生きる生命としての、遥かに崇高でしかも過酷な迄の義務を人間を含む生命は背負う。

生命を産み出して来た、又これから産み出すであろう、女性のあなた方にはこの事実は体の中に刷り込まれた思いであるに違いないだろうし、又無視出来ないのでは。幸せな人生を送れる様に身を粉にしながら日々男性優位の社会の中で悪戦苦闘している日本の女性達。日本の社会が男性が優位性を保てる様に設計され且つその様に機能している現状。その一方小さな群れとしての家族の中で子供と妻をないがしろにする又はネグレクトする様、最悪な場合は暴力を振るう様な行動をとってしまう男性諸君。又己の考え、思考習慣に基づき人々の間にある多様性を無視し、女性差別や蔑視を行う面々。男性優位の特徴である、最下部に位置する小さなスケールの家族から、地方自治や地方の会社、そして社会最上部に位置する国会へと貫く、男尊女卑の源である家長制と言うヒエラルキーを生活の社会空間から柔らかいベールで包み都合良く隠し続けて来た事。これこそ悪しき文化としての風潮である。これが日本と言う社会の中の生活空間に深く根付いている。更に昨今競争原理と言う手法を取り入れ敗者復活戦の様に弱いもの同士を戦わせるやり方。日本の中に新たにカースト制を作っているのか?それ故に、「法の下の平等」が日本の中で崩壊している事に女性の市民自身が強く抵抗し、善なる'Ethos'としての社会の希望を女性の方々が共有しこの日本の社会を良い方向に変えて行く様に努力して行かなければこの閉塞した社会に明るい光は差し込まぬ。この投稿を読んでいる皆さん、御存知の様に強権的組織の中では個性と、女性の権利は抑圧すべき対象と理解していると思う。それはアジア的な、個人のユニークさを否定する、男のタテ社会の属性であると言う事。これは母性が産み出したユニークな生命と多様性の容認を行う社会の対極に位置する。男と女の間にその様な生命の対等さと言う見方が出来ない男性諸君は生命の流れを創る女と言う性を守れない男達である。ほ乳類の間ではオスはメスを守り、子供を守るのではなかったのか?この生き難い世の中に子供を守らず、子供に当り散らし暴力を振るってどうするのか?もっとやる事が有るのではないのか?(次章最後の部分[一連の投稿の最後にあたり]参照の事)。あなたには自分の子供達が小学校の半ばの頃その横顔をさりげなく観た時、特に自分の娘の横顔から、彼女がこれから産み出すであろう生命の流れの片鱗をかすかに読み取った事があるのだろうか?そう想うだけで今の社会の女性や女の子に対する性差別や(性)暴力の不条理から彼女達を守らなければと心を構えるのがオスとしての務めと思わないのか?どんな肌の色の人々でもどんな社会的立場の人々でも子供の事を想う気持ちは同じである。自分の子供の中の生命の流れを認識出来ない者達。原子化した家族の中でその気持ちを喪失してしまっているのだろうか?

悠久と流れる生命。そして人々の、己の生命の流れを守ろうとする意志。その一方女性が自身を守り子供達を守る事。更に男性が女性と子供達を守る事。更に社会が家族を大事にし守る事。この全ての防壁が決壊しつつある、日本の生活空間。経済的に困窮すると心に余裕が無くなるのは自明の理。個人がそして家族を含め、公正公平さを失い教条化し硬直化した組織の犠牲となりつつある。皆さん、もっと大きく見ようではないか。家族も同様なのだが、日本全体が袋小路に追い込まれてしまっている事実がある。そこで、日本の政府の従業員の皆様へ。このままでは日本は駄目になってしまうと言う危機感が心の中に生ずる事がきっとある筈だ。あなた方は日本の市民よりも世の中の大局観をお持ちの筈。今出世欲に駆られた爺婆となるか、単に何も言えないオペレータになるか、それとも未来を予見し危機を回避しなければ日本は駄目になるとの大局観を持って日本の屋台骨の内側から変化をもたらす様努力をするか、あなた方は今この3者の内どの立ち位置を取るかと言う所まで追いつめられているのである。この事実をしっかり認識しておく様喚起したい。

冬の、或る日曜日の昼下がりの日差し。ほのぼのと呑むミルクティー。クッキーをこれに浸して口の中に運びながら美味しさを実感するこの様な些細な時。でもその様に個人が幸せであると感じさせる時間がこの世から失せてしまった。心が満ち足りている営みの喪失。何故に男がいて女がいるのか。そして人間は一体何処へ行こうとしているのか?騒々しい日常生活からは全くもって考えつかない想いである。

6章での問いと独白:「生命の流れと言う"Ground rule"と、権力欲、金銭欲等の強欲と言う事の間の関係とは一体何なのか?ground ruleに関与する事無く、憲法改正の御旗のもと自分達のイデオロギーの目指す理想郷を実現する為に祀り事を行っている面々。原理主義者と呼ばれても仕方がないのである。」

参考文献等
[1] 阿修羅のwebより拙稿「日本の市民の皆様へ」シリーズのサーチ、 https://www.google.co.jp/search?as_occt=any&as_sitesearch=www.asyura2.com&num=100&as_q=%93%FA%96%7B%82%CC%8Es%96%AF%82%CC%8AF%97l%82%D6&btnG=%8C%9F%8D%F5&gws_rd=ssl
[2] 「日本の市民の皆様へ-その2, 」 阿修羅, http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/412.html
[3] 「マックス・ピカート」 ウィキペディアより、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88
[4] "Max Picard Quotes,"AZ Quotesのウエブより、https://www.azquotes.com/author/28210-Max_Picard
"Max Picard Quotes," "AZ QUOTES"ウエブサイトより、https://www.azquotes.com/author/28210-Max_Picard
[5] 「イヴァン・イリイチ」、ウィキペディア、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%81
[6]「座右の銘データベース」、http://www.kokin.rr-livelife.net/post/post_meigen/post_meigen_253.html
[7] "And then so clear," アルバム"Another Day on Earth," Brian Eno,
https://www.youtube.com/watch?v=sLEgjBVtdhE
[8] 同じ曲で違った映像背景、"And then so clear," アルバム"Another Day on Earth," Brian Eno,
https://www.youtube.com/watch?v=lcK8_kKCsq8
[9] "And then so clear"の歌詞、https://genius.com/Brian-eno-and-then-so-clear-lyrics
[10] 梅原猛さんの平和思想、【私説・論説室から】、2019年1月21日、東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019012102000139.html
 

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コメント
1. 日高見連邦共和国[12541] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2019年3月03日 18:46:58 : FBaMX5YV8A : Q2ZyYktqTkhSQ3M=[10] 報告
日本市民の皆さまへ。(投稿主さまの呼びかけに乗っかって)

ILC(国際リニアコライダー)関連で小沢一郎が面白い事を言ってる。

『政府はILC誘致を決める事はできない。政権を替えるしかない』と。

これは、『ILC誘致』を『辺野古移設撤回』と言い換えてもいいだろうし、
『地方分権の推進』、『統治機構の見直し』、『脱原発の表明』も一緒だろう。

だからこそ今、小沢一郎は“政権交代を”って叫んでいるんだ。

でもね、ILCに関しては私には異論がある。7日の国際学会で日本政府の
方針を伝えることになるようだが、『誘致しない』なんて選択肢は“ない”。

論理的に考えればね。でも、誰も安倍に“まともな思考と判断”なんて期待してないっしょ?

まあ、数日後、結果を楽しみに待ちましょう。

それにしても、やるにしてもやらないにしても、その影響が大きすぎるILCのような
ビック・プロジェクトを、コト此処に至るまで国民に説明できない安倍政権って何だ!?

2. 2019年3月03日 19:15:49 : o4ZxWSpuaU : cmp4OUZBQlJQcUU=[218] 報告
批判の芽 摘んで刹那に 溺れさせ
3. 2019年3月04日 11:35:25 : C2i4eDKWA6 : d3pUQ3kvbGNsV2s=[43] 報告
>日本の市民の皆様へ
>日本の市民の皆様へ
>日本の市民の皆様へ
>日本の市民の皆様へ
>日本の市民の皆様へ

シナチョンからの語訳機能だとそういう表示になるのか?



[18初期非表示理由]:担当:言葉遣いがおかしいコメント多数により全部仮処理

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